2010年 8月7日 伝道学校講師団 場所:イエウォン教会
場所:ソウルイエウォン教会 講師:柳光洙牧師 (整理:チャ・ドンホ牧師) レムナント伝道学(239) RUTC 時代(28) 「現場で一般信徒を生かしなさい」 (マタイ9:35-38)
〓 教材資料 〓 1. 現場(マタイ9:35-38) (1) 道に迷った人々 (2) さまよっている信徒 (3) 揺れている学生たち 2. 現場を生かす前にすること (1) 祈り (2) みことば (3) 伝道 3. 小さなことから生かすことができる現場 (1) 理解(ヨハネ8:44) (2) 配慮(ヨハネ3:16) (3) 助け(Ⅰ列王記5:1-10) (4) 伝道(答え)(マタイ16:16) (5) 地教会(マタイ28:16-20) (6) 弟子(使1:1-8) (7) 再生産(使2:1-47) 〓 録音資料 〓 ◆レムナントは現場で一般信徒を生かすことがなければなりません。ところで、多くの人々がマタイ9:36節を見ると、羊飼いがいない羊のように弱り果てて倒れていると言われています。ところが、伝道をしようと思えばタラッパンが何だ、異端だという論争に巻き込まれます。それで、私たちのレムナントが困難にあうようになるのです。しかし、そうではありません。もしそうではないと言っても未信者が迫害をすることもあります。 ◆この迫害を予想されたイエス様がこのようにおっしゃいました(マタイ13:1-58)。いつでも伝道戦略では、この部分から使わなければなりません。 (1)種- よい地 ◆種を蒔くたとえを話されました。あるものは道に落ちます。それで実がないのが当然です。それを見て気落ちするのはまちがっているのです。また、あるものは岩地に落ちて、ちょっとなりそうなのに、だめです。またいばらの道に落ちたのは、よくできたあとにだめです。大部分の信徒が言うのを見ながら、伝道に対する答えを捜す事ができないのです。必ずよい地があります。ここに種がひとつ落ちてしまえば、実は何百倍、幾千倍になるのです。 (2)毒麦- 麦 ◆そして、ある人は反対して、ある人は悪口を言って、ある人は言うことを聞きません。それで、毒麦と麦のたとえを言われたのです。毒麦は毒麦なので、そのまま置いておけば、あとから焚き物用で必要なのです。しかし、麦だけぴったり引き出せば良いのです。 (3)からし種- いのち ◆それで、からし種のように、とても小さなことなのですが、からし種がいくら小さくてもいのちがあるのです。 ◆これを一応基本にして方法を使うのです。 (4)パン種 ◆正しい福音運動は私が現われるのではありません。小麦粉の中のパン種のように広がって入って行くのです。反対する者もいません。パン種が広がるように広がって入って行くから、だれも見ることもできないのです。 (5)農夫- 宝の畑 ◆そして農夫のように見えます。しかし、おびただしい宝の畑を見つけたのです。これを見て行くことが伝道です。 (6)商売- 貴い真珠 ◆通いながら商売する人のように見えます。ところで、この人は貴い真珠を見つけて持っている人です。 (7)魚のたとえ ◆それほど心配する必要のないのは、私たちは伝道をするのに無条件に商人のように連れて来ようと思っています。そこで、失敗の原因になるのです。大部分を見ればいのちを愛するより、開拓すれば難しいから、全部、連れて来ようと思っています。そこで、もう失敗が始まるのです。イエス様が魚のたとえを言われました。これは釣る人や漁師は分かります。特に釣る人々は、鯛をつりに行くのに、他の魚が釣れたら取りません。専門家であればあるほどそうです。秘書たちはやたら取りますが、釣り専門家たちはそれほどしません。専門家たちは波、水勢、温度、すべてチェックをして待ちます。そうするうちに、水が動く時、水のため待つのです。違うものが釣れたら、すべて捨てます。それが専門家です。ある人は真鯉を釣りに行って、さばを釣っても、絶対に取りません。魚を釣る漁師、専門家がそうです。どんな魚でも捕るのではありません。私たちがだれでも教会に連れて来るのではないのです。商人でしょうか。教会が食堂なのでしょうか。教会はその中に神様の民が集まる所です。 ◆イエス様がたとえを言われたのですが、驚くたとえを言われたのでした。私はここで伝道を悟りました。恐ろしく思うこともありません。これが通じることを、私たちは動機がないと言います。動機、動機と言うから、聞き分けられないのですが、しきりにいばらの道、岩地を捜し回りながら、そこでだめだと言うことが動機です。いつも毒麦をつかまえて争って時間のすべてを送って...それが、動機があるのです。レムナントも伝道運動するのに、行ってタラッパンだ何だと言うことはいりません。人々がすっかり変化するようになるのですが... 1.現場(マタイ9:35-38) (1)道に迷った人々- それではこの現場では多くの道に迷った人たちがいます。 (2)迷う信徒- 道に迷うから、よく暮らしているように見えるが迷っているのです。 (3)揺れる学生たち- 多い学生たち、ときにはレムナントたちも、牧師たちまでも揺れています。 2.現場を生かす前にすること ◆それで現場を助ける以前にしなければならないことがあります。現場を助ける以前にしなければならないことが、祈り、みことば、伝道です。今度の夏に一番多く宣べ伝えられたことです。もう一度、核心の時、またこの話をします。これにならなければなりません。この部分は、ある面ではやさしいのです。私の現場に行って見れば、一番だめなことがあるのですが、これを福音化してしまえば三つのことが起きます。ヨセフは最大の困難にあったのですが、それを福音化しました。奴隷に行ったことを神様が送ったと 100% 味わいました。そうでしょう。ところで、レムナントはそのように思う人はだれもいません。私は滅びたと、その親を恨みます。それでだめなのです。私を福音化がさせる事ができないから、福音を持っているのにだめなのです。それで福音と福音化とは別のことです。福音は持っているのに、教会へ行って問題に会えば、福音化しなければなりません。飛び出してはいけないのです。福音化になれば、すごい事が起り始めます。 (1)祈り (2)みことば (3)伝道 3.小さなことで生かすことができる現場 ◆レムナントたちは、現場に行ったら小さなことをすればよいのです。 (1)理解(ヨハネ8:44)- 少し友だちや状況を少しだけ理解すれば、答えを与えることができます。 (2)思いやり(ヨハネ3:16)- 少しだけ気配りしてあげれば、多くのことが開かれます。 (3)助け(Ⅱ列王5:1-10)- そうするうちに、ちょっとしたことを手伝ってあげれば、その時から門が開かれます。 (4)伝道(答え)(マタイ16:16)- 門が開けば、伝道になります。 (5)地教会(マタイ28:16-20)- 門が開けば、他のことを頼るまでもなく、すぐ地教会を作れば良いのです。レムナントができるのでしょうか。レムナントがすればよいのです。 (6)弟子(使徒1:1-8)- それでは、ここで弟子が出ます。私の弟子ではありません。キリストの弟子が出るのです。いつまでしなければならないのでしょうか。それも基準があります。ある人は最後までするのですが、そうではありません。それが間違いです。私が知っているタラッパンメンバーを見れば、10 何年をひとつに固まって通っています。それが伝道が分からないことです。それでは皆さんの教会は絶対に復興できません。ある人は弟子一人が生じれば、逃すかとも追って、目を光らせて付きまといます。他の教役者が付くかと思って、目を薄赤く開いて花火みたいな目で見ています。タラッパンで言う事を聞かない人を見れば、仲間を作ってつれて回ります。その人々は牧師の言葉も聞きません。 (7)再生産(使徒2:1-47)- 基準がどこにあるのでしょうか。その人が自ら私のように再生産させてあげれば、私はまた別のところに行けば良いのです。レムナントが卒業して出る前まで、これをしなければなりません。そうすれば、卒業したのに、また学校へ行くのでしょうか。不可能な事です。除隊したのに、また軍隊に行くのでしょうか。この弟子を私がいなくてもできるよういさせなければならないのです。これが正しい伝道です。 ◆それでレムナントは今から始めなさい。考えを変えなさい。手伝ってもらわずに伝道運動をしなさい。しきりに手伝ってもらおうと思っています。私が知っていることだけ言えば良いのです。私がいただいた恵みだけ言えば良いので、私たちが神学の講議をするのでしょうか。普通、レムナントが言うのに、教役者を派遣してくれと言います。もちろん、教役者がいれば良いでしょうが、教役者がいなくても良いのです。レムナント自ら伝道運動をしなさい。レムナント自ら弟子運動をしなさい。このような事実を知らせてあげれば、これだけ持っても弟子運動 3年をするのに十分です。それで、教会に手助けになるべきで、教会に手伝ってもらうと思ってはなりません。教役者を呼ばずに地教会をしなさい。そして、伝道ができれば、その人を教会に連れて来れば良いのです。そうしたら、教役者は教会へ来れば、教役者は講壇で手伝ってあげれば良いのです。だれがなにかの分野を手伝ってくれればありがたのですが、手伝ってくれないとしても関係がないのです。それで、私が恵みを受けるだけすればよいのです。それでは、神様が恵みをくださるでしょう。これが私たちのレムナントが現場を変化させる方法です。レムナント 7人がすべてそうでした。 ◆ところで、こんな人が出ることがあります。私はしてみたのですが、だめです。牧会者も私はできないのに...必ず二つだけ悟れば良いのです。 (1)時刻表があります。 (2)私を一度客観的に一度眺めてみなさい。 私のような人があちらにいると考えてみなさい。そうすれば、すぐ見えます。多くの理由が私にあるというのが分かるようになります。その中で最大のことが、事実は私たちは無能でしょう。それも見えれば神様が恵みをくださいます。人は自分を客観的に見る事がなければなりません。レムナントは必ず覚えておかなければなりません。だれかが私の悪口を言う時は、怒らずに私を客観的に見なさい。乞食が缶を持って通えば自分の姿が分かりません。いつも缶を持って通ったから自分の姿が分からないのです。ところで、それを写真を撮って見せてあげなさい。これがおまえだ!それでは衝撃を受けるのです。人間は、衝撃をたくさん受けます。これが私なのか。どいつが私をこんなにしたのか。私がこのようにさせたな! ◆それで心配を全然しないで。リーダーになる牧師たちは動機だけ捨てれば 3日経てば、人々が分かります。もう福音は持ったから終わったのです。もう世界征服する権威、すべて持っています。私が動機を捨てれば、本当に福音の前に立ってしまえば、ひと月さえ経てば、教会員たちがすべて分かります。心配する必要はありません。確かになるようになっています。それで、レムナントは手伝ってもらおうと思う必要はありません。その言葉は、人が必要ないということではありません。人々が助ければ良いが、なくても良いのです。このようにして、私たちのレムナントが生きるようになることをイエスの御名で祝福します。祈ります。 (祈り) 神様に感謝します。レムナントたちが、自分を見ながら生かすように、恵みを与えてください。すべての祝福の開始であることを悟るようにしてください。特にすべての牧師たちが祝福の開始であることを分かるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。 (The end) |