2004年1月25日インマヌエル教会聖日メッセージ
1部/ 安息日の主人であるイエス・キリスト
(ルカ6:1〜5)
・今日、礼拝する間に目に見えない聖霊が皆様と完全に共におられるように願います。またここで礼拝している皆様の現場、家庭、子どもたちに、神様の天使が派遣される祝福の時間になることを希望します。また皆様が少しの間座って祈る時間に、周囲にある暗闇の力、あらゆる呪いがみな崩れる時間になることを希望します。 そして、神様の国が臨んで、あなたがたが行く所ごとに弟子が起きる祝福があることをイエスの御名によってお祈りします。
・私は時々、一人でにやりと薄笑いをする時があります。ずっとそういうことではありません。ずっとすると、精神病であるゆえに、時々そのようにします。おもに、いつそのようにするかというと、ある記者が私にこういう質問をしました。先生に対して非難をするのに、なぜそのままいるのか、答えなければならないと言いました。単に薄笑いをしました。その質問には返事をしませんでした。またおもに見ると、このようなようにするならば教会が復興するというような話をする時、私は薄笑いをするのです。またある教会では、数十億円を使ってものすごい教会堂を建てたというような話を聞きながら、薄笑いをします。ヨーロッパにあるすべての教会が、そうしたのに、いまは食堂、博物館にみな変わったのです。私はその理由を知っているために、薄笑いをするのです。
・今日の本文を見ると、パリサイ人がイエス様を見て、あなたの弟子がなぜ安息日に罪を犯すのか、なぜ穂をつむのかという質問をしました。私はこの本文を見ながらも、薄笑いをしました。本当におかしな話です。人々はそのようにみなおもしろく生きていっています。すると、あなたが何でそんなに立派なのか? あなたは、そのようにあざ笑うほどすごいのか? そのように質問できます。その話ではありません。一つの理由ためです。少なくとも、ここに座っている方達は、何か保障があるべきです。なぜでしょうか?そうしながら、みな滅びるために、滅びない保障がなければなりません。皆様の子孫に保障がなければならないのです。それゆえに薄笑いをするのです。だめなことを熱心にしていても、できないはずなので、薄笑いをするのです。福音もなく、お金を集めて無理に教会堂を建てたので、笑うのであって、それは感謝することではありません。
・釜山に有名な中国食堂がひとつありました。たくさんうわさされた、有名な最高の食堂です。この主人が息子もいないのに、長くしている途中で年を取り始めました。この食堂が有名だから、他の人にその食堂を渡したのです。それで名前が変わることになりました。売り渡して、その間に時間がなくて、大きい食堂の建物を保険に入れなかったのです。次の週に保険に入ろうと考えていたのです。その間に火事になりました。不思議に思えることです。ですから、すっかりみな燃えてしまいました。ですから、一つも補償を受けることができなかったのです。完全に滅びてしまいました。私が燃えた家を見たら、そこだけ燃えたのでした。今、人に火事が起こったことを話すのではありません。保険になぜ入るのでしょうか? 未来を見て、どのようなことが起きるかわからないと思って入るのです。信仰も同じです。ここになぜ座っているのでしょうか? なにか私たちは保障を持って座っていなければなりません。これをのがすならば、愚かになってしまいます。その話を考えるので、笑いが出てくるということです。人々が何も知らずに回って、熱心にして、何も知らずに信仰生活をするのです。
・あなたがたが、この世でどんどん困難が続いて、苦しむ理由を知っていますか? ある家に事故がおきるのを見ながら、これが皆様の事ならば、どのようにするでしょうか? 私は一度、TVで映画を見たのですが、ある犯罪者が車が必要になりました。ですから、女を道に横にならせたのです。まったく知らない人が通り越して、女が横になっているので、車を止めました。この人が死んでいるのか、生きているのか見ようと、起こそうとしたら、その犯人が鉄棒で頭を殴りました。すると、どうなるでしょうか? ですから、車の後に乗っていた子どもをつかまえて、自分が乗っていた古い車に入れて、ドアが開かないように閉めたのです。そして、そのまま行けば良いのに、その古い車に火を付けてしまったのです。この人たちは、なんの関係もなく、道を行く時にそのようになったのです。本当に驚くことです。映画ですが、実際にもあるのではないでしょうか。それが、皆様がやられたら、どのようにするでしょうか? 世の中には、実際に多くの困難が来つつあります。
・私は自閉症の子ども達の修練会に一度行ってみたことがあります。色々な考えがたくさん起きましたが、一つ心にまだ残っていることがあります。自閉症になった子どもも子どもですが、このお母さんが大変だという気がしました。とにかく、正常でない事をずっとするのです。すると、このお母さんがついて、いつも止めます。これが一時間するのではなくて、一生、そのようにしなければならないのです。ですから、私は内心祈りが自ずから出てきました。お母さんが難しいでしょう。本当にこの人たちが難しいでしょう。単純に聞いたことと、私が見たこととは、また違うように感じられました。
・皆様、家庭に精神病患者一名だけいても、どうなるでしょうか? 釜山にあるかなり良い生活をする家なのに、息子が精神が狂いました。一度は来て、祈梼院に行ってきたと言いながら、父の前に刀を突き出したのです。お父さん、私のために何でもできますかと言いました。ですから、この父が、「うん、あなたが直るならば、私が何でもする」と言いました。すると、お父さん、私が祈梼院に行ってきたのに、献金しなければならないから、家をみな売って献金しなさいと言いました。ですから、この父がだめだと説明して、息子はしなければならないと二人がけんかしたのです。話が通じないと、息子が刀をとり出しました。幸いに、精神が狂ったこの息子が、私のメッセージを聞きながら、私に対してすこし良く考えていたのです。それで、父に知恵が生まれたのです。「分かった。あなたは柳光洙牧師を知っているから、そこに行って一度尋ねよう」と言ったのです。精神が狂って対話ができないから、尋ねて柳牧師が売れと言えば売るし、売るなと言うならば売らないと言いました。約束をしたのです。子どもの精神が狂っても、どれくらい賢かったか、柳牧師にあらかじめ電話しないと父を本当に殺す、一緒に行ってみようと言いました。それで訪ねて来ました。精神が狂った息子と父と息子の夫人の三名が私の家に来ました。状況が分からないから、父がまずその内容を話しました。幸いに、その青年が私の話をよく聞いたのです。それで、おかしな団体もあり、おかしな人々もいて、祈り、イエスといえど、おかしな人々も多いと私が説明しました。結論は、家を売って献金してはならないという話をしました。幸いに、その子どもがそれで考えてみて、分かりましたとあきらめて行きました。本当に良い生活をする家なのに、そうでした。父も父で、精神が狂った本人も本人ですが、その奥さんを見ながら、本当に遣る瀬ないという気がしました。なぜならば、精神が狂った人は本人が狂っているから分かりません。父はとても苦しい姿でした。ところが、その奥さんがどうも魂が抜けた姿だったのです。これをどのようにすればよいのか、そのような姿でした。生きることもできないし、死ぬこともできない、こういう顔でした。ところが人の雰囲気は本当に良い人でした。嫁にきて、すでに子ども2人を産んだのに夫が途中で狂ったのです。
・こういうことが、その家に一ケ所だけあるのではなくて、本当に多いのです。このように、どんどんずっとなっていく問題をどのようにするのでしょうか? 理由が何でしょうか? 私たちと関係なく、困難はどんどん来ます。今、私が話したことは、本人の過ちでもなく、困難が来るのです。どのようにするのでしょうか? 生きている途中で引退して年をとれば、同じようにこのような人生になってしまうのを、どのようにしなければならないのでしょうか? 考えもしなかった病気や困難が来るのですが、人生はなぜこうなのでしょうか? 正確に話せば、聖書はそれを原罪と言います。これを早く記憶しなければなりません。それで、創世記1:2を見れば、皆様が生まれる前に暗闇、混とん、空虚の中にあったということです。その説明を今、しようとするなら時間がありません。たぶん私たちのハン・サンベ牧師が重要なメンバーには説明をすると言いました。すでにアダム、エバ以前にサタンという存在があったのです。その事実をどのようにするのでしょうか? これが、アダム、エバにきて滅びるように誘惑したのです。これがネフィリム時代にいろいろな暗闇文化、偶像宗教を作りながら、どんどん困難を迎えました。それで、イスラエル民族がそのように神様をよく信じたのに、奴隷で、捕虜で、ずっと苦労したのです。どのように考えるでしょうか?
・それで、神様が創世記3:15 '女の子孫’を送るとなさったのです。人生の理論と学問と関係なく来る霊的問題、人間の問題を解決しようと、キリストを送ることを約束なさいました。そこには理由があります。皆様が 創造されて、私達が存在する前にすでに天国、天使がまずいたのです。神様が機械として作られなくて、人格として作られました。それが堕落したのです。それがサタンです。黙示録12章に出てきます。人間を作っておけば、明らかに人間を誘惑をするはずです。それで、神様がそれを防止しようと、人間を人格的に作られたために、倒れることもあるから、創世前に救いを準備されたのです。何の話なのか分かるでしょうか? それで、私達が生まれる前に福音を準備したということが、そのような話です。アダムとエバがサタンの誘惑を受けて 倒れてしまいました。神様は、責めることもされず、すぐに門をあけられました。 '女の子孫がへびの頭を踏み砕く'. 誰でも箱舟の中に入れば生かされます。分かるでしょうか? 羊の血を塗る日、解放されました。それで、イエス様が '主は生ける神の御子キリストです'と告白するから 'あなたはペテロです。この岩の上にわたしの教会を立てます'と言われたのです。分かるでしょうか? この保障から受けなければなりません。これから 悟れば、絶対に滅びません。
・今、困難があるのは過程で、皆様が今まで投資したこと、根をおろしたことに対する調整をする時間です。ある人は故障が非常にたくさん出て、修理するのに時間がかかります。それを見て人々が非難するのです。神経を使う必要がありません。修理中です。この保障から受けねばならないということです。皆様がこれを聞いてもかまわなくて、聞かなくても良いのではありません。聞かなければ、大変な事になります。それで、私が福音のうれしい知らせをあなたがたに伝えます。聖書に 'うれしい知らせを伝える私の足よ'. これは何よりも重要です。それで、この保障から受ければ、皆様は絶対に失敗しません。ここに主人公がいらっしゃったということです。ところが、パリサイ人がこれを悟ることができなかったのです。パリサイ人が、悲惨になったのに、それも知らずに、今、大それた事をするようになりました。私は多くの訓練の中で最もおもしろく感じられることがあります。教会成長学です。そのようなことを見れば、内心笑います。何で教会成長を人がさせるのか?と思うからです。それが成長させることでしょうか?
・今日、皆様が2番目に悟るべきです。重要なことを知らないから、する事が全部逆に違うようになるのです。この契約を悟ることができなければ、しきりに反対になる結果が出てきます。さて、今日見れば、キリストがいらっしゃって、弟子と共に通り過ぎられました。弟子が通り過ぎるときに畑で小麦をつみました。それを手で押したのです。皮をむいて食べたのです。その日が安息日でした。なぜ安息日に、作業をするのかと文句を言ってきたのです。おかしなことです。このように信仰生活するのに、重要なことを悟ることができなければ、全部逆にするのです。より大きい問題を作りだすようになるはずです。これを悟ることができなければ、無駄骨となります。今日、その内容がユダヤ人の議論です。ですから、ユダヤ人は全部逆に悟ったのです。律法を守ってこそ救われると言いました。誤って悟ったのです。そして、伝統、思想、こういうことを捕まえて、これが最高と言いました。はなはだしきは、我が国イスラエルは選民で、他の国は全部異邦人だと言いました。ですから、こういう失敗が出てくるしかないのです。
・安息日には、どのようにしているか知っているでしょうか? 金曜日の夜から土曜日の夜までが安息日です。その日は何にもしてはなりません。今でもセブンスデイ・アドバンティストは、そうしています。今でもユダヤ人は、そうしています。本当におもしろいのです。ですから5里以上も歩いてはならないと言いました。そして安息日には、何にもしてはなりません。仕事もしてはなりません。安息日はお金も使ってはなりません。これがユダヤ人の教えです。すると、安息日に教会まで行くのに、10里あればどうするのでしょうか? 5里以上は歩くことができないのに、教会は行かねばならないではないでしょうか。教会は10里あります。どのようにしなければならないのでしょうか? ですから、この人たちが、変に頭を使ったのです。杭をひとつ持っていきます。金曜日の前日に歩いていくのです。教会と家の間の5里の所に杭を打ちこんで置きます。すると、神様、安息日に歩いていくことはここまでは来たゆえに5里を行くのです。そのような印ですという意味です。そのような愚かなことをするのです。ですから、明日歩くことをあらかじめ行くから、明日歩くのではないと杭を打ちこんで家に帰るのです。すると、結果的にどうなるでしょうか? 杭を打込みに行くのに5里、帰って来るのに5里、10里です。そして、実際にそこから行けばまた10里です。この人たちが、結局20里歩くのです。こういう愚かなことをするのです。ですから、これが全部逆にすることです。
・皆様が福音のものすごい秘密を悟ることができなければ、全部、逆にします。献身、奉仕することが、全部、逆になるのです。見る目が逆です。生き方が全部逆に。違うようにずっと生きたら、後ほどどのようになるでしょうか? こういう失敗が絶対にないことをイエスの御名で祝福します。簡単なことではないでしょうか? 人々が愚かなのです。知識人が教会に行かない理由が何でしょうか? バカのようだからです。それで行かないのです。ですから、話す言葉がないから、教会では善良に暮らしなさいと言います。善良に暮らしなさいならば、善良な人は善良だから、教会に行かないでも良いでしょう。非常に秩序をよく守るから、秩序をよく守れば、教会に行かなくても良いのです。教会に行かないで守れば良いのですから。私が知っている教授一人は、絶対に教会に出て来ません。なぜ出てこないのかとたずねました。自分の奥さんが勧士なのに、自分より生き方がなっていないからです。教会に行けばあのようになるから、私は行かないと言いました。どれくらい逆に悟ったことでしょうか? それで、あなたの霊的問題はどのようにするのかとたずねました。あなたの人生は、どのようにするのか? あなたのたましいをどのようにするのか? 人々は、全部逆に話して、逆に知っているのです。地球上にある霊的問題は、どのようにするのでしょうか? 皆様が犯した罪でもない原罪ゆえに、人間がみな死んでいくのに、どのようにするのでしょうか? 知らずに全部、逆に悟っています。新しく信じる人がいらっしゃるならば、信仰生活は簡単です。神様の子どもになることです。
・皆様が三番目に捕まえねばならない契約があります。この契約を捕まえれば、皆様に重要な祝福が確かにきます。その最初が何でしょうか?あらゆる運命、呪いから解放されます。本当に救われれば。すると、私のメッセージをインターネットで聞く方達が多いのですが、僧侶もたぶん聞いているでしょう。多くの宗教人が聞くのですが、すると、それだけが救いで、自分たちは違うという話なのか? というように質問することができます。もちろん、あらゆる宗教は良いことです。しかし、私はその方たちに証拠を出すことができます。実際に証拠を出すことができるのです。先ず一番に使徒13, 16, 19にあるように、有名な占い師に行けば、悪霊につかれた人であることがすぐわかります。ある牧師が私にこういう質問をしました。私がどのようにすれば、霊的治癒と福音を正しく悟れるかとたずねました。すると、本当に私が言うとおりするかと言いました。すると言いました。精神病院に一ケ月だけ勤めなさい。イエスがキリストか、誰なのか分かるようになるはずです。宗教と霊的問題が何か、確かに分かるようになるはずです。
・そして事物を見ることが違います。教会と宗教ゆえに苦闘するのです。しかし、そのような必要がありません。神様の子どものあなたがたには、驚くべき神様の祝福が開かれるようになるはずです。どんな結果がくるのでしょうか? 本当にあなたがたが、真の安息が何か分かって、理解するようになるはずです。誰かがたずねました。なぜむかしには旧約に安息日を守ったのに、いまは聖日を守るのでしょうか? 聖書にあります。ヨハネ20:1に出てきます。安息の後の初めの日、その日イエス様が復活なさったのです。安息の後の初めの日ならば何曜日でしょうか? 聖日です。その日、イエス様が復活なさいました。初代教会が安息の後の初めの日、聖日に集まった証拠があります。その時からいままで、ずっとしているのです。また神様が私達が木曜日に礼拝するからといって、礼拝を受けてくださらないのか? そのようなことではありません。今日、救われれば、あらゆる日が安息日で、聖日になるはずです。今日、神様のみことばを見ながら、どれくらいパリサイ人が愚かな信仰生活をしたのかが分かります。こういう信仰生活をして良いでしょうか? だから、皆様が命をかけるに値する価値ある祝福を、今日捕まえてくださるように望みます。
・すると、どのようにすべきでしょうか? 信仰生活に最も重要なことは、私を早く確立させることです。自分の夫がどうすべきかではありません。私を早く知っていなければなりません。自分の妻をどうすべきかではありません。私を早く確立させなければならないのです。何を持って? 福音を持ってです。すると、皆様は絶対に滅びません。今話す聖書のみことばが正しく見えるでしょう。
・その次に皆様が2番目にすることがあります。これからは、家族ととなりを生かすことができる素晴しい人に変わるべきだということです。
・三番目にすることです。皆様は、世界宣教と伝道をする程、実力を揃えるべきです。もしかしたら、信仰生活が良くできない方達、初めて信じる方達がいるでしょう。私は結論が出たゆえに、常にすることがあります。この頃、誰かが私に報告するのに、大将キムというドラマが人気があって、たくさん見ているということです。皆様は見ないかもしれませんが、私も見ることができなかったのに、先週、一度見ました。私は見る時間がないのですが、昨日、再放送するのを見たのです。そんなに人気がある大将キムがなにかと思って詳細に見たのですが、それほど見たくないという気がしました。食堂をする人たちは、見るだろう考えました。食べる話がおもに出てくるためです。昨日、少し見た中に、チャン・クムという女の人が母親に呼吸を長くしなさいと話す部分を見ました。それも切なく、呼吸を長いようにしなさいと話をしました。その場面だけ見たのです。一理があると考えました。
・なぜなら、私が常にする3つのことがあります。一日中、ほとんど道を行く時も、座っていようが、一日中、長い呼吸をします。少し誇張して言うならば、あなたがたが、そのようにすれば病気になりません。私がそれをしながら、私と会った人、私と関係ある人、思い出せる人、あなたがたのために、その中にみな入れて祈ります。もうひとつは、20個の戦略、契約を捕まえて混ぜて3つをいつも祈ります。それで今、現場で起きる働きがそのまま起きるのではなく、その中でいつも味わいながら祝福を受けるのです。そのようにしてみれば、本当に良いのです。誰かが妨害することもなくて、私一人が通いながら、ある時は話す時もそのような呼吸を 長くします。すると、説教は一日に十回しても大丈夫です。その中でいつも皆様のために祈って、戦略のためにいつも祈って、この三つが連結しています。皆様一度、してみてくださるように願います。どのようにできるかというと、皆様が今、常にしていると、答えがひとつずつ、ひとつずつくるはずです。これを契約にして、この二個を祈りでいつもして見ましょう。呼吸しようとするなら大変ですから、祈りでずっとするように願います。それで、この三つを常にしてみると、驚くべき事が起きます。
・今週、米国に行ってきました。米国をものすごく育てた人物の中に、ロックフェラーという人物がいます。大事業家でした。この方が、それを置いていつも祈ったのです。メッセージを捕まえていつも祈りました。礼拝の前に行って、いつでも祈って恵みを受けなさいという母の話を聞いて、いつも祈ったのです。事業しながらも、その契約を入れて、いつも祈りました。この方は、教会に献身して、無条件に助けました。いつも祈ったのです。神様がこの人に想像を超越する人間の力ではだめな答えをくださいました。神様の前でいつも、自分は金をもうけることがおもな特技だから、献金も多くして、宣教も多くするようにと祈りました。そのような中に、自分の両親が話したことの中の一つで、一般信者として献金を一番たくさんして、宣教するようにさせてくださいといつも祈ったのです。礼拝堂に行ったら、一番前の席に座るように、前もって行くようにと言われました。前もって行って、祈って準備しなさい。教会に行っても、不平不満を言わず、無条件に助けなさい。主の仕事だと考えて、無条件にしなさい。こういうものを両親が教えたのです。ところが、大部分聞き流してしまうのに、この方は、本当にこの契約を捕まえて祈ったのです。
・米国へ行ってみれば、高速道路を作って、ものすごい教会を建てました。永遠に修理しようと保険にも入り、教会を建てました。そのような教会を2000ケ以上建てたのです。それほど神様が答えられたのです。その方が先ず一番に立てた大学がシカゴ大学です。シカゴ大学がどれくらい有名でしょうか。そのような大学を24ケ建てました。神様がそのような祝福を注いでくださったのです。契約を捕まえていたためです。この人が、ユダヤ人なのですが、どれくらい福音を悟ったか、驚くべき祝福がその人に降り注ぎ始めたのです。どれくらい事業がよくできるかというと、その当時は、小切手をあまり使うことができない時代でした。小切手を書いても、今のように使う時代ではなかったのです。この人が聖日にきて十分の一献金をすると、礼拝が終わってロックフェラーが献金したことだけ会計する人が40人いたということです。簡単に話せば、ロックフェラーに神様がものすごく注いでくださったのです。ロックフェラー財団で、会社、成功した財団、今になっている名前が分かるを集めると、電話帳ぐらい厚い本になります。
・それが単純な頭でできるでしょうか? 単純な力でできるでしょうか? 今でも、米国大統領を立てたり、立てないことに、影響をおよぼすらしいのです。だから、神様が祝福なされば、私たち人間の力を超越するのです。想像もできないみわざが起きます。簡単です。これが福音を正しく持った人が、祈りの中で味わうようになることです。皆様が今から、この契約を持って祈り始めれば、限界を越えることができます。皆様がこの契約で祈り始めれば、人間の力を越えます。こういう驚くべき事が起きるのです。ひとりでいつも祈る時、何の祈りをすれば良いのでしょうか? 皆様、合宿訓練で受けた内容をいつも祈ればよいのです。
・今日、講壇に立つやいなや、皆様に祝福した内容です。皆様が行く所ごとに聖霊が共におられるのです。なぜでしょうか?皆様の中に聖霊がいらっしゃるためです。皆様の目に見えない行く所ごとに天の軍隊が動員されるはずです。皆様が座る所、立つ所ごとに、暗闇の勢力は逃げるようになるはずです。皆様が行く所ごとに、神様の国が臨むようになるはずです。そして、成功の中の成功、皆様の子孫と弟子が立つようになるはずです。驚くべきことではないでしょうか?
・こういう真理をみな覆って、なぜ小麦をつむのかという話を今、しています。こういうものすごい祝福は知らずに、あなたの弟子は、安息日に小麦を取って食べるのかと言うのです。批判です。少し後、AD70年、イスラエルを奪われて、1800年間散在して、どれくらい多くの苦労をしたでしょうか。なぜそうなったのでしょうか? その重要な福音を受けたイスラエルが、それを伝えなかったから、神様がその国を難しくさせたのです。こういう話を、牧師達が集まった時にしました。
・ある教役者が、死んでいく人が教会に出したお金を自分の懐に入れました。罪以前に、どれくらい悪いでしょうか? 死ぬ人が教役者を信じて、自分が死ぬので、教会に献金したのに、それを懐に入れる人がどこにいるでしょうか? そのためなのかは知りませんが、家庭もみな崩れて、今、徹底的に滅んで、なんにも出来ずにいます。私はそのようなことを見ながら、精神的に本当に異常だ、人がどうして、そのようなことが出来るのかと思います。ユダヤ人の罪はそれよりひどいのです。ものすごい答えを、人を生かすメッセージを与えたら、それはしなくて、こういうことをしているのです。
・次の週に見ますが、イエス様が安息日に手がなえた者を癒されたら、なぜまた安息日に病人を癒したのかと批判しました。
・今日、あなたがたは真の福音の祝福の保障を受けた人々です。これを捕まえて、今からずっと祈って見ましょう。皆様の働きと祈りの答えが、一つ一つくるはずです。それを連結して、ずっと祈ってみましょう。真の平安がくるはずです。そして、真の答えがくるはずです。すると、今まで私がたくさん違うよう、逆にしてきたということを知るようになるはずです。救いの秘密がどれくらい大きいかを時間が経てば分かるようになるはずです。
・今日、この席に参加した皆様にこの永遠な祝福が必ずあるようになることをイエスの御名でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。短い時間ですが、重要な時間になることを感謝申し上げます。今日、この方達が正しい福音、契約を捕まえた神様の子どもです。まさにこの席に座った時間に、人々が知らない聖霊のみわざがあらゆる所に起きるようにしてください。この方達の事業に、家庭に、仕事場に天の軍隊が動員されようにしてください。あらゆる暗闇、不信仰、心配が崩れる時間になるようにしてください。神様の御国が臨んで、真の弟子、子孫が起きる祝福を味わうようにさせてください。イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン
2部/ かん難の中で救いを下さった主
(詩篇69:1〜12)
・むかし幼い時、私の家のそばにおかしなおじさんがいました。おもに話を変にむやみにしたのです。その町では仇名がフーライ坊だとうわさが立ちました。正確な意味は知らないが, 'フーライぼう’という仇名でした。私も普段にその方を異常だと考えました。一度は、通りすがりに出会ったのに、この方は異常だという考えをする間に、あいさつができなくて行き過ぎたのです。その次にまた会ったのに、この人に挨拶をしなければならないか、しなくてもよいのかと考えている途中で、また行き過ぎました。幼い時から、教育を受けることはおとなに会えばあいさつをして、十回会えば十回挨拶しなさいと習ったのに、その人には2度もあいさつをしなかったのです。どんなに私も幼かったのですが、その時から私も自尊心があって、その人にはあいさつをしないと決心しました。あいさつをしないとするなら、見るべきではないから、すこしも見ずに通り過ぎました。そうしたところ、近所にうわさが立ちました。あいつは本当に高慢だとうわさが立ったのです。私は高慢にしていると考えなかったのに、高慢だとうわさが立ちました。私が高慢だったのか、そうでなかったのか、いまだによく分かりません。
・私が神学校に行って勉強するのに、学生達があまりに勉強ができませんでした。私もちょっとできないけれど、あのようにできなくては、これからどのように牧師になれるのだろうという気がしたのです。静かに聞こえてくる話が、柳光洙伝道師はちょっと高慢だといううわさが立っているようでした。心はそうではないのに、そのようなのかという考えをするようになりました。普通、牧師になれば一般的に人々と交わって、老会も行って、適当に上手にやります。なんだか私はそのようにしてはだめだという気がしたのです。熱心に伝道して現場に行くべきで、あのようにする必要はないという気がしたのです。そうしたところ、この人たちが、私に高慢だと言いました。よく交わることもせず、来ることもしないということです。その方たちが、結局、私を難しくさせました。高慢がなにか、いまだに私が答が出て来ていません。
・少し前に韓国でとても重要な方と会いました。分かれてから、私の家族のような重要な方が、私に話をしてくれました。よく会ってくださいました。ある方が、このような話をするのですが、行ったらその人がちょっと重要な人なので、堅くしないようにしてくださいと話してくれました。ということは、私が堅いということではないでしょうか。不思議です。私は全くそうではないのにということです。印象がそれで、そのようなのかと思いました。私は今日、社会を見たチョ・キボン長老を初めて見た瞬間、この人は本当に印象が良いという気がしました。印象があのようになるべきなのに、私は生まれつきこのようなので損なのです。ロシアに集会を行ったところ、パク・キボン執事に会ったのですが、その人を見ながら、本当に印象が良くて、良い人なのだろうという気がしました。私は印象ゆえにちょっと誤解されるのではないかと思います。
・ダビデもちょっと印象がよくなかったのかと思います。人々が誤解して、ダビデを殺そうとするのを見れば、そうではないようなのに、そのような誤解を受けたようです。しかし、私は皆様に今でも必ずしたい話があります。私たちの人生は一度だけです。ここに10代の人もいます。10代は過ぎれば一度だけです。20代もいます。20代がずっとあるのではなく、一度しかありません。ここにはすでに50を越えた方もいらっしゃいます。最後の機会です。一度しかありません。人生がもう一度あるのではありません。私がもう一度生きて、もう一度できるなら分かりませんが、ここで開拓を始めるのに、本格的にせねばならないことではないでしょうか? 人にも会って、友人もたくさん会うことも重要ですが、自分のことをのがしてはいけないではないでしょうか? 高慢だという話を聞いても、自分のすべきことをしなければ、それを聞かないようにと、行動することはできません。
・今日、あなたがたは記憶なさらなければなりません。ディック・ヒリックスという人がこう話しました。 'キリストがないあらゆる人は宣教対象だ.'と言いました。反対に 'キリストがあるあらゆる人は宣教師だ'と言いました。そうです。私たちは宣教師です。今日、私とあなたがたが特別に一般信者宣教をどのようにするのかという特別礼拝をささげています。次にいつ一度、時間があれば機能宣教献身礼拝をする必要があります。これから、また時間になれば地域教会献身礼拝をする必要があると考えています。
・今日、その中でダビデが一番、一般信者で神様の栄光をたくさん表した人です。たぶん今、政治家としてダビデぐらい立派な人物がいませんでした。今日、ユ・チョングン先生は、竹島ゆえにわが国の難しい部分で戦って、わが国を守った方ですが、国会に行くと挨拶をしました。理由を持った方なので必要ではないかという話をしました。いままであった政治家の中で、ダビデぐらい優秀な人物はいませんでした。ダビデといえば、ほとんど皆が知っています。幼い時、すでにゴリヤテ将軍を破った人です。全世界にうわさが立ちました。王になった後に一番領土をひろめて、一番力があるようにした人物がダビデ王です。今でもイスラエルの象徴がダビデの星です。今でもイスラエルもダビデといえば、すばらしいのです。知らない人がほとんどいません。ダビデは王になる前もそうでしたが、王になった後にもとても上手にやりました。困難もたくさん体験しました。神様の栄光を一番たくさん表した一般信者宣教師の中の宣教師でした。私たちの学生達とあらゆる一般信者は記憶しなければなりません。皆様が学校に行った時、心の底から学生宣教師ということを記憶しましょう。高等学校を卒業して、大学に行く時、私は大学宣教をしにいくと考えればよいのです。軍隊に行く人は、少しの間、軍宣教をしにいくのです。政治現場に行く人は、政治現場に宣教しにいくのです。そのような考えを持てば、まちがいありません。すると、神様の計画と合うようになっています。
・今日、一般信者宣教する、この重要な祝福の時間の中ですが、ダビデがどうして、そのように成功したのでしょうか? 多くのことがあるでしょうが、今日の本文を見る時、ダビデは約3つに要約できます。
・最初です。ダビデはかん難を恐れませんでした。普通の人々は、かん難が生じれば恐れます。普通、人たちは、困難が生じれば計算をします。ある人は、自分が損するようならば避けようとします。ダビデは、そのような人物ではありませんでした。かん難を全く恐れなかったのです。イスラエル民族がぶるぶる震えていた時、ゴリヤテの前に走って行ったダビデの性格を見ましょう。かん難を恐れませんでした。考えて見ましょう。10年を越えて20年間、殺そうと付いてまわるのに、ダビデは一度も恨まなかったのです。だから、ダビデは困難を迎えたり、かん難がくる時、全く恐れませんでした。学生達や多くの方達が習わなければならない部分ではないかと思います。
・神様の子どもであることが明らかならば、恐れる必要がありません。信仰の人々は、かん難にあえば、むしろ信仰が生じます。信仰の人は困難にあえば、祈ります。前に祈りを少ししたとするなら、より多くするのです。かん難の中で神様の計画を発見します。ダビデは特にかん難を恐れませんでした。皆様が生きていく間、思い通りに生きてはだめですが、困難がきた時、恐れる必要はありません。多くのかん難が迫る時、皆様は恐れず、神様の契約を捕まえて祈りましょう。
・今日の詩篇69:6に '万軍の神、主よ。あなたを待ち望む者たちが、私のために恥を見ないようにしてください。イスラエルの神よ。あなたを慕い求める者たちが、私のために卑しめられないようにしてください。'と言いました。14節には '私を泥沼から救い出し、私が沈まないようにしてください。私を憎む者ども、また大水の底から、私が救い出されるようにしてください。'. 特に17節を見ると 'あなたのしもべに御顔を隠さないでください。私は苦しんでいます。早く私に答えてください。'. ダビデがこのように貴重に用いられるようになったのは、かん難を恐れなかったからです。
・皆様が勇気を出すように願います。人が勇気を出すことと、出さないことは相当な差になります。信仰を持った皆様が、勇気を出さなければ、ものすごく健康とその他、全てのものがみな弱くなります。信仰を持った私達が神様の子どもであるために勇気を持てば、相当に変わります。すぐに皆様が気落ちしたり、弱くなれば、すでに血が違うように回ります。皆様が信仰の勇気でがんばれば、すでに血が違うように回るのです。あなたがたに困難がくるからといって気落ちする必要はありません。
・今回の冬の集会の時、レムナントを見て話しました。どんな場合にも気落ちしないで。神様の子どもは確かに勝利するようになっているので、気落ちしないで。皆様が小さくても、大きくても、困難にあう時、気落ちしてはなりません。理由が何でしょうか。神様の子どもです。神様が私たちのいのちを治めておられ、私たちの全てのものを治められることが明らかならば、私たちは恐れる必要がありません。この信仰がダビデにあったのです。それで恐れなかったのです。この信仰がダビデに本当にありました。お前は槍と刀を持って出てきたが、私は万軍の主の御名を持ってきたと言いました。サウル王と千人隊長が、お前のような子どもが将軍とどのように戦うのかと言ったのですが、その時、ダビデはこう話しました。私が羊を飼っている時、獅子がやってきたら、手ぶらで戦って獅子に勝った。本当にそのようなことがあったのです。神様が私をあの人の手から救い出されるという確信を持っていたのです。そして、このダビデは勇気あるように出て戦って、ゴリヤテを破って勝ちました。すごいことです。皆様が気落ちしたり、力が抜けたりすれば、いろいろな所が精神的に、肉体的にみな問題がきます。
・私は時々、TVで動物の世界が出てくる時、見る時ごとにバカだと感じられます。小さい獅子が隠れていていて、大きい獣を捉えて食べます。このバカのような大きい獣は、獅子がくれば蹴飛ばせば良いのに、逃げるのです。図体が大きいしま馬は、力が強いでしょう。獅子を蹴れば良いはずなのに、獅子がくると逃げます。それを知って、小さい獅子が飛んで行って首に食いつきます。首に一度食いつくと、大きい馬が倒れます。そのようにして、獅子が馬を捕って食べるのです。図体が大きい奴が戦えば良いはずなのに、恐れをなしてそのようになりました。幼い学生達はよく知らないでしょう。私たちが幼い時は、家中にネズミが走っていました。普通、ご飯を出しておけば、食事をネズミがまずします。理解できないでしょう。外を見ればネズミがたくさん行ったり来たりしていました。それで、猫をたくさん飼ったのです。今、猫を飼う人は、好きだから飼っているのですが、私たちが幼い時は、ネズミをなくそうと猫を飼いました。私が、猫がネズミをつかまえるのを見ました。私は話だけ聞いたのですが、実際につかまえるのを見たのです。ネズミがなにかを食べているのに、猫が走って前に来たのです。逃げれば良いはずなのに、どうしたことかネズミが猫を見るや、身動きできなくなるのです。ネズミはどれくらい速いでしょうか。速いネズミなのに、身動きできなかったのです。この猫が速く行かず、ゆっくりと行きました。言わば怖がらせながら、静かに歩いていったのです。猫が爪を立てて、ネズミをさわりました。だから、この手でさわったのです。二、三回さわったのに、ネズミが凍ったようになってしまいました。何度か転がしたら、心臓が麻痺したのか、そのままこわばってしまったのです。その時、私が見て、ネズミは本当にバカだと考えました。ネズミの穴に入っていけば、猫が入っていけないのに、おじけづいて行くことができなかったのです。
・人も同じです。小さい事に気落ちしたり、力が抜ければ、とても大きい損になります。ダビデはどれくらい 確信があったか、両親が私を捨てても、主は私を捨てることがないと言いました。大きい困難にあっている時、主は私の羊飼い。私は乏しいことはありませんと言いました。だからダビデがたくさん使った言葉が、主は私の避け所、私のやぐら、私の盾だと言いました。こういう単語を全部ダビデが書きました。あなたがたが困難が来たり、病気になったり、生きていると、そのようなことがあります。このような時、勇気を出して、信仰を捕まえて祈れば、勝利するようになっています。そのような時、気落ちしてしまえば、皆様も知らない間に 益々難しくなります。だから、ダビデの最高のところを選びなさいろ言われるならば、信仰と勇気です。どんなかん難も恐れませんでした。
・2番目です。どのようにダビデはこういう祝福を味わうことができたのでしょうか。救いの秘密を知って味わう者でした。3節に '私は呼ばわって疲れ果て、のどが渇き、私の目は、わが神を待ちわびて、衰え果てました。'と言いました。18節に 'どうか、私のたましいに近づき、贖ってください。私の敵のゆえに、私を贖ってください。', 29節には 'しかし私は悩み、痛んでいます。神よ。御救いが私を高く上げてくださるように。'と言いました。
・今日の1部礼拝を記憶するように願います。一般の人々は知りません。今、一般の多くの宗教人と知識人がよく知らずにいるのです。なぜこの世にどんどん霊的な問題がくるのか? 聖書は簡単に答えています。すでに人間が、皆様が生まれる前に、天国から天使が堕落してサタンになりました。黙示録12章を見れば出てきます。これが創世記1:2を見れば、暗闇の中に存在しました。創世記3章を見ると、アダムとエバを神様を信じることができないように滅ぼしました。創世記6章を見ると、ネフィリム時代を作って、人々が全部偶像と迷信にみな陥るようにさせました。結局は、人が霊的な問題に陥って死ぬようにさせたのです。人間は、それを知らなくて、そこに陥って死んでいくのです。それで、神様が人間を救うようになさって、メシヤ、キリストを送るようになさったのです。
・この事実をダビデが知っていました。旧約を見れば、メシヤに対する預言をダビデがものすごく多くしました。ダビデは少なくとも、救いの秘密を知っている人です。どんな場合にも失敗しませんでした。失敗してもかまいません。この契約を捕まえて祈れば、より大きい勝利を成し遂げられるはずです。
・そのようになるので、三番目のことが重要です。ダビデは見る目が違いました。一般の人々がない目を持っていました。何かの事件がおきたかのように見えますが、その事件の中で答えを捜し出したのです。皆様は、困難が来ても、気落ちではなく、神様の答えを捜し出さなければなりません。旧約のヨセフを見ましょう。奴隷で売られました。それが答えです。そこでどれくらい熱心にしたか、ヨセフは成功しました。ヨセフは、刑務所に行きました。終身刑を受けたのです。皆様ならば、どのようにするでしょうか? 滅びたと言うはずです。それが答えです。そこで重要な政治を学ぶようになりました。ヨセフが後ほど総理になりました。成功したのです。ダビデが逃げて回っている時間に、一番忠臣にたくさん会って、最も祝福を受けるようになりました。それを見る目がダビデにあったのです。今日、皆様が必ず記憶なさることを願います。どんなかん難も恐れる 必要がありません。その理由が何でしょうか。救われた神様の子どもです。それが2番目です。
・それなら目が開かなければなりません。事件が起こった時、それを問題とだけ見るのではなく、答えを捜し出すことができなければなりません。これがものすごく重要です。皆様は問題が起これば、どのようにするのでしょうか? 私は気落ちしたり、問題が起これば、むしろ問題をつかんで、とても大それたことをします。問題の中で答えを見ることができる目がなければなりません。必ず問題は解答があります。必ず錠前には鍵があります。だから問題が答なのに、それを知らなくて私たちは揺れるのです。
・私が20個の伝道戦略を全世界で訓練させているのですが、その20個は、本から捜し出したのではなく、全部、問題がきた時、聖書から捜し出したのです。私たちのレムナントとあなたがたが、問題がきた時、うろたえていず、答えを探す目が開かれることを希望します。また反対です。答えがきた時は、それだけ見るのではなく、そこで他の解答を捜し出さなければなりません。聖書には、紅海も分かれるようになりました。それが問題ではありません。重要な答を捜し出さなければならないのです。神様は、これをなさることができるのを見るのと、私たちをカナンの地まで導く神様であるということを悟るべきです。
・たぶん私たちの教会は影島で一番たくさん集まります。道さえ開けば、ここに10階の建物を立てて、私達が本当に多くの伝道運動をするはずです。たくさん集まることが問題ではありません。ここでまた答を探さなければならないのです。ここで解答を捜し出さなければならないのです。神様が私たちになぜ伝道運動をするようになさるのでしょうか? いったい釜山と大韓民国のために、何をすることを望んでおられるのでしょうか? ダビデはこういう答を持っていました。
・ダビデは未来を見る目を持っていました。そのために絶対に揺れませんでした。ダビデは王になることを知っていたゆえに、どんな場合も揺れませんでした。大祭司サムエルがきて、一人でいた時、頭に油を注いだのです。神様の命令を受けて、あなたはこれから王になるはずだと色々な話をしてくれたのです。ダビデが揺れる理由がありません。殺されそうになったら、逃げ通しました。誰かが殺そうとすれば、逃げて回りました。 全く気落ちもしなかったのです。理由が何でしょうか? 未来を知っていたからです。私たち信仰の人々は、未来を見る目を持っていなければなりません。今まで世界福音化は、国と民族と時代を捨てたことがありません。
・事実、米国は強大な国です。米国を見て、この話、あの話、どんなにしても米国はリーダーの国です。米国がきらいだ、好きだ、どんなに話しても、米国を相手にしては戦いになりません。私はそれを話そうとするのではありません。どうして、そんなに大きい国になったのでしょうか? 米国のそれを知らなければ、大きいことが起こります。英国で、ヨーロッパで福音運動をし始めた国が米国です。だから、歴史を知っているでしょう? 神様が米国を祝福なさった理由を、皆様が知っているでしょう? 歴史を見ましょう。一時、神様がヨーロッパを祝福なさいました。順番にです。神様が、どうしてローマやヨーロッパやドイツを祝福なさったのでしょうか? 世の中の人々はよく知らないのです。神様は、そのようにして、世界福音化を成し遂げていらっしゃるのです。伝道する国、伝道する民族、個人を捨てられたことはありません。
・私たちは未来を確かに知っています。それを悟ろうとすることが、今日する一般信者宣教です。今日、皆様が理由をわかるようになることを願います。私たちは、全世界に宣教師を送りましょう。全世界宣教に参加しよう、ということです。だから、この契約を確かに捕まえなければなりません。
・私はアフリカに行ってみました。アフリカの中にマサイに何日か行きました。マサイに少しいて、すぐに帰ってきました。とても驚いたのです。履き物がありませんでした。なぜ履き物を履かないのかと聞いたところ、履き物がなかったのです。子どもたちの足を静かに見たら、足がみな腐っていました。薬もありません。行きながら見たら、山に木がありませんでした。なぜ木がないのかとたずねたら、雨が降らないから木がみな枯れると言いました。その時、私が感じたことがあります。 '神様、私はここに宣教師でいなさいと言われても、死んでもいることはできません'. もちろん聞くところでは話しませんでした。一人でそのような考えをしたのです。少しだけ動いても汗が出ます。そして、そこで活動するということは、とうてい想像できませんでした。 それで私がこの人たちが、ここにきていることだけでも途方もない宣教だという考えをしました。その時、私がそのような気がしたのです。私は、ここに来ることができないから、この人たちに宣教費を送るべきだ、私は来ることができないのに、この人たちは、どのようにここにきているのでしょう。こういう人々が、宣教費を送ってあげて宣教するようにすべきです。福音を聞いてこそ生かされるのに、聞くことができることが出来るようにしてあげなければならないでしょう。
・私たちのパク・ウンギュ長老が、長い間、難民族宣教をしていますが、私が考えるのには、神様がたぶんその宣教ゆえに、私たち教会を祝福なさった理由がひとつあるということです。難民、国がない人々が集まっている所があります。タイ、ミャンマー、こういう所から追い出された人々です。簡単に話せば、この人たちを出てくることもできなくします。そこに他の人が入っていくこともできなくするのです。たぶん、政治的な問題で縛っているのです。そこに十何年、今、長老と私たちのメンバーが伝道しています。どれだけ貧しいでしょうか? そこにある教授や指導者が、一ケ月に韓国のお金、一万ウォン(千円)ならば食べていけます。仮りに100万ウォン(十万円)を与えれば100ヶ月暮らせるのです。どれくらい簡単でしょうか? このようなところに宣教費を送って、彼らが福音を知るようにして、霊的に悟れるようにさせなければなりません。どんなに政治をしようと苦闘して学校で教えても、霊的に問題があればできません。アフリカに行ったところ、道に子どもたちが行ったり来たりしていました。学校に行かないで放棄した子ども達8000人が、市内を行ったり来たりしていたのです。なぜかとたずねたら、先生もいなくて、食べていきることができないのでした。小さいパンひとつを食べて、一日中過ごすのです。彼らに少しだけ与えても世界福音化の門が開きます。これが一般信者宣教です。今日、私たちはこの契約を捕まえて、私たちは宣教師だといつも記憶しなければなりません。皆様は見ていないので、分からないでしょうが、全世界を回りながら見れば、どれくらいせつないか分かりません。
・私は行ってみることができなかったのですが、ニューギニアに行ってきた人の報告を聞きました。そこはまだ書く言葉がないらしいのです。言葉もなくて字もありません。信じられない程です。そこで聖書を教えようとするなら、字を教えて聖書を教えなければなりません。そうすると、人がどのように生きているのでしょうか? そのようなところがあるのです。話をすこし、二、三は言うらしいのです。それで山の中に一人で住む人々もいて、あらゆる人々がいます。ですから数字が4ケしかないらしいのです。一、二、三までして、四個になれば頭が混乱して、たくさんと言います。私たちは頭が悪くても、10ケになって混乱するのですが、四個だけになれば、混乱するそうです。実際にそうなのです。この人たちに教えて、福音を伝えなければなりません。地球全体を見れば悲惨です。人々がなぜ生きるのかという程に悲惨です。人生にある虚無が感じられる程に悲惨に生きています。フィリピン、タイの裏路地に一度行ってみましょう。私は行った時、怖くて出てきました。真黒な穴のようになったところがあったのですが、私が現れたら、全部、数十、数百名がみつめるのです。前だけがきらきらしているのですが、タイの後に一度入っていってみましょう。あまりにも異常です。こういう状況です。
・全世界に福音を与えて、彼らの精神を目ざまして、全世界のたましいを救って、霊的問題を解決することだけが、私たちが生きる道です。難しく考えないようにしましょう。私たちを考えればよいのです。私たちが幼い時だけでも牛、馬に荷物を積んで通って、道に牛、馬の糞が落ちていました。その時だけでも韓国にほとんど病院、薬局がありませんでした。韓国がとても難しい中に偶像崇拝していたのです。その時、高宗王の時でした。その時でもそうです。韓国に初めて宣教師が入ったのです。その人々が入って、教会と病院を立てました。学校を立てたのです。それで、韓国の精神を目覚めるようにさせたのです。あまりに偶像に陥って、簡単に話せば悪霊に仕えることに陥って、私たちの民族がそうだったのです。
・それで韓国に先ず一番に入った人が、医者のアレンという宣教師でした。その人が入って高宗皇帝とベルを付けました。それが韓国の初めての電話です。王様、からだが痛ければベルを押さえてくださいと言いました。それで、アレンが高宗王に注射もして、手助けすることもしながら、福音運動をしたのです。韓国に牧師でアンダーウッドという宣教師が入りました。その人が入って大学を立てました。それがこんにちの延世大学です。今でも延世大学にアンダーウッド像が作っておいてあります。韓国が闇にあった時、福音が入って生かしたのです。オーストラリアでお金を集めて人を送ったのです。韓国の人々があまりに難しいから、あそこ釜山の端にイルシン産婦人科という病院を作りました。韓国がどれくらい難しい時なのか知っているでしょうか? その時、女の人たちは、子ども産むと100人ならば100人みな家で産みました。そうしながら問題が生じれば死ぬのです。韓国の立場がそうでした。そのような基本的なことを手助けしようといったことがイルシン産婦人科、今のイルシン基督病院です。どれくらい感謝でしょうか? オーストラリアでなんの理由もなく、韓国を手助けしようとお金を送ってくれたのです。その病院から山頂を見るから難しい人々が住んでいました。火災に会って困難が来たうちの町内です。そこにきて教会を一つ立てました。それがイルシン教会です。それで私が イルシン教会出身です。幼い時、行ったり来たりしました。その中で、私がオーストラリア地域に宣教しにいく程になりました。どれくらい祝福を受けたでしょうか。顔も知らずに、何にも知らないオーストラリアから韓国にお金を与えて宣教師を送ったのです。皆様と何の関係ない人々が集まって、韓国のために祈ってアンダーウッド宣教師を送ったのです。私たち民族は来てくださいという声も出さなかったのに、自分たちが韓国のために祈ってアッペンゼラーという宣教師を送りました。それでいよいよ韓国の人物の中に目が開かれ始めました。イ・スンマン博士のような人がみなクリスチャンです。そして、ソ・チェピル、こういう人もクリスチャンです。福音を受けるようになったのです。チョ・マンシク長老のような人もみなクリスチャンとして立つようになったのです。これで韓国が目覚め始めたのです。
・ですから簡単に考えましょう。今でも霊的に暗くて死んでいく国に向かって福音を伝えるべきです。私たちは知らないとしてしまえば良いけれど、そうではありません。皆様の村で、伝染病になってしまえば、知らないと言うことはできません。みな伝染します。今、韓国にエイズにかかった人が多いらしいのです。それがどこから出発したのか知っているでしょうか? 私達が全く知らないと考えたアフリカです。そこから出発して、全世界に広まったのです。ですから、宣教しなければなりません。私たちのあらゆる一般信者は、宣教に賛同しなければならないのです。
・私は率直に告白するのですが、学生だったので、いつもむかしにお金がありませんでした。教会に献金するということを考えも出来なかったのです。ある日、考えることができる機会がきました。私ととても親しい本物の福音を持った方が、宣教師で行くことになったのに、どのようにすべきでしょうか? その時に初めて考えてみたのです。いやあんな方が宣教師で行くことになったのだから、私が後援しなければならないではないか。それで、私がまず約束をしました。私が一ケ月にいくらずつ手助けする。この方が私の状態を理解して、かまわないと言いました。そうではない。私がすると言いました。そして、一緒に祈ろうと言ったのです。ところが、静かに考えてみると、私がそのような状態ではありません。その時、難しい時で、学生だったので状態がだめでした。初めてお金に対して祈りました。神様、私は宣教師を助ける立場にもなれず、教会で献金する立場にもなれないと祈ったのです。それしかしなかったのに、神様が答えの門をあけてくださいました。ある日、突然に学校に誰かが訪ねてきました。変にうわさが誤って伝わったのか、英語翻訳することで、誰かが私に要請したのです。ですから、勉強にもなって、翻訳もできました。今、出ている大きい百科事典のような翻訳でした。これが収入が良かったのです。原稿紙一枚に字いくつかが入っていません。書けば何ページにもなります。そのように原稿料をもらったのに、宣教費を送って金額がかなりありました。それで毎月それをしたのです。その時、家内には上げなくて、ひとりでみな使いました。どれくらい簡単かわかりません。神様はその時からまっすぐ行くほど経済の祝福を下さいました。
・たぶん世界で私たちの教会のような教会は、それほどないでしょう。もしある教会の牧師のメッセージが、全世界に行って、売られるのに、自分個人が持たなくて、教会も持たなくて、団体に出すでしょうか? 私はもしタラッパンに対して、経済に対して話す人がいるならば、ちょっとおかしい人ではないかと思います。私達がメッセージをして、テープ、冊子をみな作って、その収入を私たちの教会が一つも得ることがありません。個人でロイヤリティーを受けることもありません。ものすごくあります。全部、宣教、タラッパン団体に出しました。計算すれば、経済はものすごいのです。神様、私が宣教できるように恵みを下さいと祈ったのに、その答えを受けました。率直に、私たちの教会が欲を出さないのですが、お金がどれくらい途方もない経済力でしょうか? 今でも、全地域でどれくらい訓練がたくさん起きるでしょうか。先週にも300人合宿訓練に入ったという話を聞きました。個人はもちろん、私たちの教会が全く手を付けません。完全に宣教部にみな出しました。全くこういう教会がどこにあるでしょうか? 他の人は訳が分からなくて話すのですが、話してはなりません。経済祝福がものすごいのです。私たち教会が難しくても、私たちはそれに手を付けませんでした。ある教会に尋ねてみてください。そして、ある文章を書く人、講義する人に尋ねましょう。その人がみな持っていきます。確認してみましょう。私たちは、そのようにしませんでした。なぜでしょうか?世界福音化。神様が祝福なさった理由を知っているためです。
・今日、あなたがたが世界宣教に参加する重要な時間になることを希望します。それで全世界に死んでいく霊的問題を持ったたましいを生かすべきです。ダビデのような神様の祝福を受ける貴重な日になることをイエスの御名によってお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちの人生が神様を喜ばせる真の開始になるようにしてください。全世界に死んでいく者があまりにも多いのです。まず精神を目覚まして、たましいを目覚めさせることができるように、私達に恵みを与えてください。あらゆる一般信者が、宣教に参加する祝福の門を開けてください。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
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