2004年9月19日インマヌエル教会聖日メッセージ
1部/ 弟子たちの関心と答え
(ルカ9:43〜48)
■日本は、私たちより国民所得が3倍程あります。ところが、日本の駅に行ってみると、ホームレスがものすごく多いのです。それで、貧いからそうなるのではなく、霊的な問題なのです。ところが、この頃、学生達が家をたくさん出てきています。この学生達が駅に箱を置いて、寝ているのです。東京の教会に行く途中で見れば、ホームレス一名が、車に乗る時に待つ所の近くで、必ず寝ていました。私がいつも行く時ごとにいたのです。通り過ぎながら見たら、自転車もあって、服も整理されているのです。たとえホームレスでも、整理をしていたのです。一度は、タイムズ新聞もありました。ホームレスが英語も知っているのです。確実に、日本のホームレスは、水準が高いという気がしました。この頃は、行ってみたら、そのホームレスがいません。いっそのこと、ホームレスが座る場所をなくしてしまったのです。それで、他に宿替えしたようです。
■ 私が大邱集会を終えて、釜山の駅に来たら、必ずホームレスがいます。ホームレスが集まって、もらったのか、拾ったのか、盗んだのかは知らないのですが、食べているのでした。一度は、車を待っていたら、ホームレス2名が鶏を煮ていました。食べようとして、悪口を言っていました。簡単に話せば、一緒に食べる人一名が来ないということでした。ところが、来ていない人が親分だったのです。ホームレスにも序列があるのでした。来ないので、待っていたのです。親分が現れたので、悪口をそれまでにして、一緒に鶏を食べていました。ホームレスにも序列があるのだなという気がしました。私はホームレスは、苦しくてかわいそうだというは気がしました。仕事をすれば良いのに、仕事をしないで、もらって食べているのです。もらって食べて回って、家を出てきた人は精神がすこし違います。家があるのに、出てきて外で寝るのです。なぜ出てきて寝ているかと尋ねたら、そのほうが楽だと言いました。そのような人が先進国にも多いのです。そして、食べ物も日が過ぎれば、スーパーで捨てるでしょう。それを拾って食べるのです。そのような方法で生きているのです。その人々を手助けすることも重要ですが、精神的な問題です。簡単に話せば、精神病です。どこかに捕えられたのです。私達の言葉で話せば、サタンに捕えられたのです。そちらから抜け出られないので、そのことをずっとするのです。かわいそうだという気がしました。
■ ところが、それよりもっとかわいそうな人がいます。生きようと苦闘して努力をするのに、どれくらい大変でしょうか? 成功するために苦闘するのに、良くならないのです。大統領になって苦闘するのを見ると、かわいそうだという気がしました。重要なことを一つだけ知っていれば良いのに、それを知らなくて、成功するほど苦労がより多くなるのです。今でも指導者が困難にあいます。受けなくても良い困難をずっと受けるのです。本当にかわいそうだという気がしました。皆様が努力して会社に入っていけば、五十才くらいになれば、引退しなければなりません。特別な機能がない以上、外に行って事業をすれば良くできません。人間が食べて生きるために、そのようにしなければならないのでしょうか? それなら、駅で暮らしているホームレスが、はるかに水準が高いのではないでしょうか? 人は、ご飯を食べるために苦闘しなければならず、それでも良くならないのです。どれくらいかわいそうでしょうか? 私は霊的な目で静かに見ると、世の中の人々が、あまりにかわいそうだという気がします。イエス様が、さまよっている人々にあわれみを感じられたのですが、本当にかわいそうだという気がします。
■ ところが、それよりもっとかわいそうな人がいます。教会に通いながら、正しく悟ることができなかった人です。いっそ教会に行かない人々は、この時間に釣りをしながら楽しんでいるのです。今、イエスを信じない人々は、青い芝生でゴルフも打って、楽しく遊んでいるはずです。あなたがたは、そのようなこともできなくて、しっかりと捕えられて座って礼拝をささげているでしょう? そして、仕事をして、献金して、駐車場管理もして、どれくらい複雑なことが多いでしょうか? あなたがたが、事実上、教会で投資することが、どれくらい多いでしょうか? 時間、献金、献身に、どれくらい多くの投資をするでしょうか? ところが、重要な真理を悟ることができなければ、最高にかわいそうな人になります。今日、あなたがたが、この重要な契約を本当に悟るならば、神様が皆様をなぜこの場に呼ばれたのか知るようになるはずです。
■ それで、私たちキリスト教では、人を三つに区分します。救われることができなかった人を自然人と言います。そのまま生まれて食べていきて死ぬのです。生まれて熱心に生きて、熱心に食べて、そのまま死ぬのです。それを自然人と言います。動物とそれほど差がありません。ある面では、水準が高い動物より劣っています。しかし、救われた神様の民はそうではありません。救われた神様の民の中で二つに分類できます。救われたことは、救われたのですが、正しく知らない者を肉に属する者だと言います。救われて、正しく悟った者を霊に属する者だと言います。それで、私たちは自然人、肉に属す者、霊に属す者と区分します。Iコリント3章を見れば、パウロも霊に属す者と、肉に属す者に区分しました。今日、皆様はここにいらっしゃったのに、本当になぜきたのでしょうか? よく暮らすためにイエスを信じるならば、未信者がより良い生活をしているでしょう? 私たちの重要な関心は何でしょうか?
■ 今日、イエス様が44節にこうおっしゃられました。 'このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。 ものすごく重要な話しなのですが、弟子達はわかることができなかったのです。それほど関心がありませんでした。むしろ死ぬかと思って心配しました。だから、とても重要なことを悟ることができなかったのです。今日、皆様が重要なことを悟る祝福の日になることを希望します。人の子が人の手に渡されるという話は、イエス様が十字架にかけられるという意味です。この話を参考にしなさいということではなくて、しっかりと耳に入れておきなさいと言われました。他の話は聞き流しても、この話は耳に入れておきなさいと言われました。今日まさに私と皆様が捕まえなければならない最も重要な話です。
■ 人間は生まれて生きていて、困難を受けて死ぬほかありません。すると、どのようにするのでしょうか?それゆえに神様がキリストを送られて、十字架に釘つけられるとはじめから約束なさったのです。私は、この頃、祈りを新しく始めたのですが、後悔することがひとつあります。それで、本格的な祈りを始めたのですが、本当に後悔しています。私があまりに忙しくて、学生の時から今まで、三十年間、通いました。だから、福音を味わう秘密、霊的な秘密、ものすごい祈りの秘密を私の子どもに教えられなかったのです。確かに福音の秘密はあります。世の中を征服する伝道の秘密は確かにあります。そして、自分が味わうことができる祈りの秘密は確かにあります。これを私が正しく教えられなかったのです。それで、私が後悔しているのです。あなたがたが、子ども達によく教えなければならず、教会学校がそれで重要なのです。ところが、教会学校が正しく教えないのです。それで、どれくらい後悔しているか分かりません。そのようにして外に行けば負けるのです。サタンに負けます。勝つことができないのです。こういう困難にあうようになるのです。だから、皆様の子ども達が、外に行って失敗するしかないのです。それで、教会の責任が大きいのです。 'このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。' 弟子達が、話を耳に入れておいて、たずねていたなら、みわざが起きたのに、弟子達が知らなかったのです。
■ 私に留学に行くと挨拶しに来る子ども達がいるでしょう? あるいは、軍隊に行くとあいさつしに来るでしょう? あるいは、外国に移民に行くと挨拶しに来るでしょう? その時ごとに、私の胸中にいつも思う考えがあります。あなたは本当に福音の秘密が明らかだから、そちらで成功するという考えをすることもあります。あなたは本当に福音の秘密を知らずに留学に行くので失敗するという気がする人もいます。話はできないけれど、これが目に見えるのです。特に、米国、日本、ヨーロッパに行く人々を見れば、あなたは失敗しに行くのだなという気がする時もあります。皆様、米国、日本、ヨーロッパのような先進国は、霊的な状態も普通ではありません。それで、私たち教会の使命がどれくらい大きいか分かりません。
■ それで、幼い子どもを一名引き受けた教会学校、中高等部、大学部の教師がどれくらい重要か分かりません。皆様、この福音を事実上、家庭で悟ることは難しいのです。なぜでしょうか? 親たちが全く同じくご飯を食べて、心配して、問題に陥っているので、福音を伝えるのが難しいのです。それで、教会で正しく教えてあげなければならないのです。それで、教会学校が重要なのです。皆様、私たちの子どもたちが、生涯、失敗するか、成功するかはここにかかっています。一般の人々は、ほとんど知らないことです。福音なく、ある日、世の中で問題がくるので、崩れるのです。ところが、それは一名も例外がありません。皆様が今日、これを胸の中に込めて置かなければなりません。イエス様が耳に入れてと言われたのは、心に刻みなさいという意味です。とても重要な話です。今日、こういう心から幼稚部、胎児部から大学部まで教会学校をそのようにしなければならないのです。それで、これは親が出来ないことです。これは、教会ですることができることです。ある面では、子ども達が福音を友人を通じては悟ることはありえません。そして、親を通じては悟れないのですなぜなら、親の問題、弱点を皆知っており、一緒に生きているので、よく悟ることも出来ないのです。それで、先生一名だけ福音の秘密、伝道の秘密、祈りの秘密を持っていれば、子ども達に影響が及ぼされるのです。それで、教会が重要なのです。私たち教会は、各教会学校を生かす最高の教会になるように、皆様が祈りをしなければなりません。
■ ある子どもに、とても深刻な問題が生じたのです。だから、親がどうすることもできないでしょう? ところが、この子が教会にきて、単に聖書勉強にだけ参加したのに、よくなったのです。だから、この親が衝撃を受けるしかないのです。そんなに祈りをしてもだめだったのに、教会でメッセージを受けてよくなったのです。皆様これが教会です。それなら、皆様がこの場に座ったのは、お金一兆、百兆と変えることができない席です。皆様、私達がみな滅びて、霊的な問題に陥った後にたくさん持っていれば、なんの意味があるのでしょうか? それで、イエス様がこの話を耳に入れなさいと言われたのです。
■ 救われていない者は、創世記3、6章の罪から抜け出てくることができません。それで、抜け出てくることができないから、神様が十字架を背負うキリストを送ることになさったのです。皆様、必ず記憶しなければなりません。それで、未信者はどんなに立派でも、偶像崇拝するしかなくて、おかしな宗教に陥るしかないのです。それが悪霊に仕えて、サタンのしもべのようにすることなのに、悟ることもできないだけでなく、悟ってもどうすることもできないのです。それで、霊的な問題がくるのです。霊的な問題がきて、精神も狂って変になるのです。だから、その後は話しているので、知っているはずです。その後には肉体問題、失敗が来るしかないのです。未信者状態6つ、運命から抜け出す道が福音です。今日、もし初めて来られた人がいるなら、この契約を正しく捕まえてくださることを願います。すると、皆様個人、家系のあらゆる問題に勝つことができる祝福が生じるはずです。それで、人の子が人の手に渡されることを耳に入れなさいと言われたのでした。
■ 選民イスラエルを知っているでしょう? ノーベル賞を一番たくさん受けたイスラエルです。科学者を一番たくさん作りだしたイスラエルです。優秀な芸術家を、最もたくさん排出させたイスラエルです。韓国より、もっと小さな所なのに、そのような人々を作りだしたイスラエルです。皆様が知っているアインシュタイン、エジソンが全部ユダヤ人です。米国の初代大統領ワシントンもイスラエル人です。こういうイスラエルが、なぜ滅びたのでしょうか? 律法、制度、規律などがあまりにも優秀なイスラエルが、なぜ滅びたのでしょうか? この一つを知らなかったのです。残念ではないでしょうか? それなら、私たちはこれを正しく知っていなければならないのです。なぜイエス様が来られなければならなかったし、十字架を背負って苦難を受けなければならなかったのでしょうか? これを知らないならば、私たちは宗教人と同じようなものです。すると、私たちは偶像崇拝するムダン(霊媒師)と同じようなものです。すると、だめになるのです。それで哀れだというのです。教会に通いながら、正しく福音を悟れなかったなら、それほどかわいそうな人間はいません。それで、皆様が今日、この席に座ったのですが、最高の祝福を今日受けて、霊的な祝福を回復する貴重な時間になることを希望します。
■ 歴史を見るように願います。皆様、中世時代を知っているでしょう? 中世教会は、どの程度だったか知っているでしょうか? 牧師の教皇が偉いか、皇帝が偉いかというほどで、教皇が太陽ならば、皇帝は月だと言いました。こういう話しが国民に回ったのです。だから王が静かに見ると、気分悪いのです。王は権力があるでしょう? その権力を持って、聖職者を押さえたのです。中世時代にそうでした。だから、皇帝が神父を押さえたのでした。だから神父である教皇がじっとしているでしょうか? 王の弱点を捜し出したのでした。王の弱点を捜し出して、王に通告したのです。あなたはこういう罪を犯したから、聖餐式に参加するなと言ったのでした。簡単に話せば、拒否されたのでした。王が格好をつけてきて、聖餐式に参加しなければならないのに、それができなくなったのです。すると、王がまたじっとしているでしょうか? 王はまた王権を持って押さえたのです。後ほどは、教皇が王の前で膝を屈したり、また王が教皇の前で膝を屈することもありました。それが、中世教会です。それで、カノッサの屈辱という言葉が出てくることもありました。このように、中世教会は、強大でした。
■ なぜ問題になったのでしょうか? 一言で崩れました。私達が功績を立てて犠牲を払うと救われるのか? 信仰で救われるのだ。この話をルターがしたのでした。この一言で、中世教会は完全に崩れたのでした。何をいうのでしょうか? 一つがなかったということです。皆様がみな持っているのに、自分が滅びない方法は知っていなければならないでしょう? 皆様がみな持っていても、自分が死なない方法は知っていなければならないでしょう? それを知らなかったのです。残念です。それが中世時代です。それが中世教会です。それで、生まれたのが、改新教です。その後には、どのようになったのでしょうか? 一時、神様と言うのをやめようと言いました。人間が神様を求めず、人間らしく生きようと言ったのです。そのようにしようと言ったのが、ルネサンスです。ルネサンス時代が開かれながら、神様を求めないでと言ったのでした。ところが、不思議にその時から、どんどん災いがやってくるのでした。第一次、二次世界大戦が起きたのです。人間が自ら私達が誰なのかを尋ねるようになったのです。あまりに難しくなったので、滅びるようになったのです。こういう質問をするようになったのでした。それを実存主義哲学と言います。
■ そのうちに神様を信じる実存主義があって、神様を信じない実存主義が生まれたのでした。例えば、キュルケゴール、ハイデッガーのような人々は、神様を信じる実存主義者でした。ニーチェは、神様を信じない実存主義者でした。神様がいないと言いました。このように、時代ごとに事が起きたのですが、何をのがしたかというと、理由を知らなかったのです。なぜイエス様が十字架につけられたのでしょうか? あまりにもよく知っている話ではないでしょうか? しかし、理由を知らないのではないでしょうか? 皆様に起きる霊的な問題が、絶対にこれを知らなければ、解決しないようになっています。これを本当に理解するならば、あなたがたは勝利するようになるはずです。それで、バルヨナ・シモン。あなたは幸いですと言われました。私はそのように思っています。米国や先進国、ヨーロッパに住んでいる福音に根をおろしていない人々は、確かに失敗しないために、滅びる準備をするように願います。全く何でそのようなことがあるのでしょうか? 確実だから、準備するように願います。なぜでしょうか? 私たちは、死ぬ時も準備をしなければならないでしょう? 死ぬ準備をしなければ、突然になると、うろたえるでしょう? すると、先進国だけがそうなのでしょうか? 聖書を見ながら、そうだという気がしました。あらゆる人は、福音を知らなければ、人生が行けば行くほど滅びる準備をしなければならないのです。どうすることもできないのです。私達が暗闇の問題に勝つことはできません。サタンの勢力に勝つこともできません。呪いに勝つことができません。運命を変えることができないのです。ところが、神様が道を下さったのです。それで2千年間、預言をなさったのです。キリストを送るとなさったのです。そして、2千年間、証拠をされたのです。キリストがきたということです。どれくらい驚くべき秘密でしょうか? 皆様がこれを捕まえて生きるならば、正しく働きるようになるでしょう。弟子たちは、関心がなかったのです。今日、皆様が必ず悟ってくださることを願います。本当に皆様が悟れば、他の人を生かすことができます。弟子達は、大それた関心を持っていました。46節を見ましょう。 'さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。' 序列がどのようになっているか正したのです。これを持って弁論がおきて、喧嘩をしたのでした。このようにも反対になる関心を持っていたのでした。皆様、よく悟ってくださらなければなりません。
■ 福音を本当に持っている人は違います。米国に、キム・チョルヨン牧師がおられます。その方の家系がとても福音があって丁寧な家系です。その方のお父さんが、キム・インス牧師です。釜山でキム・インス牧師といえば、仇名がひとつあります。生きている聖者だと呼ばれています。とても人間が本当に良い方です。あらゆる人が尊敬するだけのことはある方です。一度は、この方が私を呼ばれたのです。完全に私の父くらいです。キム・チョルヨン牧師のお父さんでしょう? キム・チョルヨン牧師は、私より年が若くありません。その方が私を呼んで、とても敬うように行動されたのです。息子のような私に、尊敬する言葉を使いながら、謙遜な姿勢で私に話をされたのです。申し訳ない程に私に対してくださったのです。お願いがひとつあると言われました。
■ この方が引退をされたのでした。ところが、田舎伝道をする使命を持っておられたのです。それで、この人が神学校を一つ作ったのでした。むかしの話です。ところが、神学生を募集したのに、伝道を教えなければならないのに、自分が訓練をさせることができないということでした。それで、私に伝道学の講義をしてくださいと告げられたのでした。それを頼まれたのですが、私にお願いされたのでした。当然にすると返事をしました。私に教えてくれださいということです。そして、学生は三人しかいないということでした。そして、謝礼もあげることができないと言われました。この方がお願いをされたのには、理由があったのでした。ただ農村福音化のためだけに、伝道者を育てるということでした。分かりましたと言いました。学生三名だけに講義することは初めてでした。学生三名が事務室に座っていました。そして、伝道学の講義をしたのです。ところが、おかしな事が行われたのです。この学生達が、どんどん話をして、何週か後には五十名に増えたのです。それで学校に報告して、事務室ではとうてい出来ないから、講壇を借りてくださいと言いました。それで祈梼院の講壇を借りたのです。祈梼院でしていたのに、ますますきて五百名になりました。一年が過ぎたのに、その祈梼院の講壇が埋まってしまったのです。ところが、祈梼院の院長が私を見て言いました。自分が集会をする時は少ししか来ないのに、先生が講義する時は、あまりにたくさんくるので、祈梼院が良いと話さなかったのです。それで私が感づきました。ここでするなということなのですかと尋ねました。そうだということでした。その人々を捕まえて、いろいろな所、地域に分けました。それが今現在、全国の全現場に、全世界に1万名を越える神学院、宣教師訓練院です。私達が伝道するのに、何の手段も必要で、誰が偉くて、偉くないのかというのが必要でしょうか? 福音を持った人々はそうではありません。
■私が開拓教会を始めた時です。重要な党役員、長老、執事と共に集まって集会を終えたら、夜10時半になっていました。その時、私が説明をしたのです。教会地下におりて行って話しました。あなたがたは、私たちの教会の核心だ。それで伝道は、このように、このようにするのだ。みな終えて負担がなく説明をしたのでした。そのように自然に集まったのであったのに、人々が知って、どんどん集まったのでした。その人々が自分たちと親しい人々も、動機をもって連れてきて、どんどん人々が増えました。だめだと思って、教会本堂35坪地下に場を移しました。これがうわさが立って、江原道をはじめとして、全国から人々が集まったのです。ですから伝道運動がすごく起きたのでした。それで、それが少し前まで釜山で夜10時半にずっと集まったのでした。
■ある日、私がちょっとおかしな知らせを聞きました。遠くから来たある一人の使命者が交通事故に会ったという知らせを聞いたのです。その時 私が 'しまった'という気がしたのです。私は、このように愚かなのです。その時から、光州、ソウル、大邱、釜山、4箇所で核心を散らしてするようになったのです。それとともに、私がそれを巡回しながら通うようになりました。この核心が米国に、日本に、ロシアに、ヨーロッパに広まって行くようになったのです。これが私たちの方法です。これが聖書にある方法です。伝道するのに、誰が偉いことがあるでしょうか? 教会のなかで、誰が偉くて立つということがどこにあるのでしょうか。それがまさに世の中の方法です。誰が偉いか、誰が小さいのか、誰が高くて、誰が低いのか? これは世の中で教えた方法です。これは救われることができなかった者の方法です。救われた者が、この方法を使っても、これは肉に属す方法です。
■私たちの教役者は、そのような心配をする必要がありません。私たち副教役者は、何をすることか、どこへ行くかという心配は、つめの先ほどもする必要がありません。皆様がいる場に、神様の働きと聖霊の働きが起きれば、話さなくても殆ど良いのです。あなたがたが長老になればより良くて、執事でも良くて、勧士でも良くて、関係ないのです。私が牧師になってもかまわなくて、一般信徒になってもかまわなくて、何の関係もありません。こういう祝福を受けることができないまま牧師になれば、より頭が痛くなります。牧師になって、答えを受けられなくて難しくなれば、どこにお金を借りようと行くことができません。一般信徒は、お金を借りようと通うことができても、牧師はお金を借りようと行くことができないのです。私たちは、何の問題もありません。ところが、どんどんとんでもない所に、関心を持つのです。それで、私はより一層人に会えば、福音をはっきりと言ってあげなければならないという気がしました。
■本当になのか、うわさなのか知りませんが、どこかで、一度尋ねようと思っていますが、こういう話を聞きました。大統領と牧師と長老が集まる朝食会の祈祷会に、韓国では初めて、大統領が参席を何の理由もなく拒否したという話を聞きました。特別な日程もなくて、何にもないのに拒否したということです。それがうわさなのか分からないために、一度、どこかで尋ねようと思っています。そのようにしようというのには、理由があります。私がなにか後悔する事があるためです。現大統領が、大統領に出馬する時、現在の秘書のムン・チェイン氏が私を何度も訪ねてきました。私たちは、その人がそのように偉い人物だとは知らずに、そのまま隈に連れて行って、そのまま食事して送りました。その時、私があまり普通に考えたのでした。その方達に、正確な福音を話さなければならないのに、普通に考えて、ご飯だけ食べて送ったんだなあという気がしています。人は誰でもみな全く同じです。難しくなります。知らないから、難しくなるのです。霊的な問題を知ることができるのでしょうか。どのように、世の中で勉強した人々が、霊的な問題を知っているのでしょうか。霊的な問題と災いがやってくるのを、世の中の勉強では分からないでしょう。私がこれを説明しなければならないな。 その方達が、私をそのように会おうと言った時、時間を余裕をもって会って、福音を正しく伝えてあげれば良かったのに、あまりに急いで、ご飯だけ食べて送ったんだなあという気がしています。キリスト教を拒否したか、その自体はそれほど重要なことではありません。この方達に話す言葉を正しくできなかったのです。
■わたしが人々に渡されて、十字架を背負うはずだという話を、弟子が分かることができなくて、私たちの中で誰が偉いかという口げんかが行われたのです。たぶん、イエス様に常に付いてまわるペテロが一番偉い、こういう話が出てきたことでしょう。そうではない、イエス様が愛すのはヨハネを一番愛している、こういう話も出てきたでしょう。ある時には、ヨハネのお母さんが、自分の息子たちの席をひとつくださいとお願いもしました。すなわち、こういう方法です。
■私たちの信徒たちが持たなければならない関心が、確かにいくつかがあります。簡単に話して、皆様のあらゆる過去、運命、呪い、災いから抜け出す道が福音です。これを正しく知る必要があります。確かにそうです。その次に、皆様が生きていく方向を正さなければなりません。それが伝道と訓練です。今回の一般信徒地域教会集会を一日減らした理由があります。時間を二日使わず、一日で時間にして、より多くの人々が参加しなさいという意味です。訓練を受けなければなりません。そうしてこそ、伝道が分かります。そうしてこそ、この世に生きる間、方向がよく見えるのです。
■三番目に霊的な目を開かれなければなりません。それが祈りです。皆様が福音を知って祈れば、霊的な目が開きます。そのようにした後に、大統領もして、事業もして、教授もして、そうでなければならないのです。少なくとも、この三つの目は開いた次に、世に行ってこそ、世の中に勝つことができるのです。
■人間は、どんな運命に置かれているのか? これを知ることが福音です。どのように生きてこそ、時刻表に合せて生きるのか?これが伝道の秘密です。これから、霊的な世界の秘密を知ることが祈りです。あなたがたは、この契約を必ず捕まえなければなりません。今、始めることを希望します。
■皆様が重要なことを置いて祈れば、みわざが起き始めます。定刻の祈りの時に祈ることを望みます。 '私の家の中に永らく働いたサタンの勢力、私たちに長い間、根をおろした律法の勢力、長い間、私たちを暗くさせた無知の勢力がイエスの名前で縛られて、離れるように.' として、定刻の祈りの時、祈らなければなりません。祈りは必ず答えがきます。今から、本当に始めることを望みます。皆様の子どもと家族の為に、本当に祈りをするように望みます。イエス・キリストの名前で祈れば、確かに答えがきます。より重要なことは、常時で祈ることを希望します。絶対に気落ちせず、祈ることを希望します。ある日、答えの門が開くはずです。こういうものが見えるべきです。簡単に話して、過去、現在、未来が見えるということです。
■福音を正しく悟れば、私の過去と人間の過去がみな分かるようになります。訓練を受けなさいという理由は、伝道を悟りなさいということで、すると、現在が皆見えます。霊的なことを本当に悟って祈れば、未来が見えます。幻で見えるのではなくて、知恵で見るのです。夢で見えるのではなくて、知恵で見るのです。夢を持って話すことは、危険なことです。本当に福音が何で、伝道が何で、祈りが何かを悟って外に行けば、現在と過去と未来が皆、見えるために、神様のみわざが確かに成し遂げられるのです。
■私たちの教会は、重要なお手伝いをする教会だと思います。私たちの教会は、長老たち、按手執事たちは、何かを知っている人が集まった教会です。私達が高慢になって言う話ではありません。神様の特別な計画があると私は確信しています。それなら、皆様は未来が見える程に祈りをしなければなりません。定刻の祈りだけ持っても、あらゆる暗闇の勢力をみなうち破ることができます。本当にこの三つに対して目を開かれれば、世界を掌握できるのに、あらゆる聖徒達にこの祝福が臨まなければならないと考えます。この段階が、少ししてから、
■私は以前に定刻の祈りをしなければと考えるのに、いつも忘れてしまっていました。定刻の祈りを少しだけしても回復するのに、定刻の祈りがだめで、いつも忘れてしまっていました。それもなぜか忘れてしまうのではなくて、一週間ずつ忘れてしまっていました。一週間が何度か過ぎれば、1ケ月なのですが、忘れてしまうのでした。1ケ月、2ケ月ずつ、皆様が定刻の祈りが良くできないことを、私は理解できます。教会だけ通って礼拝だけささげようと通っていて、私も定刻の祈りが良くできないのに、皆様がどのように定刻の祈りが よくできるでしょうか? 定刻の祈りを決心していたら、ある日、定刻の祈りができるようになったのです。ある日、定刻の祈りができるようになったら、常時の祈りが出てくるのでした。以前は、定刻の祈りが負担になったのです。ところが、ある日見ると、定刻の祈りが私の生活のリズムになっていたのです。リズムになるから、定刻の祈りが簡単になって、幸福にできることを感じるようになりました。より一層、恐ろしいことは、私が驚くほどの祈りに対する答えがき始めるのでした。本当に私は答えは知らずに祈りだけしたことが事実です。
■キム・チョンハ長老の弟二人がみな牧師なのですが、そのキム・ナンハ牧師の教会で礼拝をささげに行きました。キム・ナンハ牧師が私に一年前に、この教会で説教した内容を覚えていますかと、私に尋ねるのでした。 私は覚えていなかったのですが、キム・ナンハ牧師が私に一年前に説教した内容をメモした紙を渡してくださったのです。その紙をひっくり返して見たら、その教会に起きた答えが記されていました。本当に驚くべき答えだと話すのでした。それで、こういう気がしました。神様は福音を持った者が礼拝する時は、答えようと祝福されるのだなといういうことを知るようになったのです。こういう証しを、またたくさん聞くようになりました。高慢に言う話ではなくて、伝道しようと集まる神様のしもべが行く所ごとに、神様は答えをどんどんしてくださるということをを知るようになったのです。その時から、私は説教を普通にしようとするのに、単にするのではなくて、私のためにするのだということを理解するようになりました。今日、皆様が重要な関心一つだけ持っても、答えを受けることができます。
■神様がダビデを見て、こうおっしゃられました。 'わたしがあなたの心だけ見ても、あなたを祝福した.' 関心です。私達がこの話を本当に記憶して 'そうだ'と、これをのがして死んでいく人々に、私たち教会がこれを説明しなければならない。それで、神様が私たち教会を与えて下さったのだな。それで、神様が私たちの教役者と職分者を与えて下さったのだな。このようにだけなっても答えがきます。幼い時、服をひとつ買って着て外に行って、私と全く同じ服を着た人を見るようになれば、その服を着ませんでした。教会があまり多いのに、私がまた教会をしなければならないのでしょうか? 十字架を立てておいて、カラオケのそばにもあって、地下にもあって、一ケ所また騷音を出して教会をしなければならないのでしょうか? そこに対して、神様が私に明らかな答えを下さったのです。本物がなくなっていきつつあるのに、それを成就する教会をしなさい。それなら非難を受けてもかまわないのです。ですから、教会をする理由です。なぜしなければならないのでしょうか。この貴重な時間に、なぜここに、この席に出てきていなければならないのか。契約だけ捕まえても、答えを受けます。関心だけ正しく持っていても答えを受けるのです。今日、皆様がこの祝福をそのまま捕まえてくださることをイエスの名前でお祈りします。答えが始まるはずです。神様の霊的な祝福が始まるはずです。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、重要な関心、重要なことを悟る日になるようにしてください。それで、新しい答えが始まるようにしてください。新しい霊的な戦争が始まるようにしてください。私たちのあらゆる役員、と聖徒達にこの三つの大きい目を開けてください。特に、未来を見る目を与えて下さって、一時代を生きる主のしもべになるようにさせてください。それで、絶対に失敗しない神様の計画を堅く捕まえる日になるようにさせてください。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
2部/ 神様の都シオン
(詩87:1〜7)
■ 大統領府やホワイトハウスにいるより、礼拝堂にいるほうがよいと話すならば、その人はまちがいなく霊的問題を持った人でなければ、本当に恵みを受けた人でしょう。ところが、ダビデがそのように話しました。ダビデが '王宮で千日いるより、主の家の門番でいるほうがより良い.' このダビデは、王になるやいなや、契約の箱を移すことから考えました。そして、王宮に入っていって安らかに寝てから、神殿を建てる悩みをしました。今までいた王の中で、ダビデ王ほど影響を与えた王はいません。ダビデの信仰がだいたい予想できるはずです。これから、その人が教会を出て礼拝する姿が予想できるはずです。
■ 今日、詩篇87篇は、神様の都シオンから、あらゆる祝福がみな出てくると言われました。イスラエルの歴史と世界史を見ようとするなら、エルサレム神殿を理解しなければなりません。当時、アモン、ペリシテ、あらゆる国をみな破った王が現れたのですが、その王がまさにダビデです。あの北方のバビロン、アッシリヤもダビデ時代にはぶるぶる震えていました。アラビアとかエジプトのような国が、ダビデ時代は思いもよらなかったのです。ダビデ王が一生、したことがひとつあるとすれば、正しく建てる神殿の準備をしたのです。私たちは、重要なことを習わなければなりません。神様がダビデに、心だけ持っていても、祝福するとなさったのです。そのようにして、その息子が神殿を建てたのです。これをソロモン神殿と言ったり、第一神殿と言ったりします。そして、その神殿で祈る時、多くの答えと祝福が現れました。ヒゼキヤ王が、その神殿に行って祈って、アッシリヤ軍十八万五千人に勝つ働きも見ました。みな神様があらゆる答えをシオンからくださったのです。 'シオンのとおりがある者は幸いである' 詩篇にそのように書かれています。
■ そのようなある日でした。イスラエル民族は、変に偶像崇拝をし始めて、この神殿を偶像にして、しきりに恵みを受けることができなくなったのです。そのような時に、イスラエルが富強になったから、他の国が見物にきたのでした。この時に、ヒゼキヤ王が失敗をしました。本当のことを話すべきではないでしょうか。アッシリヤ軍十八万五千人が攻めてきたのに、どのように勝ったのですか? 私が神殿に行って祈っていたら、奇跡がおきた。朝に起きてみたら、アッシリヤ軍十八万五千人がみな死んだ。それで戦わないで勝利したと話すべきではないでしょうか? また、私が病んだのに、祈っていたら、神様が私に健康を下さった。こう言うべきだったのに、外国から使節団がたくさんきていたのに、ヒゼキヤ王が失敗をしたのです。倉庫に連れて行きました。我が国の武器を見なさい。簡単に話して、怖がらせたのです。その次に、どこに連れていったのでしょうか。神殿に連れて行きました。神殿にあるものすごいものを見なさい。金のうつわ、銀のうつわのような物品をみな見物させました。その次には、王宮に連れて行きました。王宮に入っていって、王宮の中にある金、銀、武器をみな見せたのです。これがヒゼキヤ王の失敗です。
■ 皆様、台湾に行ってみたことがありますか? 台湾は島です。むかし、チャン・ケソクという人が、中国から逃げてくる時、中国にある何を持ってきたのか? というと、そちらの貴重品、宝を全部、みな持ってきたのでした。船に乗って逃げる時、中国であったと言われていることです。大砲を射とうとしたら、射つなと言いました。中国の毛沢東のような有能な指導者が、止めたのでした。なぜかと尋ねたら、沈んだら、貴重品がみななくなるから射たないでと言ったのです。それほどそれを貴重に思ったのです。ですから、バビロンの代表がそれを見て、欲をいだいたのでした。長い間の歳月が過ぎました。バビロンが攻めてきて、エルサレム神殿を燃やして、そこにあった神殿のものをみな持っていって、宝をみな奪って行きました。このようにして、第一神殿は崩れたのでした。それで、イスラエルは、その時から全部散在して捕虜になったのでした。
■ あちこちで、ダニエル、エゼキエル、エレミヤ、イザヤのような預言者が、とても祈って、神殿が回復したのでした。奇跡のようなことです。クロスという王が、イスラエルは戻って神殿を建てなさいと言いました。これで建てた神殿が、第二神殿です。その神殿をゼルバベルが導いたということで、ゼルバベル神殿だと言います。このように、神殿に多くの働きがありました。ところが、歳月がたくさん過ぎて、神様を蔑視したエドムの子孫中から、王が一名出てきたのですが、その王がヘロデ王です。もちろん、王族の名前ですが、このヘロデ王が、王になる時、ローマ皇帝にへつらって、王になったのです。記録を見れば、ローマ皇帝が過ぎる時、いけにえを揃えて手をついて礼をしたということです。ローマ皇帝がなぜそうするのかと尋ねたら、皇帝は主の主であり、皇帝は人ではなくて神様だと言いました。それで、ローマ皇帝がとても気分が良くて、イスラエルを任せたのですが、その人を王に立てたのです。ですから、何かがあれば、イスラエル国民が王になったと反対してデモを行います。そこで、王が工夫をしたのです。どのようにして、この人達の心をとらえるか、これをいつも深く考えて、研究をしたのでした。イスラエル民族が、一番喜ぶことが何か? 神殿です。神殿を建てることでした。それで、正常な第二神殿を崩して建てた神殿が第三神殿です。それをヘロデ神殿と言います。1, 2年で建てたのではありません。聖書の記録を見れば46年間、建てたということです。それでこそ、46年間、デモが起きません。ものすごく建てたのでした。それで、イエス様が呪われた神殿がヘロデ神殿です。石の上に石ひとつ残らないで、みな崩れるはずだと言われました。AD70年ごろに崩れました。いまだに回復することができません。今でも、嘆きの壁に向かって、回復してくれと祈っています。たぶん回復できるはずがありません。ですから、神殿について多くの話、歴史が出てきました。結局、その神殿は、今、崩れてありません。神様の祝福がシオンから来ます。今日、私たちはこの契約をよく回復して、答えを真に始めるべきです。
■ フランスにチャールズ7世という王がいました。どのようにすれば、自分が王として正しく名前を知らせることができるか? 分かった。美しい神殿を建てることだ。これで神殿を建てたのです。それで、神殿の入口に文字をひとつ彫ったのです。チャールズ 7世寄贈。そのような教会を建てたから、どれくらい良かったでしょうか? ところが不思議なことに、王が寝るのに、鮮明に手の平が出てくるのです。チャールズ 7世という文字をすっかり消しました。夢での話です。指がその場に文字を書いたのに、ジンセンドルフと書きました。そこで、この王が目覚めたのですが、夢でした。そうか、私があまり神殿を好むから、夢を見るんだなと思って、その翌日寝たら、また出てきたのです。それも全く同じ手が出てきて、すっかり消したのです。そして、指が出て、ジンセンドルフと書いたのです。皆様ならば、どうするでしょうか? それで、この王様は心が不安になりました。その翌日、また出てきたのです。全く同じ夢が三回も出てきたのに、かたちひとつ違わずに、手で消して、指でまた書くのです。
■ 私が1部礼拝の時、夢を信じるなと言ったのですが、この程度になれば、つまらない夢ではありません。なぜか過ぎることが、つまらない夢であって、どのように全く同じことが一つも違わなくて、三回も出てくるでしょうか? この時、チャールズ 7世が決断を下しました。王令を下ろしたのです。私たちの地域の教会の中に、ジンセンドルフという信者を探しなさい。しかし、どんなに探してもいませんでした。また探しても居なかったのです。ジンセンドルフという人はいなかったのです。いないのに、三回も夢に出てくることがあるだろうか。ところが捜し出したのです。やっと捜し出したら、小学校に通う子どもでした。王が、子どもを王室に呼びました。あなたの名前は何か? ジンセンドルフです。確実か? 確かです。嘘を言わずに話しなさい。私がお金を全部出して神殿を建てたが、君がこの神殿を建てる時、したことは何か? なんにもしたことはなかったと言いました。それでも、なにかしたことがあるのではないか、よく考えてみなさいと言いました。子どもが献金をするでしょうか。建築をするでしょうか。何にもしたものはありませいでした。ところが、この子が静かに考えていて、思い出すことがあると言いました。何をしたのか話してみなさい。私の家は、レンガを乗せて過ぎて、馬車が過ぎ行くので、自分がいつもそこにいて、すべてではないが、時間があれば、とてもきれにな、水をくんできて、馬夫と馬に与えたと言いました。王が分かったのでした。自分は動機を持って建てようとしたが、その建物よりは、なんの動機もなく、真実に水いっぱいを与えることが、神様には貴重なことなのだ。王が命令を下して、その記念碑を取って、ジンセンドルフ教会と言いなさいとしました。まだその教会は存在しているということです。こういうことは、多くの意味があります。
■ 米国のロックフェラーという人は、米国全域に教会2千個あまりを建てました。神様がロックフェラーに想像することができないほどの祝福を与えられました。今でも米国大統領を立てる、立てないということに、ロックフェラー家が関わっていると言われています。今、フリーメイスンが、全部、ロックフェラー家と手を結んだということです。今、米国のニューエイジ運動をするチームが、全部、ロックフェラー家と手を結んだと言われています。とにかく、生きている間に、この人が教会を2千個以上建てたのです。これがなんの話なのか私たちは理解せねばならないのです。今日、皆様に必ずこの祝福があることを希望して、神様の都シオンからみな出てくると言われました。2節を見ると、神様は '主は、ヤコブのすべての住まいにまさって、シオンのもろもろの門を愛される。' となっています。 3節には 'あなたについては、すばらしいことが語られている。' また5節には 'いと高き方ご自身がシオンを堅くお建てになる。'とされました。6節には、あらゆる民族を登録するのに数を記すのに、それがシオンから出たとなさいました。簡単に話せば、世界福音化の中心です。あなたがたが、祝福を受ける中心です。ここに座っているこの人、歌う人、踊る人、皆、根源がここから出ました。賛美しなければならない重要な理由が、この祝福から出てきたのです。今日、皆様が本当に神様の祝福を回復する開始をすることを願います。
■ 普通2時を過ぎれば、疲れているでしょう。正常な人でも眠くなるので、皆様のように一週間苦労した人々は、どれくらい疲れているでしょうか? 眠い方は、楽におやすみになるように願います。主は、愛する者に睡眠をくださるとなっているために、私が干渉することはできません。ただおやすみになる時は、いびきをかかないで、おやすみになることを願います。それで、今日、簡単にお話ししようと思います。今日、ものすごく重要です。理由から知っていなければなりません。なぜシオンからあらゆる祝福が来るのでしょうか? 皆様、私たちは既に聖書をよく知っています。聖書箇所、皆様いくつは必ず記憶しなければなりません。創世記1:2-3に暗闇、空虚、混とんが問題です。創世記3:5に、一番初めに始まった原罪が問題です。今でも続いています。創世記 6:5 ネフィリムを私たちは既に知っています。それ以前にカインがささげた礼拝は、契約がない礼拝であったゆえに、それが問題です。創世記 11章にあるバベルの塔もみな崩れてしまいました。何を言うのでしょうか? 人間は努力せねばならないことがありますが、できないことがあるのです。こういう重要な霊的問題をキリストが解決なさったのです。この契約を味わう中心をシオンだと言うのです。そのことを教会と言います。どれくらい重要でしょうか? 言わばメシヤ、キリストの契約を捕まえた人が集まった所が教会です。それで、今日の本文を見ると、この契約を捕まえて賛美をしなさい。この契約を捕まえて踊りも踊りましょう。可能ならば、踊りも踊らなければなりません。私たちは教会では賛美だけするのではなく、踊らなければならないと思っているのですが、踊りも踊るべきです。
■ ここ87篇を見れば、重要な言葉がものすごくたくさん出てきました。ここで正しい福音が証しされてこそ、6節を見ると民族が生かされるのです。どの程度になるかというと、ヤコブのあらゆる住みかより、シオンの門を神様はより愛されるとなっています。それで、ここで神様の国がなされて、未来に天国に行く祝福を全部 みな味わうべきなのです。それで、モーセ時代、荒野を行く時は、幕屋中心でした。どの程度かというと、幕屋中心で家の入り口から、みなが見ることができるようにしたのです。この程度でした。真ん中に幕屋があれば、あらゆるテントが幕屋を見るようにしたのです。そして、幕屋の中に契約の箱を置いていました。なんの話なのか理解できるはずです。そして、旧約時代には、全部 1, 2 神殿中心です。そして、初代教会に行ってみれば、教会中心で新しい開始になりました。すると、今日、私たちは簡単に、どのようにシオンの中心、シオンの祝福を受けることができるのでしょうか? 教会だけいつも行っていれば良いのでしょうか? それではありません。私たちは、新約時代にきて、どのようにこの祝福を受けなければならないのでしょうか? 皆様が今日からシオンの祝福を受ける秘密があります。初代教会で、どのように完成された教会を開始したのか、それだけ必ず捕まえれば、皆様は勝利できます。
■ イエス様が教会を誕生させながらなさったみことばがあります。あなたがたは、しばらくしたら、聖霊でバプテスマを受けるはずです。聖霊が臨めば力を受けるはずです。そして、地の果てまで証人になるはずです。 これが重要です。教会は、どのようにすれば、このシオンの祝福を味わうことができるでしょうか? キリストのなかでの聖霊充満です。私たち韓国教会と私達が回復しなければならないことが、あまりに多いのです。皆様、聖日は、とても重要な日です。この日にあなたがたが聖霊充満を受けるならば、働きが起きるはずです。どうであっても、これをのがしてはなりません。それで原則通りにするならば、あなたがたは、聖日礼拝が終わった後、全部、集まってフォーラムをして、祈祷会をしなければなりません。聖日、患者を訪問して、あなたがたが手を当てて祈らなければなりません。福音を悟ったなら、全く問題はありません。今、私が話すことは、神秘主義の話をしているのではありません。手を当てたら、いやされると言われました。私は事実は原則でこのようにならなければならないと考えています。多くの油を注がれた主のしもべが、聖日に礼拝した後に、役員のために祈って、本当に祝福の祈りをして、按手祈りをすべきです。初代教会は聖餐式をして、お互いに共に手を取り合って祈って、手を当てて祈りました。そして、聖日には礼拝を終えた後、患者を訪ねて、全部、手を当てて祈るならば働きが起きると私は確信します。鍵が何でしょうか? 私達が重要なことをなくしたのです。聖霊充満。聖日、あなたがたが受けねばならない最も大きい祝福、祈りの課題が何でしょうか? 聖霊充満を与えて下さい。
■ 参考までに話すことですが、必ずそのようにしなさいということではありません。私の話を聞けば、人々は必ず異常なことを実践します。参考で、聖日には役員会も教団の役員も集まらないほうが良いのです。これは参考でする話です。他の教団で聞くと、あの牧師は役員会も教団の役員会もするなと言うと言っています。そのような話ではありません。より良いのは、役員会のような場合は、信徒、役員達が土曜日に集まって、全教役者のために祝福の祈祷と役員会もすることがより良いのです。役員会のような場合も、大きい教会は変わらなければなりません。関心がある重要な役員と私たち新しい家族が、特別な信徒を分析して、その日、交じわって、私たちの教会のために祈って、予算のために祈ろうとすることがより効果的です。ですから、私たちは聖日に祝福をみなのがすのです。以前に私が証ししたでしょう? 釜山に長老一人が毎日行って、牧師に対し 按手を受けました。それも課題を置いてです。その祈りの課題が何かというと、私がこの教会で、このように困難がきたのに、教会を生かす長老になれるように祈ってくださいというのでした。本当に働きが起きました。その牧師と長老が直接、私に証しをしました。長老が髪の毛が完全にありません。何本くらいしかありません。それで私が冗談で、長老はくしを使う必要がないと言ったら、切るものもなくて良いと言いました。その牧師が話しました。この長老が毎日、一緒にきて祈りしてくれというので、頭に手を当てていたので、はじめには気味が悪いと思ったそうです。自分のためではなく、本当に教会のために答えを受けるように祈ってくれと言ったのです。ところが、この牧師の名前がチョウ牧師だったのですが、はじめには変に考えたのに、祈っているうちに、自分も使命が生まれてきたということでした。本当に働きが起きたのです。あなたがたが釜山で見れば、テティートンネルを過ぎて見れば、山の方向に真っ赤なレンガで、ものすごい教会堂が建ててあって、教育館が建ててあります。それをした人が建てたのです。神様が一度祝福なさったら、何十億が動きます。ですから、私達が聖霊充満を受けるということは、相当な話なのです。
■ 皆様、家で奥さんが聖霊充満を受けることができなければ、家庭に、子どもにしきりに霊的問題がきます。 それで、主婦が重要なのです。皆様、教会が聖霊充満の働きが起こらなければ、信徒は表に見えないように、どんどん霊的な力が抜けます。教会がせねばならない一番重要なことが、聖日キリストの名前で契約を捕まえて聖霊充満を受けることです。それで、その答えを持って、一週間、六日の間は、外に行くのです。そこで2番目の門が開くのですが、伝道の門がずっと開きます。その話はなんの話でしょうか? 祝福を受けた証拠が出てきたということです。それがマルコのタラッパン教会で2番目に起きたことです。どの程度でしょうか? というと、十五カ国が集まりました。聖日私たちはシオンの回復を、何を回復するべきか? 不思議にみことばを聞くのに、そのみことばが私を癒します。このみことばが、皆様の会社と家に働くのです。このみことばが、成就し始めるのです。これがみな聖霊充満で始まります。それで、三番目に起きることが何でしょうか? みことば成就がどんどん起きるのです。いよいよ何でしょうか? 復興し始めるのですが、三千弟子、五千弟子、弟子がどんどん起きるのです。所々、全く同じ答えを受ける弟子が起きます。
■ といったところ、五番目にくることが何でしょうか? 家、現場、職業、事業にも変化がき始めます。皆様、これが聖徒の祝福です。それで、初代教会のマルコのタラッパンで、この五つの祝福がおきたのです。それとともに、自然に2つのことが出てくるべきなのですが、マルコのタラッパン教会が悟ることができなかったのです。おかしな事件がおきたのです。それで生じた教会が、アンテオケ教会です。アンテオケ教会が悟ったことが、まさに六番目の宣教です。この時から出てくることが宣教です。単純な宣教ではありません。五つの答えが来るから自然に出てくるしかありません。この時、神様が時刻表に沿って重要な人物ひとりを呼ばれました。その人物がパウロです。パウロが捕まえて何をしたのでしょうか? すべてのレムナント起こす共同体宣教が始まりました。この七つがシオンから受ける祝福です。皆様がこの祝福だけ回復してしまえば、とても簡単です。衛星で、インターネットで礼拝する所が多くあります。牧師夫人と家族と多くの人々は、支援すべきことがひとつあります。牧師が座って遊んだ、寝た、牧師が正しい牧師ならば、説教前に祈ります。可能ならば、触らないで。静かに置いておきましょう。この話が理解できないならば、神様と結着をつけるように願います。一番重要な時間です。牧師は、そこで答を出すことができなければ、それはでたらめな説教をするようになります。それで牧師と説教する人が、一番重要な時間が、もちろん、その前も重要ですが、説教直前です。この時、神様が願われることを話さなければなりません。それができないなら、皆様が遠くから車に乗って礼拝をささげようと来る理由がないのです。牧師が講壇で人間の話しをするのに、なぜそれを聞きに行くのでしょうか? 牧師が神様に感動を受けたメッセージをしないのに、私達がなぜそこに行って献金までするのでしょうか? そのような理由がありません。牧師が自分の話をするのに、私達がなぜそこに行って献身するのでしょうか? 神様の御声を聞かせてあげてこそ、私達がそこで献身するということです。
■ それで、皆様、聖霊充満を受ければ、さっと見れば、目に見えないけれど、あらゆる所に目に見えないように変化が起き始めます。私達が聖霊充満という話を知らなければ、目に見えないで問題がどんどんきます。ものすごく重要です。そして、聖日をどのように活用するかは、皆様が個人的にしなければなりません。私たちは六日間のあとで聖日教会にきます。正確に教会に来る日は、暦に 52週しかありません。今日、話すのを放棄すれば、また一週間後に話すようになります。そうしたあと見ると、聖日これもして、あれもしてとせざるを得ないのです。どのように、聖日私一人なんにもしなくて祈りだけするのでしょうか。それで、皆様個人が捜し出さなければなりません。それで、皆様の状態を神様がご存知であるから、聖日になにをするのか、神様、私に聖霊充満を与えて下さい。皆様のあらゆる五臓六腑、皆様のあらゆるからだの内外に、皆様の事業、家庭に聖霊が働かれるように。それで特に教役者は注意しなければなりません。皆様が聖霊充満という、この単語を知らなくてすれば、皆様が病気になります。この働きができなくなります。簡単なことではありません。しかし、神様の聖霊のなかですれば、私たちの力でしないために、私がまず恵みを受けるようになります。それで、教役者が重要です。皆様が聖霊の力でなければ、限界がくるために、この働きができなくなります。それでも無理にして、どのように正しくできるのでしょうか? 誰かが皆様を支援するでしょうか? しません。皆様が教役者の事情を誰が皆、知っているでしょうか? 知りません。家族も知らずに、私も自分の思い通りにしているのに、誰がするでしょうか? それで、キリストのなかで聖霊充満を受ける日が、シオンの祝福を回復する日です。それができれば、伝道の門も開いて、みことばが成就して、弟子が起きます。それができれば、それから現場変化が起きるのです。それで終わることではなく、それから世界宣教、文化を生かすべきだから、共同体が出てくるようになるのです。とにかく、皆様がこの祝福を回復しなければなりません。
■ 私が見た教会、皆様が見た教会、みな観念があります。私は幼い時、教会に通いながら、恵みを受けることができませんでした。不思議に私はそうでした。私がそのように勘が鈍い人間でもないのに、不思議に恵みにならなかったのです。そのように教会に通いながら、信仰が生じなければならないのに、信仰が生じるでしょうか? だから崩れるのです。ある日、私が本人に申し訳ない話ですが、私が幼い時、ヨイド教会に行ったのです。まず雰囲気は、長老教よりましです。率直にお話ししますが、私も長老教に属していますが、長老教の雰囲気は、礼拝をささげるのに、純福音教会の雰囲気がはるかにより聖書的でした。まず何万名が目が開いていました。私がよく見たら、とても疲れていて伝道師たちは寝ていましたが、一般信徒は目が開いていました。まず長老教に行ってみると、ほとんど書かなくて目をとじています。それからすでに、これが死んだ信仰です。これからなぜだろうかと思いました。それで、特に話しもしないのに、アーメンして拍手をします。私が月曜日に行ってみると、隅々に集まって祈って、これが何か? と思いました。私が幼い時、初めて見たからです。それで、私が教会は祈らねばならないという刺激を率直に受けました。それで私が純福音教団に移ろうかという考えもしました。移ろうと心に決めて、よく見ると、そうではないと思ったので、移さなかったのですが、よく移せませんでした。聖霊論も違って、他のことがちょっと多かったのです。強調する部分も違って、たくさん違いました。それで違うというよりは、私とは違うということを感じたのです。それでも、とにかく私が 刺激は受けました。ですから、教会がほとんど合同側も行ったことがありますが、行ってみるとほとんど寝ます。たましいだけ寝るのと違って、実際にみな寝るのです。それで、私たちの教会のように埋まることもなくて、午後に行ってみれば後のほうに何名かが座って寝て、前にはほとんどいません。水曜日のような時は、もっとひどいのです。こういう方法で教会が死んでいくのです。
■ 私たち一般信徒が、ここで力を得て行って、勝つことができるでしょうか? それで、聖書にあるこの祝福を受ければ、私たちはシオンの祝福を回復できます。今日、皆様が神様の都シオンにあらゆる祝福がみなあるので、初代教会をみつめながら完全に回復すべきです。今日、皆様がまさにこの時間だけでも、神様、私にキリストによって聖霊充満を与えて下さいと祈りましょう。私はそのようにだけしても良いと考えます。皆様がみことばを聞く瞬間に、主の聖霊が皆様と共になさるので、皆様個人、事業、家庭に働かれることを信じます。私達がみことばを聞くこの時間だけでも、主イエスの名前で、すべての暗闇が崩されることを信じます。天の門が開くことを信じます。まさにこの時間だけでも。すると、成功するのです。仮りに皆様が一週間、祈るならば、話をすることもできないけれど、聖日だけでも、神様の祝福を受けなければなりません。すると、整理が3つでできます。使徒1:1 前に書いた文がキリストです。使徒1:3 神様の国。使徒1:8 聖霊充満。この三つが残ります。これを正しく捕まえて祈るから、初代教会に七つのみわざが起きるしかなかったのです。皆様は既にキリストを迎えた神様の子どもです。皆様がその信仰告白をする所ごとに、神様の国が臨むようになるはずです。その福音を伝えれば、神様の国が臨むはずです。そこで祈れば、聖霊充満するみわざが起きるようになるはずです。
■ 今日、病んだ者が癒される働きが起きるようになることを願います。確かに聖霊は霊であるゆえに、全てのものに働かれることができます。皆様の肉体の中で弱い部分にも働かれることができます。確かに聖霊は時間、空間を超越なさるために、イエスの名前で皆様の事業に今、働かれることができます。明らかに、この人間の制限を越えることができる方であるために、今、この時間、皆様の子どもにも働かれることができます。私は確信します。この契約をあなたがたが回復しなければなりません。神様の都シオンから。ここに見ると、あらゆる祝福がみなあることを記録されています。それで、どれくらい重要でしょうか? それで、皆様がこの 答えを受けて、次の週いらっしゃる時は証しを持ってこなければなりません。次の週、ここにいらっしゃる時は、感謝があふれて耐えれない程になってくるべきです。今日、教会に行くのがいやだ、こういうことで来てはなりません。行かないと伝道師が、また訪問しにくるだろうということで、今日、教会に行くのがいやなのに、長老達が心配するかと思って、教会に来たら、どのように答えを受けるでしょうか? ところが、私はこういう考えを多くしてみました。皆様が目を開けた時、喜びが来るでしょうか。悩みが来るでしょうか? どうでしょうか? 寝ている途中で目を開いた時、幸福でしょうか? そうでなければ、何がそうなのでしょうか? それが皆様の現実です。それで、私達が答えを本当にちょっと受けて癒されれば、目を必ず開けたら感謝するようになります。今週も受けた答えがあまり大切で感謝する。そして、それを持ってまた教会に走って行く。それで '感謝しつつ主の大庭に入って' と言われました。それが、これから今日、小さい開始で起きるように。皆様は、キリストを迎えた奇跡的な神様の民です。これを味わって、宣布すれば、神様の国。それで暗闇に勝つことができます。それとともに、聖霊充満します。すると、七つの門が開いてしまいます。それで、七つの事実を暗記しても良いのです。頭が複雑なのに、覚えようとしないで。それがなれば、起きるようになっているのです。書いておくのが良いけれど、聖書にあるから、書かなくても良いでしょう。これだけ捕まえれば、七つの門は開かれるようになっています。すると、また次の聖日に教会にくる時、その次の聖日に教会にくる時、神様の前に感謝があふれるようになるということです。すると、真の答えが来たら、他の人にも影響を与えるようになっています。
■ 私は一時、こういう時がありました。目だけ開けたら、悩みが思い出せたのです。これがこの頃は、福音を味わうので、目だけ開ければメッセージが思いつきます。ある人は、目だけ開けたら、悩みが押し寄せます。子どもも目が開いたら笑う子がいて、泣く子がいます。ある子どもは、寝ても起きても泣きます。皆様、おとなもそうでないでしょうか? 寝て起きれば、不思議に気分が良くて、恵まれて、こうすべきなのに、寝て起きれば死ぬ。それがなんでもないことのようですが、ずっとなるために、全てのものを左右するのです。今日、キリストの名前で聖霊充満を受けて、行く所ごとに神様の国が臨むみわざが起きることを願います。一言で話を結びます。七つを暗記する必要がないと確かに話しました。キリスト、神様の国、聖霊充満の中にみな出てきます。この三つを持っても、頭が悪い人は暗記するのが難しいから、一つで要約します。マタイ12:28-29に神様の聖霊が臨めば、神様の国が臨むと言われました。ヨハネ14:26にわたしの名前で送る聖霊。すると、のように要約できるでしょうか? 皆様がだまされないで、キリストをお迎えしている方達であることが明らかなために、それだけ味わえば、神様の国、聖霊充満、みな解決します。この祝福を今日、すぐに味わうように願います。どのようにすぐに味わうのでしょうか? 説教が終われば原則的に一分間は祈らなければなりません。祝祷が終わって逃げる方もいますが、みな終わって一分程度は祈らなければなりません。私たち釜山では、初期には十分間しました。それが、十分賛美です。みことばを捕まえて祈って、それがなんでもないことのようでも、その時間に相当な癒し、相当な答え受ける時間になります。それで今日から皆様が、この祝福を回復する答えを受けるあなたがたになることをイエスの名前でお祈りします。祈る前にそばの人を見て話しましょう。イエスの名前で聖霊充満を受けてください。健康を回復されることを願います。
<<契約の祈り>>
神様、感謝申し上げます。今日、私達が口で、心でイエスの名前を告白しました。初代教会の聖霊充満が臨むようにしてください。無条件に受ける聖霊充満でなく、キリストの中にある充満があるようにさせてください。それで新しい答えが始まるみわざが主のしもべにあるようにしてください。時間、空間を超越した主の聖霊が、今、働いてください。私たちの長老と役員の産業、家庭に主の聖霊が今、働いてください。天の門をあけて、天の軍隊を今、派遣してください。また私たちの多くの職分者、病んだ者がいれば、今、主の聖霊で癒してください。あらゆる困難と問題は変わって、神様の前に証しになるようにしてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
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