2004年6月13日インマヌエル教会聖日メッセージ
1部/ 聖書の老年生活
(Uサムエル17:27〜29)
■ インターネットでみことばを受ける全世界の使命者達に、神様の祝福があることを願います。百個以上の教会が衛星で礼拝をささげています。ある教会は、わざわざ私たちと同じ時間に礼拝をささげています。インマヌエル蔚山、京仁(ソウル・仁川)、契約教会は、わざわざ私たちと同じ時に礼拝をささげます。礼拝の雰囲気を一緒に見られないので、難しいのではないかと考えました。カン・ホイン先生は、スクリーンが良いので、先生の実物を見るよりはるかに良いと言いました。一昨日、コメディアンのイ・ヨンジャ氏に会ったのですが、イ・ヨンジャ氏は、私に画面より実物がはるかによいと言いました。こういうこと、ああいうこと、みな重要ですが、私はそのように考えないで、あなたがたが本当に恵みを受けて、答えを受けることが大切だと思います。皆様、本当に祈りの答えを受けているでしょうか? 私は本当に神様の子どもで、福音の秘密が大きいということを体験しているでしょうか? 私は神様の祝福で教役者までなったのに、それがだめでした。神様の祝福で伝道師になったのに、時々神様がいるのかと考えました。私に危機がきたり、問題がきたら、私も知らない間に神様を探したのですが、神様が本当にいるのかと考えることもありました。だから、ずっとさまようしかなかったのです。ところが、不思議に時間が経つほど、だめになるのでした。私が本当に神様がいるのかという考えをしたのに、時間が経つほどだめになりました。それで、いろいろな事件を見て、歴史を見たら、神様はおられるのだと考えるようになりました。それが、私が過去にした信仰生活でした。
■ ある僧侶が、このようなことを言いました。川を渡ろうとしたら、凍っていました。上を渡るのに、氷が割れたらだめです。それで、こわごわ木魚を打ちながら歩いて行きました。ところが、突然に氷が割れたので、この人が「お母さん」と言ったのです。危機で、落ちてしまったので、死にそうになったのです。だから、この人が「神様、助けてください」と言ったのです。このように、人間の本性を見る時、本当に神様が生きておられることは明らかなのに、私たちはそれに対する疑問も生じるのです。私は、そのようにして、ものすごくさまよいました。全くさまよっていないように見せておいて、さまよっていました。教役者、父もしなければならないから、全くそうでないふりをしておいて、私の胸の中には答が出てこなかったのです。ある日、私は神様の恵みで分かるようになったのです。本当にサタンという存在がいるのだなということを考えました。悪魔という存在があるんだな。悪魔とサタンは同じ言葉です。英語では、Satanと言ったり、Devilと言ったりしますが、同じ存在です。これが神様の多くの祝福を邪魔するという事実を知るようになりました。それが目に見える人もいるでしょうが、感じられなければなりません。
■ 日本に行ってみると、八百万の悪霊がいるのですが、家ごとに精神病患者がいます。皆様、ネパールには三億という神がいます。むかしバビロンが滅びる前に、七百個の悪霊があったということです。エジプトが滅びる前に、二百個の神がありました。私はこういうものを感じられるようになり始めたのです。キリストを正しく知らないようにするのです。福音を正しく悟ることができないようにするのです。無条件に熱心にするだけで、礼拝を正しくささげることができないようにさせるのです。私たちが重要な悟りができないようにさせるのです。神様は、私たちを祝福なさろうとするのに、この存在が、どんどん滅びる方向へ行くようにさせるのです。私はそれを感じるようになりました。それとともに、聖書が新しく見え始めたのです。私たちの罪のために十字架を背負われたのです。私達が受けるのろいが、どれくらい多いでしょうか? 私たちは神様を知ることもできなくて、会うこともできません。わたしは道であり、真理であり、いのちなのですということを感じました。神様の息子が現れられたのは、悪魔のしわざを滅ぼすためだということを感じられました。それで、私達が聖霊充満を受けなければならないのです。私はこれを理解するようになったのですが、その時から答えを受けるようになりました。神様のみことばと現実と自分が一致するということが分かるようになったのです。その時から、信仰生活ができるようになりました。どんな状況の中にあっても勝利できます。
■ 今日、年を取っている方達、多くの経験がある方達は、少しも気落ちせずに、新しく始める祝福があることを願います。一言で、今日、ダビデに関する話を読みました。Iサムエルは、サムエルの話ではなくて、二人の話が出てきます。サウル王とダビデ王の話です。簡単に話せば、悪霊が入った王だったサウル王と、聖霊の感動を受けた人のダビデ王が出てきます。それなら、あなたがたは、簡単な答を得ることができます。皆様がどんなによく生きようとしても、何か分からなく押し倒すものがあるのです。誰がそのようにするのでしょうか? 神様がキリストを送ってくださって、暗闇の勢力をうち破ったと言われました。私はこの部分を悟りながら、答えが回復し始めたのです。恐ろしく答えがきました。今日、全世界でメッセージを受ける方達、インマヌエルの家族たちが、契約を本当に捕まえてくださることを願います。
■ 台湾で大きな病院をしている理事長一人が私たちの韓国へ来られました。この方が、福音を受けて合宿訓練を受けようと来られたのです。この方は成功した方で、経済人です。一年くらいして、私が台湾集会に行きました。わざわざこの方が人を一名連れて、自分の車に乗って集会する間に私を案内してくださったのです。ところが、本を一冊くださいました。その本の内容が、この方が一年間に祈りの答えを受けたことを書いてありました。私はすこし驚きました。合宿訓練で受けたメッセージを全部書いてあったのです。そして、その裏面に自分自身が答えを受けたことを、そのまま書いてあったのです。そして、これから自分がどのように信仰生活をするかを書いてありました。それで、本を千冊作ったのです。本を作った理由が、この良い福音を知っている方達に分けてあげるためだと言いました。やはり大きい人物は違うという気がしました。私は、合宿訓練を受けても、そのように信仰の証しを書いて、多くの方達にあげる人を見ることがありませんでした。この 人は、やはりうつわが大きな方だという気がしました。
■ 私達が神様の契約を正しく捕まえれば、神様のみことばが生きているということを悟るようになるはずです。そして、周囲の環境をみれば、それで神様のみことばが、このように記録されたということが分かるようになるはずです。このみことばが、私とどのように関係があるのかということが分かるようになるはずです。今、年を取っている方や既成世代は、早くこの答えの内に入っていかなければなりません。皆様は、気落ちする必要がありません。この契約を捕まえれば、そのまま答えられるようになっています。私は率直に、過去に信仰生活していた時、信仰生活をしなければならないのか、してはならないのかと気落ちする程に、難しかったのです。私の母の祈りで帰ってきたのですが、教会は通っていても、私には何の答にもなりませんでした。私が神学校に入学して、伝道師をしているのにも、答が出てこなかったのです。教役者、副教役者になっても、だめでした。ある日、神様の恵みで、みことばの恵みを受けるようになったのです。確かに神様は今でも聖霊で働いていらっしゃるということを悟るようになりました。今でも目に見えなく、悪霊は人々を倒しているのです。それで、神様がイエス・キリストを送られたのです。それで、この福音の契約を捕まえて祈れば、すぐにみわざが起きるのです。これを悟った人がダビデです。ダビデは、聖霊充満を受けて、ダビデぐらい大きな働きをした人はいません。聖書で祈りの答えを受けた人々は、全部、この祝福を受けました。
■ これから年を取っている多くの方達、既成世代、執事達、長老達が、どんな祝福を受けなければならないのでしょうか? 皆様が福音を捕まえて、今日から祈り始めれば、すぐに家庭から答えがくるはずです。この祝福が皆様の子どもと家族に伝達されるはずです。詩78:70〜72を見れば、ダビデが幼い時から、この信仰を学んでいました。Iサムエル16:13を見れば、確かにダビデは聖霊充満したとされています。Iサムエル16:20〜23を見れば、確かに賛美の人で祈りの人だとなっています。そのような中に戦争が起きたのです。父がダビデに手伝いをさせたのでした。兄と千人隊長に持っていきなさいと手伝いをさせたのです。皆様、子どもに手伝いさせることも、ものすごく重要です。皆様がすることがいやなことを、子どもに手伝いをさせてはなりません。お母さんのくつしたを持ってこいというようなことをさせてはならないのです。ユダヤ人は、子どもに手伝いで教育をさせました。自分が教えても良いのですが、これは先生に尋ねろと言います。これはだれに行って教えてもらいなさいと言います。このように手伝いをさせて、教育するのです。だから、戦争がおきたのに、エッサイがダビデに手伝いをさせたのです。危険だから用心して行って来なさいと言ったり、あまりに危険ならば帰って来なさいと言うべきでしょう。ところが、必ず行ってきてしるしを持ってきなさいと言ったのです。とても不思議に思える父です。手伝いに行って、ダビデが聞いたのです。主を侮辱して戦争を起こすゴリヤテに誰も対抗する人がいないのです。サウル王も、どんな軍人も、兄も対抗できなかったのでした。この時、ダビデが言いました。既にこの時、ダビデは重要な信仰を持っていました。兄にゴリヤテと戦うと言いました。だから、兄たちが、お前は幼い時から高慢だったと話します。サウル王に戦うと言いました。だから、サウルが戦うことができるのかと尋ねたのです。父の家で羊を飼う時、羊一匹もなくさなかったと言いました。獅子が来たら、獅子と戦って勝ったと言いました。主は、私を獅子の牙と爪から守られました。まして、主を侮辱する者の手から救い出さないことはないと言ったのです。これがダビデが言った言葉です。皆様が、こういう信仰だけ持っていれば、全てのものを回復できます。今日、皆様がダビデが持った信仰を回復して、私たち多くのおとなが神様の祝福を受けるように願います。だから、実際的に悟らなければなりません。神様は聖霊で、今でも働いていらっしゃいます。確かに悪い霊があって、皆様の家庭、子ども、文化、経済をみな倒すのです。それで、神様がキリストを送ってくださって、私たちを救われたのです。そして、悪魔のしわざを滅ぼされたのです。それで信じる者に、主の天使を送ってくださって、守って下さると言われました。これをダビデが知っていたのです。皆様、既成世代は、必ず記憶しなければなりません。その契約を捕まえて祈るように願います。ゴリヤテの前でダビデはこう話しました。お前は剣と、槍と、投げ槍を持って向かって来るが、私は主の御名によってお前で立ち向かうと言いました。今日、全世界に主なる神様の御名を証しすると言いました。私たちお命は、剣にあるのではなく、主の御手にあることを証しすると言ったのです。これがダビデの話です。勝利するしかありません。私たち既成世代は、この信仰を早く回復しなければなりません。私たちの子どもにこの信仰を早く教えなければならないのです。
■ 既成世代は、子どものように信仰生活をしてはなりません。あなたがたはおとなです。大変なことになります。適当に練習する、そのような人生ではありません。契約を確かに握らなければならないのです。皆様ひとりゆえに家庭が死ぬか、生きるかということです。既成世代は、信仰生活が明らかでなければなりません。今日、主がお前の首を私の手に渡された。これがダビデの信仰です。今日、既成世代が早く回復しなければならない神様の祝福です。だから、ゴリヤテをどのように勝ったのか、人々が驚いたのです。しかし、ダビデにはやさしいのでした。どのように伝道できるのでしょうか? 内容を知る人にはやさしいのです。インマヌエル教会は、どのように韓国を生かす教会に変わったのか? 福音を持った人にはやさしいのです。ダビデにはやさしかったのです。この祝福を、あなたがたが捕まえなければなりません。
■ 2番目です。この福音を知っていれば、そのまま終わることがありません。社会と国家に現れるのです。皆様、福音を知っていると、このような祝福が現れます。第一にものすごい知恵が現れます。皆様、詩篇の半分をダビデが作ったのです。ダビデは、作詞、作曲をした人です。ダビデは、ゴリヤテだけでなく、ペリシテの軍隊を勝てるほど実力がある人です。とても知恵があって、ダビデを軍大将にしました。しかし、ダビデは謙遜でした。ダビデは神様を知っていたために、困難がきた時、大胆でした。ダビデは事件でも、仕事をする時も真実でした。サウル王がダビデを殺すために、捕まえに回りました。その時、ダビデはこう話しました。主は私の羊飼い。私には乏しいことはありません。私達が普通、むかしの賛美を見ると、主は私の羊飼い。私が乏しいことはないというように、歌詞を歌いました。正確に話せば、それは間違った言葉です。私には乏しいことはないということと、私が乏しいことはないということは違う言葉です。この花が私に必要だということと、私が花だという話は違うのです。だから神様が羊飼いであるから、私には乏しいことはありませんということで、私が何も乏しさがないということではないのです。私が死の陰の谷を歩くときも、災いを恐れません。あなたの鞭と、あなたの杖、それが私の慰めです。これがダビデの告白です。ダビデが王になって、どのようにしたでしょうか? 詩5、8篇を見ると、神様の前にどれくらい祈りをしたか分かりません。ダビデは王になっても謙遜でした。そして、どのようにすれば神殿を建てて、民を礼拝させることができるかと考えたのです。そして、残した祝福がものすごかったのです。皆様、イスラエル国の代表的な町が、ダビデの町です。三角形の星があるでしょうか? それがダビデの星です。イエス様を見てマタイ1:1を見れば、アブラハムとダビデの子孫イエス・キリストと言われています。バルテマイが、イエス様を呼ぶ時、ダビデの子イエスよと言いました。黙示録5:5を見ると、滅ぼされる時代に、生き残る道がダビデの根と言いました。黙示録3:7を見ると、祈りの答えを話しながら、ダビデの鍵と言っています。これくらい祝福を受けたのです。皆様が今日、本当にこの祝福を回復するように願います。
■ 神様は、今でも聖霊で皆様に働かれます。今でもまちがいなく、悪い霊があなたがたを倒そうとしています。それで、神様はキリストを送ってくださって、祈るようにされました。詩103:20 主が臨む所に臨む主の天使と言いました。みことばが臨む所に臨む、主の軍隊と言いました。その祈りを見る時、ダビデが何を知っていたのでしょうか? とても重要なことを知っていたのです。祈りの答えを受けるしかありません。既成世代と年を取っている方達は、早くこの契約を捕まえなければなりません。皆様が家庭を生かさなければならなくて、家庭が暗闇に崩れないようにさせなければならないのです。皆様が、この契約を持っていれば、家庭が生かされるようになっています。私は約束します。皆様がこの契約を持っていれば、会社、社会もダビデのように国家も生かすようになっています。
■ 三番目です。次の世代のためにです。ここに老年の生活が出てきます。I歴代29:10~14まで見れば、ダビデがこう話します。年齢が若くなくなったのです。もう力がありません。ダビデの願いがありました。民に話して、自分の息子に話して、ずっと話しました。神殿を建てようと言ったのです。そして、ものすごい聖歌隊を作ろうと言いました。そして、全部の民が主を賛美する礼拝をささげようと言ったのです。これがダビデの 願いでした。これを夜昼なく祈ったところ、準備ができたのです。準備をしておいた後に、自分の息子に遺言したのです。必ず神殿を建てなさいと言いながら、ダビデが言った言葉です。高くすること、低くすることは主の御手にある。私たちを富ませること、貧しくするのも、主の御手にある。私たちのあらゆる名誉が神様の手にある。神様にこういう多くの準備をするようにされたことを感謝する。多くの恵みを受けて献金するようにしたことを感謝する。しかし、これも神様がくださったのです。これがダビデが下ろした結論です。
■ 皆様、年を取った方達は、祈るように願います。神様、私に最後の答えを与えて、次の世代を生かすようにさせてくださいと祈るように願います。私の子どもと次の世代を生かすようにさせてくださいと祈るように願います。これが老年の祈りにならなければなりません。それで終わるのではありません。ある日、ダビデがそのようにしていたら、外で大騷ぎが起きたのです。大統領が新しく変わっても列をなします。ところが、王になれば王は一生します。だから、そちらに悪いやつらが列をなすのです。ダビデが年を取って力がなくなったのです。まちがいなく死ぬ人です。だから、臣下が国は考えないで、次の王は誰なのかを考えたのです。人間は、このように愚かでだめなのです。普段に悪いアブシャロムを触って、王になるようにさせたのでした。あなたの父が老いたから、早く追い出して、あなたが王になれと言ったのです。そして、王宮に攻めて来たのです。どれくらい急なことでしょうか。ダビデ王が警護員何名かを連れて、履き物も履くことができなくて逃げたのです。山を渡って川を渡って逃げたのです。ところが、ダビデは不思議に余裕がありました。本当に不思議です。この老人ダビデに余裕があったのです。理由があるのです。そこで、シムイという人が現れたのです。その人は、サウル王の子孫です。ダビデの悪口を言いました。追い出される王だと思って、悪口を言ったのです。不思議にダビデには余裕がありました。そばの臣下が殺そうと言ったので、ダビデはするなと言いました。神様がさせておられると言いました。今、私の息子が反乱を起こして、追い出されるのに、ましてシムイは当然だと言いました。神様が確かに恵みをくださるはずだと言いました。どうして、このように堂々としていたのでしょうか? 信仰があったのですが、もう一つの理由があったのです。最後に悪い臣下と良い臣下を区分できる機会がきたのです。正しい国を建てて、正しい王を立てることができる、区分できる機会がきたのでした。この人は、大きい人物です。素晴しい老人です。皆様、本当に祈る人は、いろいろな問題が生まれれば、それを持ってうろたえません。
■ 私の下にいる人が私に悪口を言ったということです。私が呼んで、申し訳ないと言いました。私があなたに非難を受ける行動をして申し訳ないと言いました。そうしたら、その人が本当に罪を犯したと膝を屈したのです。はじめから私はうろたえませんでした。そのようなことはあるためです。それとともに人を知ることができるのです。多くの役員、働き人、弟子は、そのように紛争が起きて、分かるのです。ダビデは全くうろたえませんでした。神様が恵みをくださるはずだと言いました。それでダビデが山の中に逃げて隠れたのです。
■ ある老人が訪ねて来たのです。王様が逃げる時、手助けすれば死ぬのではないでしょうか? しかし、ある金持ちの老人が王様を訪ねてきたのです。王様が好きなうつわを用意して、豆や蜂蜜、凝乳などを持ってきたのです。ダビデがどれくらい感動したでしょうか? ダビデは、食べ物が足りない人でしょうか? たとえ追われる人であっても、臣下がいるために食べることはできます。ダビデの人生は終わったとのろう人があるかと思えば、ダビデを探して、食べ物を提供する人もいたのです。ダビデがどれくらい感動したか分かりません。名前がなにかと尋ねたら、バルジライという老人だと言いました。王様に持って来て、何と言ったでしょうか? どれくらい疲れておられるでしょうか。そして、これを王様と共にいる人にあげるために来たと言いました。格別なものでもないのですが、王様は忘れることが出来ないのです。このダビデ王が勝利して帰って来たでしょう。その後の19章読んでみれば、ダビデがバルジライを探します。私と一緒にエルサレムへ行こうと言いました。その時、バルジライ老人がすばらしいことを話します。私は年が若くなくて、何の必要もない。王様が安らいでくだされば良い。もしついて行っても、迷惑をおかけするかと思うので、申し訳ないと言いました。自分は行かないと言いました。その人がバルジライ老人です。人は老いても、このように老いなければなりません。王様が難しい時には手助けして、後ほどそれに意に介さないのです。
■ ダビデ王が死ぬ時、遺言いくつかをしました。時代の大人物ダビデが遺言をした中のひとつが、何か知っているでしょうか? バルジライの息子キムハムを覚えよと言いました。死にながら言った言葉です。それが王が自分の息子に命令したことです。神殿を建てて、私をのろったシムイに用心しろ等、いくつかを遺言しました。その中でバルジライの息子キムハムを覚えなさいと言いました。ヨナタンの息子の足が不自由なメフィボシェテを覚えなさいと言いました。これは、いかに胸に残っていたら、そのようにするでしょうか? 今日、私たちは本当に神様の前で信仰生活を良くしなければなりません。私達が本当に契約を持っていれば、家庭も変わって社会も変わります。私は足りないけれど、この証拠を確実に捕まえたのです。私がすることではなくて、証拠を捕まえたのです。
■ この地に多くの宗教人がなぜ困難にあうのでしょうか? 聖書で確認しました。なぜ宗教生活をしてはならないのでしょうか? 福音を悟ることができずに教会に通えばどのようになるのでしょうか? 悟るようになったのです。皆様の前に今、説教をするのではなくて、証しをしているのです。この秘密を知っているダビデは、行く所ごとに勝利しました。困難の中でも勝利をしただけでなく、国家と社会を生かしたのです。それくらいでなく、子孫を生かしたのです。本当に驚くべきことです。この老人を見ると、本当に素敵だという気がしました。
■ 私は素晴しい老人、何人かを見ました。頭が白くなって、私たちの教会の集会に来られたのですが、ソウルにキム・チャンイン牧師がいらっしゃったのです。この方を見た時、老人ではないという気がしました。その方が説教の時、私にものすごくビジョンを植えてくださいました。素晴しい老人でした。 私はそしてキム・ヒョンソク教授に会ってみたことがあります。この方は、素晴しい老人でした。そして、キム・ジュンゴン牧師です。本当に素晴しい老人です。本当に若い人のようでした。それで私がこのように話しました。韓国教会で私を解けば、先生を父のように接しますと言いました。とても立派な伝道者なのですが、もてなす機会がないと話したのです。人は年を取っても福音を持っていれば、そのようになります。私は確認しました。本当に福音を持っていれば、老いてもぼけません。福音が正しくなければ、五十才になればぼけ始めます。五十才を越えてうわごとを言うので、職場で出て行けと言われるのです。
■ 今、おとなと老年は、信仰生活を格好良くしなければなりません。先週にも話したのですが、年を取るほど格好良くしなければなりません。年を取った人が何をできるでしょうか? 絶対にそうではありません。私は今まで伝道生活三十年をする間に、国会議員、長官が祈ることを見ることができなくても、年をとったおばあさんが祈るのを見ました。私たち長老と役員のために、誰が祈りをするのでしょうか? 年をとった方達がするのです。それが一番重要だと考えます。
■ 私が伝道運動する時、釜山で勧士、おばあさんが夜ごとに私のために祈ったのです。その方たちは、お金一銭もありません。夜に食べることもできない方達です。その方たちが集まって、夜ごとに祈ったのです。私たちの牧師が、世界福音化をするようにさせてくださいと祈ったのです。神様がその祈りに答えられたのです。心臓が悪くて、十歩も動くことができない私の母が、部屋に座ってずっと祈ったのです。それを小さな事だと見るのでしょうか? 皆様、年をとればとるほど、信仰生活を良くすることができます。あなたがたもおわかりの通り、アフリカの開拓者はリビングストーンです。どれくらいアフリカのために働きをたくさんしたでしょうか。そちらで病気になって、息子、娘、夫人がみな死にました。自分一人残って病気になったのです。アフリカのような所は病気が多くないでしょうか? 本当に宣教師の中の宣教師でした。本国に帰ってきたのです。本国でお願いをしたのです。これから、アフリカに行かず、本国で安らかに休めと言いました。しかし、リビングストーンは残った生涯をアフリカのために送らなければならないと言いました。それで年をとったリビングストーンが、またアフリカに入っていったのです。ところが、どれくらい多くのみわざが起こったか分かりません。ある日、下の人がリビングストーンを探したのに、いないのでした。この人が、普段に祈る場所があります。滝の下で神様の前に定刻の祈りを切実にするのでした。そちらに行ってみたら、祈っていました。ところが、祈り終わる時間になったのに終わらなかったのです。動くこともせずにいたので、行ってみたら亡くなっていました。人は死ぬ時、倒れるようになっているのに、どれくらい祈りを切実にしていたのか、倒れないのです。普段にアフリカのために祈りをどれくらい切実にしたのかという証拠です。一般の普通の人は、死ねば倒れます。この方は、どれくらい切実に祈りをしたのか、祈る姿そのままで死にました。今でもリビングストーンを越える人は現れていません。他の人は年が若くないから休めと言うのに、年をとった自分がアフリカですべきことがあると言いました。最も重要なことが残っていると言ったのです。そちらで次の世代と子孫のために切実に祈って亡くなったのです。
■ 私たちは年を取るほど、格好良くしなければなりません。年を取るほど、信仰生活を良くしなければなりません。おとなはあれこれ正す必要がありません。早く本論を握らなければならないのです。神様は今でも霊で働いていらっしゃいます。それが結論です。それで、礼拝する時、礼拝する者が霊と真で礼拝するのです。神様は霊であり、誰が何と非難しても、悪霊は今でも信じる者と信じない者を触っています。世界の神学者がみな反対をしても、私は信じます。今でも悪い霊がムダン(霊媒師)と多くの人を掌握しています。皆様の信仰生活を良くすることができないようにしているのです。それで神様は、キリストを送ってくださって、私たちを救って、あらゆる罪をなくして、悪魔のしわざを滅ぼしたと言われたのです。この契約を本当に捕まえて、新しく始めることを願います。これを既成世代と老人がしなければならないのです。年を取るほど、格好良くしなければなりません。年をとった方たちは、最後の祈りをするように願います。私が次の世代のために何をするはずで、子孫のために祈って死ぬという心を持たなければなりません。私たち教会と主のしもべと長老たちのために祈って死ぬべきだという心を持たなければならないのです。全世界のレムナントを生かすことができるように祈って死ぬ。これが老年です。私が幼い子どもからいままで聖書がどのようになっていているかさがす中に、完壁でないのですが、聖書のみことばを探したのです。一つ明らかなことは、私たちの証しが入っています。簡単に話せば、私の証しが入っているのです。私たちは、このように信仰生活をして、勝利しなければなりません。あらゆる年をとった方達、役員など、今日、新しい力を得てくださることを主の御名でお祈りします。ダビデに臨んだ祝福とその次の世代の祝福が皆様にもあることをイエスの御名でお祈りします。
<<契約の祈り>>
今日、神様の重要な答えの日になるようにしてください。この方たちが行く所ごとに、聖霊が臨む祝福があるようにしてください。暗闇の勢力が崩れて、新しく勝利する開始になるようにしてください。ダビデのように、バルジライのように、美しい老年を迎えるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
2部/ 次の世代の前で
(I歴代29:10〜25)
■ 誰かが私に200歳 まで生きてくださいと言いました。すると、ここにいらっしゃる長老たちは誰もいなくて、私一人が生きなければならないのですが、良い意味に言った言葉です。私たちは避けられないこと3つの前に立たなければなりません。後の日に私たちの次の世代の前で、次の世代が私たちを評価するようになります。また歴史の前に立つようになります。そして、私達が神様の前に立つようになるのです。それで私達が歴史の前に立つために何をしなければならず、神様の前に立つために何をしなければならないのか、来週に見ます。
■ 今日、私たちは子孫の前で、こういう重要な契約を捕まえて祈りをしなければならないのです。第一に、考えなければならない事があります。私達が立つために、この話はダビデが述べた言葉なのですが、ダビデのように祝福を受けなければなりません。皆様がまずダビデのように、祝福を受ける資格があります。私達が立派だからではなく、福音ゆえに祝福を受ける資格があるのです。皆様、次の世代に、この失敗を伝達してはならないゆえに、皆様は当然に祝福を受けるようになっています。私はむかしには、私が賢くて、立派で、健康でよく回るのかと思っていました。そうではなく、福音ゆえにです。「神様が恐れてはなりません。パウロ。」とおっしゃいました。あなたが苦労を多くしたためでもなくて、カイザル前に立つべきだと言われたのです。それであなたがたは祝福を受けねばならない1世です。それで、この契約を一番目に握らなければなりません。 ダビデのようにということです。
■ すると、今日の午前の1部ではこういう話をしました。ダビデが幼い時から知っていたことがあります。それを話したのです。確かに信じる者には、聖霊が共になさるということです。反対に悪い霊が確かに皆様を滅ぼそうとしています。それで、神様がキリストを送ってくださったということを話しました。それをダビデが早く知っていたのです。私も、事実、それを知ってから答えがきました。それなら、皆様にもそのような答えがくるはずです。すると、どのようにするかが問題です。ダビデがどのようにしたのでしょうか? 皆様、もう一度、今日から考えて見るように願います。とても簡単です。
■ 私達が食べ物を食べる時は、おもに3種類で食べます。季節によって定期的に食べる食べ物があります。そして、常に食べる食べ物があります。そして特別に食べねばならない食べ物があります。皆様、この三種類を食べないと、皆様の健康が異常になります。それで、私が私の娘が学校を卒業して帰ってきたら、特別に薬になる物を食べなさいと言いました。なぜなら、そのような食べ物も食べなければならないのです。人は、生活も同じです。私達が定期的な生活をしないと、正しく生きることができません。私達が常にしなければならないことがあります。それから、私達が特別にしなければならないことがあります。こういうものを区分できなければ、多くのことをのがすようになります。もちろん、前提条件として、皆様は神様の子どもであるために、救われてじっとしていても答えはくるはずです。しかし、この三種類がものすごく重要です。
■ それで、私はこのように簡単に悟りました。聖書で成功した人の契約、ダビデが持った契約を捕まえて、定刻の祈りしましょう。その次にこの契約を捕まえて常に常時で祈りましょう。そして、特別な集会、特別な 状況によって、特別な祈りをすれば良いのです。これは、皆様が過ぎ行く話として理解しやすいのです。絶対にそうではありません。定刻で祈るということは、あらゆるリズムがみな生かされるということです。皆様、運動を1時間するよりは30分ずつ2度に分けてするのが良いのです。皆様、食事の仕度を一回に三食、食べるより、一つずつ三回に分けて食べるのが良いのです。皆様が本当に、さっき1部礼拝の時話した、それが間違いないならば、定刻に味わうようになるならば、本物の働きが起きます。そして、皆様の周囲に環境が変わるようになります。常時祈りということは、もう一つの面で重要です。私たちは見るまま考えなければなりません。すると、皆様、祈りながら考えることと、そのまま考えることは違うのです。どれくらい違うかというと、それこそ東と西が離れているように違います。
■ 私がある人に対して考える時、その人に対して考えを深くすると、ものすごくいらいらすることがあります。腹が立つのです。私が静かに祈りながら考えてみると、反対になります。このように差が出ます。事業をなぜ失敗するかというと、考えを多くして失敗するのです。考えをあまり多くするならば、だめな方向を良いかのように感じられるのです。ある人が熱心に考えたのに、それがあまりたくさん道をはずれてしまうのです。 祈りは絶対にそのようになりません。皆様、祈りを続けて考えれば、はずれることはありません。そして、私たちは重要なことに会った時、重要な時刻表がきた時、短く、または長く特別な祈りをするのです。例えば、皆様に問題があったり、皆様が霊的にむずかしい、そうでなければ、肉体に病気になったら、こういう場合には特別祈りをしなければなりません。パウロが世界宣教に行くために、宣教師に派遣される時、断食しながら祈りました。こういう場合は、特別祈りを話すのです。皆様、この三つをしてみれば、本当に安らかになって、働きが起きます。この祝福をほとんどのクリスチャンがのがしています。今まで皆様が学んだのも、祈りをものすごく難しく習ってきました。絶対にそうではありません。皆様が多くのことを考えて、活動しながら、祈りをいつもすれば、ものすごく安らかになり、正しく考えられます。それで、私が時間を作って特別に定刻の祈りをすれば、ものすごく力を得ます。残りの特別祈りということは判断です。
■ 例えば、私は礼拝を終えて米国へ行きます。ニューヨークに行くのですが、米国全体の集会になるはずです。だからとても重要です。このような時は、飛行機のなかで特別集中祈りをします。ところが、それがどれくらい気楽か分かりません。私は聖書で確認しました。この福音の秘密を知って、このように祈った人は、一名ももれなく時代を掌握しました。ですから、最もやさしい例で、ヨセフです。ヨセフは、すでに祈っていて、夢を見て幻を見たのです。ヨセフは奴隷として、監獄に行ったのですが、全く揺れないで、ずっと祈ったのでした。ところが、ヨセフが立派だったのではなく、答えがずっと起きたゆえに勝つことができたのです。
■ 私は皆様に会う間に多くの迫害、誤解、攻撃を受けました。ところが、一度もこれに倒れないで勝つようになったのには、理由があるのです。神様が答えをどんどん注いでくださったからです。皆様、一度考えてみましょう。今、私が月曜日が始まれば全国を回ります。そして、世界を回るのです。休む暇もなく回っています。これは人がすることではありません。1、2年しているのではありません。私が今、十何年も回っているのです。これを見ながら、本当に神様がなさる事で、人がこのようにすることができるでしょうか? すこし祈ったのに、答えがくるのです。それで、皆様、聖書を一度よくご覧になるよう望みます。ですから、答えがどんどん来るから、困難が来ても、簡単に勝つことができるのです。私が立派だからではなく、答えが来るから勝つことができるのです。私はヨセフが分かります。この人が奴隷に行ったのに、みわざがものすごく起きました。主人のポティファルという将軍が、ヨセフをあまりに持ち上げるから、自分の家にいるよりよかったのです。それで勝つことができなかったと考えます。私は迫害する者が起きるより、皆様と共に味わった祝福が はるかにあって、幸福であったゆえに勝つことができました。
■ だから、やさしい例で人物を上げるならば、ダビデのような人物は代表的な例です。ダビデが夜明けに、夜に定刻の祈りをした記録があります。詩篇の半分がダビデの詩なのですが、ほとんど読んでみれば、ダビデが常時祈りして、賛美して、心で黙想したという記録があります。すると、皆様、ダビデはどのようにしたのでしょうか? 今までダビデぐらい立派な王は出て来ませんでした。今までダビデのような政治家は、出て来ませんでした。ところが、皆様がこの祝福を少しだけ考えて、少しだけ準備すれば、ものすごく味わうことができます。私はこの祝福を絶対に薦めたいのに、あなたがたは、理解が良くできないようです。私は私たちの子どもに必ず薦めたいのに、うまくできないようです。なぜできないのか? 私を考えてみる時、そのような気がします。
■ 私は、たぶん福音を伝えなさいと、神様が幼い時から経験をすこしさせられたようです。死の峠を何度か越えたのに、死にませんでした。それも一つの良い教訓になるはずです。ところが、私に絶対に成功できず、絶対にできない難しい問題がきました。それをいちいち証しできないのですが、とても大きい困難がきたのです。それで、私が2ケ月間、定刻礼拝をしました。神様の前で、定刻の祈りをして礼拝したのに、はじめて私が定刻の祈りができたのです。忙しかったので、このように良い神様のみことばなので、祈れば良いと知っていながらもできませんでした。しかし、私をよく知っている方達が今、釜山にいるでしょう。私が2ケ月、定刻の祈りを終えて、その日からいままで、伝道運動と答えを神様が毎日注いでくださいます。それで、その時回復できたのです。
■ 定刻の祈りということが、とても良いことなのに、この祈りだけすれば、大きい答えがおきるのに、人ができずにいます。5分だけすれば、良いのです。この定刻の祈りということは、皆様が簡単な時間にできることです。そうすれば、祈りのリズムがみな息をふきかえします。皆様が約5分ずつだけ、本当に聖霊の働き、恵みのなかで、朝、昼、夜、このように祈れば、リズムがみな息をふきかえします。皆様が受けた恵みのみことば、聖日に受けたみことば、こういうみことばを契約で捕まえて祈れば、みな息をふきかえします。このように良い祈りを、私が回復することができなかったから、一般信者もみな難しいのです。それで、私が心に決めました。皆様がする時まで、ずっと話すはずです。まちがいなく、働きが起きます。
■ ところが、私が祈りの答えを受けたのも、小さな問題ではありません。皆様、お金ももうけることができなかった人が、お金、お金と言うので、お金を本当にもうけるならば違います。これが祈りの答えを受けてみると、簡単な事が起きることではありません。連結されて、みわざがどんどん起きます。これで人々が、何年か走ることができなくて死ぬのだなと思いました。これで伝道者が三年ほどしていて、行ってしまい、五年ほどしているうちに崩れてしまうことが分かりました。考えたよりもっと多く、相当な多くのことがおきるので、その時になって私が疲れて、することができないという気がしたのです。それで、常時で祈り始めました。この常時で祈りし始めたのに、どれくらい良いかわかりません。私は事実、定刻の祈り以後に起きた答えも記憶していますが、常時で祈ったその時から多くの答えが来ました。これがどれくらい気楽か分かりません。そのまま道を歩きながら見ることを祈りできます。すると、長老達やあなたがたの顔を思い出します。その時、祝福の祈りをするのです。聖歌隊員はみな知りませんが、聖歌隊が頭に思い浮ぶと、聖歌隊を置いても祈ります。そして、礼拝を終えたら、人々に会って、握手する時もその人のために祈ります。それが按手祈りよりもっと良いことではないでしょうか。このように、常時祈りの祝福を味わわなければなりません。
■ 私は聖書を見たら、この祈りをした人が一名ももれなく、驚くべき働きが起きました。ヨセフ、ダビデ、ダニエル、パウロ、全部みな一時代を掌握したのです。私はそれが間違いないと考えます。この驚くべき祝福を神様がくださったのに、私達がこれをのがしているのです。ある人は、常時で祈ると、ひとりでブツブツと 言って回るのですが、そうするとだめです。非難されてしまいます。心の底から祈らなければなりません。本当に心の底から祈るのに、これはものすごくなにか他に証明するのが難しいのです。あなたがたが、一週間だけすれば、違うんだなと感じる程に違います。皆様が時間を定めて、みことばを捕まえて、皆様の家族のために祈ってみましょう。どんなことが行われるかということです。ですから、キリストの名前で、聖霊の働きと 暗闇の勢力が打ち破られるように祈ってみてくださいということです。皆様が、まず常時で祈りをずーっと一週間するだけでも、皆様には途方もない霊的な力と知恵が生まれます。私の場合は、常時で祈りながら、何を感じるかというと、本当に神様がこのように答えてくださるのだなという体験するのが1,2つではありません。これは誰でもできることです。誰がでしょうか? 神様の民は誰でもできます。それで、パウロが常時で聖霊にあって祈りなさいと言いました。皆様がこの祝福を今日から回復する、そのような祝福があることを願います。皆様は祝福を受けるようになっています。なぜならば、アブラハムが祝福を受けてこそ、イスラエルが 生かされるのです。皆様、今、どのように始まった運動でしょうか? 皆様が生かされれば、福音が生きるのです。皆様が本当に祝福を受ければ、他に福音が証しされるのです。それでダビデが神様の祝福を受けたのに、次の世代にまで、この祝福を受けたのです。
■ 今日、あなたがたが一番目に、必ず捕まえなければならない契約は、皆様を呼ばれた理由は、次の世代のためにです。そして、今日の礼拝で2番目に捕まえるべき契約が、それなら、次の世代をどのように生かして、何をしなければならないか? ということです。むかし、キム・ファンラン博士が結婚をしませんでした。結婚をなぜしないのかと、誰かがたずねたのです。次の世代のためにしなかったと言いました。次の世代のために しなかったということは、何の話でしょうか? いろいろな家族がいれば、神経を使わなければならないから、ただ次の世代のためにだけ生きるためにしなかったと言いました。一理がある話しだと考えます。パウロが、そうだったでしょう。パウロが結婚してもかまわないけれど、一人で生きると言いました。なぜならば、福音ゆえにということです。それも一理ある話です。マタイ27:25に、イスラエル民族が言って、行なった事が子孫にそのまま伝えられました。マタイ24章を見れば、全世界はこれから霊的問題が来ます。皆様、この福音を悟ったということがどれくらい重要でしょうか。マタイ25章に確かに記録されています。教会が異常になります。なぜこのように習った人々が多いのに、どんどん難しくなるのでしょうか? Uテモテ3章に、終わりの時、苦しみの時が来るとなっています。これから、どのようになるでしょうか? 霊的混乱が来ます。あなたがたは、今、知らずにいます。今、学生達がほとんどみな中、高等学生達が、コンピュータを触ります。親は ほとんど知りません。子ども達は、ほとんどその中にみな陥っています。ゲームやチャット、淫らんに、みな陥るのです。どの程度陥るかというと、完全に陥ります。そしてドアを閉めてするために、あなたがたは勉強を熱心にしているかと思っているけれど、勉強しません。ある学生は、娯楽をあまりひどくして死んだではないでしょうか。特殊な子どもなのでしょうが、そのような内に行っています。皆、知っている話をなぜするのでしょうか? これから、もっとひどくなるということです。おとなだけ知らずにいるだけで、これから、過度になります。深刻な時代が来ます。有名な未来学者が話すのに、これゆえに21世紀、ほとんど多くの人々が死ぬだろうと言いました。どのようにするのでしょうか? これで、私たちは次の世代にこの福音を伝えなければならないのですが、この福音を伝えるために、私たち1世は祝福を受けざるをえないのです。今日、あなたがたが握らなければならない契約が、それです。
■ レムナント7人を見れば、彼らの両親が、もっと重要な悟りをしました。私はモーセよりも、モーセの母の行いを見れば、どれくらい不思議でしょうか。私はヤコブが、ヨセフが言う話を心に留めていたと聖書に記録しています。ところが、ダビデも重要ですが、エッサイが羊飼いを任せたこともですが、戦地に手伝いに送りながら、しるしを持ってきなさいと、そのような話を見れば、この両親は普通の両親ではありません。次の世代に何を残すべきでしょうか? ダビデは3つのことを残しました。今日、I歴代 29:10-25に、信仰の遺産を残しました。私たちは、この契約を捕まえる瞬間、答えを受けます。どんな答えを捕まえるのでしょうか? 私の子どもが見て、神様が生きていらっしゃるよ、それを残すということです。私はそれを残すはずです。神様は確かにその時、答えられます。 'アブラハムよ。あなたの子孫によって国々が祝福される' 'あなたがのろう者はわたしがのろい、あなたを祝福する者はわたしが祝福する.' 理由が何でしょうか? 'あなたによって、国々が祝福されるはずだ。’ それでダビデが残した遺産が何でしょうか? 信仰の遺産です。私たちはこれを残すべきです。皆様、今日から新しい覚悟で開始しなければなりません。私たちの次の世代に、私たちの後輩に信仰の遺産を残すのです。
■ 2番目です。教会の遺産を残さなければなりません。ダビデがソロモンに、教会堂を建てることができるあらゆる準備をみなしてやりました。教会の遺産を残しましょう。そして、29:20-25は何でしょうか? 生き方の土台を残さなければならないのです。ダビデがソロモンに、また、イスラエルの国が生きることができる土台を全部みな用意しました。これのために生きる者に、神様は答えの門をあけてくださるのです。イスラエル 民族は、ヨルダンを渡りなさいと言われ、ヨルダンを渡った時にヨルダンの川にあった石を取って来なさい。 その石を持って碑を作りなさいと言われました。理由が何でしょうか? ひとつしかありません。あなたの次の世代が聞いたら言ってやりなさい。この碑は、私たちの先祖がヨルダンを渡った記念碑だ。それで、暗闇の勢力に勝つことができる信仰を残して行くのです。私は切実に祈っています。私たちの子どもと皆様の子どもが 霊的問題に完全に勝つことができる信仰を残して行きましょう。私達がこれ以上、失敗する前に、教会らしい 教会を作りましょう。祈っています。
■ たぶん、神様は私たちの長老と役員、事業する方達に代表的な祝福を確かにくださるはずです。神様は、私たちタラッパンに奇跡の門を開けてくださるでしょう。建物が大きい教会をうらやましく思っているのではありません。教会らしい教会を作りましょう。私たちのレムナントに、信仰の遺産を残すに値する教会堂を残しましょう。それが私たちの信仰です。今、私たちの長老と役員が、多くの構想中にあります。神様が答えを下さるはずです。イスラエル民族が海を渡って、川を渡って、エリコに入りました。イスラエル民族を荒野に 送っておいて、神様が何と言われたか知っているでしょうか? あなたがたは、心と力と最善をつくして、主なる神を愛しなさい。そして、これを子どもに教えなさい。それが申命記 6章です。何を教えろということでしょうか? なぜそこに入っていったのでしょうか? なぜそのように滅びたのでしょうか? どのようにして出てきたのでしょうか? 荒野を行く時、紅海が分かれるみわざが起きたことを見ることができなかったから、それを説明してやりなさいということです。私たちは、これを残して行くために、今から答えを受けなければなりません。それで私は一千万弟子と皆様が、福音の証人にならねばならないために、常時でずっと祈り始めたのです。既に暗闇の勢力は完全に勝ってしまい、今、多くの教会は知らずにいます。それで、私たちはこの暗闇の勢力を打ち破らなければならないのです。それでダビデが3つのことを残したのです。ですから、信仰の 遺産を残しました。そして、教会の遺産を残しました。これから、イスラエル民族がどうやって行かなければならないかということに対する、こういう生き方の土台を置いて与えたのです。今日、祝福を受ける全世界の私たち使命者とインマヌエルの家族は、記憶するように願います。今晩に回復しなければならない信仰です。
■ 神様が聖書に重要な働き人を呼ばれた理由が何でしょうか? 私達が大きい人物で、立派だったからではなくて、福音のために私たちを祝福なさったということです。これを契約で握らなければなりません。これは、私たちの誇りではありません。今、福音がみななくなったゆえに福音の1世として呼ばれたた皆様に、聖書に記録されたそのまま答えられるはずです。それが次の世代の前に立つことです。すると、2番目の契約が何でしょうか? レムナントが受ける祝福です。ですから、私たちの次の世代が受ける祝福です。それで、どれくらい使命が強かったのか、パウロのような人は結婚もしなくて、次の世代を育てました。これが今日、あなたがたが受けるべき重要な契約です。今日、この契約を捕まえる人々、皆様の子ども達、皆様の孫たちが神様の祝福を受けるようになるはずです。この話がなんの話でしょうか? 世の中の人々が知らない暗闇の勢力に陥らないようになるはずだということです。これが私たちの契約です。すると、最後に私たちは重要な契約を捕まえねばなりません。この契約と祝福が、どこから始まるのでしょうか? 今日から開始しなければなりません。皆様、祝福を受けなければならないでしょう。こういう契約と祝福を、どこから開始しなければならないのでしょうか? これが重要です。私たちの考えから始まります。私はこのように考えます。私は貧しいけれど、心は貧しくはない。幼い時、私の信条です。私の親が病気で亡くなってしまい、私の家が難しくなったのです。私はお金はないけれど、私の心は貧しくない。どれくらい確実な決心をしたかというと、ほとんど何も買わず、食べませんでした。以前に私が話したでしょう? それで、私の身長が標準になったのです。ですから、私達は考えが違わなければなりません。私がたとえ大きい人物ではなくても、私は狭い考えで生きることはできません。私はたとえ多くのことを持っていなくても、私たちの聖徒と私たちの次の世代は、神様の祝福を受けなければならないのです。この考えが変わらなければなりません。この答えは、どこから始まるのでしょうか? 考えから始まります。神様のみことばは、生きているみことばなのに、私達が違うように考えてしまえば、みわざは起きません。足のきかない者が起きたことも重要ですが、ペテロがより重要です。起きて歩きなさいと話したペテロを見ましょう。皆様、旧約時代、新約時代に、いのちをかけて信仰生活をした人々の、その考えを一度見ましょう。
■ 今日、あなたがたがこの祝福を必ず受けるはずなのですが、考えから始まります。立派な考えをするよう願います。私は教会で、あなたがたに直接会っていないので、よく知りませんが、私は信徒に会ってみたら、ほとんどあんなふうだから、答えを受けることができないと思います。ほとんどみな集まって話すことを見れば、教会の中で、役員、長老達、どれくらい苦労しているでしょうか? 後からそのような人々をそろそろ非難して、普通そうです。私が見ると、普通、役員が教会に集まるのを見ると、ほとんど教会で他の人の悪口を言って、牧師の悪口を言って、こういうことをおもにしていました。私達が食堂や、どこかに行って、そのような話をすれば、未信者がクリスチャンを嫌います。考えが違うのです。考えが正しくなければ、絶対に答えを受けることができません。神様は答えられる神様であるゆえに、私達がどのように、この祝福を味わって、次の世代の前に立つか考えから正して開始をしようということです。考えを正しくすれば、正しく祈りが始まります。
■ 私達が車の乗って行く時間が、どれくらい良い時間でしょうか。神様、この車に乗って行く時間に、聖霊が働かれる時間になるようにしてください。天の門が開いて、天の軍隊が動員される時間になるようにしてください。私は今日、ここに来ながら、そのように祈りました。神様、今日、私がすこし疲れているので、力を与えて下さい。私がみことばを伝え、神様のみことばを手伝いする時間に、神様の民が明日から証拠があるように、神様が働いてください。そのようなことが、考えから始まります。皆様の家庭が難しいのでしょうか? ものすごく考えが重要です。会社が難しいでしょうか? 考えが重要です。会社を放棄することがあります。しかし、会社を生かそうとすることができます。この考えがあまりにも重要です。考えが違えば、何にもできません。皆様が今日、本当に神様の大きい祝福を受ける開始になることを願います。
■ 私が今回、そのような話をしました。私がよく知っている牧師なのですが、今でも理解できません。勉強がよくできません。人は格好良かったのですが、勉強はしないのか、できないのか、そうでした。ところが、一度、私が驚きました。学校で学友会議をします。それをする時、ものすごく話を上手にやるのです。完全に別人です。本当にあの人は賢いだなという気がしました。私は勉強する時もそうですが、そのようなことを話せと言われたら、変に震えて、どこから話すべきかよく分からなかったのに、この人は話を良くしました。そして学友で仕事を預かったのに、仕事の処理も上手にやりました。私は本当にたいした人物だと考えました。あんな人が、これから大きくなれば、相当な牧師なると考えたのです。
■ ある時、私と学校から出てくるのに、バスを一緒に乗りました。私に夏聖書学校がもうすぐだけれど、行くのかと尋ねました。そうだと言いました。このような時、ちょっと逃げるべきだと言いました。私はその時まで、何の話なのか分からなくて、また尋ねたのです。だから、私を肘でつつきながら、イナゴも五月六月に良く行動するのではないかと言いました。伝道師は、夏聖書学校の時が一番忙しい時なので、その時、ちょっとしんどいと言えば、よくしてくれると言いました。その時に話が分かりました。まったく理解できません。どうして、そのような話をしているか分からなかったのです。夏に健康でなければならないだろうと私が話しました。この人はあまりに私と考えが違ったのです。もちろん、そうだからと言って、神様の民でないことではないけれど、私が見る時は本当に心配になりました。いつも、今でも見ればむずかしいのです。人は本当に格好良いのです。ところが、いつもむずかしいのです。家庭もいつもむずかしいのです。だから、その考えを変えない以上は、そのようなのです。教会の夏聖書学校がどんな行事でしょうか? それを利用して、自分の益を見ようとして良いでしょうか? ですから、死んでも答えがこないのです。ところが、うわさで聞くのに、祈りはものすごくするそうです。しかし、どうしても仕方がありません。皆様、祈りの答えの最も一番目は考えです。 '人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いを守ってくださいます'
■ 私は釜山に長老一人、その方がいつも証ししたこと、答えを受けるのを見ました。この考えが重要です。その教会は長老がその方一人しかいません。この方は以前は、いつもいらいらしていました。ある日、この方が考えを正しくしたのです。" 私がこの教会にひとりしかいない長老だ。私がこの教会で答えを受けることができなければならない。私が祝福を受けることができなければならない。私が祈りの答えを受けてこそ、私たちの牧師も生かされて、聖徒も生かされる." これを考えるようになったのです。この人に奇跡が起きたことをこの前、話したではないでしょうか。あらゆる祈りは、答えは、考えから始まるのです。それで、皆様、今日から本当に祈りの答えを受けることができる考えを正しくすることを願います。たとえ年が若くなくて、すべきことがなくても、神様の前では最も大切なことをする、そのような考えから始まらなければなりません。そして、これからは、その福音のものすごい秘密を、すこし定刻の祈りと実際的な時刻表を作って、開始することを願います。あなたがたは今、家庭、教会、社会生活をしています。今日から覚悟しなければなりません。私は素晴しい神様の人になる。ここに若い方達がたくさんいます。私は遅く習いました。家庭も遅く習いました。家庭も私はそのまま生きれば良いのかと思っていました。そうではありません。良い夫になるために、いつも研究しなければなりません。そして、良い妻になるために、限りない研究をしなければならないのです。そのようにしないと、家庭は威嚇されるということを知りました。私達が会社に行って月給だけもらうのではなく、私が良い会社員になるために、いつも祈って研究しなければなりません。それで、私たちは素晴しいクリスチャンにならなければなりません。それで、皆様が神様の大きい祝福を本当に今日から受けるようになることを願います。難しくありません。
■ ある信徒がタクシーに乗って行ったら、教会の悪口を言いながら行くのです。私はそれを知らなくて、タクシーに乗ったのに、その人に伝道紙を渡してみたら、今日はおかしな日だと言いました。なぜですか?と尋ねたら、イエスを信じる人だけが乗ってくると言いました。イエスを信じる人だけ乗せれば、今日は祝福されると言いました。そうではなく、前に乗った人々が、どれくらい騒々しくて異常か、死ぬ思いをしたと言いました。それで、私がその人がわからない意味ある話をしました。それは、にせ物のクリスチャンです。本物のクリスチャンは、このようにすると言いました。それは異端です。私たち韓国には、異端が数字より多いのです。そのように思って、よく聞いてみてくださいと言いました。このように、私たちクリスチャンは、妄信を与えて回ります。これは、簡単な話になりません。皆様に最もうまくできない部分ですが、素晴しいクリスチャンになりましょう。牧師も可能ならば、聖徒を祝福して、慰めて、激励する、こういう素晴しい教役者になろうということです。あなたがたも、信徒が外に行って、素晴しい信者にならなければなりません。会社に行って一番おかしな人がクリスチャン、このようになればこまります。これから、私たちは、次の世代の前に立たなければならないのです。今日から私たちは契約を捕まえて始めれば、神様はまちがいなく聖書に記録された答えを下さるはずです。どんな答えということでしょうか? 私達が今、聖書を直接探せば良いのですが、時間がありません。この次の世代に正しい福音を伝え、霊的な問題から抜き取ると心に決めた人々は、一名ももれなく祈りの答えを受けました。今日、こういう祝福を私たちのあらゆるインマヌエルの家族と今日、共に礼拝する方達にあることをイエスの御名でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、私達に真に次の世代の前に立つことができる重要な祝福を与えて下さい。私達が知らずに、そのまま過ぎています。私たちの次の世代が霊的問題に陥らないように、正しい福音を伝達するようにさせてください。真に私たちに多くの事も重要ですが、福音で私たち民族と私たちの次の世代を生かす真の証人として立つことができる祝福を今日から受けるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。
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