2004年12月05日インマヌエル教会聖日メッセージ 1部/ 私たちの中にある光
(ルカ11:33〜36)
■ ある牧師の家に長老が来て、二人が話を交わしていました。そこへ、一人の青年が訪ねてきました。そして、牧師先生に聞きたい話があると言いました。牧師が何の話か? と尋ねたら、いったい神様はどこにいらっしゃるのですか? それを教えてくださいと言いました。そうしたら、私は神様を信じます。私は信じたいのに、信じられません。神様は、どこにいらっしゃるのですか? 住所はどこですか? このようにたずねたのです。牧師がとてもうろたえて、答えることが難しかったのです。それで、単に信じなさいと言いました。どのように信じるのですか? 証拠をしてくれと青年が話しました。その時に、そばにいた長老が、こう言いました。牧師先生、それは私が説明をしましょう。その青年を見て、長老が話はじめました。今、君の足の前に何があるのか? 私の足の前には、門の入り口があります。それがどうして門なのか? これが門ではないのですか? あなたは、ちょっとおかしいですよ。そばにはなにがあるのか? そばには花壇があると言いました。それが、どうして花壇なのか? そこに花壇があるのか? 青年が腹を立てました。私は神様を説明してくださいと言ったので、花壇があるのに、なぜそのようなことを言うのですか? 長老が、またここにはなにがあるのかと尋ねました。あそこには味噌の瓶の置き場がありますと答えました。その瓶はどこにあるのか? 瓶があるのに、なぜ、そう言うのですか?
■ その時に、長老がこのように答えました。すまない。私は目が見えない盲人だ。やっとのことで、牧師の家にきたが、君の前にある、それが門なのか、あそこが花壇なのか、味噌の瓶の置き場なのか、私には見えない。私はやっと、たどって来て、道を通ってきただけであって、よく知らない。それで、人々が話すことを信じることができない。それとともに、長老がその青年にこういう話しをしました。君は霊的に目が見えないゆえに、なんにも見ることができないのだ。神様に対してわからない。その時、青年が分かったのです。目で見ることができない世界があるんだな。信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。私達が信じる信仰の対象は、目に見えるハンカチ程度ではありません。私達が信じる信仰は、目、鼻、この程度ではなくて、私たちのたましい、目に見えないことがとても重要なのです。どのように、服を着るかという程度ではありません。私たちの最も重要なたましい、私たちの精神、こういうとても重要なものです。
■ 聖書を見れば、一番初めに出てきた単語があります。 '光'という単語が出てきます。光で天地を創造なさったと言われています。そして、聖書の最後には、使徒ペテロが、あなたがたを光を宣べ伝えるために呼ばれたと言われました。イエス様が弟子を見て、あなたがたは、光になりなさいと言われず、あなたがたは、世の光だと言われました。危機に会った時、預言者イザヤは、起きて光を放てと言いました。主の光があなたがたの上に臨んだ。そして、パウロは私たちは光の子どもだと言いました。皆様が今日、この祝福を受けるべきです。イエス様がそのようにおっしゃられました。皆様がこの部分を見るのに、とても重要な先週のみことばをすこし参考にしなければなりません。皆様、罪の中で最も大きい罪は何かご存知でしょうか? 先週にイエス様がおっしゃられました。福音を知らず、しるしを求める悪い時代だ。分かるでしょうか? それが、なぜそのように悪いのでしょうか? あらゆることがみな悪いようになります。
■ やさしい例をあげましょう。今日、教会にどのように来ましたか? たぶん、こういう人もいるでしょう。奥さんが行こうと言うから、教会をあまり休むと罰を受けるから、また、もし神様が前のように殴られたらどうなるだろう。それを福音がない律法だと言います。私は今日、最も良い恵みを受けるはずだ。私は今日、神様に栄光の賛美をささげるはずだ。それが福音と律法の差です。分かるでしょうか? 献金をなぜするのでしょうか? 十一献金を自分のものにしてしまうと、罰を受けるから、十一献金を取ったら、事業がもしだめになるかと思って。それで、パリサイ人は、豆も数えて、粟も数えて、みな数えました。それを福音を悟ることができなかった律法だと言います。当然なことに、他の人は暗やみにお金を捧げるけれど、私は神様の前に、神様の国のためにお金を使う。それが福音を悟った者の献金です。このように差が出るのです。それで、福音を悟ることができなかった人は、とても悪い人なのです。今日の聖書のみことばのように、あらゆる部分に目が暗くなります。ですから、しるしを追って動くのです。これが良いか? あれが良いか? このように動くようになるのです。あらゆる面がみな違うようになります。
■ 例えば、父母を敬う人がいます。親を敬わなければ嫌われるだろう? と言う人もいます。また父母を敬えば、すこしある財産でももらえるだろう。それは間違っているのです。今まで、親が私を産んで、教えて、育ててくれたのが、とても感謝で、親を愛します。そのようになるべきでしょう? これくらい、福音と律法は似ているように見えるけれど、皆様に相当な差を見せるようになるのです。あらゆる面に差が出てきます。ですから、今日の聖書にあるとおり、目が違うから、あらゆる部分が違うのです。目が暗いから、あらゆる部分が暗いのです。皆様、今、イエス様がずーっと福音で言われるみことばをよく捕まえなければなりません。光が臨んだのです。この事実を見た人々は、正しい信仰生活ができるのです。今日、皆様個人、皆様の事業、皆様の家庭に、神様の光が臨むようになることを願います。電気の光でなく、ものすごい創造の光が臨むようになることを願います。
■ 皆様、光がどれくらい重要でしょうか? 肉体的にも重要です。よく理解ができないなら、夜に田舎の道を行く時、車のヘッドライトを消して行ってみてください。光がどれくらい重要でしょうか。すぐにこの電気を止めて、光がなければ、なんにもできません。ですから、肉体的にもそうです。聖書で最も重要な単語が、救いなのですが、救いの秘密とは、何の話でしょうか? 光を照らされたということです。皆様の家庭に光が臨めば、皆様の家庭の闇がすっかり消えます。皆様の事業に神様の光が臨めば、闇がみな逃げるのです。すごいことです。これを悟りなさいということです。信仰生活で、これがどれくらい重要でしょうか? 聖書を見れば、ヨセフはこれを見ました。ヨセフは、お母さんもいなくて、家庭も難しくて、とても難しかったのですが、祈っている途中で、驚くべき光を見たのです。神様が私と共にいらっしゃる。私はそれで、世界福音化して死ぬ。これが光です。どれくらいすごいでしょう?
■ ダビデを見ましょう。幼い時に礼拝して、祈っている途中で、神様の驚くべき光を見ました。死も恐ろしくなかったのです。ゴリヤテの前に、大胆に出て行くようになりました。これが単に行ったのではなく、なにかあるのです。サウルに追われながらも、あらゆる祝福をみな受けました。ダニエルを見ましょう。獅子の穴に入っていったのに、それ以前にダニエルは相当なことを見たのです。パウロが道を行く時、キリストに光を照らされて、光を受けました。私たちは教会に仕方なく通っている人もいますが、パウロはその程度ではなく、キリストの光がパウロを照らしたのでした。すべての問題がみな終わってしまいました。私がなぜ律法にだまされたのか? 私がなぜ宗教生活をして、答えを受けることができなかったのか。私は信仰生活をしているのに、なぜ霊的問題が多いのか? いったいイエス・キリストは、誰なのか? 答が出たのです。それが光です。ですから、本人の力と関係なく、世界福音化する光が生じたのです。皆様、これが神様の子どもです。皆様が行く所ごとに、会社に、光が照らすために、皆様ゆえに会社が生かされるのです。
■ ここに今日、新しく来られた方はいますか? もし私がイエスを信じれば、私の家、私の環境がどのようになるか心配する人々がいます。それは知らないからです。それはイエスを信じなくて、教会だけ、行ったり来たりしているからです。今日、本当に、イエスを信じる信仰で、皆様の家、皆様の社会、事業の場に神様の光が臨みます。一つだけ証拠を出します。あなたによって国々が祝福されるようになるはずです。これが福音で、光です。皆様、こういう部分を知っていなければなりません。皆様の生涯の中で最も重要なのが何でしょうか? 一般の人たちは、説明が出来ない主の光です。教会史に見ましょう。マルティン・ルターが、信仰生活をするのに、とても難しかったのです。聖書を見始めました。聖書を見ると、そうでなかったのです。神様の子どもは、どうかということを知るようになりました。神様の子どもは、神様の祝福を受けるしかないということを知ったのです。私がお金を与えて救われるのではないということを知りました。私がものすごい業績を積んだ後に救われるのではないことを知ったのです。この話をすべきだな。この話をすれば、確かに殺されます。怖がってすることができなかったのです。ある日のことです。マルティン・ルターと友人達が道を行く時、雨が降ってきて、雷の稲妻が光はじめたのです。そして、雷が落ちました。三名が倒れたのですが、ルターの両隣にいた人々は死んで、ルターだけが生き残りました。なぜ死ぬ時、両側だけが死んで、真ん中だけ生き残るでしょうか? 悟ったのです。神様が私に死を覚悟して福音を伝えろとおっしゃるんだな。もちろん、個人的な体験です。皆様、教会史を見れば、この秘密を見た伝道者は、全部、勝利しました。どのように、この光を見ることができるのでしょうか? これが重要です。
■ 私はこの光をどのように見ることができるか、だいぶ難しかったのです。私の性質が、ちょっとそのようなためです。私の友人は、教会に行くやいなや、すぐに異言を受けました。私はどんなに受けてみようとしても、受けることができなくて、見物だけしてきたのです。性格です。すぐに異言受けたその友人は、いまはイエスを信じないのですが、どのように受けたのか分かりません。私の性格は、良くないようです。誰かが歌を一度歌ってくださいと言われたら、私は歌うことができません。性格がそのような性格です。私の友人のチョ・ウンテ牧師は、若い時、歌を歌えと言われたら、行って歌をよく歌いました。前に、一度、チョ・ウンテ牧師夫婦と、私の夫婦で一緒に食事をしました。食事して帰る時に、ある人が、市場で飴を売るのに、太鼓をたたいていました。チョ牧師が行って、一度、たたいてみようと言いながら、それをたたいたのです。私は恥ずかしく、すみから早く行こうと言いました。私は性格が体質的にそうです。ところが、何か体験できるでしょうか? できません。それで私は、とても性格が良くないと思っていました。できる性格にならなければならないのに、それがだめだったのです。この驚くべき祝福を、どのように体験するのでしょうか? これが問題です。今日、イエス様が説明なさいました。今日、皆様が本当に祝福の日になることを願います。
■ イエス様が今日なさった本文のみことばをよく見れば、分かることができます。 'だれも、あかりをつけてから、それを穴倉や、枡の下に置く者はいません。燭台の上に置きます。はいって来る人々に、その光が見えるためです。' 36節には 'もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが輝いて、あなたを照らすときのように明るく輝きます。.' だれが、光を燭台の上に置かず、隠された所や枡の下に置くだろうか? だれがあかりを今日の33節に、穴倉の中ということは、秘密の倉庫のような所に奥だろうかということを言っています。だれが、あかりを枡の下に置くのか? 枡とは何でしょうか? 大きいかご、缶です。だれが缶の中に入れるでしょうか? 光は、燭台の上において、みな光を見るようにするではないでしょうか? この話は、なんの話でしょうか? 神様が光を下さったのに、それを知らなくて、イスラエル民族が、生きてきたのでした。これは未信者を見て言われた言葉ではありません。愚かなパリサイ人よ。だれが光を倉庫に隠しておいて、引出しの中に入れておくのか? だれが、光を木箱の中に入れるだろうか? この光をスタンドに上げて、明るく照らさなければならないのではないか? 私は以前に錯覚したのです。私が何かを作りだすのかと思っていたのです。.
■ 神様の恵みで、この席にきた皆様には、神様の光が臨んでいるという事実を信じるように願います。しばしば錯覚するのです。イザヤ 60章に何となっているでしょうか? 主の栄光が、あなたの上に臨んだ。未信者には闇が覆って、主の光があなたの上に臨んだ。それで努力でなく、恵みです。分かるでしょうか? 神様が皆様に光を与えたのでのがさないようにしましょう。それをなぜ隠して置くのでしょうか? 使いなさいということです。この話は、なんの話でしょうか? 暗やみと光が何か、見分けることができなかったということです。皆様、聖書にある答えを受けることは、やさしいのです。最初に、暗やみと光が何か識別することができなければなりません。闇とは何でしょうか? それを知っていなければならないのです。皆様が犯していない罪、原罪を一番目に、闇だと言います。今日、よく聞くべきです。創世記3章に、原罪は、私と何の関係があるのかでしょう? 関係ないのに、皆様の社会と家を倒すのです。それで、神様が光を照らしてくださったのです。これを知っていればよいのです。創世記6章に、ネフィリム時代がきて、全部、滅びるようになりました。それが原罪です。皆様が原罪が何かを知らなければなりません。それで、時間が経てば経つほど、どんどん難しくなるのです。
■ 皆様が原罪ということを知らないから、原因さえも分からないのです。皆様が今日、闇が何かを知っていなければなりません。闇がなにか、わからないのに、どのように光を知ることができるでしょうか? 知っていれば、働きが起き始めます。私はむかしに、イエスを信じるということが、理解できなかったのです。もし皆様の中にも、私がイエスを信じねばならない理由が何か理解がよくできない人はいるはずです。おもにその方は、とても無知か、そうでなければ、たくさん学んだ人々です。あまり無知な人々は、知らなく無知で、たくさん学んだ人は、それで知らなくみなのがしたのです。原罪が何かを知っていなければなりません。皆様が犯した罪ではありません。創世記 3章、6章、11章の呪いが、今、社会にそのまま現れているのです。それを原罪と言うのです。その中に陥って、知らずに、どんどん罪を犯し、夫婦間で、兄弟間で、隣どうしで戦うから、それで完全に闇に陥ってしまったのです。ですから、原因を知らないから、誤った診断をするのです。なぜだめなのか、原因を知りません。世の中の人々は、今、知らずにいるのです。自分の家がなぜこのように滅びるのか? 恥ずかしい。私はなぜこのようになったのだろうか? 隠しているけれど、恥ずかしいのです。尋ねる所もありません。ですから、隠れて占い師を訪ねるのです。どんどん困難が来ます。創世記1:3に、暗闇、空虚、混とんの上に、主の光を照らされました。この祝福を受けてくださることを願います。
■ 創世記3章、原罪に陥った者のために、創世記3:15節、女の子孫を送られました。箱舟を作って、誰でも箱舟の中に入る人は、生かされます。出エジプト3:18に、羊の血を塗る日、解放されて、ものすごい奇跡がおきたのです。今日、初めて信じる人々は、記憶せねばなりません。この光の契約を捕まえる瞬間に、あらゆる暗闇は全部、離れるようになります。絶対にだまされないようにしましょう。このことを知らなくて、教会生活を続けるならば、むなしい事です。皆様がこの契約を捕まえれば、本物の光が臨むのです。聖書をよく見ましょう。主の光があなたがたに臨んだ。起きて光を放ちなさい。ヨハネ1;12に、神様がキリストを光として送られました。それで、Iペテロ2:9に、あなたがたを光の子どもとして、光を宣べ伝えるために呼ばれたのです。この契約を握ることを願います。しばしば、むなしい苦労をせずに、契約を正しく捕まえなければなりません。あながたは、世の光です。皆様、闇がなんの話なのか知れば、光がなんの話なのか分かるはずです。これから、できなければなりません。
■ 私はむかしに、何かをせねばならないのかと思っていました。眠ることせず、祈らねばならないのかと思っていたのです。40日、100日、断食して、何かをせねばならないのかと思っていました。悟れば良いのです。今日、イエス様が話されました。このみことばが分かるでしょうか? 光を受けなさい、発見しなさいではなくて、なぜ光を燭台の上に置かないで、下に置くのかと尋ねられたのです。分かるでしょうか? 光を受けなさいと言わなければならないのに、なぜ、光を隠しておくのかとたずねられました。キリストを送って、いのちの光を与えたのに、私達がそれも知らずに、どこかに隠しておいたのです。なんの話なのか分かるでしょうか? 皆様が宗教ゆえに混乱を起こすことがあるのですが、福音をよく悟らなければなりません。2番目です。イエス様がこのようにおっしゃられました。あなたの目が暗くなっているので、全身が暗いのではないか? その話しは、何の話でしょうか? 霊的な目を開けましょう。光がきているので、霊的な目を開きましょう。皆様、肉体の目が暗くなると、どのようになるのでしょうか? 全てのものが障害物になります。
■ もし知識に目が暗くなると、どのようになるでしょうか? あらゆる生活が苦しみになります。霊的な目が暗くなると、どのようになるのでしょうか? みな持ったら、それによって失敗します。ですから、見ましょう。霊的な目を開きましょう。さっき一番目のメッセージは、既にきているのに知らないから悟りなさいということです。2番目に悟らねばならないことは、目が暗くなると全身が暗いから、霊的な目を開きなさいということです。今日、霊的に大きい目を開かれるべきです。皆様、サタンはどこを攻撃するのでしょうか。宗教生活で滅びる人々は、サタンからやられるしかないのですが、これはどこを攻撃するのでしょうか? 創世記3:5を見ると、家庭教会のアダム、エバの家を攻撃しました。創世記 6章にも、家庭教会のノア時代の家を攻撃したのです。創世記4章には、礼拝をささげるカインを攻撃しました。ですから、早く霊的な目を開けなければなりません。皆様、信仰生活を最も良くする人は誰なのか知っていますか? パリサイ人でした。その人々が、福音を防止したのです。目を開かれなかったのです。皆様、この話が分からないでしょうか? 私は信仰生活をずっとするのに、答えがこないのは、なぜそうなのか? 早く目を開けるべきなのです。皆様、信仰生活を上手にやるという人々が、ヨハン・ウエスレイ、ムーディーのような人を難しくさせたのです。信仰生活を上手にやると、今、話すならば、正統的な中世教会が教会を壊したのです。ですから、パリサイ人に目を開きなさいと言われたのです。私達は、目を開かなければなりません。この福音をよくしらずに、教会生活だけすれば、どんどん困難だけが来ます。今日、神様が皆様に光を照らされるならば、すべての問題は解決できるのです。問題は、知らずにいるということです。問題は、目を開いていないのです。神様が皆様の事業を祝福なさるならば、人が百年するより、よくなります。問題は、この光が来ているのを知らずにいるのです。そして、目を開くことができなくて、だまされているということです。朝の庭というTV番組で、夫婦げんかをするのを見たことがありますか? この人達は、今、闇に捕えられて、だまされているのです。男の人の話を聞けば、女の人が、とうてい理解ができない人です。女の人の話しを聞けば、男の人が思わしくない人です。二人でそれゆえに言い争いをして、放送局現場でも、けんかをするのです。その時、私が感じたことがあります。あの人々は、永遠にだめだろうと思いました。あの人々は、帰る時、またけんかをするだろうと思いました。あの人々は、和解しても、いつけんかするかも分かりません。二人とも、闇に捕えられているからです。この闇に捕えられていれば、目が開かなければ分かりません。だから、どれくらい怖いでしょうか。私達が霊的な大きい目を開かなければなりません。すると、この光の驚くべきみわざが皆様に臨むようになるのです。
■ この光を、どのように体験するのでしょうか? 最初は、キリストを送り、光がきているということです。2番目は、私達が光ではない、それた道に行かず、霊的な目を覚ましなさいということです。三番目は、信じれば良いのです。信じてくださることを願います。そして、受け入れる者、神様の子どもになる特権が与えられました。神様が人間を創造なさる時、こういう驚くべき祝福を下さったのですが、サタンの誘惑を受けて崩れたのです。この時、神様がキリストを送られたのです。皆様の問題は、どんなに苦闘しても解決しないので、キリストを送られました。皆様が、祈りの答えを受けてみたいけれど、だめなのです。それで、キリストを送られたのです。
■ ローマ5:8 '私達が罪人であった時、キリストが十字架に死んでくださった.' ヨハネ3:15 '誰でも信じる者は永遠のいのちを得ます。信じる者は裁かれません.' 運命が変わるのです。 '死からいのちに移っているのです.' どのように信じれば良いのでしょうか? '受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権を与えられた' ローマ10:9〜10 '人は心で信じて義と認められ、口で告白して、救われるのです' どれくらい簡単でしょうか? イエス・キリストを私の救い主だと信じて、真に私が光でこられた主の秘密が私に来ているのにも知らなかったな! 悟れば良いのです。私たちは、信仰生活を上手にやろうとしたのですが、いつも違った道を通ったゆえに、目だけ開ければ、答えのみわざがそのまま起きるようになっています。今日、皆様に最高の祝福の日になることを願います。どのようにすれば良いのでしょうか? 既に、私たちは悟りました。今日、皆様が福音を捕まえて、人生の大きい転換点にするように願います。困難がきたのでしょうか? 私たちは、福音の前で、人生の転換点にしなければなりません。私たち学生達が難しいでしょうか? 私もこれから福音の契約を捕まえて、新しく始めなければならないと考える時、働きがおきます。
■ 皆様、おわかりの通り、サンダーシングという人が、人生があまりに難しくて、死にたいと考えたのです。ところが、自尊心があって、自殺したと言われたくなくて、事故が起きたようにして死のうと、鉄道に行ったのです。その時です。列車の線路に首を置いて、横になっていたら、風が吹いて、なぜか紙が頬に付いたのです。だれかが捨てた伝道紙でした。列車が来る時まで退屈だから、その紙を見たら、たくさんも書かれていなくて、ただ1行記されていたのです。 'すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます' 簡単な話ではないでしょうか? この話に、聖霊が心に感動を下さったのでした。そこでひざまずいたのです。この人の人生の転換点になりました。その時から、祈り始めたのです。この人が、相当な答えがきたのでした。とても多くの人を生かしました。
■ 米国にとても美人できれいな女の人がいたのですが、自分の姿かたちを信じて生きたのですが、変になってしまったのです。この男の人、あの男の人に会って、売春婦のようになってしまったのです。それとともに、人生の困難もずっときたのです。とても大きい困難がきたのです。そのような中、道を過ぎ行くのに、教会があるのを見ました。その日の教会の説教のタイトルが '罪の報酬は死' でした。この女の人が、そちらに入っていったのです。一番後ろの席でその説教を聞いていました。最初に '罪の報酬は死です' この話をどれくらい強く言われたので 'その通りだ’と考えて、終わりまで聞くこともせず出てきたのです。とても良心の呵責を覚えて、それ以上、聞くことができなかったのです。そうでなくても死にたかったのに、メッセージを聞いて、確実に悟って自殺すると心に決めたのでした。それで、近くの海辺へ行ったのでした。ところが、人は、さて死のうとすれば、多く考えるようになります。
■ その女の人が考えたのは、私は今まで数多くの人に会ったが、このように私の心を刺した人はいない。この牧師が神様のみことばで私の心を刺した、と考えて、公衆電話のボックスを探して、週報を見て、その教会の牧師に電話をかけたのでした。 "今日、先生のみことばをよく聞きました. '罪の報酬は死です' それで、私は今日死ぬことを心に決めました." そして、電話を切ったのです。牧師が考えて、何でこういう人がいるのか? 次のことを聞くべきで、信じれば生かされるのに、それを聞かずに行ったのです。それで、この牧師が大変なことになったと思って、近くの海辺へ行ってみたら、ちょうど、水に入っていく準備をしている女の人を発見して行ったのです。
■ 牧師がその女の人を見ながら、死んではならない。どうしても生きなければならない。と言うべきなのに、この牧師は、その女の人に言ったのは "あなたは必ず死なねばならない人です." だから、その女の人は、涙がより出て悲しくなったのです。 "そして、私も死ぬべき人です" 一緒に死のうという話しだと思って、牧師を見つめたら、 "ところが、死ぬ必要がありません。神様がイエス様を送って、あなたの罪と私の問題をすべて十字架で釘づけて亡くなりました。あなたは、この十字架をつかんで、神様の子どもになれば、すべての問題は終わるのです"と話したのです。 "それは本当ですか? 私の過去の罪は、とても多いのに、みな返さなくても良いのですか? 本当に、私の全てのものがなくなりますか?" 信じられないで、たずねたのです。牧師は"すべてなくなります。受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神様の子どもになる特権をお与えになったから、死からいのちに移ったのです。罪と死の原理からあなたを解放したと言われました" この女の人は、その福音の光の前にひざまずいたのでした。米国と世界を動かす伝道者になりました。その女の人が '私はあなたと結婚した'という本を書きました。その驚くべき光を見るようになったのです。
■ ですから、皆様がこの驚くべき祝福の光を見るならば、すべての問題を解決できるのです。 'では以前に間違ったことが多いのに、イエスを信じて神様の子どもになれば、みな解決しますか?' そうです。スパイは、自首すればみな終わるのです。北朝鮮の国籍を持って、悪いことを続けていても、自首してしまえば、過ぎたことはみな終わります。退屈ならば呼び出して、以前にその爆発事件があった時、そちらにいたではないか? こういうことは聞きません。むかしのことは尋ねないのです。スパイは、自首すれば終わりです。なぜなら、過去の身分から、新しい身分に移しってしまったためです。滅びることをしていて、光の子どもに移されたのです。もしこちらにスパイがいるなら、自首することを願います。それで、終わりです。こういう驚くべき光です。
■ この光が皆様の個人と家庭と、事業に臨むのを答えと言います。この秘密を他の人が見るようになる、 それを伝道と言うのです。この光を全世界に話すようになる、これを宣教と言います。
■私は福音を知る前には、本当に難しかったのです。性格も難しい性格でした。福音を知って、すこし良い性格であることを知るようになりました。私は外で騒いで回り、何か借りようと通って、人の家を探して伝道する性格ではありません。それは今でもそうです。もし私に長官をしなさいと言われたら、できる自信があります。する気はないのですが、自信はあります。しかし、今でも私はできないことがあります。バスのなかで物を売る人々を見ながら、本当にすごいなという気がするのです。あのような人を訓練させれば、伝道を上手にできるだろうと考えてみました。しかし、伝道は、そのようなことではありません。私は死んでも、そのようなことはできません。それで、私は性格が異常なのだと思っていました。福音を悟ったら、そうではなかったのです。正確な伝道は、回ることではなく、来るようにさせることです。全てのものが変わったのです。見る目も耳もみな変わりました。どれくらい感謝なのか分かりません。それで、この契約を捕まえて、ずっと祈ったところ、ずっと答えを下さいました。
■ 皆様がこの祝福を受けて味わいましょう。イエス様がおっしゃられたのです。この祝福を受けて、味わいなさい。神様がこの光を下さったのに、なぜ受けないのかということです。そして、なぜとんでもないことを捕まえているのか? これが二つ目のことです。全身が明るくなるはずだから、信じなさい。ある人は、イエス様を受け入れたのに、たましいの救いだけでなく、あらゆる病気もいやされました。今、釜山でこの説教を聞いているでしょう。仏教の会長が重要な病気にかかったのですが、イエスを受け入れた瞬間、あらゆる問題が終わってしまったのです。ある人は、てんかんで苦労していたのですが、イエスを信じて終わってしまったのです。ある人は、精神病で悩まされていたのですが、イエスを信じる瞬間、解決しました。
■ それが問題ではありません。皆様、本当に福音を捕まえる瞬間、暗やみはみな離れるようになるのです。ここでどんなに踊って、歌っても、暗やみはなくなりません。暗やみがなくなる方法は、光が来たら、なくなるのです。皆様の個人、家、事業に、この祝福が臨むことをお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。この光の子どもたちが、この光を宣べ伝える祝福を与えて下さい。それなら、この人たちゆえに、家庭と事業の場に光があらわれるようにしてください。大韓民国のあちこちに、ソウルのあちこちに、神様の光が照らされて、暗やみが退くみわざが起きるようにしてください。この答えを受ける祝福の子どもになるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
2部/ 主の主権
(詩97:1〜12)
■ 今日の1部礼拝では、暗い世の中に神様が光を照らされるというみことばを見ました。よく理解するならば、ずっと答えがくるはずです。それなら、救われた私達が、どのようにすれば、信仰生活を一番良くできるかを今日の2部礼拝で見ます。ものすごく重要です。今日は特に、教育局の修了式です。私たちの学生達を教える教師たちが、長い間、教育を受けて、今日、修了するようになります。また、教会には多くの学生達が育っています。私とあなたがたは、いのちが終わる日まで信仰生活をしなければなりません。どのようにすれば、良くすることができるのでしょうか? どこにポイントをおけば、良くできるのでしょうか? ものすごく重要です。それを今日、みことばからお話しします。特に今日、教育に対して考えてみることもありますが、誰でも同じ立場です。
■ 私たちには、重要な出会いが4つあります。私達が選択出来ない親との出会いです。私達が、親に会うことは勝手に出来ないのですが、重要です。また私たちは幼い時から動き始めれば、死ぬ時まで友人に会わなければなりません。どんな友人かということによって、事業ができるようになったり、できなかったり、恵みを 受けたり、滅びたりもします。その次の三番目に影響を与えることが先生です。私達がどんな機能を持って、どんな先生に会ったのかが、相当な影響を与えます。そして、最後に配偶者です。夫、妻の配偶者に会うことがものすごく重要です。どれが重要か判断することは、漠然としています。私達が両親によく会ったとしても、良い生活ができるのではありません。ある人は親によく会うことができなくて苦労をするのに、成功する人もいます。こういう重要な出会いを通じて、相当な苦しみが来ることもあります。また、私たちはこういう出会いを通じて、成功もすることができます。それなら、何を持って、どのように、信仰生活をしなければならないのでしょうか? 今日の詩篇 97篇は、教育する方と多くの方達にぴったりなメッセージが出てきました。
■ 最初です。救われた私と皆様が、今からずっと答え受けるためには、神様の主権を見る目がなければなりません。なんの話なのか分かるでしょうか? 神様の主権を見る目があってこそ、ずっと勝利して、答えを受けるのです。それでなければ、問題がたくさん起きます。それで、無理に耐えるならば、病気にもなります。教育局の修了時間なので、教育の立場で見ます。一番目には、レムナント七名が神様の主権を見る目があったのです。それが私達が一番目に悟らなければならない部分です。だから、私達がこの部分をよく知っていなければならないのです。大きい2番目は、レムナントを育てた親です。この親が神様の主権を信じる信仰があったのです。だから、本当に重要です。大きい三番目は、教師の立場で見なければなりません。レムナント七名を助けた教師や、そばにいた人々を見れば、神様の主権が成し遂げられる方法を知っていたのです。これが祈りの答えを受けるものすごく重要な方法です。
■ 私の説教を聞く方の中に、こういう方はいますか? 私はあの夫とは暮らせない。私はあの妻とは暮らせない。ひょっとして、そのような方はいらっしゃるでしょうか? すると、何をしなければならないのでしょうか? 離婚すればよいのです。すると、全部、離婚しなければなりません。それなら耐えなければならないのでしょうか? 普通の問題がくるのではありません。病気にもなって、問題がきます。こういう考えはしてみなかったのでしょうか? 神様が皆様に最も適切な人を付けたという考えをしてみたことはないでしょうか? そうでなければ、その後に神様の最も適切な事が起きるという考えは、してみなかったのでしょうか?
■ ある復興をたくさんさせた牧師が、私にきて話しました。私は、先生に会って、福音を悟って伝道も多くして、私たちの教会は、たくさん復興したということです。みな良いのに、ひとつ問題があるということです。何かと尋ねました。自分の妻だと言いました。奥さんがどうなのかと尋ねました。自分を狂うようにするということでした。殺すことも、生かすこともできなくて、狂いそうだということでした。目に涙を少し浮かべていました。その時、私が牧師夫人の顔を思い浮かべていました。そのように見えると話しました。夫を苦しめるような人でした。苦労するだろうという気がしたのです。耐えてくださいと言いました。私がこういうことを話しました。神様があなたに最も合った奥さんを付けられたのではないですか? そう言ったら、黙っていました。絶対に必要な人ではないですか? そのとおりですと答えました。私たちは、少し話したのですが、人間はこのように差が出ます。私たちは既に救われました。既に光を受けたのです。私たちは、世界を征服できます。何だけ悟れば良いのでしょうか? 神様の主権を見る目だけあれば良いのです。私達が神様の主権を無条件に誤って見てはならなくて、正しく主権を見る目がなければなりません。そして、神様の主権を信じる信仰がなければなりません。そして、それを成し遂げて行く方法を知っていなければならないのです。それがほとんど詩篇の話です。それなら、97篇を少しだけ見ます。1節に '主は、王だ。地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。' 2節に '雲と暗やみが主を取り囲み、義とさばきが御座の基である。' 4節を見ると '主のいなずまは世界を照らし、地は見て、おののく。' 5節には全地、 6節には天を神様がみな統治されるという意味です。すると、良いのです。
■ あらゆるレムナントと教育なさるあなたがた、多くの祝福の人々が、どのようにすれば、ずっと答えを受けることができるでしょうか? 皆様に問題が迫ることもあります。どのようにすれば良いのでしょうか? 神様の主権を見る目があれば良いのです。大きい課題を私が三個、話しました。すると、例をあげます。ヨセフです。ヨセフは、早くにお母さんが亡くなって、兄達がヨセフをとても困らせました。皆様、問題の中で最も問題は、職場の問題ではありません。家庭の問題です。皆様の職場には、問題が生まれれば、職場を移せばよいのです。ところが、家庭に問題がくることは、どうすることもできません。皆様の夫が異常ならば、殺すこともできず、売り飛ばすこともできません。普通の問題ではありません。職場は辞表を出して出てくればよいのです。他の職場に行けば良いでしょう。服が気に入らなければ、着なければ良いでしょう。次に服を買って着れば良いのです。家が気に入らなければ、売って移ればよいでしょう。人はそれができません。家庭は、それができないのです。
■ ヨセフの兄たちは、とても水準が低いようでした。どのようにするのでしょうか? 人は、水準が似ていて、意見の差があるならば分かりませんが、あまりにも水準の差が出るのです。ヨセフの兄達は、頭をみな合わせも、ヨセフの頭ひとつにしかなりません。この水準を持って、ヨセフをしばしば殺そうとするのです。ヨセフは、発見しました。それがまさに、神様の前に祈らねばならない理由だということを知っていたのです。ヨセフは、祈る中に大きいビジョンを見ました。これが重要です。それで奴隷として行きました。監獄所へ行きました。それが全部、経済、政治を習う機会でした。だから、このように神様の主権を見る目がなければなりません。皆様にどんな問題がきても、神様の主権のなかで、貴重な答を捜し出すことを望みます。特にここにレムナントがいます。レムナントは、必ず、この目を開かれなければなりません。皆様の家庭に起きる問題の中で、神様の主権を知って、答をさがすことができなければ、傷を受けて、ものすごく難しくなります。学生達の中に、両親が離婚して、両親に問題がある学生達は、下手すると迷宮に陥ります。また家庭不和が多くて、父母が問題が多ければ、学生達は下手すると、虚しさに陥ってしまいます。早くヨセフのように、神様の主権の中でそれを認めて、答を早く探さなければなりません。
■ レムナントの2番目の人物がモーセです。モーセは、おわかりの通り、重要なことをやり遂げました。モーセはすでに幼い時、お母さんに育てられ、王宮で育ちました。そちらで既に重要な契約を学んだのです。モーセの生涯を簡単に話すことができます。イスラエル民族を救って連れて行くことが、重要な神様の計画ということを知っていたのです。それでモーセがイスラエル民族を連れて行く時、途方もない働きがおきました。皆様が今でも信仰生活をするなかで、神様の望まれている、重要な時代的な要請がなにかを知っていれば、答えはずっと来ます。
■ 例をあげてみます。私が神学校に通いながら、今まで信仰生活をしてきました。幸か不幸か、牧師や牧師夫人の中で本当に福音を伝えている人々は、見たことがありません。本当に福音のために譲歩して、福音のために耐える人を見たことがありませんでした。習う所がないのです。教会復興はしていたのですが、実際に習う所はありませんでした。それで、私の胸の中に、人々がほとんどみな伝道を難しくしているということを知りました。それで、聖書を静かに見ると、伝道する方法がたくさんあるのです。それで、私が神様にこのように祈りました。伝道して、私たち信徒に伝道を正しく教えるべきだと祈りました。それは、ものすごく小さな簡単な話です。しかし、これがこの時代に、神様が最も必要とされる要請です。相当な答えをたくさん受けました。皆様が今、教育局の教師と多くの方達がいますが、事業も全く一緒です。今日、皆様が貴重な時間を使って座っているのに、のがしてはなりません。救われた私たちは、どのようにすれば、祈りの答えをずっと受けることができるのでしょうか?
■ 神様の主権の中にある神様の計画をいつも見ながら祈れば、私たちはずっと勝利できるのです。モーセがそうしました。それで、早く招請されたサムエルのような人は、ダビデのような人物を育てて、イスラエル民族をミツパで悔い改め運動をしたのです。そのうちで、代表的な人物がダビデです。ダビデが、神様の主権を完全に信じました。そのなかで、神様の計画を見たのです。皆様に、ダビデの説明をしなくても、知っているでしょう? どんなに難しい中にいても、エリシャのような人は、この契約の内に入って行きました。イザヤとパウロのような人が、この契約の内に入っていって、無条件に答えを受けました。皆様は、よく考えなければなりません。自分にもし祈りの答えがなかったり、むずかしいという人は、早く方向を握らなければなりません。
■ 小さい商売をしても、方向を正さなければなりません。今、世界でお金を一番たくさん儲ける人はだれでしょうか? ビルゲイツです。どうして、そうなのでしょうか? 煉炭の商売をしたからでしょうか? 今、ビルゲイツが煉炭の商売をすれば、そんなに儲けることはできません。全世界の煉炭をみな売っても、そのようになりません。この時代に、絶対に必要なことをしたゆえに、そのようにたくさんお金を儲けたのです。それなら、私と皆様は定刻の祈りをなぜするのでしょうか? 少しだけ祈れば、神様の主権の中にある計画を見るようになります。その方向にだけ行けば、答えはずっとくるようになっています。ここに親たちがいます。2番目に、祈りの答えに対する答を得なければなりません。私たちは、神様の主権を見ることができて、信じることができる信仰があるならば、皆様、親たちは勝利します。
■ 創世記37:11に見ると、このような話しがあります。ヨセフが夢の話をしたのですが、ヤコブがそれを心に留めていたと言われています。本当に重要な話です。皆様が神様の主権を信じる信仰のなかで、この子どもを育てるとすれば、相当な事が起きます。私は聖書を静かに見ると、モーセはたいした人物です。しかし、出エジプト2章を見ることを願います。モーセのお母さんが息子を産むことができなかった時、隠れて産みました。その息子を王女の所に行くようにした作業を見ましょう。普通の人がすることではありません。この話は、なんの話でしょうか? 神様の主権を信じる信仰を持って行動した、とても重要な信仰です。皆様、ハンナの祈りを知っているでしょう? Iサムエル1章を見れば、自分に息子を与えられたら、ナジル人として育てると言いました。みな同じです。Iサムエル17:18を見たでしょうか? 戦地にお手伝い行った息子に、しるしを持って帰りなさいと言いました。祈りの答えを受ける親、祈りの導きを受けるレムナントが、全部、神様の主権のなかで計画を見る目があって、これを信じる信仰がありました。すると、じっとしていても、答えがくるようになっています。
■ 私は既に明らかな契約を捕まえました。今日、ここに重要なキム・テウン、ソ・テスク牧師が来ています。米国で教会を良くしています。初期に、私と共に伝道運動をした人々です。それで、訓練をとても確かに受けた方たちです。今日、私が昼食を食べながら、そのような話をしました。米国と世界全域に、正しく訓練ができる教会を作らなければならないと言いました。それが何でしょうか? それが神様の計画です。いまは他のことではありません。私たち教会は何をするのでしょうか? これから起きるレムナント、外国で集まるレムナントを正しく訓練させる教会を作るのです。あなたがたが、こういうことをよく見ることができなければなりません。モーセのお母さんが、パロ王に命令を無視して、産むなと言われた息子を産んだのですが、殺されずに生きたのです。この息子を水に浮かべて送りだしたのでした。普通のお母さんでしょうか?その子どもが、水に流されて、王女が入浴する所へ行ったのでした。王女がその子を育てようとするので、乳母として入っていったのでした。私が見る時は、普通の女の人ではありません。だから、王宮の中に入っていって、モーセにお乳を飲ませながら育てたのでした。法的には、王女の息子で、実際には自分が育てたのでした。だから、この子を抱いて、常時祈りをしていたのでした。この子が育って、相当な事をするようになったのでした。その人物がモーセです。私たちは、こういう信仰を見て、悟る方法を知っていなければなりません。神様の主権を信じて、契約を信じる信仰です。そして、その内容を見ることができる信仰です。だから、こういうことが行われるのです。ダビデの父が、ダビデにしるしをもらって来なさいと言ったでしょう。私はこういう親を見て、恵みをみな受けた方達だという気がしました。
■ 皆様、聖書を見れば、旧約時代、一番困難を受けた預言者一名います。その預言者がエリヤです。エリヤが死刑宣告を受けて、指名手配されたのです。その時に、エリヤが弟子を一名呼んだのですが、その弟子の名前がエリシャです。エリヤがエリシャに、私に付いて来なさいと言いました。その時、エリシャは、十二くびきの牛を持って農作業をする大きい農夫でした。ところが、牛をみなおいて、祭りをして、農機具を捨ててついて行ったのです。ところが、その両親が見る時、どれくらい異常だったでしょうか?皆様ならば、どのようにするでしょうか? 今、エリヤについて行けば死にます。エリヤは指名手配された人だと話したのです。そして、エリヤは、いつ死ぬのか分からないのです。そちらに弟子としてついて行けば、死ぬだろうと言ったでしょう。そして今、なぜ突然に行くのか? 行くなら、ただ行くべきで、農機具をなぜ捨てて行くのか? 家庭がそうではないでしょうか? 今日、私たち父母が必ず悟らなければならない重要な部分です。どのようにすれば、祈りの答えをずっと受けることができるのでしょうか? 神様の主権の中に、驚くべき計画があるのですが、そちらに入っていけば良いのです。私たちレムナントと、あなたがたが、どのようにすれば、祝福を受けるのでしょうか。神様の主権の中に、時代的な要請があります。それを見て入っていきましょう。ここに多くの先生たちがいます。どのようにすれば、私達が正しく答えを受けることができるのでしょうか。神様の主権のなかで方法を成し遂げるのです。それを成し遂げていく教師にだけなれば、ずっと勝利します。
■ ポティファルがヨセフを見て、家庭の総務としたということを見れば、普通の人ではありません。パロ王がヨセフを見て総理にしました。私たち教師に、そのような目があるべきです。皆様、誰でも祈りの答えを受けることができます。神様の主権の中にある時代的な要請。それが大きいタイトルの一番目のことです。神様の主権の中にある驚くべき方法、神様の主権の中にある計画、これだけ発見すれば、誰でもずっと答えを受けます。難しくありません。逃げて出てきたモーセを娘婿にしたということ、また、モーセがパロ王と戦う時、事実は後押ししたのは誰でしょうか。イテロ長老です。こういうものを見て、私たちは教師が何かを目を開かれなければなりません。また荒野に行く時、モーセに言った重要した言葉 '出エジプト18章’を見れば、重要な話をしました。こういうものを見れば、私たちはこの人達がどれくらい重要なことを悟ったのかが分かります。今日、私たちは、教師、あるいはレムナントの単語を置いて、両親は3つの使命がみな重要です。祈りの答えを受ける秘密を持たなければなりません。
■ 私たち教師がどれくらい重要でしょうか。ハンナがきて祈った時、ナジル人という答を与えた人がエリ祭司長です。サムエルが祈る中に、神様の御声を聞くことを確認させてくれたのがエリです。
■エリシャのような大きい人物を出てくるようにした人がエリヤです。なんの話なのか知っているでしょうか。 今、教師の重要性を話しています。私たちの両親と教師、レムナントが、どれくらい重要かを話しているのです。詩篇全体を見れば、神様の主権を見る記録がほとんどです。今日、私たちは重要な祈りの答えを受けなければなりません。どのようにすれば、答えを受けるのでしょうか。多くの人々が尋ねます。タラッパン運動は、どのようにするのでしょうか。簡単です。私たちは、ハーバードで習ったのではなくて、ソウル大で習ったのでもありません。聖書にある神様の時代的な要請です。それを見て行くのです。皆様が知っていなければなりません。私たちは、今、この教会になぜ集まったのでしょうか。私たちは、レムナント運動をなぜしなければならないのでしょうか。神様の主権の中にある驚くべき計画を見て、私たちは進むのです。
■ 私たちは賛美、あるいは、色々な機能を多くの人々がしています。よく悟らなければなりません。この時代に神様が願われることは何でしょうか? それを見て行くのです。これから、私たちは、多くの共同体を作って置いて、あちこちにこの運動をするようになるはずです。今日、私たちはこの午後の礼拝に、これから、祈りの答えをずっと受けることができる答えを捕まえなければなりません。私は子ども達のことを考えながら、私の幼い時を考えてみました。今、教育局で修了する方達、あるいは、子ども達を教育するから、自分の説教準備しながら幼い時期を考えてみました。考えてみたら、良い親に会ったと考えました。色々な頭によぎる思い出が多くありました。私の母がしていたことを見れば、全部、神様の恵みです。私の推測なのですが、まちがいなく、私の母は、そのまましていたのです。言わば、私の母の性格通りにしていたことだったのに、今考えてみると、相当な神様の計画です。たぶん、私の母は、幼い時、私を育てていた時、皆様に会って私が世界福音化をするという考えはしなかったでしょう。単にしていたのに、理由があるのです。
■ 幼い時、私の母が食事の方法など、一人で食べようとすれば、ものすごく私を殴りました。ところが、それがみな教育でした。自分にはものすごく助けになる教育です。そして、私が他の人の家に遊びにいけば、驚きました。私の家に母がしておいてくださったことを見て、他の人の家に行くと異常に見えました。それが、私の頭の中に良いことを入力しておいたのです。こういうものがみな関係あるのです。見ると、全部、神様の主権の中にあります。むかし、問題が生まれて、山に住んだのに、ほとんど登山して通ったのです。私が福音を知って、性格も神様が準備しておかれたことであることを知りました。
■ 考えてみましょう。私が六才の時でした。横になっていたのに、父が夕方八時になって、おいしいものを買って来ました。私がその時、六才の時です。起きれば良いのに、起きなかったのです。私達の孫ならば、二十回も起きたでしょうが、そのまま静かに横になっていました。私たちが幼い時は、食べるものがあるでしょうか。今は、冷蔵庫をオープンすれば、いくらでもありますが、私たちの幼い時は、食べるものがありませんでした。私の性格は本当に汚いのです。起きれば良いのに、眠ったふりをして、目をさまさせてくれる時まで、待っていたのです。まさか私の母が食べさせるために、起きなさいと目をさまさせると思っていたのに、目をさまさせなかったのです。たぶん寝たのだと思って、そのまま寝させておいたのでしょう。その時、私の年齢が学校に入っていく前でした。自分たちの間で、おいしく食べていたので、どれくらい起きられずに泣きました。終わっても、目をさまさせてくれませんでした。結局、自分たちの間でみな食べたので、私は横になっていて、泣いて寝ました。これが私の性格です。この性格をどこに使うのでしょうか。普通、六才の子どもならば、十回も百回も起きるはずです。何の思いがあって、自尊心があって、六才の子どもが、起きずに横になって泣くでしょうか。
■ そして、幼い時、道を行くならば、私のお母がおとなと集まって、なにか食べているときは、そちらがわに行かなかったのです。通り過ぎるならば、おとなが呼んで、くれるでしょう。すると、私の自尊心で、それをもらって食べるために、その道に行ったと誤解されるかと思って、遠回りして行ったのです。私が考えても、おかしな性格です。行けば良いのに、恥ずかしいことが多いのです。どれくらい恥ずかしがり屋か、幼い時、行って歌を歌う時、震えて歌うことができなくて、中間で終えたのです。人の家に行って、何かすることもできません。そして、伝道が何でしょうか。ところが、ある日、私が福音を悟って、こういうものが変わったのです。変わったのではなく、悟るようになったのです。出しゃばらず、恥ずかしがり屋だということが、伝道の体質なのです。聖書を見ると、静かに集まってみことばの学びをしながら人々を誘ったのですが、回ったことはありません。そして、用心してすることが、聖霊の導きを受けるのに、ものすごく良いのです。神様が福音化ゆえに、全てのものを準備なさったのです。
■ 私が学生、青年時期の時、どうしたかというと、何もおもしろくなくて、理由なく反抗していました。後ほどは人生がおもしろくなくて、いつもけんかして回りました。異常です。なぜそうでしょうか。理由がわからないのです。ある日、青年の時、この福音を悟ったのです。表現ができません。その時から、生きがいを感じたのです。これは説明できないのです。私は教会を理解せず、福音を知らない人を見れば、愚かだと思います。なんでも良くする自信があるのにできませんでした。福音を悟る前には、答が出てこないのです。人々は答なく、裕福に暮らしています。私は答がなくて、何かすることができませんでした。ある日、福音を悟って、世界史はなぜこうなのか、教会史はなぜああなのかが、ひとつずつ全部、理解できるようになりました。福音を悟る日、その日から私がおとなになって福音運動するのに、一年が一日のように過ぎました。釜山インマヌエル教会が今、16年目になったのに、私の考えでは何ヶ月かくらいのようです。このように、神様の答えがどんどん過ぎるのです。
■ 私達が救われた神様の民、私は約束します。あなたがたが、どのように事業に成功するのでしょうか。音楽をする人々が多くいます。どのようにすれば、これを持って勝利できるのでしょうか。大韓民国に教会が多くあります。どのようにすれば、神様の前に正しく栄光を帰す教会ができるのでしょうか。神様の主権の中にある時代的な要請は何でしょうか。今、福音がないので、この時代に福音を伝えることが時代的な要請です。神様の主権の中にある重要な計画は何でしょうか。これをいつも探しましょう。神様の主権の中にある方法は、どうなのか。これを見て行けば、答えの門が全部、開くようになっています。皆様が本当の答えを受ける神様の祝福をずっと味わうようになることを願います。
■ 話を結びますが、教師達に二、三のお願いをします。今、子どもと小学生を教える方達にです。こういう子ども達を預かったのですが、可能ならば、子ども達に、絵や本を見せ、現場に通いながら、目を開けてやるべきです。それとともに、福音の説明を継続してするべきです。より重要なことは、子どもたちが事件でも、偉人の話を誰を通して聞くかが重要です。小学生部を引き受けた先生は、こういう部分を毎日研究して、説明してやることが良いでしょう。例えば、ナポレオンの話を私から聞いたことと、未信者から聞いたことは、違います。小学生に誰が、まず、この話をしてやるかが重要です。
■そして、今、中、高等部があります。今、私たち中、高等部は、祈り手帳が出てきています。祈りの手帳を持って、信仰生活を進行しましょう。私は約束できます。祈りの手帳を持って、数ヶ月だけして放棄しても、皆様は相当な利益になります。皆様が今から一生すれば、大きい人物になります。それで、私達が祈りの手帳を単に作っているのではありません。
■ 大学生、青年達がいます。既に今、時間がたくさん流れてしまいました。福音の目を大きく開けて、多くの門を早く捜し出さなければなりません。この前、話したように、早く専門性がある方向に入っていかなければならないのです。そして、私たちは、これから教会を建てようとすれば、大学生中心になる教会を建てなければなりません。そして、レムナントが中心になる教会を建てなければならないのです。
■ 2部礼拝は、あなたがたがすこし疲れているでしょう。いつもたくさん感じます。普通、説教をすれば、2部礼拝の時や午後2時頃になると、疲れていることがあります。心理学者が表現するのに、午後2時が、一番勉強ができない時間だと言いました。先進国のある国に行けば、2〜3時までは勉強をしない国が多いのです。ところが、あなたがたは2時に礼拝をささげるために、重要なことをのがすことがあります。それで三つの単語を捕まえて終えるべきです。神様が望まれる時代的な要請の内に入っていった人々は、全部、答えを受けました。滅びることができません。神様の主権の中にあります。神様がその時代ごとに希望されることがあります。その中へ入っていった人々は、失敗することができないのです。
■ 2番目に捕まえねばならないことは、場所と、その時その時ごとに神様の計画があるのです。その内に入っていきましょう。この計画を成し遂げる皆様の役割があります。これを捕まえましょう。この三つだけなれば、答えがずっときます。多くのレムナントを育てた教師、父母が受けた答えを皆様が受けるようになることを主の名前でお祈りします。教育局で、多くの訓練を受けた方達が、訓練が全部、答えになるように、イエスの御名によってお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様、今日、教育修了献身礼拝をするようにしてくださったことを感謝申し上げます。私たちに、神様の主権を信じる信仰が回復するようにさせてください。私たちは、救われた後に、神様の時代的な要請の中で、常時答えを味わうようにさせてください。今日から神様の計画を置いて祈って、必ず答えを受ける人生になるようにさせてください。また私達が、神様が今、望んでおられる役割を捕まえて、新しい勝利を始める祝福があるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
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