2008年5月17日 伝道学校講師団 場所:イエウォン教会
レムナント伝道学(133) 聞きたいメッセージ(12) 経済の勉強をどのようにするのか (I歴代29:10-14)
キム・ドンゴン師 ☆☆☆要約資料☆☆☆ 1.家庭で作られた性格形成 (1) 経済 (お金) - 貧しさ、金持ち (2) 90%の人々の苦しみ - 何もうまく行かない人々 (3) 宗教と不信仰 2.正しい経済観 (1) 物質がついて来れる位置 (2) 成功がついて来れるキャラクター (3) 神様の必要に応じて生きる必要な人 3.神様の答えを正しく受ける時に可能 (ダビデ) (1) 詩78:70-72 (2) Ⅰサムエル16:1-13、23 (3) Ⅰサムエル17:1-47 (4) 詩23:1-6、詩142:1-7 (5) Ⅰ歴29:10-14 4.ダビデの告白 (1) 詩23:1-6 (2) Ⅰサムエル17:35、43-47 (3) Ⅰ歴29:10-14 (The end) ☆☆☆録音資料☆☆☆ →序論 ▲ダビデが告白が私たちの告白となれば、どれくらい良いでしょうか。私たちのレムナントは言うまでもないのですが、牧師も一番惜しいのがお金です。レムナントも大学を卒業すれば直ちにこれのためにうろたえるようになります。ところで、私は神様に会えてお金に対して答えを与えられました。私が神様に会って少し恵みを受けたら、神様が私の父で、私は神様の子どもで、その上に天国の鍵まで与えられたのです。私の父が万物の所有者ならば、子どもである私に当然、与えられないでしょうか。その時まで神様を知らずに世の中でお金を儲けようともがいていたのですが、そのような必要がないと思ったのです。私に強く、そのような気がしました。そうするうちに、ある日、ご飯を食べるべきなのに、朝食がなくて、マタイの福音書6章にあるように、食事も神様がくださることだと思って、朝食を求めて祈りました。それで、よく食べることができました。私の一生に食事の心配はしなくてもよい....私は放蕩者の出身なので、お金が必要でしょうか。お金を求めて祈ったのです。もらえないように思えたのですが、与えられました。それで、本当に私はお金に対して他の見方をすれば、とても訓練をたくさん受けました。何のためにそのように牧師である私にお金に対して訓練をよくされるのでしょうか。後ほど分かりました。それで、神様が私にお金をくださる時に、どのようにすれば私がお金を受け取るのかという通路をもらいました。それが献金です。少し恵み受けたので、謝礼費をもらえば、とても神様に感謝したくて、十分の一献金をささげたくて、献金をささげたくなりました。放蕩者の出身なので、それまでお金を一銭も儲けられなかったのですが、しっかりしたので、月給をもらったら家に入れるべきなのに、しきりに私の心に献金したくなったのです。それも、それしか仕方がなかったのが、私が神様に会って、私がしっかりして職場にも通って、何か買えるから、とても有難くて、神様の前に差し上げたかったのです。私が2年3ケ月後に単独牧会に入ったのですが、初信者なのに、誰も手助けする人がいませんでした。それで、神様の前に教会をくださいと言うから、おかしな教会に入りました。それから、神学校入ろうとしたのですが、初信者に牧会をさせられたので、神様、とても緊急なことではないですかと神様の前に尋ねたところ、その時、神様が反問するのに、あなたはあなたの人生を生きるのか。わたしがあなたの人生を生きているのではないか。わたしが主人であるからわたしに任せなさい!と言われたのです。私は牧会を始めながら、教会は神様が主人で、私はお手伝いすることだと思ったのです。それなら、私がお手伝いができないでしょうか。教会を始める時、貸し家に入ったから、毎月家賃が必要だから、神様が主人なので、家賃をくださいと言うと、不思議なことに、神様が与えてくださいました。一度は、神学校を通うのに登録金がなかったのです。それで私が、神様、神様が神学校に入れと言われたのなら、登録金も責任を負われるべきですよと祈りました。ところで、登録金はもらえず、一度は、1年、通えなかったりもしたのですが、神様が訓練させられたのです。とても事実的に、お金に対して訓練をさせられました。ある時は、私たちの息子が高等学校に通っていた時、学費を出せなくて、教務室に呼ばれて行きました。それで、家内が、なぜ家庭に対してじっと見ているのですかと言いました。ちょっと待っていなさい。私たちの家庭に主が、そのまま放っておられないと言いました。私は初めから私の人生を私が生きているのではなく、主がなさるのを見たので、これは単純なことではありません。ある時は、娘の結婚式があるのに家内がお金が、これくらい必要だと言いました。それで、私が、あなたは今、誰に話しているのかと言いました。私たちの家庭の家長と主人は主です。私に話してみても仕方がないから、私も主人に話してみるから、あなたも主人に祈ってみなさいと言いました。結婚式が終わって私に言いました。あなたは真に無心だと..結婚式が終わったら、祝い金が入ってきたのも気になるでしょうに、尋ねないと...それで、明らかなことではないか、主がなさるのに、足りないこともなくて、残ることもないでしょう... ▲私が牧会をして17年後に物質から解放されました。タラッパンする前でした。不思議でしょうか。祈れば神様が与えられます。それが私には神様がこのように大きいことを進行できる祝福の人として作る機会でした。 ▲子どもならば、だれが責任を負うべきでしょうか。両親ならば、当然、子どもの責任を負わなければなりません。それでは、誰を見つめるべきでしょうか。神様を見つめなければなりません。万物の所有者で、私たちの使うことをみな準備しておかれたので...とてもやさしいことなのに、聖徒たちがこの部分でさまよったのです。ところで、神様が私にこういう部分に対してはやく答えを与えられました。 ▲人がお金の問題があると、それだけでも余裕がなくなります。私がお金を豊かに使う機会にいつ出会ったのでしょうか。私が柳牧師に会って、RTUCをしようという時、私が悟ったのです。お金に対する話が出るから、神様が私にくださった恵みを証しするのです。私たちの教会が宣教をするから、考えるのに、今は毎月24万円を神様にささげます。24万円の中で、家内が私を謝礼費で手助けするのは2万円しかありません。決意する時、相談しなかったと...あなたの信仰でしなさいと言いました。あなたの言葉通り信仰ですると言いました。ところで捧げてみたら、どれくらい恵みなのか分かりません。柳牧師がRUTC献金を決意する時、神様、私がどれくらいささげれば良いでしょうか。1千万円はささげなくては...それも3年後に一ケ月に28万円をささげなければなりません。私は、すでに神様がどれくらい準備しておかれたかを信じて、私たちの父なる神様が金持ちなのに、何が心配なのでしょうか。天地が私のお父さんのものなのに...私が人を使う時、主の人を使ったら、詐欺師ではなくて、はっきりと使うではないでしょうか。少し恵みの中で目が開いたので、神様と私の関係、神様の働き、答えの働きを見ながら、確信が与えられました。一昨年に捧げたのは、50万円を捧げています。一ケ月に50万円を捧げるのに、大変ではなく、どれくらい恵みになるのか分かりません。家内は謝礼費で一銭も手助けしません。その次に昨年には1月になったのですが、お金20万円が残ったのです。それで、私がこのお金をどこで使うだろうかと見たら、使うところがありました。私が教会を千坪買う時に、私が一千万円を決意したのですが、5百万円は地価ですでに出していたのですが、一ケ月に20万円ずつすれば、2年ならば480万円なので合うのです。少ないお金でしょうか。ところで、神様が与えられるので、思いきり使うのです。それで本当に感謝するのは、無尽蔵にあるんだな!感じたのです。銀行にあります。使う人が持ち主です。私は牧会をすると、牧師がお金の部分に対して心配になって、未自立教会という時、お金のために困難な目にあいます。それで教会をはやく復興して、数が多くなって、献金が多くなるためにすることは、他の見方をすれば、神様を見上げるのではなく、人を見るようになるのです。私はRUTC共同体になるということは、地上でこれより重要なことはないのに、当然、神様がなさると見ています。なぜでしょうか。神様が地球を回しておられるので... ▲世の中で子どもたちが生まれるのに、世の中で生まれるので、肉的な考えに捕えられているのです。両親らが肉的な考えに捕えられています。ただ成功して、出世して、お金を儲けなければならないと思うのです。しかし、神様に会えば終わります。ここに対する挑戦です。私は牧会といえば、本当に聖徒たちがこの部分にならないではいけません。私は柳牧師に会った後に、さらに物質に対して豊かなことを味わうしかないのが、すでに福音が全てのもので、この福音の中で神様の計画の中にあって使えないこともなく、使うしかないのです。それと共に、牧師である私が聖徒たちが思いきり使って、聖徒たちが思いきり使ってこそ、レムナントが見ることではないのでしょうか。それで、私は結論が福音、キリストがすべてだ!と思っています。 ▲私たちのレムナントが聞きたいメッセージです。経済に対して....これをどのようにすべきでしょうか。事実、この部分がだいぶ重要です。家庭が子どもたちにはすべてです。お母さんのお腹の中から影響を受けます。 1.家庭で作られる性格形成 ▲子どもたちは、家庭で性格が形成されます。私は家が偶像崇拝をよくしたので、よいことがなく、町の人々が運が悪い家だと言われていました。それで、私は運が悪い親に会って、運が悪い家に会ったんだなあと思っていたのですが、これが私が結婚して、社会生活するのに、全く同じことが起きたのです。手をつけることごとにだめでした。特に経済に対して... (1)経済(お金)-貧困,金持ち ▲事実、お金ならばすべてだ! これがどれくらい危険な思想かわかりません。お金ならば最高だ...生まれてみたら、親がお金を見つめていて、人々がお金ならばできると言っていました。私たちがこの部分に対してレムナントに確かにつかませないならば、一生の間、葛藤するようになります。これは福音を持った家庭で、確実に与えなければなりません。私が信徒を見ながらいつも感じるのがそれです。信徒たちは、牧師のその信仰、人生や行為をひそかに、そのまま同じようにします。事実は、牧師が説教する中に、信仰も全部見えて、人生も見えて、全部すべて見えるのです。それなら、私たちのレムナントに指導者が確かにつかませなければなりません。私が神様の子どもという部分を分かって、私はただ神様を見上げなければならない、神様のかたちに造られたので、人間にすべてくださるようになっていて、祝福の源だと言われたのです。相続をくださると言われました。だから、私たちのことをみな探すのです。それで、堂々と出せと言うべきで、ぶるぶる震えてはいけないのです。 (2)90%人の困難-だめな人々 ▲ところで事実90%の人々がだめになっています。それで柳牧師が、10%、1%に入りなさいと言うのです。なるしかはないのに..未信者はだめです。未信者の中に世の中を維持するために成功をさせた人もいます。 (3)宗教と不信仰 ▲それと共に、親を通して宗教と不信仰の影響を受けます。どれくらい怖いでしょうか。否定的な考えが根をおろして... ▲これが家庭で作られる性格です。それなら、私たちがどれくらい重要でしょうか。私たちのレムナントを育てる指導者や教師たちがどれくらい重要でしょうか。これは口だけでなるのでなく、本当に福音の中で味わってこそ、お金も味わって、人生も味わわなければなりません。レムナントに事実的にならなければならないのです。 2.正しい経済観 ▲正しい経済観を教えてやらなければなりません。 (1)物質が付いて来る位置 ▲物質が付いて来ることができるように...これが祝福です。主が私を主のために物質も使う時、物質が付いてきたのです。神様が物質を与えられる理由がなければなりません。ご飯を食べて生きるというのに、そこに何の物質を与えられるでしょうか。信徒たちが肉的な考えを抜け出せないからだめなのです。福音は全てです。お金に対して怖くなることがありません。神様がみななさいます。神様がどこにお金をくださるでしょうか。ご自分の子どもに...単に与えられるのではありません。うつわがなっていない人にお金を与えれば、それのために滅んでしまうからです。無尽蔵に注いでくださっても、主の国と栄光のために...私の通帳は御座にあります。無尽蔵に調達できます。私のために準備する必要がありません。創造主なる神様が私とともにおられるから、その方がお金、知恵、力もみな持っておられるその方が私とともにおられて、私の全てを満たされるから心配がありません。 (2)成功が付いて来るキャラクター ▲それで私たちは成功を追いかけて行くのではなく、成功が私に付いて来なければなりません。成功の祝福が来る人は、福音の中にいる人、神様の計画の中にある人、神様がするという事実を知っているインマヌエルの人です。こういう人は成功しないとしても、成功します。主人が主だから、主が計画されたらできないことはありません。 (3)神様の必要について生きる必要な人 ▲神様は必要な人に祝福を与えられます。神様が必要な人とは誰でしょうか。世界福音化は神様の計画です。そのことに主がともにされるのです。こういう事実を知っている、その中にいる人に神様は注いでくださるのです。私の動機が介入すれば、神様は絶対に働かれません。福音の中に入れば小さな子どものようです。自らのバベルの塔や、自らの方法では絶対にだめです。そのまま単純に、純粋に主を見上げながら、主が願われる時代的な働きの中に入ればできます。 3.神様の答えを正しく受ける時に可能(ダビデ) ▲私たちが神様の答えを正しく受ければ可能です。 (1)詩78:70-72、羊飼いの時、すでに正しく準備されました。だから羊飼いをするダビデに神様が一生に働かれるしかありません。だからレムナントに開始がどれくらい重要かわかりません。今でも遅くありません。今でも新しく出発しましょう。レムナントに初めから正しく教えなければなりません。 (2)Iサムエル16:1-13,23油を注がれた時、聖霊充満です。その時から聖霊充満の働きが持続しました。ですから、サウルにあった悪霊が離れました。私が恵みを受けてから私のレベルではありません。神様が導かれるから、私のレベルなのでしょうか。福音と恵みの中に入るから、他のものが付いて来ることができなかったのです。確信です。 (3)Iサムエル17:1-47、ゴリヤテが相手になりません。 (4)詩23:1-6、詩142:1-7、主がともにおられるのです。だからダビデが失敗できないのです。私が足りないことはありません。主がともにおられるのに...創造主が私の人生の責任をとり、ご自身の計画の中に私を引っ張っていくのに、私が足りないことがあっても良いでしょうか。 (5)I歴代29:10-14、天地にあるものがみな主のもので、それが私のものです。大きくするのも強くするのも、主の御手にあります。富と栄えは主から... ▲ダビデは幼い時から、この答えの中にいるから怖いことがなかったのです。私たちのレムナントがこのように立つ時、怖いことがありません。 4.ダビデの告白 ▲あまりにも事実的な告白です。 (1)詩23:1-6、全く足りないことはありません。だから世の中が太刀打ちできない人になったのです。信仰の英雄になったのです。 (2)Iサムエル17:35,43-47、ゴリヤテがゲームにならないのです。 (3)I歴代29:10-14、天地にあるものがみな主のものです。 ▲私はいつも初心に帰ります。福音をずっと聞くから、ずっと新しく悟ります。それと共に、そこにともなう答えが実感できるようになってくるのです。ですから、私がその味を知ったら、今、67才なのですが、これからおよそ13年をさらに見るつもりです。確かに神様が働かれます。皆さんが、私たちのレムナントがどれくらい尊いのでしょうか。主が何か私たちのために準備しておられます。できたのではありません。私たちを今、訓練の中に立てていかれていると信じます。私たちが立てられれば、その土台の上にレムナントが立てられると信じます。こういう祝福があることをお祈りします。 (祈り) 感謝します。主よ。特別に新しい恵みをくださったことをありがとうございます。とても大事な牧師、とても大事なレムナントたちです。私たちの時にこの福音を通して、世の中を変化させて下さい。私たち自らが先に変わりますように。その土台で私たちの関係した、特に私たちのレムナントたちに働いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン (The end) |