2005年1月23日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/ 地に火を投げ込むために来た
(ルカ12:49〜53)
 
■ ルカ福音24章を見れば、逃げていく弟子たちがみことばを聞いた時、心が燃えたとされています。そして、使徒2章を見れば、マルコのタラッパンに聖霊の火が臨んだと言われています。今日、皆様が礼拝をささげながら、重要な時間を持つことができます。この単語を理解すれば良いのです。わたしは地に火を投げ込むために来たのです。私はある日、こういうことを考えたことがあります。教会がほとんど福音運動を出来ずにいる。それで、当然に問題が来るしかない。それで、クリスチャンは失敗せざるを得ないのだな。それで、これをどのようにすれば良いだろうかと考えてみたのです。そのひとつで、引続き答えがきたのでした。今日、皆様が祈りの答えを受けるために、必ず記憶しなければなりません。火を投げ込みにきたということは、何の話でしょうか? イエス様が火を投げ込みにきたと言われました。この火がつけば良いのです。どんな火のことを言うのでしょうか? ルカ福音 24章にもそうで、イエス様がいらっしゃったこと自体が救いです。
 
■ 最初、私たちにみことばで火がつかなければなりません。この火を付けようと来られたのです。なぜ火を投げ込むと言われるのでしょうか? 私達が、なにか正しく仕事ができれば、火がついたと言います。商売が全くできなかった家で、燃えていると話すでしょう? 商売がよくなれば、あの家は燃えていると話します。熱心に走る人を見て、あの人は燃えて走っていると言います。実際に火災が起こったのではなく、そのような意味の火です。これゆえに、イエス様がいらっしゃったと言われました。すると、ものすごく重要です。また、聖書には、こういうみことばもあります。悪魔のしわざを滅ぼすためにいらっしゃったのです。また、世の中を救うためにいらっしゃいました。すると、そのような重要な事件がおきたのに、私たちに重要でなければなりません。私たちは、この部分にどのように答えを受けるべきでしょうか? 救いを下さる神様が、この救いのみことばを伝えようといらっしゃったのですが、この火が燃えればならば良いということです。簡単に話せば、皆様の中にみことばの重要な部分が胸の中に入るべきです。その時から、答えは始まります。
 
■ 小学校の時まではかまわないのです。中学生くらいになって、盗みがおもしろいという心になると、まちがいなく、泥棒になります。その心が入ったら、ずっと働きを起こすのです。中には、習慣的に嘘をつく人々が多くいます。人に害を与える嘘をつく人が多いのです。こういうものも、私たちの胸の中に入れば、ずっとわざが起きるのです。ものすごく重要です。皆様の中にみことばが入れば、その時からみわざが起きます。聖書をよく見ると、このような意味のことを見ることができます。神様がまずみことばを下さってからでないと、何にも行なわれません。それで、いつでもみことばが宣べ伝えられた後に、その次にみわざが起きました。聖書に七千個の事件が預言されているのですが、みな成就しました。
 
■ 例えばアブラハムを見れば、そうです。あなたに息子を与える。そのみことばが入らなかったのです。そのみことばが入れば良いのに、入らなかったのです。どのように、おばあさんが子どもを産むことができるだろうか? それで事実上、アブラハムの胸の中には、他のことが入っていったのです。おいのロトを育てなければならない。それが問題になりました。私が他の女を通じて子どもを生むべきだ。その当時、そのような制度があったので、制度自体には問題がなかったのですが、アブラハムの胸の中には、他のことが入っていたのです。それで生まれたのが、イシュマエルです。皆様がおわかりの通り、イシュマエルは、アラブ、イスラム圏の先祖です。今でも問題がずっと起きています。
 
■ 皆様の中にみことばが入っていくようになれば、そのみことばによってみわざが起き始めます。必ず記憶しなければなりません。私の中に神様のみことばが入りさえすれば、私が話をする時、仕事をする時、祈る時、働きます。もし説教者に神様のみことばが臨むならば、その説教者がみことばを伝える時、神様の力が現れるのです。この部分がものすごく重要です。仮りに説教者に違ったことが臨むなら、違うようにわざが起きるはずです。皆様、こういう部分がとても重要です。あなたがたが、祈りの答えを受けるために必ず記憶しなければならないのです。神様のみことばが、私の中にある時、その時から、そのみことばに力がおきるようになるのです。神様の計画が私の中に入れば、その時からは証拠がずっと現れます。聖霊は目に見えないように働かれています。皆様がその部分を認めて祈れば、力が現れるようになるのです。クリスチャンがこのことをのがしているのです。
 
■ みことばは、どうなのか、皆様が既に知っているでしょう。創世記 1章を見れば、みことばで天地を創造なさったと言われました。その時に行われた神様は、今でも行っていらっしゃるのです。本当に皆様の心の中に神様のみことばが入っていけば、力が現れ始めます。この部分をのがせば、みなのがしてしまうのです。創世記3:15 のみことばが、アダムとエバの中に入っていったのです。あなった達が犯罪した。滅びるようになった。しかし、女の子孫がへびの頭を踏み砕く。このみことばが入ったのです。その時から、救いは働き始めたのでした。女の子孫が生まれるはずだ。そのみことばがだれに臨んだのでしょうか? マリアに臨みました。あなたは、まもなくみごもるはずだ。どうして、そのようなことがありえるのでしょうか? 聖霊があなたに臨むとそのようにするはずだ。
 
■ その時、マリアがこう話しました。神様のみことば通りなされますように。その時、みわざが起き始めたのです。聖書を一度よくご覧になるよう望みます。ヨハネ1:14に、みことばが肉体となって来たと言われています。すると、ヨハネ1:1を見れば、みことばは、神様です。みことばが肉を着たという話は、イエス様がこの地へいらっしゃったということです。この事実を単純に知るのではなく、死んでいくことを生かすことができるように火を投げ込みに来られたのです。この祝福を創世記3章に見れば、サタンに奪われてしまったのです。このことをキリストが、また取り戻されたのでした。それで、神様の息子が現れられたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためです。皆様、必ず記憶しなければなりません。神様のみことばが心に入らなければならないのです。
 
■ ある教会の伝道師だった時のことですが、役員会がありました。想像通り、役員会をするならば、ほとんどみな逃げます。礼拝をみなささげたから、家に帰るのに忙しいのです。ある人は忙しい事があって、ある人は忙しい事がなくても、特に考えなく家に帰ります。役員会をするから、私が参加すべきだ。私が祈るべきだということは、役員会ということが心に入っていることです。普通、心によく入っていません。ところが、新しい信者ひとりが、とても優秀な事業家だったのです。役員会をすると広告を出したら、この方は役員でもないのに参加しました。自分は役員でないから、申し訳なさそうに後ろの席に座りました。私は今まで信仰生活をしながら、そのようなことを初めて見たのです。
 
■ その次の聖日に私を訪ねてきました。伝道師、私が失礼なのかもしれません。私は教会に初めてきたのに、とても良いと話しました。私は役員でないのに、役員会に参加しました。それとともに、先週に出された役員会の報告書の紙を持ってきました。予算が全体でいくらだ。先月には献金がいくら出てきた。ところが、教育費は全体の3%にならない。すると、教育が難しくないだろうか? 私は、そのような人を初めて見ました。皆様、紙を見ても、普通に見るでしょう? 私もそうです。この人は分析をみなしたのです。私も何%なのか知らなかったのです。それで、私たちの教育機関は、いつも弱くてむずかしいと話したのです。その方が話すのには、大きい失礼にならないならば、教育のために献金をちょっとしても良いですかと尋ねました。それで、絶対に失礼ではないから、ずっとしてもかまわないと話したのです。ところが、私が話しているのは、それを言おうというのではありません。どうして、大部分の役員が紙も見ないのに、この人はこのようにまでしたのでしょうか? 大部分の役員が背を向けてしまうのに、新しい信者が%まで計算してみるのでしょうか? 私が後ほど分かりました。この方は相当に優秀な企業家でした。だから、この人はお金を儲けるのです。それが、心にあるということです。
 
■ 神様のみことばは、単なるみことばではありません。天地を神様のみことばで創造されました。先生、私は信じようとしても信じられない。とても正常な話です。私はどんなに信じようと苦闘しても、信仰が生じない。とても正常です。その人がどうして正常でしょうか? その人が、みことばをずっと聞く時、みことばがその人に働かなければならないのです。そのようなことであって、自分の感情で信じるということではありません。皆様、今日、大きい祝福が臨まれることを願います。祈りの答えを受けた人々を一度見ましょう。単なることではありません。苦しみも問題も、いろいろなことも問題ですが、ある日、ヨセフの胸の中にみことばが臨んだのです。どれくらい正確な神様のみことばが自分に臨んだかが重要です。だから、ヨセフがそのみことばを捕まえたのです。その時から、祈りが答えられ始めたのです。皆様、何を捕まえるかが重要です。今日、私たち礼拝するすべてのインマヌエルの家族、全世界のメンバー、神様のみことばをよくご覧になるように望みます。
 
■ ヨセフの兄達の中には、全部、間違いではないけれど、重要なことが入っていなかったのです。単に普通の人々、皆様と似たことが入っていったのです。なぜ父はヨセフだけを愛すのか? なぜヨセフは良い服を着ているのか? ヨセフはなぜ優秀なふりをして、父に告げ口をするのか? そのようなことだけが入っていたのです。ところが問題は、なにが入っていなければならないのでしょうか? あなたの家庭を呼んだのは、これゆえに呼んだ。創世記3章、6章の問題で死んでいく人を救うことができるように、あなたの家庭を呼んだ。これは作った契約でもなくて、間違いない契約です。これがヨセフの心に入っていったのです。その時から、祈れば力が起きるようになるのです。その時から、話せば働きが起きるようになるのです。その時から、仕事をすれば答えがおきるのです。これが重要です。
 
■ 皆様、私たちは信仰生活を間違うこともあります。イエス様が、どれくらいせつなければ、火を投げ込むために来たと言われたのでしょうか。この火が燃えているならば、どれくらい良いだろうかということです。あなたがたが、イエス様が来られた理由に対して、火を投げ込みに来たということです。それで、伝道運動が出来ない多くの方達が伝道を知らないのではありません。福音を知らないのではありません。神学校に行って一週間だけ勉強すれば、福音を悟ることができます。タラッパンにきて、一週間だけ集会、合宿に参加すれば、福音を悟ります。それが問題ではないのです。それでは、祈りの答えが来ません。この福音が本当にその人の胸の中に、心の中に、たましいの中に入っていかなければならないのです。この時からは、じっとしていても働きが起きます。だから、これがとても重要なのです。神様のみことばが、正確に話せば、私のたましいの中に臨んだということです。その時から、説教すれば、神様の力が現れるのです。その時、祈れば、神様の力が現れるのです。これが、聖書全体の話です。それで聖書の所々に '主がおおせられた.'と言われているのです。皆様、こういう部分が本当に理解できなければなりません。
 
■ ある日突然に生じたことではありません。みことばが臨んだのです。モーセ、イスラエル民族を連れて行きなさい。犠牲のいけにえをささげなさい。ところが、モーセの胸の中で八十年間、悩んだものが表れたのです。犠牲のいけにえをささげなさい。ですから、血のささげ物のことです。救い、福音が入ってきたのです。その時から、モーセにはみわざが始まったのです。みことばは神様です。みことばが肉となって来られました。それなら、神様のみことばだけを正確につかめば、働きは起き始めるのです。他のことが入っているので、しばしば問題がくるのです。だから、胸の中に入らなければならないのに、とんでもないことがしばしば入っているので、問題が生じるのです。皆様、この部分がとても重要です。普通のことではありません。この尊敬する指導者サムエルがきて話しました。
 
■ ダビデに王になるはずだという話だけをしたのではありません。とても重要な話をしました。ダビデが祈りの答えを受けるしかない話をして行ったのです。皆様、聖書のIサムエル3章を見れば、サムエルが契約の箱のそばで寝たということがあります。皆様、契約の箱は、イスラエルがエジプトから出て勝利する、とても象徴的なことが入っているものです。その契約の箱をペリシテに奪われたのですが、大きい騷ぎが起こりました。その契約の箱は、サムエルとダビデが話した時もまだ、アビナダブの家にそのままあったのでした。それで、ダビデの胸の中に入ったのです。契約の箱。この契約の箱を置く神殿を建てるべきだ。ダビデが契約の箱を移す時に踊りました。今日、神様のみことばが皆様に正確に臨まれれば、働きが起き始めます。
 
■ それなら、私の問題は、問題になることができるでしょうか? 私の失敗が失敗になることができるでしょうか? それなら、私の弱さが弱さになることができるでしょうか? できません。私はそれを体験したのです。このみことば、福音を正しく伝えなければなりません。すこし高慢な話しのように聞こえるでしょうが、ほとんど福音を違うように知っていることを私は知ったのです。すこし誤解した人もいますが、この福音をほとんど正確に伝達することがなかったことを知るようになったのです。それで、それが胸に入ったのに、その時からいままで答えが来ました。本当に驚くべきことです。努力をどれくらいしたでしょうか? できませんでした。私の人格は、努力をよくする人格には、申し訳ないのですが、なれません。義をどれくらい行なったでしょうか? 率直な話で、私はたくさん出来ませんでした。義をするより、悪を行ったほうがより多いかもしれません。ところが、神様がずっと働かれたのです。そのためではありません。重要なことが入ったのです。本当に、神様のみことばが、皆様に正確に臨めば、その時から働きが起きます。
 
■ 年を取っていてもでしょうか? 八十才の老人モーセに働かれました。年をとったエリヤが、これ以上出来ないと滅びたのです。神様、私は滅びました。希望がありません。死だけが残っています。みな逃げていません。みな死んでしまいました。あの悪いアハブ王が、みなつかまえて殺したのです。いよいよ私を殺そうと、今、逮捕命令が下されました。だから、その人の手で死ぬ前に、神様が私を呼んで行ってください。エリヤの祈りです。ところが、エリヤの中に、なにかが正しく入っていなかったのです。その時、神様が主の天使を送って、エリヤに力を与えられました。ホレブ山へ行くようにされました。そこで神様のみことばが臨んだのでした。地震の中にもなくて、風の中にもなくて、火の中にもない、静かな中にみことばが臨みました。簡単に話せば、心配するなということです。王は変わります。それが問題ではありません。七千人の弟子を残している。そして、エリシャを探しなさい。神様のみことばが臨んだのです。U列王記19章を見れば、みことばが細い声で臨んだとされています。その話を聞いて、エリヤが何かの運動をしたのでもなくて、何かしたこともなく、そのままそのみことばを受けたのですが、その時から、働きが起き始めたのです。
 
■ 神様がみことばで天地を創造なさいました。すると、水準がその水準なのですが、それで働きが起き始めたのです。皆様、今でも全く同じです。皆様がみことばを正しく受けて捕まえれば、その時から働きが起き始めるのです。それで、私達が説教をしばしば聞いて、聖書を見る理由は、みことばを正確に捕まえるためです。ところが、このみことばをほとんどみな一般教会が、律法で捕まえているのです。パリサイ人がそうでした。中世教会がそうでした。近代教会がそうでした。今、現代教会もそうではないでしょうか? イエス様は、それを投げ込みに来られたのではありません。死んでいく者を生かすことができる救いの秘密、この火を投げ込みに来られたのです。驚くべきことに、一名ももれなく、この契約を捕まえる人には、みわざが起きました。それなら、皆様にも、それなら私にも、全く同じことです。このみことばを捕まえた人で、働きが起きなかった人は一名もいません。福音がなくなったのです。
 
■ ローマ1:17を見ましょう。 '義人は信仰によって生きる.' 16節に見ると、このような言葉があります。'私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。' それとともに '義人は信仰によって生きる.' これがマルティン・ルターの中に入ったのです。その時からみわざが起きたのですが、どのように起きたのでしょうか? 中世教会に勝つほどのみわざが起きたのです。皆様、今日、この祝福を必ず受けるように願います。パウロが、わたしがあなたを異邦人のために呼んだと言われたのです。皆様ならば、そのように話すでしょうか? モーセには、あなたを通じてイスラエル民族を救い出す。はっきりと入ったのです。皆様、山に行って祈っていたら、山に突然に火がついたのです。ところが、この火が消えません。不思議です。だからと言って燃え広がることもありません。何でこういうおかしな火があるのか? ところが、中から、モーセ、と呼ばれたのです。皆様ならば、何と言うでしょうか? そこで、皆様の名前を呼ばれたら、どのようにするでしょうか? あなたが立っている所は、聖なる所であるから、足の履き物を脱ぎなさい。それとともに、メッセージを与えられたのです。それが打ち込まれたのでした。その時から、みわざが起きたのでした。
 
■ 皆様、道を行くのに、突然に光が照らして、おかしな事が起きました。そこで、パウロが倒れたのです。その時、神様がサウロ、サウロと呼ばれました。どこから聞こえるのかも分かりません。主よあなたは誰ですか? わたしは、あなたが迫害しているイエスだ。そして、わたしはあなたを証人として立てた。アナニヤに会いなさい。これは、永遠に忘れることはありえなく、打ち込まれてしまったのです。その時から、みわざが起きました。すると、皆様が山に行って火を見るべきでしょうか、突然倒れるべきでしょうか? そのようにだけなれば良いのに、それが簡単なことではありません。それで簡単なことがあるのです。伝12:11に、神様のみことばがよく打ち込まれた釘のように打ち込まれれば良いのです。イザヤ 22章を見ると、このみことばが皆様に打ち込まれれば、あらゆる栄光がその上にかかるのです。それが今日、ここに来た理由です。これが、福音を持った者が礼拝する理由です。それで、皆様が礼拝時間に、こういうことを悟るならば、途方もない祝福を受けるのです。
 
■ これを知らない人は、礼拝堂で礼拜を行なうことの意味がありません。意味がなければかまわないのですが、その中に違ったことが入っていくために、問題がくるのです。ある人は、礼拝堂にきて、新聞を見る人が います。来ないのではないのです。ある人は礼拝をささげるのですが、ある面で週報も邪魔になります。礼拝を正しくささげて、契約を捕まえれば、その日からみわざが起き始めます。百人隊長を見ましょう。あなたのしもべを直してあげよう。わたしが今日、あなたの家に行こう。いいえ。みことばだけください。命令だけください。私も軍人です。私の部下に命令を下すならば終わりです。私に命令だけ下してください。イエス様が、わたしはあなたほどの信仰をイスラエルで見たことがない。あなたの信仰の通りになるように。その時、召使いが癒されたのです。
 
■ この火を投げ込むために来られたのです。その話は、みな消えてしまったから、これから、火を付けようと来られたということです。重要です。皆様、毎日毎日、礼拝をささげる時に、また、あることがある時、そこにメッセージがあるのです。すると、それは、全部、働きに変わります。これがずっと答えを受ける秘密です。皆様がのがさないように願います。そうでなければ、あなたがたが礼拝を毎週ささげるために、この礼拝の意味がなくなります。何をしようと、皆様が時間、経済、心をみな捧げて、むなしい事をするのでしょうか? ここに私たちのレムナントがいます。皆様が信仰生活で、みことばを受ける方法を知っていなければなりません。皆様が社会に行けば、困難がくることもあります。難しいな。このように、がっかりしてしまえば、みことばをのがしたのです。こういう状況もあるんだな。このような時、聖書には何となっているのか? 極限の困難がきた。このような時、聖書には、どのようになっているのか? この契約を捕まえる瞬間に、その時からみわざが始まります。皆様に重要な日になることを希望します。
 
■ 火を投げ込むためにきた。何の火でしょうか? 2番目です。聖霊の火を投げ込みに来られました。この火を投げ込みに来られたから、これだけ捕まえれば生かされるのです。ヨエル2:28に、終わりの日に、男女のしもべに水を注ぐように、注ぐと言われました。使徒1:8には、力を受けるようになると言われています。皆様、聖霊のこの火を受ければ、力を受けるようになるはずです。使徒2章を見ると、この火が臨むので、驚くべきみわざが起きるようになりました。聖霊充満とは何でしょうか? 前回にも話しました。聖霊充満は、どうなのでしょうか? そのまま、皆様が信仰で受けて認めることです。これは何でしょうか? これは花です。この花を美しく飾りました。あの偶像の神殿にも、こういうものがあるのですが、神様の神殿に、こういう花が飾られています。これを知っている人には、神様の祝福があるのです。そのように認めればよいのです。信じる者に、聖霊のみわざがくるようになっています。力が現れます。今日、皆様の中に主の聖霊が臨むように祈るならば、あらゆる病気が解決するはずです。今日、皆様の家に、皆様の事業の場に、聖霊の働きが起きるように祈るならば、神様の証拠が起き始めるはずです。
 
■ この火を投げ込みに来られました。みことばを正しく受ければ、みわざが始まります。その契約を捕まえて、聖霊充満を受ければ、神様の力が現れるようになります。このことをのがしてはならないということです。イエス様がせつなくて、この火を投げ込みに来られました。使徒2章を見ると、聖霊充満を捕まえたのに、力が現れたのです。現場に神様のみわざが始まりました。じっとしているのに、伝道の門が開いたのです。そして、弟子もどんどん起きました。現場に行ってみると、現場が変わりました。この契約を本当に受けてくださることを願います。皆様が、どのように、このみことばを理解しているか知りませんが、よく理解すれば、すぐに答えを受けるしかありません。何でもそうです。神様のみことばと神様の計画が、皆様の中に正しく入っていけば、その時からみわざが始まるのです。これから、どんなことがおきるのでしょうか? 神様のみことばを正しく捕まえて、契約を正しく祈れば、みわざがすぐに始まります。それで、私たちの長老たちや、主のしもべや、多くの方達が、この部分だけ捕まえれば、あなたがたは、あらゆる面で答えをみな受けるようになっています。私たちは、ひょっとしたら、錯覚したり、誤解したりします。私は、今はそうではないのですが、ソウル・インマヌエル教会に6ケ月間、来る時に神様に祈りをしました。ここを行き来する理由を知るようにさせてください。もちろん、理由は理解しています。そこに対するメッセージを与えて下さいと祈りました。私が6ケ月祈る中に、確かに答えが来ました。皆様、信仰生活は、ものすごく重要です。それで、私たちはある感情を持とうとするのではありません。
 
■ 初めて私たちは35坪の地下から始まったのですが、事実、35坪もありませんでした。30坪くらいだったと思います。そこで始めたのですが、どれくらい狭苦しかったでしょうか? それで、私達がテントを張ったり、 食堂を借りたり、前の建物があれば、建物を借りたり、バスにスイッチをさして、そこに一緒に座って礼拜を行なうこともありました。私達は、そのようにしてきたのです。
 
■ そうなる前にも、周囲にすこしの家がありました。ちょうど前にも、200坪の土地を買ったのでした。私は、そちらで神殿を建築することを反対しました。私のスタイルは、信徒に‘しなさい。するな' というスタイルでなかったために、静かに見守っていたのです。祈りながら、神様のみこころを簡単に悟ることができたためです。そちらではだめだったのです。それは神様のみこころではありませんでした。私たちは、単なる教会ではありません。訓練をしなければならなくて、合宿をして、全世界のレムナントが来るはずだということを確信したのです。その時は来なかったのですが、私は来ることを確信していたのでした。こういう学生達が、起きることを確信していました。それで、訓練させることができる教会。私の野望を行なうことでなく、訓練させることができる教会。何かをしてみるということではなく、本当に神様の計画がある教会。それを捕まえて祈ったゆえに、しなかったのです。神様が、まずここに送られました。私はここに対する答も持っています。私の考えでなく、神様の計画がそうです。釜山で始まった福音運動が、釜山の地で正しく伝道運動するようにすることです。そのみことばと契約が確かに私にあります。
 
■ 皆様の信仰生活にあっても同じです。どんなにだめな条件のように見ても、なるみわざが起きるようになるはずです。私たちには力がありません。それで、神様は約束なさったのです。 '聖霊であなたがたとともにいます.' それなら、その契約だけ捕まえれば、力は現れます。私たちは、全く出来ない条件です。神様が聖霊であなたがたと共にいると言われました。それなら、この契約だけ捕まえれば、働きは起きます。このように、信仰生活は、簡単でありながらも、驚くべき方法があるのです。今日、私たち全世界の家族、インマヌエルの家族が、一人ももれずに、この契約を捕まえることを希望します。
 
■ 答えがくるはずです。この火を投げ込みに来られました。救われることができる、滅びから救う、救いのみことばの火を投げ込みに来られました。私と皆様は力がないために、私たちに聖霊の力で働かれる聖霊の火を投げ込みに来られたのです。この契約を本当に捕まえるならば、働きは始まるはずです。この祝福を本当に受ける時間になるように願いします。本当に私にあるならば、働きが起きるようになっています。この聖霊充満は、感情ではありません。この聖霊充満は、私たちの肉体に臨むこともありません。そのまま事実的な信仰で働くことです。このように見えるハンカチのように、目に見えることがありません。それで、皆様が見えないから、体験しないことが正常です。神様のみことばを見ながら、そのまま悟れば、働きが起きます。
 
■ 'あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。’ それとともに、天国が備えられているので心配しないでと言われ、本論を話されました。'わたしはあなたがたをそのまま置いておきません。助け主聖霊をあなたがたに送ります。この助け主聖霊は、永遠に共におられます。あなたがたの中に、あなたがたと共に、永遠におられるのです' そして、最後には '聖霊充満があなたがたに臨みます。すると、力が臨むはずです.' どの程度受けるのでしょうか。 '地の果てまで証人となる程、受けるはずだ.' この契約をマルコのタラッパンで握ったのです。それで、実際に起きました。皆様にこの契約があれば、どんなことがあるのでしょうか? この契約を捕まえるならば、力が現れます。足のきかない者が立ち上がりました。サマリヤの病人が癒されました。使徒5章に、奇跡がおきました。こういうことがおきるのです。こういう祝福が皆様のものになることを願います。
 
■ 三番目です。何の火を投げ込みに来られたのでしょうか? この証拠、伝道の火を投げ込みに来られました。 皆様、この祝福が宣べ伝えられる時、働きが起きます。私にみことばが臨んだ、それなら、このみことばが宣べ伝えられる時、力が現れるのです。なぜなら、神様のみことばが私に含まれているために、私が神様のみことばを伝える時、神様の力が伝えられるのです。それで、この火を投げ込みに来られたのです。私たちと共におられる神様の働きを宣べ伝える火を投げ込みに来られたということです。必ず記憶しましょう。救われたあなたがたには、マタイ10:1に、はじめから 'わたしはあなたがたに力を与えます'と告げられました。ルカ9章には力を与えたと言われました。ルカ10章には、一般信者に力を与えられたとされています。ですから 'へびとさそりを踏んで、敵のあらゆる力を制御する力を与えた' これが宣べ伝えられる時、働きが起こるのです。
 
■ 伝道は、単なる伝道を話すのではありません。単純な伝道ではないのです。これから、この奥義が宣べ伝えられる時に起きる働きは、途方もなく大きいのです。'金銀は、私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名前で起きて歩きなさい.' 宣べ伝えられる時に、この時に神様のみわざが起きるのです。皆様は、これから恐れる必要がありません。いくつかのことだけ見ればよいのです。私に臨まれた神様のみことばと、そして明らかな神様の計画だけ探せば、働きが起きます。その時からは、行動だけすれば良いのです。今日、皆様が悩まなければならないならば、悩むことは別にあるのです。皆様に問題がきたとすれば、間違いない神様の計画があります。これを捕まえれば、その時からみわざが始まります。そして、皆様に与えられた神様のみことばがあります。このメッセージを捕まえる、その時から働きが起きます。そのように見るならば、簡単です。他の見方をすれば、方法でないために、とてもやさしいのです。使徒13章にも、神様のみことばが宣べ伝えられる時、働きが起きたと言われています。使徒16章にも、単純な伝道ではなく、この神様のみことばと力が宣べ伝えられる時、みわざが起きました。この火を投げ込むために来られたのです。使徒19章にも、このみことばが宣べ伝えられる時、働きが起きました。
 
■ 皆様がどんなに大きい祝福を受けても、静かに持っていてはならないのです。聖書には、そのような記録があります。モーセが、イスラエル民族に入っていきなさいと言った、その時に、働きが起きました。イスラエル民族が入っていく時、働きが起きたのです。私は以前に、この話が分かりませんでした。 '祈って求めたことは受けたと信じなさい' 私は不思議にその話しが信じられませんでした。受けるだろうと信じなさいではなく、受けたと信じなさいと言われました。受けていないのに、何を信じるというのでしょうか。分かるでしょうか? さっき、ここでアーメンと言ったのですが、分かるでしょうか。私はマルコ11:24 がむかしには分からなかったのです。 '祈って求めたことは、受けたと信じなさい。そうすれば、あなたがたにそのままなるだろう' 理解ができませんでした。むしろ 'これから、受けると信じなさい' というならば分かりますが、受けたと信じなさいと言われました。私はある日、この話がなんの話か分かったのです。既に神様の計画とみことばが、私に臨んだのです。それを捕まえて祈れば、受けたと信じなさいと言われたのです。ところが、前の話をのがしたのです。私がむかしには、みことばも臨まなかったし、計画も発見できない状態で、無条件に重苦しいと言いながら、祈ったのでしたが、どのように、祈りの答えが受けられるでしょう。
 
■ 私が困難にあった時、聖書箇所一つを捕まえました。それがエレミヤ33:3です。 'わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。' どんなことでしょうか。回復する働きです。しかし、それを私は分からなかったのです。多くの人々は、祈れば答えを受けているようなのに、私は祈りの答えの確信もありませんでした。どのように祈れば答えられるのでしょうか。それなら、全てのものをみな祈れば、答えが来るのでしょうか。そのような部分では、私にピンと来なかったのです。あらゆる病人が、祈れば病気が良くなるでしょうか。それなら、皆様が長生きするようになり、頭が痛い事が起こるので、どのようになるでしょうか。皆様が病気になって、祈って、ずっと癒されれば、500歳、600歳ずつ生きても良いのでしょうか。そうこうしたあと私は前のみことばを見たのです。 'エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていたとき..' より重要なことは '再びエレミヤに次のような主のことばがあった。' これが鍵です。それとともに2節には '地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。' それとともに、わたしを呼べと言われました。その時に理解できるようになったのです。
 
■ 私達が今日、みことばを確かに捕まえた。確かにということは、ぎゅっと握ったということでもあるのですが、正確に捕まえたということです。神様の計画を捕まえたのです。それなら、祈れば受けたと信じなさいということです。聖書を細かく見ましょう。それなら、全く同じ答えがくるようになっています。皆様の悩みが何でしょうか。すると、この原理を適用すればよいのです。聖書の事件だけ見ても、理解できるのです。イスラエル民族が奴隷になりました。のがしてしまった神様のみことばを回復したのです。そして、神様の計画を発見しました。すると、その時から起きる紅海のような奇跡は、当然の神様の働きです。皆様に、この働きが始まることを願います。私たちは、福音を持った者です。私たちは、無条件に復興させて、教会を建てようということではありません。神様のみことばが、どのように臨んだのでしょうか。すると、神様の計画は何でしょうか。私たちは、この計画を捕まえて、祈り始めるのです。それなら、まちがいなく祈りの答えになるはずです。今日、皆様は、この祝福を必ず受けるようになることを願います。
 
■ 今日、ここにはおかしなみことばも出てきました。 'わたしは、あなたがたを分裂させるためにときた’ こういう話しが出てきました。 そして '父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります' これは、何の話でしょうか。これは、そのような意味ではありません。夫婦が暮らしていて、片方が福音を悟るようになるならば、お互いよく合わないようになるはずです。少しの間です。少しの間は、合わないでしょう。それを覚悟しなさいということです。合わないほかないでしょう。息子と父が共に仕事をしている時に、息子が福音を悟ったなら、その時からは、当然に父とは合わないでしょう。すると別れろということでしょうか? その話ではなく、理解しなさいということです。しかし、少ししたら、この火が燃えるようになるはずです。そのような意味を含んだ言葉です。マタイの福音書には、剣を与えるためにきたと言われました。その話は、戦えということではありません。当分は、そのようなことがおきるようになるはずだから、準備しなさいということです。皆様の家に福音が入れば、家にあった暗闇と少し葛藤があるのです。それで、そのようなことを恐れる必要はないということです。このみことばの契約を捕まえれば、火が臨むようになれば、皆様のすべての問題が解決するはずです。
 
■ この火はものすごいエネルギーになります。風のような、火のようなみわざが臨んだと言われました。誰も防止できません。皆様に、風のような、火のようなみわざが起きるのに、誰が防止することができるでしょうか。今日、皆様がこの契約を捕まえて、祈りの答えを受けてくださることを願います。礼拝する時ごとに、あらゆる仕事に、なにが臨まなければならないのでしょうか。メッセージを捕まえなければなりません。正確に、その時から働きが起きるでしょう。皆様が一生を生きていく間にも、神様のみことばが、皆様の中に入ってこそ、その時から働きが起きるのです。すると、どんな問題も解決する答えがおきるようになるはずです。それで、神様の計画を悟れば、その時からみわざが始まります。そして、聖霊の火を投げ込みに来られたのです。なぜそうなのでしょうか。私と皆様には、力がありません。私達がこの建物を買おうとした時、事実、私が皆様をだましたことが一つあります。契約しておいて、皆様に話しました。この話が出てくれば、いろいろな話しを言う教会の体質を知っているために、そうしたのです。そのようになれば、誤って噂されて、買えないこともあるためでした。まず、話で主人と口頭契約をしておいて、この土地は、皆、私たちのものだという心を持って、信徒にこれを買ってはどうかと相談をしたのです。幸いに、信徒が買おうと言いました。その時、会計に財政がいくらあるのかと尋ねました。その時、マイナス三十万円があると言われました。プラス(+) 三十億にならなければならないのに、マイナス三十万円でした。いつも足りなかったのです。生活して、仕事も多いからでした。ところが、私たちには、どんな結果が起きたでしょうか。これだけではありません。私たちの執事と長老たちが、静かに周囲の土地をみな買いました。
 
■ たぶん売らないでいる人は、神様のみこころを拒む人でしょう。脅迫するのではなく、困難を受ける前に早く売るのが良いでしょう。私ならば、そのまま出すはずです。子孫代々で生かされる道です。そのまま持っていけと言うはずです。 'この教会は、知ってみると、ものすごい福音運動、子孫運動をしているのだな。持っていきなさい' と言うはずです。なぜなら、間違いない神様の計画があるからです。それで証人になれと言われたのです。力がない私達が、どのようにするのでしょうか。それで、約束なさいました。 'あなたがたの力でするのではなく、聖霊充満で共にする.' それが約束です。その約束だけ捕まえれば、働きが起きます。だめなことのように見えても、みななるようになっています。私が福音を悟った時、なんにもありませんでした。家も教会もありませんでした。ところが、世界福音化は神様のみこころであることを悟ったのです。それも誰もが言う話ですが、本当に福音運動をする神様の計画を知ったのです。その時から、少しずつ祈り始めたのです。どんな力でしたのでしょうか。それは全く私の力ではなく、今まで全世界で働きが起きるように答えてくださいました。その力の奥義が何でしょうか。聖霊充満です。
 
■ 'only聖霊があなたがたの上に臨まれると、あなたがたは、力を受けます。地の果てまで証人になります' この火を投げ込みに来られたのです。ですから、私たちは無条件に信じるのではなく、正確な神様の契約と計画を捕まえて行くのです。このような時、答えられるのですが、それが聖霊の働きです。理由は、全世界を生かすことができる証拠で、火を投げ込むためです。私たち教会が正しい伝道に火を付けるならば、神様は働かれるはずです。間違いありません。このように大声を出すこともありません。正しくすることを願います。信じない人がいるかと思って、興奮して、このように大きく話すのであって正確です。声を大きく怒鳴って、信じようとして信じられるのではなく、事実そのまま必ず握れば、なるようになっています。それで、私達が絶対に教団、教会を誇示しようとするのではありません。正しい福音をこのレムナントに伝えましょう。昨年 2004年を整理したのに、ほとんどみな倍に復興しました。
 
■ 先週には、重要な全国と世界のメンバーが集まったのに、その時、すこし強い話をしました。全部、更新しなさいと言いました。神様のものすごい働きが起きるので、更新しなさい。そして全部、更新してこそ、この祝福を正しく味わうことができるのです。突然に、昨年に倍に働きました。これから、更新をしなければなりません。私たちの青少年集会は、昨年にしても2千名を越える程度だったのに、今回は4千名を越えてきました。それが集まることだけで話すのではなく、神様の計画を見ようということです。それを捕まえれば、神様の働きが起きるようになっています。 "先生、私は力がないのに、どのようにするのでしょうか?" 'only聖霊があなたがたの上に臨まれると、あなたがたがたは、力を受けます。地の果てまで証人になります' それで、3つの火を投げ込むために来られたのです。この救いのみことばの火を投げ込みに来られました。私と皆様が力がないために、聖霊の火を投げ込むためにイエス様がいらっしゃったのです。よく食べて生きようということではなく、全世界を生かす伝道の火を投げ込むために来られました。この契約だけ本当に捕まえれば始まります。たぶん、皆様が証ししなくては耐えられない事が起きるはずです。私たちのレムナントにずっと働きが起きるはずです。それで、私達がすることではなく、みことばがそのように働かれるはずです。なぜそうなのでしょうか。みことばは、神様だからです。なぜそうなのでしょうか。聖霊は神様だからです。そのような方が、私の中におられるので、働きが起きるしかないのです。それで証しを私がするのではなく、内にいらっしゃる聖霊が証しされるのです。すると、問題になる必要がありません。
 
■ 今日、皆様がこの契約を握ってくださることを願います。私が見る時には、イエス様のなさったみことばがみな重要ですが、特にこの部分はとても重要です。今日、皆様が祈りの答えを受ける奥義になります。すると、よく知らなくても、皆様の中にみことばが入るなら、働きが起きるのです。それで、反対に考えてみましょう。みことばをよく悟ろうとしなければなりません。それで、神様の計画が入ったとするなら、働きは起きるのです。最後には、違ったことが入らないように、祈らなければなりません。皆様と共におられる主が皆様の事業、家庭をみな守ってくださるのです。この答えが全世界の弟子達にあることを、イエス様のお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私が地に火を投げ込みにきたのです。聖霊があなたがたの上に臨まれると、力を受けて、地の果てまで証人になるとおっしゃった主の約束を今日、捕まえます。みことばが私たちの中に臨むようにしてください。また、このみことばを捕まえて祈るようにさせてください。私たちには出来ませんが、聖霊の力で出来るように働いてください。全世界の証人になる程、神様が答えてくださることを信じます。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部/ 救われた者の秘密の祝福
(詩103:1〜22)
 
■ 徳平で時々、一ケ月に一度ずつ伝道合宿をします。私が行ったのですが、ある人が私をなんの話しもしなくて2分間、見つめるのです。目も動かさなくて、私を見つめるのです。それから、どこかに歩いて行きました。おかしな人がきたのかと考えました。それで、担当する人に尋ねたのです。おかしな人が、話しもせずに見つめて行ったと話しました。そうしたところ、知っている人で、おかしい人ではないということでした。あまりに衝撃を受けたので、そうだということでした。何の衝撃を受けたのでしょうか? 先生の93年度か、94年度のテープを聞いて、キャンプに行ったということでした。あまりにも驚くべき事が現場で起きたということです。どのように、93年度のメッセージをされたのでしょうか? 私たちは知らなかったということです。今、私達が見て、あまりに衝撃を受けたということです。その人が、不思議に思って、先生を見つめたようだということでした。それで、皆様は後ほど見つめず、今、悟るように願います。私が6年前にレムナントという単語を使った時、理解することができなかったのですが、今ではわかります。その理由は、私がすることではなくて、私達が福音を伝える教会に間違いないならば、そのようになるのです。私達が福音を伝える団体に間違いないならば、神様はそのように働かれます。
 
■ 皆様が一般信者宣教とは、なんの話なのか、もう一度、理解しなければなりません。私がハン・ドンフン長老の導きで、ドイツに行ってみました。マルティン・ルターが裁判を受けた教会に行ってみたのです。普段の時に門を開けてありました。色々なことを見たのですが、予想できなかったものがありました。マルティン・ルターが裁判を受けた教会は、大きい教会です。たぶん全地域の神父をみな集めて裁判をしたのでしょう。代表的な教会です。だから、とても建物が立派でした。歳月が流れてもかまわない建物として建てたのです。あれこれ見たのに、私が違うことを見ました。あちこちに何かを置いているのです。おかしなうつわもあって、箱もありました。また、どこかに行ってみたら、おかしな本もありました。そして、あるすみには、ろうそくのあかりをつける所もあるのでした。これがみな何なのかと見たのです。そのもようが、全部、献金するものでした。ノートがなにかあったのですが、自分の名前を書いて、祈りを書いて、お金を入れて出てくるのです。ろうそくのあかりを見たら、ろうそくのあかりひとつをつけると、願いがかなう、そのようなことを作ってあったのです。一緒に行った人々に、そのように話しました。カトリックを見ましょう。あらゆる宗教がみなこうです。奇抜に人のお金をむしり取るのです。ところが、驚くように作って置いてあります。
 
■ ところが、教会は何もありません。そのような話をしながら笑いました。あの海辺の松亭に、大きい寺がひとつできたでしょう? 海辺に建てたのですが、隅々にそのような方法で作って置いてありました。入口を入っていくと、お腹が膨らんだものが座っていました。お金を入れる穴が作ってありました。ここを拝むと、赤ん坊を産むことができるということでした。すこし進んで行くと、また作って置いてありました。それはお金を入れれば、合格するということでした。こういう方法で、作って置いてあったのです。それを見ながら、サタンは、知恵がすごいと考えました。ほとんど、そのような方法でしてあったのです。皆様、浅草の寺に行ってみるように願います。そちらを見れば、お辞儀を一度として、小銭を投げ入れるのです。10円を投げれば、韓国のお金では100ウォンです。普通は、100円を投げます。すると、韓国のお金では1000ウォンです。ずっとおがんで、ずっと投げるのです。人がどれくらいたくさん来るかというと、たくさん来る日には、投げたものが韓国のお金で何億ウォンになるらしいのです。寺では知っていて、投げたら下にころがって入っていく入れ物があるのです。コンテナのようなものが準備されているのです。拝んで投げるお金が、コンテナにみな入っていくのです。その次の日には、コンテナを車に積んで銀行へ行くのです。隅々に煙を出す所があります。そちらには、煙を吸うと病気が良くなると書いてあるのです。そちらに入れて煙をずっと吸うのです。見ると驚くことです。全部、そのような方法です。本当に人々は愚かです。
 
■ 教会に行ってみるように願います。救いは恵みで受けました。それも一気に救われたのです。一度救われれば、永遠に救われるのです。Onlyイエスとなれば、完全なのです。それだから、誤って悟れば、全く献身をしないのです。だから、私達が誤って悟れば大変なことになります。ところが、私が知っていることでは、そのようなことではありません。救われた者には、途方もない神様の奥義があります。あなたがたが、これを捕まえなければならないのです。私達が宗教のように、多くすれば祝福を受けるという、そのようなことではありません。私達が偶像に仕えるように、間違ったところ罰を受ける、そのようなことではありません。あなたがたが、すこし良くしたところ祝福を受けて、間違ったところ呪いを受ける、そのようなことではないのです。福音は身分を移すことです。皆様が救われたということは、悪魔の子どもであった身分が、神様の子どもに変わったのです。それで罪と死から移されたのです。それも法的に移されたのです。ローマ8:2を見れば、罪と死の原理から、あなたがたを解放したと言われました。何の話でしょうか? 聖霊、すなわちいのちの原理です。そのようなことであって、皆様が複雑に誤解してはなりません。変に教える人が多いのですが、皆様が救われれば永遠なのです。過ぎた日の罪は、どのようにするのでしょうか? みな終わったのです。宗教は違うように教えます。罪をみななくさなければならないと言うのです。それで祈って、多くのことをします。それが間違っているのでしょうか? そうではありません。それは救われていない人の宗教です。福音はそれではありません。私たちの罪をみな赦されたのです。それが理解できるでしょうか? 下手すると、理解することができないのです。
 
■ 奴隷の人は、買われて解放させれば終わりです。もし人を殺したとして人を困らせようとするスパイがここに隠れていれば、今日、自首してしまえば終わりです。なぜなら、国籍がイスルラムや北朝鮮から、韓国に移したためです。それで終わりです。あなたはむかしに橋を爆発するのに行ったのか、行っていないか尋ねません。だから完全に終わったのです。それが救いです。それなら、救われたあなたがたが悟らなければならない部分があります。救われた者の秘密の祝福がたくさんあるのです。それでIコリント2:11に、恵みで与えられたものを知るようにされたのです。それで、聖書66巻には多くの祝福があります。今日、私達が献身礼拝をささげながら、皆様がまた2部礼拝をささげながら、契約をよく捕まえなければなりません。
 
■ 一番目に知っていなければなりません。聖書に本当に祈りの答えを受けた人々が、どんな人であったのでしょうか? この人達の共通は何でしょうか? 神様の奥義を持っていました。アブラハムの家系が、神様をよく 信じたのではなく、創世記3:15の奥義を捕まえたのです。それで、このことを持って、それからは世の中を生かすのです。あなたによって、国々が祝福されるようになるはずだと言われました。当然です。今日、皆様がこの奥義を捕まえれば、当然にその事が行われます。創世記6:14に、ノアが箱舟を作りました。この奥義です。今日、皆様がよく考えてみて、皆様は救われました。それなら、救われた祝福の奥義があります。この奥義がつながって、答えがくるのです。今日の1部礼拝で話をしたように、神様の計画を悟れば、その時からみわざが起きます。創世記22章を見ると、神様がアブラハムに、どのように言われたのでしょうか? あなたの息子、ひとり子をささげなさいと言われました。それゆえに祝福を受けるのでしょうか? そうではありません。アブラハムに与えられた祝福があまりにも大きいために、確認をされたのです。それで、神様がアブラハムに尋ねろと言われたでしょう。わたしがあなたを大いなる者にすると言われました。敵の門を勝ち取ると言われました。そして、あなたによって、すべての民が祝福されるようになるだと言われました。この人の特徴が、奥義の契約を捕まえたことです。今日、あなたがたが、この福音の奥義を捕まえる大きい祝福があることを望みます。
 
■ 牧師たちもたくさんいらっしゃいます。また、私たちの宣教師も共にたくさん参加しています。インターネットで、全世界で契約を知って、メッセージを捕まえています。どのように、答えを受けるのでしょうか? 奥義をどのように捕まえるのでしょうか? それが重要です。難しくありません。全世界の教会が、正しい、正しくないという以前に、他の理由がひとつあるのです。一般の聖徒たちは、自然になっていくべき伝道を難しく考えています。そして、教会ごとにますます減っています。そして、偶像はずっと起きています。キリスト教は何の力もなく崩れています。すると、神様が崩れるのでしょうか? その時ごとに、神様が事を行われるのです。災いの中に陥らないように、神様が事をなされるのです。その奥義の内に入っていきなさいということです。どれくらいやさしいでしょうか? すると、あなたがたに答えが来るしかありません。これが悟れないならば、聖書をよく見るように願います。イスラエルが悟れなくて、滅ぼされる時ごとに神様は福音を持って救い出されました。それで、この奥義の内に入っていけば、勝利するようになっています。これを悟った人が多くいますが、聖書で重要な事件ごとに、モーセ、イザヤ、ダニエル、エゼキエルのような人を通じてされたのです。神様が初代教会を通じてされたのです。これが奥義です。
 
■ 2番目に考えることは、この奥義がダビデに与えられたのですが、ダビデが今日の本文で話したのです。救われた者だけが持つ奥義が、詩103篇に記録されています。3つに区分してみることができます。あらゆる罪を赦されました。救われた人だけが知っている祝福です。ダビデがそれをほめたたえました。8節には主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かであると言われました。神様は全部、赦されるのです。仮りに皆様の罪悪に全部、報いられれば、どのようになるでしょうか? 皆様、今日の説教のみことばをそのまま聞かず、法廷に立っていると考えてみましょう。皆様が犯した罪に従って、報いられれば、どのようになるでしょうか? まず、どのようにせねばならないでしょうか? 目玉からみなえぐり出さなければなりません。なぜなら、どれくらい異常なことをたくさん見たでしょうか? まず、みなえぐり出さなければなりません。そして、あなたがたが正常にせずに食べたものがどれくらい多いでしょうか? すると、どのようにしなければならないでしょうか? 歯をみな抜いて、舌をみな切るべきです。本当にすれば、そのようにしなければなりません。だから宗教はなにかを上手にやりながら、みな違うのです。私がその報いを受けるならば、みな死ぬのです。だから、このダビデの悟りは、普通の悟りではありません。神様が私を罪悪によって報いられないのです。
 
■ ある人は、自分は、一生の間、なんの誤ちもなく生きたと言います。あの人は、法もなく生きる人だと言われます。自分は一生、何の罪も犯さなかったということです。それで本当になのか尋ねました。本当に自分はそのように生きたと言いました。教会に行かなくても良いということでした。伝道しにいったところ、そうだと言いました。では、あなたにお尋ねしますと言いました。幼い時、道を行く時に、お隣りのいちじくを一度も取って食べたことはないのですかと尋ねました。それは、いくつか取って食べましたと言いました。すると、それも盗みではないですか? 小さな泥棒でも盗みではないしょうか? いくつ取って食べたのですかと尋ねました。たくさん取って食べたということです。神様の前で罰を受けるとしましょう。噛んで飲み込んで、消化までみなしたから、あなたのはらわたまで抜き取らなければならないと言いました。あなたが、どのように生きるでしょうか? 静かに聞いていて、そのとおりですと言いました。それは、あなたが知っていることで、あなたが知らないことは、もっと多いと言いました。神様が救われた私たちに罪悪を報いないと言われました。私達の親が、偶像崇拝をどれくらい多くしたでしょうか? みなそれでも、報いないと言われました。普通の話ではありません。皆様、家系の霊的な問題がどれくらい多いでしょうか? そのまま、みな報いないと言われました。これが救われた者の奥義です。12節に東から西に遠いように、14節には神様が私たちの体質をご存知であるとされています。それで、どれくらい大きい恵みであり、感謝でしょうか? それでダビデは、1節にこの主をほめたたますと言いました。それで、その聖なる御名をほめたたえますと言いました。17節には、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及ぶと言いました。ダビデが言った言葉です。
 
■ 皆様が恵みの中に入れば、恥知らずなことはなくて、皆様が行なえないことにあらゆる祝福を与えて下さいます。人々がほとんど知らずにいます。霊的問題がある人は、行なうことも出来ません。皆様の霊的問題をみな解決なさって報いないとおっしゃいました。そして、19節に御座で万物を治める神様が重要な奥義を持って、事を行っておられると言われています。救われた者が知っている奥義です。重要なことが出来ました。20節に '主をほめたたえよ。御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たちよ。' ダビデが知っていた奥義です。神様のみことばが成し遂げられる所に、必ず、神様の働きを成し遂げる御使いよ。主をほめたたえよと言いました。皆様がこの祝福を受けてくださることを願います。詩103:20〜22をみな一緒に読みましょう。3つのことが出てきました。20節を皆一緒に読みましょう。'主をほめたたえよ。御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たちよ。' 21節に '主をほめたたえよ。主のすべての軍勢よ。みこころを行ない、主に仕える者たちよ。' 22節に '主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ。主をほめたたえよ。' ここに重要な奥義を話しました。誰もが知らない奥義です。ダビデが祈りの答えを受けるしかありません。ダビデが祈りの答えを受けるしかない奥義が詩103篇にあります。私が解決できないのを知って、私のすべての罪を解決なさった主をほめたたえることです。私の体質は死ぬしかない体質なのに、神様が東から西が遠いように解決なさったのです。どの程度でしょうか?
 
■ 今日の本文には、こういうみことばがあります。神様のみことばを成し遂げる御使い、21節には、こういうことがあります。神様のみこころを成し遂げる御使いと言いました。奥義です。誰もが知ることではありません。皆様、今日、この時間に座ったことが、こういう答えがなされるようになるはずです。信じさえすればよいのです。神様の子どもにこの祝福を下さったためです。それなら、今、礼拝する時間が普通の時間ではありません。奥義です。救われた者が持つ奥義です。それで、この前にお話ししたではないでしょうか? 聖書は、救われない者にも分かる部分があります。善良に生きなさい。人を殺してはならない。盗みをするなというのは、救われていない人も分かる部分です。しかし、救われた人だけが分かる部分があります。救われた者だけが分かる部分が、十字架の奥義です。救われた者だけが分かることです。神様の子どもになる瞬間、呪いから解放されます。これは救われた者だけが分かることです。しかし、救われた者も理解できない部分があります。神様の奥義を持った者だけが分かることがあるのです。だから、ノアのような人々、ダビデのような人物、エリヤとエリシャ、パウロのような人物、これは誰もが理解できない奥義を握ったのです。ダビデを見ましょう。神様のみことばを成し遂げる御使い。神様のみこころを成し遂げる御使い。主をほめたたえよ。皆様がのがしてはならないことは、聖書で重要な部分が必ず出てきます。その話はなんの話でしょうか。今日、皆様が神様のみことばを受けて、アーメンと言う瞬間、神様は必ず主の天使を送って働かれるのです。
 
■ ソ・チョルウォン博士には申し訳ないのですが、公式に言及してすみません。韓国で最高の学者だと見ることができます。その方と私と神学的な話を公聴会でしました。なぜ柳牧師は、悪魔の話、天使の話を多くするのかと質問されました。それで、私がこのように答えたのです。聖書で未信者が、全部、偶像を崇拝して、悪霊を崇拝して、悪魔を崇拝しないでしょうか。私は伝道者です。それで彼らを救わなければならないと思っているので、そのように話すしかないのです。天使の話はなぜ多くするのですか。それは、聖書にとてもたくさんあるからです。聖書でアブラハムから始まって、ヨハネの黙示録まで、信じる者に神様の奥義を成し遂げる主の天使です。それで言うのです。公聴会に参加した人の中から質問をしました。 '教授、すると、天使に対する活動が聖書にはないのですか.' このようにたずねたのです。この方が失敗をしたのです。急にたずねられたので、思わず返事をして失敗をしたようです。 '旧約にはあったのですが、新約にはない.' と言ったのです。だから、いろいろな所から攻撃をしました。なぜ新約にないのか。この方が、ものすごく困りました。数多くの人々が集まる公聴会で、そのようになったので、博士がうろたえたようでした。バプテスマのヨハネのお母さんに現れて、バプテスマのヨハネを預言した人々を、主の天使が送られました。いと高きところに栄光が神にあるように。地の上に平和がみこころにかなう人々にあるようにという話も天使がしました。マリアに特別なメッセージを誰が伝えたでしょうか。主の天使が伝えました。旧約を置いておいて、新約聖書だけの話です。皆様、ヨハネ黙示録8章を見れば、皆様が祈る時ごとに、神様が主の天使をみな動かされました。黙示録全体がそうです。最後に、ガリラヤの人々。なぜあなたたちは、今、キリストだけを見あげているのか。この話も天使がしました。これは奥義です。皆様が祈る時ごとに、こういう答えがおきます。どれくらい驚くべき祝福でしょうか。聖書をよく見ましょう。一ケ所にあるのでなく、重要な事件ごとにあります。今日、ダビデの話を見ましょう。神様のみことばを成し遂げる御使いよ。主をほめたたえよ。ダビデが祈りの答えを受けるのに、正しく何かを知っているのです。ここで救いが何かも正確に知っています。私たちの罪をみな報われることなく、東から西が遠いように、なくされたのです。その話をなぜするのでしょうか。とても正確に話したのです。私たちの体質を神様がご存知なのです。皆様、霊的問題を解決できるでしょうか。できません。神様がみな解決してくださったのです。それなら、こんにちこの時代に私達が持たねばならない奥義は何でしょうか。私たちは、世界宣教をしなければならないことを皆知っているのですが、どんな奥義を持っていなければならないのでしょうか。私たちはダビデの時代ではなくて、今の時代にどんな契約を握らなければならないのでしょうか。
 
■ 聖書箇所4つだけを記憶しましょう。初代教会で最後に与えられたメッセージです。使徒 1:1節です。テオピロよ。前の書で、と言っています。皆様のすべての問題を解決できるキリストを送られた、この話をした前の書です。そこに対する説明をしなくても知っているはずです。この契約を握ることを希望します。2番目の聖書箇所です。この祝福がどのように、自分のものになるのでしょうか。使徒1:3節です。神様の国です。皆様、神様の国が臨む所に、すべての問題が解決します。四十日間、説明されました。暗闇の国が崩れるようになるはずです。三番目の聖書箇所です。神様の国がどのように臨んで、臨めばどのようになるのでしょうか。使徒1:8節です。Only聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。今日、この時間も祈ることを望みます。聖霊で私に働いてくださいと祈れば、神様の国が臨んで、答えの門が開きます。4番目の聖書箇所です。ローマ16章の奥義。隠された奥義、キリストの中にある奥義、神様との特別な契約の奥義、これを記憶すればよいのです。それなら、この話がなんの話なのか理解できます。一般信者宣教。答えがまちがいなく来るようになるはずです。これから、あなたがたは新しい週を迎えながら、みことばを整理しながら、神様の祝福を受けるうつわを準備せねばならないのです。
 
■ 私は、全国を通っています。大邱に行けば、むかしにはパークホテルに泊まりました。私たちは、いつも通うために難しいのです。ところが、私が泊まる部屋に入っていったら、テレビが変わっていました。前は大きいテレビがあったのに、小さいものに変わっていました。そのように見えるなと思いました。すこししたら、電鈴を押されました。ある青年が果物を持ってきました。果物をサービスでくれるということでした。入ってきて、どこに置きましょうかと聞いたので、テーブルに置いてくださいと言いました。私がたずねたのです。前は大きいテレビがあったのに、小さなものになったのではないかと尋ねたのです。驚く返事をしました。昨日、この部屋にLGの社長が泊まられたのです。そのテレビを見たらLGのものでした。これほど仕事を良くするのです。LGの社長が来るのに、他のテレビを置いていたら、気分が悪いといってLGのものに変えたのです。私がきたのに、なぜ変えないで置いているのですか。私はLG社長ではないのに。驚いたのです。大邱集会があまりなくて、何年ぶりかで行きました。私は驚きました。申し訳なく、翌日に福音を伝えたのです。集会を二日しかしなかったのに、初日に行ったら、'牧師先生、お久しぶりです' と言われました。あいさつをしながら、牧師先生、久しぶりにいらっしゃったということです。驚きました。私をどうして知っているのかと聞きました。何年か前に来ただけなのに、とても驚いたのです。そのように記憶しているのに、私が福音を伝えてあげるべきだと思いました。その翌日、わざわざ福音を伝えたのでした。このように、差が出るんだなと思いました。光州の悪口を言って申し訳ないのですが、私が光州には毎週行きます。行く時ごとに、秘書が部屋を決めています。行く時ごとに、紙を渡しながら、名前を書きなさいというのです。それで私を知らないのかと尋ねたら、それでも書かなければならないと言います。一番上の偉い人が見て、指示すれば、その時だけすみませんと言います。このように差が出るのです。ソウルに泊まるホテルの職員を見れば、とてもすばらしいので、わざわざ休みに一度、果物を買って食べなさいとお金を与えるくらいです。仕事を良くします。一度、話せば間違いありません。行く時ごとに、物を必要な物を言うのですが、次に行くとまちがいなく置いてあります。一度も失敗がありません。この人たちは、普通ではありません。また、家内は荷物が引越センターのように多く持ち歩きます。それをみな運んでくれます。不平を一言も言わず、みな運ぶのです。違うのです。一流です。
 
■ アシアナには申し訳ないのですが、私はわざわざ全く乗るので、大韓航空も百万マイルを越えて、アシアナも百万マイルを越えました。たぶん、韓国でたくさん乗る人の中に入っていくはずです。飛行機に乗って、まずアシアナもそうで、大韓航空もそうなのですが、やってきて挨拶をしてくれます。他の人にはしなくても、私にはあいさつをしに来ます。理由はひとつしかありません。ミリオンマイラーだから、たくさん乗った人を待遇するのです。ところが、この飛行機に乗って、米国のような所に行くのに10時間以上乗ります。お互いに仕事をどのようにするのが問題でなく、頭脳が違うのです。大韓航空に乗れば、何まで検討をしているかというと、私がこの飛行機に乗って、何の食べ物を好きなのか、それまで準備して置いてあります。そして、行って席に座れば、あらかじめわかる人もありますが、座れば見て、'牧師先生。今回は集会がありますか.' と挨拶をします。全てのものを分析しているのです。ところが、アシアナは、おりる時まで私に対して、社長と言います。分析できていないのです。だから、私がだれかを知らないのです。これが差です。私がなぜこの話をするのでしょうか。皆様は途方もない祝福を受けました。私たち教会は、これから、全国世界に影響を与えるのに値する祝福が来ます。そして今、これから人物も多くの重要な方達が押し寄せるでしょう。早く対策を立てるべきです。それを知らなければ、人がのろくなります。基準はありません。その時、その時、状況によって早くしなければならないのです。建築もどのようにしなければならないのでしょうか。誇示しようという話になりません。そのような方達がきて、全く不便なく、それでも訓練を受けるようにしてあげるべきです。話をしないのですが、とても不便なのです。今きておられるのは、ヨーロッパから来ているホセ牧師のような方達は、高級人材です。環境ゆえに苦労を多くしています。そして、レムナントの子ども達に高級人材が多いのです。私達がよくしてあげようという話ではなく、不必要な苦労はしないようにということです。私が十年前に、そうでした。私たち教会は国際的な人物が来ます。あなたがたが普通に聞いてはなりません。今も来ています。今日きて挨拶する方を見なさい。外国から来た方、ワシントンから来ました。その方達は、とても重要な人達なのに、私たち教会には施設がないから、京畿道の安養に行って、そこで泊まって、正しく通訳もなくて訓練を受けることができないということです。私は神様のみこころならば、確かになると考えています。神様の時代的要請ならば、なると考えています。これから、数多くの人物がくるはずなのに、そこに合う対策を立てるべきです。そして、誰が何と言っても、各宗教にいた方でも、各教会で試験させられた方の中でも、本当に伝道者は集まるようになっています。そこに合うことをしなければなりません。
 
■ それなら、私達が今日、一般信者宣教ということが何か。最後に記憶すべきです。どのように、貧しい初代教会がローマを征服したのでしょうか。どのように、救済対象者の初代教会が、パリサイ人を征服したのでしょうか。その人々を見れば、聖書に見れば、3つの戦略が出ています。最初です。最も自らの重要なことを、ある人は畑も出して、重要なことを出して、共同体を成し遂げながら祈りの力を集めたのです。そのやさしい例が、使徒4章のヨセフのような人です。使徒2章にもそうです。そのようにまで、しなくても良いのですが、聖書をよく見ましょう。2番目の戦略が、すべての地域が共同体を成し遂げながら、世界宣教に向かって力を合わせました。ローマ16章を見ましょう。あらゆる地域の弟子が、力を合わせて世界宣教に方向を合せたのです。このようにして、ローマを征服しました。私はここにきて、はじめに12坪で始めました。私が何と祈ったのか知っているでしょうか。 '神様、私たちの教会は12坪ですが、影島は坪数が大きいです.' 数百箇所にみことば運動を開いたのです。 '私たち教会は35坪の地下にいるけれど、釜山市内は大きいです.' それで、私があちこちに行って、私たちの執事達に頼んだのです。食べ物を出さないで。このようにたくさん準備する必要はない。少しずつでも、食べて使わず、集めて神様の前に宣教献金して、世界宣教すべきではないか。このようにして、封筒に集めて教会に献金することもしました。どんなに話しても、今でも食事を整えます。私達は、この時代をよく見るべきです。こんにちの時代は、難しい時代です。今、福音の力が完全に干からびて、全部、宗教だけ残った時代になりました。ここに自分の小さな精神を持って献身するのです。それが一般信者宣教です。理解できないのでしょうか。初代教会は、あらゆる地域にいる弟子が、全部、力を合わせました。これで教会とアンテオケ教会が、パウロを押したのです。その一例が、ピリピ4章です。そして、弟子が集まる所ごとに、無駄なことをせず、力を集めました。それがローマ16章、Iコリント16章、コロサイ4章です。分かるでしょうか。それが一般信者宣教です。皆様、意味が含まれてこそ答えがくるのです。
 
■ 今日1部礼拝の説教をのがしてはなりません。メッセージが入ってこそ、みわざが起きます。そうでなければ、皆様が教会に通ってみましょう。むずかしいのです。教会に行ってみると、あちこちすべきことも多く、 献金することも多く、くれということも多く、どれくらい紛らわしいでしょうか。そうかと言って、私達がたくさんあってすれば良いのですが、人はそのようになるでしょうか。どのようにせねばならないのでしょうか。みことばが心に入らなければなりません。その時から、働きが起きるのです。神様の計画が私の心に入らなければなりません。その時から、献身するように、それ以前に働きが起きます。一般信者宣教と、聖書にある秘密が心に入らなければなりません。これがそのようなことだな。私が世界福音化の隊列に、小さな力だが、神様にささげるのだな。このように悟れないのでしょうか。皆様がここに座ったことが、世界福音化する席に座ったのです。すると、主のしもべ、牧師達を見ましょう。時代ごとに神様の福音がなくなる時、伝道者を呼ばれました。その主のしもべだと考えてみましょう。それで意味が変わります。その時から答えが来るのです。皆様、この祝福を皆様が味わうようになることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。意味を悟る日になるようにさせてください。一般信者宣教、重要な意味を定める祈りの日になるようにさせてください。答えが始まる日になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン