2004年8月15日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 弟子にまずくださったこと
(ルカ9:1〜9)
・私たちは時々、これからどのようにすべきかと心配します。ところが、聖書はこのように言われています。何にも心配するなと言われました。すると、じっとしていなさいという話でしょうか? 祈りなさいと言われました。祈れば、どのようになるのでしょうか? 神様の驚くべき平安が、心と思いを治めるはずだと言われました。真に私たちは信仰だけあれば良いのに、その部分が良くならないのです。今日、私たちは本文を見ながら、新しい力を得なければなりません。
 
・率直に、私はむかしに何んでもだめな時がありました。そんなに頭が悪い方でもないのに、何にもだめでした。今見ると、その時、事実は、神様を実際に信じていなかったのです。ところが今考えると、神様を信じる 信仰が回復しながら、少しずつ回復するのを見ました。ほとんどみな人々が見れば、信仰生活は良くするのに、神様を信じないのです。熱心にはするのに、よく信じないのです。今日、私達が神様のみことばと神様と重要な真理を信じなければなりません。無理に信じるのではなくて、よく信じなければならないのです。
 
・ソドム、ゴモラが滅びるはずだというのに、ロトが信じられなかったのです。そうしたあと、大きい困難にあうようになったのです。全く同じ息子なのに、ヤコブとエサウの差異点はひとつしかありません。エサウは信じられなかったのです。長子の権利がすごいことで、神様の恵みがすごいことなのか? 実際に信じられなかったために、ヤコブとは違う結果が起こってきたのです。
 
・ヨセフの兄たちも、実際に神様を信じなかったのです。ヨセフは本当に神様を信じたゆえに、多くの答えを受けるようになったのです。このように、聖書は二人ずつ比較して説明しています。サウル王とダビデです。サウル王は、実際に神様を信じませんでした。神様の民として礼拝をして、みなしたのですが、実際には信じなかったのです。皆様には、こういう部分がものすごく重要です。
 
・説教をどんなに良くしても、信仰がない牧師がいます。それなら、聖霊が働かれないでしょう。説教をよく できなくても、信仰ある人がいました。こういう方には聖霊が働かれます。私たちには、信じること、信仰が どれくらい重要かわかりません。パリサイ人は、実際に神様を信じることはありませんでした。皆様がおわかりの通り、共産主義は神様がなくて、神様を信じないと言いました。露骨にそのように話をしたのです。神様がどこにいるのか? 私たちは神様を信じないと言いました。信仰生活を良くする人には、宗教細胞が多いのだと言いました。こういう方法で、何でも物質的に解釈をしたのです。ところが、共産主義が良い生活をすると思っていたのに、時間が経つにつれ、崩れるのです。不思議に共産主義をする所は呪いが入るのです。不思議に共産主義をした人がキリスト教の助けを受けています。
 
・北脱出者もほとんど教会の助けを受けています。今、中国でもほとんどキリスト教団体の助けを受けて、門が開いています。ロシア語を使用する十六個の国に行ってみれば、そちらに全部、門が開いた所がキリスト教です。この人たちが驚いたのです。どうして、教会が私たちを手助けするのか? それで、教会はお金が多いと 考えるのです。ロシアの人が、私たちの教会にきて、私に韓国教会がどのようにお金が多いのかと尋ねたのです。韓国教会は、お金がないと答えました。全部、信徒が献金して宣教するのだと言いました。だから、この人達が、よく見ることができなかったのです。それで中国やロシアでは、物質で宣教してはならないのです。
 
・私たちは、信仰を持っていれば答えがきます。今日、少なくともいくつかのことを信じてこそ、問題が解決します。いくつかが信じられなければ、どんな場合にも答えが来ません。来ても、皆様の努力であって、その努力はある日限界がくるはずです。皆様、今日、聖書を見ながら、全部を説明できません。すぐに今日、いくつかのことが出てきました。今日の本文に、霊的な事実が出てきています。 'イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。' この部分が何の話なのか分からなければ、この聖書と関係なくなります。それなら聖書と関係ないのでしょうか? 事実は信じないのです。それで、皆様が聖書みことばのこの部分が信じられてこそ、正しくみわざが起きるのです。それなら、神様が目に見えるでしょうか? 聖霊のみわざが目に見えるでしょうか? キリストという言葉が分かるでしょうか? 天使が目に見えるでしょうか? サタンが目に見えるでしょうか? たましいが目に見えるでしょうか? 天国が目に見えるでしょうか? なんにも見えないでしょう。それなら、全部、何でもないのです。最も重要なことは目に見えないのです。
 
・皆様が指ひとつはなくても良いでしょう。しかし、精神が変になれば、指全体が必要なくなります。皆様、胸の中にあるたましいが変になれば滅びてしまうのです。どんなに運動して熱心にしても、たましいがからだを離れれば、死んでしまうのです。だから、これが信じられてこそ、信仰生活になるのです。これが分かれば、霊的問題と背景が分かります。この時から、門がどんどん開くのです。すぐに外国に行ってみるように願います。これだから、この人達に問題が起きるという目がすぐ開くはずです。本当に正しく良くする日本に、精神病患者が多いのか、直接、行ってみるならば分かるようになるはずです。今週に二千人が全世界の宣教現場に メッセージを持って行きます。今日、明日も行って、2千名以上が行くようになります。これが見えてこそ、信仰生活になるのです。霊的問題が見えないのでしょうか? これが見えてこそ、聖書が分かり始めるのです。
 
・黙示録12章に天使が堕落してサタンになった、その話しが信じられるはずです。全く表に現れず、皆様の目を暗くさせて、皆様を滅びるようにさせてレムナントを滅びるようにさせるのです。だから、アダムとエバを滅ぼして、ノア時代を滅ぼして、目に見えないようにたびたびするのです。それも知らずに、人々は占いをしようと通って、グッ(降霊術)をするのです。そのようにすれば、より一層、問題がきます。この部分は、皆様が理解できて、信じられねばならないのです。そのようにしてこそ、今日、イエス様のみことばが分かるのです。私はむかしに教会に通っても、こういうみことばがあることも知りませんでした。私は伝道現場に行ってみて知りました。伝道現場でムダン(霊媒師)を見たら、これが悪霊につかれたものだと悟るようになったのです。皆様、本当に困難を受けている人に会ってみたことがありますか? これだから困難に会うということを知るようになりました。聖書が正確で、これだから、イエス様がこういうみことばをなさったということを知るようになったのです。聖書を見れば、サタンの力はどれくらいすごいか分かりません。ニューエイジチームにものすごく力を与えて、滅びるようにさせるのです。だから、愚かな人間は、ものすごく起きたことだけ見つめるのです。このサタンの力がどれくらい強いでしょうか、バビロン、ローマ、エジプトを強くさせて滅びるようにさせたのです。それで、私たちは強大国に宣教をしようというのです。こういう部分が目に見えてこそ、2番目のことが見えます。
 
・なぜ神様がキリストを送られたのか? その時になって理解できるのです。なぜキリストを送られたのか? キリストではなくては、霊的な問題が解決できないという話を理解するようになったのです。私は僧侶に確かにお話しすることができます。私は多くの宗教人に確かにお話しすることができます。その方たちが、今、悪霊に仕えているのです。しかし、聖書は悪霊を追い出す権威を与えると言われました。どれが解決策でしょうか? これは愚かな人でも悟らなければなりません。皆様、グッ(降霊術)をする人々が悪霊を呼びます。先祖供養をすることは悪霊をなだめることです。聖書には、悪霊を追い出しなさいと言われました。悪霊に勝てと言われたのです。どれが正しいのでしょうか? 皆様、変な奴はなだめることも、たまにはするのですが、それで良いでしょうか? 泥棒が来たら、まず作戦を使うためになだめるのであって、巧みになだめていてもよいでしょうか? 悟るようにさせるか、監獄に送るのです。キリストをなぜ送られたのかが分かるようになるはずです。これが唯一の方法であることを知るようになるはずです。 'わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなけば、だれひとり父のみもとに来ることはありません。' 私はこの話が理解できました。
 
・釈迦という人はものすごく立派な人です。こう話しました。私は道ではないと言いました。道を探しなさいと言いました。釈迦がそのように話したのです。本当にたいした人です。下に従う部下たちが問題ですが、ものすごくすばらしい方です。釈迦はとても正しく話をしました。釈迦が述べた言葉もあります。ある日、イエスという人が来たら、私が悟ったことは、油がない燈と同じだと言いました。そのような予言までしたのです。たいした方です。この前、亡くなった僧侶が、こう話しました。私は道を探すことができなくて、仏教にいると言いました。私は道だけ見つけたら、仏教を離れると言いました。最高の僧侶が、こう話したのでした。私はその方が死んだ後に知りました。有名な人なので、参考にするために本を見て、知るようになったのです。
 
・だから、わたしは道であり、真理であり、いのちです。これに対する証拠を見せる道がたくさんあるけれど、最も早い道が、霊的な問題です。違ったことをみな置いて、最も早く証拠を見せるためには、悪霊につかれた 人をつかまえて、イエスの名前で、孔子の名前で、釈迦の名前で話をしてみるように願います。すぐに分かるでしょう。だから、練習してみるように願います。皆様、本当に悪霊が入った人が薬をのまないで発作する時があります。この時、イエス・キリストの名前で話してみて、釈迦、孔子の名前で話してみるように願います。皆様が驚くべき事が起きるはずです。聖書が、むだにキリストを送って、十字架に釘づけたのではありません。確かです。これは僧侶にも確実に言えます。皆様、精神が本当におかしな人の前で、釈迦、孔子の名前で話せば、殴られて死ぬこともあります。それで、遠くからしなければなりません。ところが、私たちの学生達が台湾に行ってみたでしょう? この悪霊につかれた人が、学生達が来るのを見て知っていたのです。それとともに、うわごとを言いながらぶるぶると震えたのです。私たちの学生達が、話しもしなかったのに、来るのを知っていたのです。これは多くの証拠の中のひとつです。こういうものすごいことを信じないのに、どのように答えを受けるのでしょうか?
 
・そして、人間は私たちの運命を変えることができません。ここから解放させるとおっしゃいました。それでなければならないのです。そして、サタンに勝つことはできません。神様がキリストを送ってくださって、サタンのしわざを滅ぼすとおっしゃいました。こういう話は、聖書にだけあります。それは、他の宗教はみな違って、独善的にキリスト教は正しいという話ではありません。サタンを滅ぼした人が、イエスだということであって、他の宗教が正しい、違うという意味ではありません。皆様、どれくらい重要な部分なのか分かりません。この部分を悟れなければなりません。それから、自然に悟れる部分があります。
 
・三番目のことが悟れるようになります。この福音は、最高の祝福です。後ほど悟れるはずです。私たちの学生達はよく知らないのですが、時間が過ぎるほど分かるようになるはずです。それで、パウロはこういう告白をしました。途方もなく勉強を多くした、賢いパウロは、キリストの中にはあらゆる知識、知恵、宝が隠されていると言いました。私たちの学生達が、こう話せば異常ですが、パウロという人は、たくさん学んだ人です。もし困難が来てもかまわないのです。困難を全部、祝福に見る目が開くのです。パウロは監獄にいながら、聖書4巻を残したのですが、それがものすごく重要な聖書になりました。それが、エペソ、ピリピ、ピレモン、コロサイです。パウロが話す最高の真理が、この中に全部あります。パウロという人が、ヘブル書を残しました。これはものすごいユダヤ人に送るメッセージです。あなた達が一番尊敬する預言者が、問題を解決したのか? キリストが十字架を背負って問題を解決したのではないか? これがヘブル1章です。また、話しました。天使がどれくらいものすごいでしょうか? 天使が神様のお手伝いもして、みなするけれど、キリストぐらいすごいでか? むしろ、天使は私たちの使いではないか? キリストがなさったことは何か? あなた達が最高に尊敬する人はだれか? モーセではないか? モーセは律法を残して死んだが、彼が人間を救うことができるか? キリストがきて、モーセが言ったあらゆる律法を成就したではないか? それがヘブル3章です。パウロが説明するのです。祭司がする働きは何か? 血を流して、動物を殺すことしかしなかったではないのか? イエス様が十字架で血を流して、すべての問題を解決なさったではないか? どれが、正しくてよいことか? 至聖所に入っていきながら、犠牲のいけにえを持って入っていくのに、そのようにする必要がどこにあるのか? 十字架で全てのものを終えたではないか? それがヘブル9, 10章です。それとともに、ヘブル11章に、信仰の英雄を説明しました。この人たちが、何を信じたのか? 来られるメシヤを信じないのです。それでヘブル12章で、私たちはこれからキリストを見上げるのです。これがパウロの説明です。こういう悟りが来ます。このようになれば、祈りの答えが来ます。
 
・あなたがたが今日、神様の恵みで悟ることを希望します。それとともに、重要な結論が出てきました。今日の本文です。皆様が今日、これを堅く捕まえなければなりません。神様の子どもになった瞬間、権威が与えられるのです。今日ここを見ると、弟子を呼んで、すぐに悪霊を追いだす権威を与えられたと言われました。今日の1節を見ると、病気を直す力を与えると言われました。そして2節に '神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。' 驚くべきことです。こういう祝福が、私たちに実際に与えられたのです。皆様がこれだけできれば、信仰生活ができるのです。イエス様の名前で悪霊を追い出す権威を与えたという話は、あらゆる霊的な問題に勝つことができるということです。イエス様の名前でずっと祈ったところ、病気の者がよくなったという話は、神様が力でご一緒におられるということです。
 
・皆様、神様の国が伝えられるということは、相当な話なのです。皆様、国という言葉を知っているでしょうか? 8月 15日は光復節です。何を言うのでしょうか? 国を取り戻したということです。うれしくならざるをえないことです。それが光復節です。日本の人が韓国を奪って行ったのですが、韓国がその日、取り戻したのです。戦争もして、色々なことがあったのですが、日本で8月15日に解放を宣言したのです。当然のことです。なぜ韓国を連れていって、しもべにして、私達が植民地になっているのでしょうか? 反対に、日本の人が 私たちにきて、しもべのようにして植民地になれば良いでしょうか? それで解放させたという意味です。それで、なくなっていた国が回復されたのです。これが肉体的にもそうです。国を話す時は、国民があります。国を話す時は国土があります。国を話す時は、指導者があります。このようにして成り立つことが国です。私達が指導者で民なのに、国土がないならば、回って通わなければならないでしょう? すると、避難民です。国が 形成できないのです。土地もあって、みなあるのに、民がなければ国にならないのです。こういうものが回復 されることが国です。今日、ここには神様の国のことを話しています。なんの話でしょうか? 今は、行く所ごとに神様が臨まれて、聖霊が臨む神様の国を意味するのです。より重要な話は、今は暗闇に奪われたことを取り戻したということです。より重要なことは、皆様の家系と皆様を占めていた暗闇の勢力が、みな逃げてしまったのです。これを伝えなさいということです。どれくらいすごいことでしょうか? これは、いつ与えられたのでしょうか? 信じる瞬間です。
 
・皆様の姓がキム氏ならば、 いつなったのでしょうか? 生まれるやいなや、なったのではないでしょうか? 途中で、よくなってキム氏になったのではないでしょう。私は米国人が本当に不思議です。なぜ嫁に行けば、姓をなくすのでしょうか? 本当に悪い国のようです。姓をなくせば良いでしょうか? 米国人は、ものすごく良くしてあげるふりをしながら、姓をなくして、存在をなくしてしまうのです。米国に行ってみるように願います。申し訳ない程です。男の人がエレベータに先に乗ることはありません。女の人が乗るのを待ちます。あなたがたのようにすれば、米国では礼儀知らずと言われます。女の人が車に乗れば、当然にドアを開けてくれます。そして、奥さんにいつも愛していると告白します。分かれる時も愛すると言うのです。冗談のようです。どれくらい告白をするか分かりません。そして、ぶさいくなのに、美しいと言います。この人達の習慣なのか、本当なのかは知らないのですが、いつもそのように言います。荷物も必ず男の人が持ちます。韓国の人々が米国に初めて行くと、変に見えるらしいのです。女の人が子どもを背負って、荷物を持って行き、男の人はそのまま歩いていくので、外国の人々が変に見るのです。今はそうではないのですが、むかしにはそのようにしました。男の人が、そろそろ行くと早く来いと言います。すると女の人は、汗を流しながらついて行くのです。本当に、むかしの女の人は、善良でした。今、そのようにすれば大変なことになります。今、若い青年達は、朝に奥さんにご飯を作ってもらったら、本当に勇敢な人だと言います。外国は女の人に本当に良くします。そのようにしておいて、姓を変えるのです。この人たちは、完壁に悪い人だという気がします。エステルも、エステル・チャンではなくて、エステル・パクです。夫がパク氏なので、変えたのです。どんなに考えても理解ができません。姓もそのまま持っていなければならないのです。いつから姓を受けたのでしょうか? 生まれた時から受けたのです。
 
・イエス様が、弟子たちが救われたとたんに、神様の子どもになる特権を与えられたのです。私はここで相当なことを悟りました。ある日、私が勇気が起こったのです。私は神様の子どもになった権威があるのです。私は、むかしにこういう考えをしました。40日断食祈りをすれば、力が生じるかと思っていました。全くそうではないということを知りました。それはもう一つの話です。不思議に牧師、副牧師たちは、そのように教えるのです。自分が40日断食祈りをして、山で祈りながら木の根を抜いて、力が生じると話すのでした。事実、厳格に正せば、聖書にそのような話しはありません。私は3日も断食できないのに、40日をどのように断食できるでしょうか? 私は3日だけ断食しても、力がなくなるのです。3日だけ断食して、祈っていたら、ラーメンを思い出して、多くのことを思い出すのです。そして、木をどのように抜くのでしょうか? 私は幼い時からそのように知らされたのです。私達がムダン(霊媒師)式に、宗教式に習ったのです。私は本当にそのように表今した。私達は、なんにもしなくて、山の中に入っていって、何日か祈ると力を受けて降りてくるのだと思っていたのです。だから、女の人たちが山に登れば、家にも帰ってこなくて、喉がかれて、男のような声を出していました。そうでなくても気味が悪いのに、男の声まで出すので、どれくらい気味が悪いでしょうか? 私はキリスト教をそのように思っていたのです。聖書を見ると、そうではありませんでした。呼ぶやいなや、神様の子どもになったのです。そして、悪霊を追い出す権威が与えられたのです。わたしの名前で祈りなさいと言われました。病んだ者をなおすと言われました。
 
・私は生まれるやいなや、姓が柳氏です。生まれるやいなや、すぐに神様の子どもです。ところが何の問題があるのでしょうか? この時から、私に確信がきました。患者を見て祈りをしました。すると、癒しの賜物は何でしょうか? それは、別の話です。それを持って本格的に福音を伝える人を言うのです。あらゆる人には、全く同じ権威が与えられたのです。それで、私が私たちの教会に初めてきたのです。きてまずイエスの名前で祈るようにしたのです。金曜日に集まって祈りをしたのです。ところが、不思議に福音が宣べ伝えられた所に、癒されるみわざが起きるのです。ここに座っていらっしゃる方達が、ほとんど証人です。ある人は死ぬ病気になったのに、メッセージを聞いて祈る中に癒されたのです。私が信じられない程でした。どのように癒されたのか分かりません。癌になった人は、覚悟が違いました。祈って死ぬということでした。ある日、この人が癒されて証しをするのに不思議だという気がしました。これがどのようなことなのか理解ができない程でした。神様は、信じる者に驚くべき特権をくださったのです。
 
・皆様、私達がこれを高慢にするのではなくて、謙遜に回復しなければなりません。私たちは、これを持って異常にするのではなくて、この契約をのがさないで、味わうのです。今日、皆様がこの祝福を回復することを 願います。今日の本文9章3節に '旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません。' これが何の話でしょうか? 私は今、米国に行くために、服を三着入れました。ここに見ると、なんにも持つなと言われました。お金、財布もみな捨てろと言われたのです。何の話でしょうか? 全く心配するなという意味です。神様の子どもが伝道をしにいくのに、何の心配があるでしょうか? 心配するなということです。
 
・ 7〜9節を見ると、このような事が行われています。この話を聞いて、ヘロデ王が驚いて、無知なようにとまどったのです。エリヤが生きてきたのか? ヨハネが生きてきたのか? バプテスマのヨハネがよみがえって、このようなことがおきたのかと話します。これが未信者と知識人と世の中の人々が知っている知識です。キリストに対して知らないのです。あなたがたは、必ずこの契約を捕まえて信じられれば、本物の答えがきます。皆様が答えを受ければ、異なるはずです。それで、私たちの学生達はかまわないのですが、おとなは一番注意すべきことがこれです。自分の体質通りに信仰生活をするのです。これだけ変えれば、働きが起きます。学校の先生を長くした人は、教会ではよく教えることができます。この方たちは、注意しなければ、長く信仰生活をしながら、役員になればそのような方法でしようとするのです。悪いことではないのですが、神様の力はより大きいはずです。また軍隊生活を長くした人は、良いことでもあるのですが、そのような方法で教会をしようとします。教会は軍隊式でもありません。神様の力は、はるかに大きいのです。私たちは、こういうことをどんどん知らなくなるのです。自分の職業、体質通りに信仰生活を見るのです。今日、ヘロデ王が自分の体質通りに見たのでした。エリヤやヨハネがよみがって来たかのように思っているのです。そして、うわべで起きたことを見て、うろたえたり、その人が誰なのか見ようとしたりしたのです。普通、年を取れば、そのようになります。私達が真理を知っていても、途方もないことを見ることができないことが、私の枠のなかで見るためです。
 
・だから、田舎に行ってみると、収入が一ケ月に千円くらいになるおじいさんが、たくさん集まっているのです。その人々は、その水準で、いつも教会生活をしようとして、神様をそのように見るのです。そのようにしてはならないのです。皆様が最も注意すべきことがそれです。社会生活をしていれば、経験があるゆえに良い ことが多いのです。しかし、その枠のなかで神様を見ようとすれば、問題がくるのです。私達が世の中を生きていると、年を取って、経験もあって、多くの良いものも持つことができます。一つだけ注意すれば良いのです。それを持って神様を見ようとしてはならないのです。私たちの経験が悪いのではありません。ある人は、ジャーナリスト、事業家、教育者、法律関係者がいますが、こういうことが全部、良い経験です。しかし、ひとつだけ注意すれば良いのです。神様は、それ以上です。神様は、私たちを生かす事もでき、殺すことができるのです。神様の祝福と力は途方もないのです。
 
・こういう部分をおとなが少しだけ知っていれば、恵みを受けます。それをガラテヤ2:20と言うのです。'私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。' すごいことではないでしょうか? このようになれば、死んだのではありません。新しい角度で見るようになるのです。今日、皆様に重要な問題が生まれる時ごとに、イエスの名前で祈るように願います。偶像崇拝を多くして、霊的な問題を持っている方達は、心配しないように願います。
 
・しかも、注意すべきことがあるのです。皆様、こういう問題を全く知らずにいる人がいます。新しく見ることを望みます。こういう問題を全く知らずに勉強をして、医者になりました。皆様、その人が病院にくる前に、目に見えないで、ものすごく霊的に苦しめられてから来たのです。これを見る目がなければならないのです。こういうことを経験もできなくて、生きてきた人もたくさんいるのです。だから、幼い時から着実に勉強して、中、高、大学を卒業したのです。そして、司法試験を受けて、合格したのです。そのような人々は、全部、誠実です。判事、検事、弁護士になるでしょう。精神がおかしな人が想像もできない事を行うのです。この部分を理解できなければ、その人に対して真の対話が出来ないのです。
 
・先週、ハーバード大学の教授一人が賞を受けるために来ました。この人は、米国人です。ハーバード大学の教授です。専攻が韓国学研究です。だから、とても貴重な方です。韓国語をとても良くできます。何歳なのかとたずねました。甲申年の生まれだと答えました。私は驚いたのです。昨年、還暦になったと言いました。それほど韓国語が良くできるのです。韓国だけ研究して教える人の中で、最高の権威者です。その方に私が重要なメッセージをしました。今、教授はこういう部分を文化として見たのです。正しい話しですが、その後に起きる霊的問題に対して研究するように願うと言いました。それを事実通り研究して、あなたがすれば、ものすごい事になると言いました。わかるのでした。とても賢い方でした。長い話しをしなかったのに、わかるのでした。今、偶像崇拝をする文化人の積極的な面だけ見ず、暗い面も研究することを願うと言いました。今までは、積極的に良い面だけ研究したためです。ほとんどすべてが、苦しめられています。ほとんど大部分が、深刻な病気があります。研究してみて、明らかにすることを願うと話しました。ほとんどみな、こういう部分を知らずにいるためです。皆様がこの部分を知って、祈れば、本物の答えが来るはずです。私は皆様に聖書にあるみことばそのまま、本物の答えが来る事実を必ず捕まえるようになることを希望します。全世界にこういう部分の目が開くことが宣教です。それで、宣教、伝道をするという事実を知るようになるはずです。
 
・私は長い間、信仰生活をしました。とても幼い時からしたのです。私は外で伝道現場を見る前には、こういう事実を知らなかったのです。たぶん、キリスト教の歴史上、初めてのことでしょう。私たちタラッパンには、ムダン(霊媒師)だけ 500人以上が帰ってきました。これは他の所では、簡単に探せないことです。聖書にあるそのままの答えが来ているのです。他のおかしな宗教に陥って、帰ってきた人々も多いのです。寺の僧侶がなん人か帰ってきました。この方たちが、福音を受けて、全てのものを捨ててきたのです。私はこれを見ながら、福音の秘密は大きいという事実を確認するようになったのです。
 
・今日、皆様が本当にこの契約を捕まえて、答えを受けてくださることを願います。皆様、救われるやいなや、神様の子どもになる権威が与えられたのです。救われるやいなや、霊的な問題を解決できる権威をくださったのです。皆様、救われるやいなや、神様の力を体験して、人を生かすことができる権威をくださったのです。皆様の重大な使命は何でしょうか? 神様の国がなされるようにすることです。そして、最後に本当の神様の国へ行くのです。それを早く悟らなければなりません。すると、祈れば答えがくるはずです。このことをどのように説明しなければならないのでしょうか? 私たち学生達は、それゆえに勉強するのです。皆様が成功して、こういうことを話せば通じるのです。
 
・この頃、驚くべき事が起きました。他の人がサタン、悪霊の話をすれば変に見るのです。ところが、合同側の最高の神学者が、これを本格的に話し始めたのです。だから、韓国教団でその人ぐらい習った人がいないのです。悪霊、サタンとの戦いについて本を出したのです。この人が話すので、誰も口に出して言えないのです。それを見ながら、私たちレムナントが正しく成功して話せば、これが通じるはずだという気がしました。皆様が今はこれを証明するために、大統領府、国会、学校に入っていくのです。これを証明するために、勉強するのです。これより重要なことがあるのでしょうか? それで祈るように願います。世界宣教大会が、こういう意味で行われています。
 
私達には、祈りの課題がもう一つあります。今、していない人はみな参加ように願います。宣教師にもお願いしました。可能ならば、経済を節約してくださいと言いました。行く人にみな話をしたのです。行く人、入る人、全部、手弁当を持ってくるようにと言いました。そして、一銭でも集めて、共同体訓練場を用意するのです。私たち学生達が、信仰生活を正しくできる目を開けることができる訓練場が必要です。参加していない人は、信仰で参加するように願います。これが今年の宣教大会の答えです。学生達があちこちで信仰生活を正しくできる場所がなければならないのです。それで一時代を生かそうとしています。より重要なことは、今日、この契約を捕まえて答えを受けることを希望します。皆様の隠れた問題が解決する重要な日になることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日重要な霊的な目が開く日になるようにしてください。事実を見る目が開くようにしてください。未信者たちが、偶像と悪霊文化に陥る事実を見るようにさせてください。それゆえに各種の占い、偶像、あらゆる宗教に陥って死んでいく者を生かすことができる目を開けてください。より重要なことは、この権威で祈り、答えを受けるようにさせてください。真の答えを受ける祝福の日になるようにしてください。すべての聖徒達に新しい答えの門が開く、貴重な日になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ すべての国々がご自分のもの
(詩82:1〜8)
 
・すべての国々がご自分のものという賛美をしました。一度は、忠清道に行きました。夕方に時間がちょっと あって、釣り場で釣りをしようかと考えたのです。お金を出してする釣り場です。食堂もありました。私は何の装備もなかったので、ある家に行って装備を買って釣りをして夜に寝ようと考えて行ったのです。他の人が釣りをしていました。ところが、主人のおじさんが私を見たのか、見ていないのか、5分もいたのに、何の話もしませんでした。私は確実に、私が見えなかったのだと思って、おじさんと言って挨拶をしたところ、はいと答えました。私が釣り竿が必要だけれど、買うことができているかと尋ねたら、何か話をしたのに、よくわからなかったのです。結局は、買えないということを話したのです。それを話すのに、15分もかかりました。私たちの性質では、忠清道にいることはできないなと思いました。それで他に行ったのです。男の人がいたのですが、この人は、すこし早かったのです。自分は京畿道の人間だけれど、自分も初めには苦しくて、死ぬかと思ったということでした。住んでいたら、かまわなくて、自分も今は遅くなったということです。そのようなのかと言って通り過ぎました。光州に行けば、人々が少し早いのです。高級レストランに行けば、似ているのですが、周囲の近い食堂に行けば、住民の心がわかります。
 
・一度は、行って食事をするのに、千円と少しする食事でした。私がどんなにさがしても、小銭がなかったのです。それで一万円の小切手しかなかったのです。それで、おばさんにすまないと、一万円の小切手を出したら、小銭がないと言われました。釜山ならば、変えてくれるのですが、小銭がないからだめだと言われました。既に食べてしまったので、どうするのでしょうか? それで、おばさんに私は、ここずっとここに来るから、次にきて食べると一万円の小切手を渡したのです。おばさんは、ぐずぐず言っていたのですが、紙に何かを書いてくれました。一万円の小切手を出して、千円と少し食べて、いくら余ったという証拠で書いたのです。その 紙をポケットに入れていたのですが、なくしてしまったのです。その次に、また行ったら、おばさんは私をわかることができなかったのです。私が紙を出せば、また食べられたのですが、結局は、千円と少しのご飯を一万円で食べたのでした。それまでは良いでしょう。
 
・先週に、また光州に行きました。かばんに化粧品がなくて、何もなかったので買いに行ったのです。みな選んで入れたら、三千円くらいになりました。また小銭がなかったのです。私はいつも秘書を連れて通うので、お手伝いをさせることが習慣になって、小銭がありません。また一万円の小切手を出したのです。主人夫婦が、小切手を詳細に注意深くみていました。そして、身分証はあるのかとたずねたのです。服を着替えて来たので、身分証がないと言うと、小切手を機械に入れて見たりしました。そして、結局はだめだと言いました。それで、私が身分証を持ってくると言ったら、そうしてくださいと言いました。それでホテルまで行って、服から身分証を取り出して、そこで私がお金を変えたのです。それを持って行って計算をしました。申し訳ないと言いました。申し訳ないことはないと言いました。光州は、大都市なのに、あまりに田舎っぽいと言いました。ここには外国人もたくさん来るのに、このように田舎で良いのかと、人はちょっと目を覚ましていなければ、これで良いのかと話しました。私が少し前は、千円ほどのご飯を食べて、一万円を出したと言いました。言わば、夢から覚めなさいと、ご飯を食べた話もして、薬局も9時に戸を閉めて良いのかという話もしました。そうしたところ、何を買いに行ったのですかと尋ねたので、皮膚にちょっと塗るものを探していると言ったところ、自分が使っていたものを出すので、私が5百円を渡して買いました。ソウルにいるのに行くから、田舎っぽいと感じられたのです。
 
・あとで釜山にきて見れば、また違います。釜山の人々は、食堂に入っても、あまり言葉をかけません。大きい食堂に行けば分かりませんが、チーフが挨拶したりもしません。また大邱に行ってみると、大邱の人々は怒っているようです。説教すれば絶対に笑いません。前の席には、牧師たちが座っているのに、説教すれば、しかめ面をしています。そうしたあと、笑いが出てきたら、こらえるのです。このように差が出ます。ソウルに行けば、またそうではありません。ところが、私がそうではないということを知りました。ソウルに行けば、むしろ、ここからも集まって、あそこからも集まって、にせ物が多いのです。大邱、全羅道、忠清道に行ってみると、人々がちょっとのろいようですが、にせ物はありません。ソウルには人が多く集まるから、にせ物がどれくらい多いかわかりません。そのようなことを見たら、私がどんなにソウルを通って、全国、世界に通っても、私も田舎者です。とにかく、写真館で写真だけ撮るのに、私は印象が良いと考えるのに、いつも行けば、笑いなさいと一時間、話します。少し前にも、中、高等部のチームで10分程インタビューをしました。このお嬢さんが、先生、ちょっと自然にしてくださいと言いました。その話は、私が自然ではないと、自然にしてくださいということでした。たびたび強調して、リラックスしてくださいと言いました。それは、私がリラックスしていないということです。なぜそうなのかと考えました。
 
・長く生きてきて、私たち釜山の人々は、生活習慣があります。私たちは、育ちながら良いものがあっても、良いという表示をよく出さないのです。米国の人々は、小さい贈り物をもらっても、ありがとうと言います。私たち韓国の人々、特に釜山の人々は、こういうものをなぜ持ってきたのかと言います。ものすごく喜びながらもです。この頃もそうであるのかは知りませんが、私たちの幼い時はそうでした。そして子どもをほめたり、娘が本当にかわいいと言ったりすると、この頃はありがとうと言います。ところが、釜山の人々は、娘がかわいいと言うと、格好だけかわいくてどうしますかと言います。こういう方法があいさつです。それで、元々そのように表現をしてきました。表現をよくできずに、隠すのです。以前にも私が話したのですが、パク・チオン牧師の奥様を見ると、とても人が良くて、牧師先生に奥様が本当に良い方だと話したのです。私が見た女性の中では、本当に女らしい方で、人がとてもセンスあって静かだと言いました。私たちはありがとうと言いますが、女はみんな枯れて死んでしまいましたかと言います。気分は良いのに、そのように答えるのです。息子が贈り物を買ってくても、ありがとうと言えば良いのに、なにをしようとこういうつまらないものを買ったのかと言います。ところが、私達がそのように育ってきたのです。私たちは何んでも譲歩して、親が何か言うと、かまわないとして、誰が何を与えてもかまわないとして育ってきました。今の子ども達は違います。くださいと言って、誕生日がいつで、何をくれるのかと言います。私たちは幼い時、贈り物をあげれば、必要がないと言いました。私がなぜこういう話をするのでしょうか? 時代、地域の話しをなぜするのでしょうか?
 
・私達が本当に悟って感謝するということは、表現、顔に出ることではありません。私達が本当に神様の子どもの祝福を味わうという話は、別の話なのです。しかし、私は皆様に、信仰人は3つのことがなければならないと考えます。信仰人には、真の喜びがなければなりません。表情がどうであっても、真の喜び、そして、真の感謝、その次には、真の賛美。この三つが信仰人にはなければならないのです。ところが、聖書に見れば 'いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい.' 私は、この三つが難しかったのです。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。ところが、ある日、理解でき始めたのです。いつも喜んでいなさいということは、私達がいつも喜ばなければならない理由があるということです。私がどのようにいつも喜べるでしょうか? しかし、明らかなことは、常に喜ばなければならない理由があるのです。絶えず祈りなさいということは、絶えず祈りはできないけれど、神様が休まないで私たちに答えられるということです。それで、すべてのことについて感謝しなさいということは、神様は私たち信じる者に、時間が経つほど、良いことだけを与えられるから、こういう事も感謝、あんな事も感謝しなければならないのです。ヨセフにはお母さんが早く亡くなってしまいました。それも感謝です。兄たちが、ヨセフをそれほど手助けしなかったのですが、それも感謝なことなのです。そして、ヨセフがくやしい事をたくさんやられたのですが、それも感謝したのです。この話だな! 私はそのように知るようになったのです。
 
・それで、未信者が話す喜び、感謝、賛美とは違うのです。未信者は、喜びということが何か、どこか遊ぶ所がないかと通うのです。どこかおもしろいことはないのか、どこか楽しいことはないのか、このようにずっと 探すことが、未信者が話す喜びです。そうしたあと見れば、誰かが手助けするはずです。すると、ありがたいと言うはずです。こういう感謝の水準です。そうしたあと見ると、歌を歌って、遊んで、時間を送るのです。何がそんなに楽しいでしょうか? ところが、楽しいことのように遊びます。どれくらいかわいそうでしょうか? 本当に人々が、あのように遊ぶのを見て、あのように遊ぶ理由があるのか?と思います。私たちは違います。私たちに喜びという話は、私達がなにかを正しく見て、知っているということです。私たちは、神様の愛を受けて、救いの秘密を知っているのです。ですから、喜ぶ理由があるのです。私がこれを持っているために、感謝することができるのです。私は知っています。皆様がこれから、時間が経つほど、神様が良いことを下さるはずです。それは感謝なことです。それで、この祝福を味わうことが賛美です。私たちは、この3つのことを回復すべきです。真の喜び、感謝、賛美です。似た話のように見えるのですが、喜びということは、私がすでに見たことを話します。何か、見たことがうれしいのです。私たちは、常に喜ばなければならない理由があります。 そして、私と皆様はすべてのことについて感謝しなさいという話を知っていて、その内容を持っています。私たちは、本当に賛美しなければならないというのは、賛美の理由を知っているのです。この話は、歌をたくさん歌って、口で感謝を多くして、いつもにこにこ笑って通うという話ではありません。それで、私が序論で、おかしな話をしたのは、私達がうれしいと、にこにこ笑って通ってこそうれしかったり、いつも口で話してこそ感謝したり,、いつも私達が歌を歌って通うからといって賛美ではないということです。私たちには、本当にこれが回復できなければなりません。神様の子どもになった祝福を、私が知っているために、喜ぶことができるのです。時間が経つほど、神様が私たちを導かれて、答えてくださる驚くべき祝福を考えるから感謝するしかないのです。これを私が味わっていれば賛美するのです。本当に感謝することです。
 
・今日、この中で2番目は、賛美です。皆様が賛美を回復する祝福があることを願います。なぜならば、歌と賛美は違うのです。早く捕まえなければなりません。天使が堕落して悪魔になったということを知っているはずです。その天使が、元々賛美を担当した天使だったということを、皆様が知っていればよいのです。それで、音楽をする人々は、大きい祝福を受けた人なのですが、福音を知っていればそうで、福音を知らない時は、霊的問題がきます。それで、みな個性を持って生きているでしょうが、時間が経てば経つほど、霊的問題がくるのです。そのように見る時、福音を知っているあなたがたが、どれくらい感謝でしょうか。それを必ず記憶しなければなりません。信仰に成功した人々は、全部、賛美の人でした。皆様がよく知っている通り、マルティン・ルターという人は、作詞、作曲をする程です。皆様 "主は強い城です。砦であり盾だ.." これが ルターが作った歌です。それを見る時、ルターは賛美だけ上手にしたのではなく、実力だけあったのではなく、この人には相当な何かがあります。パウロもものすごく賛美、賛美という言葉を多く使いました。皆様、おわかりの通り、ダビデが賛美の人です。ダビデが立派な将軍で、有名な王であっただけでなく、一人でいたら、詩が出てきて賛美をしました。楽器を扱う人でした。今日、あなたがたは本当に喜び、感謝、賛美を回復すべきです。
 
・私は率直に、皆様に以前に話したことを思い出しますが、私はむかしに賛美が回復できませんでした。賛美 を歌う理由は知っていたのに、賛美ができませんでした。聖歌隊も見る時、賛美する時間が、相当な時間です。その時間も私たちは下手すると、違ったことを考えるのです。私たちは、賛美する時、神様にいっしょに賛美する心で祈らなければならないのに、下手すると違った考えをします。指揮者を見て、今日の指揮者がどうだな、今日の賛美は上手にやるんだなというようにするのです。私たちは、普通、聖歌隊を見て、今日、誰が来たなあ、来ていないなというようにします。今日、聖歌隊では、私たちのキム・チュリ執事の場合は、モーションを大きくする指揮者だな、こういうことを見つめるのです。私たちのパク・キブン指揮者の場合は、それほど動作は使わなくて、静かにするのだな。また、オ・チャンホ指揮者の指揮を見れば、隊員は違うのに、一人で没頭するのです。私が見た時、一緒に没頭すれば良いと考えました。各々、特徴がみなあります。また米国へ行ったリ執事は、からだはじっとしていて、手だけ力強く揺さぶるのです。みな自分自ら特徴と実力があります。全く同じく音楽をする人々なのに、みなあのように違うんだな。私は毎日、そのようなことを見て、神様の前に賛美することを忘れてしまうのです。そして、賛美する時間に賛美ができなければならないのに、それができなくなるのです。私はそうでした。それが普通の問題ではありませんでした。私がある日、ある人が証ししながら賛美を歌ったのです。どれくらい賛美が私たちの告白で、どれくらい良いでしょうか。一人、私がどこにいても、一人でいる時、定刻の祈りで礼拝する時、賛美をしました。本当に不思議にそれほど良いことがありませんでした。これが賛美だな! 私達が本当に喜びと感謝、賛美を回復しなければなりません。今日から、あなたがたがこの祝福を本当に回復して、定刻の礼拝を回復して、賛美を回復することを願います。
 
・皆様の周囲に暗闇の勢力が退く最も早い方法が、祈りと賛美です。福音を持った人が賛美する時は、相当なみわざが起きます。これを必ず記憶しなければなりません。無条件に騒々しく賛美を歌うのではなく、本当に 福音を持った人が賛美する時、霊的にどんなことがおきるのでしょうか? '賛美の中に住まわれる主よ' と言われています。ダビデが賛美した時、サウル王宮の悪霊が離れた事実、パウロがピリピの監獄で賛美した時、奇跡がおきたという事実、ムーディー、ルターのような有名な伝道者が、賛美で神様に栄光を帰したという事実。ですから、私達が個人的に喜びと感謝、賛美を回復しなければなりません。その中で、賛美は本当に霊的な部分と関係があります。みなそうですが、賛美がそうです。特に今日の本文の背景を見て、私たちは祈りながら課題を握って終えるべきです。
 
・今日の本文を見れば、82篇にアサフの詩と言われています。知る必要があります。アサフとは誰かというと、言わばダビデの弟子です。ダビデは賛美の人です。ところが、ダビデがどの程度、賛美を専門的にしたのかというと、楽士三名を連れて通いました。今から私のメッセージを聞いて想像してみましょう。専門的に楽器を扱う人を三名、連れて通ったのですが、その中の一名がアサフでした。このアサフは、レビ族で預言者でもあります。ダビデが聖歌隊を構成して、その後にエルサレム神殿を建てて、聖歌隊長をしたということです。そして、イスラエルが後ほど滅びた後、また帰ってきて、エルサレム神殿を再建しました。その時、エズラ3章を見れば、アサフの子孫が賛美をしたとなっています。単純に歌を歌うことで終わったのではありません。ダビデは単純に賛美で終えたのではなくて、何か重要なことを繰り広げたのです。賛美を持って、神様の前に大きい栄光を帰す事をしたということです。皆様は記憶しなければなりません。これは私達が単純に救われて、感謝なこともあるけれど、何かをできる重要な答えがここに入っています。多くの方達がこのように話します。不思議に全く同じく奉仕をするのに、長老は、いつも苦労だけします。私は長老たちに食事を接待したいのに、長老たちが食事の接待もみなするのです。福音のためですから、天に行けば報いが一番大きいでしょう。諸々の誤解も受けます。すこし下手すると、いろいろな言葉も聞くようになります。これくらい役員、長老たちの責任が大きくて重いのです。福音がないならば、とても難しいのですが、福音を持っているゆえに、皆様は最高の祝福を受けるようになるはずです。なぜそのように、奏楽者や指揮者は交通費のお金を与えるのでしょうか? 信仰が良い人々が、そのような質問をします。その良い技術で神様に栄光を帰せばよいのに、交通費をなぜもらうのかと質問する人々が、むかしから多いのです。私が良い技術で伴奏すればよいのに、たくさんも与えないのに、受ける必要があるでしょうか。また指揮することが、どれくらい感謝なことなのに、それでお金を受け取ろうとするのが異常なことではないのか、万人祭司でみな救われた人々なのに、なぜその人々だけそのようにするのか? こういう質問を、私が以前から多く聞いています。ところが、その質問をする人々はみな信仰の人々です。私たちの信仰良心で見る時は、正しいことだと思います。みな全く同じく奉仕して、神様に仕えるのに、交通費をもらったり、お金を受けたりするのでしょうか? 私はその話しが信仰的に正しいと考えます。しかし、一つ参考にすべきことがあるのです。その話しと私達が聖歌隊を育てて世界福音化をしなければならないという話しとは違う言葉です。その理由が、聖歌隊も育てず、音楽家も育てず、今後オペラもさせず、ミュージカルもせずに、その話しとは違うのです。時には重要な人物を育てるために、つかんでおくために、私達が少しの誠意で挨拶するのであって、その人々に代価で与えるのではありません。
 
・なぜ、わざわざ音楽の分野にそうするのでしょうか? ダビデが楽士三名を連れて通いました。そして、ダビデがすでに王になって、神殿を建てる前に、聖歌隊の構成員の中から、聖歌隊長を選んだのですが、その人がアサフでした。だから、簡単な話ではありません。あなたがたが、なにか祈りの方向を握らなければならないのです。それで、私たち音楽をする人々や、多くの賛美する人々が、なにか新しい貴重な使命を捕まえなければならないのです。ですから、以前にも話したのですが、文鮮明という人はオペラ団を十個も作って、米国に入って行きました。それで、今、全国の牧師の子ども達、長老の子ども達、米国へ行ってオペラ団に入っていかなければならないから、全部、統一教で賛美するのです。どうすることもできません。今、このように文化の戦いになっているのです。ところが、ダビデが早くからこれを知っていたようです。普通の人ではありません。ダビデが早くから見て、すでに聖歌隊を作って、楽士を専門的に育てました。後ほど神殿を再建した後に、賛美したチームがアサフの子孫でした。本当に私たちの音楽をする方達、聖徒達、賛美しなければならない理由、こういう部分を正確に早く発見しなければなりません。
 
・聖書をよく見るように望みます。ものすごく重要なことです。今日、皆様に喜びと感謝、賛美が本当に回復することを願います。それが簡単な話のように見えるのですが、その中には多くのことがすべて入っています。いつも喜ぶしかない理由があります。私たちはすべてのことについて感謝するしかない神様の計画を知っているのです。私たちは祈る人であるゆえに、神様の前に賛美するしかない重要な答があります。そして、それで終わったのではなくて、私たちは賛美を持って、神様の前で働きを繰り広げなければならない重要な理由が、ここにあります。それで、このアサフの詩という言葉が、詩篇に見れば、何回も出てきます。この人が何と話したのか知っているでしょうか? '弱い者とみなしごとのためにさばき、悩む者と乏しい者の権利を認めよ。' と言いました。なにか意味があることを話さなかったでしょうか。神様を賛美することがない多くの人々に対する心を痛める心です。それとともに、8節には 'すべての国々はあなたが、ご自分のものとしておられます。'と言いました。賛美するしかありません。すべての国々が主のものです。皆様、これから良い生活をしてみたいでしょうか? 皆様の重要なことが、神様の御手にあるということを知っているでしょうか? それなら、私たちは主を賛美しなければなりません。皆様の未来と皆様の子孫と皆様の家庭が、神様の力ある御手にあるということを知っているでしょうか? それなら、私たちは主を賛美しなければならない理由があるのです。絶対に動物は、礼拝を捧げることができません。人間は主を賛美するのです。
 
・皆様、犬がどれくらいIQが高いでしょうか? 礼拝をささげることを見たでしょうか? 犬がにおいをかいで麻薬をみな捜し出します。皆様、猿がショーをすること見たことがあるでしょう。皆様よりはるかに良くします。私は猿を見て驚きました。ボールを回して、あらゆることをします。それでも、猿が礼拝することを見たでしょうか? 絶対に、人間だけが神様を礼拝できるのです。それがものすごい特権です。神様を賛美しましょう。こういう祝福が皆様に本当に回復できるように願います。救いを真に受けたなら、実を結ぶことをガラテヤ5:22-23に出てきました。 9つの実が出てきたのです。しかし、三つに区分できます。聖霊の実、このように出てきて、愛、喜び、平安。神様に対する実です。神様の愛を受けたゆえに、喜びと平安が生じるのです。その次には、寛容、親切、善意です。人に対する実です。誠実、柔和、自制、自分自身に対する実です。こういう聖霊の実が出てくるようになるのです。今日、皆様、私たちのレムナントもここにいます。素晴しい信仰人になることを願います。神様の前で、また未信者が見る時も、そして、あなたがたが教会でも素晴しい信仰人、そのような祝福を受ける信仰人となることをイエスのお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私達が多くの訓練、修練会を終えました。私たちに真の喜び、感謝、賛美が回復するようにさせてください。アサフのような賛美の人になるようにさせてください。ダビデのように、答えの人になるようにさせてください。私たちの聖徒たちが、素晴しい聖徒になって、神様に栄光を帰すようにさせてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン