2003年 09月 14日 インマヌエル教会聖日メッセージ


1部 /ザカリヤの預言
 (ルカ1: 67〜80)
 
 
・皆様が礼拝をささげる時ごとに、いくつかのことを記憶すべきです。長老が祈る時間に、そのとおりに答えられるようにしてくださいと祈らなければなりません。また、賛美する時間には、神様に栄光を帰し、私達が行かねばならないあらゆる所に天使を送る神様の祝福を望まなければなりません。また説教を聞く時は、なぜ神様が私をこの席に、またこの説教を聞くようになさるのかを考えなければなりません。私に必ず必要な答えになるみことばを悟るようにさせてくださいと祈らなければならないのです。そして、あなたがたが献金をささげる時は、経済回復を、この経済をもって伝道できるように切実な心からささげなければなりません。また皆様が献身する時は、必ず未来と関係があるということを知って献身しなければならないのです。それが礼拝です。それなら、あなたがたには、ものすごく重要な時間に今日なるはずです。
 
・私がこういう経験が二回ほどありました。ソウルにいたある牧師に仕えて、私たち教会が復興会をしたことがあります。同僚の伝道師と共に復興会の講師を迎えに行きました。タクシーに乗って行くようになったのです。突然にタクシーの運転手が、バックミラーで私たちと目を合せました。その伝道師のそばに私が座ったゆえに、中で目を合せたのです。それとともに言う話が、私はあなた方が何をしているのかわかります。それとともに、バックミラーで見たのでした。その人と目がちょっと合ったのですが、おかしな人だということを感じました。この人がおかしな人だなと感じたのです。ところが、私達が聞いてもいない話をどんどんするのです。その日、となりに座った伝道師と運転手と大きいけんかではなかったのですが、けんかをしました。言わば、この人が私たち二人を置いて吉凶を占ったのでした。ところが、伝道師がものすごく気分が悪いことと話したゆえに、伝道師が腹を立てたのでした。ところが、この方が私にはものすごく良い話をしたのです。簡単に話せば成功するというように話したのです。別に気分は悪くありませんでした。ところが、私のそばに座った伝道師は、ものすごく気分が悪くなったのです。私が止めてと言いました。むだな話を聞くのをやめようとおりたのです。その時、私の頭の中に、あの人は運転手だけれど、占い師なんだなと思いました。そのようなことを私が初めて体験するようになったのです。まず目が異常で、人が異常でした。気分悪い話はしなかったことが幸運でしたが、その人を信じてはならないと思えたのです。それが私が吉凶を占うようになった一番目の経験です。一度は、またこういう事がありました。私たちがいた教会で辞任して、他の教会に移って行くようになりました。勧士一人が良い生活をする方なのに、残念だと言いながら自分の家に招待したのです。大きい庭もあって、かなりよく暮らしている人でした。野菜を自分が直接植えたと言いながら、食事接待をすると呼んでくれたのでした。もちろん、他の人たちは、その方をよく信じていると考えていました。祈りを多くして、とても模範的に献身を多くする人です。私はその方が、人格が良いために対話をしていたので、信仰はあまり良い信仰でないと考えていました。その方が私を招いてくれたのでした。行ったら、その日、異常なことを見たのです。私以外に六、七名程度が来ていました。すこし風変わりな女の人一人がきました。私に紹介してくれました。「伝道師先生。この方は、韓国で有名な誰々です。言わば予言の賜物を受けた人です。祈りだけすれば、人々のことを皆分かって当てる」と言いました。雰囲気がそのようになって共に座るようになりました。この方が姓氏は洪氏だったと思いますが、この方を初めて見たのです。聖書も読まないで、そのまま祈りをしました。頻繁に集まっているようでした。食事をするのに、ひとりひとり、頭上に手を当てて祈りをしました。ところが、それは祈ることではなくて、頭に手を当てて、いつどのようなことがあると、簡単に話して予言をするのでした。私は生まれて初めて見たことだったので、珍しく思いました。まず私の心では否定して、心の門は閉ざしたのですが、そのような光景は初めて見たのです。全く遠慮なく、気迷いもなく、予言をしたのです。私の順番になりました。私はどのようにするだろうか? とじっとしていました。そこで、私の人格がそこから逃げることはできないので、そのままじっとしていました。この方が、ちょっと考えがあったのか、私の頭上に手を当てないで、私の手を握りました。他の人はみな頭上に手を当てたのに、私は手をつかんだのです。それで、私はその時、目を閉じずに、その人を静かにみつめました。この人がなぜこういうことをしたいのか、と思いました。全く惑わないで私に予言をしたのです。「2年のうちにソウルに行く。」そうなのか? 「2年を過ぎて米国に行く。」そうなのか? 「米国で勉強して博士になって韓国に帰ってくる。」もちろんその方も気分悪い話はしませんでした。その後に、気分良い話は、大きい人物になるはずだと言われて、気分が悪くはありませんでした。初めてのことでしたす。そのようにして食事して別れたのですが、人々は、このように集いもするのだなと考えました。ところが、私にはこの人の予言が全部はずれました。私は 2年過ぎてソウルに出たこともなくて、より釜山の田舎側に行くようになりました。私がそのようにも希望した米国留学は、私とは関係ありませんでした。神様は、私を伝道現場に送られました。それで、私はアメリカ留学をあきらめたのです。熱心に伝道するようになりました。ところが、人とは本当に不思議です。私がその話を信じたのではないのに、事が出来なければ、それを思い出すのです。私がソウルに行って、米国に行かねばならないのに行かなかったから、こうなのか? という気がしました。まず、その方が予言したことは、ただの一個も私に合うことはありませんでした。
 
・今日、私たちのタイトルは、ザカリヤの預言です。私は今日、この重要な聖書のみことばを本当に必ずしなければならないと考えました。ただ、あらかじめお話ししたいことは、説明するのではなくて、証しをしたいのです。その話は、多くのことを読んで研究して説明することではなくて、私が体験したことをそのまま話すという意味です。本当に不思議でした。それで、人々が占いをたくさんするのです。それがいったい何でしょうか? 私達が未来だけよく知るならば、心配する必要がないではないでしょうか? 未来に来ることを皆知っているので、あらかじめ準備すれば良いことではないでしょうか? それで、未信者は占いをしに行くのです。では私たちは、どこへ行かねばならないのでしょうか? 私はものすごく不思議に思いました。ところが、幸いに、占う人々をよく見ると、ほとんど 90%以上が悪霊につかれた人です。それで、あの人々の話を聞かないことがまず有益だろうという気がしました。ところが、クリスチャンの中で、そのように予言する人を私が知るようになったのです。この人たちは大部分が、どんな人々かというと、幼い時からすこし悪霊を受けようかやめようかと迷って祈りを多くした人々です。それなら、福音があるかないのかが、問題であるようです。霊的な部分を強く感じていて、教会にきただけです。それなら、こういうものに気を付けるべきだと考えました。ところが、ある日、私は驚くべき発見をしたのです。キリスト教だけが吉凶を占わないのです。その理由を知りました。福音を持った人だけが占う必要がないのです。私はそれを知ったのです。どれくらい喜ばしいことでしょうか? 福音を持った人には、未来が見えます。皆様、これが発見できれば、信仰生活がよくできるのです。私はこれを知らなかったのです。それとともに、私が福音を知っていながら、悪霊につかれる必要もなくて、正確に知ることができるということを知りました。どれくらい驚くべき恵みでしょうか? それとともに、聖書の七名のレムナントが、全部、未来を正確に知っていたのです。ヨセフ、すでに知っていました。モーセ、ダビデ、サムエル、パウロ、全部みなそうです。私はある日、この驚くべき秘密を知るようになったのです。福音を正確に知っていると、このようになるのです。今日私は、あなたがたがこの祝福を必ず受けるようになることを希望します。ここで誤って、不健全神秘主義も出てきて、ここで誤って、誤った予言も出てきたのです。ここで悟ることができないから、未信者に勝つことができないのです。未信者の前へ進まねばならないのに、未信者より遅れるのです。未信者は、地獄に行って後ほど滅びても、占いをして確かに知っていて行くのです。私たちクリスチャンは、それができません。できないのではなくて、聖書に確かにあるのに、知らずにいるのです。私はこれを発見したのです。本当に驚くべきことです。
 
・今、京仁(ソウル・仁川) 教会にあるカン・ホイン牧師は皆知っています。これは吉凶を占うことではなくて、正確に分かるのです。これからタラッパン運動がおきれば、韓国教会 200ケが防ぐでしょうと私はあらかじめ話しました。その時になっても、あなた方は私を離れないですか? と言ったところ、二人のカン氏が私たちは離れませんと話しました。カン・ホイン、カン・オンスの二人です。そのとおり、考えたとおりでした。言葉尻を捕らえて、攻撃してきました。もちろん理由はあります。自分たちの信徒が行くということでした。私たちが2〜3年しかだめだと思っても、すでに2千名以上が集まっていました。これから、福音を正確に聞く人がずっとくるはずです。これからは、こういう、このようなことがおきるはずです。私を異端にするでしょう。そして、道を遮断しようとするはずです。しかし、神様は、このように運動を起こされます。どのように、そんなによく分かるのでしょうか? 聖書にあるからです。あまりにも驚くべきことです。
 
・それで私は、今回、産業宣教会を集めてそれを話しました。一段階が何でしょうか? 無条件に産業宣教の集いをあちこちにしなさい。賢い人を集めようとしないで。良くする人を集めようとしないで。一段階、福音を持った人だけ集めなさい。それが成功の秘訣です。賢いことは、それからの話です。他の動機を持った人を集めてはだめです。例えば、成功したくて私たちの教会にくるならば、成功することができません。ただみことばによって集まる産業宣教を世界に散らしましょう。それが一段階です。それから、そこで弟子を作りましょう。弟子が出てくれば、その弟子を捕まえてエリート戦略を展開するのです。その次の段階になれば、それからは文化の働きを行うのです。このものすごい働きが行われる時、なぜ福音でなければならないのか分かるでしょうか? 皆様、文化の働きがおきてこそ、伝道になります。共同体訓練院が、まさしく、文化の働きをしようとすることです。これから私が、外国集会の重要な所は、私たちの賛美チームと一緒に行かねばならないと考えています。私がそのようなことを普通に考えないで、祈っています。私が何年か前にニューヨークに行ったことがあります。ニューヨークで、あの有名なブロードウエイがあります。そのブロードウエイには、有名な劇場があります。言わば全世界で、そちらで公演することが夢です。昨年か、一昨年か、私たち韓国で初めて、そこで「名声王侯」を公演したとニュースが出ていました。そこに行って「ああ無情」という公演を見ました。私が驚いたのは、一つ、二つではありません。「これが米国だ。すごいな。」と思いました。まず私が座った席が、二階でなくてもっと上の席でした。その下の舞台でショーをしたのです。そのマイクの音響は、全く響いていませんでした。私の耳元でささやいているようでした。このようにすることができるのか? 内容は内容でしたが、どれだけよく作っていたでしょうか。
 
・私が今回、グアム政府と私たちと、親善を結ぶために行ってきました。夜にグアムで、市内にあるショーを見に行きました。最後の日、私たちチームが行ったのです。私は行く時、私たちレムナントと共同体訓練場所のことを心に抱いて行きました。ものすごく照明とか舞台がびっくりするものでした。舞台やシステムが、自動的に開くのです。ところが、内容は格別のものではありませんでした。あの程度ならば、私たちの教会もできます。あの程度ならば、私たちのタラッパンのレムナントは、より良くすると考えました。ところが、人が立錐の余地なく、ぎゅっと詰まっていました。お金はいくらもらっていたでしょうか? 90ドルだったか取っていました。約百ドルですから、高いお金なのに、一人当たり百ドルなのに入っていました。席に人が埋まっていたのですが、予約した席がぎゅっと埋まっていました。それを見ながら、なぜ韓国にはこういう所がないか? 特に私たちキリスト教は、全く自慢するものがありません。単にしようということではありません。各地域に共同体訓練場を作って、文化センターを作りましょう。これから、私たちの教会を建てる時は、世界的な人材を呼んで、すべてが公演できるように作りましょう。外国の人々が来て見ていくように。21Cの伝道は文化伝道です。私が米国のクリスタル教会に行ってみたのですが、特に何もなくて、クリスタルで作った教会の礼拝堂が大きいのです。それなのに、観光客が集まっていました。観光客がくるほどの教会がなければなりません。全世界の文化人の心が動くほどの、文化の場所でなければなりません。それが産業宣教の4段階です。それからくることが指導層です。私は聖書を見て、一つも違わないみことばをそのまま捜し出したのです。その証拠で、あらゆる団体では生じたことがみななくなりましたが、そのままみな維持されています。先ず一番に始めたことが何か知っているでしょうか? 合宿訓練です。先週に報告を受けたのですが、何名が来たか知っていますか? 先週に合宿、チーム合宿みな合わせて 300人以上がきました。訓練を受けようときたのです。初めて始めたことが、いままで全く減ることがなくて、そのまま維持されています。
 
・聖書を見れば、驚くべき答があります。私はこの20のビジョンを見ながら、驚くべき答が聖書にあるということを知りました。それで、クリスチャンは吉凶を占う必要がないのです。他の本は神様のみことばでないけれど、聖書は神様のみことばです。これを悟ることが正しい信仰生活になるということです。それなら今日、皆様がここに座っていることは、数十億円をもうけることより、もっと貴重な時間になることができます。本当に驚くべき話です。どのようにすれば、そのようにすることができるのでしょうか? 今日、聖書の本文を見ましょう。1章 68節に 'ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、'と言いました。贖いをなしたということは、救ったということです。
 
・一番目、福音の奥義を正確に知っていなければなりません。すると見え始めます。「いや、福音は私たちは皆知っているのに」と言うでしょうが、そうではありません。正確に知っていなければならないのです。何んでも正確に知らなければ、より損です。おかしな話があります。頭が悪い忠誠なしもべが、主人の顔にあまりに蠅がつくので、気になって仕方がありませんでした。蠅が主人の顔につくので、手で追い払ったのです。飛んで行ったらまたやってきて、飛んで行ったらまた来てとまるのでした。腹が立って、蝿叩きを持ってきました。 'なぜ主人の顔に' と言いながら、蠅を叩いたのです。ところが、蠅は飛んで行ってしまって、主人の顔だけを殴ってしまいました。こういう方法のクリスチャンがあまりに多いのです。何かを熱心に信じるのに、違うように信じています。そのようにしておいて、結果は福音が難しいらしいのです。このようにやさしいことを。私は私が見た世界のクリスチャンの中で福音を正確に持った人は、それほど見ることができませんでした。あなたがたが、福音を正確に知っていれば、皆見え始めます。あなたがたが、聖日ごとに礼拝をささげようとくる理由が何でしょうか? 福音に対する深みを正しく知っていれば、皆見えます。聖書の中にみなあります。 '人々がわたしを誰だと言いますか' 'エレミヤ、エリヤ、預言者、バプテスマのヨハネらしい'これが問題です。熱心に信じるのです。 'あなたがたは、わたしを誰だと言いますか' 誰も返事がなかったのです。その時、突然にペテロが '主は生ける神の御子キリストです'イエス様がはっと驚いて、「シモン。あなたは幸いです」とおっしゃいました。
 
・私は、むかしに教会に通っていたと言う人がたくさんあります。通って何をするのでしょうか? 福音を正確に知らないのに。私は教会に行って仕事を多くした。誰が仕事をたくさんしない人はどこにいるでしょうか? 仕事をすれば、何なのでしょうか? 福音を正しく知らないのに。私が教会に行って献身もたくさんして、献金も多くしたのに、教会で試みにあって、それをみな違うように知っていたことです。福音を正確に知っていれば、試みにあう理由がありません。福音を正確に知っていれば、人を見て気落ちしません。福音を正確に知っていれば、私にも気落ちしません。福音を正確に知っていれば、神様のみことばの前に驚くべき恵みを受けます。ですから、福音を正確に知っている所に立ってから、この秘密が始まるのです。ザカリヤは、単に出てきたのではありません。
 
・皆様、私の話を誤解しないでください。福音を本当に知っていれば、未来が見えます。福音を本当に知っていれば、運命から抜け出します。福音を本当に知っていれば、悪霊、サタンも関係ありません。「先生。まだ苦しめられるのに、どのようにするのでしょうか?」かまわないのです。罪と死の力からあなたがたを解放したと言われました。主は生ける神の御子キリストです。驚くべきことです。以前にも話したではないでしょうか? 大きい主人の家には、処理する御輿担当のしもべがいて、犬を育てるしもべもいて、牛を育てるしもべもいて、農作業をするしもべもいます。その中で主人は犬をとても好きでした。ところが犬がいなくなってしまったのです。一日が過ぎたのに、帰って来なかったのです。主人であるから、誰でも呼びます。誰でも呼ぶのに、御輿担当のしもべを呼んだのです。早く私と犬をさがしなさい。すると、このしもべがなんの話しもせずにさがしにいけば良いのに、何か一言言いました。私は御輿担当なので、犬を担当する者ではありません。犬担当が探しにいかなければならないではないでしょうか? 主人が聞いてみたら、正しい話です。ところが、敢えて主人に話したのでした。主人が探しに行けと言ったら、行けば良いのに、私は御輿担当なので、犬担当が探しに行くべきだと言ったのでした。その時、主人がこのように話しました。「分かった。御輿を直接持ってきなさい。私が御輿に乗って行くべきだ。私がさがしにいくべきだ。」このようになって、主人を御輿に乗せて二人で回るので、どれくらい大変だったでしょうか?
 
・私達が信仰生活をそのようにするかもしれません。原則、原則。もちろん原則は重要です。私達がそのような方法で信仰生活をしやすいのです。主人がしなさいと言われたら、そのとおりにすれば良いでしょう。御輿に乗って一日中回ったのです。単なる話ではありません。イエス様が変化の山に座ってエリヤ、モーセが座っていたので、家三つを建てようと言いました。モーセも必要なくて、エリヤも必要ないというのに、家三つを建てようと言ったのです。私たちの信仰生活が、もしかしてそのようにしていないでしょうか? ですから、なにかがだめなのです。皆様、今日よく悟れば終わるのです。私がソオンを見て、この手紙を渡して、あのフィリピンにいる父に持っていきなさいと言いました。ソオンがこれをよく持って行かなければなりません。行くとき、お腹が空くだろうから、パンを買って食べなさいとお金をあげることがあります。ところが、ソオンは、行く時、パンは買って食べなくても良いのです。それは、自分が考えてすれば良いのです。しかし、この手紙は必ず伝達しなければなりません。しかし、この手紙は神経を使わないで、いつも行く途中でパン、パンと言うと、異常なのです。先生がパンを買って食べろと言われた。必ず買って食べなければ、というように悟ればこまります。私の思いはそのようなことではなくて、この手紙をよく伝達してくれと言ったのです。
 
・私たちクリスチャンで、このように信仰生活をする人々が本当に多いのです。皆様、どのようにすれば、未来が見えるでしょうか? 最初、福音の奥義を正確に知っていなければなりません。70節「古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに」と言われています。私達が福音にあって、これからはみことばの秘密を悟れば、未来が見えます。先ず一番に、未信者はこれで滅びるのだなということが見えます。どんなに立派な人も、神様の子どもでなければ、祀らねばならなくて、占いをしなければならず、お祓い、グッ(降霊術)をせねばならなくて、難しい事が来たら、みなしなければならないのです。大部分、偶像崇拝をします。そのようなことをしないでも、大部分を見ると、そのようなことに影響されるのです。なぜそうなのか知っていますか? 創世記 3章の事件のためです。それで、霊的問題がくるのです。成功したことと関係ありません。お金をもうけたことと関係ありません。そうしたあと、年を取ります。問題がくるのです。病気になります。聖書では地獄に行くことになっています。聖書ですぐに答が見えるのです。救われた者に来る相当な祝福を、私たちは知るようになります。聖書は、私たちに祝福を約7つくらいに要約しました。私たちの中に聖霊がいらっしゃるために、永遠に滅びません。なぜ、この時間に他に行かないで、この席にいるのでしょうか? 聖霊の導きを受けるためです。世の中に勝つ道があります。世の中に勝つ道は、聖霊充満です。あなたが行く所ごとに天の天使を送られます。祈る時ごとに暗闇の勢力を破られます。天の祝福を行く所ごとに、神様の国がなされるようにして、天国行くようになるのです。一つだけしなさい。弟子としなさい。この七つの祝福です。この中で皆見えるのです。私は敢えて、この場で話すことができません。韓国で最高の宗教人です。時々放送にも出てきます。身分は高いのですが、その人が精神科の医者に助けてもらって、薬を飲んでいるということです。私は理解できます。絶対に人間は、宗教で解決できないのです。こういうことを見るとき、未来が皆見えます。
 
・三番目、75節です。「われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。」私達が三番目に知っていなければならないことは、教会と献身の奥義です。皆様、こういうことを知っていれば、未来が見えます。ここに私たちが今、他人の学校を貸してもらっています。ここで私たちはメッセージを悟らなければなりません。ここで献身の奥義が出てくるべきです。そこについてする献金も祝福になります。皆様が泥棒をずっと手助けすれば、泥棒になります。福音がない宣教師と教会をずっと手助けすれば、無駄なお金を使うことです。誰か無駄なお金を使う人が祝福受けるでしょうか? それで、クリスチャンの中で経済が滅びた人が多いのです。これがどれくらい重要か分かりません。私が今日の時間にみな話が出来ないから、本文をよく捕まえるように望みます。
 
・4番目です。どのようにすれば、未来が見えるのでしょうか? 伝道の秘密です。79節を見ましょう。'暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。' ここに、未信者は死の陰の中にいると言われています。救われた者には、平安の道に。皆様、今日すぐに解決します。聖書の中に驚くべき伝道戦略 20個があります。それを捜し出せば、未来が見えます。それで、あなたがたに訓練を受けようと言うのです。訓練で、答がみな出てくるようになっています。本当に福音の奥義を理解する。福音の中にある祝福が何か、そのみことばの奥義を理解する。私達が教会をなぜ仕えなければならないか、献身の奥義を理解する。私達がなぜ伝道をしなければならないか奥義を知る。この四つで未来が皆見えます。より重要なのが、67節です。「さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて」となっています。ここに答が出ているのです。
 
・皆様、出てくる福音の奥義、みことばの奥義、献身の奥義、伝道の奥義は正しい道です。皆様、この道を知って聖霊充満をくださいと少しだけ祈れば、未来が見えます。私は、皆様、本物の福音を知る人が、一日に一回ずつだけ、定刻に祈れば、皆様の未来はみな開くのです。だまされず、嘘を聞いてはなりません。皆様に皆見えます。「神様、私は弱いのです。聖霊の充満を与えて下さい。」「私は学業に頭がありません。聖霊の充満を与えて下さい。」「私は事業の能力がありません。聖霊の充満を与えて下さい。」数ヶ月だけしてみたら、間違いありません。聖書がどれくらい正確な神様のみことばなのか、人々が知らずにみなのがしています。聖書に証拠を見たではないでしょうか? どうして、滅ぼされたイスラエルに、モーセのような人物が勝利したのでしょうか? 悪霊と聖霊が戦えば、誰が勝つでしょうか? 皆様、会社に先ず一番臨まねばならないことが聖霊の働きです。それでこそ、悪霊のしわざが崩れるのです。その時から成功するのです。この契約を本当に知って祈れば未来がすべて見えるのです。その未来を見る人が説教すれば、説教が生きるのではないでしょうか? 皆様で未来を見る人が事業をすれば、事業に働きが起きるはずです。それで、私たちはまた違うのです。よく食べて、良い生活をしようということではありません。それは基本です。暗い陰にいる人を奪いましょう。神様が私たちを平安の道に導かれるので、そちらへ行きましょう。
 
・私は真実に今日、神様のみことば見て、あまりにも正しいと考えます。より重要なことは、私が体験した部分です。よりせつないことは、私は成功した人をたくさん知っていますが、ほとんどみな成功ではありません。私は多くの人々を知っています。教授、国会議員、将軍、大統領、たくさん知っています。その人々の人生を深く知っているのです。幸福ではありません。それで、その方たちに福音を伝えるべきなのです。その方は、未来を知りません。はなはだしきは、ネクタイを結ぶのにも、占いに尋ねて結ぶのです。易、シャーマニズムをする人々がみな指示してくれます。ソウル近郊で易、シャーマニズム人の家に、全部、国会議員の感謝状がついているという事実を行って確認してみましょう。今日、皆様に相当な大きい祝福が始まることを願います。少しだけ時間をつくって、「神様、私は弱いけれど、主の聖霊で充満してください。」と少しだけ祈れば、働きが起きるはずなのに、ただ4つのことは、あらかじめ理解しなければなりません。さっき話しました。福音の奥義、みことばの奥義、単なるみことばではなくて、福音を悟ることができなかった人が聖書をたくさん読めば、より異常になります。みことばの奥義、献身、この理由が何でしょうか? 福音を本当に悟れば、献身の奥義を知るようになります。それ以前のことは、皆様の人格、性格にすぎないことで、本当にすることではありません。この福音を本当に悟れば、その時から伝道の奥義が何か知るようになります。この契約を堅く捕まえて、聖霊充満してくださいと言うならば、皆様は未来とあらゆる道が見えるようになるはずです。間違いありません。それで、私たちは多くの占いを救い出すことができるのです。
 
・私が数十回程、易、シャーマニズム人にメッセージを送っています。間違いありません。今日、皆様がこの契約を捕まえることを希望します。皆様は、世の中のどこに座った所より、この時間が祝福の時間になるはずです。それなら、聖書に約束なさったとおり、神様が天の軍隊を動員して、皆様の周囲に今、派遣なさるはずです。皆様の事業と現場に、この祝福があることを主イエスのお名前でお祈りします。
 
<< 契約の祈り>>
神様、この祝福をのがさないようにさせてください。この契約を堅く捕まえるようにさせてください。驚くべき祝福をのがさないようにさせてください。みな受けた祝福をのがさないようにさせてください。今からこの驚くべき祝福を回復する、新しい開始になることを祈ります。あらゆるしもべに、未来を見ることができて、未来に勝つことができる勝利する信仰を与えて下さい。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部 / 心と思い
(詩53:1〜6)
 
 
・1部で私たちは重要なみことばを受けました。福音を真に理解すれば、目が開かれます。すぐに聖書を見る目が変わるのです。教会と人を見る目も変わります。そして、特に伝道しなければならない理由を知るようになります。それを知って、少しだけ聖霊充満を受ければ、未来はまちがいなく見えるようになります。私たちの仕事をするのではなく、神様のことです。
 
・私は一千万弟子を探すことが時刻表です。それをするために、みことば運動をずっとしているのです。それするために、組織をずっと作るのです。ただ、賢い人より福音を持った人をずっと作るのです。賢い人は、私に必要ではありません。なぜでしょうか?神様に必要でないためです。私は福音を持った人が必要です。こういう人々を、数万箇所に植えるのです。その次に出てくることが、弟子です。一千万弟子が出てくれば、その時から、エリート運動がおきます。エリート運動がおきると、レムナントが起きるようになって、その時から文化の働きが正しくなります。それで、私たちの教会とあらゆる共同体訓練場に、文化の働きを準備しなければならないのです。結局、指導層を福音化しようとするなら、そのようにしなければなりません。これが私たちの目標です。20の戦略を神様が知らせてくださいました。神様が喜ばれているという証拠で、一つの順序も崩れたことなく続いています。それは、神様の福音運動の確実な証拠だということを私たちは感じています。私が釜山中央教会にいた時です。いまは医者ですが、ある青年が、仕事をとても良くしました。私が初めて行った時、食事をしながらこう話しました。「あなたが、私を一週間、助けてくれたらいいな。私たちの信徒の中で教会に通っていて止めた人々の名簿、教会に通っているけれど揺れている学生達、教会に来ない子どもたちの名簿をみな選んで欲しいと言いました。まず、その人々から訪ねます。間違いなく、その人達は、福音を一度も聞くことができなくて行ったためです。来なくても、福音は言ってあげなければならないでしょう。」ところが、その青年が翌日行ってみたら、すぐに名簿を出したのです。どのように選んだのかと尋ねました。伝道師の話を聞いて、とても重要なことのようだったので、夜に寝ずに選んだと言いました。 'はぁ' と思いました。
 
・それで、仕事をさせてみれば、本当にする人があります。そのような人には、用心深く仕事をさせます。なぜでしょうか?本物だからです。そして、重要なことをさせます。ところが、仕事をさせてみればよくしない人がいます。そのような人には、どのようにするでしょうか。よくしなくてもだいじょうぶな仕事をさせます。また見れば、いらない仕事をする人がいます。そのような人は、いらない仕事を任せなければなりません。何の話でしょうか?
 
・皆様が礼拝をささげる時、いつでも記憶しなければなりません。賛美する時、他のことを考えてはなりません。そばの人を見て話してはならないのです。なぜなら、その時間はとても重要な時間だからです。神様が賛美を受ける目的で人間を造られたと言われました。目には見えませんが、天の軍隊が動員にされると言われました。私は聖歌隊が賛美する時、祈りを一番多くします。ある時は、人々がみないるのですが、できるかぎり最も大きな声を出したい程です。それほど重要です。皆様が知っていればするはずなのに、それを知らないようなのです。
 
・そして長老たちが代表祈りをする時、私は必ず答えられると思います。なぜでしょうか?私が律法でする長老達がいる教会に通ってみたのですが、いつも律法の答えだけが来ました。私は毎日けんかばかりしている教会に行ってみたのですが、その教会はいつもそのような答えだけを受けました。いつも福音を持った人々が祈るならば、まちがいなく、その答えを受けます。そうだとする時、祈る時間は、ものすごく重要です。それなら、神様のみことばを受ける時、どれくらい重要でしょうか。私に必要なみことば、癒されなければならないみことば、私の力になるみことばを下さるはずです。そのように考えてこそ正しいのです。そうでないならば、礼拝をささげる必要がないでしょう。そして、必ず神様は経済の祝福を下さるはずです。世界を福音化する程。その心をもって献金しなければなりません。そして、お知らせを聞く時は、いつも現場を考えなければなりません。それほど礼拝が重要です。皆様が、この部分がとても重要なことをのがさないようにしなければなりません。
 
・失敗する人もいます。成功する人もいて、いつも苦しめられる人もいます。ある人は尊敬される人もいて、 また無視される人もいます。いろいろな種類の人々がいます。もちろん、すべて神様の恵みの中にいるのです。しかし、最も重要なことがあります。以前にも話しました。成功する人は、成功する人らしい、何かがあります。どんどん失敗する人は、失敗する人らしいことがあります。皆様が失敗すれば、気落ちせず、私が失敗する人らしいものがあるかを早く見なければなりません。なぜ人々が私を無視するか? そのように考えれば、二重の罪を犯すのことになります。悟ることができなかった罪であり、他の人を無視するようにさせる罪で、罪が 1、2個ではありません。相手方が私を無視する時は、相手方の立場を見て、無視するしかない私を早く探さなければなりません。それを悟ることができなければ、いつも無視されるように生きるのです。それしか仕方がないでしょう。
 
・必ず成功する人は、成功する人らしいことがあります。よく知らないのですが、 失敗する人を見ると、祝福をみな受けたのにも、失敗のような生き方です。救いの祝福、天の祝福をみな受けたのに、自分が失敗するようなので成功が出来ないのです。どんなに空気が良くて晴れても、息をすることができないように止めていれば、なんの効果もないでしょう。
 
・今日、この詩篇もダビデの詩です。ダビデが見れば平凡な時に、最高の祝福をたくさん捜し出しました。平凡なこと、平凡な時間、平凡な時に、あなたがたはどのようにするでしょうか。その時、ダビデは最高の祝福を捜し出したのです。それが詩篇 78篇です。羊飼いで父のお手伝いをしていた時、最高の祝福を探しました。どのようなことがおきて、こういう事件がおきて..こういうものも重要ですが、今日、何事も起きないけれど礼拝する、この時間が最も祝福された時間になることができます。
 
・父は長老で、息子は執事の方が、こういう事があったということです。 'お父さん。先週、神様にとても感謝したことがありました' 'どのようなことか' '本当に神様の恵みに感謝します。相手の車と、私の車がぶつかったのですが、相手側は車が潰れて重傷を負ったのに、私はなんのケガもありませんでした。'本当に神様の恵みに感謝する' と言いました。そのように言うので、この長老が '私は神様にもっと感謝します'   'お父さんにもどのようなことがあったのですか' '私には、そのようなことが全くないことを主に感謝する.'と言ったということです。普通、あることが起きてこそ、主を探します。何事もない時が、より重要です。
 
・ダビデはいつ成功したのでしょうか。羊飼いをして、父の手伝いをした時です。皆様がすでに教会学校、教師をすること、賛美することを見れば、未来が分かります。すでに違います。ダビデが羊を飼う時、他の人と違いました。自分が死ぬ覚悟をして、獅子と戦って勝ったのです。それは、何かがむしゃらだということよりは、人が違うということです。どれくらい責任感が強かったのかが分かります。
 
・また、ダビデが危機に会った時です。このように平然なはずがありませんでした。ゴリヤテの前に行った時、死ぬか、生きるかの問題なのに、とても平然としていました。神様が今日、救いが槍と剣にないことを知るようにすると言いました。神様が今日、お前の首を私の手に与えられた。ダビデが最も危機の時、最も平然としていました。
 
・私たちの人生には、十字架というものがあります。試みということは、少しの間で過ぎることです。置いておけばよいのです。ある問題がきた時、静かに置いておけばなくなることが 90%です。私達が試みに会ったと言う時、その試みは私が試みに陥ったということです。そして、試みにあったと言うのですが、試みは私達がいつも受けていることです。しかし、試みというものは、置いておけばそのまま過ぎます。それではなく、十字架というものがあります。息子が一人産まれたのに、この息子一人が、家庭をみな破壊するならば、それを見て私たちは十字架と言います。結婚をしたのに、夫があまりに異常ならば、私たちは十字架だと言います。この悪い精神がおかしなサウル王が、ダビデを殺そうとしたのですが、これは単純な試練ではありません。逃げることも出来ません。避ける道がありませんでした。これを見て十字架だと言います。ところが、ダビデはこれを完全に祝福に変えました。本当にもダビデは 'らしい' 人です。私たち人間は、成功した時は、人が変わります。しかし、ダビデが成功した時を見ましょう。より一層、神様の前に立って神殿を準備しました。本当に 'らしい'人です。
 
・それで、私は 1千万弟子が起きることをいつも考えています。私たち教会が 700ケ所伝道弟子が植えられれば、どんなことが生じるでしょうか。それをいつも考えています。変えるものが多いでしょう。新しい家族の紹介やいろいろと変える点が多いのです。どのように新しい家族は、挨拶して上手にやれることか考えてみるべきです。なぜなら、700ケ所伝道弟子が動けば、一週に 500名ずつ起きるようになるはずなので、名簿を呼ぶのに、時間が皆過ぎるではないでしょうか。そのようになれば、神様が名前を呼ぶのに時間が皆、過ぎるかと思って、いっそのこと送られないのではないでしょうか。それは、神様が更新されることではなくて、私達が更新する部分です。ダビデはこういうことに更新が早かったのです。皆様がおわかりの通り、問題が起こった時も、試みに陥りませんでした。当然なことではないかと考えたのです。息子が多いから、お互いが王になろうということは、当然なことではないだろうか。臣下が多いから、アブシャロムを利用しようとすることは当然なことではないだろうか。私が王宮から追い出されて行くのに、シムイが悪口を言うことは、どうかといえば当然ではないだろうか。特にベニヤミン族だから、当然ではないだろうか。それとともに、神様の恵みを求めました。このダビデが本当に 'らしい'人です。本当に信者であり、成功者らしいのです。
 
・息子が一人死にました。息子が死んだ時、どのようにしたでしょうか。神様の前に断食して、悔い改めて祈る場面が聖書に出てきます。その子どもが祈ればよくなると思っていたのに死んだのです。その時、臣下が心配になりました。王様が断食して祈っているのに、死んだという知らせをどのように伝えるか。それを言うことが難しくて、お互い先送りしていた時、ダビデが知ったのです。突然に、ダビデが息子が死んだことを知って、入浴をして服を着替えて、食事をしたのです。その時、臣下が尋ねました。そのように断食して哀れみを求めて嘆いていたのに、息子が死んだということを知って、どうして食事をしているのですかと聞いたら、その時、ダビデがこう話したことではないでしょうか。「私の息子は神様のところに行った。これから私が行くべきで息子は、また来ることはできないではないか。止むを得ないことではないか。」そのようなことを見る時、この人は本当に 'らしい'王です。今日、皆様がこの神様の祝福を必ず受けるように願います。
 
・今日の本文を見れば、どのようにダビデがこの恵みを受けたのかということです。最初です。1節を見れば  '愚か者は心の中で「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい不正を行なっている。善を行なう者はいない。' 簡単です。大部分の人々が表面的に崇めます。大部分の人々が本当に信じません。ダビデは神様を心から、中心で信じたのです。私達がたとえ弱くても、神様を心から、中心で信じる者は確かに答えを受けます。
 
・神様を本当には信じない人々が多いのです。心から信じません。なにかが起きたら、待つことができないのです。早急になって、いろいろと自分の頭を使うのです。少しだけ祈って待てば良いはずなのに。実際には信じないのです。そうしながら、他の人に対して良くない話を聞けば、一週間が過ぎても解けなくて、腹が痛くなります。そのたましいは信じるのかも知れませんが、実際には信じないのです。救われたことと関係あるのではありません。救われてもそのようなことがあります。
 
・このダビデは、神様を本当に信じました。危機がきました。「主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。」と言いました。反乱がおきて、シムイが悪口を言った時も、神様が恵みを与えられれば良いと知っていました。臣下が殺そうとしたら、当然性を認めました。私の息子も私を殺そうとするのに、ましてシムイはそうだろうと言いました。どれくらい判断力が飛び抜けているでしょうか。私が見る時は、神様を本当に信じる人です。愚かな人は、単に神様がいないと言わず、心の中で「神はいない」と言っているとされています。皆様は既に救われて途方もない祝福を受けました。それなら、祈りの答えを受けねばならないのです。本当に信じましょう。
 
・今週には宣教師大会が開かれます。私は、私たちタラッパンと総会と全体に言いたいのです。宣教師が韓国に帰ってくる時は、多くの考えを持って来ます。その中で一番たくさん残った考えが何でしょうか。宣教師ごとに違うはずです。宣教師が入る時、最も多くの考えと負担があることは何でしょうか。今まで自分を手助けした方達に感謝の挨拶しなければならないということに神経を一番多く使います。礼儀だと考えるのです。私たちは、そのような雰囲気を作ってはなりません。宣教師が本当に恵みを受けなければなりません。本当に神様の前に立たなければならないのです。それでこそ、メッセージも正しく聞いて、宣教して、世界がひっくり返るのです。
 
・私たちは完壁に出来ません。しかし、ひとつは完壁にすることができます。まさに心です。そうではないでしょうか? 私が皆様を、エステルを思う存分手助けすることはできません。しかし、心だけでは可能です。ダビデが本当に神様を信じました。それでその心情を反対に話したのが 1節です。あの愚かな人々は、本当の心では神様を信じないよ。あることが生じたり、心配が生まれれば、静かに神様の前で祈れば時間が過ぎれば答えがくるはずなのに、待てるでしょうか。ただの一日も待つことができないのです。だから、信仰生活になるでしょうか。神様の重要な計画があるのか、すこし待ってみて、ある時は真に知ってみようとすることが祈りなのに、それができないのです。
 
・ある勧士が、家にあまりにも事が絶えず生じて、狼狽しているので夫が '神様を信じる人は、ちょっとがまんしなさい'と言ったそうです。その夫は未信者です。しまったと思いました。これくらい、私たちは神様を実際には信じません。皆様が救われることができなかったということではありません。皆様が本当に信じましょう。誰が何としても、皆様のいのちを誰が治めておられるのでしょうか。神様です。これから、インマヌエル教会と世界教会を誰が生かすのでしょうか。神様です。間違いない事実です。本当に信じる時、働きが起きます。私達が紅海の中に入っていけば、神様は事を起こされます。私達がヨルダンの中に入っていけば、神様が働かれるはずです。エリコを回るならば、神様が働かれるはずです。
 
・どのようにすれば、祈りの答えを受けるのでしょうか。簡単です。美しい言葉は必要ではありません。神様の子どもは、みな受けるのに、どのようにすれば答えを受けるのでしょうか。本当に祈れば受けます。本当にはしないからですが、本当に祈ればよいのです。詩篇 142篇にダビデが本当に祈ったではないでしょうか。神様はその祈りに答えられました。私たちは真の使命を悟れば、すべての問題が解決するはずです。
 
・私達が福音を本当に知って、伝道が何かを知っていれば、すべての問題が解決するはずです。ダビデがどのように、この大きい祝福を受けたのでしょうか。すると、私たちもこの祝福を受けることができるのでしょうか? できます。ダビデがどのように信じたのでしょうか。心から、中心で。それが答えを受けました。約束します。皆様がどんなに弱くてもかまいません。皆様の過去がどうであっても、それは神様が皆知っておられます。それは重要なことではありません。今、皆様心から祈りましょう。祈りができないと言う人が多いのです。祈りができないと言う、それを率直に告白すればよいのです。聖日にきて礼拝をささげるのがいやでしょうか? 礼拝をささげることがきらいだと考える、それが祈りです。率直な祈りを神様がお聞きになるということです。一つも残らずに、神様が答えられるはずです。
 
・私は、神様の前に率直に考えたことは、みな答えが来ました。私たちの教会の上に韓国予備軍の訓練場があります。そちらで訓練を受けて降りてくるのに、人々が、今、私たちの教会になっている地域に入ったのです。その時は、工場でした。ただ一度、考えました。こういう所が教会になれば良いな。真実な祈りが出てきました。 '主よ。寺もあって、天理教もみなあるのに、なぜ教会がないのですか。どんなに無能でも、あらゆる建物がみなあるのに、なぜ教会だけがないのですか。神様の計画があるでしょう。神様はなさることができるでしょう' 狭い道を行きながら、祈りました。私も知らなかったのですが、ある日、その祈りがなされたのです。本当に驚くべきことです。
 
・神学校を卒業するのに、うれしくなくて本当に嘆かわしかったのです。私がどこへ行くべきか。今いる教会は毎日けんかをするのに、どこへ行くのか。いろいろな気がしたのですが、想像もできない事が行われたのです。誰が私を手助けするでしょうか。その時、神様の前に率直に祈りました。神様、このように神学校が多くて、牧師が多いのに、只事ではありません。これから、その中の一名が私になっているのに、私に福音を伝えるようにしてください。福音を伝えに行くようにさせてください。この祈りが気分が良くて出てきたのではなくて、現場を見て切実に出てきたのです。神様は私たちの胸から出てきた祈りを一つも捨てないでみな聞き入れてくださいます。
 
・皆様はご存知であるはずです。悪魔が働けば、教会がどれくらいけんかするか分かりません。後ほどは、大きくけんかします。私がそのような教会にいました。殺伐としていました。教会がけんかのことだけを考えていました。驚きました。それで私が担任牧師に話したのです。これら全てが、私たちの誤ちですから、副教役者を集めて、一ケ月から二ヶ月、徹夜祈りをすると言いました。先生はお疲れですから、明け方祈りを私が導くと言いました。本当にせつなかったのです。その時、神様の前に真実に祈りました。「神様が私をご存知ではないですか。私がこちらで副牧師でいるのに、月給をもらうことができなければ、今、息子の幼稚園にも送ることができないです。私の性質通りにしようとするなら、明日すぐに放棄してみたいのに、そのようにすることができないでしょう。」このように私が悲惨に過ごしました。行くのがいやなのに、止むえず行ったのでした。教会を見るのも嫌いでした。どれくらいけんかしたでしょうか。サタンの働きは確実だけれど、理解ができませんでした。神様の前に真実で祈りました。「神様、私は背景がありません。お金もありません。家もありません。他の人は父が長老とか、牧師とか、人脈があるのに、私は何もありません。」それで、神様の前に率直に祈ったのです。「私は開拓教会でもかまわなくて、田舎でもかまわなくて、どこでもかまいません。私が一生、伝道できる教会に送ってください。」その祈りをしたのに、神様がこの町に呼ばれるようにされたのです。ものすごい期待をかけてきたのに、12坪の小さな教会でした。そこから、いままで神様が恵みをくださったのです。神様は福音を持った者の祈りに答えられるしかありません。
 
・皆様、福音がすべてのものならば、何の心配もする必要がないではないでしょうか。ダビデが神様の前に心から祈りました。中心で祈ったのです。
 
・また2節にこういうみことばがあります。 '神は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。' 簡単に考えなければなりません。考えです。知覚です。私たちは神様を心から崇めて正しい考えで崇めなければならないのです。ダビデがそうでした。
 
・ここには私たちのレムナントが多くいます。世界福音化する働き人が多くいます。神様は、ダビデのように崇めなければなりません。事実通りにです。何でも事実通りにしなければならないのです。私達が信仰生活も、教会生活も、そのようにしなければなりません。以前に、私が非常にたくさん通うので、車を一台買いました。確実に誰が何と言っても、値段に比べて良かったのです。韓国車は、どんなに良くても、2年過ぎれば目立って、5年過ぎれば乗ることができません。今、私の車は20年過ぎても大丈夫な車です。誰かが私に車の後方に車給油を表す数字 320をとって500を付けようと言いました。なぜそうなのかと言いました。車が全く同じだから、それを変えても他の人が500とみて、320に見ないということです。そのように見えれば何が違っているのでしょうか。誰が何を言っても、私達が気楽でよく乗って通えば良くて、そのようなことを聞く必要あるのか言いました。ありえることです。ところが、信仰生活もそのようにしやすいのです。
 
・ダビデが信仰生活をどのようにしたのでしょうか。神様の前にものすごく事実的にしました。そして、とても合理的に、霊的にしたのです。皆様がそのようにすれば、成功します。皆様は神様の子どもであるゆえに、この部分だけ捕まえれば、まちがいなく答えを受けます。この考えがどれくらい重要か見るように望みます。
 
・ヨセフに危機がきました。ところが、ヨセフは危機だと考えませんでした。私がこの家で成功せねばならないと。そして、監獄へ行きました。私がここで成功せねばならないと考えたのです。ヨセフは考えがすでに違っていたのです。総理になりました。私が成功したんだなあと話しませんでした。私が主なる神さまを説明する機会が来たなあと言ったのです。考えがすでに違います。ダビデを見るように願います。人物の考えがすべて違います。すでに考えがすべて違うのです。それで、ダビデは心を持って正しい考えを持って神様を崇めました。
 
・ここで3つの結果が出てきます。それが信仰です。3節を見れば、「彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。」私達が神様を中心に信じて、正しい考えで信じる時に、信仰の行動も出てきます。そして 5節を見れば「彼らが恐れのないところで、いかに恐れたかを。」となっています。私たちは恐れもなくなるのです。6節を見れば「ああ、イスラエルの救いが、シオンから来るように。神がとりこになった御民を返されるとき、ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ。」神様の力を信じる信仰です。
 
・今日のみことばを要約します。まちがいなく、私たちは神様の子どもです。それなら、それにつりあった祝福を味わわなければなりません。私が見る時には、皆様は救われた神様の子どもであることが確かです。それなら、ダビデがどのように答えを受けたのでしょうか? あなたがたは、うわべも重要で、みな重要です。しかし、心がより一層重要なのです。皆様が本当に中心で神様を信じるならば、今日、その祈りはすべて答られるはずです。そして、正しい考えを持つように願います。皆様はこれから大きい祝福を受けなければならないのですが、教会で異常なことを考える必要がありません。自分がしていることをいっぱい名刺に書いて、賢い人に差し出せば、すぐ詐欺師であると分かるはずです。どこかに行ってそのようなことをしないように願います。賢い人々は、あの人は詐欺性があるんだなと考えるはずです。だから、皆様は神様の前で正しい考えをしなければなりません。それでこそ、答えを受けるのです。ダビデがものすごく客観的でした。その困難の中で、神様が自分を訓練させることを知っていたのです。恐れる必要があるでしょうか? 心と思いがものすごく重要です。ピリピ4章 7節に心と思いを守って下さるとあります。信仰生活は難しくありません。心と思いが全部です。私の心の中心が、どのように神様を信じるのか? そして、私の思いがどうか? これが全部です。これだけ正せば殆どできます。事業をする時も、そのようにするように願います。あまりできることと、ならないことは見ないようにしてはなりません。共にみな見るべきです。
 
・未信者を見るように願います。マクドナルドは全世界にみなあります。マクドナルドの社長は、たいした人です。どこでも、人が一番多いダウンタウンに立てます。だからならざるをえません。それで、この人はパンも売りません。パンを売ることが重要なのではなくて、どこに立てるかが重要なためです。未信者もそのような目が開いているのに、私たち信者がなぜそのような目を開けることができないのでしょうか?
 
・皆様が神様をどのように崇めるのでしょうか? 心から本当に中心で崇めなければなりません。そして、正しい考えをしなければならないのです。このようになる時に、3つのことがきます。このような時、正しい信仰が生じるのです。それで、ダビデが行動も正しくなりました。ヨルダンに入る時に分かれました。これから、何にも心配する必要がありません。私たちの教会が重要な時刻表に沿って行けば、神様が働かれるはずです。豪快にすることではなくて、私達が行けば神様が働かれるはずです。皆様は、あまり恐れる必要もありません。神様の計画がであることが間違いないならば、皆様が動く時に神様が働かれるはずです。動く時に、皆様の子どもを祝福なさるはずです。私はそのように確信しています。ダビデがそのような信仰を持っていました。ダビデがどのようにゴリヤテに勝ったのでしょうか? 行って行動をしたゆえに勝ったのです。行かないなら、勝てないでしょう? 行動をする以前に、ダビデは既に信仰を持っていました。そして、5節を見れば恐れがないとなっています。確信が与えられたのです。皆様は神様の子どもです。すると、祈りの答えは来るようになっています。どんな問題がきても、ひっくり返すことができます。皆様の過去、家系の呪いは既に終わりました。神様は、皆様と永遠に同行なさるはずです。そうではないでしょうか? 確かならば、確信を持っていれば良いのです。その程度ではなくて、6節を見れば「ああ、イスラエルの救いが、シオンから来るように。神がとりこになった御民を返されるとき、ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ。」神様の能力を信じる信仰です。どんなに立派な人間も限界があります。どんなに科学が発展しても限界がきます。 どんなに医学が発展しても限界がきます。神様には限界がありません。神様の力は、創造主の神様です。その神様は信仰が生じます。今日、この祝福をあなたがたが受けてくださるように願います。
 
・私の説教として聞かないで、神様のみことばを見るように願います。そして、私に説得されようとせずに、神様の恵みを受けてくださることを願います。私はあなたがたを説得するに値する実力と能力と資格はありません。皆様が今日、みことばを聞いて、本当に神様のみことばの前に立つことを願います。心と思いによって正しい信仰の結果が生まれるのです。
 
・皆様の心と考えの中で一番重要な3つのことを参考にしなければなりません。最初が時刻表です。皆様の過去は全部土台です。子ども達を教える先生がとても重要です。私たちが幼い時の過去は全部土台です。今、現在ある私たちの仕事が問題でも、そうでなくとも、それが時刻表です。すると、その中で未来が見えるのです。だから、私たちの考えがどれくらい重要か分かりません。
 
・2番目が事件です。あなたがたに事件が起こった時、どんな考えで見るかが重要です。神様を中心に信じる信仰と能力で見る目と、そうでないこととは、差が出ます。皆様が人を見る時に違うのです。今ここに来ている信徒で、国会議員や長官のような人はいません。ところが、知らないのです。
 
・もし私たちの教会がここを放棄して、山中に上がっても、ここにいる人たちは全部、山中に上がってくるはずです。くることができない人がいるでしょうが、私の考えではほとんどみなくるようです。今、一般の他の教会は、どうなのか知っているでしょうか? 場所に従って行かないということです。どのようにけんかできるでしょうか? 全く同じ信徒ではありません。あなたがたは、霊的な目がなければなりません。ここにいる教役者をどんなに殴っても他には行かないでしょう。ソウルである教役者を呼んで、あまり失敗を多くするので、やめてくださいと言いました。ところが、私にとても感動することを話したのです。月給ももらえなくても良くて、みなもらえなくても良いから、追い出さないでくださいと言ったのです。だから、その後で何と話したかというと、私はここにきてメッセージ受けなければ生きられないと言いました。長官と変えることができるでしょうか? 長官が福音を聞こうと山まで来るでしょうか? 成功しようとする国会議員が、私の説教を聞いて感動するでしょうか? 皆様は、人を見る目がなければなりません。すでに霊的に飢え渇いている人がきて、メッセージを受けて、恵みを受けることが簡単なことではないのです。これから、重要なことが行われるはずです。霊的な目を正しく開かれた人々は、心が違って、思いが違って、目が違います。力がない私達が何をするのでしょうか? もちろん、それは人間の考えです。その後に事を繰り広げるられるのは、神様です。すると、なぜ力強い共産主義は乞食になったのでしょうか? 共産主義がどれくらい恐ろしかったでしょうか? なぜみなあのように弱くなったのでしょうか? 力が強ければできるのでしょうか? 神様が共産国家を祝福されませんでした。だから、どんどん滅びたのでした。土地が 14時間汽車に乗って行っても、山がひとつも出てきませんでした。そのように平野が多い所でも、飢え死ぬのです。それで今日、皆様が救われた神様の子どもであることが確かです。それなら、どのように祈って信仰生活をせねばならないのでしょうか? 自分の心の中心を神様にささげなければなりません。そして、皆様が信仰生活をするためには、思いを正しくしなければならないのです。
 
・そして、三番目に正しい目を覚まして、信仰の行動をして、確信をして、神様の力を信じて行かなければなりません。簡単に話せば、ダビデはこのハンカチを見ても考えが違いました。これは神様が私に与えられた贈り物だというように、ダビデは考えていました。思いが違ったのです。ものすごく感謝したのです。重要なことが起こった時に、石を持ってゴリヤテを倒しました。だから、信仰生活は難しいのではありません。父が羊を飼いに行けと言ったのですが、ダビデは羊を飼う時間があまりに良かったのです。なぜなら、その時間に賛美して、歌も作って、文も書いて、そのようにしたからです。ダビデは考えから違っていました。そして、どれくらいうれしい心で神様の前に中心をもってしたのです。それで、羊飼いをしても成功したのです。時刻表になったので、その力を持ってゴリヤテを倒したのでした。この話が常に皆様が常に信仰生活にあてはめなければなりません。ほとんどみな、あなたがたは現場に行って揺れるのではないでしょうか? 皆様は一度揺れれば、引続き揺れるようになります。目に見えなく、霊的な状態はずっと深刻になります。皆様は神様の子どもなのに、そのようになる理由はないでしょうか? この契約を握れば、答えがき始めるはずです。だから、何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。心と思いは違うようですが、重要です。心と思いはすこし違います。
 
・これは花です。この花はきれいに飾って、他の人が見るのです。それは思いです。ところが、この花を持って行きたい。それは心です。心は持っていきたいのです。だから、心と思いが調和を作り出さなければならないのです。心は教会に行くことがいやです。それは、私たちの心です。ところが、教会に行ってメッセージを聞かねばならないということは、思いです。メッセージを聞かなければなりません。この前も、抜けて回復するのに数ヶ月でもかかったから、行くべきだ。こういうことは思いです。ところが、心は行くことがいやです。すると、この二つがきたり行ったりします。そして、今日一度だけ休もうとなります。そのように事実上、葛藤が生じるのです。それで、あなたがたの心と思いを守っていただきなさい。簡単に話せば、心は中心が神様に、思いはものすごく合理的であり、また霊的でなければなりません。それとともに、皆様に信仰の目が開かれて、信仰の考えが出てくるのです。恐れる必要がありません。どんな困難にも勝つことができます。この信仰を皆様が回復しなければなりません。私はレムナントが、この信仰を必ず持たなければならないと考えています。幸いに、神様はあなたがたに、この説明をできるように私に経験をすこしくださったので、より一層良いのです。
 
・難しい時期に、難しい町で育ったのに、それが運動になって、健康にも良かったのです。また神様が副教役者の時期に難しくされたのですが、こういうものがものすごく助けになりました。だから、一つも損害がなかったのです。そして、私は貧困になったゆえに、貧しい人を理解できます。あまりに難しく生きたゆえに、難しい人が理解できます。そして、押さえられたこと、腹がへったことを皆知っているために有益です。私はあなたがたに説明できます。私は教会に通いながら、福音を悟ることができなくて苦労したゆえに、その部分に関するものを知っています。長い間信仰している皆様が、福音を悟ったり、長老、牧師の子どもたちが、福音を悟れば、大きいみわざが起きます。それで、皆様がこの契約を捕まえて新しく始めなければなりません。今週に大きい答えが、一生の祝福があるようになることをイエスのお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
 神様に感謝申し上げます。私たちは神様の子どもです。全てのものを受けたのに、全てのものをのがして生きていました。キリストの中に全てのものがあることを知らなくて、私達が真に価値ないことを捕まえて生きてきました。これから、神様の子どもになった祝福を回復するようにしてください。ダビデのように心の中心に神様に礼拝して祈るようにさせてください。どんな事件も、どんな良いものも、困難も正しい判断ができる神様の機会にさせてください。重要な時刻表がくれば、神様はなさることができるので、挑戦できる力の信仰を与えて下さい。この3つのことを持って、一生を生きるようにしてください。今から始めるようにさせてください。どんな危機でも始めるようにさせてください。どんな失望の中でも、生き残ることができるようにさせてください。むしろダビデのように、主は私の羊飼い。私は乏しいことはありませんと告白した告白が出るようにさせてください。それで、私たち聖徒達ゆえに、世の中を生かして、国家を生かす重要なことが起きることを信じます。今週に入るあらゆる宣教師に神様の新しい力を与えて下さい。主のみ使いに新しい力を与えて下さい。私たちの役員達に真に新しい恵みを与えて下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン