2003年 09月 21日 インマヌエル教会聖日メッセージ
1部 /キリストの誕生
(ルカ2: 1〜7)
・まだ世界宣教大会ゆえに、多くの宣教師が国内にいます。私たちの教会、釜山にだけでも40名余りがいます。全国に散在して、一緒に礼拝しているはずです。今日、私たちは、聖書のみことばを見るなかで一つ重要なことを理解すべきです。イエス・キリストが現れたことです。
・私は私の父母がイエスを信じたゆえに、教会に通うようになりました。それから生きていて、このように、あのように、牧師をせねばならないという気がしたのです。したがって、祈って伝道すれば良いと考えました。申し訳ないのですが、福音は、そのような程度ではありません。多くの人々の信仰生活は間違いではないけれど、正しいこともありません。
・ある盲人は、象の足を触ってみて、柱のようだと話すはずです。ある人は、象の鼻を触ってみて、ゴムホースのようだと言うでしょう。ある人は、お腹を触って、運動場のようだと言うはずです。みな間違いではないけれど、正しいことでもありません。私はイエスを信じて祈れば答えを受けるというように思っていました。正しいのですが、そのようなことではないのです。皆様が福音を理解せねばなりません。福音を理解することが全てのものを理解することです。今日、宣教師とあらゆる神様の民が、真に福音を理解せねばなりません。この福音を真に理解して受ける時、驚くべき事が行われるようになるはずです。もちろん、イエスを信じて祈れば、健康も回復します。しかし、イエス様がそれゆえに十字架を背負ったのではありません。私達がイエスを信じて祈れば、多くの祝福を受けるはずです。福音はそのような程度ではないのです。福音を正しく理解しなければなりません。
・ある人は、山に行ってものすごく祈ります。なぜそうなのかと聞いたら、力を受けるためだと言いました。もちろん、正しいことです。しかし、福音はそのようなことではないのです。ある人は、祝福をくださいと目標をおいて一生懸命に祈ります。間違いではありません。しかし、福音はそのようなことではないのです。福音が何かよく理解すべきです。ある人が教会の働きをしながら、試みにあってけんかをすることは、ありえることです。しかし、福音はそのようなことではありません。
・福音は、本当に完壁なのです。それで、かなり以前にすでに歴史に記録されたみことばが成就する現場です。今日、全世界にいる神様の人々、あらゆる宣教師が、この祝福を受けるようになることを希望します。
・いくつかのことを知らなければなりません。最初です。今日、記録されたとおり、福音を本当に深く知っていれば、あらゆる分野に目が開かれます。福音を深く知るようになれば、本当に五つの部分で成功するようになっています。自分個人、出会い、家系、職業、地域に成功するようになっているのです。それが、タラッパンの五つの基礎です。福音を知れば知るほど、成功するようになっています。福音を知れば知るほど、あらゆる部分が皆見えます。ナビゲイト、CCC, UBF こういう団体に感謝申し上げますし、またすまなく思います。私は福音をすこし理解するようになったことは、教会ゆえに理解するようになったのではなくて、宣教団体ゆえに理解するようになったのです。教会では、福音を伝えなかったゆえに、それほど理解できませんでした。しかし、宣教団体を通じて、福音をすこし理解するようになって、本当に感謝します。しかし、おわびしなければなりません。その本をみな読んでみて、これでは世界福音化が出来ないということを知りました。いつでも、1と 2課でだけ福音をすこし説明してしまうのです。聖書では、そのようになっていません。キリストをそのように知っていては、霊的問題を解決できません。そして、世界福音化をすることができないのです。そして、聖書的でもありません。聖書は創世記から黙示録まで、福音に関する話です。それで、私が新しく作らなければならないと考えたのです。実力もなくて、力もないから、紙一枚に書き始めたのが、いままできました。そして、私が了解していただきたいことは、本を作ろうと心に決めたことは一度もありません。私はそのような時間もなくて、そのような人物になることもできません。単に一枚ずつ、一枚ずつ書いて集められたのを、他の人が作ったのですが、私は本を作っていません。これからも、そうでしょう。福音はそのようなことではないためです。福音はどのようにすれば良くできるのかと商売することではないためです。
・私が知っている福音は、完壁なのです。この福音だけ知っていれば良いのです。すべての牧師と神学者にお願いしますが、この部分で皆様が失敗しているのです。福音を知ることは、基礎ではありません。福音を知ることは完成です。それで、パウロはこう話しました。その深さ、広さ、高さが無限なので、それを知るようにさせてくださいと祈りました。あなたがたが福音をどんどん深く理解するようになれば、目が開かれます。変に目をつぶれば幻が見えるような目ではなく、なにか知恵の目が開かれるのです。私は夢のようなことを見て、人生を決定する人を危険な人だと考えています。何か耳に声が入っていってする人は、私は危険だと見ます。なぜなら、サタンも聞かせてくれることができるためです。しかし、神様のみことばと知恵は、サタンが間に入ることができません。これから福音を深く知れば知るほど、人も皆見えて、方向も皆見えます。このような時に、福音の奥義を知るようになれば、その次にくることが、自然に伝道、これが全てのものだなと知るようになるのです。すると、当然に弟子の祝福が重要だなと知るようになるのです。すると、祈れば良いという事実を当然に知るようになります。
・今日、すべての宣教師、すべての主のしもべ、すべての聖徒たちが記憶しなければなりません。私達がなぜか神様の恵みで教会にきた、そのようなことは福音ではありません。私達が、なぜか神様の恵みで執事になって、伝道師にもなって、長老にもなって、牧師にもなった、福音はそのようなことではないのです。皆様が宗教がたくさんある中のひとつを選択した、そのようなことが福音ではありません。これは受けなければ死ぬのです。確実な根拠です。それで、この福音 ! ものすごいのです。それで、無知だったペテロが世界中で、この御名の他に救われるべき名を与えられたことはありませんと言いました。今から皆様の目がこの福音の秘密と、全世界を見る目が開かれるようになることを主のお名前で祝福します。
・韓国のある学者がこう話しました。 '韓国の伝道運動史という本を書く' と言いました。幸いに、その方がタラッパンを認めて、タラッパンも伝道運動史の 1ページに入れるべきだから、資料をくださいと連絡がきたのです。もちろん韓国でその方は、最高の学者です。まず有難とうございますと言いました。私たち団体をわかってくださって、そのように言われただけでも、とても有難いと言いました。それで、私がこういうメッセージを送りまいた。資料をもらう前に、一度だけきて見てください。一回だけ核心をするのに来てみて、一回だけ伝道現場に行ってみてください。そして資料を渡しますと話しました。一回も伝道現場に行かなかった方達が、どのように伝道に対して書くことができるのでしょうか? ただの一回も働きを見なかったのに、どのように記録するのでしょうか? それで一回だけ来てみてください。すべて行ってみれば良いでしょうが、一回だけ来てみてください。一回だけ来て、皆いく必要はなくて、近いソウルにきて伝道メンバーが集まった核心集会に一度だけ行ってみてください。そして、ただ一回だけ、その人たちと一緒に伝道現場に行ってみてください。行ってみてから資料をもらってください。私達がどんなにせっぱつまれば、神様がこの運動をしようとあなたがたを呼ばれたかということです。どれだけ分かるのかよく分かりません。あなたがたの考えを変えるべきです。
・福音は、私達が普通に知っている、その程度ではありません。風邪を直そうとイエス様が十字架にかかられたということでしょうか? では、風邪薬を飲めば良いでしょう。何ゆえにイエス様が十字架を背負われたのでしょうか? よく食べて、よく生きるためにイエス様が十字架を背負われたということでしょうか。それは、イエスを信じないでも熱心に仕事をすれば、よく食べて、良い生活をするようになります。私たちを成功させようとイエス様が十字架を背負われたのでしょうか? イエスを信じないでも、いくらでも成功します。そのような程度ではありません。ものすごいのです。人生の根本問題を解決するために、神様がキリストを送ってくださったのです。皆様、ここに対する答、感激、発見があれば、これから始まるのです。皆様が本当に新しく始まる神様の大きい祝福があることを望みます。私は約束することができます。すると、神様の祝福を皆様が本当に見ることができるのです。
・今日の本文を見ると、2番目に理解しなければなりません。福音が成就にするその日に驚くべき事が行われました。それまで、歴史的に前もって預言された全部が成就される瞬間です。今日、ルカ 2章 11節 14節見たら、主の天使、主の御使いが動員されます。本当に幸いなことは、マリヤがこれを心に思って信じたのです。マリヤは崇拝対象ではありません。マリヤは、この事実を信じて、イエスを信じなければならない人です。マリヤを通じて祈ることではありません。マリヤもイエス様の名前で祈らなければならない対象です。よく理解しなければなりません。カトリックは、もう一度理解しなければなりません。霊的に大きい問題が起きる前に、もう一度理解しなければならないのです。カトリックが入っていった南米が、みな崩れたということを知って、もう一度、記憶しなければならないのです。カトリックが入っていったヨーロッパは、みな崩れてしまい、青少年一名も教会に通わないと言う事実を記憶しながら、もう一度、悔い改めねばならないのです。カトリック思想が入っていった、あのロシアが全部みな崩れてしまったという事実を考えて、もう一度、悔い改めせねばなりません。大変なことになるのです。
・それで、あなたがたはよく記憶しなければなりません。福音が何かを知っていなければなりません。皆様の人生の根本、すべての問題の解決です。それで、それが本当に感じられるならば変わります。この祝福を受けねばならないのです。その話です。何の仕事をするか? どのようにするか? そのようなことは、問題になりません。教会が何をどのようにせねばならないか? 行政がどうであれ、そのようなことは、二番目の問題です。長老がどうだ、執事がどうだ、そのようなことは、二番目の話です。自分自身が発見出来なかったということです。すると、盲目になっているので、何でいろいろな話が必要でしょうか? 盲人が旅行をすれば、何をするのでしょうか? 皆様が、今日、何も難しいことではありません。神様の恵みによって悟ることです。救われた皆様は、バカではない以上、悟れないでしょうか? 私たちのつまらない問題ももちろん、神様が解決なさるけれど、それゆえに十字架を背負われたのではありません。病気もいやされることができますが、病気をいやされなさいと、それゆえに十字架を背負われたのではありません。祈りの答えを受けることができるけれど、祈りの答え、それゆえに十字架を背負われたのではありません。人間の根本問題の解決、霊的問題の解決、呪いと罪の問題の解決、サタンと暗闇の問題の解決です。ものすごいのです。これが一番目です。これが皆様の目に見える時、人が変わります。
・確かに見た人と、見なかった人は違います。聞いた人と、見た人は違うのです。私がキム・ヨンギ執事の話をします。話す人もたくさんいないためです。キム・ヨンギ執事が出て、車に乗って行く時、私があそこには魚がいると言えば、そうと返事をします。あんな所に行けば、フナがいると言うと、キム執事は釣りを準備しましょうかと聞きます。知らないで言う話しです。時間が午後に集会があったり、余裕がなければ、釣りをする人は釣りをしません。余裕があってこそ、釣りができるのです。ひょっとして私達が時間がすこしある時もあります。現場に到着したのに、集会は明日からです。そのように時間がある時にするのです。それでも、私が一度話せば、釣りを準備しようかという話はしても、一回も行動したことはありません。そのようなある日の夜、私に、先生待っていて下さいと言いました。なぜかと聞いたら、魚を釣りに行きますと言いました。突然に、夜になぜこのようになったのかと思いました。待っていてと言いました。釣りに行くならば、電話すると言いました。もちろん、電話はかかってこないと思っていたのですが、とにかく行くので不思議でした。本当に夜に行きました。それで、私はなぜあのように変わったかと思ったのですが、理由がありました。その日の昼に、隣室に寝ていた男の人たちが魚を釣ってきたのを見たのです。聞いた者と見た者は違います。私はそれほど感動がなかったのですが、彼は胸がどきどきして、あそこに行けば釣れるのだと考えたのでした。もちろん、その日の夜、一匹も釣ることができなかったのですが、今回、グアムに行った時も、その感動が消えないで、一人で水に入っていって釣りをしていました。そのようにしておかしな魚を釣ってきました。変わったんだなあと思いました。聞いた者と、見た者は違います。何でも違うのです。聞いた者と、見た者がどのように同じでしょうか?
・ヨブが神様の答えを受けてこう話しました。 '私は衣を裂いて、神様の前に悔い改めます' 何の話でしょうか? ' 以前は、耳で聞いたのですが、今は目で見ました' 皆様、こういう神様の祝福の福音の奥義を見たら、確かに変わります。これを見なくてしようとするので、どれくらい苦労するでしょうか? ある牧師が道を行く時に木が腐っているので、お前も牧会したか、なぜお前も腐っているのかと言ったということです。見ることができずにしようとするので、どれくらい苦労するようになるでしょうか? 米国へ行ったところ、ある青年が教会の悪口を言って回りました。理由があります。長老の息子でした。父が教会であまり苦労するのを見てしまったので、教会の悪口を言って回ったのです。見ることができなくてしようとしたからです。正しく見ることを見て、やることをしなければならないのに、見ることができないでしようとするので、これが難しいのです。 皆様が知らない道を探して行くのは、どれくらい難しいでしょうか?
・ある人が略図を描いたのですが、コメ屋のそばにあると描きました。すると、コメ屋はどこにあるのでしょうか? 自分はコメ屋を知っているけれど、私たちはコメ屋を知りません。だから、探す事がどれくらい難しかったでしょうか? 探すのが難しいのです。それで、電話を何回かしたのですが、その人が言う話が傑作です。いやそれも探せないのですか? コメ屋のそばなのに。すると、コメ屋は大韓民国にひとつしかないのですかと尋ねました。その人と私の差は何でしょうか? 知っているのと、知らないという差です。その人は知っているので描かなくても大丈夫です。私たちは知らないから、描いたのを見てもむずかしいのです。皆様が今日、福音が何か深く理解し始めるべきです。この福音が成就する所は、今でも天使が動員されています。今でも神様のみことばと、驚くべき預言が成就しています。今でもマリヤのように信仰を持った者に、こういうみわざが起きているのです。皆様、これが福音です。今日、祝福を受けてくださるように願います。
・サタンがじっとしているでしょうか? 創世記3章事件で、アダムとエバを押し倒したサタンがじっとしているでしょうか? 皆様の社会と家庭、家系を押し倒す創世記6章のサタンがじっとしているでしょうか? 世の中がすごいように見えるようにして、バベルの塔を積むようにしたサタンがじっとしているでしょうか? このヤコブの家庭を知らなくさせて、あのエジプトの奴隷にしてしまいました。イスラエルの民が、これを知らなくなるようにさせて、捕虜にしてしまいました。このユダヤ人、パリサイ人が、秘密を知らないようにさせて、滅ぼされるようにしました。このユダヤ人が崩れることによって、世界史が揺れたのです。今でも正確に話せば、世界史が揺さぶられるのは、ユダヤ人のためです。今でもイラク戦争で助けをあたえる人はユダヤ人で、反対する人はその反対派です。今、普通の問題ではありません。こんにちにも同じ戦略を使っています。この勢力を完全に壊したのが福音です。どれくらい驚くべきことでしょうか? 今日、祝福を回復することを希望します。何をするのでしょうか? しなくてもかまわないのです。よく悟りましょう。皆様が今日、神様の驚くべき祝福を受けてくださるように願います。
・ところが私達が知っていなければならない重要な4番目のことは何でしょうか?これが神様の恵みです。私と皆様が知るようになったことは、神様の恵みです。今日記憶するように願います。福音は最初、すべての問題の解決です。二つ目、福音が現れる時は、今でも主の天使が動員されて神様の驚くべき働きがなされます。
・三番目に、福音はサタンのしわざを打ち破ることです。4番目に、この驚くべき栄光は、恵みで見るようになるのです。2章 4節にヨセフに現れました。2章 5節に、マリヤに現れました。2章 8節にベツレヘムの羊飼いに現れました。恵みです。2章 19節にこういう言葉があります。 'しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。'マリヤは何と話したかというと 'ほんとうに、私は主のはしためです。' これを心に思って、驚くべき神様の栄光を神様の前で受け、本当に大きな恵みを受けました。恵みの人です。つまらなく、人々がその女の人を異常にさせているので、元々その女の人は、そのような女の人ではありません。とても善良で恵みを受けた女の人です。その女の人をカトリックで、悪いように作ったのです。もう一度、話しますが、神父や修道女は本当に悪い人です。良いマリヤをとても悪い女にしたのです。元々そのような女の人ではありません。ぶるぶると震えながら「ほんとうに、私は主のはしためです。」と言ったのです。イエスが神様の息子だということを、誰よりもマリヤがよく知っています。マリヤは男の人に近づいたことがありませんでした。誰がよく知っているでしょうか? この人はよく知っています。神様だです。本人です。ところが赤ん坊を産みました。誰が何と言っても、聖書の旧約のこの預言のみことばが成就したということをマリヤはよく知っています。誰が何と言っても、本人がよく知っていることではないでしょうか? マリヤは理解しているということです。ぶるぶる震えました。旧約に「処女がみごもって男の子を生む。その名をインマヌエルと呼ばれる」マリヤは大母ではなくて、ぶるぶる震えたのです。マリヤは原罪がない神様でなくて、ぶるぶるとふるえた女の人です。恵みを受けた女の人です。私がお話ししたことが想い起こされます。
・ロシアに行って一番初めて行ってみたのが博物館です。その国は、キリスト教が100%だというのに、なぜ共産国家になったのか? という観点で詳細に見ました。元々、共産主義というのは滅びざるをえません。所有主がないということなのですが、持ったものを分けるということですが、それが話になるでしょうか? 人ということは、自分のものがなければなりません。全く同じくするという、それ自体が人間の構造に合わないことです。だから、共産主義はだめなのです。そして、共産主義は神様を信じないというのですが、それが話になるでしょうか? ところが、どのようにこの怖い共産主義が、ソ連に入っていったのでしょうか? それも、それ以前にソ連は全部キリスト教だったのにということです。博物館に行ってみて分かりました。キリスト教が入ったのではありませんでした。キリスト教は入ったのですが、福音が入ったのではなかったのです。ロシアに行けば、博物館に必ず行ってみましょう。私は驚きました。偶像、それは話す必要がありません。そのようにまで悪くすることはありません。イエス・キリストをあまりにも弱化させてしまい、マリヤを高めてしまったのです。一度、行ってみましょう。おもしろいでしょう。イエス様がいばらの冠をかぶって、倒れているのに、そしてマリヤが上から手を握っている絵です。こういうことを大型の博物館に絵で遺産として残されているのです。天の人々は光、オーロラで、赤ん坊イエス様は細くして、マリヤは厚くぱっと描いていました。その人々がする事が悪かったのです。それで、組織的にキリストを弱化させたのでした。サタンの勢力を打ち破ることができて、罪の力を破ることができるキリストの力を、どんどん弱化させたのです。絶妙に弱化させます。それもあまり良い文化として弱化させるのです。かなり霊的な目がが暗かったり、無知な人はみなついて行くのです。まちがいなく、神父や修道女は、学校に通う時に勉強をすることができなかったでしょう。私がこのように侮辱的に話すのには理由があります。キリスト教をみな壊してしまったのです。
・フィリピンに行ってみましょう。完全にみな壊していました。いっそのこと、イエスを信じられないようにしたのです。あのように確実なサタンがいるでしょうか? ですから、博物館に行ってみましょう。イエス様の絵を想像して、難しい峠ごとにマリヤが手助けしています。聖書には、そのような記録はありません。 イエス様が苦しみにあう時に、マリヤが手助けしていました。それはマリヤが大母、すなわち神様の夫人だということです。こういう方法でキリストを弱化させました。福音を弱化させれば、みな死にます。それで、福音を弱化させるあらゆる教会、あらゆるプログラムは違っているのです。それでタラッパンは何でしょうか? 福音を強調するために出てきた団体です。早く話を理解しなければなりません。皆様がここで暗闇に勝つことができる道はひとつしかありません。ところが、このようにだまされて、福音に反対するのです。
・それなら、私達がどれくらい神様の大きい恵みを受けたのでしょうか? あなたはどのように知ったのですか? 神様の恵みです。マリヤがどのように知ったのでしょうか? ヨセフがどのように知ったのでしょうか? 羊飼いが、どのようにこの祝福を受けたのでしょうか? 神様の恵みです。ベツレヘムがどのようにこういう栄光を味わうことができたのでしょうか? 神様の恵みです。ですから、総会長がこう話しました。 'ああ、影島、そこはインマヌエル教会ができることによって生かされたのですよ。誰がそこに入っていくでしょうか? そこの真黒な海に、世界の外国人が入っていくでしょうか? インマヌエル教会ゆえに入っていくのですよ' 正しい話です。福音でなくて、何ゆえに外国の立派な方達がここにくるのでしょうか?
・それなら、私たちには五番目の結論が出てきます。証人になるしかありません。私達に良いものがあれば、他の人に与えたいでしょう。証人になるしかないのです。私はバレーをする女の人一人が TVに出てきたのを見ました。足をしばしば隠したのです。意地悪にも、司会者がなぜしばしば足を隠すのかと言いました。意地悪にも、くつしたを脱がせたのです。完全に親指足の指がみな崩れていました。舞踊するのにも、あのように足が崩れながらするのだなと思いました。私達が神様の驚くべきこの恵みを受けたことが事実ならば、証人にならざるをえないのです。それで、私はむかしにどこで衝撃を受けたのでしょうか? 多くの本を読んで受けたのではありません。
・私が牧師達に対して話をしました。私は牧師の説教ゆえに衝撃を受けたことはありません。ある一般信者が福音を伝えてみたくて仕方がない姿を見たのです。これが私の胸に伝わってきたのです。この人が、教会学校を預かりました。熱心にしました。すると、私に伝わってきました。教会学校を預かって、復興させようと熱心にすると伝わったのです。ある程度、理解できます。しかし、それが私の心を動かすことはできません。そのようなことをたくさん見るでしょう? この一般信者は、おかしな人ではなくて、たくさん学んだ人です。とても成功した人です。30年前に乗用車を乗って通った人であるから、お金もよくもうけた人です。私がどこかに一緒に行っている時に、車に給油するようになりました。ガソリンを入れてくれる人が、ガソリンをいれて車が汚いと、前をちょっと拭いてくれたのです。そこに行って、福音を伝えました。ところが、変に伝えたのではなくて、あまりにも切なる心で、無理にしたのではありません。あまりにも負担ならないように、とても切なるようにしたのです。私が人の顔色をうかがったら、ガソリンをいれる人が避けているようでした。全く負担を与えなくて、終わりまでついて行って福音を伝えたのです。この人が福音を伝えてみたかったのでした。ところが、驚くべき事が行われたのです。この方が耐えられずに、イエス様を受け入れて、涙を流したのです。ところが衝撃は別にありました。その方は、私より神学的には遅れています。その方は私より聖書も知りません。その方は私より伝道戦略も知りません。私について訓練を受けていた者です。ところ、違ったことがあります。私はそのような心がありませんでした。このたましいが、本当に哀れだな。自分には、そのような心がなかったのです。ところが、この方がそのような心があったのです。それが私の心にぶつかってきました。その人に私が説明したことではありません。神様がこの人を本当に用いて、祝福されるのを見ました。伝道何年かした後に知りました。これは普通のことではないのです。
・私達が神様の途方もない恵みを受けたなら、当然に証人になるのではないでしょうか? それなら、心配することは何でしょうか? 12坪のタラッパンから始めました。その時、長老と役員は、思い出すはずです。私が伝道者ならば、神様は私たちの教会を祝福されるはずです。私が伝道者ならば、神様はあなた方を祝福されるはずです。その約束をしました。今まで神様は確かに、私たちにはできない条件の中でくださいました。これで終わりかと思ったのに、驚くべき祝福を発見したのです。過去から未来まで、それで私は定義を七つ出したのです。それで祈れば、何んでもできます。この祝福を回復しましょう。今、私達が教会の中で多くの問題があって、色々な事も多いのです。明らかな事実は、福音はそのような程度ではありません。私がなぜ事業がだめで難しいのでしょうか? 明らかな事実は、神様はその程度できない方では、明らかにありません。私はある重要な病気にかかったならば死になさいと言います。神様は、その程度をいやせないでしょうか? それなら、死ぬことが神様のみこころです。神様がこの程度をしないでしょうか?
・私たちは、今は成功するためではなくて、重要な福音運動のために挑戦しなければなりません。紅海の前に行かないのに、神様が紅海を分ける理由がありません。ヨルダンに行った時、神様がヨルダンを分けられました。
・皆様、今日、重要なメッセージを整理して答えを受けるように願います。五つで福音は何か? 今日の本文のみことば通り話します。人間の根本問題を解決しようと来られました。神様には栄光、地には平和。今日、相当なメッセージ 2章 11節にはこういうみことばがあります。 'きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。' 福音が成就する所には、神様のみことばと主の御使いと全てのものが動員されます。これが福音だということです。皆様、福音が宣べ伝えられる所は、サタンの働き、力が全部崩れるのです。これが福音です。
・4番目、福音が宣べ伝えられることは、主の栄光と恵みがあふれ出ることです。それなら、私たちの人生は成功するしかなく、証人で立たざるをえないのです。これが福音です。もし信仰生活を誤って始めた方達は、正しく開始するように願います。私は神秘主義を間違っているとは話しません。正しく始めましょう。それ自体が聖書にないということではありません。正しく始めましょう。
・ある夫人が、夜明けに祈りに行って、火がついて異言祈りをすごくしました。とても熱を出して10時までしたのです。未信者の夫がご飯ももらえず、いらいらして会社も行かずに待っていました。この夫がイライラして、夫人を殴り倒したのです。半分死ぬほど夫人が殴られて教会に行って、主よ。私は迫害されますと言ったのですが、それは迫害ではありません。それは聖霊充満ではないのです。なんでも聖霊聖霊と言ってはだめです。なんでも、福音、福音と言うことではありません。福音は、そのようなことではないのです。それで、そのような神秘主義はしないようにしましょう。
・福音は格好良いことです。神様の子どもになることです。人間の根本問題の解決です。霊的問題の解決です。天の門が開くことです。主の栄光が現れることです。そこに証人で立つことです。すごいことでしょう? すると、一つより最後の約束をして終えます。私たちの教会の未来は、どのようになるでしょうか? 見ていて下さい。聖書そのまま答えられるはずです。その祝福を皆様が受けるようになることをイエスの御名でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。福音を正しく知る私達になるようにさせてください。今日、キリストが現れたことを本文で読みました。正確に理解する私達になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
2部 / 助け手がない時に
(詩54: 1〜7)
・ 今日は、ゴシェン・フェスティバルがあるために簡単にみことばを語ります。しかし、今日、私たちは、詩篇 54篇を通じて受けるべき答えが何かを確認すべきです。
・あるクリスチャンの青年に仕事をさせてみました。ところが、仕事をあまりにも出来なかったのです。私は、変な人ではありません。普通の常識で見る者です。私は相手に話す時は、何回も繰り返したゆえにいう話です。言わば私は良い人間です。そのように悪くして、人を困らせたりしません。あまりにも仕事ができませんでした。できないことは良いのに、あまりに長くかかったのです。完全に壊します。それで、できないなら、やめてくださいと言いました。やめてくださいと言ったところ、この人が悲しい顔で行くのを見ました。だいぶ苦しいと考えるはずです。
・そのようなことは、苦しみではありません。私たちクリスチャンが、そのようなことを苦しみだと思うならば、一生、苦労します。私たちは何でも苦しみ、苦難だと言います。しかし、そのようなことは苦しみではありません。私達がある人を見れば難しそうでした。学生達が難しいこともあります。しかし、そのようなことは、困難ではありません。準備する時はむずかしいのです。そのようなものは、困難ではありません。私達が何でも苦しみ、苦しみと言うのですが、それは苦しみではありません。本当に苦しみがきたとすれば、それは機会です。今日のタイトルは '助け手がない時'がきたとしました。それなら相当な機会です。私達がダビデを見ながら分かるでしょう。今日、この簡単な時間にどのようにすれば私に来たこの困難を解決できるか、また困難の中に陥った人をどのように助けることができるか。こういう部分を考えながら答えを受けなければなりません。
・ある人は、クリスチャンの中で苦しみがないことを苦しみにだと思う人が多いのです。あなたがたは、そのような部分を早く識別することができなければ苦労します。クリスチャンを見れば、ささいな人間関係で苦労します。もちろん大きい祝福を受けることができない平凡な人です。あなたがたが、本当に神様の祝福を受けるのには、苦しみがなにかを知っていなければなりません。今朝にも話しました。時間があれば祈ると夫にご飯を出してあげずに殴られる人がいます。それは迫害を受けることではありません。簡単に話せば、当然に殴られなければならないのです。私たちは、何でも見て、苦しみだ、迫害だと話すのです。
・学生が学校で勉強しないで回りながら、あちこち遊び回って苦しみを受けるのですが、それは苦しみではありません。私が勉強している時、お金がありませんでした。これは苦しみだと考えませんでした。当然なことではないでしょうか。それで、私は本格的に歩いて回って、本格的に伝道しようと回りました。それは苦しみではありません。私たちは苦しみではないことを苦しみだと考えるのです。学生のあなたがたが、苦難を受けても、それはかまわないのです。
・私たちに本当に苦しみがきたとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。時間がなくて簡単にお話しします。
・まず確認しなければならないことがあります。私が神様の前にどのように立っているのか。救いの秘密はなにかを早く確認しなければなりません。神様は、それを望まれます。私たちに苦しみがきたとします。私たちは人から解決しようとするのです。その時、神様の前に立てば、その苦しみは、最も早く解決します。ダビデがどのように困難にみな勝ったのでしょうか。神様の前でした。皆様、大部分の人々が、この話が理解できないのです。まだ問題があまり来ていないからです。ナポレオンに分別がない時はこう話しました。'私の辞書には不可能がない.' たいした英雄でした。それはナポレオンに分別がない時言った言葉です。ナポレオンが、分かってこう話しました。'私が全地を回ったのに、なぜ横になる土地が一坪しかないのか'セントヘレナ島ではこう話しました。全身に病気が広がったのです。'あの海の水は、人間が流した涙だな' 'あの山で吹く風は、人間のため息をつく声だな' ナポレオンが言った言葉です。その時は、分かった時です。私達が苦しみに会った時、最も早い道は、神様の前に立つ時です。未信者には、言う必要がありません。信じないからです。未信者は、悪魔の子どもですから、言う理由もないのです。皆様がもし苦しみに会ったり、困難に会ったら、本当に神様の前に立つならば、困難はすっかり解決するはずです。最も早い道です。
・ただひとつ、考えなければならないことがあります。義人も苦しみを受けることがあります。サウル王がねたむ病になって、ダビデをしばしば殺そうとしました。ダビデがこのように賛美をしているのに、2度も槍を投げました。ダビデが寝ている時、刺客を送りました。逃げたダビデがノブの地に行ったのですが、食べるものがなくて祭司長が食べるパンをもらって食べるようになりました。逃げる所がなくて、ガドの地方にいて、ダビデということが知られて、狂ったまねをして抜け出しました。洞穴に入っていって、隠したりもしました。ケイラ地方に行って隠れたりもしました。ジブという地域があるのですが、そちらにダビデが逃げたのです。その時、誰かがサウル王にダビデが隠れていると話しました。その時に作った詩が、今日の詩篇 54篇です。本当にすごい人です。
・皆様は今、難しい事に会っているならば、解決する方法、4つがあります。最初、神様の前に立ちましょう。二つ目、義人も困難に会うことがあるので、神様の計画を発見しましょう。どの程度、計画を発見すれば良いのでしょうか。ダビデは、詩を書く程でした。皆様、人の話は聞かず、皆様は神様の子どもであるゆえに、難しい問題が来たり、大きいことに会えば、いつでも神様の前に立ちましょう。そして、神様の計画を発見しましょう。三番目です。苦難でも、祝福でも、明確に現実です。現実の中に未来があります。皆様が苦しみに会う現実の中で、確かに未来があります。救われた神様の子どもならば、それから確認することが最初です。私が福音を正しく味わっているかを確認しなければなりません。私は三十いくつの賜物を受けた人が変になることをたくさん見ました。私は伝道運動だけを熱心にした人が変になったことをたくさん見ました。私は異言祈りを多くした人が変になったのをたくさん見ました。何の話でしょうか。福音から早く正確かを確認しましょう。そして、神様の前に立ちましょう。それが解決する一番目です。そして義人も困難に会うことがあるので、神様の計画を発見しましょう。三番目です。より重要なことは、そこから神様の未来、希望をみな捜し出さなければならないのです。
・例えば見ましょう。ダビデが一人、孤独に羊飼いをするようになりました。その時、ダビデは2つのことを捜し出したのです。途方もない祈りと賛美、作詞、作曲をする程でした。そして、羊を守る技術、獣と戦うこともしました。そこで78篇を見れば、王として呼ばれました。なんの意味なく見える羊飼い生活をする中で、王として呼ばれたのです。私はこのメッセージを見ながら、これを感じました。私はある小さい教会の副教役者であるけれど、ここで神様の驚くべき時代的な答をさがすべきだ。気落ちせず、座った場所で勝利するように願います。本当に神様の前に立つことを願います。福音が正しくなったのでしょうか。早く確認しなければなりません。そして、神様の計画が何か?それが2番目です。
・三番目は何でしょうか。そこがまさに未来がある所で、希望がある所です。ゴリヤテが攻めてきました。ダビデが大胆に走って行ったのです。何でしょうか。全世界に主なる神さまを説明する機会です。未来が、そこにみな入っているのです。皆様が会う難しい現実の中に希望が全部入っていることを識別しなければなりません。そして、その後にも困難がきます。サウル王がダビデを殺そうとしました。ダビデは揺れませんでした。ダビデは王になることを知っていたのです。それゆえに悪い臣下はサウル王の下に、良い臣下はダビデにみなきました。知恵がない人間は、全部サウル王の下に行って、知恵ある将軍は全部ダビデにきました。祈らない人は全部サウル王の下に行って、祈る人は全部、ダビデにきました。心配することがあるでしょうか。時刻表になって、サウル王は死にました。ダビデが時代的な王になったのです。だから、現実の中に未来が入っているのです。王になりました。言わば成功したのです。私たちならば、どのようにするでしょうか。王になったから王の役をすべきでないでしょうか。神殿準備をしました。たいした人物です。王になって神殿準備をしたのです。すでに未来がある人です。後ほど年をとって、自分の臣下に追い出された時、どのようにしたでしょうか。ダビデは揺れませんでした。正しい臣下を区別する方法でした。国を任せることができる正しい王を立てる方法、正しい将軍を立てる方法、しばしば困難を受けなかったら、分からなかったでしょう。皆様にこういう目が開かれなければなりません。今日から答えを受けることができます。私が果して福音かを早く確認しましょう。本当に神様の計画が何でしょうか。皆様が会う困難、現実がまさに未来です。そして、祈るのです。この祈りは答えられます。今日の本文に感謝のいけにえをささげたとあります。6節を見ると、すすんでささげるささげ物をささげるとして、1節を見れば、御名によって、3-5節を見れば、神様の力と悪人の結末に対する確信を持っていました。どの程度祈ったのでしょうか。感謝しながら祈りました。詩を書く程です。この危険の中で詩を書いたということは、普通の余裕がある人ではありません。これは聖書にある信仰です。皆様が祈りの答えを受けることができる信仰です。私はこれがとても重要だと思います。苦しみをどのようになくすか、牧会にどのように成功できるか、宣教にどのように成功できるか、事業にどのように成功できるか、この苦難をどのようになくすか、その方法は、福音か、それから確認しなければなりません。それでこそ、神様の前に正しく立つことができます。すると、神様の計画は何でしょうか。すると、この現実の中に神様の驚くべき未来が入っているという事実です。それが何でしょうか。それを捜し出すのです。ダビデはそれをよく捜し出しました。そして、感謝しながら祈ったのです。
・私は、聖書で 20個の伝道戦略を捜し出しました。困難がくる時ごとにです。例えば、レムナントという単語は6年前くらいに捜し出しました。約 7年くらいなりました。そして、産業宣教という単語も7年くらいになりました。世界宣教現場に行ってみたら、宣教師がとても大変でした。私たちのチームが知らずにロシア地域に行きました。散在したのです。その宣教師はタラッパン組織には入らなくて、タラッパンだけしている方でした。雰囲気もない信徒が宣教師の家に行ったら、実際にはその宣教師はあまりに難しくて、接待することができませんでした。あちこち急に準備するのを見て、後ほど信徒が感づいたのです。それで、その方達が、いくらずつ出して、その宣教師に与えました。それほどむずかしかったのです。その話を私にしてくれました。その話を聞いて、私が静かに考えてみたのです。このようにして世界宣教するのだろうか。その時、私の心で深く祈って、出した答えが産業宣教です。それで今日、 私が来たら、ある按手執事が私に話しました。この人が韓国で一番おいしいキムチを作っていると言いました。まず持ってきなさいと言いました。宣教する程しなさいと言いました。私は、これから産業宣教を通じて、私たちの重要な宣教になるに値する産業人を捕まえるのです。私たちタラッパンには、ただ福音のみという組織がものすごくあります。全世界にあるのです。それでいくらでもできます。産業宣教です。この方達でなければ宣教出来ません。
・一度は、あまりに人を通じて試みを受けました。話が通じないのです。この福音運動をするのに、話が通じる所がありませんでした。人は、話が通じないぐらい苦しいことはありません。私は肉体的なことを要求するのではありません。私はだれにも良くしてくれと言ったことはありません。だれにも助けてくれと言ったことはありません。私が助けてあげるので、助けてくれと言ったことはないのです。今、私の人生でよくしてあげることはあっても、良くしてくれとしたことはありません。とても良くしなさいと話したこともありません。基本だけ維持しろと言いました。神様の前で信仰の良心です。あまり福音のための人がいず、試みだけを与えたのです。その時、私が悟った単語です。イザヤ6:13。レムナントを育てなければならないのです。神様が私の中心を受けて、レムナントを祝福し始められました。
・これから、来年から、今日から、神様は産業宣教を祝福なさるはずです。私が重要な牧師達に指示しました。産業宣教の組織を組みなさい。現在している中央会が必要です。しかし、レムナントだけ育てることができるレムナント会長も作りなさい。そして、本当にこれからは牧師、宣教師を助けることができるガイオ宣教会長を作りなさい。これからは、その程度ではなく、VIPを生かす VIP宣教会長も作りなさい。それで5人の組を作りなさい。実務者も作って、完全に産業宣教は神様の答えを受けなさい。神様の働きが起きるはずです。それで、あなたがたが祈りの答えを受ける方法は簡単です。自分は神様の前に立っているのか。最も重要な方法は、福音が正しいのかを見なければなりません。神様の前に立つとして、石の前に立つことがあるでしょう。本当に福音が正しいのか。不健全神秘主義をずっとする人は、苦しむはずです。福音が正しいか、早く確認しましょう。皆様、いつも苦しめられて、いつも熱心にする人々は、良くならないのです。福音が正しいかを確認しましょう。そのような後、見ることが神様の計画が正しいのか。三番目。必ず捜し出さなければならないことは、現実と苦しみでも、そうでなくとも、現実の中で、神様の未来と希望を捜し出さなければならないのです。どの程度でしょうか?感謝の祈りが出てくる程です。私がこの困難にあったのに、とても感謝なことだな、この程度ほどなればよいのです。すると、正しく発見したのです。その祈りに答えられます。その内容を含んだのが、詩篇 54篇でダビデがした話です。本当にたいした人物です。
・今日、重要な宣教師たちを迎えました。この賛美する方達が、心をもって賛美を準備しました。宣教師のために祈って、聖歌隊のために祈らなければなりません。私は今多くの考えを持っています。どのようにすれば、指揮者と聖歌隊を手助けすることができるか、心で方法を探しています。なぜなら、共同体訓練場が開くと、このような方達が行ってレムナントをみな生かさなければならないからです。メッセージしたことを整理して作詞をしてみようと思います。今回、宣教師に与えたメッセージは、作詞をしてみようと思っています。それで、音楽する方達が曲を作って歌うように作ることを考えています。私がちょっと頭が機械的で、詩をよく書くことができないけれど、してみようと思っています。私たちの宣教師と私たちの聖徒たちが、問題解決して、成功するこの答を必ず探してくださることを主の名前でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様、今日、栄光の日になるようにさせてください。勝利の日になるようにさせてください。治癒の日になるようにさせてください。苦しみとすべての問題を勝利に導く日になるようにさせてください。今日、このメッセージがダビデに与えられたメッセージですが、私達が捕まえるメッセージになるようにしてください。衛星で礼拝する教会、蔚山、釜山インマヌエル教会と全世界の教会を祝福してください。インターネットで神様のみことばを受けるしもべに働いてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
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