2005年1月9日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/ 心配してはならない
(ルカ12:22〜31)
■ 今日、イエス様が弟子たちに、何を飲むか、何を着るか、何を食べるかを心配するなとおっしゃられました。カーネギーはこう話しました。 '人間の問題の約70%は、お金のためだ' ある程度の一理がある話です。ユダヤ人は 'お金があるならば、全てのことができる。天国の門以外は、みな入っていくことができる' と話しました。また世の中の人々は、お金が最高だと話します。正しい話でしょうか、間違った話でしょうか? 未信者の立場では、正しい話しだと思います。孤児と子どもとは違います。私達が、朝鮮戦争以後に、親がいる子ども達は、ご飯がすべてではありませんでした。しかし、孤児には、ご飯がすべてでした。差があるのです。未信者が話す運命の中にあることと、神様の子どもは確かに違うのです。
 
■ 私たちは今日、イエス様がなさったみことばを見ながら、貧困と経済、こういうことに挑戦する必要があります。貧困がなぜくるのでしょうか。簡単に見るならば、年を取れば仕事が出来ません。こういう生態的な問題があったり、そうでなければ、特別な仕事や事件のために、困難にあうことがあります。人は、生きていると困難にあって、貧しくなる時もあります。以前はそうではなかったのに、突然に滅びて難しくなる場合もあります。しかし、とても慢性的に貧しい人々がいます。とても生きるのが難しくて、先祖の時から難しい人々がいます。今日、イエス様がそのように話されました。 '心配しないで'. とても重要な話です。あなたがたと主の弟子は、心配する身分ではありません。皆様が未信者でないことを知っていなければなりません。今日、イエス様がおっしゃられた、心配しないでということから確実にしなければならないのです。このようにおっしゃられました。 'カラスを見なさい。鳥を見なさい。みな、神様が養われるではないか。野の百合の花を見なさい。あれを誰が造ったのか。神様がみな養われるのではないか。ソロモンの服より美しくないか。炉に投げ込まれる野の草も、神様が責任を負われているではないか。あなた達は、それらよりましではないか.' 皆様が今朝に告白しなければならないことがあります。私の問題は、神様がご存知です。そこから出発しましょう。30節に 'そのような心配と悩みは、世の中の人々がすることではないのか。既にみなご存じだ。' 私たち信徒は、あらゆる問題をそこから始めなければならないのです。あまりにくやしい事や、損害を受けたことでも、困難があっても、神様がみなご存知だという明らかな事実です。 '何を飲むか、着るか、食べるかを心配してはならない' 簡単に言うと、衣食住の問題です。しかし、心配しないでいられる人はいないでしょう。すると、 こういう問題に全く神経を使わないで良いということでしょうか。そのような話ではありません。私達が食べて生きて、家も必要で、みな必要なことではないでしょうか。私が見るには、そのような話ではありません。神様は皆様の全てのものをご存知であるゆえに、皆様がそのようなことを心配しながら失敗する身分ではないというみことばです。
 
■ たとえ貧しくても、世界福音化する身分です。この話を早く理解しようとするなら、弟子の姿を見なければなりません。この人たちは、パリサイ人のように成功した人ではありません。この人達は、エルサレムの町に住んでいたお金持ちのように生きていた人々ではありません。弟子の最高の職業は漁師でした。ガリラヤの海辺で漁師をしながら食べて生きるということは、ある面においては、安定していない職業でした。簡単に言うと、貧しかったのです。この人達が、世界福音化は合わない姿だったのです。事実上、初代教会の人々と弟子の慢性的な問題があるならば、貧困に陥ることです。どれくらい貧しかったかというと、使徒2章を見れば、救済の対象があまりに多くて、物を分けることもしました。使徒6:1節を見れば、救済問題で戦う程に救済の対象が多かったのです。正しい人ならば、教会にきて、救われたことを喜んで、それをしてくれないからといって気分が悪いでしょうか。簡単に言うと、初代教会のメンバーと弟子達は、とても貧しかったということです。イエス様がなさったみことばです。 '神様は野の草も養って、鳥も食べさせられる。あなたはそのような身分ではない.' そのような心配の中に捕まっているから、25節には 'そのような心配が、あなたのいのちを延ばすことができるか.' 26節には 'こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか。' 確かに約束なさいました。心配しないで。神様の民は心配しないで。より重要なことは、みなご存じです。私達が何の祈りをするのか、みなご存知であると言われました。それで、ずっと心配して死ぬならば、世の中の人々と全く同じではないでしょうか。ここで確かに記憶しましょう。あなたがたは、よく知らずにいるけれど、皆様は神様の子どもの途方もない祝福を持っているのです。以前に話したことがありました。私が以前にいた教会の勧士です。どれくらい信仰生活をでたらめにしていたか、成ることがありませんでした。そうしながら、こっそりと占い師のところに吉凶を占いに行ったのです。勧士が吉凶を占いにいったということが話になるでしょうか。ところが、その占い師が、正しく悪霊につかれた人だったので、この勧士を見て 'あなたは、イエスを信じる人なのに、ここになぜきたのか'と言ったのでした。この勧士は、あまりに恥ずかしくて、顔をかくして逃げたのでした。逃げながら、気分がものすごく良かったということです。私が救われたことは、確かなのだなと思ったということです。神様のみことばは信じないで、占い師の話は信じられるのか、その時から、ずっと祈ったのでした。私が神様の娘であることが間違いないならば、祈れば良いではないかと思いながら、本物の祈りを開始して、答えを受け始めたのです。この人が、本当に変わり始めたのです。その方が、直接、証ししたことです。
 
■ ヨハネ14章には‘'あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。’‘天国が備えられているので、心配するな。世の中の終わりの日まで助け主聖霊が、あなたがたと共におられるから、心配しないで’と確かに話されました。 '神様の子どもだから心配するな。未信者も食べさせて、野の草も養われる神様が、皆様を養われないでしょうか.' 私たちは、それでも心配をします。神様は確かに心配するなとおっしゃいました。使徒1章に聖霊充満を受ければ、力が生じると言われました。その時から、証拠がくるはずです。証拠がくれば証人になるはずです。私は、このみことばが、皆様が信じようが信じまいと、事実だと考えます。
 
■ 人は難しくなれば、弱くなります。人は、どんなに立派な人でも、病気になれば弱くなります。私は昨日、核心の時、そのような話をしたのですが、何週間かからだの調子が良くなかったのです。ですから、心配になりました。私に重要な病気になったのではないか。こういう気がしたのです。よりによって身体検査をした時に、そう思っていたのでした。人は心配すると、どんどん心配に捕われます。もしかして、死ぬ病気になったら、どうなるか。この世界福音化はどうなるか。そのように悩んで、どんなに死ぬ病気になったとしても、6ケ月は生きるだろうから、その時まで、あらゆる作業をみなしよう。あらゆるメッセージと戦略をみな整理しよう。これくらいまで考えたのです。人は、このようになります。三星病院が、どれくらい良いかというと、とても科学的で細かかったのです。一つ一つ確認したのですが、とてもおかしな気がする程に細かく確認しました。結論は、なんの異常もない。肺、胃、心臓、肝臓、みな良くて、特別に心臓が良くて、みな良いと言われました。ただ、油がすこし多いから、運動をしなさいと言われたのです。人は、その話を聞くと、どこも痛くなくなりました。このように揺れるのです。そんなにも心配するなと言われたのにも、そうなるのです。どんどん心配が出てきます。私が皆様に心配するなと言っても、また私も心配します。確かに聖書にあるのに、問題が来たら、また心配するのです。それも、イエス様がご存知であって、弟子達におっしゃられたのです。
 
■ 皆様が滅びたとしても、どれくらい滅びるでしょうか。ヨセフほど、大きく滅びるでしょうか。神様の子どもは、失敗しても、それが成功です。神様は、より大きいことを備えておられます。ヨセフは、どんな心で生きたのか分かりませんが、完全に勝利しました。明らかなことは、私たちより心配することが多かったということです。野の草も養われるのではないでしょうか。鳥も食べさせるのではないでしょうか。ここ座っている皆様が、どんなに価値が低いといっても、野の草よりは高いでしょう。皆様がどんなに足りない人でも、雀よりは価格がたくさんあるでしょう。すると、いのちを治める神様が、私たちをご存じではないでしょうか。皆様が受けている困難を神様がご存じないでしょうか。未信者も運命とあらゆる祝福は天にあると言うのに、 私たち神様の民が、それを知らずにいるのではないけれど、しきりに心配するようになるのです。
 
■ 聖書は心配してはならない理由をたくさん話しています。Iペテロ5:7〜8に、悪魔は心配する者を知って、しばしば触ると言いました。それで、あなたがたの心配を主に任せなさいと言われました。謹んで、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、歩き回っていますと言われました。すると同じ話としてつながります。聖書は心配すれば起きることを言いました。ヨブ3:2 に、ヨブがいつも心配していたことが起きたのです。それで、サタンがそれを知って触ったのです。ピリピ4:6 何も心配せず、あらゆる心配を祈りなさいと言われました。それなら、心配しなければならない内容は、一つもないということです。例外があることもありません。心配しないならば、どのようになるでしょうか。神様のみわざが起きるはずなのに、心配することで、私達がまず問題の中に陥るのです。少しだけ待てば、神様が働かれるのに、私たちは、サタンの戦略の中にまず引っかかるのです。それで、ほとんど失敗するのです。ある時には、任せて待てば良いのに、私達がまず動いて陥ってしまうのです。
 
■ 心配はあるのに、どうすればしないでいられるでしょうか。どのように解決するのでしょうか。ルカ12:31です。 ' 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。' とても重要な言葉が出てきました。解決策があるのです。神の国を求めると、このようなことは、それに加えて与えると言われました。これが重要な話です。それなら、国とは何でしょうか。イエス様が使徒1:3には、40日間、神様の国について説明されたと言われています。イエス様は、死と復活を説明するのに、一週間しか、かかりませんでした。これから起きることは、マタイ24〜25に一時間にくらいで説明をみなされました。どれくらい重要だからでしょうか、神様の国に対しては40日、説明なさったと言われています。これが重要なのです。それなら、私たちは国を求めるべきです。マタイ10:7 救われた者には、神様の国が臨んだと言われています。マタイ12:28〜30には、救われた者が祈れば、聖霊が臨んで、神様の国が臨むと言われています。神様の国が臨む時、それでこそ、あなたがたをつかんでいる強い者が縛られると言われました。これは未信者がとうてい知らない話です。強い者が縛られてこそ、あなたの家財を救うことができるのです。
 
■ イエス様が比喩で、強盗がある家に盗みに入ったと言われました。ところが、主人が自分より強い者ならば、盗みができるでしょうか。その強い者を縛っておいて、持ってくるのではないでしょうか。とても現実的に説明されたのです。あなたの家に強い者がいるのに、それを縛らずに、できるだろうか。聖霊が臨めば、神様の国が臨むのです。イエス様がおっしゃられたことです。漠然な話のようですが、とても具体的な話です。 'あなたがたは、まず、神の国とその義とを求めなさい。そうすれば、それに加えて、すべてのものは与えられます' こういう部分に、重要な答がみな入っているのです。パウロが、これを知っていました。それで、使徒19:8を見れば、3ケ月間、大胆に神様の国に対して説明したと言われています。神様の国という時には、神様が臨在されているのです。神様の軍隊が動員されたことです。神様の民がいる所です。
 
■ '国'という時には、いくつかの条件があります。国民、領土、主権、そして、指導者がいてこそ、国になるので、単になるのではありません。神様の国が臨んだということは、相当な話です。自然に2つのことが解決します。天の軍隊が動員されて、暗やみは自然に逃げるようになっています。何年か前に、海雲台を過ぎ行く時に、警察が前に立っていました。ところが、この警察が止まっているすべての車に挨拶をするのでした。どのようなことかと聞いたら、警察がきて挨拶をしながら、車を少し止めて事情を説明してくれました。 '申し訳ありません。今、あまり暗くはないから、ヘッドライト(headlight)を消して通過してください.'と話すのでした。なぜですかと聞いたところ, 'この時間に大統領が、この所を通っていくので、あまり明るくて照らすと、困るので、ちょっと消してください.' と言いました。それで、そうかと言いながら、周囲を注意深く見ました。すこしいたら、海雲台側に行くのか、すでに車何台かが先に進んで、その中を大統領の車が行きました。そして四方を、オートバイに乗った警官が護衛していました。もしか、誰かが大統領に害を加えてはならないために、そのように保護するのです。そうして見たら、両側の道に軍人と警察がずらっと立っていました。そして、海雲台へ行く道の建物の屋上に、戦闘警察が立っていました。どの国でも、指導者を保護しなければならないために、そのように保護するのです。少なくとも、1〜2千名は動員されたようでした。当然に、そのようにするでしょう。
 
■ 詩103篇を見れば、神様の聖霊が臨む所に、天の軍隊が動員されると言われています。神様の国が臨むのです。ものすごく重要な話です。
 
■ 私達がこういう難しい問題にも、勝つことができる道があるのでしょうか? あります。出エジプト14:19には、モーセが行く前に神様が先に主の使いを送られました。U列王19:35には、ヒゼキヤ王が祈ったら、すでにその日の夜に神様が働かれました。ダニエル6:22には、ダニエルが獅子の穴に入っていく前に、主の天使を送って、獅子の口をふさいだと言われています。U列王6:8〜24には、祈るエリシャの家に、神様は火の馬と火の戦車を動員されたと書かれています。使徒12章には、迫害するヘロデを呼んで行かれ、ペテロと初代教会を守るのに、主の天使を用いられました。
 
■ 困難にあったら、基本から堅くしましょう。しばしば応用をしようとするのですが、基本から堅くしましょう。学生達も、そのように習わなければなりません。しばしば応用しようとするために、私たちも知らないうちに困難がくるのです。それとともに、私たちの目を暗くして、私たちの背後を暗くする暗闇をうち破るのです。
 
■ 一度は、私たちの教会にある人が現れました。遠い昔のことでしたが、顔見知りの人でした。幼い時、私の同窓だったのに、とても老いた姿でした。この友人が、見たら同窓だけを訪ね歩いているようでした。どのように知って訪ねたのか、私にいろいろな話をしました。すこし異常だと感じたのです。この友人が、このように訪ね歩きながら、友人からもらって使って通っているなということを感じました。幼い時は、そのような人ではなかったのにです。ところが、そのまま見ていたら、この友人が、私が行く所ごとに訪ねて来るのでした。それで、呼んで話をしました。 '私があなたの同窓で、友人であるゆえに話します。あなたは、非常に変に変わったなあ。本当にあなたが助けが必要な事情ならば、手助けすることができる。百万円でも手助けすることができて、一千万円でも支援することができる。しかし、私があなたを見るには、そうではない。完全に変になっている。こういう、つっかけのような履き物を履かず、運動靴をはいて仕事をしなさい。あなたが本当に労働でもしながら祈れば、神様はあなたを祝福なさるはずだ。そのようにすべきで、このように通っていて良いだろうか.' この話しをしたのですが、完全に変な勢力に覆われた状態なのでした。それが暗やみです。その反対の言葉が神様の国です。なにかに覆われて、そのようになるのです。家を売って、盗んで、ギャンブルする人々は、なにかに覆われているのでするので、そのままするでしょうか。この人が衝撃を受けたのか、傷を受けたのか、その次からは現れませんでした。
 
■ 神様の国のために祈れば、これをあなたがたに加えて与えられるでしょう。今日、皆様はこの契約を捕まえてくださることを願います。最初は心配しないで。神様は生きておられ、皆様は神様の子どもです。皆様に死が訪れても、神様は皆様を救われることができます。もし私が死んで殉教するならば、神様はより大きい働きを成し遂げられるのです。私が貧困と問題にどのように勝つのでしょうか。神様の国が臨むようにしましょう。皆様の家庭、産業、現場に神様の光が臨むようになることをお祈りします。これが答えです。これをよく捕まえれば、その後に答えがき始めます。あまりあせったり、怠けたりせず、この契約を捕まえていれば良いのです。
 
■ そして三番目に重要な話しがあります。33節を見れば '持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。' そして、結論的に重要な話は、それで終わることでなく、本当に経済の祝福を受けようとするなら、天に積みなさい。祝福は地からくるのではなく、天から来るのです。あなたの宝を天に積みなさい。皆様のいのち、運命が、地で決定されるのではなく、天で決定されるのです。あなたの最も重要な宝を天に積みなさい。今日捕まえるべき3つの段階が出てきました。まず神様の民は心配しないで。皆様が祈れば、答えが来るのに、祈らずに心配すれば、心配の中に陥ってしまいます。死が迫れば祈れば良いのに、心配すれば、まず死の中に陥ってしまうのです。問題がくれば答を探すべきなのに、心配してしまうから、問題の中に陥るのです。紛争がおきれば、解決策があるのに、私達が心配してしまうから、紛争の中に陥ってしまうのです。それで、だめなのです。それとともに、貴重な皆様に、神様の国という単語をくださいました。皆様がこの祝福を受けるならば、すべての問題が解決するはずです。
 
■ 新しい年を始める皆様に、この祝福があることを希望します。皆様の家に、神様の国が臨むことを願います。皆様の子ども、家庭、事業に、神様の光と神様の国が臨むことを願います。早く根本へ帰って祈れば、神様は答えられるようになっています。それで終わるのではなく、あなたの本物の宝を天に積みなさい。この話は、単純に献金を多くしなさいという話ではありません。無条件に神様にたくさん捧げなさいという話ではないのです。天に積みなさいという話を、よく理解しなければなりません。ノア時代に、最高に答えを受けた人がだれでしょうか。ノアです。ノアが何をしたのでしょうか。箱舟を作りました。一時代を生かす箱舟を作ったのです。祝福を受けるしかありませんでした。ですから、天に積みなさい。この話を早く理解しましょう。皆様の人生は、この程度の祝福を受けなければならないのではないでしょうか。
 
■ アブラハムがメルキゼデク祭司長を助けた記録があります。旧約のバルジライ老人を知っているはずです。この人が良い生活をしていた人のようです。よい生活をする人であるほど用心します。ところが、ダビデが追われて通う時、ダビデを訪ねてきたのです。お金持ちは、押い出される大統領や指導者をあまり助けません。その時、ダビデは老いて王宮から追われて、裸足で逃げて回る時です。逃げる時、山に隠れているのに、その時、バルジライという老人が訪ねてきたのでした。ダビデに必要な食べ物とうつわ等、全てのものをみな持ってきたのです。価格はいくらもしないのですが、ダビデは感動を受けました。その前には、ダビデがこれで終わると思って、シムイのような人は呪ったのでした。この老人が滅んでいく王を訪ねて、誠意を込めて、準備した食べ物と場所まで準備してくれたのです。それとともに述べた言葉が '王様はどれくらい疲れておられるでしょうか。これを食べて、力を得てください.'と言いました。それがダビデにはものすごく感動することでした。ダビデが王宮に勝利して帰ってきた時、バルジライを探します。探して、その老人に尋ねて言ったことが、 '私は何をしてあげれば良いだろうか.' でした。それで、バルジライは '私は何にも必要なことがありません。王様がうまくいって、国がうまくいくことを願うのであって、私はなんにも必要がない.'と話しました。ダビデが死ぬ時に、ソロモンに遺言いくつかをする時に、バルジライ老人とその息子を覚えなさいと言います。格別なものではありません。あなたの宝を天に積みなさい。皆様、エリヤ、エリシャ時代に重要な祝福を受けた人がいます。だれでしょうか? オバデヤです。この人は、自分の持ち物で、難しい預言者をみな助けました。殺されるしかない難しい預言者を、後から生かして助けたのです。話を悟らなければなりません。マルティン・ルターが、死刑宣告を受けて殺されそうになった時、マルティン・ルターを助けた人がいました。そして、聖書の翻訳をするように手助けしたのです。どんなことが行われたのでしょうか。世界の歴史が変わりました。
 
■ 米国のロックフェラーは、どのように祈ったのでしょうか。 '私は、ご飯だけ食べて生きて、死んで良いのでしょうか。事業だけして、死んで良いのでしょうか。お金だけかせいで、死んで良いのでしょうか。この米国と子孫のために、することがなければならないでしょう。神様、私にあちこちに教会を立てることができるように力を与えてください.' 2000個の教会を立てました。その中で直接見た教会のひとつは、その前に高速道路まで作ってありました。そして、どの程度か?というと、主が再臨していらっしゃる時まで、その教会を保存するために修理する保険にも入っていました。それを見てください。事実は、神様がその人を通じて、米国を生かされたのです。単純な祈りではありません。
 
■ 私たちは今、レムナント運動を本格的にしています。34節に 'あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。' ひっくり返して言うと 'あなたがたの心がある所に、あなたがたの宝もある.' 皆様が重要な宝石や宝があれば、そこに心をいつも置くはずです。そのようになれば、答えが来るのです。今日、あなたがたが本当に答えを受ける重要な日になることを願います。初代教会は貧しいのに、どのように、この働きができるでしょうか。ご飯も食べられないのに、どのようにこの働きをするのでしょうか。それで、イエス様が約束を下さいました。聖霊充満を受けなさい。すると、神様の国がなされます。マタイ12章、使徒1:8節にもそう言われました。
 
■ ここで最後の錯覚をするのです。私のような人が、どのように聖霊充満を受けるのか。そうではありません。信仰で受けるのです。救われた人は、当然に受けるのです。どのように受けるのでしょうか。そのまま、聖霊充満してください。と言えば、それが聖霊充満を受けることです。その後に、五つの門が開かれるのです。それが使徒2章です。結論的な祝福を捕まえましょう。 '主よ。私の事業する場に聖霊で働いてください。'これが神様の国です。私に聖霊充満をあたえてください。私たちの学生達が 3分だけ祈っても、働きが起きます。皆様が朝、昼、夕方に1分ずつだけ聖霊充満してくださいと祈れば、皆様は相当な知恵が生まれるはずです。それをしないからです。多くの人々が特別に祈りをしなければならないかのように思っているのですが、そうではありません。
 
■ 有名な伝道者が、ある家に行って礼拝をささげたのですが、ひとりだけ礼拝をささげませんでした。その家で仕事をする家政婦でした。一緒に礼拝をささげようと言ったら、しないと言いました。顔がいつも不満だらけでした。それで、この人が、家政婦に贈り物をあげようと言ったのです。何の贈り物かと家政婦が尋ねました。 '神様、私は誰ですか' と一日に十秒間朝、昼、夕にして、30秒祈ってみてくださいと言いました。これが何の贈り物かと尋ねたのですが、家政婦は、その人が行った後から、その話しがしばしば思い浮ぶのでした。 '私はだれか。神様、私は誰ですか.' と、しきりに思い浮ぶのでした。10秒だけしなさいと告げられたのですが、その家政婦はしきりに、その考えをするようになりました。 '私は誰ですか' 'あなたは家政婦だ' こういう考えをするので、しきりに涙が出たのです。この伝道者は、何日か後に、この家にまた立ち寄ったのです。その家の主人が 'あなたが何と言ったのか、あの家政婦がずっと泣いていて異常だ.'と告げました。それで、その伝道者は、その家政婦に、このように話したのです。 '贈り物をもう一つあげましょう。これからは、神様、神様はどなたですかと祈りしてみなさい.' そのように祈ったら、みわざが起きたのでした。
 
■ ものすごく投資する必要がありません。私たちは間違った考えを多くします。私が世の中にいるのに、聖霊充満できないのではないか。そうではありません。皆様はどこでも、皆様は聖霊充満の祝福を受けることができるのです。今日、この時間に契約を捕まえるならば、明日、神様がどのように働かれるか、誰も分かりません。それで、本当に祈ってみてください。聖霊をあなたがたに送り、あなたがたと永遠に共にいます。神様、私に聖霊充満を与えて下さい。なんの体験をしないでも良いのです。体験が来る人は敢えてしないようにする必要はありませんが、しないでも構わないのです。体験がない人がより正常です。体験する人が間違いではないのですが、どれがより良いかと尋ねられるなら、ないほうが良いと言うことができます。なぜなら、聖霊は霊であるために、肉には感覚がないほうが良いのです。しきりにおかしな教団で変に教えるのですが、間違っているのです。 '先生、私は聖霊充満を受けるやいなや気絶しました' 普段の時、脳が良くないからです。'私は聖霊充満を受けたら、何かが上がってきて吐き出しそうです.' 胃が良くないからです。'私は聖霊充満を受けたら、からだが震えます.'中風の気があるだからです。間違いではありません。 '私は聖霊充満を受けたら、涙が出ます.' それは、元々泣き虫だからです。 '聖霊充満を受けたら、何の異常もありません.' 正常です。
 
■ 私がなぜこういうことを話すのか知っているでしょうか。人々が錯覚しているためです。聖霊充満を受ける資格があるのです。神様の子どもです。その祈りをする時ごとに、働きが起きるのです。神様の国です。どれくらい簡単でしょうか。それで、イエス様が最後のメッセージで、聖霊充満を受けなさいとおっしゃいました。私は誤解していたのです。聖霊充満を受けようとするなら、寝ないでいるべきだと思っていたのです。 40日断食の祈りを何度かしなければならないかのように思っていました。異言が出なければならないかと思っていたのです。全くそのような必要はありません。そのように教える所があります。しかし、全くそうではないのです。異言がでる人がいて、ない人もいます。賜物を受けることも、ある人は霊的に受ける人もいます。一般的にみな違うようにくるのです。結論は、何でしょうか。皆様は聖霊充満を受ける資格があるのです。神様の子どもです。
 
■ 礼拝する時間に、単に礼拝をささげて行ってはなりません。皆様がみことばを受けて、長老たちが祈る時、 神様、私を聖霊で充満してくださいと祈ってみましょう。この簡単な祈りに、外側では歴史が変わります。ペテロが皮なめしシモンの家で聖霊充満してくださいという、その祈りをしたのに、コルネリオの門が開きました。マルコのタラッパンで聖霊充満してくださいと祈ったのに、5つの門が開きました。この祝福をどこで受けることができるのでしょうか。それを悟ることが礼拝です。これを悟ることができなかった人は、礼拝がどれくらい難しいか分かりません。それで、いつも行ったり来たりして、妻について無理にきたりするのです。 妻についてきた人には、特徴があり、聖書を見ません。どれくらい苦しいでしょうか。ある人は、礼拝堂にきて、新聞を見る人もあります。礼拝にきて聖霊充満の味を知るならば、相当な時間です。私たちは今日、礼拝をささげて、六日間に答えをずっと探すことが正常です。六日間、祝福を探すように願います。皆様の問題と心配は、神様に任せることを願います。
 
■ 皆様には、重要な道は備えられています。神様の大きい祝福を受けることを希望します。ヨシュア3:4節にこういう話しがあります。エリコの町に行くため、ヨルダン川を渡りながら起きることです。ヨシュアが話します。 '一度も行ったことがない道を行く。それで、契約の箱について行きなさい' なんの話だと思うでしょうか。2005年は一度も行ったことがない道です。初めて行く道です。契約の箱について行きましょう。みことばについて行きましょう。皆様に今日、大きい祝福の時間になって、聖霊充満する、神様の国が臨む時間になることをお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様、感謝申し上げます。今日、重要な日になるようにしてください。神様の国が臨む日になるようにしてください。聖霊が充満する時間になるようにしてください。それで六日間に、門が開いて、外で答えを見る祝福を味わうようにさせてください。この祝福を一生捕まえて味わう神様の人々になるようにしてください。まさにこの時間に働いてください。ダニエルが祈る時間に働かれたように、今、働いてください。ヒゼキヤ王が祈る時、18万5千名が死んだように、今、働いてください。マルコのタラッパンが祈る時、大きい15ヶ国の門が開いたように、今、働いてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。
 
 


2部/ 恵みとさばき
(詩101:1〜8)
 
■ 詩篇 101篇は、ダビデの詩です。ダビデから私達が何を学ぶべきでしょうか? 必ず私たちが考えなければならない部分です。重要なことは、神様が私たちに啓示をくださったゆえに習うべきです。この頃、日本で韓国の韓流熱がすごいです。そのうちに、特に、ペ・ヨンジュン、チェ・ジウの作品の冬のソナタが、ものすごいようです。日本経済に影響を与えるほどです。日本政治圏で気を遣うほどです。いよいよ日本文化圏で緊張をして批判をする立場になりました。それまでは良いのですが、日本の女の人たちが韓国に行こうといって、韓国に集まっています。今回、日本に行ったところ、それを背景として食堂に付けておけば、その食堂がよく なるということでした。その程度でなく、撮影された場所で写真を撮したり、大騷ぎが起こっているのです。いったいなぜそうなのでしょうか? 伝道する人間の私としては、だいぶ気になりました。私は連続ドラマを見る時間がないので、その作品がどれくらいよく作られているのか分かりませんでした。
 
■ それで昨日、放送を見たら、土曜日に再放送をするということでした。見ようという気がして、昨日の夜に見ました。連続して2部までしたので、ほとんど夜 2時までしたのです。それを2時まで、祈らずに冬のソナタを見ました。もちろん、私は常時祈りはずっとしています。祈りながら、冬のソナタを見たのです。なぜこのように日本の女の人がこれを見て参ってしまったのでしょうか? 女の人が泣いて、直接、韓国語で声を聞きたいと、韓国語を勉強するのです。日本の女の人の中で韓国語を学ぶと大騒ぎしています。それで、そのドラマを韓国語でまた聞くということです。どうして、これほどになったのでしょうか? だいぶ私としては伝道をせねばならないために、気になったのです。それで昨日、考えを深くしながら、そのドラマを見ました。まず、作品が女の人が参ってしまうように作ってありました。初めての場面で雪が降っていました。それとともに軟らかい音楽が流れてくるのです。それとともに、女の人が感動するに値するトピックスとなるシーンを見せながら、雪が降っているのです。すると、女の人たちは、そのようなことに参ってしまいます。内容は、単純な愛でなく、とても純愛で、ピュアな愛で作ったのです。一理はあるという気がしました。日本の人には申し訳ないけれど、日本人が持っている今現在の方法では出来ないことです。
 
■ 日本の人は、ものすごく経済的です。他の国ではエコノミックアニマルと呼ぶこともあります。愛も家庭も全部、経済的なのです。そして、子どもの時から愛をまず習うのでなく、セックスをまず習います。この頃の文化がそうではないでしょうか? この子ども達に真の愛は教えなくて、そのようなことから教えるのです。日本がそのようなことを、とてもたくさん習っているので、元々自分たちが持っている純粋な姿を見ると、涙も出て、そのようになるのです。そうこうしたあと、普通の連続ドラマのようにせずに、音楽も良いようにするので、日本の人々が感動を受けるしかないのです。おもに女の人たちが、若い人ではなく、すこし年をとった方達が良いと言うのです。これが昔の純粋な自分の姿を思い出させるのです。私もむかしに、あのように生きていたのに、このようになったと考えるのです。だから後悔して、涙も出るのです。それで、日本の人に誰か福音を正しく伝えるならば、本当にすごいだろうという気がしました。
 
■ 皆様は、ダビデとみな全く同じなのですが、ひとつが違います。皆様が仕える神様も、ダビデが仕える神様とまったく同じです。とてもやさしいことひとつが違うのです。その差があるならば、祈りです。皆様が全く同じ祝福をみな受けたゆえに、ダビデがした祈りだけ私達が理解するならば、私達が同じ恵みを受けるようになるのです。私はそのようなことが本当に多くありました。人は、本当に苦しい時があるでしょう? また人を通じて試みにあって、苦しい時があるでしょう? 私が過去にそのような時があったのです。タラッパンの中に、あまりにおかしな人がいたのです。私は戦わなかったのは、信仰が良くて戦わなかったのではなく、自尊心があったので、戦わなかったのです。こういうことと戦えば、私もあの人のような人間ではないか? 他の団体のようなことではないか? 他の団体が、傷つけあって争い、滅びるように、私たちもそうすると同じではないか? それで耐えたので、あまりにおかしな人が多かったのです。理解できない人々が、あまりにも多いのです。そのような時ごとに、耐えるので、どのようになるでしょうか? 中にどんどん積まれるのです。その時ごとに、私が定刻の祈りをするのに、こういう気がしました。それは問題ではない。神様には、なさることができる。こういう考えがいつも出てくるのでした。必ず問題として見る必要はない。一つの方法にもなる。神様には確かにおできになる。こういう気がするのでした。ところが、祈れば、いつでも答えに変わったのです。本当におかしな人々を、神様がみな解決されました。私たちは、小さい差で考えが変わったりします。ある面では、私たちは考えがいつも変わります。私たちは、TVを見ても変わって、良い本を見ても変わって、ずっと変わるのです。状況によって変わることもあります。こういう中で、ダビデは私たちと全く同じ救いを受けたのに、祈りの奥義を持っていたのでした。皆様は、こういう奥義を捜し出さなければなりません。
 
■ それでは、年代別にすこし見ましょう。ダビデの幼い時です。ダビデがレムナントの時、何をしたのでしょうか? レムナントの時を見れば、3,4個のしたことが出てきます。ダビデは、レムナント時、詩をたくさん書いたことが分かります。そして、ダビデは幼い時、音楽をものすごく良くしたとなっています。音楽を専攻したと思える程、良くしたのです。ダビデは詩を書いて、音楽を専攻していたのですが、その間に祈りをしたのです。それで、ダビデが初めてした職業が羊飼いでしたが、羊飼いでありながら、それをいつもしたのでした。ここで私たちは重要な習うべきことがあります。私たちは特別祈りも重要ですが、普通、平日の中で祈る奥義が少しだけあれば、みな回復するのです。それで、レムナントは早くそれから回復しなければなりません。レムナントは、祈りの手帳を持って黙想しながら、祈りを少しだけしていけば、1、2年過ぎて、大きい答えがくるようになります。どれくらいやさしいでしょうか? おとなは、一日に静かな時間、一度だけ作って黙想すれば、健康も回復して、多くの祈りが回復します。
 
■ ところが、大部分の信者が、この祝福をのがすのです。詩5,8篇を見れば、ダビデが時間を定めて、静かな祈りの時間を持ったという記録があります。またダビデは、多くの時間を動きながら、黙想と常時祈りをしていたという記録があります。このように、あなたがたは答をみな得たので、少しだけ祈りの奥義を持っていれば、勝利するようになるのです。それとともに、ダビデは羊を飼っていたのに、羊一匹もなくしませんでした。羊をとても熱心に飼ったのです。簡単に話せば、羊飼いの仕事を最高に良くしたのでした。それをしていたのに、神様が答えられたのでした。救われた神様の民が祈りの奥義をすこし悟れば、皆様がする仕事に、大きい答えを受けるようになります。皆様がおわかりの通り、それは誰でもできることです。羊一匹もなくさないように、石を投げて、獅子がきても戦ったのでした。ところが、ある日、ゴリヤテに会ったのです。このように神様の時刻表がきたのでした。この時、ダビデの祈りは違いました。あの人がどれくらい強くて、私がどれくらい弱いから、死ぬ、生きる、こういうことではありませんでした。ここで、ダビデの祈りの内容が違うのです。私が死ぬ生きることは問題ではないのです。主の御名でゴリヤテに向かって、ゴリヤテをうち破ることをダビデは祈りと定めたのでした。
 
■ それなら、ここに多くの奥義が入っています。皆様が福音を持ったから、平日に少しだけ祈るならば、皆様は多くの答えを受けるようになるのです。すると、私たちは選択、決定をする時、主の栄光のために決定するならば、それは良くしたのです。ダビデがしたことは、それしかありません。主の御名の悪口を言うので、戦ったのです。それしかしたことはありません。私たちには、なんの話でしょうか? 神様、主の栄光のために、私に栄光を与えて下さい。同じ話です。このように、すこししたのに、ダビデは答えを受けたのでした。そのような中に、ダビデに問題が生まれたのです。サウル王が、ダビデを殺すために、捕まえにやってきたのです。その歳月が長かったのです。その時、ダビデはどのように祈ったでしょうか? このことが全部、神様の重要な計画だと知っていたのです。それで、主は私の羊飼い。私には乏しいことはありません。私たちは習うべきことがたくさんあります。普段の時の祈りを回復しなければならないのです。神様の栄光のために選択しなければならないのです。危機と問題と困難は、全部、祝福の土台になります。ダビデが王になりました。とても重要なことをしたのです。主の神殿を建てると言いました。契約の箱をお迎えする主の神殿を建てると言ったのです。自分が王になった理由を悟ったのでした。このダビデが、それを捕まえたのに、あらゆる答えをみな受けたのでした。余生に問題がきました。その時、ダビデはむしろ感謝したのです。私がこのまま死んだとすれば、アドニヤとあの悪いエブヤタルがどうなっただろうか? 簡単に話せば、仕上げを正しくする機会になったのです。これが 私たちの祈りです。皆様、ダビデを通じて祈りを学ぶべきです。のがさないように願います。なんでもない普段の時に、平常の日に祈りが回復できなければなりません。私たちは選択をしなければならない緊迫する時がきます。そのような時は、死のうが、生きようが、神様の栄光のために選択すれば良いのです。私たちには、問題がくる時があります。その時が、最も良い時です。神様の機会を作り出さなければならないのです。ダビデは成功した時、成功の理由を探し出したのです。幼い時から聞いていました。契約の箱です。サムエルに聞いていました。その契約の箱をお迎えする神殿を建てたのでした。神様は、その心だけ見ても祝福なさったのでした。ダビデは最後まで、王宮と国を強固にさせる祝福を受けました。これがダビデの祈りです。
 
■ すると今日、皆様がダビデの祈りを学びながら、ダビデがどんな信仰を持っていたのでしょうか? 101篇を見ましょう。 '私は、恵みとさばきを歌いましょう' これは普通の話ではありません。ダビデは、どんな信仰を持っていたのでしょうか? 神様の恵みとさばきを賛美したのです。神様の恵みとさばきは、すべての人に公平です。これを持ってダビデは賛美をしたゆえに恐れなかったのです。皆様が、一生、信仰生活をする間に、この部分を捕まえるならば、恐れる必要がありません。私たちは、おかしな考えをする必要もないのです。言わば、非真理は、真理に勝ったことが一度もありません。神様の恵みとさばきを、幼い時から胸に持っていたのでした。卑しい者、曲がったわざをする者は、みな滅ぼされました。隣人をそしる者、高慢な者と共にしなかったと言いました。その次に、嘘をつく者と共にしなかったのです。その話はなんの話でしょうか? 結局は、こういう人々がみな滅びたのです。私たちは、高慢になる理由もなくて、気落ちする理由もありません。
 
■ 祈りの答えを受ける皆様、レムナント、多くの聖徒は、必ず記憶するように願います。恵みとさばきです。さばきという話は、正義だと見ることができます。どんなに悪い者が苦闘しても、勝つことはできません。皆様が今、たくさん苦しんでいるように見えますが、時間が過ぎれば答えがきます。皆様がいたずらに人々の問題を見て恐れる必要がありません。結局は、問題があることは、負けるようになっています。だから、レムナントと私たちは、堂々とした信仰を持たなければなりません。それで何でも正しくしなければなりません。神様の恵みとさばきは、誰も変更できないことです。これがダビデが一番目に持っていた信仰です。どんなことがあっても、神様は悪い者を滅ぼされ、義人を滅ぼされません。皆様が今、苦しんでいるかのように見えるけれど、絶対にそうではありません。神様は、確かに返してくださいます。だから、むだな気落ちをする必要がないのです。この契約をダビデが持っていたゆえに、いつも祈ったのです。祈りの大きい祝福を、皆様が受けることを願います。ここに2番目に重要なことがあります。恵みとさばきの祝福を味わうことができない者がいます。
 
■ 皆様がおわかりの通り、未信者は神様の恵みを味わうことができません。未信者は、六つの運命の中にいるために、解決することができないのです。それで、パウロは世の中を恐れないのです。このダビデは、世の中をうらやましがったり、それに流されることはありませんでした。孟子という人が、こう話しました。孟子は、信者ではありませんが、こう話したのです。偉丈夫な男は、このようにしなければならない。3つのことを話しました。偉丈夫な男は、貧しいとして動かない。貧しいとして揺れない。そして、偉丈夫な男は、富むからとして堕落しない。偉丈夫な男は、権威の前で卑屈にならない。こういう話を孟子がしました。そのように話した文章を見ました。まして、私たちは神様を信じる者です。今日、皆様が祈りの答えを受けようとするなら、この信仰を堅く捕まえることを願います。どんな場合も神様は恵みとさばきで、私たち人間を治められます。
 
■ ところが、2番目に記憶しなければならないことは、未信者は、神様の恵みの中にいないので、これを味わうことができないのです。ある人が、私に尋ねました。未信者と結婚してもよいですか。だめですか? それは、あなたがたがよりよく知っているはずです。参考にはしなければなりません。本当に未信者ならば、未信者状態の運命6つから出てきていないのです。参考にしなければなりません。皆様が本当の福音でなければ、運命から出てくることができません。それで真の福音を持ちなさいと言うのです。この人たちは、神様の恵みを受けることができないのです。その運命の中から出てくることができないからです。罪とサタンと地獄の権威から出てきていないので、絶対に勝利できません。他のことはみな必要なのですが、神様の恵みが必要ないのです。
 
■ 聖書を見ると、金持ちとラザロが死んで、金持ちは地獄へ行きました。聖書でイエス様がなさった言葉です。金持ちが水一滴だけくださいと言いました。この前もお話したでしょう? どうして、水一滴も上げないのでしょうか? 地獄にいる人が、水一滴だけくださいとお願いをするのです。ある学生が、地獄はなぜ作ったのですかと聞きました。マタイ25:41に、悪魔を閉じこめる監獄です。必ず作らなければなりません。神様が後ほど悪魔を完全に縛るために作られた監獄が地獄です。人間が悪魔に仕えたゆえに、やむを得ず行くのです。その地獄に行くので、水一滴もないのです。この金持ちは、どれくらい喉が渇いたでしょう。水一滴だけくださいと言ったのです。一杯でもなくて一滴です。皆様、本当に喉が渇けば、水一滴だけくださいと言います。神様の恵みが全く必要ないと言った人々です。地獄とは何でしょうか? 地獄の特徴は何でしょうか? 神様の恵みが、つめの先ほどもない所です。これが怖いのです。皆様、私達が恵みを受けることができないということは、怖い話です。未信者の運命の中にあるために、神様の恵みを知らなくて、全部、失敗するのです。だから、神様の恵みが必要ないのです。ですから、私達は世の中を見て恐れたり、世の中をうらやましがったりする必要はありません。今日、ダビデの恵みを受けて、祈りの答えを受けることを希望します。
 
■私達が祈りの答えを受けるために、三番目に記憶しなければならないことがあります。恵みとさばきという話はなんの話でしょうか? これを理解しなければなりません。恵みということは、簡単に話せば、恵みを与えて下さるということです。さばきということは、法の通り行なうということです。私達が祈りながら記憶しなければならないことを私が今、話しているのです。皆様が気落ちしてはならないことは、神様は必ず真理通りに返してくださるために、気落ちするなということです。皆様の祈りが一言も地に落ちないで、うつわにみな入れられます。ヨハネの黙示録8章。そのままみな入れられます。ですから、揺れる必要はないのです。悪い者がすこしうまくいくのを見て、うらやましがる必要もありません。ですから今日、2番目に悟らなければならないことは、どんなに神様が恵みをさばきを与えられても、未信者の運命の中にいれば、受けることができないということです。これを知って、信仰生活をしなければなりません。皆様、未信者に交わる時も、利益が共にお互いやりとりするくらいに交わるのでなければ、あまり深く交わってはなりません。なぜなら、未信者は運命が決まっています。それで私たちタラッパンでも、福音の内に深く入っていない人は、とても重要なことを任せません。なぜなら、失敗するはずだからです。皆様が目を正しく開かなければなりません。これが未信者状態6つから抜け出すことができないのです。ですから見ましょう。神様の恵みが必要ないのです。神様のさばきが必要ありません。地獄とは何でしょうか? 神様の恵みが必要ないということです。生きて行く間、神様の恵みが必要ありません。どのようになるでしょうか。
 
■ 津波が1分打ったのに、人が死ぬのを見てください。今回、90才になるおばあさんが生き残りました。新聞を見ると、木の柱をつかまえて生き残ったのです。運動を多くしていたのでしょう。皆様、運動を多くしてください。それでも、あばら骨4本が折れながらも捕まっていました。本当に、このおばあさんもすごい人です。それで水がすこし引いた時、逃げたのに、きてみたら、木もみな流されていました。年齢90才になる人がということです。たった30秒後に巻きこんでいったのです。人間に力があるでしょうか。たった30秒後に、人が数万名、流されてしまったのです。神様の恵みなく、どのように生きられるでしょうか。今回、ソウルで新聞社のオ記者が結婚しました。結婚をしたのに、私に司式をしてくださいと言われたのですが、24日にしてくださいと言いました。それで私が24日はだめだと言いました。私に時間がなくてだめだと言いました。といったところ、25日にしました。25日に結婚して、この人たちは、その翌日の飛行機に乗って行ったのですが、そこで事故が起きたのです。24日に結婚をしていたなら、静かにそこに行って流されたでしょう。それも恵みです。私達が時間がないことも恵みで、時間が合わないことも恵みです。皆様、神様の恵みなく生きることができるでしょうか。
 
■ 米国のホン・パンシ博士が、むかしに話しました。その方は、すこし率直です。米国から韓国にくるのに夫人が文句を言ったのです。それで博士があまりに腹が立って、けんかをしたのです。あまりに腹が立って、飛行機に乗ることができなかったのです。その翌日、乗るようになりました。前に乗ったその飛行機が、爆破されたのでした。けんかもするだけすれば、すべきです。これがどれくらい神様の恵みなのか分かりません。私たちは、一歩一歩、神様の恵みがなければ生きられません。神様の恵みとさばきが、皆様に永遠にあることをイエスの名前でお祈りします。ダビデがこれを賛美すると言いました。どれくらいダビデが神様の恵みをたくさん受けたでしょうか。神様の恵みとさばき。滅びるしかないのに、神様が手助けされる神様の恵み。ダビデが逃げているのに、何千名の軍人が、ダビデを捕まえに来ました。詩篇142篇がその詩です。ダビデがどこに入っていったのでしょうか。洞窟の中に入って行きました。洞窟の中に入っていって、隠れていたら、前に軍人が捕まえに来て、行ったり来たりしたのです。そのなかで、どのようにするでしょうか。捕えられれば死ぬのです。軍人数千名に、ダビデがどのように勝てるでしょうか。サウル王が命令を下して、ダビデを捕まえよと言いました。そして、悪い臣下が、ダビデが悪くなる話をします。それで、サウル王は、ますます異常になって、ダビデを殺そうとしたのです。そのような中に、ダビデが逃げて、洞窟の中に逃げたのですが、穴の前に軍人がきたのでした。どのようにするでしょうか。その時、ダビデが何をしたのか知っているでしょうか。本当に祈りました。祈りも、本物の祈りがあって、にせ物の祈りがあります。ダビデが本物の祈りをしたのです。神様、本当にどれくらい助けてくださいと祈ったでしょうか。その瞬間、クモがクモの巣をはったのでした。その短い瞬間にです。軍人が入っていこうとして、クモの巣があるのを見て、違うとそのまま通り過ぎました。その何秒かの間に。それで、軍人がそのまま通り過ぎたのでした。クモの巣があるのを見たので、人が入っていきませんでした。本当に神様の恵みも色々あります。ダビデは、あれこれで生かされたのです。それでダビデが祈りの答えをたくさん受けたのですが、神様の恵みとさばきを歌いましょうと言ったのです。卑しい者、悪い者を恐れる必要はありません。みな神様がなくされます。皆様に苦難があっても、気落ちする必要はありません。神様がみななくしてしまわれるのです。ところが、注意せねばならないことが別にあるのです。神様の恵みとさばきが必要ないとすれば、どのようになるでしょうか。生きることができません。私はそれを見ながら、神様の恵みなく、私達が生きることができるだろうかと思いました。未信者が神様が必要ないと言うのですが、そこがまさに地獄です。
 
■ 三番目です。恵みとさばきという言葉を正確に見る必要があります。さばきは英語でjusticeです。この話は、正しくという話です。すると、私達で正しい者がだれがいるのでしょうか。聖書ローマ3章10節に、すべての人が罪を犯したと言われました。義人はいないと言われました。誰がいるでしょうか。ローマ7章24-25節を見ると、パウロはものすごい救われたしもべなのに、自分はあまりに罪の中に陥っていると言いました。どのように、私たちはそうなのでしょうか。私たちは、原罪問題で、知ることもできない罪が私たちに積み重なっています。また先祖が犯した罪は、どのようにするのでしょうか。関係あるのです。偶像崇拝、こういう問題は、みな関係あります。どのようにするのでしょうか。私達がさばきの前に立てば、立てる人はいません。記憶しなければなりません。それで神様が恵みを与えてくださって、イエス・キリストを送ってくだったのです。それでイエス・キリストの十字架は、恵みとさばき二つを一度にみな解決したのです。罪の値段を支払わねばならないために、十字架を背負わなければならないのです。それはさばきです。神様が私たちを救われるために、キリストを送られました。恵みです。皆様、この契約を捕まえた人は、ダビデが受けた祝福より、もっと大きい祝福を受けるようになるのです。この契約を握るように願います。私たちレムナントは、わかるでしょうか。幼い時から、卑屈に習ってはなりません。神様は恵みとさばきの神様です。幼い時から正しく習いましょう。そして、より重要なのです。どんなに生きている途中で皆様に、諸々の事が起きても、神様の恵みを拒否すれば、生きることができません。それが、2番目のことです。皆様が成功した人物になろうとするほど、そうです。私たち学生達が、大人になって、東三洞の路地でもやしを商って死ぬようならば、それも悪いものではないけれど、そのようにして死ぬならば、大きい事件は必要ありません。このダビデのように、大きい人物になろうとするなら、大きな事をしようとするなら、恵みとさばきが必要です。一生、記憶しなさいということです。神様の恵みと神様の驚くべきさばきが必要です。そして、三番目に記憶しなければならないことが、恵みとさばきを一度に完成させたことが十字架です。この契約を捕まえれば、皆様は永遠に滅びません。神様は皆様を生かすために、恵みを与えられました。キリストを送られたのです。ところが、そのまま救うことができません。罪の値段を支払わなければならないのです。それで十字架につけられたのです。それがさばきです。この二つの恵みを、私たちは一度にみな受けたのです。すごいことです。それなら、どんな結果が出てくるのでしょうか。皆様は、ダビデが受けた答えより、もっと大きい答えも受けることができます。ダビデが回復した祈りを、少しだけ回復すれば、皆様は祈りの答えを受けることができるのです。不信仰にだけ陥らないならば。皆様、この重要な時間に礼拝をささげていますが、皆様に祝福とならなければなりません。
 
■ 私はクリスチャンで、過度におかしな人々をたくさん見ました。皆様は神様の恵み、神様のさばきを信じてくださることを願います。私は幼い時から、教会のなかで多くの人々が戦うのを見ました。それで、私の胸の中に当たったことがあります。神様の驚くべき恵みとさばき、信じられないな。それを感じた時、私は滅びたのです。皆様に、単にしている話ではありません。皆様が信仰生活をするなら、揺れる必要はありません。神様の恵みとさばきは永遠で、その恵みとさばきを歌いましょうと言いました。ダビデの告白です。勝利する しかありません。サウル王のような信者がどれくらい多いかわかりません。そのようにすれば、勝っているかのように思っているのです。私はそのようなことをとてもたくさん見ました。幼い時から、教会に通いながら、とてもたくさん見たゆえに、信者の中に、とても多いのです。私たちのレムナントは、必ず記憶しなければなりません。執事達の中にも、ある場合は、牧師達の中にも、とても多いのです。神様の恵みとさばきを信じるべきなのに、これを信じない人があまりに多いのです。ある宣教師についての手紙がきました。一般信者なのに、手紙がきたのです。自らの財産をみな投資して、ある国で建物を建てたのに、その宣教師が、みな持っていってしまったということでした。そのような人が多いのです。神様の恵みとさばきを信じないのです。そのような信仰人になってはなりません。この話です。特に2部礼拝は、レムナントにメッセージがたくさん行くのですが、レムナントは、揺れないで、記憶しましょう。けちな人物にならず、神様の恵みとさばきを信じましょう。2番目に、私は神様の恵みとさばきが必要です。三番目に私は、神様の恵みとさばきをキリストによって、完全に回復しました。このようになれば、たいした答えのメッセージになるのです。私は皆様に告白しました。偶像崇拝する町で育ったのです。ムダン(霊媒師)の子ども、偶像を作る、仏像のようなもの作る子どもは、ほとんど精神病で死ぬのを見ました。それで、私が一番目に悟ったことは、教会がどれくらい祝福であるかを知ったのです。ところが、私は教会に通いながら、宗教的に福音なく、とても苦労する人々をたくさん見ました。それで、あまりにけんかをして、問題を起こす信徒をたくさん見ました。私たちの母教会が代表的な教会です。私は幼い時、信仰生活を始めた時、私たちの母教会を離れました。そうしながら、福音を伝える人に会ったのです。福音を伝える人に会ったのですが、私の生涯がこのように変わったのです。福音を伝える一般信者何名かに会ったのですが、私の生涯が変わってしまったのです。本当にすごいことです。なんでもないかのように見えるけれど、福音を本当に伝える一般信者に会ったのに、見るだけだったのに人生が変わりました。そのようなある日、私に衝撃的な事が行われたのです。私に福音に対する祝福を知っているようにさせてくれた人々が、異常に崩れるのです。私がその時に悟ったのです。知らなかったのですが、その方を静かに見ると、霊的問題がものすごく多いのでした。家系の中に、変に精神病で死んで、おかしな人が多かったのです。その時、私は聖書にある最高の祝福を発見したのです。聖書の中には、霊的な部分を知らなければ、私達が信仰生活に勝つこともできなくて、伝道することもできないのだな。人々が全部、霊的問題に陥っているのだな。それで、こういう困難が来るんだな。それを知った瞬間から、その時から祈りの答えがきたのです。それ以前には、祈りの答えが来ませんでした。その時から、祈りの答えがき始めたのです。結論を結びます。今週6日間、答えをたくさん受けてくださることを願います。神様の恵みとさばき。変わりません。神様の恵みとさばきが必要です。神様の恵みとさばきは、キリストによって完成されました。それなら、私はこの契約を捕まえて、霊的問題と戦って祈ります。単に祈るのではなく、霊的問題を捕まえて祈れば、すぐ答えの門が開かれます。この答えを受けてくださることを願います。1部礼拝の時に話しました。体験する必要もありません。そのまま祈りだけしてみましょう。私の家の中と私にあるこの問題が、小さな霊的問題ではないな。これを捕まえて祈れば、答えがくるようになっています。6日間、あらゆる現場で祈りの答えを捜し出す皆様になることを、主の御名でお祈りします。ダビデの祈りが始まることをイエスの御名でお祈りします。そばの人に話してください。 '6日間、神様の答えを捜し出しましょう.' 'ダビデの祈りを回復しましょう.' '衛星で祈る私たちインマヌエルの家族に、神様の祝福があるように願います.'
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日2部礼拝を通じて、ダビデの祈りを整理しました。神様の恵みとさばきを信じます。あらゆる人と私たちにこの祝福が必要です。この恵みをくださったことを感謝申し上げます。ダビデのように、これから祈って勝利するようにさせてください。残った生涯に、一生の祈りの答えを発見する霊的な目を開けてください。それで新しい神様が与えられる力を供給されるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン