2003年 06月 08日 インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部 /ペテロの否認
(マルコ14:66-72)
 
 
・教会でクリスチャンがたくさん使う単語の中に、アーメンという単語があります。これは、「そのように信じます」という意味です。もうすこし進んで「私もそのようになるように願います。アーメン」という意味です。それで、私達が説教を聞きながら、アーメンと言います。今日、私たちの聖書の本文をキム・ユイン牧師が代わりに読んで、皆様がいっしょに読んだのに、全く同じく一斉に読んだ後にアーメンと言いました。しかし、これはアーメンとは言わないほうが良いでしょう。今日のこの本文は、ペテロがイエス様を否認した場面です。アーメンと言うと、「あ! 私たちもそのようになろう」という意味になるためです。「そのように信じます」というのも良い話ではありません。私たちは習慣で、神様のみことばであるゆえにアーメンと言います。今日はものすごく良くない部分だと言えますが、ペテロがイエス様を信じて失敗した場面です。イエス様を否認して呪って、誓いました。
 
・こういう部分であるゆえに、今日、私達が聖書を見ながら、何かひとつ考えなければなりません。学校で学生達の中で、そのまま希望を持って、勉強ができる学生は10%しかなりません。90%はむずかしいのです。だから、希望がありません。皆様の子どもの中に、大きな成功ができなかったり、勉強ができないことを理解しなければなりません。学校に入って、とても勉強がよくできて、一生の間、就職が保障される人は10%未満です。では 90%は、難しいということです。そのような状況です。また10%になる学生達は、勉強を良くするため、環境が良くてなくても、家が貧しくても、よく勝ち抜くことができます。
 
・しかし、福音がなければまた崩れるのです。ほとんど簡単に話せば人々は失敗しているということになります。残念なことは、釜山だけでなく、ソウル市内で牧師按手を受けて、牧会をせずにいる方が5万名にもなると推算されています。簡単に話せば、できないということです。この人たちが、生きるためには、どのようにするのでしょうか? 運転もしたり、タクシー運転をすれば、はた目に表によく見ませんから、運転をします。しかし、恥かしいので、奥様はそのまま適当に仕事をしようと通って、子ども達は、恥ずかしいから、家を出る子ども達も多いのです。詐欺ということが違ったことではなくて、他の人にお金を借りて、返すべき時に返せなくて、約束を守ることができなくて、嘘を何度かつけば、詐欺となります。これで詐欺になって、刑務所に入っていった人が多いのです。
 
・それで、私が昨日、利川地域教会設立礼拝をささげながら、キム・キョングン牧師に指示しました。信徒を集める考えをしないように。利川地域にある教会を助けることを考えなさい。そこにいのちをかけなさい。むしろ、良い働き人を派遣して、その教会が生かされるようにしなさい。今、皆様はよくわかることができないでしょう。福音があまりに誤解されて、社会問題になっています。深刻です。信徒の中にだめな人が本当に多いのです。私たちは、早く解決しなければなりません。先週に青年修練会をしました。青年達に話したのです。ほとんどの青年は、良くならないのです。大学に通う時は希望もありました。卒業して、職場へ行くとむずかしくなります。話はできなくて、話して通えば信仰なくなります。耐えるのです。私たちの青年達がむずかしいのです。結婚が迫って、あまりにむずかしいのです。ところが、すべてに大きく神経を使わないのに、三十を越えて家族に会って、親戚に会えば、あなたはまだ嫁に行っていないのか? と言われます。
 
・むずかしいのです。クリスチャンの大部分がむずかしいのです。すると、未信者は大丈夫でしょうか。難しくならざるをえません。今、世の中がむずかしいのです。事業家の中で50%が門を閉める状態だと、先月、新聞に出ていました。事業が良くできません。あちこちに回って、お金を借りなければならず、言葉は社長ですが、夫人だけが苦しみます。それで、家にお金を持ってくるのかとたずねたら、お金を借りてこいという話しだけしなければ良いらしいのです。むずかしいのです。また、政治家は、うまくいくのでしょうか? むずかしいのです。準備された大統領もむずかしいのです。庶民を理解した大統領もむずかしいのです。ここに今、多くの青年達もいますが、難しくならざるをえません。
 
・私が知っていることでは、この三つのことが分からないとむずかしいのです。それを話そうと思います。それを話す前に、今日、ペテロを見ましょう。救われたペテロも失敗するのです。途方もない失敗をしました。ペテロの態度から、イエス様が捕えられて行く瞬間なのですが、知らなかったのです。この方が復活なさって、世界を動かされることを知らなかったのです。私たちを救われる救い主であるということを理解したのですが、ペテロが、今、理解が良くできないのに、イエス様を捨てて逃げることはできません。はっきりと逃げて行くこともできず、自分はイエス様の弟子だからとも言うこともできず、こっそりとついて行きました。14章 54節を見れば、遠くからついて行ったとされています。どのようになるのか、気になったり、不安になったりして、イエス様が裁判を受ける祭司長の庭に入っていって火にあたっていました。人はそのようになります。恐れて逃げようとすれば恥ずかしいので、人は瞬間的に異常になるのです。この瞬間、しもべがきて、あなたはイエスと一緒に通っていた人ではないかと尋ねるので'そうだ'と言うべきなのに、思わず'違う'と言いました。下手すると死にます。そのあと、誰かがまた聞きました。あなたは、あの人といっしょに通っていたではないかと聞きます。前の話で確実に否認したために違うと言いました。いやあなたを見たら、イエスと一緒に通った人なのに、なぜ違うというかと言われて、今度は、誓いに呪いまでしてしまったのです。その時に、日があけて、鶏が鳴く声が聞こえました。その時に、イエス様が、鶏が鳴く前にわたしを否認するだろうと言われたけれど、この時のことを話されたのだなあと後悔する場面です。
 
・本当に人とは信じられないものです。それはやむを得ずそのようになったのです。ペテロは、高弟イエス・キリストの十二使徒であったし、最もリーダーだったと言えるペテロが否認した場面です。イエス様を否認して誓って呪った場面です。この本文には出ていませんが、マタイの福音書や他の聖書を見れば、その時に、イエス様が振り向いてペテロと目があったとされています。ペテロがどれくらい心が痛かったでしょうか? イエスとともに通っていたたか?と言われた時、違うと話さなければならないのに、イエス様は聞こえないようにこの人には聞こえるように、違うと話さなければならないのに、どれくらい難しかったでしょうか? どれくらい困難でしょうか? 一緒に通っていたではないかと言われて、私がなぜこの人と一緒に通うのかと言ったということです。その時、イエス様が振り返って目があって、鶏が鳴いたのです。その時に、ペテロの心に煩悶でもなくて異常なことが生じました。
 
・これでペテロが事実上、気落ちしたのですが、世界の福音化に行かなければならないペテロが、また魚を釣りに行ったのです。それがヨハネ福音 21章の現場です。ところが、そちらにイエス様が現れられました。ペテロがうわさを聞いてみたら、復活したと言われたのですが、復活が可能か! イエス様がだれか、こういうことで混乱が来ていたのに、そのイエス様が現れて言われたのです。「それにしても、あなたはわたしのそばに立っているのに、呪ってと否認しても良いのか」とは言われず、「あなたは、どんなに急な状況であったとしても、わたしを否認することができるのか」こういうこともおっしゃらず、「ペテロ。あなたはわたしを愛しますか?」その時に、ペテロが即刻答えて、「私は主を愛します」また、たずねられました。「あなたは、この人達よりもわたしを愛しますか?」ペテロがまた同じ返事をしました。「私はこの人たちより主を愛します」また、たずねられました。「あなたは、本当にこの人たちよりわたしを愛しますか?」 その時にペテロがより一層、率直に話しました。「わたしが主を愛すことを、主がご存知ではないですか?」「それなら小羊を飼いなさい」「それなら今からわたしの小羊を飼いなさい」とものすごい使命を下さいました。
 
・今日、私と皆様がここで何を知るべきかというと、ペテロの話はどれが真心でしょうか? 今、また嘘をついているのでしょうか? 主は生ける神の御子キリストですという話と、私はこういう人といっしょに通ったことがないという話と、同じペテロが言った言葉ですが、私は主を愛しますという話の中で、なにが真心なのでしょうか。イエス様はご存知です。実際に、ペテロは主を愛して、イエスがキリストで、生きておられる神様の息子ですと言った、これが本物です。違うと否認したのは、思わず否認したのです。下手すると殺されそうだったので、はっきりと誓いもしたのでした。それはペテロの真実ではありません。しかし、ペテロがものすごい告白、主は生ける神の御子キリストです。このことをイエス様がご存知であるために、あなたはわたしを愛しますか? わたしの羊を飼いなさいと言われました。罰の代りにものすごい使命をくださったのです。
 
・これが私たちとまったく同じです。私たちは弱いのですが、本当にキリストを理解するならば、絶対に滅びません。神様がまた使命を下さいます。まったく同じです。私達がペテロのように、いつも現場で否認して拒否するのにもかかわらず、私達が救われた神様の子どもであるゆえに、私たちに貴重な祝福を下さいます。ペテロが後悔して、揺れても、しかし、ペテロの身分は揺れませんでした。ペテロは神様の子どもです。皆様はここで記憶しなければなりません。時には揺れて倒れたり失敗もしますが、神様の子どもになったことは変わらないのです。キリストということを本当に悟ったのです。あなたはペテロです。この岩の上にわたしの教会を立てます。ハデスの力もあなたに勝つことはできません。
 
・明らかです。皆様が船内で倒れても、死んだことではありません。起きればよいのです。失敗しただけです。神様の子どもは、永遠に変わりません。ペテロは、主は生ける神の御子キリストです。この告白は本物の告白です。時々、宗教団体の中で、牧師達の中で、あなたがたに違うように教える方達がいます。信仰生活を良くしていても、下手すると救われることができない、このように話す人がいますが、そうではありません。必ず記憶しなければなりません。死からいのちに移りました。ペテロを見ましょう。ペテロよりもっと大きい罪を犯していません。このペテロが赦された、この話は神様の子どもになったことは変わらないということです。
 
・皆様が主のために献身して、福音のために生きれば、祝福をたくさん受けます。しかし、皆様が主のために仕事をたくさんできなくて、能力がないといって、地獄に行くようなことはありません。救いは永遠なのです。皆様の心で、救いが生じた、なくなったということではありません。銘記しましょう。ペテロを見ましょう。イエス様がいらっしゃるのに、イエス様を否認したのです。私たちならば、性格上、自尊心から、そのようにしません。私はイエスに3年間、付いてまわった弟子だ。そのように話すはずです。自尊心の問題です。腹立ててそう言ったでしょう。このペテロは、後から付いていって、知らないと否認して、誓って、呪って鶏が鳴いたのですが、これが人間です。こういう人間を神様は、キリストを送って、救ってくださったのです。
 
・倒れることもあります。皆様の状況が難しくなったらどうでしょうか。むかし共産党がイエス様を信じないようにした時、イエス様の写真を貼る必要もないのに、想像した絵なのに貼っておきました。共産党が空の総でも狙えば怖がります。怖いのです。イエス様の写真、それをひとつ取って地に投げて、牧師からみな出てきて唾を吐くか! 死ぬかと言います。それなら、皆様はどのようにするでしょうか? 礼拝の途中にきて、牧師があまりに恐くて、様子をみて吐いたということです。より驚くべき事実は、みな吐いたということです。長老も吐いて、80才を越えた人も吐きました。幼い子ども一人が、イエス様の写真を取って、自分の服で磨いて、できないと言ったのです。すると、この共産党がこの子どもを殺さずに、行ってしまったのです。その後、どのようになるでしょうか。説教をその子どもがしなければならないでしょう。人はそのようになるしかありません。
 
・日帝時代、日本の神社を持ってきて、手をついて礼をしろと言いました。牧師たちがしようとしませんでした。日本が日本の巡査を牧師一名ずつに配置させて、集まって総会をしたのですが、司会者のホン・テッキという牧師が怖くて通過させようとしたのですが、牧師と長老が集まって、そのそばに巡査が投票結果を見守っていました。これだから投票をすることもありません。この時、ホン・テッキ牧師が出て、私達が日本の神社にお辞儀をすることは、偶像崇拝ではなくて国家意識でないか? 日本でして、韓国でもすることなので、可決するなら「はい」と言って下さいと言ったので、一斉に「はい」と言いました。だから、槌を持って三回打って、それから反対ならば「いいえ」と言ってくださいと言わなければならないのですが、「では通過したことにします」と言ったのです。その時に'異議あり'と立ち上がったのです。何の法ですか? なぜ「いいえ」を聞かないのかと言ったのです。チュ・キチョル牧師などの先生達が私たちは、「いいえ」と言うはずなのに、なぜ聞かないのか? と言ったところ、チュ・キチョル牧師などを日本巡査が引っ張って行きました。それで、監獄でとても殴られて、監獄で死んだという事が行われたのです。反対する人々が、一人、二人、監獄に捕えられて入って行きました。
 
・教会で大騷ぎが起こりました。本物の信仰とにせ物の信仰が皆、分かります。怖がるからです。そのような中、神様が日本を測りにして、神様が解放させながら教会を生かされました。それで、私たちの韓国教会は新しく開始したのです。
 
・このように、人は難しい事に会うようになれば、おじけづくようになっています。ペテロがそのようになったのです。それをご存知であって、イエス様がペテロに「あなたはわたしを愛しますか!」三回たずねられました。愛するなら、わたしの小羊を飼いなさい。これが私たち人間がすることがある失敗です。そのようなペテロを神様は愛して門を開けてくださいました。使命を下さったのです。
 
・私達は、失敗しなければならないということではありません。救われた神様の子どもは滅びません。それを知って、イエス様はペテロに大きい使命を下さいました。今日、私と皆様が2番目のことを記憶しなければなりません。失敗するしかないのに、どのようにすれば、成功するのでしょうか? 今日、全世界の私たちのメンバー、私たちインマヌエルの聖徒達、衛星で礼拝するあらゆる教会、私は明らかにはっきりと証しできます。皆様が3つのことを悟ることができなければなりません。
 
・その最初が、救いです。救いとは何でしょうか? 運命の中から抜け出すことが救いです。占いにも一理があります。未信者は、悪霊、サタンの下にいるために、運命を当てることができるのです。その運命から抜け出すことができない以上、その運命に陥って死にます。それで後ほど滅びるのです。イエスを信じる瞬間、運命からまさに抜け出すのです。ローマ8章 2節を見れば、罪と死の原理からあなたがたを解放したと言われています。ヨハネ福音 8章 32節に、真理を知れば、真理があなたがたを自由にします。ヨハネ福音5章 24節に、死からいのちに移っているのです。これ一つだけでもすごいのです。
 
・これから皆様に、事業、家庭に、運命ということなく、神様のみことばによって祈れば、勝利するようになっています。皆様の家系に流れる問題は、福音を悟ることなしでは、絶対に抜け出てくることができません。福音を悟る瞬間、解放されます。家族の中の7人が癌にかかって死んで、最後の人が、病気になったのですが、また癌でした。これは単純に考えることではありません。この人と病院で会いました。この人に福音を伝えたら、分かったのです。私達が救われたということは、ものすごく重要なのです。世の中とサタンと運命が決まった、そこから抜け出すことです。
 
・それで、教会という言葉は、エクレシアという言葉です。原文で「呼び出した」ということです。どこから? 呪いの中、運命の中にいる人を呼び出したのです。皆様は占う必要も、お祓いをする必要も、何も恐れる必要もありません。すると、お祓いをするのに、そばに立っていても良いのですか? 立っていてもかまわなくて、食べてもかまわなくて、何でもないのです。終わりました。食べても、食べてもかまいません。何の関係もありません。墓をどのように建てるか、方向をどのように定めるか、そのような気を遣わなくても良いのです。家の跡地をどのように、方向をどのように、未信者は正さなければならないのですが、私たちは必要ありません。私が知っている人は、完全にある日、家族が死んで、会社がみな滅びのですが、占い師がどれくらいよく当てるでしょうか? あなたが家を引越すのに、方向を誤って行ったと言われました。私たちはここから解放されたのです。相当なのです。救われたこと、イエス様を信じることがどれくらいすごいことなのか、知らないのです。それで、死からいのちに移ったのです。この移ったことが永遠です。教会で、すこし間違ったとしても変わることがありません。
 
・2番目に悟るべきです。みことばです。聖書。皆様が今まで習っている歩みで積まれてあるために、最も美しい祝福、救いの祝福、皆様が生きていく祝福が何か、整頓させることが祝福です。例えば、この場に重要な人材たちがいます。この方たちが、まちがいなく、両親の配慮、両親の熱心、悪く話せば両親の小言があって、ピアノも弾いて、良い席に座って、大学に行きました。ひょっとして、より余裕があれば、留学にも行ってきたでしょう。そのように、色々な社会や、過程があるでしょう。こういうことで、皆様は積まれているのです。良い悪いという以前に、こういう歩みが積まれています。それで、生涯、生きる時の重要なことをのがすようになるのです。
 
・あなたがたの中に、とても真の祝福と本当に正しい方向と、人生に最も重要なことが何かで積まれなければなりません。それが聖書です。それで、救いが何かを理解して、神様のみことばが何かを理解して、三番目に重要なのが祈りです。
 
・いったい祈りとは何を言うのでしょうか。皆様が今は困難を受ける時、受けない時、時間がある時、ない時、祈りができなければなりません。一致しなければならないのです。このようにだけなれば、あなたがたにものすごい知恵と力が生じるしかありません。必ずそのようにしなければならないのです。今回、私が青年集会に行って、最初に語ったみことばで、これが一致しなければ、何かだめになります。これが一致しさえすればよいのです。例を上げれば、ヨセフ、ダビデ、パウロです。ヨセフを見ると、この三つのことが整理されています。仕事をしながら祈りができました。ヨセフの周囲には驚くべき働きがおきました。ポティファルが、「あなたは、奴隷ではなくて、家庭の総務になれ」と言いました。これが一致しない以上、皆様は、いつもむずかしいのです。間違いありません。
 
・今、伝道合宿で訓練しようという内容の核がこれです。私が伝道合宿で、他の講義は他の人に任せて、この講義は私がしようとしています。伝道合宿が、次の週から始まります。先週には、牧師達に対して、こういう話が出来ませんでした。なぜでしょうか? 時間がなくて、今回は数を少なくする理由が、そこにあります。これができない以上、霊的問題の解決もむずかしいのです。救われたゆえに確かに滅びません。しかし、それ以上のことを味わうことができないのです。ペテロのように生きるようになります。ここで、このように否認して、あのように否認して、ある時は揺れたり、信じたり、そのようになるしかありません。
 
・ある日、このペテロにこの三つができる日がきました。聖霊充満を受けたのです。ペテロが祈りができたのです。相当な事が行われました。今日、全国、世界のすべての聖徒とここにいるクリスチャンは、記憶なさることを望みます。クリスチャンがあまりにだめになって、教会公害時代を招いたということです。今、あまりにクリスチャンが、だめだから、牧師公害時代を招きました。深刻です。今見れば、神学校の学生達が、ものすごくたくさん集まります。それで、今、公害時代がきました。目を開きましょう。見えることがないでしょうか? 今、公害時代がきたのです。夕方の時、下を見れば、十字架の灯りが赤く見えます。ぱっと見れば、教会が多いと見えるけれど、ほとんどだめになっています。雑貨屋のような教会がいっぱい広がっています。信徒 5人を連れている牧師たちも多いのです。生活ができません。こういう人々が、時々いるのではなくて70%です。信徒が100人越えることができない、数だけを話すのではありません。大変なことになりました。福音がそのようなことでしょうか? だめになっているという事実です。
 
・3つのこと、救いが何か? 皆様が今まで未信者のように生きてきた運命、そこから抜け出したことです。すごいことです。それで、受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神の子どもになる特権をお与えになった。これがあまりにだめなので、霊的問題が積まれて、深刻な霊的問題の段階にきた人々も多いのです。この人達が行く所がなくて、純福音教会に行ったり、あっちへ行ったり、タラッパンにもきたりします。それで試みにあって、それにばかにする人々もいます。こういう状況がきました。今、キリスト教が深刻です。それで、私が本物の福音運動はそのようなことではないので、伝道合宿では、私が講義を一つしようと思います。違ったことは別の人に任せて、今回、牧師達に対して講義したことは、他の人がして、今、私が話したこれができるようにすべきです。例えば、チョン・チウが、とても勉強できるのですが、祈りができなければなりません。誰も知らないで、この子どもはまちがいなく成功できる子どもです。学校でも勉強を良くします。元々、良くできました。神様の祝福を受けた子どもです。学校で勉強ができれば、あなたは成功します。誰も知らないようにすることができるのです。すでにイエスを信じることが現れ、祈る姿が現れるのは、間違っていているかもしれません。この人に何かがある、静かにながめれば、キリストがある。それが伝道です。この人に何かがある。深く見つめたら、キリストがある。それを伝道と言うのです。クリスチャンが、これがだめになっています。騒ぐだけして、何かを作って騒ぐばかりだから、青年、学生達はあまり騒いで行くことに巻きこまれ、精神を忘れてしまって、後ほど自分でさがそうとする時はすでに遅れているのです。それで、そのような意味で、教会で多くすることも正しくないと考えます。なにか自分を捜し出さなければならないのに、探すことができなくて、毎日引っ張って回るのです。あっち、こっちに引っ張ります。青年会でこれをして、大学でこれをして、復興会でこれをして、その時は、時が遅れてしまうのです。後ほどは老います。こういう状況です。どんなにせっぱつまれば、私が田舎からソウルまで来ているのでしょうか? なさけない状態です。必ず記憶すべきです。
 
・救いが何でしょうか?運命、呪い、サタン、地獄から抜け出したのです。記憶すべきです。いつまで? 永遠に。すると、礼拝はなぜささげて、訓練はなぜ受けねばならないか、今まで多くの歩みに積まれています。絶対に滅びない正しいメッセージで、新しく定立すべきです。それが訓練です。すると、何ができなければならないのでしょうか。ヨセフのように、ダニエルのように、ダビデのように、難しいこともありません。皆様が何ができなければならないのかというと、現場の中で祈りがいつもできなければなりません。神様のみことばと現場と私が、祈りでつながれば、平安になります。それができれば、成功します。それでパウロがいつも聖霊にあって祈りなさいと言いました。できます。皆様、気落ちせず試みてみましょう。
 
・私が青年達を見て頼みました。してみましょう。本当に祈りを考えてみる必要があります。どこかに行く時、退屈でしょうか? それは祈りができていないので、退屈なのです。祈りができれば、何の問題もありません。眠っている途中で、寝られないこともあります。そのようなことがあります。それが難しいでしょうか? 祈りができないので、難しいのです。静かに横になって祈ればよいのです。困難が来て、困難が問題になるのでしょうか? その中で祈ればよいのです。これが実際化になる日、クリスチャンは、ものすごい働きと答えがずっとなるのです。すばらしいのです。ペテロがこれができるようになりました。いつからできるようになったかというと、ペテロが復活なさった主に直接会った時、考えが変わってなったのです。「こういうことがあるのか。いったいこの方は誰か? 私がむかしに告白した、主は生ける神の御子キリストですと告白したその方だな。」私たちは、いつ、どのようになるかも分かりませんが、私はいままでこれがなにを悟ったかというと、本当に福音は、こういうことだな。神様のみことばは正確な答だな。これを捕まえてずっと祈りし始めたのです。ずっと、私の場合は祈るのに、青年達を見て話しました。自分で祈る方法があります。
 
・私は、むかしから何をするか悟ったのかというと、名前もなく、光もなく、病んでいる人がいます。こういう人々は、神様の大きい計画があるでしょうが、肉体的に正せば、呼吸を短くします。われ知らず短くして、その次に 80-90% 一回も病気がなく死ぬ人がいます。こういう人々は、体質的に呼吸を長くします。差です。早く理解をするかと思えなくて、青年達に説明をしてあげました。ボクシング選手が戦う時、3-4分戦います。その間に 1分休みます。休んでいる時、すぐコーチが上がってきて、選手を見てすぐにする事があります。その人に水を飲ませて、その次にズボンをつかんで引っ張ります。必ずつかむのは、呼吸を長くしようとするのです。その短い時間に、速く回復出来る訳です。もし患者が救急車に乗って急患に来たら、すぐあげて、横になったら精神が一進一退した状態で死にかけています。この人達が、普通、急患に入って行くのか? 何かの事故があったりして、急患の部屋に行けば、先ず一番にするのが何でしょうか? そこに山の人参を注ぐのではありません。そこに呼吸器をつけて、酸素を供給するのです。
 
・何の話なのか速く理解できるでしょうか? そうだな! 私はずっとメッセージしながらも、一日中、祈ります。とても良いのです。もしその状態を外で発展させたことが多いのです。それで声楽をする人と、歌をする人の中で、福音がなければ霊的問題がくるということが、その話です。私はその部分の研究を多くしました。ところが驚くべきことです。絶対に自慢ではありません。これから、人はどのようになるか分かりません。まず私のような人がいれば、ここにいる医者は餓え死にます。そのように祝福なさいました。神様です。時間もないし、回らなければならないから、ずっと祈りながら回ります。そうでなければ、この多くの仕事をすることができません。昨日、明け方から夜まで走りました。今日もこうで、私が今、人間ではありません。礼拝を終えて釜山に行けば、夜 12時に終わります。すると、その次の週は休むのでしょうか。重要な集会がずっとあります。その次の週にはどれくらい重要な集会がずっとあるでしょうか。その前の週には、牧師の合宿とか、伝道合宿こういう重要な集会がずっとあります。その次に、海外集会に行けば、時差が合いません。神様から驚くべき秘密。これができなければ、絶対にできないと確信します。それで、私たち青年達に話しました。私が伝道合宿では、これを教えてあげねばなりません。本当に福音が分かって、本当に神様のみことば、メッセージが整理できたとすれば、簡単ではないでしょうか。これができれば、できます。どんな状況が来ても、勝つことができるのです。
 
・ペテロが変わってしまいました。しかし、聖霊があなたがたに臨まれれば、あなたがたは力を受け、地の果てまで証人となります。ペテロが完全に変わってしまいました。そこに人々が集まってきて、酒に酔ったと言うので、使徒の働き2:14-21 ペテロの説教を見ましょう。ヨエル2章を引用したでしょう? 神様が終わりの日に、男女のしもべに水を注ぐように注がれるとなさった約束が成就したと言いました。ペテロを見ましょう。むかしのペテロではありません。神殿の美しの門の前に座っていた足のきかない者を見て、イエスの名前で起きて歩きなさい。むかしのペテロではありません。監獄に捕えられて、裁判を受けたのですが、あなたはどうしてイエスの名前で話すのか? むかしにイエスと一緒に通った人だと尋ねられた時、違うと答えた人です。あなたがどうしてイエスの名前を伝えるのか。「世界中でこの御名の他に、私たちが救われるべき名としてはどんな名も与えられていないのです」すると、とりあえず、大きい罪はないから送ってやろう。次にキリストを伝えないで。私たちはこのことの証人です。ペテロが堂々としていました。はなはだしきは、使徒の働き12章を見れば、明日、死刑を受けるのに寝ていました。ペテロが、その程度になったのです。むかしに、女奴隷の前にぶるぶる震えて呪ったペテロが、明日、死ぬのに寝ていました。疲れていて寝たのか分かりませんが、とにかく寝ていたのです。これを見て、そうだな! と思いました。皆様、本当に勝利するように願います。こうして、特別な事が起これば、特別祈りをして、重要なことの前で集中祈りすれば、働きが起きるようになっています。
 
・私が今、証しをみなできないのですが、不思議に思った祈りの証しが多くあります。重要に問題を起こす人をおいて、ずっと祈ったら、ほとんど解決しました。こういう証しをしてはならないのですが、私はあまり不思議に思うことを体験しました。異常な使命か、私が行く所ごとに電話をして、悪口を言って、異常で、それで、ご飯だけ食べる人がいました。この人は牧師だったのですが、牧会はせずに、ソウルで大きい教会チュンヒョン教会で、シン・ソンジュ牧師が、その方が赴任して、自分で韓国で8人を選びました。8人を選んで、自分の教会に招いたのです。むかしのことです。私が敢えて行くこともできないのに、招かれたのです。そして、国民日報に載せました。「こういう時代的なしもべを呼んでセミナーをする。あなたがたが来て、全国の牧師はみな集まりなさい。」と新聞に出しました。その8人中に、オク・ハンウン牧師、オンヌリ教会牧師、こういう有名な方達が入っていたのに、私が入っていたのです。だから、釜山で騷ぎが起きました。そうでなくても電話するこの人が、チャンヒョン教会に事実を曲げて誇張して、電話 100回したのでした。脅迫して、何したので、新聞にみな出したことを取消したのでした。取消すのも難しかったのですが、したのでした。外国に行けば、英語もできないのに、どのように翻訳したのか、送ってとにかく大変でした。私が戦うべきか、どうすべきか? 私がずっとその人のために祈りました。いつまでしたでしょうか? 考えが出ない時までずっとしたのです。ある日、私に知らせが入ったのに、その人が突然に病気になって、長く生きることができないようだ、そのような知らせがきました。ところで、私がどれだけ悪い者でしょうか? その話を聞いた瞬間に、早く死んだら良いなと思いました。本当に異常です。それでこそ、証拠になるだろうと、本当に異常です。それほど、人の心が痛くなければならないのに 早く死んだならば良い、こういう気がして、その次、1ケ月くらい過ぎて知らせがきて、亡くなったということでした。その話を聞いた瞬間、どんな気がしたかというと、むかしに福音を悟った時に来た喜び、こういうものと似たことがきました。だから、私は悪質です。私がこのようなことがあるか、人が死んだのに慰めなければならないのに、そのようにうれしいはずがあるでしょうか。それで、私が考えを変えました。違う。 間違いないことは、祈りは答えられます。
 
・今からしましょう。今、私たちのインマヌエル教会は、ちょっと福音を持った人が、人々を募集して、断食祈り申請を受けましょう。一日ずつ申請だけ受けて、早く正しい福音運動ができる施設を持った素晴しい教会、文化の働きができて、青少年の働きもできる教会に早く建てるように祈りましょう。釜山から集まって、断食祈りします。神様が働かれて得た礼拝堂です。そして、個人のあなたがたは、何の心配もしないで、祈りましょう。今このままなれば、間違いありません。監獄に行ってもかまわなくて、奴隷へ行ってもかまいません。みわざが起きます。それが聖書です。私がこの部分を本当に確認ができて、味わうようになりました。どれくらいうれしいか分かりません。本当にです。
 
・それで、これが伝道合宿でしようとする重要な訓練です。今までメッセージをしました。ところが、足りない者なのにもかかわらず、神様は多くの答えの門をあけてくださいました。それなら、私たちのレムナントと皆様が受ける祝福は、どうなのでしょうか? 私達が受けなくてもかまわないのですが、神様の契約が変わるのでしょうか。そうではありません。すぐにならなくても、考えを多くしてみなければなりません。
 
・私の場合は、どの程度かというと、メッセージをする時も祈りながら呼吸を長くします。ある人が、喉が本当に強いと言うのですが、そうではありません。そのようにしないと、メッセージを一日中できません。皆様がメッセージを一日中するのがどれだけ難しいか知っているでしょうか? 一時間メッセージをするのに、8時間労働量のカロリーがなくなります。すると、説教を続ければ、どのようになるか知っているでしょうか? それで、食べ物の中で、炭水化物とカロリーが一番多いのがコメです。それで、私はご飯をたくさん食べます。他の人は知らずに、ご飯を少なく食べなさいと言うのですが、それは一般の人々が見て言う話です。ご飯を小さく持って行くのですが、私は食堂に行けば、ご飯 2杯食べます。人によって違うようにすべきです。一般的に遊んでいる人が、ご飯をたくさん食べてはなりません。私はそうではありません。私は他の人より10倍もするために10倍で食べるべきなのです。ある人が私を見て言うことには、あまりご飯はたくさんたべてはいけないと言います。しかし、それを食べないと、耳がぼんやりしてしまうのです。そのようなことは、その人は知らないのです。契約をとらえて食べるのです。人には、活動量があります。飛行機に一度乗ってみてください。私が韓国で飛行機を一番たくさん乗っている人の中の一名です。あまりにたくさん乗っているので、シチュワーデスも皆知っています。いっそのこと来て、挨拶します。別に挨拶するのです。それ程、たくさん乗っています。私たちの教会の浦項にある医者の夫人が私に話すのには、「先生。奇跡です。私がシチュワーデスをしていたのですが、ほとんどみな耳がやられます。ところが、先生は、私たちより飛行機にそのようにたくさん乗っていて、どうして耳がやられずに、そのようにいるのでしょうか。奇跡です。」医者の夫人がメッセージを送ってきました。診療して後に、神様の恵みではないでしょうか?
 
・どれくらい驚くべき神様の祝福でしょうか。それなら私と皆様が、インマヌエルが、受ける神様の驚くべき祝福、この契約を捕まえれば、どこに行ってもかまわないのです。それで、パウロのように、こういう告白が出てくるのです。私を強くしてくださる方によってどんなこともできるのです。絶えず祈りなさい。いつも聖霊にあって祈りなさい。苦しくなく、最も幸福になることです。皆様がこの祝福を皆が今から受けてくださることを、主の御名でお祈りします。食事しながらも、祈りの祝福を味わって、答えを受けてくださることを主の御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。ペテロの失敗を見ながら、私たちの弱さを知るようにしてくださって、しかし、私たちを救われた神様に感謝申し上げます。それから後に、ペテロのように、私達に真の救いとみことばと祈りの秘密を味わいながら勝利できるように、あらゆるしもべに始まる日になるようにしてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 


 2部 / 困難を祝福に変える道
(詩40:1-17)
 
 
・聖書には、困難を受けた事を祝福に変える人々が多くいました。あなたがたにこういう重要な機会になることを願います。病気の人々は、簡単に理解すればよいのです。聖霊充満を受ける機会です。生きる、死ぬことは神様に任せて、聖霊で臨まれれば力を受けるとなっています。あなたがたに多くの問題があったかの様に見えるけれど、福音を理解するということが、どれくらい重要なのでしょうか。時間が経ちながら、分かるようになります。もし皆様が福音を知らなければ、霊的問題を知らないために、全てのものが問題に変わるのです。もし福音を知らない人々が貧しければ、そこに陥って死ぬようになります。もし、福音を知らない人が金持ちになれば、どのように生きるべきかがもっと分からなくなります。福音ということは、ものすごく重要なことに間違いありません。福音を知らない人が音楽をしたり、スポーツをして深い所に入っていけば、深刻な問題に陥るようになります。
 
・この福音を理解するということは、相当なのです。時間が経つほど、重要なことになります。聖書を見れば、困難をすべて祝福に変えました。この人達の特徴は何でしょうか? 正しく神様の福音を持って、希望を持って生きた人々です。それで、今日、簡単にダビデはどのようにこの困難を祝福に変えたのでしょうか? 私たちは理解しなければなりません。たくさんありますが、ダビデにはいくつかのことがありました。それは私たちにもあるために、私たちはこの契約をよく捕まえなければなりません。どのようにして、困難をすべて祝福に変えることができたのでしょうか? それで皆様個々人が、新しく始めるそのような重要な日になることを願って、明らかなことは皆様は、神様の子どもであるゆえにここにいます。心配する必要はありません。神様にみな任せて、新しく出発しなければならないのです。
 
・どのようにダビデは、こういう困難を全部、祝福にみな変えることができたのでしょうか? 最初、ダビデは確実な保障がありました。ダビデがいつも使う言葉の中で、16節に「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「主をあがめよう。」と、いつも言いますように。」と言いました。これがそのまま過ぎ行く話ではなくて、2つの重要なことを保障しています。一つは、救われた神様の子どもです。神様が生きていらっしゃるならば、私は神様の子どもです。そこに対する保障を持っていました。ひとつは、ダビデは自分が何になるのかを知っていました。それが重要です。どんなに困難が来ても、今日、皆様がつかまなければならない契約です。神様は確かに生きておられ、皆様のいのちを治めておられます。皆様は神様の子どもです。それが確実な保障です。ひとつは、とても重要な未来に計画を持っておられます。これをしようが、あれをしようが、伝道者は相当な祝福で呼ばれたゆえに、確実な保障です。それで揺れる必要がないのです。
 
・皆様は、宗教生活するのではなくて、神様の子どもです。皆様、ムダン(霊媒師)を長くした方は、理解します。グッ(降霊術)をすれば3万円のグッ(降霊術)をし終えれば解決するけれど、また問題がきて、5万円のグッ(降霊術)をしなければならず、より大きいグッ(降霊術)をより大きいグッ(降霊術)をしなければなりません。お金で話してはそうですが、霊的に話せば、より悪い霊が集まるのです。マタイの福音書12章 43節 - 45節に現わされています。これで限りない霊的困難に陥るようになるのです。聖書にそのように記録されています。もしあなたが家をすっかり空けて清掃すれば、他の悪い霊が入ってくるではないか? 宗教生活と私たちの状態を話したのです。私達が受けた救いは、そのようなことではありません。皆様が救いの内容を理解するということは、救いは過去、現在の問題だけ解決したのではなくて、未来問題までみな解決したのです。救われたということは、何の問題も心配する必要がないということです。ダビデがそれを知っていました。救われた神様の子どもは、未来問題まで神様が解決なさったのです。いらない心配をするのです。未来問題まで解決なさいました。今日、現在問題と過ぎた日の過去と呪いは、すべて解決しました。
 
・確実な未来が保障されています。ダビデは、王になることを知っていました。これがどれくらい重要でしょうか。サムエルがきて「あなたは神様の息子です。これからイスラエルの重要な王になるはずだ。」これを確かに言ったゆえにダビデは揺れませんでした。揺れる理由がありません。用心だけすれば良いのです。避けながら祈ったのです。そして、問題がくれば機会に変えました。ヨセフが世界福音化のリーダーになることを確信しました。だから、来る問題は機会です。奴隷になっても、監獄に行っても機会です。皆様は、この最初の契約を握らなければなりません。皆様が神様の子どもであるということは、どれくらい大きい祝福を受けたのでしょうか? みな話すことはできません。
 
・私達が神様の子どもが受けた祝福 7種類だけ味わえば、相当な祝福を受けます。しかし、神様が私たちにひとりももれなく、無能であっても、年齢が若くなくて、習ったことがないとしても、神様が子どもに与えられる相当な祝福があります。それが最も重要なのです。それだけ理解するならば、どんな困難も勝つことができます。私は教会史で聖書に伝道者が受けた祝福を確かに知っているために、また時代ごとに伝道者が受けたことが何か知っています。それで、どんな場合がきても、今まで気落ちしませんでした。そして、これからも相当な事が起きるはずです。ダビデが持ったことが、まさにそれです。ダビデが持ったことが、イスラエル最高の王になるはずで、それより重要な神様の子どもです。これをダビデは持っていたゆえに、保障されていました。どんな困難が来てもかまわないのです。この困難によく勝つことができる祝福があったのです。
 
・今日、あなたがたがここに座ったということは、神様の子どもです。皆様が福音を宣べ伝える教会に座って、ともに礼拝するということは、神様の子どもです。皆様の問題を悩む必要がありません。皆様は重要な神様の計画を成し遂げるようになります。それで、今ある皆様の問題が、みな祝福に変わるみわざが起きるようになるはずです。これをダビデが捕まえていました。今日、皆様がこの契約を真に捕まえることを願います。
 
・すると2番目のことがついてくるようになります。ダビデは、今日の本文を見ると、何をしたのでしょうか? 現場と事件を自らの考えを皆、祈りで連結させました。このようになるならば成功します。私が1部礼拝と青年集会で申し上げました。青年達はむずかしいのです。あなたがたは、ほとんど信仰生活が難しく感じるでしょう。どのようにすれば良いのでしょうか? 皆様の多くの考え、行ってみた現場、あなたがたの周囲に起きることを祈りで連結させることだけするならば、途方もない働きができます。このように簡単なことを、人々がよくできないのです。これは恥ずかしいことでもありません。表す必要もありません。これはある面で、制裁を受ける必要もありません。ひとりでする事がであるために。ところが、ほとんどみなこれをのがすのです。皆様の周囲で起きる事を祈りで連結させてみましょう。皆様が実際していることを、目に見えて思い出せるものを、祈りで連結させてみましょう。これだけすれば良いのに、これがむずかしいのです。クリスチャンが一番できない部分が、この部分です。現場に行って騒いでみるので、この部分をのがすのです。少しだけ祈りで連結させれば、みわざが起きるようになります。
 
・詩篇 40篇を読んだのですが、1節を見れば、「私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、」ずっと祈って待ったということです。気落ちしなくて 3節には「主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。」ダビデはすこし違う人です。祈りをどんな方法でしたのかというと、賛美を多くしました。これも祈りです。音楽に関係している人は皆様が深く賛美して、伴奏をする人々は、深く楽器を扱うことが祈りです。ダビデは単に祈った人ではなくて、賛美を持って相当な祈りをしました。良い方法です。
 
・皆様が知っているマルチン・ルターのような場合には、相当な困難があった時、賛美と祈りで勝ちました。その賛美が皆様が知っているとおり、「私の主は力。盾と助けになられる」有名な賛美です。自分が大きい困難にそのような賛美をいつも歌いました。7節 8節に、今日こういう話があります。「そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。」聖書のことを言っています。「わが神。私はみこころを行なうことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」ダビデがどのように祈ったかというと、このみことばが、自分の心の中の深い所にありました。それで、2節を見ると、「私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。」滅びの穴から神様が救われたのです。14節「私のいのちを求め、滅ぼそうとする者どもが、みな恥を見、はずかしめを受けますように。私のわざわいを喜ぶ者どもが退き、卑しめられますように。」ダビデを困らせようという者が、自分でどん底に陥りました。神様は、その滅びのどん底から救い出されたのです。
 
・今日、信仰生活をする皆様が、必ずつかまえなければならない秘密があります。神様の子どもです。神様が生きておられ、神様は創造主であることが間違いないのでしょうか。神様は皆様のいのちを治める方であることが間違いないのでしょうか? それならば、私が神様の子どもということは、すごいことなのです。それなら、神様がなぜ私を召されたのでしょうか? これをダビデが知っていました。これは何でもないことのように見えるけれど、相当な差が現れます。神様が生きておられ、人間を救われるだけでなく、ここのレムナントを未来の最高の働き人に神様が呼ばれたのです。違うことがありません。
 
・それなら、どんな場合にも揺れないように。これがダビデの信仰です。問題がくることをみな機会に変えました。それをのがさないようにしましょう。私の場合、開始からがっかりすることが多かったのです。背景もありませんでした。今は皆様と強固な長老と希望がある副教役者、協会、21世紀総会、全部、私の背景です。しかし、過去に私は背景がまったくありませんでした。お金もありませんでした。実際に考えれば、がっかりすることです。ところが、私が一つだけを知っていました。福音を知っていたのです。福音を理解するということは、神様の子どもになったことではないでしょうか? では、神様の子どもになったとするなら、これを伝えなければならないのに、福音を伝える人がいないために、これをすれば、私が祝福されるためのではなく、当然になるようにならないか? として、伝道者が受けた祝福を見るようになりました。一度ももれなく、伝道者の時代、教会、国家を祝福なさいました。
 
・その通り、一時、ローマをものすごく祝福なさった理由は、ひとつしかありません。福音をローマを通じて広げるために、どれくらい祝福なさったでしょうか? あらゆる道はローマにと言われました。一時、英国をものすごく祝福されたことがあります。どの程度なのかというと、大英帝国は日が沈まないと言われました。また一時、ドイツが祝福されました。そこで宗教改革者がいたのです。それで、福音を伝えるしかない国、米国を祝福なさいました。それなら、どこか福音を伝えることができる多くの少数民族と韓国です。私は錯覚しなくて見ています。そのうち自他とも認めるようになります。韓国が福音を伝えるなかで、タラッパンで、伝道運動が正しく起きていることが証拠されています。それならば、確実なことではないでしょうか?
 
・私はこの希望を確かにのがさないでいます。ならないことも祝福で、病気も神様のみわざになります。それを私が今、30年経験しました。皆様はよく理解できなくても、私は確信しています。このレムナントがすごいのです。あなたがたは、よく分からないでしょう。しかし、これから分かるようになるはずです。ダビデはそれを持っていました。事実、あらゆる信仰人が持っていたのですが、ダビデが持っていました。これが最初です。その次にすることは、それが事実ならば、皆様の仕事、現場で祈りでだけ連結することができるならば、あらゆる問題がみな解決するはずです。
 
・それが2番目、ダビデの祝福の秘密です。皆様がのがさないでこの契約を握るように願います。どんなに年齢が若くなくてもできます。皆様がおわかりの通り、龍頭山公園で一生伝道して亡くなった方が、キリスト教雑誌等にたくさん出てきました。その方は、信仰生活を迫害した人だったのが、悔い改めて伝道した人です。この人が何を悟ったのでしょうか? 「知らずに福音を持った嫁と家族を迫害したんだなあ。では私がこれから残った時間、福音を伝える。」私がその家に行ってみたら、厚いノートにイエス様を受け入れた人、何千名も書いてありました。それを見れば、老人でもできるのです。他の人が見れば、なんにもできない老人のように見えるけれど、できるのです。皆様が仮りに今、目をよく開けて聖書を見るように願います。事実なのかどうか、ヨセフが現場でまた自分の仕事、考えの中で祈りが連結できました。それが重要です。それで、今回の青年修練会で、それができなければなりません。それができれば、味わうようになります。神様の子どもは、結論は、答えの祝福を受けるようになっています。これがならなければ、いつものがします。これになれば勝利するのです。
 
・記憶しましょう。本当に信じるならばやさしくて、信じないならばむずかしいのです。本当に信じるならば、とてもやさしいのです。本当に神様の力を信じるならば、祈りがやさしいのです。私が以前に私の家に突然に電話料金20万円が請求されてきました。家内は間違っているのだと言いましたが、私はすぐ分かったのです。私たちの息子が使ったのでした。私はどこに使ったか、気がつきました。国際電話をがまんしながらもしたので、20万円かかったのです。200万円はかかるべきだけれど、私たちの息子が節制して、がまんして20万円になったのでした。私はその相手が誰なのか分かりました。電話したくてたまらなかったのですが、おばあさんの顔色をうかがって、お母さんの顔色をうかがって、父の顔色をうかがってしたのが、20万円です。それで私が様子をみて結婚させてあげました。
 
・やさしいのです。皆様が本当に神様の子どもという祝福を知っていれば、現場で、仕事の中で、困難の中で、考えの中で、祈るのが最も簡単になります。このようになれば世界を征服できます。皆様の問題が解決できます。もしこの祈りができれば、霊的問題がみななくなるようになります。もし皆様がこのうちにひょっとして憂鬱症に苦しめられる方がいらっしゃるでしょうか。この祈りを継続してみましょう。これが何でもないことのようでも、ある日、驚くべき事が行われます。なんでもないことのようでも皆様あらましこのように考えます。40日断食祈りをしたら、すごいと考えるのです。そうではありません。それよりもっとすごい祈りが、この祈りです。ある人は山に行って祈りをずっとしたと言うのですが、それよりもっとすごい祈りがこの祈りです。ヨセフは、山に祈りに行くことも出来ません。奴隷なのに、ヨセフは断食祈りも出来ないのです。仕事をせねばならないのに、ヨセフは仕事をしながら、ずっと祈りました。ヨセフに多くの考えがあるでしょう? 父を考え、家を思い出したでしょう。それを全部、祈りで。それとともに自分の使命をのがさないでずっと祈りました。他の人が見る時には、全く表に現れません。仕事をする人のように見えます。ただ現れるのは、ポティファルという主人が見るのに、この人が普通の人ではない。どの程度でしょうか? この人は、奴隷ではない。ポティファルが呼んで、「あなたは奴隷をしないで、あなたは奴隷ではない。あなたは、私の家で総責任者として仕事をしなさい」このようになったのに、あなたがたもおわかりの通り、罪を着せられて監獄に行ったでしょう? 監獄に行ったのに、かまわなかったのです。監獄のなかでも、ずっと祈りました。監獄所の中でまた働きが起きました。これが無視できない祈りです。皆様が今から平安に、良くできなくても試みてみましょう。ある日できるようになります。皆様の考え、現場、現場と教会とどれくらい遠でしょうか? そこで祈りで連結させることができると、真に驚くべき事が行われます。
 
・私が知っている長老は、世の中で一番複雑な所が言論界ですが、この人が言論界に就職をしたのです。そこで祈るということは、本当に難しいのです。ところが、この人は祈りの人でした。入ってみると、大きい新聞社の前に、先祖が立てた人々の写真を置いて、そこに手をついて礼をするのに、すべての幹部が話して、今回はどのようなことがあるかと手をついて礼をするのに、この人はしないのです。仕事になるのでしょうか、みなするのに。簡単に話せば、創業主を見てみなするのに、この方は低い場所にいる人でもありません。高いところにいた人です。表に見えるようになります。お辞儀をせずに、ずっと祈ったということです。会社のなかでずっと祈るのに、おかしな事が行われたということです。結論、この人の手を経ないとならない仕事だけ、度々生じるのです。重要なことが起きました。すると、この人の手を通じて答えが開いたのです。この人の手を通じればできるのです。一年に言論社で、それも韓国で知られている言論社で、4番目に認める言論社なのに、一年に階級が2つも昇進しました。どれくらい働きが起きたか、いまは支社長になりました。このように忙しい時間に、土曜日、芸園教会で核心をすると、いつでも前に座っています。その忙しい時間に、その人の職業がジャーナリズム系統の新聞社の重要な人が、時間が多いでしょうか? そうではありません。いそがしいのです。たまに私が見ると、土曜日1ケ月に一度くることができません。その時には、重要な方達とか運動をしています。約束しているために、その時だけ来ることができなくて、いつでも来ます。そこも遠いのに。それとともに祈って、いまは誰も何も言わないそうです。その方を通じて働きが起きるからです。今、その方が説教を聞いているだろうが、私が見る時には、祈りの奥義を少しだけ持っていればできるのです。
 
・ダビデを見ましょう。ダビデをつかまえようと、何千名が殺そうと通うのに、逃げながら徹夜祈りをするでしょうか? ダビデは、どこかに行って断食祈りをする、そのような時間もありません。通いながらずっと祈ったのです。わざが起きました。私は神様の奥義が何かを知れば知るほど、常時祈りもできるようになると思います。皆様が神様の奥義を知れば知るほど、重要にできていくと思います。ダビデがのがしませんでした。皆様がこの祝福を本当に回復することを望みます。
 
・三番目です。どうして、こういう困難に勝つことができたのでしょうか? もう一度のがしてはなりません。 最初のことは何でしょうか? ダビデは未来が保障されていました。神様の子どもであり、伝道師であり、王になるはずで、未来が保障されていました。皆様の未来が保障されているという事実を信じてくださるべきです。絶対に揺れないで。未来が保障されているという事実を信じてくださるべきです。ダビデは何をしたでしょうか、その契約を捕まえて行く場所ごとに祈って、はた目には何の異常も無く、羊飼いのように見えました。はた目には、王のように見えます。将軍のように見えます。しかし、ずっと祈っていました。これが重要です。それは、ダビデが勝利したということになります。ダビデは戦わないで勝利できる力を育てました。詩篇78-70-72 正しい心で彼らを牧し、英知の手で彼らを導いた。実力も育てなければなりません。ダビデが羊飼いをしたのに、最高の羊飼いをしました。それでダビデを見て、神様が正しい心ということは信仰で、英知の手は技術です。それで育てられたのです。ダビデが力を育てました。そうしながら、ゴリヤテに勝ったでしょう。
 
・クリスチャンは、本当に祈っていれば、皆様が相手方と戦わないでも勝ちます。私自身に勝つことができる力が聖霊充満です。私たちは、重要な事件が出てくる時ごとに、特別な祈りをして、その事件に勝つことができるのです。詩篇23で、その困難の中でダビデは、主は私の羊飼いであるために、私は乏しいことがありません。とても困難の中にいた時の話です。私が死の陰の谷を歩くことがあっても、特別祈りもしたのです。詩篇142篇を見れば、逃げ回っている時、ダビデを捕まえようと来た軍隊が洞穴の前にきました。どのようになるでしょうか。捕えられれば死にます。あなたがたは座って聞いているけれど、ダビデはこの詩を書く時、現場で書きました。ダビデを捕まえようと軍人がきたのに、ダビデが今、洞窟の中にいました。そこに隠れているので、外から話が聞こえると、こちらに入っていってみようと言っているようです。その話が聞こえないでしょうか。サウル王が軍隊を率いてダビデが一人隠れていたのに、これで終わったと思ったのに、その時にクモの巣が張ってありました。瞬間、賢い軍人一名がクモの巣が張っていることを見て、入っていかなかったのです。その間にクモが巣を張ったのです。だから、それに軍人が皆いってしまいました。ダビデが、その時、なかでどうでしょうか? 韓国語で、余裕もってお茶を飲んでガム噛んで、こういう状態ではないでしょう? その祈りが詩篇 142篇です。どれくらい神様の前で祈ったでしょうか? こういう峠、峠をダビデが通ったのです。それで難しかった部分が、全部、祝福にみな変わりました。
 
・今日、あらゆる信仰人とあなたがたは、結論的に、この困難を祝福に変えるために、いくつかのことをよく探さねばなりません。その最初がヴィジョンです。ヴィジョンを探さねばなりません。ヴィジョンを持てということではありません。既に与えられています。さがすように願います。今、教会のなかで、釜山で、全国、世界に向かって多くの働き人が集まっています。ある人は、江原道(北朝鮮のすぐそば)からここまできて核心に参加して行きます。チョ・ギポ長老のような方は、軍医官であった時、江原道から私たちの教会まできました。毎週、釜山にいる人が一番遅く悟ります。そのうちでも、私たちの信徒が一番遅く悟るのです。江原道からここまで核心に参加して行きました。ある時は、車が渋滞して、遅く来て終わってしまい、核心の紙を一枚持って家に帰る場合もありました。これがなにを話すのでしょうか? 悟るのがヴィジョンです。ヴィジョンを探すのが、これが何の運動でしょうか。いったいむかしの東三第一教会に行ってみたら、施設がどうで、幹事もどうで、教役者は少し高慢になって、あいさつも正しくしないというのです。しかし、その人がヴィジョンを見ることができなかったのです。これがいったい何で、なぜこの釜山に人々が集まるのでしょうか?これを見ることができなかったのです。それで終わります。ヴィジョンを見ることができなかったのです。ヴィジョンを見ることができるべきです。なぜ夜にこれから10年前から、釜山慶尚南道に弟子たちが集まるのでしょうか? どのようにして、その時からいままで、一名ももれなく、とても遠くて人々が苦労するからと首都圏にも作って、光州、大邱に作りました。今、首都圏は大騒ぎでないでしょうか? すばらしいでしょう。いったい、何でしょうか? ヴィジョンを見ることができるべきです。皆様が何でもヴィジョンを見ることができるべきです。ここに多くの隠された働き人がたくさんいます。ヴィジョンを持っているべきです。今、私が世界福音化にとても重要な一現場で事務をしている。それがヴィジョンです。それをさがすことができねばなりません。そのまま幻でみるヴィジョンをいうことではありません。それをよく見ることができねばなりません。私はとても疲れている時は、そのように感じます。そうではありません。これが何でしょうか? 全てのものはソウルから始まって、釜山に降りてきます。全てのものは、米国で流行して越えてきます。米国ニューヨークにないことは、世界にないと言うでしょう? そのような時代です。ところが、伝道運動、タラッパン運動だけは、釜山で始まって、今、米国に、全世界に入っていっています。私たちの韓国に輸出されて成功したことは、タラッパンしかありません。すっかりみな輸入品です。これは私たちのものでもありません。聖書から捜し出したのです。これが何を話すのでしょうか? ヴィジョンを持たなければならないのではないでしょうか。それならば、これから神様がどのようにされるでしょうか? 皆様、これが悟れるようになるべきです。それで、ヴィジョンをいだきなさいと言うのです。
 
・そして、あなたがたがヴィジョンの中で、希望を捜し出すことができねばなりません。これがこうだな。小さなことの中でも、既にヴィジョンは決まっています。そこで希望を捜し出すべきです。小さい時間が残っても、そこにも一つの希望があります。私は海外集会に行く時にも希望を捜し出します。海外集会に行けば、時間が長いでしょう? 時間が長いならば、どのようにするのでしょうか。その時、重要なことをみなします。その時、かばん整理して、それまで受けた名刺を整理します。しかし、必ず読むべき本を準備します。メッセージ書いて、それも一つの希望です。今、私がなにを準備したかとすれば、中国で瞑想をして世界を動かす人物がいます。その人の本を持って行きました。この人がどれだけ上手にやったかを見るべきではないでしょうか? 習うことが多くて、教えることが多いのです。それも一つの希望です。必ずひとつずつ持って行きます。私がある時は、重要な困難な時がきました。その時は、何の希望を立てるかというと、祈りはもちろんで、私がそれまでできなかった目録を作って解決し始めます。人は小さい事にも希望を作ることができねばなりません。希望を持ちましょう。私たちはみな勝つことができます。皆様がそのままでなくて、ダビデがそのままでなくて、神様が与えられたヴィジョンを持って、小さい事に神様の驚くべき祝福があるということを知るようになったのです。そのようにして行ったのです。
 
・ダビデは、虚像を夢見たのではありません。事実を探しましょう。私たちは、ヴィジョンも探して、希望も探さねばならないけれど、事実を捜し出しましょう。ほとんどすべてが、事実をよく捜し出すことができません。事実を捜し出しましょう。一度は、ある事業する方がきたのですが、どれくらい良い話をたくさんしたか、自分がお金をもうけて、この伝道運動に参加すると言いました。それで、話を聞いてみて、詐欺師だということが分かりました。「このゲルマニウムは全国で二箇所しかできません。どこか?一ケ所は北朝鮮で、一箇所は自分だ」と言いました。するとすごいことです。自分が一言でお金のざぶとんに座ったという話です。良いでしょう。分かってみたら、ゲルマニウムはあちこちにあります。詐欺師です。それで、私たちのメンバーに手を付けるなと言ったのに、手を付けて損をたくさん受けました。おもに詐欺師がそうです。また薬の商売人が現れて、これを飲むと無条件にみな良くなりますと言いました。それで、内心、詐欺師だなと思ったのです。皆様、事実通りにすべきです。学生達は、事実通りに見る目が習慣にならなければなりません。それがヴィジョンを成し遂げることができる道になります。私たち信仰人が事実をよく見るべきなのです。混乱を感じず、錯覚せず、事実を正しく見て、世の中をみつめてあまりおじけづかず、あまり沢がないで、事実を詳細に見ればよいのです。
 
・私がさっき誰かがきて、インターネットのことを頼んだのですが、私はインターネットをする人を見て、いつも言いました。タラッパンでインターネットを何カ所から出しています。報告書を聞いてみれば、私の心で正しいなという人が一名もいません。どちらが、どちらか分からないのですが、見ればみな話がここから世界にみな行って、何かをみなするというチームがあまりに多いのです。どんな結果が登場するかというならば、私のメッセージをちぎれちぎれにここでして、あそこでして、世の中の話しで、お金にならないようにしています。あちこちでせずに、それで委員会を作りなさいと言いました。あちこちでせずに、連合もして、このようにしなさいと言いました。ところが、これが良くできないようです。事実的な頭がないのです。本当に残念です。私たちの学生達がそのように大きくなってはなりません。なんでも事実的に見ることができねばなりません。始めれば成功します。皆様、勉強がどんなにできなくても、事実的に始めれば成功します。このダビデが、事実的によく見たのです。そして、そのまま終えず、正常に上がりましょう。段階的に上がりましょう。何ゆえに気落ちするのでしょうか? ダビデはトップを見ていました。たとえ羊飼いであったとしても、王でトップまで、神様の力のなかで歴史の記録に残る程に。何にも心配しなくても良いのです。
 
・皆様の中に、自分はすこし足りない、このように感じられる方達は、本当に神様の契約を捕まえて、本当にはじめから始めましょう。私は病気になったという方達は、聖霊充満のために祈りましょう。祈りを開始すればよいのです。ダビデが絶対に揺れないことは、その極限の死が来ても、未来に対する確実な保障があったからです。自分は神様の子どもであり、イスラエルの王になるはずだという確信があったゆえに、どんな困難も、全部、祝福に、機会に変えました。その程度ではありません。ダビデは、祈りの奥義がありました。現場で、自分ひとりで、多くの考えにすべての問題を祈る奥義を持っていたのです。その程度ではありません。ダビデは実力を育てました。力があります。ダビデは戦わないで、ほとんどみな勝ちました。完全に勝利するようになりました。そのような中の一つの詩です。ダビデが詩を書いたのです。祈祷文ということです。
 
・皆様がこの契約を捕まえて、新しく始める祝福があることを望みます。もう一度、整理します。皆様が持っている問題、神様は解決なさることができます。そのために不信仰に陥らないようにしましょう。そして、あなたがたが持っている弱い部分を早く認めましょう。それが事実です。そして、新しく始めましょう。すると、答えを受けるようになっています。神様の子どもです。まちがいなく、未来が保障されているために、あなたがたが祈り始めれば、ほとんどなるはずなのに。今、話した 1,2,3番の中でどれが重要でしょうかと尋ねられれば、見分けをするのが難しいのですが、一番、二番がだめなのです。あなたがたが今は、小さい契約を捕まえて祈り始めるならば、できるのに、それが良くならないのです。とてもやさしいのに、それが良くできません。私が見る時、ほとんどのクリスチャンが、この部分がだめです。違ったことはできるのに、契約も持っていて、殆どなるのに、この部分がだめなのです。目立つこともでもないのに、少しだけなせば良いのです。それで、伝道合宿で教えようとする鍵がこれです。この部分は、必ず話すべきです。そして、この部分が実質的にできれば、働きは起きるようになっています。それで、パウロは私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。テサロニケ教会を見て、世界征服する奥義を話しました。休まず祈りなさい。イスラエルが危機に置かれた時、神様はイザヤを見て、見張り人になりなさい。終日、終夜、そのように始めればよいのです。何も難しい部分ではありません。誰でもできます。むしろ弱い人がよりしやすいのです。この契約を捕まえましょう。
 
・3つのことをもう一度話します。今日からあなたがたは、未来がある神様の民であることが確かです。それを参考にして、あなたがたは今から平安な中で、何でも祈りに連結させてみましょう。どのようになっているか、それが2番目です。平安な中に、何も恥ずかしいこともありません。誰かが見ることもなくて、尋ねることもありません。ひとりでするのです。これは代表祈りでもなくて、一人祈ることです。何でも祈りに連結させてみましょう。一年だけしてみましょう。自然に証しが出てくるはずです。その次の三番目のことは何でしょうか?あなたがたが、ヴィジョンと希望と事実を抱いて、実力を育てましょう。これから始めて行きましょう。するとできます。ダビデは神様に栄光帰す、大きい王になったように、あなたがたに希望を持つ祝福があることを願って、単純な希望でなく、神様が与えられる希望です。そうすると、勝つことができます。この祝福をすべての世界の使命者が捕まえて、今日から新しく始める祝福の日になることをイエス様の御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
 神様に感謝申し上げます。のがさないで、新しく始める重要な日になるようにしてください。難しいことでもないのに、私達がのがしやすい部分です。信仰を回復させてください。事実を回復させてください。これから、このしもべが行く所ごとに、証拠が現れる証拠を回復させてください。これから、このしもべが祈れるようにしてくださり、行く所ごとに暗闇の勢力が崩れるだけでなく、神様の国がなされるみわざが起きるようにしてください。今日、この時間に私達が持った問題を神様に任せる、祈りを始める祝福の日になるようにさせてください。私の弱い部分を神様に任せて、祈りで始める祝福の霊的な日になるようにさせてください。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン