[2005年7月30日/核心要員メッセージ/ソウルイエウォン教会/柳光洙牧師]
エリヤの錯覚 (I列王19:1-8) @序論:
エリヤがえにしだの木の下に倒れました。神様が天使を送って、力を得るようにされます。エリヤが神様に死ぬ事を祈りました。エリヤの錯覚です。850人の偽り預言者に勝った人が気をおとしたのです。雨も降らせて、降らないようにもする力がある人なのに、気落ちをました。また、エリヤは死者を生かすこともしました。これほどの人なのに、気落ちをしたのでした。皆さんは、旧約聖書、新約聖書を見ながら、何が問題なのかを分からなければなりません。ダビデのような人物、エリヤのような人もいたのですが、なぜしばしば問題がきたのでしょうか? 皆さんが旧約、新約聖書を見ながら、伝道者が何か見なければなりません。それで、今週によく強調したのです。皆さんがこのようになれば、正常です。 * みことば、祈り、伝道:タラッパン全体のメッセージと講壇メッセージが成就すれば正常です。そして、祈りの答えがずっときます。しかし、この二つだけではいけないのです。ある者は、みことば、祈りもなるのに、人生はどんどん失敗します。人生がずっと失敗すれば、伝道ができなくなります。具体的に迫ってこなければなりません。今週にずっと話しました。70人、ミッションホーム、新しい家族、大学修練会でずっと話しました。 * 方法-理由-発見-味わうこと:それならば、どんな方法で生きるべきでしょうか?理由が何でしょうか?理由を分からなければなりません。何を発見して答えを受けるべきでしょうか? 私たちはこの祝福をずっと受けることができるのでしょうか? 何をすれば、この祝福をずっと受けられるのでしょうか? ‘聖霊充満’と話すのですが、どの部分が聖霊充満なのでしょうか? 問題は味わうことです。旧約でも、これにならずに崩れたのです。ここには学生たちもいます。絶対にのがしてはいけません。私たちの方法です。 (1)完全福音:私たちは、どんな方法で生きていけば良いのでしょうか? 完全福音です。理由があります。神様が私たちにくださった福音は完全なのです。完全な福音をくださったので、完全福音で行けば、勝利します。それでは、完全な福音をどのように味わうのでしょうか? 今から福音に対する発見を継続するのです。皆さんは、すべての現場、全てのもので、福音をずっと発見するのです。大変なこともあって、小さいこともあります。特別なものではないようですが、皆さんを変えられる重要な鍵です。そうでなければ、思わず違うことが来ています。 ▲私が大邱(テグ)に行って話したのですが、パク・ジュヨンの姉を呼んだ理由があります。どの場合も、レムナントは、パリサイ人のように、今日の世界の信徒のようにだめな席に来ていてはいけません。この福音をずっと味わっているならば、思わず勝利する席に来ています。福音をずっと味わわなければ、思わずパリサイ人の席に来ています。これは止められないのです。レムナントは、外国にいてもメッセージをのがしてはいけません。牧師と私たちは、福音中心でメッセージを与えています。ですから、理由がここにあるのです。全てのものの中で、福音を発見するようにしなければなりません。エリヤ、ダビデ、すべての人がこれができないのです。ダビデも答えを受けて、みなのがしました。 (2)完全祈り- 24時間:祈る、その理由があります。神様は24時間、答えてくださって祝福されます。祈りだけ悟れば、すばらしいことが行われるのです。祈る時、最も重要なのは、祈りの課題ではありません。祈る時、最も重要なのは、途方もない挑戦でもありません。祈る時、最も重要なのは、答えを発見することです。これが最も重要です。‘神様が、このように答えられたのだなあ’そこに対する発見をしなければなりません。‘神様が私に答えられないんだな’これを発見しなければならないのです。他の人が見えないことを見ることができます。そして、失敗、それも答えです。しかし、人々は、失敗を避けようとします。失敗が答えなのです。どうして、失敗が答えなのでしょうか? ヨセフが失敗して監獄に行きました。それが、どうして、成功なのでしょうか? 成功だと考えるならば、監獄に行ってみてください。ヨセフが監獄に行ったのですが、それがヨセフには答えだったのです。貴重なことを発見したのです。祈れば、答えを見ることができなければなりません。ずっと福音を味わいながら、ずっと答えがくるのです。このようになる時、私たちに答が一つ来るようになります。勉強する理由、金をもうける理由もただ一つしかありません。 (3)完全伝道-目標-計画:ここに答が出てこなければなりません。これが神様の目標です。すべての民族に福音が宣べ伝えられた後に、終わりが来るとおっしゃいました。これをする理由がないならば、地球は最後です。私たちは、これのために生きるのであって、ご飯を食べるために生きるのではありません。どんな答えが来るのでしょうか? このようになってこそ、神様の計画が見られます。‘神様の計画が何か’を悟ってこそ、正しく伝道の門が開くのです。どれくらい感謝しているでしょうか? (4)完全献身-価値-導き:みな受けました。さらに受けることがありません。それで、命をかけるほどの価値を発見したのです。これを具体的にどのようにするのでしょうか? その次に神様の導きを受けるのです。これが完全献身です。神様の導きを受けるのです。他の人より仕事をよくするのではなく、神様の導きを受けるのです。それが献身です。こうしてみるならば、永遠に神様に感謝することが起こります。 (5)完全栄光-感謝-未来:神様に感謝します。本当に感謝するから、未来が見え始めます。これは間違いない原理です。60億の人口が話しても、福音は完全です。すべての未信者が反対しても、神様は今でも私たちに答えられます。伝道する理由がないならば、この世を離れるしかありません。完全伝道、どれくらい価値があるでしょうか? そして、完全献身です。どれくらい感謝しているでしょうか? 完全栄光を神様にささげれば、本当に未来が見えます。これになる時に、みことばも生き返って、祈りも生き返って、伝道も生き返るのです。この祝福をどのように正しく味わうことができるのでしょうか? これが問題です。それで、この祝福をどのように本当に味わうことができるのでしょうか? とても簡単です。 * 味わうこと:定刻の礼拝を回復しましょう。時間がなければ、定刻の祈りをしましょう。このようになれば、祝福がみな回復します。皆さんが本当にしてみましょう。定刻の礼拝、そうでなければ定刻の祈りを回復しましょう。これだけでもよいのです。私のような場合は、集会にくる前に定刻の祈りをするしかありません。それを特別な場合にこれをしなければ完全に違います。私が一回、祈りをしない時があります。とても、とてもメッセージも全くなくて、一日、二日ずつ休む日もあります。その時は、祈りもしないで休んでみます。完全に違うのです。本当に違います。全く祈らずに生きていく人は、すごいという気がします。皆さんを見ながら、すごいと考えます。また、ある人を見ると、祈をせずに話をするのですが、どのように生きることができるのか疑問です。祈らなければ、自分の頭をずっと回します。祈らなければ、自然にこの祝福を受けても、私の思いのままに生きなければなりません。いくら心配しないと言われても、心配が生じます。どれくらい混乱が来るでしょうか? 私と皆さんは、全く同じです。全く同じだから、この中にいることが重要です。ある人は“先生、私は揺れるのですが、牧師先生も揺れるのですか?”と尋ねます。全く同じです。祈らなければみな揺れます。ある男子学生が尋ねました。“女子学生を見れば震えるのですが、牧師先生もそうですか?”と尋ねます。私は絶対に震えません。目で追うから、震えなくても全く同じです。違うことはこれ一つです。人間はどうにもなりません。福音を持った皆さんは、途方もない祝福を持っているのです。私たちが悟ったとすれば、一つだけすれば良いのです。これだけすれば良いのに、これをしません。なぜしないのでしょうか? 私は分かります。言葉はやさしいのですが、大変なことです。私が定刻の礼拝、定刻の祈りを失敗していたのですが、成功するようになりました。私がここで幸福を捜し出したのです。今は、定刻の祈り、礼拝をする時間がとても幸せです。それで、これが簡単になります。勉強も面白味を探すべきで、大変ならばできません。それで、これが聖霊充満なのです。それで、答えが続きます。これにならなければ、いくら立派な人でも、このようになります。エリヤが弱くなるほどの理由ができたのです。 1.王以上の王イゼベル:偽りの預言者850人に勝てば、認められるはずなのに、殺せと言われたのです。 (1)アハブ王がエリヤの行ったことを悟れないまま、イゼベルに告げて(I列王19:1) (2)死刑命令を下すイゼベル(I列王19:2):イゼベルがほめるだろうと思ったのですが“必ず殺す”と言いました。“そうでなければ神々が罰を下すだろう”と言いました。エリヤが揺れ始めたのです。イゼベルとは誰でしょうか? 1節に見ると“アハブは、エリヤがしたすべての事と、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととを残らずイゼベルに告げた。”と言われています。完全にイゼベルが王の上の王です。私が今まで見た女の中でもっとも悪い女です。だから、アハブ王がイゼベルにみな報告しました。今まで、こういう場合はありませんでした。王が女にほれてしまったことはあっても、王が女にほれて、報告するのは初めてです。これを見るならば、どんな女なのか分かるでしょうか? この女がエリヤを殺すと言いました。静かに見ながら、こう考えました。この家は、王が愛妻家なのか? 恐妻家なのか? とにかく愛妻家でもあるだろう? 夫人にぶるぶる震えるので、恐妻家になるだろうか? この家は、夫婦げんかが必ず必要な家です。夫婦げんかも聖書的です。こういう女に会ったとすれば、半殺しにすべきです。こういう女は、昼夜なく殴らなければなりません。そして、離れれば、送り出せば良いのです。しかし、このアハブ王が女の前で身動きができないのです。こういう女がいるのです。これが天下の悪質です。偶像崇拝して、偽りの預言者を育て、真の預言者は殺して。1節に見たら、アハブ王が報告します。しなくてはいけないほどになったので、報告したのです。2節に見ると、イゼベルがすぐにその場で死刑命令を下しました。これは王だけができることです。その場で女が死刑命令を下したのです。アハブ王は、私が見た王の中で一番無能な王です。私は歴史を見れば、いくら無能な王でも、こういう王はいませんでした。殺人命令をくだすのに、自分が死刑命令を下さずに、奥さんが下すのです。だから悪い妻に会ったら、悪い政治家になるしかありません。聖書と歴史で見る中で、一番無能な王です。 (3)アハブ王の無能と悪い政治(I列王19:1-2):それと共に悪い王です。報告して、裁判する王は初めて見ました。エリヤがこういう人々に会ったのです。そして、いたずらではありません。イゼベルが、本当に命令をくだせば、そのままなるのです。王よりもっと悪いイゼベルが死刑命令を下したのです。だから、エリヤが弱くなったのです。 2.弱くなったエリヤ (1)恐ろしくて逃亡するエリヤ(I列王19:3):怖がって3節に見たら、逃亡しました。すなわち、エリヤをつかまえに来るでしょう。 (2)えにしだの木の下で(I列王19:4):エリヤが逃げて木の下に倒れました。えにしだの木の下で、エリヤが倒れたのです。 ①疲れたエリヤ:からだも、心も疲れて、気落ちまでしました。そこで、最後の祈りをしたのです。 ②気をおとしたエリヤ ③死ぬ事を求めるエリヤ:私を呼んで行ってくれと祈りました。このようにまでなりました。皆さんが、信仰生活していても、このようになることがあります。絶対にだまされてはいけません。このような時は、完全にひっくり返さなければなりません。なんとなく見ていてはだめです。はっきりと契約をつかまなければならないのです。 3.エリヤの錯覚:気をおとして勘違いしました。私はすることができないから、呼んで行ってくれと言ったのです。今から開始なのに、自分ではすることができないと言いました。まだ神様がエリヤに、働きを始めることともされなかったのに、神様の力を知らずに、気をおとしたのです。何を勘違いしたのでしょうか? (1)神様は天使を送って力を与えられること(I列王19:5-7):19:5-7主の天使を送られました。皆さんも気をおとす必要はありません。伝道者が行く所に、主の天使を送って、力を与えられます。これを知らないので、エリヤが勘違いしたのです。聖書を詳しく見ましょう。神様がイゼベルがくる前に天使を送られました。モーセに先立って主の使いを送られました。ダニエル6:22獅子の穴に入る前に主の天使を送られました。私たちは、この契約を信じます。この途方もない祝福を知っているのです。エリヤが少しの間、忘れたのです。‘私が死ぬようになった’と思ったのに、神様は主の天使を送って、水とパンを与えられました。 (2)四十日四十夜を歩いてホレブに着く(I列王19:8):単なる話ではありません。モーセが契約を受けた山です。ホレブ山。場所の意味ではありませんが、すばらしい理由があるのです。疲れたエリヤを四十日四十夜歩いて、ホレブ山に着くようにされました。私たちは勘違いしてはなりません。重要な問題が生した時、私たちの前に主の天使を送って、霊的なホレブ山に送られるでしょう。イスラエルの危機の中で、モーセが恵みを受けました。なぜエリヤをそこに送られたのでしょうか? 意味がどれくらい大きいのでしょうか? エリヤが、バカではない以上、モーセがここで恵みを受けた山であることを理解していました。 ①ここで何をしているのか (I列王19:9):神様が知らなくて尋ねられるのでしょうか? いやホレブ山に行くようにした神様が知らなくて尋ねられるのでしょうか? 神様がアダム呼ばれた時、知らなくて尋ねられたのでしょうか? ここで何をしているのか? これはエリヤに対して、自分自身と身分を確認されたのです。 ②強い風と地震の中で(I列王19:11):そして、地震が過ぎ去ったりもしました。 ③火の中で(I列王19:12):火が起きたりもしました。ホレブ山で見るようになりました。最も重要なのは、この山で神様のみことばを受けたのです。それで、みことばをのがしてはいけません。 (3)静かな中におっしゃられること:重要なみことばをくださいます。 ①ハザエルに油を注いで、アラムの王になるようにして(I列王19:15) ②エフーに油を注いで、イスラエルの王になるようにして(I列王19:16) ③バアルにひざまずかない者7千人を残している(I列王19:18):あなたを助けて、このことを続けるエリシャを探しなさい。 ④エリシャをたてなさい(I列王19:16):今でも全く同じです。この中で、エリヤの身分を確認して、貴重な使命を与えられました。ひょっとして困難を受けている方はいますか? 困難は開始です。皆さんは難しいのですが、神様は新しく始められようとしているのです。私は終わったという方がいますか? 開始です。適当にせずに、契約を必ずつかみましょう。勉強ができないのでしょうか? 一番底から一人で始めましょう。そうすれば、すぐに回復します。皆さんが経済のために苦難にあっているのでしょうか? 一番底に降りて行きましょう。どんどん上がって、適当にしようとするので落ちるのです。底から降りて行ってすれば、確かにできます。一度は、工事建設する人々が話をしました。“仕事をするために注文を受けるのが難しいのではなく、仕事をさせるのが難しい”と言います。この頃、失業者多いですよね? と訪ねたら、難しいことをしないと言うそうです。仕事をして難しければ、行ってしまうということです。ご飯も与えてお金も与えます。いくらでも暮らすことができるのに、しないのです。私も土方をしてみました。チョ牧師と私が土方をしに行ったのです。土方をさせる人が私を見て、できるのか? と尋ねました。私が痩せてがりがりだったので、継続できるのかと尋ねたのです。しかし、3日するのを見て、見たより上手にすると言いました。むしろ、ぼってりした人は足を上げるのにも大変です。私は足に肉がないから、足を上げやすかったのです。いくらでもこの人が喜びました。金を受け取ってみたら、1ケ月してもかなりありました。何も心配することはありません。私たちに重要な問題がくれば、一番の下からしましょう。神様のみことばの特徴が、根本からひっくり返されることです。私がハザエルに油を注ぐ。心配するな。王を変える。エフーをたてると言われました。心配すべきでないことは、バアルにひざまずかない7千名がいると言われながら、ここに時代的な弟子エリシャがいる。これも知らずに、呼んで行ってくれと祈ったので、エリヤが錯覚をしたのです。大きい力を得る時間になることを希望します。 4.準備された使命者 エリシャ一名が重要です。神様が1人の使命者エリシャを準備されました。牧師達に申し上げました。1人だけいてもかまわないのです。教会の中に、成熟した伝道弟子1人だけいても、毎日、答えが起きます。牧師が生きていく間、成熟した伝道弟子1人だけいればみな生き返ります。一般信者も同じです。成熟した伝道弟子1人だけ会えば、みな答えられます。 (1)十二くびきの牛を前面に出して農作業していたエリシャ(I列王19:19):何を話すのでしょうか? 牛一匹でなく、12くびきの牛を前面に出していました。うつわが大きいということです。人が農作業をしても、うつわが大きい人がいます。私たちがいやしいことをしても、うつわによって違うのです。良い職業を持てば良いのですが、その人によって変わります。神様がエリヤを通してエリシャ呼ばれました。 (2)呼ばれたエリシャ(I列王19:20):いつ召命を受けたのでしょうか? エリシャがバカでしょうか?エリヤが一番危機に会っていた時、その時、呼ばれたのです。エリヤについて行けば死ぬのに、そこについて出ました。 (3)牛と器具を燃やしてエリヤを追った(I列王19:21):皆さんならば、中古店に売って行くでしょうが、エリシャは、すべての物品を燃やして行きました。使命です。カムバックする要素をみな捨てて行くのです。こういう人物一人だけ起きたら、国が生きたのです。天の火の馬と火の戦車が動員されました。 @結論:区分が上手でなければなりません。この祝福を味わっていれば、すべての答えがみなきます。人々が味わっていないのです。それで、ある日重要な機会が来ます。 * 味わうこと:機会がきます。機会は私が作るのではなく、来るのです。 * 挑戦:機会がくれば、挑戦するのです。これはやさしい言葉のようですが、無条件に挑戦するのではありません。神様の計画に間違いないならば、挑戦するのです。レムナント共同体は、神様の計画が確実であるだけでなく、第一順位です。率直な話で、私たちは教会堂がなくても、借りてすれば良いのですが、レムナントは訓練を受ける所がありません。明日からのレムナント大会に、直ちに問題が来ています。学生たちが何千人が訴えました。なぜ2800人だけ受けて、私たちは行けないのか?例えばそうです。神様のみこころならば、無条件に挑戦するのです。私たちがあの祝福だけ味わっていれば、すべての答えがみな回復します。そのような中に、心配しないことは全部、機会です。神様の重要な機会が見られれば、その時から挑戦するのです。学生たちはのがしてはなりません。特に、青年たちがのがしてはならないのです。この祝福を本当に味わっていれば、機会がきます。その時になれば挑戦するのです。エリヤが錯覚をしました。確かにこのことがなされる前に死ぬことはありません。伝道の使命を成し遂げる前には、皆さんは死なないのです。 --要約-- <エリヤの錯覚(I列王19:1-8)> 1.王の上の王イゼベル (1)アハブ王がエリヤの行ったことを悟れないままイゼベルに告げた(I列王19:1) (2)死刑命令を下すイゼベル(I列王19:2) (3)アハブ王の無能と悪い政治(I列王19:1-2) 2.弱くなったエリヤ (1)恐ろしくて逃亡するエリヤ(I列王19:3) (2)えにしだの木の下で(I列王19:4) ①疲れたエリヤ ②気をおとしたエリヤ ③死ぬ事を求めるエリヤ 3.エリヤの錯覚 (1)神様は天使を送って力を与えられる(I列王19:5-7) (2)四十日四十夜歩いて、ホレプ山に到着(I列王19:8) ①ここで何をしているのか (I列王19:9) ②強い風と地震の中で(I列王19:11) ③火の中で(I列王19:12) (3)静かな中におっしゃられたこと ①ハザエルに油を注いでアラムの王になるようにして(I列王19:15) ②エフーに油を注いでイスラエル王になるようにして(I列王19:16) ③バアルにひざまずかない者7千人を残している(I列王19:18) ④エリシャをたてなさい(I列王19:16) 4.準備された使命者エリシャ (1)十二くびきの牛を前面に出して農作業するエリシャ(I列王19:19) (2)呼ばれたエリシャ(I列王19:20) (3)牛と器具を燃やしてエリヤを追う(I列王19:21) |