2003年 12月 7日 インマヌエル教会聖日メッセージ
1部 /治療なさるイエス・キリスト
(ルカ4:38〜44)
・今日 '治療なさるイエス・キリスト'というタイトルでみことばをお分かちします。皆様に本当に約束します。イエス・キリストによってたましいを救われたあなたがたが、肉体も治療されるようになることを希望します。ちかごろは、病気で苦しむ人々がとても多くいます。病気だという知らせを聞いてみれば、ほとんど皆、がんです。誰かが話すのに「先生。どこどこにいる誰々をご存知ですか?」という場合、「なぜ、そのような話をするのか」と聞くと、「からだの調子がちょっと良くない」と言う話を頻繁に聞きます。それで分かってみたら、がんだということです。すこしあとで知らせを聞くと、結局、召されたいう話をたくさん聞きます。私の胸の中で、聞きながら '本当に、人々が癌にたくさんかかるな' こういう考えをしました。子ども達まで小児がんにかかっています。
・精神病患者が数えられないほど多くいます。社会に適応が良くできない精神病患者が30%います。あなたがたが見る時は、精神が狂って病院に行く人々を精神病患者と見るでしょうが、実際に社会適応ができない人は 30%程度います。そして、精神的な苦しみにあう人々が 90%以上です。そして、ちかごろは世界の約5000万名程がエイズにかかっているということです。アフリカ側で一番たくさん発生するらしいのです。そして、私がアフリカに行って一度尋ねました。アフリカの人々は、なぜエイズの病気を恐れないのかと尋ねたのです。エイズにかかって死んでも、年をとって死んでも同じだと言いました。非常に食べ物がないために、だいたい40才くらいになるとほとんど死ぬそうです。エイズになってもその程度になれば死んで、ほとんど同じだから、恐れることもないらしいのです。それで急速に広がっています。
・私が知っている若い事業家の一人が、全羅道で事業を始めたのですが、ソウルまできて本当に成功しました。本当に良い方です。そして、とても賢いのです。自分の分野では、他の人が尊敬する程に成功しました。夫人は熱心に行って祈って信仰生活する方だったのですが、この方は教会に通いませんでした。そうしたあと、ある日、自分に想像もできない問題がきたのです。どれだけ、この方の自尊心が強かったかというと、職員には、自分は何日か休暇に行ってくると言いました。どれだけ強いかというと、何日か休暇に行ってくると言って、がんの手術を受けました。普通の人ならば、そのようにするでしょうか? 「病院に行く。私は癌だ」と言うはずなのに、職員に自分は三日間、外国に行ってくるから待っていなさいと言って手術を受けました。この人がどれだけ強い人かというと、その後に、私に一度会おうと、その病気の人が私といっしょに話そうとゴルフクラブに誘いました。その方が私にこういう話をしました。「先生。私は今、福音を知るようになりました。とても幸いです。ところが、本当におかしなことは、理解ができません。手術をみなして、坑癌治療を受けているのに、全身にみな広まってしまったのです」ということでした。自分は癌になったというその時に受けた衝撃よりも、全身にみな広まったということが、より衝撃を受けたと言いました。「私は、先生に一度会って、いっしょに話して、一度祈りたかったのです。それで来ました」と言いました。全身にみな広まりました。どれだけ強い人かというと、全身にみな広まったのに、運動しようと出てきたのです。結局は、後に知らせを聞いたら、亡くなったということでした。そのように若い人にも、そのような病気がたくさん広まっています。
・私が知っているある方は、しばしば腹が痛くて病院に行って、診断をしてみたら、なんの異常もないと言われました。おもに胃が痛かったので、病院に行って胃の検査してみたのですが、胃には何の異常もないと言われたのです。何度も胃に内視鏡を入れて検査をしたのに、胃には何の異常もありませんでした。ところが、後ほど見ると、胃を中心として全身にがんが広まっていました。胃のなかでがんができていたのではなくて、胃の外でがんができていて、中に入っていったのです。本当に不思議な病気も多くあります。どんどん、患者がこのように多くなります。
・私はそれを見ながら、病気になるしかない人生だと思います。私は福音を知らない人を見ると、本当にどのように生きているでしょうか?病気にならざるをえません。私はそのように考えます。福音を知らない人は本当に非科学的です。福音を正しく知らない人は、ものすごく無知だと私は考えます。しばしば適当、適当にしようとするのですが、本当の人生はそのようなことではありません。病気になるしかありません。いつ始まったのでしょうか? 創世記 3章の時から始まりました。神様を離れた人間、サタンのお手伝いをするようになった人間が、土地まで呪いを受けたとされています。皆様、病気にならざるをえないでしょう。空気が汚染されて、土地も汚染されて、食べ物も汚染されて、みな汚染にされているのに、私達がどのように生きることができるでしょうか? そして、食堂する方はいらっしゃるでしょうか? 可能ならばおいしく、可能ならば安いものを持ってきて売ろうとするのが食堂ではないでしょうか? 可能ならば、何か入れて味をよくして食べさせようとするのが食堂ではないでしょうか? 私たちはこういう中で生きています。
・この病気は、いつ始まったのでしょうか? 正確に話せば、創世記 3章の時から始まりました。この病気がいつから拡散したのでしょうか? 創世記 6章を見れば、ネフィリム時代、その時から年齢が減って、その時は長生きしたのに、120才に減って問題がきたのです。聖書は、唯一、悪霊につかれた者と病気をたくさん連結させています。サウル王が悪霊につかれて、うつ病に苦しめられました。マタイの福音書 8章を見ると、悪霊につかれて病気になった人がいて、イエス様が直される場面があります。マルコ福音 5章を見ると、軍隊の悪霊が入っていって、男の人が発作をして、おかしなことをしたことが聖書には記録されています。今日の本文のルカ福音 4章 41節に、また、悪霊どもも、「あなたこそ神の子です。」と大声で叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは、悪霊どもをしかって、ものを言うのをお許しにならなかった。彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。そのように記録されています。病まざるをえないのです。創世記 3章は、原罪を話します。神様を知らずに、サタンに仕えて、霊的問題に陥って、土地まで呪われたのに、どうして病気にならないでしょうか? 創世記 6章のネフィリム時代は、今とまったく同じです。易、シャーマニズム時代、偶像時代に陥って生きるのに、どうして病気にならないでしょう? 神様に仕えることができなくて、福音を知らなくて、福音を知らないから悪霊からやられざるをえなくて、霊的問題が来ざるをえないのです。私は今日、皆様が福音を聞いて、本当に祝福を受ける日になることを本当に主の御名で祝福します。
・イエス・キリストに会った者は、今日、見ると病気が離れたという記録があります。原因を知ったなら、当然なことです。病気がどこで、どのように始まったのか理解するならば、当然、なぜイエスに会ったら、これが解決するのかが分かるはずです。39節を見ると、イエス様が病気を叱ったとなっています。40節にはイエス様が病んだ者に手を置くと、いやされたとなっています。41節を見ると、悪霊が大声を出して出て行ったとなっています。私は、なぜ人々がイエス・キリストに会ったら、解決したのかということを前は理解できませんでした。分かった後に、イエスの御名でお祈りする私と皆様にも、同じ働きが起きるという確信を持つことができました。
・血友病は直せない病気だと言われます。血が腐るということもありますが、血がずっと流れる、こういう病気のことです。直すことができません。私が知っている人は、家族が、子ども達がみな血友病になりました。本人たちが知らなかったのです。子ども一名が外に出て、遊んでいてケガをしたのに、血がずっと流れて死んだのです。ですから、知らずに、大きなケガをして血をあまりたくさん流して死んだと思ったのでした。息子三人ですが、真ん中の息子は、大きくなって、歯を抜くとき、静かに抜かなければならないのに、そのまま抜いたのです。だから、血が流れ始めたのです。それで、また死にました。だから、分かるでしょうか? 一名残ったこの人は分かったのでした。自分兄弟二人とも、血友病で死んで、自分も血友病になっていることを知ったのでした。この人は出歩く時も、静かに歩きます。まずケガをしてはならないから、だれかがけんかをしかけても、見物するのも、遠くからして、近くには行きません。この人がある日、重要な時刻表がきました。正確な福音がこの人に伝えられたのです。この人がイエスを受け入れて、神様の子どもになりました。ところが、福音の根を正しくおろすことができなくて、行ったり来たりしていた時に、決定的な瞬間がきたのです。突然に腹が痛くなりました。病院に行ったところ、手術する病気になったのでした。医者に血友病患者なのであるが、手術しても良いのかと尋ねたら、医者がその時に驚いて、あなたはそのような患者か? と言って検査をしてみたら、そうだったのです。医者が手術はできないと言いました。手術自体が問題ではなくて、血を流したら死ぬから。だから、この人の家族が祈って、教会も祈って、本人が死んでも良いと覚え書きを書いたのです。その家庭で、唯一この人が福音を受けたのに、この人だけ手術に成功して生きているのです。医学がとうてい理解できない、こういうことが行われたのです。長血(血友病)になった女性がイエス様にきてすそだけ触ったのに、癒されました。目が見えないバルテマイが、イエス様に会った後に、目が開いたのです。軍隊の悪霊につかれておかしなことをしていた人が、イエス様に会って癒されました。使徒の働き 13章を見ると、ムダン(霊媒師)にいつも苦しめられて、霊的問題を受けていた人が、パウロが伝えるキリストの福音を受けて、癒されました。本当に不思議です。
・私は、創世記 3章、6章、こういう霊的問題が分かる前には これが理解できなかったのです。私は幼い時、集会する所に行ってみました。私の母にくっついて、私の家族に従って行ったのですが、私には信仰がなかったから、見物だけしていたのです。今でも思い出します。ある牧師が、病気の人は手をあげて下さいと言いました。病気の人がいたら、すごくお祈りをしたのです。その人々がよくなったと言いました。私がとても幼い考えだったのですが、内心、それは詐欺だろうと考えたのです。何で人を見て、手を置いて、よくなったと病院に確認もしてみずに、その人達は詐欺師だ、というように考えました。私はいつもそのようなことを詐欺だ、そのような考えをしました。ところが、ある日、事が起きたのです。絶対に、絶対に、イエスを信じない私の親戚のおばが一人いました。問題が生まれれば、グッ(降霊術)をする人でした。私の家の中でみなイエスを信じるのに、そのおばだけ絶対に信じません。だから、その家庭にだけずっと問題が生じたのです。後ほど死ぬ目にあうようになりました。死ぬ病気になったのです。病院ではだめでした。心臓に何か問題があったのですが、いろいろしたがだめだと医者が言いました。それでまただめなので、グッ(降霊術)をしました。話すこともよくできないから、自分の娘に、私の母をちょっと連れてきてと言いました。その時、娘がきて言うのに、私の母に教会に連れていってくれないかと言ったのです。それは、生れてはじめて出てきた言葉でした。教会に私もちょっと連れていってくれないだろうか? と言いました。その翌日、集会があったので、そのおばの両手を支えて教会に行きました。私は他の人の話ならば、信じないのですが、私が見たのです。座る力もなく、礼拝をささげ、賛美をささげ、みことばを聞いて一斉にお祈りをしたのですが、何かが来たのです。座る力もなかった私のおばさんが、座って礼拝をささげて、一斉にお祈りをしたのに、その胸に火がぱっとついたようでした。本人がそのように倒れたのに、起きてみたら、嘘のように、本当に癒されていました。これがいったいどれくらい不思議でしょうか? 痛い所が一つもありませんでした。帰る時は歩いて行きました。このようにして通いながら、病気の人に会うならば話したのです。ところが、不思議に病気の人に私の母が行けば、働きが起きないのに、そのおばが行けば働きが起きたのです。その時、私が考えを変えたのです。 'これは、本当になにかがあるんだな.'という考えをしました。ところが、私が後ほど信仰を持って見たら、私のおばは、福音を正しくなっていないで信仰生活をしたのでした。それで、癒されても、霊的にはずっと苦しめられるのでした。それで、私が正確な福音を話をしたのですが、神様の驚くべき癒しの働きは、人が想像することもできないことであることを知るようになりました。私は、みことば運動をするあちこちに、こういうみわざが起きるのを見ながら、これが今、驚くべき働きが起きているんだなということを知るようになったのです。今日、皆様が健康の祝福を受けるように願います。どのようにすれば良いのでしょうか? 今日の本文のみことばによって、皆様が正確な契約を握らなければなりません。
・最初です。イエス・キリストに会って解決したということは、福音を正しく理解して、根をおろして、充満すれば、働きが起き始めるということです。イエス様が按手なさったということは、今で話すならば、聖霊充満を受けたということです。皆様がキリストの福音を捕まえて、聖霊充満を受ければ、病気もよくなるだけでなく、予防になる最も良い効果があります。皆様が問題が生じたのを解決しようとすることは良いのですが、あまり悩まないようにしましょう。それがよくないのです。私達に問題がくれば、たんたんと解決策を見い出したり、そうでなければ、神様の計画を探すべきで、あまり心が痛めば、それも病気になります。皆様が今から、健康に生きる道は何でしょうか? 福音を正しく理解して、聖霊充満を受けることです。福音がない聖霊充満は、聖霊充満ではありません。それは感情であるゆえに、むしろ危険に、霊的に問題がきます。正しく理解して、聖霊充満を受けましょう。イエス様に会った人が解決されて、イエス様が按手されたところ、病気が離れたとなっています。
・ここに三番目のことがまた出ているのですが、悪霊が大声を出して出て行ったとなっています。皆様が祈りの答えを受けなければならない重要な秘密、癒しの3つのことがここにあります。正確な福音理解、2番目には皆様が本当に聖霊の充満を受けなければなりません。三番目、霊的問題の解決。この三つがものすごく重要です。ものすごくこれは科学的です。私達が福音を正しく理解するということは、私たちの運命、私たちの霊的状態が変わるということです。聖霊充満ということは、反対に私にある恨み、憎しみの感情、色々な複雑なものが、みななくなるということです。ここで悪霊が離れたということは、ものすごく科学的な話です。なぜなら、霊的に相当な問題が解決したことを話します。未信者は知らないから、何かの厄がついたと話します。それがまさに聖書が話す悪霊の働き、霊的な問題を話すのです。私が何の運命なのか、魔が差したと言うのですが、それがまさにこの部分を言うのです。これを知らないから、こういう単語を使うのです。それで、この三つがものすごく重要です。皆様がよく診断できます。皆様が霊的問題、この部分を簡単に解決できます。悟れば良いのです。
・一度、私たちのタラッパンで熱心に仕事をしたチェ牧師が、私の前を過ぎて行くのを見たら、肉がみな落ちていました。なぜそんなに肉が落ちたのかと尋ねました。教会の事務室にきて、この方が私より年齢も上なのに、本当に謙遜に私の所にきて、ひざまずきはしなかったのですが、ほとんどそのような姿勢で私に話しました。「先生。私が福音を知る前に、あまりに霊的問題が多くて、福音を知ったのに、いまだに苦労をしていますが、本当に私は福音の力でこのように生きているのです」と話したのです。この人は、からだが癌になって死ぬのに誰にも知らせなかったのです。死んだその週まで働きました。これくらい霊的問題は簡単でなくて、深刻なのです。ところが、ほとんど誤解して、知らずにいるのです。これはものすごく科学的なのに、人々はこれをほとんど知らずにいるだけでなく、ものすごく無知なことだと思っているのです。聖書は無知な本ではありません。最も正確な本です。誰かが私にこのように報告しました。「先生。伝道を熱心にした執事に交通事故が起きたのですが、すこし良くなっているようです」ということでした。それで、私はこのように答えました。「そのようには思いません。より良くなっているのではないだろう。」今朝、教会に来たら、亡くなったということでした。私はその方をよく知っています。その方のご主人もよく知っています。とても素晴しい方です。その息子が、私たちの教会に出てくるのですが、素晴しい子どもです。その家族が普通の素晴しい人ではなくて、皆様はご主人を知らないでしょうが、とても素晴しい人です。この方本人がよく知らずにいたのですが、霊的問題にとても苦しめられたのです。ですから、ご主人も苦しくて、その家族もみな苦しいのでした。普通私に一ケ月に手紙が2通きました。私が読まないでおこうかと考える程に、あまりにおかしな言葉をたくさん書いてありました。例を上げれば、話す単語がサタン、誰、こういうものです。それで、本当に霊的に苦しめられることが、このように難しいのだなと思いました。私はむかしから知っているために、霊的に苦しめられることが、このように難しいのを理解します。これがものすごい福音の力でなければ、どのように、あの人が伝道して、人を連れて来るでしょうか? この福音の力の祝福でなければ、この人がおかしな所に立っていて滅ぼされて行くのに、伝道現場に行って伝道できるでしょうか? それで、こういう色々なことを聞きながら、神様が正確になさるのではないかと言いました。とても家族がしっかりした人々です。私があなたがたにお話しする要旨は、この霊的な問題ということが、かくも深刻なことだということです。早くキャッチしなければなりません。
・皆様がこの三つだけでも知っていれば、本当に答えを受けます。イエス様に会って解決したということは、福音を正確に知って理解したということです。按手を受けたということは、聖霊の充満を受けたということです。私たちの家系、私たちの家庭、病気や霊的問題をどのように解決することかを正しく悟ったのです。この悪霊が追い出されたということは、普通の話ではありません。あなたがたが今日、みことばを捕まえて、一人ももれなく、本当に勝利することを主の御名でお祈りします。よく理解できませんか? これが答の中の答です。皆様、こういうことは屋根が吹っ飛ぶ程に、アーメンと言わなければならないのに、悟れないのかアーメンと言いません。ところが、聖書を非科学的に見てはだめです。科学的です。とても科学的です。私は聖書を見て、知識の中の最高の知識だと思います。このように正確なはずがあるか?悪霊につかれた人が、この地球上にあまりにも多いのです。表には現れません。水準が高い人は、こういう話がよく通じません。霊的問題があまりに多いのです。先進国でも、精神病患者がとてもたくさん生まれています。知れば良いことです。
・この三つをどのように同時にできるでしょうか? この三つは、簡単に祈りでできます。全く他の人に妨害されないで、いくらでもできます。使徒の働き2:42節に、祈りに専念したとあります。皆様、今日、礼拜を行なう時だけでも、このみことばを細かく受けて、心の底から本当に祈れば、今、何でもないようでも、答えで迫ってきます。神殿の美しの門にいた足のきかない者を見て、ペテロとヨハネが見つめたとなっています。聖書を見れば、見つめたとなっています。そして、足のきかない者を見て、このように話しました。「私たちを見なさい」私たちを見なさいというのは、注目して見ろということです。その時、ペテロが足のきかない者を見て、こう話しました。ペテロと足のきかない者の目が会ったのです。金銀は私にはないとペテロは話しました。その話は、小銭が一つもないということではありません。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。歩きなさいと手をつかんで引いたのです。ところが、おかしな事が行われました。この足に力が生まれて、驚くべき事が行われたのです。聖霊の働きで可能な話です。
・私はある日集会に行ったのに、夕方から集会があれば良かったのですが、負担がないようにとその次の日から集会がある時がありました。その時、私たちのキム秘書が「先生。これは英語のビデオなのですが、時間があるならば、見てください」と映画のビデオテープをひとつくれました。それでホテルの部屋で入れて見ました。この人がくれた映画のタイトルがフォレスト・ガンプという映画でした。この子どもが足を使うことができなかったのです。足を使うことができなくて、鉄をつけて歩いていました。近所の不良の子ども達は、この子をしばしば殴っていじめました。そうしながら、危機に会ったのです。足をそのようにして通っていたのに、このお母さんは子どもを見て、「あなたは障害者ではない。あなたは足が不便なだけだ。あなたは正常な人だ」このようにいつも話していたのです。足を使えずにいるのに、「あなたはとても正常な人で、足だけがちょっと不便なだけだ。足が不便なことで、何もできないことはない」と話したのです。ところが、この小さい子どものそばに女の友人が一名いました。その子も一緒に激励したのです。ところが、母親とは他の次元です。不良の子ども達が捕まえようと来るのに、鉄を付けて逃げていくのですから、どれくらい難しいでしょうか? この女学生が走れと言うのでした。捕まえられないように走れと言うのです。ところが、この子が走ったら、鉄が折れてしまったのでした。折れた瞬間、二本の足にそのまま力が生まれて走りました。その時から、この人はずっと走ったのです。とにかく、走って成功した人です。私はこれを見ながら、人にはこういう潜在的な力があるんだな。もし、私たちに聖霊充満が臨むならば、私たちにある力はどれくらい大きいでしょうか? 私はこれが理解できました。使徒の働き8章を見れば、耳を傾けたとされています。奇跡がおきたのです。今日、皆様が本当に、この契約を捕まえるならば、病気が良くなるのも重要ですが、今から健康な生活を送るようになるはずです。
・ある人が私にきて相談をしました。時間もないので、相談内容を簡単に話したのです。この女の方に時間がなくて、複雑にせずに、簡単に話しました。夫がとても私に心配をかけるから、私が心臓がとても弱くて今は死にそうだという相談でした。それをちょっと聞いて、礼拝をささげなければならないから、時間がありませんでした。それで私が簡単に答えてあげました。死なないで。あなたが病気になって死んでしまえば、夫のクセを直すことができなくて、復讐もできません。死なないで。執拗に祈って、生きて夫のクセを直しなさい。分かりましたと言いました。それで行きなさいと言いました。ですから、死ねば直せないではないでしょうか? 死んでしまえば、復讐もできないのであって、生きていてこそ、復讐しようが返そうが、何でもできます。皆様が、この契約だけしっかりと捕まえれば、本当に働きが起きます。
・私はつめの先ほどの嘘もなく、皆様に神様のみことばを本当に報告することができます。私がある日、この三つを知るようになりました。キリストは、すべての問題の解決者であることを知るようになったのです。そして、この地に暗闇の組織があるということを知るようになりました。それで、聖霊充満をどのように受けるか、これを私自ら悩み始めたのです。私は不思議に非正常的に、やたら声を出したりすることがいやです。私はどれだけ恥が多いかというと、一斉に祈ると人々が手を上げたり、主よと言っても、それもしたこともない者です。狂った人のように手を上げて、主よと言うのは、私は恥ずかしくてできないのです。こういう私が、どのように聖霊充満を受けるでしょうか? 私はある日知るようになったのです。ずっと通いながら聖霊充満してくださいと祈りました。正常に仕事をしながら聖霊充満してくださいと祈ったのです。キリストで充満するようになってくださいと祈りました。そうしたところ、想像を超越する答えがき始めました。神様が私に確かに、可能ではないのに、健康の祝福を下さいました。そして、今、世界福音化ができる戦略メッセージ、この多くのものをものすごく無知な私が、無知な方法で神様がするようにされました。それで、これは、ものすごく実がたくさんあるのですが、有識な人々が見れば、これがものすごく愚かな方法だと話します。私は何にも知らずに、現場に入っていって、すごく聖書勉強をしたのに、これが社会学的に見れば、最も先んじるものになりました。私はただ現場に行ったのに、それがあとで見たら、この頃は、銀行もそうで、あらゆる会社がみな現場だ、このように出てきました。このように祈りをずっとするのに答えがくるのでした。
・より驚くべき事実は、未来に対する答がき始めたのです。この福音は完壁だな。それで、私は自信をもって皆様に報告できることがもうひとつあります。私みたいな者ができるのを見るから、皆様はいくらでもできます。私のように足りない者が、神様の祝福を悟ることができて、味わうことができるのを見れば、皆様はより良くすることができるのです。すべての信じる者に救いを下さる神様の力です。皆様、本当に肉体のためではなくて、今日、最後に43節をもう一度見れば、しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」それで、癒しが問題ではなくて、福音ゆえに皆様が健康であることを願います。このみことばは、私達がご飯を食べて生きることが問題ではなくて、これからは世界福音化の正しい福音化ゆえに、仕事もして成功しなければならないのです。この祝福を皆様全部が回復する祝福の日になることをイエスの御名でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。一人ももれなく、神様の祝福を受ける日になるようにしてください。キリストの福音を正しく理解する人になるようにしてください。聖霊の充満が何かを正しく理解する日になるように してください。霊的な問題が何かを正しく知って、勝利する聖徒たちになるようにしてください。もし病んだ部分があれば、癒される日になるようにしてください。不治の病になった者たちに、聖霊充満を与えて下さい。それで創造の力が現れるようにしてください。知らないおかしな病気にかかった者には、神様が働いてくださって、悪霊が追い出されるみわざが起きるようにしてください。全世界の知識人を掌握している霊的問題がイエスの名前で崩れるようにしてください。この契約を捕まえて、健康を回復して、信仰を回復する時間になるようにしてください。福音を通した真の人間を回復する時間になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
2部 / 世の中を恐れないで
(詩64:1〜10)
・2部礼拝では、詩篇を見ながら、私たちレムナントと共に祈りを多くしています。もちろん、一般信者がより恵みを受けなければなりません。暗闇は確かに存在していながら、いくつかのことをするということが確認されました。とにかく、神様を知らなくして、救いを妨害します。片方の面では、いろいろな病気、おかしな霊的問題を作りだします。もう一つの方向では、私たちを非常に無気力に、無能にさせて、福音運動ができないようにさせます。私たちのレムナントは必ず記憶しなければなりません。今日の本文にあるとおりに、私たちは世の中を恐れる必要はありません。すると、どのようにしなければならないのでしょうか。今日、詩篇 64:1〜7節を見れば、世の中はそんなに軽く見る所ではありません。あなたがたが世の中をあまり見くびってはなりません。世の中には敵が多くいます。2節を見れば悪を行なう者、不法を行なう者が多いのです。言葉も嘘も言って、苛酷な話もします。4節にあるとおり、人を害します。罠を作って置いて人が落ち込むようにさせます。今日の6節にあるとおり、策略を使います。これが世の中です。皆様が世の中を見くびっていてはやられてしまいます。
・コチャンで青少年学校を作ろうと準備しています。突然に誰かが連絡してきて、この土地を負けるので土を持っていっても良いかと尋ねてきました。どれくらい良い話でしょうか。地価を負けて、土を持っていくのでかまわないと考えたのです。よく検討しなければならないのに OKしました。堂会でも、普通にそのまま OKしたのです。この人は土を売るという目的でした。私たちの土地を平坦にするという目的はなかったのです。その土地をどのようにするということを知らなかったのです。土地の名称を農地に変更して、掘ったのです。そのようにしないと、国家で掘りおこせないようにするので掘るようにしたのです。すると、農地で登録したら、建築が出来ないのです。このように、土を売るために、だますのです。一つの例です。それで、何か良いことを提示しながらだますのです。世の中がこうなのに、牧師がなにかよく知らないことを知って、詐欺しようとくるのです。だから、世の中を見くびってはだめなのです。レムナントは、世の中を疑いながら見なさいということではないのですが、世の中を軽く見て、見くびってはだめです。話もよく聞く方法を知っていなければならず、消化も上手にしなければなりません。普通に見ていては、あなたがたが崩れます。
・新聞を見ると30代の人たちに信用不良が多いらしいのです。信用不良ということは、輸入は 10万円なのに、支出が 100万円だったということです。百万円を使うのに、儲けて使えば良いのに、他人のものを借りて使って返さないのです。私に10万円があれば、9万円を使って1万円を貯蓄しなければならないのに、20万円使ったのです。これが信用不良になることです。むかし、私たちの時代には、なければそばに借りて返さなければ、泥棒だと言われました。いまはカードでするので借りやすいのです。こういう信用不良の人たちは、全部 30代から出てきました。それは、経済、世の中を全く習うことができなくて、結婚したということです。まずどんなカードでも使って、後ほどは返すことができなくて、こういう問題になったのです。どれだけ深刻でしょうか。国家でこれを見て、何とか方法を研究しなければ滅びるようになりました。このように深刻な問題がきたのです。大学生 17%が 不法なマルチ商法に入っていって 50万円以上の負債を負ったと言われています。もちろん、商売するということが悪いということではなくて、良い所も多いけれど、不法でする所に入っていって、だまされて負債を負ったということです。ところが、新聞を見ると、50万円以上の負債を負った学生達が、学校の中に多いらしいのです。こういう深刻な問題がくるのです。あまりに世の中を知らないのです。訳が分からずに生きているのです。
・それだけではありません。未信者で、努力する人は熱心にします。皆様が、ボストンやハーバード大の地域に行けば、伝道ができません。一名も動きません。どれくらい勉強を熱心にしているか分かりません。図書館に入っていってみれば、100% ぎゅっと詰まっています。ほとんどみな未信者です。むかし、ソウルに知っている信徒がいて、少しの間立ち寄ったのですが、学生のような人がいたのですが、本をいつも持っていました。ご飯を食べるのに、そばに本を置いて読みました。お手洗に行く時も持って入っていくのです。誰かとたずね、長老、勧士の息子かとたずねたのに、違うと言いました。友人の息子であるが、ソウルで勉強して、少しの間家にきているということでした。誠実で実力があると言いました。みな良いのに、一つだけないということでした。ひとつが何かとたずねたら、どんなに話しても、イエスは信じないということでした。その人は思い切り勉強して、霊的問題がきても手助けする人がいないのです。イエスを信じる人は、勉強をびりであって、共にしようとしてもできません。だから、手助けする人がいないのです。未信者が、いつも本を持って通っていました。私は驚いたのです。普通、クリスチャンは、世の中をあまりに知りません。一日中遊んで、話で遊んで、食べて遊びます。お金はすべて使ってしまいます。勉強は勉強で、だめです。それで未信者にバカにされるのです。幸運なことは、天国に行くことひとつしかなくて、あまりにくやしいのです。こういう方法で、世の中を知らなくて良いでしょうか。未信者は恐れます。とても忙しくしているのです。皆様が大学伝道は、良くない大学に行くからで、本当に良い大学に行ってみると動くことがありません。ミーティングが5分もできません。わが国のソウル大や延世大では、デモもありません。どれくらい熱心にしているか分かりません。未信者は怖いのです。そのようにして、福音がなくて滅びるのです。その人を手助けする人がいません。私たちエリートが少しだけ契約を捕まえれば良いはずなのに、みなのがしたゆえに、手助けすることができないのです。必ず記憶しなければなりません。私たちレムナントと信仰人は、記憶しなければなりません。世の中をあまり見くびってはなりません。
・世の中をあまり恐れてはなりません。今日 7節を見ると、突然に崩れる世の中です。8節を見ると自分の知恵、自分の舌にみな陥るのです。それを恐れる必要はありません。主を知っている者は勝利するために、世の中をあまり恐れないようにしましょう。かと言って、世の中をあまり見くびることも、恐れることもしないように。皆様が行ってみれば、環境の中で自分を見れば気落ちしやすいのです。これが錯覚です。皆様がどんなことにあっても、世の中で自分を見れば、自分はなぜこうなのかと言いたいでしょう。それが錯覚です。その峠だけ越せば、勝利するはずなのに、その峠を越えることができなくて、自分はなぜこうなのかと言っています。失敗した自分を見て、自分はなぜこうなのかと言うのです。失敗も少しだけ待てば、越えることができるのに、峠を越えることができないのです。私たち、信仰がある人は、主を知っている者は、揺れる必要がありません。精神を少しだけ整えて、神様の秘密を味わうならば、働きが起き始めます。私たち神様の民、レムナントと私たちは四方から敵に囲まれても少しだけ待てば働きが起きます。
・キリストの中の祝福があります。キリストの中にあるものすごい権威があります。キリストの中にある未来があります。これで少しだけ祈れば、答えの門が開きます。レムナントにお願いします。世の中を見くびらないで。2番目に世の中を恐れないで。
・三番目に、どのようにしなければならないのでしょうか。10節に 正しい者は主にあって喜び、主に身を避けます。心の直ぐな人はみな、誇ることができましょう。なにをしなければならないのでしょうか。主にあって喜びましょう。どのようにでしょうか。皆様がどこかに行ったら、既にきている答えを見ることができなければなりません。ものすごい答えがきているのに、それを知らなくて、大それた答えを捕まえる時があります。きている答えを知っていなければならないのです。そして、隠されている答えを知っていなければなりません。そして、これから現れる答えを知っていなければならないのです。これは1,2回だけ練習すれば見えることで、これを捕まえれば、喜びが生まれます。主にあって喜びましょう。
・総会長がこういう話をしました。影島にインマヌエル教会があって、柳牧師がいるから行くので、私達がそこになぜ行けるかと言いました。影島がどうで、そうなのかと私が尋ねました。人が生きる町でしょうか?と言って、インマヌエル教会があるから行くと言いました。もちろん冗談です。あの大淵洞や南天洞、海雲台で落ち着くべきで、影島の谷間に落ち着いて苦労をするだろうかと言いました。柳牧師が海雲台ではじめから場所をとっていたならば、釜山がひっくり返っただろうに、その谷間に入っていったのかと言いました。そのような話をしたのです。私が車に乗って静かに帰ってきながら考えました。私はいつでも習慣 3つがあります。まず、与えられた答えが何でしょうか? では、ここに隠されているのは何でしょうか?これから、現れることは何か? すぐ神様に感謝が出てきました。もし私たち教会の中の99%が国会議員、長官、財閥だけがきたとすれば、果たして、私がこの福音運動をできたでしょうか。私たちの教会の堂会員99%が、ある教会のように教授で博士ならば、果してこの純粋な福音運動ができたでしょうか。たとえ財閥ではなくても、福音を持った人々だったので、この運動をして、これからずっとするのではないでしょうか。それなら隠された答えは何でしょうか。この福音の基本だけ、使命だけ、土台だけが敷かれれば、神様はその時からいくらでもくださるのではないでしょうか。そして見れば、これからの時刻表が見えます。主にあって喜びましょう。皆様、問題がきてもかまいません。神様の計画は何か?、今、何をしなければならないのか。いまは何をせねばならない時か?、いまは誰がしなければならないのか。これを悟れば、神様の計画を正しく見ることができます。そして、神様は私たちにくださることは、つまらない成功程度ではありません。あらゆる大統領、あらゆる王をすべて合わせた、世界福音化の祝福です。これをひとつずつ成し遂げて行くのです。明らかです。だから、主にあって喜びましょう。
・あなたがたは世の中で滅びたら希望がないのですが、あなたがたが今からでも始めれば、みわざが起きます。主にあって喜びましょう。未信者は滅びたら終わりです。しかし、神様の子どもはそこから悟れば、そこからより大きいみわざが始まります。だから主にあって喜びましょう。ダビデはいったいどんな祝福を受けた人物でしょうか。ダビデはこういう事ができたのは、中になにかがあったのです。3つくらいです。ダビデは霊的な目が開かれていた人です。私たちの言葉で言うと、福音を正しく知っていた人です。このダビデは、自分が王になることを知っていて、未来に対して知っていて、未来に対する目を持っていた人です。ダビデは、詩5篇を見れば、明け方の人です。何か自分の仕事を正しくした人です。皆様は気落ちせず、今から新しく始めましょう。レムナントは、精神を整えて今からしましょう。3つだけ知っていれば良いのです。福音と霊的な秘密、まちがいなく福音の中にある未来。この3つのことだけ知っていれば、皆様がしていることを少しだけ正しくなせば良いのです。
・レムナントの中7人の中でヨセフは奴隷になりました。あなたがたなら、どのようにするでしょうか。奴隷になって、それも永遠に抜け出ることができません。売られたゆえに、永遠に抜け出て来ることができないのです。皆様ならば、どのようにするでしょうか。ここに答があるのです。ところが、ヨセフは世界福音化のビジョンを既に持っていました。ヨセフは、神様の恵みを知っている人でした。問題は今日です。深刻な問題がきました。この時、ヨセフがどのようにしたでしょうか。自分がすること、奴隷、この仕事は自分の仕事ではありません。ヨセフが祈る中にこれを正しくしたのでした。奴隷の仕事を正しくしたのです。主人が感動しました。あなたは奴隷をする人ではない。たとえあなたが身分は奴隷で売られてきたとしても、奴隷ではない。このように成功したのです。その家の総務になりました。だから、ビジョンを持っているために、一個を正しくすれば働きが起きるのです。何も難しい部分はありません。その後のヨセフを知っているでしょう。ダビデを見ましょう。ダビデが羊を飼うようになりました。ダビデは羊を単に飼いませんでした。研究したのです。獣がくる時、どのようにしなければならないか。獣が羊をくわえて行く時、どのようにしなければならないか。研究をした証拠があります。最も良い方法が遠くからくる前に捕まえることです。それで、石を投げるものを作ったのです。その当時、ダビデだけが作ったのではなく、他の人も使っていたのです。ダビデがこれをどれくらいよく使ったでしょう。ゴリヤテの頭を一気に打ち破ってしまいました。羊を飼ったのですが、正しく飼ったのでした。その後のダビデの生涯は、よく知っているでしょう。
・今朝、通訳するデボラがいくつかの質問をしました。これから、英語合宿が開くのですが、どのようにすれば良いのですかと尋ねたのです。そして、今、レムナント、海外に行ったら、どのようにするのかと尋ねました。ソウルでは、今、英語礼拝をささげているのですが、英語礼拝をどのようにすれば、良くすることができるのですかと尋ねました。それで、このような話をしました。今、このようにしたら良いというのではなく、準備を正しくしなさい。もちろん、その人の責任ではありません。私達が今、教役者が仕事をする時、少しだけ正しくすれば働きが起きます。簡単です。韓国とソウルに英語礼拝が重要なのに、英語礼拜を行なう教会が他の教会が場所はどこでしょうか。米軍部隊からみな調べて、時間帯と場所がどうか見なければなりません。この礼拝をささげて行く時、協力しなければならない団体はどこで、誰を呼んで、どんなゲストを呼んで、いっしょに賛美しなければならないのか研究しなければならないのです。メッセンジャーは、誰を立てるはずで、どんな人を立てるのか研究をしなければなりません。それで、私達が準備してオープニングを正しくすれば、伝道の門が開くようになるはずです。この前にそれで良いのですかとたずねたので、そのまますれば良いと言いました。すれば良いのではありません。私達が見れば、人間中心主義を使ってはだめですが、福音を持っている人が少しだけ良くすれば、祝福されるようになっています。
・私が以前に話したでしょう。できればイエスを信じる人にさせなければと思って、私の家に人を呼んで仕事をさせてみたのです。普通の人ならば二日で終えることを、半月していました。家をみな壊してしまったのです。私が止めてくれと頼みました。だから、イエスを信じる人は少しだけ良くすればよいのです。皆様に困難が来ても、少し耐えて、峠を越せば祝福に越えるようになります。むずかしい、だめだというのは皆様の考えであって、神様はそれを克服させることができます。私は私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるのです。それで、イエスを信じる人は、どれくらい福音を伝えやすいかわかりません。祈らなければなりません。むかしには時計を直しました。時計を直すのに、そのまま未信者に任せても良いはずですが、私の信仰の良心で、長老を探していきました。任せておいて行ったら、完全にだめにしました。未信者ならばけんかでも一回するはずなのですが、長老なのでけんかも出来ませんでした。時計がなぜこうなったのかと尋ねたら、普通に考えれば、申し訳ないと言うのに、それも言いませんでした。していたら、そのようになったと言いました。お客さんは来ますかとたずねたら、この頃はお客さんがいないと言いました。この頃だけでなく、いつもいないはずだろうと一人内心考えました。故障したのでくれと言って、国際市場の未信者に行きました。一度見たら、どれくらい専門性があったか、どこで直したのかと尋ねました。悪いところがすぐ分かりました。直したのですが、完壁に直してしまいました。未信者なのに、長老が迷ったことを直したのです。少しでもすれば、私たちは祝福を受けます。あまり変に 365日しているから、少しだけでもすれば祝福を受けます。レムナントは、精神を整えましょう。心配せずに、世の中をあまりおもしろくも見ず、恐れることもせず、この契約を捕まえれば成功するようになっています。
・私がキム・ユイン牧師に話しました。副教役者が説教をしにいって、誕生日に家に行って1時間半ずつ説教すれば、スープがみな冷めてしまうので、簡単にしなさいと言いました。そうしたところ、その人に言った言葉でもないのに、自分が申し訳ないとしながら、これからは上手にやると言いました。あなたに言った言葉ではないと言いました。どこかに行って見れば、聖書を見てメッセージは必要なことだけ投げて、祈ってあげれば良いのに、1時間半ずつするのです。信徒は、半分死にます。私が知っている牧師は、説教を本当に長くして、その家の執事がスープを三回も上げたり、下ろしたりしました。そのようにまでする必要はあるでしょうか。私達は、福音を持った神様の子どもです。皆様が行く所ごとに暗闇の勢力がぶるぶるとふるえるのに、少しだけ良くすれば成功します。困難がくれば少しだけ耐えればよいのです。私達に力がないことを神様はご存知です。少しだけ耐えれば、峠が祝福になって、みな越えるようになっています。これを越えることができないで、クリスチャンの中である人は、世の中をあまりに見くびって失敗して、ある人は世の中を恐れながら、ぶるぶるふるえるのです。そのようにする必要はありません。主にあって喜びましょう。
・単に楽しくすることではありません。3つの目が開かれるべきです。福音と霊的な目。そして未来を見る目。福音を知っていれば、未来は見えるようになっています。すると、私が今、引き受けたことがどんなに価値がないこといっても、これを正しくしましょう。すると皆分かります。これが連結して、うわさが広がり、みわざが起きるのです。すると、小さな事のように見えるけれど、ものすごい祝福の門に見えるのです。あなたがたがよく知らないでしょうか。シーバーという人は、掃除夫で入っていったのに、後ほどその会社の社長になりました。秘訣が何でしょうか。掃除をものすごく熱心にしたのでした。世界で掃除を一番上手にやったのです。だから、その人が掃除する人ではありません。だから成功したのです。他の人を手助けしました。ちょっと早く行って、他の人のものもしておいたのです。朝には忙しくて、時間もないのに、いつどのようにする余裕があるでしょうか。この人は、夜明けに早く起きて、他の人より早く行って準備したのでした。それをしたのに成功したのでした。少し早く行って、出てくる時も早く出ずに、みな終わったのに、見て回って問題があるかないかを確認して出てきたのです。人は、バカではない以上、掃除する人のように見えるけれど、そこで主任になりました。そして、どんどん上がりました。後ほどは鋼鉄会社の社長の下で秘書室に入って行ったのです。そこでも難しいことがあるでしょうか。最善を尽くしました。他の人が嘘を言う時、この人は嘘をつきませんでした。他の人はみなだましても、だましませんでした。他の人は自分の利益の方向にしたのですが、この人はそのようにしなかったのです。他の人は報告する時、自分に有利に報告します。しかし、この人はそのようにしなかったのです。みな事実通りにしました。社長がそのシーバーに会社を任せました。あなたとともにいらっしゃる神様が、あなたにさせる。いくらでも技術者が必要ならば、お金与えて呼ぶだろう。あなたの中にいらっしゃる神様が、私たちの会社を繁栄させる。その前の社長、カーネギーが言った言葉です。それを見ましょう。私達が失敗する理由がありません。今、精神を整えて、どんな環境にもひとつだけ捕まえて、福音を伝えれば、それがみな祝福の門です。何をするか心配する必要はありません。未来に私が何になるかを心配する必要もありません。皆様の前に与えられたことだけ、正しく契約を捕まえてすれば、皆様が行かなければならない道を神様が導かれるのです。どれくらい簡単でしょうか。私たちレムナントが、新しく出発して、新しく契約を捕まえながら答えを受ける皆様になることを主の名前で祝福します。世の中を恐れてはなりません。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。レムナントが本当に新しく始める祝福があるようにしてください。世の中を見くびったり、恐れないようにさせてください。主にあって喜ぶ霊的な目が開かれるようにしてください。真実なことを見る目を開けてください。どんな場合も気落ちせずに、契約を捕まえる信仰の人々に立ててください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
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