2003年 07月 06日 インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部 / 何を感謝しなければならないのか?
(ピリピ3:1-21)
 
 
・イスラエルの民が荒野に出発しました。エジプトの王と多くのエジプトの人々は、イスラエル民族が行く時、皆死ぬと考えました。ところが、イスラエル民族が行く中で、イスラエル民族すら、90%以上の人々が行くことができないと考えたのです。しかし、イスラエル民族は死なないで、生きて彼らは穀物を刈り入れて、神様に礼拝しました。それが麦収穫祭です。今日、私達が守る麦収穫祭です。今日、私とあなたがたは、麦収穫祭が何かよく知って、神様に感謝をしなければなりません。何を感謝しなければならないのか?という内容です。
 
・皆様が道を行く時、良い時計や指輪があるならば、どのようにするのでしょうか? 何でこういう時計があるのか? と足で踏んで捨てないでしょう。皆様が道を行く時、高価なダイヤの指輪があるならば、なぜこういうものがあるのか? と、ゴミ箱に捨ててしまいません。これは誰のだろうか? 良いようだと言うはずです。ところが、皆様が家で飼っている犬や豚に与えたら、足で踏んで捨ててしまいます。自分には何の価値もないからです。なんの話か?というと、イエス様が真珠を与えるのに、だれが豚を見て宝石を与えるか? だれが犬を見て与えるだろうか? と言われたのですが、意味ある話しです。悟ることができないのに、誰が与えるでしょうか?
 
・私たちは、感謝を悟らなければなりません。感謝の内容を見れば、その人の過去、現在、未来がみな出てきます。その人が感謝するのを見れば、その人がどのように信じたのか、その人の信仰状態はどうなのか、それよりもっと重要なその人の未来がみな出てきます。私が知っている一人の人は、いっぱい学んで知っていることも多いのに、その人はいつも感謝をしようとするなら大変で、自分も知らないうちに不平、不満が出てくるのです。体質が本当に良くなっていないだなあと思いました。やはり自分が自分に勝つことができなくて、年齢に合わないで重病になりました。その未来は明らかです。それで、私たちは感謝の内容を見れば理解できます。感謝の大きさが信仰の大きさです。信仰が良い人々は、心より感謝します。感謝の量が味わう量です。それで、パウロはこう話しました。いつも喜んで、絶えず祈って、すべてのことについて感謝しなさい。どんなに考えても、私たちは救われたゆえに、神様の子どもの祝福を味わうようになります。だから喜ぶしかありません。それが事実ならば、すべてのことについて感謝するしかありません。それが事実ならば、祈るしかないのです。
 
・今日、皆様が単なる日にしないで、衛星でソウル・インマヌエル、蔚山インマヌエル、京仁(ソウル・仁川)インマヌエル、重要な家族が礼拝しています。今日、本当に重要な日になることを希望します。本物の感謝が回復しなければなりません。だめになるならば、深刻な病気になったのです。私が本当に感謝がなくて、不平、不満が体質化なっているならば、その人は事実上、終わった人です。未来がありません。どんなに良いことを持っても未来がありません。しかし、無条件に感謝するのではなく、本当に悟った感謝をしましょう。これが今日、皆様になければなりません。私が見ると、絶対に感謝しない人がいます。精神病患者は、絶対に感謝しません。そして、憂鬱病の患者も、絶対に感謝しません。憂鬱なだけです。そして、感謝していても、すぐ崩れる人がいます。霊的問題がある人です。感謝することができないのです。今日、私とあなたがたは、どのように感謝を回復しなければならないのでしょうか? 2部礼拝の時お話しするのが、何を感謝するのか? です。
 
・今日の本文で、パウロは世の中の人々がみな好むこと、今、あなたがたがものすごく好むこと、クリスチャンがものすごく好むこと、政治家たちがものすごく好むこと、経済人がものすごく好むことを見て、ちりあくたに思うと言いました。'思う'ということと'そうだ'ということは違います。ちりあくただと思うと言いました。パウロが何を強調する内容なのかが重要です。お金が良いのにちりあくただと思うと、このように理解することができます。パウロは家系がすばらしかったのです。それを自慢して回りました。パウロは、習ったことが多いのですが、それを自慢して回りました。それが何で重要か? ちりあくただと思うと言いました。どのようにすれば、これができるのでしょうか? それは、既にみな得たためです。そして、私たちは、より大きいことを得て、これから得るからです。どんな状況でも勝つことができる答を得たゆえに、真の救いを得ました。そして、今でも味わっているために、パウロは私がこの時まで知らずに自慢したことをちりあくただと思うと言いました。その話は、お金も、名誉も、地位もちりあくただということではありません。パウロは以前に、それゆえに生きていました。そのあらゆる事に取り込んで生きていたのです。しかし、パウロがキリストに会った後に、それをちりあくただと思うと言ったのです。
 
・すると、何を感謝すべきでしょうか? 4つのことに対する重要な感謝が本文に出てきました。キリストを知る知識が最もすばらしいのです。本当にキリストを知っていれば、お金を儲けることができます。最もすばらしいのです。本当にキリストを知っていれば、政治に成功できます。最もすばらしいのです。本当にキリスト知っていれば、皆様の会社を生かすようになっています。一番最高の知識だとパウロは告白しました。最高を得たら、その次のことは、ちりあくただと思うと言いました。
 
・私が、いまはそうでないのですが、昔、私の年の長老たちやおとなは、服をいつ買うかというと、名節(韓国固有の盆・正月)に買って着ました。普段には服を買わずに、名節(韓国固有の盆・正月)になったら、買って、旧盆になれば新しい服を買って着たのです。いまはそうではありません。私と母が服を買いに行きます。私が見る時、良い服があります。見てみたら、高い服です。ところが、私の母はとても悪い服でもなく、とても良い服でもない、適当な服を選択するのです。しかし、私は良い服を見なかったら、関係ないけれど、良い服を見たゆえに、気に入りません。母はいつでもお金を考えるのです。子どもが私だけいるのではないためです。立場がこれだから、この服を着ようと言えば良いのに、母は私が見る時、この服が最も良いようだと話します。私が見たら、そうではないのに、これがおまえに一番似合っていると言います。すると私は買わないと言います。そのまま行こうと言うのです。私の母が、ではお前は何が最も気に入るのかと言います。それで、私は高い服が気に入ると言うのです。では母は、その服はお前にはよく似合わないと言います。倍に高い服です。しかし、結局、母が "目は高くて" と言いながらその良い服を買ってくれます。しかし、最も良い服を見て、他の服を見れば気分が良くないのです。すると、その残りの服が悪いというのではありません。最も価値あるのを見たら、他のことが価値がないのです。
 
・むかしに、私たち教会で信徒が、私が遠くに通うので、車をすこし安全なものを買わなければとして、以前には高価な自動車でコンコードという車があったのですが、その安全な自動車を買ってくれました。その日の夜にその車が出てくるというのに、朝に私が運転して太宗対に駐車して運動をしていたら、接触事故が起こったのです。事故をした女の人が電話番号を書いてくれながら、直しますと言いました。かまわないと言いました。この女の人がとても不思議そうに見るので、表面は正常だけれど、寿命が短い車両です。だから、知らないその人は、すまないと言いながら行くのですが、あまりにも良い人をみつめるように私を見ていました。理由があるのです。その廃車させる車両より、午後にはコンコードという良い車が来るからです。そうでないでしょうか? 私が廃車させる車を握ってしまえば、本当に悪い人です。そうではないでしょうか?
 
・私達は、本物を見たら簡単です。パウロが何と言ったでしょうか? 最高の知識を知ったと言いました。キリストを知ったのです。それで、キリストに発見されることを願いました。正しく悟ったのです。皆様にこの祝福があることを願います。キリストを理解するということは、救いだけ受けたのではなくて、事業にも成功します。キリストを理解するということは、救いだけ受けたのではなくて、政治にも成功します。それを知っている政治家が出てこそ、政治家になるのです。皆様がどんなに知っているふりをして、賢くて、大きい声を張り上げても、それを知らなければだめです。最高の知識、これをパウロは感謝しました。世の中に出てみれば、賢い人が多いのです。仕事をして、走る人が多くいます。しかし、その人に霊的問題があるならば、なんの効果もありません。パウロが、「私が本当に何でもないことを持って自慢したんだなあ、ちりあくただと思う。キリストを知る知識が最高の知識だな。それで、キリストに発見されることを願う。」パウロの感謝の内容です。
 
・そして、2番目は何でしょうか? 今は成功したのでもなくて、成し遂げたこともなくて、得たのでもない。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。キリストにあって。最高の目標、パウロはすばらしいのです。ですから、完全な救い、復活に参加しようとする、この完全な救われた人が行く、それを目標にします。パウロがそれを感謝したのです。そして、何を感謝したのでしょうか?
 
・他の人は、みな地のことを見て喜びます。パウロは上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのですと言いました。コロサイ 3章を見れば、神様のすべての祝福が上から降りてくるために、地のことを眺めず、上のことを眺めろとパウロが話しました。上に召してくださる神の栄冠に向けて付いていくのです。
 
・そして、パウロが4番目に話しました。3章 20節に、私たちの国籍は天にある。天の背景を持った人という祝福です。これが感謝の内容です。どれくらい感謝なのでしょうか。それで、21節にこういう言葉があります。「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」皆様、必ず記憶しなければなりません。万物を服従させることができる方の御力で、神様とキリストは万物を服従させることができるのです。イエス・キリストの名前で皆様の家庭の霊的問題が崩れることを願います。万物を服従させることができる方の御力で。
 
・キム・ヨンギ執事と日本に行ったところ、キム・テジン宣教師がりんごを二つくれました。私は話しだけ聞いていたので、そうなのだと考えただけでした。ところがキム・ヨンギ執事が見たら、リンゴ一個には本当に神様に感謝するという内容の紙が付けてあって、他のリンゴには、別に感謝のない内容が記されていました。驚いたことに、実際に一個のリンゴは、ピカピカしていて、他の一個のリンゴはしわしわだったのです。キム・テジン宣教師が証拠として持ってきたのでした。今日、あなたがたが家に帰ったら、全部、化粧台にリンゴを二つ置いて、一個は「神様感謝します」と付けて、他の一個は「神様、気分があんまり良くないです」と書いて見ましょう。驚くべきことです。まして、人のからだには、どのように作用するでしょうか?
 
・万物を服従させる方の、その名前を私たちにくださいました。それなら、私たちにはできない事がありません。真の感謝を回復して、真の祝福を回復しなければなりません。万物を服従させる方の御名、旧約でその名前、終わりの時代に現れた新約での完全な名前です。それで、本当に感謝しなければならないのです。パウロに話を聞きましょう。パウロがこう話しました。「私は生きてもかまわなくて、死んでもかまわない。福音に有益な方向へ行きます。」ピリピ 1章 20 - 21節です。本物を知ったためです。私が牧師按手を受けた時にした説教の内容です。生きても良くて、死んでも良い。どんなに苦しめられてもかまわない。イエス様も苦しまれて勝利されたではないでしょうか? ピリピ書 2章です。キリストを知る知識が最高の知識です。それなら、私たちは最高の栄冠、目標に向かって走って行く。それが今日のピリピ 3章です。貧しくてもかまわなくて、豊かでもかまわない。私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。ピリピ 4章です。
 
・パウロが本当に悟りました。今日、皆様が本当に悟って成功するように願います。この救いを知ったでしょうか。口からいつも感謝と賛美が出てくるでしょうか。エペソ1章です。バカでも悟れば感謝が出てきます。立派だった訳ではありません。この福音を悟ったら、あまりにも感謝して、伝道が最高に重要なことだな、エペソ2章。宣教がものすごく重要なことだな。エペソ3章。それで教会が必要なのだな。エペソ4章。これで社会と家庭が生かされるのだな。エペソ5章、6章。私たちの戦いはこれを防止するサタンとの戦いだな。エペソ6章。驚くべきことです。パウロが言った言葉です。本当に感謝を悟らなければなりません。聖書を見れば、献金するとして取って食べて死んだ人が出てきます。アナニヤとサッピラです。その人々がすぐにそのようなことを行ったのは、簡単なことではありません。何を持っているのかによって、人は出発が違います。何を見るのかにしたがって、行動が変わるのです。ペテロが何と話したのでしょうか? 私にあるものをあなたにあげようと言いました。人が何を学ぶのかが重要です。そして、私たちを見なさいと言いました。 何を見るのかが重要です。足のきかない者なので、見るものがありません。足のきかない者であることが間違いないのですが、ナザレのイエスの名前で起きて歩きなさい。ですから、何を持ったのか? 何を見るのか? が重要です。それに従って行動が出てくるのです。アナニヤとサッピラが、感謝する以前に、人々が自分をどのように見るのか? と考えました。人前でしていて、神様を欺いたのです。それよりもっと重要なことは、この人が救われていたのでしょうか? そうではありませんでした。
 
・皆様が本物ならば、答えがおきるようになっています。私は、はっきりとパウロの話しが分かります。キリストが最高の知識であることが間違いないのでしょうか? 間違いありません。大統領がキリストを知らなければ、大統領はむずかしいのです。経済人がキリストを知らなければ、家庭がむずかしいのです。それで、この前にも言いましたが、僧侶が訪ねて来ました。「先生、私が霊的問題で悩まされていますが、寺をみな建てて、明日、引っ越しするのに、今日、この教会の信徒に会って受け入れて、霊的問題が解決しました。それで、私が良心上、寺に行くことができなくて出てきました。」本当にどれくらいたいした人でしょうか? 決断です。帰りながら面白いことを話しました。先生、僧侶の中に霊的な問題に苦しめられる人がほとんどすべてです。苦しめられざるをえないのです。それで、私の説教を聞いて僧侶で気分が良くないならば、私の所に来てください。解決できる所がありません。
 
・キリストが最高の知識です。私は確かに確信します。それで、目標も変わって、栄冠も変わって、背景も変わるのです。皆様が本当にこの祝福を受けることを希望します。どのように感謝すべきでしょうか? 私たちは救われたゆえに、万物を服従させると言いました。私たちの学生達は、必ず記憶しなければなりません。 私たちは救われました。すると、最高の祝福に向けて挑戦しなければなりません。私たちは救われました。最善を尽くして走りましょう。私たちは救われた神様の子どもです。会社で、どこでも最高、最善の献身をしましょう。私は年をとっている人々の前では言いたくありません。私たちの学生達に言いたいのです。皆様は、神様の救われた子どもです。最高に向かって走りましょう。最善に向かって走りましょう。そして、最高の栄光を神様に帰して、最高の献身をしましょう。なぜでしょうか? 救われた神様の子どもではないでしょうか? それが神様に感謝する内容で、方法です。
 
・私は、クリスチャンを見ると、本当に残念です。今回も私がレムナントのために献金をしようと言いました。それで献金状況を見ました。どうしてか、産業人が牧師より献金を小さくしています。だから、皆様が信仰生活をする時、良くしなければなりません。今、分析をしてみたら、女性30台、40で経済問題を起こして苦しむ方達が50%です。深刻です。誤って習ったのです。会社に入っていけば、10倍に走りましょう。それが神様によく仕える方法です。会社に行けば最高に向かって走れと言います。そして、献身する時は、最高でしなさいと言います。そうしたあと死ねば、どのようにするのでしょうか? そのようなことはありません。死なないのです。神様が力をくださいます。それで、運動もして、そのようにしなければならないのです。学生達に頼みます。倒れたら、エリートではありません。日本人が書いた本の中に、エリート社員という本があります。最初のページを開ければ、エリートは健康でなければならないとあります。会社が揺れるのに、3日、4日睡眠をとらなくても、粘らなければなりません。一夜徹夜をしたから死んでしまえば、エリートがどこにいるでしょうか? それで、私は学生達を見て、弟子訓練の1種目、運動をしなさいと言います。牧師を見ても、体力を持ちなさいと言います。なぜでしょうか? 神様の子であるのに、ふるえていず、勇気を出しましょう。
 
・私が今回も、産業人が集まった時、申し訳ないけれどこういう話をしました。そのようにしないで、命令が下されれば、すべき特別な人を組織して押し進めなさい。教会に命令が下されれば、長老たちが集まっていくら、執事たちが集まっていくら、そのようにしてこそ、一般信者がついてくるのです。社会に行って、あなたがたは正しくしなければなりません。神様の子どもです。最高に向かって走りましょう。最高の祝福を持っています。最善に向けて走りましょう。なぜでしょうか?神様の子どもだからです。どこへ行こうが、そのようにしましょう。献金も一番多くしましょう。なぜでしょうか?神様の子どもが一番たくさんもうけて、一番多くしなければならないのです。それが神様の子どもです。こういう思想がなければ、常によろよろして、年をとっても行くところもありません。それでどのように生きるのでしょうか? そうであってはなりません。皆様は神様の子どもであるゆえに、キリストという答を持っていればできないことがありません。努力しなさいということではありません。キリストの中に驚くべき奥義が入っています。今日、皆様の霊的な問題が解決する感謝が本当に回復する祝福の日になることを望みます。伝道の門も開かれて、皆様が勉強をそのようにすれば、神様が力を与えてくださいます。
 
・キリストの中に全てのものがみなあります。キリストを知ってから、これは最高の祝福だな。それなら、私がどのようにするべきでしょうか? 最高に走れば良いのだな。釜山にきて、最高に走ろうとしたら、伝道現場を 30ケ所だけ走ることができて、それ以上は走れませんでした。ある牧師が見て、先生、このように走れば死にますと言いましたが、私は死ななくて、確かに生きています。それ以後に、3年後に外に行って働き手を立てて今まで走ったのに、いまは事実、釜山とソウルを行き来するのがしんどいのです。それでも、私の胸中に目標はあります。私は最高、最善に向けて走るのです。一千万弟子が起きる時までです。そして、神様の前に最高の栄光を帰すのです。これから、民族と国家を生かす正しい教会を作って、神様の前に栄光を帰すのです。ならないでも私の考えです。そうではないでしょうか。クリスチャンは、格好良く生きねばならならないでしょう。
 
・一度、警察が過ぎ行くのに呼びました。 "来なさい、どこの影島警察署ですか?" たずねたらそうらしいのです。私が "あなた方に対して話したいことがあります" と言いました。"感謝です。" 今、私たちの教会にたくさん集まったのですが、この近くの警察が善良です。食事でもしてくださいとお金 3万円を与えました。警察がそのように善良なのは初めて見ました。お金3万円を見て、がたがた震えました。すこしいたら、誰かが着たのですが、上の人がきました。あまり多いので、持ってきたのです。"心配しないで、食事してください。"と言ったところ、本当にですか、なぜくれるのですか? というので、私たちゆえに影島に車がたくさん入るでしょう。どれくらい支障になるでしょうか。東三第一教会、今、インマヌエル教会ですが、くるとすれば、無条件通過させてください。分かりましたと3人が行ったのですが、こういう牧師初めて見たと言っていました。
 
・それほど、私たちクリスチャンがけちに生きています。ちょっと格好良く、お金もたくさんもうけて、どこに言っても助けだけ受けず、助けてあげて、毎日他人の陰口ばかりせず、他人の弱点があれば手助けして、それがクリスチャンです。会社を助けて、会社が難しい時は、いのちも献身して、門が開けば福音を伝えて、それがクリスチャンで、福音を持った人です。それが神様に感謝する方法です。パウロを見ましょう。行く所ごとに人を生かす働きがありました。今日、皆様が本物の祝福を受けるように願います。
 
・私たちは習ったものもなくて、年もとっていてと言うかもしれませんが、そうではありません。祈りましょう。私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。この話をしたところ、年を召した、今80才になって引退した勧士が、私が前にいた教会の牧師の姉ですが、この人が説教を聞いて、正しいと思い、80才になっていつ死ぬのか分からないのに、このように死んで良いのか、勇気を出したのです。どのように勇気を出したかとすれば、幼稚部にきて、子ども達の履き物を整理したのです。毎週、子ども達が出てくる時、履き物がめちゃくちゃでした。それが小さなことではありません。そしてコメを使って、むかしポン菓子を作ったのですが、コメ一つかみで一袋になります。これを持って遊び場に行って、子ども達に分けてやって、福音を伝えました。子どもが初めはそれを食べようと集まったのですが、後ほどは福音を知るようになりました。年齢が80才の人が、不思議に神様がますます健康を下さって、年齢が多いのに、もっと健康に見えました。今くらいは100歳を越えたから亡くなりました。
 
・神様の子どもが何ができないでしょうか? 救われました。ものすごいことを受けたのです。私たち学生達が本当に神様の祝福を回復する貴重な恵みがあることを希望します。本当に祈りながらしましょう。ただ最高へ行けということではなく、最高に向かって祈りましょう。無条件に最善を尽くせば不信仰です。キリストにあって最善を尽くして祈りましょう。キリストにあって、最高に献身するように祈りましょう。すると良いのではないでしょうか。神様が確かに力を与えられます。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まるとき、あなたがたは力を受け、地の果てまで証人になります。
 
・特に私たちの多くの学生達、ここに育っている、そして、外国にある学生達はの皆様は、がんばって精神を整えて、「私は神様の子どもだ。戦って勝たねばならない。」と、なろうがなるまいが最高に向かって挑戦しましょう。方法は何でしょうか? 最善を尽くしましょう。すると、神様が共にされるのです。目標は最高の献身をすべきです。それで祈ればよいのです。事業する方達は、私は教会の家主の役割をすべきだと、心に決めて祈らねばならないのです。こういうものを教えてあげるべきです。クリスチャンが、あまり生活が良くなりません。毎日、倫理、道徳を正すのに、実際の生活がだめになっています。未信者に敗れるのです。毎日、律法の話しだけして、正しいのか、正しくないのか、この話しだけをして実際に敗れています。良い姿がありません。世の中を征服できないのです。
 
・私が産業宣教という言葉をなぜ使っているか知っているでしょうか。文鮮明が120国を掌握しました。これが産業でなくては、宣教ができません。私がレムナントという単語をなぜ使ったのか知っているでしょうか? この学生達に福音が入っていかなければ、体質というものがあって、これから社会がだめになります。それで、レムナントという単語を使いました。神様が 6年後に途方もない答えを下さったのです。今、あちこちにレムナント集会が起きています。私が今日出発してオーストラリアに行くのですが、レムナント間で集まって集会してくれと言われています。むしろ学生達がより活発です。米国には既にレムナントが自発的に起き始めています。
 
・家にいたら、誰かから電話がきました。私たちの子どもが変にいじめられて、締め出されのですが、先生の説教を聞いて、この子が福音を知って、その時から祈り始めて、今回、大統領賞を受けました。こういうことがあるのでしょうか。学校でいじめられてしょげていた子どもが、大統領賞を受けたので、夢のようだということでした。それを受けたゆえにキリストだということではありません。キリストの中にあれば、私が力を与えて下さるかたにあって、どんなことでもできるのです。皆様が本当に、感謝を回復することを希望します。感謝です。皆様が知らずにきたことです。本当にすべきです。
 
・今朝、屋上で運動をして祈りながら、今日は麦秋感謝祭なのに、私たちの信徒は何をまた知らずに来るのか、そのままくるはずです。私がどのようにすべきなのかと祈りもしてみて、他のことではなくて、小さいことが答えを受けます。それで今朝、こういう考えをしました。神様、本当に私たちの教会が、釜山、慶尚南道を福音化せねばならないのに、どのようにすれば良いのでしょうか? どのようにすれば、良い施設を速い速度へ持つことができますか? こういう祈りをしてみました。以前は、そのような祈りを多くしてみなかったのに、今日はどのようにすれば速く私たちのレムナントを起こして、正しくできるだろうか? 今どこかに 35億円の建物があるということですが、35億円は少ないお金ではありません。どのようにすれば、これが買えるでしょうか? まず祈りを始めていますが、あなたがたは神様のなかで最高に祝福を受けた人であることが確かです。これからは、本当に感謝を回復して、新しい出発をするように願います。
 
・皆様ゆえに職場が生かされ、皆様ゆえに地域も生かされ、皆様ゆえに他の人が生かされ、皆様の学生ゆえに学校に神様の証拠が現れて、気落ちしないようにしましょう。むかしに、大学生が恵みを受けて、私に手紙も送って、カードも送ってくれます。いつでも見れば'レムナント''先生の右腕' 全部みな右腕が多いのです。'先生の永遠な右腕' このようにたくさん送ってきます。学生達が卒業した後に、その手紙が来ません。それで左腕になったのか、腕が飛んで行ったか? 手紙が来ないのです。子どもの顔色をうかがうと、力が抜けています。今は私を見れば、恥ずかしくて頭を下げて通ります。可能ならば、目が合わないように。なぜでしょうか? 外に出かけると、難しく感じられるのです。気落ちしないで、錯覚しないで。小さい沈着に 契約とらえて祈れば、そこに確かに道があります。ヨセフが錯覚していたなら、うろたえていていたなら、どのようになるでしょうか? 夢にも考えてみなかった奴隷になりました。想像もすることができなかった監獄に行くようになりました。そこでヨセフが精神を整えて祈るようになったのです。それが道です。学生達がそのように考えやすいのです。あなたがたは神様の子どもです。この救いを受けた驚くべき祝福を回復することを願って、新しく出発する神様の子どもになることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
 神様に感謝申し上げます。イスラエル民族が荒野で死ぬのかと思っていたのに、神様はあれこれ恵みを与えて下さって、穀物をささげる麦秋感謝祭をささげたように、今日、私たちに、五旬節、麦収穫祭をささげるようにしてくださったことを感謝申し上げます。今日、完全に回復する時間になるようにしてください。私たちの信仰も回復する日、感謝も回復する日、私たちの生活も回復する日、私たちの心も勇気をもらう日、新しく出発する日になるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部 / どのように感謝しなければならないか??
(ピリピ4:10-13)
 
・今日の1部には、何を感謝すべきか? 今日の2部には、どのように感謝すべきか? 重要なみことばをお分かちします。聖書には多くの人物がありますが、パウロを持って話します。今日、皆様に最も多くのことの中で、重要なことが必ず起きるようになることを願います。私達が信仰生活をしながら、本当に感謝する、その内容が何で、方法は何なのかが、とても重要です。それで、私は多くの信仰生活をするなかで、習ったことがたくさんなくて、経験はたくさんないのですが、神様が私に少しタラントをくださいました。どんなタラントでしょうか? 漢字です。私は、別に勉強したことがないのですが、見てみな習いました。表札を見て習ったのです。私の村におじさんの名前を私の父が'ユン誰々さん'と言うと、あ! あれが'尹'という字なのだな。中に字が'洞'という字だな、'陣'という字だな。そうしたあと見ると、今でも性格がそのような部分に趣味があります。この前、飛行機に乗って、見えたのが、金偏に本という'鉢'という字でした。それでこの'鉢'の字を知らないと言ったら、インターネットで教えてありました。漢字をよく知っている方達が、この字はこういう字ですと教えてくれていました。やさしい話で、僧侶が使うご飯茶碗で、'鉢'という字です。あ! それならその近所は分かる気がします。その近所はどんな近所なのかと考えました。そのような部分が、趣味というか? 性格というか? です。
 
・こういう部分が信仰生活にも、他の生活にもそうです。私がこの話をする理由は、信仰生活をこのようにすれば良いのか、これを探すことができなかったのです。信仰生活はこの人のようにすれば良いのか。こういう部分を探すことができなかったのです。それが、私の人生で、ほとんどさまよった時期でした。私は性格がよくなくて、適当に信じることができませんでした。このように信じれば良いのだな、この部分が発見できなかったのです。率直に、私は、同じ信者を見ながら信仰が生じないで、教会にきて信仰生活をすれば信仰が生じないで、発見ができませんでした。そのような中に、神様の祝福を発見するようになったのですが、ひとつずつ見て、僧侶の子どもや、ムダン(霊媒師)の子ども、こういう人々が全部、霊的な問題がきて滅びるのを見ました。その中一名ももれなくです。ところが人々は愚かなように、その人の所に占いにいくのです。悪霊につかれた人に、私はそれを発見しました。そうだな。それで精神病院に入院している人々がほとんどみなそうです。
 
・今日も来ながらキム・ビュンス長老と話をしました。私が行く所を見れば、特別な事は起こりません。しかし、一番難しい部分は、精神病患者です。隠れていていて、飛び出すのです。こういう人々を見れば、ほとんど霊的問題に苦しめられて、家庭の偶像問題、それであのような人々は本当にかわいそうな人々だと思いました。私が過去に感じることができなかったことが、イエスを信じる人々が、ほとんど失敗するということです。それで、教会に通う魅力がありませんでした。それで、私の人生が失敗した最初で、悟っていない部分です。教会に通う人は、ほとんど失敗するので、あ! 教会に通えばみな失敗するんだなと考えました。では、教会に通う必要がありません。肉体的に考えれば、信仰がないからです。その理由を知りました。
 
・そして、私が人生で発見したことが、偶像崇拝する人々、なぜ他の神々に仕えるなと言われたのか分かりました。何ゆえに、偶像に仕えるな、占うなと言われているのかが分かるようになりました。それが全部、霊的問題がくるからです。私がこれを本当に発見したのです。どれくらい感謝したでしょうか。それとともに、発見できた部分が、成功した人々に会うようになったのです。将軍、大統領、財閥と会いながら、本当に不思議に一名も残らず、その方の後には霊的問題が深刻でした。あ! それで福音を伝えなさいと言われているのだ、それを知るようになったのです。
 
・3つの答が出てきました。教会に通っても福音を知らなければ仕方がありません。偶像崇拝するのも、教会にそのまま通うのも同じだな。それで霊的問題がくるのだな。あのようにどんなに成功しても、福音がなければ問題がきます。それで、どんなに成功しても、福音がないから、結局、問題がくるのだな。このように発見できました。このようになったので、どれくらい感謝したのか分かりません。それで私は、どのようにすれば、この説明を滅びる前に私たちのレムナントの中に植えるのか? 使命を持ちました。「切なる願い」になったのです。どのようにすれば牧師達の胸中に、これを植えて牧会を滅びないようにできるか? どのようにすれば、聞くことがいやでも、ずっと話して、私たちの聖徒達の胸に植えて、滅びないようにするのか? 私は確かに見たのです。みな滅びます。私が幼い時から見てきたのです。教会、未信者達がみる時、そのような教会は行く必要がありません。伝道の門もふさがります。人々は知らずに占いにいきます。霊的な問題がくるのです。精神が狂って、問題を体験します。それを知らなかったのです。どうして、これを話さないでいられるでしょうか?
 
・今日、私たちのレムナントがきて話すのに、学校ができて初めて出たような成績を持ってきました。福音を持っているから問題ありません。舞踊する姉妹、また神様の祝福を話しました。私はそのような話を聞く時ごとに、本当にこの人たちが福音で勝利しなければならないと願います。私がなぜかこれを知るようになって、悟ったのか、それでパウロが述べた言葉が全部分かります。ほめたたえられますように。私たちの主イエス・キリストの恵み! 世界の基の置かれる前から私を選び、神様が私を召されました。それで神様が私を召されたものすごい希望に賛美が出てくると言いました。その話しだな。何かが変わります。
 
・今日1部には感謝しなければならない内容です。パウロが何と話したのでしょうか? キリストを得たから、みな得たと言いました。理解できるでしょうか? キリストを正しく知っていれば、救われて、事業も成功します。私は確実に説明できます。キリストを知っていれば、救われて、政治に成功します。キリストを知っていれば、救われて絶対に滅びません。その単語がキリストです。この途方もない単語を知らないでいる、それで説明してあげるべきなのです。だからどれくらい感謝しているでしょうか? それで、パウロがキリストを得たので、以前に知らずに自慢したことをちりあくただと思うと言いました。今はキリストに発見されることを願うと言いました。それで、キリストの手で捕えられたこと、そのことを握って行く。上から召された栄冠を得るために行く。パウロが話したのです。私たちの国籍は天にあります。背景を言いました。それゆえに感謝したのです。これゆえにパウロは死んでもかまわないと言いました。本当に発見したのです。私がこういう信徒に、幼い時に会うことができませんでした。教会に通う必要がありませんでした。時間を使って、お金を持っていきながら行く必要がないでしょう。真実で私が青年の時、こういう信徒を発見できませんでした。
 
・今、政治家たち、経済人達、目がくらんで発見できません。これを説明してあげるべきです。それが伝道です。皆様、本当に私の説教を聞く方か、インターネットやテープを聞く方達は、家の後には途方もない問題があります。深刻です。私は知りませんでした。元々、その人だけがそのようなのかと思っていました。皆、嘘を言っています。私は芸能人や、美術、芸術をする人々は、限りなく深く入っていかなければならないために、こういう人々により関心を持って、霊的な福音の根をおろさなければならないのです。それで、私たちのレムナントに教えてあげるべきです。知っていれば、ほとんど解釈ができます。それでパウロがとても感謝すると言いました。それでパウロは希望を持ってローマまで行くと言いました。
 
・それで私は1部礼拝の時に頼みました。皆様は神様の子どもであるゆえに、最高の計画を立てましょう。神様に子どもであるゆえに、これからは最善を尽くしましょう。神様の子どもであるゆえに、これからは最高のことを献身しましょう。私はそのように教えたいのです。私たちのレムナントと使命者、私たちの教会で育った青年達に言いたいのです。神様の子どもだから、心配せず、最高に向かって挑戦しましょう。方法は最善を尽くしましょう。成功したら最高のことを神様にささげましょう。私はそのように堂々と言ってあげたいのです。それが信仰生活の内容です。
 
・すると、皆様がおわかりの通り、そんなにも苦しんだ時代に、答えを最もたくさん受けたパウロは、最も多くしたことが何でしょうか? 感謝を多くしました。どのように感謝したのでしょうか? 救われた祝福が事実ならば、どのように感謝するのでしょうか? 説明する必要もないけれど、助けになるために3つのことを発見しました。それを説明します。今週に祈りを始めるべきです。その一番目が何でしょうか? 福音が本当に事実ならば、神様の子どもであることが事実ならば、この祝福が事実ならば、何から変えなければならないのでしょうか? 考えから変えるべきです。今日の本文を見れば、パウロが話すのに、とても感謝する、しかし、なくてもかまわないと言いました。パウロが監獄にいた時、宣教献金で手助けしました。その時にパウロがとても感謝する、しかし、なくてもかまわないと言ったのです。私は貧しくてもかまわなくて、豊かでもかまわなくて、この人の考えを見れば、私を強くしてくださるかたにあって、どんなことでもできるのです。パウロが今言う話です。
 
・皆様、信仰生活に感謝する方法。私がどんなに感謝しろとしても、それはむりやりです。本当に考えが変わるべきです。ヨセフを見れば、神様がお母さんを早く呼んで行かれ、祈る中に神様が途方もない祝福を下さって、世界福音化するヴィジョンをヨセフが握ったのです。ヨセフが奴隷で行ったのに、気落ちしなかったのです。考えが違います。監獄に行っても気落ちしませんでした。監獄で終身刑を受けても、気落ちしなかったのです。兄達に会っても恨みませんでした。信じる者は祝福を受けます。しかし、最も重要なことは、ヨセフが持っていた考えです。
 
・ヨブをご存知ですか? 旧約聖書で本当に祝福を受けたヨブです。私はあなたがたが人生をむなしく生きないで、惑わないで、神様の祝福を受けることを希望します。何ゆえに失敗して、惑ったのでしょうか? 皆様、病んで後悔しても良いのでしょうか? 滅びて後悔すれば良いでしょうか? 皆様の子どもが精神病を病むようになって、後悔すれば良いのでしょうか? 何ゆえにそのようにするのでしょうか? 今、この契約を捕まえて勝利しなければなりません。この救いが事実ならば考えから変えましょう。きて報告するのに、「ご主人。今、大変なことになりました。暴風がきて、財産がみななくなって、子どもが死にました」その時にヨブが何だと話したでしょうか。「主は与え、主は取られる。私がくる時に裸できたし、行く時にも裸で行く。主の御名はほむべきかな。すべてのものは、神様からだ。」ヨブが言った言葉です。このサタンは、ヨブを攻撃できませんでした。病気になりました。病気になったので、友人がきて慰めることが、あざけりです。病気になって見ましょう。誰かがきて慰めて、慰めになるでしょうか。私があさって死ぬ時なのに、友人がきて花を持ってきて、言うことがなんの意味があるでしょうか。匂いだけ出て、それが慰めになるでしょうか? 友人が言う話しは、慰めにはなりません。夫人まで言うのに、あなたがどれくらい悪いことをしたので、罰を受けるのかというのに、対話ができません。後ほど友人がきてヨブを見てあざけるのに、その時、ヨブが言った言葉です。ヨブ記19:25 「私が知っていることでは、私のあがない主は生きておられ、後の日には彼が地の上に立つと。私のこの皮、これが腐った後に、私は肉体の外で神様を見るだろう。」この人の信仰を見ましょう。後ほどは困難にあうので、人々がおかしな話をしたでしょう。ヨブ記23:10-12 「私の行く道をただその方がご存知であるから、その方が私を鍛えられた後には、私が純金のように出てくるだろう。主なる神さまにこういう事がたくさんあるので、必ずご自分みこころを成し遂げられる。」ヨブは成功しました。すでに考えが違います。途方もない祝福を受けました。ヨブは、全部回復したのです。その時、ヨブが悔い改めの祈りをしました。'神様、私は神様に悔い改めます。何を私が以前は、主に対して耳で聞いたのですが、今は目で見るようです' それを見ましょう。すでに考えが違います。
 
・皆様、本当に救われた人は、どのように生きているのでしょうか? 考えが違います。ダビデを見ましょう。そのようにもサウル王が殺そうとするので、逃げて回りました。「主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。」「王様、あの王は精神が狂って、国が滅びるようになります。」ダビデに付いて回る軍人は、賢いのです。「あの人を速く処理せねばなりません。そうでなければ、国が滅びます。」「主が油を注がれたしもべを私達が手をつけることはできない。」シムイに向かって、あいつをつかまえて死なねばならないことなのに、シムイを見て何と言ったでしょうか。「神様がさせる事ではないだろうか。」考えがすでに違います。
 
・パウロの話を一度見ましょう。私はパウロを見ながら、本当に祝福を受けるしかないと思います。「この救いの恵みがどれくらい感謝なのか、私は生きても良くて、死んでも良い。基準は福音が宣べ伝えられる方向へ行く。」朝に話したのですが、それがピリピ1章です。監獄で言った言葉です。皆様ならば、どのようにするでしょうか。保釈で出すか、何で出すか、とにかく私出してくれと言うでしょう。パウロが今、何と言っているか知っているでしょうか。生きても良くて、死んでも良くて、この人が本当に普通の人ではありません。祝福を受けるしかありません。私が苦しんだらどうなのか、キリストが苦しまれたのですが、万王の王として万軍の主として復活されたではないか。ピリピ書2章。キリストが最高の知識であるのに、心配することが何があるのか、それが3章です。私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。パウロが言った言葉です。この人が考えたことを見ましょう。皆様、信仰生活を新しく出発する開始があることを望みます。
 
・すると、良くない事が起こることをどのようにするのでしょうか? 問題がくるのをどのようにするのでしょうか? 教会の中に問題がくるのをどのようにするのでしょうか? 私の妻が間違ったことを、どのようにするのでしょうか? 私の夫が間違ったことをどのようにするのでしょうか? どのようにするのでしょうか。感謝しますとじっとしているのでしょうか。そうではありません。問題は、方法が違うのです。その方法が、普通の恵まれる祝福になる方法ではありません。違うのです。ここであらゆる祝福がみななされるのです。ここであらゆる方法がみな出てきます。皆様、必ず回復することを望みます。本当にです。本当に救われた人。単なる祝福ではありません。パウロはどのように世界征服したのでしょうか。救われた祝福をどのように感謝したのでしょうか。考えがすでに違います。確かに違います。
 
・私は働きをしている途中で、こういう場合がありました。私と共に働きをする同僚が、とても異常でした。そのようなことがあります。そのような時、神様の計画とこの人が本当に祝福を受ける秘密と、私が本当に神様の前に恵みを受ける機会を、数十回、数百回祈りました。私はそこでメッセージをみな発見したのです。本当にです。それが聖書的な方法ではないでしょうか。それが救いの感謝の秘密を味わうことです。そのようになれば、あっちこっちが恵みとなります。パウロを見ましょう。私たちは今から完壁にパウロのように、すばらしく生きようということではありません。しかし、この部分を解決できなければ、絶対できません。信仰生活をする方達に最も重要なのが何でしょうか? 考えです。結局は考えの中に浸ります。皆様の人生がどこで終わるのでしょうか。考えの中で終わります。なにか紛らわしい考えならば、結局、紛らわしい人生に陥ります。考えが否定的ならば、結局、否定的な所に陥ります。止むを得ません。未信者が言った言葉です。'運命は自分が作る'という言葉です。そのような話です。事実は私が作ったことです。とても重要です。数時間を使って話すことができません。
 
・パウロが今日、2番目に物質に対する感謝と人に対する感謝が出てきました。これも変えるべきです。 パウロがとても重要な福音を悟った後に、この人の考えを変えたということと、今日の本文に物質に対する感謝、人に対する感謝が出てきます。必ず記憶するように願います。
 
・私たちはいくつかのことを考えなければなりません。学生達が勉強をしたり、教役者が信仰生活をしてみるならば、物質を他の人が手助けしたり、私たちに住居や仕事をして謝礼をもらったりする時、感謝を知りません。 それは誤ったことです。私たちはしてみるならば、真実の感謝を知らない時があります。誤ったことです。今日、パウロがものすごく感謝しました。反対に、全てのものを物質に依存してお金があるべきで、お金がなければならない。それも誤ったことです。そのような信仰を持っていてはなりません。
 
・私はそのように考えます。私達が億万の負債を負って死ぬとしても、神様のみこころならばすべきです。小さなことでも、神様のみこころでなければする必要はありません。確かにそうです。神様が私たちの必要を満たされます。すると、心配する必要がありません。私が見る時には、私たちクリスチャンが、物質観を速く変えるべきです。何でもないことのように見えても、私が見る時には両極を走っています。お金に対してあまりに知らずにいるようです。世の中ではいっぱい使っても、教会にきては献金しません。その金を持って世の中にはみなするのに、絶対に神様の前ではしないのです。それとともに、物質に対して、あまり貴重性を知りません。あまり お金! お金! お金、なければできないと言います。どうしてそうなのでしょうか。それは霊的自尊心の問題です。お金がなければできないでしょうか。神様のみこころならば、しなければなりません。今、パウロを見ましょう。宣教費で手助けしてくれて、とても感謝する。しかし、私はなくてもかまわない。私を強くしてくださるかたにあって、どんなこともできるのです。皆様必ず記憶せねばなりません。アンテオケ教会はどの程度でしょうか? 最高の教会、有益な人を宣教師として派遣しました。皆様ならばできるでしょうか。私たちの教会で最も必要な人を宣教師としたアンテオケ教会です。予算を持ってほとんど 90% 惜しんで、惜しんで、宣教費として出します。アンテオケ教会は、すごいでしょう。今日、パウロが手紙を出した教会は、ピリピの教会です。その人々の予算は、ほとんど違う宣教費を出しました。パウロならば、どのようにしたでしょうか? 自らの全生涯、全財産をみな出したのです。物質観はなにを話すかというと、みな出したことが問題ではありません。この人達が物質に対する正しい考えと感謝があったのです。今日、皆様が経済の祝福を受けるように願います。
 
・私は人々が経済に対してあまりに知らずにいるという事実を知りました。経済がどうでも良いというのでもなくて、悪いこともありません。ただそのままです。自分の信仰と人格と信仰と私の人生を動かすのに必要なことである以上でもなくて、以下でもありません。パウロがそこに対する告白です。一生、信仰生活する方法を言うのです。お金を無駄に使ってはいけませんが、しかし、お金をだますこともしないで。私たちはお金について行くこともせず、お金ゆえに何もしないで。それが私たちについて来るべきなのです。パウロが一生の間生活した考えを言っているのです。今日の1部の時も話したはないでしょうか。私達が物質の祝福を受けるのは、そんなに難しいことではありません。
 
・事実は、私が昨日1部の時、話しました。私の頭を見てください。本当にお金を儲けることは難しいことではありません。時間ごとに感じます。私の場合は、髪が長ければおかしいのです。切らなければならないのですが、少しずつ少しずつ切ります。光州に集会しにいったのですが、髪が長くておかしかったのです。土曜日、釜山に帰ったら、私の髪を刈ってくれる執事の所で切れば良いのですが、そこで行って、髪を刈る人に対して、お願いをしました。本当に10回言ったのです。 "社長さん、国会議員やアナウンサーを見たでしょう。その次に大統領が出てくるのを見たでしょう。頭が常に同じですよ" "そうだ" "そのように切ってください" 少しだけ、切ったかどうかわからないように切ってください。私は床屋に一週間に一回ずつ行かねばならない立場です。なぜなら、いつも説教せねばならなくて、ビデオを撮ってインターネットで出すために、髪の毛を切らなければならないのです。まず話を5回して始めたのです。分かったと言うのに、どんどん切るのです。はなはだしきは、祈りがみな出てきます。これで終わったかと思って待ったのに、また切るのです。それでいっそのこと逃げました。この人が言うのに、「私が誰なのか知らずに、いや人をそのように信じられないのか、20年以上髪を刈るのに、私が分かって切っているのだ。」本当にいままで私が出会った理髪師の中で、頭一週間分だけ切ってくださいと言って理解した人がありません。残念です。行ったとすれば、すごく短くします。とても苦しくて、美容院を探しました。美容院を訪ねて、私たちの執事に脅迫するように、圧力入れるようにして少しだけ切ってくださいと言いました。あなたがたもおわかりの通り、髪の毛がおかしくて、そして頭が大きくありません。頭が異常です。それで髪の毛でカバーするのに、この話をわかる床屋がありません。それで、お金を稼ぐのは、本当にやさしいな。正しく頭だけ切っても、理髪師はお金を儲けるのではないか。正しく薬だけ作ってあげても、薬剤師はお金を儲けるのではないでしょうか。正しく頭だけしてあげても、美容師はお金を儲けるのではないでしょうか。何でそんなに難しいのでしょうか。ちょっとせつないことです。一つも難しいことではありません。
 
・私たちは何でしょうか? 神様の子どもは物質が基準ではありません。未信者は物質が基準ですが、私たちはそれが基準ではないのです。私たちは神様のみこころならば、あらゆることができます。今日、パウロのように決断するように願います。自分の生涯を福音のために全生涯を捧げて、主の前に行く。これがパウロの信仰生活の方法です。パウロの信仰生活の一番目の方法は何でしょうか?考えがすでに変わっていました。何で方法がいつも感謝。監獄にきても感謝。どうしてそうなのでしょうか。無理にそのようにしたということでしょうか? そうではありません。皆様早く回復すべきです。
 
・信仰生活に必ず成功しようとするなら、3つを回復せねばならないのですが、最初の方法が何でしょうか? あらゆる事に感謝です。ダビデがあらゆる事に感謝しました。単なる感謝ではなくて、神様のみこころを発見したのです。皆様の中にがっかりする人がいるでしょうか。気落ちしないで。今から深く考えてみましょう。正確に、神様のみこころを発見するようになります。そして何でしょうか? 物質観です。信仰生活の方法がいくつかあります。
 
・2番目、物質観。今日の本文を出てきたとおりするならば、物質があってもかまわなくて、なくても良いのです。私たちクリスチャンは、お金ゆえに生きるのではありません。お金が私たちゆえにあるのです。それで、あなたがたは成功して、それで世界福音化しましょう。
 
・今日、三番目。パウロがこういうことを話しました。私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。それから、人生の重要な態度を話しました。生きる方法の中で、貧しくてもかまわなくて、豊かでもかまわないのです。私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。この話は、私たちの現住所が、江南区道谷洞大峙洞ではなくて、キリストにあって、私たちの現住所が、あそこ京畿道ではなくて、キリストのなかでです。方法は何でしょうか? どんなこともできるのです。皆様がこの祝福を捕まえてくださることを望みます。皆様がキリストの中にあれば、どんなことでもできます。間違いありません。事業を全部キリストの中へ。全てのものができます。勝利するしかありません。これがパウロが世界を征服した神様の祝福です。皆様が必ずのがさないように願います。
 
・私が出会った人々に話をした中でも、私が見た本もそうで、ほとんどこの祝福をほとんどのがしています。これは重要なことです。なぜ重要でしょうか、感謝に対するこの祝福がなければ、皆様の運命がそこに決定されます。2番目のことを知らなければ、経済の祝福を本当に受けることができません。教会の中に例えば予算問題がなくなります。実際に、心配しなくても良いのです。これが、私達がよく知らないのです。ほとんどすべてがそうです。そして、私たちは現場で現場に勝つべきです。私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。その話は、キリストのなかで、現場で味わえば勝利するということです。現場の祝福を本当に受けるように願います。この契約を本当に持っていれば、それで少しだけ祈るならば、神様の驚くべき祝福を受けるようになるはずです。
 
・私は、私たちの弟子に、こういうことを話してあげます。全てのものを受け入れて、全てのものを超越しましょう。強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。今日、のがさないように望みます。1部礼拝は、感謝せねばならない内容です。今日の2部は方法です。方法は何でしょうか? 本当にあなたがたは感謝することができる考えに変えるべきです。
 
・2度目は何でしょうか? 本当に経済に対する目を変えるべきです。
 
・三番目は何でしょうか? 現場です。私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。確かです。この契約だけ握れば、簡単に捕まえれば良いのに、私が今、影島の中に入っていき、15年前に釜山でこの契約を捕まえて祈りました。私は今、何をしているのでしょうか。世界一千万弟子が起きるように祈っています。皆様、単なる話ではなくて、この契約を捕まえないと、ものすごく多くのことをのがすようになります。ここで必ず祝福を受けることを主の御名でお祈りします。もう一度、ここに対する重要性を話して、私たちは、今週から新しく始めねばなりません。私の考えが感謝に変わらないと、どのようになるでしょうか。皆様、結局、その運命の中に陥ります。まちがいなくそうです。ひょっとして、聞くこといやかもしれません。しかし事実です。
 
・私が知っている役員は、とても賢い方なのに、いつも出てくるのは、批判でした。自分勝手になりません。そんなにしようとしないのに、どんどん出てくるのです。とても批判を上手にやるので、多くの人々が聞いて悟るのです。しかし、本人は無視させられます。本人は、その霊的問題に勝つことができません。年齢が 50を過ぎないで、霊的問題にぶつかりました。それで、私が執事。とても良い方で、私と親しかったので、理解しなさいと言いました。感謝しなさい。これが理解できないようでした。性格がそうです。学校の先生なので、学校に行く時にも自転車に乗って行きます。家は、元々お金が多かったのです。どれだけ清潔な人でしょうか? 自転車に乗るのに、その時、私が伝道師だった時でした。 "伝道師。この自転車がいくらなのか分かりますか。いつ買ったのかわかりますか?" 今週にお買いになりましたか? "買って10年になります" どれくらい磨いてあったでしょう。そのような人です。とても清潔で賢い人です。家でもとても良くしておきました。しかし、あまりに批判的でした。感謝がありません。残念なことに、その方と私と親しかったのです。私をたくさん手助けしてくれていました。ところが、その方がある日、霊的問題が深刻に来るのに、抜け出せないのでした。本当に怖いのだなと感じました。聖書で感謝を回復しなさいというみことばは、怖いことだなと感じました。
 
・私達がすぐに生活に最も近くある問題が経済問題です。この部分に対する方法を知っていなければなりません。経済は、神様がくださることですが、パウロは神様が希望されることをすればピリピ4章 19節の "私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。"のようになると言いました。私達がお金が全くなくても、力が全くなくても、神様が願われることをすれば、成功するようになっています。
 
・そして、今から完全に勝利する方法があります。それが三番目です。 "私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです" ソウルに住むと言う時、ソウルの前に何が入るのでしょうか? in が入ります。 それが、ギリシヤ語では「アンド」です。したがって、どこにあるのでしょうか? キリストのなかでです。"私を強くしてくださる方の中で、どんなことでもできるのです" これが私たちの方法です。とても簡単に見えるけれど、ものすごく重要なのです。一人も抜けず、この契約を捕まえて勝利するように主の御名で祝福します。
 
・私たちに機会が与えられました。皆、参加するのではないけれど、祝福はみな受けるようになるはずです。 今日から、インマヌエル教会では断食祈りが始まりました。どんなことが行われるか、見るように願います。釜山で私達が一名ずつ回りながら断食祈りをしました。どんなことが行われたでしょうか? 私がソウルまでくるようになりました。驚くべきことです。35坪の地下で壁に名簿を付けておいて、断食祈りを開始したのです。福音を持った人の断食祈り、契約を持った人の断食祈りは違います。その時から祈りを開始したのに、どこまで来たでしょうか? 私がその時から今まで疲れないで全世界を回っています。どれくらい驚くべきことでしょうか? 神様の恵みです。第 2の祝福が始まることを願います。私の問題をどのように解決するのでしょうか? 断食しながら、契約を捕まえて祈り始めることを願います。霊的な問題をどのように解決するのでしょうか? 福音のなかで祈るように願います。皆様、学生達の中で、シンナー、ガスのようなものを切ることができなかった人々がいるでしょう。キリストのなかで断食しながら祈ることを願います。これから、私たちの教会にどんなことが起こるでしょうか? 祈るように願います。回りながらなさるように願います。
 
・むかしに釜山で断食しながら祈りをしたのですが、聖日の断食祈りがある執事でした。それで、私は会社員であるから、聖日に断食するのだなと考えました。それで聖日に会いました。それで私が "今日、断食なのに、ご苦労さまです"と話しました。そうしたら執事が "今日、私の順番ですか"と話しました。それとともに、知らなかったと話しました。今日、昼食をみな食べたのにと話しました。すると、来週にまたしなさいと話しました。それとともに、一度ずつ食べても働きが起きるよと感じました。それが何の話でしょうか?信徒が心を集めたということが重要なのです。神様は悪趣味でしょうか? 私達が飢えれば答えをなさって、腹がいっぱいならば、答えてくださらない、そのような神様ではありません。皆様、断食をしてみましょう。ものすごく澄みます。考えがみな変わります。自分自身が破られます。私は3日断食して、家に帰って初めて悟りました。家内の料理の手並みが良いということを知ったのえす。みな人々は、腹がいっぱいなので言うのです。多くのことを悟りました。してご覧になることを願います。
 
・聖書を見れば、イスラエルが本当に危機に置かれて、どうすることもできなくなりました。権力があるハマンという総理が、モルデカイにきてユダヤ人を全部殺そうと計画を立てたのです。皆様も知っているとおり、権力者にどのように勝つのでしょうか? ところが、ハマンはひとつを知りませんでした。王宮の中にいたエステルという女性がユダヤ人ということを知らなかったのでした。それが失敗でした。聖書は、面白いことに、エステルが王宮の中へ入っていく時、モルデカイという人がエステルにユダヤ人という事実を言うなという内容が出てきます。本当に不思議に思わないでしょうか? こういう事がくるとは、誰が知っていたでしょうか? この時、モルデカイがエステルを探して行きます。そして、モルデカイが行って話しました。「今、私たちの民族は死ぬようになった。今、王の前に行って急な事実を早く知らせることを願うと話しました。全部、死刑を受けるようになった。ユダヤ人が全部、逆賊に追い込まれた。ところが、あなたはユダヤ人でないか? 神様がこの時のためにあなたを王妃にするようにされたのではないか? 万一、あなたが口を静かに閉ざしているならば、神様は私たちを確かに救い出されるが、あなたとあなたの父の家は滅亡するはずだ」と話しました。むかしと今とは違います。そして、大統領と王とは違います。王がいる家に現れると、死刑です。なぜなら、それは王を殺そうとするかもしれないからです。王の臣下ではない他の人が、食べ物を持っていけばだめです。なぜならば、毒薬が入っていることがあるためです。むかしには、王が一生するために、死ぬ、生きる事が大変な事でした。ところが、エステルが呼ばれることもなかったのに、行くことが出来ない事でした。呼ばれることもなかったのに、臣下が王宮に行くことは死刑でした。ところが、イスラエルは今、死ぬようになったので、3日しか残っていなかったのです。その時、エステルが何と話したでしょうか? 「私が死ぬ覚悟をして王の前に進みます。話して死にます。あなたがたは、私のために断食してください。私も断食します」と話しました。聖書を見れば出てきます。エステルが断食して、王の前に進みました。ところが、何のことか? 王がエステルを見たら、どうして来たのか、どのようなことで王がいる執務室に入ってきたのか? そのように話さねばならないのに、王が持っていた金の杓をくれたのです。それは、王が最高に気分が良いという意味です。だから、王がエステルがきたのに、どうして来たのかと尋ねました。王が体面上、呼ばれなくてもとても会いたかったのかと思ったようでした。気が抜けて、国半分でも与えると話しました。この時、エステルがある話を全部みなせねばならないのに、元々祈りをする人はそのようにしません。エステルが "王様、私が住んでいる家で宴会をするので、王様が直接来てくだされば良いです"と話しました。だから王が " それが何で難しい事か? 行く" と話しました。今、外では断食祈りをしていました。そして、王がその翌日に行ったのです。なにぶん不思議で、王がまたたずねたのです。皆様ならば、すぐみな話したでしょう。エステルは、そのようにしませんでした。エステルは、祈りながら灸をすえました。エステルは王様に "もう一度だけ食事を接待したいとのですが、その時は総理と一緒に来てくださるように願う" と話しました。その日、夜のことでした。王が寝られなかったのです。寝られないようになさるのも神様です。王が眠れなくて、何か記録を見たら、王が危機にあった時、いのちをかけて防いだ人がありました。その人が死刑を受けるようになったモルデカイでした。それで、王が異常だと感じるようになったのです。その翌日、王室に総理が入ってきたので、王が総理に "私のためにいのちをかけた臣下がいるならば、どのようにせねばならないだろうか" と尋ねました。総理のハマンは錯覚をして、自分だと思って"そのような人がいたら、王の服を代わりに着せて、馬車に乗せて全国を巡回しなければなりません"と話しました。王が "すると、モルデカイにそのようにしなさい" と話しました。これがなんのことでしょうか? ところが、エステルが宴会をして、そこに王がきました。ハマンも一緒にきたのです。ハマンは、ご飯の味が分かりませんでした。一晩中、何事かあったと思ったのです。誰がしたのか? 神様がなさったのです。その時、王が " 王妃エステルよ。どのようなことか?"と話しました。 "なぜ、ずっと宴会をしながら私を呼ぶのか。話しなさい。私は国半分でも与えることができる" その時、エステルが " ひとりの陰謀で私たちユダヤ人がみな死ぬようになった" と話しました。 "私は、ユダヤ人の娘です。私が敢えてむやみに王様にみことばを差し上げることができますか。ユダヤ人の娘の私も死ぬようになりました" 王が "陰謀者は誰か?" と尋ねました。"今、王様のそばにいる総理ハマンです"と話しました。聖書を見れば、王が怒って、一旦、庭から出て行ったとなっています。この時、ハマン総理がエステルの足をとらえて祈ったのです。一度だけ生かしてくれと話したのです。足をとらえて祈ったのです。この時、王様が心をすこし整理して入ったら、ハマンが足を握っている姿を見て、王妃をじゅうりんしたかの様に見たのです。錯覚も神様がなさったことでした。それで、王がなにぶん怒りがすこし残っていたので、すぐにハマンを死刑にさせました。モルデカイを殺すために作った所にハマンを殺したのです。これがイスラエルを解放させた事件です。イスラエル民族が何をしていたのでしょうか? 祈っていたのです。驚くべき事でした。
 
・アッシリヤ軍18万 5千人が攻めてきた時、ヒゼキヤ王が寝ないで祈ったのに、神様が人が知らない天の軍隊を動員させたのです。
 
・この伝道がどれくらい重要だと思って、パウロは断食して祈ったのに、一時代を変える事が行われました。使徒13章 1-12 です。祈るように願います。後ほど証ししましょう。私たちが、どんなことが行われるか見るように願います。福音を持った私たち長老達、福音を持った私たちの執事が、後ほどどんなことが行われているか見ましょう。
 
・昨日、車に乗って行くときに、車を運転するキム・チャンヘ執事に言いました "あなたたちは、まだ世界教会に通っていずに知らないけれど、あまりに良い教役者、あまりに良い執事たちが集まっています。あまりにも福音のなかで祝福の人々が集まったのです。知らないでそのようなことだ "と話しました。神様が皆様をどのようにされるかご覧になるように願います。今から断食祈りを志願なさることを願います。健康にもダイエットにも良いのです。全部賛同なさることを願います。そして、どんなことがおきるか見るように願います。福音がない人がすることは、それほど効果がないけれど、福音を持った人の断食はすごいのです。
 
・一度は、断食祈りを定めてしたのですが、教会のために祈りをしていたら、後から菓子を食べる執事が、私に見つけられました。私がかまわないと話しました。その時から、断食を自由にしなさいと言いました。それとともに、ずっと一日断食祈りをしました。働きが起きます。皆様は本当に感謝の方法、感謝の内容を完全に回復なさることを主の名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
 神様、感謝申し上げます。これから私達が完全に祝福を回復する週になるようにして、新しい挑戦の時間になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン