2004年6月6日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 神様が願われる既成世代の信仰
(ヨハネ3:1〜16)
      
■ 何年か前に、七十になったおばあさんが大学に入ったと新聞に出ていました。私が見る時は、あまり効果がないと思いました。たぶん模範にはなるかもしれないのですが、就職もできず、なんにもならないはずです。時期をのがしたおばあさんも、できるという模範にはなります。今日の主題は既成世代です。既成世代というのは、皆様が新しく勉強して、学校に入っていく、そのような世代ではありません。神様が既成世代に望まれている計画があります。救われた皆様に、望んでおられることがあるのです。それが何でしょうか? 皆様が早く捕まえなければならない、その内容は何でしょうか?
 
■ むかしに、奴隷時代がありました。奴隷は、結婚をしてもみな奴隷となります。子どもを産んでも、全部、奴隷となるのです。主人が売ることもあります。主人が父、母、そして子どもを市場で売ったのです。子ども達が各々売られたのです。一戸にみな一緒に売られて行けば良いのですが、別々に売られたのでした。そのような悲惨な時代がありました。人を市場で売る時代があったのです。子ども達が、これからがあまりに不安なのです。せつないけれど、どうすることもできません。そのせつない状況を、通りがかりの紳士が見たのです。この人たちが、ものすごくかわいそうだということを知りました。この紳士が、家族をみな買ったのでした。この紳士が、この家族をすべて買って、この人たちに自由に生きることができるようにしたのです。家族たちが、どれくらいうれしいでしょうか? これから家族が一緒に、お金を儲けることができて、一緒に住むことができる自由人になったのです。感謝する程度ではないのです。たぶん、一生、忘れることができないことです。
 
■ 本で見たのですが、 イ・ビョンチョル氏、チョン・ジュヨン氏こういう人の前に財閥がありました。放送でも出てきていました。その人の名前がイン・サンオクです。私たち韓国の最初の財閥でした。その人の話を少し読んでみました。この人は、元々、貧しく高麗人参の商売をする家で仕事をしていたということです。高麗人参を蒸して、中国に売っていたのです。イン・サンオクという人が高麗人参を主人からもらって、それを中国に行って売って、金を受け取って主人に持って行く仕事をしていたのです。特別な技術もありませんでした。ところが、一度はおかしな事があったのです。友人がしきりに行こうと言ったのですが、そこは売春婦の家で酒場でした。そこで、とても幼くてきれいな子ども一名がぶるぶる震えながら泣いていたのでした。それで、イン・サンオクがなぜそうなのかと尋ねました。助けてくださいと言うのでした。自分がこの家に初めて売られてきたということでした。小さくて可愛い子どもがお金で売られてきたのでした。誰が売ったのか尋ねたました。父がギャンブルをするお金がなくて子どもを売ったのでした。5千円で売られてきたのです。今の日本のお金で5百万円くらいになるはずです。この人が静かに考えてみたのです。どのように手助けすべきか? 自分自身も貧しいので、お金がないのでした。ちょうど高麗人参を売って、主人に持って行くべきお金が5千円がありました。その金を与えて、その子どもを解放してあげたのでした。それで、自分の名前は、イン・サンオクだと名前だけ書いてあげたのでした。朝鮮に帰ってきて、その話をしました。主人が信じないのです。どのように、他人の子どもに5千円を与えることができるかと話しました。刑務所に行かせないのが幸いだと言いながら、イン・サンオクの首を切ったのでした。それで、その人がそのまま、そのようにして暮らしていて、時間がたくさん過ぎました。十年以上の歳月が過ぎたのです。ある中国人が訪ねてきたのでした。その間に、そのお嬢さんはあっちこっちで仕事をしたのでした。中国、台湾全体の最高の金持ちの家に家政婦で入っていったのです。とても善良で、良くして、きれいだったので、その家の奥さんになったのでした。この人がイン・サンオク氏を探していたのでした。自分を救ってくれた人だと考えると、感謝なのです。夫に話をして訪ねてきたのでした。それで、事実上、その当時、私たち韓国は弱い時でした。中国で最高の財閥がイン・サンオク氏を推したのです。それで、韓国で最初の最高の金持ちになったのでした。その女の人としては、一生忘れることはありえない感謝でした。
 
■ 私たち既成世代に最も重要なことは何でしょうか? 感謝です。皆様が小学校、中学校に入っていくのでしょうか? 年を召した皆様が、検定試験を受けるのでしょうか、新しい選手になるのでしょうか? ものすごいことを私達が受けました。私達が、死にそうだったのに、お金を受けて助かったという程度ではありません。皆様が福音を受けなかったならば、皆様の未来はどのようになったでしょうか? 私は確認しました。どんな金持ちも、どんな成功者も、福音がないならば、最後には完全に滅びるのです。ほとんどの知識人が知らずにいます。教会に通っても、福音の重心が無いならば、未信者のように崩れてしまうのです。
 
■ 私は確かに確認しました。本当に福音を持った人は、時間が経つほど勝利するのです。感謝する程度ではありません。皆様の子どもが霊的な問題があるのに、皆様が福音を知らなければ、どのようになるでしょうか? 皆様の家が偶像崇拝の家系にあるのに、福音を知らなければ、どのようになるでしょうか? 多くの牧師が思い切り苦労して、最後には行く所がないのですが、福音を悟ることができなかった人は、どのようになるでしょうか? 家庭の背景も強固ではなく、私達が世の中を生きていくのに、私達が神様の子どもでないなら、どのようにこの世を生きて行くのでしょうか? 聖書にあるものすごい七つの暗闇から私たちを救い出されたのです。多くの宗教の中で、私たちをクリスチャンとして呼ばれたのです。キリスト教は、ものすごく多いけれど、福音を言いません。しかし、私たちは福音を聞くようになったのです。私たちは、この福音の中で、答えを受け始めました。感謝が出て来ざるをえないでしょう。皆様に未来があるか、ないのか、ここで分かれます。簡単に話せば、皆様に感謝がないならば、希望がないのです。だから、希望ないと準備すれば良いのです。本当に感謝が出てくるしかありません。私が神様の子どもだということが確認されたのです。すると、祈りが答えになるのです。恐れる必要がありません。問題が来たら、勝利するはずです。あらゆるのろいから解放されたのです。私が世の終わりまでともにいるとおっしゃいました。これが事実ならば、感謝が出てくるしかありません。既成世代に最も必要なことが感謝です。何で感謝するのかが重要です。このようになる時、2つのことがついてきます。それにしたがう献身です。それで、もうひとつがついてくるようになっています。これから、他の人がこの祝福がわかるように土台を置くことです。次の世代の前にすることです。歴史の前にすることです。神様の前ですることです。これが既成世代です。神様が既成世代に希望されることが、この部門です。皆様が滅びなければならないのに、救われたので、どれくらい感謝しているでしょうか?
 
■ この頃の流行なのか、地位が高い人々が自殺を多くします。少し前に漢江で誰かが飛び降りました。義理あるように騎士道のように、飛び降りたのです。なぜそうなのでしょうか? あまりに困難を受けて、道がないからそのような決断をするのです。誰かがしたから、勇気をもらって飛び降りるのです。私は確かに確認ました。ただ一名ももれなく、ものすごい困難にあっています。先週に、私が牧師を呼びました。キム・ヨンオク氏の話をしたところ、その人が準備をしたのでした。主題を見たら、キム・ヨンオクを暴露するということでした。それで悪魔の子どもとか、ものすごい文を書いたのです。そして、世界福音化伝道協会タラッパンだと書いたのでした。それで、私がこの方を呼びました。まず私がすごいと称賛しました。それで、この人が何かを出したのです。この人の賜物なのか、僧侶や新婦を訪ねていって、メッセージをしたことを出したのでした。それで私がまず、牧師らしいと話しました。暴露するといって聖書の話はしないでください。そして、聖書の話をするなら、正確にしなさいと話してくれと言いました。そして、個人的にメッセージをしなさいと言いました。その人が救われることもあるためです。その人を愛す心から、メッセージをしなさいと言いました。そして、その人はまず知識人であるから、方式をあまりめちゃくちゃにしてはならないと言いました。まず、名前からキム・ヨンウクではなくて、キム・ヨンオクだと言いました。そのような色々な話をしてあげました。ところが、この方が驚くべき話をしたのです。すでに行ってきたということでした。どのようにしたのかと聞きました。まず行ってメッセージを書いたのを与えたら、その人を保護する人々がまず見たということです。それを見れば、これが話は、道理に合うかと言わなければならないのに、どのように分かったのかと話したということです。この人がこのように苦しめられているのを、どのように分かったのかと言ったのです。だから、牧師が皆分かってきていると返事をしたそうです。そして、この人が今週にまた会うのです。今週にまた行ってメッセージをしたということです。とにかく、たいした人ではあります。
 
■ この牧師が私に証しを少ししたのです。十年前に牧師になったということです。明け方2時に起きて、夜になる時まで伝道をしたということです。どんなに伝道をしても、信徒は来ず、自分に霊的な問題がきたということでした。そうしたあと、三年前にタラッパンに会ったということでした。自分の霊的な問題を癒されて、とても感謝して、じっとしていることはできないということでした。私がこれから支援するから、聖書的にして、牧師らしいようにしてくださいと頼みました。ものすごく慎重にしてくださいと言いました。そのようにするとと言うのに、人はそんなに慎重にするような人ではありません。少し心配になったり、期待することもあります。明らかな事実は、そのように立派な人達が、困難に苦しめられて、生きることができないのです。シン・ジンソン氏(霊媒師)がよく出てきていた時、私達が人を送ったではないでしょうか? ものすごく苦しめられて、難しいらしいのです。ただの一名も幸福なはずがありません。聖書でそのように言われていて、私は確認しました。
 
■ それで、私達が神様を知って、体験したということは、普通の感謝なことではありません。パウロは、どれくらい感謝したかというと、これゆえに死んでもかまわないと言いました。これゆえに出てくることが、献身です。これゆえに私達が未来を置いて土台を作って、投資するのです。これが既成世代に必要な信仰です。皆様、既成世代は、複雑な話を多くする時間がありません。正しく契約を捕まえなければなりません。これが既成世代がつかまえるべき神様の祝福であると知って, 今日、救いの大きい祝福を体験する皆様になるように願います。
 
■ 2番目に参考にしなければなりません。既成世代には、4つの現象があります。子どもたちと違う4つの現象があります。最初が、救われることができなかったのに、救われたと思って熱心にする人がいます。宗教生活して、偶像崇拝して、そのまま教会生活をすることです。既成世代の中で一番多いのです。確かに救われることができなかったのに、自分は救われたと思っています。そして、既成世代で一番たくさん、そのような考えを持っているのです。熱心に信仰生活をしたと考えることです。二つ目は、救われていても、よく知らずにいるのです。確信がなくて、いつも罪意識の中で捕えられているのです。事業をしようとするので、信仰生活が良くできないと言うのです。世の中と人に会うので、信仰生活が良くできないのです。こういう方法で、天国を行くだろうか? そのように考えるのです。こういう信仰を既成世代が、一番たくさん持っています。既成世代が持っている信仰が、とても間違ったことが多いのです。三番目は、救いの確信もあって、救いの答があるのに、体質がだめな場合です。体質が宗教、律法、人間中心、神秘主義体質です。既成世代に最もたくさん表れます。しかし、4番目に救いに対する感謝を正しく味わう既成世代ならば、大きい奇跡がおきます。
 
■ むかし、韓国の言葉にも、火がよくつかない薪に火がつけば長くもつ言われるように、既成世代で福音を正しく知っていれば、大きなみわざが起きます。皆様が必ず記憶しなければなりません。事実、大きな事は子ども達ではなくて、既成世代がするのです。皆様、年をとったモーセに福音の秘密が確認されたのです。年齢八十になったモーセには、何の希望もないのに、犠牲のいけにえという話がわかったのです。そして、みわざが起きたのです。魚を釣る何の力もないペテロが '主は生ける神の御子キリストです' という告白をし終えた後に、最高の奇跡がおきました。宗教にやつれていたパウロが、福音を知った後にどんなことが行われたでしょうか? ローマ16章の人物が、全部、既成世代です。私は皆様に確かに言えます。皆様の経験、年齢、全てのものが福音を正しく理解するならば、むしろより大きいみわざが起きるのです。皆様が体質が知って、本当に祈るならば、より大きいみわざが起きるのです。ところが、大部分の人がそれを知らなくて、体質通りに行くのです。ほとんどの既成世代が救われたのに、自分の生活で罪意識を持って味わうことができないのです。
 
■ ある執事は、自分が教会も正しく行かないのに、救われることができるかと話します。何の関係もありません。普通、既成世代がそのように考えます。自分が熱心に明け方祈りもできないのに、神様の祝福を受けるかと言います。夜明けに熱心に事業して仕事をする人が、どのように祈りができるでしょうか? 学生が朝に早く起きて、勉強して学校に行かなければならないのに、この子ども達が、どのように明け方祈りをするのでしょうか? この子ども達が、明け方祈りをするのは、聖霊充満でなくて、悪霊充満です。私たちは、基準を違うように思っています。こういう失敗を既成世代が一番多くするのです。
 
■ ある検事に私が福音を伝えました。この方が率直に私に話しました。自分は2つのことゆえにイエスを信じることができないということでした。最初が酒だと言いました。法律関係者は、想像以上に、酒をたくさん飲むということです。だから、自分は酒、タバコゆえに信仰生活ができないと言いました。私がかまわないと言ったのです。聖書にそのような記録はないと言いました。救いとは関係ないと言いました。韓国でだけこういう話をするので、他の国ではこういう話をすることもないと言いました。あなたがイエスを信じて、救われると言いました。あなたがイエスを信じて救われることができなければ、これから起きるあなたの霊的な問題、裁判所で起きる問題が、あなたに普通の問題でくることはないと言いました。そうしたら、その方が自分の家に私を招いたのです。そちらで受け入れて、家庭で起きる変化を話したのでした。既成世代は、ほとんどそのように思っています。私達が熱心に信仰生活することもしなかったのに、救われるだろうか? そのような方法で話をするのです。絶対にそうではありません。皆様が福音を受けて、本当に理解するなら、大きいみわざが始まるはずです。これが既成世代に与えられた弱点でもあり、祝福でもあります。
 
■ それで簡単に話せば、3つのことだけ悟れば良いのです。宗教生活では救われることができません。救われても自分の体質ではだめです。ただ福音だけ、ただ聖霊充満だけになるならば、既成世代も全てのものを皆尽くすことができるのです。たとえ年を取ったあなたがたでも、福音を理解して聖霊充満を受ければ、時代的な働きをすることができるのです。これを既成世代が知っていなければなりません。
 
■ 最後の三番目です。既成世代に与えられた最後の機会です。今日、ニコデモとの話です。この人は成功した人のようです。体面もあります。夜に訪ねてきたのです。昼には人々が見たり、時間もないからです。イエス様にこう話しました。本当にあなたは誰で、私はどのようにせねばならないでしょうか? と話すべきです。ところが既成世代らしい質問をしました。あいさつも既成世代らしくしたのです。あなたは、天から来られたものすごい先生だと言いました。このように挨拶をしたのです。もし子ども達が行ったとするなら、そのようにあいさつをしなかったでしょう。とても礼儀を整えて、夜にそのように挨拶をしたのです。その時、イエス様がありがとう、というように話さなければならないのに、聞こうともされず、他の話をされました。人が生まれ変わらなければ、神様の国を見ることができないとおっしゃったのです。イエス様は、ニコデモの心を分かって、そのように話されたのです。驚きながら、どのように新しく生まれ変わるのかと尋ねました。私がどのように、母の腹の中にまた入っていって出てくるのかと尋ねたのです。だから、水と聖霊によって生まれなければ、神様の国に入っていくことができないと言われました。だから、なんの話なのかと尋ねました。風が吹けば音が出るけれど、どこから吹いているか分かるだろうかと言われました。聖霊もこれと同じだと言われたのです。だから、ニコデモが分かることができなかったのです。それほど肉体的なことだけしてきたから、肉体的な質問だけするのでした。
 
■ おとなが何と言っているか知っているでしょうか? 奥さんに、教会になぜ行くのか? 教会に行けば、ご飯を与えるのかと話します。このように、肉体的なだけを話すのです。幼い子どもたちは、そのような話をしません。この人の質問が、全部、肉体的なことだけです。イエス様が、わたしが今、世の中の話をみなしても、わかるかと話されました。まして、天の話をあなたがどのようにわかるかと言われたのです。それとともに、重要な話をされました。モーセが荒野で青銅のへびをあげたではないか? この話は、なんの話でしょうか? その荒野に行く時、へびにかまれて死ぬようになった時、モーセが青銅のへびを作って上げたのです。この青銅のへびを見上げたら生かされるとあげたのでした。その比喩を出されたのです。人の子であるイエス様が木にかかって、十字架で死ぬことを預言しながら、この事実を信じる者は救われると言われました。それとともに、有名なメッセージのヨハネ3:16です。 '神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。' 子ども達がこの踊りをするでしょう? これが ニコデモに言われたメッセージです。本当に最後の祝福であり、最後の機会です。
 
■ 神様は、既成世代に子どものようでなく、この福音を正しく下さろうとしているのです。子どもたちとは違います。神様が年をとった七十五才のアブラハムを呼んでカルデヤに行きなさいと言われました。これが既成世代が受ける福音の方法です。皆様は、今までの経験が多いために、カルデヤから離れなさいと言われたのです。わたしがあなたと共にいると言われました。この話がわかる前に、アブラハムは、ものすごく苦労したのですが、ある日、わかるようになったのです。これがまさに既成世代が受ける祝福です。神様がどのようにされたでしょうか? モーセにおっしゃいました。八十になったモーセを呼ばれたのです。皆様、神様はダビデに王を任せて、イスラエルを生かされました。 '主は生ける神の御子キリストです' このものすごい告白は、子どもの口から出てきたのではなくて、既成世代の口から出てきたことです。時代的な伝道者が出てきた使徒行伝 9章のダマスコ事件は、子どもに起きたことではなくて、既成世代のサウロに起きたのです。
 
■ 道を行く時、突然にみわざが起きました。エチオピアの宦官に起きたのです。それが、既成世代に起きた祝福です。皆様を教会学校に送って答えを受けるようにしようとしてもだめなので、直接、急に働かれるのです。この機会をのがしてはならないのです。神様が、急にコルネリオの家に働かれたのです。これがまさに、あなたがたが受ける祝福です。一生の間、福音を知らずに生きていて、問題がきました。総督になったのに、その人が福音を受けて癒されました。悪霊につかれて、易、シャーマニズム人になって苦労していたのが、福音を受けて生かされました。思い切り偶像崇拝をしていて霊的な問題がきたのに、福音を受けて、生かされたのです。これが既成世代が受ける祝福の機会です。複雑に思わず、この祝福を皆様が受けてくださることを願います。
 
■ 大部分の人々が、このように考えます。私達は、年齢が若くなくて、みな終わったと考えるのです。そうではありません。神様が四十才のモーセを呼ばれず、八十才のモーセを呼ばれたのです。実際に、モーセはみな終わったと考えていました。自分がどのように、パロ王の前に行くことができるかと話しました。神様が、共にいると言われました。事実は、モーセが述べた言葉が正しい話です。この年齢で、どのようにすることができるでしょうか? この年齢で、敢えてパロ王の前に行って、この働きができるでしょうか? その話です。普通の人々は、そのように考えます。神様は、モーセの最も重要なことを、年齢八十才で準備されたのです。私たちは普通みな終わった、できないと考えます。いっそ死ぬのがよりよい。エリヤが言った言葉です。とんでもない言葉です。神様はエリヤに、新しい働きを準備しておいて待っておられたのです。今日、皆様が新しく始まる祝福があることを願います。既成世代は、子ども達とは違います。ただ福音だけ、ただ聖霊だけ、ただ証拠だけを早く捕まえなければなりません。子ども達のように、正していては時間がありません。四十、五十になった人が、子どものように勉強をしてはなりません。何んでも恵みも合うように受けなければならないのです。
 
■ 年齢八十才になっているのに、突然にホレブ山に火が燃えていたのです。イエスを信じる人を捕まえにいくいのに突然に道で光が照らしたのです。パウロです。前の人はモーセです。神様は既成世代に、そのように働かれるのです。あのホレブ山でエリヤに働かれたのです。これが既成世代が受ける祝福のチャンスです。のがさないように願います。既成世代は、教会学校の子ども達ではありません。今は経験をたくさんしました。今、勉強もたくさんした年齢です。そして、ある程度、結論を持っています。それなら今日、最後の時間、機会にあなたがたが一つの答が出てくるべきです。ただ福音だけです。このように出てくるべきです。これが既成世代です。あなたがたが、まだこのように出ていないならば、困ります。それとともに、あなたがたは生きなければなりません。どのようにすべきでしょうか? 私たちには、力が必要です。それで、ただ聖霊があなたがたに臨まれるときに、あなたがたが力を受けなければならないのです。これから私たちは、次の世代、教会の前にすべきことが多いのです。私たちは力がありません。それで、ただ証拠だけが必要なのです。私達が神様の証拠でしなければならないのです。これが既成世代に望まれる神様の祝福です。この祝福をのがさないように願います。教育を受けるなということではなくて、神様は教育を受けなくてもなさることができるのです。
 
■ 神様は、あらゆる未来をレムナントにかけられたのですが、レムナントのために皆様に今、働かれることができます。神様はあらゆる未来を次の世代にかけられたのですが、次の世代のために、今、働かれることができるのです。気落ちする必要はありません。福音ならば解決するという答を持ったゆえに、ただ福音だけを捕まえてくださることを願います。これから皆様が聖霊の働きを置いて、祈ってみるように願います。少しだけなせば良いのです。これから、あなたがたが証拠を残して、証拠で生きなければならないので、証人の祝福をくださいと祈ることを願います。聖書に出てきています。ただ聖霊が臨めば、証人になると確かに出ています。皆様の生き方を変えるように願います。これから本当に変えるように願います。ところが、とても方法が簡単なのです。皆様がこれからの人生を、力あるように変えるように願います。皆様に新しく始まる祝福を確かに準備なさったのです。
 
■ 私が年をとったパク長老にそのように話しました。運転を学んで、運転して通いなさいと話しました。長老が目が悪くて運転ができないと言いました。すると、世界宣教旅行もしなさいと言いました。したいので、祈っている途中だということでした。ある日、私にたずねてきて宣教師で送ってくださいと言ったのです。心の底から、たいした方だなという気がしました。だから今、宣教師で走っておられます。人生をこのように新しく始めるのです。私が、私の母にこう話しました。家で熱心に仕事をすることも良いけれど、世界に一度も行かないことも悪いのだと言いました。人は、飛行機にも乗ってみて、外国にも出かけてみなければ、全く行かないのもよくないと言いました。運転も習うならば、私が真っ赤な車を買ってあげると言いました。そうしたら、そうすると話しませんでした。三歩も歩くことができないと言いました。だめだと言うので、することができないのです。本人があきらめるので、止むを得ないのです。皆様、年をとってもできます。神様はいくらでもなさることができるのです。神様は八十才の老人も用いられ、年をとったエリヤも用いられました。既成世代は、年をとっているという考えをせず、人生の新しい計画を立てることを願います。今日から、祈りの課題を変えるように願います。自分の生涯で、神様の前に何を残して行くか? その祈りを始めことを願います。
 
■ 皆様、年を取るほど格好良くするように願います。皆様、年をとると臭いのようなものがするならば、孫も嫌います。孫も小さい時、おじいさん、おばあさんは鼻がきくようになると嫌います。訳が分からなくて付いてまわる子どもが判断できるようになれば、おじいさん、おばあさんをそれほど好みません。だから、年をとるほど、格好良くすることを願います。年をとっても、宣教もして走るように願います。
 
■ むかしの考えが止むをえません。私の母にお小遣を与えながら使ってくださいと言いました。献金して、残りは使いなさいと言ったのです。習慣になって使わないのです。どれくらい集めて置いたか、亡くなった後にお金が何十万円も出てきました。もちろん、それも良いのです。年をとるほど、使って走って、伝道もして、祈りもしなければなりません。
 
■ この前、東亜大学の教授の話をしたでしょう? 私達が教会学校の講義を頼んだところ、ある娘さんが来たのです。遠くから見たら、ピンクのツーピースを着ていました。どれだけめかしこんでいるか、靴もピンクを履いていました。帽子もピンクの帽子をかぶっていたのです。かばんも似た色合いを持っていました。近くに来たら、娘ではありませんでした。知ってみたら教授でした。そのようにして講義をするのでした。格好良いですねと言ったら、老いたのに何が良い姿なのかと話すのでした。それとともに、面白いことを話しました。老いたので臭いも出て、孫が嫌うということでした。それで、最大限に格好良くしているということでした。よくされていると言いました。格好良く老いるという気がしたのです。メッセージも良くされました。
 
■ 私は老いたからできないという考えを持っているのですが、神様がなぜ生かしておかれるのでしょうか? 亡くなるほうが良いでしょう? 最後のすべきことがあるのです。私がこの教会と福音のために、何ができるだろうか? 到底出来なければ、リビングストーンのように、祈りの人になると心を持つように願います。私が神様に捧げる物質がないならば、神様の前に祈りで最高の献身をすれば良いのです。これが既成世代です。あなたがたが力を得てくださることを願います。あなたがたが、祈りを多くしてこそ、若い人々と対話ができます。皆様が老いたのも佗びしいのに、若い人々と対話ができなければ、どうするのでしょうか? 皆様が祈りを多くして、霊的に悟れば次の世代と対話ができます。あなたがたが年を取っても、若い人々と対話をすることができる知性を育てなければならないのです。
 
■ 私たち教会の設立礼拝をした時、説教をしたキム・ジュンゴン博士から電話がきていました。私が少し話をしました。感じたことがあります。若いという感じがしたのです。年齢が八十才を越えた方なのに、全く話の内容が老いた方ではないのです。対話の内容が若い人でした。大きい人物は、ここが違うという気がしたのです。大学生と対話しているようでした。それが違うのです。皆様、用いられることができない人々を見れば、五十才を越えればぼけになるのです。そして、教会、家でうわごとを言えば、大きい問題です。皆様、老いたのでも佗びしいのに、たわごとを言って無視されて良いでしょうか? あなたがたが、最高に格好良くして、残った生涯を主の前に最高で用いられるようになることを希望します。こういう祝福を受けるようにイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちの生涯で最も祝福の時間になるようにしてください。私たちのあらゆるおとなが、神様の祝福を味わう開始になるようにしてください。新しく始めるおとなになるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン.
 
 


 2部/ 信仰と社会生活
(エペソ6:10〜20)
 
■ 今、インターネットで共に礼拝をささげている海外の私たち弟子に何倍もの祝福があることを願います。私たちのソウル、蔚山インマヌエル教会と衛星で礼拝する教会に倍の神様の祝福があることを願います。
 
■ 先週に蔚山に行ったところ、蔚山でいつも画面でだけ見ているので、行ったから学生達がサインしてくださいとたくさん待っていました。時間がなくて、飛行機に乗らねばならないために、申し訳ない心で、みなしてあげることができなくて行きました。それは私たちが福音のなかで共に祈って、福音のなかで本当に愛すという意味だと思います。何名かの人が、私の考えを変えました。普通にイエスを信じる人々がこのように話しました。信仰生活して社会生活することが難しいと言いました。私もそのように考えていました。静かに考えてみると、社会生活、信仰生活するのは難しいという気がしたのです。ところが、ある人を見ながら、そうではないという気がしました。
 
■ 私が以前に話したことがあります。その人はたくさん習った人ではありません。私と一緒に教会学校の働きをしていた時、いつでも夜明けに出てきます。清掃から始めて、教会学校の子ども達を教えることまで全体をどれくらい良くするか分かりません。この人一名が、約二十名の役割をしているようでした。その時は、会社が聖日は毎週休まないで、初めて週だけ休んだり、そうでなければ、二週目、三週目、こういう方法で休みました。この方が韓国の釜山の連合鉄鋼に就職をしたのです。職員として整備する特別技術者一名を募集したのですが、ものすごくたくさんきたのです。その執事が、そこの試験を受けに行ったのです。技術も見て、面接もしたのです。社長と偉い人々がずーっと座っているなかで、面接します。このこと、あのことを尋ねることもするはずです。
 
■ 最後に話す言葉はないかと尋ねられました。この執事があると言いました。なにかと聞かれました。私は休暇もボーナスも、何にも必要ないから、聖日だけ休ませてくださいと言ったのです。ですから、なぜそうなのかと尋ました。私はクリスチャンで、教会学校の教師であるために、子ども達を教えなければならないので、聖日だけ休むようにしてくれるならば、何の条件もなく仕事をすると言いました。そばで誰があとでまだ就職もできていないのに、そのような心配をするのかと言いました。だから、就職できれば、そのようにしてくださいと言いました。そうしたあと、また誰かが私たちの会社には、執事、長老もたくさんいるのに、その人々はみな何にも言わないのに、あなたは特別にそのように話すのかと尋ねました。その方たちは、非常に信仰が良いから聖日を抜けてもかまわないけれど、私は信仰が弱いので、聖日に抜けてはならないと言いました。合格したのです。
 
■ その方が、どれだけ仕事を良くしたかというと、会社のなかでけんかがあって、判決をこの執事がしました。人々が争っていたら、その人に尋ねようして、その人が話せば和解しました。どれくらい仕事を良くして、祈りを良くしているか分かりません。本当に、人は特に習ったことがなくても素敵です。その会社をやめて、他の会社を作る時、社長が行かないでくれと頼んだ人です。私はそれを見ながら、人はそのように信仰生活と社会生活は難しいのではないと考えました。あのように信仰生活をすれば、会社生活もやさしくて、家庭生活もやさしくて、教会生活も簡単ではないか? ひとりですが、ものすごく私の考えを変えるようになりました。むかしには、たくさん学んで、人脈もあって、学縁、地域、組織が多ければ成功すると私は習ってきたのです。
 
■ あのソンドン教会に行けば、イ・ジング長老という人がいます。全羅道の人です。小学校だけ卒業して、釜山にきました。自分の祈り課題が、弟に勉強をよくさせることで、自分は教会によく仕えることでした。私はその方を見て考えを変えました。どれくらい、教会で良くして、どれくらい祈って、どれくらい会社の仕事をよくしたか、大統領賞を受けて、新しい村の指導者研修院の教授として任命されました。朴正煕大統領が、その証しを聞いて、あんな人が韓国いなければならないと、新しい村の指導者の教授だけ集めて、政治家だけ集まる所に講師として行ったのです。そのようなことを見ながら、世の中ということは、そんなに難しいことだけでもない、ある人が話すように、そんなに難しくて、世の中がそんなに難しいことはないと感じました。こういう方達が私の固定した、この病んだ思想をたくさん変えてくれました。
 
■ 私は今でもホン・ヨンメという女の人を思い出します。私はその人の証しを聞きながら泣きました。福音もない人です。新聞を見たということです。男の人が、中風になって、子どもが3人いるのに、夫人が逃げたのです。それで子どもたちが、飢え死にしそうになりました。それが小さい事故になって、新聞に出たのです。ホン・ヨンメさんがそれを読んだのです。これが女か? 何のために夫も捨てて、息子も捨てて逃げるのか。私が行ってその子ども達を育てるべきだ。梨花女子大を卒業した学生が、そこに行ったのです。行ってみると、ある男の人一名が病んで中に座っていました。それで、雑巾をしぼって、まず床から拭きました。どれくらい汚かったか、とにかく拭いたということです。その男の人が、なかで見ていて、誰で、どこから来たのかとたずねました。新聞を見て、そうじをしにきたと言いました。すこしいたら、子ども三人が、学校から帰って来たのですが、完全に乞食でした。その子ども達を入浴させました。そして、部屋に連れて行って勉強を教えました。
 
■ 町にうわさが立ちました。 "おかしな女が現れた。酒場の女ではないか、そうでなければスパイだ。どうして、あんなきれいな女があの家になにをしようと行くのか" こういううわさが立ちました。その子ども達だけ勉強をさせたのですが、友達が問題でした。友達をみな呼んで、勉強を教えました。そして、自ら福音も伝え聖書も教えたのです。そのことがますます広まって、韓国全体に噂されたのです。それで韓国でその女の人をとても重要な訓練させる指導者として呼びました。それで、私がいた教会にきて証しを一度しました。その時、私はこう考えました。男は女によく会ってこそ成功するというけれど、そうでもないな。私はいつも、そのように考えました。 "女は男によく会ってこそ成功して、女は男によく会ってこそ祝福を受ける" 私はいつもそのように考えていました。ところが、そうでもなかったのです。そのような私の考えを変えてくれたのでした。私は多くの人々を見ながら、人が必ずそのようなことではないという気がしました。あの北朝鮮から聖書、賛美だけ持って逃げてきて、金持ちになった長老の話を聞きながら、人は背景と親戚だけがあれば良いのではないと考えました。私たち韓国で一番金持ちでした。
 
■ 今でも、私は記憶しています。私がキム・ジュンゴン博士に会えば、ソン・サンマン執事に対して尋ねるつもりです。一般信者なのに、銀行に勤めながら、銀行勤務を良くして、職場も上がって、信仰生活を良くして、伝道も良くしました。私はいつも、皆様に聞くのに、職場生活して、社会生活して、教会生活することがむずかしいと聞きました。私は、そうではないということを確認したのです。この人は行く所ごとに祝福が現れます。そして、信者でも、未信者でも、この人を嫌う人がいませんでした。なにかが私の考えを変えました。
 
■ 私は、こういう話を聞きました。軍隊では昇進するために一緒に遊んで、酒も飲んで、踊りもして、おかしなこともしなければならないと言われます。いっしょに不正もして、一緒に遊んでこそ上がるので、あまり一人で正しくしたら上がらないと言われました。社会が、そのようなことです。私もそのように考えていました。名前を話すことはしませんが、あるキム将軍を見ながら、そうではないと考えました。どれくらい軟らかいながら、自分を守ることができる人なのか分かりません。あらゆる人を手助けしながら、自分は福音を守ります。今回、隊長一名を間違いをして拘束された、その人の話をさっとしてみました。とても良い方なのに、失敗したと言いながら、その方に対してものすごく心を痛める感情で話しました。私が見ると、この人は成功できると思いました。とても福音的ながらも、この人は嫌う人がいません。かと言って、人がむちゃくちゃに生きているか、それでもありません。かと言って、否定的か、まったく違います。とても福音的です。少し前に会って祝福祈祷をしてあげました。もしかしたら、神様があなたを参謀総長をさせることができます。あなたのために祈ります。本当に祈りなさい、といったところ、祈りますと言いました。私たちの秘書が、先生、とても長く話されると言いました。あまりに貴重な人だと、長く話しながら祈ってあげました。そのような人もいます。それを見ながら、軍隊がそのようなことだけではない、このように良い方もいるのだなと感じました。大韓民国には、素晴しい軍人がいるから、韓国も大丈夫ではないかという気がしました。それで、私たちは、人の考えを私の考えを変える人がありました。私はキム将軍に会いながら、軍隊に対する考えを変えました。私は軍隊をいつもおかしな所だと考えました。無条件に命令して、無条件に異常にするかのように思っていたのに、それではなかったのです。おかしな政治や、手段を使って人が上がる所だと思っていました。世の中がそのようなことだけではありません。
 
■ 普通、牧師達に会ってみれば、みな動機があります。私は動機なく、本当に福音を話すキム・ジュンゴン牧師、その方に会いながら、こういう牧師もいるんだなと思いました。私もできなくても、このようにしなければと感じました。その話は、私の考えにを変えたということです。私たちの教会、とても重要です。私はほとんど聞くことでは、信仰生活、社会生活がむずかしいと聞きました。ところが、私はそうでない人がいるということを知りました。むしろ、それがよりやさしいということを知ったのです。会社に行って祈って、他人の手助けをして本当に神様の前で恵みを受けて、祝福を受けることが、よりやさしいことであって、葛藤して戦おうとして、後から他人の話をすることがよりむずかしいのです。それで私は3つのことを私たち信仰人、社会生活するのに結論を下しました。パウロを見ながら、3つの結論を下したのです。
 
■ 一番目。聖徒は神様の力から体験しなければなりません。聖書を見ると、神様は奇跡の神様です。この部分を私がどれだけ知っているかにしたがって変わるはずです。がっかりすることが本当にあっても、しなくても良いのです。どんなに失敗の中にあっても、また始めることができます。神様は奇跡の神様であることが明らかです。それなら、その神様にどのように会うのでしょうか? この秘密がキリストです。これを知っていれば、永遠に滅びません。このなかで起きる祈りの秘密、皆様今から福音のなかで祈っているうちに一生、常に勝利することを主の名前で祝福します。ここに今、旧約に、新約に、歴史に証拠を出すならば、いくらでもあります。神様の民は、神様の力から体験しなければなりません。神様の民は福音が何であり、神様の力が何であり、祈りが何かを知って行かなければなりません。これだけあるならば、恐ろしいことがありません。そのように私は自信をもって皆様に紹介したいのです。聖書にも、そのようになっています。この祝福を皆様が受けてくださることを願います。
 
■ ヨセフが神様の力で祝福を受けるのに、妨げる人がいませんでした。私たちの子どもとあなたがたが行って神様の祝福を受けるのに、誰が防げるでしょうか? 神様が皆様を祝福なさらないのに、誰が祝福するのでしょうか? すると、明らかではないでしょうか? 神様がダニエルを祝福されるのに、誰がダニエルを殺すことができるでしょうか? 神様がダビデを祝福されるのに、誰が防止することができるのでしょうか? 危機の中でダビデは「主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません」と言いました。誰が勝てるでしょうか? 皆様がこの祝福を受けてくださることを願います。事実は、私も伝道しながら、多くの困難に会いました。やや誤って考えれば、崩れるかと思いました。違うことはよく知らなくても、私がこの契約を捕まえたのです。確かに神様は生きておられて、福音を持った者に働かれます。イエスの御名で祈れば、確かに今でも聖霊が働かれます。そして、暗闇の勢力は崩れます。それを捕まえて、全てのものを譲歩しました。ところが、一度も負けたことがありません。攻撃すれば攻撃されて、契約を捕まえました。私が数多くの攻撃を受けたのです。ところが、その攻撃をみな受けて、この契約を捕まえたのです。ところが、神様はただの一度も失敗させられませんでした。むしろより多くの答えを下さいました。
 
■ 皆様、ご存知でないでしょうか? 起きたこと、私を攻撃した人々、私が受けたもの、皆知っている証人でないでしょうか。私たち学生達は、揺れる必要はありません。どんな困難が来ても、気落ちしないで。皆様、社会に行ったら、さっき例を上げた人のようになせば良いのです。なんの心配もする必要がありません。私達がわざわざ作戦を立てて追従するのではなく、心よりするということです。なんの問題になる必要がありません。主が 'ヨセフのゆえに、ポティファルが、主ががヨセフとともにおられることを見ていた.' ダリヨス王が、ダニエルを見て 'あなたと共におられる神様があなたを救われるはずだ' 確かにそうです。それなら、私たちは恐れる必要がありません。これが社会生活する一番目の方法です。私たちは神様の力という秘密を持って、社会生活をするのです。
■ 2番目です。パウロのように、世の中のものもよく知っていなければなりません。なぜでしょうか?世の中を生きなければならないためです。社会生活をするために、社会もよく知っていなければなりません。学生達もそうで、あなたがたもそうで、勉強をずっとしなければなりません。勉強することが多いのです。それを知識と言います。その中から知恵が出てきます。私はこの頃、本屋で見ると、見るべきことが本当に多いのです。この頃、どんな本がおもしろく見えるかというと、韓国の土地の金持ち101人を探し出したことを見たら、正しいと考えました。また私たち韓国で、何のお金もなく始まって、努力して、誠実に生きて成功した人たちを選んで書いた本があるのですが、見ることがありました。だから勉強することが多いなと思いました。時間はないので、私は道を行く時に持って見なければなりません。それでも見る時間がありません。ですから、私たち学生達が本を読む習慣もつけて、知識を持っていなければなりません。その知識の中から知恵が出てくるのです。知識が過去ならば、知恵は未来のことです。私が何にも知らないのに出てくることができません。それで、世の中のものも勉強しなければなりません。そして、皆様と私たち学生達は、必ず記憶しなければならないのです。
 
■ それから2番目は、専門性と専門化です。専門性は何かというと、皆様がどんなことをお手伝いをひとつしても、確かにしなさいということです。何の仕事をしても、確かにしましょう。そのようにすれば、それが専門性です。すると、神様の祝福で専門化が起きるのです。パウロがこういう部分を上手にやりました。ダビデもこれを良くしたのです。そして、私たちは社会のものも勉強しなければなりません。皆様、社会生活をするために、うつわも育てなければなりません。その次の三番目、人間関係も良くしなければなりません。皆様が人間関係に対して、よく勉強しなければならないのです。私がこの部分を知らなかったのです。ここで私が神様の計画は成し遂げたのですが、大きい失敗をしました。この世界福音化をしようとするから、釜山、慶尚南道、ソウル、米国全域で集まって集会しようというのに、相当な門が開きました。私がそのように人に異常にする者ではないのに、人間関係は、人が大きくなれば大きく維持することができねばならないのに、それを知らなかったのです。私は一度も他人の弱点をとらえて人を難しくしたことはありません。私達が大きくなれば、人間関係も大きくしなければなりません。私はそれを考えることができなかったのです。
 
■ 牧師たちが、コーヒー一杯飲もうと言いました。行ってみたら、コーヒー一杯飲むのに、何時間も座って、忙しいのにという気がしたのです。それからコーヒー一杯しようと言われたら、私が行かなかったのです。はじめには、この人たちは親切でした。柳先生、今回、私達がどこかに遊びに行くので、みんなで行こうと言いました。私が頭が回らなかったのです。そうなのですか、私は時間がなくて行くことができません。代わりにこのようにちょっと使ってくださいと出せば良かったのですが、つまらなく行くのかと思って、行かなかったのです。私は人々が町で集まっていることが、そんなにすごいことなのを知らなかったのです。あのように集まって、話しを作ったことが、世界へ広がって記録に残るということを考えることができなかったのです。私が生きていたら、そうでした。私たち大きな事をする次の世代には、教えなければならないと考えました。何名かが集まって、世論を作りあげれば、これが完全に真理になるということを知らなかったのです。これは小さな事件ではありません。だからその方たちが見る時は、私が高慢になったのです。私はそうではないのに、そのような意味でなくて、私が福音を伝える事があまりにしたくて、時間が足りなかっただけなのに、この方達が見た時は高慢だったのです。
 
■ どこかに行って、罪の中の最も大きい罪が何か知っているでしょうか? 殺人罪より、もっと大きい罪があります。不敬罪です。ここに引っかかるならば赦されることができません。私がそのようなことを知らなかったのです。殺人罪は殺すしかない状況におかれたとすれば、裁判でも止むを得ない状況だと、減刑してもらえます。判事や検事や、むかしに王が裁判するのに、王が腹立てて 歯ぎしりすると、それは減刑してもらえません。人間関係が重要です。この頭が悪い私が、四十年ぶりに悟りました。私たちの次の世代に、教えなければならないのです。大きく成功するレムナントには、教えなければなりません。大きな事をするということは、本当に並大抵のことではないのです。世界福音化するとか、大きい影響を与えようとするなら、大きいうつわにならなければならないので、人間関係が重要です。こういう部分を、痛感しました。皆様がこういうことを学ばなければなりません。人格とマナーを習わなければならないのです。そして、私たちは事実的に見る目と、成功を学ばなければなりません。これをパウロが上手にやったのです。あなたがたは、社会生活をしながら、事実的なことを見て、本当に神様の祝福を受ける目が開かれなければなりません。
 
■ 大きい三番目です。より重要なことが、霊的な秘密です。これは私たち信者だけが持っている祝福です。霊的戦いがあります。これは未信者は知りません。事実なのに知らないのです。それで今日、パウロが終わりに言いますと、この話をしました。私たちの戦いは血肉に対する戦いでなくて、霊的戦いです。私たちは、重要な霊的な戦いをしなければならないのに、神様がご覧になる時、重要な霊的な戦いがあります。ペテロがこういう告白をしました。. 'イエス様は生ける神の御子キリストです.'だから、神様がご覧になって 'バルヨナ・シモン。あなたは幸いです'. 今日Iコリント4:1にこういう話しがあります。 'こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。'となっています。人が皆様を見る時も、キリストの秘密を持っているんだなと思うべきです。特に今日、秘密を見れば霊的戦いです。サタンが見る時、皆様をよく知っています。この秘密を私たちは持っているのです。
 
■ 整理します。クリスチャンは、必ず大きく3つで社会生活をしなければなりません。未信者と違ったことは神様の力、その通路のキリストの秘密、これを持って世の中の内に入っていくということです。それが最初で、それをいつも維持しなければなりません。2番目に、私たちは社会生活を未信者より、もっと上手にやらなければなりません。私たちは、どんな場合にも他人の話と重傷、こういうものに巻き込まれてはなりません。ほとんど成功した人々は、こういうものに巻き込まれないで神様の祝福をよく味わう、そのような知恵がある 生活を送りました。そのようにしながら、世の中では他の人より良くして、成功せねばならないのです。事実的な目です。それで、私はこの部分が本当に重要だと思います。
 
■ 私たち職員にはすまないのですが、誰かが報告すれば、私は必ず確認します。確認する時、一度もすべて正しかったことはありません。本当に良く確認したという気がします。これくらい事実的な人が少ないということです。成功は、難しくありません。皆様、これから他人の話を聞いて、他人の話通りしていては、大きいこと起きます。ほとんど事実的に話しません。しても感情、自分の考え、推測、みな含んで話すために、その話しを聞けば、大きいことが起きます。皆様が世の中を見たり、何を見るのも、事実を見る目が重要です。皆様、それだけ揃えれば、成功できます。ほとんどみな、この部分で99.9%が脱落します。皆様がどんなに人格が良くても、事実を見ることができないならば、それは間違っているのです。この部分だけ私達が理解するならば、何んでも事業も、人間関係も、あらゆる面で勝利できます。
 
■ そして、三番目に付いてくる部分が霊的な秘密です。未信者は知りません。滅びても知らないのです。私たちは、霊的な秘密が何かを知っているために、私たちはこの秘密を置いて、伝道もして、祈りもして、信仰生活を始めるのです。神様の大きい祝福を受けてくださることを願います。結論を結びます。社会生活をする時、私達が職場生活をする時、教会生活する時、最も問題になることが何でしょうか? その人と私が、性格が合わないということです。これが一番の問題です。夫婦間の一番の問題が何でしょうか? 性格が合わないことです。すると問題がきます。私はそのように見ません。性格の違いがあることは、間違ったことではありません。間違っていることと違うは違います。もし皆様、夫婦の中で特別な問題、こういうことでなく、性格が違うという方達は、なんの問題もないことを悟ってくださることを望みます。それが違わなければならないのです。社会生活するのにも、私と違わなければなりません。違うものが合わさって事がなるのです。
 
■ 私が前に話したではないでしょうか? アナニヤとサッピラは、性格があまりに合って問題がきたのです。二人の性格が気があわずにけんかしていたら、そのような事故が起こりません。人の顔色をうかがって、アナニヤが献金しようと土地を捧げようと考えて見たら、惜しかったのです。時代的な祝福を受けるが、考えると惜しい。適当に隠して適当なようにするならばどうかと言ったら、妻が同意したのです。そうでなければ、反対にアナニヤが献金を考えたのに、妻が何か話したのです。結論が何でしょうか?, 二人が心がぴったりと合ったのです。これで二人が一緒に死ぬ悲劇を成し遂げたのでした。一致してはいけません。皆様、どこに行っても、性格の差が起こると言うのですが、差が出なければなりません。
 
■ 私もはじめにそのように考えました。私の家内と合わない。考えを変えました。違う、違わなければならないのです。どのように私と同じでしょうか。だから有利な面が多いのです。どこがというなら、私は空腹でても耐えます。家内は、腹がへると三回、四回話します。このように話すので、何か食べることができるのです。かまわないことです。皆様、知らないでしょうが、大韓民国で、世界で、役員会の部屋に牧師夫人が入ってご飯を食べる人は、家内しかいません。長老達の中にも、幼い時から信仰生活している人がひとりいて、中間にひとりいて、信徒の中にも幼い時からの人がひとりいて、中間にひとりがいます。 幼い時から信仰生活していないゆえに知らないのです。私たち教会の長老達は、福音を持った長老なのでよいのですが、一般教会では、役員会の部屋だというと、冷たい風が吹く所です。尋ねてみてください。高神側、合同側、役員会の部屋は、殺伐としています。牧師夫人はそちらがわを見ることもしません。ところが、家内は入って、一緒にご飯を食べます。私ははじめにあぜんとして、出て行きなさいと言いました。だから、家内は何でなのかと入ってきました。問題は、またパク長老です。パク長老が、奥様ここから出て下さいと言うべきなのに、奥様が入るのではるかに雰囲気が良いと言うのです。それで、家内は、見てご覧と言いました。ただの一度も抜けません。それで私が静かに考えたら、かまわないよと思いました。
 
■ これは違う部分で、間違いではありません。ところが、こういうことが合わさって、多くのことを開発できるのです。私達が会社でもその人が私と違っていることで、間違っているのではありません。あんな性格もあって、こういう性格もあって、それが合わさって事がなるのであって、必ず私と同じであるべきでしょうか? そこで問題がくるのです。問題ではないのに問題を作りだすのです。一緒に合わせて考えれば良いのに、問題を作りだします。社会でも同じです。相手方の意見を尊重して、参考にしてみれば、習うこともあるのに、違うから切り捨てます。そうでなければ、とてもストレスを受けるのです。皆様の下の人々は、ストレスを受けるのです。ですから、社会生活がいたずらに難しくなるのです。そのような必要はありません。私たちは重要なことを守らなければなりません。神様の力と祝福を持って社会に入っていくのです。そのなかで、世の中のことはよく習って、彼らを生かすのです。そして、私たちの最後は霊的な戦いです。このように記憶すればよいのです。すると、祈っていれば答えを受けるようになります。皆様、今日、この契約を捕まえて、本当に勝利することをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。本当に神様の祝福を受ける私たち神様の人々になるようにさせてください。それで、私達の社会も生かして、国家も生かす神様の祝福があるようにさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン