2004年7月4日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 香油を注いだ女性
(ルカ7:36〜50)
       
■ 今日は、麦収穫感謝聖日です。忙しくて、よく知らなかったでしょう。知っていても、麦収穫聖日なのかと考えただけかもしれません。気楽にイエス信じれば良くて、単に礼拝をささげれば良いので、麦収穫聖日、こういうことは重要でないと考えることもあるでしょう。そのようになれば、皆様は答えをそのように受ける以外できなくなります。あまりに忙しいからです。皆様、聖日の説教をみな暗記することはできません。これが何かという意味を知っていなければなりません。すると、それが答えで現れるようになります。私たち教会には、医者もいて、記者もいます。本当の記者、医者は、話しも用心深くします。簡単に話せば意味があるようにするのです。必ずにせ物は、話しもむやみにするのです。私たちの信仰生活も同じです。皆様が一週間、あまりに忙しくて、食べて生きるだけで、麦収穫感謝聖日が何かも知らずに迎えるようになったかもしれません。
■ イスラエル民族が、福音の意味を知らなくて、奴隷になりました。これは過ぎ行く話ではなくて、ものすごく重要な話です。その時、神様がモーセを準備されたのです。イスラエル民族を連れて行きなさいと言われました。奴隷になっているのに、パロ王が送り出してくれるでしょうか? 行って犠牲のいけにえをささげなさいと言われました。簡単に話せば、のがしてしまった福音を回復しなさいということです。食べて生きることで忙しいから、みなのがしたのです。ところが、パロ王が送り出してくれるでしょうか? イスラエル民族が、一緒に出てくるでしょうか? 私が年が若くないのにできるでしょうか? 話しもよくできないのにできるでしょうか? わたしが主であり、わたしがあなたと共にいるとおっしゃいました。それとともに、モーセに行きなさいと言われました。それで、モーセがパロ王の前に現れたのです。指名手配されたモーセが、パロ王の前に現れたのです。主なる神様が、イスラエル民族を連れて行けと言われたと、パロ王に話したのです。イスラエル民族を連れて行って、犠牲のいけにえをささげなければならないと話したのです。その時、パロ王が言った言葉です。それが何で難しいのか、ここでささげろと言いました。そうではありません。行ってささげなければならないのですと言いました。すると、代表でしなさいと言いました。そうではありません。イスラエル民族が全部行って、神様の前に犠牲のいけにえをささげなければならないと言いました。この話をパロ王が分かることができないのです。今、お前達は、腹がいっぱいになったのだと話したのです。王が命令を下したのです。仕事は倍にさせて、ご飯は少しだけ与えよと言ったのでした。このように押さえ始めたのです。そして、男の子が生まれれば殺せと言いました。実際にあったことです。
■ この時、モーセがパロ王の前に立ったのです。そして、神様の力が現れ始めたのです。皆様、エジプトの人々が一番貴重に考えることが、ナイル川です。このナイル川が血に変わったのです。しかし、パロ王がちっとも動じませんでした。そして、カエルの災いが下されました。この災いを下されたのです。それでも、ちっとも動じませんでした。後ほどは、家畜を殺す災いを下されたのです。その時になって、臣下が言った言葉です。こういうことではエジプトが滅びるかもしれないと、イスラエル民族を送り出しましょうと言ったのです。パロ王がモーセを呼んで、早く主なる神に祈って、この災いをなくせと言いました。なくしたら、また心が変わったのでした。後ほどは毒腫の災いが下されたのです。ひょうが降って、あらゆる農作物をなくしたのでした。それでも揺れなかったのです。後ほどは、暗やみの災いが下されたのです。結局、羊の血を塗った日、エジプトのあらゆる長子をみな殺したのでした。その時になって、パロ王が言った言葉です。金銀、今までに集めた財産を持って、イスラエル民族は全部、行けと言いました。それで、イスラエル民族を送り出したのでした。送り出した時、パロ王が言った最後の言葉があります。どれくらいおびえたか、二度と帰ってくるなと言ったのでした。
■ そのようにして出てきた日が、過越しの祭りです。羊の血を塗った日、イスラエル民族が出てきたのでした。主の使いが災いを下して、人をみな殺したのですが、羊の血を塗った家だけ越えていったのです。それで、過越の祭りと言います。それで、イスラエル大民族がエジプトから出てきたのでした。多くの人が行く中に、死ぬと予測しました。それで、2つの説があります。行って死ぬと言ったのに、五十日後に穀物をおさめたのです。それで五旬節と言います。麦を刈り入れたということで、麦収穫祭と言います。またもう一つの説は、カナンの地に入っていって、五十日ぶりに穀物をおさめたゆえに五旬節だと言います。関係ありません。イスラエル民族が死ぬかと思っていたのに、神様がイスラエル民族を守られて、穀物をおさめたのでした。穀物は、未信者もおさめます。他の国も食べる食べ物です。ところが、なにをそんなに感謝するのでしょうか? エジプトの手から抜け出して、必ず死ぬかと思っていたのに、死ななかったということです。神様の導きです。まさに、そのような意味です。救われた者の導きです。そのような話です。皆様が、この意味を悟らなければなりません。この意味を悟れなかったので、イスラエル民族はまた滅びたのです。
■ この時、香油の入った壺を壊した女性が出てきます。皆様にそのような祝福の日になることを希望します。五旬節、麦収穫祭の主人公であるイエス様がいらっしゃったのに、この女が現れたのです。皆様、溝も見なければならないけれど、全体を見なければならないのです。子ども達が山で道に迷う理由は、道だけを見るからで、全体を見ることができなくて迷うのです。私たちは、全体を見なければなりません。それでこそ、死なないのです。交通指導する所に行けば、そのような話をします。免許証を受ける前に、教育を受けるでしょう。私が教育を受けに行ったところ、教育する人がそのような話をしました。皆様が免許証を受ければ、車に乗るはずだけれど、3つのことを用心しろと言われました。子ども達が突然に出てくるので、子ども達を用心しろと言われました。それで路地を過ぎる時は、子ども達が出てくることを予想して行きなさいと言われます。それから、自転車とオートバイを用心しろと言われます。突然に入ってくるのです。最後に、女性に用心しろと 言われました。そして、酒を飲んだ男を用心しろと言われました。この人たちは、車に乗ると、無条件に入ってくるということです。みな共通点が、全体を見ることができないということです。あなたがたも聞いたでしょう。免許証をくれる人が、そのように教育するのです。小さい道を歩いても同じです。
■ 今、イスラエル民族はまた滅びたのです。今日の本文は、本当に意味がある本文です。イエス様を異端にして、最も嫌う人々がパリサイ人です。パリサイ人が、イエス様を自分の家に招いたのです。食事に招きました。ところが、突然な事が行われたのです。女一名が現れたのです。石膏の壺というのは、香油を入れていた壺です。そのふたを開け、突然にイエス様の頭上に注いだのです。そして、イエス様の足を涙で洗ったのです。そして、自分の髪の毛でイエス様の足を拭きました。そして、足に口づけをしたのでした。これを見て、パリサイ人が、これがなにかと言ったのです。自分の水準に従って話したのです。あなたが預言者ならば、女が足に口づけするのに、静かにいるのだろうかと話したのです。
■ ところが、マルコ14章を見れば、この記録がまた出てきます。弟子たちが、これを見て怒ったということが記録されています。香油の入った壺は、ものすごく高いものなのに、それで救済すべきで、捨てるのかと言いながら怒ったのでした。その時、イエス様がこういう返事をされました。この女は、世の中で最も重要なことをしたとおっしゃいました。福音が伝えられる所には、この女がした事が宣べ伝えられるはずだと言われました。思いだしますか? そのようなことを話したことがあります。ユダヤ人の中で、ユダヤ人のパリサイ人が自分の水準通り非難をするのです。簡単に話せば、あなたが異端だというのに、本当に異端に間違いないということです。今日の本文がそのような話です。あなたが預言者であることが間違いないならば、こういうことがあるのかと話しました。どのように女が入って、あなたの足に口づけをして、頭に注いで、こういうことが できるかと話すのです。そのような場面です。それで、イエス様は他の話に変えて話されました。借金を少しした人と、借金をたくさんした人がいるのに、誰がより悩みが大きいだろうか? すると、全部赦された時、だれがより感謝するだろうか? お金を一円赦してもらった人がありがたいでしょうか、お金を一億赦された人がありがたいでしょうか? 当然にたくさん赦された人がありがたいと答えました。だから、この者がまさにそうだと言って、答えられたのでした。まさにそのような話です。
■ 今日、麦収穫祭を迎えながら、単に麦収穫祭なのだなと考えてはなりません。皆様が多くの考えをしなければならないのです。一週間、友人と会って、事業して、人に会うことで忙しかったでしょうか? だから、答えを受けられないのです。私達が神様の前に多くのことをしなさいということではありません。皆様、一週間 ずっと世の中で悩んで、考えることができなかったのでしょうか? だから、それが問題です。皆様が問題ではなくて、答えを受けることができないのです。一週間、ずっと職場で、人ゆえに葛藤が生じると、それに時間を送っていなかったでしょうか? 一週間、ずっと現場で試みにあって、苦しくて、難しくなかったでしょうか? 信仰生活の間違った方法です。皆様、神様の恵みは、どれくらい大きいでしょうか? 聖日に出てくる時ごとに、そのような心を持たなければなりません。
■ このパリサイ人が、どうなのでしょうか? 自分の罪はものすごくあるのに、みな覆って、罪でもないこの女を非難するのです。パリサイ人のとが、失敗を全部覆って、軽率だと女を非難したのです。弟子が女にこの 高いものを注いだと、狂っていると言いながら、救済をしなければならないと言うのです。その2つの話しに感じることがないでしょうか? 皆様が、信仰生活をそのようにしているのです。お金、お金と言いながら、そのような方法で信仰生活をしているのです。自分の誤ち、ものすごくあるのを全部覆って、他人の失敗を見て、時間をみな過ごすのです。皆様は、そのように信仰生活をしたことのではないでしょうか? だから、問題がくるのです。イスラエルは、また滅びたのです。イエス様が、この女が最も貴重な事をしたと話されました。福音が宣べ伝えられる所ごとに、この女がしたことが証しされるとおっしゃったのです。今日の本文にはないのですが、マルコの福音書にも同じ内容です。この女の人は、途方もないことを受けたから、感謝したのです。結局、パリサイ人は分かりませんでした。だから、イスラエルが失敗をするのです。
■ 皆様、なにが問題でしょうか? 今日、神様の前に麦収穫感謝が回復することを希望します。なにが問題でしょうか? 子どもが心配になるのでしょうか? 心配しないように願います。神様がいろいろな過程をたどって 立てられるのです。皆様が心配する、それを神様は心配していらっしゃいます。皆様、いろいろな生活をする 中に問題があるのでしょうか? そのようなことをたどって、神様が悟りと答えと多くのことを知るようにさせられるのです。今、この女が生意気に入ってきて、イエス様の頭に注いで、そのようなことが問題ではありません。今、イスラエルが福音を悟っていないことが問題です。
■ 今日、ここで3つのことを見ることができます。福音を聞いて、否定的な悟りをしてはなりません。どのように、イエスがキリストなのか? イエスがキリストならば、王宮で生まれるのではないか? 大工の息子で生まれた人が、どのようにメシヤになることができるのか? イエスがキリストならば、ものすごい祭司の家系から出なければならないではないのか? どのように彼がメシヤなのか? 外形を見ろ。乞食と遊んで、らい病人がついて回る人が、どのようにキリストなのか? 聖なるように遊ぶべきで、取税人と遊んで、葡萄酒を作って飲む人がキリストなのか? 大工の家で生まれた人が、どのようにキリストなのか? こういうように見たのです。それで、キリストを迫害して、否認したのでした。今でも同じです。うわべを否定的に見たのでした。簡単に話せば、世の中的な目で見たのでした。それで、王として来られなかったけれど、王族に来られたという説明がマタイの福音書です。ヨセフが祭司の部族ではないかという説明がヨハネの福音書です。知らないので、説明をしたのでした。それで、マタイの福音書1章を見れば、系図が出てくるでしょう。それが王の系図です。ダビデの子孫がイエスではないか? それでもメシヤではないのか? という話です。ところが、パリサイ人が分からなかったのです。だから、結局、滅びたのでした。皆様、パリサイ人がどれくらい滅びたのか知っているでしょう? 説明しなくても知っているでしょう? 皆様、信仰生活をする中に滅ぼされないように願います。
■ 2番目の悟りがあります。今日、パリサイ人が宗教的な悟りをしたのです。自分の家に招いたのでした。家に招く程ですから、たいしたものです。異端だといわれているイエス・キリストを自分の家に招いたので、たいしたものです。単純に話しをするということではなく、食事に招いたのでした。だから、多くの宗教、マナーを持って招いたのでした。しかし、結局、パリサイ人は悟ることができませんでした。聖書を見ながら悟りがあってこそ、意味が分かるのです。この女の人が、まさしく福音的な悟りをしたのでした。すこし無理を しました。しかし、この女の人には、この方法以外にはなかったのです。敢えてこの女の人が、人の家に入って突然に香油の入った壺を割ったことは、狂った行動である場合もあります。しかし、この女の人は、福音的な悟りをしたのでした。この人としては、それしか方法がなかったのです。皆様、香油を注いだということは、何の意味でしょうか? 普通のことではありません。人類の救い主なるイエス・キリストに、本物の油を注いだのは神様ですが、実際に注いだのはこの人でした。皆様、油注がれた者を知っているでしょう? 霊的には、神様が注いでくださったのですが、実際には女の人が注いだのでした。この話が何の話でしょうか? あなたがまさにキリストだということです。
■ 皆様、信仰生活は難しくありません。正しく悟れば良いのです。何を悟れば良いのでしょうか? キリストを正しく悟れば良いのです。福音を本当に正しく悟れば良いのです。女の人が、イエス様の頭に油を注いだということは、あなたは本当にキリストだという意味です。十字架で死ぬという、それに対する油です。あなたは、万王の王だという意味です。そして、私たちを導く真のメシヤだという意味です。王、預言者、祭司のその油を注いだという意味です。分かるでしょうか? 足を洗ったということは、分かるでしょうか? 髪の毛で拭いたということは、大きい問題になりません。イスラエルの国には、貴重な人が入ってきたら、召使いが足を 洗ってあげました。水で足を洗ってあげて、手拭いで拭いてあげるのです。この女の人は、水の代りに涙で洗ってあげたのです。手拭いの代りに女の最も大切な部分である髪の毛で拭いたのでした。それは、なんの話でしょうか? 私は救われた者で、あなたは貴重な人だという意味です。こういうつまらない食事やもてなしを受ける人ではなくて、貴重な王だという意味です。正しく悟ったのでした。それで、この女の名前が 福音が宣べ伝えられるあらゆる所に証しされると言われたのでした。皆様が今日、この祝福を回復することを願います。よく知っているかの様に見えるけれどそうではないのです。
■ 皆様、この福音を理解するということは、いくつかの重要なことがあります。いつ知るかが重要です。皆様、年が若くなくなってから、福音を知る人がいて、今、若い時に知る人がいます。そして、この福音をどのように知るかが重要です。ある人は、ほとんど問題がきてから悟るのです。問題がきて悟らずに、恵みで悟ることを望みます。二つの中のひとつです。問題で悟るのか、恵みで悟るのかです。それで、神様のみことばを聞くのです。神様を私達が説明できません。しかし、確かに存在される神様を私達がどのように悟るのでしょうか? 問題が起きてから悟るのか、恵みで悟るのでしょうか?
■ ある人が、癌になって、医者がだめだと言いました。何の希望も、いっさいなくなってしまったのでした。その時になってから、イエスがキリストだと悟らずに、今、悟ってくださることを願います。私の友人一名は、10階から落ちました。10階から落ちて死ななかったのです。霊安室まで行ったのです。霊安室で息をふきかえしたのでした。良かったのかもしれませんが、今、宣教師をしています。福音を悟ることができなくて、そのようになったのです。今はキリストと言います。10階から落ちず、そのまま悟らなければならないのです。今、悟ることができなければ、15階から落ちると話しました。どのように悟るかが重要です。そして、どの程度、正確に悟っているかが重要です。今日、皆様にはそのような意味ある祝福の日です。救われた者は、神様が導かれます。救われた者は、神様が赦して導かれるのです。救われた者は、神様が責任を負われます。麦収穫祭がそのような意味です。この話を悟らなければなりません。それで今日、香油の壺を割ったように神様の前に礼拝をささげなければならないのです。そうすれば、良いのです。2部礼拝が残っているので、ご飯を食べながら悔い改めて、そのようにすれば良いのです。忙しくて、ぎりぎり来たのでしょうか? 世の中を生きることは、どれくらい難しいでしょうか? 特に男の方達、聖書をやっと探していらっしゃったのでしょうか? 今日、昼食の時、悔い改めて、2部の時、本当に礼拝をささげるように願います。神様のみことばが、死ぬ、生きるかの問題なのに、人々はよく知らずにいるのです。滅んでしまってから悟っては遅くないでしょうか? 事業が全部滅びて、イエス・キリストとすれば、すこし遅くないでしょうか? パリサイ人が今、悟れなかったので、みな滅びて悟ったのでした。イスラエルは、全部、滅びたのにまだ悟っていないのです。それではだめなのです。
■ 明日からは、大学修練会があります。今、既にレムナント修練会が準備中です。すでに三千五百名が登録しました。今回、もしかしたら、4千、5千名がきて、混乱することもあります。今、8月に世界宣教大会が行われます。世界宣教大会に行くという人が、2千名を越えて、3千名になっています。それで、あらゆる旅行社、航空会社が、席がなくて超非常事態になっています。このような時、私たちは重要です。皆様が祈りを しなければなりません。レムナント集会もあって、多くの集会があります。私は宣教師にお願いします。私達が可能ならば、神様の前で多くの献身もしなければならないのですが、考えを正しく持たなければなりません。私は一番初めて宣教地域として行った所がタイです。神学勉強をする人々が、30人程度いました。それをすると、月給を皆もらえたのです。私は宣教師にそのようにしないでと言いました。神学生が一名だけ来るとしても、 正しい神学生が来なければなりません。タイには、お金がないのでしょうか? そうではありません。闇の経済がものすごいのです。私達が正しい精神を持ってしなければならないのです。私が、それから行った宣教地域が、ロシアです。パンひとつを食べるために、並んで立っていたのです。すると、明日パンをあげると言わないようにと言いました。そうしたら、宣教師がそれでは誰も来ないと心配したのです。来なければ小さい部屋ですれば良いと言いました。パンは上げないと広告をしなさいと言いました。私が信仰で話したのですが、静かに考えてみたら、心配になりました。その翌日、ニュースに出る程にたくさんきたのでした。あまりにたくさん来て、ガラス窓が割れて、子ども達がケガをしたりしたのです。私達は、正しくしなければなりません。お金がないのでしょうか? 私は、その日の夜に驚きました。大きいホテルに泊まっていたのです。その当時に、ロシアで一番高級な車がボルガという車でした。格好良い車です。韓国で言えば、エクスと同じレベルです。こういう車が何台か夜にホテルに入ってきました。私は外国人が入って来たのかと思っていたのです。ところが、全部ロシア人でした。踊って遊ぶ、全部、車に乗って行くのでした。ロシアには、お金がないのではありません。私達が今、正しく教えるのです。私達が神様の前に献身して、祈って宣教師を派遣するのです。
■ 韓国に100年前にオーストラリアと米国の人が初めて入りました。米国の人が良くしたのです。オーストラリアの人は、韓国を手助けしなければならないと言いました。オーストラリアの人が作ったことが、一神基督病院です。カトリックでも韓国を支援しなければならないと言いました。小麦粉を与えたりしたのです。唯一、アンダーウッド牧師と米国だけが、自立しなければならないと言ったのです。だから、99%の人が、なければ自立できないと言いました。韓国の人が、お金があってこそ、献金するのではないかと話したのです。その時、米国人がしようとすれば、神様がくださると言ったのです。良くしたのです。それで、韓国が米国の次に世界に宣教師をたくさん送っています。政治が正しいでしょうか、なにが正しいでしょうか? それでも、韓国は強固に生きています。小さい日本の半島にもならない国に、そして半分に分かれています。油一滴も出ず、強固な資源もありません。外国人が遊びにきて、韓国に見る所がありません。それでも、韓国の経済は高いレベルにいて、下のほうにはいません。みな理由があるのです。だから、正しくしなければならないのです。そして、私たちレムナントが、福音を本当に悟らなければなりません。私たちのレムナントが、そのままあとで外に行けば、勝つことができないのです。
■ 私は米国に行って見ました。子ども達が全部、信仰生活を良くしているかのように見えるのに、全部隠されて何かがあるのです。私が見ると違いました。とても歌、韓国語、英語も良くできます。ところが、子どもが何か暗かったのです。それで、私があの子どもは、本当に人材なのに、なぜそうなのかと尋ねました。母親は米国にいて、父親は韓国にいるので、離婚してけんかするから、心に困難にあるということでした。それで、私が心配する必要はないと言いました。その子どもに、心配する必要がないと言いました。あなたは神様の子どもで、レムナントだと言いました。あなたは、21世紀未来の主役だと言ったのです。親の問題を心配する必要がないと言いました。
■ この前、訓練を受けようと来た小学生を見てください。その子どもは、祈りの課題が親を殺すことでした。それで私達が驚いたのです。後ほど、相談して直しました。経験がなくて、レムナントが社会に行けば、福音を正しく味わえないのです。必ず記憶しなければなりません。なぜ聖書は福音をしばしば強調するのでしょうか? この簡単な福音を、なぜしばしば強調するのでしょうか? 皆様がこの部分を知らなければ、必ず始まりに戻ります。皆様の家系の霊的問題に確かに戻るようになっています。よく研究してみることを願います。皆様の息子が必ず父、母のように死にます。本当に不思議です。人間とは、そのようなものなのです。霊的に本来通り戻るようになっています。それで、福音を正しく味わわなければならないのです。
■ 日本で40年住んでいた人がいました。ところが、この方が病気になって入院したのです。死ぬようになったのです。本当に不思議です。韓国には20年しか住んでいず、日本で40年を住んだのです。病気で死ぬようになったら、日本語が出てこないのです。日本語をもっと多く話していたのに、言葉が出てこないのです。その人が日本の人のようだと感じられる程に、日本語を良くしたということです。この人が最も本能の韓国語が 出てきたのです。私はその話しを聞きながら、本当に初めに入っていったことが、本当に怖いという気がしました。
■ 皆様、必ず記憶しなければなりません。この女の人がきて香油を注いで、足を洗って口づけをしたということは、普通の話ではありません。それなら皆様は、ここにいたずらで出たことではありません。ある人が、むかしに見たら、そのまま宗教で教会に通っていたのです。そのように愚かなことはありません。ある人は、そのまま休養しに通うのでした。なぜ休養しにここに来るのでしょうか? 山に行けばよくないでしょうか? 休養しに、なぜ教会にくるのでしょうか? 寺、裏山が休養するのには、より一層良いでしょう? ある人は、宗教がひとつずつなければならないからと、教会に行くらしいのです。大変なことになります。私達が今、宗教を探して通って献身することではありません。
■ それで、ある学者が私に聞きました。本当の幸福を探して神様を信じているのではないかと尋ねたのです。そうではなく、根本問題の解決のためにと言いました。幸福はそれからのことです。人々はよく知らずにいます。そうすれば、霊的問題に苦しめられながら、後ほど死ぬのです。私たち教会と、この運動が、単に起きているのではありません。今日、皆様は必ず勝利するように願います。本当の福音を悟るように願います。皆様、本物の福音を悟るということは、やさしい話ではありません。私が昨日、ある人の話しを聞きました。この人が完全に私たちメンバーです。全国、世界に通いながら、証しもしていました。ところが、その人が試みにあっているということです。牧師と信徒が、経済問題でお互いを告発したということです。それで、タラッパンにも来ないということでした。ほとんどみな現実にぶつかれば、福音ではないのです。今まで見ると、利益、損害が出てくれば、問題が生じるのでした。すると福音ではないのです。
■ むかしに、時計の中に‘ケースカラ’というのがありました。学生達はよく知らないでしょう。ここにいる長老は、ご存知であるはずです。むかし、韓国が発展せずに、時計の殻と中が違っていたのです。振れば音がしたのです。にせ物で作ったので、水も入るのです。それでむかしに時計を買ったら、ケースカラか本物なのかと尋ねました。だから、これがケースカラ信徒なのです。外側だけそのふりをしていて、問題がくれば、ばれてしまうのです。だから、利益、損害が生まれれば、牧師のようなものは自分と関係なくなるのです。私はとても感謝することには、私たちの釜山、ソウルの長老たちは、問題が生まれれば、福音の前に立つのでした。皆様、韓国教会を見るように願います。問題が生まれれば、福音でないではないでしょう? 良くて食事して、対話する時は、表に現れるでしょうか? 問題が生まれなければ分からないでしょう。皆様、戦争、運動、どんなに練習をして分かるでしょうか? 実際に起きてこそ、分かるのです。皆様が本当にそれなら、香油の入った壺を割った女性の祝福を受けてくださることを願います。私が知っていることでは、油の価格が問題ではありません。この女の人が、大切に考えたことも重要ですが、キリストに必ず必要なことをささげたのでした。それで、事実上、最高の答えを受けたのです。今日、皆様は香油の入った壺を割る日になることを希望します。本物の礼拝をささげる日になることを希望します。パリサイ人のように、格好をつけて、雰囲気だけもってするのではなく、本物の礼拝をささげることを願います。
■ 一言だけ話をします。私は、伝道運動をして回りながら、祈りの答えを受けることができなかったのです。ある日、受けるようになりました。本当に礼拝すべきだという気がした時、祈りの答えを受けるようになったのです。率直な告白です。私の人格でなく、神様の恵みで3日間、伝道現場に行ったのです。そして、今まで 正確に15年は現場に通っています。それは本当に神様の恵みです。私の人格ではできません。そして、私の水準は、そのような水準ができません。私は適当に遊んで、気楽に死ぬ水準です。完全に神様の恵みです。ところが、そのように現場を通って、みわざが起きるのに、答えが来なかったのです。まわっていたら、悩みだけ生じたのです。家庭、経済の悩みだけ生じました。問題だけ積まれたのです。それも重要ですが、私に答えが来なかったのです。ところがある日、私自身をよく見るようになりました。礼拝を回復するようになったのです。その時から、答えがくるようになりました。皆様が一週間の中で、今日礼拝をささげることが最も重要なのです。なぜなら、神様は皆様を祝福なさることを望まれるからです。皆様が本当に福音を持って、サタンにだまされないことを望まれています。この祝福を回復する香油を注ぐ麦収穫感謝聖日になることをイエスの名前でお祈りします。蔚山、ソウル・インマヌエルに同じ祝福があることを願います。私たちの衛星で礼拝する教会に同じ祝福があることを願います。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、香油を注ぐ麦収穫祭になるようにさせてください。救いを正しく悟る麦収穫祭になるようにしてください。たとえ弱い私たちでも、真に福音で救われた私達になるようにしてください。 それなら、福音を味わう神様の人になるようにさせてください。今日この時間に、あらゆる祈り答えの門が開く祝福の日になるようにしてください。マルコのタラッパンで祈る間に、全世界に門が開いたように、私たちにその答えを下さいますことを信じます。ペテロが牢獄の門が開いて、アッシリヤ軍が滅ぼされたように、あらゆる暗闇が崩れるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 時代の見張り人
(Iペテロ2:9)
 
■ 今、釜山老会キャンプが始まっています。今、私たちには訓練、多くの夏の集会が残っています。あなたがたが、どのようにすれば、私達が信仰生活を勝利できるのか? キャンプをどのようにすれば良いのか? こういう部分で契約を捕まえねばなりません。それで、今日の題目からまず説明するなら、そこで答が出てきます。時代の見張り人と言いました。あなたがた全部が、神様の祝福を受けた人であるゆえに勝利するようになるはずです。私達が福音は完全であることを知っているけれど、実際に、その中の祝福を味わうことができません。福音の祝福を味わいさえすれば、まちがいなく成功します。ところが、福音は完全なことが確かです。
■ 私は2つは恵みを受けました。ひとつは、イエスがキリストで、福音が本当に良いことで、一番良いことだということを悟るようになったことです。それは、神様の恵みです。その次に表情があまりにもなかったり、頭が悪かったりことはありません。幼い時、人々に頭が鈍いという話は聞いたことはありません。むしろ反対に聡明だという話は、聞いてみたことがあります。それもよくあったのではなくて、時々の話です。頭が悪いという話は、一回も聞いたことがありません。その2つのことは、神様の恵みではないかと考えます。それで福音を知るようになったことと、この福音がわかる知恵が生まれたことは、神様の恵みです。私たちレムナントと皆様に説明することが、本当に難しくて、福音の中にある祝福が、どれくらい大きいかを説明するのは難しいのです。より正確に言えば、私もよく分からないのです。どれくらい、この福音が大きくて、ものすごいのか、事実はよく分からないほどです。そして、その中にある祝福もそうです。それで、福音の中にいさえすれば良いのですが、いることが問題なのです。
■ 本当に幸いなことが、いくつかあります。私が特別に専門性があったり、多くの勉強をしたりして、知っているのではありません。そうしたあと見たら、損害が多いのです。しかし、それゆえに福音を理解するのに、ちょっと助けになりました。私が特別な思想や特別な何かがありません。なぜならば、それほどの知識がないためです。そうしたあと見ると、福音が良いなと単純に理解するのにものすごく助けになりました。皆様、福音を知らずに、世の中で勉強を多くした人、博士の学位をいくつも持っている、そのような人は悟るのに、ものすごく時間がたくさんかかります。ある面では幸いなように見えます。それほど知っていることがないから、引き出させることがそれほどありません。それで、知っていることがないことも本当に幸いです。そうしたところ、私の母が亡くなる前に、私に言った言葉があります。説教しながら、謙遜にするために、無知だ、足りない、そのような話をしてはならないと言われました。信徒は、水準が低いと、本当にそのように思うかもしれないから。水準が低いということではなく、事実がそうではないかと言いました。
■ また幸運の中のひとつは、私は、ものすごく恥ずかしがり屋です。恥ずかしがり屋なので、あまり前に出ていかないので、それが福音を理解するのに助けになりました。私はチョ牧師にそのように話しました。一度は、キム・ドファンのスタイルの帽子をかぶって出てきました。すごいと感じました。その帽子をかぶって飛行場に現れたのですが、よく似合いました。格好良かったのです。一回は、白い靴を履いて現れました。私は誰かが一ケ月に50万円ずつあげるから、白い靴を履いて通えと言われても、履くことができません。ボーナス 20万円より付け加えて、70万円をあげるから、キム・ドファン帽子をかぶって通えと言われても、私はかぶることができません。似合うこともありません。私たちのチョ牧師は、よく似合って、格好良かったのです。私は似合おうが、似合うまいが、恥ずかしくてかぶることができません。私は事実は、持って生まれた恥ずかしがり屋です。私が以前に話したではないでしょうか。私が講壇に上がってきて幼い時、歌を歌うことができなくて降りてきました。それがいまだに、私の傷です。小学校 2年の時か、3年の時か、どれくらい以前のことでしょうか。恥ずかしくて歌が出てこなかったのです。そして、歌うことができなくて、結局は、前奏を2、3回したのに、歌うことができなくておりて来ました。
■ それで、ある日、私の息子が幼稚園の時、歌を歌おうと上がったのですが、私が祈りました。神様、私の息子は中間に終わる事がないように、私のような傷がないようにと祈ったのです。しかし、想像を越えて、私の息子が上がって、全く恥なく口を大きく広げて、みな歌って降りてきました。それで私が内心 "そうか。母親に似たんだなあ" と思いました。その子が、私に似れば、まちがいなく中間で歌うことができなくなります。今でも皆様が歌を歌えと言えば、震えます。この前に、ある集いに行ったところ、コメディアンのイ・ヨンジャが、すぐ私を見て、出てきて歌を歌ってくださいと言いました。先生をテープでだけ見たのに、実際に見たら、あまりに素晴らしいとしながら、歌を歌えと言ったのです。これで、声が震えてやっと歌ってきました。 私が元々、恥ずかしがり屋です。皆様が見ると、簡単に通っているように見えるでしょうが、表情を管理して 通っているのです。ところが、こういうものも、私が福音を悟るのに助けになりました。それで私がおもに見ると、やたら前に出ようとする人々はよく悟ることができないのです。そのようなことを比べたら、ちょっと幸いです。
■ 幼い時から、よく譲って、長男だからと譲って、6.25 私だ見るので譲って、全部、譲ってきたので、競争で勝たねばならないということはありません。そうしたあと見ると、この良い福音をすこし速く悟るのに助けになりました。それで、事実、私は福音の中にある祝福を誰よりもたくさん受けたのです。ところが、私が本当に幸いにも、この福音を知って伝道しようと通いながら、学生達に会って伝道しながら、あまりにも幸せだということを感じました。私のように劣っている者も、福音を知ってこのようになるんだな。それで、私たちの学生達に福音を話して、真の伝道者になれるようにさせねばならない。それとともに、人々の実像を見ながら、霊的問題が解決できなくて滅んでいることをたくさん見ました。本人の誤ちでもないのに、精神問題に苦しめられて死ぬ人を見たら、福音を理解したことをとても感謝したのです。そして、こういう祝福を時間が経つほど味わうようになりました。
■ 身分が高い人々には、ちょっと申し訳ないのですが、国会議員や長官に会う時、私の内心、うらやましいとは考えてみたことがありません。私もちょっと良くすれば、国会議員になったのにというようなことを考えてみたことはありません。私はもう少し良くすれば、長官もしていただろうに、こういう考えをしてみたことがありません。その人々に会った時、私が福音を伝えるようになったこと、伝道者であることが本当に幸いだという考えをいつもするようになります。どれくらい感謝でしょうか。真実です。それで、あなたがたに私たちタラッパンでするメッセージは、神様のみことばですが、全部、証しです。すると、どのようにすれば、あなたがたがキャンプにずっと成功して、信仰生活も成功できるのでしょうか? 3つのことに見張り人になりましょう。
■ 最初、伝道の見張り人になりましょう。なぜならば、この福音を知って、こういう気がしたのです。"伝道する程、成功しなければならないのではないか。世界福音化と言いながら、揺るがして通おう、そのようなことではなく、私が福音を伝えることができるほどには、祝福を受けねばならないのではないか。この驚くべき福音を言うほどには、教会が復興しなければならないのではないか." という気がしたのです。私がこの福音を他の人に話そうが、話すまいが、他の人が分かる程に勝利せねばならないのではないか。それが私が持った初めての考えでした。そうしたあと見たら、この見張り人がなんの話なのか分かるようになりました。だから、聖書のエゼキエルを見ると 'エゼキエルよ。わたしがあなたをイスラエルの見張り人として立てた。悪人に話しなさい。そして義人にも言いなさい。聞いても悟ることができなければ、その人々が滅びるが、聞かないならば、あなたの責任だ.' 正しいという気がしたのです。その考えに捕われたのです。 ■ 少なくとも、この福音を言うほどには、祝福を受けなければなりません。少なくとも、この福音を言うほどには、事業も成功しなければなりません。このものすごい福音を言うほど、私たち学生達は勉強して成功しなければなりません。その気がしたのです。私が立派なために、ものすごいことを知っているために話しているのではありません。私たちの先祖と私たち民族が難しいことをたくさん見ました。そこに入っていかないように話をしてあげなければならないのです。私は今週に、キム・ソンイル氏についてのニュースを見ながら、本当に考えさせられしました。ニュースをずーっと聞く中に、心に引っかかったことがひとつありました。もちろん、苦労して死んだことが本当に良くなかったのですが、その人の遺体がアンサン村を通過して行くと出てきました。むかしに私が伝道した所です。アンサン村は大韓民国で唯一、今は知らないのですが、その時は他の人が住まない村でした。唯一、貧しい人が集まる町で、唯一ムダン(霊媒師)が集まる所、ある問題が起きたら、適当に逃げる人が来る町。それがアンサン村です。すると、この人がそこに住でいたということです。本当に良くなかったのです。一生、短い生涯だったのに、苦労して行ったのですが、それでも良い犠牲になるはずです。私はそのような現場を見たゆえに、福音を伝えなければならないと思ったのです。それで私達が福音を伝えるほどには成功せねばならず、福音を伝えるほどには復興しなければなりません。皆様、考えてみましょう。皆様の人生に生まれて、他の人にこの良い福音を言うほどには、祝福を受けなければならないではないでしょうか? 伝道の見張り人。キャンプする方達は、必ず記憶するように願います。他の人に、この福音を聞くようにさせなければならないのです。
■ 2番目です。イザヤ62:6-12です。祈りの見張り人です。 'わたしがあなたをイスラエルの見張り人として立てた.'と確かに話されました。 '城壁の上に見張り人を立てた.' それとともに何と言われたでしょうか? '主が休むことができないようにさせよ.' 私達が神様を休ませないようにして、勝手にできるのでしょうか。ところが、表現がそうです。終日、終夜、主が休めないようにしなさい。その見張り人を立てたということです。祈りの見張り人。皆様、霊的な事実を知っていますか? 私は霊的な事実を知ってから、祈るべきだという気がしたました。
■ 本当に面白いことです。私が困難にあった時、釜山で苦しめられたことがあります。その時、朴長老とみなご覧になったでしょう。私たちの教会を一番難しくさせた、張本人の指導者がいます。ある時には、こういう話しまでしました。柳牧師は、誤っていないけれど、誤っていましたと言うならば、見過ごしてやろうではないか、何でそんなに固執するのかと言いました。それはおかしい。間違ったことをしたなら、間違っていましたと言うべきで、していないなら、していないと言うべきでしょう。すると、あなたがやられてしまうと言われました。やられるとしても、どうすることもできません。やられても、私がどうして、違うことを正しいと言うのでしょうか。それで、本当にあなたは固執が強いと言われました。それは固執ではなくて、正しいものは正しくて、そうではないことは違うということで、私がしなかったことを、どうして、したと言うのでしょうか。それで、その時から関係が切れるようになったのです。そして、何十年ぶりにその方に会いました。私と握手をしました。自分のために祈ってくださいと言いました。何の問題が生じたのかと聞いたのです。何の問題かと尋ねたら、自分の息子が妻をめとって孫が生まれたということです。その子はどうなのですかと聞いたら、その子が精神異常になって、自閉症になり、それゆえに最悪の境遇だと言いました。その時、私はこういう気がしました。神様が、私の息子、娘、孫達に健康を下さっていることは、本当に感謝なことだな。私は彼らのためにしたことは何にもないのに、神様が祝福を下さいました。それとともに、このように感じました。私達がたとえ足りなくても、福音現場に行く時間に、神様はその背後を祝福なさるのです。私が福音現場に行く時間に、神様は私たちの教会を祝福なさいます。私は何にもしていないのに、私がこの福音運動をするので、神様は私の子どもを祝福なさいました。私はそれが感じられたのです。ヒゼキヤ王が神殿で祈っていたのに、神様はアッシリヤ軍を滅ぼされました。皆様、祈りを理解するならば、祈りの見張り人になりましょう。見張り人ということは、知っているはずです。英語ではWatchmanと言って、見通して守る人です。
■ 軍隊で話すならば、みな眠っている時、軍隊全体を守る見張り人です。どれくらい重要でしょうか。私の息子が、軍隊に行って、この見張り人、番兵をしたのです。だから、どれくらい説明がやさしいでしょう。言わば見張り人です。軍に行って、除隊する時まで見張らなければなりません。これは高い人、低い人なく、死んでもみなしなければならないことです。それで、私が見たら、たくさんの紙を持っていたのです。なにかと尋ねたら、千枚くらい暗記しなければならないと言いました。一週間のうちに暗記しなければならないと言いました。その中には、300人の車両番号、300名以上の階級、300名以上の人の名前がありました。そのようにすれば1000個くらいになります。それを完全に暗記しなければならないのです。それでこそ、他の人が入ってきたら、分かるでしょう。それでこそ敵軍の車両が入れば、番号がすぐわかるのです。それが分かるように暗記することが、一番目の任務でした。そうだと思いました。
■ 皆様、蔚山で起きたでしょう。20年ほど過ぎました。20年か、30年ほどになりました。どのように蔚山に武装共産軍の敵軍が来るか? そのように考えていて、この歩哨がいつもしていたようにラーメンを食べて寝たのです。だから、その合間を利用して武装共産軍が入ったのです。北朝鮮から送られた武装共産軍が海辺からそちらへ入ったのです。だからどうなるでしょうか? 容赦なく、見張り人と中にいる人の首をみな切ってしまったのです。この見張り人一名が、それほど重要なのです。 'わたしがあなたをイスラエルの見張り人に立てた.' それで、あなたがたを霊的に見張り人として立てたために、伝道の見張り人であり、祈りの見張り人です。それで終わったのではありません。
■ Iペテロ 2:9を見ると光の見張り人です。皆様、光の見張り人をご存知でしょうか? 船が入るのに、灯台に明かりをつけておきます。それが消えれば大変なことになります。それをいつも確認しなければならないのです。この電球が割れているか、割れていないか、いつも確認しなければならないのです。もししない場合は、大変なことになります。その下に大きい岩があるために、船が入ってきてぶつかって崩れれば、人がみな死ぬのです。それで、あなたがたが灯台守と言うでしょう。そのことをいつも守らねばならないのです。私があなたをこの光を宣べ伝えるように呼んだ。記憶すればよいのです。これがとても難しいことのように見えるけれど、難しいことではありません。この話はなんの話でしょうか。皆様ゆえに神様のみことばが伝えられる見張り人です。皆様が祈っているのに、皆様の家族、背景、全てのものがみな生かされるようになるのです。なぜレムナント運動をするのでしょうか? タラッパン運動、ミッションホーム運動、こういうことをなぜするのでしょうか? 神学院、宣教師訓練院をなぜするのでしょうか? 共同体をなぜするのでしょうか? 光の見張り人です。この光を明らかにするしかありません。私たちは、この部分を知っているために、あなたがたはキャンプをこの精神を持って始めれば良いのです。すると、明らかな答えが来ます。3つの答えが来ます。イザヤ43:18-21に 'わたしが新しい事を行なう.' そうおっしゃりながら、こうおっしゃられました。 'わたしは砂漠の中に川を、海の中に道をつける主である.' だから、できないことがありません。神様が新しい事を行なわれるのです。皆様が祈りの見張り人になって、祈っているのに、新しい事を行なうとおっしゃいました。それで、キャンプを今すぐにみつめてするのではなく、新しい事を行われる神様のその契約を捕まえて、ずっとしましょうということです。私のような人が何をするのか? 私のようなおばあさんが何をするのか? と言うかもしれません。私の母が亡くなったのが、もう2年になります。若い人の百名が私の母一名の祈りについて行くことができないほどでした。何の私のような年をとった人、そのような話をする必要がありません。皆様が重要なことをできます。年をとった方は、能力がない方も、重要なことができるのです。何の話でしょうか? 祈りの見張り人です。年を取っているほどより良いのです。皆様が契約を捕まえて祈りの見張り人といえば、神様が新しい事を行なわれます。エゼキエルが、このみことば運動をする時、どんなことが行われたのでしょうか? 乾いた骨になった屍体が、息をふきかえして軍隊になったと言われています。いつかは皆様が神様のみことばを捕まえていれば、屍体が変わって軍隊になったかの様に起きるはずです。17年前に、このみことばで始めました。皆様、おわかりの通り、全世界レムナントといっしょに軍隊になって起きています。皆様が福音の中にいれば、あらゆる問題は解決できます。今から福音を味わう祝福があることを願います。
■ Iペテロ 2:9に光の見張り人になった時、どんなことが行われたのでしょうか? 皆様、おわかりの通り、250年後にローマは降参しました。ありえない事が行われたのです。キリスト教を迫害したローマは、キリスト教を国教として宣布しました。歳月がちょっとたくさんかかりました。250年ぶりに完全に降参するようになったのです。皆様がこういう契約を捕まえて、今から信仰生活して、キャンプを始めましょう。皆様が福音 を持っているならば、祈っている途中で気落ちしないで。皆様が福音を持っているとすれば、世界福音化ゆえに、今から開始すれば答えがあるはずです。より正確に話せば、皆様を光を表すように呼ばれたのです。暗闇の中に死んでいく多くの皆様の家系を生かすために、光の子どもとして呼ばれたのです。答えがくるはずです。
■ すると、これから私たちは、どんな未来を置いているのでしょうか? たくさんあるけれど、いくつかを置いています。レムナント運動です。それは、これから歴史に残るでしょう。祈ることを望みます。私は私たちの教会の長老も祈られたのですが、世界的なレムナントが完壁に運動できる教会堂を建てるはずです。祈ることを望みます。私たちの信徒が、祈りで力を合わせれば可能です。この場に本当にレムナントがきて、思いきり訓練を受けることができるように、今は準備を始めなければなりません。今、少なくとも、五千名ないし、一万名の宿舎がなければ、事ができないのです。だから、いっそのこと、ユースホステルを建てましょう。普段の時、安く開発することもしながら、青少年を訓練させることができる文化センターを建てましょう。少なくとも、何万名がきて礼拝できなければならないのですが、今、そのような施設がありません。大邱でも最大の悩みが、レムナントたちが入っていく席がないということです。私たちは、これのために祈らなければならないのです。
■ もうひとつ何でしょうか? 私たちは、真の伝道運動をする教会を建てるべきです。特に私たち子孫を生かす暗闇の文化を破る働きをしなければならないのです。キャンプを始める皆様、今、いくつかだけ必ず整理すれば良いのです。神様が私を見張り人として呼ばれました。本当にここに対して証しすることあります。神様が私と皆様を、見張り人として呼ばれたのです。ところが、本当に感謝するのは、その時から今まで伝道を常時考えるようにされました。本当に神様の恵みです。私がある日、困難にあって、一回ももれなく2ケ月間定刻の祈りをしたのです。以前にも話したではないでしょうか? 今、受けているあらゆる答えが、その時、みな祈ったことです。本当に驚くべきことです。このようなことが、多いのです。私たちは今、大変で、ある時は疲れたり、時間が必要だったりします。それで葛藤もたくさん生じます。皆様に、困難あるだけでなく、他の人にもあります。
■ それで、私はこういう結論が出ました。私が祈らなければならない。私が常時で祈らなければ、私を手助けする人はない。どんなに皆様が祈りをして助けてくださっても、限界があります。私が祈らねばならないのです。私が常に主を見上げて、この祝福を味わわなければ、この働きは果たすことができません。大部分の人々が、1, 2年後に崩れる理由が、ここにあるんだな。大部分の人が伝道運動をしている途中で病気になってしまいます。これで、そうだな。大部分の人が、全世界で2,3年は走ります。走っていて、みな崩れるのです。私が知っている有名な牧師一人は、1,2年走って病気になってしまいました。それで、そうだなと、その時、私が悟った契約があります。それで、常時で祈りなさいと言われたのだなあと分かりました。それで、祈りの見張り人になれとおっしゃったんだなあ。私は理解できました。
■ 結局は、人生はどんなに苦闘しても、結局は、暗闇に陥って死にます。それで、光の見張り人とおっしゃったのだなあ。聖書にあるそのままの答えがき始めたのです。皆様、今からなんにも考えないで、3つで契約を必ず捕まえてくださることを願います。私は今から神様の前に働きをする祈りの見張り人だ。これから、私はお金をもうけ、仕事をすることも世界福音化をするためにする伝道の見張り人だ。より重要なことは、私たちの家系、私の個人にある、この地域にある暗闇の勢力を破る見張り人だ。記憶しなければなりません。これがキャンプの開始です。そして、これがキャンプの終わりです。この契約だけ捕まえても、答えがきます。今後、より多くの証拠を皆様は見るようになるはずです。それで、神様の祝福がキャンプが始まる釜山の教会と私たちあらゆる衛星で礼拝する教会の上にあることを、イエスの名前でお祈りします。今、この答えが皆様にあることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。見張り人になるようにさせてください。祈りの見張り人になるようにさせてください。福音ゆえに生きる私達が、伝道の見張り人になるようにさせてください。それよりもっと重要な暗闇をなくす光の見張り人になるようにさせてください。それで家系、家庭、私たち個人にある暗闇が崩れる時間になるようにさせてくださって、誰も知らない職場と現場の暗闇が崩れる時間になるようにしてください。誰も発見できない私たち民族と世界に散在した暗闇の勢力が崩れる時間になるようにさせてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン