2005年4月3日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/イエス復活以後の聖徒たち
(使徒1:12〜14)
■イエス復活以後の聖徒たちに対して話します。ある長老が建築業をしていました。工事をしていると、人々が困らせることがあります。とても仕事がうまくいかないように仕事をする人々が、困らせるのです。長老がとても腹が立ったのです。教会でなく、事業現場なので、仕事をしなければならないでしょう。それで、仕事をする人々に悪口を言ったのです。悪口を言ったのですが、単に言ったのではなく、これまで磨き上げたすべてを総動員して言ったのです。そして出て戻って来てみたら、牧師が来ていました。長老が申し訳なくて、牧師先生が来ておられたのですかと言いました。あの人達にこのようにしなければならないでしょうに、私が長老なのに信仰がなくて、今日もこのように失敗をしたと言ったのです。牧師がこのように返事をしました。長老は悪口がたくさん言っただけであって、信仰とは関係がない。私たちは信仰をよく分別できません。雨が降るようだし、風が吹くので、風邪を引きそうだ。それは不信仰ではありません。また、私たちが見たら変で不安だ。しばしば、それを不信仰と言うのですが、それは不信仰ではありません。心配なことが起こるのに、心配をしないでしょうか。私たちは、問題が来そうに思えたら、問題が生ずることが心配になります。それを不信仰だとは言いません。私たちが、それを信仰を持って勝つのであって、それ自体は不信仰ではないのです。聖書を詳しく見てみましょう。アブラハムが何を不信仰したのでしょうか。神様が私とともにおられる。そのことに対して不信仰になったのではありません。神様がこのようにおっしゃられました。あなたの子孫が万民を生かすようになる。あなたの子孫からメシヤがくるようになる。アブラハムは、それが信じられなかったのです。その事実を信じなかったのではなく、奥さんが今、子どもを産めるか、それに対して信仰を持てなかったのです。それが不信仰です。神様がとても重要な約束を与えられたのですが、自分の立場で信じられなかったのです。神様を信じないのではなく、立場がそうでなかったのです。いくら私の子孫を通して世界が生かされると言っても、奥さんが今、子どもを産むことができないのに、どうして、このことが起きるのかということです。このようにして、アブラハムが他の女を通して息子を産みました。その息子がイシュマエルです。今でもアラブの子孫がみなイシュマエルの子孫です。こんなにも怖いのです。不信仰という時、私たちは疑わしいこと、心配なことを心配したといっても不信仰ではありません。 ■初代教会は、どのように勝利をしたのでしょうか。一時2百個もの多くの教団がタラッパンを防ごうとしたのですが、私たちはさらに倍に増えました。今はますます多くの実を結んでいます。ソウルで一番大きい教会の牧師が1人新しく赴任しました。とても大きい教会です。金持ち、知識層がたくさん集まっていて、その教会には芸能人だけで百人がいるということです。この牧師が朝の祈りの時、福音手紙をしたのです。タラッパンの福音の手紙をしました。信徒の中には、タラッパンについて知っている人もいます。ある人は良くて、牧師がタラッパンメッセージをするんだなあと思って喜びました。ある人は批判したのです。この牧師がとても勇気のある賢い人です。私が説教をするのに、何を引用しようがそれは私の自由だ。違った話だけをししないならば、私の自由だ。そこに対して何か言うことはあるのか。だからケンカをふっかけた人が、話す言葉がなかったのです。信徒が倍に増えました。私たちが、今メッセージ、福音運動をしているのですが、これをみな参考にするということです。そして今、この間、スペイン行ったところ、ハン・ドンフン長老が言いました。先生、今、タラッパンに対して非難をするのがさらに益になりますと言いました。世界的な選手ムン・テソン、世界的な選手パク・ジュヨン、こういう人々がみなタラッパンだとインターネットで非難したのです。インターネットに何が出たかというと、賢い学生たちがムン・テソン、パク・ジュヨン、こういう選手がいる教団は、どんな教団かそこに行きたいと言っているそうです。そして、あちこちで私たちのレムナントが自慢できるほど、みわざが起きています。韓国にも中、高等学校の中で、大学の中で、米国でも学校のなかで、みことば運動を開いている子どもたちが、ほとんど私たちのタラッパンです。初代教会は、どのように世界を征服したのでしょうか。復活以後の初代教会は、どのように全世界を生かしたのでしょうか。これから、私たちはどのように世界を生かすのでしょうか。今日、いくつかのことを必ず見なければなりません。 ■最初です。私たちには、正しい信仰がなければなりません。信仰はたくさんあります。私たちが人も信じて、たくさんあるのですが、正しく信じていなければなりません。イエス・キリストが復活されました。ここに対してお話がたくさんありました。今日、皆さんは正しく信じなければなりません。正しい信仰とは何でしょうか。信仰は色々ありますが、だまされてはいけません。聖書が話す信仰が何かを分からなければならないのです。聖書は、皆さんが少し疑って、不安だったと罰を下すのでしょうか。そうではありません。聖書は、皆さんが、人間関係を良くして、人を信じて、仲良くて、こうすれば祝福するのでしょうか。それだけではありません。聖書が話す信仰をよく見ましょう。重要な何かが流れています。救いをくださる神様は、救われる民とその奥義に関する中心を分かっておられるというのが信仰であって、他の信仰が聖書の中心をなしているのではありません。今日、全世界の私たちの使命者が、信仰が何かをよく理解しなければなりません。すべての宗教には、信仰があるでしょう。その信仰を言うのではありません。すべての人が信頼がないでしょうか。その信仰を言うのではないのです。それは常識的がことであって、聖書はその信仰を言うのではありません。カトリックは信仰がないでしょうか。天理教は信仰がないでしょうか。仏教は信仰がないでしょうか。聖書はそれを言うのではないのです。何を言うのでしょうか。何か知らず流れる救いの重要な流れがあるのです。それを言おうと、イエス様を送って十字架に釘づけられたので、何のために神様が一般的な話で人を死ぬようにさせて、十字架に釘づけて、そのようにされるでしょうか。正しい信仰を持たなければなりません。私は正しい信仰に対して3つで、必ずいくつかの単語は記憶しなければならないと思います。イエス・キリストが簡単に話して、メシヤが処女から生まれました。私はこれを見る時、信じられるという程度でなく、とても科学的だと思います。アダムの子孫は人を救い出せません。いくら立派な人でも、罪人の子孫は罪人です。それで、聖書に女の子孫、この言葉は普通の言葉ではありません。見よ。処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと名付ける、この話は、普通の話ではありません。まだ通いながら、おかしな人が柳光洙牧師がキリストだと言って回る人がいます。それで、私が一度呼びました。呼んで注意を与えたのです。色々な話をしたのです。そうしたところ、分かったと言わないで、慎重な顔で私を見つめました。何と言うかと思ったら、もうがまんせずに話しなさいと言ったのです。とうていだめなように思えました。私は絶対の人に害を与えません。そして、教会の中で、誰かに罰を与えるということは好きではありません。初めて長老と話して、その人の名前を名指して、私たちが少し罰を下すような文を書きました。私は処女降誕で生まれたのではありません。それでいくら柳氏が賢くても、柳氏であってメシヤではないのです。いくら立派な男が産まれても、人であって神様の息子ではありません。なぜそうでなければならないのでしょうか。アダムの血統から生まれた人は、全部、罪人です。それで、女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。私はこの部分がとても科学的だと思います。本当にこの話は正しい言葉です。どのように、立派な釈迦は釈迦であって、神様になることができるでしょうか。どのように、孔子が立派であるにしてもキリストになることができるでしょうか。聖書で、預言されているのには、キリストは人の子孫で来られるのではなく、女の子孫で来られるとなっています。皆さんこの話は、普通の話ではないのです。 ■また一つ、十字架でのあがないです。絶対性です。十字架のあがないでなくては、絶対にサタンの勢力を破れません。皆さんの小さい罪は皆さんが解決できるのですが、原罪は解決できません。それで、聖書の旧約の話は、全部、血のいけにえの話で、新約は全部、十字架の話です。それで、十字架のあがないの絶対性です。もう一つあります。パウロはイエス・キリストが復活された、このように話しませんでした。復活しなければならない理由を説明したのです。一段階、上の話です。復活の正当性です。そうしてこそメシヤです。そうしてこそ、キリストです。一般の人は人を救い出せません。一般の人間は、人間の問題を解決できないのです。その人は、人間が何かを知らないから言うのです。人が人をむやみに裁くことは、人を知らないからです。人が人を救うというその話は、人が何かを知らないからです。マリアの無罪を主張したということは、人間が何かを知らない人々です。人間が何かということを分かれば、救いが必要です。それでは、どのように人間が人間を救い出すのでしょうか。頭の中では理解できないでしょうが、神様は、数千年前から預言されたのです。メシヤを送る。5百回以上、預言されました。十字架で復活する。何の話なのか分かるでしょうか。理解が良くできないでしょうか。これが信仰です。これが初代教会が持った信仰なのです。信仰、信仰と言うので、何でも信仰だと思うでしょうが、そうではありません。皆さんがこの信仰を持つ瞬間から、すべての働きは始まるのです。なぜイエス・キリストが人間を救うために、人の子孫から来られず、女の中から男なしで生まれなければならないのか。なぜ神様はキリストを送って、十字架にかからせなければならなかったのか。キリストに間違いないなら、確かに復活しなければならないのに、なぜ神様はその事件をお作りになったのか。少なくともこれが分かった。これを信仰と言うのです。聖書が話す信仰です。私はあなたを信じる。これは一般的な信仰です。私たちの息子がよくできると信じる。これは一般的な信仰です。聖書が話す信仰は、そういう信仰ではありません。それで、正しい信仰を持てば、世界を征服することができるのです。皆さんが今日、このみことばが分かったら、皆さんの人生にすばらしいみわざが始まるでしょう。人間を知らないので、そう言うのです。人間は原罪、自分の問題、先祖の罪を解決できません。それで、キリストが十字架を背負われて、神様が解決して下さると言われたのです。それでは、誰でもキリストになることではないのか。キリストが誰でしょうか。死から復活しなければなりません。使徒17章を見れば、パウロがこういう話をしました。イエスが十字架で死んでよみがえったと言わずに、十字架で死んでよみがえるべきことを証明したと言いました。すでに一段階優れているのです。 ■これから、伝道はしにくいと思いますか。私はそのように考えません。福音がない教会では伝道しにくいでしょうが、福音がある教会では、伝道が一番簡単になります。静かに置いておいても、霊的問題が起きてさ迷うので、答だけ与えれば良いのです。私たちは、今、それを準備しているのです。私たちのタラッパンの合宿をする戦略が何でしょうか。それです。福音がなければ答えられません。私たちが伝道してみた結果、日本が韓国よりさらに伝道しやすいのです。日本は、韓国より全てのものがみな発展しています。だから、霊的問題も韓国よりはるかに発展しているのです。福音を伝えるのがとてもやさしいのです。何の話なのかすぐわかります。未信者状態6つを言えば、それがまさに自分たちの問題だと言います。だから、さらに話しやすくて、わかりやすいのです。福音を伝えるのは難しくありません。皆さんが福音を正しく知れば、信仰生活の問題を解決するのが難しくありません。どんな信仰を持たなければならないのでしょうか。皆さんが解決できない問題を解決しようと、神様は原罪を解決しようと、キリストを送られたのです。その人が、キリストに間違いないなら、処女から生まれなければなりません。そうでしょう。そして、私たちは私たちの問題を解決できません。一流の人がいくら努力しても、解決できない問題があります。その問題をキリストを送って、わたしが解決すると言われました。それなら、その方法は何でしょうか。それが預言されたのです。十字架の事件です。そして、死から復活して、すべての権威を回復するようになります。その方がキリストです。どれくらい科学的でしょうか。皆さんがこれを信じるのを信仰と言います。これが信じられなかったら、救われることができないのです。この部分を知らないならば、絶対に祈りの答えは来ないのです。今、多くの教会が、良い行い、善行のような努力を教えるのですが、無駄なことです。それで、信仰生活よくして、後ほど崩れるのです。ひょっとして、皆さんがこの話を理解できないならば、簡単だと思えば良いのです。私は救われなかったんだなあ。そのように考えれば、最も答えを得たのです。とても重要な言葉です。初代教会が、どのように世界を征服したのでしょうか。復活以後に、初代教会がどのように世界を生かしたのでしょうか。正しい信仰を持っていたのです。 ■二番目です。そうしたら、正しい証拠がきます。正しい証拠が来るので、確信を持ったのです。何の確信でしょうか。これまで旧約に預言された聖書が、みな解釈できるのです。皆さんが聖書を持っているのに、実際、この部分を知らなければ、旧約聖書が分かるでしょうか。それまで、パウロのように、すべての人々が習った旧約聖書が全部分かり始めたのです。3年の間、イエス様が公生涯を教えられたのが分かり始めました。確信を持つようになったのです。そして水の上を歩いた。死者を生かした。何の話なのかわかり始めました。いったいその方が誰でしょうか。どのように、5つのパンと2匹の魚で五千人が食べて残ったのか、分かり始めたのです。それなら、私は誰でしょうか。ここですばらしい確信が与えられたのです。初代教会の人々が変わりました。それと共に証しし始めたのです。どんな証拠を持っていたのでしょうか。証しするのが重要なのではなく、証拠を持っていたのです。初代教会の証拠は何でしょうか。イエスはキリストだ。彼は復活された。今でも聖霊で働いておられる。その契約を捕まえて祈り始めたのです。今日見ると、祈りに専念したのです。聖書をよく見なければなりません。この福音を防ぐサタンは、教会を攻撃して、こういう内容を言わないようにします。話を深くすることもできなくて、説明もできません。すでにヨーロッパのようなところでは、こういう説明をしなくなり始めました。数年も行かないうちに、ヨーロッパにある教会は門を閉めます。ヨーロッパの青少年は、全部、麻薬と精神病に陥っています。どのようにするのでしょうか? いよいよこの風が吹いて、米国まで入るようになりました。あの米国、カナダで風が吹き始めて、こういう話をしないようになり始めたのです。しないでしょうか?できないのでしょうか? 私が見る時には、できないのだと思います。しないのと、できないのは違う言葉です。なぜできないのでしょうか? することができないのです。何の話なのか分かるでしょうか? ある男の人が、年をとっているのに、奥さんをもらわずにいます。それで、私がなぜ嫁をもらわないのかと尋ねたら、行けないのではなく、行かないのだと話しました。どのようにして米国教会とヨーロッパ教会、そして、韓国教会がこれを強調できないのでしょうか? これは、通常の問題がくるのではありません。こういう愚かなことをして良いでしょうか? 初代教会が、どれくらい確信があったのか、この証拠を捕まえて祈り始めたのですが、祈りに専念したのです。三番目に、いよいよ初代教会は正しい証人になり始めました。正しい証人は、恐れることを知って、恐れるべきでないことが分かります。他の人を見る必要がなく、ペテロを見ましょう。人が変わってしまったのです。前は、イエス様を知らないと否認までしていた人です。こういうペテロが、堂々とするようになったのです。世界中でこの御名の他に、人間が救われるべき名としては、どのような名も与えられていないと言いました。どの程度、変わってしまったのでしょうか? 足のきかない者を見て、ナザレのイエス・キリストの名前で歩きなさい。どの程度に変わったでしょうか? 監獄にいた時、その翌日に死ぬのに、気楽に寝ていたのです。ペテロが行く所ごとに奇跡が起きました。皆さんにこの祝福があるように願います。事業はどのようにするのでしょうか? 皆さんの事業に、神様のこの奇跡が起こるように願います。家庭問題はどのように解決するのでしょうか? 皆さんの家庭に、この奇跡が起こるように願います。本当に、皆さんが契約とらえて信じてみるように願います。みわざが起きます。神様は、より良いものを準備しておいて、私たちを導かれることを知るようになります。そのうちに70人要員を見ましょう。そのうちで訓練を受けたステパノのような人は命をかけました。ピリポのような人を見ましょう。命をかけたのです。今日、ここに集まった人が少数ですが、120人の人が集まったと使徒1:15節に出ています。この人達が、命をかけて集まったのです。ですから、このように変わってしまったのです。皆さんにこういう答えの力の働きが起きます。ひょっとして私は手助けしてくれる人もなくて、難しくて、孤独だという人はいますか? 気落ちしなくても良い理由があります。確かに今日、この祝福を捕まえれば、正確なみわざが与えられるようになっているのです。私は貧しくて、とても難しいが、私を手助けする人がない。それでも大丈夫です。この契約を捕まえれば、確かにみわざが起きます。私は、背景もなくて、とても持っているものがない。それでも大丈夫です。大丈夫な道が、ここにあります。何の問題にもなりません。むしろ反対になるのです。私が神学校で勉強していた時、みな背景があって、背景ない人は自分だけしかいませんでした。しかし、私は聖書を見ながら、大丈夫だと思ったのです。人間の力は、たいしたものでないということを知るようになったのです。今、私たちがどんな信仰なのでしょうか? 神様が私たちを救い出されるために処女にキリストを送って、彼を十字架で死ぬようにして、復活させられた神様です。その話です。この理由を事実通り悟ってしまえば、証拠が与えられます。皆さんが、この証拠を捕まえれば、皆さんは証人になるしかありません。ですから、恐れる必要がないのです。これが事実ならば、ものすごいのです。皆さんがいくら困難の中であっても、勝ち取れます。これが初代教会の働きです。私が今、小説を話すのではなくて、事実を話しているのです。今、私が読んだものを話しているのではありません。体験したことを話しているのです。そして、私が今、どのようにして努力をよくして越えたのかを話しているのではありません。私は神様の恵みで見たことを話しているのです。これからも、そうでしょう。 ■私たちは、人だから時には葛藤に捕われたりもします。皆さんが、神様のならば、葛藤しなくても良いのですが、私たちは人なので葛藤もします。それでも大丈夫です。それでも、この契約を捕まえたら、そのようなすべての葛藤を越えるようになります。私は何も成し遂げたことがありません。それでも大丈夫です。年齢が80才になって、モーセはこの話がわかったのです。しかし、神様はその高齢な人を捕まえて短い時間にイスラエルに最高の働きを成し遂げられました。それなら、私たちには問題があっても大丈夫です。私たちが今現在、貧しくても大丈夫です。神様の計画は変える人がないだけでなく、私たちはこの契約を捕まえれば、まちがいなく証拠がくるようになっているのです。イエス様がこのようにおっしゃられました。証人になりなさい。このようにおっしゃいませんでした。聖書を詳しく見ましょう。証人になります。このようにおっしゃられたのです。証人になれ。このようにおっしゃったとすれば、私たちは負担になって、できなかったでしょう。そして、私と皆さんが証人になる力がありません。しかし、イエス様がこのようにおっしゃられました。証人になります。そして、聖霊充満を受けなさい。このようにおっしゃいませんでした。イエス様が初めておっしゃった時、そのようにおっしゃらず、もうしばらくしたら、聖霊充満を受けると言われました。ヨエル2章に約束されていることだと言われたのです。私はそのみことばを見る時、それなら今、私は聖霊充満を受けているのです。私が受けなければならないと考える時は、どのようなことかわかりません。聖霊充満を受けるようになる。そして、証人なります。そのように約束されました。 ■私たちが必ずしなければならないことがあるならば、何でしょうか? この福音に、この祝福に根をおろすのです。昨日大邱(テグ)で、ソウルで、牧師に会ってこういう話をしました。いくら牧師が信徒によくしても、信徒はのどの渇きを解決できません。いくら人間的によくするとしても、信徒の霊的問題は解決できないのです。この福音が信徒の中に根を下ろした時、その時だけ、その問題が解決できます。牧師は、絶対にだまされないように。そのような話をしました。皆さん、重大な決断を下すように願います。聖書箇所5つだけ理解すれば良いと話したでしょう。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフが何を理解したのか分かるでしょうか? 創世記3:15節と創世記6:14節。それだけ分かれば良いのです。モーセ、ヨシュア、カレブが何を理解したのか分かるでしょうか? 出エジプト3:18節。それを理解したのです。皆さん、預言者、王の時代の時、王たち、預言者、祭司の中で、答えを受けた人が何を理解したのか分かるでしょうか? イザヤ7:14節、世界を征服した初代教会が、何の単語を理解したのか分かるでしょうか? マタイ16:16節、主は生ける神の御子キリストです。それを理解したのです。それでは、これから現在の世界教会をながめながら、どのようにすべきでしょうか? ヨーロッパ教会を回って、米国教会を回りながら、教会がみな門を閉めています。あのようにも立派な人々が、あのように理由を知らないのに、神様は私のように足りない者に理由を分かるようにされました。ですから、正しく信じていなければならないのです。正しい信仰とは何でしょうか? あなたが勉強がよくできると信じる。これが信仰ですが、聖書で話す信仰はそのような信仰ではないのです。処女降誕の科学性、そして、十字架のあがないの必然性、イエス復活の正当性、この3つのことが信仰です。聖書が話すことを正しく悟らなければならない信仰です。この世界教会が、この信仰をのがしたのです。何年か前に、国ごとに、地域ごとに、復活祭の連合礼拝をささげました。カナダで起きた事です。説教を引き受けた大会長が説教しに出てきて、イエス復活をおめでとうと話しました。そして、言う言葉が、自分はイエス復活が信じられないと話したのです。それでも、良心的です。別の人は、話さないで隠すのに、この人は率直に話したのです。しかし、そこに集まった信徒は、衝撃を受けないで、そうだなと言いながら通り過ごしたのです。こういう現象です。だから、どのように教会が成長して、どのように答えを受けるのでしょうか? 今日、皆さんがこの信仰を持つ瞬間に、すべての答えは開始されます。聖書が話すのは、この信仰を言うのです。この信仰を持たなければ、思い切り牧会と信徒が苦労して自分が苦労して後ほど何もだめになるのです。それがサタンの目標です。思い切り教会に奉仕して、非難されて、思い切り長老をした後にほろびるのです。それなら、次の世代が信仰生活がよくできるでしょうか? そうでなくて、教会がみな崩れるのです。こうしたことがどこにあるでしょうか? ですから、信仰が違ったということです。何の信仰でしょうか? これをのがしてはいけないのです。この時に来る証拠があります。この時に来る証拠が、聖霊が働かれるのです。このように聖書が分かるのです。その次が何でしょうか? 証人になります。 ■復活祭になるので、復活という言葉を使いますが、皆さんが聖書を正確に理解しなければなりません。サッカー選手パク・ジュヨンに連絡がきました。ソウルで復活祭連合礼拝をささげるのに、ジュヨンを証し者として招かれたが、行ってもかまわないかと尋ねてきたのです。それで、個教会には行かなくても、そのような連合礼拝は行かなければならないと言いました。そして、レムナントが集まったところには、行かなければならない。私も牧師ですが、個教会は、ひょっとして自分たちの教会に利益になるか、こういう頭しか使わないのが牧師だから、そのような所には行かないようにと言いました。本当に笑わせるのは、ササンに行けばパク牧師がおられました。その方は、私に会いさえすれば、健康に気をつけなければならないと話します。走るのは良いが、とても走ってはいけない。健康に気をつけなければならない。そのように言いながら、5月に私たちの教会で集会をする時間あるか? と尋ねました。思い切り走らないでくれと言っておいて、5月に時間がありますか? と尋ねるのです。それで、私たちの教会はしてくださいと言いました。これが個教会です。そのために仕方ないのです。それで、私たちは今、礼拝をささげるというのですが、実際に重要なことをのがすのです。皆さんがこの話をわかったとすれば、恐れることがありません。どんな問題が来ていても大丈夫です。皆さんが、この契約をとらえて祈って待っていたら、神様は正確に答えられます。私はいつも胸の中で感謝することがあります。私が夜明けに定刻の祈りで、神様に祈りをしました。神様、私は背景もなくて、お金もなくて、私は能力も才能もありませんが、それでも、私が出会ったキリストとこの福音を伝えるべきなので、神様が私を福音を伝えられるところに導いてくださいと祈ったのです。その祈りをしたら、皆さんが私を呼びました。私はここにきて、15年少し越えたようですが、私の胸の中では1年くらいのようです。皆さんのために何もしたこともなく、1年が過ぎたようなのですが、すでに15年が過ぎたのです。この頃は、感謝することに、私たちのレムナントが、祈りの答えを受け始めています。何か人の背景が必要でしょうか? 考えれば感謝することが数えられないほど多いのです。 ■今、訓練、集会、集いを見てみましょう。ずっと働きが起きています。例えば、私がソウル一箇所だけで10年以上核心をしているでしょう? 大学教授は、4年だけすれば、卒業して出て行くでしょう? 高校の教師は、学生を3年だけ教えれば、卒業して出て行くでしょう? この教会が、タラッパンが卒業をするでしょうか? でなければ、皆さんがはやく死ぬでしょうか? ずっと付いて回っています。このようにメッセージを継続するのは、神様のみわざでなければできません。どれくらい驚くべきことでしょうか? 私たちが恐れるものがあるでしょうか? ありません。これからチャンスだけくれば、私たちのインマヌエルでレムナントを育てる教会を作りましょう。皆さん、祈るように願います。私たちは門だけ開かれれば、攻撃をするのです。全信徒が、祈りの力を合わせれば、世界を生かす働きは起きます。力を受けて、地の果てまで証人になります。私はこのみことばが事実と信じられて、体験したので、自信をもって皆さんに話すことができます。神様の民は、何も恐れる必要がありません。神様の民はできないこともありません。私に力を与えて下さる方にあって、どんなことでもできるのです。私たちは、悪霊に仕える者ではなくて、神様の子どもです。それで、私たちは、占い、グッ(降霊術)、そんなことしなくても、いくらでも勝利することができるのです。これが、イエス復活以後の聖徒です。皆さんがこの祝福を受けなければなりません。2部には、イエス復活以後の教会です。今日、全世界でインターネットで、衛星で礼拝する所に神様の祝福があるように願います。100以上の教会が衛星で一緒に礼拝をささげています。また、ある方々は、ビデオやテープ、インターネットで、ずっとメッセージを聞きます。私がもう一度、自信をもって話すことができるのは、これは私の話ではないのです。聖書にある確実なみことばだから、私が体験したみことばだから、皆さんに同じ働きが起きるでしょう。いくら私たちの学生たちが孤独で難しくても、揺れてはなりません。外国で、あるいは難しい地域で勉強しているレムナントは、いくら孤独でも、この契約を捕まえましょう。少しすれば、皆さんは勝利者になるでしょう。こういう祝福が、すべての家族にあるようにイエスの名前でお祈りします。お祈りします。 <<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。今日、私たちすべての聖徒に祝福が臨むようにして下さい。正しい信仰を捕まえるようにして下さい。それで、正しい証拠を持って、正しい証人になるようにして下さい。困難の中にいる者を神様はご存知なので、より大きい恵みをくださると信じます。苦しい中で、孤独の中にいる主の民に、より大きい恵みをくださると信じます。葛藤の中にいる私たちの聖徒に、神様がさらに確実なみことばをくださると信じます。病気にかかった者がいれば、主の聖霊で働いて下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン 2部/イエス復活以後の教会
(使徒2:1〜13)
■私たちのレムナントに神様の祝福があるように願います。1ケ月前にシカゴを行ってきました。前の席に私たちの牧師が座っておられました。こちらには、キム・テウン牧師が座っておられて、前にはチョン・ウンジュ牧師が、こちらにはキム・ドンゴン牧師とキム・オンス牧師が座っておられました。説教するために出て行こうとすると、小さい子どもたちが特別賛美をしました。やっと歩けるくらいの幼児・嬰児部の子どもたちが出てきて賛美をしたのです。どれくらい幼いかといえば、ある子どもたちは、他のところを見つめながらじっとしていて、ある子どもたちは賛美とリズムが、全く合わなくてする子どももいました。またある子どもは、驚くほど上手にする子どもたちもいました。しかし、比較的、子どもたちが上手にしたのです。そのように賛美している中に、私が人々の表情を見たのです。ここで表情がみな違いました。キム・テウン牧師の表情は'子どもたちが出てきてするんだな。'という表情で、チョン・ウンジュ牧師は'上手にするんだな。'という表情で、しかしキム・オンス牧師とキム・ドンゴン牧師は、人が完全にのめり込んでいました。こういうものがどこで違いが生じるものと思いますか。のめり込む二人の方には、孫がいます。ですから、幼い子どもたちを見ると、孫を思い出すから、のめり込むのです。しかし、残りの二人は、孫がいないから、何でもないと思うのです。私もその子どもたちを見る瞬間に、孫を思い出しました。聖書にも、いのちがある者とない者の違いが生じるとあります。そして、今日、レムナント聖歌隊が賛美するのを見て、そのような気がしました。最初は子どもだったのに、きれいな学生になって賛美をしています。私がここに初めてきた時、パク・ウソン長老の娘が二人いたのですが、どれくらい幼かったかというと、1人が私が説教している間に、講壇に上がってきて、私の手を触ったりしました。それで、手を握って説教をしました。しかし、すでに成長して、大学生になって、米国で勉強もトップになっているのです。一度は、米国に行ってきたら、飛行機に乗りに行くために車に乗ったら、ある中学生が挨拶をしました。私たちのレムナントでした。こういう学生たちが育って、学校の先生をしている人もいます。すぐに時間が過ぎ去ります。私は、私たちのレムナントが賛美する時、私たちのレムナントが祝福を受けて、世の中を動かす時、神様に栄光をささげると考えました。私も気づかない内に、うれしい気がしました。私が皆さんもそうだろうかと思って見たら、寝ている方もおられました。分かります。私は、今スペインを行ってきてから少ししか経たないので、時差がまだ回復しないようです。堂会室に座っていたら、報告をしたのですが、何か報告をしたのか眠たくて、よく分かりませんでした。皆さんが忙しくて、疲れる時間に眠たければ、安らかにおやすみになるように願います。私が来週は、時差がまだあまり解けないまま米国に行かなければなりません。そのように多くの日程が組まれているのです。 ■イエス様が復活して、初代教会に与えられた祈りの課題があります。ある人々は、遺言だと言うのですが、死んだ人ではないから、遺言ではありません。イエス様が、初代教会に重要な祈りの課題を一つ与えられました。何でしょうか? 皆さんはよくご存知なことです。'彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」(使徒1:4〜5:)'イエス様が直接、約束されました。この聖霊充満を求めて、少しだけ祈れば力が与えられます。'先生、私たちがここで恵みを受けて、明日からどれくらい忙しいか、祈る時間がどこにありますか。'それで、皆さんが少しだけ祈ってもかまわないのです。私は一度、大統領選挙の時、記者が走るのを見ました。すごいという程度でなく、かわいそうだという気がしました。私たちは記者に対して、普通に話したりするのですが、命をかけて走っていました。こちらの候補があちらに行くのに、ご飯も食べないで、汗もふく時間もなく、そのように行って、何の事でもないように、あれこれを肩にのせて行って撮しているのを見ました。それで、私たちは映像が出てくれば、単に出てくるものと思うのですが、撮す人々は、そのように大変な状態で撮して送り出すのです。私たちは、映像ニュースを単に座って見ますが、私たちのチームは、それを持っていっては夜通し編集をします。私たちのチームの中のある人は、それをあまりして病気になりました。私たちがいつ外に出て行って聖霊充満を受けて祈る時間があるのでしょうか。皆さんが、少しだけ祈っても、神様は大きい答えをくださいます。これは、約束です。神様の約束です。ところで、どれだけ少しだけでも良いのでしょうか。皆さんが、本当に少しだけでも良いのです。本当に、信仰だけをもって、朝でもいつでも祈れば、答えがくるのですが、5つの力が与えられます。それで、私がそれを皆さんに話したのです。聖霊充満を求めて少しだけ祈れば、第一に霊的な力が与えられます。霊的な力が与えられてこそ、判断力や知恵が生まれるのです。そうしてこそ、健康にもなって、物質も与えられ、人もついてくるのですが、霊的な力がなければ、死ぬようになります。それで、私は順序を祈りの答えを受けた順に定めたのです。なぜ、聖霊充満の中に霊力があるとするかというと、これは違うところで得られない力だからです。天から降りる霊的な力だから、これがなければなりません。これがあるから、他の人は理解できないのですが、判断力や知恵のような神様の悟りがくるのです。ある時には、そのまま話すだけのことで、答えが来ます。 ■前にあった、食中毒事件のようなものも、私が夜明けに人々を呼んで話しをしました。変に朝に、そのような気がしたからです。'他の地域で食べ物持ってくるな'と告げたのですが、その時、食べ物はすでに出発した状態でした。それを食べて、学生たちが約三百何人、食中毒にかかりました。それでニュースに出て大騷ぎになりました。その時、ニュースはよく知らずに百何人と言ったのですが、事実は三百何人でした。その時、私も朝、共に秘書と、キム・チョンイン長老とイ・コンソン牧師と一緒に食べました。その日、調子がちょっと良くなかったのです。少ししたら、牧師と秘書が倒れました。その日、私一人、倒れなかったのですが、私が中が変なのを感じて分かったのです。ですから、ある時には、過ぎ去る言葉なのにもみわざが起きました。私が、そのような場合がとても多かったのです。それで、聖霊充満を受ければ、走れる健康も与えられました。その時、付いてくるのが経済力です。なぜ一番最後に人材をおいたかというと、人材と弟子は別のことです。力があって、経済力あれば、人はいくらでもいます。それは何の問題にもなりません。弟子が問題で、人はいくらでもいます。それで、それを一番後に置いたのです。それで、聖霊充満を受けると、このように祈りの答えのみわざが起きるのです。前にも言いましたが、私たちは聖霊充満というときに、漠然に思うのですが、いったいどういうものなのでしょうか。聖霊充満に関してもう一度確認しなければならないのですが、大きく2つの理論があります。牧師はすぐわかるでしょう。 ■とても簡単に説明をすれば、純福音式の説明と、長老教式の説明があります。純福音式の説明は、五旬節系統だと話したりもするのですが、それは体験しなければなりません。聖霊充満を受けなければならない。賜物を受けなければならない。体験すれば異言も出てくる。まったく体験もなくて、異言がないならば、何かが誤っているのだ。強調してみるならばそのようになります。伝道をしばしば強調するならば、伝道できないのは、人ではないと言います。それは分かります。しかし、体験がなければにせ物という話は、すぐ聞けば、正しい言葉のようです。しかし、そこに2つの問題が付いてきます。最初は、すべての人に体験があるのではありません。体験という基準を、肉体にだけ置いてはいけないのです。そして、もう一つ問題になるのは、全く救われることも出来ない人も、そのようなスタイルは出てきます。ここでさらに問題があるのです。もし救われない人も、寺にいる人も同じ体験ができます。それでは、それが大きい問題になるのです。 ■二番目の理論は、私たちの長老教式ですが、聖霊、それはすでに五旬節の日に臨んだから、受ける必要はないという理論です。それは、もしかしたら聖書的に正しいと見ることもできます。しかし、弱点は、全く救われなかった人、祈りもしない人、知らない人々の言い訳になることができるのです。それなら、それもだいぶ危険なのです。私は二つとも、それほど参考にする価値がないと思います。聖書にあるまましなければなりません。聖霊充満に関する理論の中で最も正確なのが何でしょうか。正確な福音を持った神様の子どもに、神様が臨まれる働きです。これが私の理論です。なぜなら、聖書にあるためです。正確な福音を持っているのでもないのに、力を受けたとすれば、それは悪霊です。正確な福音の根もおろせなかったのに、みわざが起きたとすれば、それは感情です。本当に、私がイエスを信じるのに、働きが起きないならば、それは嘘八百です。正確な福音を持っていれば、生かされるようになっています。それが聖書的理論で、私の理論です。 ■それでは、使徒行伝1:8そのみことばを約束された時、前の言葉をよく見なければなりません。'私は前の書で、'その言葉は、待ちに待ったメシヤ、キリストが来られたということです。それが1:1です。1:3を見れば、神様の国について40日間、説明されたと言われています。皆さんが、本当にイエスを信じれば、神様の国が臨みます。それで祈れば、聖霊充満を受けます(1:8)。そのように理解できなければなりません。そして、さらに正確に言えば、その三つは一つです。キリストに会った瞬間、神様の国が臨んで、聖霊の働きが起きるのです。またマタイ12章を見れば、聖霊充満がすなわち神様の国です。このように一つだと見ることができます。もう一つ理論を話そうとするなら、もう少し考えなければならない部分があります。キリストは御子に関する部分で、神様の国は父に関する話であり、助け主聖霊は、この聖霊に関する話です。三位一体に関する奥義が、またあるのです。それで複雑な話をする必要がなくて、福音を本当に持っているならば、聖霊充満を受けるのです。ここに今、子どもたちを連れて礼拝をささげる方を見れば、単に座って、礼拝をささげるようで、関心はいつも子どもに行っています。泣く声がすれば、私の子どもだ、いや違うかが、すぐ分かります。皆さんは知らずに、子どもが騒いで泣くと、なぜ放っているのかとむやみに話しますが、性質がそうだからであって、皆、聞いているのです。ですから、自分の子どもに、いつも心が傾いているのです。全く同じです。ヨセフが監獄にいようが、神様はいつもヨセフをおいて全てのものを進行されました。正確な福音が問題です。今日の1部礼拝がとても重要なのです。皆さんがさらに注意しなければならないことは、私たちの中に、初めに何が入ったのか重要です。他のものが入ったとすれば、この福音を聞いても悟れません。それで、今、滅ぼされるソロモンと同じ世界の問題がくるのです。それで、レムナントに話しなさいということなのです。大人たちに要求すれば、これが霊的な部分だから、要求をすれば腹が立ちます。知らない部分ではないためです。すでに長老や執事、勧士になれば、福音体質ではないが、あまり強調すれば、わかっていないことではないから腹が立つのです。いらだって嫌になります。これくらい体質が怖いのです。何が入ったかにしたがって、福音を聞いただけでも生きるのに、良くできないのです。 ■今日、聖霊充満に関して話しています。聖霊充満を本当に受ければ、どうなるのでしょうか。すばらしいことが行われます。それなら、聖霊充満を受けた初代教会を見なければなりません。マルコのタラッパンで聖霊充満を受けた聖徒に、どんなことが行われたのでしょうか。正確に言わば、キリストの味わい5つが出てきました。聖霊充満を受ければ、絶対に賜物を自慢することはありません。キリストを証しするようになります。証人になります。聖霊充満を受ければ、福音を自慢します。あるリバイバル伝道師のポスターを見たら、40日断食祈祷2回した人だと書かれているのを見ました。私はそれを見ながら、すでにこれは違うと思いました。ソウル教会に行ってみると、牧師の顔に略歴を書いてありました。私はそんなことを見ながら、おもしろいという気がしました。福音がそのようなものでしょうか。皆さん、聖霊充満を受ければ証人になると言われました。神様の子どもで、神様の子どもとして、キリストの証人になるということです。それで、皆さんが聖霊充満を受けることだけすれば、働きが起きます。皆さんが救われた神様の子どもであることが間違いないならば、忙しくても、一日に5分だけ'神様私に聖霊充満与えて下さい。'と祈れば働きが起きます。 ■マルコのタラッパンで、この時、目に見えない5つの祝福が起きました。聖霊充満を受ければ、一番初めには目に見えない働きから起きます。ですから、商売人や愚かな人は、わからないのです。目に見えないように力が現れます。福音を持った皆さんが、少しだけ聖霊充満を求めて祈れば、目に見えないように門が開かれます。15ケ国に門が開きました。何も心配する必要がありません。私がアパートのエレベーターに乗っても、各教会を宣伝する文句を見ます。私はそれを見て、意味ありげに笑うのです。このようにするからといって復興するかという考えになります。私はいろいろな考えをしてみます。私たちの教会が引っ越してくる前には、主人が十字架や看板を付けないでくれと言われたので、私たちは付けることができませんでした。ですから、方向音痴で、頭が悪い人は訪ねてくることもできなかったのです。しかし、全国、世界から集まりました。ですから、ここの国会議員と町長が話しました。'東三第一教会のために全世界の人々が来るので誇らしいことです。それで警察署に話しました。可能ならば、この教会に来る車は、つかまえないようにと話しました。'今、インマヌエル・ソウル教会も学校を借りて、使っているので、看板も付けられないでいるけれど、どのように知ったのか、席が満杯になりました。先週にも、とても重要な人々がきましたが、伝道されたのでもなくて、インターネットを見てきたのでした。ある方は、韓国のとても重要な方が、インターネットメッセージを見てきました。自分が国家のあまりにも重要な人だから、職業欄には職業を書かないで登録しました。あまりにも重要な方なので、私たちがどのように知ってきたかと尋ねてみたのです。'インターネットで見てきたが、先生のみことばが私とよく合ってきた。'と言われたので、私が'それでは水準が低いようですね。私のメッセージは水準が低いのですが。'と言ったところ、どうであろうが、合ったので来たと言われました。 ■看板で働きが起きるのでしょうか? 聖霊が働いたら、目に見えないことから行われます。目に見えなく、皆さんの家に暗闇が崩れ始めるのです。しかし、人々はこれを知らずに、目に見えることだけ話します。皆さんの事業に、家に、子どもに、暗闇が崩れないで、何か事がなるでしょうか。全く復興会をしたのでもなくて、聖書をたくさん読んだのでもないのですが、みことばが成就し始めたのです。それと共に、弟子が起きて、現場が変わりました。こうしたこと5つのことが、先に目に見えなく行われたのです。皆さん、本当にこれは契約を捕まえて、アーメンと祝福を受けられなければなりません。私はこれよりさらに重要なことはないと思います。どのようなことが、さらに重要なのでしょうか。皆さんの家にどんなことが起きるのだと思うのでしょうか。私たちと近い将軍一人が星4ケになりました。その方が、星3ケだった時、軍部隊を訪問しました。とても中心が良い人であったのに、この方が部隊と国家に対して心配が多かったのです。その方にダビデのメッセージを与えました。全く恐れる必要がない。全部、祝福になることで、ダビデは、主は私の羊飼いと告白しました。そして、どんなことがあっても主の天使を送って、信じる者を守られます。福音のために、神様は将軍を祝福されるでしょう。今回、昇進して星4ケになりました。司令官就任式を行ったのですが、気持ちが良かったのです。今回、私を一般席でない家族席で招待してくれました。この方がたくさん考えているという気がしました。私が見るには、これからも、より大きいことができる方だという気がしました。とても人格も、色々なことが取りそろった方です。上がれば上がるほど、恐ろしくなり心配になります。それで、私がその方に神様のみことばを伝えて、祝福して祈ったのですが、それよりさらに重要なことは何かということです。その方がそちらにいる時、一日に飛行機が三百台ずつ飛び上がったり、降りたりするのに、一度だけぶつかっても、問題が生ずるのです。全く自分の努力と関係なしで、そうなるのです。それなら、どのようなことが、最も重要な祝福だと思われるでしょうか。 ■聖霊充満を求めて、少しだけ祈れば、目に見えない霊的なみわざが先に起きるということです。これをのがしても良いのでしょうか。その次には、アンテオケ教会を見ると、いよいよあらわれ始めるのです。伝道も前は隠れてしていたのが、出て行ってするようになって、出て行って宣教もして、弟子も大きい群れが集まりながら、いよいよ経済の祝福を受けて、他の地域を助けて、それと共に宣教師も派遣しました。これは目に見える祝福が現れ始めしたということです。これが聖霊の働きです。キリストを目に見えなく味わうのもあるのですが、今は目に見えるように味わうことが始まったのです。必ず記憶しなければなりません。少しだけ福音を持った人であることが確実ならば、一日に1分だけ祈っても、そのようなことが行われます。いよいよ、それで終わるのではありません。キリストの共同体を味わうようになるのです。ここで私が、レムナントという単語を見つけました。産業宣教、文化の働き、エリートの専門担当者の集い、癒しの働き、こういうものを見つけたのです。これがキリストの共同体です。こういう祝福がくるようになっています。皆さん、必ず今日の契約をのがさないように願います。 ■それなら最後の三番目です。聖霊充満をどのように体験するのでしょうか。答えが出たら、私がどのようにすれば良いのでしょうか。最も重要な話を先にしなければなりません。皆さんの性格上で、何か感動を確かに受け取る人がいるかと思えば、受けられない人がいます。性格的に少し神がかりになったような性格もあります。性格的にだめな人もいます。二つとも関係ありません。何かよく感動できず、よく信じられない人々がいます。こういう人々がむしろさらに正確に受けることもできるのです。今まで韓国教会は、誤って教えていたのですが、体験するべきだとすれば、どこで体験すべきなのでしょうか。 ■それが問題です。人によって涙をよく流す人がいます。しかし、本当に悲しくても、涙が出てこない人がいます。そして特別なことでないのに、よく遊べる人がいます。そのような人がいるのです。私が何かがあれば、ずっとチョ牧師の悪口を言って申し訳ないのですが、この間、チョ牧師夫婦と食事しに行きました。食事をしてきたら、食堂のそばである人が商売をしていました。この人が、頭に三角帽をかぶって、おかしなつぎはぎ服を来て、太鼓を打ちながら飴を売っていました。それで、通り過ぎた時、私はそのまま過ぎ去るのに、チョ牧師は見て上手だと言いました。そうして、結局、行って太鼓を持って一度打ってみるのです。私は子どもたちが多いから、恥ずかしくて、すみに行きました。それで、私が内心、祈りをしました。主よ。あれをちょっとしないようにしてくれと祈ったのです。これは性格の差です。そのような人は、そのような性格で、私は恥ずかしくて、こういう性格です。だから、どれが正しくて、違うかと、決めつけられません。それで、私が全く感動がなくて、感じられないからといって、悪くて違っているのではありません。性質がそのような人がいるのです。話しが上手で、告白も上手にしてしながら、中心はいつも変わる、こういう人もいます。話はあまりしなくても、中心があまり変わらない人もいて、人は色々な性格があるのです。だから、私たちが聖霊充満も、性格によって少しずつ違うのですが、これを悪く解釈することもあります。全く体験がなくても大丈夫です。私が少し私の性格で好むことでは、表現する人より、しない人が重みがあると思います。どこかへ行って、誰も驚く話はしなくても遊んでいる人と、驚いても遊ばない人と、その人がもう少し大丈夫である人であることもあります。必ず大丈夫だという根拠はありません。だから、私たちが聖霊充満を受けるということが、どのようなことが基準なのでしょうか。必ず福音を持った者に神様がくださるようになっているのです。それで、使徒1:12〜13を今朝、見たのですが、祈りに専念したのです。今日、使徒2章をさらに読んでみれば、42節にも使徒の教えを受けて、祈りに専念したのです。皆さん、少しだけ時間をあけて、使徒3章を見ると、定刻の祈りに行って、足のきかない者に会いました。少しだけ時間を作って、アナニヤが定刻の祈りをしているのに、神様は誰を砕かれたでしょうか。パウロを砕かれました。これが祈りです。これが聖霊の働きです。コルネリオを神様が準備したのですが、その時、ペテロは少し祈っていたのです。この時、連結させてくださったのです。また、私たちには深刻な問題がくる時もあります。使徒12章を見ると、全教会が集まって集中的に祈りました。奇跡が起こったことはもちろんのこと、神様がヘロデ王を倒されてしまったのです。皆さんは、病気にかかることもあります。このような時、どうするべきでしょうか。聖書を見ましょう。Uコリント12:1〜10を見ましょう。病気にかかったかと思えば、パウロのように、完全に私がからだの外にいるのか、中にあるのか分からないほど、この程度に祈ってしまえば働きが起きます。去る土曜日に見たら、うれしかったのです。パク・チオン牧師が回復して、集会まで出てきていました。この間行った時は、病院に横になって、正しく私だと分かるか、分からないのか、と思うほどの状態でした。人々がそばで複雑な話をよくします。聞かないでくださいと言いました。医者に申し訳ないのですが、このような時は、医者の話も聞かないでくださいと言いました。看護士も行き来します。看護士の話も聞かないでくださいと言いました。人が今、死にそうになったら、このような時は主だけを見上げなさい。この時、神様の力が現れます。私が、自分自身が弱くなった時、神様の力の中に完全に入った時、その時に働きが起きるのです。先生、この契約だけつかんでくださいと言ったのです。そして、祈ってきたのですが、本当に本人が祈って、神様の力を得て、働きが起きたのです。皆さん、聖書を普通に見るでしょうが、Uコリント12章を見れば、私がからだの外にあったのか、中にあったのか分からないほど、この話は普通の話ではありません。科学者が証ししたのですが、学生たちが、もし5〜10分ずつ深い黙想の段階に入ったら、普通の人より頭が数百パーセント優れるということです。皆さん、聖霊充満の働きということは、すばらしいのです。この祝福を教会に信じる者に約束されました。 ■話を結びます。聖霊充満を求めて少しずつ祈ったら、神様は5つの力を与えられました。神様が力、聖霊充満を少し祈ったら、神様は1千万弟子のシステムをみな敷いて下さいました。聖霊充満の奥義を少し祈ったら、神様は20個の戦略の門を開けてくださいました。説教をすること、聞くことが問題ではありません。神様のみことばをお手伝いするのに、そこに聖霊が働かれるのです。これが重要です。説教を誰ができないでしょうか。するのに、神様の聖霊が働きをしたのか、しなかったのか。これが重要ではないでしょうか。皆さんが、今日、この契約を捕まえて出て行ったら、他の人に話すのに、そこに聖霊が働かれます。皆さんが事業に行って祈るのに、そこに聖霊が働かれるということです。どれくらい驚くことでしょうか。それで、ただ聖霊充満して、力を受けて、地の果てまで証人になる。皆さん、今日、この時間にこの契約をつかむように願います。初代教会に答えられた神様は、皆さんに答えられるでしょう。なぜなら、私にも答えられたので、私は皆さんに先生として話すのではなく、証人として話しています。私はただ一度も、皆さんより立派で教えると思ったことはただの一度もありません。私は、神様のみことばをもって、神様の民にお手伝いするしもべです。それでは、主人が自分の子どもに持って行きなさいという食べ物を、そのまま良く持って行ってあげるのです。それが私がすることです。神様が神様の民にくださろうとするメッセージ、糧を私はお手伝いするだけです。それで、今日、皆さんがこの契約を捕まえれば、そのまま働きが起きます。皆さん、すべての現場に神様の力が臨むことをイエスの名前でお祈りします。 <<契約の祈り>> 神様、この時間も全世界に散らされた弟子たちに働いて下さい。私たちのインマヌエルの家族に働いて下さい。今、共に衛星で礼拝する所に、聖徒に、聖霊で働いて下さい。今日、この席に座った主の民の中に、主の聖霊が臨まれるみわざが起きるようにして下さい。すべての病気、すべての弱さが解決されるようにして下さい。創造の聖霊が臨まれるので、聖霊の火が弱い部分に働いて下さい。私たちの霊的問題を解決して下さい。千人、万人に会ったより貴重な時間になるようにして下さい。私たちの未来に創造的な神様の準備があるようにして下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン. |