2003年 10月 5日 インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部 /聖霊の人アンナ
 (ルカ2: 36〜40)
 
・多くの教会が週5日制ゆえに悩んでいるらしいです。人々がみんな遊びにいくから、教会に来ないという悩みです。私たちタラッパンでは、そのように悩みません。私たちは、そのように霊的な目が暗い信仰生活はしていないためです。ヨーロッパのような所では、週4日制度があります。週4日制や5日制になってから経済問題がより大きくなったと言われています。なぜなら、遊ばねばならないからです。ヨーロッパでは、離婚率も高まったということです。霊的な問題がよりたくさん生じて、教会は門を閉め始めました。何ゆえにタラッパンでは、訓練を多くして、何ゆえにイエスを強調しているか、後ほど分かるようになるはずです。まだ大部分の人々は、よく知らずにいます。訓練ということは、どんなにだめなようでも、しただけ出てくるようになっています。皆様が運動しただけ、からだに有益なように、訓練もそうです。タラッパンでは、少し無知だと思えるほど、福音に対して強調します。たぶん何年か過ぎれば分かるようになるはずです。韓国教会は、全部、ヨーロッパ教会のように門を閉めるようになるはずです。福音をあいまいに伝えたためです。いのちを掛けるだけの理由を発見することができなかったからです。何ゆえに、休日に遊びに行って、なぜ、教会に来るのでしょうか?
 
・少し前に、米国がイラクを攻撃しました。サダム・フセインを捕まえようと行ったら、逃げていませんでした。サダム・フセインの家庭の中が公開されました。サダム・フセインが住んだ家に風呂場だけでも70ケもありました。簡単に話せば、本当に良い生活をしたということです。風呂場を70ケ作って、中に美しいものをたくさん作ってあったということです。それでも、その人は、愚かで、最後をよく知ることができなくて、福音を全く知らないで、どのように生きて死ぬのかを知らないのです。本当にかわいそうです。一番戦いを良くした人はナポレオンだと言われています。一度もナポレオンは負けたことがなかったということです。最後のウォータールーという地域で負けました。このナポレオンに勝った将軍は、イエスをよく信じた人でした。その時、ナポレオンが少し考えたということです。自分が島流しになって、島に行って死ぬようになった時、ちょっと考えたということです。土地を一番たくさん占領した人はジンギスカンです。その人も、福音を知らないで行きました。戦争を最も多くした人は、ジュリアス・シーザーだと言われています。その人も三十三ケ所程、刀に刺されて最後に死にました。そのように立派な人々が多いのに、この人たちは、福音を知りませんでした。
 
・今日、アンナという女の人は、特別な女の人のようには見えません。ところが、イエス様に対して、とても重要な福音の秘密を話しました。私の経験で、私がある日、神様がおられるのだなと感じられました。それとともに、ある日、福音に対して知るようになったのです。福音を知るようになったら、答えがきました。答えを受けて、問題が見えました。それを捕まえてずっと祈っていたら、何が見えたかというと、未来が見えたのです。それで、私たちタラッパン伝道戦略は、ほとんど一個も失敗しませんでした。出してだめになって変更したことは一つもありません。今でもある人々がそのような話をしました。現場に行って、驚いたということです。隠れてこの運動をする人がものすごく多いのです。福音を受けた人は、そうなのです。
 
・今日、重要な日の礼拝に参加したのですが、アンナのような人が受けた祝福は、小さな祝福ではありません。どのようにすれば、私達がこういう祝福を正しく受けることができるでしょうか? 今日、みことばを捕まえて行く短い時間ですが、ものすごく重要な祝福を受けるようになることを希望します。ここは、いのちを掛けてもかまわないな、という程に発見しなければならないのです。ここにいのちを掛けてもかまわないな、ということが発見できないのに、何ゆえに週4日制、週5日制となって教会に来るでしょうか? 遊びに行くのに、説教で良い話、哲学の話、倫理の話をするのに、それを聞こうと休日に遊びに行かないで、教会に行くでしょうか? 大部分の説教を聞いてみれば、正しい話、おもしろい話を多くするのですが、それを聞こうと私達が教会に行くでしょうか? 教訓的な話が本当に多く出てくるのに、それを聞こうと教会に行くでしょうか? ですから、週5日制になったら、悩まざるをえないのです。ある新聞を見たら、タイトルを大きく出した上に「週 5日制。焦燥」と書いてありました。あせるということです。それで、線を引っ張って「教会」と一般の新聞に書いてありました。そのそばに「余裕」と書いて線を引っ張って「寺、仏教」と書いてありました。人々が遊びに行くから、山に行って寺に入っていったり、寺にはより良くなって、教会は良くならないということです。それは、みな福音を知らない人々の話しです。私たちには、どちらかといえば、絶好のチャンスがきたのです。私達が週5日制ゆえに、一日は礼拝を思い切りささげて、一日は伝道して、より良くなりました。私はイエスをよく信じるようになってから、いつも悩みになることが、私達は一度くらい釣りにも行って、一度くらい運動もするのに、聖日に思い切り仕事をして、月曜日また職場に行くから、する時間がありません。内心、私は話さなかったのですが、信徒はちょっとかわいそうだと考えていました。皆様が教会に来ないかと思って、説教でそのような話はできませんでしたが、内心、遊ぶこともできなくて、あのように毎日苦労するなと思っていました。それで、週5日制がくることが本当に良かったと私は考えています。一日は休んで、一日は礼拝をささげて伝道できます。どれくらい良い機会でしょうか?
 
・問題は、今日、あなたがたがこのアンナという人を見ながら、考えをちょっと多くしてみましょう。この人が、とても価値ある生活を送ったように、私たちもそのような礼拝になるべきです。今、多くの他の宗教でも、この説教を聞きます。その方たちにも話ができます。今日、あなたがたは、とても貴重な時間を出して礼拝へ来て、今、また衛星で100ケ所以上で礼拝しています。またある人は、インターネットで今、みことばを受けているのです。
 
・私は、あなたがたがまちがいなく答えを受けることができて、勝利できる道があると確信しています。どのようにすれば良いのでしょうか。最初です。救いを正しく知らなければなりません。この救い、福音を正しく知っていてこそ、正しく始まるのです。皆様、この話は普通の話ではありません。ここにいらっしゃった皆様が、いつかはみな死ぬようになるはずです。また、いつかはいろいろな事が起きるはずです。ほとんど 99.9%は、死ぬ時は皆様が持った霊的問題にかかって死ぬようになります。そこから完全に抜け出す道は、福音を知る道です。それゆえに、皆様に大きい祝福が臨んだのです。すると、正しく霊的問題を悟ったことです。それで、イエス様が尋ねられた質問が何でしょうか? 人々がわたしを誰と言いますか? あなたがたは、わたしを誰だと言いますか? あなたがたに聞く質問でもあります。
 
・あなたがたが信仰生活をしながら必ず記憶しなければなりません。皆様がある日、必ず失敗します。救われたのにもです。いつそうなるのでしょうか? それはよく分かりません。皆様の家系の、皆様個人の霊的問題に引っ掛かるようになるのです。どんなに良い生活をしていても、そこに必ず引っ掛かるようになります。私の話をよく聞かなければなりません。皆様の家系のずっと降りてくることを知っているのではないでしょうか? それをよく悟らなければなりません。結局は、生きていて、家庭が崩れます。必ず、その問題にぶつかるようになります。そこから完全に抜け出す道が、福音を正しく理解することです。完全に抜け出したということは、それが祝福の土台になったということです。私たちの家庭に精神病患者が一名いたのですが、その人ゆえに私達が完全な祝福を受けたというようになれば、正しくなったのです。私の家庭環境がとても良くなかったゆえに成功したというのが、ヨセフです。私は周囲の背景がとても良くないのに、それゆえに祝福を受けたというのが、ダビデです。このようになれば、解放されたのです。そのようにならなかった以上、そこに引っ掛かるようになります。必ず記憶しなければなりません。
 
・私は、これから文化の働きをするのに、賛美が一番貴重だと思っているために、賛美する方達は記憶しなければなりません。福音に対する完全な答が出ないで歌えば、大変なことになります。音楽教授は、ほとんど知らずにいるのです。間違いありません。この福音は、ものすごいのです。それで、福音を正しく理解することが、信仰生活の出発です。皆様の教会にどのようなことがあるでしょうか? 今、起きるあらゆる霊的問題、サタンの問題、呪いの問題、こういう霊的問題を解決することが福音だということです。正確に話せば、私たちにイエスが必要なのではなくて、キリストが必要なのですが、キリストがイエスだということです。あなたは仏教を信じて、私はイエスを信じてという話ではありません。私たちにキリストが必要なのですが、キリストがだれかがわかったてみたら、イエスだということです。皆様、福音から正しく理解してこそ、信仰生活が正しくなります。ですから、それを正しく味わって、正しく伝えなければならないのです。
 
・今まで私は、イエスをよく信じるように話す時、おもに3種類がありました。他の人が知らない霊的問題があって、それを持って祈りを多くして神秘主義になるのです。それを見て、よく信じていると言うのです。また、そうでなければ、しっかりしていて、頭がよく回って教会で熱心に仕事をするのを見て、よく信じると言います。そうでなければ、非常に儒教式になって、みことばをそのまま守ろうと努力するのを見てよく信じると言うのです。三つともみな悪いものではないのですが、違うのです。ある日、霊的問題と会ったら抜け出せないのです。福音を完全に理解することが、信仰生活で最も重要なのです。ですから、救われたということと、正しく知って味わうということは、別のことです。ソウル大学に入っていって勉強することができなくて追い出される人も多いのです。ですから、私達が救われたのですが、この祝福を正しく理解すべきです。それで、あなたがたは、わたしを誰だと言いますかと尋ねられました。ほとんどでたらめな返事をしたので、あなたがたはわたしを誰だと言いますか? 教会に通う人が、それを変に思っているのです。あなたがたは、わたしを誰だと言いますか? その時、答えて '主は生ける神の御子キリストです'皆様、この言葉は普通の言葉ではありません。よく聞かなければなりません。この話は、誤解してはならない話です。一言だけ悟れば生かされるはずなのに。私が韓国の重要な財閥の長老に会って、こういう話をしました。宗教運動をせず、福音運動をせねばならないと言ったのです。その話を悟れませんでした。簡単な話なのに。なぜなら、この方が私よりはるかに立派な方であるために、長く説明することができないのです。また、とても貴重な仕事をなさる方に、私が激励しなければならないから、私がまた叱ることを話せなかったのです。私が会った時、ただ一言だけ言いました。宗教運動してはだめです。福音運動をしなければなりません。それでこそ生かされるのです。理解できなかったようです。それ以上は話す必要がないと考えました。死ぬ生きるの問題がかかっています。皆様が福音を正しく理解したとするなら、すべての信仰生活の正しい出発です。皆様、ここになぜきたのでしょうか? あらゆる信仰生活の幹である福音を正しく理解してしまえば、あらゆる門が全部みな開くはずです。
 
・誰かが私に報告をしました。女学生でお金だけ与えれば、私たちはからだを売るから私たちに連絡しなさいというグループが作られたのですが、3000人の組織になったということです。そうしたところ、男が良いとくっついたのに 30万人だったということです。このインターネットが問題です。デービッド・ウィルクスが予言した通り、インターネットゆえに滅びると言ったのですが、インターネットが問題です。しないことも出来ません。時代がインターネット時代なので、しないわけにいきません。これが問題です。30万名が、女学生にお金与えるから来なさいとついて回ったのですが、その人々がいつしたか、ほとんどみな夜に寝ないでインターネットをしたのです。まず、夜に寝ないでインターネットをする方達は、悔い改めるように望みます。その30万人が夜にみなしていたということです。その時間は、寝ねばならない時間なのに、お金だけ与えれば、からだを与えるという人々は売春婦であり、売春婦が戦略を変えたのではないか? と言ったところ、報告した人が驚くべきことを話しました。その3000人の会員が全部、15歳、16歳くらいの学生達でした。私がより驚いたことに、15歳、16歳くらいの女学生が3000人集まって会を作ったということでした。その人がもっと面白い話をしました。20歳はおばあさんなのでだめだと言いました。皆様、20歳を越えた人はおばあさんだと言うことです。もちろん、冗談です。どんなに考えても、これはサタンの働きです。これからよりそのようになるはずです。これから、みなそのようになっていって、お金ならば何でも良いとなるでしょう。お金になるなら、なんでもみなするなら、これからどのようになるでしょうか?
 
・暗闇の力、サタンの力、呪いの力に勝つことができなくては、政治、経済、文化は無駄になるのです。それで、私たちはレムナント運動、共同体運動をするのです。集まることも重要ですが、すべての現場の暗闇の力を破るということです。それが救いであり、それが伝道です。皆様が今日、正しく知っていれば、ここに座ってみことばを受ける時間に、皆様の周囲の霊的問題はみな崩れるのです。教会に来るなと言っても来るでしょう。この福音を正しく理解したら、この賛美する瞬間が、どんな瞬間になるか知っているでしょうか? 霊的な相当な時間になります。皆様、聖日にここに集まって座って祈る、これがどんな時間になるか知っているでしょうか? すばらしい時間になります。ですから、救い、福音が何か正しく知っていなければならないのです。
 
・皆様、私が夢を見たのに、どうであって、自分の年は何歳で、こういうことは何の関係もありません。あなたがたは呪いから解放されました。ほとんどみな、韓国の人々はなんにも知らずに祀ります。何にも知らずに占います。知らずにみなするのです。そうしたら、その後に、どのようなことがおきるかも分からないのです。聖書に偶像崇拝するなと言われていますが、何ゆえにするなと言われたのかを知らないのです。福音を知らないから、人が無知になります。偶像崇拝するな、祀るな、理解できない人は、皆様、ポケットのハンカチを置いて、一年だけお辞儀をしてみましょう。部屋に掛けて一日に何時間ずつ 'おはようございます'と言ってみましょう。驚くべき力が現れます。それがまさしく、悪霊の働きです。イエス様の最初の言葉が、「わたしがあなたがたを呼んのは、救うために呼んだ。わたしがあなたがたを呼んだのは、行って伝道するために呼んだ。わたしがあなたがたを呼んだのは、悪霊を追い出す権威も与えるために呼んだ。」でした。これは普通の話ではありません。皆様が信仰生活を勝利することは、最も重要なことは何でしょうか? 福音から正しく知っていなければなりません。それを正しく知ったということは、教会になぜ来るべきか、なぜ働きをせねばならないか、なぜ献金せねばならないか、こういうことを正しく理解するということです。ここで皆様が福音を知っている人が礼拝するということ、これはすばらしいことなのです。
 
・あなたがたは、知らないでしょうが、ムダン(霊媒師)が話さないでしょうか? イエスを信じる人々が、そばにいたらグッ(降霊術)ができないと言います。出来ないのです。以前に、釜山インマヌエル教会が遠足に行った時、そうでした。そこで私達が賛美して、礼拝をささげて、ご飯を食べていたら、なぜか女の人が私の所にきて話しました。なぜここで食事をするのですかと尋ねたのです。ここはあなたの土地ですか?と尋ねました。そうではないと言いました。私達が川岸で食事をするのに、なぜそのように言うのかと言ったのです。ずっともじもじしていたのですが、話しました。まさにここがムダン(霊媒師)がグッ(降霊術)をする所だと言いました。あなたがたがここに来たから、私がどんなにグッ(降霊術)をしようとしても、グッ(降霊術)ができないと言ったのです。少しだけ、あちらの方向へ行って食事をしてくださいと言いました。それで、なぜあなたはそこでグッ(降霊術)をして、私たちはここで食事をするのに問題になるのですか? 私たちは、ご飯だけ食べているのにと言いました。私たち信徒とあちらにわざわざ行かず、終わりまでここで食事しようと言いました。できるはずがありません。あなたがたがイエスを信じるということは、なんの話なのか、人々がほとんど知らずにいます。教会に行って礼拝する、この祝福が何か、ほとんど知らずにいるのです。皆様、このように生きよ。あのように生きよう。それゆえに教会に来るならば、何ゆえに来るのでしょうか? 本を読めば良いのに。そのまま、そのように生きれば正しいのです。あのように生きれば、正しいのです。哲学がどうだ、それを知るためにならば、ここに来る必要はありません。本を読めば良いのです。ですから、週 5日制になるので、教会に行かず、どこかに皆行ってしまうのです。皆様が集まって礼拝する時、暗闇が崩れて、ものすごい門が開くのです。
 
・それから、2番目に知らなければならないことがあります。救われた者の状態です。私がいったい救われたのに、どんな状態なのか? 私が救われる前にも身長がこうで、救われた後にもこうでした。むしろ、あまり回っているので、苦労して 1cm減りました。なにが変化したのでしょうか? 救われれば、どのようになるのでしょうか? これを知っていなければなりません。救われる瞬間、皆様の中に、皆様のたましいには、聖霊が永遠に離れません。それで、聖書には、聖霊で判を押されたと言われています。それで、Iコリント3章 16章には、あなたがたの中に聖霊がいらっしゃるのを知らないかと言われているのです。これを知ってしまえば、信仰生活は簡単です。聖霊の導きを受ければ成功します。なぜ私達が説教を聞いて、何ゆえに礼拝して祈って、何ゆえに人々に尋ねて相談するのでしょうか。聖霊の導きを受けるためです。
 
・信仰生活の失敗は何でしょうか? 聖霊の導きを受けることができないことです。信仰生活の成功は何でしょうか? 聖霊導きを受けることです。聖霊充満は何でしょうか? 世の中に勝つ力です。聖霊が私の中にいらっしゃるためです。私が以前にも話しました。今日、キム・チャンギョ伝道師がついてきて、キム秘書は釜山にいます。釜山にいる間に、私に一度も電話しませんでした。 '夕方に何を食べるでしょうか?' と電話しませんでした。 '子ども達を連れて今、食事しにいくのに、何を食べれば良いでしょうか?'と尋ねませんでした。当然に尋ねません。なぜでしょうか? 一緒にいないからです。しかし、一緒にいる時は、常に尋ねます。私の部屋に電話がきます。 '昼食はいつ何を召し上がりますか?' 一回も抜けずに尋ねました。ある日、ご飯をちゃんと準備しておいて '私が何を食べてみたいから、それを食べにいらっしゃい' そのようなことはありません。 '今日、私が鶏の丸焼きを食べてみたいから、先生はがまんして、鶏の丸焼き食べにいらっしゃい' そのようなことはありません。私が食べるならば、食べるのがいやでも、一緒に食べます。なぜでしょうか?おとなに仕えるからです。
 
・内に聖霊がいらっしゃるならば、誰の導きを受けねばならないのでしょうか? 聖霊の導きを受けるのです。 すると、百戦百勝します。皆様が信仰生活をするなかで、この部分を何とかしようと苦闘しないから、失敗するのです。
 
・私がこの前の土曜日に話しました。ある女の人ひとりがきて、結婚するようになったと言いました。教会を理解すると言うので、教会に通うようにさせて、学習を受けて結婚するようになったから、先生が司式をしてくださいと言いました。話すべき言葉がありませんでした。私が見たら、信じない人を連れて来ていました。それで、私がどこで、どのように出会ったのかと尋ねました。電話ボックスで電話しようと待っていたら、ガムひとつもらって感動したと言います。もちろん、いまは思わしくなくなりました。私達がそのように生きていて良いでしょうか。女の人がどんなに退屈で、男の人がガムひとつくれたから、そのように感動受けていて良いでしょうか。だから、聖霊の導きを受けることができないのです。私達が信仰生活をするなかで、聖霊の導きを受ければ、百戦百勝します。それで、いっそ惑って他の人に尋ねてみることがよりよいのです。ある面では、それが聖霊導きを受ける方法です。
 
・それで、救われた者の状態を知っていなければなりません。皆様は絶対に滅ぼされることができず、絶対に他の道にも行くことができません。なぜでしょうか?聖霊が皆様の中にいらっしゃるためです。別の言い方をすれば、ムダン(霊媒師)を見て悪口を言うことができません。その中に悪霊がいるために、その人々は避ける道がありません。その反対の話です。ムダン(霊媒師)になりたくてなる人は、ひとりもいません。自分の中に悪霊が入ったゆえに、せざるを得ないのです。信じる者の中に聖霊がいらっしゃるために、滅びることもできなくて、他の道に行くことも出来ません。それで、聖霊充満を受ければ、力が生じます。今日、聖日に礼拝する間に、聖霊充満してくださいと、皆様一日だけ祈れば、六日間、答えの門がずっと開くはずです。
 
・三番目です。すると、信者が受けた祝福は何でしょうか。皆様が行く所ごとに、それを祈ればよいのです。七つの祝福と六つの権威です。簡単に話せば、皆様は神様の子どもになった人ですから、受けた祝福があります。今、未信者が滅びる理由、六つがあります。その二つだけ祈れば、行く所ごとにみわざが起きます。その二つだけずっと祈れば、みわざが起きのです。約束します。今日、アンナという人が出てきました。未亡人だと記録されています。夫とは 7年住んだとなっています。84年間、未亡人であったということです。年齢計算をしてみました。84年未亡人であり、夫と7年住んだので、合わせれば 91才となります。だから、夫と7年住んで、未亡人になったのが84年なったから、それだけしても 91年です。すると、結婚は何歳になるでしょうか。すると結婚を二十歳くらいにしたとすると、二十歳に結婚して夫と 7年住んだから、27才です。夫が死んで一人で生きたのが、84年です。少なくとも110才、100才は越えます。この人が昼も夜も神殿にいたとなっています。それとともに、断食して祈りしていました。そのようして、イエス様に対して初めての証人になりました。イエス様に対して証ししました。完成された時代ではありません。今日、皆様が受けなければならない契約、このようにする必要もありません。信仰生活の方法を知っていればよいのです。
 
・最初です。救いを正しく理解することです。救われた皆様の状態を知ることです。救われた者の祝福を知って、行くところごとに味わわなければなりません。その次に、信仰生活の方法を知っていればよいのです。すると、驚くべき答えが与えられます。アンナのように、84年間、神殿で祈る必要もありません。この時まで、まだ旧約時代です。完成された時代ではありません。皆様、今日、信仰生活する方法を知っていなければなりません。キリストが全てのものを完成なさったゆえに、百年間、苦労する必要もありません。皆様が必ず記憶しなければなりません。神様の子どもになる瞬間、与えられた祝福があります。神様の子どもになる瞬間に、マタイ10:1(イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。) を見ると、力と権威が与えられたとされています。マルコ3:15(悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。), ルカ10:19(確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。)を見ると、神様の子どもになる瞬間に与えられました。神様の子どもになる瞬間に、7つの祝福が与えられたのです。すると、何をすれば良いのでしょうか。信じさえすればよいのです。
 
・すると、2番目は何でしょうか。味わえばよいのです。これが問題です。事実、味わいさえすればよいのです。皆様、今日、祝福受けてくださるように願います。クリスチャンが信仰生活をよくできないことを見れば残念です。祝福をみな受けて、餓え死ぬのです。すると、話になりません。銀行に十億円を預けておいて、栄養失調になって死ぬことと同じです。父は長官や大統領なのに、息子はあき缶を持って物乞いをして回ることと同じようなものです。まず信じなければなりません。熱心にすることではありません。信じなければならないのです。熱心に信仰生活ができないおじさんたち、心配しないで、信じなければなりません。普通、社長達、執事たちが普通、信仰がないと話します。なぜ信仰がないのかと尋ねると '私は熱心にもできなくて、明け方祈りもできなくて、徹夜祈りもできなくて、水曜礼拝も行くことができなくて、聖日一日こっそり行って、私の信仰がなくて'と話します。正常です。事業する人が、明け方祈りにみな行って、徹夜祈りに皆いって、水曜礼拝に行くと、事業はだめで、神様はそのような人を嫌われます。しろということではありません。信仰生活の方法は、信じなければなりません。皆様が、キリストを知って信じる瞬間に、ものすごい権威が与えられました。その次には、何をするのでしょうか。味わいさえすればよいのです。味わうことが問題です。
 
・私が漢字勉強する時、このようにしました。夜に日記を書いたり、メモをする時、漢字でみな書いたのです。漢字辞典を探しながらしました。辞典を探しながらしたのに、3ケ月後には辞典なしで書けるようになりました。私が大学、大学院に通っていた時、メッセージを英語で記録しました。1,2年だけすれば、英語の単語をたくさん知っているようになります。すると難しいことがありません。勉強も味わいながらしなければなりません。味わえば良いのです。勉強を無理にすれば大変です。今でも mp3 を買って英語勉強をしています。事実、面倒臭いのです。それでも隠して持って通って、暇ができたら、聞きます。飛行機に乗って行くとき何かすることがあるでしょうか。祈りながら聞きます。味わうのです。だから信仰生活も味わおうと言うのです。すると成功します。
 
・そのあとは、信仰生活する方法です。神様の計画を発見すれば、行動しましょう。紅海を渡って、エリコを倒すことが神様の計画です。行動しましょう。神様の計画が確認出来なければ、絶対にしてはなりません。 神様の計画であるならば、行動しましょう。これが信仰生活する方法です。私たちの長老達、事業する方達がいつ祝福を受けるのでしょうか。私達が重要な神様の計画をおいて行動する時です。例をあげてみます。私が影島に到着するやいなや、土地を買うため見て歩き回りました。なぜなら私に対する神様の計画を知っていたためです。私が訓練させるのには、小さい所ではだめです。私は大きい事をするということではありません。神様の計画を成し遂げるということです。今でも周囲に土地や建物を探しましょう。ここは神様の計画ではありません。臨時です。ソウルに立派な牧師たちが、大きな教会をたくさん持っているのに、私もそれをするということではありません。これから、私たちの教会には、どんな人々が来るのでしょうか?時代的なレムナントが、訓練を受けようと来ます。レムナントが入って、はじめから終わりまでみなできる教会を建てましょう。それが神様の計画です。すると、行動する時、働かれるはずです。行動しないのに、なぜ働かれるのでしょうか。私達が信仰で受けたことがあって、そのまま恵みで受けたことがあって、味わうことが別にあります。失敗する人々を見れば、神様の計画でないことをどんどんしていて、失敗するのです。その次に神様の計画であるのに、しないから、それも失敗となるのです。
 
・神様の計画ならば、行動しましょう。レムナントが入って、全てのものがみなできる教会を建てましょう。 公演場所も作りましょう。それで賛美するチーム達は、祈らなければなりません。外国から重要な方が入ってきて、オペラ、ミュージカルがみなできるように、教会の中に作りましょう。いっそのこと、そのような教会を建てましょう。外に風呂場、サウナまでみな建てましょう。そして、中に体育館までみな入れましょう。完壁な宿舎を作って、レムナントが完全に訓練を受けて行くことができるように建てましょう。それが神様の計画です。他の教会では、私たちより良いことがあるかもしれませんが、訓練できる内容がありません。それで、そのような場所が必要ではないのです。だから、釜山、ソウルに場所を探しに行きなさいと言うのです。行く時、神様が働かれるはずです。私達が、力がないのにどうするのですかと尋ねます。その時、神様が紅海を分けられるのです。その時、神様はエリコを倒されるのです。その時、長老達に神様はものすごい祝福を注いでくださるはずです。その時、私たちの役員に驚くべき祝福を注いでくださるはずです。神様の計画であることが間違いないならば。これが信仰生活する方法です。無理やりに水に入っていけば、それは自殺です。私が今、太宗台の海に行って '太宗台よ分かれなさい'と話す必要はありません。必要ならば、船に乗って行けば良いのです。なぜ太宗台近海を分けるのでしょうか。しかし、行かなければならないのに、行く道はなくて、死ぬようになったら、神様が分けてくださるのです。これが信仰生活する方法です。
 
・私達が聖書を見る時、聖書をよく見なければなりません。泥棒の記録が出てくれば、私達がどのように習わなければならないのでしょうか。盗むなというのに、泥棒の記録が出てきたから、私も盗みをするかと習うことではありません。アンナが出てくれば、アンナのようになれということではないのです。アンナを見ながら、メッセージを悟らなければなりません。84年間未亡人で苦労して、断食してだけ恵みを受けるのでしょうか。そのようなことではありません。アンナは、そのようにして祝福を受けたということです。それなら、皆様はこの契約を捕まえて、そのまま答えの門が開くはずです。本当に神様の祝福を受けてくださることを願います。
 
・私は今、レムナントがきて、エリートが完全に訓練を受けて行くことができるシステムを、いつも考えています。そして、レムナントといえば、あなたがたがどのように考えるかもしれないけれど、特に大学生は何年かだけ育てれば、既成世代となります。この学生達に、正しい道を案内しなければならないのです。できれば、教会の中に病院までなければなりません。だから、神様が、レムナントが私たちの教会に集まることを計画なさったのに、これをよく見て祈れば、神様のみわざが起きます。してみるように願います。私は釜山で頼みました。一番大きい土地、一番大きい教会の建物を探しなさい。そして挑戦するのです。過去の神様は何もないのに、働かれたように、働かれるはずです。これからは、これ以上建てる必要がないものを建てましょう。レムナント、人材、優秀な人物が来たら、正しく伝道訓練をさせて、祈りの訓練をさせる家を教会の中に作りましょう。皆様がこの契約を堅く握ってくださらなければなりません。信仰生活する方法を知っていなければなりません。それで、私は全部、レムナントと伝道に合せて見ているのです。
 
・私がブロードウェーに行ってみて驚きました。一つ、二つ驚いたのではありません。簡単に話せば、米国の最高の公演場所です。本当に私は驚きました。何時までに来なさいと決まっていました。公演時間が2時なのに、1時 45分までに来なさいと告げられました。私は1時 50分に行ったのです。なぜなら、公演時間が残っているためでした。5分遅くきたという理由で、片側に立っていました。まるで罰として立たされたかの様でした。席を確認して、他の人に妨害にならないように、案内をしました。中にいたゆえに正確に何階にいたか知らなかったのですが、その下のほうで公演するのに、上まで連結していました。それで、中につながっていたので、正確には何階にいたのかは知らないけれど、私の気分で10階くらいになっているようなのに、つながっていました。その次に受けた衝撃が何でしょうか?音響です。この10階が、一つも響かせていませんでした。息までみな伝えられたのです。私が受けた衝撃が一つや二つではありませんでした。そのあとは照明でした。ただ一瞬も隙間がなく変わりました。これが世界的な公演場所だなと思いました。その時、神様に祈りました。私たちのレムナントを集める所を作らなければなりません。未信者もすることを、私達がなぜできないのでしょうか。
 
・私達がグアムに行ってショーをする所を細かく見ました。何の内容もありません。ところが、人々がそんなにもたくさんきていました。簡単に話せば、人が集まらざるをえないのです。マジックをします。例えば、箱の中に人を入れて、刀で刺したのに、人が生きているのです。それをするのに、人々がそのようにたくさん集まるのです。詳しく見ました。私達が、今、そのようなレムナントを育てる完壁な教会を準備すれば、神様が働かれるはずです。これは、私の計画ではなく、神様の計画です。いつすれば良いのでしょうか。今、行動すれば、神様は働かれるはずです。急ぎます。未信者もみなするのに、残念です。私は米国へ行って見たら、文鮮明氏がオペラを10ケも持ったことを見たことが衝撃的なことでした。米国教会をみな合わせてみたところで、一つもできないのに、文鮮明は米国のなかで10ケ持っています。受けた衝撃が、これくらいだけではありません。本当に祈るべきだという気がしました。それで、私がレムナントという単語を堅く捕まえて、彼らを育てなければ、地球上は未来がないのです。本当に契約を捕まえて祈らねばなりません。
 
・今日のメッセージを整理します。救いを正しく理解してこそ、皆様の霊的問題が解決します。すると、皆様は絶対に滅びません。救われた状態がなにかを知っていてこそ、信仰生活が正しくできます。救われた者は、どんな祝福を受けたのかを知っていてこそ、皆様が行く所ごとに勝利できるのです。その次に信仰生活をする方法です。この三つの方法を正しく知っていてこそ、未来を正しく行くことができます。神様のみことばで、私は約束します。皆様は、この重要な契約を握れば、答えを確かに受けるはずです。皆様の残った生涯に勝利が続くことをイエス様のお名前で祝福します。
 
<<契約の祈り>>
 神様に感謝申し上げます。今日のがさないようにさせてください。救いを正しく知って、あらゆる問題の保証を受けて解決するようにさせてください。これから、救われた者の状態を知って、聖霊の導き、充満を受ける力を与えて下さい。救われた者の祝福を知って、まさにこの時間が答えの時間になるようにしてください。あらゆる現場に天の軍隊が動員される時間になるようにしてください。あらゆる現場で呪いが崩れる時間になるようにしてください。私達が信仰生活の方法を正しく知って、未来を準備する力の時間になるようにさせてください。私たち主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部 / 敵の町に閉じ込められたダビデ
 (詩56:1〜13)
 
・詩篇は、信仰人の生活の告白であるゆえに、私たちに大きい助けになります。今日の本文の背景をすこし理解すべきです。サウル王のねたみがとても激しくなって、心配があまりに激しくなって、悪霊が充満しました。それで、ダビデを殺そうとする程度ではなくて、告発してくれる人に特別な特典を与える段階まできたのです。ダビデが逃げ回ったのですが、行く所がなくて、お腹が空いて、祭司長のところに行きました。その時、ドエグという人が告発をしました。ダビデが祭司長のところにきて、祭司長だけが食べるパンを食べたと言いました。そして、そこでゴリヤテから奪った刀を持って行ったと言ったのです。法を犯したのです。祭司長だけが食べるパンを食べたから、それは大きい誤ちだと言いました。この話を聞いて、サウル王が、即刻、軍隊を送りました。既にダビデは逃げていません。だから、預言者をものすごく殺しました。ダビデを隠して、パンを与えたという理由で、預言者を洗いざらい殺しました。言わば、祭司長、働きをする主のしもべを殺したのです。サウル王が、それ程になったのでした。ダビデが逃げて行くのに、これ以上、行く所がありません。急いでサウル王から避げたので、国境を越えました。国境を越えたら、ペリシテという敵の国に行くようになりました。その中でも、ガドという地域に行くようになったのです。ガドといえば、思い出すことがあるでしょう。以前にものすごい将軍、ゴリヤテをダビデが破りました。そのゴリヤテがその町の人です。ダビデがそこに入っていったので、自分たち間で話しました。「以前に一度、見たことがある。あの人がまさにその人だ。私たちの将軍、時代に一名出るか出ないかという将軍ゴリヤテを一気に殺したその人だ。今、あの人がサウル王から逃げている途中でここまできた。これ以上、行く所がなくて、私たちの国に、簡単に話せば、穴に入ったネズミだ。そして、あの人物は普通の人物ではない。私たちペリシテをきれいに失敗させた将軍だ。ゴリヤテでなくとも、ペリシテ軍は、ダビデだけに会えば常に負けた。あの人が行く所がなくて、ここに入ったから、絶好のチャンスではないか。」当然に賢い将軍がいればそのようにするはずです。ダビデがその話を聞いたのです。どれくらい緊張したでしょうか。
 
・その時、受けた状況を詩に書いたのが、詩篇 56篇です。私たちは、だいたい知っています。ダビデは、精神が狂った人のように行動しました。精神が狂った人のように行動することは、簡単ではありません。よだれを垂らして歩き回りました。私達は、緊張したらつばがかわきます。それで、ひげも口からよだれを垂らす程ならば、瞬間的にダビデが本当にすごい人物であることは、確かです。ひげによだれを垂らして、目も異常にして、精神が狂ったまねをしました。そのようにするので、王と将軍達が見て、あれ程になった人を殺して良いだろうか。精神が異常で、何の使い道もない人になったのに、これから、どのようになるかもしれないのに、殺す必要はないと言いました。そこで、ダビデが抜け出した記録です。この時、ダビデがどのように祈ったのでしょうか。1,2節を見れば(詩56: 神よ。私をあわれんでください。人が私を踏みつけ、一日中、戦って、私をしいたげます。) 神様に率直な告白をしました。8節(あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。)に見ると、私のさすらいと私の涙をあなたの書に込めたとしています。そして、私は主を頼るとなっています。そのまま言う話とは違います。そのまま説教をしたり、そのまま証しをすることと、代表祈りする内容ではなく、死とぶつかった話です。もっと驚くことは 12節(神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。)を見ると、感謝のいけにえをささげると言っています。私が神様に感謝のいけにえをささげますと言いました。死と生の間で深い所に入っていって、 神様に感謝すると言っています。ある人が本当に死ぬような瞬間がきた時、神様の前で祈る時、感謝する心が出てきたと言いました。ある人が、手術を受けて出てきたのですが、自分が回復できて、先ず一番に感謝が出てきたと言いました。単に注射されたり、体が痛いことはなんでもないと言いました。私が生きていると考えて、感謝が出てくると言いました。
 
・私たちは神様の民であるゆえに、生き方を学ばなければなりません。皆様は救われようとここにきたのではなく、今は生き方を学んで、神様の祝福を受けなければならないのです。もちろん、このうちには、初めてきて救われなければならない人もいますが、大部分の人は、そのような人ではなく、生き方を学んで勝利しなければならないのです。それなら、今晩に私と皆様、すべてのインマヌエル教会の家族、全世界の家族がどんな契約を握らねばならないのでしょうか。いくつかのことを必ず捕まえなければなりません。
 
・最初、ダビデが常にしたことがあります。ダビデが困難が来ても、来なくても、常にしたことがあります。それを回復すべきです。なにを常にしたのでしょうか。常に感謝の祈りをしました。ここが違います。あなたがたは、24時間つぶやくけれど、ダビデは常に感謝しました。ここから抜け出すようにした神様に、もちろん感謝したのです。もちろん、困難に置かれているけれど、それに勝つようにした神様に感謝しました。また、私が困難に会いながら、神様を見上げることも感謝しました。これが違う部分です。皆様は 24時間、心配するのに、ダビデは24時間、感謝の祈りをしました。私たちはいつも不平を言うけれど、この方は24時間、いつも感謝の祈りをしました。ある人は不平を言うのにあまりに忙しくて、感謝する時間がありません。不平もしばしば言うと、働きが起きて押し寄せます。それで、余裕がなくて複雑です。感謝もしばしばすれば、これが連結して熟して、感謝がどんどん生じます。お金もそうでしょう。すこしお金をもうけて集めれば、どんどん増えるようになります。借金も同じです。すこし失敗して返さなくて、いろいろ逃げ回ってみるならば、どんどん増えて人が異常になります。不平、不満、心配もしばしばすれば、増えます。ダビデは、どんな渦中でも、常に感謝しました。一度ももれなく感謝の詩を書きました。ある時は、主よ。どうして私を見捨てられるのですかと言っておいて、それでも主に賛美して感謝するという文が出てきます。どれくらいダビデが感謝の祈りをして、感謝の賛美をしたでしょうか。作詞、作曲が出てくる程でした。
 
・ダビデが常にしたことが、もうひとつあります。神様を 99% 信じないで、100% 信じました。私達は、行動をみな出来ません。言葉と行動と同じだというのですが、それは難しい話です。言葉と行動が同じ人はいません。正確に正せば、数学的に正確に正せば、そのようなことはありません。誰でも言葉が先んじて、行動はついて行くことができないのです。どれだけおしゃべりでも、行動はついて行かないことによって問題があります。誰でも言葉と行動を同じではありえません。明らかな事実は、ダビデは神様を完全に信じたのです。神様を完全に信じなくて、死の前で感謝の祈りが出てくるでしょうか。神様を完全に信じなければ、死が迫ったのに、死の前で応用できるでしょうか。皆様が本当に死に面してみてください。人が変わります。
 
・私が知っている人はテックォンド 5段です。テックォンドが 5段なので、この人は一生、テックォンドだけしました。家に泥棒が入ったのに、足二本が動かなかったと言いました。足が動けば、テックォンドをするのですが、足二本がくっついて動かなかったと言いました。それで、泥棒は物だけ盗んで行ったのですが、送って考えてみたら、怒りがこみ上げてきたそうです。私がなぜ、そのまま送ったのかと言ったら、足が動かなかったと言いました。なぜなら、真暗な夜に刀を持って入ってきたということ自体が怖かったと言いました。考える余地もなく、からだが固まったということでいた。戦えば勝つはずなのに、一生、運動だけした人なのにそうだったのです。これは何を話すのでしょうか。人が死の前に立てば、確かに変わります。皆様、どんなに悪い人も、死の前にくれば真実になります。ダビデがどれくらい神様を100% 信じたかというならば、全部、瞬間瞬間が死にあって書いた詩でした。
 
・今日、私たちは事実、行動はみな出来ませんが、これはできます。私達が神様を完全に信じる時、どんどん変わります。皆様の考えも信仰も、すこしずつ変わるのです。神様を完全に信じれば、時間が経つほど少しずつ変わるのですが、最もたくさん変わることは、判断が変わります。神様をますます信じない人と、神様を本当に信じる人との判断は違います。私たちは、信仰ということは、ますます育って実を結ぶようになるのですが、その時は変えることができません。ダビデのように、神様を本当に信じなければなりません。ダビデは、サウル王をなくすことができる力がありました。確かにサウル王が間違っていました。ダビデ王は本当に死ぬほどの罪を犯すことはありませんでした。そして、サウル王が不信仰したのは確かです。それでも、ダビデはサウル王を殺しませんでした。いくらでも殺す機会があったに、殺しませんでした。ある日、神様がサウル王を破ってダビデ王を立てられたのです。ダビデは神様を 100%信じました。あなたがたが、この部分が何でもないことのように見えても、表に現れます。他の人にも伝わるのです。この人が神様を本当に信じているかは、表に現れます。より重要なことは、これから残っている時代の答えは、より変わります。私達が神様を100%信じることと、信じないと言うことは、相当な差が出ます。それで、信じるのも、無条件に信じるのではありません。ここから真の知恵が生まれてくるのです。皆様は神様を完全に信じるところに本当の知恵が出てきます。
 
・私が話しました。豪快なことではありません。そこから本当の知恵が出てくるのです。全く一ケ月間、徹夜祈りをして、1年を明け方祈りをしたのに、どんな答えがきたのかご存知でしょうか。一年、明け方祈りをして、一ケ月間、徹夜祈りをしました。その祈りをして受けた答えが、東三第一教会です。一ケ月間、教役者と徹夜祈りをして、一年を夜明けにいつも祈りながら、伝道できるように教会の門をオープンしてくださいれと祈りました。このようにして来た教会が、東三第一教会、12坪の教会でした。全世界を回りながら、12坪の教会はみたことがありません。それでも、私は愚かに変に考えませんでした。それしかありません。回ってみたら、ここなのだと考えました。神様は、まちがいなく、私がしてきたことがあるために、伝道訓練させることができる教会堂を下さるはずです。間違いありません。これから、レムナントがきて、1部の時、話したのですが、100% 完壁に訓練を受けることができる教会堂を下さるはずです。私は神様をどれだけ信じるでしょうか。他の人がするから私もするということは、自尊心が傷つくのでできません。他の人がすると、私達がするのでしょうか。するとだめです。なぜ神様が、私たちの教会でするようになさるのでしょうか。これから、全世界のレムナント、エリート達が集まるはずなのに、どのようにするのでしょうか。今でもきているのに、どのようにするのでしょうか。私は神様の力を信じます。すると、挑戦するのです。すると、神様が責任を負われるのです。私は、その信仰でいままで生きてきました。だから心配する必要はありません。その時、私たちの役員と信徒達に左右前後から祝福なさるはずです。それで、私たち教役者と役員に、神様は特別な健康を下さるはずです。そして、子どもを祝福なさるはずです。私は確信を持っています。神様を100% 信じます。これは、私が作り出したことではありません。これは、私の希望事項ではないのです。これは神様の計画です。ダビデにこの信仰がありました。私が死ぬようになったから、生かしてください、私が信じます。こういう話ではありません。私が危険な状況になったので、神様を頼ります。こういう方法ではありません。水に溺れたから、つかむことではなくて、わらでもつかむという方法ではないのです。神様に感謝のいけにをささげます。皆様の信仰で、正確な知恵が生まれます。神様を本当に信じる信仰が生じるのです。
 
・そして、ダビデのうつわを注意深くみる必要があります。ダビデのうつわが重要です。まず、ダビデはエリートです。ダビデは幼い時から両親と周囲の教育を確かに受け取ったと見ることができます。一度、会えるかどうかも分からない大祭司長サムエルに、直接、指導を受けました。イスラエルはおもに牧畜をするために、ダビデが羊を買う羊飼いを続けたとのことは、私たちは理解ができませんが、とても自分の家の財産を管理したと見ることができます。ところが、ダビデが、ゴリヤテが現れた時、判断力がすごかったのです。わが国を侮辱を与えるので、私が戦うということではありません。今日、主が生きておられることを全世界に証しすると言いました。お前が侮辱する主の名前で、お前の前にきたと言いました。この人が、すでに判断力が違います。お前は、刀と槍を持って出てきたが、私は主の名前を持って出てきたと言いました。事実は、ダビデはこのように話さなければなりません。お前は刀と槍を持ってきたが、私は石を持ってきたと言うべきではないでしょうか。私はお前が侮辱する万軍の主の名前を持ってきたと言いました。これがどうして、偶発的なことでしょうか。ダビデは判断力がすごいのです。そして、その勇気を見ましょう。人が戦いにいけば、死が前にあったら震えるのに、どれくらい正確だったでしょうか。ただ一つの石で額を撃ちました。このダビデのうつわと人格を見ることができます。単純に過ぎて行くことでなく、習わなければなりません。
 
・私達が三番目に習うべきことは、ダビデの信仰思想です。ダビデは、より重要なことは、基本ができていました。私たちの学生達に頼みます。あなたがたは、基本を整えなければ、一生、苦労します。皆様がどんなに良い環境の中にいても、基本を整えられず、基本が揺れれば、いつも揺れます。ダビデは基本が本当に強固でした。特にレムナントは、基本が強固でなければなりません。そして、レムナントは基本が堅くなければならないのです。私たちおとなも急ぐ時ほど、そのようにしなければなりません。
 
・ダビデは、信仰の基本が強固でした。最初、この人は、祈りも多くして、信仰も良かったのですが、その次に見れば、人格、うつわも良かったのです。三番目に、早く悟らなければならないことは、ダビデは信仰思想の基本が本当に良かったのです。その最初が物質観です。Iサムエル 17:34〜36(34ダビデはサウルに言った。「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、/35 私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。36 このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」)を見れば、羊一匹をなくさずに、獅子と戦いました。普通の子どもならば、獅子が羊を取って行けば、驚いて家に帰って父に獅子が羊を取っていったと話すはずです。獅子が羊のおりに入れば、獅子が現れたと即、家に帰って大声で叫ぶはずです。このダビデは、獅子と戦いました。とても勇気をもって戦ったので、獅子も止むを得なかったのです。小さい人が走り込むので、獅子も試みに会うようです。獅子と終わりまで戦って、獅子に勝ちました。このダビデを見ましょう。物質観が徹底しています。父のお手伝いをする時も、しるしを持って来ました。後ほど王になってお金を集めて、神殿を建てる準備をして、これらすべてのものが神様がくださったものと言いました。即、話を聞いてみても理解できます。大きくするのも、小さするのも、豊かになるのも、貧しくするのも主の御手にあると言いました。私達がたくさん神様の前にささげられて、感謝します。そして、最後に何と言ったでしょうか。私達が捧げた、これも神様がくださったことではないでしょうか。みな神様のものではないかと告白しました。神殿を立てる準備を完全にみなしたのです。すでに基本が違います。
 
・多くの学生達は、社会生活をする時、仕事をしながら、このようにしなければなりません。仕事を引き受ければ、一生懸命にするのではなく、これ以上できないとする程に終わりを出すべきです。ダビデはそのようにしました。仕事をそのようにしましょう。仕事があったり、なかったり、相手が信者か、未信者であっても、仕事を引き受ければ、これ以上良くすることができないと言われる程にしましょう。次には、この人にさせてはだめだなとなってはいけません。そして、皆様がすでに自らだまして、お金をだませば、他の人々は皆分かります。お金のようなものを入れようとすることは、みな分かります。だから、そのようにしてはだめです。ダビデは、物質観がとても清潔でした。そして、うつわが大きいのです。羊一匹がいなくなってもどうなのでしょうか。それを奪い返そうと獅子と戦いました。それで、皆様がどんなに貧しくても、お金にけちになってはだめです。皆様が、どんなに金持ちになっても、お金で人が堕落してはだめです。ダビデはとても経済観が良かったのです。これらすべてのものが、神様のものだと言いました。私が王になっても神様が記憶なさって、この捧げたものもみな神様のものだと言いました。信仰の基本が正しくなっていたのです。皆様、基本がだめになっていれば、老いて死ぬ時まで苦労します。
 
・私の場合は、わざわざそのようにします。ある人が多くのお金を宣教しなさいとくださることがあります。そのような時は、教会に出します。適当に、柳牧師の世界福音化に、時々、願わないけれど、そのようにする人がいます。そのようにすれば、秘書に任せます。持っていて必要な所に使おうと言います。自分のポケットに入れることはありません。ですから、物質を見れば、その人が理解できます。そして、多くの若い方達が、経済に対してあまりにも知らずにいます。あなたがたは、勉強して、正しく習わなければなりません。儲けるのに技術が良くて、使うのにも技術がなければならないのです。それがなければ、一生、苦労します。お金もしばしば借りて使う習慣がつけば、それに悪魔が働くと、一生そのようになります。だから、未信者は知らないのです。その習慣に悪霊が働けば、異常になります。家族が集まって、自分たちで花札をするならば、そのようなことはかまいません。ところが、お金だけ見れば、これをしないならばだめになるのは、すでに悪霊が働いたのです。家族が食事するのに、私たち葡萄酒を一杯飲もうというならば、ありえることです。ところが、夜ごと飲まなければ眠れないで、毎日飲んで酒に酔って通うならば、悪魔が働いたのです。人というのは、急な時は借りて使って返そうとするのは生活です。ところが、悪魔が働けば、お金を借りて使って返さないのです。異常になります。変にお金だけ見れば狂います。正常にしながらも、お金だけ見れば狂うのです。元々、お金という言葉は韓国語で「回る」という意味なのですが、回って狂うのです。正しくなった人は、どんなになくてもそのようにしません。
 
・ダビデが羊を飼うのに研究してみれば、自分が羊だけ飼うのではなくと言います。イスラエルでは、羊を専門的に飼うために、一つの村で羊を飼う人を選んで、次に誰々というようにするらしいのです。正確に話せば、自分の羊もいるけれど、他の家の羊もいるのです。ところが、その羊がいなくなってしまえば、誤解を受けることもあります。ダビデはそれ一匹を捜し出そうと、獅子が取って行ったら、終わりまでついて行って取り返したのです。この人は、すでに信仰観が正しくなっています。そして、学生達は、これからよりそのような時代がくるために、よくしなければなりません。そして、ダビデは信仰観が正しい基本になっています。皆様は、牧師たちは、他の教団の人々はよくわかることができないでしょうが、福音の根をおろさないと、救いと関係なく、霊的問題に引っ掛かって死にます。私たちの教団の人々はそうではないのですが、他の教団の人々は非難する内容が、何ゆえにしばしば集まって講義して、集まって回るのか。なぜグループを形成するのかと、このようにしばしば尋ねます。なんでしばしば訓練をするのか、訓練することが何があるのかと言うのですが、知らないのです。神学者や牧師たちが、知らないで言う話しです。救われても、救われなくても、福音が根をおろすことができなければ、その霊的問題に引っ掛かるのです。
 
・必ず記憶すべきです。皆様は、福音の基本にならなければなりません。皆様の家系に霊的な問題があったり、精神病患者が一名いるならば、それが大きい祝福になるか、それゆえに崩れる機会にもなります。それで、タラッパンを作ってみことば運動をずっとするのです。すると、どの程度にならなければならないのでしょうか。すると、どの程度になれば、霊的な問題が入っていかないのでしょうか? 皆様の過去とこれらすべての問題が祝福で、答えの土台になります。その時になれば、霊的な問題が入っていかないようになります。だから、福音の基礎が正しくならなければなりません。それで、皆様が信仰生活をするなかで、多くの人に良くしてあげて、誰かを手助けしなければなりません。しかし、本当に皆様の人生が伝道者との出会いにならなければならないのです。そして皆様一名ゆえに、皆様の家系の霊的な問題がみな解決するということを知っていなければなりません。
 
・皆様が正しく契約を握れば、皆様の職場と皆様の事業が福音と連結するという事実を知っていなければなりません。その地域の暗闇の文化に勝つことができます。このように、福音の基本になっていなければならないのです。絶対に冗談で聞いてはなりません。皆様がこの部分の契約を捕まえなければなりません。福音の根をおろさない以上、救われるとか、救われなくても関係ありません。霊的な問題に引っ掛かるようになっています。まちがいなくそうです。救われてもそれで困難がくるのです。ダビデは福音の基本が正しくなっていました。だから、常に賛美したのです。常に祈りました。重要なことは、神様の計画を発見したのです。このようになるので、困難が来ても、神様の計画が何かを知っていました。1部の時に話したのですが、誰でもこの契約を捕まえて祈れば、未来が見えます。幻で、夢で見えるのではなくて、そのまま知恵で見えます。私たちの教会がどこへ行っているか明らかではないでしょうか? どんなに愚かな人でも知っているはずです。
 
・今、世界のレムナントが留学にき始めています。神様の計画が明らかに見えます。賢い人物と本当に伝道する人物が韓国にき始めています。私は今回、日本に行って驚きました。日本に佐土原という青年がいます。韓国にきて訓練を受けるために、3年間、お金を貯めていたのです。奥さんも子どももいるのに、少しだけ食べて3年間貯めたのです。来年には来るらしいです。来年にきて先ず一番に韓国語から習うつもりだと言いました。自らの願いは、柳牧師のメッセージを韓国語で正しく聞くことだと言いました。それで、自分が日本福音化をすると言いました。賢い人物です。そのような人物が、韓国に集まっています。すると、私たちは明らかなことではないでしょうか? 皆様が正しく福音を悟れば、神様の計画を発見して、未来を発見するぐらいやさしいことはありません。
 
・ダビデがこういう発見をしたのです。そして、ダビデはその程度ではありません。成功ができる重要な目がありました。普段の時に、私たちは普通、退屈だと言うでしょう? ダビデは、普段の時に深い祈りと賛美をしました。あなたがたの中で、普段の時に退屈だという人は、まず普通の人物です。大きく成功しない準備をすることが良いでしょう。退屈だという人は、大きい人物がならなかった証拠であるゆえに、大きく準備すれば、失望するので、ふつうに準備するように望みます。ダビデは、普段の時に祈りの深い恵みの中にいました。そして、賛美の人でした。人がすでに違っていました。そして、ダビデは危機がくれば、全部、機会としました。羊飼いをする時は、どれくらい祈って、石を投げて、賛美をよくしたでしょうか。誰も勝つことができなかったのです。サウル王が困らせた時は、王として準備することを完壁にしました。人生の終わりに問題が起きたら、ダビデは余裕満々にしました。誰が正しい臣下になって、誰が正しい王になるのかをすぐ知っていました。その危機をダビデは余裕満々に逃げたのです。すでに人が違っていました。だから、信仰観が本当に重要です。そして大胆で、正確でした。神様の前で困難に大胆に対しました。私たちは、こういうことを学ぶべきです。
 
・特に、私たちは 2部でレムナントに対するメッセージで方向をたくさん握るので、よく捕まえてくださるように願います。ダビデが常にしたこと3つがあります。常に感謝祈りをしました。そして、常に感謝、賛美をしました。最後に神様の前に信仰を 100% しました。神様を 98% 信じたのではなくて、100% 信じたのです。これはむかしにおとなが話す、信じますという単語ではありません。とても正確な知恵です。皆様に信仰が充満するということは、正確な知恵を話します。私は誰で、皆様はだれでしょうか? 神様の前に立つことが信仰です。だから、私達がその中で未来を見ることができるのです。ダビデは、困難をうつわを育てることに行動しました。今でも遅くありません。基本を堅くするように願います。私たちは正しい社会生活をしなければならないのに、私達がレムナントを一名預かったなら、本当に正しくするように願います。福音に本当に根をおろして、本当に理解したとするなら、すべての問題が解決します。すべての困難は、機会にするように望みます。
 
・どのようにできるのでしょうか? 私は聖霊充満してくださいと祈れば良いと確信します。あなたがたは、短い時間に礼拝をささげる時に、聖霊充満してくださいと祈るように願います。今、心の底から聖霊充満してくださいと祈ることを願います。むかしに聖霊充満という単語を使用した教団がすこし変に使用したのですが、聖霊充満は倒れるようなことではありません。正確に話せば、倒れることもあります。祈って倒れるのに、電信柱をつかまえて立ち上がろうとする必要はありません。異言が出てくることもあります。ところが出てくる異言を必ず防ぐ必要はありません。ところが、出てこない異言を練習しようとすることは、本当に誤っているのです。私たちは、しばしば聖霊の働きを肉的に解析します。最も良い聖霊充満は、何の反応もないことです。なぜでしょうか? 聖霊は、霊であるからです。なんの反応もないことが最も正確なのです。だから、頭が悪い人はなんの反応もないから、何もないように理解します。水も味がない水が一番良いのです。くさいとか、甘みがあったり、においがするのは誤っているのです。聖霊のみわざは、ものすごい結果をもたらします。その働き自体は、何でもないことのように見えます。それは、なんの話でしょうか? あなたがたが礼拝をささげる時に、瞬間瞬間、聖霊充満してくださいと祈れば良いのです。すると、その後に結果は変わります。皆様が、瞬間瞬間、常時祈りをすれば、後に途方もない実がきます。
 
・ダビデがそうでした。ダビデが、いつ逃げて回りながら異言したでしょうか? そのような方法ですれば、死んだでしょう。ダビデは精神を整えて祈りをしたのです。ダビデは、そして時刻表を知っていました。正確な時刻表があります。時刻表が目に見えないでしょうか? そのようにしてこそ、悪い臣下と良い臣下が区分できるではないでしょうか? どれくらいチャンスでしょうか? あなたがたは、問題が起これば、つぶやきからするのではなく、時刻表から見るように願います。
 
・10年前に米国に行ったところ、私と一緒に行った人が、米国人は異常だ、なぜ、そんなに分からないのかとと嘆息をつきました。それで、その人に対して話をしました。今、悟ったら良いと話しませんでした。今、悟ったら、タラッパン運動がだめだと話しました。落ちる人はみな落ちて、行く人はみな行って、整理されることはみな整理されて、その時から始まることだと話しました。残っている人々を見ると、特別な人物ではないように見えても、その時から開始されるのです。聖書をよく見るように願います。人は、時刻表をよく見るべきです。今、皆様のような人が祈って集まります。ところが、突然に一ケ月に一億円ずつ出す財閥がきたら、教会はだめになります。それは知らないからです。皆様が祈りを集めて、心を一つに集めて、中心を集めることを神様は希望されます。神様には力がないのでしょうか? 一ケ月に十億円ずつ献金する人を送れば、どのようにするでしょうか? そのようにする時刻表は別にあります。ダビデが、時刻表をよく見たのです。だから、感謝が出てきました。一理がある話です。ダビデが感謝をするということは、一理があることです。すると、前でなぜつぶやいたのでしょうか? その時は、急でそうだったのですが、恵みを受けて、どれくらい感謝したでしょうか?
 
・ダビデは、もう一つ、結論を知っていました。王になって、神様に栄光を返して神殿を建てることを皆知っていたのです。皆様は、世界福音化の重要な役割をするようになるはずです。結論がみな出ています。この祝福が皆様に小さく見えるかもしれないけれども、時間が経てば経つほど、証拠になるはずです。だから、皆様が今すこし難しくても、揺れずに根本に戻っていくことを願います。基本を堅くすることを願います。皆様が今、もしからだが良くなくても、あまり心配せずに基本を堅くすることを願います。もし皆様が経済が良くなければ、頭を使おうとせず、基本を堅くすることを願います。ある日、神様が働きをなさるはずです。間違いありません。これは私も少し足りないのですが、経験をしました。私も困難な時が多かったのです。神様の恵みで、よく耐えることができました。皆様に会うようにしようと、神様の恵みで伝道だけいつも考えるようになりました。それで、神様の祝福をたくさん受けたのです。それで、私は今、時刻表別に悩みをしています。このようにたくさん起きる働きを、私がどのように時間を減らして、すこし調節できるだろうか? それを心配しています。
 
・昨日も、私が山をまわりながら、私は12坪で開始したのに、神様は学校も会館もあちこちにレムナント共同体をくださると考えて、神様に感謝しました。どのように、この祝福をよく管理するのでしょうか? そのような考えだけしています。それで、神様が私たち教会に、重要な時刻表がくれば、神様の驚くべきみわざが確かに起きるでしょう。それで、今日、結論的にすべての心配は、神様に任せるように願います。すべての心配を他の所に任せれば大変なことになります。神様に任せるように願います。皆様の難しい部分を持っていたり、胸中に置いていてはなりません。神様に任せるように願います。本当に、福音にすべての問題の解決を受ける祝福があるようになることを希望します。六日間、皆様が答えを受ける現場があることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
 神様に感謝申し上げます。ダビデのように、信仰の知恵を与えて下さい。今日受けたみことばが成就するようにしてください。六日間、答えの現場へ行って、よく見ることができる霊的な目を開けてください。あらゆる危機は機会にされることを知るようにさせてください。ダビデのように常に感謝して、常に賛美して、神様を完全に信じる信仰の人になるようにしてください。苦痛でなく、うつわを準備する機会になるようにさせてください。困難でなくて、基本を堅くする準備する時期になるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン