2005年3月20日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/天国祭りをのがす人々
(ルカ14:15〜24)
 
■何日か前、米国のアトランタでこういう事がありました。麻薬もして強盗もした犯人がいました。麻薬をするということ自体は、その人の前後、多くの暗い背景があるのです。また、強盗をして、人を害するということは、単純なことではありません。この人が裁判を受けるために法廷に入ってまた事故を起こしたのです。女性の警官が持っていた銃を奪って、判事を撃ち殺したのでした。そして、近づいてきた人を撃ったので、そこで4人が死にました。有り得ないことでしょう。犯人が裁判を受けて、判事を撃ち殺すということが可能な話でしょうか。そして、この人は、出て逃げたのです。もちろん銃を持って逃げました。ちょうど地下に車を停めていて出てくる女の人がいたので、その女を人質にしたのです。この人は、どれくらい人をさらに殺すかも知れません。この人は、すでに人生が完全にどん底になってしまったのです。完全に正常と見ることもできなくて、完全にあきらめていました。女性に銃を当てて人質にしたのでした。しかし、驚くことに、この女の人がとてもおちついていたのです。皆さんならば、そのようなことができるでしょうか。知らずに大声で叫ぶでしょう。そうでなければ、気絶するのではないでしょうか。この女の人がとても落ち着いていたのです。犯人が、この人を縛ったのですが、縛られたまま犯人を説得したのでした。犯人の名前は、ブライアン・ニコルスという人です。女は26才で、アシュリーという女の人だったのですが、縛られながら説得をしました。アシュリーという女の人は、福音を持っているとても信仰が良い信仰の人でした。7時間、何の話をしたでしょうか。この凶悪な犯人と思えるその人に、聖書のみことばと福音に関する話をしたのです。どの程度、状況が変わったかというと、この犯人がいくつかのことを告白したのです。7時間後に告白したのは、あなたは神様が私に送った天使だ。自首する。先に出て行きなさい、それで、私はその後に自首する。それで、人質を7時後にこの女の人が解放されて、この人は白い布を振って簡単に話せば、降参したのでした。この前の新聞に見たら、米国の新聞や私たちの新聞にこのように出ていました。この女の人は、この時代の英雄だ。
■どうして、このようにできるのでしょうか。私がみるには、この女の人は、福音を確かに持っている確実な信仰人だと思います。皆さん、こういうぞっとする事故がずっと起きることもあるでしょうが、どのように解決できるのでしょうか。聖書は、私たちに重要な話をしています。私たちは、多くの人々が祝福を受けることを望んでおられ、祈りの答えを受けることを望んでおられます。しかし、実際に、何が真の祝福なのか、どのようにしてこそ、答えがくるかをよく知らないのです。そこに対して、聖書はとても正確な答を与えています。イエス様が直接言われていますし、聖書にはたくさん書かれています。それが何でしょうか。今日の本文に出てきたのですが、神様の国、今日、ここに見ると背景が天国の祭りです。私たちは、しばしばイエスを信じた後に天国に行くと思っています。聖書は、むしろ反対に話しています。あなたが救われたのは、神様の国が臨んだことです。イエス様が一番始めて来られた時、みな悔い改めて、天国に行こうと言われないで、悔い改めなさい。天の御国が近づいたと言われました。私たちが、これから天国に行かなければならないのではないでしょうか。このように話さなくて、パウロは3ケ月の間、大胆に神様の国について説明したといわれています。このように、聖書は国に関する説明をよくしています。今日、皆さんは、この契約をよく捕まえて祈らなければなりません。この犯人には、暗やみがいっぱいでした。皆さん、銃を持って判事を撃ち殺して、警察を撃ち殺すというくらいならば、この人はすでに心が暗くなっていたのです。この人は、何の未来もなくて、自分の希望は少しもありませんでした。この人は、言わば闇の中で完全に捕われていたのです。この人に、福音が宣べ伝えられました。他の人は知らないのですが、この人に何か変化が起きたのです。それを聖書は神様の国と言ったのです。
■今日、皆さんがこの契約を必ず捕まえなければなりません。マタイ10:7に天の御国が近づいたとあります。それで、はやく理解するためには、反対の言葉を理解しなければなりません。神様の国の反対の言葉は、暗やみの国、サタンの国、こうした言葉です。それで、はやく分かるでしょう。神様の国が臨まなくては、絶対に祈りの答えを受けることはできません。言い換えれば、神様の国が臨めば、すべての問題が解決されるのです。信仰生活は、虚像や精神的、こうしたものではありません。とても実際的です。この部分を今日、私たちがのがしてはなりません。信仰生活は、とても実際的です。私たちが、ある時は、命をかけるくらい価値ある、実際的なことです。これを人々が知らずにいるのです。それで、マタイ10:7に天の御国が近づいた。使徒1:3には、40日間、神様の国の事を語られたのです。それは、単なる話ではありません。使徒19:8には、3ケ月の間、大胆に神様の国に対して話しました。皆さん、家がとてもだめだと考えたことはないでしょうか。なぜ私の子ども、私の家族は、あのように継続して困難にあうのか、一度、考えてみたことがないでしょうか。なぜ、刑務所に一度行くならば良いのに、行って、また行って二十回、三十回行くのでしょうか。全くしないと言ったのに、ずっと麻薬をして、麻薬の中に陥るのです。そして、世の中はますます難しくなります。医師、学者が、たくさん出ているのにもかかわらず、精神病者はますます多くなるのです。何でだと思うのでしょうか。私は一言でますます感じられるのです。真にサタンの戦略は怖いな。それで、神様が神様の国という、その途方もないおみやげをくださったのだな。天国の行く以前に、皆さんの家に、私たちの個人に、神様の国が臨まなければならないのです。イエス様は、このように説明されました。聖霊が臨めば、神様の国が臨んだのです。マタイ12章です。使徒1章には、反対に、神様の国を説明して、聖霊充満を受けなさい。こんなにも、私たちに具体的な神様の祝福を与えられたのです。今日、皆さんが一人ももれなく、この祝福を受けることを希望します。イエス様が弟子を呼んで、最初に言われた事は何でしょうか。天国は、こういうものだ。良い地に落ちた種と同じで、それはすばらしい実を結びます。からし種のように小さいのですが、目に見えないように思えるのですが、大きい木になるのです。目に見えなくて、全く価値がないように見えるのですが、パン種が広がるように、全てのものを変化させるのです。単に畑で仕事をして、小さい畑を持っているように見えるのですが、大きい宝の畑を持っているのです。ふろ敷包を持っているように見えるのですが、最も貴重な真珠を持っているのです。ある人は教会で恵みを受けられないようで、ある人は救われるように見えるのですが、網の比喩を見ましょう。漁師がどんな魚でも捕まえるでしょうか。こういう祝福を話されました。皆さん、今日一日、神様の国を思いながら、皆さんの多くの霊的問題が解決されることを希望します。すばらしい祈りの答えが与えられるでしょう。ところで、聖書を詳しく見れば、今でもキリストは天国の御座にいらっしゃるとなっています。今でも、黙示2:1を見ると、右手に七つの星を持つ方と言われています。その話は、福音をもっている主のしもべを捕まえておられるのです。七つの星と、七つの燭台の間を通っておられます。教会です。今でも救われた聖徒を治めておられるのです。これが事実ならば、この祝福を受けなければならないでしょうか。
■今日、皆さんが一度だけ考えてみるように願います。私が本当に、この答えを受けているのでしょうか。一度だけ質問すれば、答が出てきます。私たち人は、複雑にしなければならないのですが、神様は皆さんが一度だけ真実に祈っても働きを起こされます。私は二十何才の時、このように祈りました。'神様が本当にいらっしゃいますか。それなら、私に分からせて下さい。'私はこのように祈ったのです。この祈りぐらいで、何の祈りもしませんでした。することができなかったのです。それでも、多くの答えを与えられました。今でも天の御座で、主のしもべを捕まえて、燭台の間を通っておられるのです。黙示2:12を見ると、両刃が鋭くなった剣を持っておられます。黙示2:18を見ると、目は燃える炎のようです。どれくらい強いのか、その足はしんちゅうのように強いのです。こういうキリストが、信者と共におられるので、心配するなということです。とうてい理解できない言葉です。とうてい信じることができないのに、使徒ヨハネに神様が見せられたのです。私たちが知らずにいるだけであって、天国、神様の国、この話はすばらしいことが起きているのです。黙示3:1に見ると、七つの御霊と七つの星を捕まえているとなっています。七つの御霊とは、天使のことです。目には見えません。しかし、聖書はそのようにおっしゃっています。今でも、主の天使を送って、聖徒と主のしもべと共に皆さんに働いておられるのです。事実ならば、この祝福を味わわなければなりません。それを神様の国が臨んだというのです。黙示3:7を見ると、ダビデの鍵を持って、私たちと一緒におられます。黙示3:14に見ると、創造の根源の方が私たちと一緒におられるのです。これが事実なのでしょうか。事実ならば、この事実を味わわなければなりません。神様の国です。皆さん、この祝福を必ず受けることを希望します。それで、私は皆さんに断固として話せます。皆さんが、今、どんな状況の中にあるのでしょうか。それが、皆さんに大きい益になるでしょう。それが、神様は皆さんにこれから大きい働きを成し遂げられるでしょう。神様が、私たちに備えておられる神様の国という、この話はすばらしい話です。それでヨハネ14章に、あなたたちは心を騒がせてはなりません。イエス様が直接おっしゃった言葉です。神様を信じて、心配しないで。またわたしを信じて、心配しないで。それと共に、とても重要な話をされました。わたしがあなたたちのために、行って、神様の国を備えに行くので心配しないで。完成したら、あなたたちを連れにきます。それまで、助け主聖霊であなたがたとともにいるので、心配しないで。そのみことば、聖霊を話しながら、マタイ12章で、まさに神様の国が臨んだと言われたのです。すばらしいのです。皆さん、今日、この部分に少し葛藤するだけでも働きが起きます。私は事実は、この部分を分かりながら、多くの祈りの答えを受けました。この部分が分かりながら、あらゆる分野に変化が起きたのです。第一に、私の考えが変わりました。エレベーターに乗れば、各教会、自分の教会に来て下さいと宣伝をたくさん付けてあります。私たちの教会は、ここにくる前に十字架も付けられないのが、数年ありましました。大家が十字架を付けないでくれと言ったのです。そして、教会の名前を付けなければならないのに、それも付けられませんでした。大家が付けないでくれと言ったのです。それで、その時、東三第一教会を探そうとすれば、頭が悪い人は探すことができなかったのです。しかし、神様は、私たちの教会の中に、その狭いところで多くの運動をするようにされました。私は、神様の驚くべき奥義、神様の国を信じます。あのようなものを貼っておくと、教会が復興するのでしょうか。私と皆さんが手段をよく働かせたから、復興するでしょうか。私と皆さんが、世の中に出て行って、成功をして、多くの功績を立てたといって、教会が復興するでしょうか。今、インマヌエル・ソウル教会を見てください。何もありません。看板もなくて、案内もなくて、何もありません。他人の学校を借りてするので、何も付けられないのです。それでも、みことばを聞く人が一人ずつ集まって、今はほとんど席がありません。みことばは生きていて、力があるのです。使徒19章に、神様の国について大胆に説明したのですが、何を伝えたのでしょうか。みことばを伝えたのですが、奇跡が起きました。この話を皆さんが理解する日、皆さんのあらゆる分野は生き返るようになります。私たちの政治家が、この話を理解する日、政治は生き返るようになります。私たち多くの経済人が、この話を理解する日、経済は生き返るようになるのです。
■多くの人々が、釜山(プサン)では祈っているということです。なぜはやく教会を作らないのか。このように狭いが、はやく作らないのか。多くの人がそのように祈っているということです。準備中です。今、堂会員と役員などが、とても心を一つに集めて祈っています。釜山(プサン)に代表的な教会を作るでしょう。皆さんの生涯に、もう二度と作らないでも良いほど、正しくなされた教会を作るでしょう。皆さんの子孫が見て、本当に私たちの親たちは、信仰がすごいんだなと告白するほどの教会を作るでしょう。どのようにできるのでしょうか。神様の国が臨めば、できないことがありません。私はそれを置いて祈っています。神様は確かに働かれるでしょう。その時から、皆さんの人生に、子孫に、ダビデとソロモンに臨んだ答えがずっと臨むようになります。私は確信と答えを持っています。ある日、神様が働かれるでしょう。なぜでしょうか。それが神様の計画です。迫害を受ける者が祝福を受けて、迫害する者を悟るようにさせるのが神様の計画です。多くのねたみ、しっとのために真理をさえぎった人々が見て悟るようにさせるのが神様のみこころです。私はソウルでは、そのように祈っています。世界で一番模範となる教会を作りましょう。'私たちにお金がどこにありますか。'お金は韓国にあって、銀行にあって、世界にあります。心配する必要がありません。私たちの総神を買ったのですが、主人が見て私たちが訓練を受けるのが一番細かいので買ってくださいと言ったのです。今は大きく上がりました。その時、尋ねたら、5億円を出してくださいと言われました。神様に5億円がないでしょうか。そのまま始めました。始めて、どのようにしたのか分かるでしょうか。各教会に分けたのです。私たちの教会で、一千万円を受け持って、他の教会でも一千万円受け持って、利子だけずっと返して、力ができたらみな返します。私たちはすべて処理して、学校はずっと復興しています。多分、私たちの教会でも一千万円を引き受けました。献金したのでなく、一千万円を引き受けたのです。利子が十万円ほどかかります。それで、利子を継続して出しながら祈れば良いのです。いつまででしょうか。答えがくる時まで継続すれば良いのです。継続して出して、主が再臨されれば終わりです。何で心配になるものがあるでしょうか。これまで再臨されなければ、返していけば良いのです。今、大邱(テグ)にはハナ教会が教会を作った後、1週間に60人、70人、100人ずつ登録するということです。多分、釜山(プサン)とソウル・インマヌエルには、教会堂を正しく作っておけば、爆発するでしょう。それで、私たちが力を合わせて祈っているのです。子どもの童話の本を見たことがあるでしょう。蜂の巣から出た蜂の群れが、数万匹、虎と戦って虎に勝ちました。目や鼻、口を刺すので、どのように勝てるでしょうか。私たちの信徒は力がないように見えるのですが、神様の国です。どれだけ答えられたのか、神様がソロモンにすべての国王を合わせたすべての知恵より知恵があるようにされたのです。すべての国の国民の願いが何なのか、ソロモンに会うのが願いでした。これくらい働きが起きたのです。何が、私たちが恐れるものがあるでしょうか。
