2003〜2004 送旧迎新


1講/ 1千万弟子運動の根
(イザヤ6:1〜13)
  
- 中世時代とそれ以後には、聖歌隊を見に人々が教会に通ったということです。一時、ヨーロッパでも道を行きながら見れば、次の聖日に何の賛美をすると宣伝したということです。その話は、賛美、音楽を好む方達が 見て、探して通ったということになります。今、他の教会や、多くの教団では、賛美に多くの投資をします。今、私たち教会は、ほとんど神経を使わないでいます。それでも幸いに、神様の恵みで私たちの教会の中には、聖歌隊員、指揮者、こういう方達、使命者が集まったゆえに、賛美するのを見れば、いつも神様に感謝をします。
- 本当に祈りの答えがありますか? 聖書のみことばは、本当に神様のみことばでしょうか? 信仰生活をして感謝すると言いますが、本当に感謝しているでしょうか? 私達が救われれば、すべての問題の解決と言われているのですが、本当にでしょうか? 疑わしくないでしょうか? 本当に祈りの答えがありますか? それを一度、新年を迎えながら、古い年を送りながら、必ずこれを解決せねばなりません。
 
- 私たちは病気になったら、どのように癒すのでしょうか? ほとんどみな人々が、これを知らなくて、うろたえているのです。ある人は、教会に通うことは通ったのに、とても善良に熱心に通いました。それから、学校教師になりました。学校教師になったのに、発令が出て、田舎に行きました。なぜ田舎に発令が出たのかというと、初めてだったので田舎に発令が出て、その次に都市に戻るのでした。時間がないから、ある小さい村の学校のそばに部屋をひとつもらったのです。ところが、それまでなかった事が自分に起き始めたのでした。それまでは、そのようなことを感じることができなかったのに、不思議に怖くなったのです。毎日、寝ねばならないのに怖かったのです。そうかと言って、人の家に寝ることも、他の人を呼び起こすこともできなかったのです。ところが、どうもその家の雰囲気がちょっと異常だと感じたのです。何かが苦しくて、何かが真っ暗で異常でした。それで、その時から問題がき始めたのですが、この人は学校の教師を続けることができなくなりました。簡単に話せば、精神が狂ったのでした。それも突然に。自分の家に帰りました。その両親は、どれくらい心がせつなかったでしょうか? もしかしたら、直るかと思って、その人を連れて通わなかったところがなかったのです。まことに申し訳ないけれど、それで後ほどもっと問題が生まれたのでした。どんどん深刻化しました。なぜ良くならずに、もっと深刻化したのでしょうか? 力のある牧師はみな訪ねたのでした。それで、事情を話して、献金を多くして、自分の娘のために一度だけ祈ってくださいと言いました。その時は良くなったようだったのに、また戻りました。私に告白したのです。あまり力がないという信者でない人にも訪ねたのでした。自分の娘を生かされることさえできるならば、どんなことでもすると続けました。その娘は、どんどん廃人になっていったのです。良くならないのです。
 
- すると、聖書は嘘でしょか? どのようにすれば良いのでしょうか? 私たちは、こういう面にだまされて、あちこちさまよいます。なぜ祈りの答えがないのでしょうか? どれくらい努力して、どれくらい信仰生活をしているのに、なぜ祈りの答えがないのでしょうか?
 
- ある人が病気になって、人がとても弱くなりました。それで、良いという所を訪ねて祈ってもらって、すべてのことをみなしたのです。私が知っている人は、私たちのタラッパンをするのですが、忠州の方向にいます。あまりに苦しいから、どこかに祈ってもらいに行きました。行ってみたら、そこは、完全に急な人々だけ来ていました。行ったら、皮膚に何かをしたのです。ところが、良くならないのはかまわなかったのですが、そこで血を通じて他の人から梅毒が入ったのです。例を上げると、梅毒になった人をして、それを衛生処理を完全にしなくて、また、別に人にしたので、そのようになったのでした。この人が一時、告発までしようとしたのですが、するなと言いました。それをしても、神様の栄光だけが覆われると行ったのですが、この話がわかるでしょうか? より深刻化しました。皆様が、各教会で、どこかで祈ったり、病気を直すと言う人々の後を一度、追跡してみましょう。病気になって祈りをしてもらいに行ったという人を一度、追跡してみましょう。ほとんどが、がまんして、何年かのうちにみな死にます。少しの間の慰めにはなるだけです。
 
- すると、聖書は何でしょうか? これが嘘の本だということでしょうか? それを解決しなければなりません。本当に祈れば答えられるでしょうか? 何か事業にみわざが起きていますか? 聖書にはできると言われているでしょうか、言われていないでしょうか? どのようにすれば良いのでしょうか? 私は、この部分に対して長い間、考えました。なぜか?幼い時から信仰生活をしたためです。私はここに本当に葛藤も多かったのです。本当にこれゆえに多くさまよったりもしました。ある日、私は神様のみことばを見て、現場を見て答を得ました。何が問題でしょうか? どのようにすれば良いのでしょうか?
 
- 3つのことを必ずしなければなりません。その中で、今晩に最初のことです。皆様が少し恵みを受けて祈ってもらうことは問題ではありません。根をおろさなければならないのです。深い根をおろすべきです。皆様が根をおろさなえれば、木に風が吹けば倒れて、暴風が来たら、もっと問題になります。私達が信仰の根をおろすことができなければ、これも試みになって、あれも試みになってしまします。
 
- それで、今晩の一番目の講義は、一千万弟子の根です。一千万弟子が確かに起きなければならないために、一千万弟子の根です。なぜずっと失敗するのでしょうか? まちがいなく、他の根がおろされたからです。それを、知らずにあがいて、あがいて、どんなにあがいてもだめなのです。何かどこかに良い教会があるかと思って、この教会、あの教会に通うのです。何か特別に噂のある所があれば、すごいのかと思っていくのですが、それがそうです。ですから、まちがいなく、律法でなければ神秘主義、そうでなければ、人間中心主義に根をおろしてしまうのです。皆様、これが無視できません。しきりに自分の考えに根をおろしたゆえに、問題がどんどん起きるのです。本当に、皆様に答えがあるか、ないか、契約をつかむように願います。神様が本当に生きておられるのでしょうか? 答えがこなくても、解答が来るべきではないでしょうか? 皆様、すぐに手につかめなくても、答が来るべきではないでしょうか? これがどれくらい重要でしょうか? 信仰に根をおろすべきだということです。根がない木が、実を結ぼうと大声で叫べば良いでしょうか?
 
- この前、空港で風が少し吹いたのですが、飛行機に乗ろうと行ってみたら、片側の木だけが倒れていました。それは異常です。全く同じく風が吹くのに、なぜ片側の木だけ倒れるのでしょうか? 知ってみたら、倒れた方向の木は、少し前に移し植えたのでした。あちら側は古いから異常がなかったのに、こちら側は根をおろしていないから、風で倒れたのでした。私たちが幼い時、新聞に出たことです。米国フロリダで、一番古い木が死んだのでした。ある日、木が風で倒れました。どのようにして、そのような木が突然に倒れるのでしょうか? そう思ったのですが、分かってみたらそうではなくて、木の中がすっかりみな腐っていたのでした。ですから、ある日、重さに耐えることができなくて倒れたのでした。それで、米国で植物管理をする人々が、深く研究してみたら、根がみな死んでいたのでいた。分かってみたら、そばの工場で知らずになにかを処理する過程で、木の下に化学物質を通したのでした。ですから、木の根がみな死んでしまったのでした。だから、上にあることとは何も関係なく倒れてしまったのでした。
 
- 簡単に話せば、私達が根を正しくおろしていれば、祈りの答えがくるのです。特に、私たちにある霊的問題は、根をおろすことによって解決します。神様がなぜイザヤを用いられたのでしょうか? この信仰の根をおろしたイザヤに働かれたのです。すべてのインマヌエルと全世界にいる家族は、今日、記憶しなければなりません。何の根をおろすべきでしょうか? 福音の根です。とても記憶しなければなりません。この根を深くおろさなければならないのです。サタンは、皆様から一つだけ奪っていこうとします。あれこれいろいろなことをみなして、人生全部みな送って、福音だけ捕まえないように。すると、サタンの勝利です。ですから、年をとって信仰生活を長くしたのに、不思議に崩れるのです。ですから恥ずかしいのです。すると、知らない間に、どこかに消えてしまうのです。そのようなクリスチャンが本当に多いのです。それで良いでしょうか? 死ぬ時に、あの人は本当にすてきだとならなければなりません。韓国の女性の中に、福音を伝えるのに大きい役割をしたキム・ハンラン博士のような人を見ましょう。死ぬ時、このように遺言したではないでしょうか? 私が死んでも、絶対に、葬送曲のようなものを流さないで。私が死んだら、まさに勝利の歌を歌ってください。私はこれから、勝利して神様の国に行くから。福音がある人は、そのようなのです。あの梨花女子大を中心に韓国に相当な福音の影響を与えました。写真の記録を見ると、キム・ハンラン博士が死んで葬式に行く時、百万名程が出てきました。死んでも素敵でした。遺言も格好良くしました。絶対に悲しい歌を歌わないで。正しいでしょう? 一生、祝福を味わって、神様の前に行くのに、どれくらい気分が良いでしょうか?
 
- 未信者が死ぬのを見たことがありますか? 激しくて大変です。ある力がある人は、ふとんをみな裂いてしまいます。どこへ行くか、行かないと大声で叫びます。会話を早くしなくなれば良いのですが、会話しつづける人を見れば、何か真黒なのものが私をつかまえにきたと言います。行かないと、行きたくないと言います。だから、会話が早くできなくなるのも幸いです。最後にも、たわごとを言うべきではなく、いろんな言葉を言うのです。会話をしない人々は、話ができないから、目を異常にして、行かないととても苦闘するでしょう? 最後の瞬間に、真黒な悪魔がきて皆様を引っ張っていくと、どうするでしょうか? 行かないと言うでしょう。ですから、天の道がぱっと開いて、賛美して、天使が歓迎すれば、どれくらい人が行きたいでしょうか?
 
- サタンは、皆様を絶妙にだますのですが、最も水準が高いのが何でしょうか?全てのものを皆与えて、一つだけ奪うのです。だまされやすいのです。たくさん勉強した人が、もっとだまされやすいのです。長く勉強した人が、長く信じた人が、よりだまされやすいのです。牧師はもっとだまされやすいのです。米国にカン・ランソ牧師がいます。合宿訓練を受けてから残した言葉があります。牧師が福音を悟ることは、道を行く時に雷に打たれるよりもっとむずかしい。何の意味で言った言葉なのか分かりませんが、ちょっと一理がある話です。サタンは、一つだけ妨げるのですが、これに根をおろさないように。この時から生きるのです。この時から、みわざが起き始めます。この時から、不思議に祈りもしなかったのに、答えが来始めます。ほとんどくださいと言わなかったのに、答えを受け始めます。枝が実よなれ、と大声で叫ぶでしょうか? 幹についていて、根だけ生きていれば、自然に実を結ぶのではないでしょうか? 皆様がどこに根を深くおろすのでしょうか? 福音に深い根をおろさなければなりません。
 
- 皆様、イスラエルの国を知っているでしょう? イスラエルが、どのように滅んだでしょうか? いつ回復したでしょうか? イスラエルの国が滅んだ時と、回復した時はいつでしょうか? まさにこれです。ここに根がなくなる時ごとに、神様はそこに対する答を下さいました。創世記6:14.全てのものはむなしいものとして、箱舟の中へ入って来なさいとおっしゃいました。イスラエル民族が捕虜になって、完全に奴隷になりました。その時、血、犠牲のいけにえをささげなさいとおっしゃいました。これがどれくらい魅力がなくて、おかしな話でしょうか? イザヤ7:14節に '処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと呼ばれる’全く道理に合わない話です。イスラエルが滅んでいるのに‘処女がみごもって男の子を産む’と言いました。道理に合う話でしょうか? 霊的な目が開いた人は、それが答です。ここに根をおろせば、答えは自然に与えられます。
 
- 皆様、私はよく信じるのに、なぜこうなのかと言います。神秘主義の根があるからです。それを抜いてしまって、福音の根をおろさなければなりません。本当に福音を持った人は違います。くださいと言うこともありません。本当に福音を持った人は、もらわなくてもかまわないのです。これが違います。無条件にくださいとは言いません。いや私はよく信じるのに、なぜこうなのですか? ユダヤ人を見たら分かるでしょう? 律法主義に根をおろしたのです。いや、教会にきていろいろな働きをみなしたのに、なぜそうなのでしょうか? 自分も知らないで、福音より人間中心主義に根をおろしたのです。
 
- 一度は、喫茶店に座ってお茶を飲んでいたら、流行歌が流れていました。静かに流行歌を聞いていたら、ものすごく歌詞が良かったのです。何と出てくるかと思えば、自分の中に私があまりに多くてと言っていました。どうも、自分の中に私があまりに多いために、他のことが休むことができないという歌詞でした。私がどうして、未信者があんな歌を作れるのかと思いました。完全にあのメッセージは、牧師よりましなではないでしょうか? 分かるのでしょうか? どうして、牧師も悟れないことを、あの人々が悟って、あのように歌うのでしょうか? それで、あんな歌もあるんだなと思って聞いて過ごしたのですが、私達に違うことがあまりたくさん入っていれば、普通の問題が起きるのではありません。
 
- それで、答えを受けないこともくやしいのに、ある日、問題がくるのです。なぜ来たのか分かりません。今でも、難しくてだめでも、はやく福音の根をおろさなければなりません。ある人は、霊的問題で、からだが病気になったのですが、誰が分かるでしょうか? 神様だけがご存知です。それで、祈梼院に行って、福音と関係なく、一生懸命に祈ったのです。主が本当にあわれんで、直してくださると思っていたのに、帰ってみたらまた、問題がきたのです。今はより深い段階に入っていって、祈りを必死になってしたのです。それで、生かされるようでした。家に帰ってきたら、またでした。今はより深い所に入っていって、必死で祈りをしました。れくらい恵みを受けて、力が出たでしょうか。すぐ帰ってくれば、またそうです。後ほどまたそのような所を探すようになります。後ほど帰ってくると、家庭生活もできません。ある日、子ども達が狂い始めます。ある日見ると、夫もどこかに行ってしまいました。ただ信じる、これは主の他にはないと、また祈りを必死でするのです。家に帰ってみると、何かの事故がおきて、息子は刑務所に行ってしまっていなかったのです。試みにあうと言って、また祈りをしました。ただ聖霊充満を受けようと、必死で祈ったのです。ある日、自分も知らないで、元に戻せない病気にかかってしまったのです。そのようになるしかないのです。正しく食べず、正しく寝ないので。そのような科学的なことは無視して、自分が正しく管理しなかったと考えずに、‘あ! 私はなぜこのようになったのか?’と言います。ところが、夫が分かったのです。病院に行こう、最後まで粘ったのです。神様が私を癒される、神様が奇跡を起こしてくださると、そして、あなたは悔い改めなさいと言いました。だから、夫が驚いたのです。‘私が悔い改めするより、君から生きなさい。今、医者があなたは治療すれば良いと言わなかったか? 祈梼院に行かず、病院に横になって治療をちょっとして、直ってから祈梼院に行きなさい’。誰の精神が正しいのでしょうか? 夫の話が正しいのです。ところが、だめでした。聖霊充満を受ければよいと、結局、祈梼院に行っていすわって、祈梼院で死にました。村中の知っている人は、みなあざ笑ったのです。それが神秘主義です。
 
- 皆様、私が話した神秘を誤解してはなりません。これが福音でないのに根をおろせば、ものすごく問題が来ます。ある面では、ちょっと病気なのが良いでしょう。それが福音です。ある困難が来ました。困難にちょっとあえば良いでしょう? ある面では、祈りながら待てば良いでしょう? 神様が生きておられると言いながら? 皆様、福音に根をおろしてしまえば、すべての働きがみな解決し始めます。今晩に、あなたがたは本当に重要な契約を、本当に捕まえるように主の名前でお祈りします。
 
- これが、教会史に起きる問題や、私たちに起きることでも、まったく同じです。どのように、私達が聖書のみことばを見ながら、悟ることができないのでしょうか? 全く一緒です。また、イスラエルは、捕虜になってしまいました。植民地になりました。マタイ16:16。あなたがたが、この契約を捕まえて、福音の根を深くおろせば、その時から、いろいろな箇所に奇跡がおき始めます。皆様、聖書を一度良く見てみましょう。私たちには、今、証人が います。この契約を捕まえた人の中に、根をおろした人の中に、答えは引続き起きました。福音は最高の水準です。皆様、福音は最高の水準です。それなら、今から一回だけ実践すればよいのです。皆様の教会中で葛藤が来たら、一回だけ福音的に決断するならば、その時からずっと勝って行きます。皆様、ギャンブルを切る人が、たったの一回だけ決断をおろせば、その時から始まるのです。皆様、残念な事が起これば、一回だけ決断を正しくおろせよいのです。本当に福音の前で、決断をおろせばよいのです。こういう実際的な答えがき始めます。皆様に問題がくるのでしょうか? 皆様、苦しい事があるでしょうか? 一回だけ、福音的な決断を下しましょう。何も難しいことではありません。この時から、答えはき始めます。これが何でもないことのように見えても、福音は根をどんどんおろし始めます。なぜここで、一度だけだと書いたかというと、皆様は皆知っているためです。ただ選択と味わう過程でのがしているためです。皆様は既に福音が何で、福音の根をおろせばどうなって、福音の根をおろさなければならないとか、皆知っています。他の人は知らないから、知らせてあげなければならないけれど、あなたがたは既に皆知っているのです。あなたがたは、宗教生活を熱心にして死んでいく信徒とは違います。既にあなたがたは、福音のものすごい秘密を皆いっています。これから最後のことだけなせば良いのです。あなたがたが本当に選択する時、本当に福音的な選択をしましょう。一回だけそのようにすれば、働きはずっと起きます。
 
- アブラハムは、どのようにしたでしょうか? あなたが山を選べば私が平野を、あなたが平野を選べば私が山を選ぶ。あなたが東と言うならば、私が西に、あなたが西と言うならば、私は東にする。アブラハムが神様を選択したのです。福音を選択しました。その時から、アブラハムが祭壇を築き始めました。上手にやったのです。アブラハムに起きる答えを見ましょう。その時から正しい道に入ったゆえに、連続して答えが来ました。高速道路によく入ることができなければ、連続してよく行くことができません。皆様、難しくありません。一回だけそのようにして、すこしすれば、神様は皆様を愛されるので、答えは働きが起きるようになっています。すると、自分も知らずに、福音の根を少しずつ。皆様、すると、聖書のみことばを聞けば、より恵みとなります。どんどん根がおろされるようになります。福音の根をおろし始めれば、皆様が知らない間に、霊的な問題が逃げざるをえないのです。
 
- 皆様、必ず記憶しなければなりません。悪霊につかれた人にナザレのイエスの名前で悪霊を出て行けと言うと、悪霊が出て行くでしょうか? 出て行かないでしょうか? 出て行きます。ところが、また入ってくるのです。また入ってくる時は、マタイの福音書 12章 43〜45節を見れば、より多くを連れて入って来ます。深刻です。どのようにしなければならないのでしょうか? 最も良い方法は、悪霊が見て、この人の中に入っていくべきではないという気がしなければならないのです。なぜでしょうか?泥棒が盗みをしようと回っていると、ある家は怖い動物もいて、がっしりした人も多ければ、入っていくでしょうか? 入って行かないでしょうか? その家はいけないだろうと入っていきません。ところが、過ぎてみたら、ものすごく良い家があるのに、中を確認したら、誰もいません。中を見ると、良いものがたくさんあって、その家は、お金もたくさん集めたようだ。どんなに確認の電話をしてもいなかった。入っていくでしょうか? 入って行かないでしょうか? 入っていくでしょう。ハレルヤと言いながら入って行くでしょう。みな持って行きます。だから、見てください。追い出すことが問題ではないのです。入っていかないようにさせなければなりません。福音に根をおろしておけば、皆様の中に入ってくることができないのです。皆様の家に福音の根をおろしていれば、皆様の家に入ってくることができません。皆様、福音の根をおろしておけば、皆様の事業に入ってくることはできません。入ってきても、無駄なのです。皆様が福音の根をおろさずにいれば、ちょっとした問題が来ても、ひっくり返ってしまいます。福音の根をおろしていれば、皆様の家に、皆様の事業に問題が来ても、なんの異常もありません。
- 例えば、私たちのからだが健康ならば、外から病気になって来てもかまいません。私はちょっと胃が丈夫なようです。以前に、私たちの教会で食中毒になった時、私も全く一緒に食べました。不思議にお腹が少しおかしかったのです。少し調子がちょっと良くないなと感じました。しばしば水が飲みたくて、喉が渇くなという気がしました。ところが、全部倒れて、300名あまりが倒れたのです。いよいよ粘って粘ったイ室長が倒れたのです。ほとんどみな倒れたのに、私だけ倒れませんでした。それで、私は胃が体質的にちょっと丈夫なようです。一回は、牧師達とあの海辺に、夏に修養会に行きました。あまりに遅く到着して、船がありませんでした。明日に行こうと暑いからテントを張りました。テントを張っていたら、すこししたら、船が一艘きて、魚を買うかと尋ねました。買おうと言いました。お金をすこしあげたら、魚をたくさんくれました。 フラッシュを照らして、さしみを作って食べて寝たのです。食べた人は、完全にやられてしまいました。朝に目を覚ましてみたら、私達が洗った所が汚水でした。私達が知らずに夜であるから、きらきらしていたので、その汚水をみな飲んだのでした。病院に行かなかったことが幸運だったのですが、完全にのびてしまいました。ただ私だけが大丈夫でした。不思議です。たぶん伝道しなさいということでしょう。その翌日、集会しなければならなかったので、のびていてはいけないでしょう? 全く同じものを食べても、中が健康ならば勝つことができます
 
- 皆様、福音の根を正しくおろしていれば、呪いの勢力が皆様を尋ねてきても、入ろうとしても、入ることができません。スイッチをつければ、暗やみが音もなく出て行きます。やみが行く時‘シュ’という音が出るでしょう? 明かりをつける瞬間、なくなります。私達が福音の根をおろす瞬間、神様の祝福を味わう瞬間になくなります。このようにすれば、ずっと答えがきます。皆様は、信仰生活しながら葛藤がくるでしょう。この時、ただ福音を選択するのです。私が王宮で成功するか? キリストのために死ぬか? 確かにヘブル書に説明してあります。だれでしょうか? モーセです。私が王宮で王子として成功すべきか? そうでなければ、ヘブル人とともにキリストのために死ぬか?この選択をしたのですが、福音の選択をしたのですが、モーセがどのようになったでしょうか? 話をする必要もありません。牧師たちが偶像崇拝することに可決したのに、何名かの牧師が選択をして、しないと言いました。私たちは死ぬ覚悟をして福音を選択する。このようにしたのに、韓国の教会が生かされました。驚くべきことです。皆様、これがどれくらい重要なことなのか分かりません。祈りの答えの大きい門が開き始めるはずです。
 
- 実際に、この福音を正確に味わう弟子の根をおろさなければなりません。私たちは福音の根をおろすようになれば、自然に出てくるようになります。私たちは単純な福音を持った者ではありません。私たちは弟子としての根をおろすはずです。必ず記憶すべきです。皆様は福音だけ持ったのではなくて、これからはこの福音を味わって話す弟子として根をおろさなければなりません。弟子とは何でしょうか? 秘密を持った者です。皆様は知っているでしょう? 創世記 3章 15節の秘密を持った者です。女の子孫がへびの頭を、処女が身ごもって男の子を産む、処女マリヤから生まれ、同じ話です。ものすごい話です。この方がいらっしゃったのです。主は生ける神の御子キリストです。マタイ16:16。主はその方で、神様の息子です。Iコリント 4章 1節を見れば ‘私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。’この秘密を持った人は、全てのものを超越できます。あらゆる条件を超越できるのです。はなはだしきは、血縁も超越できます。もし福音ゆえに私たちの家庭が、私が死ぬようになるならばそれも超越できます。ある面では、親戚とは通じなくても、弟子とは通じます。すこし極端な話ですが、自分の息子とは通じなくても、弟子とは通じます。皆様、この弟子の秘密を持った人は、全てのものを超越できます。ここに根をおろして、本当に福音で。すると、働きが起きます。皆様、また誤解してはなりません。私が昨日、一般信者の時、話したではないでしょうか? 今、一番たくさんなる病気が癌です。それよりもっとたくさんなっているのが精神病です。それよりもっとたくさんなるのは、王女病です。錯覚をちょっとしないでください。それは、根をまちがいなく、神秘主義におろしたのです。本当にこういう福音を知って、私がビジョンを知っていれば、申し訳なくなり、謙遜になります。本当に主を賛美したくなります。どのように敢えて、高慢になって、人を無視して、他の人を低く見ることができるでしょうか? それが福音の根をおろさなくて、福音を利用した違った根をおろして、そのようになったのです。だから、目標達成ができなければ、教会も何もいらないと出てくるのです。ハレルヤと言っている途中で、組織も何もいらないと出てきます。それがだめになれば、神様も必要ないらしいのです。そのようになってしまいます。私が興奮する時は、赦してくだるように願います。そのようなことが非常に多くて、せつないのです。
 
- 福音に根をおろせば、すべてのことが栄えます。水路のそばに植わった木は、時期を迎えれば果実を結ぶ様に、自然に結ぶようになっています。皆様、必ず点検しましょう。私が果して福音で根をおろしたか? 皆様が立派な人になるべきです。こういう話は重要ですが、そのような話ではありません。皆様が失敗ないという話ではありません。あってもかまわない福音の根。そして単純な福音で終わることがありません。弟子。弟子の根をおろしましょう。すると、あなたがたは、この弟子という秘密を持ったゆえに超越するのです。それで、イエス様がすこし無理なことをおっしゃられたのです。父母や兄弟や子どもをみな捨てて、わたしについて来なさい。その話は、そのことを超越することができるということであって、そのようにしなさいということではありません。この弟子の根を聖書の 7名のレムナントで見ましょう。皆様、弟子の根をおろした人、福音の根をおろした人は違います。結論が何でしょうか? どんな困難が来てもかまわないのです。どんなにしても、ヨセフは死にませんでした。モーセは死にませんでした。ダビデは死にませんでした。パウロよ恐れてはなりません。カイザルの前に立ちます。それで、こういう驚く祝福の門が開かれざるをえないのです。弟子の根をおろした人々は、この生き方が違います。この人たちは、いつも福音にあって生きます。契約を持って生きます。滅びません。それとともに、自分の固執通りにするのではなく、みことばにしたがって行きます。それで講壇を重要視するのです。この人たちは、真の価値がなにかを理解します。 そして、この人たちは、自分を否認する者です。その話は、自分を低くするということです。ルカ9:23〜25。死のうとする者は生きるようになるはずで、生きようとする者は死ぬことになると言われました。本当に弟子の秘密を悟った人は、自分を殺すことができます。ガラテヤ2:20です。私はキリストとともに十字架につけられました。カーネギーがこう話しました。賢明で知恵ある女子は、夫に100%従順で、夫を100%コントロールする。カーネギー言った言葉です。聖書にある話ではありません。理解して聞いてください。この頃、女の人には悪口に聞こえる話ですが、大胆な言葉ですが、カーネギーが言った話です。夫に100%従順にしながら、100% コントロールするのです。それが賢明な女性です。自分が死んだかの様に見えるけれど、死ぬことではありません。だから頭がない女性は、夫に 100% 不順従して、自分勝手に100%して、100% 殴られるのです。
 
- 弟子の根をおろした人は違います。神様に栄光を帰せば、自分はなくなってもかまわないと考えます。その程度ではありません。本当に自分を価値あるように生かす者です。前にある自分と後にある自分は違った言葉です。前にある自分は、価値ない肉体的なこと、世の中的なことには死んで、主にあって生きるということです。それでUコリント5:17、新しい被造物だといわれています。私は皆様に約束します。ここに本当に根をおろしたとするなら、働きが起きるはずです。敢えて悪い霊が皆様を触るでしょうか。触ることができません。敢えて災いが皆様を触るでしょうか。触ることができません。ここに根をおろせないから、触られるのです。前に話したことがあります。犬はどこにでもおしっこをするのでしょうか。犬はどんなに頭が悪くても、清潔な部屋ではおしっこをしません。犬は清潔な廊下におしっこをもらしません。清潔な道路にもしません。歩いている途中で、おかしな所へ行って、おかしなにおいがして、汚らしい所でするのです。ここでおしっこをしても良いだろうと判断できる所でします。だから、サタンが誰でも触るでしょうか。触りません。どうして敢えて皆様を触るのでしょうか。必ずここに根をおろさなければなりません。まちがいなく、働きが起きるはずです。
- 皆様は、この驚くべき祝福をどのように味わうことができるでしょうか。本当に神様は答えられるでしょうか。本当に問題解決になるでしょうか。伝道運動はなっているでしょうか。私は皆様が受ける祝福、私たち教会が受ける祝福をあまりにもよく知って、確信しています。私は伝道者、伝道する時代が、どうなのかよく知っています。時々、あなたがたに困難がきているようでも、その後に見れば、相当なことが待っています。だから、本当にここに根をおろせば良いのです。それで終わるのではありません。
- 証人です。これからは、生活の中で根をおろさなければなりません。ここに根をおろすということです。まちがいなく働きが起きます。皆様は福音の根を深くおろしましょう。この福音を味わう弟子の根を深くおろしましょう。この福音を伝える生活の中に根を深くおろしましょう。完全に勝利です。
 
- どのようにすれば、生活の中で根をおろすことができるでしょうか。皆様は、いつも判断しなければなりません。今から失敗してもかまいません。今からこのためにあがきましょう。聖霊の導きです。最もあなたがたは正しく導きを受けることができます。里程標の中で最も正確な里程標です。飛行機に乗る人が、こういう話をしました。飛行機の空軍の将軍が話したのです。私は初めて聞いた話です。飛行機に乗って空中に上がれば、視野を見下ろせば飛行機が逆に行くということです。羅針版を見れば良いということでした。これくらい人間は弱いということです。自分は、飛行機に何十年乗ったということです。まず空中に入っていってしまえば、方向を見れば必ず正しく行くのに、飛行機は逆に行くということです。飛行機がひっくり返っているのではないかと思っても、羅針版を見ればそうではないということです。何を見るべきなのでしょうか。自分勝手に行けば、大変なことが起きます。羅針版を見ると、驚くらしいのです。私がなぜこの道で行くのかという程に。そのように戦闘機に長く乗っているのにもそうらしいのです。そのような話と、いくつの話を聞いてみて、そうだろうと思いました。
- 私たちの信仰もそのようです。私は本当に良くしていると思ったのに、神様の導きを受けることと反対に生きることもあります。それで、一番良い方法が聖霊の導きです。ある方は、聖霊の導きを受けようと苦闘することもあります。
- 皆様は現場で力がなければなりません。それで少しだけ聖霊充満してくださいと祈ればよいのです。ここに根をどんどんおろさなければなりません。この生き方の中に鍵があります。とても重要な鍵です。聖書をよく見れば分かります。使徒9:1〜15です。パウロが完全に福音を受けました。その後、訓練を受けたのです。弟子訓練を受けました。そしてパウロが 13:1に時刻表通り証人として派遣されました。本当の福音を受けると、このような事が起きます。生活の中で根をおろし始めたのです。使徒16:6〜10を見るとに門がふさがりました。どのようにしたでしょうか。より大きい導きを受けたのです。それがマケドニアです。使徒16:19〜40に監獄に行くようになりました。市民権を見せれば良いのにしませんでした。監獄に入っていったのです。ここで奇跡がおきたのです。パウロがどれくらい聖霊の導きを確かに受け取ったのか分かります。より重要なことは、使徒 20:1を見れば、神秘主義で祈った預言者がパウロに行くなと言います。見るのはよく見たのに、うわべを見たのです。あなたが行けば捕えられるので行くなと言いました。そこまではよく見ました。パウロが何と言ったでしょうか。それなら、行かねばならないかと言って、27:24、カイザルの前にまで立つようになりました。驚くべきことです。
- パウロの告白を聞いてみましょう。生活の中で出てくることです。何と告白したでしょうか。私が以前に自慢したことを全部ちりあくたに思う。本当に恥ずかしい。私が以前に知らずに自慢したことと言いました。ピリピ3:1〜20. ガラテヤ 2:20にあまりペテロと葛藤して、その時、私はキリストとともに十字架に釘付けられた。Iコリント15:9〜10に何と言ったでしょうか、極めて小さな者の中の小さな者だと言いました。本当に言った言葉です。極めて小さな者の中の小さな者。私が私になったことは神様の恵みだと言いました。パウロが言った言葉です。
- パウロの話すことを聞いてみましょう。パウロはいつも3つのことだけ話しました。いつも感謝する。いつも祈ると言いました。いつも感謝すると伝道の門が開いて感謝すると言いました。神様の働きを見ていつも感謝すると言いました。これがパウロが言った言葉です。いつでもパウロは、このように話しました。とても感謝して、あなたがたのために祈りますと言いました。伝道の働きが起きるように、あなたがたも私のために祈ってくださいと言いました。これが試みか、神様の働きです。神様の計画だといつも言ったのです。
 
- あなたがたは、生活の中で福音の根をおろすことです。皆様自身が、これからは多くの証拠の前で福音の根をおろせば、すべての問題は解決し始めます。問題がきたら、どのようになるのでしょうか。余裕あるようにしましょう。心配しないようにしましょう。それで、この契約を捕まえて、ヴィジョン持って全世界を征服しました。今夜によく考えてみましょう。こういうことが可能でしょうか。私達がどのようにすることができるかということです。
- イザヤ6:1〜13にイザヤが祈るなかで、神様の驚くべき恵みを見たのです。私たちはできませんが、福音の中で少しだけ待っていれば良いのです。イザヤがものすごく霊的な目を開けて見たのです。霊的な目が開けば可能です。そして、私たちは弱いのです。私自身を知って、神様の契約を知っていれば可能です。私たちは弱いけれど、神様の力、みわざがどれくらい大きいでしょうか。私たちは、その驚くべき未来を理解するならば可能です。
- 私の場合はそうです。時間がありません。時間がなくてむずかしいのです。どんな時間がないということでしょうか。ご飯食べて眠ってみなするのに、何の時間がないということでしょうか。一番難しい点が、たくさん通うので、定着する所がありません。普通は、出勤して帰る定着した所があるでしょう。これができません。ある程度、あなたがたのようにコンピュータを一個所に置いておいて、余裕をもって見るべきなのに、いつも移動するからだめです。本も一冊程度ならば、知らなくても、10巻をどのようにいつも持って通えるでしょうか。かばんをどのように、いつも持って通うでしょうか。秘書も困るのです。だから、いろいろな所に作らなければなりません。こういうものが普通に聞こえるかもしれないけれど、暮らしてみれば簡単な話ではありません。ある時は、一週間に宿舎を 4ケ所や 5ケ所、移ります。朝に目を覚まして、ここがどこなのかを確認しなければならないのです。このようになるので、本当にこまります。
- それで、私はとても時間が問題です。それで率直な告白、定刻の祈りでなければ、力を得ることはありえません。人が手助けすることはみな必要で、感謝するけれど、どれだけ手助けしてもらえるでしょうか。この定刻の祈りで力を得るのです。この福音の契約を捕まえて祈り始めます。そして仕事があまりに多いのです。仕事が多いということは、私たちタラッパンには、所々、働きがたくさん起きています。あまりに仕事が多いから、ある時は判断をしなければならない場合があります。今のところは、他の人にさせてみようとするのに、集会も変に私にしてくださいと言われます。ちょっと分けてしなければならないのに、それが良くできません。仕事があまりに多いのです。そうしたあと見ると、このことをしようとするので、自然に常時祈りをせざるを得ないのです。常時で祈らなければ、自分の判断が薄れるためです。そして、ある時は、ものすごく疲れていて複雑になります。人々が少しだけ使命を持ってすればよくなるはずなのに、できないと聞くと疲れてしまいます。
- どれくらい伝道運動しながら、いくつかの初期にいっしょにした証人もいますが、話にもならない困難が生じました。私たち今までうまくいって生じる困難でした。人々がたくさん集まるので、私はできません。私は事実、2つだけでも大変です。各種の材料や、訓練させることでも、収入が入ること、支出することをどのように私がみな管理できるでしょうか。これを見るので、小さな戦いでなくて、小さな関心ではありません。99%の人々が、そこにいのちをかけていることを知りました。本当にさびしいのです。本当にそうだな。 どれくらいそこに関心をたくさん持っているでしょうか。それができないから、いのちをかけて立ち向かってくるのです。昨日まで時代的なしもべでだったのに、その次からは殺そうと出てくるのです。私はその話に問題があるということではありません。どうして、このように祝福を悟れないのでしょうか。開始から今日まで、あまり私が疲れるようにさせます。本当に神様の前で尋ねれば簡単なことなのに。それでいつも、それゆえに教会内外から苦しめられました。外からきて見て、訓練がものすごいから柳光洙牧師がみな持っていくことではないかと考えます。それは、難しい事でもないのに。私は仕事を多くして疲れているのではなく、遊んでも疲れています。仕事を多くするからではありません。このように複雑で疲れるようにするのです。ソウルに上がるので、何千名が集まって集会するのに、下で仕事をする人々が、このようなことでけんかをします。かと言って、私が祈らずにそれを止めようと出て行くのでしょうか。それを管理しなければならないのでしょうか。
- 本当に、疲れています。それで、その時ごとに私が混乱を起こさないために、神様の前で対話祈りをしました。混乱します。私が混乱しないでおこうと、私を守るために祈ったのです。簡単にこういう話、ああいう話は、正しいこともあり、間違っていることもあるのですが、私が混乱したら大変です。それで私が主だけを見上げることだけします。それで常時対話する祈りをしました。ものすごく恵みとなります。神様と対話するように。‘神様、私はなぜこうなのですか。私の家はこのようにしなければならないのに、なぜこうですか。どうして妻はこうですか’ このようにしたところ、神様が‘あなたの行いを良くしなさい’と言われました。対話がものすごく良いのです。私は考えで話すのですが、神様は良心に答えられます。これがどれくらい正確な答えなのか分かりません。声を聞くのもありません。神様との良心の対話です。‘なぜ人々がたわごとを多くしているのですか。なぜ事実通り話せば良いのに、付け加えて嘘をつきますか.’ すると、神様が私の良心に対し答えられます。 ‘あなたは伝道者か?, 良くして用心しろということではないか’. 結論は ‘あなたの行いを正しなさい’です。これが神様と良心の対話です。ものすごく答になります。なんでもないのに疲労がなくなります。
 
- 本当に生きておられる神様が、私たちのいのちを治めておられ、全てのものをご存知です。この一言が疲労をなくします。それで常時祈りします。それで、根をどんどんおろせば、答えがくるしかありません。ある時は、問題がきても答が見えます。皆様が福音の根を深くおろして、弟子の根を深くおろして、生活、証人の根を深くおろすことを希望します。極端な話で、じっとしていても答えがきます。皆様がこの祝福を一年送りながら、新年に必ず受けるようになることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちに真の福音を下さいましたことを有難うございます。これからここに根をおろして、完全な勝利を続けるようにさせてください。永遠に私が生きて勝利する神様の祝福を与えてください。それで弟子の根を、証人の根をおろす驚くべき神様の祝福を味わうようにさせてください。今日、このメッセージをつかまえた後に、祈って癒されるようにしてくださって、働きを見る時間が日ごとにあるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン