2004年11月7日インマヌエル教会聖日メッセージ 1部/ 人々の錯覚
(ルカ11:14〜26)
■ 二週間前に蔚山で礼拝をささげました。子ども達が列で並んで、サインをしてくださいと言いました。たぶん、今、この時間にその人々は、画面で礼拝をささげているでしょうが、実物を見たから、そのようにしたようでした。そのインマヌエル蔚山教会のソ長老が昨日、こうおっしゃいました。釜山とソウルはひどい、これから釜山も譲歩して、ソウルも譲歩して、蔚山で礼拝をたくさんささげることができるようにお願いしますと言いました。良い意味で話したのですが、インマヌエル・ソウル、釜山、蔚山、あらゆるインマヌエルの家族は、神様のみことばをよく聞きましょう。そして、今、インターネットでみことばを受ける全世界の人々も、神様のみことばをよく見るべきです。可能ならば、私の話を聞かず、神様のみことばをよく見て下さい。私は皆様に説明をしてあげるだけで、皆様がみことばを確認しなければならないのです。しかも、私たち契約教会が、インマヌエル教会ゆえに困難にたくさんあっているので、神様の祝福があるように願います。たぶん、伝道に使命がある良い方が、決定されていっているようです。また、私たちレムナントに、神様の大きい祝福があることを願います。
■ 今、私のメッセージを他の教団の方達も、みな聞いています。特に、ある方は、教会は小さいのに、私の説教を聞いて、ずっと分析する方もいます。私たちを問題とみなした一番大きい教団の合同側は、私がいた教団です。その指導者とこの前、会いました。私が、このように話しました。今は解いて欲しい、確かに私たちは問題ないから、解いてください。ところが、そこに集まった方達が、話を正しくせずに遠回しに返事をするのです。簡単に話せば、あれこれ話しをして、嘘をつくのです。嘘だとみるより、心にない話ばかりをするのです。ところが、大邱から来た一人が、本当に話しました。その方が、私にこういう話しをしました。問題が生まれた発端が、信徒がたくさんそちらがわへ行ったためだ。今、もし解けば、信徒がたくさん行くために、できないということでした。それで私が、その方の話しに分かりましたと言って、ゆっくりしましょうと言いました。その方が、私に問題だと指摘する内容が何でしょうか? まさに今日読んだこの本文です。サタン、悪霊の話をするのを見て、柳光洙牧師はベレヤだと言って、ベレヤの調査をみなしたのでした。そこに柳光洙という人が講義を受けたのではないか、行ったことがあるのではないか、みな調査したのでした。このように探して見たら、柳光洙という名前が出てきたのです。確認してみたら、生年月日が違いました。名前が同じ人だということです。私がそこに行かないで、その人々と関係がないということが確認されました。それでも、ずっと間違っていると言われ続けています。一度も私に尋ねたこともありません。私に確認したこともないのです。今でも頼みます。神様のみことばなので、尋ねることがあれば、書面でも新聞でも、ジャーナリズムに話せば、私が返事をします。本人に尋ねないですることは不法です。それは、社会の法でも、そのようになっていて、宗教の法でもそうです。むかし金日成主席が、朴憲永を殺す時も、自白をするために犬を解いて、かみつかせたと言われるでしょう。そのような虚偽の自白でも受けて殺したではないでしょうか。少なくとも、私たち教会は、金日成主席よりは善良でなければなりません。相手に尋ねないで言う話は不法です。尋ねることもせず、主張するのです。
■ では、ベレヤが何であるから、私がそのように言われてしまったのでしょうか? ベレヤは、悪霊論を作って主張する団体です。少し前に、また問題が起きました。私がベレヤが間違っている点が何かをメッセージしたのです。未信者が死ねば悪霊になるということは、間違った理論です。その話を公的にしたところ、ベレヤ側が私に告発しました。それで、法廷で戦おうという内容証明書を送ってきたのです。今でも、その方は、私のメッセージを聞いています。私は、そのようにする時間がありません。いくらでも紙上を通じて文で送ってください。すると、私は時間ができれば、皆様が何が間違っているかを聖書的に答えるはずです。そのようにしなければならないのに、暴力で無理やりにしてはなりません。一度も私にそのように尋ねた団体がありませんでした。 無条件に嘘をついて、一方的に汚名を着せるのです。未信者もそうではありません。今日の本文に出てくる話です。そして、みな聞いています。全国、世界がこのメッセージをみな聞いています。資料を持って、みな分析しているのです。間違ったことがあれば、正式に出してください。すると、正式に私が答えるはずです。新聞がたくさんあるから、新聞上に出せば、私が新聞に答えます。日刊紙、週刊誌、キリスト新聞、社会新聞でもかまいません。一旦出せば、私が書いて出すことができます。
■ いったい人々は、何にだまされているのでしょうか? 未信者が死んで悪霊になる? 絶対にそうではありません。元々いた悪霊が利用するのです。ここに易、シャーマニズムをしていて帰ってこられた方達が多くいます。必ず記憶しなければなりません。親が悪霊になってくるのではありません。悪霊が親のまねをしてくるのです。その次に、必ず記憶しなければなりません。輪迴説を話す人がいます。前世に私が誰か? と探して、誰かを呼ぶことも、全部、悪霊のしわざです。悪霊はいくらでもできるのです。そして今、気功をする方達が、米国から韓国に気を通して会うことも、全部、悪霊のしわざです。これから、ますます、そのようなことが激しくなるはずなのですが、皆様が福音を知らなければ、大変なことになります。長い間、易、シャーマニズムをしていて福音に帰ってきた人々は、何の話なのか早く悟るべきです。
■ 私が、なぜこの部分を強調するようになったのか? というと、現場に伝道にでかけてみると、ほとんど100%が悪霊文化に陥っていたのです。皆様はよく知らずにいるのですが、現場の多くの人々が、迷信、占い、偶像にみな陥っています。今、神学者と牧師は、全く関心がないのですが、その人々は全部そこに陥って、死ぬほどの苦労をしているのです。それで、聖書では、この話をせざるを得なかったのです。より深刻な問題は、これがますます大きくなって行くのです。たぶん私は、それと関係ないという人が一番関係が深いこともあります。皆様、一番の先進国はどこでしょうか? 今までは米国です。すると、米国を最も掌握して、大きい影響を与えているのがどこでしょうか? ニューエイジという団体です。その人々がする事は、何か知っているでしょうか? ペテロヴァという人が、十四人の易、シャーマニズム人と作りだした宗教です。ですから、簡単に話せば、あなたも悪霊につかれることができるということです。それが、まさに神様に会う道だと教えて、それを体験させるのです。それゆえに、文化とか、全てのものを作り出すのです。このことを一番上手にやる所が、米国です。どのように関係ないでしょうか? こういう深刻な問題がきました。
■ 今日、学習、洗礼を受ける日です。私がこの話が出てきたからした言葉で、長い話しはできません。人々は、ほとんど聖書にだけある、この内容をよく知らずにいるのです。私は世にあるこの問題、人々が誤解していることが、聖書にだけ答があるということを知りました。次に言うことにして、今日、本文にあることだけを見ましょう。皆様が認めようが、認めまいが、今日の聖書にあるのを見るべきです。最初に見るべきです。医者や人々が直すことができない病気があります。皆様が認めなくても良いのです。しかし、今日の聖書には、そのように話しています。医者が直すことができなくて、人が直すできない病気があるのです。私たちの教会も立派な医者の方達が多くいます。私たちチョ・ギボン長老は、とても実力がある医者です。昨日、結婚したヒョチェさんも医者です。その他にも、私たちの教会の中に、実力があって、福音を持った医者がたくさんいます。ところが、私達が直すことができない病気があるのです。
■ 今日の聖書を見ると、悪霊と関連した病気があることを説明しています。ベレヤはどう話すかというと、すべての病気は悪霊と関係があると言いました。それが間違っているというよりは、そのように話せば誤解する人が多いのです。聖書通り話そうとするなら、悪霊につかれて不治病になった人があるということです。どれくらい多いかということは、皆様が捜し出すことであって、それは私達が干渉して判断することではありません。今日ここのルカ11:14に、確かにおしの霊につかれた者と言われています。すると、また、このように尋ねるかもしれません。おしはみな、悪霊につかれたのか? 私は知りません。今日、ここを見ると、おしの悪霊につかれた者と書かれています。このまま認めるだけで良いのです。マルコ9:23-27見ると、悪霊につかれててんかんになった者、それなら、悪霊につかれて重要な不治病になることがあるという話です。私はこの部分を認めます。すこし強調します。私は、この方達は、福音でなければだめだと見ています。それで、私たちは正確な福音を熱心に伝えなければならないのです。これより立派な愛国はありません。これより人を愛す方法はありません。それで、神殿の美しの門にいた足のきかない者をペテロが見たのです。小銭が問題ではなくて、この人が霊的問題であるということをペテロが見たのでした。
■ 使徒8章を見ると、確かに記録されているのは、この悪霊につかれた者が、悪霊が離れたので、病気がよくなったとされています。使徒16章にも、悪霊につかれて占う人が、悪霊が離れたのでよくなったとされています。それなら、私達が占うことが、どれくらい問題なのか分かるでしょう。使徒19章、13章にも、そのような記録がたくさんあります。1,2カ所ではありません。イエス様が弟子を呼んで先ず一番に言われたみことばが何か知っていますか? マタイの福音書では、このように記録しています。わたしについてきなさい。わたしがあなたがたを人間を捕る漁師にしてあげようと言われました。マルコの福音書では、このようにおっしゃっています。わたしがあなたがたを呼んだのは、あなたがたと共にいるために呼んだ。また伝道するために呼んだ。悪霊を追い出す権威を与えるために呼んだ。イエス様が初めて言われたみことばです。イエス様が、一番最後に何とおっしゃったのか知っているでしょうか? 全世界に出て行きなさい。わたしの名前で悪霊を追い出しなさい。この話は、ベレヤでもなくて、悪霊論でもないのです。韓国、世界教会が、全く関心がない現場には、全部、悪霊文化に陥っています。ですから、それを否認することができれば、文章で送ってください。すると、答えます。無条件に無理に不法にせず、その文章を送れば、私が返事をします。
■ 未信者がほとんど100% 知らずに悪霊文化に陥っています。それで、良くなるなら、かまわないのですが、どんどん霊的問題がきて、後ほどは解決できない問題がどんどん生じるのです。イエス様が、すると失敗なさったのでしょうか? 今日の本文にも見ると、イエス様が悪霊にかかった者をいやされる内容が出てきます。私達が今、伝道をなぜしなければならないかという理由も、ここにひとつあります。もちろん、救われる神様の恵みを伝達するために、伝道するのです。しかし、この方達にどのように助けるべきかという答が出てきます。もちろん、皆様が行って、なんでも全部、悪霊、サタンだと見てはなりません。それは水準の問題で、間違いではありません。時々、あまり勉強していない人の中に、田舎の易、シャーマニズム人が、悪霊につかれて、このようにするのですが、それは無知であるという問題で、間違いではありません。ちょっと、そのようなことを参考にせねばなりません。ところが、このものすごい霊的に暗い事実を、みな覆ってしまうということは、大きいことが起こるのです。本文で一番目に見るべきことです。
■ 今日2番目に、必ず見るべきことがあります。大部分の人々や、パリサイ人が、福音も知らずに、キリストも知りません。今日、イエス様に何と言ったでしょうか? あなたは、なぜ悪霊を追い出すのか? あなたは、もしかしてベルゼブルではないのか? 悪霊の王ベルゼブルの霊につかれたのではないか? イエス様が、とてもあきれて、こうおっしゃられました。わたしが悪霊につかれて悪霊を追い出せば、悪霊の間で戦うのではないか。それが話になるか? イエス様が、あまりに話しが通じないので、おっしゃられたのです。最後に何と言われたでしょうか? こういう秘密を知らなければ、神様と関係ない人ではないのか。マタイ12:29-30に、神様と関係ない人ではないかと言われました。話しが通じません。何の話をすれば通じるのかは、分かります。秩序を守って、良いことをして、話しをよく聞いて、善良で、こういう話をすれば通じるはずです。それが悪いということではなくて、それゆえに、イエス様が十字架を背負われたのではありません。ほとんど、キリストが誰なのかを知らないのです。福音が何かも知りません。
■ 皆様、福音は何でしょうか? 私たち人間の力では解決できない重要な問題があります。避けることができません。それを解決することが福音です。より簡単に話せば、創世記3章の事件で始まった問題を解決することが福音です。だから、福音も知らないのです。救いとは何でしょうか? 教会が救いをどのように知っているのでしょうか? すこし理解するという人が、イエスを信じて天国に行くと言います。間違った話ではありません。 しかし、聖書には、そのようになっていません。聖書には、救いを何だと説明しているのでしょうか? 今、信じれば、神様の子どもになる。イエスを信じて、神様の子どもになれば、過去のすべての運命、背景がみな解決するのです。そして、その後に死ねば天国に行くことになるのです。死ななければ行けなくて、死ねば行くのです。死なないこともあります。今、礼拝を終えて帰るのに、イエス様が再臨して来られるならば、私たちは死ななくても行くのです。そのような意味で見る時、イエスを信じねばならない理由で、死んで天国に行くということは間違った話しです。イエスを信じれば、神様の子どもになります。イエスを信じれば、皆様の過去、運命、家系の問題、霊的問題がすっかりみな解決するのです。そして、もし早く死ねば、早く天国に細いので、遅く死ねば、遅く行くのです。だから、救いが何かも知らないのです。そして、キリストが何かも知らないのです。
■ キリストは、何の話でしょうか? 私たち信徒は、幼い子どもも知っているはずです。16年間、話してきました。今、外に出て、イエスを信じる人に尋ねてみましょう。キリストが何かと尋ねれば、何の話なのか分かりません。すると、救われたのか、救われないのかという以前に考えてみることがあまりに多いのです。皆様が、外で誰かが呼び鈴を押したら、誰なのかわからないのに、ドアを開けてあげますか? 皆様が、確かに夜に皆様の夫は外国に行っていないのに、誰かがドアをたたいたら、確認もせずに開けるでしょうか? 少なくとも、誰かが呼び鈴を押したら、のぞき穴から誰かを見て、確認して開いてあげるでしょう。イエスが誰なのかも知らずに、信じるのでしょうか? キリストが何の話か? 知らないのです。この人達が、敢えてイエス様を見て、悪霊につかれたと話しました。だから、イエス様があきれて、わたしが悪霊につかれたのならば、悪霊につかれた人と戦うのではないかと言われました。話にならない話しです。宗教、迷信、悪霊、全部このようにずっと紛争がおきるのですが、死ぬしかなくて、すると家庭が崩れるのではないでしょうか?
■ ここで重要な話しが出てきました。偶像崇拝をすることは、ずっと霊的な争いがおきます。この話を私たち教会の易、シャーマニズムをしていて来た人々ならば、すぐ分かるはずです。皆様は知らずにいるだけで、ないのではありません。知らずにいることと、違うということは、違うのです。知らずに何の関係もないとしても、関係がないのではありません。目に見えなく、どれくらい多くの困難がきているか分かりません。人々は、何にも知らずに、単に生きていくのです。神様の子どもになって、福音を知ったということが、どれくらい大きい祝福なのか、確認すればするほど正確です。職場でも、お祓いをするのに、私はどのようにせねばならないのか? そのようなことを心配する必要もありません。
■ たぶん、この席に座っているでしょう。10年以上前のことです。初めて私たちの教会にきて、イエスを信じたのです。イエスを信じたので、どれくらい良かったでしょうか。家は蔚山です。代々で儒教の家庭でした。良い家系だったのです。この人が心配になったのです。家では法事を重要に思っているのです。葛藤が生じたのでした。行かなければならないのか、行けば法事を行なわねばならないのではないか。しなければ、どのようになるだろうか、行かないならば、どのようになるだろうか。かなり悩んだのでした。私に相談してきました。私が本当にイエスを信じるのかと尋ねました。信じると言いました。イエス様を救い主として信じるのかと言いました。そうだと言いました。それなら、あなたは神様の子どもだ。心配する必要がない。行って話しなさい。行くのがいやならば、行かなくても良いけれど、行きたかったら行きなさい。行って確かに話しなさい。姿勢は謙遜にして、確かに話しなさい。神様の子どもになったと言いなさい。偶像崇拝しないと話しなさい。もしそれでなぐられて死ねば、それを殉教と言う。1ケ月間、この人が祈って行ったのです。本当に殴られる覚悟をしていたのです。父、叔父、兄、みないるのに、覚悟をして行ったのです。本当に堂々と話したのでした。ものすごい法事が行われたので、行って話をしたのです。父、叔父、兄、私の話をよく聞いてください。私はイエスを信じて神様の子どもになった。私は法事を行なうことができない。家族が法事を行なう時、他の部屋で祈りをする。神様の子どもの私が法事を行なえば、私も損で、父も損で、みな損になる。本当に大騷ぎが起こるかと思っていたのです。ところが、父、叔父、兄が全く同じく同意して、宗教は自由だから分かったので、そのようにしなさいと言ったのでした。それを私に証ししてくれました。これからは、行って一つ一つ説明をしてあげなさい。救われたということは、どれくらい重要な事実なのか、私たちはいいかげんに知って、過ぎ去っているのです。
■ 三番目です。今日、ここに重要なことをおっしゃられました。宗教生活をよく知らないのに、宗教生活や教会生活をすればするほど、最後に困難が来るのです。教会生活もでしょうか? そうです。福音を正しく知らない教会生活は、宗教生活とそっくりです。信仰生活をすればするほど、困難がきます。グッ(降霊術)をしてみた人は知っているはずです。すればするほど、問題が来て、高いグッ(降霊術)をしなければなりません。まったく同じです。福音を正しく知らなくて教会生活することは、偶像崇拝とそっくりです。ある面では、より難しいのです。未信者は、遊んでしまって滅びるけれど、信者はそうではありません。空港に行くと、ネエヨンジョンというお寺があります。幼稚園がよくできているということで、見に行きました。どれくらいよく作ってあるか、驚きました。バスが二台あって、子ども達を乗せて行き来します。子ども達に、木魚をたたいて祈ること、みなさせるのです。施設をものすごくよく作っていました。寺を一度、見て回りました。ものすごかったのです。外に行くと、口徳山の川から水が流れてきていました。そこにテントをはって、人々が休んでいました。寺に入っていってお辞儀を一度して、出てきて休んでいたのです。驚きました。教会に一度行ってみましょう。毎日、神経を使って戦っています。福音を知らなければ、イエスを信じるのがもっと苦労です。福音を知ってしまえば、完全解放、完全勝利ですが、福音を知らなければ、最後に困難がきます。
■ 24節に出てきました。悪霊が水がない所へ行って休み場を探すと言われています。参考にすることを望みます。水がない所へ行くのです。休む所を探します。皆様が、怠けたり、気落ちしたり、崩れたりすれば、大変なことになります。より重要なことは、空席で、きれいに片づけられた所を探しています。 26節を見れば、七つの悪霊をもっと連れてやってきます。後日が、初めより難しくなるのです。これが宗教生活です。絶対に福音は宗教ではありません。本当に神様の祝福を受けることを希望します。
■ 最後のメッセージを記憶しましょう。21〜22節に、こういうみことばがあります。 "強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。" 最後に記憶しましょう。何のみことばでしょうか?強い者が皆様の家にいるのに、弱い者がきて家の物を奪って行くことができるのでしょうか? しかし、より強い者が武装してきて、皆様を縛ってしまって、財産を奪って行けば、どのようにするのでしょうか? そうでなければ、皆様の家に悪い強い者が来ているのに、どのようにするのでしょうか。家族も財産も守ることができません。悟らなければなりません。目に見えない強い者が、家庭にいるのに、どのように家庭を救えるのでしょうか。どのように国を救えるのでしょうか。この話をどのように分かるでしょうか? 今、悪霊論であるからベレヤだというたわごとを言うのですが、どのように、この問題を解決できるのでしょうか? 今、ほとんどみな答を探せずにいるのに、どのように解決できるのでしょうか。
■ 今日、学習、洗礼を受ける方達、全世界でメッセージを聞く方達、一度、正確に確認してみましょう。米国で正確に確認してみましょう。私が見るのに、偶像崇拝を一番している国が米国です。日本は言うまでもありません。霊的問題、悪霊文化が最も多い所が米国です。表に見えて多い所が日本、台湾です。韓国は実際に、生活現場に行けば広がっています。どれくらいたくさん広がっているのか、人々が生活化してしまっています。契約を握ることを望みます。今日、ここに礼拝しなければならない理由と、祈らねばならない理由が、ここにあります。それで、イエス様が試みにあわないように祈りなさい。悪い者が試みないように祈りなさい、違ったことは、事実、祈ることがそれほどないでしょう。今日、皆様の家庭に、事業の場の中に暗闇、強い者から破りましょう。長い間、皆様の家庭を難しくさせている暗闇の勢力から打ち破りましょう。
■ これより重要なことはありません。レムナントに頼みます。今回のレムナント集会でも、このように話しました。カナダに行っても、このように頼みました。皆様が今まで受けた背景、開始、傷をそのまま持っていれば、それゆえに多くの問題がきます。福音で勝ち抜きましょう。私達が希望を見れば、絶望は問題になりません。
■ それで、私が今回、フィリピンに行って、こういう話をしました。ずっと前のことです。私たち教会の役員が相談して、牧師の車を一台買おうといって、その当時、コンコードという車を選んでくれました。朝に私に電話がきました。先生、今日の午後に新しい車がくるので待っていてください。その電話を受けて、ご飯を食べるのに気分が悪いでしょうか? 良いでしょうか? 今日、午後に新しい車が来るのに、気分が悪いことはありません。気分が良かったのです。それで車に乗って太宗対に行きました。暑くて運動をしようと思ったのです。車を止めていたら、影島に住んでいるある女の人が、バックしていて、私の車にぶつかってしまったのです。私の車の後ろが引っ込んでしまったのです。女の人が、驚いておりてきて、申し訳ないと言いました。かまわないと言ったのです。女の人が驚いて、電話番号を書いて直しますと言いました。私は、顔になんの変化もなく、かまわないと言いました。直したら、電話してもらったら、お金を送るからと、朝からすまないと、直しますと言いました。その女の人に、そのまま行ってくださいと言いました。本当ですか?と尋ねられました。車に乗って行きながら、あの人は、本当に良い人だと言っていました。よく見たのです。私がなぜ車がへこんだのに、気分が悪くないのでしょうか。その車は、廃車しなければならないのです。午後に新しい車が出てくるのに、何で絶望するのでしょうか。何ゆえに、その女の人と戦うのでしょうか。
■ 皆様の過去がどんなに良くなくても、本当に希望を見れば終わるのです。レムナントの皆様が本当に福音を正しく見てこそ、傷、過去がなくなります。それでければ、なくなりません。福音に正しく結論が出てこそ、その時から見えることがビジョンです。答が出てくれば出てくるほど、小心な人物でなくなります。本当に成功しようとするなら、神様の力で助けられなければなりません。なぜ、そうなのでしょうか。五千年間、ずっと伝わってきた韓国の暗闇文化を皆様がなくさなければならないのです。これが小さなことに見えるのですが、各種の問題で、この地球上に現れているのです。今日、本当に祝福の日になることをイエスの御名でお祈りします。インマヌエルの家族と全世界の使命者に祝福があることをイエスの御名でお祈りします。一言だけ言います。まだ理解できないと言う方はいますか。人生をよく見つめるように願います。勝利する祝福があることをイエス様のお名前によってお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝します。私たちに大きい救いを下さった神様に感謝申し上げます。これから、知らずに死んでいく者を生かすようにさせてください。これから、知らずにだまされている者に、救いの秘密を伝達するようにさせてください。大韓民国が、世界が、偶像問題に陥っています。人々が普通に考える悪霊文化に陥りました。彼らを救って、治療する道は福音しかないことを私達が知って、真の力を得るようにさせてください。今日、まさにこの祝福を受ける貴重な日になるようにさせてください。悟る時、答えを与えられる神様が、悟りの日になるようにしてください。信じる時、働かれる主が、信仰で真に働かれる時間になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
2部/ 義人の情念に答えてくださる主
(詩篇 94:1〜23 )
■ 今日はサイバー宣教の献身礼拝です。年をとっている方達は、それがなんの話かと言うはずです。簡単に話せば、コンピュータで何かをすることです。銀行に直接行かずに、コンピュータですることを、サイバー銀行と言います。デパートに行かないで、コンピュータでデパートに行ったりきたりすることを、サイバーデパートだと言います。すると、年をとった方達も分かるでしょう。ところが、分かる程度ではなく、考えてみれば、とても重要だという気がするはずです。今、サイバー時代だと言われています。それで、ある人が店を作って売る物よりは、インターネットで売る物がもっと多いらしいのです。学生達が会って対話するよりは、インターネットで対話することがもっと多いらしいのです。それで見ると、自然にメッセージも、インターネットで送るのです。インターネットの中で教会も作って、講壇も作るのです。それをサイバー教会だと言います。実際に目に見える教会より、もっと大きくすることができます。それなら、ものすごく重要だということになります。重要な理由がいくつあります。これから、サイバー時代がくるので、問題がくることがあります。それで、コンピュータを活用して、インターネットの中に入っていく人が、いくらでもいるので、問題もいくらでも生じることがあるのです。それで、一度、問題にはまった人は、ずっと陥ってしまうのです。
■ 例えば、話してみます。学生が勉強しないで、一人で部屋に入ってインターネットでゲームを始めれば、一度で終えるのではなく、ずっと入っていくのです。生活の中心が、それになって、勉強もできなくなるのです。この問題が終わらないで、ずっと続くのです。なぜなら、畑が広くて、資料がずっと出てくるためです。福音がない人が、サイバー時代がくれば、より問題がきます。それで今は、学生達が勉強よりは、それをより多くするのです。特殊な場合かもしれませんが、それを通じて問題が生まれるようになるのです。なんにも知らない女学生が、全く知らない男の人と対話をすることができます。そのまま市内で対話するのが難しいのですが、そのなかでは、対話がやさしいのです。だから時間が余っている女の人は、あらゆる男の人と対話をすることができるのです。インターネットをしない私を除いては、みなできるのです。このように、無尽蔵な畑があります。いろいろな問題がずっと起きます。これから、相当な時代がくるようになるはずです。インターネットのなかで、発展が急速に成し遂げられて行っています。機械もずっと発展するはずです。だから、発展するだけ、問題も大きくなるのです。
■ これから、このように予測できます。公営放送が存在できるでしょうか? こういうように行けば、新聞社も揺れるようになるでしょう。デパート、銀行が、これから必要とされるでしょうか? こういうように発展するのです。相当な変化が起きます。以前は少しずつ発展したのに、今は急速に発展しています。それで、地球上にくる問題の中で、一番、霊的問題が大きくくることができるのがサイバーです。私たちの学生達が記憶しなければなりません。便利なことは、連絡も速くて、商売することも速くて、情報も速いのです。だから、なくすことができません。そのスキを突いて、霊的問題を与えることがずっと起きるのです。それで、私達がサイバー宣教をしようということです。私たちは、サイバー宣教を通じて、暗闇を打ち破ろうということです。そのように見る時、とても重要なのです。それで結論的に話せば、一番重要です。時代的状況で見る時、一番重要なのです。
■ これから、ますます大きくなるでしょうが、より重要な理由が、まだインターネット世代は子ども達が多いのです。前におられるヤン・スンジャ勧士、カン・チュンヒ勧士、ハン・ヘンスン勧士は、インターネットをされないでしょう。確かになさらないと首を振りました。だから、インターネットは、子ども達がみなするのです。これから、この子ども達がおじいさんになるならば、みなするでしょうが、今現在で見る時、若い世代がすべてします。ここに全てのものがみな入るので、この子ども達に問題がくるのです。あなたがたは、経験もあるので、判断できますが、学生達は多くのことを見ることができません。それで、私達がこういう部分に使命を持っていかなければだめなのです。それで今、インターネットを担当する方達、そして、通訳、翻訳をする方達、資料を取り扱われる方達、あなたがたがどんなに苦労して、苦しくても、耐えなければなりません。とても必要なことであるから、神様は全部、本文にあるように報いてくださるはずです。過ぎ行くむだな ことをするのではなく、必ずなければならない事を土台としているので、難しいこともあります。それで、この部分を通訳、翻訳、資料、インターネット、色々な機械を扱う方達が、あまりにも重要だということを、本人が知っているでしょうが、より重要に悟らなければならないのです。知らないのではなく理解するといっても、多くの他の方達が、あなたがたに神経を使うのがむずかしいのです。それで、当然ではないでしょうか? 皆様が私が受けている多くのことを理解できないように、皆様も全く同じなのです。すると、皆様が十分に私を理解してくれることができないという理由で、私が気分を悪くするならば、私の損害ではないでしょうか? あなたがたが、あまりに重要なことをしているので、他の人が理解できなくて、皆様を難しくさせることがあります。方法はひとつしかありません。耐えながら続けて行くのです。すると、時刻表が過ぎながら、どんどん発展していくのです。
■ それで、私たちクリスチャンとレムナントは、3つのことを必ずすることを知っていなければなりません。最初は、福音を発見する程度ではなく、福音を持ってずっと見ることができなければならないのです。皆様、これがなんでもないことのようですが、考えが完全に変わります。やさしい例で、葛藤がある人を見る時、律法の目で見ることと、福音の目で見ることは、完全な差が出ます。全てのものを、福音という正確なめがねを持って見ることが習慣にならなければなりません。それが一番目のことです。もうひとつは何でしょうか? あらゆる現場、事件、人を持って、神様の重要な計画が何かをいつも考えなければなりません。この二つのことは、特に時間はかかりません。問題は、三番目のことです。この福音をどのように味わわなければならないのでしょうか? 残りのことは、いつも祈りで味わわなければならないのです。驚くべき事が行われるはずです。皆様がこのようになることなしでは、これからやってくる霊的な時代に勝つことができません。
■ 一名だけ例を上げます。ヨセフの例を上げます。ヨセフは、福音を知っていました。夢を見て、自分の家族を見て、全世界を見て、事件を見ながら、福音をずっと理解したのです。それは一瞬だけでなく、常に味わうことです。皆様が福音を本当に知っていれば、一度で終わることでなく、ずっと開くのです。すると、2番目のことが重要です。来てみたら奴隷できたのでした。来てみたら監獄にきたのでした。これが2番目の解釈です。ヨセフは、それを感謝する程のチャンスを探し出したのです。事実上、お兄さんの家にいれば、たたかれて死んでいたのに、ここで重要なことをすべきだと決心したのです。私はポティファルの家にいたら、永遠に奴隷だったはずなのに、神様が私を監獄に送られたと考えたのでした。このように重要なことを発見したのでした。すると、残りは何でしょうか? ヨセフが、ずっと祈ったのでした。主がヨセフと共におられたのです。この三つのことは、絶対に逃してはなりません。私たちレムナント達と、キリスト教信者は、誰でも絶対に逃してはならないのです。これがすべてです。あらゆる信者が悟らなければならない3つのことです。
■ 例を上げれば、私は今日、ここに座って祈りました。何の祈りをしたのか? というと、弱いけれど、世界福音化の最も重要な席にいるのです。それが私の一番目の悟りです。すると、蔚山、ソウル等、多くの方達がインターネットで礼拝をささげています。よく見えないこともあるのに、メッセージを聞くために集まるのです。私が2番目に祈りをするしかないことです。神様、メッセージで答を与えて下さいとお祈りしました。神様のみことばで答をくださいと言ったのです。座って、ずっと祈っていました。すると、答えがみなくるようになっています。それでこそ、皆様がこの難しい時代、サイバー時代、情報時代に勝ち抜くことができるのです。簡単な話のように見えるでしょうが、あらゆる成功した答えられた者達は、このようにしたのです。残りのあいた時間に祈ることが全部違って、味わうのです。私たちは、何かをしばしばしようとするのですが、最も重要なことは、祈りを味わうことです。
■ もう一つだけ、例を上げます。ダニエルです。ダニエルは、捕虜になりました。悟ったのです。自分の国が、偶像崇拝をして、福音を知らなくて神様を喜ばせないから、国が滅びたと考えたのです。ダニエルが、その契約を捕まえて、ずっと祈ったのです。そこで、ダニエルは、高級公務員に抜てきされました。それは、祈りの答えです。ダニエルは、それを置いてずっと祈ったのです。ダニエルの周囲にどんなことがおきたのか知っているでしょう? これが信仰生活です。特に表には現れません。知らないクリスチャンは、表に出れば祈りをします。そのような必要がありません。それも祈りですが、ものすごく水準が低い祈りです。ある人は、よく知らずに、仕事もせず、休暇を取って何日かずつ家を出て、祈りをしにいきます。それももちろん祈りです。しかし、水準が高い祈りではありません。人をすこし困らせる祈りです。本当に祈る人は、表に現れません。ヨセフは、仕事をしながら祈ったのですが、どのように分かるでしょうか? 誰も知らなかったのです。ダニエルが祈ることを知らなかったのですが、家に帰って祈りをするのを見つけられたのです。それもダニエルの弱点をつかみ出すために、隠れて見た人が知ったのです。事実は知らなかったのです。皆様がこういう祈りの秘密だけ今、持てば、皆様はどこででも勝利します。今日、皆様が契約をよく捕まえながら、一生の祈りの答えを受けるようになることを希望します。
■ ただ3つのことだけは、記憶しなければなりません。最初が何でしょうか? あらゆる信者とレムナントは、何を悟ったのでしょうか? 何を悟ったので、祈りをずっとできたのでしょうか? まず、3つのことを悟りました。あらゆる祈りの答えを受けた人々とレムナントは、情念(切なる思い)を悟ったのです。皆様、この話はものすごく重要な話です。幼い時、お母さんが亡くなったのです。そして、兄達ゆえに死ぬ目にあわされたのです。奴隷に行って、監獄へ行ったのです。ヨセフには、情念(切なる思い)がありました。なぜそうなのかを知っていたのです。ヨセフは、その契約を捕まえて祈ったのです。皆様、レムナントが必ずこの三つのことを、まず悟らなければなりません。その情念(切なる思い)は、単に悟ったのではなく、契約として悟ったのでした。なんの話なのか分かるでしょうか? 皆様、これが悟れないならば、情念(切なる思い)がないというころは、普通の言葉にすれば分別がないということです。これが契約で悟れないということは、福音がないということです。その人生は終わったのです。成功することができないのです。ここにレムナントが座っています。確かにこの中で考えがある子ども達は、考えがあります。勉強すべきだという考えを持っているのです。情念(切なる思い)が契約にあって悟れなければならないのです。このようにならなければなりません。三番目は、契約的な情念(切なる思い)に変わらなければならないのです。前は世の中的な情念(切なる思い)であったのに契約的な情念(切なる思い)に変わらなければならないのです。前は嘆いて、気落ちする情念(切なる思いであったのに、今は契約的な情念(切なる思い)に変わるのです。 前は傷を受けて気落ちする情念(切なる思い)であったのに、今は戦うことができる情念(切なる思い)なのです。なんの話なのか分かるでしょうか?
■ 今日、この内容の中に義人の情念(切なる思い)に答えてくださる主です。情念(切なる思い)がないということは、分別がないということなのですが、すると、考えがないということです。どんな情念(切なる思い)でしょうか? 契約に変わらなければならないのです。それで、新しい情念(切なる思い)が生じなければならないのですが、契約的な情念(切なる思い)が生まれるのです。あらゆる宣教師、牧師、奥様を見る時、私は情念(切なる思い)が生じました。全部自分個人に良ければ良いことで、自分によくしてくれれば良いとハレルヤで、そのようなことでした。福音に対することは、何の関心もないのです。私はそのようなことをたくさん見たのです。それで、私はそれが私の情念(切なる思い)です。私達がご飯を一日に三杯ずつ食べるために生きているのでしょうか? それではないのです。そのようならば、動物より劣ります。どれくらい残念なことでしょうか。モーセは、イスラエル民族を連れて行くべきだということが、モーセの80年の情念(切なる思い)だったのです。それが契約に変わったのでした。犠牲のいけにえをささげに行きなさいと言われました。その時からモーセがツエを持って、パロ王の前に立って、紅海の前に立った時、人が違ったのです。これを持った人が祈りができないでしょうか? 祈りも、はじめにできない時にすることであって、後ほどはなっていくようになります。今、良くできないのでしょうか? しばしばするように願います。
■ 私が見る時、祈りは三段階があります。しようと苦闘する段階があります。その時は初歩ですが、苦闘しなければなりません。しかし、少しだけ祈れば良いようになる段階がきます。後ほどは、祈りが超越する段階がきます。いつどこでも祈りが簡単に連結する段階が来るのです。こういう段階になってこそ、勝利できるのです。だから聖書で答えを受けた人々、レムナントが悟ったことを、私達が悟らなければならないのです。特に2部は、レムナントを標準としています。おとなは全く聞かなくても良いのでしょうか? そのようなことではありません。私たちレムナントが貴重だから、メッセージをそのように合せるのであって、おとなは、必ず知っていなければならないのです。それで、レムナントが必ず悟らなければならないことが、情念(切なる思い)、契約、契約的な情念(切なる思い)です。すると、序論に話したように、福音的な目で、場所に神様の働き、祈り、この三つだけであらゆる問題が解決します。これだけずっとしていれば、2番目に義人の情念(切なる思い)に主が答えてくださるのです。私たちはそれだけしているのに、神様が答えてくださるのです。神様を信じない人は関係ない話ですが、神様を信じる人には重要な話です。
■ それで、アブラムがこのようにしたのです。おいを呼んで、話をしました。あなたがまず選択しなさいと言ったのです。あなたが東なら、私は西、あなたが平地を選べば、私は山を、これから戦わずに別れようと言ったのです。この時から、アブラムが祈りし始めました。歳月が少し過ぎて、戦争がおきて、ロトは捕虜になって行ってしまいました。アブラムは富豪になっていました。自分の家のしもべだけで318人だったのです。どのように、このようなことがおきるのでしょうか? 主がなさったのです。皆様、ヨセフがどのように総理になることができるのでしょうか? 主が義人の情念(切なる思い)に答えてくださったのです。皆様、本当に重要な契約を握るようになることを希望します。ダビデが苦難にあいながら、逃げ回ったように見えるのですが、そうではありません。3つのことをしていたのです。ダビデは、福音と現場と祈り、この3つのことを捕まえて逃げて回ったのですが、単に逃げて回ったのではありません。ある日、時刻表がきたのです。ダビデが戦わなくても、サウルの軍隊をみななくしてしまったのです。時刻表が来ます。私たちレムナントは、のがさないように願います。いつでも3つのことだけするように願います。簡単に話せば、福音の目、現場を見る目、祈りです。この三つだけしていれば時刻表がきます。どれくらい素晴しいでしょうか? 待っていれば時刻表がくるのです。
■ 皆様、ダニエルがそのまま待ったのではありません。一日に三回ずつ祈って、常時でずっと祈っていたのです。ある日、ダニエルに時刻表がきたのです。獅子の穴に入っていったのに、死ななかったのです。奇跡です。だから、これだけ捕まえていれば良いのです。皆様よく悟れるでしょうか? だから、3つの目だけ開かれれば良いのです。福音の目、現場を見る目、これを味わう祈りの目です。これだけ開かれて、じっとしていれば、答えはくるようになっています。この祝福をレムナントのあなたがたが、必ず受けてくださることを願います。2時に礼拝をささげているゆえに、すこし疲れているはずです。楽におやすみになることを願います。この時間にじっとしていれば、立っている私も眠りたくなるのですから、あなたがたは、どれくらい眠たいでしょう? 方法は簡単です。次の週から、私が座って説教をして、皆様が立って聞けば良いのです。立っていれば疲労を忘れることができます。
■ 元々、聖書の背景を見れば、使徒がメッセージをしようと出てくれば、教会員は立ち上がって、使徒は座ってしました。それが原則なのですが、皆様は座って聞いていて、私は立っています。どんなに皆様が疲れていても、いまは重要な時間です。私の話を聞かず、現場を考えるように願います。福音を持って全てのものを見る目、現場を見ることを願います。すると、現場の中で最も望まれている神様の計画が見えるはずです。すると、これを全部集めて、福音を味わうことができるのが祈りです。ずっと祈っていれば、間違いないみわざが起きるようになっています。そのうちで重要な三番目があります。単純な義人の情念(切なる思い)に答えてくださるのではなく、契約とみことばにしたがって答えてくださるのです。だから、イザヤ 60:22に、主であるわたしが、時になれば成し遂げると言われました。使徒2:1に '五旬節の日になって' 聖書をよく見れば、聖書箇所4つにしたがって、契約がみななされました。創世記3:15です。 その一節にしたがって、アブラハムの家系が動いたのでした。たぶん一般のみなさんが、大学でも学べないことですが、契約によってみな動くことで、成就になるのです。出エジプト3:18を見ましょう。それにしたがって、モーセとその弟子達がみな動きました。三番目にイザヤ7:14です。その聖書箇所にしたがって、イスラエルが捕虜から解放されるあらゆるみわざがみな動きました。4番目に、マタイ16:16です。その箇所にしたがって、全世界が動いたのです。
■ 皆様は4ケを皆知っているから、4回、動いても残るのです。その時代にそれ一つだけ知っていたのに、世界が動かされたのに、皆様は4ケを皆知っているから、十分に働きが起きても残るのです。それで、私は高慢ではなく、大胆にするのです。主であるわたしが、時になれば、すぐに行う。ある日、時刻表になれば、皆様個人に働きが起きるはずです。ある日、時刻表になれば、神様は私たちに良い、驚くべき門を開けてくださるのです。祈りだけをしましょう。まだ私達は、建築ができなくて、色々な問題があります。ちょっと話しが通じない人々が、道を塞いでいます。祈っています。ある日、神様が驚くべき働きを起こされるのです。たぶん、悟ることができなければ、損害をこうむるはずです。私たちは、神様がされる事を皆知っているために、この4つのことで、みな動くのです。
■ レムナントは何を見なければならないのでしょうか? 一時代を生かす皆様は、何を見なければならないのでしょうか? それなら、問題を見る目が正確でなければなりません。問題を見る目が正確でなければ、試みにあって、気落ちします。私たちの学生達が一番多くする話しが、おとなゆえに試みにあうということです。私たちの教会は、そのようなことがそれほどないのですが、外国に出てみれば、おとなゆえにがっかりして、試みにあうという学生が多いのです。正しいのですが、問題を見る目がないのです。問題を見る目があるならば、試みにあうことは、何にもありません。なぜ試みにあうのでしょうか? 幼い時から律法主義教育を受けたおとなは、当然ではないでしょうか? それが悟れませんか? 人々が人間中心主義を使って、そのように生きてきたのに、どうだというのでしょうか? ヨセフが兄達を見た時、試みにあったのではなく、理解ができたのでした。ですから、何人もの兄弟達が、ご飯を正しく食べることができなくて、父の愛も受けることができなかったから、それしか仕方がないのです。問題を見る目。そこに対する答、福音を見る目、そして、これからはビジョンを見る目。これだけあれば勝利します。ヨセフが問題を見る目が正確で、解答が何か、福音を見る目が正確でした。そして、ビジョン、未来を見る目が正確だったのです。揺れることがありません。
■ 祈りながら待ってみましょう。この契約だけ捕まえていれば、どんな問題が起きてもかまわないのです。知らない人々は、このようにすれば問題で、あのようにすれば問題だと話します。そのようなことがあります。神様はそれも知っていらっしゃるのです。私たちインマヌエル・ソウル教会は、教会堂もありません。ある日、時刻表になれば、皆様が祈ることもなかった驚くべき方法で働かれるはずです。いつでもそうです。 '主であるわたしが、時がなれば、すみやかに成し遂げる' と言われました。インマヌエル・ソウル、蔚山、釜山のあなたがたが、みな祈りながら待つように願います。皆様が苦しいでしょうか? 神様は皆様の時刻表でいらっしゃいます。これを捕まえましょう。皆様が病気でしょうか? 神様は驚くべき計画と時刻表で、いらっしゃるのです。これを捕まえましょう。そうであるべきです。それで、神様があらゆる義人の情念(切なる思い)にみな答えてくださるということです。人が答えては仕方がありません。神様が答えてくださるので、働きが起きるのです。
■ パリサイ人が、人前で献金をしました。すると、祈りの答えがないとなっています。なぜならば、それが答えであるためです。人に見せることを願ったゆえに、人に見られたら、それでよいのではないでしょうか? 既に答えがきているのです。私が救済することも、神様の前でするということは、人に見せるためにするゆえに、人が見れば良いのです。それが答えです。私達がもし祈って、仕事をすることが、人に認められることを願うならば、他の人が認めたとすれば、それで良いのではないでしょうか? それでは、それ以上、神様の答えが必要ないでしょう? どちらが良いでしょうか? 人が認めることでしょうか? 神様が知っていて答えを与えて下さるのが良いのでしょうか? この目が開かれなければなりません。では反対に、人が悪口を言うことは、既に終わったのです。これは、神様が手を加えてこそ確実なのです。
■ 今、全国の学生達が試験の準備をしています。今日も約30人が祈って行きました。それならば、タラッパン全体では、高3の学生達が大学入試験を準備しているのです。私たち学生達のために祈らなければなりません。私たち学生達が、あらかじめのがしているいくつかのことを話しました。私たちの年齢の時は、大学に3/4、2/3は落ちました。大学がないから行くところがなくて、そうでした。今は、韓国に450ケの大学が、お互いに来て下さいと言っています。もちろん特殊な大学や、良い学校では、そうではないのですが、一般的には来て下さいと言います。すると、大学に入っていくには問題がないということです。そして、地方大学でもソウルにある大学でも、資格は全く同じく与えてくれます。実力だけ揃えれば、問題ないということです。それで、本格的な弟子を探しましょう。弟子運動を繰り広げましょう。その準備を今からしましょう。その話をしました。もうひとつ、大学に行くならば、文化があまりに違うのです。皆様は、今、教会、家庭、学校ですごく縛られていますが、大学に行くならば、みな開放されてしまうのです。
■ これが今、何の意味なのかも知らずに崩れているのです。そして、高等学校とも違います。講義が聞くのがいやならば、聞かなくても良いのです。点数が低くなりますが、それでも聞くのが嫌いならば、聞かなくても良いのです。科目の1/3が選択科目です。選択することも、しなくても良いのです。ですから、それからは、自分の生活は皆、自由です。服も頭もなんでも自由です。ぎゅっと縛られていたのに、突然にすっかり開放されてしまうので、これをどのように受け取るのでしょうか? 昨年にある大学生が、あまりに開放感を持って、 酒をたくさん飲んで死にました。それだけでなく、普通、学生達は大学に入っていけば終わったと考えます。新しく始めましょう。大学に入っていって、新しく始めましょう。大学で成功を始めましょう。必ず銘記して、行きましょう。始まる時、参考にすべきことがあります。全国の学生達が参考にしなければなりません。これを参考にできなければ、どんなことが起きるでしょうか?というと、大学を卒業しても、特にする事がなくて、大学に入っていってまごまごしている途中で、軍隊に行って、卒業して何年かいて、軍隊に行って、結婚することが全部となります。具体的なことを選択しましょう。専門性があることを選択しましょう。それを私たちの学生達に説明しました。
■ 例えば、仏文学と英文学科は、世界化ですが、専門性ではありません。実際に専門性があることを選択しなければならないのです。経営学と経済学と、こういうことは基礎であって、実際の専門性があるのではありません。基礎を選択したとするなら、実際、専門性があることを別に選択しなければならないのです。私たちの学生達は、必ず記憶しなければなりません。私が仕えていた牧師の息子は、ソウル大英語英文学科を卒業したのです。まだ遊んでいます。英語をよくできる人が、とても多いためです。米国で幼い時から英語を学んだ人が、より良くできるので、ソウル大英文科が良くできるでしょうか? 率直な話で、就職ができません。就職ができないから、職業もない人に嫁いでくる人がいるでしょうか? だから、結婚もできずにいます。だから、おとなと皆様は、見解の差があるのです。例えば、看護婦、薬剤師、医者は具体的です。具体的なことがある分野があって、世界的な分野があります。これを区分しながら定めなければなりません。
■ 例えば、経営学科は、経営に対してたくさん学んで、知って良いでしょう。かと言って、皆様に就職をさせてもらえるでしょうか? 社長をさせてくれるでしょうか? なんにもさせてくれません。そのようにまごまごしていると、軍隊に行かなければなりません。軍隊に行ってくれば、すでに変わってしまい、おじさんに属すようになってしまいます。あっちこっちしていれば老いてします。そのようになってしまいます。例えば、今、カン・ウォンジュ牧師の娘と、私の息子は、同じ年です。私の息子は、経営を勉強しており、先生の娘は小学校の教師で入って行きました。だから、私の息子が軍隊に行ってきてまごまごする間に、先生の娘は、卒業をして釜山でとても良い小学校の教師として仕事をしています。比較になるでしょうか? 教会で幼い時から歌を歌って、踊って、ピアノはどれくらい良くするでしょうか? 牧師の娘が、学校に行くから、できないことがなくて、学校が驚いたのです。教会で成長しながら、習ったことがそれではないでしょうか? それで、一等の先生になったのです。それをみなしなさいという話ではありません。そのような選択を、学生の時、良くしなければならないのです。
■ もし私が音楽をしなければならないとする時は、数多くの音楽分野の中から瞬発力をもって、何を専攻するのかを定めるのです。このように時間はすぐに過ぎて行きます。しかし、私たちの学生達は、ほとんど知らずにそのままするのです。それで、どの職業が良い、悪いではありません。皆様が具体性があることと、世界化、専門化を早く区分しなければならないのです。それを置いて選択をして、試験を受けましょう。誰にでも神様の民には、祝福が来ているために、皆様は努力だけすれば良いのです。それで、私たちレムナントが、本当に契約を捕まえて、今日から答えを受けることをイエスの御名によってお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちに重要な福音をくださったことを有難うございます。現場で答えを見るようにさせてください。現場で正確な目が開くようにさせてください。常時祈りをして、新しい力を得るようにさせてください。常に祈り、真の平安を得るようにさせてください。常に祈る中に、信者が、人々が知らない力を持つようにさせてください。この祝福をいつも味わう中に、未信者が味わうことができない霊的な力を持つようにさせてください。それで、私たちレムナントと聖徒が勝利するようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
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