■今日、私たちが二番目に考えなければならないことが、本文です。天国の祭りをほとんどのがしているのです。知らないからです。今日の18節を見ると、私が畑を買いました。天国の祭りに行けば、畑が祝福を受けるのに、畑を買ったから、そこまで行けないという言葉です。こういう愚かな人をみてください。天国の祭りの祝福、神様の国の祝福を持てば、畑が恵みを受けるのに、畑を買ったので、私は天国の祭りに行けない。私が牛五くびきを買ったので、そこ行くことができようか。19節です。これが、今日、人々が持っている愚かな頭です。牛五くびきの価値も天国の祭りでしょうか。このように愚かなことをするのです。私が結婚するから、天国の祭りに行けない。20節に話されています。神様の国の祝福を持って結婚すれば、家庭が恵みを受けるのに、今、逆にするのです。すると主人が何と言うのでしょうか。いっそ、貧しい者、病気の者たちを連れて来て、祭りに参加させなさい。21節にそう言われました。こういうものすごい祝福を、知識人が知らないから、教会の中には失望した人々、貧しい人々、こういう人々が知らずに集まるのです。21節〜22節を見れば、それさえも席が空いています。主人が苦しくて言うのです。23節に、それでは道と垣根に出て行って、無理にでも人を連れてきて、わが家を満たしなさい。この話は、総動員3千名をして、わが家を満たせという言葉ではありません。教会の席がたくさん空いているな。わが家を満たせ。その話ではありません。教会が恵みにならず、力がなくて、席はからからなので、わが家を満たせ。その話ではありません。あの愚かな人々が悟ることができなくて、病気の者までも悟ることができないから、行って無理にでも連れて来て満たせ。それが伝道と宣教です。街頭と垣根に出て行って。街頭は何で、垣根は何でしょうか。英語で訳してみたら、街頭はstreetというので、垣根はlaneという狭い道を言います。その話は、どこにでも行って、悟ることができない人に話して、この祝福を分かるようにさせなさいということです。それで、私たちはキャンプもして、教会学校もして、地域教会など、色々なことをするのです。さらに残念なのは、今、お手伝いする多くのしもべも悟ることができないのです。今日、福音の背景を静かに見れば、祭りに来ている人々も何かわかっていません。来ることは来たのですが、何かを知らないのです。そのような意味です。今、世の中の人々も知らないのですが、来ている人々も知らずに、連れて来る人も知らずに、このような形です。これは必ず、私達クリスチャンが悟らなければならない話です。今、国会に出馬して、これからあれこれつくさなければならないのに、どれくらい忙しいでしょうか。こういう愚かな人と同じです。神様の国の祝福を受けて、国会に行って、軍人として行って、それで警察に行って、そのようにしなければならないのです。皆さん結婚するのが問題ではありません。神様の祝福を受けて行かなければならないのです。そうでないから、今、ずっと問題がくるのです。今、成功するのが問題ではありません。お金を持っているのが問題ではないのです。暗闇の中で、お金を持っていれば、どうなるのでしょうか。このように分からないので、出て行って、むりやりに連れて来て、わが家を満たせ。さらに簡単に話せば、むりやりにでも連れてきて、この天国の祭りが何か分かるようにさせなさい。ということです。しかし、お手伝いする人も知らないのです。そして、来て座っている人も、どうして来たのか、ご飯をもらえるのか、というようにするのです。神様は、皆さんに重要なことを準備しておられます。神様の国の祝福が何か分かることを希望されるのです。そうしてこそ、皆さんの過去も分かって、未来も分かるのです。神様は主のしもべが、これを本当に悟った胸で仕事をすることを希望されます。それで、だめなはずがありません。皆さんの力があろうがなかろうが、関係なく、だめなはずがないのです。だから、主のしもべが知らずに、主人がお手伝いさせるのも知らずにいるのです。
■それなら、私たちが今日、最後に悟らなければならない部分、この天国の祝福をどのように味わうことができるのでしょうか。3つのことを持って、胸の中に置かなければなりません。最初には、皆さんが契約をよく見なければなりません。簡単に話せば、みことばをよく見なければならないのです。聖書には、神様の国に対する説明がとても正確に3つなされています。皆さんが救われる瞬間、神様の国が臨むのです。それではどうなるのでしょうか? エペソ2:1にあるように、皆さんの罪と呪いと過去の過ちが全部みななくなります。エペソ2:2に見ると、今、皆さんを捕らえている暗闇の国が崩れるのです。そして、エペソ2:3にある通り、生まれながら御怒りを受けるべき子どもであるのから解放されるのです。それが神様の国です。そうするうちに、エペソ2:6に見ると、完全な天国に行くようになります。それが神様の完全な国です。これが救いであり、神様の国です。これから分からなければなりません。人々は違うように思っています。ある人を見れば、信じないと地獄、イエスは天国と言って歩き回っています。正しい言葉ですが、聖書にはそうなっていません。イエス天国という話は、イエスを信じれば天国に行くという言葉です。それは正しい言葉です。しかし、聖書はそのように教えていないのです。聖書を詳しく見なければなりません。あなたの先祖の罪、原罪、すべての暗闇から抜け出すのが救いです。それが過去の問題の解決です。そして、今、暗闇の国、サタンの勢力、すべての偶像から抜け出すのです。そして、この世を離れる日、私たちは本当に完全な天国に行くようになるのです。これが神様の国です。私たちは、しきりに説明を片方の部分だけ違うようにします。聖書にはこのようになっています。皆さんは、今日、この祝福を本当に回復するように願います。
■二番目です。この天国の祝福が、個人に成し遂げなければなりません。それでこそ、神様の国というものを味わうようになるのです。皆さんが必ず記憶しなければならないのです。もちろん悟らなければなりません。主は生ける神の御子キリストです。その悟りで救われるのでしょうか? 私はそれで救われると考えています。信じるからです。受け入れた人々、すなわち、その名を信じる人々に神の子どもとされる特権をお与えになった。私は救われると思います。しかし、神様の国に対する祝福を味わうことができるのでしょうか? 羊の血を塗った家は、無条件に生かされました。出エジプト記にそうなっています。ある人は、生かされようと、ものすごく塗ったでしょう。ある人は怠けて、少しだけ塗ったでしょう。ある人は、損したくないから、ちょっとだけ付けたりしたでしょう。それでどうなったでしょうか? みな生かされました。しかし、問題は行く道です。行く時に、蛇に噛まれた人は青銅の蛇を見れば生きるとモーセが話しました。それを切実にながめた人がいて、それで生きるのかと言いながらながめた人、そして片方の目でにらんだ人、色々な人々がいたでしょう。しかし、見た人は生かされました。しかし、問題は、この人達が荒野を行く道です。皆さん、救いの力がどれくらい大きいでしょうか? 信じる瞬間に終わってしまいます。しかし、これが皆さん個人のことになる時、神様の国の本当の答えが臨むのです。悟った程度ではなくて、皆さんがこのみことばを捕まえて、聖日礼拝の時にだけずっと祈っても、皆さんのたましい、皆さんの意識、潜在意識の中に根をおろすのです。その時から、みわざが起きるのです。皆さんの悟りをもってみわざが起きるのではありません。潜在意識の中にみわざが起きるのです。それはとても重要なのです。もちろん、悟りにもみわざが開始されます。しかし、私たちの聖日まともに祈れば、ここですばらしいみわざが始まるのです。それで、今回の月火集会に話した通り、大邱(テグ)集会で話した通り、この神様の驚くべき契約が、皆さんのたましいの中に根をおろせば、その時から奇跡が起こるのです。
■私たちのタラッパンは、希望があるのが、牧師が訓練をたくさん受けているということです。また、私たちの長老が訓練に参加していて、本人たちが、伝道に参加して祈っているのです。私はそれを見ながら、希望がある、本当に世界を生かせる教団だと思います。今、多くの役員が、訓練を受けるために時間あれば受けようとしています。ソウルで長老を見ても、時間を見つけて訓練を受けようとするのに、時間がよく合わないのです。その中心だけがあっても神様に祝福されます。そして、多くの役員などが訴えています。合宿訓練を夜にしてくださいと、訓練を受けたいからと言う方々があまりにも多いのです。これが根がおろされることと、単に分かることとは違うのです。主は生ける神の御子キリストです。この言葉を一度にわかるのは、5分ならば終わります。伝道運動がずっと起きています。ある日、柳光洙牧師が、ある日、東三第一教会が商売人のように、伝道でも一度してみようか? そのように開始されたのではありません。私たちが伝道すれば、ある日、教会が復興するだろう、私たちはこういう商売人ではありません。私は、幼い時から教会に通いました。30年前から、この福音を伝えなくてはいけないことを発見したのです。それが、ずっと胸の中に、考えの中に、無意識の中に潜在されていて、ずっと答えで出てくるのです。皆さん、神様の国の祝福を、個人のものにしなければなりません。皆さん個人のたましいの中に根を下ろさなければならないのです。それで、高等学校を卒業して、大学に行く人は、味わうことを違うようにしなければなりません。大学卒業して、世の中に出て行く人は、違うようにしなければならないのです。基準が何でしょうか? 皆さん、本当に潜在意識の中に、皆さんのたましいの中に、このみことばが根を下ろすようにしなければなりません。それで、私と関係なくみわざが始まります。みことばは生きていて力があります。これが、皆さんが必ず重要な祝福を味わう方法です。それからです。どのようにこの祝福を味わうことができるのでしょうか? 今日、ここに見ると、食事時間なのですが、天国の祭りに関することを尋ねています。これが重要です。祈りの答えを受けられない人は、天国の祭り時間に、食事の時間の話を尋ねるでしょう。この人達がだれかに尋ねて、食事時間に天国に行って食事すれば、どれくらい良いでしょうということを尋ねたのです。これが重要なのです。これが何の話でしょうか? 現場での発見です。現場で神様の国を味わうことです。皆さんが、神様のみことばを捕まえて、皆さんが神様の国を味わわなければならないのですが、皆さん個人が、神様の国を現場で味わいさえすれば働きは始まるのです。これだけすれば充分です。皆さん、聖日だけ祈りを正しくしても、6日間に答えをずっと受けます。聖日だけ正しく祈りながら、みことばを受けて準備すれば、6日間いつも答えがきます。初めには分かりません。継続すれば、みわざが起きます。それを持って、現場で味わうのが、少しずつだけ一日に10分ずつだけ祈っても、現場で多くの祝福を味わうようになります。神様の国という、この言葉がとても重要な話なのですが、私たちには、ほとんど目で見ることができないから、人々が知らずにいるのです。
■私が、パク・チオン牧師を見て、そのような話をしました。教会堂を大きくパク牧師がしました。この方が、からだに力がみな抜けて、ある日、病院に入院して、行ってみると歩くこともできませんでした。私が、パク牧師を見て、マーフィーの話をしました。マーフィーという牧師がいました。先生、何の話も聞かないように。ここに医者がたくさんいるが、医者の話をきかないように。そして、参考にするだけで聞かいように。人々は、この話あの話をするのに聞く必要はない。ただ主だけを見上げなさい。先生の重要な祝福の機会がきたのです。すべての考え、感じ、計算、みな消して、先生の中に神様の力が臨めば、みわざが起きるのです。その話をして祈りました。マーフィーという牧師が病院に行ったのですが、肺ガンでした。この方が、病院に行って診断したのですが、医者は治療できないと言いました。とてもたくさん広がって、手術が不可能だと言われたのです。それで、この方が全てのものをみな放棄しました。しかし、一個を放棄しなかったのです。私が主を見上げて、祈る。それと共に、自分の意識を完全に捨てて、神様に集中的に祈り始めたのでした。私が残った人生に伝道することがあるならば、神様、私のからだの中に主の聖霊が働いてくださいと言ったのです。もし私が健康を回復したら、福音を伝えるのに役に立つでしょう。その考えを持って、ずっと祈ったのです。本当に不思議なことが行われました。皆さん、時々こういう事がありますが、考えれば科学的に可能な話です。なぜムダン(霊媒師)が答えを受けてほろびるのでしょうか? グッ(降霊術)をする時、自分の計算がなくなってしまうのです。そこに、他の何かが入ってきて、そこでみわざが起きるのです。しかし、その背景が悪霊です。それで、答えを受けてほろびるのです。皆さん、催眠術が何か分かるでしょうか? 皆さんの意識をなくすのです。その上に、他の暗示を入れるのです。ですからみわざが起きます。それは科学的です。しかし、問題は悪霊の働きです。あえて、私たちが神様を信じる人ならば、このみことばが、私たちの中に臨む時、神様の国が臨む時、すべての働きは始まるのです。
■本当に皆さんが信じるように願います。私が熱く語っているから手助けしようとアーメンと言うのではなく、本当に信じなければなりません。聖霊は科学の中の科学です。それで、祈って出てきたのですが、今日、報告を受けたら、パク牧師自身が祈って、からだが力を得て、運動もして起きあがったということです。ひょっとして学生たちが誤解してはいけません。科学を無視するのではありません。また医学を無視するのでもありません。それは正しいことなのですが、目に見える事実を正確に見たことをいうのです。しかし、聖書には目に見えない、すばらしい事実をおっしゃっています。それで、片方の目で見ずに、両方で見なければならないのです。私たちは、目が二つなのに、一個を閉じて見れば、距離が合いません。それで、私たちが知識という目も持って見て、霊的なことも持って見なければならないのです。私たちが、世の中のこと、勉強をよくしながらも、霊的な目は別に持っていなければなりません。皆さんの家庭、皆さんの事業に、神様の国が臨んだら、出来ないことがありません。この途方もない天国の祭りを、ほとんどみなのがしています。今日、皆さんが神様の国の祭り、簡単に話せば、天国の祭り、この祝福を必ず回復する皆さんなるように願います。もしそれなら、皆さんが医者、教授、こういう重要な方々は、すばらしいみわざが起きるでしょう。もし皆さん中に、神様の国が臨んでいるといえば、ジャーナリスト、政治家、すばらしいみわざが起きるでしょう。もし皆さんに神様の国が臨んだ祝福があるならば、皆さんの持っている職業が、何倍もの神様の祝福を受けるでしょう。それで、聖書に一番重要な単語を選べと言われたら、たくさんあるでしょうが、共通に救いと関係した話が、インマヌエル、神様の国です。この国という言葉は、誰が主権を持っているかという問題になるから、とても重要な話になります。今、独島(竹島)問題で、話がたくさん出ています。独島(竹島)は、じっとしているのに、さまようことでもないのですが、主権問題で話すのです。この決定が、どのように出るかにしたがって、影響力が変わります。それと同じように、私たちが神様の国が臨んだということは、それだけ影響力がみな変わるのです。今日一日だけでも、皆さんが少しの間だけでも、この恵みを受けて大きい答えを受ける日になることをイエスの名前でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日も私たち多くの弟子と学習洗礼を受ける方々を祝福して下さい。インターネットで衛星で礼拝する教会に、神様の国が臨むようにして下さい。今日、ここに参加したすべての方たちの現場、家庭、個人に神様の国が臨むようにして下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン



2部/永遠なことと変わること
(詩111:1〜10)

■詩篇はほとんど最後にさしかかっています。ダビデの詩が一番多いのです。私たちは、ダビデのますます深い信仰を詩篇で見なければならないでしょう。どのようにして、ダビデは多くの答えを受けたのでしょうか。詩篇110篇は、先週にしましたが、ダビデの詩です。111〜112篇も、引続きダビデの詩が出てきています。新約聖書で最も多くの答えを受けた人は、ガイオだと思います。旧約聖書では、ダビデだと見ることができでしょう。こういう祝福を受けた人々のいくつかの特徴があります。今日の本文にあった通り、霊的な部分と永遠な部分をよく見たのです。私たちは、やさしい話で理解しなければなりません。祈りの答えを受けて、信仰生活が上手なために重要なことを見なければなりません。サウル王はしばしば変わる価値がないことを見たのです。ダビデは、それも見たのですが、永遠で変わらないことをよく見ました。これは、祈りの答えと相当な関係があります。祈りの答えをたくさん受けたガイオは、こういうメッセージを受けました。‘あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。(Vヨハネ1:2)’これが、単に過ぎ去る言葉のようでも、とても重要な言葉です。‘あなたが、たましいに幸いを得ているように’その話は、霊的な祝福から正しく受けたということです。‘すべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります’過ぎ去る言葉のように見えるのですが、聖書全体がそうです。ある人は、人間を3等分しました。霊、たましい、肉に分けたのです。それを3分説と言います。ある人は、霊と肉だと、2分説だと言います。それほど重要な話ではないのですが、それを持ってけんかをしたりもします。ところで、パウロも3分説を言いました。ヘブル4:12節を見れば‘みことばは、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通す’と言いました。イエス様がおっしゃられる時は‘あなたの肉体を殺す者より、あなたの霊いを殺す者を恐れなさい(マタイ10:28)’と言われました。
■多くの人々が、このようにあのように多くの話をしたのですが、ウォッチマン・ニー(Watchman Nee)という人が、霊、たましい、肉だと本格的に分けたのです。それで、保守教団では嫌うこともありました。しかし、私たちはそんなことは参考にする話ですが、とても重要な部分があるのです。私たちのレムナントや信仰生活する人々が‘私が果たしてどんな祈りをしているのか?’という質問は、未来が左右されるのです。‘今、私がどんな信仰があるか?’これはかなり重要です。祈りをすれば、どんな祈りをするのでしょうか? とても重要です。霊か、肉かで見られるだろうが、霊的なのか、たましい的なのか、肉的かで見られるでしょう。それが何で、そんなに重要かというと、神様がご覧になるのに、とても重要なのです。私たちの敵であるサタンが見る時にも、とても重要です。それで、サウル王とダビデの差異点が、ここで違いが生じるのです。何で祈って、何の内容で祈りながら、何を持っているのか。ここでとても違いが生じるのです。それで‘あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります’前の110:2を見れば‘主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真中で治めよ。」’と言われています。メシヤに関する話をしながら、敵に対しても話しました。それだけではありません。‘神様の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためです(Iヨハネ3:8)’今日の1部に話したように神様の国です。こういう部分は、すべて霊的な部分です。この部分からなりたってこそ、すばらしい祈り答えになるのです。そうでなければ、聖書が理解できないでしょう。詩110篇は、完全に霊的な話です。他の見方をすれば、サウル王とは全く関係がない話です。しかし、とても重要な話です。ここに皆さんの信仰、未来、多くのことが入っています。
■皆さんは、うれしい時、悲しい時があるでしょう。どのような時にうれしいのでしょうか。それが重要です。悲しいのでしょうか? なぜ悲しいのですか? それが重要なのです。これが本当に霊的なことなのか、肉的なことなのかにしたがって、大きな差を産みます。サウル王は、がんばったこと、そのようなことは全部、肉体的なものでした。しかし、ダビデは全部、霊的な部分でした。ここですばらしい違いが生じてしまったのです。これは、皆さんの未来とも関係があります。私は、そのように見ると、何でも世界を見て霊的なことなのか、肉的なことなのか、2つで見られるようになりました。二つとも無視することにはならないのですが、どんなのがさらに重要なのでしょうか。肉体的であることを重く見た人は、問題がくれば自殺してしまいます。なぜなら、それを重く見たためです。しかし、霊的なことを重く見た人は、それは何でもなく思って、越えて立てられるのです。歌も同じです。歌も肉体的な歌があります。歌ってよいのか、歌うべきではないのか。良心の呵責がありますか? なぜ返事がないのでしょうか? 歌ってもかまいません。なぜなら、肉体を持っているからです。私たちが天国に行って、いたずらに流行歌を歌う必要はありません。この世にいるから歌うのです。賛美歌が良いのか、流行歌が良いのか? 答えるのが難しいでしょうが、流行歌がより良いでしょう。私がそのような証拠を見ました。初期に、私たちの教会の勧士と遠足に行ったことがありました。ここに私たちの勧士の犯人が何人かおられますが、勧士が行き来する間に、私の顔色を見て、歌を歌いながら行っても良いですかと言いました。今日は、賛美を歌わずに、流行歌だけ歌いながら行こうということでした。それで、私たちはいつも賛美歌だけ歌うので、それで良いでしょうと言いました。それが問題ではありません。行きながら、たくさん驚いたのです。どれくらいよく歌うのか分かりません。衝撃を受けました。本来、私は顔に出さないので、じっとしていたのですが、内心はものすごく衝撃を受けていました。さらに驚いたことは、勧士が流行歌を歌うのに、喜びが充満しているのを見たのです。私は賛美する時にも、そんなにうれしい姿を見たことがありませんでした。今日、ここにおられませんが、イ・ドンヒ勧士は、本当に上手に歌いました。声も特別な声を出しながら、とてもよく歌っていたのです。
■そのようにして、私たちのストレスも解消して、休んだりもするのです。それが間違っているのでしょうか。肉体があるから、肉体の歌を歌うのです。私たちに肉体がないなら、肉体の歌をなぜ歌うのでしょうか。肉体があるから歌うのです。みな必要です。私もある時は、運転しながら、賛美歌より流行歌がはるかに良い時がありました。信徒がいる時は聞かなかったのですが、いない時は聞くこともしました。今は、秘書と乗って通うので、永遠に聞けなくなりました。それは大丈夫です。肉体を持っているためです。ある時は、昔の歌が流れ出る時は、幼い時のことを考えて、昔のことも考えて、どれくらい良いかわかりません。しかし、そうではないのです。ずっと聞いてみるならば、自分も知らないで変化することがあります。何か知らず、次のことが必要な程、浮き立つようになるのです。何が必要かわからないのですが、とにかく浮き立つようになります。それが肉の歌です。歌曲や名曲のようなものを聞けばまた違います。レベルが違うという気がするのですが、何か人が虚しくなる感じがします。これがたましいの歌です。肉の歌とたましいの歌は、このように違います。ある人が証しをして、賛美するのに、どれくらい恵みになるのか分かりません。これが霊の歌です。このように歌も全く同じです。私たちが持っている考えが、本当に肉的なものなのか、霊的なものなのかをよく判断しなければなりません。どんな状況の中であっても、霊的な部分に移って行けるならば、すばらしいみわざが起きるでしょう。それで、ダビデ王の特徴は、肉的な部分を持って、とても霊的な祝福を捜し出したのです。サウル王の特徴は、すべての祝福を持って、肉体的なものだけ捜し出したのでした。これで違いが生じたのです。大きな差です。
■今日、皆さんの信仰生活の出発に、あれこれみなできるでしょうが、私たちは肉体的なものにも、霊的な祝福を捜し出すべきです。ダビデは、危機の中でも、神様の大きい霊的な祝福を捜し出しました。反対に、サウル王は、途方もない祝福を受けたのですが、全部、肉的なことを捜し出しました。真に重要です。私と皆さんは、少なくても、多くても年をとっています。皆さんの人生があるでしょう。私が生きながら一つ発見したことがあります。幼い時に出発した、それを霊的に変えられなければ、時間が経ちながら死ぬ時には、また回復して行くのです。これを見てびっくりしました。この部分で、祈らなければならない理由がここにあります。とても貧しい家の中に生まれて苦労して育ったのですが、後ほどには、結婚もよくしてよく暮らすようになりました。そのように、ずっとよく暮らしていれば良いのですが、年を取りながら、昔にしていた方にそろそろ行くのです。それで、私たちのレムナントに、幼い時に受けた傷を変えなさいと言うのです。これくらい肉の人と霊の人は違うのです。その部分を発見したのが、詩篇110篇です。すべての混乱、困難の中で、霊的な祝福をみな発見したのです。私は皆さんに率直に告白するのは、祈りをなぜしなければならないのかを知らなかったのです。ある日のことです。ある日、この霊的な部分を知るようになったのです。'私たちが祈れば、目に見えない聖霊が一緒にされる。反対に、悪霊はこの世、全体を支配しているんだな。それで、未信者を掌握して、祝福したり、滅ぼしたりもするんだな。それで、私たちはこの世に生きているので、戦うこの祈りをしなければならないな。'こういう部分を悟ったのです。それで、祈りながら答えがきました。そして、ますます過ぎながら'聖書が神様のみことばで、今でも働くみことばだな。'と分かるようになりました。今日、皆さんがこういう祝福を悟る貴重な日になるように願います。それと共に、詩篇111篇を見ながら、ダビデがどんな目を開いて、この答えを受けるようになったのでしょうか。今日、私たちは111篇を、そのまま普通で読みました。1節だけ見ましょう。'ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。'そして2節を見れば、'主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。' 9節を見れば'主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。主の御名は聖であり、おそれおおい。'
■ここでこの祝福を正確に味わう方法が出てきました。のがさないように願います。第一に、霊がうまくいくように、肉体がうまくいくのです。それなら111篇の方法は何でしょうか。私が書きながら説明すれば、やさしいのですが、今は理解し難いこともあるでしょう。大きいタイトルが何かということです。皆さんが今日、私の話を聞いて行けば、そのまま聞いて行けば良いのですが、今、神様のみことばを聞くから、よく聞いて行かなければなりません。サウル王のように、肉体中心に肉体がうまくいくのではなく、霊的な部分にうまくいってこそ、その次にことが付いてくるということです。それなら、信仰生活の大きい二番目が、今日の詩篇111篇だということです。そこに、とても重要なことを今日の本文を通して読みました。もう一度、1節を見れば、'私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。'私は、ここですばらしい発見をしました。皆さんを見て、何と言ったかというと直ぐな人のつどい、集会と言いました。そこで感謝します。よく一度聞いてみましょう。神様が、私たちに与えられた約束の中で、最高の約束は何でしょうか。'わたしがあなたとともにいる'神様の具体的な約束は、あなたと共にいるということです。イ・ソンフン牧師とともにおられます。神様が、私たちの長老とともにおられます。'それが一番重要な約束です。それでは、パウロがイエスを信じる人を迫害しに行く時、イエス様が何とおっしゃったでしょうか。'サウル、あなたはどうしてわたしを迫害するのか。'、迫害したことはありません。その言葉は、何の話なのでしょうか。とても重要な話になります。キリストが復活して、神様が聖霊で誰と共におられるのでしょうか。聖徒と共にされるのです。ここで、すばらしいメッセージが出てきます。これをダビデが悟ったのです。サウル王と神様が共におられます。私がサウル王を助けることが、神様を信じることで、サウル王に対して味わうことが神様の祝福を味わうことだ。このすばらしい奥義を悟ったのです。よく見るように願います。直ぐな人のつどい、集会の中で、私が感謝する。ヨハネ13:20に'わたしの遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。'それで、皆さんがこの部分が悟ってしまえば、すばらしい信仰のみわざが起きます。神様が皆さんと共におられるから、私が皆さんのために祈るのは、神様の祝福を味わうのです。あまり理解できないでしょう。ぼんやりしているでしょう。しかし、とても重要なのです。
■私は、この部分を分かってからは、敵がいないという気がしました。この人が私と合わないだけであって、神様が共におられる人です。それで、皆さんが長老に仕えて、主のしもべに仕えるということは、キリストに仕えるということです。なぜなら、キリストが共におられると言われたためです。私が皆さんに仕えるのは、キリストに仕えるのです。率直に、キリストと神様は目に見えません。しかし、聖徒とともにおられると言われました。ここで一つのからだの思想、肢体思想、すべてのものが出てくるのです。ここで、皆さんがキリストにあって、一つの肢体です。私たちが見るには、サウル王が悪くなると見えるのですが、ダビデがサウル王を見る時には、神様が共におられるしもべに見えました。ここで、ダビデとサウルは違うのです。この部分は、とても重要です。それで、キリストとともにいる皆さんを私が仕えれば、私はキリストに仕えるのです。しかし、この言葉をわからなかった人が、マタイ25:44〜45に'私たちも主に仕えませんでしたか。'その時、イエス様が何と答えられたでしょうか? '小さい者一人にしなかったのが、すなわち私にしないことだ。'これは、小さな者を助ければ、主によくするということではありません。私たちが見る時には、小さな者と見えるのですが、キリストと共にする、その人を助けることが、キリストに仕えることなのです。そのような意味で見る時には、信仰生活の角度が完全に違われなければならないでしょう。私が主の民に仕えるのは、キリストに仕えることで、私が主のしもべに仕えるのは、キリストに仕えることで、私が見るには何でもない人のようでも、主がその人と共にされると言われました。正確に話せば、サウル王は、はやく殺されなければならない人ですが、ダビデが見る時には、神様がともにおられる人だったのです。これが、サウル王とダビデが違う点です。皆さんが、祈りの答えを受けるのは、この方法がとても重要です。皆さんが、教会にきたら、同僚がとても貴重に見えなければなりません。キリストではないが、キリストとして見えるべきです。キリストではありません。通訳をしているソウンがどのようにキリストなのでしょうか。キリストがともにする神様の娘だから、キリストと見えるべきなのです。祝福をたくさん受けただけでなく、受けなかったとしても、そのように見なければなりません。ソウンは、今はすばらしい人物です。フィリピンで、とても優秀な学校で勉強して、今は韓国で有名な梨花(イファ)女子大学校に通っています。人材です。英語も上手にして、フィリピンや韓国、アジアについてよく知っています。キリストがともにおられると思ってもかまわないのですが、しかし、以前に私がフィリピンに行った時、ソウンはただの小さい子どもでした。それで、単に一人の子どもがいるとだけ思ったのです。しかし、そうではありません。キリストがともにいる人だということです。それを皆さんが知っていなければならないのです。
■私たちは、信仰生活をおもに世の中の方法のとおりにします。確かに世の中の方法のとおりするなら、サウル王の下にある人々とサウル王は負かさなければなりません。絶対にそうではありません。皆さんがこういう部分を本当に分かったら、祈る長老、仕える勧士、按手執事が、どれくらい大切に見られるのか分かりません。それでは、皆さんの中心からすばらしい祈りが出てきます。皆さんは、今、このようにたくさん座っているからですが、初代教会の人々は、会えば抱きしめて泣きました。私がロシアに行った時のことです。少しの間、風に当たりに出て行って道に迷ったのです。共産主義になったので、路地もアパートも全部、全く同じでした。それでも、見つけられるだろうと探してみました。しかし、ますます迷い始めたのです。時計を見ると、集会する時間になってきました。そろそろ、もう人々が食事して、私を探す時間でした。電話をしようとしても、電話番号も知らないし、電話をかける方法も知りませんでした。その当時、公衆電話機10ケ中の5ケは故障している状態でした。あってもコインを入れるべきなのに、コインもありません。コインがあるとしても、話をしなければならないのに、言葉ができませんでした。時間はますます過ぎて、ひや汗が出てきました。本当に祈りが出てきたのです。ところで過ぎ行く人を見ました。どれくらいうれしかったのか、皆さんに会ったよりはるかにうれしかったのです。行って韓国の人かと尋ねたら、そうだと言いました。それで、内心良かったと思いました。それで事情を説明しました。私がある長老教会の集会をしているところだが、しばらく風に当たりに出てきて、道に迷った。それで、今、はやく集会を準備しに行かなければならないので、私をその教会に連れていけるかと尋ねたのです。すると、その人が話題が出たら、その教会の信徒だと言いました。だから、さらに安心しました。このようにして連れていってくれたら、すぐ後ろでした。そこにいて、私はずっとさ迷っていたのです。私たちが神様の人々、祝福の人々をよく知らないのです。それで、皆さんは隣の人にぶつかったりもしながら通うのですが、この人達がどれくらい大切な人々かわからないのです。初代教会の人々は、互いに会えば泣きました。今は、とても多くてよく分からないのです。今回も、土曜日に集会したのですが、私の家内が席ないと追い出されたということでした。その方が誰なのかもよく知らずに、そうだったのでしょうが、とにかく追い出されたということでした。とても多くて、誰が誰なのか分からないのです。ソウルで、チョン・ウンジュ牧師の奥様は物静かに通っているので、信徒が奥様を見て、新しい信徒だと思って登録してくださいと言ったそうです。この程度に多くなったのです。そうするうちに見たら、価値が分からないのです。どれくらい、この方達が大切で、長老が大切な方々なのか分からないのです。この福音を悟って、本当に福音を伝えるこの牧師、主のしもべが、どれくらい大切なのかを知らないのではないのですが、忘れてしまうのです。
■ダビデはそのように見ませんでした。これが違う点です。そのサウルを見て、神様のしもべ、神様が油を注いで立てられたしもべ、たとえ失敗をしても、神様がともにおられるしもべ、ダビデはそのように見たのです。今日、こういう本文を見ましょう。すばらしい話の中で4節にも同じみことばがあります。'主は、その奇しいわざを記念とされた。主は情け深く、あわれみ深く、'私には分からないことのように見えても、神様は人を通して、奇しいわざを行われるという言葉です。5節を見れば'主を恐れる者に食べ物を与え、その契約をとこしえに覚えておられる。'こういう信仰がなければなりません。未信者とは何でしょうか。霊的なことを知らなくて、肉体的なことを得るために、霊的なことを犠牲にする者です。信者とは何でしょうか。永遠な祝福である霊的なことのために、肉体的投資をする者です。それだけではありません。事件を通して、永遠な神様の答えを見ることができるのです。2節を見れば‘主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。’ダビデは三つのことを通して、神様の祝福を味わったのですが、人と事件、6節に見ると'異邦の民のゆずりの地を、ご自分の民に与え、彼らに、そのみわざの力を告げ知らせられた。'そうでした。特に7節に'御手のわざは真実、公正、そのすべての戒めは確かである。'今日、皆さんがのがさないように願います。今日、皆さんのそばに座った人が、神様がともにおられる人です。皆さんがいくら認めなくても、皆さんと長老と役員などが神様とともにおられる人で、皆さんがいくら気分が悪いと話しても、神様がともにおられる人々で、皆さんにはいくら面白く見えも神様がともにいるレムナントです。それで、彼らに仕えることがキリストに仕えることなのです。それなら、すべての事が主の御手にあります。ダビデはそれを通して答えを見つけました。ここで違うのです。ゴリヤテが現れたら、全部みな震えたのですが、ダビデは機会にしました。サウル王が自分を殺そうとするから、ダビデは逃げて回りました。機会です。アブシャロムと悪い家来が起きたのも機会でした。これが違うのです。もう一つ他のものがあります。9節です。'主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。主の御名は聖であり、おそれおおい。'契約という話をされています。簡単に説明します。礼拝を通して、神様のみことばが皆さんのたましいの中に根を下ろせば、確かに働きが起きるようになります。たましいの中に、神様のみことばが根を下ろすようになる時、癒しの働きが起きるようになるのです。皆さん、今でも皆さんの胸の中に、たましいの中に席を占めたみことばは、確かに力をもって働かれます。皆さん胸の中に、神様の計画とみことばが入れば、確かに働きが起きます。その契約を永遠に立てられたのです。これがダビデが悟った方法です。この祝福を悟れるように願います。本当にのがさずに、契約として捕まえるように願います。前の大きいタイトルは、私たちは未信者のように肉を見るのではなく、霊的なことを見るのです。
■今日の大きい二番目のタイトルは方法です。人を見る時、キリストに仕えるべきです。私たちの聖徒を見る時、長老を見る時、説教する主のしもべを見る時、キリストが見えるべきです。私が皆さんを見て、苦労するのではなく、私はキリストに仕えるのです。そして、起きる事件の中で、神様の驚くべき事を見るべきです。ダビデが言う話です。さらに重要なのは、神様のみことばが、皆さんのたましいの中に根を下ろさなければならないのです。それで、心配が根をおろさずに、神様のみことばが根を下ろさなければなりません。皆さんを通して、レムナントを生かすみわざが起きなければならないでしょう。これが、ダビデとヨセフの胸の中に根を下ろしたのです。それで、私たちの人間のからだに最も重要な部分が霊です。その霊に神様のみことばと計画が入れれば、奇跡が起きます。それを置いて、今日も祈らなければなりません。神様が私の霊の深いところに神様の契約が、計画がなされるようにして下さい。これはある日、答えられなければなりません。ないなら、皆さんの霊の深いところに心配があるならば、その心配はまちがいなく問題を起こす答えになるでしょう。何が入ったのが交換しなければ、いつかは出てきます。
■一度は、チョ・ウンテク牧師が何かあれば‘ちぇっ’と言いました。それで、‘ちぇっというのも悪口ではないのか。’と言いました。しかし、自分は悪口では言っていないと言いました。それで‘そのような言葉を言うな。あなたが年をとって、婿がいる時、年をとって死ぬ時、悪口がずっと出てきたらどうするのか。その時、主イエス・キリストと言うべきで、その時、悪口がみな出てくれば、どれくらい恥ずかしいか。'と言ったら、そのとおりだと言いました。私たちが入ったものが出てきます。出てくれば大丈夫ですが、実を結ぶのです。それで、不信仰を心に持たないようにと言うのです。不思議です。皆さんが子どもに対して祈ってあげて、祝福すべきで、ずっと疑って、こらしめれば変に実が出てきます。それは、神様の大きい計画の中にあるでしょうが、皆さんに入ったことは、必ず実になって出るのです。今、皆さん中に霊、たましいの深いところに、変なことが入ったとすれば、おかしな実を結びます。傷が入っているならば、大きな病気になります。本当です。皆さんの霊の中に、神様のみことばが今、入れば、いくら弱くても、後ほどには働きが起きるでしょう。ペテロにおっしゃられました。'あなたは、ペテロです。この岩の上にわたしの教会をたてます。あらゆる国の人々に行きなさい。わたしがあなたとともにいる。地の果てまで証人になる'そのままみな成就しました。とても重要です。ダビデの中に、神様のみことばが入っていたのです。'神殿を作って契約の箱を移さなければ' ダビデのたましいの深いところにあったのです。これは世界をひっくり返す奇跡として現れました。それなら、今日は、聖餐式もあり、神様の祝福を受けなければならないのですが、最後の部分を考えてみなければなりません。10節です。'主を恐れることは、知恵の初め。これを行なう人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。'
■大きい三番目です。神様が皆さんに望まれるのです。過ぎ去ることのほか、永遠なことを捕まえて神様の祝福を受けなさいということです。特にその戒律である永遠な契約を捕まえましょう。それで、皆さんのすべての過去は土台で、今日の私たちの問題は全部未来になるでしょう。それが神様の計画です。それで、主を恐れることは、知恵の初めなのです。この祝福を受けるように、主の御名で祝福します。他の教会ではないのですが、今日、私たちの教会は終えて聖餐式をします。一つ祈るように願います。皆さんが正しい福音を持ったとすれば、聖餐に参加しながら祈るように願います。皆さんが自分のために、神様が癒されるみわざが起きるようにして下さい。肉体の病気が治るようにして下さい。この恵みが私が臨んだように、すべての霊的な病気が治るようにして下さい。この聖餐の恵みが全地に宣べ伝えられたように、私たちの家系の問題が解決されるようにして下さい。こういう祝福の時間になるように願います。今日、一人ももれなく、この契約を捕まえる大きい霊的な日になるようにイエス様の名前でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今、大事なしもべに働いて下さい。霊的な目が開かれるようにして下さい。肉体的なものを捕まえて失敗しないように、霊的な勝利をするようにして下さい。ダビデのように霊的中心になって、サウルのように肉体中心にならないようにして下さい。それで、今日のそばにいる人、事件、みことばが答えになるようにして下さい。今日、根本的な神様の働きを体験する貴重な日になるように祈ります。インマヌエル・ソウル、蔚山(ウルサン)各地域にある教会の上に働いて下さい。主の聖霊で自分の教会とすべての衛星で礼拝する教会に働いて下さい。今、この時間に時間、空間を超越した主の聖霊が、インターネットでみことば受ける民に共にして下さい。今日、私たちの聖徒の病気が治るようにして下さい。知らない病気があれば治るようにして下さい。創造の力で、不治の病が治るようにして下さい。霊的な病気が治るようにして下さい。イエス・キリストの名前ですべての暗闇の勢力が崩れる時間になるようにして下さい。不信仰が崩れる時間を過ごすようにして下さい。肉体的なものが霊的なことに崩れる時間を過ごすようにして下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン.