2009年3月7日  伝道学校講師団 場所:イエウォン教会



レムナント伝道学(173)
レムナントの答え(6)
読書する習慣
(詩篇1:1-6)
 キム・ドングォン牧師

☆☆☆要約資料☆☆☆
1.両親の読書と胎・嬰児
(1) 両親の節度
(2) 両親の霊的な状態
(3) 両親の読書習慣
2.幼い時の読書習慣
(1) 両親と一緒に読書
(2) 両親と一緒に礼拝
(3) 両親と一緒に運動 ・ 旅行
3.中 ・ 高 ・ 大学 ・ 青年
(1) 読書する習慣
(2) 体質
(3) 未来 (運命)
4.詩1:1-6
(1) 幸いでない者
(2) 幸いな者
(3) 結果
(The end)

☆☆☆録音資料☆☆☆
→序論
▲神様のみことばは詩篇1篇1-6節です。共に読みましょう。牧会的な次元で大事な時間、何かを話したいです。私はイエスを信じて2年3ケ月ぶりに単独牧会に入りました。初信者である私に、神様は神学校から入るのでなく、牧会からしなさいと言われたので、私で見ては情けなかったのですが、神様がそのようにおっしゃられるから、そのように準備をしました。私はそのように牧師が多くて、教会が多いのに、なぜ私を見て牧会をして教会をしろと言われたのでしょうか。準備ができないで、信じてそんなに時間が経っていず、神学の勉強もしなかったのに...だいぶ私は多くの部分に考えて始めました。結局、私が牧会、教会を正しくしようとするなら、何か信徒の前に、教会の前にモデルになるべきなのに通常の問題ではありません。それで、私が人生キャンプの部分をはやくつかみました。牧会も重要ですが、自分自身が重要です。人生を半分生きながら崩れて、勉強もほどほどにしてみたのですが、それではだめなことが分かりました。
(1)恵み-私が神様の恵みを受けながら多くの部分を悟りました。本当に人間は恵みがなければ生きられないんだな、神様の恵みと祝福でだけ生きるということだな。それで、神様の前にひざまずいて祈って恵みの中で生きるように人生を与えられたのです。私が一般信徒の時、聖書を見て神様は神様を信じる人を通して働かれるというのを見ました。神様は本当に神様を信じる人を通して、ご自分の働きをなさるということを見たのです。神様を信じる人には自分の計画でなく、神様の計画が必ず与えられるというのを見るようになりまいた。人生キャンプを神様を最高と信じる人で...それなら私に向かった神様の計画が何でしょうか。それを徹夜祈りをしながら、この部分を発見しました。必ず私が牧師になるためでなく、私が神様を信じるので何か神様の計画が私にもあるでしょう。その計画の中に入ってこそ、何か神様の働きを成し遂げるようになるでしょう。そして、結局は、神様の計画は私がするのでなく、神様がなさるということを発見しました。それが、インマヌエルでしょう。これを私が発見したのです。私はそれがただ喜んでするから、神様の計画は神様が成し遂げられるのです。主もそのようにおっしゃられました。幼い私が神様が私に与えられた小さい教会を始める時、神様に祈ったのです。神様、私が初信者ではないですか。どのように、私にこういう牧会を任せられるのですか。その時、神様が私に尋ねられたのは、あなたの人生をあなたが生きるのか。あなたの人生をわたしが生きているのではないか。それで、私の人生を主が生きておられるということを悟りました。あなたの人生も生きられない、あなたに教会を任せるだろうか。教会の頭はキリストで、頭は神様だ。あなたはお手伝いだけすればよい。その中で、神様が知恵もくださって、力もくださって、果たすことができるようにされるということを分かりました。
(2)限界-こういう恵みの中にいればできるはずなのに、限界がきて、試みにあって、時々不信仰に陥ったのです。羊の群れを導く主のしもべが試みにあって不信仰になれば、どうなるでしょうか。神様の力がすごくて、創造者で、万物を摂理しておられるのに..私がその神様を信じているのに、ダニエルは捕虜になっていっても、ヨセフは奴隷になっても、サムエルもそうだったのに、私はどのようにすべきでしょうか。信徒が行って職場生活する現場がどんな現場なのに、私が牧師で、養育者として、私がだめならばどうなるでしょうか。私は激しい葛藤を感じました。私がこのように適当にして行って良いのだろうか。
(3)福音-そうするうちに18年に柳光洙牧師に会いました。ヤンスリ修養館で集会する時、福音は全てのものの終わりで、結論だと言われました。信仰が全部で、恵みが全部と思っていたのに、その方は福音が全部で、終わりだと言われたのです。それでは、私が信仰生活を間違ったのか。私が初めてのボタンを誤って締めたのか。それで、私が今でもまたしてみなければならないと思って、みな下ろしたのです。その時、教会の壮年がおよそ300人なったのですが、その時、信徒を見て申し訳ないと言いました。私が福音を知らずに苦労させたことを申し訳ないと言ったのです。それと共に、徹底的に信徒に共に教会を仕えながら恵みを受けたのですが、私が決断したのです。私が先に生きなければならないから、私を置いてくださいと...それで、その時から、みな下ろして平日に教会を離れて、福祉教会にメッセージを聞きに行きました。私が本当に心を抱いたのです。私が一週間に4度柳牧師の面前でずっと福音を聞きました。初期のタラッパンおよそ3年間は、メッセージする時すばらしかったのです。その時、私が柳牧師のメッセージを録音して、一日に5-6時間、聞きました。およそ5年聞いたら、超越するという単語が出てきました。岩というものが理解できたのです。私は驚いたのです。これだな! その後から福音に根を下ろして、事実になって、どんな問題の前でも揺れなかったのです。それとともに柳牧師のメッセージ、訓練の中で何を発見したかというと、完全福音でなければだめなことを発見したのです。私たちの働きがものすごく大きいから、サタンの攻撃が少なくないということを分かりました。それと共にずっと福音を聞いてみたら、単なる計画ではなくて、私たちは完全時代的な計画の中にいるということを発見しました。それと共に私が感じたのが、これは私たちがするのでなく完全インマヌエルだな!を分かりました。
▲それで、朝の最も良い時間に純粋福音、完全な福音をずっと聞いたのです。国内にいようが、海外にいようが、この時間をのがさしませんでした。このようにするから、信仰生活が本当におもしろかったのです。およそ13年メッセージ聞きながら、なるという意味を発見しました。この話だな!また話せば、私の人生でなるのです。牧会がなる...私がトンブ教会をしているのですが、神様がしていかれるのを見るのです。
(4)現場-人生キャンプになるから、何か現場の中で現場キャンプになりました。私たちは牧会の中で、牧会キャンプにならなければなりません。特に、私は働き人キャンプ、時代的な弟子をどのように立てるのでしょうか。聖書を見れば、なるしかはありません。こういうものを見る時、私は感謝するしかないのです。それと共に柳牧師の訓練の中に、福音の中で絶対のがさないでいます。今後も10年余りの間、福音の中に入れば何か正しく出てこないだろうかと思っています。アブラハムにおっしゃられた祝福の根源がどんなのかが出ると思っています。

1.両親の読書と胎嬰児
▲両親ができなければ、子どもにできません。他の見方をすれば両親がすべてです。
(1)両親の規律
▲私を見つめれば全部見えます。話をしなくても、母親を見れば、母親の品が出てくるようになっています。その姿そのまま行きます。子どもたちの前でそのように生きているのに、その規律が、子どもたちにそのまま行くのです。福音の中で人生キャンプになった人に正しい規律が出てきます。
(2)両親の霊的状態
▲そして両親の霊的状態です。保育園の教師がいうのが、子どもが家に帰ってくれば変わるということです。両親が霊的状態が良ければ、子どもが家に帰ってくれば変わります。
(3)両親の読書習慣
▲子どもたちが幼い時の読書習慣です。とても重要です。これが両親にかかっているのです。

2.幼い時の読書習慣
▲幼い時に読書習慣が入らなければなりません。とても重要です。私が浪人で勉学を約4年しました。本に対して、私が心が引かれたことは試験が終る時ごとに図書室に行って本を借りたのです。恋愛小説、エッセイ、本をたくさん読むようになりました。それが習慣になったのか、私が海外に出て行く時は必ず本を持って行って本屋に行きます。体質がだいぶ怖いのです。
(1)両親と一緒に読書
▲これがだいぶ重要です。家庭の雰囲気がそうならなければなりません。両親が本を見れば、人生をあのように本を読みながら生きるのだな!子どもたちが感じをつかみます。
(2)両親と一緒に礼拝
▲礼拝とは何でしょうか。幼い時から神様を見上げるのです。神様から知恵が来なければなりません。
(3)両親と一緒に運動、旅行
▲両親と一緒に運動もして、旅行も一緒に行って...これが重要です。我が家にも、要員がいるのに、なぜ度々外側にだけ大きくするのでしょうか。外の働き人は育てなければならないのですが、しかし、家の働き人は静かに置いておいても、見るようになっています。これから牧師の子どもはまちがいなく牧会をよくするでしょう。

3.中高大青年
(1)読書する習慣
▲福音をずっと聞きながら、福音を悟って見ると本が見えるようになりました。事実、私たちに重要な祝福は習慣です。私が毎朝テープを選んで聞く習慣が体質化されて、このごろは聞かなければ変です。朝祈って、夕方に祈るのが習慣になるから、自然に、それがさらに雰囲気が良くなったのです。
(2)体質
▲習慣化させて体質化させなければなりません。
(3)未来(運命)
▲これが未来にならなければなりません。私は教役者に今でもそのようにします。今でも遅くありません。大学に入りなさい。今は専門化時代なので、私たちが羊の群れを、エリートを正しく大きくする準備ができなければいけません。大学に入って、どんどん私をアップグレードして、一分野の指導者として用いられなければなりません。そうしてこそ、必ず未来があるのです。そうならなければ、結果は明らかです。事実はこの恵みを受けることができないのです。

4.詩1:1-6
(1)恵みを受けることができない者
▲私たちは完全な福音の中に入ってきているので、こういう習慣にならなくなっていてはいけません。
(2)恵みを受けた者
▲私たちは恵みを受けた者です。ダビデのように、いつも主は私の羊飼い。主を見上げて...クロスビーのように、目が見えなくてもかまわないほど...そして、私たちは恵みを受ける者です。
(3)結果
▲だから結果は明らかです。時になって、実を結ぶしかありません。すべてのことは栄えるようになっています。
▲私は年齢68才ですが、序論のことを絶対にのがしません。私がなればできると信じます。人生キャンプになれば、できると信じます。福音の深さ、広さははかり知れません。私はこれから牧会が12年ほどは、福音の中に、訓練の中にずっと行くならば、先生の境地を理解して、使徒パウロの働きや一時代を動かしたモーセを見ながら何か感じをつかまないかと思って持続しています。
(祈り)
主が恵みを与えられたことを感謝します。私たち自ららが、先に人生キャンプが成されるようにさせて下さい。私たちの両親が先にモデルになるようにして、読書習慣が体質化するようにしてください。私たちのレムナント、次世代がそうなるようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)