2005年2月27日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/狭い門から入りなさい
(ルカ13:22〜35)
 
・全世界の私たちのインマヌエルの家族に平安があるように願います。釜山(プサン)にも、ソウルにも、全国に医師の方がたくさんいます。医術は貴重で尊重します。しかし、医師の方たちが、おもに一つのことをよく知らずにいるのは、動物で実験をするからでしょう。人には、たましいがあります。皆さんが、本当に希望があって、確信があって、感謝と喜びができれば、からだの中に起きるその力はものすごいのです。それで、私たちは、その力を得れば、想像を超越することがずっと起きるのです。皆さんは、良いことをたくさん置いて、今、この席に出て来ました。ある方々は、難しい中で礼拝に来ているでしょう。今日、皆さんがすべて祝福と恵みに変わるように願います。ある方々は、夫婦問題、家族問題で苦しめられて教会に来ているでしょう。また、ある方々は、話をすることができないのですが、経済問題や色々な世の中の問題があるでしょう。いろいろなことによって、私たちは多くのストレスを受けて、耐えたり、もがいたりもします。それで、現代には、癌のような病気にたくさんかかるのです。皆さんが、神様の恵みで充満されるように願います。
 
・普通、成功する人物を見れば、うつわが大きくて、考えが大きいのです。それが特徴です。特に、私たち韓国の人々の特徴は、考えがとても狭くてせっかちです。たくさん考えるべきなのに、とても考えが狭いのです。私たち韓国が、ノーベル賞を受けられない理由がそこにあります。違ってこそ、賞を受けるのに、私ととても違えば、とても生きられなくふるまいます。たくさん習った人々でも、広く考える人々は認めるのですが、狭く考える人は認めることができないのです。そんなことが何でもないことのようですが、目に見えない問題を起こすようになるのです。神様は、私たちに、万民、すべての民族、地の果てまでとおっしゃられました。皆さんの考えと心をたくさん広げなければなりません。
 
・一度は、TVでヨーロッパの学校を紹介しました。初めから最後まで見ながら、私たちと大いに違うことを感じました。私たちは、学校に行けば、先生が目をいからして、カンニングしないようにと言います。ノートと本があれば、椅子の下におろせと言います。しかし、その学校は、本とノートをみなひろげてします。私がよく分からなければ、隣の人に尋ねてみてもかまわないのです。私が足りないと思ったら、隣の人と相談してもかまわないのです。こういう教育を受け入れた人と、答だけ選んで書く人とは、後ほど違いが生じます。韓国の教育は、本当に問題があります。私たちの国民性がとても狭いのです。食堂に行くと、早くくれと言います。アメもかみ砕いて食べます。コーヒーも吹いて、一度に飲みます。それで、韓国人が全世界で変に思われるのです。ヨーロッパの映画を見てびっくりしました。公園で、学生たちが本も見て、話もして、一方では運動もしています。女子学生1人が服をみな脱いで歩いてきて、水の中に入りました。水泳をし終えてくると洋服をまた来て行きました。私たち韓国の男子学生ならば大騷ぎが起こったはずなのに、普通のようにみな見ていたのです。そのことを見ながら、こんなにも違いがあるのかと驚いたのです。
 
・一度は、ロシアに行きました。どのように誤ったのか、飛行機に乗ったら十時間以上、遅れたのです。どれくらい退屈でしょうか。そこで、他の人たちと共に待ちました。とにかく、時計を見て大声で叫ぶ人は、韓国人でした。それだけ、韓国人は性格がせっかちです。さらに笑わせるのは、真ん中で男女がキスをしていたのですが、三時間ずっとそうしていました。しかし、ロシアの人々は誰も変に見なかったのです。それを、何度も見る人は、私しかいませんでした。私の考えが狭いという気がしたのです。愛する夫婦ならば、そのようなこともあるのに、何度も見る私が変だなと思いました。一度は、日本に集会に行った時、ホテルのそばに銭湯があったので、千円程度を出して入ったのです。びっくりしました。こちらは男湯、こちらは女湯に入るのに、お金を受け取る女の人が1人座っていました。そのまま両側をみな見ていたのです。私は、入ることができないのですが、日本の人々はみな脱いで入っていました。とにかく、隈で恥ずかしがっていた人は私しかいませんでした。さらに驚いたことは、中に入ったら、何か女の人が清掃をしていたのです。いったい、どうしたことなのか。うずくまってぶるぶる震える人は、私しかいなくて、全部みな気楽に入浴していました。それで、確かに私たち民族が、考えが狭いらしいと考えました。とにかく、私たちは考えが狭くて、せっかちです。私たちは、いつも広くて、大きい人物にならなければなりません。
 
・それで、私たちが使っている宣教政策が統一教について行けないのです。皆さんが、神様の大きい祝福と恵みを受けて、すべての問題が解決される、そのような祝福があるように願います。信仰の人レムナント七人は、問題を問題として見ていませんでした。そこで、すべての祝福をみな見いだしたのです。伝道者は葛藤がきたのに、その葛藤に陥らず、葛藤を神様の機会、祝福にしました。しかし、今日、私たちが重要なメッセージを一つ聞かなければなりません。信仰生活に真に成功しようとするなら、広い門ではなく、狭い門から入らなければならないのです。今日、イエス様がなさったみことばです。狭い門から入りなさい。皆さん、狭い門から入るという言葉は何の話なのでしょうか? これが信仰生活の成功の奥義です。私たちは、さっと見れば、狭い門から入るという言葉が理解できません。広い考え、広い心、広い知識を持たなければならないのに、狭い門から入りなさいと言われています。いったいこれが何の話なのでしょうか? しかし、神様のみことば、祝福、救いがとても狭いのでしょうか? 今日、信仰生活に成功しようとするなら、狭い門から入りましょう。イエス様がなさったみことばです。私たちは、この部分をよく見る必要があります。この話は、とても重要な言葉です。皆さんが、信仰に成功して、生活に成功しようとするなら、多くの人々が行く道に、そのままついて行ってはならないという言葉です。これは実にとても重要な部分です。それでは、今日、この本文を持って聖書全体を一度見なければなりません。そうしてこそ、私たちが信仰生活に成功することができるのです。
 
・旧約で成功した人を見る必要があります。皆さんがおわかりの通り、すべての人が全部堕落して、みな離れてしまいました。一人で箱舟を作ったのです。これがノアです。これは、独断的に一人でしなさいという話ではありません。皆さんが信仰生活して、社会生活する中で重要なのは何でしょうか? 他の人がみな無条件に何も知らずに行く所について行っても良いのでしょうか? 狭い門から入りなさい。これが信仰生活に成功する、とても重要な方法です。これは、すべてのレムナントが捕まえなければならない単語です。多くの人々が行く道に行くのではありません。多くの人々が行く道が間違った道だというのではありません。多くの人々が行く道は、無条件に行く道ではないといった言葉です。それで、神様がアブラハムに、あなたの故郷、父の家を離れなさいとおっしゃったのです。その話は何の話なのでしょうか? 何も知らずに行く滅びの道、ガラテヤのウルにいずに離れなさい。これが、私たちが受けた救いで、これから受ける祝福です。今日、皆さんが、イエス様がなさったみことばをよく記憶しながら、今日、重要な契約を必ず受けなければなりません。ヨセフです。ほとんど兄も他の人も、みなそのまま行く大きい道に行きました。福音と関係ない多くの人が行く道に、そのまま行ったということです。しかし、ヨセフはこの契約を捕まえて、狭い道に行きました。ここに大きい勝利が与えられたのです。今日、ここに始めてこられた方々もいます。皆さんが、本当に直ちに問題が解決される道があるのです。皆さんがこれまで通った道は、多くの人々が通った道、偶像崇拝する人が行った道、知らずに無条件に悪霊に仕える道に行っていました。もうそのような道でなく、福音を正しく理解してしまえば、すべての問題が解決されるのです。だから、それが答です。今日の本文は、皆さんの信仰原理に、とても重要な答になるでしょう。職場生活をどのようにしなければならないのでしょうか? 他の人がするとおりにしてはなりません。それでは失敗するのです。
 
・私がシーバーという人物をしばしば紹介するでしょう? この人は学がなくて、良い地位につくことはできませんでした。それで、大きいカーネギー鋼鉄会社で一番末端の清掃夫として就職したのです。たとえ背景もなくて、習ったことはなくても、この人は祈りの人だったのです。他の清掃夫のようにしませんでした。違うようにしたのです。どのようにしたのでしょうか? 他の人より一時間前に出てきました。そこでひとまず一時間の間、準備しながら祈ったのです。そして、最善を尽くして清掃をしました。他の人は、時計だけ見つめながら、終わる時間だけ待ちます。この人は、みな終った後にも、一時間の間、明日の仕事を準備して祈ったのでした。違ったのです。清掃して、いくらもらうかが問題ではありません。会社で、この人のために会社の中が変わるということが分かったのです。それで、清掃部長をさせました。清掃部長をさせたら、よくできない人、難しい人、抜ける人の役割まで、全部みなするのでした。イエスを信じる清掃夫1人のために、会社が生き返るのです。ますます昇進して、部長にもなって、高級幹部になりました。さらに驚くことが、世の中で行われたのです。その社長が、全世界鋼鉄を動かしていました。後継者をたてたのですが、シーバーをたてたのでした。この人は、社長の命令に一度も拒否したことなかったのですが、その時、拒否をしたということです。どれくらい立派な人が多く、子ども達の中で優れた人も多いでしょうか。習った人もいかに多いでしょうか。私のような人が社長になって良いでしょうか。私は他の社長がくればまたお手伝いします。その時、社長がいくつかの重要な話をしたのです。数学が必要ならば、数学者を呼びます。技術が必要ならば、技術者を呼びます。お金だけ与えればいくらでも来ます。しかし、あなたの中にあるその神様が、私たちの会社を生かせるのだ。そして、さらに重要な話をしました。博士、修士、技術者はいくらでもいる。しかし、あなたのような人はいない。社長がそのように見たのでした。
 
・そうなのです。多くの人々が行く道に行ったのではありません。皆さんの救いは全く同じです。全部、出世しようとして、戦おうとして、殺そうとしていた時、ダビデはその道に行きませんでした。主は私の羊飼い。私には乏しいことはありません。私はどんなことがあっても、油を注がれたしもべを触らない。私はどんなことがあっても、最後まで祈りながら逃げて回る。道が違ったのです。皆さんよく見て通わなければなりません。信仰生活を成功した人々を一度見ましょう。違うのです。困難が来た時ごとに、このことを考えるように願います。私は神様の子どもだ。祈れば答えられる。違うように行かなければなりません。未信者と同じ道に行っても良いでしょうか? 未信者が一緒の道を歩いて、その人と同じなのでしょうか? 同じではありません。レムナントは、銘記するように願います。そして、青年たちも銘記するように願います。救いもそうですが、信仰の原理は狭い門から入ることです。全部、王にへつらえばお金になるから、850人のバアル、アシェラ預言者が、全部アハブの前に追従しました。そうでなければとても、困難に会うからでした。エリヤ、エリシャはそちらに行かず、神様が望まれる道に行きました。それが狭い門から入ることです。
 
・旧約聖書にも同じ話があります。バビロンが世界を掌握しました。いつでも全く同じです。偶像を大きく作っておいて要求するのです。捕虜、あるいは連れてきた人々の精神を統一させようとするのです。それで、平地に大きな偶像をたてました。そこで、この王が命令を下したのです。言わば落成式をしたのです。その日には、軍楽隊も動員されたでしょう。いっせいにその偶像の前にお辞儀をしたのですが、三人だけそのまま立っていたのでした。シャデラク、メシャク、アベデネゴのヘブル人です。偶像の前にお辞儀をしない人、この三人が立っていたのです。ものすごい王の前で。それで、王が三人が呼びました。知らずにそうしたのか、知ってそうしたのか? 今、なぜお辞儀をしなかったのか? 全部みなするのになぜしないのか? 1人ももれなく、すべての高い低い臣下がみなするのに、なぜしないのか? 一度だけ機会を与える。その時、三人の青年が答えたのです。そこに対しては言うことがありません。私たちは、偶像の前にお辞儀はできません。もし偶像にお辞儀をしなければ、火の中で入って死ぬとしてもできません。もし私たちが火の中で入れば、主が助けて下さるでしょうし、死んでもそれはできません。皆さん、ネブカデネザル王は誰でしょうか? そのものすごい王が、二十七州を治める王にそう言ってので、また他の問題になりました。お辞儀をする、しないというより、王をものすごく侮辱したことになったのです。王がどれくらい腹が立ったのか、聖書に見たら、王がくやしくて、激怒したのです。普段より七倍を熱くしなさいと、命令を下しました。例えば、普段に千度だったら七千度にしろ。直ちにあいつらを処刑しろ。聖書の記録に見れば、この三人を火に投げ入れるのに、どれ位、火が強かったか、投げて入れた人が焼け死んでとされています。三人が火の中で入ったのですが、簡単に話して処刑されたのでした。歴史の研究をしてみることを望みます。他の本を見れば、そこに対する記録が出てきています。火の中で投げて入れたのに、間違ってとんでもない所に投げたと書かれています。しかし、聖書はそれを反論するかのように、投げて入れた人も焼け死んだとしています。その中に人を三人投げて入れたのですが、4名が行き来していたのです。分かるでしょうか? とても驚いた王が、シャデラク、メシャク、アベデネゴに出て来なさいと言いました。しかし、出て来たのを見たら、三人が出て来たのです。さっきは4名が行き来していました。神様が主の天使を送って、三人を保護されたので、出てきたのを見たら、髪の毛一つこげていなかったのです。可能な話でしょうか? 私はそのように思っています。4次元、5次元、7次元の世界も神様にはあります。それは私たちが知らないだけです。神様が主の天使を送って、人の頭ではとうてい理解できないことが行われたのでした。明らかな事実は、死なずに出てきたのです。信仰の人々は、すべての人が行く滅びの道について行きません。福音を持った人は、そのような道に行かないのです。ですから、皆さんが信仰生活に勝利しようとするなら、狭い門から入りましょう。新約聖書を見ましょう。初代教会をよく知っているでしょう? イエス様の当時に、パリサイ人はイエス様をメシヤとは知らずに、イエス様を犯罪者として処刑しました。歴史に一度ももれなくそうだったのですが、初代教会を異端で追い立てました。パウロを異端の頭として追い立てました。皆さんならば、どうでしょうか? さっと見たら、マルコのタラッパン教会は小さいのです。しかし、ユダヤ教はものすごいのです。それが正しいのであって、この人たち何人か集まったこれが、何で正しいのか? イスラエルの国を維持してきて、強固にさせるほうが正しいのです。歴史ごとにそうでした。皆さんが信仰生活の原理をよく理解しなければなりません。多くの人々が無条件に行く道に行くのではなく、そうするうちに死ぬのです。私たちは、正確な神様の福音について狭い門から入りましょう。この言葉の意味は、広い門は違って、狭い門だけ行かなければならないという話ではありません。時代、時代ごとに多くの人々が違っていることも知らずに、広い道に行くのですが、その道に行くなということです。皆さんが今日、この契約を捕まえて、信仰に勝利するように願います。皆さんが、この話をわかる日に、働きが起きるようになります。必ず祈りの答えは、神様みことばよって、契約のみわざがあるのです。一度も抜けることがありません。教会史を見ましょう。教会史に、マルティン・ルター、カルヴィン、ジョン・ナックスのような人は誰でしょうか? 今、思うのと、すごいのです。皆さん、中世教会を知っていますか? ものすごかったのです。ここに、あえて真理を話しながら持ち出した人がルターです。ここにあえて正しい聖書を回復しようと出てきた人がカルヴィンです。ここで正しい福音運動するために出てきた人が、ジョン・ナックスです。これを見ましょう。皆さんならば、今は分かります。その当時は、どのように理解できるでしょうか? 中世教会が教会だったのですが、人々は知らずにみなついて行ったのです。狭い門から入りなさい。救いの門に入りなさい。全く同じです。ヨハン・ウエスレイ、ムーディーのような人物が起きて、みことば運動を行ったので、大多数の多くのヨーロッパの教会が、この人達を防ぎました。歴史は全く同じです。皆さんがおわかりの通り、チュ・キチョル牧師、ソン・ヤンウォン牧師、チュ・ナンソン牧師、みな切られたのです。大きいことが起きました。ですから、皆さんが目を静かにあけて見れば、信仰生活の行く道に気を付けて良く行かなければなりません。一度もかかさずあったという事実です。やや下手すると、ひとりぼっちになったり、異端にもなるので、よく見なければなりません。韓国にあるすべての千二百の聖徒がこれをよく見なければならないのです。教団、教派を話すのではありません。多くの人々が無条件に行く道に行っていては死ぬということです。少しすぎたら、イスラエルは滅びて、大きい苦しみが訪ねてきました。多くの人々が行く違った道に行かずに、皆さんが正確な福音に入れば、勝利するようになるのです。この契約を捕まえて、皆さんが祝福を受けるように願います。
 
・多くの人々が行くということは、他の見方をすれば正しいように見えます。その当時がどうなのでしょうか?日本に植民地になって、圧迫を受けていた時です。だから遠い昔の話ではありません。皆さんがおわかりの通り、1945年に解放されたのですが、その前であるから三、四年前です。だから1940年代です。歴史の流れは全く同じです。日本が全国に神社を作って強要しました。霊的な目を開いた人々が見る時には、歴史の流れは全く同じです。ローマがゼウス神を作ってお辞儀をしろと言いました。ネブカデネザルが偶像を作ってお辞儀をしろと言ったのです。サタンがすることは、いつも全く同じです。日本がその当時、掌握して、神社参拝を要求しました。それで、私たちは小、中、高など学校に檀君神殿を作るのを反対しているのです。知らないからです。隅々に日本神社を作ったり、ゼウス神像を作ったりすれば、全部、悪霊の勢力に皆死ぬのです。そのような道に行かないということです。たとえ狭くても、正しい道に行きましょう。わかるでしょうか? ある政治をする方が作り出したようですが、思い違いをしたのです。そこには、間違った単語が1つや2つではありません。檀君ならば檀君であって、檀君神ではないのです。檀君像を作るというなら分かりませんが、檀君神殿を作るということは、単語自体も間違った言葉です。そして、歴史的に忘れないようにすることはできるでしょうが、それをあちこちに作るということは、あまりにも問題がある話です。知らないからです。皆さん、法事をたくさんする家は、子孫がほろびるのを見たのでしょうか? ムダン(霊媒師)が多くて、とても偶像崇拝が多い時代には、災いを受けるのを見たのでしょうか? ですから、人々はよく知らないのです。それを可決したのでした。広い道に行く人々です。私たちが生きることができるなら、神社参拝してもかまわないと可決したのです。そこに狭い門を選択した人々がいました。チュ・キチョル牧師、ソン・ヤンウォン牧師、チュ・ナンソン牧師。その人々の本を読みながら、こんなにも苦労したんだなあと思いました。チュ・キチョル牧師は、とてもたくさん殴らえて、そのなかで亡くなり、ソン・ヤンウォン牧師も、教会から追い出されて、苦しめられて監獄から出ましたが、チュ・ナムソン牧師は、絶対に悪霊、偶像にお辞儀をしてはいけないと強調して捕えられました。90%以上のクリスチャンは、みなしても良いと言ったのです。みながそのように行くから。これが広い門です。多くの人が正しいと言うから。しかし、違うのです。私たちは違った門に行ってはいけないのです。私たちは、狭い門であっても、正しい門に行ってこそ、勝利するのです。少し過ぎれば、判断ができるでしょう。そして、その答えは少しだけ過ぎれば、さかさまになるのです。私は'太陽のように光る' というその本を見ながら、本当に苦労したんだなあと思いました。何個か読んでみたのですが、その中で記憶に残るのがチュ・ナンソン牧師が監獄所に座っていたら、夢を見たのです。夢は、格別なことではないのですが、とても負担になります。チュ・ナンソン牧師が夢を見たら、奥様が現れました。完全に乞食の服を着ていたのです。そして、祈りをするのでもなくて、あなた頑張れという言葉でもなくて、助けてくださいと言ったのです。その時、この牧師の頭の中で、苦労しているんだなという気がしたのです。目覚めてみたら夢でした。次の日、寝たらまた、夢を見たのです。息子二人が現れて、お父さん、助けてほしいと言いました。見たら、物乞い用のあき缶をぶらさげていました。いくら夢であっても、この時、この牧師の頭の中に悪いことがかすめて行ったのです。そうだ、99%の牧師が大丈夫だと偶像崇拝して、お金をもらってよく暮らしているのに、私だけこうしているのではないか。目をパッと覚まして、このように話したのです。私が出ていけば、お前たちは生きることができるから、待っていなさい。私のために、お前たちが苦労した、こういう気がしたのです。誤った考えです。それが広い道に行くことです。そうしたら、耳元で賛美が聞こえたのです。私のすべての荷物、重い試練〜その賛美がちょうど流れ出たのです。その時、この牧師が、そうではない。私たちの息子、娘が皆死んで、私たちの家族が皆死んで、私が死ぬことがあってもそうではない。どのように民族が滅びる偶像の道に行くのだろうか。決断を下したのでした。
 
・そうしたことが、歴史を見れば、たくさんあります。数年過ぎずに解決されました。日本は戦争で負けて、私たちは解放されて出ながら、それが今、問題でなく、それが宗教界で問題になったのです。これで、変なことが行われたのです。神社にお辞儀をしてもかまわないという人が99%なのに、どうするでしょうか? だから監獄所に入った人、死んだ人々の話が、昔の話ではなく、この前の話です。私は、私たちの韓国教会が祝福を受けるようになった理由が、少数の狭い門から入った方々のゆえだと考えています。皆さんが信仰の狭い門を選択するようになれば、何でもないようでも大きい働きが起きます。今日の本文24節には、このようにおっしゃっています。狭い門から入りなさい。求めても、できない者が多いのです。誰もがするのではありません。
神様の恵みを受けた人が悟ることであって、誰もがすることでもありません。25節にはこういう話があります。一度閉じられれば入ることができない門です。28節には'神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちがはいっているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。'その話をして、イエス様がこのようにおっしゃられました。33節にしかし' だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。'今日、皆さんが本当に神様の祝福を受けた人として、この契約をつかまえなければなりません。それなら、信仰も、私たちは狭い門から行きましょう。信仰生活にもそうです。人生にもそうです。今日、皆さんがこの契約をつかんだら、祈りの答えを大きく受けるでしょう。他の人が行く一般の道に行かないで。その話は、一般の道を知らずに、一人でおかしな道に行けという話ではありません。とても重要な発見をして、飛び越えたことを言うのです。レムナントは、必ず記憶するように願います。広い道、何でもの道に行かないようにしましょう。理解できるでしょうか? 私は童話の本を見ながら、そうだ、この話だと感じました。大人たちがわからないから、童話の本を作って子どもたちに説明したのです。童話の本を見ると、このような話があります。
 
・ウサギが山で寝ていて、雷の音がしました。耳のそばに松かさが落ちたのです。それで、ある力をすべて出して逃げたのです。逃げて鹿に会って、鹿が逃げるウサギにどこへ行くかを尋ねました。大変なことになった。
今、ものすごい動物が、私たちをつかみにきた。逃げなければ死ぬ。それで、ウサギと鹿が共に逃げたのです。行く時にオオカミに会いました。大変なことになった。はやく逃げよう。それで、オオカミも一緒に逃げたのです。しばらく行くと、熊に会いました。熊が見て、君たちどこへ行くの。今、ものすごいことが起きた。逃げなければ死ぬ。熊も一緒に走ったのです。行く時にライオンに会って、君たちどこに行くのか。今、ものすごい動物が、私たちを追いかけてくる。それで、ライオンも一緒に逃げたのです。逃げながら、ライオンが考えてみて、気分が悪いのです。ここで強い奴が誰か? 何かと尋ねたら、熊がオオカミに聞いたといいます。オオカミは誰に聞いたのか? 鹿に聞いた。鹿は誰に聞いたのか? ウサギに聞いた。ウサギは誰に聞いたのか? よく分からない。寝ていた。童話の本に出てきた話です。これはとても愚かな大人たちを皮肉る内容です。がんばるのです。なぜがんばるのでしょうか? なぜがんばるのでしょうか? 皆さん、がんばらずに正確にするように願います。それでこそ、答え受けるのです。熱心にしないように。正確にしてこそ勝利するのです。がんばらなければならないことが別にあります。私たちは無条件にとことん行くのです。そのような人生を過ごしても良いでしょうか? 私たちの学生たちが無条件にのさばりまわっても良いでしょうか? 私は大学生に特講に行ってこういう話をしました。行ってみたら、私たちの長老の息子と大学生がとてもよくしていました。それで、申し訳ない気持ちで、私たちが仕事をたくさんできなくなっているという表現をしたのです。する必要がありません。大学生、中高生に仕事をたくさんさせる教会は悪い教会です。学生たちがところで勉強ができないほど仕事をすれば、信仰も入らないで、他のものみな滅ぼします。しかし、ある学生たちは、信仰生活をそのようにするから、みことばがつまらないのです。これは1つ2つの問題を持ってくるのではありません。大学生の時はしなくても良いのです。準備する時です。世の中に出て行く準備をして、今すべての準備をして、これから私たちの教会を守る準備をする時であって、何をするのでしょうか? 世の中に出て行く前に、私が信仰を堅く準備する時です。だから、私たちは何も知らずに走るのです。同じ教会を作る必要がありません。なぜ神様が私たちを見て信仰生活して教会を許されたのでしょうか? 誰でも行く広い道を通いながら、ご飯を食べようとすることのでしょうか? 本当に狭い門に入るようにして、生きようとしましょう。人生も全く同じです。私たちの学生たちや、事業される方々は専門性を持ちましょう。誰もがする道に行かずに、専門性を持ちましょう。信仰生活も誰でも行く道に行かずに、専門性を持ちましょう。本当に狭い道に行って、人を生かしましょう。社会生活も勝手にせずに、本当に狭い道に入りましょう。経済、みな全く同じです。皆さんが他の人がするとおりに、無条件に食べて暮らすのではなく、狭い門から入りましょう。
 
・同じ執事の家庭が、私たちのお隣りにありました。うちの母は、市場を行ってきたら、小さいふろ敷包を持って帰ってきました。私たちのお隣りの執事は、家族もわずかなのに、たくさん買ってきました。よく食べて太っていました。しかし、実際に教会で何か起これば、その人々は献金するお金もありません。うちの母は、献金をします。何かことが起これば、うちの母は貯めていて与えるのです。この方は借りに行きました。毎日、人生がそうなのです。普通の人が行く道です。そのような道に行くなということです。何でも全く同じです。釜山(プサン)にある長老がいましたが、全羅道(チョルラド)からきて、釜山(プサン)で神様に祈り始めたのです。'神様、私は習ったことがありません。小学校を卒業して、釜山(プサン)にきましたが、中学校、高等学校をみな検定試験でした。'神様の前で祈りを始めたのです。同じように無知な人々が行く道に行ってはいけない。私は神様の子どもで、神様の祝福を受けた人なので、神様が願う道に行かなければならない。祈りの課題を作って祈ったのです。本当に教会に献身することをおいて祈りました。自分の弟は、みな勉強がよくできたのです。この方が会社に就職をしたのですが、手袋を一度使って捨てていたということです。それがもったいないと、奥さんに洗わせて、それをみな縫って、またその人々の机に持って置いたということです。初めには、おかしな人だと言われたということです。何か作戦があるのだろうと思われたということです。この長老は、そんなことではなかったのです。熱心に仕事をしたのですが、会社に大きい煙突があったのですが、地下に降りて行く道があって、これを一ケ月に一度清掃したということです。一度入って出てくれば、臭いが一ケ月はするということです。サービス業者に要請をしたのに、してくれないと言われました。この長老が、会社に話をして、一ケ月に一度する清掃を私がする。ただ、私は聖日に教会に通うのを守るようにさせてくださいと言ったのです。それで、長老が清掃を始めたということです。一度入っていくと、一ケ月の間、においがするので、一ケ月に一回ずつすれば、一年中ずっとにおいがするということです。まず最初に奇跡が起こりました。長老が一ケ月に一度、清掃して出てきても、からだからにおいがしなかったということです。これが証しになって、会社の中で奇跡だと言われたということです。未信者の口から、あなたに神様が一緒にされているようだと言われました。このようにして、伝道の門が開いたのです。後ほど、この人は勉強を小学校しかしなかったのですが、朴正煕大統領の時、どのようにか大統領府で知って長老に連絡がきたのです。韓国で最高の指導者が集まる新しい村研修院の中で、最高指導者が集まる会がありました。そこに教授として、大統領が任命したのでした。この方が、小学校だけ出てきたのですが、多くの指導者を集めて、一週間に一回ずつ講義をしたのでした。何の講義をしたのでしょうか? 自分の話をしたのです。一度聞いた人々が、しばしば聞くことを望んだりもして、継続するようになったのです。
 
・私たちクリスチャンは、広い門から入るのではありません。狭い門から入りなさいという言葉を誤解してはいけません。ほとんどみな、救いをよく知らずにいるので、狭い門から入りなさい。人々がこの途方もない福音の祝福をみなのがしているので、狭き門から入りなさい。それが答えです。信仰生活しながら、ほとんど失敗するのです。狭き門から入りなさい。皆さんの信仰生活では、祈りの答えがくるでしょうか。どのようにすれば良いのでしょうか。狭い門から入りなさい。本当に真理の門、救いの門に入りなさい。人々がこの話、あの話をするのにだまされないで、狭い門から入りなさい。答えられます。皆さんの中で、失敗した人がいますか? 今でも大丈夫です。はやく狭い門を選択しましょう。いい加減にして、はやく過ぎ行く広い門を選択せずに、狭い門を選択しましょう。皆さんの中で、ひょっとして病気にかかった者はいますか。広い門に行かないで。一般の人々のように、無理に生きようともがいて、変にあちこち通わないように。狭い門から入りましょう。本当に、神様の力を体験して、恵みを受ける機会があるようにと祈りましょう。事業する方がたくさんいます。必ず記憶しましょう。未信者が絶対に押し倒せない狭い門から入りましょう。永遠に滅びない専門性ある狭い門から入りましょう。救われる奥義が何でしょうか。狭い門から入りましょう。福音は宗教と違います。この祝福を、今日、必ず受けられなければなりません。皆さんに神様の祝福が臨む貴重な日になるように願います。
 
・イエス様がなさったみことばの中で、今日、捕まえるべきことが何でしょうか。よく捕まえてこそ、祈りに答えられるでしょう。今日、皆さんにこの祝福が臨むべきなのですが、神様のみことばの重要な部分が何でしょうか。皆さんが礼拝をささげる時ごとに、必ず聖日ごとに記憶すべきことがあります。神様は、そのみことばが成就して、皆さんに伝えられるのです。そうでなければ、この礼拝をささげる理由がありません。皆さんが礼拝をささげる日が、世の中での千日、万日より貴重な日になります。今日、説教を聞いて、そんな話であるようだと思っただけで行けば、多くのことをのがします。核心の時、話しましたが、このみことばは、いつでも契約を受けて、正しく成就する部分があります。それを捕まえなければなりません。何の話でしょうか。皆さんが祈りの答えを受けるために、契約を捕まえろというのは何の話なのでしょうか。
 
・聖歌隊があります。例をあげます。この賛美は、神様の国で天使がするのです。その天使が堕落して、サタンになったのです。それで、神様が救われたご自分の民を通して、賛美を受けようと思われたのです。特別に、聖歌隊が作られたのには、理由があります。その話をわかった人がダビデです。ダビデは、普段に、いつも賛美をしていました。賛美をする時、悪霊が離れました。賛美する時、癒されるみわざが起きたのです。この話をわかったパウロが、賛美する時に奇跡が起こりました。その賛美を今日、インマヌエル教会でするようになったのです。何の話なのか分かるでしょうか? それで、その答えが皆さんに臨むのです。それが答えです。そうでなければ、歌う人に霊的問題がくるのですが、それでくるのです。音楽を上手にする人が、霊的問題がくるのは、それでくるのです。
 
・今日、皆さんが礼拝をささげにきたのですが、すべての教会学校や、すべての人が契約をそのように捕まえなければなりません。それでは、このみことばをどのように、契約で捕まえるのでしょうか。時代時代ごとに目に見えなく、多くの人々が滅ぼされる広い門に行きました。その時ごとに、少数だけがわかる道があったのです。その契約を今日、皆さんが捕まえようという言葉です。その契約をつかんだ少数で世界を生かされたのです。それでは、不思議なことが行われるでしょう。皆さんの周囲に証拠が起きるでしょう。狭い門から入った皆さんのために、多くの人が生き返るでしょう。皆さん、この契約のために、家系が生き返るみわざが起きるでしょう。今日、この祝福を必ず捕まえられるように願います。皆さんは、みな職業を持っています。もう一度理解しましょう。私は、説教を準備してきて、説教しにきながら祈りました。聖書にいつでも伝道者が現れて、福音を伝えた契約をずらっと思ったのです。その中の今日です。何の話なのか分かるでしょう。私が一週間をずっと通って、ある時は大変です。講義を一度して、血圧を測ってみました。講義する前と後で、血圧を測ってみたら、上下とも10ずつ違いが生じます。それでは、メッセージをすれば、どれくらい大変でしょうか。血圧が下も上も10ずつ差が出るのです。これを私は一日中しています。こうすればどうなるのでしょうか。これで大変だという気がしたのです。私が全国、世界をずっと回りながら思うことがあります。神様が足りない私たちに、時代ごとに伝道の歴史が動いたのを思いながら、今日を見るようになるのです。皆さんがどれだけ重要な祝福を受けた人かが、今日、確認できなければなりません。皆さんは、滅ぼされる広い門へ行く人でなく、狭い門に行くのです。この狭いという言葉は、大部分が知らずに、何人かだけが行く道です。この話をわかってこそ、祈る時、神様、千に一つ、万に一つ私たちを呼んで下さって感謝すると言うのです。この契約を捕まえた瞬間から、新しい開始が起きるのです。今日、皆さんの事業、家庭、個人に新しい答えが始まるでしょう。この契約を捕まえて、多くの失敗する人々の道に行かずに、狭い勝利する専門性があるところに行くことになることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈りも>>
神様に感謝申し上げます。今日、私たちに多くの人々が行く広い門に行かなくようにしてくださったことを感謝申し上げます。福音を知らない宗教の広い門に行かないようにさせてくださったことを感謝申し上げます。また、私たちが真に神様の前に、正しく祈りの答えを受ける道を探す貴重な日になるようにして下さい。すべての聖徒が契約を捕まえる日になるようにお祈りします。重要な問題が解決される日になるようにして下さい。病気にかかった者がいるなら、神様が働いて下さい。聖霊の働きを体験する日になるようにして下さい。失敗した者に、神様が新しい道を準備された門を見るようにして下さい。それで、正確な狭い門から入る、正確な開始になる日になるようにして下さい。生きておられる主イエスの名前でお祈りします。アーメン.
 
 


2部/絶望の中で何をすべきか
(詩108:1〜13)
 
・私が小さい時に、母教会には、いつも居眠りをしている人がいました。ある女性でしたが、いつも寝ていました。昔は椅子ではなかったので、床の上に座って寝るので、辛かったでしょうが、この方は眠ってしまいそうなので、寝ないふりをしようとからだを揺さぶりながらメッセージを聞くのです。そうするうちに、一度は牧師が説教しておられるのに、後にドーンと倒れたのです。それで全信徒が笑ったのですが、私はそれを見て笑いが止まりませんでした。いくら耐えようとしてもだめなのです。他の人はがまんして聞くのに、私はだめになって口をふさいで出てきました。その方は、区域礼拝の時も寝ていました。どこでも、うとうとするのです。後ほど見たら、大きい霊的な問題に勝てないのです。
 
・皆さんが、みことばを聞くのはとても重要です。私たちの考えでは、なぜ詐欺に会ったかと思いますが、そうではありません。詐欺師の話を詳しく聞けば、一理があります。それで、だまされてしまうのです。なぜなら、それもメッセージであるためです。私たちにみことばがどのように入ったかによって、全てのものが左右されます。それで、私たちのタラッパンで働きが起きるのは、みことば運動を継続するからです。私は外国に行ったり、他の教会に行けば、必ずお願いすることがあります。教会堂の音響を響かないようにしてくださいと言います。それは完全に、何年か後に信徒をみな殺すのです。間違いありません。ヨーロッパや米国教会を見れば、建物をの天井を高く作って、みことば聞けないようにして殺すのです。皆さん、聖書を見れば、みことばが、すなわち神様だと言われています。みことばで、すべてのことを創造されたのです。それで、皆さんがみことばが入ってこなければ、大変なことになるのです。みことばを詳しく、正しく聞けば、みな生き返るのです。それで、皆さんが、過去に教会を通っていて、礼拝ができなかったり、みことばが入ってこない時があったでしょう? 最も損害をこうむる時です。反対に、皆さんがみことばに恵みを受けて、力になる時がないでしょうか? その時は、何でもないことのようですが、時間が過ぎれば、すばらしい働きが起きるのです。それで、こういう部分ぐらい重要な部分はありません。それで、役員も教役者も、未来は本人がさらによく分かるでしょう。
 
・私が一度、そのような経験がありました。副教役者をしながら行き来したら、副教役者がみことばを確かに受け取れないのです。一番、受けなければならないのに、受けられないのです。お手伝いをしているうちに、習慣になったのです。何もしないのに、みことばが入ってこないのです。私がある日、それを感じたのです。こういうことでは、死にそうだという気がしました。牧師の説教を聞くのに、全く入らないのです。そして、礼拝にならないのです。こういうものが数年、継続されれば、完全に死ぬのです。伝道もできるのに、祈りの答えがないのです。何かならないのです。私はその理由が分かりませんでした。どこかに祈りに行ったりしたのですが、だめなのでした。私は、伝道運動を昔からしたので、実がたくさん起きました。しかし、私には答えにならないのです。何か解けなければならないでしょう? 人がとても解けないから、力が抜けてだめなのです。そのようなある日、私が発見したのです。私が事実は、未信者と同じだな。なぜか、礼拝がだめなためです。全くみことばを受けられないのです。それをある日、知るようになったのです。それで、みことばを受けて、恵みを受け始めたのですが、その時から今まで、答えを受けたのです。
 
・それで今日のタイトルで、絶望の中で何をしなければならないか、この話は、どのようにではなく、何をということです。ダビデの詩です。それでは、何をという言葉は、内容を言うのです。私たちは、今、ダビデが困難にたくさんあいました。どのように、この部分を勝ち抜いたのでしょうか? 今日、いくつかのことが出てきます。最初、理由を分からなければなりません。ダビデがこれを分かったのです。なぜ困難がきて、この地に何の問題がくるのか分かったのです。皆さんが理由を必ず分からなければなりません。先週には、いろいろな良くないことが多くありました。若い映画俳優が自殺したということです。それも、教会に通っていた人でした。それも、とても大丈夫だと思った人が自殺したのです。それも首をくくって自殺したのです。それも自分の家でしたのでした。それで全国が騒々しくなりました。
 
・また母と息子が組んで、父を殺したのです。こういうニュースが見られました。また、ある夫婦は、他の人が事故を起こしたのを手助けしようとして、後から来る車にひかれて、子どもは生き残ったのですが、二人とも死んだのです。放送で、子どもが生き残ったのを見て、子どもをこれからどのように育てなければならないのかと出ていました。それで、その夫婦が優しかったでしょうが、少し無知だという気がしました。皆さんは、必ず参考にしなければなりません。高速道路で事故を起こしたということは、そちらが死角地帯だということです。絶対にそちらに立っていてはいけません。なぜなら、相手の車も、それが見えなくてまた来るのです。だから、人を見てブレーキを踏んでもだめなのです。そちらに立っていたら死ぬのです。そんな残念なこともあるという気がしました。世の中には、そんなことがたくさん起きているのです。
 
・ダビデはこういうものの理由を分かっていました。起きるしかないのです。当然性です。皆さん、創世記1:2の問題は、今でも継続されています。創世記3:5の問題は、今でも継続されています。皆さん、創世記6:5にノア時代に起きたネフィリムは、今でもずっと起きています。今でも、バベルの塔のように崩れているのです。同じように起きています。これをヨセフも分かって、ダビデも分かりました。色々な問題が起きても、揺れないのは、起きるしかないことであるためです。それで、皆さんは勝つのです。皆さんが、気落ちすることがあるのでしょうか? 当然のことです。これをレムナントが皆知っていたのです。ヨセフは、皆知っていました。少しも揺れなかったのです。ダビデがこれを分かったのです。だから、皆さんも知って、出て行かなければなりません。うろたえる必要もありません。起きるしかない問題です。聖書だけが答えています。暗闇、混とん、空虚です。それで、正確に、サタンの誘惑を受けた原罪です。その文化の中に陥ったネフィリムです。聖書だけが正確に答を与えています。それで、それを砕くキリストを送られると言われたのです。この理由を分からなければなりません。当然性です。
 
・そして、行けば行くほど累積されるのです。皆さん、霊的問題を持って教会に来た人々は、気をおとさずにみことばだけずっと聞いていれば治ります。しかし、ムダン(霊媒師)の子ども、霊的問題が来た人々は、時間がたつほど、どんどん激しくなるのです。これをどのように分からないのでしょうか? ダビデは、これを知っていました。サウル王の問題は、ますます激しくなるのです。そして、もう一つのことをさらに分かったのです。神様を知らない人は、霊的問題よりも、成功しただけ、反対のことが起きるのです。いっそ、人気スターにならなければ良いのですが、なるほど問題がくるのです。皆さんこの2つのことは、必ず分からなければなりません。それが理由です。これから未信者とつきあって、世の中に出て行く時、知っていなければならないのです。それで、ダビデは少しも揺れなかったのです。理由を知っていたためです。皆さんが道を行く時、あちらは危険な場所だということが分かれば、特別なことがあってもうろたえません。ある人は、知らずに行って、ちょっとしたことを見て、うろたえて、大きい事故がおきるのです。それで、私たちが福音を伝えて、みことばを度々聞くのです。
 
・この理由をダビデは知っていたのです。霊的問題がくるしかないのです。特にダビデが誰のために困難にあったのでしょうか? サウル王です。それも自分の義父です。分かるのが、お兄さんも自分を無視したのです。さらにあきれたことは、ダビデの息子が、お父さんにそのようにしたのです。ダビデがあきれたことは、自分自身と最も親しい友人であったアヒトフェルがアブシャロムの肩を持ったのです。だから、ソロモンが後ほどアヘトフェルを殺したでしょう? こういうあきれたことが行われたのです。心配する必要がありません。ダビデは知っていたのです。それで、ダビデは信仰で完全に勝利するようになったのです。これが、今日、私たちが受けなければならないメッセージ、信仰生活に対する最初の重要な部分です。ダビデは、この部分を知っていたのでした。レムナントは、皆、知っていました。皆さんが、この部分を知っていれば、信仰生活に勝利するしかないのです。
 
・それで、人々が知らないから、しばしば勝手に話すのです。車に乗ったら、報告書がきたのですが、映画俳優イ・ウンジュが自殺したことに対する報告書でした。二枚ほどありました。私が詳しく読んでみたのです。正しい言葉ですが、みな間違った言葉です。映画を間違って撮してどうなった、というように出ていました。おかしな映画を撮ったから、そうなったと書いてあったのです。それが、一般の人々が見る水準です。言わば、韓国で最高の文章を書く人々が書いたことです。絶対にそうではありません。だから、問題になるのです。皆さん、この世の問題が何か分かるでしょうか? その程度になったら、その姉妹がどれくらい霊的に苦しめられていたかということになります。そして、スターになったのです。そして、自分の作品がは、任期はできるのに、自分は苦しいのです。皆さんの中で音楽をする人々や、レムナントが福音を受けたことは、どれくらい祝福かということを実際にはよく知りません。一人でとても苦しんでいたのです。突然に、気分が悪くて自殺するのではありません。多分、尋ねなかったのですが、その姉妹は、まちがいなくかなり以前から苦しめられていたのです。それで、霊的な目が暗い両親や、教会は、それだけ責任が大きいのです。両親が表情を悟ることができなかったのです。なぜ、このように自殺をするのでしょうか? そのように思いませんか? 真に残念なことです。
 
・有名な財閥会社の金持ちの人が自殺して死にました。一つのビッグニュースになって、多くの文が書かれていました。もちろん、間違った話ではないのですが、正しい言葉でもありません。ある重要な方が、そのような話をしました。自分は死んだその方をよく知っているということです。元々、その人は、ジャーナリズムも避けて、押さえられていたということです。そうでしょう。それに正しい言葉でしょう。私たちがこの世に生きていく間に、当然にその問題が来るしかないのです。これを分かってこそ、福音も分かることで、伝道も分かるのです。だから、今までうわべ伝道だけを継続したのです。私はさらに残念なのが、自殺したその姉妹が教会に通っていたのでした。もちろん、教会に責任があるのではありません。私たちが残念なのは、それしか仕方がない状況だったことです。そして成功すればするほど、さらに反対のことが起きるのです。ますます、解決できるでしょうか? どんどん累積していくのです。それで、皆さんが福音を分かったら、教会の中に少し足りない人々がいても、待ってあげなければなりません。皆さんが本当に人生を分かったら、待ってあげなければならないのです。
 
・あちこち通いながら、柳先生はキリストだと言う人がいす。私が確かに話したのに聞き取れないのです。精神的な問題がくるのです。人は、精神的な問題がくれば、一つにコンプレックスになります。ある人は、太ったコンプレックスにかかって、やせてもご飯を食べないのです。またある人は、反対に一日中食べるのです。私が精神病院に伝道しに行ってみたら、ある女の人は、一日中歯を磨いていました。だから、自らそこにはまることがあるのです。ところで、その人が完全にそのようになる前に、夫が私を訪ねてきたのです。その時、私が確かに話しました。その時はあのようにしませんでした。精神が大丈夫だったのです。夫がきて、頼むのでした。みな良いが、家内がメッセージ聞くために、忠清道(チュンチョンド)から釜山(プサン)までくるのを、ちょっと防いでくれと言うのでした。子どもたちを学校に送って、ご飯も作らなければならない。正しい言葉です。しかし、その女の人は、何も言わないでそばで笑っていました。その時は、まだ精神が大丈夫だったのです。それで、私が話をしました。夫に話したのです。この方は、今、癒されなければならないと言いました。病院に入院したと思って、奥さんを助けてあげてくださいと言ったのです。私なら、そのようにすると言いました。ここで訓練も受けて、睡眠も気楽に寝るように手助けしてくださいと言いました。6ケ月から1年だけそのようにしてあげれば、癒されると言ったのです。しかし、この方はそれが理解できなかったのです。ご飯は誰が作るのかと言うのでした。結局は、時間が過ぎながら見たら、理解することができないので、家庭も壊れておかしくなるのです。時間が経つほど、メッセージも聞けなかったりして、おかしくなるのでした。日が進むにつれ、深刻化するのです。
 
・皆さん、福音を分かるということは、単なることではなく、ほとんどすべてを分かるようになるのです。いくら教育をして、金を儲けても、これを知らなければ失敗するようになるのです。ダビデがこれを知っていたのでした。だから、サウル王を理解したのです。サウル王が問題を起こすほど、憎いのではなく、かわいそうな気がしたのでした。サウル王が死んで、一番たくさん泣いた人がダビデでした。それが、みな理由があるのです。皆さん、今日、わかることを希望します。皆さん、本当に祝福を受けることを希望します。二番目です。ダビデがこれを知って、どのように行動したのでしょうか? 108篇1節に'神よ。私の心はゆるぎません。私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。'そして、とても重要な話が出るのですが、2節に'十弦の琴よ、立琴よ。目をさませ。私は暁を呼びさましたい。' 3節には'主よ。私は、国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。'ここに四つのことが出てきました。ダビデが理由を知っていたので、理由四つが出てきます。
 
・最初は、心に決めたのです。2節には、暁を呼びさますと言いました。3節には、国々の民の中で、主に感謝して、国民の中で賛美すると言いました。残り6〜11節までは、未来に対する準備です。ここで、すばらしい答えが出てきました。皆さんが、人生の問題を本当に分かったら、今日、心に決断しなければなりません。どんな困難がきても大丈夫です。決断をおろさなければ、しばしば揺れます。皆さん、困難がしばしば来る人々は、決断をおろさないからです。アブラハムが何をしたのでしょうか? 決断を下したのです。財産を思いのままに持っていけと言いました。土地も先に選択しろと言いました。そして、祈り始めたのです。神様が何とおっしゃったでしょうか? アブラハム、東西南北を見なさいと言われました。永遠にあなたに与えると言われたのです。縦と横に通ってみなさいと言われました。わたしは、あなたの盾で、あなたの大きい報いだと言われました。
 
・皆さん少しも心配せずに、本当にみことばの理由を分かったら、心に決めるように願います。サタンは、確かに存在しています。皆さんの心に確固たる決断がない以上、ずっと触るのです。必ずそうです。皆さんが明らかな決断を下さない以上、皆さんの家をずっと触るのです。なぜか、通路がそれしかないためです。皆さんに勝つことができないと思うから、揺れるのをどんどん誘惑するのです。皆さんが、神様の子どもだということを分かるから、揺れるところをしばしば利用して攻撃するのです。皆さんに途方もない権力が来ていることを知って、揺れるところをしばしば利用するのです。ダビデが心に決めたと言いました。ここに、私たちのレムナントがたくさん来ています。外国からとても貴重な学生たちがたくさん来ています。環境が少し難しいでしょう。しかし、大丈夫です。皆さんが、計画をたてて、心に決断するように願います。今日から後に、暗闇の勢力は、皆さんの家、近所、皆さんから完全に離れることを希望します。なぜか、心に決めたからです。この話は決断を下したのです。
 
・私も、昔に伝道していた時、試みがたくさん来ました。私がどんな決断をしたのかというと、何も問題になることがない。私はただ福音のために生きて死ぬという決断をしました。この時から、揺らぎませんでした。ここには何と書いてあるでしょうか。聖書を見れば、ダニエルの決断、ダビデの決断とあります。この決断が、どれくらい重要でしょうか。ダビデは理由を知っているから、二番目、どんな方法を使ったかというと '暁を呼びさましたい'これが重要な言葉です。方向を定めたのです。決断だけおろすだけでなく、なぜするべきなのでしょうか。暁を呼びさます。眠りを覚ますという言葉です。我が家が、ずっとこれで良いだろうか。その眠りから私が起こす。私たちの民族が、ずっとこれで良いのだろうか。その死んだ眠りから起こす。サウル王国がこのように死んで良いだろうか。私が暁を起こす。この決断は、普通の決断ではありません。勝利するしかないのです。本当です。私は幼い時から、教会が無駄に話して戦うのをたくさん見ました。暁を呼びさまさなければならないのです。教会は福音を伝えるところで、そうことをする所ではありません。教会はきて、神様の祝福を受けて出て行って証しをする所です。私はこのように決断を下したのです。暁を呼びさます。ダビデが普通の話ではありません。神様、私が私の心は揺るぎません。終わったのです。'暁を呼びさまします' 眠りを起こすという言葉です。これが、今、単なるみことばとして見ずに、サウル王国とダビデの現況を見てみましょう。普通の話になりません。私は、こういう気がしました。'神様、我が家にあったすべての偶像、暗闇をくだいて下さい。'私は、こういう祈りが自然に出てきたのです。私は人を見る時 '神様あの人の五十年の間、捕われたあの暗闇の問題を砕いて下さい。' 暁を呼びさますという言葉は、普通の話ではありません。これは、信仰的な明け方にもなって、実際的な明け方もなります。ダビデは、実際に夜明けに祈りました。それより、さらに重要なのは、ダビデは明け方を起こす人でした。とても重要です。そして、何と言ったのでしょうか。'国民の中で神様に感謝する。'詩篇108篇を持って、ゴスペルソングも多く出てきました。特に見れば、十弦の琴よ、立琴よ。目をさませ。また、3節には主よ。私は、国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。と言いました。こういう感謝の賛美を、ダビデは神様の前にずっとささげたのでした。この話は何の話なのでしょうか。理由を分かるから、答を知っているのです。皆さん、明らかな理由を知って、神様の前に祈り始めれば、皆さんに問題が来ても、答があるから感謝が出てきます。それで終わったのではありません。6節〜11節を見れば、それからは、未来に関する多くの絵を描き始めたのです。今日、この祝福受けることを主の名前でお祈りします。
 
・三番目です。それなら問題になることがありません。皆さん、何が問題なのでしょうか。神様の外にある人は問題になりますが、皆さんは神様の中にあるから問題になることがありません。私に力を与えて下さる方の中にあって、私はどんなことでもできるのです。問題になることがありません。私は昔に、何でも問題だと見えました。問題になることが、何があるのでしょうか。今晩に、レムナントに話すことが多くあります。問題になる必要がないのです。何が問題なのでしょうか。神様の子どもです。よく見ましょう。問題になることがないのです。誤って見れば、ダビデに起きたこと全部が危機です。皆さん、理由を知って、霊的な目を開いて見れば、それは全部、問題ではないのです。新しく見えます。問題になることがありません。皆さん、失敗したのでしょうか。私はそのように見ません。正しく始める機会がきたのです。いつも不安で生きることができるでしょうか。正しく始める機会がきたということです。ですから、ダビデ、ヨセフを見れば、問題になることがありません。私は、私たちのレムナントを見て話します。家が貧しいのでしょうか。問題になる必要がありません。責任があるとするならば、両親にあります。金持ちの家に育った子どもに希望があるのか、貧しい家に育った子どもが希望があるのでしょうか。成功率は、貧しい家で育った子どもが、もっと希望があるのです。そうです。問題になることが、何があるのでしょうか。私たちの両親が問題です。問題ありません。それは、両親の事情であって、レムナントの事情ではありません。実際に目を開けば、何の問題もありません。この問題を見れば、何でも問題になります。しかし、神様の内で見れば、何も問題になることがないのです。私は昔に、家内を見て、毎日、問題だと言いました。片づけができません。何でも問題にしました。この頃は、私より少しきれいにしています。前は、どこかへ行こうとしたら、どれくらい持って行くことが多いのか、引越センターのようでした。私が毎日、外で待ちます。私が車で、しかめっ面をして、はやく出て来なさいと言いました。この頃は、私がぜんぶ持ってあげて、そのようにします。家でも、うつわも皆、片付けてあげます。この頃は、私にお手伝いをさせます。水をちょっとくんでくださいと言うのです。はい、と言いながら、くんできてあげます。私が内心、あきれながらも、くんできてあげます。くんできて、私が他にする必要はないのかと尋ねてみるのです。申し訳ないのか、ないと言います。悪いことが、何があるのでしょうか。本来は、女の人は、ちょっと弱いから、私たちが仕事をして、清掃をしてみなしなければならないのです。原則はそうです。先進国はそのようにします。ヨーロッパ、ドイツのようなところに行くと、女の人は、絶対に重いものを持っていません。本来は、私たちが一日中、仕事をして、家に早く帰ってきて、休みなさいと奥さんを慰さめてあげて、ご飯を作って、そのようにしなければならないのです。そして、大変な清掃のようなものも、私たちがみなしなければならないのです。本来、女の人は、からだも管理して、きれいに塗って、そのようにしなければならないのです。そのようにすることができないので、申し訳ないのです。それで、私は家に帰ると、大変だろうと賞金もあげています。このように考えが変わったのです。昔には、何でも問題でした。これで問題、あんなふうだから問題。ある日、私が福音に深く入ったら、問題になることが、何があるでしょうか。私に力を与えてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。神様の中に失敗があるのでしょうか。ありません。
 
・三番目、ダビデは五つの機会を見つけました。最初、幼い時、とてもエリート教育を受けました。機会です。兄には、羊飼いのように見られたのですが、とてもエリート教育を受けました。聖書に見たら、羊一匹もなくさなかったのです。Iサムエル17:35節に、獅子と戦って、羊を奪われなかったと記録されています。本当に感謝したのです。私はお願いします。皆さんの子どもたちが幼い時は、エリートとして育てましょう。可能ならば学校も、勉強も、幼い時はエリートとして育てましょう。とても重要です。それで、皆さんが外国で、子どもたちが勉強する時、周囲がとても良くない環境で育てば、皆さんの子どもたちが、そうなるしかありません。ですから、孟子のお母さんが、子どもたちのために引っ越しを3回したと言われているでしょう。その話は、幼い時は、エリートで育てようということです。それが、詩篇78篇71〜72節ダビデの幼い時です。ゴリヤテと戦ったのが、Iサムエル17章に出てきます。青少年時代です。ゴリヤテに勝ちました。ここに出てくる重要な二番目の答えがあります。私たちのレムナント、青少年は、外に出て行く前に、福音で完全に武装して出て行きましょう。どんな場合がきても、揺れないようにして出て行きましょう。どんな問題がきても大丈夫です。この信仰をもって出て行かなければならないのです。私たちの学生たちが、そうなることを希望します。ダビデを見ましょう。兄たちに、ゴリヤテと戦う、行くと言いました。兄が驚いて、お前は、元々高慢だったと言いました。後ほど、サウル王が、お前が本当にゴリヤテと戦えるかと言いました。その時、した言葉です。'主は、あの敵の手から救い出して下さるでしょう。主を侮辱する者の手から私を救い出されるでしょう。'これがダビデの信仰です。獅子の歯と、足指の爪から私を救い出された。だから、国を侮辱して、主を侮辱する者に私が行く。そして、ダビデがゴリヤテの前に行っても、同じ話をしました。私はお前が侮辱する万軍の主の御名をもってお前に立ち向かう。これが大きなメッセージです。お前が侮辱する、万軍の主の御名によってお前に立ち向かう。今日、主がお前の首を自分の手にくださったのだ。お前が侮辱する主、ということです。私たちの救い、いのちは、剣にあるのではなくて、主の御手にあることを今日、証明する。本当に、ダビデを見ましょう。ここで私たちが何を学ばなければならないのか分かるでしょうか。私たちのレムナントが、外に出て行く前に、確実な福音を準備して出て行くということです。これが、ダビデを通して習う機会です。それでは、勉強はいつするのでしょうか。福音を正しく知れば勉強がよくできます。福音とは別に、神様とは別に行くのではなく、神様の力なかで勉強するのです。三番目の機会です。青年時代です。ダビデに困難がたくさんきました。皆さん、青年の時には、難しいこと、良いことすべてが土台です。すでに福音を持ったのです。皆さん、青年の時を記憶するように望みます。青年の時、起きることは全部、土台です。青年の時、受ける苦しみは味わいましょう。青年の時、受ける困難も、全部喜びで味わいましょう。福音なかで、青年の時に仕事をしたら、いのちをかけて最善を尽くしてしましょう。これが機会です。若い時は、皆さん大丈夫です。何日も眠らなくても、大丈夫です。そのような精神をもってしましょう。これがサウル王に追われた時です。主は私の羊飼い。私には乏しいことはありません。ダビデが王になりました。どんな機会なのでしょうか。神様の願いをかなえる機会です。かなり以前から祈ってきた神殿建築です。何の話なのか分かるでしょうか。エジプトから出る時、奇跡を起こした契約の箱。イスラエル民族が知らなくて奪われてしまった契約の箱。この契約の箱をおく神殿を作る。これが、皆さんの年齢50〜60代に入った方がおろさなければならない機会です。私たちが、神様のために生きて、本当に重要な足跡を残す。みな見て習えるのです。最後に、ダビデ王の老年時代です。ダビデが正しく準備したので、こうしたことが行われたのです。子孫にどの王をたてるのか。この準備をしました。準備をしていたら、アブシャロムも裏切って、アヒトフェルも裏切って、みなそのようにしたのです。それで、ダビデは皆さんがおわかりの通り、シムイのように呪われても淡々としていたのです。ダビデが、未来を準備しているのです。私たちは、このようにならなければなりません。どれくらい素晴らしいでしょうか。皆さん、神様のなかで恐れることはありません。神様の中では、失敗しても大丈夫です。新しく始める機会です。神様の中では、出来ないことがありません。なぜでしょうか。皆さんは神様の子どもだからです。確かに私たちのいのちを治める神様の子どもです。それで問題ありません。機会を探しましょう。私たちは、詩篇を見ながら、ダビデの話が一番たくさん出るから、この祝福をのがしてはいけません。
 
・結論を結びます。皆さんが、今からダビデを見つめながら、ダビデに会ったように、皆さんはよく分かるでしょう。ダビデは一言でどんな人生だったでしょうか。私が見る時には、2つに要約することができます。ダビデは味を分かる人生でした。福音の味、神様のみことばの味も分かっていました。神様のみことばが、蜜よりも甘いと話しました。私の足のともしびで、道だと話しました。これが、すでに主の契約の味を知っている人です。味わわなければなりません。皆さんが、神様のみことば、福音の味を知れば、答えを味わえば、ずっと、この大事な扉が開きます。それなら、私がメッセージすること、皆さんが聞くこと、集い自体がどれくらい祝福になるのでしょうか。私は2004年、答えを本当に多く受けました。私と、皆さんが共にたくさん受けたのです。2005年、今年は、また違う答えがくるでしょう。どんな答えなのでしょうか。2005年、今年は、皆さんの事業、教会、全てのものに目に見える答えがくるでしょう。2004年度には、目に見えない答えがたくさんきました。私たちの教会だけでなく、タラッパンに集まる人の数字が倍に増えました。皆さんが、すごいのは、私たちがとても環境が良くないのに、1部、2部をみれば、席が満杯になりました。他の教会のように、聖徒に上手にしてあげて、そんなこともないのに、皆さんはみことばによって集まるのを見れば、神様の祝福です。それで、祈りながら準備しているのですが、こういう考えもあります。説教をちょっと深くして、一個だけするのはどうでしょうか。皆さん、日曜に礼拝を一つだけして、残りは献身もして交わりもして、伝道もするのがどうでしょうか。そのようにして、皆さんが座るこの席、この時間に、他の人がきて、礼拝をささげられるように、このように2部体制を変えるのはどうでしょうか。何の話なのかというと、説教を1部、2部違うようにすれば、二つすべて聞かなければなりません。皆さんのように、欲が深い人々は聞かないでしょうか。来てすべて聞きます。そうすれば、多くの人が聞くようにさせてあげなければならないのに、同じのをすれば、1部聞いて、2部は伝道しにでかけて、他の人はまた聞いて、これも良いのではないか。ひとまず、これは考え中です。なぜなら、釜山(プサン)にも外に立っています。そして、付属の建物にみな入ったのに立っているのです。もう、答えをこの方が徐々に受け始めています。それで、皆さんの周囲に、少し弱い人、少し足りない人がいても、絶対に判断せずに、誤解してはなりません。この方がずっと聞きながら育つのです。皆さんの肉体の病気も、正しく薬を飲んで、医師の指示を受けて、少しずつ良くなります。突然に良くなるのではないのです。
 
・ダビデは、味を知っている人です。祈りの味、みことばの味が分かるのです。そうしたら、ダビデには特徴がもう一つ出てきました。素晴らしい人生です。ダビデを見れば、素晴らしい人です。幼い時、お手伝いをさせれば、どれくらい正しくしたでしょうか。そんなに困難にあって、迫害された中でも、自分を守りながら、どれくらい素晴らしい人生を生きたでしょうか。王になって、どれくらい素晴らしい人になったか分かりません。クリスチャンは、このように素晴らしい人にならなければなりません。皆さん、私たちクリスチャンは、神様の子ども、福音を持った人ならば、味も知って、格好良くなければなりません。皆さん、そうではないでしょうか。ひとまず、素晴らしいという言葉は世の中でしていることではありません。牧師を見たら、素晴らしいという気がすべきで、牧師を見たら、気味が悪い、こういう気がしてはいけないことではないでしょうか。未信者が、私たちを見る時も、素晴らしいと言われなければならないでしょう。あの方は、時間が経つほど見ると素晴らしいな。知ってみたらクリスチャンだ。私もイエス信じるべきだ、このようになるのです。私たちの社長は、見ると素晴らしい人だ。ある人は、クリスチャンはどこへ行っても、人を難しくして、押して、変にさせる人がいます。それでは嫌いになります。私たちは、素晴らしい人、味を知っている人です。ダビデがそうでした。皆さんの生涯に、本当に素晴らしい人生が始まることを、味を分かる人生が始まることを、イエスの御名でお祈りします。そばの人に'あなたは素晴らしい。' '素晴らしい人生になることを希望する。' 'ダビデの祝福を受けることを希望する。' と言いましょう。
 
<<契約祈り>>
神様に感謝申し上げます。主の民に祝福の日を与えてくださって、感謝申し上げます。このみことばがそのまま成就するようにして下さい。主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン