2003年 07月 13日 インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部 / 十字架で処刑されたイエス・キリスト
(マルコ15:21-32)
 
・聖書をたくさん読まなくても、聖書のみことばを正しく理解するならば、答えを受けるようになるはずで、 6日間、現場で神様の正確な答えを発見する祝福があるようになるはずです。私が何年かは分からないのですが、少し年を取って見た映画ですが、あるフランスの有名な俳優が主役を演じた映画です。ある男の人が、前科が多くて、犯罪組織集団にいたのですが、それがあまりに苦しく、難しくなって、正しく生きるべきだという考えるようになりました。それで、犯罪集団に行かないで、自分一人で働こうと仕事を始めました。それとともに、とてもきれいな良い女の人に会って、結婚して暮らしていたのですが、たびたび刑事が付いてまわるのです。自分はこれ以上、犯罪者ではないのに、ずっと刑事が付いてまわりながら、疑問をもって、侮辱的な話をして、どこに行くのかと聞いたりしたのです。しかし、この人は耐えて、ずっと正しく生きて仕事をしていました。事件が起きたら、訪ねてきて、その現場にいなかったか? と聞いて、他の人が聞くのに、社長にあの人を誤って使っているとか言うので、ある日はあまりに腹が立って、自動車を集めて廃車させる所に行って、ハンマーを持って自動車を叩いて和らげたりしました。すると自動車工場の主人が、なぜそうするのかと尋ねます。自動車工場の主人が、変に考えるのですが、この男の主人公は、家に帰りました。ことごとに、この刑事がずっと困らせるのです。刑事が業務をよく担当する刑事だと見ることができるけれど、この人は本当にそのような人ではありません。何回もそのようにするのです。一度は、職場から家に早く来ってきたら、自分の妻に刑事がこう話していました。「あなたは間違った人に会った。その人は、あなたをだましている。犯罪者だ。罪人であるゆえに、あなたは後悔するはずだ。」これ以上、耐えることができなくなりました。その時も耐えなければならないのですが、これ以上、耐えることができなくて、その場で刑事を思い切り殴って殺してしまったのです。映画を見ていた私も、よかったと思ったほどでした。この主人公が、刑事を殺したから、すぐに問題になって、死刑宣告を受けました。前科者に、あなたを監視して手助けした刑事を殺したから、死刑だと言われました。ところが、弁護士一人が、この人を生かそうと試みました。「この人は正しく生きました。努力したのです。仕事も熱心にしました。この刑事が度が過ぎたのです。あまりに侮辱的だった」と、色々な証拠を出して説明しました。それで最高裁まで上がりました。どの程度、重大な事件までなったのかというと、大統領が許しを求めるほどにまで行きました。そして、最後の判決をしたのですが、どのような決定が出たのか? 棄却になりました。つまり、死刑を執行するということです。それから一日、一日を不安に思います。死刑執行の時、死刑執行するから来なさいというように執行するのではありません。より不安なのです。死刑執行の日は決まっていて、日が迫るので不安の連続です。ある日、門が開きました。その時、主人公の驚く目の色がまだ心に残っています。特別面会だと言われました。その話は、死ぬということです。その時、フランスの死刑法が、断頭台で首を打つことでした。それで、襟をまず切る準備をします。最後に話す言葉がないか?'ない'と言いました。結局、死刑になって、その現場に弁護士がいたのですが、結局、成功できなくて、その執行場を歩いて行く最後の場面を見ながら、本当に残念だという考えにもなって、心にものすごくだめだということが深く残りました。

・今日の本文は、歴史上、最も大きい事件です。イエス様が十字架で処刑される事件です。尋問を受けて、裁判を受けた後に、今は死刑執行する時間になって、あのゴルゴタに上がらなければならないのに、どれくらい大変だったのか、十字架を担えないようになったのです。普通の男子が担いでいくことができる重さなのに、その十字架を担げなくて、倒れる程になりました。 歴史家の'ヨセフ・ユース'という人の記録を見れば、イエス様が十字架を背負って上がっている途中で、14回倒れたと記録しています。14回、倒れた場所ごとに血を吐いたと記録されています。それは、多くの苦しみを受けられたということがわかります。結局、担うことができなかったので、周辺を見回して、担って行くことができる人を探しました。その人が、今日の本文を見れば、クレネ人シモンという人です。イエス様を処刑する時、殺人、強盗の凶悪犯とともに執行するようになりました。イエス様が十字架に処刑された時、十字架上で罪名がついていたのですが、今日の本文を見れば'ユダヤ人の王'でした。今日の本文にはないけれど、マタイの福音書や他の聖書を見れば、ユダヤ人の王ではないか? '自称ユダヤ人の王'と付けておいて、イエス様を処刑しました。ところが今日見たら、イエス様に普通の悪口を言うのではなくて、首を振りながら、イエス様を処刑しろと呪いました。あなたがイエス・キリストだから、十字架から降りてきて力を見せてみろと、祭司長が悪口を言って、はなはだしきは、ある人は唾を吐いたりしました。そのようにして、イエス様が十字架に釘付けられた歴史的現場です。今日、信仰告白の中に'ポンテオ・ピラト'のもとに苦しみを受けと言いましたが、この話はポンテオ・ピラトが処刑しようとしたのではないのですが、歴史的に'ポンテオス・ピラトス'という'ポンテオ・ピラト'という人が、イスラエルの国の総督であった時、その人の裁判によって十字架につけたという歴史的記録です。そのような理由があります。

・歴史上、最も深刻なこういうことがおきました。反応が色々あります。ある人は'あの人が王になろうと謀反をしていて死んだ'と言う人もいて'そうではない。あの人は、なんの誤ちもないけれど、あの人があまりに大きくなるかと思って、ユダヤ人のねたみで死んだ'と話す人もあって、ある人は色々な理由を聞いて、いろいろなうわさが立ちます。ところが、もっと驚くべき事実は、イザヤ 53章をはじめとして、聖書にあらかじめ預言されていたという事実です。現代科学が発展しながら、イエス様に対して預言された旧約聖書が、いつ書かれたという事実を歴史的に知らせて、マタイの福音書がイエス様が来られて、十字架で死ぬ過程をみな探して、歴史家や科学者が探したら、同じ年に書かれた本ではなくて、別々に書かれた本です。ところが、どのように預言されることができるのでしょうか? 同じ年に書かれたとするなら、それが小説であるけれど、記録時代が違うと、歴史的考古学の証拠を捜し出したのです。驚くべきことです。イエス様がいらっしゃって、メシヤが人間の問題を解決しようと来られるはずで、何の誤ちもなく十字架で処刑されて死に、そして、3日後に復活するはずだと預言されました。この部分一つだけ持っても、たくさん考えなければなりません。もし信じないでいるとしても、この部分は考えなければなりません。どのように預言できるでしょうか? どのように生まれて、どのように育つはずで、どのように苦しめられるはずで、どのように十字架に、どんな罪名で死ぬかまで、誰の墓に入るか、みな預言されました。そして、三日後に復活するはずだということまで預言されました。私達は、イザヤ53章を歌で歌うこともあります。

・今日、ここで驚くべき答を出さなければなりません。皆様は、誤解しないように願います。果川地域で、ある方が、私たちのタラッパン伝道運動を熱心にして、教会も大きい教会になって、私たちを手助けして、紳士的で、とても実力ある方でした。すると私たちのメンバーがこういう話をしたのです。'あの牧師先生が、とても立派な方なので、私たちのタラッパンで宣教をすべて担当する部分をさせればどうか?'と言いました。私はそれに返事をしませんでした。それで、私が返事をしないから、また聞きます。それで、私はだめだと言いました。無理には出来ないから、そのようにしませんでした。今、その方はそれとなく、タラッパンの悪口を言って回っています。今は、だめだと言った理由を、メンバーが知りました。このように話せば、私はものすごく立派な人であって、尋ねた人は立派でない人で、今、タラッパンをしていて、しなくなった人々は悪いというように見る可能性もあるのですが、そうではありません。私がこういうことを話せば、悪口を言うように思うかもしれませんが、人を見れば、その人の未来がどのようになるのか、ほとんど分かります。基準があるのです。今まで、私たちのメンバーの中で、やめてしまった人の中に "牧師先生が、背中を少しだけおせばするはずなのに...." と言いますが、そうではありません。元からしない人なのです。見る基準があります。このように話せば、困るかもしれませんが、どのように分かるのでしょうか? あなたがそのように賢いのですか? それでもありません。

・時計の商売を長くした人は、組まれる時計だけ見ても、本物なのか、にせ物なのかが分かります。金のことをよく分かっている人は、火の中に入れなくても理解できるのです。ある時、TVである人が宝石をよく知っていたのですが、宝石を羅列した中に、この宝石はどの国のもの、何年かも、皆分かるのです。50ケを見てもその人は、瞬間に皆、分かります。アナウンサーや、すべての人が感嘆しました。見ると分かると言いました。その人の話は、ただの一言も違いませんでした。どのようにそのようになったのですか? 宝石商売を長くすればそのようになります。この人は正しく、長くした人です。私たちのような人が説明をしてもらっても、分かりません。

・今日、皆様が信仰生活をするなかで、この部分が最も重要です。今日、なぜこの場に座っているのでしょうか? それが皆様の未来です。座っているのではなくて、座っている理由が皆様の未来です。重要です。本人だけ理解できます。今日、この事件をどのように解釈するのでしょうか? なぜ、聖書には、あらかじめ約束されていて、なぜこの事件が最も大きい事件でしょうか? とても重要です。それで今日、私はこの貴重な時間に、ソウルに教会が多いでしょう。聖徒はどれくらい多いでしょうか。牧師はどれくらい多いでしょうか。また、神学校はどれくらい多いでしょうか。そして、全世界にどれくらい多くの教会があるでしょうか。 敢えて私がお話しするのですが、この部分は3つで話を差し上げたいのです。

・最初、皆様と私が知らない時間に、すばらしい霊界で驚くべき事が起きたのです。最も代表的なことを分からないと言うならば、皆様が最も理解できないサタンの働きです。私たちはよく理解できないでいます。 科学的に証明するのが難しいために、理解できずにいます。ところが、確かにアダム、エバに接近してきました。その話は、何を証明できるでしょうか? アダム、エバが創造された以前にあったという話です。でなければ、その後に創造されてきたというと言えば良いでしょう。しかし、明らかなことは、アダムとエバが人生の初期を始めた時、この存在が存在したり 同時に存在したということになります。簡単な話ではありません。それで、創世記 1章 1節を見れば、天地を創造されて、光を照らす前に、暗闇、混とん、むなしさ、関連ないでしょうか? しかし、明らかな事実は、誰も知らずにいるのに、どんな科学者も知らずにいるのに、アダムとエバを滅ぼしました。ただ条件は、罪を犯すようにさせたのです。盗みでも、犯罪でもなくて、私達が見る時、全く罪ではないと考えられること、神様を信じなくて善悪を知る木の実を食べたことです。こういうことです。これを原罪と言います。このようにさせました。目に全然見えないように、罪ではないようなこと、一般の人が見る時、罪ではありません。ところが、私達が今、聖書が話す罪は観念が違います。盗み、詐欺を働くことは'とが'です。

・それではなく、罪を犯すようにさせたのですが、アダムとエバを滅びようにさせたのですが、畑まで呪われるようにさせたということです。サタンがそのままいるのではなく、ノア時代に全部'ネフィリム'に陥るようにさせました。まず罪を犯す前に、ネフィリムです。ネフィリムは、ムダン(霊媒師)を言います。そこに陥るようにさせて、滅ぼしてしまったのです。そのようにして、また創世記 11章を見ると、バベルの塔という途方もないことを作って滅ぼしてしまいました。意味がないと考えるでしょうか? それで、その時、神様がアブラハムを呼ばれたのです。そこから抜け出て、示す地へ行きなさいと言われました。それで、アブラハムを信仰の先祖と言います。頭に浮び上がるところがないでしょうか? ヨハネ黙示録 12章 1節から9節に、天に私達がとうてい科学的に説明できない事が出てきます。天の門が開くのに、使徒ヨハネが見ると、天から天使が堕落して落ちたのですが、これがサタンです。土地をものすごく混乱させて、エペソ6章 10節から20節を見ると、皆様に家庭、個人、主権、力を全部みな、ぐるぐる巻いているのです。それで、パウロが言った話が、これと戦わなければならないということでした。簡単に終わったのではありません。マルコ福音9章 20節 23節を見れば、おかしな病気に捕まるようにさせて、特に子ども一人が、てんかん病になってきたのに、聖書は確かに悪霊につかれたと話しています。その程度ではありません。マタイの福音書 8章 1節から17節を見ると、偶像に陥るようにさせて、人を呪いの中に、変に追い込むのです。サタンがすることです。ところが、本当に驚くべきことです。使徒の働き13、16、19章の事件で町中がムダン(霊媒師)で占いで、目に見えないように町がみな陥ったのですが、それを解決しようと、神様がパウロを呼ばれたのです。理解できないでしょうか? 神様の息子が現れられたのは、悪魔のしわざを滅ぼすためです。 悪魔のしわざは、何でしょうか? 創世記 3章を解決することです。

・なぜここに座って、なぜイエスを信じるのでしょうか? 私が話す基準です。聖書で見た基準です。皆様、早くとらえて理解しなければなりません。事実的に発見できなければなりません。キリスト教100周年記念館で、ある牧師に私に質問したのは、韓国教会と世界教会がみな見ている場で、私に質問したのは、「なぜ柳牧師はイエス様が悪魔のしわざを打ち砕きにきたと強調するのか?」と質問しました。参加した方もいるでしょう。その時、私は確かに答えました。いつでも、3つのことを話しました。私たちの罪の問題を解決しようといらっしゃって、私達が神様に会うことができないために、救いの道を開けようといらっしゃって、サタンのしわざを滅ぼそうといらっしゃったのです。この三つを常に話して、一緒に話して強調しました。なぜ、後のことだけを聞いて質問するでしょうか? 聞いてみたかったが、聞きませんでした。その現場が質問を受けて返事をするだけの場でした。私は知っています。なぜその部分をそのように質問したのか、皆様はこの部分に対して記憶しなければなりません。

・神様がイエス様をこの地に送って、この途方もない事件を繰り広げられたのは、簡単なことではありません。この地球上に深刻な問題を作り出した霊的問題を解決しようと送られたのです。私たちを救わなければならず、私たちを呪いの問題から抜け出すようにしなければなりません。ものすごく重要です。今日2番目に記憶すべきことは、この事件はいったい何の事件でしょうか?この解釈によって、信仰生活が変わるのです。重要な私たちの人生の問題を解決しようといらっしゃったのです。人間の根本問題を解決しようといらっしゃいました。単に十字架につけられたように見えるけれど、普通のことではありません。私たちの原罪を解決しようといらっしゃったのです。原罪が何でしょうか? 私達が犯した罪でもありません。子どもが生まれたら、不思議に自閉症になっていたとしても、皆様が犯した罪でもないのです。なぜそうなのでしょうか? 誰も知りません。聖書は明らかにしています。皆様、簡単にそのまま過ぎてはなりません。家系を通して入る原罪の結果です。その結果で、あの畑も呪われました。畑に何の罪があるのでしょうか? それを解決しようといらっしゃったのです。単純に霊的問題だけ解決しようと来られたのではなくて、2番目に私たちの原罪、先祖が偶像崇拝、深刻にした家は霊的問題がきます。解決出来ないのです。それを解決しようといらっしゃいました。私たちは偶像に陥って、抜け出すことができないのです。それを解決しようといらっしゃったのです。

・そして、私たちは'とが'からも抜けられないのです。それを解決しようといらっしゃいました。すなわち、3つの権威を破ってくださるためにいらっしゃったのです。罪の権威、サタンの権威、地獄の権威です。それが、イエス様が来られた理由です。今日、私が少しの間お話ししたのですが、皆様の信仰生活の重要な部分が、三番目に出るべきです。今日、皆様に必ず重要な時間になるように願って、神様が皆様に本当に知らるせるように願って、皆様に本当に祝福の門が開くようになる祝福の時間になることを望みます。

・イエス様が十字架をなぜ担われて、なぜ復活なさったのでしょうか? それが、皆様の信仰生活の開始にならなければなりません。これができれば、皆様の運命がいよいよ変わるようになります。確かです。今、外国でも礼拝をささげており、インターネットでみことばを受ける方達が多いのです。なぜこのみことばを申し上げるかというと、米国、オーストラリア、カナダ、外国、ヨーロッパには、イエスを全く信じないのに、教会に行く人がいます。なぜなら、自分が韓国人で韓国人が集まる所で、また退屈で、子どもの教育にもなって、良い所であるから、行ってみようと行ってみるのです。その人は、まちがいなく留学、外国生活が終わって、韓国に帰ってくれば、教会に通いません。むしろ教会に対するつまらない地域的な問題をみつめて、試みにあって、それを話すのです。間違いありません。神様がご覧になるには、かわいそうな人です。絶対に運命が変わらないのです。

・あまりにも信仰生活は簡単です。皆様の信仰生活の開始がどこで起きねばならないのでしょうか。なぜイエス様がなぜ、その時代に、十字架を背負わねばならないのでしょうか。なぜこれが聖書に預言されているのか、そして人は復活出来ないのに、どうして復活されたのでしょうか。その方は誰でしょうか? なぜこういう事件がおきて、今まで伝えられているのでしょうか。ここから信仰生活が始まってこそ、あなたがたの運命が全部みな変わるのです。

・私が人を見る基準と、信仰を見る基準がここにあります。見れば分かります。あの人はどんなに訓練を受けても、伝道する牧師ではないということは、ここから出てくるのです。そして、私が皆様の未来を理解できます。ここに対する感覚がなければ、結局、皆様の運命通りに行きます。それは、確実な答えです。私がいのちをかけて言えます。私がソウルまで来ている理由です。全世界に行って伝道訓練をさせる理由です。大部分の人々は理解することができないのです。しかし、私がいのちを掛ける理由です。絶対に変わりません。

・皆様の信仰生活の開始が、もし友人によって、人によって、家族に付いて、ということかもしれません。一つの関連になることはあります。もし深刻な病気があって、病気が治るか、こういう人々もあります。あるいは、あまりに問題がくるので、この問題をどのように解決するか、それも一つの理由となります。しかし、今日、信仰生活の開始は、どこから起きねばならないのでしょか。なぜ神様が、この地にキリストを送られたのでしょうか。なぜ、多くの宗教もあるのに、キリストを送って、十字架にかけられたのでしょうか。すると、とうていありえないことを信じることは、ありえないこと、なぜその方を復活するようになさったのでしょうか。なぜ悪魔のしわざを滅ぼそうといらっしゃったのでしょうか。これが信仰生活の開始にならなければならないのです。その時に、皆様のすべての運命は変わるようになります。死からいのちに移っているのです。本当にです。皆様が、この部分を悟れなければ、本当に大変なことになります。

・私が残念なことは、残りのことは応用すればよいのです。知っていてなせば良いのです。残りは知っていてすれば良いのに、これを知っていてしないならば死にます。結局、未来は明らかです。それで、多くのクリスチャンが、思い切り教会に通って、思い切り献身して、思い切り献金して崩れるのです。だから、教会は霊的問題が解決できないのです。ここから信仰生活の重要な部分がみな出ています。ここから皆様の祈りが出てきてこそ、答えを受けるのです。神様がイエス・キリストを送られて、私たちを救われたのですが、私たちには救われる資格がありません。それで、聖霊で働かれるのです。これが救いです。それで、イエス・キリストのいのちの原理、すなわち聖霊があなたがたの中に、ということです。キリストが来られた理由は、この暗闇の勢力は、私たちには解決出来ないから、それを滅ぼそうといらっしゃったんだなあ、ということです。知識の中の知識で、根本の中の根本で、方法の中の方法で、まず最初にせねばならないことで、最も重要にせねばならないことです。これができる時、祈りができます。その時から答えがくるのです。絶対にのがしてはなりません。皆様が、これが信仰生活に進行ができる時、その時から伝道の実が結ばれるようになるのです。これがものすごく重要です。

・今日、3つで信仰生活を本当に始めなければなりません。イエス・キリストが十字架で死んでくださった理由は何でしょうか? とても重要なことは、祈らねばならないことは、もちろん神様の恵みでできることです。ここで祈らねばならない重要な部分がなにかというと、私たち人という動物は、趣向があって、情緒があります。人という動物は、私も知らない潜在意識があるのです。これが問題です。人というのは、情緒がみなあります。どんなに夫婦が住んでいても、情緒が合わなければ、無理に暮らすことです。愛というのに、愛というものは、3ケ月で終わります。錯覚が 3ケ月したら、終わるということです。それから後には、それがなくなります。情緒です。これがものすごく重要です。ある人を見れば嘘を言うでしょう? 口に出す言葉が、Thank you というのが習慣になって、足を踏んでもthank you と言う、米国人の習慣です。I love you 愛してもいないのに、 I love you 否認して情緒が一致しなくて、苦しめられながらも、 I love you。絶対に幸福ではありません。

・人というものは、夫婦にも情緒があります。私達がまず教会を借りて使用しているのですが、教会も情緒があります。信徒がきて、教会の情緒と一致してこそ根をおろすのです。情緒が合わなくて浮き立てば、どんなに牧師の説教が正しくても、私が安定できません。それで、本物の福音運動ができて、学生達の情緒を治癒できる教会を準備して、私たちの力では限界があるので、私たちは断食と祈りを開始しよう、ということです。人というものは、情緒があって、趣向があって、また、自分の知らないで潜在意識があります。

・私がこの話をなぜするのでしょうか。皆様の情緒を持っている趣向、潜在意識が福音と一致すれば、大成功するということです。これがほとんどすべてです。だから、メッセージをしばしば聞いて、祈って、そのようにするのです。皆様の子どもの情緒が万王の王なるキリストと合う時、どこに行っても、成功するのです。信仰生活の中に入っている長い間の潜在意識の中に、福音が入っていれば、絶対に滅びることができないということです。行く所ごとに、神様の働きが起きるようになっています。これがいったい何の事件でしょうか。皆様は解釈を何通りにもできるでしょう。今まで出てきた本、映画がどのように書かれたのか、全部うわべでした。きてあのようにくやしく十字架に死んだ、そのように作っています。モーセの映画を知っているでしょうか? 十戒という映画を見たでしょうか? その映画は、どんな映画でしょうか? 契約があるでしょうか。イスラエル民族が奴隷になったあとで出てきました。ものすごい海が分かれたのに、指導者がモーセです。映画俳優はチャールトン・ヘストンという相当な俳優で作っています。お金だけ多くかけたのですが、内容はありません。だから、そのように見ることができるのです。すると、その映画を作る人は、影響を与える可能性もありますが、下手すると悪い影響も与えることができます。救われたとは思えません。

・皆様、この部分がものすごく重要です。それで、これを長く見た人が人を見れば分かるということで、その人は無知で、私は賢いという話ではありません。この部分に長く浸って考えて苦労して味わった人が、味わっていない人を見る時、すぐ話をすることができるということであって、私がすごくて、恵みを受けて、あなたはそうではないという話ではないということです。そのように理解すれば、本当に違います。あなたは賢くて、私たちはみな間違っていて、タラッパンだけ正しくて、私たちはみな違っている。こういう方法で質問をしてはなりません。その話ではありません。すると、あなたが話した柳光洙牧師だけ福音で、私たちは違って、今まで伝道はしなかったということでしょうか? こういう方法のうわべの質問をするのですが、そのような質問をしてはなりません。この話はその話ではありません。長老であっても、牧師であっても、宣教師であっても、出発がこれでないなら、皆様の運命は変わることができないのです。どんな信者でも、情緒と本当に自分の中にある潜在意識と、皆様の中にある趣向が福音がないなら、絶対に世の中に勝つことができません。方法では、世の中的な方法で生きるしかありません。

・これはとても簡単です。知っていれば、本当に答えを受けます。敢えて私がこの説明をしようとソウルに上がってきました。敢えて、私がこの説明しようと米国に行くのです。ヨーロッパ中を回っているのですが、幸いに私たちのレムナントが祝福を受けています。本当に感謝なことです。証拠の中の証拠です。他の証拠ではだめなので、どんなにしてもだめな子ども達が起きています。証拠の中の証拠です。どのように、子ども達が麻薬を切れるでしょうか。子ども達が、初めて集会にきました。初めて集会の時、子どもが証ししたのです。泣きながら、「先生。私達が教会に来るのは、礼拝をささげにくるのではなくて、座って麻薬を全部分けて、お手洗で麻薬して、デパートに行って麻薬をして、倉庫の後に行ってして」今でも教会の中にこういう子どもが大部分です。私達が今、福音を知った後に、この悪魔のしわざということを知るようになりました。子ども達が初めて集会の時、告白しました。それを見たら、そのようなことです。おとなが、どのように分かるでしょうか?

・皆様が今日、本当にこの事件を見ながら、本物の答えを受けなければなりません。これが本当に信じられて、悟れば、神様の恵みが臨んだのです。本当に私達がイエス様を受け入れたということは、救われるようになることです。皆様がこの契約を捕まえて祈れば、聖霊充満を受けるようになります。これが全部、すべてという話ではなくて、ここから始めてこそ、正しく始まるのです。

・信仰生活が、もしここから開始ができれば、始まる瞬間、まさに死からいのちに移っているのです。運命を全部、変えてしまうことです。まさにそのままです。はなはだしきは、ある人は不治の病が、すぐによくなることもあります。それは私がすることではなくて、その人々も知らないことです。今でも解釈できません。ある人は、本当にイエスを信じたのに、どんなに祈っても死んだ人もあって、ある人はとうてい理解できないのですが、イエスを受け入れる瞬間、すぐによくなる人もあります。それは、今でも科学的に、聖書的に説明できません。事実であるから、それしか話すことができないのです。

・今現在、インマヌエル釜山で礼拝をささげる人の中にいます。肝臓が固まり始めて、とうていだめな人であったのに、イエスを受け入れて、救われたのにいやされました。今でも理解できないらしいのです。病院に行って説明したのですが、医者も理解できないらしいのです。私も理解できません。なぜそうなのでしょうか。そのようなこともあります。明らかなことは、本当にここから始まる瞬間に、皆様の運命は全部みな変わるのです。占いをする必要もなくて、占うということは悪霊を訪ねるということですが、グッ(降霊術)をする必要もなくて、人に尋ねる必要もなくて、心配する必要もありません。罪と死の原理からあなたを解放したのです。この事件が、まさに2000年前の十字架の事件です。これは、私達が作り出したことではなくて、あらかじめ預言されました。Iコリント15:3 聖書通り死んで、聖書通りによみがえった。

・皆様の胸に「切なる願い」がないでしょうか? 皆様、本当に裕福に暮らしているのでしょうか? 良い生活をしていますか? 私はそのように見ません。五千年間、偶像崇拝した私たち大韓民国で、あまりにも善良で、あまりにも良い先祖をがいたのですが、偶像崇拝にやつれた韓国は、ほとんど外部侵入で、五千年をみな送りました。韓国、この国に福音が入ったのです。福音が入った時、私の家の庭で、おとなが米国から持って来た救済品を分けるために、執事、長老がけんかするのを見た時、私は年齢が幼かったのですが、何かこれではないと思いました。私の父が私を殴って、見るなと引っ張って行かれました。そのようなことは見てはならないと連れて入っていかれてのですが、その時は、私の父を恨みました。見たいのに、見てどうなのでしょうか? 救済品を分けること、今、考えてみれば、やはり私の父は立派な人だったようです。米国から分けてくれる服類を見てはならないということです。私はその時、理解できませんでした。今では分かります。このように生きてきた私たちの民族です。偶像にやつれ果てた文化が、全部、悪霊文化です。ところが、教会が福音を伝えないという話にはなりません。それで、お金が多い首都圏に、人が多ければ良いのかと思って、ものすごく建てておいて、福音を伝えないとは話になるのでしょうか。

・私には、それが痛みになったのです。批判ではありません。絶対に、そのように理解するのならば、誤っていることであって、そのように理解するならば、もしかして、救われることができなかったのかもしれません。事実は、これが急ぐことです。どのように教会に通っており、なぜ座っているのでしょうか? だから、負けるのではないでしょうか。皆様の信仰生活の開始です。それでも、理解ができないのでしょうか? この福音は、イスラエルの宗教ではありません。どこからか開始されるべきではないでしょうか? どこからか福音が始まらなければならないから、道谷洞で始まれば、道谷洞の宗教でしょうか? そうではありません。誰かを通じてイエス様を産まれるようにせねばならないでしょう。それで、マリヤから産まれただけで、聖母ではありません。本当に逆に理解しているのです。どうして、聖母がそのままマリヤで、誰かを通じて産まねばならないので、その女性には栄光であって、気分が悪いことではありません。しかし、その人は聖母ではないのです。原罪もないらしいです。カトリックの人が、ここにいらっしゃるでしょうか。どうして、なぜ原罪がないのでしょうか? アダムの子孫なのに、聖書の基礎も知らずに、福音の根本も知らずに、うわべだけ作ればよいのだと思っています。大変です。こういう方法で宗教生活をしているのです。

・今日、あなたがたは、驚くべき神様の祝福を受けなければなりません。私たちの幸福と私たちの小さいご飯を食べることのために、神様がキリストを送られて、十字架につけてくださったということでしょうか? ある人は、そのように話す方もいます。先々週に説教したのですが、すると、ユダヤ人がイエス様を十字架にかけなくて、ローマがかけなかったならば、私たちは救われなかったのではないか、このように言う人々もいます。その話しだけであれば、正しい話です。それで、ポンテオ・ピラトが裁判したのですが、私達がイエスを信じないことも同じ罪です。その人が十字架に釘付けただけで、私たちも釘付けるのです。分かるでしょうか。私達がイエス様をちょう弄した罪はありません。信仰がなかった私たちも、同じ隊列の中にいるのです。こういう私たちを神様が罪から救い出してくださったということです。

・私は、この契約を悟った後から、考えが変わりました。つぶやく必要もなくて、価値もありません。不平を言う必要もありません。教会に来て、どれくらい感謝したでしょうか。私は、以前はそうではありませんでした。教会に来るのがどれくらい感謝でしょうか。教会から出るのを見て、ある長老が "伝道師、熱心に仕事をされるのに、私達が謝礼を少ししかあげなくてすみません。勉強なさるのに難しいでしょう" "長老。そうではありません。事実は、私がささげながらせねばならないのに、立場がそうではないので、私は恵みを受けたことが、あまりに感謝で、私がみな出しながら、支えながらせねばならないのに、そのようにすることができずにいるので、むしろ申し訳ないだけです。とても感謝します" 分かるならば、全部見えます。事実です。この時から答えがきました。すると、これから起きる答えは何でしょうか?答えを受ける目も生じます。

・今、神様が私たちの教会に、世界で一番良い建物を与えて下さって、レムナントを訓練させれば良いという気がします。それは答えでない. 神様が一時代に、私たちの長老達、私たちの副教役者たち、私たちのレムナントが正しい福音運動を理解して、この人達が、正しくする時、その時注いでくださるのです。それが神様の計画です。発見できないのでしょうか。私たちタラッパンメンバーが、この福音ゆえに集まったとするなら、正しい福音を持って、福音の他に私を犠牲する事もでき、真の福音を子孫に伝えねばならない用意をしている時、神様が注いでくださるということです。まだ理解できないのでしょうか。答えを見ることができねばなりません。答えがなにか見て、知っていてこそ、答えを受けるのです。皆様が無条件に答えをくださいというのは未信者でしょう。すると、グッ(降霊術)もして、なぜそのなのか、無条件に出せとなるでしょうか? 受ける必要もないのです。まだ重要です。韓国と全世界にいる私たちのメンバー。時間がたくさんありません。ずっと説明すべきことです。

・今日、皆様がこの契約を正しく捕まえてくださることを望みます。キリストの十字架事件、神様が人間を愛されて、皆様の絶対解決できない問題を解決なさるために、キリストを送られたのですが、これが皆様の信仰生活の開始になるならば、あなたがたのすべての問題は、今日から終わります。確かに聖書でそうです。 死からいのちに移っているのです。受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々に、神の子どもとされる特権をお与えになった。すると、私達がすることが一つ残りました。私たちの潜在意識の中に、私たちの色々な趣向の中に、私たちの情緒の中にいらない福音でない所に、最も美しいこの福音が、私たちの情緒の中に入るべきなのです。ある人は、キリスト教を変に考えています。賛美を歌うのに、ものすごくかわいそうに歌う時もあります。何の時でも、そのように歌って良いでしょうか。遠足に行く時も、かわいそうに歌う場合があります。福音を悟れば、すでに賛美も変わります。この部分からならなければなりません。

・皆様の信仰の出発です。キリストの十字架事件。皆様の情緒と趣向、潜在意識の中に、最も水準がある美しい福音があるならば、絶対に失敗しません。行く所ごとに勝利するようになります。それで毎日、礼拝をささげるのです。一度ささげれば終わりであって、何で、度々ささげるのでしょうか? まず、イエスを信じれば、救われることは終わりです。そうではないでしょうか。何ゆえに教会を作るのでしょうか。作らなくても良いのですが、理由があるのです。何ゆえに、度々お金を儲けて子ども達に教えるのでしょうか。理由があるのです。それで今日、この契約を捕まえる瞬間、答えの大きい門は確かに開くはずです。そして、より重要なこと、皆様は失敗しないでしょう。失敗が恐ろしいということではありません。失敗は何でしょうか? そんなに聞くならば、説明がたくさん必要です。皆様は、サタンの力に絶対に縛られないでしょう。不信の勢力から、運命から、皆様の家系は永遠に解放されるはずです。まちがいなく、この契約を捕まえましょう。今日、皆様がまさに答えと祝福が始まる祝福の日になることを主イエスのお名前でお祈りします。

<<契約の祈り>>
 神様に感謝申し上げます。福音を理解した主のしもべを呼びながら、福音ゆえに生きようとする長老と按手執事と役員を呼ばれた神様に感謝申し上げて、福音ゆえに教会を作って、福音を伝えようとする聖徒を集まられた神様に感謝申し上げます。これから、この方達に驚くべき証拠をくださることを信じます。また神様がこの方達に他の人を生かすだけの証拠を確かにくださることを信じます。それより重要な今日、人生とあらゆる開始が真にこのキリストの秘密と事件の中から、世界史に最も深刻なこの事件が何か解釈する、すべての霊的問題が解決する力の時間になるようにしてください。神様が全国、世界に伝道する者を呼ばれた神様、これはある戦いではありません。人の方法でもありません。私達が霊的に真に味わわなければならない秘密が、私たち子孫に伝えられる驚くべき開始になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン



 2部 /人の力と剣にない神様の救い
(詩篇44:1〜8)
 

・詩篇は実際にあった現場で記録した神様の信仰告白、みことばであるゆえに、私たちの信仰生活に大きい有益を与えます。小さな国イスラエルが、どのように世界を征服したのでしょうか? ヨセフという奴隷出身が、どのようにエジプトの総理になることができたのでしょうか? また、マルコのタラッパンで、他人の家に集まり礼拝をささげた人々が、どのように世界を征服できたのでしょうか? こういう部分が、私たちは本当に気になります。今日、詩篇を見ながら、タイトルが "人の力と剣にない神様の救い"です。皆様がいくつかの重要な神様の祝福を受けるようになることを願います。

・私が今日、祈っている途中で、時間がなくて、今晩礼拝を終えて食事を党会員として、堂会を少しの間したからすぐに出発して、金海にある KT研修院を見ようと思っています。私が来ながら、すこし悲惨な気がしました。世界福音化をする教会、世界福音化するみことばを信じている私が、お金がなくて、重要な挑戦をできなくてもよいのか? という気がしたのです。お金が 35億円になります。大きいお金ですが、私たちには必要なお金です。まず見て、方法と祈りを総動員します。行ってみようと思っています。皆様の祈りがなければなりません。初代教会や聖書にある人々が、信仰生活をどのようにしたでしょうか? 今日の本文によく見えます。26節を見ると、「立ち上がって私たちをお助けください。あなたの恵みのために私たちを贖い出してください。」今日も本文を見れば、色々な話が出てきます。44篇3節を見れば、「彼らは、自分の剣によって地を得たのでもなく、自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたの御顔の光が、そうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです。」こういう記録があります。今日、簡単に皆様が一週間を生きながら、残った生涯を生きながら記憶しなければならない3つのことを今日の本文からさがしましょう。また皆様の信仰生活に持って出発しなければなりません。

・その最初は何でしょうか? 神様は、私たちに大きい祝福を下さったのですが、結局、私たちのレベルがいたらないということです。それで、これにいたるようにさせることが祈りです。それで私たちを見て、祈りをしなさいと言われたのです。神様がイスラエル民族の中で初代教会を見て、あなたがたは、行ってあらゆる国の人々を弟子としなさい。ところが、初代教会のレベルは乞食のレベルでした。使徒の働き 6章をみると、恥ずかしい記録が出てきます。なぜ私たち'ヘブル派'は手助けして'ギリシヤ派'は手助けしないのか? なぜ私たち'ギリシヤ派'の未亡人は、救済してくれないのか? そのようなことで戦ったのです。そのようなレベルでした。

・どのように世界征服をするのでしょうか? 神さまの計画がとても大きいのです。神様の祝福はあまりに大きいのに、神様のみことばを引き受けた私たちは、初代教会は、あまりに弱いのです。教会堂もなくて、他の人の家を借りたのがマルコのタラッパンです。行きたくて行ったのではなく、行くところがなくて行ったのです。たまたま奥部屋に隠れても良くて、捕まえに来るから、公開出来なくて行った所がマルコのタラッパン(屋根裏部屋)です。このマルコのタラッパンから250年後に世界を征服しました。どのように、この計画を成し遂げることができたのでしょうか? 祈りです。それで、イエス様がおっしゃるのに、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受け、地の果てまで証人になります。父がおっしゃられたことを待ちなさい。」この話が祈りなさいということです。すると何日もならずに、聖霊で約束なさったことをくださるはずです。「ヨハネが水でバプテスマを授けたように、聖霊でバプテスマを授けるはずなのに、その時になれば、力を受けるようになるはずで、このマルコのタラッパン程度ではなく、地の果てまで証人になるはずだ」とおっしゃられました。

・それで、私たちは今、インマヌエルの家族が断食を宣布して、祈り始めました。いつまで? なる時までするはずです。いつまで私たちは祈りを続けるのでしょうか? 続けるけれど、今までしてきたのですが、神様のみわざを全世界に説明できる時までするはずです。私達が35坪で断食をして、この所に来る時までしました。何にもない状態でした。ところが、神様は私たちではだめですが、できるようにされました。その差を減らすことが祈りです。私たちのレベルではできません。結局は、自分のレベルになって、皆様のレベルになります。それを越えなければなりません。越えることが聖霊充満です。そのままでなくて、祈りでせざるを得ないのですが、この答を私たちは得なければなりません。

・今日の本文を見たら、44篇26節をもう一度見ると、「立ち上がって私たちをお助けください。あなたの恵みのために私たちを贖い出してください。」このように記録されています。神様が今日も確かに44篇1節を見ると「神よ。私たちはこの耳で、先祖たちが語ってくれたことを聞きました。あなたが昔、彼らの時代になさったみわざを。」今、明らかな話をしています。「あなたは御手をもって、国々を追い払い、そこに彼らを植え、国民にわざわいを与え、そこに彼らを送り込まれました。」今日皆様が捕まえるべき一番目の信仰生活が何か? 救われた神様の子どもであることが確かならば、祈りでその聖霊充満の中で、これからは私のレベルを越えなければならないのです。私たちの無能さも越えなければなりません。それが聖霊充満です。救われた者に与えられた神様の約束です。過去には怖がって少女の前でも、けらいの前でもイエス様を否認したペテロが、今、法廷で「世界中で救われるべき名としては、どんな名も私たちには与えられていないのです。」と言いました。可能なことでしょうか? どのようにして、その差がなくなったのでしょうか? それが聖霊充満です。聖書は記録しているのに、聖霊が充満したとされています。

・皆様が祈らなければ、救われても皆様のレベルへ行きます。皆様が救われて置いても、途方もないヴィジョンを受け取っておいても、祈らなければ、自分の体質どおりに行きます。しかし、祈るならば、神様の驚くべき恵みを体験するようになるのです。大きい事件が起きました。教会がみななくなり、使徒がみな死んで、残った使徒ペテロを捕まえて殺そうとしました。その日の夜に、皆様がおわかりの通り、マルコのタラッパン教会は、教会員全員が総動員して、祈ったのです。その日の夜、驚くべき事が行われました。世の中の人々が知らない事が行われました。ペテロは牢屋から出てくるようになって、大きい奇跡の門が開いたのです。誰も知らない事が行われました。信じようが信じまいが、未信者は信じないのです。聖書にだけ記録されています。神様がその日の夜に、主の御使いを送って驚くべき奇跡を行われたとなっています。これが祈りです。

・皆様が詩篇を見ながら記憶しなければならない一番目が、まさに神様が私たちに与えられた祝福と計画は大きいのに、結局は、釜山のレベル通り、結局は韓国のレベル通りになるのです。それで、それをご存知であって、「しかし聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受け、地の果てまで証人になります。」とおっしゃったのです。皆様、この契約を捕まえてくださることを願います。皆様のレベルではだめです。ですから、聖霊の充満を受けましょう。私と皆様のレベルでは、ご飯を食べることも難しいのです。聖霊の充満を受けましょう。私と皆様のレベルで、世の中を生きることは難しいのです。そのように生きるのでしょうか? それをご存知であって、初代教会を見て乞食のようだった初代教会を見て、聖霊の充満を受けなさい。そうすると、力を受ける。そして、証人になります。詩篇のあらゆる人々が、信仰のあらゆる人々がそうでした。皆様が今晩に堅く捕まえるべき契約が、まさにこの契約です。

・それで、私たちは断食を宣布して、祈り始めました。個人的にも祈りを回復することを願って、今回の機会に、あなたがたがすべてのなくしたものを回復する祝福があることを願います。ヒゼキヤ王が、アッシリア軍十八万五千人が攻めてきました。その当時、最高の軍隊です。ですから、ヒゼキヤ王が頭を使ったのです。金銀を集めて与えました。はなはだしきは、神殿の壁についた金泊をはがして与えたとされています。その金銀をもらったアッシリヤが、引続き攻撃をしました。十八万五千の軍隊が、イスラエルを攻めてきます。どんなに方法を使ってもだめで、私信を送って祈りました。税金を出して、あなたの国に仕えると言ったのですが、約束を破ったとイスラエルをなくすと言ってきました。このようになって、ヒゼキヤ王がエジプトに助けを要請しました。エジプトがイスラエルを手助けしようとするから、両側の大きい戦いになるようで、より大きい問題になります。その日の夜、死ぬことを覚悟して、イスラエル王ヒゼキヤが神殿へ行ったとなっています。神殿に行って、その宣布した布告文を置いて、断食して一晩中祈ったということです。祈りの内容があらましこうです。本当に全世界に主の御名、国々に主が神様であることを知らせてくださいと祈ったのです。たぶん、その日の夜、いのちをかけて祈ったでしょう。その日の夜、おかしな事が行われました。とうてい想像もできない事が、歴史に残る事が行われたのです。アッシリヤ軍十八万五千人が、寝て起きると、みな死んでいました。死ぬことは、神様の御手にあります。どのように死んだのかは、誰も知りません。アッシリヤの歴史には、病気になってみな死んだと推測をしています。 どのように、戦うこともしなかったのに、みんなが死んだのでしょうか? 病気がまわってみな死んだと考えています。歴史にも記録されています。しかし、聖書には確かに話しています。この夜に、ヒゼキヤ王が祈ったその夜に、その時間に主の使いが打って、アッシリヤ軍十八万五千人がみな死にました。私達が死ぬ時も、天使が神様のお手伝いをします。止むを得ないのです。主の使いが打つから、アッシリヤ軍十八万五千人がみな死んでしまったのです。ヒゼキヤ王の完全な勝利になりました。ヒゼキヤ王のレベルではできません。どのように、十八万五千人の軍隊と戦って勝てるでしょうか?

・私は、信仰生活をしながら、伝道運動をしながら、祈りながら、神様のみことばが事実だと信じられ始めました。どのように私が、どのように皆様が、大韓民国で、東三道から、どのように世界を動かせるでしょうか? 神様はなさることができるのです。私たちは既に全世界に驚くべき伝道の門を開けました。私は今回、オーストラリヤに行って、心配したのです。レムナントが自主的にがんばって、組織が生じて、別にオーストラリヤで要請をして、レムナント集会を別にしたのです。海外でそのようなことはありませんでした。誰でもできるけれど、しかし、この子ども達の信仰が育ったんだなあ。なにかが変わっているんだな。なにかが今、2世が海外で死んでいっているのに、変わっていることを感じました。どのように人で、できるでしょうか?

・今日、皆様の残った生涯に、真の祝福の味を見るようになることを願います。その秘密が何でしょうか? 祈りです。救われなかった人も祈りをします。それとは違うのです。私たちは、神様に祈ります。祈れば、聖霊の充満を受けるようになっています。今でも皆様が山に登って祈れば、力が現れます。しかし、聖霊のみわざではありません。後ほど問題がくるのです。知らない人々が、信徒が、占いを尋ね歩くということですが、確かに問題がきます。聖霊のみわざではありません。私たちは、今、そのようなことを話すのではありません。イエス様が直接、約束なさいました。他のことはせず、ただ聖霊があなたがたに臨まれる時、力を受けます。どの程度、受けるようになるのでしょうか? エルサレム、ユダヤ、サマリヤと地の果てまで証人となります。詩篇の記者が、何をしたでしょうか。祈る人々でした。皆様のレベルと現場がむずかしいのです。これを越えることができる壁を越えることができる道があるのですが、それが聖霊の働きです。今日、祈りを回復する祝福があることを本当に主の名前でお祈りします。

・2番目です。この信仰の人の特徴が何でしょうか? どのように信仰生活したか、結論を早く悟りました。結論を描いて、その結論を早く現実で、最も安らかに適用させたのです。信仰生活に成功した人々の2番目の特徴です。祈りもしたのですが、結論が確かに出ているので、誰が何と言っても、世界福音化は神様の計画です。すると、皆様が世界福音化する神様のしもべならば、すべての問題は解決するはずで、荒野を行く間にあらゆる問題が解決なるのです。今日の44:1「神よ。私たちはこの耳で、先祖たちが語ってくれたことを聞きました。あなたが昔、彼らの時代になさったみわざを。」なにを話すのでしょうか? むかしにエジプトから出てきたこと、荒野を歩いていったこと、カナンを征服したこと、その話です。むかしに私たち信仰の人々に共におられた事実、そのことを話しています。何を話すのでしょうか。結論が出ているのです。これをどれだけ引き寄せるのかが重要です。

・ある夫婦が日本に行ったということです。1階から7階まで階段を上がったのですが、その時、地震がおきたということです。建物があまりにひどく揺れて、その方の話で、階段で悔い改めの祈りをして、ともに声を出して祈ったそうです。それで私がどうなったのかと尋ねたら、すこし後に大丈夫になったということです。日本に住む人々は、本当に難しいだろうと言ったのですが、私はそれが問題ではなくて、その方たちにそのような話をしました。地震がなかった時にも祈りなさい。すると良いのです。既に結論が出ています。ある方は、「先生。私が救急車に乗って、病院に行く時、その時だけ祈りが出てきて、その時だけ会話の門が閉められたのに、祈りが出てきて、先生を思い出しました。事実、救急車に乗る前に祈るべきなのに、いつもできなければなりません。結論が、私たちに安らかに実際に中に入ってくるべきなのです。

・今、伝道合宿時代が開いて、伝道合宿を受けながら、まず70人の弟子を探しましょう。探しているのです。伝道合宿を受ける人々に出される宿題です。70ケ所弟子を探しましょう。より細かく話せば、70ケ所に一般信者弟子が集まってくるはずです。探し出しましょう。一生に一度できるけれど、開始です。この祝福を受けて味わいましょう。もし私が伝道合宿を受けた人々に、70ケ所で弟子を探し出しなさい、このように話さなくて、話を変えるとすれば、より簡単になるはずです。とにかく、1年間余裕を与えます。70ケ所に弟子を探し出すことができなければ、病気で死になさいと言うならば、どのようになるでしょうか。皆様、明らかです。ある人は、目に火を灯るように明らかです。ならない人は、一名もいません。殆どできるのです。

・イエス様がペテロを見て、あなたは、わたしを三回否認したから、一旦、執行猶予してやるから、今から行って小羊を探して、弟子とすることを早くしなければ、わたしがあなたをまちがいなく殺すと言われたら、どのようにするでしょうか? ペテロは、熱心にしたでしょう。死なないように、そのようになれば、にせ物ではないでしょうか? 死なないようにすることであって、使命ではないでしょう? あなたはわたしを愛しますか。すると小羊を飼いなさい。ここにいる人に、そのようにしてみましょう。皆様 70人弟子を立てることができなければ、来年まで全部がんにかかって死ぬというようにしてみましょう。本当に熱が出るはずです。世界福音化は、早くなることのように見えるでしょう。それがそうではないのです。私たちは、結論を確かに知っていなければなりません。詩篇の記者、信仰に成功した人々、全部みな何を知っていたのかというと、既に起きる結論を知っていて、それを前もって現実の中で見ることができて、それをとても緊張しながら味わっていたのではありません。本当に安らかに、この祝福を味わうことができたのです。皆様、こういう祝福を今週に、残った一生に、必ず回復するようになることを希望します。

・信仰生活とは何でしょうか? 既に私たちは救われようとすることではありません。救われた神様の子どもです。私たちは、力がありません。どのように、その働きができるでしょうか。それを乗り越えることができる、すなわち、壁を越えねばならないのですが、それが祈りです。それが聖霊充満です。皆様がこういう信仰生活をするなかで、早く悟らねばならないことが何でしょうか? 私たちは既に結論を知っているべきなのです。世界福音化する神様の計画です。神様が一度も伝道する時代と、伝道するしもべと、教会と民族を捨てられたことがありません。韓国を神様は絶対に捨てられません。伝道できる国です。今、世界で唯一、福音を伝えることができる国が韓国です。結論は持っています。弱い一名でしたが、マルチン・ルターを通じて、神様は世界をひっくり返すこともされました。ダビデをはじめとする、すべての人々の結論です。44:3 をもう一度見ます。「彼らは、自分の剣によって地を得たのでもなく、自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたの御顔の光が、そうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです。神よ。あなたこそ私の王です。ヤコブの勝利を命じてください。」そして、26節に「立ち上がって私たちをお助けください。あなたの恵みのために私たちを贖い出してください。」

・この信仰に勝利した人々の三番目は何でしょうか? 神様の恵みで、救われることを知って、人の力と剣でなく、神様の恵みで救われることを知って、この人達は、不信仰と戦う信仰でした。だから勝利したのです。皆様は救われた神様の子どもです。これからはそのままいずに、挑戦することを望みます。能力がない、どのようにするのでしょうか。それで聖霊充満を受けましょう。私達がしばしば混乱が来て、こういう時、こうすべきなのか? あんな時、ああすべきなのか? と混乱します。結論を見ましょう。確かに結論は出るようになっています。すると、私たちが信仰生活をする間に、今日の本文にあるとおり、人の力と剣で救いがあるのでは、絶対にありません。神様の御手に確かにあります。それなら、私たちは何を回復せねばならないのでしょうか? 不信仰と戦う信仰を回復しましょう。

・私は皆様に約束します。皆様が信仰生活して行く間に、小さい事に、その時にいつでも不信仰を捨てて、信仰を選択すれば、ものすごく大きいことになります。私たちの周囲に、ものすごく多くありました。私が初めて開拓を始めて牧会をした時、誰かが私に話をしたのですが、やや下手すると不信仰に陥りました。「先生。私たちの教会中で集まって、むかしから神秘主義をして、どこかに行って祈る、そのようなチームがあります。その人が、この教会の主流です。」またある人は「先生。先生の説教は聞かずに、あのハレルヤ祈梼院のキム・ゲハンさんのテープを持って来て、教会を配りながら聞かせるんです。先生、こういうことを止めねばなりません。」信徒三十名が集まるのに、その時、私が考えたのは、世の中でビデオも見るのに、見ないことがあるでしょうか。キム・ゲハンさんは神様を信じる人なのに、見ればまたどうなのか?影島にいる女の人たちを回りながら、ダンスをしに行く人もいるのに、行かずに祈るのがどれくらい良いでしょうか? それが何の問題でしょうか? しかし、その方達が、みな重要な働き人になりました。私たちはやや下手すると、不信仰に陥ります。何で色々な個人に避けていくかと思って話をしないのに、いろいろなことが多かったのです。また私たちタラッパンの中にも、いろいろな事が多くありました。下手すると、不信仰に倒れます。いろいろなことをする人々も多かったのです。私たちも失敗することがありますが、不信仰に陥りやすいのです。ところが、神様の恵みで、その時ごとに教会と私たちのチームが信仰を選択するようにされました。本当に驚くべきことです。皆様がその時ごとに、いつでも重要なことをすべきです。

・神様が「あなたと共にいる。あなたをのろう者はわたしがのろい、あなたを祝福する者をわたしが祝福する。」そのようにおっしゃったのに、アブラハムが信じられなかったのです。それで、エジプトに下って行ったのですが、そこで得た女がハガルで、そこから産まれた息子がイシュマエルでした。皆様、不信仰がどれくらい怖いか分かりません。それで、あなたがたは、救われたこの祝福を持って味わうことが祈りです。そして、聖霊充満してくださいと祈って、聖霊充満を受ければ、力が生じます。そして、私たちは確かに未来は私達が作った未来ではなくて、神様が与えられる結果を知っているために、揺れる必要がないのです。今日、詩篇を見ながら、新しく始めながら、力を得るように望みます。

・3つで、私たちは出来ないのですが、私たちのレベルではできません。しかし、神様はなさることができます。それが聖霊充満で、祈りです。それで私がずっと祈り始めました。神様は答えを下さいました。困難にあった時、私は祈り始めたのです。なぜでしょうか? 私では出来ないということを知っているために、私自身は何にも出来ません。それでずっと祈ったのです。神様が答えを今までくださいました。これを捕まえましょう。人の話を聞かず、皆様が頑として祈ることではありません。

・エジプトで昔に私たち先祖にした事を知らないかとは、何の話でしょうか? 証拠を話すのです。私たちは、結論を確かに持っています。私たちの信仰生活は、福音を持っているために、証拠を確かに持って、結論を知って行くのです。立派な人も崩れます。賢い人も崩れます。強大国も崩れます。しかし、福音は崩れないのです。捕まえねばなりません。人は成功しても崩れる時代がきます。絶対に崩れないことがあります。福音を持った人です。牧師たちが、牧会をずっとして、宣教師は宣教している途中で、後ほど弱くなります。絶対に弱くならないことがあります。福音を持った牧師と宣教師です。この福音が何か知っているでしょうか? 「パウロ。恐れてはなりません。あなたが今まで苦労を多くしたから、わたしが面倒を見てあげよう」というのではありません。「パウロ。恐れてはなりません。カイザルの前に立たなければならない」その話は、何の話でしょうか?福音ゆえに、福音のためであって、あなたが今までどれくらい苦労を多くしたか、私が面倒を見てあげるという話ではありません。暴風の中で聞いた話です。 276人の命が尊くないか、だから面倒を見てあげる、その話ではありません。その貴重な船が破損しても良いのか、ということでもありません。「パウロ。恐れてはなりません。」その後の話が重要です。「カイザル前に立ちます」重要です。福音ゆえに、皆様は救われた神様の子どもであることが確かです。

・詩篇はほとんどみな救われた神様の子どもの歌です。実生活の中で祝福を捜し出さねばならないのに、そのうちで必ず3つを捜し出しましょう。皆様は確かにできません。神様のみことばと合いません。合うようにすることがあります。それが聖霊充満です。それが祈りです。皆様の力では、世界福音化できません。 ところが、神様の計画は世界福音化です。これをどのようにすることができるのでしょうか。それが祈りです。それが聖霊充満です。そのレベルを正しくするようにすることが聖霊充満です。皆様の体質では、絶対にだめです。皆様の年を取ったら、年を取って体質が出てきます。長老がここにたくさんいます。

・この頃の時代、若い人々を長老で立てます。この頃は、首都圏、こういう所では、ぼーっとした人は立てることもしません。とても若い人々を長老として立てます。お金をよく儲ける人々、こういう人々を立てます。孫のことを話す人々は立てることもしません。時代がそうです。しかし、私はそのように考えません。私はそのように思わないのは、レベルがだめな私達が、神様のものすごい計画を成し遂げることができるのです。福音を持ったとするなら、それが聖霊充満です。それが祈りです。早く回復しましょう。そうでなければ、押されます。皆様、年をとっている人々は、会社に行っても押されます。それで良いでしょうか。知恵があって、神様の力がなければならないでしょう。世の中がそんなに簡単でしょうか。皆様が万が一、下手すると、世の中で押されます。使い道がなくなります。それではだめです。聖霊充満を受ければ、年齢が80になったとしても、新しい事ができます。その人がモーセです。私は得たのでもなく、成し遂げたのでもなく、これからキリストの手に捕えられた、それを握ろうと行く、パウロがその時、何歳なのか知っているでしょうか? 75才です。私たちならば、終わる年齢ではないでしょうか?

・ソウルにいる立派な牧師が、年をとった牧師、長老、たくさんいれば教会が良くならないと、自分から引退してしまいました。六十何歳しかならなかったのに、長老が行って、若い人々がしなさいと言いました。私が見る時は、聖書的ではありません。人生の原理としては、正しいのかもしれませんが、聖書的ではありません。聖書はそのようになっていません。聖書の箴言を見れば、若い者は知識が多いけれど、老いた者は知恵があるとされています。そうです。年齢が若くない人が、たとえ知識と情報、コンピューターはよくできなくても、知恵があるのです。生きてきた知恵があります。特に私たち民族はそうです。今、出てきたではないでしょうか?

・今、韓国でSARSにかからないのですが、なぜかからないのでしょうか? キムチのゆえです。今、問題が変わりました。全世界のアパートから(匂いが良くないからと)迫害される味噌が、一番坑癌料が高いことが発表され始めたのです。そのようなことを見ながら、私たちの先祖には、知恵があったんだなあと感じました。どのように知って混ぜたキムチに味噌を食べながら あのように健康を維持したのだろうかと考えました。知恵です。特別に習ったことでもありませんでした。私は、弱くて能力がない人はしてはならず、年齢が高い人はしてはならないということは、聖書的ではないと考えます。聖霊充満を受ければ可能です。

・マルコのタラッパン人々は、資格がありません。しかし、聖霊充満を受けたのです。使徒の働き6章を見れば、救済の対象者です。彼らは、世界福音化が出来ません。しかし、聖霊充満を受けました。それで差がなくなったのです。私達がむしろ知識があって賢いとしても、聖霊充満を受けなければ、それがむしろ問題になるはずです。それで私は、そのように考えません。 "しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受け、エルサレムとユダヤとサマリヤと地の果てまでわたしの証人になります" 祈り始めることを願います。

・私たちの教会が始まった時にどのようにしたのか知っているでしょうか? 勧士がこう話しました。'私たちは年を取っているから、何をしますか' 私が話したのです。'そのようなことは言わないでください' 年をとった方達が、教会で何を開始したのでしょうか? 祈り始めたのです。私たちの教会の地下で祈りを止めませんでした。事実、事業する人々が事業をしないで、祈りをして良いでしょうか? 若い人々が、祈りをしてみましょう。どれくらい難しいでしょう? 夫の顔色、妻が嫌われるようではないでしょうか? どのようにできるでしょうか? おばあさんたちは、人の顔色をうかがうことが、何があるでしょうか? 教会でずっと祈りました。それで、私たちの教会を生かしたのです。人々が見る時は価値なく見えるかもしれないのですが、韓国のおばあさんが、世界でないことを作り出しました。それが何でしょうか? 早天祈祷会です。全世界の知識人が早天祈祷会をしませんでした。韓国は早天祈祷会をしたのですが、だれがおもにしたのでしょうか? おばあさん達がしました。行く所もなくて、寝ることもできず、それでずっと祈りをしたのでした。これが韓国教会を生かしました。祈りの力が何かを知らないでしょう。霊的なことを科学的に知らないからです。霊の世界を理解するならば、祈りはすごいことなのです。それで何かを知る人は、おばあさんに祈ってくれと、おいしいものを買ってあげます。'年をとっているので' そのようなことを話す必要がありません。何の関係もありません。若くても、賢くても、聖霊充満を受けることができなければ、何の価値もないのです。霊的なことはできないのです。たとえ無知で、持っていることがなくて、年齢が若くないとしても、聖霊充満を受ければ、できるようになっています。

・八十才のモーセ老人が神様の働きをしたように、神様がモーセを四十才で呼ばれないで、八十才で呼ばれたという事実を記憶するように望みます。したがって、私たちは心配する必要がありません。それひとつは必ず捕まえてくださるように願います。2番目は、揺れる必要がありません。結論が出ているではないでしょうか? 神様の子どもは、天国まで行くようになっています。 "わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。" 何ゆえに、そうなのでしょうか? 福音を持っているからです。神様の子どもであるためです。それで、多くの信徒、初代教会が勝利した理由が何でしょうか? 終わりを知っていたためです。それを現実の中に適応させたためです。

・するともう一度、三番目には、すべての不信仰を捨てる程ではなくて、不信仰と戦うように願います。

・体重を20s減らした人がいます。亀尾のキム・ソンウ牧師です。山のような体格の人です。非常に太って、身長が大きかったのです。ある日見たら、やせて見えました。それでどのように体重を減らしたのかと尋ねました。そうしたら話しました。'たいしたものです。意志の強い人だな'と話しました。先週に告白をしまいた。オーストラリヤ集会の担当者なので、いっしょにいた時、たずねてみたら、その人がおもしろい返事をしました。 "からだをだまさなければなりません" と話しました。からだにたくさん食べたかの様にしてやらなければならないと話しました。野菜を思い切り食べたと話しました。たくさん食べたかの様にしながら、少なく食べたと話したのです。そのようにするので、減ったと言いました。二十何キロ、やせたのです。'偉いな'と話しました。

・悪魔をだますべきです。私たちは、これから不信仰をするな程度ではなく、不信仰と戦うべきなのです。それが、信仰生活した人々の特徴です。今日、あなたがたは、祈りの力を皆、体験するように願います。私たちインマヌエル教会が断食祈りを開始しました。神様の驚くべき力を見るようになるはずです。朝に私たちの長老が祈ったように、神様の驚くべき計画がなされるようになるはずです。私が知っていることでは、一度ももれなく祈りに答えがなかったことがありません。福音を持った者の祈りに、いつでも答えられました。今は、私たちは弱くてだめですが、そのレベルを越えなければなりません。これからは、神様が私たちに与えられた契約、未来が明らかです。これを現実に捕まえなければなりません。これから私たちは、不信仰と戦うべきです。じっとしていず、戦うように願います。これからは、祈りながら自分自身の壁を越えて立つことを願います。私たちは確かにすることができないのです。

・しかし、八十五才のカレブの話を聞いてみるように願います。アナク山地で、イスラエル民族が不信仰になって、また気落ちしたのです。その時、行ってヨシュアに言った言葉です。ヨシュアは、彼の友人です。カレブは普通の人ではありません。ヨシュアをモーセに仕えるように、また仕えました。たいした人物です。私が聖書のいろいろな所を探して見ても、カレブが、「あなただけにして、私はしてくれないのか」と言う記録がありません。私たちは、「全く同じく主のしもべモーセに仕えたではないか? どのように、あなたはすべての権力をみな占めるのか?」そのように話したことがありません。カレブはたいした人物です。むかしに、民数記 14章を見れば、カナンの地を偵察してきた時、十人が行くことが出来ないと言った時、その時、口を割ったカレブが歳月がどれくらい過ぎたのでしょうか? アナク山地の戦闘で口を割りました。「私達が偵察しに入って来た時、十人が入ることが出来ないと言ったではないか? その時、私達が神様の前に信仰の告白をしたではないか? この時、神様のしもべモーセが、私たちにカナンの地に入って行くことができると約束したではないか? ところが、私たちは入ってきた。」この時、言った言葉です。'私の年齢が今、八十五才です。今でも山に昇って下りるのに異常がない' と話ました。'神様がもし私と共におられたら、結局、その土地を占領するはずだ' カレブの話です。普通の話ではありません。契約を知っている人で、結論を知っている人で、祈りの秘密を持っている人でした。勝利するしかありません。

・あなたがたは、早く回復するように願います。そのまま静かにいないように願います。急にすることがあって、しないことがあります。これは急に早く捕まえてくださることを願います。世の中は、ますます悪くなって行くのに、そのままいてはなりません。これからの時代が、三星の李健煕会長が話したように、天才時代がくるはずです。やや下手すると、食べ物にも飢えて死ぬ時代がくるはずです。私たちは、聖霊充満を受けなければなりません。私たちは力を受けることなしではできないのです。私たちのレベルは、確かに世界福音化ができないのに、神様の祝福はそうです。どのように私達がこのレベルを合せることができるでしょうか? それが聖霊充満です。そして、私達が信仰生活するなかで、このようにせねばならないか、あのようにせねばならないか? 揺れる時が多いのです。しかし、結論を見るように願います。申し訳ないのですが、神様は政治家、教授、経済人は序論で、本論で福音を持った者を用いられるはずです。皆様を用いられるはずです。そして、今から不信仰と戦うことを願います。この詩篇が全部、不信仰と戦う内容です。すると、あなたがたにすぐ多くの答えが、すぐにはきているようでなくても、時間が過ぎれば、くるようになっています。私たちは既に証拠を見たではないでしょうか。この契約を捕まえて祈りし始めたのに、神様は世界福音化の門を今、開けてくださいました。挑戦する時になりました。それで、今年残った年に、大きい祝福を受けるように願って、残った皆様の生涯、貴重な祝福を受けるように願います。インターネットでみことば受ける全世界のレムナントに、今日の時間に新しい力を得るように望みます。のがさないようにしましょう。今現在、衛星で一緒に礼拝をささげる教会、本当に地域を生かす祝福があふれ出ることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちを救われた神様に感謝申し上げます。それなら私達に与えられた祝福があまりにも大きくて、私達がせねばならない事が多いのですが、私たちには出来ません。主が与えられた約束、聖霊の充満が臨まれれば力を受けて、地の果てまで証人になるということを信じます。それも出来ないことをご存知であって、約束なさったことを待てとおっしゃった主が、マルコのタラッパンに祈りながら待っていた時、卑怯者のペテロを使命者ペテロにされた神様が、今日、私達にその恵みをくださることを信じます。既に私たちは、世界福音化と神様の子どもと、神様の秘密、天国の希望を持った結論を知っている神様のしもべなので、この契約ですべてのことを解釈して、全てのものを耐えて、全てのものに勝つことができる信仰を増し加えてください。ただ今できることは、私達が不信仰と戦う、霊的な神様の子どもになるようにさせてください。今日、詩篇記者の告白通り、主の恵みが臨む貴重な祝福を下さることを信じます。すべての主のしもべに力を与えて、2800箇所で伝道するための目標があるインマヌエル教会の上に神様が働いてください。衛星で礼拝する教会ごとに、神様の驚くべき働きが回復するようにしてくださって、私たちのすべての役員に大きい力を与えて下さって、神様の祝福を与えて下さい。私たちあらゆる現場にいる主の民に、この力を与えて下さい。新しく始まる週になるようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン