[ 2007年1月13日/ソウル核心要員メッセージ/イエウォン教会/柳光洙牧師]
三重の使命を果たしたレムナント (Iサムエル3:1-9) @序論:ソロモンの裁判の中に、赤ん坊が死んだが、お母さんどうし互いに自分の子どもだとけんかをし始めたことがあります。問題は、王の前に来たのです。初めには両方ともが「私の子どもだ」と言ってきたのですが、その次に問題が発生したのです。王をだましたので、二人のうち1人は殺されます。こういう深刻な問題が来たら、人が変わるのです。にせ物と本物が表に現れるのです。知恵あるソロモン王が、子どもは一人でお母さんは二人であるから、分けて持っていけと話しました。すると、本物とにせ物があらわれたのです。本当のお母さんは、自分の子どもを本当に愛しているから、子どもを分けずに相手に与えるように話しました。自分が間違っていたので与えるようにと話したのです。簡単に話せば、自分は死んでも良いということです。子どもを分ければ死ぬから、そう言ったのです。しかし1人はそうではありませんでした。確かに自分の子どもだから、分けても良いと話しました。この人がにせ物です。私はこの話を単なる話ではなくて、今でも関係がある話だと思っています。今、子どもたちが歌うのと集いを見て下さい。私は福音を愛する前には知りませんでした。時々、今でもこのような話をする人々がいます。新しい信徒がタラッパンにくると、愛もないと話したりもします。時々、信仰生活を長くしている役員もそのような話をしました。私はそのような話を聞く時、中に表現できない何かがありました。私は福音がとても良いということを知って変わったのです。何が変わったのかというと、本当に福音を愛せば変わるのです。私は今まで副教役者の時期にも見たのですが、福音を愛して伝えようとする人は、それほど見られませんでした。色々な教団で働いてみたのですが、今、前にいる方々に会う前には、福音のために譲歩するのを見たことがありません。この福音のために、自分の教会を譲歩するのを見たことがありません。何のために他人の教会であるイエウォン教会にこのように集まるのでしょうか。皆さんの教会でもないのに、集まるのです。ですから、福音を愛さなくては理解できないのです。それで、私はそのような人を見る時、哀れだという気がしました。今、皆さんの教会ですでにそのような話が出れば、かわいそうな人です。ただ一つ理由のためです。福音を本当に愛する内容を見られなかったのです。そして、私が本当に福音を愛していないのです。私が本当に福音を愛すれば、足りない人を見る時、腹が立つのではなくて残念になります。そして、これがどれくらい重要なのかを分かれば変わるのです。私たちが今、本当に孝行息子ならば、親がからだが病気なら、孝行息子の争いをするでしょうか。誰がしようが、そして本当に愛国者ならば、国家に忠誠だという争いをするでしょうか。そうではないでしょうか。本当に愛国者ならば、目立たないように名前もなく、国家のためにすることであって、国家に忠誠争いをすることが何があるでしょうか。それがまさに愛国でないという証拠です。皆さんが本当にご親が子どもを愛したら、子どもに愛すのに、それに対する代価が何が必要でしょうか。その両親がいつも子どものために「私はあなたのためにどれくらい苦労するのか分かるか」と話すのは、おかしな人です。それで、これにならなかったので、イスラエル民族がエジプトから出たのに、ものすごい奇跡を見ても、困難にあったのです。それで神様がレムナント1人を立てられたのです。そのレムナントがサムエルです。サムエルの特徴は、三重の使命をみな果たしたのです。サムエルのような人物が1人出てきて、祭司、預言者、王の役割をみなしたのです。 1.準備-神様はすでにレムナント時代を準備されました。悟ることが信仰と答えと祈りの開始です。しかし、悟ることができないので、不信仰と違った祈りを継続するようになったのです。 (1) めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なう(士師21:25) (2)肉-肉に陥った大祭司の子ども達(Iサムエル2:12-17):この祝福の味を知らないから、大祭司の子ども達が全部、肉の中に陥りました。肉が必要でないことではないのですが、肉の中に陥って、それしか知らないのです。 (3)老いた老人-非常に老いた大祭司(Iサムエル2:22-25):ある面では、老いた人がさらに成熟することもできるのですが、年をとって老いた老人になったのだ。 (4)みことば-幻:主のみことばと幻が途切れた(Iサムエル3:1) (5)肉的な祈り:肉的な涙と祈り(Iサムエル1:1-8) -このような時に、ハンナという女がずっと肉的な祈りだけをしました。なぜ他の人は息子がいるのに、私だけいないのかと言ったのです。私にも息子をと求めて肉的な祈りを毎年継続したのです。答えが来ないのです。皆さんがここで悟らなければならない祝福が何でしょうか。本当に今年は福音の目が開くように祈りを始めなければなりません。 ※福音:福音の目が開けば、どの程度になるのでしょうか。福音の目が開けば、最も重要な目が開かれます。 (1)聖書:福音の目が本当に開かれた証拠が何でしょうか。聖書66巻が新しく見られます。そうでなければ、聖書が私と合わないのです。そして、説教をすれば違うようにします。私たちがメッセージを伝えても、違うように伝えるのです。皆さんが聖書66巻を見る福音の目を開いてこそ、正しく見るようになるのです。例をあげれば、私たちが違うように知っていることがどれほど多いかわかりません。イエス様がまず最初に教え始められたのが、マタイの福音書5章、6章、7章です。山で教えられたので、山上の垂訓と言います。重要な教えが出てきます。マタイ5章を見れば「貧しい者、悲しんでいる者は幸いです。」とおっしゃいましたが、どのように貧しい者と悲しんでいる者が幸いなのでしょうか。苦しまされている人が幸いだと言われたのですが、その言葉は何の意味でしょうか。違うように理解するので、博愛主義になって、おかしな信仰になるのです。イエス様はそのような意味でおっしゃられたのではありません。国がみなほろびたのに、よく食べて生きていると思うパリサイ人が呪いを受けたのです。すなわち、ほろびるのに、スラエルが義とされていると思う、その人たちが呪いを受けたのです。いっそ貧しくて難しいけれど、福音を悟ったら、それが恵みを受けたことなのです。私たちは逆に見る時が多いのです。その時、弟子たちがきて「主よ。バプテスマのヨハネは祈りを教えてくれたのに、なぜ私たちに祈りを教えて下さらないのですか」と尋ねました。それで、私たちはそれを主の祈りと言います。主が教えて下さったから主の祈りです。聖書をよく見てください。きて祈りを教えてくださいと言いました。「そうか。教えてあげなければならないのか。それで何をするのか。神様の御名をあがめれば良い。神様の御名で、みこころが天でもこの世にも臨めば良いことであって、神様の国が臨めば良いのだ。祈ることがあるのか。日ごとの糧があれば良くて、試みに会わずに悪に陥らなければ良い。国と力とすべての栄光が父にあるのではない。祈ることが何があるのか。奥の部屋に入って祈りなさい。」おっしゃりながら、それと共にイエス様が結論を結ばれたのです。「あなたたちは異邦人なのか。あなたがたちが祈る前に、お父さんが皆知っておられるのではないか。何をあれこれと祈るのか。皆、知っておられるのに。それで、あなたがたはまず神の国とその義を求めなさい。そうすれば、全てのことがあなたがたに増し加えられます」これが主の祈りです。もちろん、イエス様が違う話をされたのではありません。すばらしいメッセージをされたのです。しかし、それを主の祈りと話す程ではありません。「わたしに主よ。主よと言う人が天国に行くのではない。わたしの思い通り行う者であるべきです」というイエス様のみことばを、どのように解釈するのでしょうか。ある人々はそれを違うように解釈します。そして、どこにでも使うのです。その話は、そうではありません。主よという言葉を最も多く使う人々がパリサイ人たちです。「エルロイム、アドナイ、ハシェム」など、主よという言葉は一番多く使いながら福音だけ防ぐのです。その主人公がきたのに知りませんでした。その人々にされた話です。ところで、これをどこにでも使うのです。私は演劇をする時ごとに、いつもおもしろいことが一つあります。私たちが放蕩息子のたとえをよくします。元々、イエス様の意味はその話ではありません。パリサイ人にされた話です。ある息子が家を出て行きました。ひどくほろびたのです。イスラエルの人々は豚肉を食べません。豚を育てるおかしな国まで行ったのです。それでも食べられないで帰ってきたのです。ところが、お父さんが歓迎してパーティをしたのです。ところで、その長男を見てください。弟が戻ったのを全く喜びませんでした。弟が帰ってきたのが気分が悪かったのです。このように悪い人がどこにいるでしょうか。そして「私には鶏一匹くれない」と文句を言ったのです。イエス様のみことばは、どこに主題があるのでしょうか。「イスラエル、パリサイ人、あなたがまさに家にいる長男だ。」というものです。家にいる長兄の放蕩息子を浮上させる演劇をしてみることを望みます。堕落はしなかったのですが、尊大さはみな持っていました。自分の自慢だけしたのです。愚かで、ひねくれていて、崩れた弟は一つも哀れでないのが、こんにちの教会です。イエス様がそれを今、おっしゃられているのです。私たちは福音を知らなければ、聖書も全部、反対に解釈をするのです。どこにポイントをおかなければならないかも分かっていません。聖書全体がでたらめ流れます。 (2)過去:過去に起きた問題がなぜ起きたのか、福音を分かれば答えがみな出てきます。 (1)問題(答):いったい人間に起きた問題は何でしょうか。その答えを知るようになります。すべての歴史、すべての聖書がみな理解できるのです。なぜ共産主義がほろびたのでしょうか。福音が一番最初に入ったのに、福音を受けなかったではないでしょうか。それでギリシヤ正教会や、カトリックのように教えないということです。それでは、結局、福音なしでみなほろびるのです。 2.正しい祈り:危機時代に神様が準備されたレムナントを発見するのがすべての答えの正しい祈りの課題になります。 神様がこの時、祈るハンナを立てられたのですが、いつも違った祈りだけしていました。エリがいくら祈っても答えが来なかったのです。ハンナがいくら祈りをしても答えが来ませんでした。選ばれた民がいるのにもかかわらず、危機が迫ってくるのです。契約の箱まで奪い取られたのです。こういう問題がやってきた時、ハンナの正しい祈りが始まったのです。 (1)ナジル人-ナジル人の祈りの課題(Iサムエル1:9-11):ナジル人を求めて祈りました。 それでは、その子をくだされば、私が育てるのではなく、神様にささげてこの民族のために用いられるようにと祈ったのです。正しく悟ったのです。その当時に、神様は息子が1人さらに必要なのではありませんでした。ハンナには必要かもしれなかったのですが、神様には必要なかったのです。息子はいっぱいいるのに、もう一人いる理由がありません。教会もいっぱいあるのに、もう一つあっても何をするのでしょうか。主のしもべもいっぱいいるのに、もう一人いてもどうするのでしょうか。また、このごろは、おばさんたちまですると出るのに、またもう一人すれば何をするのでしょうか。普通の問題ではありません。ソウルのようなところは、月賦で牧師按手をあたえる所もあります。それで私たちの神学生たちにも話しました。勉強したくなければ、そちらに行きなさいと言いました。全く勉強をしなくて牧師按手をあたえる所がソウルに多くあります。ひとまず牧師按手から先に与えて1ケ月にいくら程度とる所もあります。勉強したくなければ、そちらに行けば良いのです。すぐ受けて出てきて商えば良いのです。私が青年の時、そばの教会にいた執事が、ある日牧師になりました。ある日、市内のホテルのコーヒースタンドで会ったのです。私が執事と呼んだのですが、突然、声が立派に変わっていました。神様が急いでおられるので、すぐに与えられたと話していました。あきれました。別れながらも、牧師さんという言葉は出てきませんでした。牧師なのに、執事と言って、握手だけしてきたのです。今、私たちはそのような牧師を言うのではありません。そのような男をまた一人作ろうというのではないのです。ハンナがわかったのです。ナジル人を求めて祈りました。 (3)サムエル-サムエルの出生と成長(Iサムエル1:19-28,Iサムエル2:26):この時、神様は祈りをお聞きになってサムエルを送られたのです。 (4)献身-ハンナの答えと献身(Iサムエル2:1-11):さらに重要なのは、私たちは答えを受けたら心が変わるのですが、ハンナはそのまま献身したのです。 (5)御声-神様の御声を聞いたレムナント・サムエル(Iサムエル1:18):サムエルが幼い時、神様の御声を聞くようになりました。 (6)答え-サムエルの言葉が一つも地に落ちないようにされました(Iサムエル3:19):このようにして神様は、サムエルがイスラエルの最高の指導者になるようにされ、一言も地に落ちないようにされたのです。 ※伝道-現在:本当に伝道を理解すれば現在が見えます。もちろん、未来も見えるようになりますが、現在が最も正確に見ることができるようになります。福音を本当に分かれば、すべての聖書、すべての歴史が全部、見えるようになります。伝道を本当に分かれば、現在が見えます。伝道の目で見ましょう。なぜ神様が中国の門を閉めておかれたのか、伝道の目で見れば正確です。私は伝道の目でながめる時、これから中国の門はさらに閉じられていくでしょう。開かれれば大変なことになります。また行ってうわべだけである今の韓国教会のように作るでしょう。なぜ北朝鮮門を閉めておかれたのでしょうか。韓国が世界福音化する国ならば、まだ違います。伝道の目を開いて見ましょう。全部答えです。今年はこの祝福を必ず受けられるように願います。 3.光-レムナント サムエルの登場は暗いイスラエルに照らす主の光と同じでした。福音持ったレムナント1人が出てきたので、全地に光が照らしたのです。 (1)祝福の兆し-契約の箱が戻った(Iサムエル6:1-18 )レムナントという単語だけ捕まえても祝福の兆しが見られます。 ①奪われた契約の箱ェ-ホフニ、ピネハスの死、エリの死、ピネハスの妻の死、イ・カボテ、ダゴン神殿に置いた契約の箱、アシュドテの毒腫、ガドの毒腫、エクロンの危機 ペリシテが攻めてきました。戦争が起きて多くの人が死んだのです。ところで、大祭司の息子ホフニ、ピネハスが戦場に出て行って、全部、死にました。大きい問題が生じたのです。エリにきて報告しました。「戦争が起きてあなたの二人の息子が死んだ。そして、契約の箱も奪われた。」エリがその話を聞いて、椅子から倒れて首が折れて死にました。嫁が赤ん坊を産んで、また死にました。それで、その名前をイ・カボテとつけたのです。ペリシテは、契約の箱を持って行ってダゴン神殿に置いたのです。あえて神様の契約の箱を偶像の神殿であるダゴンの宮に置いたのです。不思議なことが行われました。朝起きたところ、みなダゴンの像がひっくり返っていました。この人たちが、立て起こしたのですが、その翌日、ダゴンの像の首、腕、足がみな切られていました。そして、アシュドテ地方に呪いがくだり始めたのです。私たちが神様をとても冒とくすれば、そのようになります。神様は不信仰する人が戻ってくることを待たれますが、人間がとても神様に敵対することはあってはいけません。ペリシテは契約の箱をどこに持っていくのか研究しました。それで、ゴリヤテが住んでいるガド地域に持って行ったのです。ゴリヤテの故郷はガドです。そちらでも、また呪いと毒腫がくだされました。エクロンに行ったのですが、また呪いがくだされたのです。 ②戻ってきた契約の箱(Iサムエル6:19-7:2 ):ペリシテの人々がどうしようもなくて、送り返したのです。このようにしてイスラエルの回復が始まったのです。 (2)ミツパ運動(Iサムエル7:1-17 ):サムエルがすべての偶像をなくしてミツパ運動を起こしたのです。すべての偶像を破壊して、すべての民が悔い改めました。レムナント1人が起きたので、全地に神様の答えが臨んだのです。 (3)レムナント・ダビデを準備(Iサムエル16:1-13 ):このようにしてダビデのような人物も作り出されました。これがサムエルが受けた答えです。私たちのレムナント1人が起きるとこのようになります。 三重の使命を果たすレムナント・サムエル ※宣教-未来-世界:私たちが宣教を正しく悟れば、すべての未来と世界が見え始めます。この3つのことは知って出発をしなければなりません。確かに約束をできます。他の見方をすれば、おもしろいと思うでしょうが、理解ができないこともあります。福音を本当に悟れば、すべての問題と答えが全部見えます。どこに行こうが、伝道の目だけあければ、すべての現場が全部、見えるのです。皆さんが宣教の目を開けば、未来が全部、見えます。それで、本当に宣教をしようとするので、レムナントという単語が出てきたのです。本当にレムナントを生かそうとするからRUTCという話が出ました。私はRUTCという単語を置いてずっと祈っていたので、さっきレムナント芸術団が見せたことは普通に見えません。このように、どの教会であっても、良くできる子たちがたくさん出なければなりません。そうしてこそ、私たちが放送を送りだして正しい文化を伝えるようになるのです。この3つのことは悟って始めなければなりません。イスラエルはこれを知らないので、いつも困難にあったのです。皆さんに今年、この祝福が必ずあるようになることを希望します。 @結論3つのことを味わうようになります。 ※アイデンティティー(Iペテロ2:9) (1)祭司(使徒16:31):皆さんが行く所ごとにすべての呪い、災い、運命がみな離れるようになっています。祭司の祝福です。この祝福を私たちに与えられました。Iペテロ2:9に確かに結論を出されたのです。サムエルだけこのことをしたのではなく、確かに与えられました。「あなたがたは、王である祭司」「この光を宣べ伝えるために呼ばれた」と言われました。 (2)預言者(ヨハネ14:6):皆さんが行く所ごとに、確かに聖霊が働かれるようになっています。預言者の祝福です。 (3)王-サタン,天使:皆さんが動く所ごとにサタンは逃げるようになっています。皆さんが行く前に主の使いは派遣されるようになっています。王です。これが皆さんのアイデンティティーです。今年は昨年と連結させて、3つの改革、3つの征服です。人生・宗教・文化改革、現場・経済・文化征服です。これをするためには、3つの目を開かなければなりません。本当に福音の目を開けば、開くほど、確かに違います。信じても、信じなくても事実です。分かっても、分からなくても事実です。ただ知らなければ味わえないだけです。この事実を信じなければ、少し混乱するだけです。。 * 使徒16:31 -皆さんは神様の子どもだから、皆さんひとりのために家全体を救い出すようになります。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたとあなたの家族が救われます」とおっしゃられました。まず皆さんに困難がくるようでも、みな過ぎ去るのです。みな勝利するようになっています。 * ヨハネ14:6 - 「私が道であり、真理であり、いのちなのです」とおっしゃられました。この道を知らせる預言者の使命を果たすのです。 * サタン,天使-行く所ごとにサタンは縛られるようになっています。行く前に主の天使が送られるので、皆さんが行く所ごとに答えられるようになっています。これを回復しなければなりません。皆さんひとりが受けた祝福は、とても大きくて、全てのことをみなできます。それで愚かなユダヤ人のようにならずに、本当に福音、伝道、宣教を悟る出発があることを希望します。それで、サムエルのようなレムナントが、皆さんの教会で火がつきるように起きることをお祈りします。この祝福が必ず皆さんのことになることを希望します。アイデンティティーを回復しましょう。福音、伝道、宣教を回復しましょう。 |