2003年 08月 03日 インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部 / 復活メッセージ
(マルコ16:14-20)
 
  
・何年か前にヨーロッパに行ったところ、ある学生が空港まで出てきていました。出たとたん、エステルを見て、とても喜んで抱きつきました。通訳をしてくれたという理由で喜んでいたのでした。霊的に問題がきて学校も通うことができなかったのですが、みことばを詳細に聞いているうちに、自分で福音を悟って癒されたのでした。皆様が見ると、価値なく見えるかもしれないのですが、本人には価値があることです。皆様は、そうなのかと思うでしょうが、その学生本人は、相当な衝撃を受けたのでした。どのように福音を聞いていて、このようなことがおきるのでしょうか? 私達が集会に行く道ではなく、通っていく途中で空港まで訪ねてきたのでした。二週間前、米国から電話がきました。とても感謝して電話をしますと言いました。自分の子どもが学校でいじめられて、学校で勉強もできなかったということでした。ところが、メッセージを聞いて福音を聞いたら、変化が起き始めたということでした。そして、今学期には、大統領賞まで受けるようになったのでした。それで、とても感謝して電話するということでした。もちろん、たくさんあることです。それがないとしても、キリストではないのではありません。また、私達が勉強ができないとしても、イエスがキリストでないのではありません。しかし、電話をした両親の心は違います。電話をした両親の心はそれまで、どれくらい心が痛めて苦労したのに、福音ゆえに自分の娘が変化するのを見て、とてもうれしくて話したのではないでしょうか?
 
・今朝も見たら、ファックスがきていました。こういう内容が入っていました。 "先生。私はニューヨーク・インマヌエル・マンハッタン教会のジョン・ユウワ執事です。トロント集会でごあいさつしたことがあります。産業宣教メッセージが、こちらニューヨークでもレムナントに成就しているので、先生にお知らせいたします。私の息子のマイケルが、インマヌエル・マンハッタン教会でバスケットボールチームを構成して、優勝しました。たぶん、海外在住韓国人大会では、一番大きい大会だということです。100個のチームが参加したということです。そこで、私たちのインマヌエル教会チームが優勝しました。人々が、あの小さな教会は、どんな教会かと関心を持つ程になりました。そして妹のエリーザがいます。東洋人では、米国で最高のヒップアップ歌手になって雑誌にも出ています。結果的に、全てのことは世界福音化に方向を合せて、毎週、産業宣教メッセージの答えをレムナントを通じて受けているということです" おとなも産業宣教メッセージを聞かないのに、学生達が聞いてみわざが起きているのでした。
 
・それで、レムナントが集会の期間に、みことばをよく聞かなければなりません。みことばをいいかげんに聞かず、よく聞く時、あなたがたにみわざが起きます。みことばは確かに力があるとなっています。ヨハネの福音書1章を見れば、確かにみことばは神様です。ヘブル4章 12節に、みことばは生きていて、運動力があるのです。あなたがたが、集会の間に、違ったことも熱心にせねばならないのですが、みことばをよく聞かなければならないのです。
 
・この前、話したように、聖書の主題は3つあります。皆様は違ったことを多く聞こうとせずに、重要なことをよく聞かなければなりません。信仰生活を良くするということは、重要なことを良く聞くことです。信仰生活を間違うということは、重要でないことをずっと熱心にすることです。私達は、何んでもそうです。重要なことを良くしなくて、重要でないことをずっと熱心にすれば違うのです。それで、私たちのレムナントは、重要なことをよく聞かなければなりません。私達は、手紙を書きます。手紙の中で、あいさつもして、色々な礼儀を整えます。それは、ある面では、重要なことではありません。手紙でとても重要な言葉があります。それをのがしてはなりません。そのように、私たちのレムナントと信徒達が、メッセージを聞く時に重要なことをのがしてはならないのです。聖書の66巻の核は何でしょうか? 滅ぼされずに救われなさい。皆様がどんなに苦闘しても、どうしようもありません。滅ぼされず、イエスを信じて救われなさいということです。科学は限りなく発展するはずです。そして、あなたがたは、多くの成功もして、仕事をするはずです。しかし、聖書の核は滅ぼされずに、救われなさいということです。それで、救われることができる道を開けるということです。その道がキリストです。これをのがしてはなりません。そして、キリストという証拠で復活なさいました。今でもその名で祈りなさい。そして、今でも祈れば、聖霊で働かれるということです。これが聖書の核です。聖書の核は3つです。初代教会の主題が3つです。「イエスがキリストだ。その方は復活なさった。聖霊で働かれる。それで、聖霊充満を受けなさい。」皆知っているでしょう? ところが、問題はどれを重要に感じるかが重要です。違うことはだいたいにすればよいのです。ところが、これを重要に味わわなければならないのです。信仰生活を誤ってする方達は、これを変えるのです。これを知っているので、適当にします。そして違ったことを熱心にするのです。違ったことをだいたいしなければならなくて、この部分を熱心にしなければならないのです。
 
・いまは全国世界レムナントが集会を準備しています。レムナントに必ずお願いすることがひとつあります。皆様が韓国教会に行っても、米国教会に行っても、人々の話を聞いて試みにあわないように願います。あなたがたの中に、おとなの話を聞いて試みをうける人が多いのですが、揺れないように願います。必ずお願いします。何の話でも、聞いて試みにあわないように願います。これゆえに教会に通わない子ども達が多いのです。そして、子ども達がさまよいます。おとなのいらない話を聞いてさまようのです。ほとんど全部が、事実を確認してみれば事実ではないのに、人々の話を聞いて試みにあって気落ちするのです。レムナントが試みにあって、一番目に外国人の教会に行ってしまいます。事実は、充分に理解しても、お互いの雰囲気があいません。そして、崩れるのです。その後、世の中に戻ります。世の中には途方もない誘惑が多くあります。そのうちに決定的なのが麻薬です。子ども達に麻薬が接近してくることが色々あります。麻薬をすれば、疲労がなくなると誘惑するのです。そして、女の子には、麻薬をすればダイエットになると誘惑します。そして、人々が皆行なっているとだまします。こういう方法で接近してくるのです。そして、麻薬をしてもなくすことができる薬があるとだまします。それで、そこに陥ったら、結局は永遠に崩れるのです。そして、後ほど、どんな段階まで行くようになるのでしょうか? 後ほどは、自分を助けてくれと叫ぶほどになります。そして、悪霊まで見えるようになります。こういう段階まで行くのです。絶対にだまされないように願います。
 
・皆様が、どれが重要か、そうでないかを知っていることが重要なのではなくて、どれをたくさん味わうかが重要です。どれが'主'でしょうか? どれが'副'でしょうか? それが重要です。皆様がおもにせねばならないことが何でしょうか? まさに、この三つのことを味わうことです。これゆえに勉強するのです。イエスがキリストという事実を他の人に説明するために勉強するのです。これゆえに私たちは成功しようとするのです。世の人がみな死んでいくので、生かすべきではないでしょうか? 皆様の中に、これを区分できない人があまりに多いのです。だから、レムナントが米国で、ヨーロッパで、全部、試みにあって信仰生活が出来ずにいるではないでしょうか? レムナントに必ず頼みます。絶対に教会に行っても、人々の話を聞いて試みに会わないように願います。いっそのこと、聞くこともしないように望みます。皆様は勉強を熱心にして、この契約だけ捕まえるように願います。イエスがキリストです。その方は復活なさって、今でも働いていらっしゃいます。その名前で祈ってみるように願います。世の中に勝つ秘密があります。聖霊充満を受けましょう。皆様には聖霊充満が最も大きい力で、最も高い水準です。これを知らないのではありません。神学卒業した人々の中にこれを知らない人がいるでしょうか? 問題は味わうレベルです。つまらないことは味わって、これを味わわないのです。いらない心配をして、これは味わわないのです。いらない他人の話はして、これは味わわないのです。そのような牧師は、どのようになっているのか知っているでしょうか? 牧会は大きくしても、ご飯も食べることができないようになります。すると、そのような長老はどのようになっているか知っているでしょうか? 教会に試みだけ与えて、一つも益になりません。すると、そのような一般信者はどのようになっているか知っているのでしょうか? 人生、年を取りながら、なんにも残らないようになります。そのようなバカのようなことがどこにあるでしょうか? これを味わうように望みます。レムナントたちは、必ず記憶するように願います。主が与えられた驚くべき祝福を味わわなければなりません。悟れないのではありません。悟ることも重要ですが、どのように味わうかがより重要です。皆様がこれだけ悟るならば、どれをより一層重要に感じるべきかを知って味わえばよいのです。
 
・皆様が世に入っていけば、いろいろなことが生じます。全部、序論です。本論を味わうように願います。この聖書の核を味わうように願います。皆様には、がっかりすることも生じるでしょう。誰かが試みを与えるでしょう。全部、序論です。この重要なことを味わうように願います。レムナント集会の時に準備するメッセージです。最初は、レムナントは気落ちしないで。2番目は、レムナントはトップに挑戦しよう。3番目は、レムナントは国家と世界を生かすということです。七名の人物を持って証しをするつもりです。だまされないように願います。イエスがキリストです。これから、ずっと証拠が起きるでしょう。今、多くの団体で青少年を正しくつかむことができなくて、さ迷っているのですが、今、私たちは青少年が自ら起きています。今、全世界が青少年の心配をしているのに、私たちのタラッパンは、青少年がおとなの心配をしています。今、全世界の教会が、自分自身も信仰生活ができないのに、中高生を心配しているのですが、むしろ私たちは、レムナントが教会の未来を置いて祈っているのです。確認して見るように願います。今、青少年たちが全部さまよっているのです。ところが、私たちのレムナント達は、全部、前の席に座って、みことばを受ける準備ができているのです。違うのです。福音の力は違います。
 
・あなたがたが秘密を知っていなければなりません。主が復活なさって、証人として立つことを約束なさいました。私たちレムナントと信徒たちは、証人になるはずです。使徒の働き1章8節で、証人になるとおっしゃいました。私はだめなのに、どのようにするのですか? たった今話した、3つのことで充満されるように願います。私は事業がなぜ良くならないのでしょうか? 3つで充満されるように願います。なぜ霊的な問題が解決しないのでしょうか? 3つで充満されるように願います。残りはだいたいにするように願います。天下のバカが重要なことは熱心にせずに、だいたいにしなければならないことを熱心にするのです。こういう重要なことを信じなくて、重要でないことを熱心に信じてはだめです。それがまさにサタンの戦略です。 レムナントは、絶対にだまされてはなりません。皆様自身が、生きなければならないのです。イエスはキリストです。私たちには、復活なさった証拠があります。今でもその名で祈れば、働かれます。色々な方法で皆様を押し倒そうとするはずです。
 
・だまされないように願います。最初は、自分自身を見てだまされないように願います。二つ目は、環境を見てだまされないように願います。三つ目は、人ゆえにだまされないように願います。重要なことをのがさないように願います。私が今、エステルにお手伝いをさせるとします。これを必ずイ・スングン牧師に持って行ってください。そして、このお金でパンを買って食べなさいと言います。すると、エステルがどれを記憶しなければならないのでしょうか? これが重要でしょうか? パンが重要でしょうか? エステルが行くときにパンを買って食べなくても良いでしょう。しかし、これは必ず伝達しなければなりません。これはだいたいにして、パンだけを考えてはなりません。これと同じように、こういう方法で信仰生活をする人があまりに多いのです。これは神経を使わなくて、常にパンだけを考えてはなりません。そのようなバカのような信仰人があまりに多いのです。バカのような話しに試みにあわないように願います。バカのような話しに感動を受けないように願います。皆様が重要な契約を捕まえて祈り始めることを願います。これがレムナントが持たなければならない重要な契約です。
 
・今日、聖書の本文を見れば、重要な証人になることを約束なさいました。マルコ福音 16章 14節を見れば、不信仰に対して叱られました。'しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現われて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。' 今日の聖書には、かたくなな心だとなっています。証拠を信じないのです。皆様が世宗大王(千年前)の時に、携帯電話の話をすれば信じたでしょうか? 電話も知らないのに、信じられるでしょうか? 高宗皇帝の時に電話が初めてできたのではないですか? 世宗大王の時に携帯電話を持って通うということを信じるでしょうか? いまは、携帯電話で映画も見る世の中になったのですが、その時代の時には、信じることはありえない話でした。これから、一層、発展することが出てくるはずです。これから、大きいコンピュータを持って通うでしょうか? そのまま持って通うでしょう? これから、科学がより発展すれば、より一層、ものすごいことがたくさん起きるでしょう。神様は私たちの次元の世界ではないのに、キリストが復活なさったという事実をどのように信じるのでしょうか? かたくなに信じることができないのです。そして、弟子と人々が元々、不信仰の中に陥っていました。
 
・その人が成功するのか、そうでないかは、3つを見れば分かります。普段の時に見れば分かるのです。仕事をすることも重要ですが、皆様が遊ぶこと、友人と交わること等、普段の時に見れば分かります。すでに重要で大事なことをする人物は、友人が違います。必ず滅びる子どもを見れば、どこからそのような友人を捜し出したのか、必ずおかしな友人だけと交わります。すでに大きい人物になる人は、表に現れます。人と交際することから違います。普段の時に違うのです。そして、大きい人物になる人は、人間関係を見れば分かります。そして、言葉がすでに違います。これが2番目です。
 
・米国で大きい博士学位を取って韓国にきた教授がいました。私が初めてたずねたのです。どの教会にいて、どの教会に通うのですか。「教会に行けば、試みにあって教会に通いません。」と言いました。それで、私は心で、「あなたは大きい人物ではないな。教会に行って、うわべの声、サタンの声だけを聞いたんだなあ」と思いました。大きい人物は見ることが違います。「本当にあなたは、小さな人物ですな。博士でもむなしい事です。」もちろん内心で話しました。表面で話せば、試みにあうためです。内心でだけ話して終わりました。
 
・すでにその人物が、できた人物なのか、他の人と話をすることを見れば分かります。大きい人物は、だいたい見れば、他人に対して可能ならば良く話をします。足りない人々は、人を難しくさせようとします。レムナントは、よく記憶しなければなりません。特に私たち韓国の人々がそうです。外国の大きい先進国のような所の人たちは、ものすごく科学的です。そして、一緒にしようとします。すでに人々が違うのです。あなたがたはレムナントであるゆえに、重要な人物は正しいことを習うべきです。重要な大きい人物は、すでに危機に出会う時に、すでに違います。大きい人物であるほど、危機の状況になれば、人がぱっと変わります。いつでもそうです。
 
・私が知っている牧師ひとりは、日本に行ったのですが、地震に会ったのです。建物が揺れて、その時、大きい事がありました。その時、牧師が奥様をおいて逃げたのでした。もとに戻って、牧師がどれくらいあやまったでしょうか。奥様が、あの人は問題が生じれば、私を置いて逃げる人だと話しました。その牧師が、本当に面白いことを話しました。それではなくて、奥様をおいて逃げたのではなくて、自分の知らずに逃げてしまった。揺れるから、頭が乱れ、何も考えずに、自分も知らないで、逃げてしまったと言いました。
 
・私達が危機の状況にあえば、その人がわかります。あなたがたを見れば、不信仰が普段の時にあるのです。皆様の頭は、神様と同じではないないから信じましょう。私達が、3次元や4次元の世界を知っているのでしょうか? 信じましょう。イエス様がこうおっしゃられました。ニコデモを見て、ものすごい知識人のニコデモを見て、こうおっしゃられたのです。「わたしが世の中の終わりの話をみなすれば、あなたがわかるだろうか? わたしがこれから世に起きることを話せば、あなたがわかるだろうか? まして、天の事を話せば、あなたがわかるだろうか? それで、信じなさい。神様がイエス・キリストをくださったから、信じる者ごとに永遠のいのちを得るようにするためです。」そこで出てきたメッセージが、ヨハネの福音書3章 16節です。
 
・それとともに不信仰を責めながら、何とおっしゃったでしょうか? 福音を伝えなさい。すべての民に行きなさい。死んでいく者に話しなさい。レムナントは、この契約を捕まえて勉強しましょう。私たちおとなは、この契約を捕まえて事業しましょう。いまは移ったのですが、釜山の片方に行けば、タンカンドという地域があります。釜山に長く住んだ人々は分かるでしょう。タンカンド行ったというのは、死んだことを言います。タンカンドに人の死体を焼く火葬場がありました。私もそこに行ってみたのですが、本当に変でした。人の死体をそこにぱっと入れて、約30-40分経ったら、全部焼けて、骨だけが残りました。どれくらいぞっとしたでしょうか? 自分の母、父がそこ入っていったのですが、出てきたら、骨だけが出てくるのですが、それが冷めれば、また入れ物に入れて行くのです。粉を出して封筒に入れてくれます。それを持っていって水にばら撒いたり、ある人々は保管もしたりします。そのような作業をするのに、一時間以上かかります。ですから、そばに見る人々はぞっとするのです。少し前までは生きていた息子が、今日は死んで粉になって出てくるので、ある人は号泣することもあります。その時見れば、こちらでは賛美の音もあり、こちらでは木魚の音がしたりします。たぶん賛美の歌がある所はイエスを信じる人で、木魚の音がする所は仏教を信じる人でしょう。ところが、タンカンドに行ってみると、そこでイエスを信じる人以外に、木魚を打ってくれる僧侶がいます。この僧侶をよく見たら、どのようにするか見たら、棺が出てくると木魚をたたいていました。私は何だと話しているかわかることができないけれど、やたらたたいいていました。そして、入れ物に入れる時も、そばでずっとたたいたのです。たぶん良い所に行きなさいというのか分からないのですが、とにかく何か話しながらたたいていたのです。ずっとたたくのに、たたく時はいつまでたたいているか基準があります。死体の主人がお金を出して置きます。いくらこのようにお金を出して置くと、それが出てくると、ピタッと終わりました。早く持ってこなければ、ずっと力強くたたくのです。それは、早くお金を持ってきなさいということです。念仏をしながら、ずっとたたくので、ある人は2千円、3千円、人の水準によって出して置きます。見ると僧侶がお金を見て、ところが、そのそばに小さい子どもの僧が一名いて、その子どもの僧が持っていくのです。言わば事務員で幹事です。この子どもの僧がポケットに入れて後に行きました。だから、僧侶が何度か2度たたくと、ピタッと終わって付いていったのです。付いていって、この子どもを呼んで金を受け取って、ポケットに入れました。私が見ないようにしても、見る目が速いのでそのようにしたのを見ましたのです。しかも一つの死体が出ると、一生懸命に木魚をたたきました。見れば、本当に死んだ人の両親が泣くことより、それを見て、より悲しいと思いました。お金を少し儲けようと、あんなふうだから、法事の食事にだけ関心があるのだなと思えました。また、そばですでにたたいていたのです。私はそれを見ながら、ちょっと不思議に思いました。人生とは、こういうものかという気もして、あたかもその現場が、人生の市場のようなことで、片方では賛美を歌って、片方では木魚で、そのようなことを見ると、人生とはこういうものなのかと思いました。その僧侶がする姿を見ながら、本当にあのように生きるのかと見えたりしました。
 
・私達が使命を悟るということ。あなたがたは、すべての民に行きなさい。私たちはお金を少しもらうためではありません。すべての民に行って、この福音を伝えなさいと確かにおっしゃられました。しるしがともなうはずです。何のしるしだということでしょうか? わたしの名で悪霊を追いなさい。確かにこういうしるしがともなうはずです。わたしの名前で悪霊を追出しなさい、これは普通の話ではありません。この話は、悪霊論ではありません。この話は、神学者が全部拒否している、そのような話ではありません。未信者100%がここに陥っているために、わたしの名前で悪霊を追い出しなさい。世界文化100%が悪霊文化であるゆえに、わたしの名前によって悪霊を追い出しなさい。その話しであって、この話は悪霊論ではないのです。重要な話です。何ゆえにイエス様が重要でない話を先ず一番に話されるでしょうか? イエス様が失敗されたのでしょうか? そうではありません。いまはニューエイジ文化が悪霊文化ではないでしょうか? 私たちの学生達が、早く悟らなければなりません。そして、何となっているでしょうか? 新しい言葉を語ります。私達が祈る時出てくる異言でもあって、現場に行った時、話すことも、そのような色々な意味です。
 
・へびをもつかんで、私達が何かのへびを捕まえに通うのではありません。へびをもつかみという話は、霊的な驚くべき権威を話します。毒を飲んでも害を受けないという話は、危機で保護されるということです。色々な試みで保護されることです。あなたがたを多くの攻撃から保護されるのです。病んだ者に手を置けば、いやされます。主の驚くべき約束です。
 
・私はムダン(霊媒師)がグッ(降霊術)をするのを見ました。皆様もたくさん見たでしょう。一度は、私が海辺に行ったら、グッ(降霊術)をしていました。その人が患者なのか分からなかったのですが、何かをしていました。それで見ていると、この人が力を得たのです。その時見て感じました。悪霊を受けた人もあのように力のわざを行なうのだな。それなら、私には聖霊が働かれているのです。ある人を見ると、催眠術を行なって力のわざを行っていました。ある人は、催眠術で人の病気を直すのを見ました。催眠術で病気を直すのならば、私は聖霊の働きで。また、ある人は実際に奇跡を起こすのを見ました。悪霊を受けた人が奇跡を起こすならば、私たちは神様の働きで病んだ者に手をおけばいやされます。祈りをより熱心にせねばならないという気がしました。主の約束です。19節 20節を見ると、御座に座っておられる方が、彼らとともに働かれました。正確に話せば、キリストは復活、昇天なさって、御座に座っておられ、聖霊で今、皆様とともにいらっしゃるのです。その証拠で、今でもみことばが成就しています。話すべき言葉がないでしょう。今でもみことばが成就しています。
 
・私たちのキリスト教を宗教だと見ましょう。宗教の中で占いをしない宗教は、キリスト教だけです。理由があります。みことばが今でも成就しています。他の本は、神様のみことばでないために、参考にするのであって、これは神様のみことばであるゆえに、そのまま今でも成就しています。だから、占う必要がないのです。聖書にあって聖書のみことばがずっと成就しています。私が正しく宣べ伝えるなら、今日、説教したみことばが、みな成就するはずです。米国で祈っている人が、このレムナントに産業宣教のメッセージが成就しているとメッセージを書き送ってきたのです。当然なのです。神様のみことばは、生きていて運動力があって、皆様が今日信じるならば、皆様に成就するはずです。これが証拠の中の証拠です。
 
・どのようにすれば、証人になるのでしょうか? 信仰を持ちましょう。どのようにすれば、この証人になることができるのでしょうか? 皆様が考えを変えましょう。どのようにすれば、この証人になるのでしょうか? 祈ればよいのです。それで、エルサレムを離れず、父の約束を待ちなさい。皆様、聖霊充満を受ければ、力が臨んで、地の果てまで証人になります。今日、メッセージを聞くすべての信徒にこのみことばが成就することを願います。すべての悪霊の勢力が逃げる働きが起きるようになることを願います。皆様に新しい恵みが臨むようになることを願います。皆様が行く所ごとに、病んだ者に手をおけばいやされる奇跡がおきることを願います。
 
・すると、何をするという話でしょうか? 復活なさった主が、皆様が行く所ごとにみことばで成就することを願います。この契約を私たちのレムナントが捕まえようということです。この時から、私たちの事業も学業もできるようになり始めます。絶対にのがさないでください。今回のレムナント集会のメッセージは、あなたがたが一生捕まえて祈り始めなければなりません。「レムナントは気落ちしない。レムナントはトップに向けて挑戦する。レムナントは国家と世界を生かす。」それが聖書にあるレムナントです。それが可能でしょうか? 完全に可能です。どこに約束があるのでしょうか? 聖書にあります。皆様が証人で、私が証人です。今日、ここに座った皆様が証人になるはずです。神様の祝福があることをイエス様のお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
 神様に感謝申し上げます。本当にこの契約をのがさないようにさせてください。証人になるようにさせてください。レムナントを倒すものが崩れるようにしてください。現場で、教会で、試みにあわないようにさせてください。神様のみことばを聞くしもべになるようにさせてください。特に、私たちのレムナントが世界を生かす答えが今日から開始するようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 


 2部 / 主を賛美しなさい
(詩47:1-9)
 
 
・私たちの教団には、祝祭で大きいことが二つあります。ひとつは世界宣教大会で、もうひとつはレムナント集会です。明日からレムナント集会が始まります。これは、大きい祝祭です。海外からも一つの国に集まり始めます。今回は韓国で集まるために、多くの方達が集まり始めました。各国から牧師達、長老達、多くのレムナントが参加していますことを歓迎します。
 
・今日、ここを見ると、主を賛美しなさいと言われています。その理由が4節に、「私たちの受け継ぐ地を。主の愛するヤコブの誉れを。」9節に「国々の民の尊き者たちは、アブラハムの神の民として集められた」簡単に話せば、救われたことゆえに主を賛美するのです。皆様はどうなのでしょうか? 救われたゆえに神様を賛美します。それを見て、信仰が最も良い水準だと言います。クロスビーはこう話しました。「私は以前は、神様に目を開けて見えるようにしてくださいと言いました。そのような必要がなくなりました。今はむしろ目が開かないように祈っています。私は救われたこのままがとても良いのです。世の中のことを見る必要もありません。私は世に生活するのに不便さがありません。私が行く道を主が導かれます。」それで、その方が「私の進む道をみな導かれる」というような賛美を作りました。「私のいのちなる主、荒れ果てた地を一日中歩いて行っても疲れない」という賛美を作ったのです。信仰が相当な水準です。
 
・私たちを救われた主を心より賛美します。どのようにすれば、そのようになるでしょうか。本当にそのようになれば、自分自身が分かるではないでしょうか? 普通、音楽を専攻したゆえに音楽する場合が多いでしょう。普通、文学を専攻としたゆえに文学をする人が多いです。信仰を専攻したゆえに説教する人が多くいます。それが問題です。私達が救われたゆえに主を賛美する。とても簡単な話しですが、それが答です。牧師がなぜ苦労をするのでしょうか。神学を専攻したゆえに説教する。それが、苦しみを受ける理由です。なぜ数多くのミュージシャンが霊的問題に苦しめられるのでしょうか? 私は音楽を専攻したゆえに音楽をする。それが問題です。私たちは、救いによって主を賛美します。これ以上に説教することはありません。これが、ある日できるのです。これをどのように悟るかが重要です。私たちのレムナントが悟るようになることを希望します。今日、みことばで悟るようになることを願います。
 
・息子2名が死にました。妻は病院に入院しています。その妻に会いにいきながら悟ったのです。私が誰か? 神様は私を救われたのか? 本当に神様がおられるのか?この質問をして、スバフォールドが歌を作りました。その人は相当な困難がきて悟ったのです。そのような方法もあって、今日、神様のみことばを通じて悟る方法もあります。それを恵みと言うのです。私たちのレムナントが、本当に悟ることができる恵みがあることを希望します。とても簡単な話しのようですが、みな入っているのです。いつもうれしいのです。私が救われた神様の子どもです。すると、その人は信仰がとても良いのです。他の人は知らないけれど、自分自身は理解できます。他の人は知りません。私は分かるのです。たった二人だけが分かるのです。神様と私とです。その人はずっと答えを受けるようになっています。私が教会に仕えて、信徒に仕えて、とても感謝します。なぜでしょうか? 私が救われた神様の子どもであるゆえに、私は教会の中でもめ事を起こして、いらない戦いをする人々を見れば、分かります。救いに対する感謝がないということが分かります。だから、違うことをどんどんするのです。
 
・今日、レムナントが集まっています。私を救われた神様を賛美します。その話は見たということです。言わば、それを持っているということです。これが未来を左右します。あなたがたもご存知であるはずです。あらゆるメッセージを、あらゆるレムナントに、この祝福があるようになることを希望します。皆様、もし悩んでいる人がいるならば、なにか葛藤があるならば、何でしょうか? 心に問題があるということは何でしょうか?神様は知っていらっしゃるという事実を知らないでしょうか? 神様は解決できるという事実を知らないのでしょうか? 私は救いによって主を賛美します。答えをより受けることもなくて、救いによって主を賛美します。よく理解ができないでしょうか? あなたがたが全部、病気がよくなることを主の名前でお祈りしますと言えば、教会が叫ぶようにアーメンと言います。汚い悪霊はイエスの名前で離れるようにと言えば、アーメンと言い、皆様の健康に祝福受けるようにと言うと、アーメンと言います。救いによって主を賛美する言うと、口が何も出ません。それが、皆様が間違っているのです。かわいそうな人生です。サタンが見る時には、とてもおもしろいのです。神様がご覧になる時には、ものすごく貴重です。
 
・救いによって主を賛美します。どのようにすれば良いのでしょうか? すると、私たちは何を見るべきなのでしょうか? 特に私たちのレムナントに、また信仰生活を長い間している方達に、この祝福があるようになることを希望します。とてもやさしいのです。事実を見ればよいのです。私が誰なのか? 今、きれいな服を着て、きれいな席に座っています。事実は、私はそうではありません。すぐ悟れます。私が誰なのか? 話をする必要もありません。私たちは、このように、あのように話すけれど、私が誰なのか?発明家が何を発明したのでしょうか。ないことを作り出したのではなくて、ある事実を見たのです。りんごが上に飛ぶのではなくて、下に落ちます。なにか土地に引っ張る力があるんだな! 創造したのではなくて、発見しただけです。元々そのようになっていました。そして、地球は丸いな! 回っているんだな! 誰かが作り出したことではなくて、元々そのようになっていたのです。そのまま発見しただけです。あ、そうなんだな! 事実を発見したのです。その時から、相当な事が行われ始めるのです。
 
・私は、信仰生活をしながら、いくつかのことを発見しました。偶像崇拝する子どもと本人が、徹底的に滅びるのを見たのです。私は事実を見たのです。私は、教会に通う宗教人が、一つも答えを受けないで苦労するのを見ました。教会で口けんかだけして行く宗教人をたくさん見ました。そして、本当に福音を悟ったのに、霊的問題を解決できなくて悩まされる人をたくさん見ました。それで、簡単に決断しました。この部分を話さなければなりません。簡単にこの部分を話し始めたら、神様がまず祝福なさいました。だから、発見だけすれば良いのです。私たちのレムナントは、事実を見る目を持っているべきです。そのままだけすれば、全部、門が開かれるようになっています。皆様、私たちを本当に見ましょう。私たちは罪人です。イエス様が、おっしゃられたでしょう。この女が姦淫をしました。石で打って殺されなければならないと言われて、イエス様が何と話されたでしょうか。石を持ってきて、この女を殺すべきです。その時、イエス様が地に字を書いておられました。何の字なのか、聖書には明らかにしていません。たぶん、イエス様があらゆる律法をみな書いておられ、十戒も書かれたのでしょう。パリサイ人で石を持っている人々が、知っている戒律をみな書いておられたのでしょう。そして、このようにおっしゃられました。あなたがたの中で罪のない者が、まず石を投げなさい。この人たちの良心の前で、みんな帰っていきました。良心を破った人が石を投げたでしょうが、投げることができなくて帰っていきました。その時、イエス様が事実通り、この女に話されたのです。「わたしもあなたを罪に定めません。二度と罪を犯さないように。」それとともに赦したことが出てきます。皆様、救われる答えを受けるのは、最も簡単です。
 
・私が普通、相談をしてみると、ほとんどすべてが嘘をつきます。私が学校で勉強している途中で、突然に精神的な問題がきたとほとんどが話しますが、それは嘘です。幼い時から問題がきているのです。人々は、事実をよく知らないのです。嘘をつくというより、事実をよく知らないのです。「先生。私の夫が夜通し酒を飲んで、家にも帰ってこない」と話します。私はそのように考えません。「それは、執事が事実を見ることができなかったのです。今、執事の夫は霊的問題に苦しめられているのです。」それが事実です。そのときにやっと、そうですと言います。いままで執事が嘘をつくので、できなかったのではないでしょうか。事実を知れば知るほど、キリストが必要です。事実を知れば知るほど、神様が必要です。事実を知れば知るほど、救いが必要です。簡単な内容ではないでしょうか? 聖書のみことばがどれくらい正しいでしょうか。義人はいない、一人もいない。私はその聖書の言葉が正しいと思います。皆様には正しくないのかも知れませんが、私には正しいのです。あらゆる人が罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない。私には正しいのです。私はどれほど聖書が事実なのかと思います。私達が罪を解決することはできません。聖書は、私達が罪を解決できないと話しています。それで、キリストが十字架で死んでくださることによって、私たちに対する愛を明らかにしておられます。私はこの聖書のみことばが信じられたのです。間違いありません。私たちの先祖の問題、私は解決できません。私の問題も解決できません。私たちは全部、嘘をついています。自分の問題も解決できません。私たちは全部、嘘をついています。私たちは解決できません。率直ならば悟れるが、どれくらい感謝しているでしょうか? 私と皆様が、これから滅ぼされなければならないのに、救われました。主を賛美しなさい。理解ができないのでしょうか。あまりにも感謝です。私があの人の助けを受けたら、とても有難いでしょう。ものすごい救いを受けたのに、有難くないでしょうか?
 
・ロシアで起きたことです。中央アジアは、おかしなことに、空港で引っ掛かれば、罰金を出せばよいのです。ある方が、引っ掛かったのだけれど、罰金がなくて行けないでいました。まったく知らない人なのに、この友人がうろたえていて、どうしたら良いのか分からずにいました。それで、いくら必要なのかと尋ねたら、いくら程度が必要ですと言いました。私が出してあげて、空港を出ました。入口まで出てきて、有難いと電話番号、住所を尋ねたので、必要ないと言いました。行くときに、あまりにも有難いと、あいさつを十回以上しました。億万の罪から救われた私たちは、どのようにするでしょうか。賛美が出てこないでしょうか。ここで信仰の人であるか、そうでないか判断が出てきます。レムナントの皆様、ここで未来を生かす神様の子どもであるのと、そうでない子どもなのか分かります。それを知らないことがなくて、見ることができなかったということです。見れば感謝するしかありません。今日、ここに答えの事実を見た人は、主を賛美しなさい。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。 5節で、角笛の音で、6節に手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。そのようになるでしょう。
 
・むかしにオリンピックをする時、見たではないでしょうか。名前が即、思い出せませんが、年をとったレスリング選手が、ずっとレスリングをしていたのに、一回も勝ったことがありませんでした。両親も苦労して、自分も苦労して、年齢は若くありません。今回が最後でした。どのオリンピックの時なのか分からないのですが、決勝にまで行きました。私たちの国民が見ていると、レスリング場にいた人々が立って応援したではないでしょうか。この選手が、相手方と戦って勝つならば、金メダルを取ります。しかし、同じくらいで時間がありません。点数が負けていました。時間が 2-3秒残ったのです。負けるなという気がしたのです。この人が 2秒を残して、奇跡的に相手方をひっくり返して、点数が3点上がりました。そして、終わりました。画面を見ると、金メダルが確定したその時、その選手が見たのです。観衆席で応援する人々を見たのでした。みんな座っていず、立ち上がっていました。その時、その選手が見たのです。どのようにするでしょうか? 金メダルが確定した、ちょうどその瞬間、こぶしを振り回してリングを回りました。あまりに気分が良くて。この人は金メダルを取る確定を知ったゆえに。
 
・皆様、救いの祝福、神様の子どもになる祝福がどれくらい重要かを知っていたなら、賛美するしかありません。それで、私が私たちの釜山にインマヌエル教会を始めた時、「教会のなかでけんかする人、教会のなかで敵を作る人、教会のなかで多くの試みで人と争う人は、悔い改めなさい。それをしないならば、死ぬ。」私たちの教会を始めた時、そう言いました。なぜでしょうか? それは、救われることができなかった人なのかも知れません。どれくらい感謝でしょうか? 主を賛美しなさい。出エジプトして、エジプトから出てきました。皆様、捕虜となった所から奇跡のように出てきたのです。賛美が出てこないでしょうか。主を賛美しなさい。出てくるしかありません。聖歌隊のような所は、お互いに試験を受けて座るくらいにならなければなりません。主を賛美しなさい。当然です。これを早く回復することを望みます。私たちのレムナントが祈るように望みます。私が今回、私たちのレムナントにキリストの課題を与えました。福音を本当に知るようにさせてください。その祈りの課題を与えたのです。祈りの答えを受けるようにさせてください。そして、レムナント達が立ち上がりますように。未来を準備するようにさせてください。私たちのレムナントの祈りの課題です。リーダの集いがあった時、私がそのような祈りの課題を与えました。
 
・私が前に話したではないでしょうか。小学校 3年の時だったでしょうか。私の担任先生が女の先生でした。どれくらいかわいいかったでしょう。そして若い女の人でした。それで、私の母を見て尋ねたのです。私がこれから大きくなって、私の先生と結婚しても良いのかと尋ねました。私の母があなたは気が狂っているのかと言いました。結婚は、年が同じくらいの人とすべきです。あなたは10歳くらいにしかならないのに、先生と結婚して良いのか。その時、悟りました。それではだめだな。私の先生がどれくらいきれいだったか知れません。それで、錯覚をしたのです。あの人は、私が食べるキムチのようなものは食べないで、あの先生はお手洗も行かないだろうというように考えたのです。小学校3年の時、なにを知っているでしょうか。この先生が、どれくらいきれいだったでしょうか。それを見れば、私が早熟だったようです。一度はこういう事がありました。先生が私を呼んだのです。どの教会に通うのかと聞いたので、それである教会に通うと言いました。その先生が、私はある教会に通うと言いました。あ、こういう先生も教会に通うので、私が熱心に通わねばならない。それで、この先生が私のつめを見たら、私のつめが長かったので、引出しを開けてツメ切りを取り出したのです。その美しい手で、私の手を握って私のつめ十個をみな切ってくれました。私はその時、初めて背中に汗が出ることを感じました。この先生に切ってもらうのに、本当に震えたのです。つめの下の黒いことが、どれくらい恥ずかしいかったでしょうか。それほど先生を尊敬して、好きでした。一度は、勉強する中に鉛筆が足りなかったのです。教務室に行って鉛筆を持ってこいと言われたのですが、運動場を横切って行かなければなりませんでした。先生がよりによって、私にさせたのですが、一番前にいたらさせたのに、私を好きなのかと思って熱心に走って行きました。行く時に、運動場でこけました。それでも起きて鉛筆を持ってきて先生に差し上げたのです。座っていたら、何かが暖かくなりました。見ると出血していました。倒れながら、けがしたようでした。それでも、一つも痛くなかったのです。人は、どれくらい心が重要でしょうか。皆様が本当に神様の答え、救いの祝福をいつも体験したら、賛美するしかありません。賛美するしかないのです。それで、心がどれくらい重要でしょうか。私が結婚をするために行く道が遠かったのですが、どれくらい近いか分かりません。すぐに行きます。なぜでしょうか? 話しながら行くので。後ほど子どもが生まれてからは、ものすごく遠く感じられました。人がこのように変わるかと思います。
 
・私達がどれくらい心が重要か分かりません。私が本当に受ければ賛美するしかありません。救いが臨んで主を賛美するのに手をたたきながら賛美します。時間が経てば経つほど、祝福を知るようになるはずです。神様は生きておられ、私の神様なのです。ここを見ると、「いと高き方主は、恐れられる方。全地の大いなる王」こういう言葉が出てきました。神様の知恵、宝を見たのです。皆様が本当に、この祝福を受けるようになることを希望します。こういうことは浮き立つことがありません。これだなと、私がこれを見たのです。どれくらい恐ろしいか分かりません。私は不平不満でけんかするのを見れば、率直な話で、あわれに見えます。率直に、あわれに見えるだけでなく、人が正しいのかというくらい見えます。銘記なさることを望みます。本当です。私がいままで公けに伝道を30年しました。福音を悟ったその日から、今、釜山で16年しました。足りないけれど、一週間なっているように思えます。したこともありません。これをいかに感謝するでしょうか。神様の救いの恵みを賛美しましょう。私たちに答えを与えられる神様を賛美しましょう。できるしかないのです。4節に、私たちに受け継ぐ地をくださいました。9節に私たちを神様の民にしてくださったのです。
 
・私が皆様に率直に告白することがあります。私が、19-20才になった時です。私の友人4名と公園でかばんを発見したのです。かばんは、そこにあるはずがありません。かばんを開いてみたら、重かったのです。人が誰もないのに、友人があけてみようと言いました。それも他人のかばんをあけてみようということが、私はちょっと不安でした。他人のかばんをあけてみるということは、異常ではないでしょうか。この友人が誰もいないから、誰のものなのか、かばんをあけてみたのです。中に何が入っていたかというと、その時、新札がぎっしり入っていました。私たちが若い時であるから、いまはなにもないけれど、異常でした。私は初めて感じたのですが、手が震えるということを初めて感じました。手ががたがた震えました。それで、私たち4名がいっしょに震えたのです。お金がぎっしり入っていました。30-40年前であるから、今、告白してもかまわないでしょう。私たち4人で分けたのです。上のポケット、下のポケット前後に入れました。分けようと言ったら、みんなが目がきらきらして、全く同じに分けました。私が生まれて初めて、すべてのポケットにお金をぎっしり満たしたのです。これで死ぬほど使うのに一ケ月かかりました。そのような時があったのです。その時、その気分を説明することが大変です。
 
・私がある日、寝ることができなかったのです。救いの秘密を知って、私はまずお金を与えた時も寝ました。寝られなくて、このようなことがおきたことか考えることもできなく、救いの恵みがなぜそうなのか、衝撃でした。私が知っている牧師は、1ケ月間、泣いたということです。理解できます。どれくらい感謝でしょうか。神様が私を受け継ぐ地にしてくださったのです。これが発見できなければなりません。レムナントがいます。レムナントは、必ず何を発見せねばならないでしょうか。この救いの祝福を味わいながら、私が神様の子どもだな! プライドが生じるべきです。これが発見できれば、見えます。今回、あらゆるレムナントと信徒たちは、これを発見しましょう。私が神様の子どもだな。王と変えることができない神様の子どもだな。これを本当に発見すれば変わるのです。主を賛美しなさい。とても感謝なので。すると、伝道、祈りがやさしいのです。最もやさしいことです。教会の復興もとてもやさしいのです。主を賛美しなさい。物質の祝福もやさしいのです。主を賛美しなさい。そのようなことは基本であって、とてもやさしいということです。これを私たちのレムナントが探さねばなりません。私が神様の子ども、これを事実通りに見れば、事実通りなるのです。無理にしてはなりません。
 
・ここに私たちのおとながいます。皆様は、祈るべきです。私の母教会で起きたことです。このおとなゆえに、私たちの信仰がみな落ちるのです。どれくらい教会でいらない言葉、どれくらい他人の話、どれくらいたくさん戦っているでしょうか。この感情が積まれて積まれて私は爆発しました。これで、聖日にけんかになったのです。それを見ました。人間は、感情が積まれれば、そのようになります。それが私たちの母教会で起きたことです。私はそれを見ながら、教会に通うべきではない。私が父母を誤って会って、数えきれない程、教会に行ったのですが、いつかは止めなければみな崩れると思いました。私だけでなく、私たちの賢い青少年が少し前に釜山であったことです。牧師と長老がけんかをしました。牧師と長老となぜけんかするのか、牧師が講堂に上がると、長老が上がるなと後から引っ張ったのでした。東來という地域であったことです。説教しようと上がるのに、上がるなと引っ張ったのです。この牧師は、行かせろと言いながら行こうとして、階段から落ちて死んだのです。このようになれば、どうなるのでしょうか。大騷ぎが起きました。教会で人を生かさなければならにのに、人を殺してしまったのです。これが今、おとなの誤ちです。私たちの青少年、レムナントにプライドを植え付けなければなりません。私が神様の子ども。こういうプライドを植え付けなければならないのです。そして、私のために神様は全てのものを準備なさったんだなあ。それで、私たちは気落ちする必要がありません。どんな困難が来ても、崩れることができないのです。レムナントは滅びません。このことによって、私が倒れてもかまわないだろうかというプライドが生じます。私はキリストなかでできる。そのようなプライドが生じるべきです。レムナントは、このようにならなければなりません。これをしようとするなら、発見しなければならないのです。
 
・ダビデを見ましょう。このようになるしかありません。主を賛美しなさい。詩篇105:6節を見ると、息のある者ごとに主を賛美せよ。もちろん、私達が過程の中で足りないことがあります。また心配になることも生じます。また私たちは、色々な事にも葛藤もあります。しかし、それが神様を知る知識を乗り越えることはできません。それが神様の祝福を越えることはできないのです。私たちのレムナントが祝福を受けるように願います。主を賛美しなければならない理由が出てきました。答えを下さる主を賛美します。億万の罪人の私を救われた主を賛美します。今日、その話です。賛美しましょう。今日、皆様がこの祝福を本当に発見することを願います。
 
・すると、どんな結果が出てくるのでしょうか。未信者が私たちを見た時です。神様の子どもは、こうなのかとなります。未信者ポティファルがヨセフを見た時、本当に神様の子どもだな、このように感じるはずです。では、信者が私たちを見た時、どうでしょうか。キリストを知る者だと感じます。完全ではないけれど、キリストを知っている者だと、そのように感じられるのです。神様が、私たちをご覧になった時、どうなのでしょうか。契約といのちを持った者なのだと。目に見えない暗闇の勢力、サタンが見た時、恐れるのです。聖書に出てきました。キリストも私が知って、パウロも私が知っているのに、お前は誰か? この悪霊が知っていて見て、私がキリストも知って、パウロも知っているのにと言いながら、お前は誰かと聞きました。皆知っています。今日、暗闇の勢力が完全に崩れる祝福があることを願います。今日、本当に発見できる祈りを始めることを願います。主の偉大さを見るように。
 
・事実をみつめて、信仰で、みことばで悟る方法があって、そうでなければ、皆様がとても困難の中で悟る方法があります。二つの中のひとつです。この選択は、皆様がしなければなりません。恵みを与えられる方は、神様です。神様の民が、思い切り殴られて、恵みを受ける方法があって、みことばを通じてあらかじめ得る方法があります。私は、私たちのレムナントが、このみことばを通じて恵みを受けることを希望します。 私は神学校に通う時、証しを聞きました。皆様も知っているはずです。両腕、足二本がない人... 私は証したのですが、本当に不思議でした。人が連れてきて証しをしたでしょう。結局、その人が長く生きられなくて死にました。あまりに神様のみことばを聞かなくて、あまり心配をかけている途中で交通事故が起こったのです。ですから、腕と足がみななくなりました。だから、証しした人の話で、私が行ったらいけない所に行っていたからだと告白しました。腕と足はないけれど、神様に帰ってきたのでした。本当に幸いですが、私が見るとき、本当に気の毒です。私達が神様の恵みを受けて、みことばで恵みを受けなければなりません。私たちのレムナントは、今回、霊的な目が開かれることを願います。主を賛美するしかない目が開かれることを願います。私たちの子どもたちに、この祝福があることを願います。すると、皆様は絶対に崩れないでしょう。
 
・ここに対するちょっとした方法において、おとなに対する責任もあります。今、私たちのレムナントにどれくらい多くの門が開いているでしょうか。このようにするためには、牧師たちも、これから祈りを始めるべきです。ある一般信者が行くときに、私にこう話しました。私に手紙を書いて行ったのです。"先生。本当に有難うございます。私はこれから今、死んでも願いがありません。今回、合宿してとても恵まれて行きます" そして言う話しで "合宿訓練は、牧師と一緒に受けないほうが良いでしょう。とにかく私は祈るのに、ある牧師がいらっしゃって、はじめから終る時まで不平不満..." その言葉を聞かないようにさせてください と祈りをしたということです。それで望みが、牧師と一般信者が別に訓練を受けるようにしてくれということでした。私は手紙を読みながら心が重かったのです。
 
・本当に、私達は何に感謝するのでしょうか。皆様が完全に勝つことができる道があります。何に賛美するのでしょうか... 主によって救いのゆえに賛美しなければならないのです。難しい話しでもありません。発見すれば、ものすごく感謝できます。よく一度正してみれば、私と皆様がまちがいなく、福音がなければこれから滅びるでしょう。すると、皆様が過ぎた日に犯した罪、私が犯した罪、皆、写真を撮して見れば、どうでしょうか。皆様が過ぎた日に犯したあらゆる誤ち、あらゆる不信仰が、全部、仏教原理通りに報応を受けるならば、どのようになるでしょうか。それが真理です。それで、神様がキリストを送ってくださって、あらゆる呪いをなくされたのです。どれくらい感謝しているでしょうか。私と皆様が精神問題と霊的問題で苦しめられなければならないでしょうか。私たちはサタンの奴隷の有様をしなければならないのに、神様が私たちをそこから救い出してくださったということです。私たちは、罪と呪いで死ぬべきなのに、そちらから私たちを救ってくださいました。感謝すべきことではないでしょうか。賛美が自然に出てくるべきです。 皆様が後ほど深刻な問題が生じた後に悟るより、今、悟るべきだということです。その人は、すべての問題が解決し始めます。
 
・パウロは、いつも3つのことを感謝しました。 "私があなた個人のために感謝して祈ります" パウロは、本当に何人かのために祈りました。主のしもべは、聖徒のために祈るのをパウロは、それを毎日感謝すると言いました。パウロは口だけ開けるならば、何をしたのでしょうか。伝道の働きが起きたことを感謝しました。パウロは、三番目に口を開けば、必ずしたことが何でしょうか。それぞれの起きたことに神さまの計画があることを感謝しました。本当に驚くべきことです。一番答えをたくさん受けた人になりました。皆様もこの祝福を受けるように願います。今回、必ず私たちのレムナントが、この答えを受けて戻らねばならないのです。これからも受けるでしょうが、今回、必ずこれを契約で捕まえるべきです。私は、何の心配もないのですが、一つの心配があります。このことを悟ることができなかったことを見ると、苦しいことだけです。今日からこの祝福が始まることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
 神様に感謝申し上げます。目を開いてください。私たちの心を開いてください。真の救いの秘密を見るようにさせてください。神様の答えを見るようにさせてください。これを賛美するしかない賛美の人々になるようにさせてください。これから私たちのレムナントが、プライドを持って戻ることができるように、神様が恵みを増し加えてください。一時代のレムナントであることを知って、プライドを持ってこの世を生きていくことができるように助けてください。神様のビジョンを持った者であるということを知って、絶望しないようにプライドをあたえてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン