2003年 06月 01日 インマヌエル教会聖日メッセージ
1部 /議会の前に立ったキリスト
(マルコ14:53-65)
・何年か前に放送局で見せたのですが、ミスコリア選抜大会ではなくて、ミスコリア選抜大会中、後から待って準備する過程を見せました。順に行きながら、ある人は服が見つからなくて、勝手に行くのではなく、外からサインを送って順番に行くのに、服が見つからなかったのです。きわどく服を見つけて、1秒前に服を着て行きました。行く時は、笑いながら格好をつけて、何のこともなかったように行きました。後で準備するごちゃごちゃする過程を見せたのでした。
・それを見て、美しさと幸福とは、全く関係がないと思いました。人生を見ると、そうです。あれがミスコリア選抜大会ではなくて、人生がそのようなことなのかも知れません。祈る余裕もありません。葛藤して、忙しくて。それで、ある人はどれくらいあれこれ苦しみが多いか分かりません。そのような過程の中で、やっと大学を卒業して、良い大学を卒業して、就職をしたら少しうれしくて、少し力も出るようになりますが、すぐ年を取って四十を越して、家を一軒、用意しようかと思うけれど,
後輩に押され始めます。55才くらいになれば、年寄りの取り扱いを受けて、押された取り扱いをされるのです。押され始めて、だから毎日が忙しくて、何をのがしたのか、人生というものも知らずに、真理ということも知らずに、あまりに忙しくて。
・今日、イエス様が祭司長の質問にほとんど返事をされませんでした。なぜならば、話にもならないことを聞かれたからです。ところが聞くこの人達は、とても忙しく生きて、成功をした人々です。皆様がおわかりの通り、ローマ時代のピラトという総督は、有名な総督です。この総督は、ローマから派遣されたイスラエルを治める総督です。たいした人です。どれくらい努力して、どれくらい忙しかったでしょうか?
どれくらいしんどかったでしょうか? その葛藤の中で総督になったのですが、その人がイエス様に「あなたは、イスラエルの王か?」と聞いたら、イエス様が「そうです」とおっしゃられました。「どうして、イスラエルの王なのか?」すると、イエス様が「イスラエルの王ではなくて、真理の王です」「真理とは何か?」その時、イエス様が返事をされませんでした。それから後には、イエス様が十字架にかかって亡くなる時まで、話をされませんでした。なぜでしょうか?
話が通じないためです。
・ニコデモがイエス様に尋ねた時、イエス様がこう話されました。「先生は、天から来られた方で、偉い方です」と言っても、イエス様はありがとうとは言われず、「あなたは、生まれ変わることなしでは神様の国に入ることはできない」とおっしゃいました。「生まれ変わるとは、何の話ですか?」「水と聖霊によって生まれることなしでは、神様の国に入ることはできない」「どのように生まれ変わるのですか?」その指導者が言う話が「母の胎の中に入って、また出てきますか?
どうやって、そのようにしますか? 」「あなたは、この話をわからないのですか。水と聖霊によって生まれることなしでは、神様の国を見ることはできない。わたしが今、世の中のことをみな話しても、あなたに分かるでしょうか。まして、天の事が分かるでしょうか?
」その時、イエス様が「神様は、世の中を愛されて、イエス・キリストを与えられたから、それはわたしを信じる者は、滅びずに永遠のいのちを得るようにするためです」とおっしゃいました。その時に出てきた言葉です。その有名な聖書の箇所は、ニコデモにイエス様がなさったみことばです。
・みなが忙しいでしょう。勉強もしなければならず、大学にも行かねばならず、留学にも行くべきで、皆様が車に乗ろうと出てきても、どれくらい葛藤が多いでしょうか?
車が約束の時間に来ずに、万が一、遅刻するかもしれなくて、ある人は忙しくて、ハンカチも忘れて、気が気ではありません。忙しいのです。時間がありません。人生をおいて考える時間もなくて、真理が何かを、この福音に近く来る時間もありません。このようにしていて、知らない間に年齢が過ぎてしまって、ある人は遅く悟ります。これが真理だな、これが福音だなと悟っても、あまりに遅いのです。年をとっていて、体質が変わりません。葛藤している途中で、時間がみな過ぎて、ある人は霊的問題があまりにたくさんきて、既に遅れてしまったのです。修理費がより多くなります。
あまりに霊的問題が深刻にきて、正しくしようとすると、とても長くかかるのです。それを見て、信徒達がばかにします。霊的問題が多い者、あのタラッパンと、ばかにします。修理することがあまりに多いことも知らずに、そのように生きてきたことも、なぜそうであるのかも知らないのです。
・今日、すごい光景が行われます。神様が救い者として送られたキリストにつばを吐いて、殴って大騒ぎをしました。何かも知らないのです。イスラエルが、自分がどの国なのかも知りません。神様のみことばを受けるのに、そのような余裕もないのです。出世をしようと走ってみるので、サンヘドリンの議会で、イエス様を裁判する祭司長は、ものすごく出世したのに、単にしたのではなく、どれくらい努力して、あちこち走って、子どもの面倒も見ないで走って国会議員になったのに、どのように真理を考えることが何か?
雰囲気で群れがひとつ起きたという他は見ることができません。見る目もないのです。「群衆が立ち上がって、何かイエスという人が、人を連れて回るのだけれど、これが何か?
そして、人々が従うので、これが政治になるのか。これは、おかしな団体ではないか?
なぜ付いてまわる人々の中に乞食が多いのか。なぜ精神病者が多いのか?
なぜ、悪霊につかれた者が付いてまわるか。悪霊につかれた者ではないか?」このようにしか判断できないのです。それで、殺そうと言ったのです。誰なのかも知らずに殺そうとするので、罪名がなければなりません。今日の本文を見れば、罪名がなくて悩んでいます。それで、「あなたは神様の息子キリストか?」最後に尋ねたら、そうだと言われました。「だから、あなたはこれだけでも死んで当然だ。」敢えてイエス様に死刑宣告をくだしたのです。本当におかしなことです。
・大部分のクリスチャンと多くの方達が忙しいのです。何のためなのか、いそがしいのです。お金をどれくらい儲けたのか?
それほど儲けることもしなかったのに、忙しいのです。どれくらい成功したのでしょうか?それほど成功してもいないのに、忙しいのです。どれほど忙しいでしょうか!
人生もなくして、真理もなくして、真理もなくす程に忙しいのです。葛藤が多いのです。毎日のように、葛藤の内容が何かをよく知らないのです。特別なことがあるのでしょうか?
息子、夫、妻、お金、そのようなことではないのでしょうか?
何も救いとは関係なく、何も祝福とは関係ない、こういう葛藤で時間があまりに忙しくて、だから人生が何か、真理が何か、近くにも行けないでいたのです。なぜ人間に問題がきたのでしょうか?
これで釈迦が家を出たのです。なぜ人生は、生まれて、病んで死ぬのか、釈迦は苦しんだ人です。それで、家にいることができなくて、出たのでした。苦しめられて、いることができなかったのです。精神的に苦しめられる人々は、静かにいることができなくて、まず出て行くのです。他の人たちは、あの人はバカだ、王の息子がじっとしていれば成功をするのに、なぜ出て行くのか。もう一つの人々は、本当にたいした人物だ、あれをみな捨てて家を出たのか、妻になる人も元々おかしな人が結局、出るよと言って、釈迦は回ったのです。回っている途中で死にました。
・それなのに、その人を信じて大騒ぎをしています。釈迦も困るはずです。仏像のようなものは作りませんでした。人々が作って、頭が痛いようにするのです。このように、ある人は宗教人が悲惨になります。なぜそうなのか?と考える余裕がありません。その近くまで考える余裕がなかったのです。なぜでしょうか?葛藤して、忙しくて、人生もみなのがしてしまったのです。クリスチャンは、もっと失敗しています。なぜでしょうか?理由も知らずに、近くにも行くことができないのです。知っていることはただひとつだけです。なにかうまくできずにいるということです。それだけ知っているのです。本当に忙しいのです。人間性ゆえに、真理まで来ることもできなくて、これで成功をしたでしょうか、していないでしょうか。私たち人間とパリサイ人は、重要な3つのことをのがしてしまったのです。
・霊的問題と霊的な存在が何かを聖書で明らかにしています。聖書の核が何か?
これを解決するキリストを送るということです。これも逃してしまったのです。聖書だけいっぱい知って、のがしてしまったのです。とんでもないことだけを捕まえました。神秘主義も捕まえて、敬虔主義もみな捕まえたのに、これだけをのがしてしまいました。
・聖書の目的も知りません。救い主を送る方法も知りません。キリストが貧しく、わざわざ来られ、わざわざ馬小屋で生まれ、わざわざ大工の家で育って、みな預言されたのに、それさえものがしたのです。敢えて今、イエス様を打つのです。こういう格好になったのです。これが今、パリサイ人の姿でなくて、こんにちの人々の姿です。イスカリオテのユダは、大きい罪人ではありません。すべての人がイスカリオテのユダのようです。ただイスカリオテのユダは、代表的で、売っただけです。ピラトがイエス様を裁判したのですが、ピラトの誤ちではありません。すべての人が裁判をしたのです。ピラトは代表者であるだけです。人生がそのように失敗するしかありません。することが失敗です。
・今日の本文を見れば、途方もない事が行われます。つばを吐いて、皆様一般の人々が話している途中でつばを吐けば、どのようになるでしょうか?
どれくらい人格を侮辱することでしょうか? 皆様が夫婦けんかをしている途中で、妻か誰かがつばを吐いたとすれば、どれくらい侮辱的なことでしょうか?
話をしている途中で。教えを受けてしまってもだめなのです。イエス様につばを吐いて殴って、ムチや棒で打つことは、いっそまだ良いことです。つばを吐くことは、最高に人を侮辱することです。そのような境地まできたのです。なぜそうなのかを知らずに、なぜこういうのかも知らずに、ユダヤ人が成功したのに、なぜしたのかも知らずに、努力して生きてきたのでした。
・宗教人が偶像を作って、クリスチャンはみなのがして、部分的なことだけ持って話をするのです。このように重大なことをのがしてしまったのです。それで問題が起きたら、みな逃げるのです。なぜ逃げるのでしょうか。なぜ逃げるのかも知らずに、みな逃げるのです。全議会の人たちは、なぜこういう失敗をするのでしょうか。人生がなにかも知らずに、真理も知らずに、知る時間もなかったのです。多数決で、みなこのようにするので、今、おかしな人々が現れて殺そうというので、みな殺そうという雰囲気なのです。それで、共産主義は誤っているのですが、民主主義も完全なものではありません。民主主義にも弱点はあります。多数決という弱点があるのです。違ったことでも決定すれば正しいことになる多数決の弱点があるのです。
・私達の教会は、絶対に共産主義でもなくて、民主主義でもありません。教会は神様主義です。そのために、私たちの教会は一つの家族です。この人達が、今、大きい失敗をしたのです。多数決をして、イエス様を十字架に釘付けたではないでしょうか?
みな逃げてしまいました。次の聖日に見るでしょうが、54節にペテロも逃げずに、後ろからこっそりついて行きました。それが最大限の弟子ペテロの姿です。みな逃げてどこへ行ったのかも知らずに、みな逃げてしまいました。イエス様に病気をいやしてもらい、精神病にかかったがよくなって、こういう人々が、精神を整えてみな逃げてしまって、弟子さえもみな逃げてしまい、なぜそうなのか誰も知りません。みな逃げてしまって、ペテロはそれでも受けた愛が多くて、人には義理があるでしょう?
それでも真理を悟ったことではありません。あの先生が捕えられるのに、逃げようとすればそうで、ついて行こうとすれば殺される、それで隠れてついて行ったのです。そうしたあと、あなたがイエスに付いてまわっていた人ではないかと言われて、違うと否認したのです。急な状況だったからです。
・こういう状況がきます。私達が今、救われたということは、本当に神様の恵みです。私達がこういう部分を本当に悟ったのは、神様の恵みです。私達がこの福音の秘密を、神様を理解するということは、神様の恵みです。それで、私は福音を悟って、次になにが必要となのか知ったのは、力が必要なのだな!
どんな力をいうのでしょうか? こういう中で、多くの葛藤、困難の中に陥って時間をみな送ります。そして、真理まで近く行くこともできません。これを早く越える力が必要のです。特に、私たちの学生達が記憶しなければなりません。それで、私は神様だけ眺めて、ただイエスだけで、私のできる仕事だけをすれば良いのです。息子のこと、妻まで、神経を使えば、何にも出来ません。自分のすることだけを正しくすれば良いのです。それでなければ、人生をすべて壊してしまうのです。
・皆様が記憶しなければなりません。会社に行って、仕事をしてみましょう。それがみな無視出来ないのです。そこに陥れば、何にも出来ません。私は人々の話を聞いていたなら、世界の福音化は出来ませんでした。
あ!力が必要なのだな。いっしょにいるふりをしながら、越える力が必要なのだな。それで、私が米国に行って話しました。米国を生かそうとするなら、アメリカ化ならないで。韓国を生かそうとするなら、韓国化ならないで。適応するものの、韓国化ならなくては、越えることができません。皆様が世の中に生きるのに、世の中に適応は早くして、雰囲気は早く察知しなければなりません。しかし、世の中化なれば死ぬということです。言わば、この人達は、「化」になってしまったのです。今、世界でメッセージを聞いているレムナント達、ヨーロッパ、米国、いろいろな所で住んでいますが、あなたがたは早く適応して、感づいて、早く跳び越えなければならず、「化」にならないようにしましょう。私はそれを悟ったのです。「化」になってはなりません。教会を理解して、教会を助けて、教会のために献身しなければならず、その人のように「化」にならないで、「化」になれば死にます。家族を理解して、夫と妻を理解して、息子を愛すべきでし。しかし「化」になってしまえば死んでしまいます。毎日その水準なのに、「化」になれば死ぬではないでしょうか。早く息をふきかえすべきで、早く譲歩して、早く理解して、息をふきかえすべきで「化」になれば死にます。
・私は信仰生活にそれが必要だということを知りました。ただ聖霊があなたがたに臨む時、力を受けて、エルサレムとユダヤとサマリヤ、地の果てまでわたしの証人になります。皆様の家系がどうなのでしょうか?
早く感づいて、越えてなければ、「化」になれば死にます。老会、総会へ行ってみましょう。必要なことがあります。「化」になってしまえば死にます。早く知って、感づいて、早く適応することはして、越えてしまいましょう。私は必ずレムナントに頼みたいのです。そうでなければ、家系の霊的問題がそのまま「化」になってしまえば死にます。この人達が、一言で何でしょうか?
「化」になってしまいました。なにか知らないのです。なにかそのままユダヤ人の雰囲気がイエスを殺そうというので、イエス殺そう。真理も何も考える余裕がありません。後ほど見ると、尋常でない問題が行われました。「化」なったのです。「化」そのまま雰囲気にしたがってです。
・あなたがたが神様のみことばを捕まえて祈るなかで、とても重要な部分があります。これで私たちに主の力が必要なのだな。神様が与えられた救いの子どもになるということは恵みです。私たちの学生達が、福音がある教会と人々の中にいるということが恵みです。いろいろな不平、不満を越えるべきです。恵みです。私は米国へ行くと、米国にいる牧師たちが、何かと言うのですが、話す必要はありません。恵みです。なぜでしょうか?
そのような人がいるので、踏み台として考えて、福音の内に入っていくのではないのですか。それでも信徒がみな散在しても、タラッパンをすると言って粘る人がいます。驚くべきことです。神様の恵みです。だから「化」になってはなりません。越えるべきです。この人達が、それを知らなくて、こういう失敗をするのです。私達が、真理と人生を考えてみたことがあるでしょうか?
毎日、忙しいのに「化」になってしまったのです。
・毎日、貧しく生きて、貧困化なってしまうので、毎日、お金、お金と言います。何の役に立つのか、お金、お金と言うのです。国会に行っても、お金、お金。教会に行っても、お金、お金、お金。これがまさに「化」になってしまったのではないでしょうか。越えるべきです。それも神様の恵みです。私達が重要な契約を捕まえて、何かを見ながら、今日、本当におかしな現場ではないでしょうか。目に見えないでしょうか?
私達がこのように信仰生活をすることも知らないのです。人々は、全部、このように生きていきます。成功せねばならないから、いそがしく走っています。私は、私の子どもに余裕をもって生きなさい。あまりに忙しくて、狂ってしまいそうなので、あまり忙しくしないでと言います。
・少し前に、信仰生活を良くする弟子の中に、ソウル大学を卒業した人が、ソウルにいる私を訪ねてきて挨拶して行きました。来て、話しもしないのに、尋ねました。「先生。弟子としてひとつ記憶せねばならないことがあるならば、一つおっしゃってください」と言いました。突然に、そう言うので、話す言葉が思いつくでしょうか?
「あなたは、ソウル大学を出たのに、ソウル大学を出たとすれば、少なくともいくつかのことがあります。最初、幼稚園から高等学校まで健康だったでしょう。病気で寝ていては行くことができない所です。まず、あなたは、幼稚園から今まで模範生だったでしょう。あなたは、今まで誠実に勉強したでしょう。それでこそ、ソウルの一流大学を出ることができます。そして、あなたは何でも一等だったでしょう。何でも最善を尽くしたでしょう。それで、あなたは機械です。それを用心しなさい。人生はそれではありません。いままでそのように生きたでしょうが、これからは、そのように生きるのではなく、これからは福音で恵みに目覚めて、真理で生きるのです。それでこそ、正しくなるはずです。」その人が、瞬間的に、「先生。どうして、そのような話しが出てきますか?
」と言いましたが、それは、感動を受けたということです。この人は、それが私の特技ではないかと言ったのです。人生は、そのようなことではありません。下手すると、勉強を多くした人々に、そのような問題がくることがあります。何でも熱心にしますが、それは、良いことで、着実にして、熱心にして、良くして、どれくらい良いでしょうか。悪いということではありません。そうしたあと見れば、人間はどのようになるかというと、何の余裕もないが、突然に問題がやってきます。その時は、どうするのでしょうか?
挫折の中の挫折です。いっそ習うことができなかった人より大きいのです。完全に挫折してしまいます。その中には、自殺する人々もいます。これが人生です。
・ある人は、有名な大学を出て、難しい司法高試に合格して、研修院で試験を受けている途中で挫折したのです。何ゆえに挫折したかというと、何等の中に入って行かなければ、判事、検事になれないのに、それが良くならなかったのです。‘私はできない'と思って、そちらで自殺したのです。そのようになるのです。私たちは、本当に救われました。これは、本当に神様の恵みです。皆様に霊的問題がなく、神様のみことばを悟りました。神様の恵みです。
・あなたがたは、今日の本文を見ながら、本当に重要なことを悟らねばなりません。私たちは、救われたということは、身分が変わったのです。これも理解できないのに、何の真理の話をするのでしょうか?
救われたということは、身分が変わったということですが、これがまだ理解できないのに、どのように、真理を話せるとのでしょうか?
そして、多くの事件、場所、どのように解釈できるのでしょうか?
解釈できません。難しいのです。
・核心の時に話が出てくるはずですが、私は3つのことを悟った後から、答えを受け始めました。3つのこをと悟って、今日の本文にもそうで、人生で3つのことを悟りました。福音を知らなければならなくて、福音の内容を知らなければならなくて、福音を伝えねばならない理由を知ったのです。牧師、僧侶、みな知らなく死んでいるんだなという理由を知りました。私は、この福音を言わなければならないと知った、その時から答えが来ました。理由を知ったのです。何が成功であり、成功すれば何なのか、成功すればどれだけするのか、人間がなにか、私はその理由を知ったのです。虚無主義ではありません。私はその理由を悟ったのです。その時から答えが来たのですが、本当に驚くべきことです。私が2番目に悟ったのは、何を悟ったか、歴史を悟りました。そうだ、結局は、神様がない歴史、神様がない国、教会史、世界史、それを悟りながら、私たちの家系、私個人の歴史、その時から私に何が見えるようになったでしょうか?
現場が見えるようになりました。その時から聖書のみことばが見えたのです。この時から、三番目のことが悟れました。神様がモーセを見て、イスラエル民族を連れて行きなさいと言われたのは、モーセが80年間、捕まえた「切なる願い」です。単純な契約ではありません。非難を受けながらも、世界福音化の契約に立ちなさいというのは、私たちの「切なる願い」です。
・神様の驚くべき契約です。私がこれを発見しました。私が何と祈ったか知っているでしょうか。神様、成功できなくても良いから、福音を伝えるようにさせてください。どれくらい教会が多いですか、教会公害時代がきました。牧師公害時代がきました。牧師がとても多いのです。公害時代がきました。私だけでも福音を伝えるようにさせてください。それが、簡単なことではありません。「切なる願い」です。私は長い間、教会がむだなことで戦って、時間を浪費するのを見ました。神様、私は福音を伝えるようにさせてください。なくても良いです。神様は答えを下さったのです。
・今日の本文を一度見ましょう。私たちの人生をそのように意味なく生きているのでしょうか?
本当の理由も知らずに、歴史も知らずに、私の願い、「切なる思い」もなく、そのまま生きていってもかまわないのでしょうか?
だから、サタンの攻撃を受けて、容赦なく崩れるのではないでしょうか。ある日、その日も知らないのです。なぜそうなのかも知らないのです。サタンが攻撃すれば、そのまま崩れます。私はこれを悟りながら、そうだな、今回、伝道合宿を始めながら牧師達に対して私が本当に胸にある伝道
30年の人生を話しました。今回、牧師たちが、たくさん恵みを受けて、テープ作ってくれと呼び掛けをしています。私はそれほど知らなかったのですが、牧師たちほとんどみなが泣いたということです。私はよく知らなかったのですが、先生達はじっと座っているのかと思ったのですが、元々、牧師たちは、恵みを受けても泣いたりはしません。しかし、ほとんど泣いたそうです。神様の恵みです。これから、一般信者伝道合宿しようとなれば、本当に私たちの人生の信仰告白をします。本当に歴史的な単語。皆様はどうなのでしょうか?
ほとんど何でしょうか? 内容もないでしょう。なぜかこのようになりました。イスラエル民族がこのようになる時、私は皆様に告白できます。祈りもでき、伝道もなっていきます。このようになる時、これからは、真の弟子も現れて、殆どなるようになっています。
・今日、皆様がみことばを聞きながら、結論からおろすべきです。私達がなにかを重要な結論を知らないでいたのだなあ。皆様は、問題が生まれれば
5分後に解答が出てくることができます。答を持って、決断を出して、祈り始めましょう。神様は答えてくださるはずです。‘皆様の生涯に最も重要な信仰生活を始めているのに、理由と歴史と本当に私の願いが何か、正しく発見するようにさせてください'
という祈りだけでも、働きが起きます。私は年齢が若くないのにと言うかもしれませんが、そうではありません。皆様の年齢が、どんなに多くても、神様は理由と目的を持っておられるために、特にレムナントに頼みます。目をよく開かれるべきです。教会に行けば、葛藤も多いのです。「化」にならないで、学校と世の中に行ってみなさい。複雑です。正しいか、正しいくないかに陥らないで。皆様が人に会おうと行ってみなさい。これが優秀なのか、だめなのか、ということにおおわらわです。そこに陥らないで。この話、あの話、人々は目的をおいてむやみに話します。混乱に陥らないで、契約を捕まえて静かに祈っていれば、答えられます。レムナントに特に頼みます。あなたがたは、重要な人であることが確実なために、全世界にはいる弟子たち、特に私たちレムナントは、この契約を捕まえなさい。すると、多くの答えが来るようになるのを見るようになります。私はこの恵みを受けて、私たちの人々に話さねばなりません。この足りない私にも神様が恵みをくださることを見れば、多くの人々に恵みをくださることができます。特に、私たちのレムナントに与えることは確かです。皆様、今日の本文のみことばを捕まえて、愚かな人々の姿を見ながら、本当に恵みを受け始める真の人生が始まることをイエス様の御名で祝福します。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちに恵みを与えて下さったことを感謝申し上げます。また、レムナントに恵みを与えて下さったことを感謝申し上げます。全世界で、インターネットで、衛星で礼拝している弟子を与えて下さったことを感謝申し上げます。真の証人として立つことができるように、私たちの人生と歴史と人生を見る神様の時間になるようにさせてください。真の力が必要です。真の福音の力が必要です。私達に力を与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
2部 / 言葉の重要さと未来
(詩39:1-13))
・北朝鮮から越えてきた方達が、おもに私と話す時、「本当に良い、韓国に来て本当に良かった。」と言います。ある人は、「南朝鮮に来て、良かった。」と言うので、「何か難しいことはないか?」と聞くと、「ありません。手助けしてくれて有難い」と話すのですが、静かに見ると、嘘をついているようです。安らぎがないようなのに、私の感じが間違っているのかも分かりませんが、その人が何か雰囲気がせっかちな雰囲気なのに、とても有難いと言うのです。なにか、困難が感じられました。一回は、ある北脱出者が、私に訪ねてきて真実を言いました。韓国で住むことができないということです。なぜそうなのか?と聞いたら、30年間、北朝鮮で命令だけ受けていて、ここにきたら命令をしてくれないので、生きることができないと言いました。何か命令をしてくださいということです。
・何の話しなのか分かるでしょうか。人は、幼い時に何が入って整理されているのか、これがすべてです。韓国に暮らしていて、中、高等学校を卒業して、日本に行って大学を出て、日本で結婚をして、日本で事業をして事業家になった人がいました。日本の人が見て、あなたは日本人なのか、韓国人なのか、様子は韓国人なのに、言葉は日本人より良くできると言いました。だから、事業に成功したのですが、病院に入院をして死ぬようになったのら、精神が一進一退して、そのように流暢に話した日本語が出てこなくて、日本の医者と対話ができなくなったのです。幼い時、韓国で使った言葉が飛び出してくるのでした。私の話をわかるでしょうか?
・私の話は、30年間伝道して、30年間、教会、教役者生活をしました。30年間、この教会、あの教会で多くの経験をしたのです。多くの牧師、長老、教授達に向かって、30年伝道をしてきて出した結論があります。最もすばらしい神様。私のいのちを治めておられる神様。この福音と思想にまず入っていって確立されない以上、なるようにならずにいます。私が下ろした結論です。誤った結論であれば、神様が修正してくださったのでしょうが、一回も修正してくださいませんでした。年をとった方は、記憶すべきです。結局は、私たちの子ども達に、レムナント訓練をさせねばならない理由は、何の人格で整理がまずなされているかが重要なのです。何がまず入っていくか、その子に何が入っていって整理にされるかが重要です。それは一生を左右します。
・釜山にいたチョン・ジウン姉妹が挨拶をしようときたのですが、ソウルで評論家が選んだ舞踊家で、その中の一名で公演をするようになったと言って、挨拶をしにきました。僅かの間、挨拶しようときたのですが、
この子は舞踊に何かを持っているな!と思いました。この頃、文化の働きをせねばならないから、神様が多くの働き人を起こしてくださっているのだと考えました。この姉妹と少しの間、話したのですが、単純なことではなくて、私の感じで舞踊に対して何かがありました。それで、こういう重要なことなので、キム・イルコン牧師に私たちの学生達
100人くらいを送りなさい。私が後から後援してあげるようにと言いました。
・音楽をしたり、私の娘もデザインをしますが、芸術する時、そこに狂うべきです。狂わなければなりません。一般の人々が、理解できない程に狂うべきです。ところが、この人達の中に何が整理されているかが重要です。これがだめになって狂ってしまえば、困難になります。それで、芸術家の中に難しい人が多くて、麻薬中毒者がたくさん出てくるのです。それで、有名な音楽家の中に精神病になる人が多いのです。理解するのかよく分かりません。年をとった方達は、中間に私に会った方達は、絶対に銘記しなければなりません。すでに違ったことで整理されているということを知らなければならないのです。それで、神様の子どもであるから、説教を聞いているのですが、何かがそうです。まちがいなくそのようなのです。むしろ、霊的問題がきて崩れた人々がより早くわかります。よく理解することができないのです。理解が良くできなくなれば、どんな結果がくるかと言うと、皆様の子どもが皆様に押さえられて反抗したり、さまよったり、しょげたり、でなければ鋭く批判する人になります。そのような結果が出てきます。間違いありません。私が話すことは、私の話すことではなく、間違いありません。.
・それで、私が何を決心したかというと、ずっと根がおりるように、メッセージを反復することです。それで、訓練をするのです。私が下ろした結論です。30年前伝道して下ろした結論で、30年教会生活して下ろした結論です。幼い時、信仰生活したことをみな引いて30年教役者生活した結論です。それを皆様に頼みたいのです。ここから言葉が出てくるのです。なぜ言葉が重要なのかは、これらすべての治療を言葉でできるのです。知らない人が言葉だけ持ってできるかと言いますが、言葉だけ持ってできます。言葉がとても重要です。
・今日、ダビデが言葉に対して祈りました。私が見る時、とても重要だと思います。1節に‘私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。'何かと言うと、皆様の思想が何で出てくるかというと、言葉で出てくるのです。すると、言葉は何でしょうか?
その背景のことです。それなら言葉は、とても重要になるのです。
・むかし、王が試験をして、臣下を選んだり、人材を選ぶ時、3つのことを見たということです。最初、容貌を見ました。そして文を書くようにしました。その次に、話すようにしました。それを見て、容貌を見ると「身」、話すようにするからといって「言」、文を書くようにするからといって「書」、それで身言書判と言います。この三つのことを見て判断したと言われています。むかしに、女の人には4つのことがなければならないと言われました。類似した冗談が多くあります。それは何でしょうか?
最初、女の人は、女性らしいおしゃれがあるべきです。当然のことです。女の人は腕前がよくなければなりません。そして、女の人は、気立てが良くなければなりません。
・最後に何を話すかと言うと、女の人は、言い方が良くなければなりません。言葉と関係があります。今日、あなたがたが祈りながら、貴重な時間を得ねばなりません。私を含めて、神学をする多くの牧師たちが、何がまず入っているかを知らなければなりません。40才以上を越えた方達は、精神をちゃんと整えて更新するべきです。そうでなければ、損を見ます。私の話を全世界のメンバーが銘記せねばならないのです。40才を越えた方達は、既に40年間、他のことが入っていたと知らなければなりません。これが人間には、何でもないことのように見えても、全生涯を左右します。悟れば相当なことなのに。それで私達がレムナントを育てなければならないのです。この言葉がどこから出てくるのでしょうか。それまで入っていた過去のことを話すのです。それで言葉が重要だということです。積まれていることが出てきます。私達が幼い時から救いの秘密を本当に知って、神様の秘密を知って、信仰が入っていった人がその次に、世の中のことが整理されれば、また違います。しかし、世の中のことがぎっしり入っている人が、正しくみことばと契約が整理できなかったら、判断することがむずかしいのです。だから言葉がすべてです。重要なことを言葉で直すことができます。とても重要です。
・皆様が歌を歌っても、その人の人生が見えます。何か良くならない人は、興味が沸く歌を歌います。またある人は、悲しい歌を歌います。牧師の中で牧会ができない人は、賛美を歌う時に分かります。淋しい歌を歌います。人生が淋しいからです。すぐ色合いが出てきます。すでに教会の牧会を上手にやる方は、賛美を歌う時から違います。話すことを聞いてみれば、未来がすぐ分かります。これほど言葉が重要です。絶対に抜け出すことができなくて、否認することができません。悟らねばならないのです。言葉は、それまでの自分の過去の背景を話します。それで重要なのです。私が信仰生活をどれくらいしたのか、教会生活を1,2度したのかは明らかです。入っていったことが悟ることができなければ、直りません。それで、一生、苦労するのです。
・聖書に成功した人々の特徴があります。あなたがたもおわかりの通り、ヨセフ、ダビデ、こういう人々は、成功しました。ダニエルとかパウロが成功したのです。その人々の特徴は何でしょうか?その人たちは、困難の中で不平、不満が一言も出て来ませんでした。そして、感謝しました。それが何を話すのでしょうか?
無理に感謝したら良いのでしょうか? 病気の夫は家を出て、子どもは滅んでいるのに、感謝すると言えるでしょうか?
いっそ主よ、狂いますとなるべきなのに、その人々にこういう言葉が出てきたということは、何のことでしょうか?
その人々が普段の時、持っていて積まれている信仰です。それが出てきたのです。これがどれくらい重要か分かりません。
・今日、ダビデがどれくらい困難を受けていたか、舌で罪を犯さないようにさせてください。簡単なことではありません。これは、単純な詩ではなくて、ダビデが危機にあった時、私に舌で罪を犯さないようにさせてください。このダビデが持っている重要な信仰です。この人がどんな信仰を持っているか、すぐ色合いが出てきます。私達が持っている考えが、語る言葉に出てくるようになっています。言葉がなぜ重要なのでしょうか?
持っているものが、出てくるようになっているからで、そして深く入っているものが、出てくるようになっていからです。それで重要です。それで、ダビデが言葉で罪を犯さないようにさせてくださいと言いました。言葉が何でそんなに重要でしょうか。結局、持っている考え通り、言葉のとおりになります。これがどれくらい重要か分かりません。箴言
6:2 「あなたの口のことばによって、あなた自身がわなにかかり、あなたの口のことばによって、捕えられたなら、」ヤコブ3:1-11
大きい船が小さい目に見えない舵に動かされます。人生はどうでしょうか?
言葉によって動くのです。それで、言葉が完全な者は、完全な者だと話しています。それほど言葉が重要だということです。これがどれくらい重要か、過去のことを説明するのです。
・話をむやみに話す人がいます。過去にむやみに生きたということに間違いありません。話をおもしろいようにする人は、おもしろく生きたということに間違いありません。話で他人を慰める人がいます。その人は、慰められて、慰めながら生きたということに間違いありません。言葉で人を愛す人がいます。その人は愛を受けて育ったと見ればよいでしょう。言葉がなにか鋭い人がいます。なにか鋭くやられて生きてきたということです。過去を説明するのです。なにか福音に深く聞いている話します。この人は深く入っているということです。これが生涯を左右するのです。
・今回、日本に行ったところ、また話を聞きました。水中には六角数が入っていて、からだを健康に生かすらしいのです。私たちが見るのには、全く同じ水なのに、その中に六角数が生まれるということを知っているでしょうか。この水一カップをくんでおいて、日本語で「ありがとう」と記されていました。有難うございますと置いておいたその翌日に見ると、水中に六角数が途方もなく生じたと科学的に実験したのでした。
私は一理あると考えました。その方が言う話は、水が話をわかるのでしょうか。そうではありません。とても重要なのです。今日から実験してみましょう。リンゴを二つを買ってきましょう。一個はここに置いておいて、一個には「ありがとう」と言って、一個には「死ね。腐れ」と言ってみましょう。不思議な事が行われます。一個は、腐ります。皆様、科学を無視してはなりません。科学です。一個は度々祝福して、良い話して、一個は度々呪えば、そのようになるのです。
・言葉は考えから出てくるので、どれくらい重要か分かりません。生まれながら熱心にして良くしても、結局はそこにかかります。なぜなら、過去に何を持ったかにしたがって、出てくるようになるのです。それが言葉です。私達がものすごく難しい時に出てくる人格で、その言葉が含んでいる人格です。それで、幼い時、私たちのレムナントに美しい福音で根をおろしてこそ、ある日、生きている途中で霊的問題が来ても滅びないということです。これが私の使命です。私たちの学生達に、美しいこの福音が本当に神様の祝福、これを胸の中に、頭の中に整理されていてこそ、子どもたちが社会に出て死なないのです。そうでなければできません。そういうことです。それを皆様に頼むのです。ダビデは、普通ではなくて、幼い時から福音を含んでいました。この話を理解がよくできないのです。これより重要なことはありません。
・必ず見れば、釜山の人々が言う悪口があります。違った町は知らないし、親しい友人を見て、「このらい病」と言います。「らい病」というのは、悪いことではないのですが、本当に釜山でらい病がたくさん出てきています。統計が出てきました。なんでもないことのように見えても、釜山の人々は、退屈ならば言う悪口が「下をいっぱい出す者だ」と言います。知らないのです。それが釜山の言葉です。舌が出てしまうということです。それは恐ろしい悪口です。非常に早く話をするので、ソウルの人々はわかりません。ところが異常です。統計が出てきました。新聞社に行って資料を一度、研究してみましょう。釜山、慶尚南道の人が、一番首をくくってたくさん死にます。驚くことです。言葉がどれくらい重要か分かりません。その言葉の中に深く含んでいる思想が流れ出るのです。
・私が以前に話したではないでしょうか。米国で有名な歌手が世界的に大ヒット曲を出したのですが、それがまさに‘落葉について行ってしまった愛'です。
世界的な歌手でエルビス・プレスリーになりました。その歌を歌っている途中で行ってしまいました。よりによって、その歌を韓国でチャ・ジュンランという歌手がリバイバルして歌ったのです。その歌を歌って、ヒットして歌手になったのに、その歌を歌っている途中で行ってしまいました。歌もよく歌うべきです。言葉がどれくらい重要か分かりません。
・なぜ私たちは皆様が信仰生活する時、他のことより、まず神様の祝福に、神様のみことばに、神様の福音に根をおろさねばならないか、そのことを強調するのです。そのようになれば、ダビデのように、どんなことにあってもかまわないのです。皆様の中に何が入っているのか、結局はそれが出てきます。どんなに耐えても、それも無理に耐えれば病気になります。何が入っているのか、それが出てくるのです。真に幸いにも、私は知っていることがありません。本当に幸いです。それで、多くの人々、教会生活する人々、信仰生活をする人々が、本当に素敵だと感じたことがありません。幸いです。そうしたあと、さまよって福音に入って、本当に幸いです。私は今まで、私たちの先輩、おとなの牧師、長老の信仰生活を素敵だ、このように感じたことが一回もありません。何であんな状態でするのか、そうしながら崩れたのです。滅びたのですが、福音を悟ったので、すこし幸いですが、知っていることがなかったということが、大きい幸いです。祈りの答えを受けるのに大きい助けになります。私の話がなんの話なのか、皆様は分かるはずです。その中からすべて染められて出て行きます。
・全世界に散在した私たちの伝道者、副教役者に頼みます。違った言葉を聞かないように頼みます。私たちの子ども、私たちの教会に来る青年達、私たちの教会に来る大学生のレムナントに、無理にではありません。この美しい福音で、いのちなる創造主の神様の知識で世界を生かした霊的知識で、伝道させましょう。これが、教役者がすることです。これをすることができないならば、誤ってなったのです。こんにちのキリスト教徒は、最も良い生命があるのにもかかわらず、このようになったのです。この話は、現在、私達が持っている水準、考え、人格、性格が深く全部をみな言っています。それで、福音で作られた人格と相当な差が出るのです。
・今日のダビデの祈りを見ましょう。詩篇39:1
「私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。」どれくらいダビデが中心で
7節に「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。」12-13節にも「私の祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。私はあなたとともにいる旅人で、私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。私を見つめないでください。私が去って、いなくなる前に、私がほがらかになれるように。」ダビデの祈りです。私たちの言葉は、ものすごく重要です。言葉で今日、癒されることができます。どうしてそうであるのか、結論で話します。言葉は皆様の現在の人格を言うことで、現在の水準を言うのです。言葉は、現在の信仰を話すのです。これがすべてです。そのためにどれくらい重要か分かりません。
・なぜ、私たちはこの部分に祈らねばならないかというと、三番目に記憶せねばならないことは、言葉は未来を左右するのです。Iペテロ3:9にこういう話しがあります。あなたがたが記憶せねばならないことです。「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」その後により重要なことが出てきました。「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、」いのちを愛すということは、自分自身を愛すということで、幸いな日々と過ごしたいと願うという話は、子孫をおいて言うことです。「舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、」かえって祝福を与えよとは、相当なことです。そうすると、誤った人を静かに置いておけということなのでしょうか?
「主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」間違いありません。それで未来と関係あります。私たちは未来を知っていて、知恵と知識、聖書のみことばを知っています。だから未来と関係あります。それで今日、そのまま過ぎ行くメッセージではなくて、39篇はダビデの告白です。この告白は、ものすごく重要なことを意味を持っています。ダビデはどんな人でしょうか?
ダビデは、神様がどのようにすることか、ヴィジョンを持っていました。ダビデはすでにこの地に福音がないので死んでいく人々の現場を知っていたのです。簡単に話せば、契約をしっかりと持っているダビデでした。このダビデは、言葉で罪を犯しませんでした。
・ダビデの言葉を収集する必要があります。詩篇78:70-72節を見れば、ダビデがひとりで羊を飼っていた時です。「神様が私を羊のおりにいた時、イスラエルの指導者として呼ばれた。それも手の技術と心の誠実さをくださった」私たちの学生達が記憶すべきです。皆様が勉強しているのに、神様が皆様の未来を準備されたのです。今日この席に礼拝しているのに、神様は今日だけでなく、皆様の未来を準備しておられるという事実です。銘記なさるように願います。副教役者が教会で熱心に汗を流しながら訪問して、献身する間に、神様が皆様の未来を準備なさったということです。私達が聖歌隊に座って賛美している時に、神様は皆様の未来を準備していらっしゃるのです。ダビデの告白です。「どうして、この危険な所にあなたが現れたか、あなたは、幼い時から傲慢で、おそれがなかった」と兄たちが、怒りながら戦地に見ようときたかと言ったその時、ダビデの告白です。「私には、どうしてして理由がないでしょうか?」サウル王の前に行って言った告白です。「私は羊一匹なくさないで、羊を守りました。獅子と戦って勝ちました。獅子の歯と爪から救われた神様は、ゴリヤテの手から救ってくださることを信じます。」ダビデの言葉です。単なる言葉ではありません。ダビデがゴリヤテの前で言った言葉は、より驚くべき言葉です。「お前は、槍を持って私に向かってきたが、私は主の御名で立ち向かう。」「お前が侮辱する主の御名で立ち向かう」ダビデが言った言葉です。「今日、主はお前の首を私の手に渡された。」ダビデがゴリヤテの前で言った話です。「今日、全世界の国々の中に、真の神様であることを知らせる。そして、人の命は刀にあるのではなく、主の御手にあることを知らせる」ダビデが言った言葉です。この言葉が重要です。普段の時に持っていた信仰です。それがどれくらい重要でしょうか。ダビデが王になった時です。普段の信仰で出てきた言葉です。王になる前に死ぬような目に会うこともありました。ダビデの言葉です。「主は私の羊飼いであるゆえに、私は足りないことがない。もし私が死の陰の谷を歩くことがあっても、災いを恐れない。主が私のむちと杖になられる」ダビデの告白です。自分を殺そうというサウル王の前に、父と呼びながら「神様があなたを祝福なさることを望みます。」ダビデの言葉をみな収集してみましょう。臣下が見る時、あまりにあのサウル王がやり過ぎるし、精神が狂っているから、あの王を早くなくして、国を生かしましょうと言いますが、「私が神様の前で油を注がれたしもべを殺すことはできない」ダビデの述べた言葉です。全部、ダビデが言った内容の言葉です。ダビデが王になってこういうように話しました。「皆様と私は、美しい家で良い寝台で寝るのに、主の契約の箱は風吹く所にあるので、私が安らかに寝ることができない。神殿を建てよう」ダビデが述べた言葉です。アブシャロムが反乱を起こして逃げる時、シムイが石を投げる時、王ダビデが言った言葉です。「神様がなさることだ」この告白がすでに違います。言葉はどこから出てきているか知っているでしょうか?
深い信仰から出てくるのです。
・私に願いがあるならば、私たちインマヌエルと全世界のレムナントの中に正しい福音が根をおろして、正しい霊的知識が軌道に乗って、正しく世界を見る知識が正しく捕えられて、世界福音化しにでかけなさいということです。絶対に滅びません。私はそこに対して確信があります。それでその話を総合してみれば、主を恐れることが知識の根本です。それしかありません。主を知る知識が最高、パウロが話したキリストを知る知識が最も高尚です。間違いありません。今日、あなたがたがこの祝福を受ける祝福があるように希望します。すると、これは単純に信じることではなく、すこし考えなければなりません。既に皆様の子どもがちょっと崩れているならば、どのように立てるのでしょうか?
父母の権威で立てることができるでしょうか?
すると永遠になくします。この話を悟らなければなりません。何で立てるのでしょうか?
既に皆様の子どもの中には、福音が入っていかないで、既に母、父の律法が入っていったのです。入ったことを今、拒否するということです。どのようにしたら良いのでしょうか?
小さな問題ではありません。
・米国に行ったところ、ある夫婦が息子をどれくらい押さえたのか、息子が狂ってしまったのです。直すこともできなくて、米国から連れて帰って、韓国まで連れて出たのです。私が言いました。「親である勧士から癒されてください。」「私が何でですか?」「勧士が癒されてこそ、助けられるのです」「なぜですか?」「私が
その娘を連れて回れないではないですか。勧士が癒されなければなりません」皆様、必ず記憶すべきです。そして、今日、ここに見ると重要な言葉が出てきました。「私の祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。」祈ったのです。
・私たちは、言葉を学べば成功できます。どのような言葉でしょうか?
3つの言葉を持って成功できます。神様が私におっしゃられたことを聞く、神様が私におっしゃることを聞く方法を知っていなければなりません。それが聖書です。私たちは、言葉を持って全てのものを直すことができます。私が神様に祈ることが言葉です。この三つだけを捕まえれば良いのです。皆様が人に会えば、何か力になるみことばを宣べ伝えなければなりません。それは人に話す証拠です。あなたがたが、単純な事業でなく、何か皆様に会った時、力が出て、人が生かされれば、事業もなるようになっています。神様が私におっしゃることが聖書で、私が神様に話すことが祈りで、私が他の人の前に本当に力を与えて、正しい祝福を伝達することが証拠です。この言葉を持って、全てのものがみなできます。ですから、言葉がどれくらい重要でしょうか?
この部分だけ握っていれば、商売をしても成功して、医者をしても成功します。それならば、道で清掃をしても成功できます。皆様自身から変わります。それで、言葉がものすごく重要なのです。
・これは本当に私の証しです。20個の伝道戦略が単なるものではなくて、全部、私の祈りの課題です。それを持ってずっと祈っているのですが、ずっと答えが来つつあります。皆様が見る時は、脚本が構成されたことがないので、粗雑に見るかもしれません。しかし、そのような程度ではありません。ずっと祈っているのです。それで、私達が伝道運動をすれば、ぱっと見る時は脚本に入れたことでないので、ものすごく粗末に見えることもあります。しかし、そのような程度ではないのです。ずっと祈って出てくることです。そのようなことのゆえに、ずっと祈れば、自分自身が癒されます。皆様が今から祈りで始めれば、皆様自身が癒されます。皆様の中で、大人になってから福音を受けた方達は、重要な問題を失敗せずに変えようとすれば、方法はひとつしかありません。それは言葉です。すなわち祈りです。それで変えることができます。ダビデが今、ものすごく難しい中に祈っているのです。全世界に散在した私たちの使命者と、あなたがたに、今日、最高の祝福になることを願います。それで、言葉は重要なだけでなく、未来とも関係があります。単なる言葉ではありません。皆様に起きる問題を静かに考えてみましょう。ここでみな解けます。子どもの問題をどのようにするのでしょうか?
ここでみな解けます。よく一度見ましょう。皆様の個人の問題をどのようにするのでしょうか?
ここで、あらゆる答が出てきます。皆様、夫婦問題をどのようにするのでしょうか?
ここで解けます。
・皆様がもしおかしな夫に会ったとします。どのようにするのでしょうか?
その人はすでに福音が入っていくことができません。違ったことがぎっしり入っているのではないでしょうか?
これをどのように変えてあげるのでしょうか?
それが答です。皆様が今、何か良くならなくて難しいでしょうか?
ですから、なにが含まれているのか、ということが問題です。
・私が田舎で勉強をしている時に、ソウルで一番大きい総会神学校にきたのに、本当に驚きました。ソウルが初めてだったので、ソウルがこうだなという気がしたのです。私たちの組で600人から700人
近くなりました。私が釜山にいた時は、伝道運動をするので時間がなくて、宿題をするのが難しかったのです。ところが、私の友人を見ると、時間が多くて、宿題をきれいにしてきました。親しい友人でしたが、友人が熱心にする宿題を見せてくれと話すことができませんでした。信仰良心上、そのように話すことができなかったのです。ところが、私がソウルにやってきたら、どれだけ発展しているかというと、授業時間に教授が
" この時間に宿題を見るから、持ってきなさい"と言うのでした。それを出して、次の時間に印鑑を押して戻すので、友人のレポートの表紙だけを自分のレポートにつけて、宿題を出すのでした。どれくらい発展していたか‘これがソウルだな'という気がしました。しかし、私には葛藤が生じたのです。私はどのようにせねばならないのか?
そして、私達がカンニングする時、震えて緊張するでしょう?
ある人は悔い改めをしたりします。ところが、ソウルに行くとカンニングは基本でした。ですから、ほとんど基本でみなすることでした。それで、私が田舎者なので、この人がうつわが大きいのかという気がしたのです。区分ができなかったのです。それで、私がどんな結論が出てきたのかと言えば‘本当になにかが入っていることが、これほど重要なのだな'という気がしたのです。それが全部です。
・私は、皆様と全世界のレムナントと福音を持った人々に約束できます。皆様が本当に神様のみことばを聞くことが言葉の中の言葉であり、皆様が本当に神様に祈れば、すべての問題を解決できます。言葉を持ってあらゆる問題が解決できます。そして、皆様が今から人に会えば、人を浮かすのではなく、本当に力を与える重要なメッセージを伝えなければなりません。皆様が事業する人に会えば、本当に力になる神様のみことばを、皆様が顧客に会えば、本当の神様の祝福のみことばを伝えなければならないのです。騒ぐことではありません。その人が生きるようになっています。事業もなるようになっています。
・私が知っている医者の一名は、その人の病院に患者が列を作りました。なぜなら患者が‘あの方がとても良い方だ。安らぎがある'‘私達だけ行けば、祈りをしてくれて、とても良い'と言うからです。その病院に同じ科の人が三人いるのに、その方にだけ治療を受けようとするのです。それほど福音を持って宣べ伝えるということが重要です。それで私が尋ねたのです。なぜあなただけを探すのでしょうか?
それで、答えのには "他のことはせず、まず励ましてあげて、勇気を与え、それから福音を伝えて、受け入れる人は受け入れて、受け入れた人や自分の患者は、時間が起こる時ごとに祈ってあげる"と話しました。大きくしなかったのに、その程度だけしてあげても働きが起きます。それほど言葉が重要です。
・今日、皆様にあるすべての霊的な問題を治療する道は、言葉です。私のすべての過去を変える道は、言葉です。危機を克服する道は言葉です。どうして、言葉がそうなのでしょうか?
神様に祈ることが言葉であり、人を激励して生かすことが言葉であり、私が聖書のみことばをよく聞くことが言葉です。これで全てのものを解決できます。ダビデは、危機の中で話をしました。‘私の舌で罪を犯さないようにさせてください。そして、今、私の祈りを聞いてください'
あなたがたも一度、体験してみるように願います。全世界に散在したレムナント、インターネットでメッセージを受けるレムナント、韓国のレムナントは、今からメッセージを整理したことを持って、皆様がこれから歩いていかなければならない祈りの課題を定めることを望みます。そして、かかさずに、少しだけ祈ることを望みます。あなたがたが少しだけ定刻の祈りをしても、驚くべき証しが出てくるはずです。これが言葉です。私はこの部分に対して、あまりにも多くの祝福と恵みを体験したのですが、それこそ‘聖書が事実だな。このままだけ信じれば生きるようになるのだな'と悟るようになりました。今日、言葉に祝福を受ける皆様になることを願います。表現することが言葉です。
・韓国の人は言葉では、よく表現しません。ところが、米国人は有難ければ
"thank you"と話して、エレベーターに乗っても笑います。そして
"good evening"とあいさつします。ところが、私たち韓国の人々はエレベーターに乗れば、まず顔をそむけて立っています。またあいさつもできません。しかめ面をするしかないのです。それで、言葉がすべです。私たち韓国人の言葉の中には、悪い言葉があまりに多いのです。‘狂う、死ぬ’という言葉も言って、はなはだしくは‘良くて死ぬ’という言葉まで言います。それで私達には、言葉がどれくらい重要か分かりません。今日から皆様は、言葉の祝福を受けてくださるように願います。
・今日から皆様は、祈りの祝福を受けてくださることを願います。今日から、言葉の根源である神様のみことばの祝福を受けてくださるように願います。可能ならば、皆様が家に帰ったら、子どもたちに祝福の言葉をかけて、夫にも、妻にも祝福の言葉を言うように望みます。そして、祈りを話すように望みます。これが生きる道です。ある人が説教を聞いて正しいという考えになって、今まで祝福の言葉を言わなかったのに、これからしなければという気がして、家に帰って夫人に
"愛してるよ"と言ったところ、夫人がいう話が
"慣れないことを言わないで" と言ったそうです。ですから言葉はどれくらい重要でしょうか?
・皆様が祈って福音を持ったことが、小さい生活から霊的な大きい問題解決まで、皆様の未来の運命まで変えることができる言葉がどれくらい重要でしょうか?
皆様が契約を捕まえて祈れば、根がおろされます。滅びないようになります。どれくらい重要なのか分かりません。全世界に散在した神様の子ども、伝道者は祈りで皆様の一生を変えるように願います。皆様は、福音のみことばを持って過去、未来、すべてを変えるように願います。皆様は、祝福の祈りと契約を持って、未来の大きい祝福を準備する皆様になることを主の御名でお祈りします。それで、運命が(未信者の言葉で)変わる、私たちはそのような言葉は使いませんが、こういう祝福を味わうようになることをイエス様のお名前でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。まさに私たちには、言葉が私たちの人格であり、信仰であり、未来であることを知っているのに、私達の体質ゆえに、私たちの過去、習ったことゆえに、多くのことをのがしています。神様の知識で充満するようにしてくださって、神様の祝福で充満するようにしてくださって、いのちの福音で充満するようにしてください。生かすみことばで充満するようにしてくださり、祈りで勝利するダビデの信仰生活のように、勝利するようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
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