2003年 07月 20日 インマヌエル教会聖日メッセージ
1部 / 真っ二つに裂けた神殿の幕
(マルコ15:33-47)
・今日、全国で私たちのレムナントたちが、いっしょに礼拝をささげています。今回は、3000人くらいのレムナント集会がある予定です。今日は、イエス様が十字架で死なれる内容です。ここで私たちのレムナントと多くの方達が記憶せねばならないことです。とても重要ないくつかの事が起きています。イエス様が十字架で亡くなられる時に起きたことです。神殿の幕が裂けました。すぐにはよく理解できないでしょう。
・むかしは、神殿に至聖所があり、聖所との間に幕がありました。そこは、人々は見ることもできなくて、入ることも出来ません。もし失敗して入っていくようになれば、死ぬことになりました。実際に、大祭司が入る時にも、血を持って行って、ばら撒いていました。
・実際に、私たち人間は、神様に会うこともできなくて、近くに行くことも出来ません。イエス様が十字架を担って死なれました。その瞬間に、神殿の幕が上から下に裂けたということです。あなたがたは普通に過ぎることができる部分ですが、ここに相当に多くのものが入っています。幕が下から裂けのではなく、上から裂けたとなっています。大きい神殿の幕が上から裂けたということは、人が裂いたということではないのです。下から裂けてこそ、人が裂いたということですが、上から裂けました。単に「幕が裂けたのか」というように考えることができますが、ここには相当な理由と真理が入っています。
・イエス・キリストが十字架で死んでくださって、私達が神様に進むことができる道を下さいました。聖書で一番たくさん強調されている部分なのに、驚くべきことに、クリスチャンが一番知らずにいます。聖書では一番たくさん強調している部分なのに、神学者が知らないでいます。聖書では最もたくさん強調している部分ですが、あなたがたが救われて祈ることができるように幕が裂かれたのです。
・イエス様が私たちを救われるために、垣根を崩してくださったのです。ここで重要な話がたくさん出てきます。一般信者は知る必要はありませんが、ここに神学的な話もたくさん出てきます。神父には申し訳ないけれど、ここでカトリックと思想が違ってきます。神父に皆様の罪を持っていってもらうために告白するのではなくて、直接、幕を裂いてくださったのです。これが聖書の核です。ところが、聖書の核をほとんどすべての人が否認しています。私はなぜそうなのか分かります。誰かが私に個人的に聞くならば、私は個人的に答えることができます。公式的に話すことはできなませんが、個人的に聞かれたら、話することができます。なぜ人々が悟れないのかと聞くならば、個人的に答えることができます。個人的にこのように答えることができます。救われることができなかった、そのように見ることができます。ものすごく重要な話です。
・福音を悟った人々に、中世教会が反対した内容の中のひとつです。私たちの罪をイエス様が赦されたから、直接、祈れるのではないのか。この事実を信じる信仰で、救われるのではないか。それが私たちの主張です。もう一度、カトリックに申し訳ないのですが、カトリックは懺悔の告白をします。それが聖書的ではないのです。神父が皆様の罪を聞いて、代わりに神様に告げるのです。まだ旧約式でしています。それは何を話すのでしょうか。幕があった時、幕の内に入っていくことができないから、血を持って祭司長が幕の中へ入っていきました。その話です。キリストの死を最も侮辱する行動です。そのように話したところ、カトリックでは、罪を懺悔する告白をするのではなくて、相談だと答えました。それは、決定的な聖書的な非難を避けるために述べた言葉ですが、そうではありません。今でもそのように祈ります。今でも懺悔の告白をしないのでしょうか。そのような必要はありません。イエスの名前で神様の前に直接、大胆に進むことができるのです。そのような意味で、幕を裂かれたのです。
・皆様、ここに確信を持ってこそ、救われたのです。ここに対する感激がなければ、申し訳ないけれど、救われることができなかったのです。ここに対する答がなければ、申し訳ないのですが、運命とサタンの力の下から抜け出すことができません。ちょっと申し訳ないのですが、どんなに信仰生活をしても、うまくできないのです。弱くて、罪を犯した私達が神様に進むことができるように、幕を裂いてくださいました。私と皆様が呪われるしかないのに、至聖所に出ることができるように開けてくださったのです。7月17日に罪をあがなってくださったのではなく、いつでも行くことができるように開けてくださったのです。大祭司を待って行くのではなくて、誰でも、いつでも行くことができるということです。それで、ヘブル4章に大胆に御座の前に進むとなっています。私たちに、ものすごく重要なみことばになります。私と皆様は、霊的問題があるために、神様に会うことができなくなりました。それで、幕を開けられたのです。私と皆様は、運命と地獄の力から抜け出すことができません。それで、大胆に御座の前に進むことができるように、幕の門をあけられたということです。相当なメッセージです。
・マルチン・ルターが主張した内容の中で最も大きい内容がなにか知っていますか。色々なことを話しました。そのうち最も重要なのが、信仰で救われるということです。すると、福音を悟った人々が主張する最も大きいことがなにか知っているでしょうか。万人祭司。あなたがたは、王である祭司。決まった祭司だけが血を持って入っていくのではなくて、イエス様が十字架で死んでくださって、その血が必要ないのです。メシヤを待っていたので、羊の血、牛の血が必要で、イエス様が十字架にかかられて、必要なくなりました。それで、あなたがたは大胆に祈ることができ、答えを受けることができるのです。
・2番目です。イエス様が十字架で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と言われました。最後の祈りです。祈りというよりは、最後の言葉です。肉体的にあまりに疲れているので、どうしてしてあなたはお見捨てになったのですかと言う程、苦しまれたということです。何の話でしょうか。人間が受けなければならないすべての呪いを担われたのです。神様が、皆様が呪いを受けないように、すべての呪いを受けてくださったのです。イザヤ53章に、すべての病気、すべての苦しみ、苦難を担われたと書かれています。なぜそうなのでしょうか。皆様の中で一名も、その苦しみに勝てる人がいないためです。自信があるでしょうか。
・私が知っている社長一人は、ものすごく賢い人でした。そして、ものすごくお金もよく儲ける人です。人間性もとても良い方でした。能力もあって、良い人なので、知っている人も多かったのです。ある日、この人が癌になりました。「先生。私はあらゆることをみなしてみました。中国にまで行って、治療を受けました。気功する専門家を呼んで、朝ごとにしました。良いと言われるすべての薬になるものはみな食べました。もちろん、手術もしました。ところが、私が衝撃を受けたのです。その次に病院に検査をしにいったら、全身にみな広まっていました。私としてはどうすることも出来ません。」それで、私が「あなたができることが一つだけあります。イエスを救い主として受け入れて、神様の子どもになることです。」 話してからかなり時間が経ちました。普通の人ではありません。全身に癌が広がって、抗生剤でからだはぼろぼろで、髪の毛がみな抜けて、既に全身にみな広まっていました。そのような状態で、私とゴルフをしょうと出てきたのでした。普通の人ではありません。「先生とお話をするためにきました」と言いました。結局はだめでした。少し前に連絡がきたのですが、その多くの財産と仕事を残して行きました。止むを得ないのです。
・私達は、たった一個の呪いにも勝つことはできません。自信がある人は、手を挙げてみてください。たった一個の災いも勝つことができません。イエス・キリストが十字架で、すべての呪いを、永遠な呪いを担われました。皆様に簡単に話すので、簡単に聞くことも出来るのですが、神様の最高の計画です。45節を見ると、葬儀を行なう所もなくて、死んだ後にも他の人の墓に行くようになる苦しみにあわれました。それで、私たちの災いと私たちのすべての呪いを、全部、担ったと、聖書は最も大きく約束しています。
・今日、皆様レムナントに重要な日になることを希望します。単なるレムナントではありません。神様の前に 出て祈ることができるレムナントです。それで、私は大きい期待を持っています。今回、大学集会に行って、大きい力を得てきました。もちろん、昨年より倍にたくさん集まりました。今は、私たちの教会と集いが復興しています。それゆえではありません。私が大学生にメッセージをしながら、神様のみことば、福音を持った大学生を見ながら、力を得たのです。この大学生たちが国会議員になれば、初めてキリストを知っている国会議員が出てきます。他の人は知らなかったという話ではありませんが、簡単に知っているということではなく、政治と生活と事業に影響を与える程知っていることです。私たちレムナントの中から大統領が出てくれば、本当にキリストを知っている大統領が出てくるのです。正しく幼い時からキリストを知っているレムナントが出てきました。それを考えると、胸がどきどきして、力が生まれたのです。
・もし、私たちの教会のキム・ヒョンゴン長老が私のところにきて「先生。私は時間があるので、子ども達がサッカーをするのを見て、サッカー選手として行きます」と言えば、私は確実に止めます。どんなに聖霊充満するとしても、止めてくださいと言います。しかし、学生達が「先生。私はサッカーをして世界福音化します」と言えば、しなさいと言って祈ってあげます。私が人を差別するのではありません。区分するだけです。一名はおじいさんで、もう一名はレムナントです。この中から正しく知っていれば、なにか出てくるのです。
・ものすごいキリストの奥義を知っている私たちの学生達が育っています。キリストが十字架を背負われたのは、いたずらになさったのではありません。私達が、どのようにご飯を食べて成功するのか、それゆえに担われたのではないのです。私達がどのようにすれば、風邪を直すことのかということではありません。御座の前に進むことができるように、幕の門をあけてくださったのです。私と皆様が、サタンと罪と地獄の力で押さえられて死なないように、キリストがすべての苦しみを担われました。どれくらい驚くべきことでしょうか? これからできれば、事業が正しくなります。これから正しくなれば、勉強ができるのではないでしょうか? 霊的に苦しめられて死ぬのに、何の勉強になるでしょうか。
・今日の本文で、三番目のことが重要です。そのような中で、39節に百人隊長一名が、「この方はまことに神の子だった。」と言いました。他の人はみなちょう弄するのに、「神の子だ。」と言いました。本当に驚くことです。外に出かけてみましょう。ほとんどみな神様を知らないのに、皆様が神様の子どもであるのは、奇跡の中の奇跡です。皆様よりものすごく立派な人々、国会議員、長官が知らないキリストを私達が知るようになったことは、驚くべきことです。その方たちが、本当に幸福でしょうか? それは私はよく知りません。たぶん幸福ではないでしょう。
・私たちには、この驚くべき告白を信じる時、聖霊が働かれます。より重要なことは、告白する時に働かれるのです。より重要なのは、使用する時に働かれるということです。車が中央線を越えてくるとします。警察がどのようにするでしょうか。警察が堂々と出て、車を止めます。こちらに来なさい。車を止めなさい。挨拶して免許証を見せてくださいと言って、免許証を受け取りながら何と言うでしょうか。交通法何条に中央線を越えることがあります。堂々と免許証を見て話します。どんなに有名な人でも、すまないと言って頭を下げます。そうしてこそ、交通秩序が保たれるのです。警察が立っていて、信号違反の車両が来るのに、止めようか、やめようかとなっても良いでしょうか。その人の印象を見たら、恐ろしいみたいだから、止めようか、やめようかとなれば、どんなに良い警察でも、効果がありません。どんなに人が小さくても、大きいバスでも止めれば、止まるべきです。それでこそ、警察になることで、交通整理になるのです。
・私達がどんなに祝福を受けても、使わなければ何の効果もありません。告白しましょう。使用しましょう。信じる時、働きが起きます。初代教会の主題、3つを知っていますか。初代教会が世界を征服した3つを知っていますか。今すぐに祈りの答えを受けることができる3つを知っているでしょうか。その主題3つとは何でしょうか?
・「イエスがキリストだ。」ところが、その話はユダヤ人が分かっても、皆様は分からないことが正常です。イエス様、この方が、私達が待っていたメシヤその方だということです。ところが、私たちはメシヤを待ったことがありません。ユダヤ人達は、待っていたではないでしょうか。私たちは、待ったことがないのです。ユダヤ人はわかります。「イエスがキリストだ。」90%の人が怒りました。どうして、その人は大工の息子であって、違う。「イエスがキリストだ。」ユダヤ人はわかるのです。腹が立とうが、どうしようが、わかります。私がしばしば説明するのでわかるでしょうが、わかることができないのです。だから、逆に説明すべきなのです。
・私たちにキリストが必要です。私たちには、罪の問題、サタンの問題、地獄の問題を解決するキリストが必要です。その単語が、キリストです。この三つの問題を解決しなければ、誰でもだめなために、これが必要です。すると、キリストとは誰でしょうか? 私は、聖書勉強をしてみて、学校の勉強をしてみて、歴史の勉強をしてみて、イエスがキリストと分かりました。それが初代教会の一番目の主題です。
・今日、皆様がイエスがキリストという話を本当にわかる瞬間に、答えの門が開き始めます。
・初代教会の主題、2番目です。「その方は復活なさって、今、働いていらっしゃる。」証拠は、その名で祈ってみましょう。確かです。イエスの名前で祈ってみましょう。それで、ペテロがこう話したのです。「私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名前で歩きなさい。」そして、パウロが何と言ったでしょうか。悪霊につかれた者に、「イエスの名で命じる。悪い霊が出て行け」その名で皆様の家庭、私たち教会と周囲のあらゆる不信仰がイエス名前で縛られることをお祈りします。
・使用しましょう。内心で。これは重要なために、口に出して現わす必要がありません。瞬間、瞬間に祈りましょう。イエスは復活なさいました。もう一度お話しすることができます。私は、私が尊敬する僧侶、神父達 と時間があるならば、一緒に一週間休暇を送りたいのです。いつかはしてみるように勧めるつもりです。休暇をどこに行くかというと、いっしょに一旦、精神病院へ行きます。確実に現れます。悪霊につかれた人は、イエスを信じる人を見れば逃げます。そこで、釈迦の名前で、孔子の名前で話せば、なぐられて死にます。してみましょう。すべての不信仰と、皆様を欺く暗闇の力がイエスの名前で崩れることを希望します。だから、復活なさった主なのか、死んだ主なのか、使ってみましょう。驚くべきことです。皆様が健康な時に祈りましょう。定刻の祈りの時に祈りましょう。すべての病魔と呪いは、イエスの名前で離れ去るように。世界福音化できるように祈りましょう。これが初代教会の主題です。初代教会、三番目の主題です。
・イエスは生きておられ、今でも聖霊で目に見えないように働いていらっしゃいます。聖霊で皆様の中に働いていらっしゃるのです。聖霊で、今、皆様の周囲に、礼拝している所に働いていらっしゃいます。それなら、聖霊充満を受けましょう。初代教会の主題です。すごいことです。その状況の中に百人隊長が、「これは神の子だ。この方は、まことに神の子だ。」と言いました。
・外国から多くの方達が韓国に行き来します。私は、15年前にこの町にロシアの人々がたくさんくることを知って、ロシア宣教をしました。私が宣教している途中で止めたことは一度もないのですが、私が止めると言いました。この方達が、伝道はせずに、違うことをしばしばするのです。ロシアの人を呼んで、あちこちの教会に通いながら、食事させてもらい、石鹸、化粧品、ローション、女性のストッキングを集めて、しばしば贈り物をもらうようなことをするのです。この人達の関心がどこにあるのでしょうか。とても水準を低くさせてしまうのでした。ロシア人が私に質問して、教会はなぜ、こんなにお金が多いのですか。それで、私がイエスを信じればそうだと言いました。私は、その話を聞きながら、大変なことになったという気がしました。
・私が15年前に、キリキスタンに行ったのですが、この人たちがあまりに貧しくて、パン一個をもらって食べようと並んで立っていました。集会に来るのか、パンをもらいに来たのか、分かるすべがなかったのです。それで、その町の宣教師を見て話しました。私が主講師だと圧力を加えながら言ったのです。「パンのようなものを与えないで。交通費を与えないで。自分たちがきて、礼拝をささげるようにしなさい。イエスを信じるようにさせなさい」と言ったところ、宣教師が、それでは一名も来ないだろうと言いました。「来なくても良い。私達が正しいイエスを信じる人を作らなければならないのではないか。」とても私が強く話したので、この方が、止むを得ず広告をしました。'明日は、昼も夕方もパンをあげないので、皆様は知っていて食べてきなさい。'私はロシア語を知らないから、正しくしたのかと聞いたら、正しくしたということでした。イ・スン教師の顔色が変わって、明日は誰も来ないと言いました。その話を聞いて、宿舎に行って静かに考えてみたら、来ないのかと心配になりました。来ないならば、宣教師の話が正しいではないでしょうか。申し訳ないのですが、その方は錯覚していました。それは自分の考えでした。その次の日、人がたくさんきて、劇場がぎゅっと埋まり、外にまであふれるほど、2000人がきたのです。まさにその日来た人の中に、押されてガラスで手をケガして、病院に行くこともありました。ところが、もっと驚いたことは、私がキリキスタンのホテルに泊まっていたのですが、その日の夜に、ホテルにいたら、ロシアの車で、名前がウォルカだったか、ボルガだったかがあります。韓国での最高級車(エクース)と同じ車です。これが900台を越える車が、ホテルの中へずっと入ってくるのです。何をするのか行ってみました。高級人材が、ロシアの人々が入って踊って遊んでいたのです。その時、私が悟って、乞食だけを連れているんだなと分かりました。私たちの誤ちでした。
・皆様、今、外国から来た方達、福音ゆえにここに来たなあと悟ってこそ、生きるのです。何のパンと食事が 重要でしょうか。イエス様が死んでくださった時、すべての幕を裂かれたことは、大きい御座の前に進むことができる門を開けてくださったということです。それがパンと比較できるでしょうか。そして、私達が受けるべきすべての呪いを受けてくださいました。これを告白する者は、救われます。突然に百人隊長がきて、「これはまことに神の子だな。」と言いました。それで、初代教会の主題が、「イエスがキリストだ」「その方は復活なさった」そして「今、聖霊で働いていらっしゃる」 この話を理解できない方達は、永遠に祈りの答えを受けることができません。
・ある日、皆様にやってくる困難を防止することが出来ません。皆様にやってくる深刻な霊的問題を防止できないだけでなく、手遅れになります。この百人隊長は、どれくらい重要な機会を迎えたのでしょうか。
・今日、あなたがたはこの重要な契約を捕まえると、すぐに祈りの答えを受けるようになり始めるはずです。そうするならば、本当に感謝が出るべきです。なぜなら、立派な人々が知らないことを知っているようになりました。皆様、本当の感謝が出てこないのですか。皆様の顔をよく見れば、感謝がよく出てこないようです。
・私は考えるだけでも、ぞっとします。私が生まれるのに、精神病者、ムダン(霊媒師)の家に生まれたら、どのようになっていたか、考えただけでもぞっとします。私は知らずに行った教会なのに、私が何かを知って行ったのか、勉強をしにいったのか、なんとなく教会に行ってみたのですが、それでも、みことばを伝えている教会に行きました。本当に感謝なことです。他の人は、伝道が難しいと言うでしょうが、私は一番やさしい ことが伝道です。どれくらい感謝でしょうか。人々が祈りが難しいらしいのです。私は、一番気楽なことが、祈りです。それが何で難しいのでしょうか。本当に不思議です。私はとても感謝です。
・ある人は、ご飯を食べることができない程にさ迷って回ります。私はご飯ゆえに回るのではなく、世界福音化のために回ります。どれくらい感謝でしょうか。私は福音を知って、腹がへったことがありません。いつもお腹が小さくて申し訳ないのです。接待してくれる人は多いのに、お腹が小さいのです。どれくらい感謝しているでしょうか。私のような人間が、もてなしを受けるような者でしょうか? 行く所ごとに人々が祈ってくださっています。どれくらい感謝でしょうか。そのような程度だけではありません。
・神様が、時代時代ごとに、難しい汚名をつけて伝道師を用いられたではないでしょうか? 本当に驚くべきことです。だから、どれくらい感謝しているでしょうか。また、これから答えを受けることを考えるので、もっと感謝します。断食しながら祈る方達、着実によく祈るように願います。どんなことが起きるかご覧になるように望みます。神様は、私たちに何を答えられているか、契約を握るように望みます。ここに真の感謝が出るべきです。そして、本物の答えを受けねばならないのですが、その次に、どのようにせねばならないのでしょうか。
・キリストが十字架にかかられました。それなら、皆様の過去、傷、すっかりみななくなるべきです。大部分のクリスチャンが持っているのです。私も持っているか? 傷を持っているか?と思うでしょうが、私が見るとほとんどみな持っています。親しい友人と会って涙を流すのは、むかしの傷を持っているということです。ある人が伝道に行かなくて、夜も寝ずに自分の話をみなします。涙を流して、ハンカチで拭いているなら、実際に傷がなくならなかったということです。むかしに、私がこんなことがあったのか? 驚くほどです。私がむかし、どのように育った、それが本当に不思議だというようにならなければなりません。それが、傷が終わったということです。退屈ならば涙を流して、私がむかしに何かと言うのは、傷がそのまま残っているのです。私が幼い時を思い出して、どのように育って、それがみな残っているのです。救いとは関係はないのですが、答えとつながりません。悪い友人と遊んだ、その時を見たい、友人に会いたい。そのようなのは、まだ残っているのです。いや私があんな友人と遊んだとは、本当に不思議だ。一緒にいたことは間違いないのだろうか。ひょっとして夢ではないか。こうなるべきなのです。ところが、ほとんどみな、クリスチャンが傷をそのまま持っています。ある時は、傷とイエスと、おもに恵みは傷の中でまた受けるのです。祈ろうと行かなくても、海辺、山に行って、コーヒーなどを飲みながら、傷を受けたむかしのことを考えるのです。過去に 傷を受けたことを再確認しながら、それで誰も知らないで涙を拭きながら、主よと言って行くのです。それが、絶対に祈りの答えがだめです。忘れてしまってはなりませんが、しかし、私たちに影響を与えるようにしてはならないのです。
・小さな話ではありません。皆様がそこに引っ張られるのです。私たちのすべての苦しみとすべての傷、罪を 担われました。それが、十字架事件です。すごいことです。救われた者に、祈る者に、信仰告白する者に、聖霊が今、働いていらっしゃいます。使ってみましょう。祈りで使ってみましょう。皆様、信仰で使ってみましょう。答えがき始めます。どのような問題も解決するはずです。今日、皆様が真の恵みを受ける、本当にいやされる日になることを主の名前でお祈りします。
・今日、礼拝が終わる前に、心の底から何秒かだけ祈りましょう。何と祈れば良いのでしょうか。主の聖霊が 私のからだを治めてください。それで、傷となった痛い部分を直してください。私のたましい、考えを、主の聖霊が治めてくださって、あらゆる傷をいやしてくださいと祈ってみましょう。皆様に考えることもできない 答え門が開くようになるはずです。仮りに、一週間、祈るならば、皆様に大きい証拠が起きるようになるはずです。今日、祝福の日になることを主の御名でお祈りします。
<<契約の祈り>
神様、感謝します。今日、新しい日になるようにしてください。希望の日になるようにしてください。価値 ある日になるようにしてください。意味がある開始の日になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
2部 /万民の王
(詩篇45:1-17)
・今日、私たちのレムナントがきているために、教会堂がいっぱいになっています。AD70年に、エルサレム神殿が崩れました。それで、1400年後にイスラエルの国が再建されました。その時、ジョン・カレーという先生がいました。「私たちイスラエルは、神様のみこころがあって滅びる。生きる道はひとつしかない。」その時、ローマ将軍に行って先生が言った言葉です。「神殿や王宮は、みななくてもかまわない。私たちの子どもを育てることができる会堂を許可してください。」その将軍も息子を育てる将軍だったゆえに、許可しました。その運動が、世界へ広がって行き始めました。その後で、回復し始めたのです。
・今日は、私たちの教育部、あらゆる行事をおいて、神様に献身礼拝をささげるようにしました。後ほど話すでしょうが、祈りを多くすることも重要ですが、祈りをよく発見しなければなりません。今、レムナント運動と夏聖書学校をおいて献身礼拝をします。
・皆様自らが、人生全体の答えを探し出さなければなりません。どれくらい重要でしょうか? 小さい子どもが 小さい行動をするのを見て、おとなが激励しました。その子どもが大きくなって、世界的な人になりました。これくらいレムナント教育は重要です。皆様がおわかりの通り、学校に通っていたのですが、子どもが勉強することができなかったのです。学業に適応できない子どもでした。家に帰されました。そのお母さんが、子どもを捕まえて、ずっと祈りながら勉強を教えたのです。皆様がおわかりの通り、その子どもがエジソンです。教育がどれだけ重要でしょうか。高等学校を中退した人に、誰かが話しました。「人にはタラント(才能)があって、時がある。だから、私は神様だけ知っていれば良い」この話を聞いて、勇気を得たのです。自分にもタラントがあるのか? すると、私も祈れば良いのか? それで遅く勉強を始めたのに、今までそのような人物は出てきたことがありません。その人物がアインシュタインです。アインシュタインは、幼い時から勉強がよくできたのではありません。
・先生がどれだけ重要で、教育がどれだけ重要でしょうか。それで、今日、レムナントに何を説明するために、この集まりをするのでしょうか。今日のタイトルとちょうど合います。万王の王、万民の王、それを説明しようとしているのです。イエス・キリストについての話です。旧約で長い間、説明しています。今日、あなたがたは、この答えを受けるために、世界的な祝福を受けるために、いくつかの契約をよく捕まえねばなりません。
・まず、身分が回復する、この信仰の目から開かれるべきです。これがだめになれば、どんなに信仰生活してもだめです。神様が万王の王のイエスを送られた理由が何でしょうか。万民の王であるこのイエス様を送られた理由は何でしょうか。これから発見しなければなりません。
・創世記 1章 27節にある「かたち」を回復するためです。どんなに頭が良くても、犬は神様を崇めることができません。犬を部屋で育てた人がいます。はなはだしきは、飛行機の中に連れていく人々もいます。ある人は、犬とキスする人々もあって、虫も多いのですが、ふとんの中で一緒に寝る人々もいます。外国に行ってみると、犬の洋服も着せます。私の娘が言う話が、犬のガムもあるということです。どんなにそうであっても、犬は神様を崇めることもできなくて、救われることも出来ません。何の話なのか、早く悟らなければなりません。私たちは、動物ではないという唯一の証拠が、私達が神様を信じることができるということです。
・聖書には、人間を神様が「神のかたち」に創造なさったとなっています。これをなくしたのです。どんなに 苦闘してもだめなのです。それを取り戻すために、万王の王をこの地に送られました。創世記3章ゆえに死ぬので、創世記3章15節の主人公を送られました。ノア時代のようにみな死ぬので、創世記6:13の主人公を送られました。イザヤ7:14の主人公を送られました。出エジプト記3:18 の主人公を送られました。今、私が話した 聖書箇所を理解するならば、聖書を完全に理解したことです。それが、まさに救いに関する、メシヤに関する、キリストに関する話です。このものすごい部分を、私たちのレムナントにずっと教えましょう。救いがとても格好良いということを、この子ども達に教えましょう。この神様の子どもになった祝福が、どれくらい大きいのかを習うべきです。
・教会のなかではどうなのかは分かりませんが、家に帰っていろいろな良くない話をする父母は、頭が良くない父母です。まちがいなく、学校に通った時、勉強ができなかったのでしょう。それは何のようかというと、子どもを連れて行って、水に沈めて殺すのに、上がってきてはならないので、臼をつけて沈めることと同じだと言われました。
・皆様の子どもは、皆様の言葉に影響を受けるのではありません。雰囲気に影響を受けるのです。皆様の子どもは、小言に影響を受けません。皆様がなにか持っている雰囲気に影響を受けるのです。レムナントは、文字や話に影響を受けるのではなく、feelingに影響を受けます。家で教会の批判を話すことは、子どもを完全に殺そうと考えていることです。こういうものが積まれるので、私たちのレムナントが、教会に通わないのです。だから滅びるのです。間違いないことではないでしょうか。簡単に話せば、教会に魅力を感じることができなかったのです。イエスの魅力を感じることができなかったのです。大統領になることより、もっと高いレムナントの魅力を感じることができなかったのです。これが学生時期に入ってしまうと、一生、大変なことになります。今回、私たちのレムナントが、必ず祈るように望みます。神様を真実に知るようにしてください。神様が偉大であることを見るようにしてください。キリストの完全なことを見るようにしてください。レムナントの祝福を見るようにしてください。
・今日、万王の王、万民の王の説明を長くしています。皆様、この祝福を本当に発見することを、主の名前でお祈りします。2000人、3000人集まったレムナントの頭上に、神様の大きい祝福があるようになることを希望します。これのための集いです。そのために準備礼拝をささげているのです。全世界でインターネットで、衛星でささげています。釜山でも学生達が参加しています。今、ここにだけいるのではなく、各教会に散在したレムナントが、メッセージをみな聞いています。私たちのレムナントは、精神を細かくよく整えるべきです。
・人々に話を誤って聞けば、皆様の貴重な生涯を福音なく終わります。皆様が成功するか、しないかとは関係なく、ある日、とても難しい状態にならねばなりません。これがどれくらい怖いことか分かりません。ここに牧師、長老、宣教師の子ども達は、より用心すべきです。だから、今まで聞いたことがうわべだけ見て聞いたゆえに、自分も知らずにうわべの人生です。大変なことになります。ある日、帰ってくるのが問題です。神様が直すために御手をのばされる日が問題です。悟れば簡単なことを説明するためには、見せなければなりません。それで、私たち説教者とあなたがたが、そんなに重要なのです。それで、私たちの夏聖書学校、レムナント集会、大学修練会、あらゆる修練会に、神様の大きいヴィジョンを見るようになることを希望します。
・私が幼い時、教会に通っていたのに、止めたのですが、この信仰が私たちの息子にも行くのです。私たちの息子が教会を見くびりました。なぜでしょうか? 学校に行っても、他の所も先生は良いのに、教会に行けば先生が良くありません。私の息子が小学校 3学年時のときです。先生なく礼拝堂に行ったのが、1年になりました。それで、私は聖日学校を預かっていなかったので、尋ねたのです。私の子どもの班に先生がいないけれど、どこに行ったのか。キム先生が担任なのに、6ケ月、教会に来ないでいました。私の息子に出席簿を持ってきなさいと言いました。出席簿を見たら、息子は、献金もみなくすねていました。たとえ 100円くらいしかならなかったのですが、みなくすねていました。なぜでしょうか? 献金を担当する人がいないから出さなかったのです。子どもたちが、変に思うようになります。私の息子も知らない間に、頭の中に入っていく教会観念、説教する伝道師が福音なく、福音に対する観念、信徒のいらない話しを多くする宗教に対する観念、永遠に永遠に抜き出すことができないものが入っていっているのです。
・ある日、私の息子に先生ができました。本当に悩みになりました。おかしな人だったのですが、教会に毎日いる人でした。私が下にいる伝道師を訪ねて、足りない先生だから、私の息子の班を担当させるな、こういうことができません。これが教会です。すると良いでしょうか。先生は、そのようにせずに、いのちをかけましょう。聖日学校、中・高等学校にいのちをかけましょう。子ども達を殺すのに、これがどれくらい重要でしょうか。本人が知らないのです。本当に祈るべきです。
・私が知っている執事一人が、「先生。私は職場を止めようと思います。」なぜですか? 「私は、今回、中等部の部長を預かりました。でも、職場になぜ行くのでしょう? 中等部を生かすべきです。今まで儲けて置いたお金を持って事業をするようにして、中等部を生かさねばならない。」中等部の担任の伝道師が、その人に中等部の部長をしなさいという話を聞いて、その日、夫婦が夜通し寝ることができなくて泣いたということです。なぜ泣いたのかというと、自分のような人間に中等部部長を引き受けさせる、神様の恵みにあまり感謝して、夜通し泣いたのでした。だから、復興するしかありません。その人の事業に祝福を受けるしかありません。その人が誰でしょうか? 西部教会の信徒でした。それで、私は西部教会を軽く見なくなりました。その時から、その教会を訪ねるようになりました。聖日学校の教師623人が集まっていたのですが、牧師が直接出て、出席を呼ぶのに、1番、2番、3番と呼ばれたのに、時々、いくつか順番どおりでなく、5番、2番と抜けたのです。そういう方法でしていました。そばの人に尋ねました。抜けるということは、教会に来ていないという話か? その人が私を見て、教師ではないでしょうと言いました。私は、探訪しにきましたと答えました。牧師が抜かしたのは、教会にこなかったという話ですか。子どもの班を預かっていなかいということですか? その人が、私の言うことが理解できないというように、なぜ教会に来ないのですか? 教師が来ないということがあるでしょうか? それで、どういうことかを尋ねてみました。そうしたら、子ども達を連れに来るので、この時間に来なかったという意味だと言いました。何時に出てくるかと聞いたら、明け方 4時に起床して、その時から近い所から子ども達を連れてくるのです。西部教会の幼年聖日学校に 15000人が集まっていました。入ってみたら、完全に律法でした。それで私が、律法でもあのようにするのに、福音がじっとしていて良いのか。福音でもない人々も、あのようにするのに、福音がじっとしていて良いのだろうかと思いました。それで、良い、私も夜明けに起きようと、教師全員を呼んで、明け方祈りをさせました。その時から、現場に行ったのです。いくらでもいます。子どもの使命者だけでも、千名が集まった時もありました。神様がどれくらい喜ばれたか、そのことゆえに忙しいのをご存知で、一回も疲れないようになさいました。神様が、どれくらいこのことを喜ばれたでしょう。いままでずっと答えを下さいました。
・皆様、本当に新しく決断するように望みます。本当に、私たちのレムナントは、祈るように望みます。最高の素晴しい神様の子どもの祝福を発見しましょう。大統領よりもっと重要なレムナントの祝福を発見しましょう。祝福を発見した後に、全く何がうらやましいことがあるでしょうか? 感謝が出てこなくて、いつもしかめ面をする人々を見ると、理解できません。救われた人に間違いないでしょうか。退屈ならば、しかめ面をする 人は、救われた人に間違いないでしょうが、私は本当に変に見えました。私は救いを発見した後に、良くない ことがあるでしょうか。国会議員に申し訳ないけれど、すればすることであって、できないことはしません。私もヤコブのように、大統領に会って祝祷してあげに行ったのに、そのようにはすることができませんでした。いざ行ってみて、ご飯だけ食べてきました。ヤコブを見ましょう。パロ王の所に行きました。会うやいなや、手を当てて祝福したのです。誰なのかを知っていました。大エジプトの王に会うやいなや、頭に手を当てて祝祷したのは、この人は、普通の人ではありません。私も大統領に会ったら、祈ってあげるべきです。しかし、行って祈ってあげなくて、ご飯だけ食べてきました。
・私達が受けた祝福はすごいものです。私たちのレムナントが必ず回復するように希望します。本当に発見した人々は、感謝が出てくるしかありません。2節を見ると、人生と違うと言いました。3節に何といったのかというと、力に対する説明をしました。真理、柔和、義、威厳がある王だと言われました。5節に、敵に勝つ王だとなっています。6節に、御座と国が永遠だとなっています。特に、7節には油を注がれた者。より重要なことは、8節に沒薬と香りの話が出てきました。特に、5節で万民の王、こういう人々は、信仰生活をどのようにするのでしょうか。今日、1節を見ると、心に良い言葉があふれるから、そして、11節で礼拝します。それしか仕方がないのです。11節でささげ物をささげます。15節を見ると、喜びで王宮に行きます。16-17節、永遠な賛美。皆様が理解できなくても、この契約を握らねばなりません。皆様、信仰生活を違うようにしないで、契約を握ってくださることを望みます。
・どれくらい驚くべきことでしょうか。今日、献身礼拝をなぜささげるのでしょうか。私たち子孫のために、とても重要です。ここに長老たちが座っています。長老たちが、もし集まって私に「先生。私達が世界の福音化のために、サッカー選手として行きます」と言ったら、どうでしょうか。私はまちがいなく止めます。いくらそれでも、それは止めてくださいと止めるはずです。なぜでしょうか? 希望がないからです。しかし、私たちのレムナントがすると言うと、祈ってやるはずです。なぜでしょうか? 今、年齢が違います。
・私たちおとなが、何ゆえにこういう途方もない事をしようとするのでしょうか。子孫ゆえに。私たちの長老たちとおとなが、何ゆえに祈ってお金を儲けねばならないのでしょうか。子孫ゆえに。それを決断することが、献身礼拝です。
・ヨセフのような人物は、単に出てきたのではありません。兄たちはねたんだのですが、ヤコブはヨセフの話を心に留めていました。モーセのような人物が、単に出てきたのではありません。ヨケベテというお母さんを見ましょう。聖書を見ながら、普通の人ではないという事実を知りました。子どもが生まれたら、殺されるので、箱に入れて、王女が入浴する場所に、時間を合せて流したのです。そして、乳母になって子どもを教える使命を見せました。モーセという人物が、単に出てきたのではないことを知るようになりました。あなたがたが祈らなければなりません。サムエルのような人物が、単に出てきたのではありません。ハンナという人物が、正しく祈ったのです。ナジル人を置いて祈ったのです。ダビデのような人物が、単に出てきたのではありません。すでにお手伝いをさせながら、しるしを持ってきなさいと言いました。そして、戦地に送ったのです。皆様ならば、そのように話すでしょうか? エッサイという人物がいたためです。
・旧約と新約の中で、一度も困難にあわずに、正しく弟子運動した人が一名います。その人がエリシャです。エリシャ時代には、国が強かったのです。そのエリシャという人物が、単に出てきたのではありません。エリヤという先生がいました。
・今日、あなたがたが貴重な時間に、答えをよく捕まえてくださるように願います。今、3つのことを話しています。今日の本文を見ながら、福音を、そして、万王の王、万民の王を、正しく私たちのレムナント達に説明して、味わわなければなりません。今日の本文にあることをするならば、正しく発見をしなければならないのです。正しく発見すれば、教えなければなりません。これを悟ることができなければ、苦しみを迎えます。神様、この苦しみはいつ終わりますか? 終わらないでしょう。残った町もみな崩れるはずだ。すると、どのようになるでしょうか? その時、おっしゃったみことばです。みな崩れても、切り株は残っている。イザヤにレムナント運動をしなさいとおっしゃいました。これが単なる運動ではありません。今、驚くべきことです。皆様がこれを正しく知っていれば、衝撃を受けねばならないのですが、今、知っていますか? どのように外国の学生達が駆せ参じているでしょうか?
・昨年には、ワシントンで賛美して信仰生活する姿を見て、驚きました。みことばを聞くことが違ったのです。これを見ながら、本当に驚くべき事だという気がしました。皆様ならば、よく分からないでしょう。これから、時間が過ぎながら、驚くべき働きを見るようになるはずです。皆様、パウロのような人物が、単に出てきたのではありません。その父母と先生が、正しく福音を持っていたためです。私たちの学生達は、3つのことを学ぶべきです。正しい家庭教育も受けねばならず、学校の勉強もしなければなりません。皆様が福音を知っていれば、勝利するようになっています。こういうレムナントたちを作り出さなければなりません。今日、あなたがたに本当に祝福の門が開くようになることを願います。すこし前に話したのですが、祈ることも重要ですが、祈りを探し出すことは、もっと重要です。あなたがたが、レムナント運動に対する祈りを今日から開始するように願います。
・私は小さなことを見ながら、多くの答えを探し出しました。一番はじめに、私が教会に行ったところ、長老が私にこう話しました。 "普通の牧師は、臨時雇いの牧師になるなと言いますが、私はそのように考えません。給料をもらったら、給料分のことをせねばならないでしょう " 私は、その話を聞きながら、一生、祈るようになりました。これがたぶん長老の考えです。これがたぶん古くからの信徒の考えでしょう。教役者が給料をもらったら、給料分のことをしろとの意味です。キム・ゴンイル長老が、私に最初に会った時、話しました。私がそれを捕まえて、一生、祈りの課題になりまいた。'もらった分をしよう' ご飯だけ食べて良いでしょうか? その方が、私に皮肉って話したのですが、私の胸に常にありました。
・私が一度は、教会のなかで試みに巻き込まれました。私は絶対にそうではないのに、私を誤解して、ある人が私を敵のように考えたのです。その時、大きい祈りの答えを受けました。私は一生、敵を作らない。誰でも手助けするつもりです。どんなに悪い人でも、手助けするつもりです。誰も罪に定めません。その時、私が答えを受けたのです。それで、今まで生きてきました。だから、私たちは、現場で答えを受けることができなければならないのです。
・例を上げるならば、私がオ執事に会って音楽の話をしました。私は多くの考えをするようになりました。祈りの答えを受けました。今でも続けています。今、学生達を集めて、正しく賛美する所がありません。これから集会に行けば、大きい賛美も重要ですが、救いから使命まで子ども達と対話するコンサートが必要です。子ども達と信仰の対話をする音楽が必要です。それをこれから撮影して、インターネットに送らなければなりません。それをこれから全世界を回りながらしなければならないのです。それで、私がカン・ホイン牧師に話しました。'人々は話を分からないから、インマヌエル教会だけでもお金を集めてしよう'少し前にキム・ジュンテク団長に少し会いました。その方も、子ども達の賛美のために祈ると言いました。私達が小さい現実を見ながら、祈りの課題をよく発見しなければなりません。私達が祈りの課題を発見することが、祈ることよりもっと重要です。皆様が貧しいでしょうか? 神様、私たちを貧困をなくしてくださいという祈りも重要ですが、根本問題から解決しなければなりません。私達が祈りの課題をよく探し出すことが重要です。
・今、ここが何でしょうか? 福音運動する唯一の福音団体です。他の団体はしないという話ではありません。 イエスを説明をしつこく続ける団体だということです。タラッパンとは何でしょうか?そのようにも古くからの信者と神学者が聞くこと嫌うイエスをずっと強調する団体です。悟る日がくるはずです。ある日、崩れる日、分かるようになるはずです。
・影島の牧師が私を訪ねてきていました。私を異端にした時、率先した人だということでした。私は知らなかったのです。その方がそうだと言いました。話をしながら、私が朴牧師だと話しました。この町で先生を難しくさせた時、自分が率先したと話しました。神様が口を閉じていたので、話すことができなかったけれど、今少し話せるようになってきたと言いました。どうしていらっしゃったのかとたずねました。謝罪しようときたということでした。救急車に三回乗せられて行ったということでした。それとともに、話すこともできず、目も見えなくなったということでした。その時に、自分の胸に浮き上がったということでした。ただイエスだけ。あまりに苦しいから、祈りも出てこなかったということでした。それで、この方が訪ねて来たのでした。私は以前に、柳牧師がただイエスだけと言った、その話がなんの話なのか分からなかったと話しました。なにをそんなに強調するのかと考えたのだそうです。なにをそんなに、福音だけ強調するのか、そのように考えたのです。分かる日が来るはずです。私たちは、そのような団体です。そのような団体に、私たちのレムナント達が集まりました。
・ここに今、私達が献身礼拝で集まりました。皆様、本当に考えをたくさんするように願います。これがなんでしょうか? 考えだけ正しくすれば、明日から答えの門が開きます。考えだけすれば、今から答えの門が開くのです。祈りの答えを探し出すことが、より重要です。どれくらいこういう集いひとつが重要でしょうか? 明日になれば、皆様は現場に行くようになります。すると、そちらで祈りの課題を探し出すことが重要です。そして、既に来ている答えを見ることが重要です。人が自分自身が何を祈らねばならないのか探すことも重要です。それが毎日毎日、ずっとならなければなりません。私が伝道をしにいく中で、伝道をしにいくのがいやだという心になりました。なぜでしょうか? なることもしないためでした。その時、私が何を発見したのか知っているでしょうか? 大きい祈りの課題を得ました。その時悟ったことが、タラッパンです。伝道紙を持って 回ることではなくて、現場で答えを受けなければならないのです。だから、なんでもないことのようでも、どれくらい大きい答えを受けるでしょうか? 私達が答えを小さなことから捜し出して、それを確認することが、どれくらい重要か分かりません。それが小さなことのように見えても、答えと関係あります。
・私は神様に飛行機に乗って行くときに、このような祈りをしました。寺、聖堂、天理教があのように大きいのに、私たちの教会が、礼拝をささげる所がなかったのです。それで、神様に祈りました。その時、私がどんな祈りの課題を得たのか知っているでしょうか? '神様、私に訓練させることができる教会を立てさせてください'と祈ったのです。だから、祈りの課題を探し出すことが重要です。'本当にクリスチャンが伝道運動ができずにいます。訓練させることができる教会と場所を下さい' 神様が、私たち教会にレムナントたちを訓練させて、正しく世界福音化の訓練をさせることができる場所をくださるはずです。この契約を捕まえる人に、神様は答えを下さるはずです。私の話は冗談ではありません。皆様、祈りを多くしますか?
・今日、シン・キルス牧師が司会をしてくださって、感謝します。元々、私と一緒にいた方です。ソウルに来る前に、私たちの副牧師でした。私達が、地下で苦労した時から、いっしょにいました。たぶん、あの方は、全部、ご覧になったでしょう。私があまり福音に対してたくさん話すので、そうなのだろうと言われていました。しかし、福音運動は、その時から今まで、ずっと世界へ広がって行っています。私は、皆様がどれくらい祝福されるかを知っています。今日、この契約を本当に握ってくださるように願います。
・3つのことを握ってくださるように願います。今日の本文にあるとおり、本当に私たちの子どもと他の人に 話さないで説明することができる、真の福音を植え付けるように願います。これから真に感謝することができる答えを受けてくださるように願います。あなたがたが、教会に行ったり来たりしながら、ものすごくうれしくなって、答えを受けなければなりません。それを受けてくださるように願います。今、この時間に、他のことをせずに、時間を投資したので、この答えを受けて行くように願います。そして、重要なレムナントたちを生かすことができる答えを受けてくださることを願います。今年の夏には、最高の年になることを願います。
・それで、私は堂会員達の考えが正しいと思います。教育している方達は、誤解しないように願います。私達が、幼年聖日学校のようなものにどんなに投資しても、惜しいことはありません。だから、教育させなければならないのです。どんな教育をさせなければならないのでしょうか? 全部、自発的に教会の人がすべての区域で力を合わせて投資する、そのようなものがなければなりません。大学生も、そのようにしなければならないのです。皆様が可能ならば、最善を尽くして、自分の力でとして、他の人に恵みをおよぼす人にならなければなりません。なぜでしょうか? 私たちクリスチャンとレムナントたちを弱くさせてはならないのです。もらって使うように育ててはなりません。だから、子どもたちがキャンプに行く時は、自分のお金を集めて行きます。友人と遊びにいく時は、自分が集めたお金で行くのです。しかし、教会の修練会に行く時は、もらって行きます。それではだめです。私達がそのような信仰を持ってはなりません。だから、なにか考えを変えるように願います。これからは、霊的な問題が深刻なので、分かるようになるはずです。これから、レムナントゆえに、世界が生かされるようになるはずです。今日、この答えをあなたがたが受けるようになることをイエスの御名でお祈りします。
・今日は、詩篇 45篇と教育献身礼拝が会いました。2003年 7月 20日と、ここに私たちの学生達が会ったのです。いつかは大人になるはずです。それを考えると、礼拝をささげねばならないのです。それで、本文にある3つのことを伝達しなければなりません。正しい救いの内容、正しい救いの感激と感謝が回復して、聖書の 人物と同じように、世界を生かす指導者として、心に抱いて、今回、夏の修練会に臨んで、レムナント集会に臨むようになることを願います。今日、その契約を捕まえて礼拝をささげなければなりません。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、重要な日になるようにしてください。今日、万民の王、万王の王を知る日になるようにしてください。その答えが、私達に正しくあるようにさせてください。生きておられる主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
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