2004年2月1日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 安息日を破ったキリスト
(ルカ6:6〜1)
 
・先週には、私たちのアパートで殺人事件が起こったということです。車両を管理して、アパート管理する人が、アパートに住んでいる人を殺したのです。それもまさに私たちの碧山アパートです。なぜ殺したか? という殺した理由を聞いてみたら、とてもささいなことでした。私たちはとてもささいなことで、大きい問題を起こすことがあります。私たちはささいなことで感情が高ぶって、殺人までもするのです。いまは時代が駐車が難しいために、車両管理する人の心が難しいのです。駐車する方達を見れば、あまり難しいために印象がちょっとよくありません。だから、アパートに住んでいるその人は、気分が悪かったのです。ここに駐車してはならないということで、けんかになったのでした。またイエスを信じない人々は、年頭正月ということを言うので、年頭から運が悪く、なぜこのようにするかと喉首までとらえてけんかしたということです。そうしたあと殺人までしたのです。ささいなことです。
 
・牧師達の奥様を集めて修練会をしたことがあります。私が紙で奥様に尋ねました。牧師と、家庭生活と、関係が難しいものを書いてくださいと言ったのです。単刀直入に、おもにいつけんかをするのかと質問しました。そうしたら、4つのことが出てきました。一番多いことは何でしょうか? というと、特別なことではないことを持ってけんかをするということでした。2番目にたくさん出てきたのは、牧師が私を無視するということでした。男が女を無視すると、女の人は気分が悪いのです。それは分かる話です。3番目にたくさん出てきたのは、牧師はかなり律法的で、私たちを押さえて干渉するということでした。4番目にたくさん出てきたことは、教会が復興しないので、生活がむずかしい。このように4つのことが出てきました。なぜけんかをするのか、このようにささいな部分の内容を見ると、私達が理解することができる部分でした。おもにどこかに行く時、牧師は早く出てくるのに、奥様は早く出てこなくて、なぜ早く出てこないのかとけんかするようになるのです。時間になったのに、早く出てこないと怒ってけんかをするようになります。どこかに行って、説教をしにいっても、心が安らかに行かねばならないのに、このようにけんかしながら行くようになります。本当にささいなことです。小さく理解すればよいのです。男は顔を洗ってローションだけ塗れば良いのです。女は私たちと違います。下に塗るもの、上から塗るもの、たくさんあるのです。私たちはローションだけ塗って、くしでとけば良いのですが、女の人は目の化粧までしなければならないために、時間がたくさんかかるのです。私たちは、ポケットに入れて通えば良いのですが、女の人は、ポケットがそれほどありません。これも入れて、あれも入れて、女の人が持って通うのは、引っ越しセンターのようです。このように理解をちょっとすれば、簡単なことなのに、出てこないと時計を見てけんかするのです。けんかすると、ささいなものもみな出て、毎日どうだから、なにがどうだからと言ってけんかします。そのようにささいなことでけんかになります。私は、また皆様と立場が違います。礼拝を終えて、ソウルに行かなければなりません。皆様は行く時、飛行機が飛ばなければ、行かなければ良いのですが、私は行かなかったら、困難な事が起こります。それで、私たちの秘書が行く時、道のどこがふさがったのか、開いたのか確認しながら行きます。今日はどんな行事があるのか、前もって労組がデモをしていれば、あちらへ行くべきだという分析をして行くのです。
 
・常に私の妻が遅く出てきます。一回は、私が車に乗っているのに、時間を見ると遅くはないのに、ひょっとして出てくるかと思ったのに、出てきませんでした。それで私たちだけで行こうと言いました。奥様がすこしいたら、出ていらっしゃるのにと話しました。それでも行こうと言ったのです。それでも奥様が..... お迎えして行かなければ大変なことになるのに、待って行きましょうと言いました。それでも早く行こうと言ったのです。それで、車が出ていくちょうどそのときに、妻が出てきました。それでも、私が行こうというので奥様が自分を見てしかめ面をすると、私たちの秘書が大変なことになったと言いながらも行きました。その日によって、空港に行ってみると、早く到着しました。待ってもかまわななかったのです。そうしていたら、妻に似た人が現れたのに、虎のような顔で現れたのです。男はそれも耐えることができなくて、五分だけ耐えれば良いのにと言いました。5分だけ耐えても、十分に時間が間に合ったのでした。私は何の話もしませんでした。わざとそうしたのです。その後には、いつでも私より早く出てきます。作戦に成功したなあと思いました。私はささいなことでけんかをしたのではなくて、わざわざそうしたのです。私がどこかに行く途中で見ると、どのようなことが生じるかもしれません。それで他の人より20分から30分ほど早く行きます。私たちは見れば、ささいな部分で問題が大きくなってけんかをするようになるのです。殺人までしなくても良い事を持って殺人もするのです。それで、けんかしなくても良いことを持ってけんかをします。私たちは、そのようなささいな感情に大きいことをなくすこともあるのです。
 
・今日の本文はどんな内容でしょうか? イエス様が安息日に手がなえた者を見て癒されたのです。だから、ユダヤ人が見て、なぜ安息日に手がなえた者を直したのかと議論してきました。内容で正せば、正しいことです。元々、ユダヤ人の法では、安息日にそのようなことをすることはできないのです。しかし、これは極めて重要なことではありません。重要なことは、手がなえた者をイエス様が癒されたということです。ところが、ユダヤ人はそこには関心がなくて、なぜ安息日を破ったかというのです。その内容です。今日、私たちはこういう 部分を見ながら、そのようなことがあるのかと見るでしょうが、実際に私たちと関係あるのです。いまはそのようなことがないのですが、むかしには韓国でははじめに女の人は、髪の毛をくくって上げていました。幼い時は、両側をくくって、年を取ったら上げていました。女の人たちが、髪を洗うのに時間がたくさんかかったのです。それである女の人一人が果敢に髪の毛を切ったのです。髪の毛が長いのをみな切って、パーマをしたのです。韓国で初めてパーマをしました。そのようにして、教会にきたのです。すべての女の人が髪の毛をくくってあげているのに、この女の人だけすっかり切って、パーマをして座っていたのです。堂会が集まりました。キム執事が狂った。髪の毛を切って変な頭にして来たので、これをどのようにすれば良いか? と堂会で深刻な悩みをしたのです。実際にあったことです。だから、堂会で一緒に悩みました。あの執事をどのようにすれば良いか? このようにして、堂会で決定したのです。堂会決議はすごいことです。決議すれば、堂会録に記録されて、印鑑が押されます。その次の日曜に発表したのです。キム執事は、教会にきながら、端正でなく髪の毛にパーマをしたので、私たち教会で執事職を免職すると除籍したのです。講壇で正式発表をしました。だから、この女の人は、髪の毛をそのようにしたと追い出されたのです。執事職も剥奪されました。だから今、皆様は全部、剥奪されます。それだけむかしは、おかしかったのです。むかしは、それを当然したのです。女の人の髪の毛を切ったことで執事職を剥奪したのですから、どれくらいおかしなことでしょうか?
 
・このユダヤ人の思想がそのようなのです。なぜ安息日に病人を直したのかということです。病人を直したことを話すのではなくて、なぜ安息日に働くのか? これが宗教です。皆様、こういう部分はその時のことだと見ることができますが、今でも続いています。今日、私たちは、こういう話を見ながら、早くキャッチしなければなりません。宗教と福音。なぜイスラエルがそのように強かったのに、滅びたのか、早くキャッチしなければなりません。
 
・今日、私たちは一番目に考えてみることは、ユダヤ人が本当に法はよく守ったのですが、実際には霊的な目が暗かったのです。皆様、創世記3章の事件以後に人間は、霊的な目が暗くなりました。皆様、創世記3章の事件をご存知であるはずです。その事件が原罪です。その時から、人間は霊的な目が暗くなったのです。イスラエルの国が5回滅ぼされました。歴史を見れば、エジプトに捕虜になって行きました。それでも悟ることができなかったのです。BC722年にアッシリヤに捕虜になって行きました。BC586年にバビロンに南のユダがまた捕虜になって行きました。イエス様がいらっしゃった時には、ローマに植民地になっていました。それ以後、AD70年以後から一世紀が始まりながら、イスラエルは1800年間、国を完全にみななくしました。それでも悟ることができなかったのです。この霊的な目が暗いためです。まるで韓国の大院君が外部から受け入れてはならないと拒否したようにです。私は時々、韓国の史劇、李朝 500年にあった史劇を、たまに見ることがあります。本当に苦しいということをたくさん感じました。毎日、地位争いゆえに、誰かを殺して、誰かを生かして、嘘をついて、そのようなことだけありました。そうしている時、島国の日本は発展しました。オランダから船に何かをぎっしり積んできて、福音も伝えたのに、大院君が大砲を射ったのです。だから、この人たちが、船を回して日本へ行ったのです。それで、福音が日本にまず入っていくようになったのです。だから、日本が目を覚まし始めたのです。ところが、私たちはこのように苦しい事をしていたのです。李朝 500年を見れば、なんでもない、つまらないことを持って戦っています。私たちよりもっと苦しいのは北朝鮮です。私は北朝鮮に行ってみた後、どれくらい苦しいか、金剛山に行ったのに、他の所は全部閉じられていました。鉄条網がしてあって、金剛山だけ行って山から降りてくるようにしてありました。世界で最も苦しい国のような感じがします。人は、霊的な目が暗くなれば、何が重要なのか、見分けができなくなります。よりせつないことは、私たち大韓民国で、多くの偶像崇拝する人を見ましょう。木に手をついて礼をして、石に手をついて礼をしているから、霊的な問題がきているのです。本当にせつないことです。韓国の多くの有名な人々が、占い師を訪ねます。今日、影島のキム・ヒュンゴ議員執事夫婦が礼拝に参加しています。一度は、ニュースを見ました。韓国の百万の易、シャーマニズム人、有名な易、シャーマニズムの家に感謝状がついていました。ニュースでうつしていました。感謝状を誇らしく付けてありました。誰の感謝状をつけているかというと、ほとんどみな国会議員が送ったのです。その話は、何をいうのでしょうか? 普段に、ムダン(霊媒師)を訪ねて占ったということです。有名な占い師の家には、ほとんどみなあります。韓国がこれで良いのでしょうか? キム議員夫婦は、執事であるゆえに、そのようなことはないでしょうが、福音を知らない人のほとんどが、愚かにも行くのです。私たち人間は、どれくらい愚かでしょうか。なんの重要でもないことをとらえて、どんどん崩れるようになるのです。
 
・皆様が悟ることができなければ、教会でもものすごく困難にあいます。教会に来たら、ささいなことに試みにあうのです。重要なことを知らないからです。例えば長老が祈りを長くすると、試みにあいます。教会の中の行政に、また試みにあいます。結局、重要なことは、みなのがすのです。そのような愚かな人がどこにいるでしょうか? ある人は、私たちの教会に訓練を受けようときて、幹事の印象が悪いと、気分を悪くして戻りました。食堂に行ってキムチをもう少しくださいと言ったのにもらえないと、けんかして行くこともありました。ある人は、米国から韓国に訓練を受けようときたのです。夜にお腹がすいて、お金を入れればラーメンが出てくるものがあるのに、500ウォンを入れたのに、お金だけ入っていってラーメンが出てこなかったのです。そのようなこともあるのに、この人があまりに腹が立って、荷物をまとめて帰って行ってしまいました。本当に愚かな人です。そのような人が、想像以上に多いのです。
 
・重要なことを見るべきです。初代教会は、どのように世界を征服したのでしょうか? 初代教会が、どのように世界福音化をしたのか? 神様がイエス・キリストをなぜ送られたのか? それを早く悟らなければなりません。神様の地球上の最も大きい約束は何でしょうか? キリストを送ると言われました。地球上で最も大きい事件は、イエス・キリストが来られたことです。キム・ジュンコン博士がこう話しました。私が知っていることでは、私の前で先輩牧師の中で一番韓国に福音をよく伝えた人はキム・ジュンコン牧師です。イエスを受け入れ、こういう単語をこの方が使いました。大学街に入っていって、福音を正しく伝えた人がCCCです。私個人的では、私たちの前の時代に正しくできた牧師は一人しかなかったと思います。他の人がしたことも重要ですが、それは誰でもできることでした。教会堂を建てることは、誰でもできることです。しかし、福音を正確に話すことは、誰でも出来ないのです。それで、私はとても重要な方だと考えます。その方が、こう話しました。いったいイエス・キリストが誰なのか? キム・ジュンコン博士が言った言葉です。一度もけんかをしたことがないのに、世界を征服したその人は誰なのか? キム・ジュンコン博士が言った言葉です。私はその方の文章を読みながら、ものすごく心が熱くなりました。
 
・文ひとつ残さなかったのに、その方に関する文章が地球上で一番多いが、その方は誰なのか? 長生きすることもせず、3年間活動して、十字架で処刑されて復活したキリスト、その方は誰なのか? を知る必要があります。こういう重要な質問をしなければならないのに、何で安息日に人をどのようにしたかと言いながら、つまらないことに時間をみな送る、ということです。皆様、今日、本当に質問しなければなりません。その大きい39巻の旧約聖書にイエス・キリストがくることを預言されているのですが、それは何を話すのか? なぜ多くの宗教があるのに、なぜ、わざわざキリストをだびたび話しているのか? 質問しなければなりあません。クリスチャンが間違うのが、キリストを違うように知って、誤って説明することが、最も大きいのです。
 
・私達が幼い時は、韓国の起源で檀紀2000 こういうことを使いました。檀君の起源を使ったのです。日本では、自分の国の昭和何年、こういうことを使いました。中国は、中国自らまた使ったのです。これだからか、約束ができないのです。日本人に檀紀何年に会おうと言ってもよく分かりません。世界は門が開いて一緒に行かなければならないのに、統一できる日がありません。それで、フランスで学者が集まったのです。そんなに昔のことではありません。私たちが幼い時です。彼らが集まって世界が一緒に使う年度があるべきだと言って、世界の学者が集まったのです。宗教の代表、各学問の代表者が集まりました。そこで精密検討分析をしたのです。地球上にいた人物の中で、最も影響を与えた人、それを科学的に総合分析したのです。それで全く一緒な データによって根拠を出したのが、イエス・キリストです。その人が出現したことから始めて1年、2年としようといって、今2004年 2月です。これは私達が作ったことではありません。正確な情報によって作られたのです。歴史の主人公ということです。それなら、その人は誰でしょうか? こういう質問が生じるはずです。正確なその事がなにでしょうか? これが重要です。そうでなくて、他のこと、安息日に何をしたかどうだったかと尋ねたのです。
 
・私がこの教会にきて食事をしました。そうしたら、ある執事が私に重要な質問をひとつしました。理解はできます。先生、私は食事しに行かないと言いました。ご飯を食べになぜ行かないのですかと尋ねました。聖日に食事をするのに、お金を使ってはならないと言いました。聖日は聖日として聖く守らなければ、私は信仰良心で行くことができないと言いました。分かりました。すると行かないでくださいと話しました。執事がどうしたら良いのか分からないと言いました。高神、合同では、そのように習いました。それで私が執事にここに来てくださいと言いました。私の話に返事をしてみてくださいと言いました。執事の家はどこですか?超邑だと言いました。超邑からここまでどのように来たのですか? 歩いて来ましたか、飛んで来ましたか、どのようにして来ましたかと尋ねました。車に乗って来ましたと言いました。車に乗るのにはお金がかからないのですか? そこからここまで来るのに、ガソリン代、料金所の費用みな出すのに、お金を多く使っているのです。ですから、なんの話もしないでいました。聖日にお金を使わなければ、土曜日にここで眠っていて、礼拝をささげて月曜日に行かなければならないのです。今日、執事は聖日に私よりお金を何倍も使ってきました。それだけでしょうか? そのように話したら、執事がじっとしていて、分かりましたと言いました。
 
・Iコリント10:31に 'こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。'と言われました。私達がお金を使うことが神様に栄光になるならば、使うのです。私達がお金を使わなくて耐えることが、神様に栄光ならば耐えるのです。聖日に行って食事をすることが神様に栄光になるならば、するのです。ですから、これは同じ内容です。いや患者を生かすべきではないでしょうか? どのように安息日に患者を直したのかと出てきました。とても重要なことをのがしてしまったのです。信仰生活はとても重要ながらも簡単です。いったいこの地球上で、そのようにも問題になっているイエス・キリストは誰でしょうか? いったいキリストという話はなんの話でしょうか? イエスが重要な言葉ではありません。キリストがなんの話か? キリストが誰でしょうか?誰か?と言うと、イエスだという言葉が出てくるようになったのです。これが重要です。皆様が病気になった時、薬が重要なのではありません。その病気を直すことができる薬が重要なのです。私たち人間に問題がきました。目に見えなく偶像崇拝、宗教に陥って、サタンに苦しめられて、私たちは死にます。時間が経つほど霊的問題がどんどん来ます。この世では、人々が発展するほど異常になるのです。いったいなぜこうなるのでしょうか? 聖書は簡単に話しています。罪と地獄とサタンの力。この三つを解決するのがキリストです。油を注がれた者。いったいするとキリストは誰でしょうか? 聖書は十字架で死んで復活するはずだと預言されています。ですから、こういう重大な事件をまず悟らなければならないのです。初代教会が滅びなかった理由は、第一に重要な契約を持っていたからです。
 
・皆様、今から聖書箇所いくつかは、深く継続研究をしてみましょう。創世記3:15に '女の子孫がへびの頭を踏み砕く'. 深く研究してみましょう。そして、たくさん考えてみましょう。なぜそうなのか確かめましょう。皆様に驚くべき事が起きるはずです。出エジプト3:18に、モーセに羊の血を塗る日、抜け出すはずだと言われました。深く考えてみましょう。イスラエルが捕虜になっているので、恐ろしく変な話をされました。 '処女が身ごもって男の子を産む。その名をインマヌエルとする'. 深く科学的に考えてみましょう。処女が子どもを産むことが非科学的なことでしょうか? 処女が子どもを産んだら、私たちのような人間ではありません。その人なら、救い主になれます。いやそのようなことがありえるのか? 神様はなさることができるのです。神様は処女にもなさることができるけれど、男にもなさることができます。可能なかぎり科学的な方法を活用されただけです。これを静かに考えてみましょう。 '人々がわたしを誰だと言いますか' イエス様がいらっしゃって、そのように尋ねられました。わたしを誰だと言いますか? 皆様はイエス様をどのように知っているでしょうか? 全部、違うように答えました。その時、ペテロが '主は生ける神の御子キリストです'. これが単純に答を合せたことではありません。人生の根本変化が起きたのです。その時から 'バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。あなたはペテロです。あなたは岩です'と言われたのです。絶対に滅びないということです。 'その岩の上にわたしの教会を立てます'. 'ハデスの門があなたに勝つことができません'.
 
・私達が集まってこういう話をしました。国会のなかで、本当にイエスを信じる人が10人だけ集まれば、みわざが起きるはずです。私たちの執事が、その契約を正しく握りましょう。国会のなかで、本当にイエスを信じる10人だけがいれば良いのです。軍の中でも本当にイエスを信じる10人だけあれば、働きが起きます。私は、そのように思います。皆様の大学の中に、本当に福音を持った者、何名かだけ力を合わせれば、働きが起きるはずです。今日の本文に、まさしく、その主人公がいらっしゃったのです。それを知らなくて、安息をどうするか、なぜ手がなえた者をいやしたのかと出てきました。今日、証拠を捕まえてください。どのようにでしょうか? 聖書を見ましょう。私たちはそのまま漠然と信じるのではありません。そして、それからずーっと教会史を見ましょう。いつ教会が揺れたのでしょうか? 教会が揺れる時ごとに、世界に困難がきました。ヨーロッパから米国まで、世界の歴史を見ましょう。福音が入っていく順序とそっくりです。私たちは早く悟らなければなりません。私達がなぜこの運動をして、なぜここに座っているのでしょうか? 今日、この契約を捕まえることが重要です。
 
・今日、手がなえた者がいやされました。その話はなんの話でしょうか? イエス・キリストに会った者は、神様の子どもになって働きが起きたということです。今日、皆様に新しい日になることを希望します。私はある日、キリスト、この話を知りました。それとともに、どれくらい証拠が起きたか分かりません。私は3つでイエスがキリストということを知りました。ところが、どれくらい変化が起きたのか分かりません。今、多くの周囲の教会が私たちを見て、ねたんで、悪口を言うのですが、どんなにしてみたところでむなしい事です。イエスがキリストです。2番目の証拠を見ました。未信者がイエスを受け入れて、信じて起きた働き、ここに今座っている証人が多くいます。この方たちが、元々、未信者が多かったのです。あそこの勧士のような人々がみなそうです。あの方達が、みな近所の悪口を言う人でした。あの方たちが、イエスを受け入れて信じて、変化が起きたのです。本当です。イエスを信じて受け入れたのに、家庭現場で働きが起きました。そして、一人でいる時、イエス・キリストの御名で祈るのにみわざが起きます。それで私は聖書と教会史で起きたことが、真に事実であることを理解します。これが新しい出発です。
 
・あなたがたは私をよく知らないでしょうが、知っている方達もいるでしょう。今これだけ話したのに、全世界に福音運動がおきています。私たちのあらゆる分野が倍に復興しました。それだけが問題ではありません。とうてい解決出来ない問題、ここに今40年間ムダン(霊媒師)をしていた人がいます。その方が私に話しました。40年間、苦しめられていたのに道がありませんでした。この方がイエスがキリストだということを知ったのです。そして、本当にイエス・キリストを受け入れする祈りをしました。その時から、40年苦しめられたことがなくなったのです。この方が本当に、この福音に感謝すると言ったのですが、誰がそれを理解することができるでしょうか? 光州で集会を終えたのに、ある年を召した女の人が来ました。先生。本当にありがとうございますと言ったのです。私は知らない人なので、誰でしょうかと言いました。私は光州で20年間ムダン(霊媒師)をしていたと言いました。自分の家族がみな滅びて、私があまりに悩まされたのですが、後ほど福音を知ったと言いました。私がイエスを信じて、神様の娘になったのに、祈って今まで答えが来るのに、このように安らかなはずがないと言いました。この人があまりに有難くて、私の手を握って離さなかったのです。私が手を引いて、逃げだしました。だからこういう人々がどれくらい多いでしょうか。あまりにも簡単です。イエスを信じることは、とても簡単なこと3つです。イエスがキリストです。これです。この働きを起こされたイエスがだれでしょうか? キリストです。神様がなぜそのように宗教も多いのに、キリストを信じなさいと言われるのでしょうか? その方がキリストです。これは神様がキリストを送られるためでなくて、私たちに必要なためです。皆様が事業、お金を儲けること、みな重要ですが、皆様の家庭に霊的問題が入れば、止めることができません。それで信仰生活は簡単なのです。イエスがキリストです。それが分かれば、イエス・キリストを私の救い主として信じて、受け入れるのです。
 
・そして、三番目にキリストの名前で祈るのです。これだけしても、働きが起きます。新しい出発が皆様にあることを希望します。時間がずーっと過ぎながら、感謝が回復します。どれくらい感謝でしょうか分かりません。そして、時間が過ぎれば喜びが回復します。単純な感謝、単純な喜びではありません。時間が経てば経つほど、ヴィジョンが回復します。皆様に今日、本当に簡単だけれど、新しい永遠な開始があるようになることをイエスの御名によってお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、私達に最も重要な贈り物、イエスがキリストという事実を発見する時間に なるようにさせてください。それで私の人生が変わるだけでなく、誰も滅びることができないことを悟るようにさせてください。受け入れた人々、すなわち、その名を信じる人々には、神様の子どもとなる特権をお与えになったという、この契約がなされるようにしてください。わたしの名前で暗闇に勝つという主のみことばが 成就する祝福を味わうようにさせてください。今日、私たちの人生の新しい開始になるようにしてください。韓国がすこし難しい中にあります。今日、私たちのキム・ヒュンゴ議員執事夫婦が参加しました。貴重なしもべに福音の大きい秘密を与えてください。それで、政界に働く暗闇が崩れるみわざが起きるようにしてください。私たちの執事ゆえに、あらゆる政治界の暗闇が崩れるようにさせてください。あらゆるサタンと悪霊の勢力が縛られるようにしてください。今日、この場に参加した聖徒達ゆえに真に真の福音が回復するようにさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 恥ずかしくない人生
(詩70:1〜5)
 
・ある方が釜山からソウルまで共に礼拝しようと、司会しようと上がってきました。飛行機に乗って上がってくるので大変だと言いました。柳先生は、本当にしんどいでしょうと言いました。またある方は、たくさん走れば健康に良くないから気をつけてくださいと話しました。私はそのような話を聞けば、内心は有難いと考えます。しかし、それは間違った話です。皆様と私に働くことができる時があります。今、安らかで適当にするならば、後に苦労します。今日の題目が '恥ずかしくない人生'です。する時、しなければならないのです。今、全世界のレムナントが難しい時もあるでしょう。難しくても、皆様は耐えなければなりません。今が機会だからです。
 
・ここに今、多くの役員がいます。今が機会です。もう一度はありません。人生は、何度か生きるという輪迴説は信じません。輪迴説はありません。すこし良く生きたら来世に何かになって、ちょっとよく生きることができなかったら、蚊になるというようなことはありません。この世で足りなく住んだら、来世には蠅になるということは、正しい教理ではありません。私たちの人生は、たましいが私たちのからだから抜け出ると、それを死というのですが、事実は来世へ行くのです。機会は一回ずつしかありません。走ることができる時に走って、あなたがたが機会がある時、しなければなりません。今、衛星で一緒に礼拝する教会、あらゆる聖徒達、何も心配しないようにしましょう。今が機会だと考えましょう。そのようにならなければなりません。皆様が献身したり、献金したり、なんでも今が機会です。
 
・普通、人々がこのように考えます。あなたを見ると年齢が50なのに、見るのには40のように見えると話せば、ものすごく喜びます。有難いらしいのです。そして、若くなろうと努力します。悪いことではありません。それは本当に良いことです。社会生活する時、できれば健康に見えて、若く見えて、美しく見えることは良い ことです。しかし、私が今、話そうということは、そのような話ではありません。皆様の年齢が40や50ならば、すでに 60や70歳の時を考えていなければなりません。それが知恵のある者です。皆様が若く見えることが問題ではなく、ここに座っている皆様は確かに未来を準備してここに座っていなければなりません。なぜ私達が他人の学校を借りて、ここで礼拝をささげて、賛美して、レムナント運動をしようと話すのでしょうか。明日のための今日です。私達がなんの意味なく熱心にするのではありません。
 
・私は釜山の人間ですが、ソウルにもっとたくさんいます。全国を回って、世界を回ります。見て回れば雰囲気がみな違います。ソウルにきて見れば、人々が速く動いて熱心です。おもに行ってみると大邱、光州側はおそいのです。光州側はものすごく遅いのです。それで、田舎であると感じることができます。大邱側はとても静かです。ソウルで核心をしていくと、同じメッセージでも、別の話ではないのに、人々がやたら笑います。大邱ではものすごく笑わせることを話しても口だけ少し笑うのです。全く同じメッセージなのに、そうです。光州や釜山に行けば、少し表情が違います。だから、私たちの総会長が言うのに、大邱はあのカッパに押さえられてそのようなのか、なぜしかめ面をしているのかと言います。笑うこともしない、なぜそうなのかと責めていました。大邱の人が面白い話をしました。笑わないのではなく、笑いが出てくるのを耐えるのだと言いました。その話を聞いて見ると、本当に大邱の人々は、説教をしていれば、笑わせる事があっても、笑わないように歯をくいしばって耐えています。その話はなんの話でしょうか? それほど保守的だということです。釜山に行ってみれば保守的です。
 
・そうしながら世界に出てみれば、本当に違います。米国の人々を見れば、どれくらい親切か分かりません。朝に散歩をしに出ている人を見れば、必ず笑いながら挨拶します。生まれて初めて会った女の人なのに、私に ものすごく懐かしいように挨拶をします。かくも同じ地球に住んでいる人々が、違うのかと思います。韓国の女の人は、道端で会えば、あちら側から向かってきたらしかめ面をしながらきます。違うのです。エレベーターに乗っても、外国の女の人は、挨拶して懐かしく挨拶をします。韓国の人々は、会えばしかめ面をしながら顔を反対側に向けます。韓国の女の人とエレベーターに乗って15階, 20階行くほどつらいのです。しかめ面をしているのに、速く行けば良いのですが、そんなに速いとはありません。しかめ面をして他の所をみつめているので、私もしかめ面をして反対側をみつめています。理解はできます。韓国の男の人たちは、だめです。女の人がちょっと笑えば気をとられてしまうのです。それでだめなのです。
 
・このように、各地域ごとにみな違うのです。ソウルにくる時ごとに、この人たちが、ものすごく速くて、熱心だということをたくさん感じます。それとともに、いつも私の心に浮び上がることがあります。福音はとても単純なことなのですが、簡単なものではありません。果して、この福音を理解することが、私たちの人生に 重要な課題なのに、さとれるのだろうかといつも考えます。私たちに来る困難は、人のゆえに来たり、失敗のゆえに来たり、理由が分からないでくることがあまりに多いのです。救われても、この理由が簡単ではありません。人生に迫る霊的問題も簡単ではありません。そうしながら、ある日、私たちに困難が迫ります。皆様には経験もあるでしょう。ダビデのように困難にあうようになるのです。
 
・困難にあう時、どのようになるのでしょうか? 未信者は、この時、ほとんどみな崩れます。皆様が困難にあって、患難が来て、問題が生まれれば悩みます。困難がずっとつづけば、緊張して、苦労もして、心で悩んだりします。こういうものが積まれれば、あなたがたも知らない間に病気になります。皆様が知らない間に肉体的病気になって、精神的な病気にもなります。しかし、大部分の人々は、困難がきた時、その時だけ神様を探すようになるのです。本当に幸いです。大部分の人々は、困難が来たら崩れるのです。ある人は困難が来たら、神様を探します。幸いです。私はそのような人をたくさん見ました。それまで奥さんの話も聞かないで他人の話も聞かないで、一人でがんこに生きた人が癌になったのです。いつも健康を自慢した人で、たくさん習った人です。この人が癌になりました。それで、神様はいるのかとたずねました。奥さんがイエスを信じなければならないと言ったところ、イエスを信じればどのようになるかを尋ねました。イエスを受け入れて、祈り始めたのです。こういう場合が本当に多いのです。
 
・実際、私たちは祝福を受けて、答えを受けている時は、神様がいらっしゃるのか、そうでないかをよく知らない時があります。私たちには大きい困難が迎える時、神様を人間は探すようになります。あまりにも想像することもできない事が行われれば、人間は神様を探すようになるのです。そのようなことがあります。
 
・今日、私が皆様に伝達したい話はそれではありません。困難がくる前に、あらかじめ神様の契約と秘密で用意した人になければなりません。その機会を今、得たのです。この話は、何でもないことのようでも、ものすごく重要な話です。信仰生活に成功した人々の特徴、ヨセフが困難を受けて信仰が生じることもありましたが、それではありません。ヨセフは、困難にあう前に、世の中に行く前に、すでに神様の秘密を持っていました。皆様が、重要な困難がきて、その時だけ神様をさがせば遅いことがあります。それはある面で、本当に幸いなのですが、無念です。皆様の事業に困難が来て、皆様の家に困難が来て、健康に困難が来るのに、その時だけ神様をさがせばおそいのです。成功した人物、ダビデの特徴は、あらかじめ知っていたのです。 '主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません'. '私が死の谷間を歩むことがあっても災いを恐れません'. '主は私の盾、私のやぐら'. '主は私の避け所'.これがなんの話かというと、あらかじめ知っていたということです。
 
・皆様がここに、祝福の機会がきたのです。私はたくさん見ました。気をつけなければならない方達ですが、長い間、信仰生活してきた方と、その子どもたちがよく味わうことができません。牧師の子ども、長老の子ども、信仰生活を長くした子どもが、この祝福がなにかを無視してきたので、味わうことができません。今日、味わうようになることを願います。3代目でイエスを信じる執事が、話は執事なのに、あまりに信仰生活がおもしろくないのです。3代目で信じています。奥さんは、福音もないのですが、礼拝堂には熱心に通います。子どもが二人いたのに、娘がいて、弟が息子なのですが、この二人は教会学校に出ていました。信仰生活をよくしていません。訪問に何度か行って、伝道に行くとやっと教会に出てきます。この人が社交性も良くて、運動も良くして健康です。それで、会社のなかでサッカー選手で選抜されました。悪いものではないのに、おもに運動は聖日にみなするのです。この人の告白です。サッカー選手を 3年したのに、ある日、聖日に運動を終えて家に帰ってきました。自分は突然だと言いましたが、私が見る時は突然なことではありません。家が2階なのですが、階段で上がることができないと言いました。どれくらい健康だったのに、病院に行ったら、右と左の腎臓二つが完全にだめになっていました。毒を出すことができません。この人が苦闘しているのに、その時、私が訪問して行ってみたら、この人が重苦しいのでした。この若い婦人と幼い子ども達をおいて行くと考えるので、苦しくてこの人は苦闘していたのです。とにかく、むかしの人ではなくて、完全に変わりました。生きるべきだと言いました。私が見る時、人生は虚しくてだめなのだと考えました。時間はどんどん過ぎるのに、この人はよくなる兆しもありません。時々訪問に行くと、喜びました。祈ってあげることも喜びます。ある日、この人を見たら、顔が変わっていました。完全にあきらめた顔でした。自分がだめだという確定を得たのです。少し前までは努力する顔だったのに、今はみなあきらめた顔でした。私がそれを見ながら、人生は仕方ないと思いました。結局は亡くなりましたが、遅かったのです。
 
・私達が普段の時に契約を捕まえて祈って信仰生活することが、どれくらい重要でしょうか。今日、皆様は一人も抜けないで、この祝福を逃さないように願います。私は信じようとしても理解できません。知識人の話です。神様のみことばを全部理解するだけの頭脳は、私たちにはありません。私の妻、私の友人、職場の同僚でイエスを信じるのを見ると、特別なものはないので私は信じない。聖書が基準であって、その人々が基準ではありません。私たちは今、恵みを受けることが重要です。ダビデが困難にあったのに、その時、神様をつかむこともしたのですが、あらかじめ契約を持っていました。
 
・今日、3つのことを皆様は考えなければなりません。最初です。福音を持った神様の子どもは恥にあうことはない。なぜそうなのでしょうか。詩70:1に恥を受けないようにしてくださいと言いました。未信者らは恥を見るようにしてくださいと言いました。ローマ10:13に主の御名を呼ぶ者は、恥にあわないとされています。 理由が何でしょうか。今日、皆様はイエス様を信じる瞬間に、おかしな事がひとつ行われます。皆様の中に聖霊が宿られるのですが、永遠にとどまるようになります。これが違うのです。滅びることができないのです。本当にイエスを受け入れる者の中に聖霊が内住されます。それで神殿と言うのです。明日になれば、学校の学生達がここを使うはずです。すると、これは講堂になるのです。ところが、今日はここで礼拝をささげます。神様の民がここにいるために神殿になるのです。この全く同じうつわの中に油が入れば、油のうつわになります。 全く同じうつわなのに、酒が入れば、酒のうつわになります。全く同じうつわなのに、薬が入れば薬のうつわになります。全く同じ人です。救われた者、神様が送られたイエス・キリストを信じる瞬間に、聖霊が皆様の中にとどまられるようになっています。根拠は、Iコリント3:16です。絶対に滅びることができません。それで恥を受けないのです。皆様がこの契約を本当に知って捕まえてくださることを願います。
 
・なぜ恥を受けないのでしょうか。ルカ10:19です。へびとさそりを踏んで、敵の力を制御する権威が与えられます。なぜそうなのでしょうか。私の中に聖霊がいらっしゃるためです。だから暗闇の勢力に勝つことができるのです。私とソ・オンがけんかすると、誰が勝つでしょうか? わからないけれど、ソ・オンは私には勝てません。例えば、ソ・オンと私がボクシングをすれば、ソ・オンは勝てるはずはありません。聖霊と悪霊が戦ったら、誰が勝つでしょうか。皆様の中に '聖霊がいらっしゃるために、勝つ者はいません。これが救いです。ダビデがこの秘密を知っていたのです。主が私と共におられるので、私は恐ろしい者はない。私の力なる主。私は主を愛します'. それで今、救いの秘密を悟りなさいと言うのです。マルコ3:15. わたしがあなたがたを呼んだのは、悪霊を追い出す権勢もあるようにしようとするだと。ほとんどみなそのようなことに仕えているので、私たちには勝つことができる力をくださったのです。マルコ16:15〜20には '世界に出ていき、わたしの何よって悪霊を追い出し'と出てきます。世界、文化、宗教を恐れる必要はありません。わたしの名で悪霊を追い出しと言われました。法事の問題も心配する必要がありません。わたしの名で悪霊を追い出し。会社でお祓いをすればどのようにしたら良いのかと聞きますが、心配する必要がありません。わたいの名で悪霊を追い出しと言われました。行く所ごとに事故が起きても、私たちはかまいません。わたしの名で悪霊を追い出し。普通の話ではありません。聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、力を受け、地の果てまで証人になります。
 
・皆様、自分自身を早く捜し出すことを願います。私は信仰がなくて、と話すのですが、それは間違った言葉です。皆様は救われた神様の子どもです。これを認めてこそ、みわざが起きるのです。考えてみましょう。警察が泥棒をつかまえに行くべきで隠れてじっとしているならばつかまえられません。長官は出ていろいろな 仕事をしなければならず、静かに座っていてはだめです。交通警察が出て、違反する車をつかまえず、恐れをなして、じっとしていてはだめなのです。皆様、間違った話にだまされないで。マタイ10:1に、信じる者にすぐに与えられたのです。力と権威をあなたがたに与えると言われました。腹がへったのに断食のようなものをする必要もありません。信じる者にすぐに力を与えられます。
 
・私達の孫は、生まれながらすぐに '柳'です。本来黄氏なのに、訓練して柳氏になることではありません。黄牧師の息子が善良で賢いのです。その子どもがまさに生まれながら黄氏です。とても善良になったから、黄氏になったのではありません。すると、断食祈りをするなということでしょうか? ご飯を食べなければならなくない事情がある時、断食祈りしましょう。無理にしないで。牧師達の中に、無理にして病気になった人が多いのです。過去に訳が分からなくて、くださいと欲張りで断食祈りして、ほとんど胃腸病になっています。このように話してはいけないのですが、私たちの総会長のチョン・ウンジュ牧師は、非常に断食祈りをしていたので、この人は歯がなくなって、いまは大部分がにせ物の歯です。考えてみましょう。その大きな体で断食祈りをどれくらいしたでしょうか。歯がみな抜けたのです。断食というのは、ご飯を食べる立場でない時、食べざるべき時にすることです。徹夜祈りも、家族がみな寝ているのに、自分だけ寝ないで徹夜祈りしてはだめです。眠る立場でない 時にしなければなりません。今、重要な立場に会ったのに, 今、眠っていられるだろうかという気がする時、徹夜をするのです。今、教会と国家に重要なことが生じたのに、私がご飯を食べる時か、その時、断食をするのです。何もそのような心配する必要はありません。神様の子どもは永遠に滅びません。なぜこれを聞いて確認しなければならないのでしょうか。理由があります。暗闇の存在は、いまだに生きているために、皆様が確認しないで、確信がなければどんどん後からさわるのです。
 
・2番目に必ず記憶しなければなりません。神様の子どもはかん難にあっても失敗しません。今日、詩70:1,2を見れば出てきます。ローマ8:2に罪と死の原理から解放されました。ヨハネ8:32に真理を知れば、真理はあなたがたを自由にします。今、私たちに運命も必要ありません。自由にします。占い師の話も必要ありません。自由にします。皆様には、運勢が必要ありません。自由にします。よく考えてみましょう。相当な話です。私たちの村にいた人ですが、今、釜山の教会に出てきています。占い師が夫婦が離婚しなければ、一名が死ぬ運勢だと言って、姑が自分の息子が死ぬかもと思って反対しました。夫には最後の自尊心があって、私はあなたを愛すのに、私が死ぬかもと思って離婚することはだめだと言いました。男が話はそのようにしたのですが、内心は怖かったのです。この女の人が、あまりに心配で話はできなくて、母があまり激しいから勝てないふりをして離婚したのです。タラッパンにきました。はじめから約束しました。死ねば私が責任を負うと言いました。死んだ人をどのように責任を負うのでしょうか。理由があります。この人がイエスを受け入れたのです。もちろん、福音の説明を聞きました。家庭は完全に回復しました。そのような事件になって、どれくらい経ったか、正確に14年になりました。いまだに死なないで生きています。真理を知れば、真理があなたを自由にします。もしそのまま、ぶるぶると震えていれば、どのようになるでしょうか? 何の話なのか分かるでしょうか? 神様の子どもはかん難にあっても恐れません。心配する必要もありません。聖書 66巻の主題を見ましょう。どんなことがおきても、アブラハム、イサク、ヤコブ ヨセフは滅びませんでした。どんな事件があっても、モーセのような人物をなくすことはできませんでした。それが聖書の話です。捕虜になっていってみな捕えられても、神様の子どもは残っています。それが聖書の話です。あなたがたがだまされず、契約を捕まえてくださらなければなりません。捕まえなければ混乱がきます。救いが混乱するのではなく、皆様が混乱するのです。だから救いが変わることでなく、私達が揺れるのです。
 
・三番目に記憶すべきことがあります。今日、詩篇70:4に祈る者は失敗しません。救われた神様の子どもは、祈れば決して失敗しません。恥を受けません。詩篇 91:7に、千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。詩篇 91:1を見れば、いと高き方の隠れ場に住む者は、となっています。それが何の話でしょうか? 簡単に話せば、祈る者という意味です。詩的な表現をしているので、いと高き方の隠れ場に住む者は、としたのです。私は大胆に話すことができます。祈りは科学です。祈りぐらい科学的なことはありません。今、共産主義者は霊的なことを知らないのですが、祈りは科学です。今、物を実験する化学者は霊的なことを知らないのですが、祈りは科学です。祈る時、霊界、精神界、たましいが目に見えないのですが、正確な事が行われます。それで、皆様は救われた神様の子どもであるゆえに滅びません。契約を捕まえて祈るように願います。
 
・あらゆる聖徒は、記憶するように願います。一番初めにどんな祈りをしなければならないのでしょうか? 私たちの学生達が記憶しなければなりません。はじめには、他の祈り課題を置かないように。本当に私が確かに答えがくるとする時まで、せねばならない祈りが何かというと、黙想祈りです。皆様が黙想祈りをする時、多くの霊的な問題が解決します。聖霊充満をくださいとだけ祈ればよいのです。皆様自身が知っていることではないでしょうか? 私はいつも答えられるんだなという人がいて、そうではない人があるではないでしょうか? 祈りの答えも全くないのに、はじめから突然に神様、私に10億円を下さい、できなくないか? そのような時は、祈りの課題を一つだけ握るように願います。神様の聖霊で充満してくださいと祈ればよいのです。内に聖霊がいらっしゃるために、その聖霊で充満してくださいと祈れば良いのです。その祈りをするように願います。
 
・2番目にすることです。定刻の礼拝を始めるように願います。ひとりでしましょう。二人ですれば神経を使うので、ひとりでするようにしましょう。家族礼拝は、メッセージを与えるためであって、恵みを受けようとするなら、ひとりでしましょう。あなたがたは、必ずしてみるように願います。定刻礼拝ですが、時間を必ず定める必要はありません。時間を定めれば、時間を定めること自体が負担になることがあります。そんなことを言わないで、明日祈ることを今夜に定めるように願います。私は明日の朝に何時に起きて、どのようにするという、その時間を定めて、そうでなければ明け方祈りに行くとかいう時間を定めて、皆様自らの礼拝をするように願います。それを一日に一度以上、ずっとしながらメッセージを聞いてみるようにしましょう。皆様に答えがき始めるはずです。答えが来たら、証しが変わります。そして、他の人も分かるようになります。あの人は、本当に素晴しい人だと他の人が分かるようになるのです。
 
・このようになれば、それからしなければならないことがあります。それから常に3つがあります。常にするように願います。それが何かというと、常に信者が受けた7つの祝福を、行く所ごとに心の底から祈るようにしましょう。信者が受けた祝福は、簡単に2つです。聖霊が私と共におられるので力が現れるでしょう。だから、皆様が祈る時ごとに相当な事が行われるのです。それを常にするように願います。聖霊が内住していらっしゃるので、聖霊充満、聖霊導きを受けるようにしてくださいと常に祈ることを願います。皆様は神様の子どもであるゆえに、この時間に天の門を開けて、天の軍隊を送ってくださいと常に祈るように願います。これは全部未信者がわかることができない話です。皆様が座る所ごとに、行く所ごとに暗闇の力が崩れるようにしてくださいと祈るように願います。まさにこの場に神様の国が臨むようにしてくださいと祈るように願います。時間は多くかかりません。一度してみるように願います。それから、その時に常にせねばならないことがなにかというと、皆様の頭の中に浮び上がる人々、浮び上がることをいつも祈ればよいのです。それから、常にせねばならないことがなにかというと、これからは世界福音化の20の戦略を置いて常に祈れば良いのです。完全に勝利するようになっています。
 
・モニカという人がいます。息子ゆえにいつも悩みました。なぜ他の子ども達はうまくいくのに、私の子どもはだめなのか? よくなることがありませんでした。不良、だらくばかりする子でした。なぜそうなのか? モニカが契約をつかんで祈り始めたのです。祈りをすればするほど、息子は変になりました。それが錯覚です。その時アンブロスという人がこう話しました。アンブロスという牧師でした。アンブロスがいう話が、祈りは絶対に虚しいことではないので、気落ちするなと言ったのです。涙の子どもは滅びることがない。アンブロスが残した言葉です。神様の前に涙を流しながらする祈りは、絶対になくなることがありません。皆様、それで作られた人物がアウグスティヌスです。
 
・私は違ったことは知らなくても、福音を悟ったことは神様の恵みで、私の母の祈りを見ながら、そうだなという気がしました。世界中が防止することができない力が、福音を持った者の祈りです。ところが、普通の人は、重要に考えないのです。しかし、絶対にそうではありません。私は、その時から、この契約を捕まえて、いつもこの三つを祈ります。皆様がしなくても救いは受けます。神様の子どもであるゆえに、祈らず、何もしなくても、救いは受けます。確信なく生きても、救いは受けます。その救いをIコリントで何と言ったのか? 恥ずかしい救いと言いました。恥ずかしい救いを知っているでしょうか? 私は恥ずかしい救いが何かを見ました。むかし、釜山で何の事件なのかは知りませんが、大きい大牙ホテルがありました。そちらで火事が起きたのです。そのホテルで火事になって、下から火が広がり始めました。問題は、ホテルの中にいる人でした。下から火が上がるので、どうするでしょうか? その当時、サウナ浴場が初めてできたのですが、3階は男子浴場であったし、4階は女子浴場でした。また女の人は、一度入浴したら、長くいます。それで浴場の中には、人々で満ちていました。ところが、火がついてしまったのです。どのようにするでしょうか? 人々がたくさん死にました。それで、消防車が下から支えて走って降りなさいとしたのです。火がついて服を着ることができませんでした。火がついたので、衣装を入れた戸棚をどのように開けられるでしょうか? それで大きい窓を壊して走り降りたのです。その時、死にそうなので、女の人も問題ではありません。とにかく走っておりました。今、服が問題でしょうか。走っておりたのです。全部、服を脱いで、走っておりたのです。その時、外で私も見ました。走っておりてから、全部恥ずかしがったのです。どのようにするでしょうか? なんにもないでしょう? とても恥じ入りながらも生きて幸いだと言っていました。なかで死んだ人も多いのに、生き残ったことが幸いではないでしょうか? 本当に救われたのですが、恥ずかしい救いです。私達が毎日心配して、恵みも受けることができなくていれば、イエスを信じるので救いは受けるでしょうが、恥ずかしい救いを受けるのです。
 
・私は葛藤がいくつかあります。そのうちの一つがなにかというと、皆様に話すことができない葛藤の中の一つが、説教する時ごとに来る葛藤です。ある牧師のように、積極的に、できる、すべきだ、努力すべきだと教えなければならないのに、それは確かに違っているのです。確かに成功しますが、滅びます。なせば、なる、できる、しなさいと、ずっとこのように教えれば、確かに努力はするはずです。ところが、それは福音ではないので、確かに霊的な問題がきます。ところが、そのような話をしなければ、努力をしません。この福音を思い切り受けて努力をしないのです。だから、献金すれば祝福を受ける、多くしなさい、こういう方法で強調しなければならないのですが、それは確かに違っているのです。しかし、そのようにしないならば、また献金をしません。私はそのような悩みをしないのですが、一般信者宣教会が今日、何かを見せたでしょう? これだからか、参加しなさいということです。一般信者宣教会でこれを見せながら、皆様を誘惑しようとしているのです。先週に釜山インマヌエル教会で力をつくして、誘惑したのですが30%しか参加しなかったのです。本当に悩みです。ずっと強調をしなければ、福音を悟ったがしない、かと言って強調すれば、確かに違ったことであるので、こういうことが葛藤です。
 
・私は説教を多くしていますから、皆様に献金多くして、仕事を多くするようにさせる自信があります。しかし、私の信仰良心では、それは違うのです。ところが、また話をしないので、しないのです。だから、こういうものが葛藤です。
 
・これが私が持った一番目の葛藤です。もちろん、神様がみななさるはずです。それで、私がどのようにしたでしょうか? 12坪から開拓を始めました。すれば良いではなくて、神様の契約は変わりません。最善を尽くすだけです。それで、火曜日の朝から土曜日の夕方まで、聖日はもちろん、引続き現場に走りました。釜山に証人がいるでしょう? 一年、走ったらみわざが起きました。3年くらいなったら、私がより走ることが出来なかったのです。外部から、これがどのようなことかと呼ぶ人がとても多かったのです。ところが、その時、祝福がいままでではなくて、今、ずっとみわざが起きています。福音は永遠な祝福です。
 
・私がなぜ全国をまわって、釜山、ソウルをきたり行ったりするのでしょうか? 最善を尽くしているのです。すると、ならないことがありません。神様の力のなかで全てのものができます。今日、皆様がこの契約を捕まえることを願います。恥を受けません。私たちの人生は恥ずかしくない人生になります。その話は道徳的なことではありません。神様の前で正しく祝福を味わう時刻表をのがしてはならないのです。恥ずかしくない人生を生きなければなりません。
 
・もっと簡単に話します。一度しか機会がありません。皆様が年を取ればできないのです。一度しか機会がありません。今日、キム秘書と一緒にソウルに上京しようと釜山で空港に入って飛行機に乗るためにロビーで待っていました。TVで、韓国のむかしの歌が出てきました。それで私がキム秘書に言いました。私が昔はそのような歌は嫌いだったのに、不思議にそのような歌が大丈夫だと感じられるので、私も老いていっているのかと話しました。それとともに、キム秘書の様子を見たら、違いますと話さねばならないのに、そうだというようでした。それとともに、私が老いていっているんだなという考えをもう一度感じるようになりました。
 
・人生は、そんなに機会がたくさんありません。あなたがたの聖歌隊も今です。年をとっておかしな声を出せば、座らせてくれることもしません。誰が皆様を出来ないのに座らせるでしょうか? 困難が来てもかまわないのです。神様の子どもは恥にあいません。かん難が来ても、恥を受けません。祈る者は恥を受けません。ダビデが持った信仰です。皆様がこの祝福を持って、世の中に、現場に行って勝利することをイエスの御名によってお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様が主の民に新しい力を与えてください。新しい体験をするようにさせてください。真の平安の力の福音を 味わうようにさせてください。一人ももれなく、神様の祝福を受ける恵みの日になるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン