2003年 10月 19日 インマヌエル教会聖日メッセージ
1部 /あらゆる人が、神の救いを見るようになる
(ルカ 3:1〜6)
・少し大変であっても、私たちの礼拝をインターネットでよく出せるようにしなければなりません。なぜなら、韓国で恵みを受けた人々が、海外で、現場で、時間が経ったら、礼拝をささげることができないので崩れています。明らかな使命者だったのにもかかわらず、外に行けば恵みを受ける道がありません。インターネットひとつだけを頼ってみことばを受けるのですが、それも時間を作って聞かなければならないので、ものすごく大変です。可能ならば、MPも賛美する時、外の人々が参加して聞いているかのように音を出してあげなければなりません。可能ならば、カメラも重要な恵みを受ける部分を照らして出してあげなければなりません。可能ならば、多くの人々が自分たちの言葉で聞くことが出来るようにさせてあげなければならないのです。あなたがたは、現場をよく見ていないゆえに、なんの話かという気がすることがあるでしょう。
・米国に行ってみたら、韓国の人々が本当に多く住んでいました。米国にきて20年、30年になったということです。どれくらい努力をしたか、良い生活をしていました。自ら良い家も購入して、住んでいたのです。ところが問題は、信仰生活ができません。どれくらい苦労したか、霊的問題が深刻でした。一つの教会で信仰生活ができなくて、ここに行ったり、あそこに行ったり、止めたり、通ったり、こういう葛藤があまりに多いのです。とてもむずかしいのです。経済が難しいのではなくて、人生があまりにむずかしいのです。自分がなぜ難しいか、それも知りません。どのようにしたら良いのかも知らないのです。ですから、今は家庭がじわじわと崩れていくのです。それとともに、子ども達に霊的問題がき始めます。ほとんどみな、それだと考えてみたら、どうすれば良いでしょうか? 私の家はそうでないのにというならば幸いですが、ほとんどそうだというのを見れば、どうすれば良いでしょうか? この福音をいのちをかけて送り出さなければなりません。あなたがたが福音を、いつも恵みを受けて聞くことと、聞かないことは、相当な差が出ます。
・救いが何か、知っていますか? 今日、ここに初めて来た方達もそうで、長く通っている方達もそうで、この部分を本当に知っていなければなりません。自分の思い通りできる部分があって、出来ない部分があります。人間は、ある程度努力してできる部分があって、だめな部分があるのです。人生を生きていく間に、決定的な問題は自分の思い通りにできない部分があまりに多いのです。それで、神様が私たちに救われなさいと言われました。それで、運命を変えなさいと言われたのです。それでのろいから抜け出しなさいと言われました。それゆえにイエス様を十字架に釘付けて、救いの道を開けてくださったのです。それが救いです。皆様、どのように考えますか? 知らずにいて、やられてしまうのです。すこし申し訳ない話ですが、今、既にやられてしまっている方達は、癒されることが大変です。子どもを正しくするということは、本当に難しいことです。それは不信仰でなくて、科学的に言えばそうなのです。難しいということを知っていれば、むしろ癒すことができます。知っているためです。皆様、こういう問題が単にきたのではありません。そのような意味で見れば、教会がどれくらい重要でしょうか? そのような意味で見れば、福音と説教が全部、違うかどうかで左右されるのです。それで、福音に対する根をおろすことができない教会講壇があるならば、滅んでも当然です。そのような意味で見れば、イスラエルが滅んでしまったということは、当然です。パリサイ人たちが、滅んだのも当然のことです。皆様、こういう部分を速くキャッチして理解しなければなりません。
・私は本当に救われたのか? 皆様、こういう部分も考える必要があります。主は生ける神の御子キリストですという秘密を知っていれば、皆様は救われたのです。それなら、私は神様の子どもだという救いの確信があるでしょうか? 確認しなければなりません。それなら、救いの祝福を味わっているでしょうか? なぜそのように、外に行けば教会に通って止めた人が多いのでしょうか? 簡単に話せば、この人が愚かに生きて、このことを知らなかったということです。救いが何かを知りませんでした。救いの祝福も知らなかったのです。だから、救いの確信がないのです。だから、あちこち揺れざるをえなかったのです。皆様、早くしなければなりません。
・今日、バプテスマのヨハネを神様は送って、キリストに対する説明をまずなさいました。主の道を用意しなさい。皆様、一つの事件ではなくて、ものすごく重要なみことばです。神様がわざわざヨハネを送られて、主の道を用意しなさいと言われたのです。簡単に話せば救われる道を用意して、救われなさいということです。それで皆様、もう一度確認する必要があります。いったい救いとは何でしょうか? 難しいことではありません。皆様が詳しく一度見てみましょう。地球は、どんどん難しい問題がきます。それで、キリストを送られたのではないでしょうか? それを悟ることが救いです。そんなにも立派な人々が多いのに、なぜどんどん問題が来るのでしょうか? それで、神様がキリストを送られたのではないでしょうか? 世の中がどれくらい悪いでしょうか? どんどん悪くなって行きます。それで私たちはそこで死なないように救うために、神様が送られたのではないでしょうか?
・ほとんどみな人々が知らずに教会に通っています。皆様、知っていることがものすごく重要です。私は時々、新聞を見ながら、本当に世の中は悪いという考えを本当に多く感じます。一度は私が良く知っている国会議員なのですが、新聞で見たら逮捕されたとありました。ところが、多くの人々の胸中に、この人は絶対に逮捕されねばならない人だという考えが、それほどなかったのにです。それを見て、世の中は、本当に悪く、世の中は本当に怖いと思いました。それで、私がわざわざその国会委員に特別面会をしに行きました。少しの間、祈ってあげてきたのですが、この方がものすごく難しいということが、顔の表情に現れていました。一回は、全州に集会に行きました。大きい教会でした。集会をしたら、その教会の長老が私を案内してくれました。その方が名刺を出して挨拶をしました。今日、私が先生を私の家にお招きするようになったと言いました。それで、「何で講師を家に連れて行くのか?」と考えながら、「そうですか? 」と言ったら、「私の家はホテルです」と言いました。全州コアホテルの社長でした。「私が先生を大統領を迎える部屋にお迎えします」と言いました。自分の家なので、そのようにすることができたのです。そして、その方が名刺を出すのを見たら、その時、全州の市長でした。そして、その教会の長老だったのです。人が本当に良く見えて、本当に謙遜でした。ところが、どれくらい忙しかったでしょうか、集会に正しく参加することができなかったのです。顔を出して挨拶して、食事の接待をして、その程度に努力をするのに、良くできませんでした。私がその方を見ながら、心の底から本当に忙しいのだなという気がしました。そして、本当に良い方だなと考えました。あんな方達が、各市に、各地域にいたら、韓国は良くなるのではないかという気がしたのです。そのようなある日、新聞を見たら、急に逮捕されていました。なぜ逮捕されのかと尋ねたら、よく分からないということでした。
・私達が世の中をどのように皆分かるでしょうか? 私が見ると、世の中は本当にむずかしいのです。他の見方をすれば、世の中は怖いのです。私達が本当に、神様の救い、神様の祝福を受けないで、どのように生きていくことができるでしょうか? 皆様、こういうことを理解するならば、私達がメッセージを聞いて伝えようとすることにいのちをかけなければなりません。私は敢えてあなたがたに必ずお願いします。皆様の子どもを自分達の中に閉じこめて置くことはありえなくて、私たち 外にみな出さなければなりません。皆様の子どもをロシアに、米国に、中国に、ヨーロッパに、どんどん送り出さなければならないのです。ところが、必ず記憶しなければなりません。この福音の秘密を確実にとらえずに、送り出せば、必ず損になります。しかし、この部分ができるならば、必ず成功します。どれくらい重要でしょうか?
・それなら今日、私たちがこのみことばを見ながら、重要な恵みを受けなければなりません。さっき序論でお話しした通り、あなたがたが必ずこれから確認しなければならないのです。救いが何かから、確認しなければなりません。後ほど死んで天国行く、それも救いです。それは完成だと見ることができます。しかし、この世に生きている間に、神様の子どもになって、暗闇の勢力から抜け出すことを話します。簡単に話せば、救いということは、救い出したということです。水に溺れたり、ドロ沼にはまって死んでいく人がいれば、救い出さなければならないでしょう? その単語です。奴隷になって、捕虜になって、死んでいっている人を探し出す、その単語です。この救いということは。そして、私たちは呪い、悪魔、地獄、多くの暗闇の中から抜き出されたことです。それなら、私たちはそこに対する祝福を知っていなければなりません。本当に知っていれば、感謝が出てきます。私は、自分自身と多くの信者を見ながら、本当に残念です。なぜなら、感謝、これがどれくらい良いのかを知らないのです。あなたがたが、子ども達と手をむすんで、胎児部、嬰児部、教会学校に今連れてくることを、とても感謝すべきです。この子ども達を集めて、毎週一回ずつメッセージをするのですが、この子ども達に、本当に福音を正しく植えて、祝福される人物を作るということを知っていれば、教師、これは、本当に感謝なのです。私はここの講壇に立つ時、単に立つのではありません。全世界に散らばっている私たちのレムナントを見ながら、たくさん滅ぼされている私たちの僑胞(海外在住韓国人)を見ながら、あ! このメッセージをより熱心に、確かにせねばならないという考えをいつも持っています。申し訳ないのですが、この福音がたくさんないために、たくさん聞くようにさせなければならないのです。
・今日のルカの福音書 3章を見ながら、皆様、いくつかのことを必ず悟らなければなりません。
最初です。テベリオ皇帝の十五年目となっています。その話は既にローマに植民地なって皇帝テベリオという人が立ってから、15年が過ぎたということです。皆様、イスラエルの大きさはどれくらいか知っていますか? 韓国の首都圏ほどです。正確に話せば、江原道、京畿道を合わせただけです。首都圏よりも小さいのです。イスラエル。世界を動かしたイスラエルの大きさが、京畿道、江原道を合わせただけくらいです。分かりますか? 京畿道、江原道を合わせただけだとすれば、車に乗って約2時間で来たり行ったりできます。ですから、敢えてイスラエル民族が、エジプトから歩いて出てきたのです。エジプトだけ抜け出せば、いくらでも行くことができると思ったからです。米国のような所では、国内で飛行機に乗って行くのに5時間、6時間、ある所は 10時間かかります。イスラエル、この小さい土地なのに、今日の本文を見ましょう。ピラトという人がユダヤ国の総督できています。それまでは分かります。この小さな国に、ヘロデという人はガリラヤの地域の王を預かっていました。またピリポという人はイツリヤとテラコニテの地域の王を預かっていました。今日の本文を見ると、ルサニヤという人は、またアビレネ地域を預かっていました。この小さい国に何で、王がまたそんなに多いのでしょうか? 即、頭に浮かぶことがないでしょうか? どんなに、どんなに苦闘しても、救われることができないのです。それを皆様、一番目に記憶しなければなりません。この現場を見ても、どんなに苦闘してもだめです。それでも困難はどんどんきます。他の方法はありません。あなたがたは、自信をもって子ども達を教えなければなりません。皆様はだまされてはなりません。他の方法はないのです。聖書箇所4ケが、早く分からなければなりません。創世記 3章 15節、「女の子孫」を早く分からなければなりません。イザヤ 7章 14節、「処女がみごもって男の子を生む。その名をインマヌエルと呼ぶ」と早く分からなければならないのです。聖書箇所、いくつかは早く分からなければならないのです。まさに「あなたが生ける神の御子、キリストです。」イエス様が直接、おっしゃられました。ヨハネ 福音 14章 6節、「わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり、父のみもとに来ることはありません。」ペテロが話しました。「世界中で、この御名の他に、人間が救われるべき名としてはどのような名も与えられていません。」これを知らない牧師、教会ゆえに、世界に困難がくるのです。ヨーロッパでも、米国でも、世界に行って勉強を多くしたのに、この部分を知らない教会ゆえに、地球は困難がきたということです。それでこれから、私はすることが多いのですが、その中で、そのような牧師と教会間の霊的問題を研究してみようと思っています。深刻なのです。皆様、学生達の中で一度、研究してみましょう。成功した人々の後の家系を一度、研究してみましょう。深刻なのです。だから、皆様どんなにしても、解決できないことを、速くキャッチしなければなりません。この契約を今日、あなたがたが明らかに捕まえねばならず、学生達に教えなければなりません。しばしばだまされるのです。他の道はありません。他の道があるなら、何ゆえにイエス様を十字架に釘付けて、悲惨にそのようにされたのでしょうか? 他の道があるならば、何ゆえに多くの預言者が死んでいきながら、メッセージをくれるでしょうか? それで、あなたがたが、この部分の契約を捕まえて、答を出さなければならないのです。
・そして、今日2番目に記憶しなければなりません。荒野の声を聞け。荒野で声が起こりました。バプテスマのヨハネのメッセージです。「主の道を用意しなさい。」皆様、世の中で生きているのですが、荒野の声を聞くことができなければなりません。あなたがたが事業の場に、現場の中で、世の中にいるのですが、この荒野のメッセージを聞くことができなければならないのです。この声を聞かないでいてはいけないのです。「主の道を用意しなさい。主の通られる道をまっすぐにせよ。」道を整えなさいということです。「すべての谷はうずめられ…」今日の本文に出てきている言葉です。「すべての山と丘とは低くしなさい。曲がった所はまっすぐにしなさい。でこぼこ道は平らにしなさい。」理解できるでしょうか? ですから、車が道を行くことができるように、速く道を作りなさい。救いの道を用意しなさい。理解できる話です。簡単に一言で要約すれば、石をなくしなさい。道を行くことができるように、邪魔するものを早くなくしなさい。霊的に言わば、私たち疑問の谷をみな埋めてなくしなさい。これからは、神様の祝福を受けるように、高い山のような高慢さをみな押し倒しなさい。曲がった道をまっすぐにせねばならないように、私たちの曲がった考えと思想をまっすぐにしなさい。でこぼこの地を平らにしてだけ、車が行くことができるように、私たちの強情な考えをみななくしましょう。「主の道を用意しなさい。」このメッセージを私達が聞くことができなければなりません。あなたがたが、単に信仰生活をするのではありません。このメッセージを全世界のレムナントに話さなければならないのです。どのように生きるかは、その次の話です。この問題から早く解決しなければなりません。このことを知っていれば、使命を持って祈るようになります。皆様、これを本当に知っていれば変わります。私は教役者に頼みたいのです。あなたがたが、何の人間中心主義も使わず、行政も熱心にするような部分を早く越えましょう。
・私が伝道を熱心にする、ある教会の伝道師として行きました。私はそれほど賢い人々が集まった教会は、初めて見ました。私はむかしに話しだけ聞いたのですが、そのような身分が高い方と一緒に暮らしたことは、初めてでした。私たちが幼い時は、警察署の前を行ったり来たりするだけで恐れました。警察署長というような方達が、長老でした。韓国を揺さぶるほどの裁判官達がいました。はじめは、すこし異常でした。どれくらい賢いか、天才のレベルを越えていました。賢いんだなと思いました。それなのに、どれくらい教会で変なことをしているのです。あまりに頭が悪い人が教役者ではないか? あまりうまく行かないので、いつも問題になりました。私が見ると、多くの教役者が侮辱されていました。この方達の特徴は、賢かったのですが、福音には関心がなかったのです。問題は、福音には関心がないということでした。だから当然でした。だから、教会が停止して全く仕事ができませんでした。この時、私が教役者として行くようになったのです。分かりました。してみましょう。私はここで福音運動をするために、自分自身を完全になくしてしまいました。何から始めたかというと、教会の掃除からしました。私の心で、考えを変えてしまわなければならないと思ったのです。この方達の間違った考えを変えてあげなければならないと思いました。早く行って、服を脱いで掃除からしました。なぜなら、事務室にいる人たちがしないからです。そのように立派な人々が集まったのに。それで掃除からしました。しっかりしました。すべての行政もしっかりとしました。そして、どれくらい部長が変わったか分かりません。私が仕事をせねばならないのではないか? 私が伝道しなければならないのではないか? 私の胸中に、このことを越えるべきだと思ったのです。福音がない人々からやられてしまってはだめです。福音がある、ないというより、福音を本当に愛すことができない人からやられてはだめなのです。するとやられない道は簡単です。私が私を完全に犠牲にして、それより先んじればよいのです。それで、私に仇名がつきました。自分たち間で付ける仇名でしたが、教会の中に広がりました。その仇名が広がって、私にの耳に入ってきました。別に悪い仇名ではありませんでした。働き人が集まって、今回、しっかりした伝道師がひとりきた。仇名が「柳・しっかり」でした。特に悪い表現ではないと思います。後ほど長老と多くの信徒が理解したのです。この人は、大丈夫だと理解しはじめるのを見ました。そこで事実は、伝道に発動がかかったのです。その方達が、事実は変なのではなくて、多くの助けになりました。今でもその方達は、福音には関心がありません。しかし、私は多くのことを学びました。そこで幼い子どもの使命者が1000人を越えました。その教会で私が役員の助けを受けながら、釜山市内の青少年伝道協会を作って、あらゆる中・高等学校をひっくり返したのです。そこで、私が教会の後援を受けて、全国の教会、すべての大きい宗教を全部、研究しました。どれくらい多くの祝福なのか分かりません。あなたがたも、上手にやっってみましょう。早くつまずきの石を越えましょう。私たちには、こういうことが多いのです。恨むことではありません。越えなければならないのです。早く道を整えて、用意しなければなりません。主の道を用意しなさい。どの世の中に行っても、みなあります。それで、あなたがたはこの契約を捕まえて、必ず私たちはこの救いが何かを皆知れば、変わるのです。
・私は日本とアメリカに行って、他の国の人は知らないのですが、韓国の人々を見ると、とても変になっていました。福音が必要なのだな。それなら、私には何にも持っている条件もなくて、主張することもありませんが、彼らに、本当にこの福音を知るようにさせてあげるべきだな。この子ども達が、本当に理解するならば、滅びないではないか? このことをすべきだ。こういう心が切実になります。ところが、大部分はそうではありません。そうでないから、妨害するだけです。すると、その妨害を越えなければなりません。だから、道を作らねばならないのであって、静かに座っていれば、道になりません。今日、バプテスマのヨハネは、この話をしようと来た人です。この話をして、事実、死にました。とても短く生きた人です。どの社会、どの個人にも、こういう問題はみなあります。簡単に話せば、つまずく石をなくせということです。これをなくすために、どのようにしなければならないのでしょうか?
・今日、皆様が救いの祝福を味わう段階、状態があります。必ずこのようにしなければなりません。私達が救いを味わう段階があるのです。特に、レムナントは記憶しなければなりません。私たち教役者は、記憶しなければなりません。この救いの祝福を味わう段階があるということです。単純に石を除けばよいのですが、石が片づけられません。これが本物の道ならば、片づければ良いのですが、これは道を作ろうとする話ではなく、人を見て言われる話です。真に高速道路を整えて、救われるということならば簡単なのですが、これはそのような道ではありません。皆様がおわかりの通り、今日の本文は、道を話で比喩しただけで、そのようなことではありません。それで、私は聖書を見ながら、伝道 30年しながら、これを悟りました。本物の答えを受けるのには、4つの段階があります。
その一番目が何でしょうか? イエスがキリストで、その方が私たちにいらっしゃったという事実を、この部分でなければならないということは、私たちは既に知っています。それを私が悟ったのです。その時から伝道するようになります。それではだめです。それが足りないということではなくて、その程度では私がだめだということです。
・私は二番目のものを悟りました。私の霊的問題と傷、それを破るべきです。私に霊的問題があって、皆様にもみなあります。私はこれがとても重要だということを知りました。これが下手すると、傷で残っています。これを完壁に克服しなければなりません。それでなければ、いつでもこれゆえに損害を受けます。それが、分かりました。それで、私が何を始めたかというと、反復訓練を始めたのです。一週間一度、礼拝を少しの間ささげるだけでは、癒されません。合宿、こういうことをたくさんしながら、話を続けました。これはものすごく重要な部分です。皆様にも、過去の葛藤の傷がありえます。それは、何でもないことのようでも、癌細胞のように、あとでいつでも皆様を飲み込んでしまいます。完全に取り去ってしまわなければなりません。学生達は、知っていなければなりません。皆様の両親が、とても苦労して来た部分が見えないでしょうか? それが、じわじわとあなたがたに迫っているのです。完全に取り去ってしまわなければなりません。それが2番目にすることです。それで、祈る理由もあって、福音の根をおろす理由もあって、訓練を受ける理由もあります。これは、聖書にあるみことばでもありますが、私が確かに見た経験です。ほとんどの人々が、自分の過去、自分の傷、自分の家系から抜け出すことができないのです。あなたがたがわからなければなりません。私がこれから始めようと思っています。むかし、代案学校の子ども達との相談内容がこれでした。幸いに、子ども達が悟りました。それで相談しようということであって、イエスがキリストだ、それは簡単な話で、説明が簡単です。あなたがたが、それを知っていれば、これがなにかに応用できます。そして、これを完全に根絶しなければなりません。
・本当に私たちの時代、私たちの家系は貧しかったのです。本当に私たちの時代は、苦しかったのです。本当に私たちの時代は狭かったのです。こういうものがかたまって、私たちの家系に、私に、問題がきました。私は教会に通って止めた者です。すると、何かすることがあるでしょうか? 悪いことだけしました。それが私の霊的問題でした。私の霊的問題は、他のことではなくて、価値発見ができないのです。それで、私には最も大きい霊的問題が、福音を知らなくて生きたことです。これを私が知るようになったのです。これを癒しました。私がこの福音を世界万国に説明すべきです。これが神様の計画です。
・これが2番目の段階です。皆様、必ず記憶しなければなりません。皆様のむかし、過去の傷、誰かゆえに、父ゆえに、夫ゆえに、妻ゆえに、皆様に残っていれば、絶対に成功することができません。聞くのがいやでも、間違いないことは明らかです。おもに、そのような人々は、自分の誤ちを全部捨てて、相手のものだけを話します。夫、それゆえに、では夫に会わずにいれば良いのですが、自分が 50% 同調して結婚したのでしょう。妻、あの妻ゆえに。そのような傷がたくさん残っています。親ゆえに私が、家族ゆえに。必ず解決しなければなりません。必ず記憶しなければならないのです。それが勝手になるはずがありません。それで、みことばを本当に福音を深くおろせば変わります。その誰も、その祝福を見て変わらないでは、考えを変えることができないのです。私は、むかし、いつもそのように考えました。見たら、私の父母、こういう方達が私に何かをしてくれることができませんでした。簡単に話せば、ピアノを弾く人を見ればうらやましいのです。ピアノを私も弾いてみたいのに、私は弾くことができませんでした。一例を上げれば、私に音楽性がないでしょうか? それもありません。歌は歌うことができないのですが、聞いた声をそのまま出すことができます。長調、単調関係なしで皆様が仮りにミの音を出せば、そのままミの音を出すことができます。それは私が習っていなかったので、そのようになったのです。驚くべきことに、血が流れているのか、私の息子もそうしました。それだけ音楽性があるのです。ところが、私たちの環境が良くなくて、習うことができなかったのです。私は幼い時から、英語の勉強を熱心にして、外国に行きたかったのに、私を後押ししてくれる人がいなくて、行くことができませんでした。そのようなものだけ頭に積まれています。誰がどうで、誰がどうで、ところが、それが離れないでいるのです。ある日、私が福音の祝福を発見して、味わい始めながら、私にすべてがあることを見たのです。いよいよ、私がこういう気がしました。私は、大変なことになるところだったのだな。他の人は良いけれど、私が米国へ行っていたなら、伝道もせずに、大変なことになっただろうな。英語は良くできるでしょうが、大変なことになるところだったな。どうかといえば、神様が周囲の四方を閉じてくださって、このように行くようにさせられなかったのが、あまりにも大きい恵みです。米国へ行くことが間違っているということではなくて、私にとってはそうだということです。私個人には、そうだということです。それとともに、過去やこういうものが崩れ始めました。私は、私の家系の霊的問題を完全に抜きました。これからは、私の息子と孫に説明してやることだけが残っています。これがものすごく重要なのです。
・皆様、普通に考えるでしょうが、そうではありません。石を皆、片付けなさいと言われました。谷も置いておくと、いつかは危険になるので、みな埋めましょう。道を行かなければならないのに、山がふさがっているので、どうやって行くか、その山を平らにしましょう。道がすこしあることは、一ケ所の道が平坦でないから平坦にさせましょう。いくら皆様が賢くて、いくら話しても関係ありません。これを変えることはできません。
・そして、三番目の段階があります。私は三番目の段階を理解し始めました。教会と現場と葛藤です。教会と現場との葛藤はいつでもあります。これを越えることができる福音を持たなければなりません。葛藤はないことはありえなくて、いつでもあります。これをどれだけ美しくよく越えるかです。私は、この部分を悟るようになりながら、教会を知らなくて無視したことを悔い改めました。神様が教会に必要な人、必要がない人、このように集めたように見えるけれど、神様がご覧になる時は、みな必要な人です。それで、これを見ながら、多くの祝福を受け始めました。
・それとともに、四番目の段階がきました。人間に対する考えと関係です。この部分がものすごく私には重要に迫りました。私はむかしには訳が分からなくて、他人の話を多くしました。私はむかしに、普通、時間を送るのに、他人の悪口を言うのに時間をたくさん送りました。ひょっとして、時間ができたら、祈ることがないから、他人のあれこれを言うのに、自分の口をほとんど活用しました。私は、それほど重要な人がないために、他人事に関心が多かったのです。私のことがないからです。そして、祈ることがないから、口はある程度広げなければならないから、他人の話しかする必要がなかったのです。なぜなら、この口を開く必要があるために、声を何度か出して、天国に行くと決まっているゆえに、あれこれ言ったのでした。しかし、私はこの福音を知りながら、「原則を守っても、絶対に人を殺してはならない。神様のみことばは保存するものの、人を傷つけてはならない。行政はしても、本質の人を押し倒してはならない。言わば、罪は嫌っても、人は嫌ってはならない。」 聖書にそのようになっていますが、そのような部分が理解でき始めました。それとともに、人を理解し始めました。どれだけ理解できたかというと、間違った人の間違った話しも受け入れるようになったのです。確かに間違った言葉です。インターネットに、私をしばしば悪口を言う人に会いました。会ってみたくて会ったのではなくて、偶然に会ったのです。それで、私が笑いながら話したのです。「タラッパンと私に対して、そのように文をたくさん書いているらしいですが、特に価値がないから読まなかったが、聞きました。私がちょっと警告してあげることがあります。他の人に対して書く時には、本当に正しい話しだけ書かなければなりません。あなたが書いたことは、正しい部分もあります。正しい部分は10ケ中の1ケはあります。ところが、8ケ、9ケは違います。違う部分を書くということは、聖霊の導きを受けるのではありません。そして、正しいことを書いた時、私が良心の呵責を受けます。間違ったことを書いた時は、私はあなたを無視せざるを得ません。仮りにそれで問題がくるならば、責任はあなたが取らなければなりません。」ところが、この人がかなり正直な人で、「本当にそれならば謝罪する」と言いました。「たぶんそうしなければならないでしょう」と言いました。そうしたところ、この方が一切書かなくなりました。とにかく、この方は対話ができる人です。しかし、最後の話はしました。「あなたの間違った話しも私は受け入れました。なぜなら、そのように見えることが、私にあるからではないでしょうか。私は確かに世界福音化しなければならず、インマヌエルの牧師として、指導者として、その部分を受け入れねばならないでしょう。結論的に有難いので、とにかく感謝します。」と言ったところ、この方が多くの衝撃を受けたようでした。その時、私が蔑んだのもなくて、悪口を言ったのでもなくて、私の中心をそのまま話したのです。そうしたら、幸いか不幸か、いまは書きません。私たちは、人間関係のこういう部分がものすごく重要です。皆様の家族、皆様の信徒、皆様の同僚が重要です。こういう部分が何でもないことのようでも、どんな結果を持ってくるか知っているでしょうか? 恐ろしい結果を持ってきます。
・これが何でもないことのようでも、世界福音化をしなければならないイスラエルが、しばしば紛争をします。ひとつ解決する方法があります。それが怖いのです。この多くの使命者をひとり作る方法があります。それが何でしょうか? それが戦争です。戦争と災いです。それで、イスラエルは戦争をたくさんあいました。戦争が起きたのに、戦うしかないでしょう。一緒に手を取合って走らなければならないのに。戦争が起きたら、敵がいるでしょう? 捕まえて祈ってあげるべきです。これがイスラエルにずっと起きました。しかし、私達が福音を本当に知っていれば、神様の驚くべき祝福、平安を味わうことができます。皆様、今、米国から来た人がいます。米国を見てみると、全部、この問題に関わっています。私の話しが違うでしょうか? ヨーロッパや韓国の教会を見ましょう。全部、この問題に関わっています。少し前にも、高神大学の総長を私が見るのには、その方は、本当に福音がある方なのに、あまりに激しい闘争で、この方が結局やめなければなりませんでした。ですから、そのようなことだけ韓国教会、世界教会がいつもするのです。もちろん、誤ったことは、正しくすべきですが、そのようなことでだけ歳月をみな送るのです。だから、どのようになるのでしょうか? 今日、神様の契約を捕まえて、祝福をよく記憶しなければなりません。神様が私たちに救いの門をあけてくださいました。その部分から理解しなければなりません。それが本当にならば、その契約を捕まえて、私の過去の傷、家系の問題、全部、押し倒しましょう。すると、その契約を本当に捕まえて、ヨセフのように、ダビデのように、現場に行って葛藤が起きれば、その部分を越えましょう。結局、この契約を捕まえて、人間関係は人の問題です。この部分に対する祝福を味わって、越えなければなりません。事実は不可能な話ですが、福音で可能です。それで、この祝福をつかめば、答えが与えられます。
・簡単に話せば、あらゆる石をなくしなさい、その話はなんの話でしょうか? 皆様、祝福を受けねばならないので、そこに引っ掛かることは、全部みな捨てましょう。今日から捨てましょうということです。皆様、祝福を受けねばならない人なのに、深い疑問があります。みな取り除いてしまいましょう。皆様、神様の祝福を受けねばならない人なのに、道があまりに険しいということです。それをみな平坦にさせましょう。まっすぐな道を行くとき、交通事故にあうのは、それほどありません。いつでも曲がった道を行く時に起きます。練習していなくても、まっすぐな道を行くとき、とうとしても大丈夫です。曲がった道を行く時に、眠っているとまさに死です。そのような曲がった道は、まっすぐにしましょう。こういう驚くべきメッセージをくださいました。それとともに、結論を何と言ったでしょうか。6節に、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。そのようになれば、すべての人が神の救いを見るようになる。今日 2部礼拝にもすこし説明を補充しますが、この祝福は本当に受けなければなりません。
・別の言い方をするなら、4つの祝福は、確かに受けなければなりません。救いとは何でしょうか? この祝福は確かに受けなければならないのです。皆様ゆえに家系の問題の暗闇が崩れる祝福、確かに受けなければなりません。今日から、皆様ゆえに職場、会社、皆様の現場に暗闇が完全に崩れる祝福を受けなければならないのです。今日から皆様ゆえに人が生かされます。この祝福がなければならないのです。あらゆる人が神の救いを見るようになる。ところが、私達がこれを知らなければ、ますます異常になって、考えが違うようになります。愛の神様の民を見る時、愛の心が生じなければ無視する心が生じるのでしょうか? すると、3期程度の病気です。あなたがた月給をくれと言うのでしょうか? 教会にきて、一番献身する役員、長老、按手執事、勧士を見ると、どれくらい貴重でしょうか? そこに対して一番悪口でも言うのでしょうか。皆様 4期程度の病気になっています。この福音を伝える主のしもべや宣教師がどれくらい貴重でしょうか? すると、そこに対して気分が悪いのですか? すると皆様、5期程度の病気になっています。本当に私は教会にくる時、どんな心でくるかというと、早く行って、この祝福のみことばを伝えなければ、こういう心です。この時代の貴重な神様の民、主の民に神様のみことばを私が加減しなくて伝えなければならない、こういう心で来ます。本もたくさん読みません。どのようにすれば、このみことばを違わないように伝達できるか? それが私の一週間の祈りです。
・この本文を見ましょう。バプテスマのヨハネが現れました。救いが近づいたから、主の道を用意しなさい。簡単に話せば、道を整えなさい。これは、道路工事を話すのでしょうか?そうではありません。私たちの考えを変えてしまいなさいという話です。私たちの信仰を変えてしまいなさいということです。すると、あらゆる人が神の救いを見るだろう. それなら、あなたがたには答えが正しく来ざるをえません。これは単純な使命ではなくて、皆様が必ず味わわなければならない使命です。今日からこの祝福が始まることを願います。そして、この祝福が皆様に現れるようになるはずです。今日から勝利が始まることをイエスの御名で祝福します。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。この契約の祝福をのがさないようにさせてください。今でも成就する神様のみことばをのがさないようにさせてください。今でも起きる霊的問題を解決するようにさせてください。より一層深刻化する暗闇の力に勝つ信仰を与えて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
2部 / さばかれる神様
(詩58:〜11)
・今日のタイトルは 'さばかれる神様'です。これはダビデがした信仰告白です。またダビデが持っている思想です。私たちの全国、世界のレムナントとともにみことば受けています。私たちは救われた神様の子どもです。生き方に対して詩篇を見ながら習わなければなりません。一言で、ダビデは素晴しい人です。私が時々聞く話しを静かに考えてみます。先生の印象は、負担になる印象だと言われます。すこし安らぎがある印象でなく、難しい印象だという話を聞いたことあります。鏡を見ながらたくさん考えてみました。そうでないという気がするのに、そのような話をしばしば聞きます。なぜなら、働き人、家族、私と仕事をする人々が話をしないのに、なぜ難しいと言うのかを考えてみました。この頃になって考えてみて、難しいということが正しいようです。なぜなら、十回ずつ二十回ずつ赦すとき、知らずに赦すのでなく皆知っていて赦します。これを頭に入れて耐えようとするので難しいことは確かです。またある人が、良い姿ではないと言いました。なぜそうなののか尋ねました。人が他の人を称賛もしたり、笑ってあげたり、激励もしてあげなければならないのに、良い姿がないと言いました。本当にそのようなのかと多く悩みました。まだ確実な答は出て来ず、今でも悩みの中にいます。なぜならば、私はあなたがたが全く称賛してくれなくても、することをみなします。私が三十年、伝道を忘れないでしたということを記憶しなければなりません。誰かが称賛すれば良くして、称賛しなければできないならば、それが良い姿ではないことなのに、異常です。私がまだ考えている途中です。とにかく明らかなことは、素晴しい人になるべきだと考えています。皆様が信仰生活しながら、伝道もして、多くの歩みをしているなかで、ちょっと福音のなかで素晴しい人にならなければならなくないと考えます。
・ダビデを見れば本当に素晴しい人です。幼い時を見れば、羊を守っていたのに、単に守れば良いはずなのに、祈って、賛美して、文章を書きながら過ごしました。どれくらい可愛いかったでしょうか。一つも退屈でなく、祈って、賛美して、文章を書きながら過ごしました。獣が来たら、たいていの子ども達は逃げるのに、終わりまで羊を保護しました。これがダビデが持っていた良い姿です。何でもないことのように見えますが、あなたがたが遊ぶときも、休暇であっても、普段の時の時間がものすごく重要です。ダビデを見れば、少年時期にゴリヤテが攻めてきた時、自分のいのちをだして行って挑戦しました。普通の人は、このようにすることができるでしょうか。また、ダビデが有名な将軍になって困難に会います。サウル王が非難して殺そうとしたのです。臣下がダビデを非難しました。難しくさせました。私はその時見ても、ダビデは本当に素晴しい人だと考えます。一度もサウル王に敵対しませんでした。一度も神様の前で恨んだりしませんでした。私が見たら、大きいうつわで、素晴しい人だという気がしました。王になりました。普通の人が王になれば、普通の王のことをするのに、この人はそうではありませんでした。どのようにすれば、王になった機会に神殿を建てるだろうかと考えました。はなはだしきは、こう話しました。私は王宮のなかで百年いるより、神様の家で一日いることがもっと良いと言いました。簡単に話して、祈りの味を知っている人です。王であったのに、明け方祈りに行きました。詩5篇、8篇に見れば、夜明けに祈る場面が記録されています。本当に素晴しい王です。ものすごい献金で神殿を建てる準備をみなしました。その時、話すのを見ましょう。もっと素晴しいことを話します。私達が神様の前に多くの献金を自ら進んでできる心を下さったことを感謝すると言いました。しかし、私達が捧げたこの献金も神様がくださったことではないか。私たちを高くする方も、低くなさる方も、主なる神様ではないか。だから、くださったものも主のものではないか。献金したと言わずに、これは神様が皆くださったことではないかと言いました。ダビデは未信者たちが見ても素晴しい人です。私たちクリスチャンがなぜ、伝道ができないのでしょうか。未信者が見たら、あまりに異常ならば伝道はだめです。私たちはこういう部分に多くの祝福を受けるべきです。
・ここには、男の方達が多いのですが、あなたがたが素晴しい男性になることを願います。男性が考えが狭いならば、本物に良い姿ではありません。男性は最も男らしくなければならなくて、女性は女らしくてなければなりません。素晴しい信仰人にならなければならないのです。レムナントは必ず記憶しなければなりません。ダビデは、素晴しい信仰人でした。もっとすごいことは、困難もあってみれば分かります。人は、普段の時、そのままあとで困難にあってみれば分かるのです。ダビデはこのような時、もっと格好良かったのです。後ほど王宮で、どれくらい急なことだったでしょう。反乱がおきたので、はだしで逃げました。それも、びっくりすることに、息子が父に挑戦したのです。それも考えたら、とうてい理解できないことに、自分に仕えていた臣下が、自分の息子を誘惑して、槍を持って挑戦したのです。夜に寝ていた時でした。ダビデは、逃げる人ではありません。「王様、今、一旦急いで逃げるべきです。」と臣下が言っても、皆様、ダビデを知らないでしょうか。ダビデがどんなに老いたとしても、相手が恐くて逃げる人物ではありません。私はダビデの心が分かります。息子のために逃げたのです。逃げなかったら、息子を殺さなければなりません。臣下に頼んで、アブシャロムを殺すなと言いました。ダビデは、サウル王がつかまえに来たら、逃げて回る人ではありません。ダビデがどれだけ素晴しい人かというと、ゴリヤテの前に行って、少年の時期から堂々と話した人です。ところが、必死になって逃げ回りました。サウルを助けようと、サウルを殺さないように。終わりには、はだしでダビデは逃げました。なぜでしょうか? アブシャロムを殺すなと。そして、臣下と戦わないようにと。素敵な人でしょう。
・私たちは、このように素晴しい信仰人にならなければなりません。皆様、特に、牧師、役員、宣教師など、重職にある人であるほど、良い姿でなければなりません。それはものすごく重要です。道で物乞いをする乞食ならば、良い姿が必要ありませんが、乞食は良い姿がないほど、格好良いことであるからです。しかし、私たちは乞食ではありません。良い姿でなければなりません。あの方は、本当に素敵だと言われなければならないのです。かたちだけではだめです。交わるほど、素敵だとならなければならないのです。あの方は、見れば見るほど素敵だとなるべきです。行くときに、臣下が話しました。シムイが出てきて、ダビデを呪ったので、あの者の首をすぐに飛ばすべきだと言いました。しかし、シムイがダビデを呪うのには、みなわけがあります。シムイは、元々、サウルの部族です。だから、血縁ゆえにダビデを敵だと考えたのです。大部分の人々は、そのように生きます。間違っていても、自分の故郷の人だと正しいと言ってくれるのです。おもにそのように生きます。正しいのに、自分たちの側ではないと、違うと話すのです。普通、そのように生きます。このシムイがサウルの部族なので、ダビデが通り過ぎるので呪ったのです。より重要なことは、その人が呪った理由がまたあるのです。ダビデが終わったと見たのでした。シムイの失敗です。このようにして、ダビデ王は終わったと考えたのです。ダビデがあまりに急いではだしで逃げるのだと見たのでした。ダビデ王の運命と権威は終わったのだと狭い判断をしたのです。それが、まさに愚かな人です。ダビデがこれから死ぬのだと思って、ダビデを呪いました。その時、そばにいた将軍があまりにひどいから、すぐに首を打つと言いました。その時、ダビデが述べた言葉があります。もっと素晴しい話をしました。「置いておきなさい。神様がなさることではないか。神様がシムイにさせておられることではないだろうか。私のからだから出た私の息子も私に対抗して私が逃げるのに、ましてシムイは当然だろう。神様が恵みを与えられれば、これを見て恵みをくださるだろう。シムイを殺すことができない。」これがダビデです。素敵な人物です。
・ダビデが山に行って逃げて隠れていたら、どんなことが行われたでしょうか。簡単に話せば、滅びた王を手助けする人はいません。皆様、その時に見れば、素晴しい場面が出てきます。ある人が訪ねてきたのでした。王様に会おうと訪ねて来たと言いました。王様は今、山に行って隠れて逃げています。「なぜ会おうと言うのか。名前は誰か。」名前はバルジライという人なのに、「その人がなぜ私に会おうときたのか。」「王様を訪ねて来たのです。どれくらい大変で疲れられたか。こういう状況に王様がここまで逃げて来られたから、どれくらい心が疲れたでしょうか。私が心配になって、王様になにかを差し上げようと持ってきた」と言いました。小さいうつわ、豆、バター、食べるもの等を持ってきたのでした。ダビデが感動しました。あなたは誰か? 私はベツレヘム人バルジライだと言いました。ダビデがそれを食べて、ものすごく感動したようです。ダビデが回復しました。より王宮を堅く作った王になりました。皆様、ダビデが死ぬ時の遺言を見たことがあるでしょう。いろいろな遺言の中に、最初の遺言が何でしょうか。「あなたは、強く、男らしく、主なる神を知りなさい。」遺言をずーっとする中に、一個の遺言をしました。バルジライ老人、その息子キムハムは覚えなさいと言いました。
・そして、ダビデがどれくらい素晴しい人かというと、一生の間、お客さんがこない以上、一緒に食事する人がいたのです。誰だけでしょうか。私はその聖書を見ると、ダビデは素晴しい人だと考えました。私が会ってみていませんが、素晴しい人です。一生、死ぬ時まで食事を共にした人がいます。サウル王の孫、ヨナタンの息子です。戦場でヨナタンは死にました。悪いサウル王が神様のみことばに従わなかったので、戦争が起きたのです。皆様、サウル王の死ぬ場面を知っているでしょう。敵軍の矢に当たりました。どれくらい心臓の中に矢が深く刺さったでしょうか。サウル王が馬から落ちて矢を抜いたのですが、それが折れたのです。だから、抜けない程に刺さったのでした。最後に死にながら、サウル王が述べた言葉があります。私がどんなに信仰生活を間違ったとしても、ペリシテ人の手で死ぬことができるだろうか。だから、臣下を呼んで刀を与えながら自分を殺せと言いました。どのように、臣下が刀でサウル王の首をはねることができるでしょうか。王様、絶対にそのようにできないと、王様が私の首を打ってくださいと言いました。だから、サウル王が良いと、刀を持ってこいとして、刀を腹に刺して自殺しました。この時、戦争が起きたので、小さい子どもがいたのですが、その子どもがサウル王の孫です。その孫が抱かれて逃げて行く時、絶壁から落ちました。幸いに生き延びたのですが、足を使うことができません。それを知って、ダビデ王が、一生、食事の時間にその息子と食事をしました。そして、死ぬ時、遺言したのです。王権を持ったソロモンに死ぬ時、遺言しました。メフィボシェテの面倒を見てやりなさい。それが、敵サウル王の孫です。私が見る時、ダビデは素晴しい人です。どうして、このようにできるでしょうか。知識の中で最高の知識である神様を本当に知るようになれば、そのようになります。それで、ダビデが苦しみをずっと話している途中で、全てのものをさばかれる主なる神。特に、私たちレムナントは、祝福の中の祝福の主なる神様を知る大きい祝福を受けてくださるように願います。
・まだ世界で祝福された国は、イスラエルです。話があります。世界を掌握したのは米国です。米国を掌握したのはイスラエルです。正しい話です。皆様、おわかりの通り、偉大な人物は、いままですべてイスラエル人です。皆様が知っている人の名前だけあげてみましょう。米国の初代大統領ワシントン。ユダヤ人です。皆様が知っているとても優れた人物、アインシュタインもユダヤ人です。発明王エジソン、ユダヤ人です。皆様が知っている人だけあげてもそうです。そして、皆様が知っている人物をならべて、どの国の人かと聞く試験があるならば、知らなければユダヤ人だと書けば正しいのです。映画俳優も有名な俳優は、皆ユダヤ人です。 'ベンハー'の主人公、チャールトン・ヘストンもユダヤ人です。ほとんど優れた作家もユダヤ人です。まず、ノーベル賞 1/3以上がユダヤ人です。この前、IMF時の経済会長もユダヤ人です。一時たいした人物の世界大統領を夢見た人物、キッシンジャーもユダヤ人です。皆、ユダヤ人です。どのようにして、このようになったのでしょうか。
・これから、ユダヤ人に掛ける希望は大きいのです。申6:4-9(聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。/ 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。/ 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。/ これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。/ これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。/ これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。) ユダヤ人ならば、言葉が出たら一番初めに学ぶ箇所です。「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。そしてこれを教えなさい。手首にも付けて、額にも付けて教えなさい。」これが世界を征服したイスラエルのメッセージです。いまだに ユダヤ教育について行く教育はありません。私が 見る時、世界の福音化の秘密と方法がユダヤ人にあるのではないかと思います。今現在も経済を掌握しています。簡単です。証拠で米国で一番高い土地がニューヨークです。ニューヨークの中でも、現在、高い所はマンハッタンです。マンハッタンに行ってみると、道がとても古くなった都市に見えます。言わば、江南大峙洞のように高く見えます。そこの建物主人 40%が現在、ユダヤ人です。米国という国は、世界を統治する国ですが、その国は弁護士の国です。弁護士が多いのです。今現在、弁護士の 1/3がユダヤ人です。完全に掌握したのです。どうしてそうなのでしょうか。一時、イスラエル民族が虐殺されたのですが、ガス室で、あるいは燃やして殺しました。すべての死ぬ人が、手に何かを握って死んだのです。何を握って死んだのでしょうか。手を開いてみたら、申6:4〜9でした。
・皆様が主なる神様を理解するということは、知識の中の知識で、知恵の中の知恵です。いいかげんに知っていてそうなので、神様を本当に理解するならば、素晴しい人になります。福音を本当に理解するならば、素晴しい人になります。福音を本当に理解するならば、成功した人になるのです。福音を本当に理解するならば、勝利できます。私たちレムナントが、堅く捕まえなければなりません。この契約を、私たちのレムナントに伝達を正しくしましょう。それをしようと、私たちの教会が生まれたのです。それを正しくしてみようと、私達が始めました。契約をよく捕まえなければなりません。それだけではないのです。今のところは、米国が一番金持ちです。どうして、そうなのでしょうか。まだそうです。主なる神様を信じて、福音を伝えようと立てた国です。それまですれば、確実な証拠です。
・私が前回 TV放送を見たら、これが出てきました。ご覧になったでしょう。鶏の話ですが、ご覧になったでしょう。鶏が主人が死んだ後、3日間、餌を食べないで、行った所をみつめるのです。珍しいので、TVに出てきました。放送で詳細に撮しました。他の人が行こう言うならば、クチバシでつついて追い払います。だから、鶏が一ケ月も食べなかったので、倒れたのです。主人が死んで行った方向を見て、ずっと声を出すので、首に炎症がきたのでした。それで、動物を保護する所に連れていって、注射をうって、力を回復させました。そこにおいたのに、食べませんでした。注射を打ったから、この頃はすこし食べようと出てきました。どうして、そのように珍しい鶏がいるのでしょうか。放送を見たら、主人が死ぬ前に、その鶏をかわいがって、愛したということです。それを見ながら、鶏もかわいがって、愛せば、考えるということを証明することです。
・以前に新聞を見たら、ある犬が主人が死んで、主人が交通事故にあったのに、その場を犬が探していくということでした。皆様ならば、3年間、そこに行くでしょうか。だから、この頃の女の人は、一ケ月後に嫁ぎ先から帰るのに、どのように3年を待つのでしょうか。人よりましです。これだから、人々が犬を育てるのです。ある人は、犬に洋服を着せます。米国やヨーロッパに行けば、犬の洋服店が多いのです。犬の靴もあります。その程度ではなく、犬の美容院もあります。あのようにして、商売になるだろうかと思ったのですが、うまくいっています。いろいろなものがみなあるのです。犬の靴もあって、美容院もあって、犬の洋服もあって、洋服を着て歩きます。犬のホテルもあります。犬だけが入っていくホテルがあるのです。どれくらい犬に関することが多いかわかりません。なぜ犬にそのようにしているか分からない、激しいと言いました。その話を聞いて、娘が面白いことを話しました。その程度ではなく、犬のガムもあると言いました。まだ見ることができないのですが、犬ガムがあるということです。犬がガムを噛むのだということでした。
・どんなにしても、犬の中で礼拝をささげた犬、救われた犬はいません。誰が何と言っても、犬肉のスープを食べることは聖書的です。征服して治めなさいと言われました。そう言ったところ、ある女学生が手紙を送ってきて、先生は犬肉のスープを召し上がるとか、今まで先生を尊敬したのに、今からしないと言ったということです。それで、私がそんなに好きではないと答えました。食べてもかまわないのです。外国の人々が是非を論じるのですが、知らないからです。救われることができる対象は、人間しかありません。神様に仕えることができるのも人間しかありません。神様に向けて賛美できて、言えることも人間しかないのです。神様に向けて祈りができるのも、人間しかありません。全部、下を見ていますが、上を見ることも人間しかないのです。当然に、私達が神様を正しく知っていれば、驚くべき知恵が生まれて、素晴しい人生になるのです。時間がたくさんありません。ダビデは、救いの祝福を3つで味わいました。本当の福音が何かということを知っていたのです。重要です。福音を知っていれば、運命が変わります。福音を知っていれば、運命が変わります。福音を知っていれば所属も変わります。福音を知っていれば背景も変わります。それを救いと言うのです。福音を知っていれば、創世記3章が解決します。すべての呪い、サタン、地獄の権威が崩れるようになっています。間違いありません。これを知っていなければならないのです。皆様の個人問題、教会問題がなくなり始めます。福音です。それで、皆様、これが救いの秘密です。これをダビデが知っていたのです。
・2番目に、ダビデは普段の時に神様が共におられるという救いの秘密を知っていました。説明をしないでも知っているはずです。どれくらいこういう単語をダビデが多く使ったのか知っているはずです。三番目に、ダビデはこういう話を書きました。危機の中で神様が私を救われた。この三つをダビデが体験したのです。皆様、この三つは、必ず体験するように願います。私たちは悪魔の子どもではなく、神様の子どもとして救われました。その救いを言うのです。神様が私とともにいらっしゃるという驚くべき救いの秘密。私達が危機の中に処する時ごとに、神様が私たちを危機から救い出してくださるのです。私の全てのものをさばかれる主なる神。この信仰を持って行かなければなりません。レムナントも、この信仰へ行かなければならないのです。皆様が素晴しい人生にならなければなりません。どのようにすれば、素晴しい人生になるのでしょうか。格好良くなってみたいけれど、難しいのです。必ず記憶しなければなりません。
・今日の1部メッセージで結論を結びます。1部メッセージを記憶しなければなりません。皆様が救いの祝福を味わう段階があるのですが、この福音、キリストの秘密をまず知ることが最初です。皆様の家庭、家系の霊的問題、個人問題をひっくり返さなければなりません。ダビデはそれを完全にひっくり返しました。女学生がたくさんいます。あなたがたは、やむを得ず老いていきます。やむを得ず、太るはずです。どんなにしても、避けられません。そして、老いていくのには、止める人がいません。しかし、皆様の生き方と皆様の中を格好良いようにしましょう。すると、皆様は良い姿の女性になるはずです。男の人も同じです。研究しなければなりません。私がどのようにすれば、私の家を素晴しい家にするか。それを家庭と言うのです。家系の問題をみな破らなければなりません。皆様、それで終わることがありません。今朝に三番目のことを話しました。皆様は現場に行くようになります。そこで、重要な葛藤、霊的問題を越えることができる福音の秘密がなければなりません。皆様は人と人との間で生きています。それで人間と言うのです。人と人との間で生きています。これを越えることができる、受け入れることができる福音の秘密がなければなりません。すると、素晴しい人になります。神様の重要なみことばを結びます。皆様は、救われた神様の子どもです。今からどのようにすれば良いのでしょうか。素晴しい信者になりましょう。私たちは、救われてみな受けたのに、今からどのようにすれば良いのでしょうか。素晴しい神様の子どもになりましょう。ひとつずつ、ひとつずつ癒されるように願います。驚くべき事が起きるはずです。
・ある長老が、執事のあとで長老になりました。私が見る時、この人は素晴しい人です。長老投票で選ばれた時、しないと言いました。不信仰でNoと言ったのではなく、職業もなくて、お金もなくて、私がどのように長老になるのか。長老は社会指導者程度になってこそ、長老になるのに、私がなんにもないのだから、どのようにするだろうか。そうでなければ、私がお金もたくさんあって、教会に仕事をするよう後から助けるべきなのに、これが長老だろうか。それで、どうして長老をするのかと言いました。この方がまず素晴しい人です。考えは正しいのです。長老になりました。なったら、神様のみこころではないか。この方が、その時からどのようにしたかご存知でしょうか。今から事業をするか。私が今、この年齢で司法試験を受けて判事になるだろうか。私が何をできるだろうか。私がどのようにすれば、神様の前に正しい長老になるだろうか。このようにして、一日も抜けずに、釜山の龍頭山公園に上がったのです。何年か前に亡くなりました。その方は、ニュースになるに値する人物で、後ほど答えを受けたのでした。毎日、釜山の龍頭山公園に上がりました。弁当を包んで奥さんとともに、毎日上がりました。一日中伝道しました。私は驚いたのです。私は、この方が、どのようにしているか行って聞いてみました。服装も驚くくらいでした。歌も歌って、話すのも、驚くほどにしました。それで、例を上げるとこのようなやり方です。「人生は行く。君も行って、私も行く。それで救われなければならない」と言いました。だいぶ平凡ながらも、無知ながらも、意味があります。「老いればお金も必要ない。老いれば息子も必要ない。老いれば何にも効果がない。ただ神様の国に行かなければならない。」完全に核を刺すのです。そして歌を歌います。とても不思議に思って、行って '長老。私です'と言いました。「先生、来られましたか」と言いました。本当によくなさると、おいしいものをあげますと言ったら、それは食べないと言って、それで、かばんを開いて弁当を取り出しました。自分が私に話しました。むかしに知らずに、イエスを信じる息子の嫁を迫害して、自分が長老になって、私は何をすることがあるでしょうか。これをします。一日も抜けずにしました。雑誌にも出ました。一日も抜けない伝道者だと出ました。私にノートを見せてくれました。
・いままで自分を通じてイエスを受け入れた名簿でした。私はこのように感じました。この老人は、素晴しい老人だと。この老人は貧しい老人ではありません。この老人は人生を生きることができる人です。私たちは、人生を格好良く生きなければなりません。毎日、狭く生きるのではなく、神様の子どもがそのようなことで良いのでしょうか。皆様が行く所ごとに、神様の子どもの素晴しい祝福が続くことをイエスの名前でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちの人生が本当に福音のなかで素敵な生き方になるようにしてください。これから新しく始まるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン.
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