2005年4月17日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/人々の失敗を止めるのが福音運動だ
(ルカ15:1〜7)
■私たちの教会がたくさん復興して、席がないから、今日から同じみことばで1、2部に分けて礼拝するようになりました。そうしたら、席に少し余裕があるようです。それでも、席が殆どないのですが、2部の時、他の人たちが礼拝がささげる機会ができます。礼拝を一度ささげるから、次の2部の時には奉仕もして、色々な対話もする機会があるでしょう。経済も難しいでしょうが、献金も一度だけするようになるから、はるかによいでしょう。ひょっとして怠けたい人々は、1、2部をよく利用して活用してください。そのような人もいるでしょうか? います。教会に来なければならず、仕事はしなければならない、という人々は、1、2部をよく活用してください。今日は、また重要なお客さんがたくさん参加しました。ドイツからハン・ドンフン長老も一緒に礼拝をささげています。そして、とても重要なボストンからユン・アンチョル教授、カザフスタンで宣教する宣教師と司令官も一緒に礼拝をささげています。今日の1部礼拝の時、パク・ジュヨン選手が礼拝に参加して挨拶しようとしたのですが、3時から試合があるので、どうしてもだめだということでした。電話でたくさん祈ってくださいと言っていました。また、この時間には、5千ヶ所からインターネットで全世界で礼拝をささげており、地域教会と多くの衛星で100個余りの教会で礼拝をささげています。その中で、神様がとても重要なみことばを与えられました。人々の失敗を止めるのが福音です。皆さんが、福音が何かを理解しなければならないのですが、神様がいたずらに私たちに時間を使いなさいといわれたのではなく、滅びないように救われると言われました。前に一度申し上げたことがあります。
■ある青少年が、しきりに自分が不安感におそわれたのです。それをどうしようもなかったのです。薬を飲んで、病院に行っても、解決できませんでした。勉強もできなくなって、深刻な問題に陥るようになりました。いよいよ幻聴が聞こえ始めたのです。そうしたところ、誰かが話をするのでした。私たちが見るには、精神病ですが、本人は苦しいのでした。何か話をするのに、不思議にも、その言葉がそのまま成就するのでした。例えば‘あなたの叔父が来るから、あなたはどのように行動しろ’のような話がしきりに聞こえたのです。それで、自分のお母さんに、叔父が来ると話をしたのですが、本当に来たのです。不思議に思うことでしょう。それで、この人はずっと苦しめられていました。そのようなある日、聞こえた声が‘おまえが不幸なのは、おまえの父のためだ。父を殺せ’ずっとそうでした。それで、本当にお父さんを殺したのです。そして、逃げたのでした。そのような中、山に隠れて過ごしていたら、また耳に聞こえて‘自殺しろ。おまえは父を殺して、どのように生きていけるか’この人は、仕方がなかったのです。そうするうちに捕まったのです。刑務所に入ったのですが、刑務所の中でも、その幻聴は継続されました。独房で過ごしていたら、その部屋を守る看守が、幸いに教会の長老でした。ところで、長老は大部分がでたらめなのに、その方は福音を伝えたのでした。小窓から福音を伝えたのでした。それで、この人が福音を聞いて、小窓から看守と手を握って、イエス様を救い主として受け入れたのでした。不思議なことが行われました。何年間も聞こえた声が止まったのでした。それと共に、心が平安になり、飛んで行きそうな力ができたのでした。これを医者たちがどのように説明するでしょうか。この子は、計画したのでもなくて、事実です。この子が福音を聞いた瞬間に、自分も知らないうちに解決されたのです。私はその人に一度会ってみようとしたのですが、直接会えなくて、その人が証しをしたテープを聞きました。それで囚人に会いさえすれば、福音を伝えたのです。これが福音です。
■では、精神異常な人々、囚人を救い出すのが福音でしょうか。その話ではありません。いつも私が話したではないでしょうか。この間も、大邱(テグ)地下鉄に火を付けた人が精神異常者でした。病院に入院して、何度も助けてくれと言って、火をつけると話したということです。本当に残念なことに、医師や看護士の中で、本当に福音を悟った者がいなかったということです。いたとすれば、福音を伝えたはずです。ここには、判事や弁護士、裁判官がたくさんいます。参考にしなければなりません。ここには、教授や国務指導者もたくさんいます。必ず身上調査をしてみてください。そして、若い指導者は、一名、一名と相談してみてください。今までほとんどみな軍隊で自殺したり、事故を起こしたりした人々は、精神的に苦しめられた人々でした。残りは言い訳です。軍で激しくするから、誰かが困らせたから、こういうものは言い訳です。ほとんどが苦しめられた人々でした。こういう問題を違うところで解決する方法がありません。今、一緒に礼拝をささげているのですが、ある医師の奥さんが、私にそのような話をしました。‘先生、私はうちのお父さんが幸いにお金をたくさん儲ける方だったので、お金の心配なく暮らしていました。幸いに、勉強も良くできて、良い学校を出て、神様の祝福で良い夫に会ったのですが、福音があって、実力がある医師に会って安らかに元気に暮らしています。しかし、幼い時から、何か知らず不安だったのですが、話す所がなかったのです。結婚をしたのですが、家を出て行きたかったのですが、言い訳がなかったのです。’夫が少しだけ間違ってくれれば、出て行きますが、とてもよくするから出て行けなかったのでした。‘私がなぜこうなのか’と思ったある日、キリストに会ったのでした。これは学問的にも理解できないことです。その方個人だけ分かる問題なのですが、その問題が解決されたのです。とてもうれしくて、夫に話したということです。‘事実、あなたと暮らすのが嫌でした。あなたが嫌いだからではなく私が変だったのです。私がキリストを知って、福音を知って、神様を知るようになりました。今、私が事実はとても幸せでとても良いのです。それで、私の妹が米国にいるのですが、この話をしなければなりません。そして、私のめいも学校で勉強するのに、難しいこともあります。その話をしなければなりません。’その話を聞くのにそうだという気がしました。福音が何かを悟るということは、とても重要なのです。
■今日、最初に考えなければならないことが、イエス様が取税人と罪人と一緒に食事をされました。それで、皆さんが少し理解しなければならないことがあります。取税人とは何でしょうか? 税金を徴収する人です。当時を理解すれば分かるでしょう。その当時に、イスラエルは国がなくて、ローマの植民地でした。ですから、ローマの人々が税金をかき集める方法として、ユダヤ人ながらも、不良な人々を抜き取ったのでした。そして、税金を取るのに、ある程度はローマに出して、残りは持って行けと言ったのです。これが、ローマの方法です。ですから、この人は、他の人の税金を思いのままにおさめられるのです。少し気分を害するようにしたり、気にくわないならば、高い税金を徴収するのです。出さないならば、告発するのです。取税人だけなれば、ものすごくお金が多くなるのです。それで、ユダヤ人が一番嫌う人が取税人です。同じ国民であるのに、どうしてローマ側について、私たちの国民を難しくするかと、話はしなくても、怖がって敵に思っていたのでした。それで、聖書に取税人というと、とても悪い意味に伝えられるのです。それと共に、罪人が悔い改めるから、イエス様がその人々と食事をしたのです。ですから、よく信じるパリサイ人、律法学者が‘どうして、あなたはそのような取税人と食事をするのか。どのように水準低く、罪人と食事をするのか。’と話したのです。この時、イエス様が三つのたとえを話しされました。今日は、そのうちの一つだけを読んだのですが、三つです。
■その最初の比喩が、なくした羊に対する比喩です。‘羊を飼う人が、羊一匹がなくなったが、そのまま行くでしょうか。’皆さん、ヤギと羊は違います。ヤギは、羊飼いが必要ありません。ヤギは触れば自分勝手に行動しますが、羊は、自分の毛をみな刈られても、じっとしています。羊を飼う時、冬になれば、普通2〜3匹はそのまま死ぬということです。冬に寒くて、互いにくっついて寝るから、ずっと積み重ねて、一番下に敷かれていた羊は、息をすることができなくて死ぬということです。それで、冬になれば、その中にヤギ二匹を入れて、夜中に突き上げるようにして、みなあちこちに逃げるようにするのです。それで、一匹も死なないのです。それで、聖書に話をよく聞く神様の民を羊に、聞かない人をヤギにたとえました。羊は、くぼみに落ちたら、そのままじっとしています。そして、他の動物は、怖い動物がくれば逃げるのに、羊は静かに立っているのです。そして、一匹がくぼみに落ちれば、ヤギならば、様子を見て行かないのに、羊は十ならば、十みな落ちます。これが羊の特徴です。そのような羊が、道に迷って帰って来られないのに、そのまま行くでしょうか。あなたが、もし息子が4人がいるのに、1人が道に迷って探せないでいれば、息子3人もいれば良かったと言いながら、そのまま行くでしょうか。今、神様の心を説明したのです。取税人や罪人が悔い改めて神様に戻るというのに、その人と食事を一緒に食べるのが何が問題なのでしょうか。
■ 18節を見れば、もう一つ例をあげています。女の人が銀貨をなくしたということです。その時の背景を知らないならば、理解できないでしょう。男女が結婚する前に婚約をします。それを婚約式だと言うのですが、記念に男が女にネックレスを与えたのです。そのネックレスは、その男と結婚する前までしるしとして、かけて歩くのです。それに銀貨が10ケついているのです。これがどうなったのか、一つが落ちてしまったのです。どうするでしょうか。夫となる男の人が、とても重要な記念として、約束で与えてくれたものなのに、一つが落ちてしまえば、どうするのでしょうか。灯をつけて、ほうきを持って、すべての床を探さないでしょうか。その時に、やっと銀貨が見つけられたと考えてみましょう。どれくらい幸いだと思って、感謝するでしょうか。ある人は、飛行機の中で、指輪がなくなったと大騒ぎしながら、泣くのを見ました。私も飛行機の中で、指輪を一度、なくしたことがありました。それで、そのまま置いてきたのです。秘書に、飛行機の中で指輪をなくしたと言ったら、それをなぜ探さなかったかと言われました。それで、探してみてもなかったので、たいしたことではないと思いました。それで、私たちの秘書は理解できないのか、他の人ならば、探すのに、大騒ぎしたはずなのに、先生はなぜ探さないのですかと言っていました。それが、独身の男性や女の人の婚約指輪ならば、そのようにしません。探すでしょう。その女の人が、なくした銀貨を見つけたら、どれくらい喜ぶでしょうか。それでもわからなかったのです。
■もう一つ話されました。ある金持ちに息子が二人いました。ある息子が、両親の話は聞かないで、独立すると言いました。自分がもらうべき財産を、あらかじめもらって出て行ったのです。しかし、この息子が出て行って、放蕩した生活で、みな使ってしまって、乞食になりました。完全にほろびてしまったのです。これでは、食べて通うのに食べる所もなかったのです。さらには、飢饉にまでなりました。そして、豚を飼う所に行って、仕事をさせてくれと言いながら、食べ物を求めたのですが、そこでは豚の食べ物もありませんでした。とても苦労したあげくに悟ったのです。‘私は、今からでもお父さんのところに帰らなければならない。お父さんのところに行けば、食べるものがあるのに、ここで飢え死んでよいだろうか。ひょっとして、お父さんが私を許さなければ、私がお父さんにしもべとして使ってくれと話せばよい。’これで完全に乞食なって戻るのに、どういうことでしょうか。遠くから来る乞食を見て、お父さんは自分の息子であることを直ちに分かったのです。このお父さんは、毎日、息子を待っていたのでした。息子が帰ってくるのを見て、裸足で走って行って、息子を抱きしめました。その時、息子が話しました。‘許して下さって、私をしもべに使って下さい’その時、お父さんが‘お前がどうしてしもべか、お前は、私の息子だ。お前が死なないで戻ってきたので、どれくらい感謝だろうか’としもべを呼んだのです。‘はやく入浴させる準備をして、服を準備しろ。履き物を準備して、新しい服に取り替えて着せて、指輪をはめなさい’だから祭りをして大騒ぎしたのです。その時、長男が戻ってみたら祭りをしていたのです。何の祭りか。下の息子が戻ってきた。その時、長男が‘お父さんは本当に変だ。私のためには牛一匹出さないのに、あのように放蕩してほろびて来た奴のために祭りをするのか。’その時、お父さんがこのように話します。お前は、私といつもに一緒にいなかったのか。私のものは、みなお前のものではないか。お前の弟は死んでいたのが生き返ってきたのではないか。祭りをするのが当然ではないか。こういう話をしました。今、パリサイ人がした質問と同じことです。
■今日、皆さんここで必ず考えなければならない二番目のことがあります。これは、単なる話ではありません。世の中には、今、葛藤がたくさん起きています。しかし、教会の中でも、葛藤がたくさんあります。どんな葛藤なのでしょうか。福音は悟ったのですが、世の中については知らない人、世については知っているのに、福音を悟れなかった人。これは、小さい葛藤ではありません。これが葛藤になるのです。あの人は、福音は少し悟ったようですが、とても生き方が良くありません。生き方は少しできるようですが、福音が全くない。こういう二つの葛藤の中でイエス様が働かれたのです。私たちはこういう葛藤が多いのです。夫婦でも、1人は信仰が良くて、1人は信仰がありません。これが目に見えなく迷うのです。夫婦もそうで、友人もそうで、私たちが対話できなければなりません。こういう葛藤が生じるのです。これは単純な話ではありません。イスラエル民族が、福音が何かを知らなかったのです。イスラエル民族が話すのが間違った話ではありません。どうして、取税人と罪人と一緒に食事をするのか。悪い話ではありません。イエス様が、それを知らないのでしょうか。重要なのは、イスラエル民族が福音を悟ることができないのです。それで、イスラエル民族が、皆さんが知っているように、1400年の間、国をなくしました。皆さんが知っているように、イスラエル民族が、全世界20余りの国に散らされて、踏みにじられて死んだのです。それが、そんなに怖いものでしょうか。そうです。皆さんの人生は、必ず最後がきます。そして、この福音を知らない人と、知っている人は、大きい違いが生じます。
■今日、皆さんは三番目に重要なことを捕まえなければなりません。福音とは何なのでしょうか。神様の愛です。この福音を悟れば、私たちは滅びの中から解放されるようになるのです。それで、神様が、私たちに福音を与えられました。皆さんが、この祝福を必ず受けることを希望します。いくら成功した人でも、世の中の人々は、最後に失敗がきます。ここから解放されなさいということです。これが福音です。未信者状態6つからは抜け出せません。それで、お金をたくさん儲けたヘミングウェイのような人は、自殺しました。昔、米国の最高の富豪だった人は、家から出ることもできなくて、精神的に苦しめられました。1人ももれなく、トルストイのような人は、家を出て、駅前で乞食で死んだのですが、誰も知らなかったのです。死んで分かったのです。徳平から車に乗ってくるのに、いつのまにかつつじの花がたくさん咲いていました。私の家の垣根にも、つつじが咲いて、レンギョウが咲いていました。それで、私がキム秘書に尋ねてみたのです。春がくればつつじが先に咲くのか、レンギョウが先に咲くのかと尋ねました。キム秘書の返事は、レンギョウが先に咲くと言いました。そのようだと言いました。私の家の垣根で、花壇で、つつじが咲いています。キム・ソウリ(詩人)を思い出します。キム・ソウリの有名な詩で、つつじの花が出てくる詩があります。キム・ソウリは、32才で自殺しました。その有名な作品を残して、そのように文を書いた人が生アヘンを飲んで自殺したのです。今、有名な歌手ジャクソンのような人が、精神的に異常になりました。人間は、そのように生きなさいということではありません。神様がキリストを送って、私たちを救うと言われました。失敗しないということです。それが福音です。
■誰と共に、食事をするか、しないか、それが問題ではありません。今、私たちが、どのようにしなければならないのかも重要ですが、それが問題ではありません。永遠に滅びるしかない未信者を失敗しないように神様が福音をくださったということです。皆さん、必ず祝福を受けることを希望します。人間は、科学で分からない霊的問題、人間は科学で分からないサタンの戦略、とうてい努力と関係なくやってくる災い。どのようにするのでしょうか。それを解決するのを福音と言います。その問題が、まさに原罪と言うのです。どのようにするのでしょうか。福音を正しく悟れなければ、聖徒も信仰生活しながらみな失敗します。福音を悟れなかった人が、牧会するならば、これは本当に問題になります。本来、福音を悟れなかった人が、牧会をしたり、シスターになったり、僧侶になるということは、本来おかしな人々です。幼い時から、私は山に行って、髪をそらなければならないというのは、少しおかしな人です。本を持って牧師なるべきだという人は、少しおかしな人です。嫁にも行かずに、修道女として一生、生きるべきだというのは、おかしな女性です。はやく大きくなって、嫁入りしたい。それまで耐えよう。これが正常な女です。男を見ると気味が悪い。嫁にも行かずに、私は修道女になるか、僧侶になりたい。これは、正常ではないのです。正常に、私は公務員になる、軍人になる、警察になる、教授になる。これが正常なことで、頭を剃って山に行って一生暮らすつもりだ、これは正常ではありません。だから、福音を知らなければ、牧師、伝道師が正常ではありません。正常ではないのに、どのように人を導くのでしょうか。通常の問題ではありません。私たちの聖徒も、福音を知らなければ、後ほど失敗します。聖徒も、福音を知らなければ、律法に捕われて、ただ祈りの答えを受けると、のさばり回るのです。それを神秘主義と言います。変です。それである日、失敗してしまうのです。神様がくださったこの福音が、どれくらい重要かわかりません。医学と科学が解決できない霊的な問題を解決するのが福音です。霊的問題は、全世界に散らばっているから、解決する方法がありません。今日、私が私たちのユン教授にこういう話をしました。大学が重要だから、大学を生かす祈りをしてください。今日、キム・ジェミョン教授もきました。キム・ジェミョン教授を私たちの長老としてたてるつもりです。なぜでしょうか。オーストラリアにいる重要な大学生を生かしなさい。今回、証しのあるパク・サンエ博士のような人は、東京大学を生かす方です。あの方は医学博士です。今回、体験して行きました。医学博士が癌にかかって、良くなったのです。本人がどれくらい健康部分に徹底してよくする方なのに、多分、大きい経験だったでしょう。人間は、人間の力ではできないことが多いのです。そして、さらに重要なのは、霊的問題のようなものは、分かることもできません。それで‘主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたとあなたの家族も救われます。’今日、皆さんが必ず記憶しなければなりません。
■私たちが神様の愛を悟ってしまえば、みな回復します。これが悟れたことが神様の愛です。私が神様の祝福を受けて、神様の愛が悟れます。私が他の人を救い出さなければならないな。それが神様の愛です。神様の愛の中で一番重要なのが福音です。Iコリント13章を見ると、このような話が出ます。愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。このようになっています。そうでしょうか。アーメンがよく出てこないでしょう。愛するから耐えられない。愛するから人が鋭くなる。愛するから、動機をもって愛するから高慢になって、自慢する。私があなたにどれくらいよくしたか、私が間違ったのが何なのか。愛するという理由で無礼になって、愛するという理由で自分が損をすることが耐えることができなくて戦うのです。愛するという理由で、他の人は何でもないことなのに怒ります。悪く考えないのに、愛するから悪く考えるのです。どこへ行って、何をするかと悪く考えるのです。愛するから、全てのものを耐えられないで、ここに全てのものを信じてとありますが、全てのものが信じられないのです。今、この時間に何をするのか。信じられないのです。そうなるのです。それではIコリント13章は、間違っているのではないでしょうか。その話ではありません。皆さんが神様の愛を分かる時、その時、そのようになるという言葉です。本当に夫を愛し、妻を愛するのも、神様の愛を分かる時、可能になるのです。国を愛し、人々、民族を愛するのも、神様の愛を分かる時、可能になるのです。かわいそうな人を手助けするのも、神様の愛を分かる時、可能になるのです。そうでないのは、自分の職業で、趣味であって、神様の愛を分かる時に可能になるのです。それで、神様の愛と言ったのは、福音、ものすごい力になるのです。
■ある映画を見ました。ある前科者が、正しく生きようとするのです。しかし、警官がずっと付いて回るのです。事件が起きると、関連していると思って調査します。本当に、この人は正しく住もうとしていたのです。しかし、ことごとに付いて回るのでした。耐えました。正しく生きなくては。また耐えたのです。自分が仕事をする職場まできて調査をします。耐えました。そして、愛する女ができたのです。本当に、この女と幸せに暮らさなくては。本当に、この女と正しく生きなくては。しかし、この警官が女にまで訪ねてきたのです。耐えました。ある日、職場から帰ってきたら、部屋で警官が、自分の女に夫がどれくらい悪い人なのか過去を話していました。これ以上、耐えられなくなったのです。それで、昔のことがみな出てきたのです。元々、げんこつをよく使ったチンピラです。そこで警官を殴って殺してしまったのでした。幼い時に見た映画ですが、警官を打ち殺した時、少し気がせいせいしました。とても困らせたのです。こんにちでもある姿ではないでしょうか。警官も、神様の愛なしでは正しい警官になれません。そうではないでしょうか。ずっと映画の話をして申し訳ありません。
■ある日、偶然にTVを見たら、友人の間に起きた問題です。エレベーターに乗って降りて行くのに、友人の悪口を言いました。それも、とても侮辱的な悪口を言ったのです。しかし、その友人がいないと思ったのですが、エレベーターのすみにいたのです。女同士でした。それで、その悪口を聞いた友人が精神が変な人でした。その時から、その家を破壊させ始めたのです。それで起きた事件を映画で扱っていました。それを見ながら、一理あると思いました。それで、神様の愛を知らずに友情も正しくなるでしょうか。そのような気がしました。私たちが神様の愛を知らずに、何か正しい友情になるでしょうか。神様の愛を知らないながら、愛国も正しくなるでしょうか。米国で、ある人が、黒人の子どもを養子縁組したのです。自分の子どもにしたのですが、この子が話をしないのです。一日、二日、一ケ月になっても話をしません。おしなのかと、病院に行って検査をしてみても、おしではありません。何の話をしても、話をしません。ある日のことでした。家でフライパンで何かを料理していたら、突然に大声で叫んだのです。持っていたものを投げながら嫌いだと言いながら話をしたのです。わかったのは、この子が幼かった時にあった問題が現れたのでした。本当に、神様の愛なしで家庭もなりたつでしょうか。私はそのように考えます。まして、神様の愛なく教会になるでしょうか。何か正しい教会になるでしょうか。だから、韓国教会、世界に問題が来たのです。神様の愛なく、つまらない言葉を言って、食事どのようにしたのか。こうした話をするのが、何の教会になるでしょうか。私はどれくらい感謝するかわかりません。私たちの聖徒、按手執事、長老、勧士を見ると、本当に福音を持った人々です。皆さんの姿を見ながら、本当に感謝します。私たちの教会に新しく登録した新しい家族がこういう話をしました。私たちの長老、役員が、とても雰囲気が良いと言いました。真に幸運です。今日、教会が非難されています。今日、世の中の人々が教会を作ろうとしたら反対します。
■今日、私たちは必ず記憶しなければなりません。ソン・ヤンウォン牧師のような人は、共産主義者が自分の息子二人を殺したが、殺したその人を息子としたのです。どのようにそれが可能なのでしょうか。神様の愛で可能です。皆さんが祝福を受けることを希望します。神様の愛、福音の目、信仰の目を持っていれば、私たちは何でも勝てます。自分を困らせるサウル王をダビデは愛しました。それが神様の愛です。神様はダビデを祝福されました。今日、皆さんが礼拝をささげるすべての方が、本当に神様の祝福を受けることを希望します。神様の愛をたくさん受けて悟ることを希望します。このすばらしい福音の祝福を思いきり味わうことを希望します。それで、皆さんの産業、職場、皆さんのすべての所に神様の愛があふれるようになります。この時、神様の祝福があふれるようになるのです。今日、皆さんの人生が、貴重な人生になることをイエスの名前でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。福音でだけ解決できる祝福が、この方たちに臨むようにして下さい。神様の祝福と愛が、私たちの大韓民国に臨むようにして下さい。それで、全世界に神様の愛が伝えられるようにして下さい。家庭問題も神様の愛で解決するようにして下さい。友人と職場の問題も、神様の愛で解決するようにして下さい。私の傷、弱さも、神様の愛でいやされるようにして下さい。私の残った人生が、神様の愛で勝利するようにして下さい。主イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン