2004年11月ミッションホーム要員(ソウルイエウォン教会) MH要員
2004.11.30
福音の根 (コロサイ2:6-8) 聖書みことば(コロサイ2:6-8)
06/あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。
07/キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。
08/あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。
→序論
▲私たちのタラッパンでは、一般信者の皆さんに、牧師に本当に上手にするなあとか、そのようにすれば、祝福を受ける、そのような話はしません。その理由は、福音を正しく悟った人は、主のしもべ、教会が尊いということが分かるためです。それで、そんなことを教えないのです。タラッパンでは、献金を強要しません。なぜなら、福音を本当に悟った人は、命をかけて教会に仕えるためです。時刻表について、地域を生かすほどの代表的な教会をたてれば、神様は聖徒の心を感動させて、金を借りることもして、いのちをかけなさいと話さなくても、いのちをかけて働きをするでしょう。そのために、私たちのタラッパンでは、そのようなことを強調しません。タラッパンでは、名札を付けて、列をつくって入ってくるようにします。なぜなら、私たちは牧師が習って信徒に教える職業人ではなくて、一般信者と共に走って、一般信者と共に現場に行って、共に伝道もして、祈りをするためです。初代教会、そのまましようということです。主のしもべであって、職業人ではありません。それで、私たちは訓練を受けるようにするためにそのようにするのです。私たちのタラッパンの特徴が訓練です。
▲能仁禅院-江南(カンナム)に'能仁禅院'という25万人の信徒を持った寺があります。その人たちが、100万仏像を集める寺を作ろうという試みをしているのです。何千億円を使って試みています。ところで、徹底した訓練をさせるということです。仏教が訓練をさせるものがあるのでしょうか? 寺ではあのように徹底して訓練をさせて、仕事をするのに、教会に訓練もなくて、教会に力がないから、真理を持っていながら奪われているのです。今、タラッパンではいろいろなことを、神様の前で改革を試みています。神様のみこころだという証拠で、多くの方たちが、伝道運動に参加しています。その結果、タラッパンの家族が27万にもなります。神様は確かに、タラッパンを通して、全世界に1千万弟子が起きるようにされるでしょう。
▲2つしかありません。70人要員の時、話しました。福音を正しく理解するのです。福音を理解したということは、パウロのように福音の中に全てのものがあると見られなければならないのです。そして体質、方法です。
そうなると、大きなみわざが起きます。私たちがすることの二番目のことが何でしょうか? 伝道運動以後に福音の根をおろすのです。前には、伝道で答を出すのです。答を出せなければ、いつか限界がきます。それで良いでしょうか? 思い切り働き人を育てておいて、働き人に限界がくるのです。それではだめです。そんなにくやしいことがあるでしょうか? 教会運営をしてしたが限界がきた。そのような愚かなことがあるでしょうか?
福音の中には限界がありません。福音で始まれば、全てのものが終わりです。全てのものが、体質、方法も変わってしまいます。さらに重要なのは、福音の根をおろしましょう。結論的に、簡単な話で、皆さんの霊的問題は、福音の根をおろしてこそなくなるのです。
▲それでは、福音の根を下ろさなければならない理由が何でしょうか?
他の人を福音の根を下ろすようにすべきなのですが、する理由,'聖書的な理由',、私たちの使命も、他の人を福音の根をおろすようにすべきなのですが、そのようにしなければならない'歴史的な理由'、福音を根を下ろす時にだけ、私たちの霊的問題がみななくなるのです。なぜそうでなければならないのでしょうか? '教会的な理由'福音の根をおろす時だけ勝利するのです。'個人的な理由',
▲それでは、この福音の根は、どのようにおろせるのでしょうか? 簡単に、いつも銘記しなければなりません。
最初、私たちの使命が何でしょうか? 福音を正しく知らなければならないのです。それが開始です。その話は、本当に、福音の中に全てのものがあるということが発見できて、私たちの体質が更新されて、方法も福音なかですれば良いのです。皆さんが教会に仕える方法も、福音でしましょう。皆さんが人を判断する方法も、福音でしましょう。皆さんの体質も福音にしましょう。このようになる時、答えがさかさまになります。それでは、皆さんに限界がきません。そうでなければ、限界がくるのです。福音を味わうことができなくて来る限界は、元に戻すことができません。他のものは戻れば良いのですが、福音を味わうことができなくて来る限界は、元に戻せません。
▲皆さんが聖書をよく見て、私たちが70人、ミッションホームですることが何でしょうか? 福音の根をおろすのです。
1.聖書的な理由
(1)創世記3:5,創世記4:5創世記3章5節で始まった問題、創世記4:5節にカインに始まった宗教問題、創世記6章に始まったネフィリム問題、そして創世記11:1-8で始まったバベルの塔事件。
この4つの問題は、福音の根をおろさなくては勝てません。この文化は続くために、これが聖書的な理由です。
(2)出エジプト3:18福音の根をおろすことができないから、出エジプト3:18節に見ると、栄光を帰すイスラエルが奴隷で、福音の根をおろすことも出来ない結果、荒野に行きながら、いつも試みの中に陥るようになりmさいた。根をおろしたとすれば簡単な話なのに、これをおろすことができなくて、血を塗って出てきて、とんでもない話をするのです。こういう愚かな人のようになるのです。
(3)士師21:25カナンに入っておいて、神様の力を千回、万回味わって、士師記に、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた、この話は自分の思いのままに遊ぶということです。福音の根をおろせなければ、それぞれが自分の目に正しいと見えることをして遊びます。この人はこの考えのとおり、あの人はあの考えのとおり、自分の考えでは、本当に福音の根がおりれば、みことばが見えます。簡単な話ではありません。
(4)サウル王-福音の根をおろすことができないから、サウル王のように、祝福を受けた人なのに、正しく悟ることができなくて問題がきました。後ほど問題がきたのです。
(5)哀歌4:1-5 結局、根をおろせなければ、子孫がこのようになります。福音の根をおろさなければ、私たちの子孫、未来がこのようになるのです。大変なことになります。他のものは過ぎ去ります。しかし、福音だけ永遠です。世界教会の多くの教会がだまされてはなりません。なぜ門を閉めるのでしょうか? うまくいくと思っています。他のことを言いながら、たくさん集まるからよいと思っているのです。錯覚です。この時代に、神様のみことばを正しく見なければなりません。私たちが福音の根をおろせなければ、私たちの子孫に、こうしたことが行われます。
(6)イザヤ6:13,7:14今でも大丈夫です。
女の子孫、インマヌエル、この後でみことば、宣教がみな出てきます。祈り、宣教が出てくるのです。イザヤ6:13節に切り株が残るだろう。祈り、宣教が出てきます。聖書を詳しく見ましょう。
(7)マタイ16:13福音の根をおろせなければ、どれくらい怖い結果になるのでしょうか?
マタイ16:13節です。なぜ、ピリピという地域にカイザリヤという名前がつくのでしょうか? ピリポ・カイザリヤ、今は変わりました。ロシアに行けば、ペテルベルグがあります。ここで共産主義革命が起きました。それを、革命が起きた後には、レニングラードに変えたのです。レーニンが運動したことであるから、共産主義が崩れたから、また変えました。この話は、歴史のことを話します。福音の根をおろせなければ、このようになるのです。
(8)マタイ27:25子孫に問題がきます。
その血の値を子孫にかかってもよい。子どもたちという言葉なのですが、その言葉は、子孫と今とが関係があるという言葉です。私たちが福音の根をおろせなければ、誰がやられるのでしょうか? 私たちの子孫がやられてしまいます。私たちはもちろんのこと。私たちの未来がやられてしまうのです。聖書的理由、この程度なら、十分に悟らなければなりません。
2.歴史的理由
▲福音に根をおろさなければならない歴史的な理由、皆さんの使命です。
(1)イスラエルの戦争と災い:イスラエルの戦争と災いを真っ直ぐに見ましょう。
@エジプト-この福音の根をおろすことができないから、結局はエジプトの奴隷になりました。
Aペリシテ-戻ったがペリシテが問題です。
ペリシテ地方は今のパレスチナ地域です。ずっと今でもそうです。
Bアッシリヤの捕虜-深刻な捕虜になりました。
北側イスラエルがみな捕まえられて、男は世界奴隷市場にみな売られたのです。
Cバビロン-深刻です。
神様の神殿を、火で燃やしてしまったのです。聖なる品をみな奪っていって、イスラエル民族を捕虜で捕らえていきました。こういうぞっとしたことが行われるのです。それでも、根をおろすことができないから、どれくらい怖いでしょうか?
Dローマ-戻ったのですが、根をおろすことができないで、ローマに植民地になりました。
E23ケ国- 1400-500年間、さまよいました。ここで多くの血が流されたのです。イスラエルはまだ悟れずにいます。
(2)ローマの世界征服
▲皆さんが福音の根をおろすことができないから、世界福音化とローマの世界征服を見ましょう。これのために、多くの戦争が起きたのです。これを利用して、世界福音化されたのです。福音を悟れなければ、こうしたことにあいます。歴史をよく見ましょう。
(3)1,2次世界大戦
▲中世以後に1,2次世界大戦が行われました。大騷ぎが起こったのです。戦争は地球上に16000回ほど起きたのですが、一挙に起きました。この国、あの国が絡まったのです。中世時代以後に、宗教堕落以後に起きました。本当にひどいことです。
(4)宗教戦争
▲将来に、終わりの時代に、宗教を背景にした戦争が起きます。今でも起きています。今、米国がアラブ側に宗教でけんかをしています。その中でもユダヤ人、イスラム、全部、宗教の戦いです。今、彼らが戦うのが聖なる戦争と言っています。テロしておいて、聖戦をするというのです。これが全部、宗教と関係があるのです。福音の根をおろせなければ、怖い結果が起きます。必ず、記憶しましょう。
3.教会的理由
▲特に教会的な理由があります。
(1)マタイ24:1-51記憶しましょう。最後の時におきることです。真の伝道者は、迫害を受けるようになります。
最後の時、戦争、飢謹、大騷ぎするようになります。そして、反キリストが起きるでしょう。福音を伝えないようにするでしょう。特に、マタイの福音書24:14節が重要です。しかし、福音がすべての民族に宣べ伝えられて、終わりが来ます。
(2)マタイ25:1-46さらに重要なのは、最後の時になれば、このようなことがおきるでしょう。十人の乙女の比喩、五人の乙女は、あかりだけ持っていて、5人の乙女は油も持っています。こうしたことが行われるでしょう。この言葉は、何の話なのでしょうか? 半分以上は、明かりをつけられないのです。油がないからです。タラントのたとえ、他のいろいろな仕事をするのに、主人がさせることをしない。福音運動をしないのです。外側で歯ぎしりするでしょう。その運動をしないから、行かなければなりません。最後には、教会には羊もいるけれど、ヤギもいます。ヤギが教会を占めて困惑させるでしょう。福音の根をおろさなければ、生きることもできなくて、生かすこともできないのです。それが教会的な理由です。
(3)1世紀-2世紀
▲ほとんど1世紀-2世紀に起きた災いは、これはエルサレム教会のためにそうなったのです。パリサイ人教会のためにです。
(4)中世時代
▲中世時代に起きた1,2次大戦と多くの問題は、その当時に、中世教会のために起きたのです。こういう理由のために起きたのです。
(5)現代教会
▲もう皆さんがおわかりの通り、現代の時代に霊的問題の原因は、教会です。教会が、霊的問題に耐えることができなくて、福音を話さないで、ある時は、福音を話せないようにする所もあります。霊的問題に勝つことができなくて、偶像化されながら、霊的問題に勝つことができないので死ぬのです。
▲皆さんがまだ、聖日に教会に行って、真の感謝が出てこないのでしょうか? それなら、皆さん本当に困ります。本当にそれなら悪い人です。本当にそれなら悪質です。真の感謝が起きなければなりません。私は、この運動をしながら、神様が30年してくる時には、何かがあります。奇蹟のように見えます。私は、訓練を受けるのを見れば、これは奇跡です。私は、皆さんが集まるのを見れば、時代に有り得ないことです。理由があります。皆さんが、教会ごとに小さい教会、大きい教会があるのに、重大な理由があるのです。教会の中で、本当に献身して祈りましょう。各々教会に重大な理由があるのです。それを見ましょう。歴史を見ましょう。
▲福音の根をおろすことができないこと、福音で始めることができなかったので、福音の根をおろすことができないのです。福音で正しく始めましょう。これだけが、私たちがすることです。私たちは誤解するのです。他のものは、その中に入っています。他のものは、そんなに重要なのではありません。
4.個人的な理由
▲個人的な理由、なぜ福音に根をおろさなければならないのでしょうか?
(1)背景
▲偶像崇拝の家で育って、偶像崇拝する所に住んで、私たちは家系の背景、家庭の背景、個人の背景があります。これを持ってそのまま行ってはいけないのです。福音に根を下ろしてこそ、皆さんの背景が変わるのです。その時、土台になります。いくら立派な人でも、時間が経てばますます難しい問題がきたり、年を取ったり、病気になれば、この背景は抜け出せません。だから、完全に変えてしまわなければならないのです。何でも変えようとするなら、根をおろさなければなりません。
(2)霊的問題と傷
▲皆さんは個人的な霊的問題と傷を持っています。
福音に根をおろせば、これが土台になるのですが、福音の根をおろせなければ、いつも残って骨を折るようになります。他の人に被害を与えるのです。福音が皆さんに働くから、そうでなければ霊的問題に傷がずっと引っかかります。
(3)持って生まれた問題
▲そして、私たちはこの程度も重要ですが、私と全く関係なく、持って生まれた問題があります。これは、他のものは私がしたというけれど、生まれる時から問題があるのです。不平不満が出てきます。私は、なぜそうなのだろうか? ある子どもは、生まれる時、自閉症です。自分が失敗をしたのでしょうか? ある人は、生まれた日から精神がおかしな人がいます。持って生まれた問題です。これは一般的な問題ですが、これは持って生まれた問題です。誰でも持った傷はあるのですが、誰でもあります。福音に根をおろさなければ、解決になりません。
(4)自分自身も知らない霊的問題
▲あるものは、自分自身も知らない霊的問題があります。私たちはみな知らないのです。他の人は分かるのに、私は分かりません。私は分かるのに、他の人が知らない場合もあります。他の人が分かるのに、私が知らない問題があるのです。
(5)問題化した霊的問題
▲すでに問題化した霊的問題があります。問題化した霊的問題があるのです。問題がやってきました。こういう人であるほど、福音が正しく根をおろさなければなりません。他の方法はありません。どこかに行って、祈りを受けて、そのようにしてはいけません。福音の根をおろさなければならないのです。雑草を取りのぞいても、また出ます。根をなくさなければならないように,
▲個人的な理由,これが私たちの重大なことです。
使命です。福音の根をおろす、すばらしいことです。水路のそばに植わった木が根をおろしたので、実をたくさん結ぶようになる(詩1:1-6節) ブドウの枝は、根についていれば、自然に実がなります(ヨハネ15:1-10).
私たちが、福音に深く根をおろせば、驚くことが行われるのです。
▲聖書を探してみよう。
コロサイ2章6節から8節です。"このように"前に話をしてする話です。コロサイ2:2節を見れば"それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。"神様のすべての奥義、キリストを真に知るようになるためです。
▲その次に3節に見れば"このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。"イエス・キリストの中に全てのものがあるのです。その中にあるのです。知らないからです。
▲4節を見ましょう。"私がこう言うのは、だれもまことしやかな議論によって、あなたがたをあやまちに導くことのないためです。"あきれた話で、皆さんをだますのですが、だまさないようにしましょう。福音をぼんやり話しながら、説教をどれくらい上手にするか、そこにだまされてはなりません。放送をつけてみれば、福音をぼんやり話しながら、笑うことをどれほど上手に言うか分かりません。偶然な話で、皆さんがだまされないようにしなさい。
▲5節を見ましょう。"私は、肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたといっしょにいて、あなたがたの秩序とキリストに対する堅い信仰とを見て喜んでいます。"
▲6節に"あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。"
▲7節に"キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。"その中に根をおろしながら、根を深くおろしてこそ、その次に建てることができ、教えられたとおり信仰に堅く立つのです。木が深く根をおろしてこそ、堅く立つのです。それと共に、感謝することをあふれるばかりにしなさい。
▲8節にさらに重要な話をしました。"あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。"とても重要です。学問、哲学です。ここにだまされてはなりません。間違いではありません。幼稚な教えです。英語、数学、歴史が違うという言葉ではありません。幼稚な教えなのです。どこにあえて神様と比較することができるでしょうか? 世の中の学問が間違っているということではないのです。幼稚な教えなのです。それで、誰かの哲学と無駄になった哲学と、これが人の遺伝と世の中の幼稚な教えを追うことなのです。キリストを追うことではありません。"キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。"答が出てきました。
▲皆さんが2つの使命をつかみましょう。人に会ったら、福音を分かるようにしてあげましょう。その次に、福音の根をおろしてあげましょう。ミッションホームはなぜするのでしょうか? 福音の根をおろしてあげるのです。どれくらい良いものでしょうか? 完ぺきなキリストに、深い根をおろせば、建てられ、あふれるばかり感謝するようになります。当然の話でしょう。それでは、どのようにすれば良いのでしょうか?
5.結論-どのように?
▲特にメッセージをしに行く牧師が記憶すれば良いのです。
(1)66巻-福音の目
▲だまされてはなりません。聖書66巻を、説明を上手にせずに、福音の目で見ましょう。
@滅び-救い
▲聖書は滅びずに救われなさいという言葉です。他の本ではありません。
Aキリスト
▲それで無駄にキリストを送ったのではないのです。キリストを送られました。これでなくてはだめだという言葉です。
B身分-運命
▲キリストの中にある皆さんは、身分と運命が変わってしまったのです。そうでなければ、私たちは勝つことができません。それで、聖書66巻を福音の目で見ましょう。多分、皆さんの中で、聖書何巻かだけ福音で説明すれば、皆さんの教会は全部変わっているでしょう。創世記、使徒の働きだけ講義しても、全部、変わるでしょう。驚くことでしょう。聖書、創世記を福音の目で見ましょう。今まで、創世記で何を聞いたのでしょうか? 創世記3、6、11章は、これが重要なみことばです。それをしようとして、アブラハムを呼ばれました。ヨセフを呼ばれたのです。創世記で、すべての呪いが始まったのです。サタンの活動が開始しました。そこで、救いも始まったのです。創世記だけ正しく見て、使徒の働きだけ正しく見ても、教会が変わります。どのように、福音の根をおろすのでしょうか?
(2)歴史-伝道者の目
▲二番目です。皆さんは、歴史を見ながら、伝道者の目で見ましょう。こうすれば根がおりるのです。聖書は、福音の目で見て、同じ話ですが、歴史を見ながら、世の中を見ながら、伝道者の目を持って見ましょう。
(3)教会史-弟子の目
▲教会史を見ながら、皆さんが教会史を見れば分かるでしょう? いつ問題がきたのでしょうか? 教会史を見ながら、教会にどのように献身するのでしょうか? 弟子の目で見ましょう。歴史を見れば、教会史を見れば、やさしい答が出てきます。聖書を見れば、答が出てきます。聞いて見れば働きが起きます。私たちが知らない間に、根が下されるのです。歴史を見ましょう。このように見れば、なぜ伝道者にならなければならないのか?私たちが伝道の隊列に立ったのか? 目が開かれます。それで教会史を見ましょう。私が真の弟子になって、教会で献身をしなければならないな。それとともに弟子の目です。
(4)家庭-祈りの目
▲それで、皆さんの家庭、だいたい感づいているけれど、話すのが難しい家系の問題、こういうものを持って、皆さんはどんな目を開くべきでしょうか? 祈りの目を開かなければなりません。それで、これを持って戦わなければならないのです。これが開けば、根をおろすようになります。
▲4つのことを持って根をおろします。聖書66巻を福音の目で見ましょう。これは特定の団体の主張ではありません。そうです。私たちが現実教会を無視して、初代教会に帰って我を張る思想ではありません。話にならないのです。カトリックに対抗するための、稚拙な思想ではありません。私たちが今話すのは、他の教団と差別感を与えようという悪い思想ではありません。私たちが正しくて、他の人は違っていることに対して楽しいと思う人々ではありません。聖書全体を見ましょう。福音の目で見ましょう。答が出てきます。根をおろすのです。そして、私たちは歴史を見ましょう。歴史を見れば、教会史を見れば、すぐ分かることができます。私たちは、教会史を見ながら、弟子の目を開くのです。やさしい答が出てきます。皆さんの家庭、私が、今、この契約を捕まえて祈りを始めなければならないな。祈りの目です。こういうものを正しくするのが、弟子の人生です。ミッションホームと70人要員でするのです。
▲今回の集会で、今回の月の集会にはすばらしい祝福が始まることを希望します。答えがずっと来る祝福を受けることを希望しまう。イエスの御名でお祈りします。
(The end)
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