2005年1月16日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/ 24時間の祝福
(ルカ12:35〜48)
■ 今、釜山では雪が多く降っているということです。それで釜山インマヌエル教会の聖徒達は、教会に上がるのが大変で、雪を片づけているところだということです。私たちインマヌエルのすべての家族が、今日から新しい恵みを受けてくださることを願います。特に衛星で礼拝する教会に、神様の大きい恵みがあることを願います。私達が礼拝をささげていれば、インターネットで全世界で、一緒に礼拝をささげる方達がいます。今日の本文は、イエス様が最後の時のことをおっしゃられたのです。今日、私たちは重要な契約を捕まえて出発すべきです。年初めになれば、占ってもらう人々が多くいます。特別な事がなくても、今日、自分の運勢がどうだろうかと見るのです。ある人はいたずらで見たり、ある人は本当に重要に考えて見ることもします。それで、ある人はそれで確信を持って仕事をします。未信者の立場でみる時は、少し理解できます。不安だから、この仕事がよくなることか、ならないことか、すると、私はこれからどのようになるのか、不安なのです。ところが、誰かそばで有名な占い師がいるとすれば、行ってみたくなります。私が今、そうでなくても苦しいのに、友人がとても腕がいい人がいると言うと行ってみたくなるでしょう。すると、果してそれが正しいのでしょうか?
今、説教を聞く方の中で、易、シャーマニズムの出身が多くいます。悪霊につかれた人々は、吉凶を占うのですが、悪霊が知っていてあてるようにさせます。ですから、人々がお金を持って行ったり、訪ねて行くのです。ところが、この悪霊は決定的な瞬間にだまします。なぜならば、悪霊を調節するのがサタンなのですが、サタン自体がヨハネ8:44に、だます者だと言われています。
■ 韓国で大きい経済問題を起こした財閥グループの会長は、いつも玄関のそばにある小さい部屋で寝たということです。なぜならば、あなたはそこに寝ていれば、祝福を受けると言われたからです。だから、占い師が言うとおりだけしたのです。ある場合は、大統領に出馬する人達の服のコーディネートも占い師がしたと言われているでしょう。どこかに行く時、どんな服を着れば門が開くという式での話です。元々サタン、悪魔自体が決定的な瞬間にだまします。だから、この人が鉄鋼系統をすれば、あなたはお金を儲けるはずだと言ったのですが、結局、その人は鉄鋼ゆえに崩れたのです。その人が崩れたから、韓国全体に影響が及ぼされました。その後に続いてIMFがきたのです。IMFの理由は他にあれこれあるでしょうが、とにかく人々はそのように愚かに生きていくしかないのです。なぜでしょうか?, 苦しく難しいから、そのように生きていくのです。そのように見る時、私たちには、ものすごく重要な時間です。
■ 私も経験してみました。苦しい時、人々は占いをたくさんするということを私は知らなかったのです。イエスを信じる人々の中にも、吉凶を占う人々が多いのです。占い師を訪ねることは申し訳ないから、イエスを信じる人の中でキリスト教式に占う人々が多いのです。良く言うと、予言の賜物を受けたと言う人々です。ところが、その人々は常に正しいながら、常に違うのです。なぜならば、パウロを見て賜物を受けた人が、あなたがエルサレムに行くようになれば捕えられると言いました。それで行くなと言ったのです。捕えられるということは、正しいのですが、行くなということは間違っているのです。それは神様のみこころに反することでした。パウロはわざわざ行ったのでした。このように、そのような人々は、正しいながら違うのです。私も伝道師の時、勧士一人が食事をするのに、私を招待してくれました。伝道師の時だから、奉仕も一緒にして、食事も一緒にします。
■ ところが、行ってみたら、ちょっと雰囲気が異常でした。私が知らない女の人、一人がいました。それで、勧士が私に紹介してくれました。この方は、私たち韓国で最も有名な予言者の勧士だと言ったのです。ちょっと異常でした。不思議に思ったり、恐ろしくも感じました。ところが、囲んで座っていたのですが、全くためらう事なく一名、一名の頭に手を当てて予言をしたのです。それも全くたどたどしくなくて、一名ずつ全部予言しました。本当に不思議に思いました。だから人々は、そこにすっかりはまってしまっていました。それで集まった勧士、執事が、教会には献金を少ししかしなくて、その人にはお金をたくさん与えたのです。私の順番になったのですが、この人が幸か、不幸か知らないのですが、私の頭に手を当てないで、手をつかみました。それとともに、私に対して予言をしました。それほど気分が悪い予言はしませんでした。まず、空々しい言葉なのか、神様が与えられた賜物なのか知りませんが、主の大きいしもべになると言いました。気分が悪くない話しでした。
■ ところが、その後の話しが問題でした。 2年間、ソウルにいると言いました。私は釜山にいるのに、自信があるように話したのです。そして、米国へ行くと言いました。米国へ行ってくる話までみなしたのです。私はソウルも、米国も行くことができなかったのです。ところが、人というのは不思議です。なにか難しくなれば、もしかしたら米国へ行かねばならないのに、行かなかったから、そうなのではないか? ちょっと苦しみが来たら、ソウルで行くべきなのに釜山にいるからか? ソウルは、皆様ゆえに来たので、来ることもなかったのです。そのように、人の考えを揺さぶったのです。何でもないのに、私はその人をそんなに信じてもいなかったのに、そうでした。だから、悪霊につかれた人が揺さぶりながら話せば、未信者はだまされるしかありません。
■ 一回は、私の同期とタクシーに乗りました。タクシーの運転手が、話しもしなかったのに、バックミラーを見て私たちと目が合ったのです。タクシー運転手が、悪霊につかれた人でした。私達が話しもしなかったのに、まず話したのです。その時も、それほど気分は悪くなかったのは、私には別に気分悪い話をしなかったのです。私には良い話をして、そばに座った同期にはしっかりした考えがないと、良くない話をしました。それで、私の同期は、その話しにはまってしまったのです。しっかりした考えがないという、そのような言葉がみな当たっているのです。この友人は気分が悪くて、運転手とけんかをしようとしました。だから、いまは牧師なのですが、その時は伝道師の時だから、伝道師、おかしな人が話すことなので、それでけんかして良いでしょうかと言って私が止めたのですが、本当に、その人はまだしっかりしていません。このように、何か見る目があったのです。それで人をつかんでしまうようになるのです。いつでも、悪霊につかれた人々は、そのようにして人々を壊すのです。
■ 私たちは占う必要があるのでしょうか? ないでしょうか? これが重要です。ローマ15:4を見ると '昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。' Iコリント10:11 'それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。 ' それで終わりの日を迎える私たちに、教訓として記録されたのです。Uペテロ2:6には 'みせしめとされました.'と言われています。これが、聖人が書いた本と、神様のみことばとの違いです。聖人が書いた文章には習うべきことが多いのですが、聖書は神様が与えられた啓示としてくださったので、ずっと成就するのです。ここで差が出るのです。今日の本文では、イエス様が最後の時のことを、少し言及なさいました。それで、私達が未信者も末世という言葉を使います。末世とはいつでしょうか? 今日は、2005年 1月16日です。それは、イエス様を基準としたのです。それで、私たちは堂々とイエス様が歴史の主人公だと確信します。今日、全世界が2005年1月16日を使うことは共通しています。紀元前、紀元後という言葉を使うのですが、その基準がイエス様がいらっしゃる前、イエス様がいらっしゃった後です。それでイエス様が働きを終えられて、地球の終末が来る日までを末世と言うのです。
■ところが、地球の終末は、あらゆる碩学、宗教人が共通的に話しました。今の言葉で言うと、イエス様が昇天なさって再臨してこられる日まで、その間を末世(終わりの日)と言います。ところが、未信者の用語では、イエス様が働きを終えられて、地球の終末まで、その間が末世です。すると、末世という言葉は何でしょうか? ほとんど終わりになっているということです。その時、話されました。私たちは今、未来も知っていなければならず、信仰生活も上手にやらなければならないのですが、ものすごく重要な本文になります。すると、私たちはどのように信仰生活すれば、正しくすることなのでしょうか? 皆様が哲学者の話を聞いて、私の話を聞けば、参考にはなりますが、今日、私たちは聖書をさがすべきです。皆様が立派な方達の話を聞けば、習うことがあって、参考となるでしょう。また私が何かの話をすれば、皆様が聞いて、すこし参考にはできるでしょう。しかし、私たちの重要なこの人生を参考にしていて良いでしょうか? 神様がみことばで何とおっしゃっていらっしゃるのでしょうか?
■ 最初です。最後の時に起きることは、聖書のどこに記録されているでしょうか? 今日、イエス様は、少しだけ言及なさったのですが、細かく記録された所が何箇所かあります。それがマタイの福音書24章、25章です。そして、Uテモテ3章です。そして、皆様が持って通う聖書の最後にあるヨハネの黙示録が、最後の時に起きることをみな記録しています。すると、私達が当然に終わりの日に起きることが何かを知っているべきです。マタイの福音書24章を見れば、イエス様がまずなさったみことばがあります。 'エルサレム神殿は、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません.' 石が積まれたまま残ることはないということは、みな崩れるということです。すると、どのようになったでしょうか? 今でも崩れたままです。本当に驚くべきことです。今でもエルサレム神殿は崩れていますが、それはAD70年ごろに崩れました。ローマのテトス将軍がローマの旗をさすその瞬間に、エルサレムは崩れて、今まで回復せずにいます。その後にイスラム神殿が入って、その一部に落ち着いています。それを取り戻すために、イスラエルとイスラムが絶えず戦うのです。不思議に思うことです。今でもその壁に行って、イスラエル民族が、一生懸命、祈っているでしょう。イスラエル民族は、福音も知らずに、神殿が何かも知らないで、無条件に民族精神をもって回復させてくださいと言っています。それで、その壁の名前が嘆きの壁です。行ってきた方達の話を聞いてみたら、そこに祈りの課題を紙に書いて、たくさん刺してあるということです。いまだに回復しないままです。
■ イエス様が崩れるだろうと言われました。驚くべきことです。誰がそれを変えることができるでしょうか? 皆様、中世の強大時代の中世教会も、取り戻そうとしても、取り戻すことができませんでした。後ほどは、十字軍の戦争まで起きたではないでしょうか? それでも、取り戻すことができないで、いまだに取り戻すことができていません。不思議に思うことです。聖書にあるみことば、預言されたそのまま、みな成就しました。 それまでにすれば証拠が確かです。ところが、イエス様がこれから起きることをおっしゃられたのです。3,5節を見れば、最後の時に反キリストが起きると言われました。そして、とても重要なことは 7,14節には、あちこちに地震、飢謹、災いがおきるはずだと言われたのです。災いがどんどん起きるようになるはずです。これがいつもあったのですが、最後の時に起きる大きな事です。だから国々が立ち上がって戦う戦争も起きるようになるはずです。聖書通り見るならば、これから大きい戦争があると見なければなりません。聖書には、またあなたがたが、そこにいないことが幸いだと記録されています。神様のみことばは、そのようになっています。私達が信仰生活をよくしなければなりません。地震、災い、飢謹がおきるけれど、大きい戦争がおきるようになるはずです。聖書にそのようになっています。すると、間違いないでしょう。
■ そして、マタイの福音書25章には、教会の姿が出てきました。教会に通っているかのように見えるのですが、五人の乙女は油を用意して、五人の乙女は用意しなかったのです。最後の時、起きることを話したのです。そして、タラントの話しをされました。仕事を多くしなさいということにもなりますが、ある人々は知らなく、全く福音を伝えないで、そのまま地に埋めてしまうのです。そして、最後の時は、教会の中に羊もいて、ヤギもいるのです。皆様は、教会のなかで試みにあう必要がありません。羊もいて、ヤギもいます。これが最後の時に起きることだと、イエス様がおっしゃられました。それとともに、神様がパウロにこういうみことばを下さったのです。Uテモテ3章を見れば '最後の時に、苦しみの時が来るはずだ.'と言われています。どんな苦しみということでしょうか? 人々は物質を愛して、自分を愛して、お金を愛して、そのようなものがずーっと出てきます。正確に、今でもそうではないでしょうか? それとともに、苦しみがどんどん臨むようになるはずです。より怖いことは、ヨハネ黙示録です。ヨハネ黙示録を一言で言えば、霊的にものすごい混乱の時期がくるということです。それで皆様が信仰生活を、みことばをよく見れば、最後の時、ものすごい暗闇の勢力が力のわざを行いながら出てくると言われています。すると、私たちは、みなそちらに流れるしかありません。それで、このみことばの預言を読む者、聞く者、心に留める者は幸いですと言われました。それとともに、不安だけ与えられたのではなく、答えを下さいました。
■ それでUテモテ3:16に 'この救いの恵みを受けた者は、完全な祝福を味わうようになる.'と言われました。それで、これが終わりの日に起きることです。今回も大きい津波が起きたのですが、終わりの時もそのようなことがたくさん起きるはずです。不思議にも偶像崇拝する国にだけ起きます。私は冗談でこういう話しをしました。私は日本に遊びによく行きません。集会を終えて早く帰ってきます。なぜでしょうか?世界で2番目に偶像が多い国です。ところが、デイビッド・ウィルクスをはじめ、多くの碩学が、日本の下に2番目に大きい火山が入っていると言いました。面白い話は、それがいつ爆発するか分からないと言ったのです。一番大きいのは、アラスカの下にあると言いました。それが爆発すれば、国が消えると言いました。そのような話を堂々としたのです。それで、日本に行ってみると、下に火山があるので温泉が多いのだと思いました。人々は、知らずに温泉浴を楽しんでいます。不思議に偶像崇拝した国ごとにそうです。皆様がおわかりの通り、歴史を見れば、ポンペイでそのようなことが起きました。本当に不思議です。今回、起きた国も全部、偶像崇拝する国です。聖書に、このようなことが起きるはずだと言われています。
■ 私達が2番目に重要なことは、必ず重要なことは、逃してはなりません。この時、私たちに何をしなさいと言われたのでしょうか? 聖書で、マタイの福音書には、油を準備しなさいと言われました。あかりだけ持っていず、油を準備しなさい。そして、タラントを福音のために用いなさい。そして、ヤギに備えなさい。それが私達が信仰生活して、必ず記憶しなければならないことです。それとともに、今日の本文には、目を覚ましていなさいと言われています。目を覚ましているべきとは、なんの話でしょうか? 祈っていなさい。難しいこともありません。皆様を見て、ものすごい論文を書きなさいと言われたら、どうするでしょうか? すると、ここの大部分は、脱落です。皆様に五千万円ずつ出しなさいと言われたら、どのようにするでしょうか? 終わりの日に、精神を整えて一億円ずつ持ってこいと言われたら、どのようにするでしょうか? ところが、とても簡単です。私たちに祈って目を覚ましていなさいと言われました。すると、勝利することを約束してくださったのです。すると、黙示録1:3には、この預言のみことばを読んで、聞いて、心に留める者は幸いですと言われています。その時は、皆様のように聖書がなくて、ひとりが読めば、一緒に聞いてアーメンと言いました。それで、読む者、聞く者、心に留める者が幸いなのです。皆様は聖書をそれぞれ皆持っています。私が皆様に約束することができることは、皆様が礼拝だけ正しくささげても、成功します。皆様、聖書を一日に百ページ読んで、二百ページ読まなくても、礼拝だけ正しくささげても成功します。今、衛星で礼拝する教会、あなたがたが、福音を伝える教会ならば、礼拝だけ正しくささげても勝利します。終わりの時、皆様は救われたゆえに、神様の子どもであるために、少しだけ、目を覚まして祈れば勝利できます。そのようなみことばです。
■ それとともに今日、イエス様が最後の時の話を少しされました。私たち聖徒が、三番目に、記憶すべきことは3つの終末があるということです。これを見る知恵がなければなりません。一番目は個人の終末です。人が生きていくのに、どんなに立派な人も個人の終末が来ます。そして、よく見れば、時代、時代ごとに、時代の終末があります。福音が途絶えたら、回復しようとする時代的終末があります。その強大なローマ時代が起きて、終わる時代、終末の話です。これを見る目がなければなりません。米国のような所は、なぜ覚醒しなければならないかというと、米国が今、たくさん起きたのです。福音をのがせば、終末がくるようになります。一時、ヨーロッパがすばらしかったのです。英国がすばらしかったのです。ローマがすばらしかったのです。しかし、福音がなくなって、終末がきました。くることがあるということを知っていなければなりません。そして、今日、イエス様のみことばは、地球の終末です。あると確かにおっしゃられました。それで、私たちは地のことだけ見つめないで、上のことを見つめて生きていくのです。未信者は、地にあることだけ成功だと思っているけれど、私たちにはそれは基本で、他のことがまたあるのです。
■ 今日、すると結論を結びながら、吉凶を占わないで、どのように未来が分かるのでしょうか? その答えをイエス様がくださったのです。目を覚ましていなさい。すると、皆様が皆分かるようになります。目を覚ましていなさいという話は、ある面で警告のみことばでもあります。信仰が弱い者、信仰がない者に目を覚ましていなさいという話は、警告のみことばになります。しかし、祈る人には24時間の祝福のみことばになります。すると、皆分かるようになるのです。今日、ここに誰が出てきたのかというと、婚礼の家の人が出てきました。そして、この家を守るしもべの話が出てきたのです。主人がいつ帰ってくるか分かりません。主人が帰ってくる時、目を覚ましていなさいという話は、しもべとその家の主人とは、もう一つの話です。主人が帰ってくる時、仕事をするしもべと、その家の家族とは別の話です。私たちは、ここでものすごく多くのものを必ず理解しなければなりません。
■ 誤った再臨論です。これからも、そのようなことが出てくることがあります。用心しなければなりません。それで、学校に行く必要がない、結婚もするな、10月28日にイエス様が来られるのに、なぜ結婚をするのか、世の中が終わると教えました。そのようなチームがかなりたくさん出てきたのでした。皆様が、それが何の話なのかと言うでしょうが、皆様と皆様の子どもがその人に会えば、そちらに傾いてしまいます。サタンがすることだと力を見せてくれます。ある正常な牧師が、そちらに傾いてしまいました。来なさいと言われたので、一緒に行ったら 'あなたは、本当に祈ってみたのか'と尋ねたということです。一緒に祈ったら、幻が見えるということです。明らかな字で10月28日と現れたということです。皆様ならば、揺れないでしょうか。祈りの体験がない子ども達は、すぐにそちらに行ってしまうのです。
■ そのような友人が私にもきました。何年か前にタラッパンをすると来たのです。誰かがそっと話してくれたのです。 '先生、あの人は再臨論を言ってる教会の人なのに、私たち教会にきたけれど、先生、用心してください'と話をしました。その人を呼んで話をしたのです。 '10月28日にイエス様がいらっしゃるか'と尋ねたら 'いらっしゃる’ と返事をしました。 '絶対に来ないという保障はありません。しかし、イエス様がいらっしゃるという保障はあるか。聖書には、福音がみな宣べ伝えられてから、来られると言われているのに、今、地球には三分の一も福音が入っていない。いらないことをせず、伝道をしなさい。なぜ、日に気を遣うのか。それは未信者が神経を使うことではないか' と話したのです。相手が分からなかったようなので、こういう話をしてあげました。正常な息子、正常な妻は、外国の夫がいつでも帰ってきても良いのです。しかし、堕落した息子やおかしな女は、帰ってくることが負担になります。それで必ず何時にくるのか、何時の飛行機で来るのか、それを知っていなければなりません。それでこそ、作業ができるのではないでしょうか? しかし、正常な息子は、父がいつ帰ってきても良いのではないでしょうか? 家でいつも隠れて麻薬する奴は、父がいつ帰ってくるか、神経を使うべきではないですか? 伝道をしなさい。と言ったところ、分からないようでした。聖書で一箇所だけをつかんでいるのです。聖書一ケ所があります。アブラハムに '私のしもべに、私の啓示を知らせないか' とその一節だけをつかんでいるのでした。
■ こういう信仰の人がどんどん出てきます。だから、セブンスデイ・アドバンティストがそれで、できたのです。ウィルアム・ミラーという人がいました。勉強が出来なかったのです。教会がしばしばけんかをするから、福音がない教会は長老教だけでなく、しばしばけんかをします。福音がなければ、けんかしかする必要がないのです。この人が、教会を出て祈りをしたのです。この時、サタンが働いて幻を見せたのでした。 'その教会はみなにせ物だから、あなたがこの事実を知らせなさい。わたしが何年何月何日に行く。それであなたは、集まって祈っていなさい'と言われたということです。ニューヨークに住んでいた人だったのですが、仲間が集まったのです。本当に異常です。何年何月何日にくるからといって、その人々が山に行って待ったのです。何もありませんでした。その時、ウィリアム・ミラーがこう話したのです。私が幻の中で見たのに、イエス様がいらっしゃったのですが、途中で上がられました。上がりながら私に言われたみことばがある。 'なぜあなた達は、日曜日に礼拝をささげるのか。安息日を守りなさい'と話われたということです。完全に旧約の悪魔に捕えられたのです。福音がないならば、皆様がいつ、このようなことに会うか分かりません。この人が礼拝を土曜日に安息日を戻したのですが、これがセブンスデイ・アドバンティスト、イエス再臨教会です。社会にどれくらい多くの物議をかもしたのか分かりません。イエス様が最後に行く時、このように言われました。イエス様が、神様があなたといつも共にいらっしゃらないで、どこかに行って、突然に来られるでしょうか?神様が私たちと聖霊でいつも共にいらっしゃるのではないでしょうか? その日は、最後の日だということですが、そのように真っ暗で知らない時、突然に来られるでしょうか? 本当におかしな信仰です。
■ 皆様は、参考にすれば良いのです。あなたがたが、今日、何の契約をつかむべきなのでしょうか?神様は、皆様を24時間祝福なさるために目を覚ましていましょう。これは寝るなという話ではなく、祈りで目を覚ましていなさいということです。
■ 皆様が、手拭いのことをずっと考えていれば、自分の水準のなかで驚くべき知恵が生まれます。それで、成功するのですが、滅びることもあります。自分の水準のなかから出てきたためです。私達が何かを置いてずっと祈れば、神様の水準なかで驚くべき知恵が出てきます。皆様が時間を定めて、定刻で祈れば、驚くべき知恵が生まれます。今日から少しだけしてみるように願います。皆様が少しだけ目を覚まして、契約をつかんで祈り始めれば、皆見えます。もっとやさしいことは、私たちの教会がどのようにしなければならないのか、皆見えるのです。今、タラッパンは何をしなければならないことなのか、皆見えます。皆様がこの契約をつかんで、少しだけ祈ると、このようになるのです。神様は、皆様に24時間祝福なさる神様です。全く難しくありません。少しだけ祈ればよいのです。前に私がそのように話しました。一日に少しの間、三回だけ祈ってみましょう。それが絶対に不可能だと言うかもしれません。ところが、それが絶対に可能にすることができます。むかし、私の息子が、結婚する前に女の人に電話をし続けたのです。それで、電話代が何十万円かかりました。一日に三回電話することは、絶対に不可能でしょうか、絶対に可能でしょうか? 絶対に可能です。この頃、電話してくれないと自分たちの間でけんかをしています。今、三回ずつ電話することが可能でしょうか? 絶対に不可能です。
■ ここに男の人がたくさんいるのですが、奥さんに一日に三回ずつ電話する方がいるならば、手をあげてみてください。申し訳ないのですが、手をあげないでしょう。外に出て、私は職場に着いたから、ご飯をよく食べて、元気でいなさい、昼食の時、電話をして、食事したのか、夕方に電話して、何時に帰るので待っていなさいと言います。これを一日も欠かさずすれば、本当に普通の人ではありません。そうでなければ、まちがいなく、狂っています。そうでなければ、妻を疑う疑妻症の患者です。そうでなければ、本当に愛しているのか。やさしくて、難しくありえることだ. そして、一日にある人に三回電話しようとするなら、全部の神経を使わなければなりません。奥さんには、なぜしないのでしょうか。愛さないのではなく、信じているのです。私達が一日に三回祈るならば、皆様の生活がすっかり神様に向きます。そのように一年だけしてみれば、他の人が見て、皆様を見て驚くはずです。どのように、こういう祝福を受けたのかと言うでしょう。ただ条件は、福音を受けた神様の子どもであるゆえに、少しだけ祈れば働きが起きるのです。それからできれば、特別な祈りとか断食は、後ほど出てくるのです。それで、これをしていれば、答えがきます。
■ 私の場合は、メッセージをしなければならないために、定刻の祈りをすることは、ものすごくやさしいのです。それも答えです。ところが昨日、私があまりに疲れていて、大邱に行かなかったのです。イ・サンベ牧師に、行ってくださいと言って、私は家へ帰りました。家で休んでいたのです。ところが、驚くべき発見をしました。夕方10時まで、定刻の祈りを一度もしなかったのです。自分も知らないうちに10時になったのです。まちがいなく、大邱に行ったとするなら、飛行機のなかで祈って、大邱で列車の内で祈ったのに。このやさしいことを、聖徒がこういう理由でしないのだなと思いました。夜に私が祈ったのです。人は、のがしてしまうのです。たくさんでもありません。
■ 少しだけ祈れば、未来を見る知恵が生まれます。礼拝をささげる時受けたみことばでも、恵みが六日間ずっと成就します。皆様は吉凶を占わなくても、永遠に成功できる神様のみことばがあります。心配する必要がありません。会社でみな拝みに行くのに、私はどのようにしなければならないのかと聞きます。皆様はそのようなことをしなくても、全く良いのです。解放されました。構わないのです。夜に悪夢を見るのはどうなのか? 何も関係ありません。皆様の家に、悪霊が総動員してきても、なんの関係もありません。既にあなたのに権威を与えたと言われました。クリスチャンが、なにかを誤解しているのです。福音を受けたということは、相当なことなのです。死からいのちに移っていますと言われました。世の中の人々が占うことを見ましょう。私たちは運命が変わったのです。罪と死の権勢から、あなたを解放したと言われました。それなら、この契約をつかんで少しだけ祈るならば、皆様は大成するはずです。この契約をつかんで、少しだけ祈るならば、学生達は途方もない知恵が生まれるはずです。このやさしいことを、人々がのがすのです。定刻の祈りでなく、定刻で気落ちしています。定刻の祈りをしないことまでは良いのですが、定刻で心配するのです。少しだけ契約を捕まえれば答えがきます。それで皆様は、神様の子どもであるから、祝福、答えを受けることはやさしいのです。私達が父母関係ならば、息子であるゆえに、親の思いをよく知ることができます。どんなに賢い職員でも、職員は父の思いをよく知らないのですが、息子は理解できます。私達は神の子どもであるために、少しだけ祈って、少しだけ契約を捕まえても、未来がずっと開いていくのです。2005年の一年間、皆様はみことばが成就するはずなので、皆様は契約を捕まえて、六日間答えを受けてくださることを願います。
■ 要約をして終えます。最後の時に起きることを記憶しましょう。2番目です。皆様は油を準備して、目を覚まして祈っていれば、何の問題になる必要がありません。三番目のことは、3つの終末があります。私達が目を覚まして祈りし始めれば、世の中を生かす知恵が生まれます。皆様は神様の子どもであるから、少しだけ 祈れば、大きい答えがきます。しもべは努力を多くしても、すこし受けるだけですが、子どもは少しだけしても、大きいことを与えられます。しもべは熱心に仕事をしても、月給しかもらえないのですが、子どもは少しだけしても財産を与えられます。皆様は救われた神様の子どもであるゆえに、少しだけしても働きが起きます。'先生、私はイエスを信じてから少ししかたっていないのに、祈れば答えられますか'. 当然に答えられます。イエスを受け入れた者は、神様の子どもです。むかしに釜山の執事ひとりが、私にたずねました。 '先生、私は酒を切れませんが、酒を飲んでもかまわないですか。酒を飲んでも神様の子どもになりますか' これから祈って聖霊充満を受ければ、切れるはずなので、それゆえに心配するなと言いました。そうしたら、こういう話は初めて聞いたということでした。他の人はみな酒を切るのに、私は切ることができないと言いました。手も少し震えていました。アルコール中毒になって手も震える人は、よく切ることができません。この人が力を得て、酒を飲んでも伝道して、たくさん連れてきました。全部連れてきたのですが、顔が赤い人を連れてきたのです。おもしろいことは、この人が酒を切ったら、みな切ってしまったのです。本人に申し訳ないけれど、釜山にまた、そのような人がいます。一日に目をあければ焼酎三瓶は飲まなければ、しっかりしないといういう人でした。これが普通の問題でしょうか? この人が、私たちの信徒と車を衝突してけんかして、イエスを受け入れたのです。イエスを信じているか知らずに、けんかをしていて、あなたを見ると酒をたくさん飲むように見えると話したということです。酒を飲もうという意味でした話だと言いました。私はむかしにたくさん飲んだが、切ったと言いました。どのように切ったのかと尋ねて、イエスを信じて、イエスを受け入れて解決したと言ったのです。ところが、この人が今現在、礼拝をささげているけれど、この人がアルコール中毒になった人です。私がこのように話すので、水を飲む、この程度に考えるかもしれないのですが、この人は病気になっていました。顔も見れば、酒飲みのように見える人です。この人が福音を聞いて、イエス様を受け入れたのです。本人は本人で、そばにいた人が驚いたのです。目をあければ、酒を三瓶飲んでやっと仕事が始められる人でした。考えられないほど、変わったのです。霊的な問題が解決したのです。それで洋服を着て、教会にきたのですが、人が変わったのです。私達が少しだけ福音を持って祈れば、働きが起きます。2005年、大きい祝福があることをイエスの御名でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。契約を捕まえて、少しだけ祈っても、私たちに神様が答えを与えられることを感謝申し上げます。私たちに未来の大きい知恵を神様が与えて下さって、世の中を生かすようにしてください。人々が知らなくて、占いと迷信に陥ります。彼らを生かす祝福を与えて下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
2部/ 悩む者の祈り
(詩102:12〜22)
■ 釜山には雪が多く降っているので、午後の核心と学生達の核心が難しいらしいです。それでも、チーム合宿訓練はするとなっています。今、釜山とソウルが席が足りなくて、困っています。釜山にも席がなくて、どのように席をひろげるべきか深刻な心配をしています。1部礼拝の時は、ソウルでもそのような状況です。それで、話を聞いてみたら、初めて来た人で、席がなくて傷ついて帰った方が多いらしいのです。今週に学生集会をしたのですが、4千名ほどを予想したのに、たくさんきました。学生達が恵みを受けるためにたくさんきたのですが、別館まで行って礼拝をささげました。希望があることは、中、高の学生がおとなより礼拝の雰囲気がはるかに良いことです。この子ども達で、メッセージを完全に理解して、信仰生活を正しくする子ども達が多くなりました。席がいっぱいになって入れないと言われたので、ある学生がインターネットで席を自分に売ってくれるなら、お金をいくらでも出すとしました。そして、多くの学生達が、前の席に座るために、食事もせずに取ったということです。どんなに席がなくても、私たちおとなは、学生達よりは信仰が良くなければなりません。学生達のように、座っている人にお金を出しても、座るようになるべきです。
■ 皆様が本当に理解するならば、礼拝する時に五つの事が起きます。使徒2章に、聖霊の力のみわざが、礼拝する時に起きました。この席は、神様を信じない人や、霊的な目が暗い人々には、価値がないことです。しかし、これを知っている人は、火のような、風のようなみわざが起きるのです。今回、波が1分来たのに、何 万名が死にました。風のような、火のようなみわざは、人が防止することができるみわざではないという意味です。こういう事が、礼拝の時に起きたのです。そして、私達が正しく礼拝をすれば、伝道を心配する必要がありません。伝道を心配する人は、多くのことを違うように知っている人です。使徒2:9〜11に、礼拝して、みことばを受けていたのに、伝道の門が開いたのです。皆様が祝福を受けていれば、現場で、職場で、皆様に訪れます。返事だけしてあげても伝道です。そして、使徒2:14〜21を見ると、皆様が今日、少し礼拝したのに、みことばが6日間、成就するのです。知らない人々が、どのように復興させるかと、人間中心主義を使うのですが、福音を正しく持って礼拝をささげるならば、必要ありません。なぜなら、使徒2:41〜42を見ると、礼拝をしている時に弟子が起きたのです。皆様が本当に神様の前に礼拝をささげるこの時間に、神様は主の天使を送ってくださって、現場を変化させられるのです。それが使徒2:46〜47です。使徒2章に、礼拝する時、そのようなことが行われたのです。
■ これで満足していたので、神様が事件を起こされたのです。それ以上の目を開けることができなくて、満足していたので、事件を通じて門をあけられたのが、アンテオケ教会です。それで、六番目に悟ったことが宣教です。聖徒が受ける祝福は、ものすごいのです。ところが、この部分を、宣教が何かを知らないから、神様がまた門をあけられました。パウロという人物を呼んで、文化の働きをされたのです。それが私達が話す共同体です。それで、皆様が礼拝の時間は、この祝福を受ける時間です。それで、知らなければ、しばしば違ったことを話すのです。伝道をどのようにするのか? 弟子をどのようにさせるのか? 教会はどのように復興させるのか? 職場に行けば雰囲気が難しいのに、私はどのようにしなければならないのか? 教会にきて、どのようにしなければならず、祈りはどのようにしなければならないのか? こういう間違った話をしばしばするようになるのです。すると、結果的にどのようになるでしょうか? 礼拝を捧げてもかまわなくて、捧げなくてもかまわないとなるのです。相当な問題が来ます。こういう恵みを受けること、受けないことの差が相当なのです。結果的に、どんな差かというと、福音を正しく知る、知らないという差です。ある日、悩みの日がくるのです。
■ 今日その現場です。この悩みの日に、どのように祈らなければならないのでしょうか? 私達が神様なくてもよく生きていて、祈りもせずに裕福に暮らしているのです。ところが、ある日、悩みの日がやってきたのです。救われた民にもこういう日が来ます。なにか知らなく難しくて、人々の前に話せない悩みの日が、私にもくるのです。今日の前半部を読まなかったのですが、前半部はダビデの話です。信仰が良いダビデにも、こういう悩みの日がきたのでした。ダビデが告白した中で、自分の最高の悩みの日がどんな日なのか知っているでしょうか? 息子に追い出された時です。この時を、ダビデは一番苦しみだと告白しました。神様の民に困難がきたのですが、今日の本文の後半部は、バビロンに捕虜となった話です。こういう悩みの日がやってきたのです。皆様がもしかしたら、そのような状況の中にいる場合もあるでしょう。私はなぜこうなのかという、そのような悩みの日の中にいる場合もあります。私はとても難しい。これから、私はどのようにしなければならないのか? 大きい問題に会った時は、どのようにしなければならないのか? これから、問題がくれば、どのようにしなければならないのか?
■ 今日の本文の中で、いくつかのことを記憶しなければなりません。どのようにすれば良いのでしょうか? 13,14節を見たら、シオンをあわれんでくださる神様の内に入っていかなければなりません。私達の人生に、悩みの日が来たり、本当に難しい時は、シオンをあわれんでくださる神様の内に入っていかなければなりません。16節にも見れば、シオンの栄光のためにと言われています。 21節にも、主の御名をシオンで、その栄誉をエルサレムでと言っています。この恵みの内に入っていかなければなりません。皆様が本当に困難に会っていますか? この恵みの内に入っていかなければなりません。皆様、本当に祈りの答えを受けたいでしょうか? いろいろな話しを聞かず、この恵みの内に入っていかなければなりません。シオンをあわれんでくださるという時、シオンとは何でしょうか? イスラエルの一地域の名前ですが、聖書には、そのような象徴で話していません。主の力、証拠、主権の内のことです。簡単に話せば、救われた神様の子どもです。神様は確かに生きておられ、私は救われた神様の子どもです。この正しい救いの奥義の内に入っていくことです。
■ 私が話す聖書をよく聞いてみるように願います。聖書で一番重要な部分を話しましょう。創世記3章の事件で、人間はサタンの誘惑に陥りました。その時から、皆様の罪と関係なく、呪いが臨んだのです。それを原罪と言います。それで、神様が解決策を下さったのです。それで、聖書の中で一番重要な箇所が創世記3:15です。この契約を悟ったアブラハムの家系に、驚くべき働きが起きたのです。聖書の核です。この中に入っていったということです。イスラエルはすぐまた悩みの日がきたのです。いつなのか皆様はよく知っているはずです。皆様、刑務所に一年いたら、どのようになるでしょう? 刑務所に一ケ月程度いれば、どのようになるでしょう? 皆様が捕虜になって、400年間いたということです。こういう日がきたのです。神様の恵みの内に入っていかなければならないのに、この時、神様がおっしゃられました。犠牲のいけにえを捧げなさいと言われたのです。羊の血を塗りなさいと言われました。この事実を民族に知らせなさい。それが、出エジプト3:18です。私たちは、見過ごしやすい聖書です。とても重要です。皆様が持っている本当に困難なことに、本物の祈りの答えを受けたいならば、この恵みの内に入っていかなければなりません。
■ 皆様、なんの話を聞いても嘘です。道はひとつしかありません。神様の恵みです。この時、神様がどのように言われたのでしょうか? イスラエル民族に、また悩みの日が来ました。今日の本文です。捕虜になったのです。70年間です。皆様、私たち韓国が日本に36年間、捕虜になっていました。どれくらいたくさん変わったのか分かりません。私は日本に行かなくても、日本語をたくさん知っていました。私の母が、ほとんど日本語を使うのです。弁当、たまねぎ、風呂敷等、日本語を使うのです。私は幼い時から聞いて知っていました。そのように影響が大きいのです。70年間、バビロンに捕虜となったのです。この時、神様が大きい回復の恵みの内に入っていくように命令なさったのです。 '見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。' イザヤ7:14です。この話は、なんの話でしょうか? 皆様がどんなに苦闘しても、神様に会うことはできません。それで、神様はいないと話す人が、より良心的な人かもしれません。神様はいるのかと話す人が、より精神が正しい人なのかもしれません。神様に会う道がないのです。ある人は、神様を信じないで、自分のこぶしを信じます。その人がより現実的に見たと言えるでしょう。会う道がないのです。むしろ、山で祈るうちに神様に会ったと話す人が、精神がおかしな人かもしれません。
■ それなら、人生はこのように滅びるのでしょうか? ある日、悩みの日が来るのです。それで道を開けられたのです。神様が私たちを愛して、道を開けてくださったのです。女の子孫がへびの頭をふみくだくと言われたのです。羊の血を塗る日、解放されたのです。処女から生まれた救い主を信じる日、インマヌエルの祝福が臨むのです。この内に入っていくのです。私は福音を悟って見たら、私の問題が全部、解決していました。私と私の家は問題だらけでした。私は神様をよく信じことができる人格もありません。私は着実に神様をよく信じる、そのような人でもありません。ある人は、人格が高尚で、とても高翔するように 生きていますが、私はそれもできません。ある人は性格が良くて、耐えることもありますが、私は性格が悪くて、真の祈りもできません。家内がよく知っています。私に常に性格が強いと言います。私はそのような考えを一度もしたことがなかったのに、私の家内はそのように考えています。私はとても良い人間だと思っています。私は事実なることがありませんでした。ある日、ひとつ知るようになったのです。この福音がなくて、そうなるのだな。私達が教会は通うけれど、実際に、この福音を知らないのだな。そのひとつを悟ったのに、ある日、見たらみな変わっていたのです。苦しみを受けたことが、全部、祝福にみな変わっていたのです。福音を悟ったら、苦しんでいたことが、全部、祝福に変わったのです。
■ 私たちの学生達に今回、話しました。私が4歳の時でした。私の家の前にモチを売っていました。その時も、日本語で「もち」と言っていました。母にもちを買ってちょうだいと言ったら、待ちなさいと言われました。その言葉を聞いて少し後、外で天と地が響いたのでした。全部、私の村はむかしは板子の家でした。ガソリンタンクが爆発して、火が覆ってしまったのです。母がお金をくれて、買いに行っていたら、死んでいたでしょうが、外で道にいた人々はみな死んだのでした。一瞬に火の海に変わったのですが、その時、私の年齢は4才でした。歴史的に大韓民国で2番目に大きい火事でした。それで火の中から、私の母と這いだしたのです。私は知らなかったのですが、私の母の話しでは、3時間、這っていたそうです。ところが、ガスを吸わなかったことも奇跡です。出てきて、私の母が泣いたので、人々が慰めたのです。私の頭がみな焼けてしまっていました。髪の毛はみな焼けたのに、顔は焼けなかったことが奇跡です。政府で米軍の部隊の過ちですから、手助けすると、私たちを山に連れて行ったのでした。私達100世帯程が上がったのです。なんの過ちもなかったのですが、100世帯が火災に会って、山にあがったのでした。そちらで信仰がなかった私の父は気に障って、お金もみな焼いてしまい、病気になって、私が6年の時に亡くなったのでした。補償を待っていたのが、15年でした。後ほど伝わってきたのは、死んだ人を除いては、補償してあげることができないということでした。そちらに私が住んだのでした。だから、父が早く亡くなったのです。どれくらい苦労したか分かりません。ところが、福音を悟りながら、全部、変わったのです。私は火の中で3時間を這っていたゆえに、いかなる困難も通過できます。皆様は軍隊に行って遊撃訓練を受けるのですが、私は4才の時に受けたのでした。そして15年間、登山をしました。一日に何度かずつしたのです。家が山だったからです。15年ずっと上がったのです。どれくらい健康か分かりません。山に行ってイナゴ、カエルを焼いて食べました。それが解かってみたら、最高の栄養食でした。私の父が亡くなったのです。突然に私の家は難しくなったのです。私たちは福音がなくて、そのようなのを知らずに、常に苦労したのでした。だから、それが全部、ひっくり返って神様の祝福になったのです。
■ 私はお金を借りて返さない人々を見れば、理解ができません。カードをたくさん使って、人を難しくさせる人々を見れば、本当に理解ができないのです。なければ、どうするのでしょうか? 食べなければ良いのです。それで、飢え死にしたら、どうするのでしょうか? 死ねば良いのです。神様が生きておられるのに、恐ろしいことがあるでしょうか? 私の母が心配をしたのです。心配するなと言いました。私はお腹が空いていないから、心配しないでと言いました。ご飯を食べないのに、どうして、お腹が空いていないでしょうか? 前後左右何も水、菓子も見ませんでした。なぜなら、見ても買って食べるお金がないからです。そのまま行ったのです。このように何年か苦労したので、身長が標準になったのです。胃が小さくなったのです。それで、私はとても標準です。大きい人を見たら、苦労をものすごくしています。チャン長老のように、よく育って大きい人々は、たくさん食べなければなりません。管理費がものすごくかかるはずです。私は少しだけ食べても大丈夫なのです。管理費が少なく済むので、便利です。今回も病院に行って調べたら、なんの問題もありませんでした。マレーシアに行った時に、マイクロバスが山に上がっていくのでした。全部、苦労するのに、私だけ楽に行くことができました。なぜなら、私はマイクロがちょうど合うのでした。例えば身長が大きい人が行ったとするなら、かがんで行かなければなりません。大きければ、どれくらい苦労するでしょうか? ある人は頭がぶつかるから、天井の上が開いてありました。車がガタガタして、頭をぶつけたりしました。私は身長がちょうど合っていたので、とても楽でした。私はやはり、インターナショナル・スタンダードなのです。過ぎた日に苦労したことが、全部、祝福なのです。この福音を悟ったら、全部、伝道の方法でした。福音を悟ったら、全部、福音の門になったのです。
■ 今、どれくらい良い教会でしょうか? むかし、副教役者だった時、福音がないけんかを教会に通っていたのですが、それを見ながらも、福音を悟ったら、みな悟ったのです。神様の恵みの内に入っていかなければなりません。またローマの植民地になりました。その時、尋ねられたのです。あなたは、わたしを誰だと言いますか? 人々がわたしを誰だと言いますか? '主は生ける神の御子キリストです' 特別な話しではないようです。この話を悪魔はどれくらい嫌っているか分かりません。キリストを話すなと言います。パリサイ人達が、怒りながら、イエス・キリストの名前で話すなと言うのです。使徒16章に、悪霊につかれた人を見るように願います。私たちに近づくなと言います。私を困らせるなと言うのです。使徒13章を見ましょう。なぜ私たちを困らせるのですか? イエス・キリストの名前は、彼らには怖い名前です。私たち救われた人には、ものすごい名前です。シオンの神様がシオンをあわれんでくださいます。皆様、この祝福の内に入っていくことを願います。皆様、悩みの時間、日がきた時、神様の祝福の内に入っていくことを願います。2番目です。
■ 今日、ダビデはこれと同じ困難の中で勝利しました。それを今、記録したのです。この事実を捕まえることを願います。神様の恵みの中に入っていって、契約の事実を捕まえることを願います。ダビデがこういう表現をしました。どれくらい苦しかったでしょう。私の骨は炉のように燃えていますと言いました。炉とは何でしょうか? 辞書をさがしても出てきませんでした。私が幼い時に見れば、炉がありました。真夏に見たら、真っ黒になっていました。そのことを話しているようです。食べることさえ忘れたと言っています。4節にそうなっています。5節に皮が骨についたと言われています。荒野のペリカンのようだと言いました。ペリカンは、なにかとさがしたら、韓国にはいなくて、バビロンのような所で見れば、廃虚となった所に住む鳥だということです。廃墟のふくろうのようになったと言いました。とても暗い夜に、屋根の上にいるひとりぼっちの鳥のようになったと言いました。ダビデが、そのように告白をしました。私の敵は一日中私をそしり、私をあざける者は私を名ざして毒づきますと言いました。ダビデはこのような時に、この契約を捕まえたのです。獅子の手からも私を救われた神様、ゴリヤテの手からも私を救われた主、サウル王の長い間の危機の中から救われた主の前で、この契約を捕まえて勝ったのです。今日、詩102篇前半の話は、ダビデの話です。
■ では私達が三番目に考えてみるべきことがあります。バビロン捕囚のように、完全に死ぬようになった時、どのようにしたでしょうか。この時、イザヤが握った契約を、皆様 堅く握らねばなりません。皆様が本当に答えを受けてみたいでしょうか。神様の恵みの内に入っていきましょう。ダビデが握った神様の契約の事実を捕まえましょう。そして、バビロンに捕虜になった時に起きた回復の契約があります。それだけ捕まえれば良いのです。イザヤにこのようにおっしゃられました。みな滅ぼされても、切り株は残っている。信仰の人は、残っているのです。レムナントは残るのです。彼らに正しい福音を言いなさい。イザヤ7:14節。その時から、正しいみことばを説明しなさい。主を待ち望む者は、新しい力を得ます。それで、何と言われたでしょうか。わたしがが新しい事を行なう。荒野に水が流れるような新しい事を行なう。海の中に道ができる、新しい事を行なう。起きよ。光を放ちなさい。国々の民のために旗を揚げなさい。この契約を握ったのです。皆様、本当に祈りの答えを受けてみたかったり、皆様の問題を克服したりしようとするなら、この契約を握りましょう。エゼキエルに何と言われたでしょうか。 'エゼキエルよ。この骨たちは、生きることができるか' 皆様、完全に滅びてしまったのに、生きることができるでしょうか。完全に死んで、骨がみな散らばっているのに、生きることができるでしょうか。本当にエゼキエルが返事を良くしたのです。 '主よ。主がご存知です.' すると、みことばを宣布しなさい。そして、息を吹き込みなさい。軍隊になります。そして、47章を見れば、エゼキエルを連れて行かれました。講壇から出てくる水が、流れる所ごとに生かすのでした。川から海に入っていくから、魚がみな生かされました。悟るようにさせられたのです。いのちのみことばが入っていく所ごとに、みな生かされたのでした。ダニエルにくださいました。エステルにくださいました。このように、契約を捕まえた人何名かを通じて、みな生かされたのです。皆様、もしかしたら、空虚な中にいるではないでしょうか。なんの話もせず、神様の恵みの内に入っていきましょう。ダビデとこの人達に与えられた貴重な契約を捕まえましょう。それを捕まえて祈れば、答えられます。
■ 最後の4番目に記憶せねばならないことがあります。この本文の貴重な意味は何でしょうか。皆様がこの 問題に会う前に入っていきましょう。イスラエル民族が、こういう苦しみに会う必要がなかったのに、知らなかったからです。この問題に会う前に、私たちは契約の内に入っていましょう。そのような、より大きい意味を持っているのです。皆様、悩みの日がきた時、今日の詩篇にあるとおり、シオンの恵みの内に入っていくことを希望します。ダビデのように、捕虜から帰ってきた人々のように、契約を握るように願います。それより重要なことが何でしょうか。皆様、今、普段にこの契約の内に入っていくべきなのです。普段に、この契約の内に入っていけば、すべての問題が解決するようになっています。この祝福を皆様が受けることを願います。
■ ある方に会いました。証しをしたのです。私が福音を伝えようとしたら、まず私に証しをされました。学校の先生です。自分はイエスを信じる人が、一番嫌いだったということです。自分の力で生きて、自分が努力すれば良いので、なぜイエスを信じるのかと思っていたそうです。不思議に自分は教会に拒否反応が生じたということでした。熱心に勉強しました。模範学生だったのです。熱心に勉強して、この人が良い教師になりました。学校のなかでも、熱心に勉強しました。そのようなある日でした。うがいをするのに、吐き気がして、異常だと思ったのです。病院に行って、検査をしたら、癌でした。肝臓ガンになっていました。この人が学校を放棄して、休息して、病院で治療をしました。驚くことを体験したということです。病院に横になっていて、自分は初めてラジオのキリスト教放送を開いたのです。その時、ある人が説教をしたのですが、その説教でこのように話したということです。 'あなたは、もしかしたら、病気の中にいるのではないでしょうか。あまりにも難しい中で、苦しみの中にいるではないでしょうか.' こういう言葉が出てきたということです。それで、自分がその話を捕まえたということです。その日、メッセージを聞いて、イエス様を受け入れたのです。そして、不可能だけれど、医者の助けで手術をしました。それとともに、この人が早く癒されて、みわざが起きたのです。いまは完全に癒されて、また復職をしたのでした。完全に信者になって、神様の恵みがとても感謝だと言いました。それとともに、今は、証しをしながら、時間を過ごしていました。私はその方に、こういう話をしました。私はあなたより、もっと大きい恵みを受けました。私はなんの病気にもならなかったし、なんの問題もありませんでした。ところが、神様が恵みで私に救いの福音を悟るようにされたのです。私はこれを悟って、今まで受けた答えが、話すことができないくらいです。私が自慢したり、話せば肉体的なことのようで、恥ずかしくてできないのですが、とても多くの答えを神様がくださいました。キリストのなかでは、全てのものが回復するために、できないことがありません。皆様、失望していず、私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。始めればよいのです。人々は、知らずに苦しんでこそ、その時から恵みが受けられると言います。ある面では良い信仰ではありません。幸運な信仰であって、良い信仰ではないのです。皆様が聖霊充満をなぜ受けなければならないのかを知っているでしょうか。皆様が聖霊充満を、いつも受けてこそ、病気にも勝つことができて、みな勝つことができるのです。それで聖書は、いたずらに祈りなさいと言われているのでしょうか。皆様が祝福を受ける最高の道です。神様の恵みの福音の内に入っていって、ダビデとその契約を捕まえれば、私たちは今から、あらかじめ恵みを受けて、全てのものにみな勝つことができるのです。
■ 私はたくさん見ました。そのような人々を本当に多く見たのです。信仰生活をするのに、良くすればよいのですが、することもなくて、しないことでもなく、このようにする人々が多いのです。その娘さんに少し前に飛行機で会いました。私がいた教会に、そのお父さんが信仰生活することもなくて、しないこともなくて、そのようにしていました。皆様、救われた神様の民は、霊的な戦いをしなくて、不十分にするならば、必ず問題がきます。なぜそのようにやられてしまうのでしょうか。以前にも話したでしょう。この方が2階に住んでいたのですが、ある日、階段を上がる途中で倒れたのです。病気を早く発見することも恵みです。まったく異常がなかったのです。とても運動を良くしていたのですが、病院で検査をしてみたら、腎臓が既に問題がきていました。それでからだの毒が抜けなくて、ものすごく苦労するのです。それから、その時になって、この人が生きようという意欲が生じたのです。どれくらい切実に捕まえたか分かりません。しかし、それより良い信仰は、そうではありません。私たちはいつ恵みを受けるべきでしょうか。今です。どれくらい感謝でしょうか。問題がきても、皆様が死ななくて生きているのに、今から挑戦すれば、みなできるのです。この人が私が何度か訪ねたのですが、行くたびに力がなくなっていくのでした。行くたびに、生きようとする意欲がなくなるのでした。これでだめだということを知ったのでして。どれくらい遅いでしょうか。私がせつないことは、その時になっても、その人に正確な福音を話してあげることができなかったのです。祈ればよくなるというのですが、祈ればどこが良くなるのでしょうか。皆様、この年を始めながら、私たちは詩篇102篇を見ながら、ダビデを考えて、ハビロン時代を考えています。福音を悟って恵みの内に入っていくと、このような悩みの日を、皆様の子孫は迎えないでしょう。私達が今、福音を悟って、恵みの内に入っていけば、ハビロン捕虜ようなことは、ないでしょう。イスラエルが福音を悟って、宣教を悟れば、あのエジプトやアッシリヤやハビロンに行く必要がなかったということです。いらない苦しみにたびたび会うのです。私たちは、この契約の内で、本当に神様の答えを受けねばならないのです。
■ いくつかだけでも良いのです。私たちの学生達もそうですが、祈りを難しく考えるのですが、祈りは全く難しくありません。今回、学生達に話しました。対話で祈りをしましょう。皆様、対話祈り、これは常時祈りです。一番良い祈りが、私の中心を持って祈ることです。敢えてひざまずいてする必要もありません。皆様、心から祈ると、全部、答えられてきます。神様が本当におられるのでしょうか。それなら、私も神様を知りたい。私も祈りの答えを受けたい。むかしに、私がこの考えをしたのです。ところが、この答えがきました。心の底から, '神様、私が今通っている所が、でたらめです。むかしに子ども達を伝道しながら、これがでたらめです。私も自信がありません。神様、私が本物の福音の力を知るようにさせてください.' こういう、ぶつぶつつぶやく祈りをしたのに、福音を悟ったのです。どれくらい感謝しているでしょうか。皆様、祈りは、山に行って木の根を抜くことも祈りですが、そのまま祈りましょう。飛行機に乗って見おろすと、どれくらい建物が多いでしょうか。私がはじめにソウルに行って '神様、このように家も多くて、建物も多いです。ところが、釜山で私たちは教会堂もなくて、家もなくて、本当にこれも奇跡です.' と言いました。神様は、また与えて下さったのです。通いながら見て、建物見て祈ります。確かに神様の計画があるのですが、今、全世界のレムナントが集まっています。今、全世界の指導者が集まって起きています。昨年、今年は、より倍に働きが起きています。神様がどこかは備えておいてくださっているでしょう。こういう祈りを、行きながら常時します。皆様、そのように祈ってもかまわないのです。そして、とても重要なことは、礼拝の時です。礼拝の時、皆様がみことばを受ける時、祈って礼拝の時、恵みをくださいと祈ればよいのです。そのようにするだけでも良いのです。そして、これから皆様が6日間、すこしの時間を使って祈ることが定刻の祈りです。特別な事が起こった時、断食や徹夜、こういうことは特別の祈りです。このようにだけ祈ってもかまわないのです。ヴィジョンを捕まえて、継続祈りをすれば、そのヴィジョンが事実になります。神様、私達が本当にこのように神様に仕えますと祈れば、それが事実になります。皆様が全部、ヴィジョンを抱いて、夢を抱くことを願います。それがあれば、あなたがたの病気もなくなります。何のヴィジョンもなく生きていけば、人には病気も生じます。それを置いて、祈れば近づいてきます。既に私たちは福音のなかで、ヴィジョンが与えられたゆえに、それを置いてずっと祈るのです。不思議なことが、どんどん起きます。一千万弟子、どんどん迫ってくるのです。今年、あなたがたが本当に、神様の貴重な祝福を受けることを希望します。
■ 今年は、私たち学生達に、私がこれ(祈りの手帳)をしました。私たちレムナントには、祈りの手帳を持って活用しなさいと言いました。もうすこし参考にして作らなければなりません。祈りの手帳を持って五つのことができるべきです。1番目に、一日に一度、学生達が黙想できなければなりません。黙想する資料がなければならないのです。そして、一人でフォーラムができなければなりません。そのような資料がなければならないのです。そして、とても重要な定刻の祈りをこの時、手帳を持ってするのです。それから、これはよくできています。ここには、タラッパンの歴史、レムナント、あらゆる世界の歴史が記録されます。私個人の歴史が記録されるのです。それが4番目です。そして、レムナントは必ず文章を書きましょう。文章を書くことができる欄を作ってやらなければなりません。私たち学生達が恵みを受ければ、随筆も書いて、詩心がある人は作って、作詞もして、そのようにしましょう。後の日にものすごい作品を残しなさい。すると、私たちレムナントは、正しく成長するようになります。牧師たちも、おとなも活用しましょう。私のような場合は、ここにみな書きます。この中に書くのと、書かないのは、後ほど差が出ます。何まで書くかというと、1月15日土曜日大邱核心はイ・サンベ牧師を送った。 1月16日はチョン・ジヌがきて、ヨーロッパに行ってきたと挨拶をした。対話内容を書いてあります。今日、イ・ギオ教授の退任祝賀の集いをした。江原大学の教授夫婦がきた。電話番号も書いています。ウ・スヨン長老とチョ・ジテがきて、レムナント祝祭に関する話をした。2部礼拝以後には、軍の使役者の集いがある。カードできたこともみな記録しています。カン・ユンギュン、チェ・ユンジン、松田牧師からカードがきた。これをこのようにしておかなければ、過ぎてしまったら、みな忘れてしまいます。すると、 ここにメッセージも含まれて、全てのものがみな含まれます。ここで黙想することを含むのです。私たち学生達がこのようにしてこそ、大きい人物になるのです。それでこそ、世界を支配できます。青少年の今回のタイトルがファーストクラスメンバーだ.(first class member) 神様が与えられた祝福がどれくらい大きいか、知らないので、だまされるのです。それで悩みの日がきたら、この内に入っていきましょう。より重要なことは、悩みの日がくる前に、この内に入っていきましょう。最後のことは、より重要です。神様のヴィジョンの中に入っていきましょう。常時祈りを知って、ヴィジョンの中に入っていきましょう。あの公務員は、神様、この公務員の中に私が福音を持って入っていくことができるように、その契約の内に入っていきましょう。軍にいる方達は、全軍が福音化されるほど、その契約の内に入っていきましょう。入っていかなければなりません。私たち役員、在職者は、祈ることを望みます。私たちは誇示しようとするのではありません。途方もなく、レムナントが来て苦労しています。私達が今、5千名が集まって集会しようとするのですが、大韓民国にはそのような建物がありません。あの体育館の場合は、音が響いて集会になりません。なぜかというと、そのような人数が集まらないからです。それで毎年、学生達を集めて、死ぬほど苦労するのです。それで私は、今日、言いました。土曜日に牧師達を集めて言いました。これ以上、先送りすることはできません。学生達が少なくとも5千名が集会して、泊まることができねばならないのではないか。仕方がないならば、私たちの教会が建てなさい。このようにして、私たちの学生達が信仰生活できるように支援しなければならないのです。今、米国から集まっています。あの日本から来つつあります。ヨーロッパから来つつあるのです。正しい学生達が、今、伝道訓練を受けようとくるのです。ものすごく苦労しています。ところが、必要ない苦労はする必要がありません。私達が祈りの答えを受ける時がきました。それで、私たちは自慢しようというのではありません。一時代の民族と国家のために、正しい福音運動して行きましょう。こういうヴィジョンの中に入っていきましょう。入っていって祈るのです。こうしてこそ、できるのです。悩みの日がきた時、入っていかねばならないのですが、悩みの日がくる前に入っていくべきです。それで、あなたがたが新しい祈りの希望を捕まえて出発することを望みます。どんな場合も、ダビデはまた、今、ハビロンで祈る人々は気落ちしませんでした。それで、子ども達と両親が一緒に祈りの手帳を使いましょう。勉強しなさい、と言っておいて自分はテレビを見るのです。すると、子ども達が勉強できるでしょうか。勉強をしなさいと言っておいて、自分たちはそばにきて毎日、食べて騒いで遊ぶのです。するとだめです。勉強しろと言うならば、テレビも消して、聖書も一緒に見るべきで、子ども達だけにしろと言わずに一緒にしましょう。皆様の人生も記録して、メッセージを本当に悟ったことを記録して、祈りの課題も記録しましょう。すると、1年が過ぎれば、多くの答えがきたことを知るようになります。私たちの長老達、役員は、大きい祝福の内で挑戦するように望みます。一度しかない皆様の生涯を未練なく、本当に後悔なく挑戦するように願います。こういう祝福が私たちのあらゆる 役員に臨むようになることをイエスの名前でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。六日間、現場で答えを味わうようにさせてください。これから見張り人のように祈りの内に入っていくようにさせてください。それで全てのものを変える神様のみわざが起きるようにしてください。聖霊充満で、神様の力で現場を生かすようにさせてください。悩みの中にいる方達に新しい力を与えて下さい。病んだ人がいるでしょうか。イエスの御名で聖霊充満の祝福を味わうようにさせてください。がっかりした者がいるでしょうか。立ち上がることができるように、神様が働いてください。挑戦する信仰を与えて下さい。新しい神様のヴィジョンの中に入っていくようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
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