2004年 11月 21日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 旧約の収穫感謝祭
(出エジプト23:14〜17)
  
■ 今、私たちのインマヌエル・ソウル、蔚山、いろいろな地域で、衛星で礼拝する方達がいらっしゃいます。また、インターネットでみことばを聞く方達も多いのです。そして、表明はしていないのですが、全世界で神様のみことばを聞く方達が、たくさんいます。また、この席で共に礼拝する方達もいます。ここには、初めて信じる人もいます。そして、役員もいます。ある時は、たくさん学んだ人もいますが、たくさん学んでいない人も共に礼拝をささげています。それが教会です。ものすごく貧しい人と、金持ちも共に礼拝をささげる所が教会です。それで、むかし、主従関係が崩れて、色々と社会が変わったのです。この方たちが、みなどのように信仰生活をすればよくできるのでしょうか? とても簡単です。皆様が率直に礼拝で、全てのものを終わらせなければなりません。そのようにならないと損です。
 
■ 礼拝で、どのように全てのものを終わるのでしょうか? アブラハムは、祭壇を築いて、全てのものを征服しました。それがなんの話でしょうか? ロトは、世の中で熱心に生きたのですが、自分と関係ないところで滅びました。それは、特別なことではなくて、人生でたくさんあることです。アブラハムは、樫の木の下で本格的に祈って、祭壇を築いたのですが、それで成功しました。熱心によく生きようと努力したロトは、自分とはなんの関係もなく戦争が起きて、捕虜にまでなりました。ヒゼキヤ王が、あらゆる苦闘をしていて、神様の前に祈り始めました。歴史に残る奇跡がおきたのです。寝て起きたら、アッシリヤの兵士が全部死んでいたのです。まだその人々は理解できません。どうして、わが軍隊が、イスラエルに踏み込んだのに、夜にみな死んだのか、聖書には記録されているけれど、彼らはまだ、どうして、寝ている途中で一緒にみなが死んだのかが分かっていません。ヒゼキヤが祈った時、神様は驚くべき勝利を与えられたのです。
 
■ それで、バルテマイの場合には、今が機会だと考えました。皆様が礼拝をささげようとくる時、今日、恵みを受けなければ、というように考えただけでも、働きが起きます。私の問題を神様は解決なさることができるという信仰だけあれば、解決し始めます。そして、私が今まで生きてきたことも神様の恵みですが、神様は私たちに本当に良いことを準備されています。私が、単に生きているのではありません。神様の良い計画があるのです。それだけ悟っても、答えがき始めます。それが礼拝です。だから、長血になった女が、イエス様の服だけ触っても、私が生かされるはずだと考えたのです。それで、ロックフェラーのような人は、礼拝の一時間前に出てきたと言われているでしょう? 祈りも正しくしました。神様、私は時間がありません。私は教会に割く時間がありません。私ができることはひとつしかありません。私がお金をたくさん儲けて、それで仕えるようにさせてください。他の人は時間があって、時間で奉仕するけれど、私は時間がありません。他の人は、色々な機能があって、機能で神様に栄光を帰すけれど、私はそれもできません。私は米国でとても忙しい事業家です。献金を多くして、宣教するようにさせてください。それで伝道するようにさせてください。私が献金を多くして、主のしもべが力を得るようにしてください。いつでも礼拝時間、一時間前に座って祈っていました。それも人に見せようとしていたのではありません。その他には時間がなかったのです。神様が彼に米国を生かす祝福を与えられました。皆様、おわかりの通り、いまはニューエイジと関係していて揺れていますが、ロックフェラー財団が、事実は米国を動かして行っています。
 
■ ひとりが礼拝をよくささげることで、そのようになりました。それで、皆様が礼拝をしようとくる時は、いつでも心に恵みを受ける準備ができていなければなりません。礼拝しようとくる時、問題に答えを与えられる神様の前に堅く捕まえて出てこなければなりません。今日、この席が礼拝する席なのですが、理由を悟って証拠を持って出てくるべきです。それが礼拝の一番目の要素です。朝にそのように祈りました。神様が今日、みことばで私たちの聖徒達に完璧な答えを与えて下さい。私たちには出来なくて、私には出来ないのですが、神様がみことばで聖徒たちを祝福してください。皆様、正しくこのように礼拝すれば、礼拝する時間に驚くべき事が起きます。礼拝をささげる時、マルコのタラッパンに臨まれた聖霊が働かれるのです。それで終わりでしょう。皆様が本当に礼拝を正しくささげて恵みを受ければ、努力しなかったのに、伝道の門が開きます。皆様が本当に、礼拝の時間に神様の前に正しく恵みを受ければ、皆様が一週間生きる間に、みことばが成就します。そして、迫害とは全く関係なく弟子がおこされます。そして、現場が変わるのです。これが礼拝する時、みな起きることです。マルコのタラッパンには、五つの働きが起きました。そして、私達が本当に恵みを受けて祈っていれば、自然に当然に宣教の門が開きます。すこし部分的にでも見ようということが、ミニ宣教大会です。皆様が礼拝だけ正しくささげても、本物の答えが来るのに、それが文化を変える共同体のみわざが起きるのです。これが礼拝の2番目の要素です。そのようになる時、長老たちが祈る時は、あなたがたが代表的な祝福を受ける時間です。聖歌隊が賛美する時は、霊的に相当な働きが起きる時間です。みことばが宣べ伝えられる時間には、全地域が生かされる時間です。私達が本当に祈って、献金をささげる時は、経済が生かされる時間です。
 
■ 私達が本当に信仰を持って教会に献身する時は、私たちの健康が回復する時間です。それが礼拝です。礼拝で答えを得ることができないから、いろいろなことが生じます。私は多くの信仰者を静かに見つめたら、外国で、国内で、問題がたくさん生じるのを見ました。簡単な答えです。礼拝を成功できないからです。礼拝に三番目の要素があります。皆様が六日間、少しだけ契約を捕まえて祈っても働きが起きます。今日、みことばを必ず記憶しなくても良いのです。皆様、仮りに今日、恵まれるならば、恵まれたたことは残っています。それがなんの話でしょうか? 皆様が、誰が何と言っても、今は教会と関係なしで、牧師と関係なしで、長老と関係なしで、個人が恵みを受ける時間がなければなりません。それが礼拝の三番目の要素です。礼拝といえば、私たちは、教会堂でだけささげるかのように思っているのですが、ローマ12章を見れば、生きた礼拝、私たちは実際に個人がその働きを成し遂げることができるのです。それを私たちは定刻の祈りと言います。それで終わることではありません。礼拝の4番目の要素が出てきます。私たちは現場があって、私たちは体質があって、あらゆる行く所があります。そこで少しだけ祈っても、その場で働きが起きるのではなく、神様の導きを受けるようになるのです。礼拝はそれまで連結するのです。その程度ではありません。これから、私たちには問題が迫って、私たちに困難がきた時、それを超越できる驚くべき機会としてつかむようになるのです。
 
■ いつも例を上げますが、ヨセフ、ダビデのような人に困難がきました。それが機会であり、それを越えていったのは、驚くべき祈りの力があったのでした。このことを合わせて、この礼拝の要素になるのです。皆様が今日から、このようにだけすれば、どんな問題であっても解決できます。皆様が本当の答えを受けることができるのです。そのようになれば、なんでもうち勝つことができます。ここで出てくることが感謝です。感謝ということを、習慣的にすることもあります。米国人のように、習慣のように "Thank you"と言うこともあります。日本人はまた "ありがとう"と言います。単に習慣的に、そのように言います。私たちも、習慣的に感謝すると言います。私たちも祈れば、神様に "ありがとうございます."と言います。それも感謝ですが、この感謝は別の感謝です。ここで出てくる歌が賛美です。ここで出てくるあらゆる献身、あらゆることが、働きを起こすのです。この一つにすべてがかかっているのです。五つのことを難しく説明したのですが、簡単に話を要約できます。皆様が少しだけ礼拝をささげる時、今日備えられた神様の恵みがあるのです。私はその恵みを受けるべきだ、ということが準備です。
 
■ すると、皆様が礼拝時間にきて、神様が確かに私たちの目に見えないように聖霊で働かれます。それなら、その恵みを捕まえ、一週間に私が少しだけ祈ってもかまわないのです。すると、それを持って少しだけ現場で祈っても、後ほど相当な答えでくるのです。後ほどは、他の人が比較できない、超越する驚くべき答えを受けるようになるのです。ここから出てくることが感謝です。私達が救われたことを感謝するために、ここで常時祝福が出てきます。そうでなければ、私たちは、私たちの周囲に感謝を防止するものがあまりに多いのです。私達がこの恵みを受けることができなければ、先ず一番に来る問題が人間関係です。皆様、人間関係でものすごく問題がきます。皆様の夫が異常なのに、私がどのように感謝が出てくるでしょうか? 皆様の子どもが異常で、皆様の妻が異常なのに、私に感謝が出てくるでしょうか? 私が今、生活している私と最も関係がある人が、あまりにも困らせるのに、私にどのように感謝が出てくるでしょうか? 前のことに恵みを受けることができなければ、私たちはこれに勝つことができません。そして、私たちは環境にも勝つことができないのです。そして、私たちには体質があります。これに勝つことができないのです。今日、皆様に真に貴重な祝福が始まる日になることを願います。ところが、この感謝がなければ、無意識の中で自分に不満、不安、こういうものがどんどん入り込むのです。それで、こういう感謝を私が味わうことができなければ、私も知らない間にどんどん病気が入り込みます。そして、どんどん霊的な状態が暗くなるのです。私たちは、神様の祝福を受けなければ、こういう部分に勝つことができません。
 
■ 今日、この本文は、イスラエルが一番難しい状況で、一番大きい神様の恵みを受けました。それで、私たちは、神様の愛、神様の力、恵みを見れば、これらすべてのものに勝つことができるのです。皆様にこの祝福が開始されるのです。もしこれがないならば、毎週、礼拝をささげるのに、意味を探すのが難しいのです。仮りに、この祝福を味わうことができなければ、私たちの学生達が外に行けば、勝つことができません。こういうものが全部、要約された部門が礼拝なのです。今日、皆様の家庭、事業、あらゆる部分に神様のみわざが新しく始まる日になり、祈りが始まることを願います。すると、今日、私達が一番目に考えてみるべきことがあります。イスラエルの国の三つの祭りを必ず守りなさいと言われたのですが、これが何でしょうか? 何の祭りのことを話すのでしょうか? 今日の本文を見ると、17節に '年に三度、男子はみな、あなたの主、主の前に出なければならない。'と言われました。それで、イスラエルの神殿で男の人が全部、外国にいる人々も全部集まったのです。なぜそのようにしたのでしょうか? 相当な日だということです。忘れてしまうなということです。
 
■ それなら、私たちは今日、それから早く、なんの話なのかを捜し出すべきです。いったいイスラエルが旧約聖書で三つの祭りを守りなさいといわれた、その祭りはどんな背景なのかを知っているけれど、一度検討してみる必要があります。皆様がおわかりの通り、ヨセフという人物が、奇跡のようにエジプトの総理になったのです。ヨセフが死にました。子孫がたくさん生まれたのです。これから百万を越える数字になったのです。七十名が引っ越して来たのですが、全人口は二百万にもなると言われるほどに、たくさん増えました。この人たちが全部、エジプトの奴隷になったのです。パロ王が見て、彼らをそのまま置いていたら、反対運動をするために、奴隷にしました。ですから、ヨセフが死んでから長くなって、その歳月がすでに四百年も過ぎたのです。四百年の間に、イスラエルは奴隷になったのです。本当に残念なことです。この時、神様がモーセという人を準備したのです。それで、モーセにイスラエル民族を連れて行きなさいと命令されました。イスラエル民族を連れて行って、犠牲のいけにえをささげなさい。イスラエル民族を解放させなさい。このように言われたので、パロ王がその話を聞くでしょうか。パロ王が、イスラエル民族をより難しくさせました。
 
■ この時、起きたことです。あなたは、今、パロ王の前に行きなさい。主なる神様が、ご自分の民を連れ出しなさいと言われる。だから、パロ王が、なぜ行かなければならないのかとたずねました。他の理由はありません。私たちの民族を解放させなさいと言うべきなのに、犠牲のいけにえをささげに行かなければならないと言いました。犠牲のいけにえとは何なのか? 行って、羊を殺して血を流して礼拝をささげることです。パロ王がとても驚いて、それゆえに行くのか? だめだ。主なる神様が出てこいとおっしゃる。今、あなたは気が確かでないな。話を聞くことができるのか? 今でもまったく同じです。十字架の言葉がどうだ、救いがどうだと言うと、人がばかにします。今、世界の指導者が、パロ王のように見くびるのです。何の話しをするのか? パロ王が驚いて、お前は気がおかしいな。いっそ私たちの民族を解放させてくれということなら、話が道理に合う。いっそ私たちの民族は奴隷ではないから、本国へ帰るようにしてくれと言うならば、話が道理に合うのに、犠牲のいけにえをささげに行かなければならないと言ったのです。その話をパロ王は、おかしく思って聞いたのでした。それがエジプトが滅亡する原因になりました。ナイル川が血に変わりました。パロ王がはっと驚いたのです。これは何か? 早く祈って、これをなくしてくれ。すると、送り出してやる。しかし、災いが消えたら、すぐに心が変わりました。エジプトの地の隅々、部屋の中にもカエルが飛び出してくる災いが下されました。しかし、それには理由があります。なぜ血の災いを下されたのでしょうか? その理由があるのです。エジプトのナイル川は、エジプトの神です。エジプトの人々が、ナイル川で宗教行事をしました。それを血に変えたのです。腐った血が流れて、人が死にそうになりました。パロ王が衝撃を受けたのです。いったいこれはなにか? 早く祈りなさい。なくしてくれ。私が間違っていた。また解決したら、すぐに心が変わりました。
 
■ なぜまた、カエルの災いなのでしょうか? 三番目はなぜ、ぶよの災いでしょうか? そのあとは、なぜ、あぶの災いでしょうか? これには理由があります。これが全部、エジプトの神です。何でそれが神なのでしょうか? 皆様、これらは全部、生産の神です。特にカエルは、その人々には生産の神です。それを持って困らせたのです。パロ王が見たら、本当におかしなことです。今度は、送り出してやるから、この災いをなくしてくれ。それで、この災いがなくなったら、イスラエル民族を見て行けと言わなければならないのに、行くなと言いました。その時から、今は他の災いがきました。私達が悟ることができなければ、その次に問題がきます。その前にきた災いは宗教的な災いです。その次には、何の災いが来たのでしょうか? 神様が、それからは財産を打ち始められました。家畜が全部、病気になって死にました。そして、腫物の災いがくだり始めます。また、ひょうが降って、穀物をみな枯らしました。その次には、イナゴが飛んできて、すべての穀物をみななくしてしまいました。悟ることができないから、霊的な問題が来て、病気が来て、財産に問題がくるのです。
 
■ その時は、パロ王が考えを別にしました。すべての臣下が話しました。送り出すべきです。私たちは、これではみな死にます。エジプトが生きねばならないではないでしょうか。ですから、パロ王がその時になって、送り出すべきだと考えて、モーセを呼んだのです。私が間違っていた。イスラエル民族を送り出すから、赦してくれ。それで赦して祈ったら、災いが消えたのです。このパロ王は、すごいのです。災いがなくなるやいなや、また変わったのです。行かさないということです。いけにえを捧げるなら、ここでしなさい。どこに行くのか?.また心が変わったのです。全地が暗闇になる災いに覆われて、太陽が上ったのに、暗くて、真暗になる災いがくだりました。それでも悟ることができなかったのです。皆様、福音を悟ることは、簡単なことではありません。恵みだと知りましょう。皆様が福音を悟ったことは恵みです。知識があるから悟れるのではありません。死ぬほど殴られても、悟ることができないのです。神様が最後のメッセージを送られました。エジプトのあらゆる長子を、獣から人まで打たれました。イスラエル民族は、羊の血を塗りなさい。羊の血を塗った家は死なない。それが何の話でしょうか? 意味は知っているでしょう? だから、パロ王に証拠を見せなさい。イスラエルの家には、全部、羊の血をみな塗りました。長子を打ったのですが、天使がその羊の血を塗った家だけ通り過ぎました。その日の夜に寝ているのに、羊の血を塗っていない家は全部、みな死にました。それで、過ぎ越したということで、過ぎ越しの祭りだと言うのです。その日の夜に、あらゆるエジプトの長子は、みな死にました。もちろん、パロ王の長子も死にました。
 
■ 息子は本当に重要なようです。その時になって、パロ王が一番しっかりしたのです。この時までは戦略でした。息子が死んだから、パロ王がそれで、モーセを本当に呼びました。本当に私を赦してくれ。そして、イスラエル民族を連れて今、行きなさい。行くのもそのまま行くのではなく、今まで集めた財産があれば、みな持って行きなさい。これは本当に悟ったのです。早く行って、犠牲のいけにえをささげなさい。それとともに、パロ王が最後に述べた言葉があります。モーセをまた呼びました。行くのに呼んだのです。このように話したのです。もう二度と戻ってくるな。確実に悟ったのです。それでも、悟ったのではありませんでした。おじけづいたのです。人間とはそうです。それでイスラエル民族がエジプトから出てくるようになりました。それを過越の祭りと言います。ところが、このパロ王を見ましょう。送っておいて考えてみたら、くやしいから、つかまえに出てきました。これがサタンがすることです。これでイスラエル民族が紅海まで行ったのに、その時、攻撃をしたのです。ありえない事が起きました。エジプト人は、全部、紅海に陥って、みな死んで、イスラエル民族は歩いて行きました。
 
■ 皆様、今、エジプトという国があります。今、エジプトという国がこれを否認しません。本当に、そのようなことがおきました。いったい、これはどのようなことでしょうか? それが過越しの祭りです。何の話なのか知っているでしょうか? ところが、パロ王は、もう一つの考えをしました。エジプトの人々は、もう一つの考えをしたのです。周囲にいた多くの人々も、もう一つの考えをしました。行く時に死ぬ。イスラエルの人々が知らないで行くのだ。荒野に子ども達を連れて、おばあさん、おとな、女が、どのように、そこで歩いていくのか。行く時、太陽の光で死んで、夜には凍え死ぬ。行く時、敵におそわれて生き残れない。だから、まちがいなく、行く時に死ぬ。外部の人々は、そのように見ました。そして、イスラエルの賢い人々は、行く時、死ぬだろうと考えたのです。私たちには、食べるものもない。私たちは餓え死ぬ。それで、イスラエル民族は死んだでしょうか? 死ななかったのです。それで、そこで穀物をおさめました。それを五旬節と言います。それを私たちは、麦の収穫祭と言いました。その程度ではありません。イスラエル民族は、穀物をおさめて、一年を終える時は、倉庫に保存する程でした。それを今日、私達が守る刈りいれ感謝祭と言うのです。
 
■ 単純な秋の穀物をおさめたという話ではありません。そのようならば、未信者もおさめるでしょう? ここで私達が2番目に悟るべきことがあります。イスラエル民族が、エジプトから出てきたということは、単純な話になりません。皆様が羊の血の契約、救いの契約を捕まえる瞬間、あらゆる呪いから抜け出したのです。未信者が知らずにいるのですが、サタンの勢力から抜け出てきたのです。世の中の人々は、よく知らずにいるのですが、サタンの原理から抜け出てきました。パロ王の主権の中から抜け出てきたのです。実感が起こらない人が、とても多いでしょう。それで生きていて、滅びるのです。それで占い師の話しをいて崩れるのです。皆様に尋ねましょう。占い師の話しは正しいのでしょうか? 正しくないのでしょうか? 詐欺師が半分です。ところが、正しい人もいます。本当にサタンに捕えられた人々、悪霊につかれた人々は占います。問題は何を占うのか? ということです。人間の運命を占うのです。すると、運命とは何でしょうか? 人間がやむを得ず落ち込んだのが運命です。救いが何か知っているでしょうか? そこから抜け出したのです。それで、私達が迷信を守らなくても良く、法事をしなくてもよく、私たちには関係がないのです。
 
■ 過越しの祭りというのは、すばらしいのです。そのような程度ではありません。私たちは、ほとんどのがしているけれど、五旬節という話は、私たちが行く所ごとに細かく導かれるということです。マルコのタラッパンで五旬節の日になって。こういうすごい霊的な意味があるのです。刈り入れの祭りというのは、何の話なのか知っているでしょうか? 倉庫に穀物を保存することです。どのように保存するのでしょうか? 皆様、穀類は捨てて、皮を保存するのでしょうか? 腐ったジャガイモを保存して、生き生きしたジャガイモは捨てるでしょうか? そのようなことはありません。必要がないことは捨てて、穀類を保存するのです。それが、まさに天国の秘密です。私達が天国の穀類という話も聞いたことがあるでしょう。神様が暗闇から皆様を救い出されて、皆様を天国まで導かれます。時々、皆様が失敗したかのように見えても、契約を捕まえれば、勝利するようになるのです。この祝福を悟るから、三番目は何でしょうか? 肉体的な祝福までついてきます。なくした名誉、権利を全部、回復しました。どうして奴隷でしょうか? 人間自体が、奴隷だったのですが、人間を回復したのです。これから行けば、自分達で農作業をして、自分たちが保存して、主権をみな回復したのです。倉庫に積んだという話は、経済も回復したということです。そのような意味です。
 
■ 今、聖書にある三つの祭りです。どれくらい重要でしょうか。14節に '年に三度、わたしのために祭りを行なわなければならない。.' 15節に見れば '種を入れないパンの祭りを守らなければならない。わたしが命じたとおり、アビブの月の定められた時に、七日間、種を入れないパンを食べなければならない。それは、その月にあなたがエジプトから出たからである。だれも、何も持たずにわたしの前に出てはならない。.' と言われました。知らずに誠意なくするかと思って、何も持たずにわたしの前に出てはならないと言われました。16節には 'また、あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂の刈り入れの祭りと、年の終わりにはあなたの勤労の実を畑から取り入れる収穫祭を行なわなければならない。.' 刈り入れの祭りが収穫感謝祭です。17節には '年に三度、男子はみな、あなたの主、主の前に出なければならない。' これを米国ではThanks giving dayと言うのですが、問題は、この意味を悟らなければならないのです。皆様がこれを知る瞬間に、驚くべき答えが始まるはずです。私たち人間の根本の身分が変わるのです。皆様、祈りの答えを受けたいでしょうか? 身分が変わることなしでは、絶対にだめです。祝福を受けたいでしょうか? 皆様の運命が変わらない以上、どんな場合もだめです。人々が知らずにいるのです。奴隷であるのに、何の祝福を受けるのでしょうか? サタンの罪の奴隷になっているのに、どのように生きるのでしょうか? そこから抜け出すのです。これが過越しの祭りです。血ということが分かるでしょうか? 血を塗る日に出てきました。神様が福音を下さった理由を知っているでしょうか? これは、とても私たちに重要な内容です。皆様が運命が変わらない以上、なんにもならないのです。勉強とは関係ありません。お金を儲けたことと関係ないのです。
 
■ 釜山に住んでいたお嬢さんが、ソウルまで行って賞をうけました。外貌がすばらしかったので、ミスコリアになったのです。ミスコリアになれば、いろいろな会社から連絡がきます。化粧品会社や映画企画会社から、どんどん連絡がきます。名前は明らかにしないけれど、ソウルの大きい財閥の家に嫁に行くようになりました。信仰とはなんの関係もなく嫁に行ったのです。そこまでは良かったのですが、財閥の家に嫁に行けば、ご飯を 一日に六杯も食べるのでしょうか? 六杯を食べても、特別なことはできません。太るだけです。ところがそれが問題ではありません。それなら、その金がみな自分のお金でしょうか? それでもないのです。これが家系の問題が普通の問題ではなかったのです。とにかく、家族の問題があまりにも複雑で、口に出して言えない程でした。結婚して1年後に逃げたのです。家にも帰ることができなくて逃げました。親に心配させるかと思って、外国に勉強しに行くと言って逃げたのです。完全に、霊肉ともにみな壊れました。
 
■ それが問題ではありません。人間は、運命が変わらない以上、お金とは関係ないのです。未信者は占い師に運命を見つけてもらおうとするけれど、私たちはそこから抜け出すのです。 '罪と死の原理から解放されたのです' '死からいのちに移っているのです' 'あなたの名前が天国に記録されたことだ' なんの話なのか分かるでしょうか? それで、ずっと易、シャーマニズムの人達に手紙を送っているのです。いつでも来たら、説明してあげます。そして、悪霊につかれて占う、それが全部違うのです。父母がくるのでも、輪迴でもありません。全部、悪霊のしわざです。このように悪霊がまねをするのに、みなだまされるのです。人間を愚かにさせます。
 
■ 奴隷は、身分が変わらない以上、どのように祝福を味わえるのでしょうか? それが過越しの祭りです。ところが、とてもやさしいことには、私たちは悟って信じれば終わりですが、未信者は複雑です。どれくらい簡単でしょうか? '受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった' この暗闇から救い出された民を神様が導かれるのです。どのように導かれるのでしょうか? 全く分からないほど聖霊で導かれます。それが五旬節です。使徒2章を見れば、五旬節の日に聖霊が臨んだことを見ることができます。分かるでしょうか? これが絶対的な事実であるゆえに、悟れば答えを受けます。いよいよ起きる事があります。皆様が行く所ごとに人を生かして、神様の国が臨むのです。そして、この世を離れる日には、本物の神様の国に行くのです。これが刈り入れの祭りの意味です。収穫というのは、おさめて保存したという 意味です。どれくらい驚くべき祝福でしょうか? この世にだけ希望があるのではなく、天国にも希望があるのです。
 
■ ある人が、私に200歳まで生きてくださいと言いました。すると、皆様はみな死んで、私一人でいるということでしょうか? 生きなさいと言うならば、一緒に生きるべきで、一人でどのように生きるのでしょうか? 内心、話にならないと考えました。もしまたインマヌエル・ソウル、蔚山、釜山教会の長老たちと共に200年間生きようとすれば、伝道して、ゴルフも打ちながら生きるでしょうが、ひとりでは、どのように生きるのでしょうか? ところが、そうではありません。
 
■ ある年をとった方に会ったのに、二重まぶたの手術をしていました。私が関与すべきことではないけれど、本当に狂ったのかと考えました。ところが、それではなかったのです。知らないで思ったことでした。私が前に寝て起きたのに、目がおかしかったのです。疲れていたのか、まつげが目玉を刺すのでした。それで、知っている人に電話をして尋ねたのです。そうしたら、疲れたり、老いたりしたら、そのようになるということでした。老いればということは気分が悪かったので、疲れていてそうなのだと思いました。そうしたところ、その医者が言う話が、それで二重まぶたの手術をするということでした。それで、二重まぶたの手術した人のことを理解できたのです。その時、考えたのは、これで200年生きて、何をするのか? 毎日、あちこちが痛くて、突かれるのにということです。そして、静かに考えてみたら、それで、天国が良いなと思ったのです。適当に生きて、天国に行けば良いので、ここで200年、300年、どのように、そんなに気味が悪く生きることができるでしょうか?
 
■ 刈り入れの祭りという意味は、この世で生きる間、神様の国を成し遂げ、伝道して、本物の天国に行くのです。これを正しく知っていれば、肉体的な祝福はついてくるのです。その時からなる祝福が、本物の祝福です。祝福も受けていない人がお金を持っていれば、頭が痛いのです。この霊的な祝福を持った人が、健康であるべきで、そうでない人が健康ならば、回りながらいつもとんでもないことをして通います。皆様、率直に、夫に信仰がなければ、お金をたくさん儲けることができないように祈りましょう。お金が余れば、おかしなことするためです。それゆえに滅びます。そして、こういう祝福を受けた人に名誉があってこそ、正しくできるので、これを受けることができなかった人に名誉まであれば、他人の帽子をかぶったかのように、いつも苦労します。この時から祝福がついてくるのです。名誉、経済、主権が回復しながら、これを本当に味わうことができる祝福がくるのです。それで、イスラエル民族が農作業をしたことが問題ではありません。霊的に途方もない祝福が回復されるのです。皆様、これを悟るべきです。これがイスラエルの祭りです。考えるほど、感謝が出てきます。では、私たちの結論を申し上げましょう。どのように、この祝福を自分のものにするのでしょうか? イスラエル民族には、味わった人と、のがした人がいるのですが、のがした人は、なぜのがしたのでしょうか? 悟った人は、どのように悟ったのでしょうか?
 
■ ここに3つのことがあります。奴隷になった理由が何でしょうか? なぜ私たち民族が奴隷になったのかを悟らねばなりません。私の家の中に数千年間、偶像崇拝をしていて、このように滅びるようになったのを悟らねばならなくないのです。それでこそ、不平不満を言いません。悟れないので、どんどん行けば、恨むのです。2番目に悟らなければならないことがあります。カナンの地に、なぜ行かなければならないのでしょうか? ある人々は、エジプトで奴隷に暮らそうと言いました。なぜ行かなければならないのかが重要です。イスラエルの国のために行くのでしょうか? そちらにメシヤを送ると言われました。それで行くのです。イスラエル民族が荒野を行く間に、水がなければ水がない、腹がへれば腹がへった等等、不平不満が多かったのです。ところが、事実は、出エジプトして、カナンの地に行く間に、奇跡が一番たくさん起きたのです。映画に出てくる紅海の事件、ヨルダン川の事件、エリコの城壁の事件、私達が関心をたくさん持つ契約の箱は、みなその時、作られたのです。今、私達が守る祭りが、全部、その時に作られたのです。
 
■ それなら、この奇跡の重要な核心は何でしょうか? 私は奇跡というよりは、起きるしかなかった神様のみわざだと考えます。それなら、皆様の問題は問題ではありません。私は困難がくる時ごとに、大きい答えを受けました。私が初期の頃、副教役者をしていたのですが、どれくらい誤った考えをしたのか分かりません。どのようにすれば、復興させることができるのか? どのようにすれば、上手にやるのかをを考えていたのです。そのようなある日、私が悪い人であることを悟って、福音を伝えるべきだと悟ったのに、相当な答えが来ました。問題がくる時ごとに、ここには重要な核心があるのです。私たちは、こういう奇跡を通じて、多くのことを悟らなければなりません。紅海が分かれた、エリコの城壁が崩れた、それが問題ではありません。他の見方をすれば、イスラエルの人々が悟ることができないから、神様がそのようにされたのです。私たちは、悟れば、そのような苦しみを受ける必要はなく、奇跡を見る必要もなく、働きが起きます。ある面で見れば、祈りの答えが遅い人々は、気落ちする必要がありません。信仰がより大きい人の場合もあります。子どもが泣くならば、即、子どもが願うものを与えます。騒々しくて面倒なので、早く与えます。しかし、すこし大きい子どもには、そのようにはしません。
 
■ イスラエル民族が、この事実だけ悟るならば、残りの問題は問題になりません。私はこのメッセージを見るようになりました。皆様に約束をひとつできます。この契約を悟って、少しだけ考えて祈るならば、答えがきます。皆様に恐ろしく正確な答えがくるはずです。この祝福があらゆるインマヌエルの家族と、衛星と、インターネットでみことばを受けるあらゆる神様の人々にあるようになることを願います。皆様のあらゆる問題が、今日、礼拝で解決することをお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、私達に三つの祭り、特に、収穫感謝祭を悟るようにしてくださったことを感謝申し上げます。真の答えが始まるようにしてください。何にも問題でないことをよく見ることができる目を開けてください。暗闇から解放された民であることを悟るようにさせてください。聖霊の導きを受けて、天国の秘密を味わう民であることを知るようにさせてください。過越の祭りは救いです。五旬節は神様の導きで、 刈り入れの祭りは神様の国であることを知るようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 三つの祭りの完成
(使徒2:1〜4)
■ 今日は私達が宣教に対して考えてみる日にしましょう。私たちの教会で、小さい宣教大会に集まったことが、その理由ではないかと考えます。私たちはよく知らずに宣教という言葉を使うのですが、すこしより知っているように神様がなさるはずです。宣教は、第一に、いくつかのことを理解しなければなりません。もちろん、福音を伝えることですが、それ以前に理解すべきことがあります。今の日本、韓国、こういう人々が、元々同じ家族でした。聖書には、そのようになっています。聖書には、アダムとエバを通じて、あらゆる子孫が広がったのです。それで、ノアの子どもの中で肌の色がすこし違う人もいたのですが、その人々は暑い地域へ行ったのでした。むかしから、日本、韓国、中国が戦うのでなく、同じ家族です。この話を悟れなかったイスラエルの人々は、他の国の人々を異邦人だと言ったのです。それがどれくらい大きい罪なのか、イスラエルが二千年間、国を失ったのです。私達が日本を敵のように、日本が韓国を他の国のように考えています。それは聖書を知らないからです。聖書は全部、一つの家族で、アダムの子孫です。それでそれを知らなくて、しばしば戦って、罪を犯して失敗するのです。聖書は、はじめからそのように教えています。なぜなら、聖書を知っていれば、多くのことを知るようになります。
 
■ 今、韓国には大きい心配事があります。無条件に反米というチームがあって、無条件に反北朝鮮というチームもあります。それで、今、二つのチームが戦っているのです。これは小さなことではありません。米国人が感情を害すると反米するのです。反北朝鮮という人々は、北朝鮮が攻めて降りてくるように待っているかのように、反北朝鮮と言います。いまはそのような時代ではないのです。いまはデジタル時代です。いまはグローバル時代で、シナジー効果の時代です。科学的に、私たちと米国、日本は、兄弟なのに、北朝鮮と共にどのようにシナジー効果で行くのかを研究しなければならないのです。私たちを手助けした米国に必要ないと言うと、私達があまりに無知なのです。なぜ必要がないでしょうか? 地球はみな一緒に行かなければならないのです。最初は、聖書を知らなくてそうで、二つ目は時代に遅れているのです。いまはそのような時代ではないのです。いまはグローバル、デジタル時代です。それで、指導者があまりに遅れた考えを持っているならば、困難にあうのです。そして、北朝鮮をあまりに敵のように考えるならば、いつかは戦わなければならないのです。私たちのとなりの人も、すこしおかしな人がいるならば、もちも持って行って、パン、水、すいかなどを持って行けば、親しくならないでしょうか? そして、ずっとやり取りするならば、兄、弟というように親しくなるのではないでしょうか?
 
■ 私達が宣教を悟るためには、全世界は一つの家族である。これを悟ることができなければ、宣教を正しくできないのです。それで、イスラエルがずっと困難にあったのです。それで、宣教をする前に、背景をまず理解しなければならないのです。そして2番目に理解すべきことは、宣教は相当な霊的な戦争です。暗闇の勢力がまず文化を掌握しているか、福音がまず入っていくかということです。既に暗闇の勢力が文化をみな掌握したので、福音がどのように正確に暗闇の勢力をうち破るのかということです。それで、正確な福音がないなら、暗闇を手助けするようになるのです。霊的な目を覚まして見れば、大きい戦争です。SARSが広がれば、各国で一緒に協力するでしょう? そのような意味で、私たちは宣教をしなければならないのです。そして、より悟るべきことがあります。宣教を正しく理解する時まで、困難を受けるようになります。その証拠が、イスラエルです。イスラエルがどれだけ悟れなかったでしょうか? アブラハム、あなたによって国々が祝福されるはずだと言われた時、この話を理解できなかったのです。この話を悟れなかったので、神様は結局、イスラエルを奴隷として送られ、事をなすようにされたのです。結局、イスラエル民族が羊の血を塗る日、出てくるようにされたのは、福音をわかるようにさせて、出てくるようにされたということです。こういう死ぬほどの苦労をするのです。これはしなくてもよい苦労です。だから、しなくてもよい苦労をなぜするのでしょうか?
 
■ はじめからアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフが世界福音化、全世界福音化を知っていたなら、祝福だけ受けて、問題が起きる理由がないのです。それで、皆様が宣教師で行かなくても悟らなければなりません。今、皆様が途方もないお金を持って宣教師に送ることができなくても、まず言葉の意味を悟らなければなりません。イスラエルがはじめから分からなかったのです。それでやっとエジプトから、全世界にうわさが立つように、主なる神様の契約を説明して帰ってきたのです。そのようにして来たのにも、悟れなかったのです。これがどれくらい重要なのかを悟ることができないから、またイスラエル民族が困難にあったのです。どれだけ悟ることができなかったのでしょうか?
 
■ 神様が宣教命令をした預言者がいます。だれでしょうか? ヨナです。皆様、ヨナを見れば、神様がヨナにニネベへ行って福音を伝えなさいと言われました。だから、ヨナがどうしたでしょうか? その悪い国になぜ行くのかと聞きました。神様が行けと言われたのです。ヨナは、その国を敵だと考えたのです。それで船に乗ってタルシシュに逃げたのです。ところが、暴風に出会ったのでした。暴風が来たので、人々が大騷ぎしたのです。それで、くじを引いてあたった人がヨナだったのです。その時のしきたりによって、ヨナを水の中につかまえて投げたのです。そうしたら、波が穏やかになりました。ヨナが水中に落ちたら、大きい魚が飲み込んだのです。ヨナは魚のなかで苦闘したのです。どれくらい苦闘したか、魚が吐き出したのでした。もちろん、ヨナの祈りをお聞きになって、神様が出されたのでした。それで、ヨナはニネベに行きました。ニネベはアッシリヤの首都です。いいかげんに伝えたのでした。するのがいやだったためです。いいかげんに伝えたのに、ニネベは動物まで断食して悔い改めたのでした。その時、ヨナが述べた言葉は何だったでしょうか? 神様、私がこうだと話したではないですか? それで私が行かないと言ったでしょうと言いました。神様は悔い改めれば、やむを得ず赦さなければならず、彼らが悔い改めれば赦されるのに、それで良いのかと言いました。今、そのように出てきたのです。これは、日本には絶対に行くべきではなくて、日本人は悔い改めてはならず、救われてはならないと言う話しと同じです。皆様が見るとおかしいでしょう。
 
■ だからイスラエルは、死ぬほど殴られなければならない民族なのです。このようにして、捕虜になっていったのでした。良く見るように願います。なにか主が説明されて、福音が説明された後に帰ってきます。この程度になれば、宣教を悟らなければならないでしょう? それでも、イスラエル民族は悟ることができなくて、違うことをしたのです。それで、神様がイスラエルを約2000年間、国をなくしてしまわれたのでした。直接、イエス様がいらっしゃって、福音をおっしゃって、地の果てまですべての民に行きなさいとおっしゃったのに、悟ることができなかったのです。皆様が霊的問題が何かを理解するならば、宣教はすぐに悟れることです。言わば、流行病が何かを理解するならば、医者は予防注射ということをすぐ理解して、お互い速く分けます。中国で変な病気がおきて、韓国に越えて来るのに、これを知っている医者や学者は、すぐ対策を立てます。即、韓国から薬を送ります。そして、入ってくる時、問題がある人を調べて、検査します。そっくりです。皆様が霊的な影響がなにかを理解するならば、宣教をすぐ理解できるのです。イスラエルが、これを理解できないのです。それで、私たち教会は、宣教を理解しなければなりません。
 
■ 神様がアンテオケ教会を無条件に祝福なさいました。飢饉の年になって、みな滅びるのに、アンテオケ教会だけが経済的な祝福を受けました。理由は何でしょうか? 宣教を理解した教会だからです。そのうちで、神様が特別に用いられた人物があります。パウロです。私は今回見て、イベントもしたのですが、何段階か跳び越えた宣教師たちは、皆知っているのです。全世界に通う宣教師たちは、皆様がすれば、何ゆえにしているかも皆知っています。今、私たちの教会は、何をしなければならないのでしょうか? 本当に宣教現場を見て、宣教師を理解して、正しい宣教をする教会にならなければなりません。すると、いらない苦難を受ける必要がありません。いらない経済の困難にあう必要がないのです。これだけ悟れれば、神様が途方もない経済の門、祝福を下さると約束をなさいました。これが理解できなければなりません。私が見る時、宣教がよく分からない教会が多いようです。ある教会は、週報に手助けする宣教師の名簿があります。5千円ずつ手助けしているのに、書いているのです。私はそれを見ながら、牧師の意志が感じられました。宣教の意志が感じられたのではなく、拡張の意志が感じられたのです。失敗するだろうなという気がしました。それは宣教ではありません。すぐに私たちのインマヌエル教会の名前で宣教師を派遣しようといえば、力を合わせるのに、他の教会の宣教師を手助けしようといえばしないのです。
 
■ 私が、またこう話せば、週報に書いていたのをみな抜こうとするのですが、すると祈りはどうするのでしょうか? 私が話すのは、その意味ではありません。私達が本当に宣教師を知って、伝道者を助けるならば、これより大きい祝福はありません。私が生きていく間に、二、三名、本当に伝道する人を見ました。私はそれが一番大きい祝福だと考えました。特徴が三名、みな一般信者です。その人々は、本当に伝道をしようとしていました。感じがあるでしょう? この人たちの感じは、本当に伝道をしようとしていたのです。それが相当な祝福で、影響でした。
 
■ そのうちの一名は、私と同じ教会にいました。本当に福音を持って、福音を味わうのです。そして、本当に福音を伝えようとしていました。こういう人がいるために、世界福音化はなるという気がしました。私がそれを感じられたのです。それで、どれくらい感謝したのか分かりません。その人のために祈りをしました。私が副教役者だったので、その人を手助けできることがなかったのです。その人は、職場も良い所だったのに、辞表を出して宣教師で行くということです。宣教費を手助けしなければならないのに、私には難しかったのです。それで、可能ならば、食べることも食べず、車も乗らず節約しました。いくらもならないお金を宣教費で送りました。心の底から祈りになるのです。この人が海外に行って、祈りの手紙を送ってきたのです。もちろん、祈りの手紙は後援者に皆送っていたのです。
 
■ 今でも私がだますことができないことがあります。手紙がくれば、読める手紙があって、読めない手紙があります。誰の誤ってなのかは知りませんが、そうです。そして、手紙を読んで保管することがあって、捨てることがあります。手紙は一度読めばよいのですが、持って通うものがあるのです。私はその人の祈りの手紙を持って通いました。本当に驚くべきことです。私の信仰に多くの助けになりました。起きたことを書いてあったのですが、人は感じることがあるでしょう? これは本物だという感じがあるのです。一行、一行がとても恵みになるのでした。これが祈りの手紙だという気がしました。その人の手紙を見ながら、どれくらい恵みを受けたのか分かりません。私は手助けすることができる立場ではないけれど、真の伝道者だと思いました。私達が真の伝道者、真の宣教師を助けることがどれくらい大きい祝福なのか、皆様が知っていなければなりません。
 
■ 反対に、皆様がお金を熱心に儲けて、詐欺師を助けると考えてみましょう。そうだとしたら、その人は詐欺師です。詐欺師の祝福を受けるのです。私達が殺人犯をずっと手助けするならば、同じ殺人犯になるのです。私達が本当に宣教師を助けるならば、私も宣教師になるのです。私はそれを体験しました。そして、どれくらい神様が恵みをたくさんくださったか分かりません。その人を見る時、本物だという気がしました。それで、私たちの教会が分かる宣教をして、祈る宣教の教会にならなければなりません。途方もない夢と希望を持って、宣教の野望を持とうということではなく、本当の宣教をしなければならないのです。それで今後は、国別に本当に祈る人も生じて、宣教師を置いて祈る人々も生じなければなりません。すこしより欲を持てば、私たち教会が、宣教を一番正しくする教会になるのです。本当に宣教師が、私たちに力になって、本当に祈りの霊的な力を得ることができる教会にならなければなりません。
 
■ 昨日、列車に乗って大邱から釜山に降りてきました。服をかけて、文章を書いていたのです。後に座った人が携帯電話で静かに電話をしていました。私の耳に聞こえてきたのです。牧師に変わって下さいと言っていました。それなら、この人はまちがいなく信徒だと思いました。この男の人は、伝道師、宣教師でなければ、牧師であるということです。関心を持つ必要はないのに、耳を傾けて聞いていました。とても簡単な内容でした。牧師がある教会に行くようになったのです。どの教会なのかを尋ねて、どの教会だと答えていました。自分は、その教会で助けを受けているということでした。助けを受けているということを見ると、宣教師のようでした。副牧師で行くのかと尋ねました。純真な思いで言っていたのだと思うのですが、そちらに知っている人が二人いるので、安全だということでした。そのような話を聞きながら、宣教師だという気がしました。特別な話ではありません。しかし、私はたくさん考えました。
 
■ ある宣教師は、韓国に用事できて、帽子をかぶって、サングラスをかけて通うらしいのです。なぜなら、韓国で本当に他の仕事ゆえに出てきたのに、韓国に来たことが分かれば、教会に挨拶にこなかったと宣教費を出さなくなるのです。すると、挨拶する立場にもならなくて、見つけられればならないので、隠れて仕事をして行くのでした。そうしている時に、統一教は、全世界を掌握しているのです。それで、私が産業宣教という単語を使ったのでした。これから、産業宣教が起きてこそ、宣教を正しくできるのです。それで、共同体という単語を使ったのです。これから、共同体訓練場を作って、世界宣教をしなければならないのです。そして、これから、あちこちに正しいミッションホームを作らなければ、私たちの子ども達を送れば失敗するのです。私は宣教現場を見ながら、多くの祈りの課題を得ました。私達がなにかこういう開始をしなければなりません。
 
■ 浦項で、今、説教を聞いていらっしゃるでしょうが、キム・サンホ長老がカナダに行くらしいのです。その方の奥さんの勧士と一緒に昨日、あいさつをしに来ました。キム・サンホ長老は医者です。それで、その医者の長老がカナダへ行くようになったと話しました。本当に話しました。長老、時刻表ですと言いました。私たち韓国の子ども達が留学に行って、ほとんどさ迷っています。父母がついて行く人々は、ついて行くゆえに問題で、子ども達だけが行けば、子ども達なりに問題です。この子ども達を本当に使命を持って育てる人がいないのです。長老がこれのために祈って下さいと言いました。長老は職業も良いから、本当に成功して子ども達を育てることを願うと言いました。こんこんとお願いしたのです。長老もわかって、そのようにすると言われました。私達が宣教現場を理解しなければなりません。そのようにするだけでも、神様は私たちに多くの答えと恵みをくださるはずです。
 
■ 今日、私たちは時間がたくさんありません。どのように、こういう事をできるのでしょうか? どのように、この祝福を味わうことができるのでしょうか? 今朝に話した三つの祭りが完成されたのです。その内に入っていけばよいのです。皆様すべてが、この祝福を受けるようになることを希望します。三つの祭りの完成の内に入っていかなければなりません。過越の祭りは救いを意味します。霊的に五旬節という話は、穀物をおさめることですが、聖霊の導きを意味するのです。刈り入れの祭りは、刈りいれして保存することですが、神様の国と天国を意味します。だから、過越の祭りで解放されることなしでは、なんにもだめなのですが、私たちはこの祝福を受けたのです。この祭りが完成された内に入っていくのです。これが今日 '五旬節の日になって' これは既に出エジプト3:18に約束されたのです。すでに創世記3:15に約束されたのです。この契約が成就したのです。この内に入っていけば良いのです。テオピロよ。私が前の書でというのは、キリストを意味することです。使徒1:3で、神様の国です。そして、使徒1:8で聖霊充満です。この内に入っていけば良いのです。すると、この祝福を味わうことができるのです。皆様、使徒2:1がまさしく成就する時間がきたという意味です。神様が私のような人の祈りに答えられることができるのでしょうか、どうすれば良いのでしょうか。簡単です。三つの祭りが完成された契約の内に入っていきましょう。その契約の重要な単語をのがしてはなりません。'テオピロよ。私が前の書で' と言いました。前の書とは何でしょうか。ルカの福音書です。それが何か、キリストがきたということです。今まで私達があらゆる苦労した、あらゆる問題の解決者キリストが来られました。その契約を捕まえましょう。そして、その契約を捕まえれば、2番目の祝福が皆様にくるのです。神様の国が臨むようになるのです。それで終わるのではありません。その契約を捕まえて祈れば、聖霊充満の内に入っていくようになります。すると、あらゆる問題が解決します。祈りの答えがないという方達は、参考にしてみましょう。キリストの秘密を握って少しだけ祈れば、答えがきます。この祝福をほとんどみなのがしているのですが、今からでも回復できるのです。あなたがたが、一日に少しだけ祈りに投資しても、ものすごく大きい答えを受けます。今は、この契約の内に入っていきましょう。入っていきさえすれば、勝利する門が今日から開かれるようになります。これはイエス様の約束です。 'しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがは力を受け、地の果てまで証人になります' 苦しさがあれば、それを捕まえて入っていきましょう。問題があれば、それを捕まえて入っていきましょう。だめなことがあれば、それを捕まえて、契約の内に入っていきましょう。この三つの祭りが完成されたその内に入っていくことが、使徒行伝2章の本文です。ここに入っていきましょう。私たちの宣教師にも、驚くべき機会が起きるはずです。皆様、後日に証しするようになるはずです。インマヌエルで宣教師、つまらなく集まってすると思っていたのに、その後に不思議な事が行われています。人々がぱっと見るのには、つまらないことに見えるでしょうが、そうではありません。重要な契約の内に入っていくのです。
 
■ 2番目です。この契約の中に入っていって、証拠を捕まえましょう。聖書にそのまま現れています。五旬節になって、風と火のような力のみわざが起きました。皆様、神様の火のような、風のような契約の力を捕まえましょう。十五ヶ国に門がが開きました。これから、この契約の証拠の門が開くはずなのですが、証拠を捕まえましょう。今日、このみことばが、神様のみことばであるゆえに、皆様に成就していくはずです。皆様の現場、職場、事業に変化が起きるようになるはずです。その中で弟子が起きるようになるはずです。ですから、宣教の門が開いて、全世界の文化を変えることができるのです。契約の完成の中に入っていって、証拠を捕まえましょう。それがマルコのタラッパンで起きたのです。マルコのタラッパンでは、重要な証拠を捕まえました。マルコのタラッパンで五つの証拠が出てきます。それを捕まえましょう。アンテオケで宣教する事が起きます。それを捕まえましょう。パウロを通じて共同体訓練が行われました。それを捕まえましょう。皆様が難しく考えず、神様が完成しておいてくださったその完成の内に入っていきましょう。簡単です。これが理解できないことが、深刻な問題です。キリストと神様の国と聖霊の約束、その内に入っていきましょう。入っていって、そのまま出てこず、証拠を捕まえて出てきましょう。これが2番目です。誰でも答えを受けることができます。私は時間を少しずつ使って祈るのに、本物の答えがきます。神様が時間が経つほど、多くの答えを与えることを私は感じることができます。どれくらい大きい契約の祝福なのか分かりません。その証拠を捕まえましょう。多くのように見えるけれど、いつでもマルコのタラッパンで起きた証拠、その中でみな起きたのです。年齢が多い人もかまわなくて、無知な人もかまいません。関係ないのです。
 
■ 三番目です。どのようにすれば、このことができるのでしょうか。その証拠を味わいましょう。ある人は、持って行ってものがすのですが、それを捕まえましょう。どのように味わうのでしょうか。私たちは、いつでもこの証拠で神様がなぜ私にこれを下さったのか、その理由を悟るのです。いつも現場で味わうことができます。皆様、これを持って少しだけ時間を作って、定刻の祈りをすれば、完全に味わうことができます。皆様がこれを持って現場に行って、少しだけ祈れば、完全に味わうようになります。そして、問題がくれば、私たちは全部、超越できるのです。問題がくることは、全部、機会です。味わうことができます。これだけできれば、あらゆる人が、この答えをみな受けます。福音は完全でしょうか? それなら、福音の内に入っていきましょう。祈りの答えを神様が答えてくださいますか?それなら、祈りの内に入っていきましょう。神様は、私たちのあらゆる問題を変えることができる創造の神様でしょうか? すると、問題を恐れず、その内に入っていきましょう。祈れば答えられるようになっています。皆様がよく知っているはずです。これから、どんなことがおきるのでしょうか。今、私はひとつずつ共同体を作っていっています。朝にタラッパン映像ニュースが出ていましたが、常任委員会を構成したのは、本格的に共同体運動をするためです。それで、これからは、あちこちに学校も立てて、学生達を教える事をするはずです。何年もならないうちに、全世界中にレムナントが起きる共同体運動、多くの文化運動がおきるようになるはずです。ここにいる人と一緒に、私たちは16年前に、この土地で始めました。ここでみるより、正確な答えが全世界で起きています。一つだけ記憶しましょう。これら皆、栄光を神様の前にささげましょう。それだけ記憶しましょう。
 
■ ファン・サンベ牧師がインマヌエル・ソウル教会に来られました。とても良い方を神様が送ってくださって、私たちの教会が真に良くなっています。世界宣教ができる良い門が開くはずです。ところが、契約教会では、ファン牧師に仕えていたゆえに、契約教会が一年間、空席でした。良い牧師が行くことに決定されました。良い牧師を送ってくれた教会にも感謝申し上げるけれど、行く牧師が私にあいさつをしにきました。私がお話をいくつかしました。ファン牧師のように、ずっとやんわりと福音運動しなさい。そして、今までしてきたように、福音運動だけを続けなさい。そして、永遠に銘記しなさい。多くの長老、役員、信徒にしもべのようにしなさい。本当に指導者になろうとするなら、そのようにしなさい。これから、一生の間、そのようにしなさい。私はこの方に仕える人なのだと考えなさい。君臨しようとしてはなりません。いつでもしもべだと考えなさい。それだけを記憶しなさい、と言ったところ、分かりましたと言いました。より分かるかと思って、ファン・ギョンジュ牧師の話をしました。一番牧会を上手にした方として指を折って数えるでしょう。その方がそうです。まず、堂会が集まれば、北朝鮮に置いてきた同胞を置いて祈るのですが、全堂会が泣いたということです。堂会員の中で理解が良くできない人が一名だけいても、みな理解して一緒に行くのです。いつもそのように主張したということです。私はあらゆる聖徒のしもべです。あなたがたは、あらゆる聖徒に仕える代表的なしもべです。私は 皆様に仕えるしもべです。いつもそのように説明したということです。この方が引退して、他の人がきたのにですが、だめになりました。問題が起きたのです。はなはだしきは、長老が牧師を告発しました。それは、あまりに憎くて、憎しみが充満した時、起きたのです。そうしたあとけんかになって、警察が投入されて、大騷ぎになりました。それを記憶しなさい。若い牧師が分かりましたと言いました。
 
■ 聖書に、イエス様は、このように教えられました。あらゆる栄光を神様の前に。今日、核心の時、説明するけれど、そのようにならない時、私たちはサタンに攻撃されます。国と力とあらゆる栄光が、主なる神様にあるように。この話が分かるでしょうか? ジョン・カルヴィンは、死にながら、こう話したのです。私が死んだならば、墓を小さく作って、碑石を立てないで。もしかしたら、他の人が墓に来たら、神様の前に恥ずかしいからということでした。いまだに、カルヴィンの墓には墓石がありません。私は行ってみたことがないのですが、写真を見ました。区分ができないから、他の人が棒を立てていたのですが、ななめに横になっていました。棒を見ると、だたペイントでJ. C と書かれていました。誰か区分をするために書いておいたのです。このように偉大なしもべもいます。私達が神様のものすごい栄光を知っていれば、私を表そうとするのは社会でなにかを知らない人々がすることです。それで、私たちの宣教師と宣教師を派遣する方、祈る方達があらゆる栄光は神様に。私は名前もなく、光もなく、この方のしもべ。それが偉大な指導者の姿勢です。成功した一般信者の姿勢です。世界に勝って、サタンの勢力をうち破ることができる姿勢です。それをいつも銘記しましょう。私たちは既にあらゆる祝福をみな受けました。皆様、2時に礼拝をささげれば、すこし疲れているかもしれません。すこししたら終わるので、おやすみになることを願います。
 
■ それでも、これは聞かなければなりません。何の話しもせず、その契約の内に入っていきましょう。キリスト、神様の国、聖霊充満、それが契約です。そちらへ入っていきましょう。その中で証拠を捕まえて、それを味わう祈りを少しだけしましょう。すると奇跡がおきます。今回、参加した宣教師たちの宣教地に奇跡がおきるようになるはずです。この契約を捕まえれば、私たちの教会に奇跡がおきるようになるはずです。聖霊は創造の霊なので、皆様の事業の場に奇跡がおきるようになるはずです。すると、神様に栄光を帰すしかありません。自分のものならば、私達がすこし高慢になってもかまわないけれど、すべて神様がなさるので、どれくらい感謝でしょうか。皆様が今、考えも変えて、気落ちせず、その契約の内に入っていくのです。私たちの弱さ、問題、失敗で、そのまま契約の内に入っていきましょう。入っていって、その証拠を捕まえて、少しだけ味わえば、ひっくり返ります。あらゆる問題が変わって、勝利に変わるはずです。こういう祝福が、皆様と宣教師に必ずあるようになることを希望します。今、インマヌエルの家族、衛星で礼拝をささげる教会に、この祝福がそのまま臨むことを希望します。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちの宣教師と私たちのあらゆる使命者に、恵みを与えて下さい。これから、なんにも心配せず、契約の内に入っていくようにしてください。その中にある証拠を捕まえて、祈って、災いが転じて福になる働きを成し遂げるように助けてください。貧しい者が恵みを受けて、他の人を助ける人に変わるようにしてください。病気の者が証人に変わるようにしてください。私たち弱い者が、多くの人を生かす伝道者に変わるみわざが起きることをお祈りします。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン