[2005年12月24日/ソウル核心要員メッセージ/ソウルイエウォン教会/柳光洙牧師]


やってくる未来のために
(イザヤ6:1-13)


@序論:‘やってくる未来のために’です。実際には、今日が2005年最後の核心の時間です。2006年を迎えるようになります。一年を送りながら、また新年を迎えながら、私たちは何をつかむべきでしょうか? みな重要ですが、これを良くすべきです。
◆信仰生活:信仰生活が良くできなければなりません。信仰生活を下手すると、本文と同じ問題がくるのです。ここで最も重要なのは、イスラエルが福音を悟れなかったのです。皆さんは福音を悟ったので、信仰生活だけ良くすれば良いのです。福音を悟れなければ、信仰生活を良くしても仕方がありません。イスラエルのようになり、全世界にある教会のようになります。大きい危機がきたので、私たちは信仰生活をはやく回復しなければなりません。いよいよ今、米国教会も崩れています。どのようにすれば良いのでしょうか? 神様が私たちにくださった最も重要な単語は何でしょうか?
(1)WITH,インマヌエル:神様が私たちにくださった最も重要な単語は、私たちと一緒におられるということです。これのためにキリストを送られたのです。これがインマヌエルです。神様が私たちとともにおられる、これより重要なことはありません。しかし、私たちはこれがうまくできないのです。いや私たちはこれがうまくいくのに、なぜそうなのですか? と尋ねるのですが、牧師先生が説教される時はできているのに、説教しない時はだめなのです。長老は、講壇で代表祈りする時はできるのに、長老2人が集まってはいけないのです。役員会をしてみれば、より一層インマヌエルになりません。私たちは実際的に、このことをのがすのです。インマヌエルにだけなれば、終わりです。タラッパン伝道運動が、単に動いているようでも、神様がともにおられるという重要な秘密があるためです。イエス様が弟子たちを呼んで、仕事をしなさいと言われませんでした。伝道しなさいとは言われませんでした。伝道よりさらに重要なことがあるためです。何と言われたのでしょうか?
* マタイ4:19:わたしについてきなさい、そうすれば、わたしがあなたたちを人を捕る漁師にしてあげよう。これが一番最初にされた話です。伝道はその次の話です。
* マルコ3:14節です。わたしがあなたたちを呼んだのは、伝道するためとは言われず、あなたたちとともにいるためと言われました。それから、出て行って、伝道もしてと言われました。
* マタイ28:20:イエス様が最後になさったみことばもマタイ28:20節を見れば、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいますと言われました。ところで、外に出て行けば神様が見られないから信仰生活にならないのです。皆さんが少しだけ神様が私とともにおられるということを捕まえれば良いのに、これをほとんどのがすのです。神様がくださった一番重要な祝福なのに、一番だめなのです。なぜだめなのか分かるでしょうか? 人々を詳しく見れば、インマヌエルにならないのです。もし信徒たちが集まっている時、こっそり録音をしてみてください。タラッパンする時はインマヌエルです。タラッパンを終えてコーヒーを飲む時、録音をしてみてください。完全インマヌエルではありません。どれが本物なのかというと、これが本物です。長老に講壇で祈りをさせてみれば上手です。長老3人だけ食堂に集めて話をさせてみてください。完全にインマヌエルではありません。どれが本物なのでしょうか? 講壇で祈るのが本物ではなく、食堂で話すのが本物です。講壇で祈るのは、やむを得ずすることですが、食堂で話をするのは真心です。牧師がたくさん集まってする話が本物です。事が起こる時も神様が私とともにおられるという祝福を持って見るのと、違うことは完全に違います。みなそれぞれ違った方向に行くのです。インマヌエルの道を見なければ、失敗の道に行くのです。インマヌエルの単語を持って見れば、成功の道が見られます。
* ヨセフ:1人を例にあげます。ヨセフです。いったい兄たちが私にこのようできるのか? 私を殺そうとして、売り飛ばすとは。少なくとも何日か荒野の道を歩きながら狂う状況でしょう。どのように生き残って、どのように逃げて生きるべきか? お腹もすいて歩いていくので力もなくて、貴公子のように育ったのに、顔も洗うこともできなくて、このように考えることができます。しかし、ヨセフはこう思ったでしょう。今も神様は私とともにおられると思ったでしょう。私が家にいる時、祈る時、神様がビジョンを与えられた。それでは、私が売られて行くことは神様の導きであろう。多分、私が売られて行けば、奴隷で仕事をするだろうが、私はその家が祝福されるように仕事をする。その後は、神様が責任を負われるだろう。理由は、神様が私とともにおられるためだ。完全に道が変わったのです。問題がきても全く同じことが見られるのです。神様が私とともにおられるという人は結果が変わります。その人は病気になれば死んでも良い、神様の恵みと力を体験する時間だ。こうするでしょう。しかし、そうでなければ、しばしばつぶやいて気落ちするでしょう。ずっと問題が起きるでしょう。これがサタンの戦略です。サタンの戦略に陥った人は成功できません。しかし、反対は聖霊がともにおられる人です。主がヨセフとともにおられたので、彼が栄える人になって、聖書にはそうなっています。親は私を捨てても、主は私を捨てない。ダビデの話です。主は私の羊飼い、乏しいことはありません。アン・イスク女史はこういう話をしました。牧師先生の奥さんです。正しい牧師夫人です。私は火の中にも行ける。そして水の中にも行ける。そこも神様が共におられるならば。私は病気にかかっても大丈夫だ。それを神様がご存知だから、大丈夫だと言いました。年をとってガンになったのですが、手術をしないと言いました。神様が来なさいとサインを送るのに、手術をなぜするのかと言いました。そして、感謝祈りを継続していたら、良くなってしまったのです。私たちの教会の勧士1人は、70才を越えて病院に行ったら、血糖値が深刻だから、絶対に砂糖を食べてはならないと言われたのです。それで、その医者に話すのに、とても感謝で、家に帰ってきて砂糖だけ食べたということです。神様の所に行くことが、とても感謝して、砂糖だけ食べたのですが、とても感謝したので、良くなって90才以上生きていました。昨年に亡くなりました。だから、私たちは心配することがないのに、インマヌエルにならないのです。
(2)幸福-全体、講壇(定刻):インマヌエルがなぜだめなのか分かるのでしょうか? 神様のインマヌエルの祝福を味わう幸福がなければなりません。これが幸せでなければ、どうなるのでしょうか? 全体で出てくるメッセージをとらえて祈る時、幸せがなければなりません。1千万の弟子起きる姿が私に見えるべきです。気分が悪いのでしょうか? どれくらい気持ちが良いでしょうか? 皆さんの教会に弟子が集まるのを見る時、気分が悪いのでしょうか? 牧師が一日に重要な時間に、神様の弟子が集まって世界へ動くのを見る時、気分が悪いというのでしょうか? 皆さんが講壇メッセージをとらえて祈る時、とても幸せでなければなりません。講壇メッセージが私になければ、存在価値がないのです。全体メッセージが私と関係なければ、皆さんは地球と関係がありません。なぜなら、神様は時代ごとに団体を持って全体を動かしたのです。タラッパンがなぜ群れをなして行き来するかと言う人は、教会史を知らないので、そう言うのです。時代ごとに伝道者を立てて、神様は時代を動かされたのです。この祈りをする時、幸せでなければなりません。皆さんが今、重要な祈りの課題を置いて神様の前に祈るのが、幸せでなければなりません。どれくらい気持ちが良いでしょうか? 私はこの祈りをするのに、どれくらい幸せかわかりません。これを定刻の祈りと言います。これがインマヌエルを味わう祝福です。それで、これがならないなら、いけないのです。さらにだめになる理由が、3番目にあります。
(3)現場インマヌエル(常時):外に出て行くのと、車が行ったり来たりするのですが、神様が見えないのです。駐車場に行くので駐車されたものだけ見えて、神様が見られないのです。だから恵みを受けて出て行って、駐車場に行って戦うのです。私たちの教会の執事1人は新しい信者を叩いたので、新しい信者が教会に来なくなりました。執事が駐車管理をしながら、新しい信者を叩いても良いでしょうか? いくらインマヌエルにならなくても、それではいけません。現場でインマヌエルにならなければなりません。これを常時祈りと言います。誰も見えない中で、神様が私とともにおられるのです。一人でいる時、このインマヌエルが最も幸福でなければなりません。普通、伝道運動は3-4年をして止める人がいます。誰もがするのではありません。方法を持ってするのではないのです。重要な牧師には、とても深い祈りがあるのです。福音のなかで神様が私とともにされるという祝福を味わっているのです。これが現場で確認されるのです。
(4)みことば:みことばの権威が現れるのです。これになってこそ、みわざが起きるのです。
①メッセージ:このみことばを聞く時、みな記憶することができなくても、私にメッセージでぶつからなければなりません。みことばはあるのに、私にぶつかってきてこそメッセージになるのです。
②適用:いったいこのメッセージが今日、私と何の関係があるのか?今日私と何の関係があるのか?
③実践:その時、私が何をするべきかが出てくるのです。このように聞けば、メッセージをよく聞くことです。私は福音を知っているのに、こういう味わうことがだめなんだな。それでは今から車に乗って行きながらすべきです。それでは三つがみな含まれているのです。これは必ず答えになるのです。
(5)答え、ビジョン、機会、奇跡:みことばを正しく受けてこそ、答えが正しく来るのです。みことばを正しく受けられなければ、答えが正しく来ないのです。それで、みことばよって答えを受けたことは、成功率が100%です。この時から見られるのがビジョンです。この時から見られるのが問題でも何でも機会があるのです。この時から、私たちは弱いのですが、奇跡が起こるのです。必ず祈りましょう。これが全部です。どれくらい大きい祝福なのでしょうか? 私たちが一年を送りながら必ず悟らなければならないことがあります。

1.信仰-不信仰これを悟ったことを信仰といって、これを悟ることができないことを私たちは不信仰と言うのです。
(1)創世記3:5,創世記3:15:よく見て下さい。この不信仰は誰が植え付けるかというと、人が与えるようですが、創世記3:5節を見ればサタンという存在があるのです。だから、信仰生活はがんばってしながら福音を知らなくさせるのです。それで混乱がないように、女の子孫、処女マリヤから生まれ、とても重要な言葉です。そのままイエスを送るから、彼がメシヤと言われたら困ります。女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと言われる。その名前をイエスと言いなさい。そうでなければ困ります。ソウンが嫁入りして子どもの名前をイエスとすれば困るのです。それで、最も科学的である話が、女がみごもって男の子を産むということです。女の子孫、すばらしいメッセージになるのです。だから、これを知らなくさせることが多い不信仰です。
(2)創世記4:1-20,ヘブル11:4(ささげ物):用心しなければなりません。創世記4:1-20を見ましょう。これの答えはヘブル11:4節にあります。カインの礼拝を神様は受けられませんでした。これに対して解釈を色々します。ヘブル11章がなかったら、律法主義が勝ったでしょう。カインは罪に覆われたのですが、アベルは罪に覆われなかったのです。これが何の話なのでしょうか? ローマ3:16節に義人は一人もいない、ローマ3:23節にすべての人が罪を犯したと言われています。なぜカインだけが罪に覆われて、アベルはなかったのでしょうか? とても重要です。アベルは罪がないのではなく、罪問題が解決されたということです。カインは罪が多いのではなく、罪問題を解決できないのです。説教を下手すると間違えるのです。幸いに、ヘブル11:4節に答えがあるのです。ささげ物が証すると言われています。アベルは羊の血をささげて、カインは穀物をささげました。今の話ですれば、私たちがイエス・キリストの名前でここにきて、穀物をささげたということは、感謝でささげたということです。
(3)創世記6:1-20:それで、成功するように見られるのですが、ノア時代に見れば不信仰に陥るのです。
(4)創世記11:1-8,創世記12:1-9:創世記11章を見れば、バベルの塔を築くのが成功のように見られるのですが、不信仰に陥るのです。それで、アブラハムにカルデヤを離れなさいと言われたのです。このように、私たちは信仰と不信仰で揺れるのです。
(5)紅海の前に立った人々(出エジプト14:9-11):紅海の前でも二種類の人が出てきました。不信仰の者と信仰の者が出てきたのです。私たちは今、紅海を渡れない。後からはエジプト軍人が馬車に乗って捕まえに来ている。今でも降参して帰ろう。不信仰の者が話をするので、この不信仰が広がるのです。その時、モーセが話しました。あなたたちは、静かに立って主がなさる救いを見なさい。私たちは信仰生活をするということが、しばしば他のものをします。神様が私たちとともにおられる血の契約をのがしてはなりません。私たちが、血を塗る日、エジプトから抜け出なかったのでしょうか? この話です。私たちはカナンに行って、この犠牲のいけにえをささげなければならない。この話を理解できない牧師と長老が多いのです。それでは大変なことになります。私たちが勇気を持って紅海を渡るのではありません。血の契約を抜けば、恨む人の話が正しいのです。確かに神様はカナンの地に行って犠牲のいけにえをささげなさいと言われました。確かに証拠を与えられたのです。この血の契約をつかんだ日、出てきたのです。神様がなさる救いを見なさいという言葉は、モーセが言いました。いくら年をとっていてもかまいません。神様がモーセと通じたのが何でしょうか? イスラエル民族に血のいけにえをささげなさいと言われたのです。モーセがすぐわかりました。なぜしなければならないのか尋ねれば困るのです。これが十字架の奥義です。皆さんにこの祝福があることを希望します。
(6)カデシュバルネヤ(民14:1-10):カデシュバルネヤを見ましょう。役員12人を送ったら、10人ができないと言ったのです。このようになれば大変です。役員12人の中で10人ができないと言うのです。だから、重要なことを見ることができないのです。カナンの地になぜ入らなければならないのか知らないのです。だから、問題がくるのです。その時、ヨシュアとカレブが、私たちは行けると言ったのです。彼らは私たちの餌食だと言いました。
(7)カナンの地で:カナンの地に入った時も、ヨシュアは何と祈ったのでしょうか? 太陽と月よ止まれという祈りをしました。カレブはこの山地を私にくださいと言いました。カナンの地に入って、血のいけにえの契約をささげなければならないのです。カナンの地に入って、この契約のメシヤが来られなければなりません。そのメッセージが成就した日が、まさにクリスマスです。ものすごい、その日です。今日、長老と執事が賛美した通り、そのものすごい日がクリスマスです。この不信仰から完全に抜け出す祝福を受けるように望みます。

2.未来:これからどんなことが迫ってくるのでしょうか? これを防がなければなりません。
(1)教会の滅亡:時代ごとに教会の滅亡がきました。これを防がなければなりません。韓国教会がとても復興すると世界で話すのですが、正しいのですが、間違った言葉です。一時、ヨーロッパ教会は90%以上がクリスチャンでした。その時刻表が来るのに、よく崩れない時は時刻表を知らなければ大変なことになります。一時、ロシアは98%がクリスチャンでした。それを復興だと見てはいけません。時代ごとに教会の滅亡時代がずっと来たのです。出エジプト3章を見れば、奴隷になって、Iサムエル3章を見れば契約の箱を奪われてしまったのです。使徒1:6-8教会が崩れてローマの植民地になったのです。中世教会、それなら今日、現代教会がこの目が開かなければなりません。滅亡がずっと反復されるのです。何が残念なのでしょうか? この目が開く瞬間から、みわざが起きるのです。
(2)レムナントの滅亡:時代ごとにレムナントが滅亡すれば問題がくるのです。共同体を作る理由は、レムナント滅亡を防ぐためです。これが普通に聞こえていてはいけません。以前、外国に津波が起きて人が多く死にました。そのニュースを聞いて泣いた人がいるでしょうか? ほとんど泣かないで、あれがどんなことなのかと言ったでしょう。ところで、そのニュースを聞いて泣いた人がいます。誰が泣いたのでしょうか? そちらに家族がいる人、自分の子どもが死んだ人は涙が出るのです。レムナントの滅亡に何の感覚もなければ、他人です。誰も他人の子どもが火で焼けるのに自分の命をかけて入る人はいません。しかし親は入ります。教会とレムナントの滅亡の時間がきたのですが、私たちが知らずにいてはいけません。神様がモーセに何とおっしゃったのでしょうか? 出エジプト2章を見れば、レビの男子がレビの女子を妻をめとったと言われています。申6:4節を見れば、出エジプトして呼んでこの話をしたのです。この事件をあなたたちの子どもに忘れてしまわないように教えなさいと言いました。
(3)暗闇文化:そして、時代ごとに迫ってくるのが暗闇の文化です。これを防がなければなりません。なぜ度々サタンの話をするのでしょうか? その人は明らかにサタンの味方です。なぜ度々暗闇の話をするのか?その人は明らかに暗闇の人です。ここにひょっとしてスパイがいるならば、自首してください。皆さんは笑ったでしょう。ところで、気分が悪い人がいればスパイです。暗闇の話をするのに気分が悪ければ、その人は暗闇です。しかし、ここに何の感覚もなければ大変です。この目を開かれて、宣教と献身をするのです。これを正しく見た人は、世的なものに涙も出ません。涙を流すことが何があるのでしょうか? 今、教会が滅亡しているのを防がなければなりません。そうでなければ、レムナントがみなほろびて暗闇文化が起きるのです。今、祈っているのは、共同体を作って一番最初にすることがインターネット放送局を作って、すべてのメッセージを毎日送りださなければならないのです。もう50億円が入ってきたから、しなくても良いという考えは、とんでもない話です。数年あとで私が訪問に行くでしょう。RUTC新聞を作る理由は、後ほど献金を出さない人の名前だけ出そうとするのです。これはしなくてはいけません。命をかけてしなければならないのです。哀歌が4章を見れば、幼い赤ん坊に乳とパンを食べさせてあげる人がいないということです。子どもを産んで、乳を与えなくて、そのまま置いておけばどうなるのでしょうか? それほど悪い人はいません。私は何日か前に新聞を見て、手助けするかと思って、途中でやめました。新聞を見れば、子ども3人がいるのに、大きい子が11才でした。とても困難を受けて、記者が訪ねて行ったら、村で弁当を持って来たと思って、弁当だと来るのです。この寒い日に、ボイラーがなくて、子どもだけ3人がいるのです。11才が言う言葉が、弟たちが見てはいけないから、一人で寝る時に泣くということです。それで、なぜそうなのか知るために、ずっと読んでみたら、子どもたちを産んで、父と母が家を出て行ったのです。そのような悪い親がどこにいるのでしょうか? 私は親が死んだのだと思って、死んだらタラッパンで手助けしようとしたのですが、死んだのではなく、どこかに行ってしまいないのでした。よっぽどでなければ、新聞に載らなかったでしょう。それで手助けしようとしたが止めました。その人たちよりもう少し悪い人間が、未来を知らない人です。子どもを産んで、乳も与えなくてご飯も与えないのです。私たちがそのように悪い人間になってはいけないのです。重要な福音を知らなければ、滅亡は確かに来るようになっています。教会が滅亡されれば、自動的にレムナントがほろびて、結果的には暗闇文化がいちばん優れていくのです。それで、私たちは反対にレムナントを立てて、暗闇文化からひっくり返そうというのです。私たちはつまらない教団の戦いではありません。だから、これがとても重要なので、この戦いをしなければならないのです。
①イザヤ60:1-22:起きて光を放ちさえすれば、すべての暗闇が光に戻ってくるのです。
②ローマ16:1-27:これを正しく悟った人に、ローマ16章の祝福が臨むのです。

3.改革:結論を結びます。理由があります。3つの改革を行わなければなりません。
(1)人生改革:今回2006年から私たちは人生を完全に改革させましょう。元旦のメッセージに出るようになります。私たちの人生を完全に改革させましょう。
(2)宗教改革:そして宗教改革をしましょう。これが私たちの神様の計画です。
(3)文化改革:なぜレムナントを立てるべきなのでしょうか? 文化改革を行いましょう。これが神様の計画です。私たちが共同体施設を作る理由が、文化と宗教を改革しなければならないのです。それで簡単に人生を改革しなければならないのです。人生改革は難しくありません。何が人生改革なのでしょうか? 最も重要なのは、皆さんの最も重要な関心がどこにあるのか、これから変えなければなりません。私が今一番関心がどこにあるのでしょうか? これを変えなければなりません。これが変わらなければ、そのまま答えられるのです。それで、私たちの人生を変えなければなりません。キム・ワンシク牧師の教会に行って話をしました。職分者などに私たちが普通の道を行って突然に倒れれば‘お母さん’という単語が出てくるのですが、その理由はその単語を最も多く使ったためです。ある女性は、突然の事にあえば‘お父さん’と言うのですが、祈りをよくしているためです。だから、自分が多く使った単語が出てくるのです。それで、職分者などはひっくり返って、崩れてうわごとを言いながらも‘家主’という単語が出てこなければならないのです。だから、人生を変えなければなりません。重要な祈りが出てくれば、まちがいなくなるようになっています。こういう驚くべき祝福が、皆さんにあるようになることを希望します。2006年度に、皆さんに本当に重要な答えがくるようになります。やってくる未来のために、皆さんの生涯が価値あるようになることを希望します。

-要約-
<やってくる未来のために(イザヤ6:1-13) >
1.信仰と不信仰を植えた人々
(1)創世記3:5,創世記3:15  (2)創世記4:1-20  (3)創世記6:1-20  
(4)創世記11:1-8,創世記12:1-9  (5)紅海の前に立った人々(出エジプト14:9-11)
(6)カデシュバルネヤ(民14:1-10)  
(7)カナンの地で  ①ヨシュア10:10-14  ②ヨシュア14:6-15
2.やってくる未来のために
(1)時代ごとに訪ねてきた教会の滅亡を防ぐために
①出エジプト3:1-8  ②Iサムエル3:1-18  ③使徒1:6-8  ④中世教会  ⑤現代教会
(2)時代ごとに訪ねてきたレムナントの滅亡を防ぐために
①出エジプト2:1-10  ②申6:4-9  ③哀歌4:1-5  ④イザヤ6:1-12
(3)時代ごとに訪ねてきた暗闇文化を防ぐために
①イザヤ60:1-22  ②ローマ16:1-27
3.3つの改革のために
(1)人生改革  (2)宗教改革  (3)文化改革