2005年4月24日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/日の上る所から沈む所まで
(詩113:1〜9)

・私たちの衛星で礼拝する教会に神様の大きい祝福があることを望みます。また、インターネットで神様のみことばを受ける方々にも、同じ恵みあることを希望します。米国にある貧しい少年がいました。両親がいなくて、貧しいから、勉強をすることができなかったのです。それで、小さい店で働きました。幸いに、神様をよく分かる少年でした。小さい店で働くのを、全く苦しがらないで、とても感謝したのです。食べて生きるのではなく、習ったことはないが、そこで福音が宣べ伝えられるようにしてくださいと祈りながら暮らしました。ですから、仕事をどれくらいよくしたのかわかりません。そのような、ある日でした。紳士一人がきて、物を買っていったのです。金を受け取ってから見たら、新しいお金だったからか、二枚がくっついているのを知らずにやりとりしたのでした。それで、その方を人に尋ねて捜して訪ねて行ったのでした。そして、紙幣がくっついていたのをよく知らずに金を受け取った。それで一枚を返しに来ましたと言いました。その主人は、その少年の行動に、その少年をとても良いと思ったのです。この人は、デパートを運営していた大きい社長でした。ある日、訪ねてきて、自分のデパートに連れて行きました。ここで仕事をしなさいと言ったのです。感謝する気持ちで、祈りながら仕事をしたのでした。この少年の周囲には、神様の祝福がたくさん現われ始めました。

・それと共に年を取りました。神様の祝福をたくさん受けて、デパートの店を一つ一つ買うようになって、後ほどには、全体を買うようになりました。そして、色々な所にデパートを作って商売をしました。そのようにして、そこで多くの祝福を受けて、多くの人を手助けしたりしたのです。この人は、習ったことがありませんでした。それでも、とても努力して、祈って、福音を持っていました。ある日、米国の大統領がこの人を呼びました。大統領が、この人にこういう要請をしました。'あなたが、我が国の逓信部長官を引き受けてくれたら良い。'彼は'私は習ったことがなくて、長官をすることはできない。'と言いました。しかし、大統領は'全国のデパートの中で電話帳であなたのデパートが一番多い。'だから、どれくらい祝福を受けたのか分かるでしょう。そのようにして、米国の逓信部長官になったのです。長官になった後にも、今までいた長官の中で最も仕事を良くしたのでした。皆さんがよくご存知なデパート王'ジョン・ウォナメイカー(Jone Wanamaker)'という人です。

・私たちは、神様のみことばを見ながら、日の上る所から沈む所までと言われています。詩篇を見ながら、生きた体験の証拠だから、多くのことを学ばなければなりません。おもに詩篇の中には、何が入っているかというと、出エジプトしたこと、捕虜から戻ったことなど、苦難の中で勝ち抜いたお話、救いと賛美が入っています。皆が生きた体験だから、詩篇を見ながら、多くの祈りの答えをもらうことができます。今日、皆さんが神様を分かる、ここを見ると、日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。有名な詩篇です。詩篇113〜118篇までは、祭りの歌です。私が普通の人々に会えば、10人中8〜9人は、苦しいという感じがします。'この人は本当に答えを受けるだろう。'と気がする人は、およそ二人くらいです。大部分の人々の話を聞いてみれば、話はできないし、苦しいという感じです。'この人は傷があるんだな'というものが感じられます。私には文書がたくさん来ます。公式的な文書だけでなく、手紙もたくさん来ます。普通、読んでみれば10ケ中の9ケは苦しいのです。もちろん、嘘ではないのですが、傷ついて難しい話です。それを見ながら'この人が世の中に勝てるだろうか。サタンに勝てるだろうか'まちがいなく負けるという気がします。もちろん、嘘ではないでしょう。苦しいから送る文でしょう。ところで、時々勝利した信仰の人を見れば、私が恵まれる人がいます。

・それで、詩篇が重要な理由が、ほとんどみなが、啓示を受けて書いたものもあるのですが、現場で起きたことを書いたのです。ダビデが危機にあって逃げる時に書いた詩篇23篇のようなものは、中の内容が一つ一つの単語に意味があります。確かに、日の上る所から沈む所まで、みな主のものです。日が上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるようにとなっています。それでは、私たちはどのようにこの答えを受けることができるのでしょうか。クリスチャンに会ってみれば、成功した人々が10%ならば、90%はほとんど失敗しています。これをどのように変えるのでしょうか。私が米国を行ってレムナントにも話しました。米国留学にきて成功した子どもは、10人中1人です。ほとんど90%が失敗します。これをどのようにするのでしょうか? そして、クリスチャンに会ってみれば、話はしませんが、失敗して、難しくて、苦しくて、押さえられています。少し足りない人は話して通うが、話さない人々は、中で押さえられて、どんどん難しくなるのです。私たちは、どのように、こういう困難に勝ち抜いたかを詩篇を見ながらよく知ることができます。たくさんあるのですが、本文の中で三つを確かにしなければなりません。

・詩篇113篇1節に見ると' ハレルヤ。主のしもべたちよ。ほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。'と告げました。主の子どもたちよ、ほめたたえよ、そうすべきではないでしょうか? 主の民よ、ほめたたえよと言うべきなのに、今日、見たら、主のしもべたちよ。ほめたたえよ。と告げています。しもべの反対語は何でしょうか。主人です。しもべたちよ、主人をほめたたえよと言ったのです。ここで、信仰生活の重要な答えが出てきます。皆さんが、本当に祈りの答えを受けようとするなら、主人を変えましょう。主人が変わらなければなりません。おもに、たくさん習った人々は、こうした話を聞き取れなくて失敗する人が多いのです。私の人生は、私が生きると言います。ある程度、正しい言葉です。しかし、それは本当に間違った言葉です。私の人生を私の思うままに生きるのに値する力が、私にあることも、できないこともあります。私の人生を私が生きるという時には、私が完ぺきにできる場合なのですが、そうは出来ません。今まで統計によれば、米国や韓国など、先進国で自閉症の子どもとか、精神的な困難にあう子どもが、最もたくさん出た階層が、知識人層の家庭です。そうだと見る時、私の人生の主人は私ではありません。これは、とても重要な言葉です。人は、主人を誰に会うかにしたがって、人生がたくさん変わるのです。職員で仕事をしても、社長が誰かにしたがって、私が味わうか、味わえないかが決定されるのです。

・いくら皆さんが勉強をがんばってよくしても、またいくら男女が同じだと主張しても、嫁に誤って行けば、一生、苦労します。男女が同じだということをとても主張する人は、それはうめき声に過ぎません。同じならば、どれくらい良いでしょうが、同じであるはずがありません。聖書には、そうなっていないのです。'(Iコリント11:3)男の頭はキリストで、女の頭は男で、キリストの頭は神様'と言われています。女の方がいくら女の子の時、よく育っても、夫に間違って会えば、一生、苦労します。ですから、私たちは主人によく会わなければならないのです。主のしもべたちよ。そのしもべの主人が誰でしょうか。主なる神様です。主人が変わる瞬間に、運命が変わるのです。いくら立派な人も、誤った人に会えば苦労します。少し足りない人も、うまくいった主人に会えば、苦労が少なくなります。誰がなんと言っても、主人にしたがって、下の人が苦労するか、しないかが決定されるのです。主が私の主人になってこそ、みわざが始まるのです。私の人生は、私の思いのままに生きるという言葉は、間違った言葉です。それは、とても分別がない時にする言葉です。'私の辞書には不可能がない'ナポレオンが言った言葉です。しかし、'あの海の水は人間が流した涙だ'それもナポレオンが言った言葉です。前の言葉は、あまり分別がなかった時に言った言葉で、後は分別がついた時に言った言葉です。

・もちろん、私たちが、私のすることもしないで、そうだという言葉ではないのですが、私たちの人間の本当の主人は誰でしょうか。神様だということです。さらに深刻なことがあります。主を主人に定めない以上、絶対に運命が変わりません。必ず記憶しましょう。ヨハネ8:44節に'あなたたちの父である悪魔'と言いましたが、そこから変わることができません。それで、大韓民国に多くの政治家たちが占いに行く理由が、主人がサタンだから行くのです。なぜ人々が困難さえくれば、グッ(降霊術)をするのでしょうか。悪霊が主人だからするのです。その運命が変わらない以上、絶対に幸せになれません。私たちは、むやみに話すのですが、偶像崇拝するしかありません。サタン、悪霊、悪魔に仕えるしかないのです。それで、困難がくるのです。主人が変わる瞬間、運命も変わります。主なる神様が、私の主人になるその日から、私はサタンと暗闇から抜け出すのです。銘記しなければなりません。それで、罪と死からあなたたちを解放したと言われました。そして死からいのちに移されたのです。皆さんが福音を悟る瞬間に、皆さんの名前が神様の国に記録されます。天国に記録されたので、変更されません。死からいのちに、永遠に移されたのです。主人が変わったのです。

・私の人生を、私の思いのままにできるでしょうか。思い通りにできるなら、春風が吹く頃に生まれて、99才まで生きて、秋風が吹く頃にリンゴを食べて死にたいでしょう。それが思い通りになるのでしょうか。どうして、私が主人なのでしょうか。主人という概念は、思いのままにすべきなのです。私が私を思いのままにできるのでしょうか。私が子どもを、思いのままにできて、お金も思いのままに儲けることができるのでしょうか。それより、さらに重要なのは、運命が変わらないことです。主人が変わってこそ、運命が変わるのです。それで、正確に、主のしもべたち、主をほめたたえよ。と言われているのです。聖書をよく見なければなりません。日が上る所から沈む所まで、すべての万物を治める主なる神様が、私の主人になられれば、私の人生は変わるのです。さらに重要なのは、主人が変わって、運命が変わったのに、私の人生の主人が、他の人ではいけないのです。

・聖書に良い例があります。婚姻のお祭りの家の話です。カナで婚姻の祭りが行われたのですが、お客さんがたくさん来ました。ワインがなくなったのです。しかし、恐ろしいことには、イエス様がその家に招かれていたということです。真に幸運です。しかし、幸運なのと、祝福は、別のことです。イエス様が、その家に参加されたことは、大きい祝福で幸いですが、それと答えは別のことなのです。後ほど、イエス様がしもべに命令されました。壷に水を入れて、その水をまたお客さんに接待しなさい。簡単に話せば、その家の主人の役割をされたのです。イエス様が、私たちの主人になる時、奇跡が起こったということです。万物の霊長なる人間。その人間に最も重要なのは、私の主人が誰かということです。私のたましいの主人が、私の人生の主人が誰か。私の人生の主人が、万王の王なるキリストで、主なる神様だ。それで、ダビデは、主に向かって'主'という言葉をしばしば使ったのです。それで、唯一救われた神様の民が、神様に向かって主と言って、キリストを主と言うのです。

・ですから、これがとても重要です。皆さんが祈りの答えを受けようとしたら、本当に主人から変えましょう。そして、神様とキリストをお客さんで、貴賓として迎えるのではなく、主人として迎えましょう。全部、キリストが貴賓だと高い席に迎えています。そうせずに、主人として迎えましょう。皆さんの人生に最も重要な主人として迎えましょう。その時から、すべての暗闇が離れるみわざが起きるようになります。前にこういう話したのを思い出します。私たちは、幼い時には、浴場をしばしば行きませんでした。家にもお風呂がなかったのです。今は、一軒に1〜2個ずつ、ちょっと大きい家に行けば、部屋ごとにシャワーがありますが、私たち幼い時は、そんなことがなかったのです。そのまま顔を洗って、母が一回ずつ呼んで、洗ってくれるのが、入浴の全部でした。しかし、今は浴場に行けば驚きます。どれくらいよくしてあるかわかりません。お湯も色々なお湯で、サウナもとても多様になっています。本当に多く発展したという気がします。しかし、ただ一つ変わらないことがあります。'貴重品は主人に任せて下さい。主人に任せないのは、責任を負いません。'それが50年前も今も変わっていません。

・ある方が、ホテルに泊まって物がなくなったと話すから、主人は責任を負うことができないと言いました。'あなたは、私たちに保管を頼んだとすれば、私たちが責任を負えるが、あなたがその物を持っていたのではないのか。私たちがどのように分かるのか。'米国から来られた牧師と長老二人が、卓球をしようと、服をかけておいたのですが、その服を持っていかれてしまったのです。その中には、パスポートや重要な色々なものが多く入っていたのですが、大変なことになったのです。警察に申告しました。その時、警察がとても重要な話をしたのです。主人には、絶対に責任がないということです。あなたが、無防備にかけておいてなくしたことなので、どのように、責任を負えるか。もし、それを主人に任せて保管して、主人がなくしたとすれば、それは主人が責任を負わなければならないが、主人に任せないのは、主人が責任を負わない。それは法です。私たちの人生の主人は誰でしょうか。私の主人は誰でしょうか。私の主人が、私になる時には、大変なことになります。ある日、限界がくるのです。私の主人が、人である時にも限界がきます。私の主人は、主なる神様です。その時に、皆さんの人生が変わるようになるのです。それで、主のしもべたちよ。主をほめたたえよ。皆さんに祈りの答えになるでしょう。神様が我が家の主人です。この話が違っているようでも、全てのことに適用されるのです。この事業、妻は、私のものではないのです。神様のものなのに、神様が私を社長に任命されたのです。この人が、事業に成功するのです。私のものでなく、神様のものです。教会もおもに成功する牧師を見れば、教会は神様のもので、私は神様のしもべだと思っています。全部、そのような考えを持っています。それで、人生の主人が誰かにしたがって、運命が変わるのです。今日、皆さんに、運命が変わる祝福の日になるように願います。

・二番目です。詩篇113篇を見ると、三つの重要な話が出てくるのですが、主をほめたたえよと言いました。単純な賛美ではありません。重要な考えを持って分かるから賛美することであって、考えを変えろということです。今日から考えを変えて、感謝と賛美を回復するように願います。そうしてこそ、祈りの答えが始まるのです。野党の人々に会ってみれば、与党が変だと思っています。私はそのように考えません。野党の人々が正しい考えを持ってきて正したら、与党も学んで、手助けするはずです。また、与党の人々に会えば、ジャーナリズムが変だと言います。私はそのように考えません。正しく政治をすれば、ジャーナリズムは文を正しく書くでしょう。ですから、考えが変わらなければ、何もできないのです。考えが違ったら、何をすることができるでしょうか。考えを正しくすれば、祈りの答えが始まります。私たちは、主が主人になられた、すべての暗闇から抜け出して運命が変わった神様の人々です。それなら、真の感謝が出てきて、賛美が回復されなければなりません。主をほめたたえよ。ある家で、大きい事故で家族が死にました。その時、トレイ博士が説教をしたということです。ぞっとする事故がおきて家族が死んだのです。その時、トレイ博士が、こういう説教をしました。これは、ぞっとする事件だ。人間的にとても残念だ。こういう尊い人が死んだので、私たちが残念だ。家族がこのように話したということです。あなた方は、この事件を置いて神様を恨むことができる。そうでなければ、神様を恐れることもできる。二つのうちの一つを選択しなさい。神様を恐れるのか、恨むのか。皆さんの考えの差で、いかに多くの祈り答えが行き来するのです。今日、皆さんが祈りの答えを受ける、大きく考えを変える貴重な日になることを希望します。今日、1〜3節を見ると、ハレルヤ。主のしもべたちよ。主をほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。御名という言葉は、とても重要な言葉です。米国のような所では、印鑑を押しません。サインをします。それで、すべての責任を負わなければならないのです。それで、皆さんの名前がどれくらい重要でしょうか。完全な保証です。親戚や家族でも、誰かがきて保証人になってくれと言ったら、書いてはいけません。そのように人情がないのかと言われたら、人情がないといって書いてはだめです。なぜなら、書くほどの内容が別にあるのですが、下手するとみなほろびてしまうのです。

・精神がおかしな家族が事業するのに、行ってサインすれば、共にほろびてしまいます。それだけ重要なのです。なぜでしょうか。全部、責任を負わなければならないのです。神様がアブラハムにこのようにおっしゃられました。わたしがわたしの名によって、あなたに誓う。それで、すべて終わりです。私のような場合も、私が書類を渡されることが多いのです。それで、印鑑証明書が必要です。印鑑証明書は事務室にたくさんあります。しかし、印鑑証明書と印鑑とは別に置きます。印鑑証明書は秘書に預けておいて、印鑑は秘書が持ち歩くのです。なぜか、それでこそ、皆さんが持っていって偽造ができないのです。名前を書けば、みな責任を負わなければなりません。それだけ名前が重要です。主の御名をほめたたえるという言葉は、主の御名を正しく知るという言葉です。主の御名をほめたたえよ。皆さんが祈る時ごとに、主の御名という言葉は、すばらしいのです。ダビデが主の御名のために。必ず、祈りの答えがきます。ダビデがゴリヤテの前に出て行った時、おまえは剣と槍と投げ槍をもって向かってきたが、私は主の御名をもっておまえに立ち向かう。とても重要な言葉です。主の祈りを見れば'御名があがめられますように'と祈りなさいと言われました。だから、私たちはこの御名を持って賛美するしかありません。皆さんは多くの祝福を受けて、ある時はよく知らないこともあるでしょうが、主の名前、イエス・キリストの御名を呼ぶ瞬間、暗闇の勢力は、全部、逃げるようになっているのです。これを本当に悟った者は、答えを受けます。これを本当に悟った者は、考えが変わります。これを本当に悟った者は、恐れる必要がありません。

・そして4〜6節を見ると、私たちを高くするために低くなられた主をほめたたえよ。神様が皆さんに祝福をくださろうと、数多くの預言者を送られました。神様が皆さんが失敗するなと、多くのみことばを与えられたのです。そして、キリストを送られたのです。この主をほめたたえよ。皆さんが悟ってしまえば、考えが変わるしかありません。そして、7〜9節には、低くなった私たちを高める主をほめたたえよ。それで、感謝を悟れという言葉が3つが出てきたのですが、御名を賛美して、主が低くなられたことを賛美して、私たちを高められたことをほめたたえよ。それと共に、何か話が出るのでしょうか。9節を見れば、ハンナの歌が出てきます。ハンナという人が、とても難しい中に子どもがいなくて苦労して、サムエルを置いてほめたたえることが出てくるのです。それを引用したのでした。今日、皆さんすべての傷をみな変えるように願います。皆さん、普通に聞こえるかも知れませんが、それのために祈りの答えを受けられないようにさせられるのです。そして、未信者で話せば、とても怖いことになります。それが、皆さんの人生に入ってくるのです。とても怖いのです。それで、私たちは考えも変えて、主を賛美して、感謝を全部回復してこそ、祈りの答えを受けられるということです。

・今日、三番目に考えなければならないことは、日が上るところから日が沈む所まで。今日4節を見ると'主はすべての国々の上に高くいまし、その栄光は天の上にある。' 8節に見れば、彼らを、君主たちとともに、御民の君主たちとともに、王座に着かせられる。日が上る所から沈む所まで、全部が主のものです。何も皆さんが心配する必要がありません。皆さんの人生を変えましょう。今は考えも変えて、人生も変えましょう。今は主人が変わったのです。多分、皆さんが一日に5分だけ神様に会っても、すばらしい働きが起きます。もし、皆さんが定刻の祈りをすれば、すばらしい働きが起きます。もし皆さんが、いつでも祈りができるならば、時代を変えることができます。日が上る所から沈む所まで、何の話なのでしょうか。主の主権です。これらすべてのものを、ほめたたえよ。そして、気をおとさずに、人生を変えなさいという言葉です。傷ついた場所にいず、皆さんの人生を変えましょう。今日、皆さんが永遠に祈りの答え受ける秘密があります。主人を変えましょう。皆さんの人生の中で、主人を変えましょう。皆さんの人生で、重要な主人を変えましょう。私たちは、主のしもべです。その主をほめたたえよ。私たちは、考えも変えて、感謝を回復して、賛美を回復しましょう。働きが起きるようになっています。日が上る所から沈む所まで、主のものですから、私たちの人生だけ変えれば、働きが起きるようになっています。それなら今日、皆さんが重要な結論として、何を考えなければならないのでしょうか。神様は、皆さんをとても貴重に見ておられます。私たちは知らないのですが、こんなにも私たちに全てのものを準備して救われたのです。どれだけ重要であるかというならば、旧約、新約で、すべてのみことばを準備された程、重要なのです。キリストが十字架で血を流されたほどに、皆さんが重要です。助け主をあなた達に送って、あなた達と永遠にともにいると、確かにおっしゃられました。ここには、多くの困難を受けている人もいるでしょう。ひょっとしたら、葛藤、問題、失敗、こうしたことに陥ることもあります。

・今日の本文は、そこに陥らないでということです。日が上る所から沈む所まで、主のものであるから、そこに陥らないで。以前の事を思い出すなと言われたけれど、どのように思い出せないでしょうか。そこに陥るなという話です。神様は、皆さんをとても貴重に見ておられます。血を流す値を与えて買われた、神様の子どもですから、とても貴重に見ておられます。それで、皆さんがずっと傷に陥れば、暗闇の勢力がずっと触るのです。それから抜け出しなさいということです。主をほめたたえよ。心より主をほめたたえよ。私は日本に行っても感じて、米国でも感じるのですが、日本のようなところを行けば'ありがとうございます。'を多く使います。米国でも多く使います。その人々は、嫌いなのも感謝してno thank youと言います。何でも感謝するのです。日本の人々も見れば、真に感謝しますという話をよくします。しかし、私が見る時は、中心になければならないのです。私たちが本当に、この内容を分かったら、主を中心に賛美して感謝しなければなりません。聖書を詳しく見るように望みます。皆さんが心より感謝する時、神様の前に届けられます。ダニエル6:10を見るならば、感謝するために祈ったとなっています。ピリピ4:6を見れば、心配せずに感謝して申し上げなさいとなっています。どのように感謝をするのでしょうか。皆さんが本当に祈りの答え受ければ、感謝します。また、私たちが祝福を受ければ感謝します。他の人が手助けして助けを受ければ感謝します。困難を受けていたが、誰かが手助けしてくれました。感謝すると言います。それなら、答えが来ることが確実ならば、感謝しなければなりません。いくら困難があっても、神様の民に答えてくださることを約束されました。それで感謝するのです。それで、主をほめたたえるのです。今日、皆さんの暗いすべての霧が、皆、晴れるように願います。日が上る所から沈む所まで、主のものです。何のために、傷の中で留まっているのでしょうか。神様の契約を捕まえて感謝して賛美しましょう。本当に、これが回復されなければなりません。その時、私たちのたましいの中に、とてもいやされる神様のみわざが起きるのです。ただ一つも、皆さんを気落ちさせることはできません。日が上る所から沈む所まで、主のものであるために、皆さんは、真に主人が誰なのかを知っているから、感謝を回復してほめたたえましょう。祈りの大きい答えが起きるようになります。

・詩篇の記者が感謝したこと、賛美したということは、簡単なことではないと思います。今日、皆さんが一つ重要なのは、この人達が、全部、本当に切なる思い(情念)がある人々です。このダビデの詩です。そうでなければ、同時代の人の詩でしょう。この時代を見れば、単なる詩ではありません。弟子は誰なのか分かるでしょうか。神様の契約的な切なる思い(情念)を持っている人が弟子です。私は、伝道運動をしながら皆さんを見る時、そう思います。今、私たちの伝道運動する牧師を見る時、そう思います。ただ見るのではなく、契約的な切なる思い(情念)です。また、契約的な感謝です。単なる感謝ではありません。契約的な感謝。それが弟子です。皆さんがどのように信仰生活するかも知らないのですが、本当にとても貴重な契約的な切なる思い(情念)と契約的な感謝。その数多くの人の中で、福音のために私と皆さんが会うようになったのです。その数多くの人の中で、福音のために会った主のしもべ達です。それで、契約的な切なる思い(情念)、契約的な感謝がある人が、その人が弟子です。今日、皆さんが貴重な祈りの答えを受けることを、主の御名で祝福します。ここには、多くの副教役者と、多くの若い人々もいます。皆さんが必ず記憶しなければなりません。皆さんが行く現場で、祈りの答えを受けて、人を生かす人にならなければならないのです。私は、神様の契約を捕まえて、本当に役に立つ人にならなければなりません。それで、みな生き返るようになっているのです。私は、今、私たちの教会の答えを受けた、祈りのモデルになる。本当に、伝道運動する祝福のモデルになる。このようになる時、皆さんは、とても大切な人になります。キリストが血の値を与えて皆さんを買われたのですが、神様が日が上る所から沈む所まで、全てのものを治める神様をほめたたえましょう。

・今日、皆さんが本当に祈りの答えを受けるために3つのことをもう一度、整理します。私たちの人生、私の主人が主なる神様です。それなら、私の人生の中に神様が主人になられれば、すべての所に働きが起き始めます。この時から、皆さんが運命から解放された神様の働きが起き始めるのです。皆さんが本当に神様の契約を捕まえた時、その時から内容を分かるから、賛美、感謝が回復するのです。日が上る所から沈む所まで、全部、主のものです。皆さんが気を落としていずに起きなさい。神様は、皆さんを貴重にご覧になるのに、ずっと皆さんが不信仰に抜ければ、サタンがずっと触ります。インマヌエル教会がどれくらい重要でしょうか。この時代の福音を持った人が、どれくらい重要なのでしょうか。だから、サタンの第1目的が皆さんが特別なものではないことで気を落とすようにずっとさせるのです。気を落としていずに起きましょう。私は、キム・チャンヒョク牧師にもこういう話をしました。昨日もこういう話をしました。変にそんなことをたくさん感じます。私が通いながら、単に通っているのではありません。ずっとメッセージだけすることでなく、文章を書かなければならないのです。聖日に私が行くと、机に紙が二つおいてあります。一週間の日程表と、細かい内容があります。そして、他の片方には、一週間の文章を書くべきタイトルが出ています。時間がありません。座っている時間がないのです。それで、おもに通いながら、車中で、飛行機の中でずっと書きます。それで、飛行機に乗る時に見れば、いつでも横の座席に人がいないほうが良いのです。列車に乗る時は、座席を二つ買って、横に置いて書くのです。しかし、本当に不思議なことです。秘書が切符を買う時ごとに、牧師先生の隣の席を空けてくれと要請をします。

・その時間がとても重要な時間なのです。私が今、伝道神学院、宣教師訓練院に送る文章を、そこでみな書くのです。飛行機の中で学院福音化とかの文章をみな書きます。しかし、不思議です。行ってみれば、他の人はの横はみな空いているのに、私だけ隣の席に人がいます。確かに話したのですが、他の人は空いていて、私だけ三人が座っているのです。それまでは大丈夫です。問題は、外国へ行く時です。外国へ行く時、十何時間を乗って行かなければなりません。行くのに、そばに本のようなものを積み上げて、一つずつ見ながらします。夜通し明かりをつけておかなければなりません。それで、わざわざ隣の席を空けてくださいとお願いするのです。なぜなら、文章を書かなければならないから、ファーストクラスにアップグレードして、良い席で文章を書こうとして行くのです。しかし、ある時、見れば椅子が十二ケも十八ケ二人ずつあります。みなひとりなのに、私だけ二人です。だから、私たちの秘書が驚いて、なぜこうなのかと言います。私は、一、二回ではなく常にだから、何かが感じられるのです。みことばを書くのに、何かが邪魔するのだという気がします。先週の聖日には、一週間の文章を書かなければならないタイトルがあるのに、これをソウルで車に置いて、知らずに大邱(テグ)に行ったのです。それで、大邱(テグ)にファックスを送ってくれと言いました。私がメッセージ書かなければならない題名をおいてきたので、コピーして送ってくれと言ったのです。すると、一枚を送ってくれれば良いのに、1月から題名をみな送ってきました。それまでは良いのです。1月からみなきたが、その週のものだけはなかったのです。私がいくら鈍くても、本当にこんなことがあるのかと思いました。それで、またソウル行って探して書きました。それだけメッセージを神様が貴重に見ておられるのです。

・今回、サンフランシスコに行ってワシントンを行きました。今回は成功しました。そばの座席を必ず空けてくれと言ったら、乗ったら、そばの座席が空いていました。行きながら、安らかに文章が書けるだろうと思ったのです。しかし、食事をしていたら、事務長が来て挨拶をしました。後の人が個人TVが故障したので、移らなければならないのが、移ってもかまわないかと尋ねてきたのです。牧師は、人も生かすので、それできないことが何があるでしょうか。分かったと言いました。飛行機の中で、個人のTVを見るものがあるでしょう。それが故障したと私のそばにきたのです。この人が、私のそばにきてTVを一度も見なかったのです。そうして、あちらに動いて、図体も大きい人がきて動くのに、椅子が持ち上がりました。それまでは良いのです。ひどい風邪にかかっていたのです。普通の問題ではないように見えました。他の人が、私を理解できないのです。私は、ずっと走るから、風邪をひけばよくなりません。そして、ものすごく苦労しなければならないのです。一日、二日、休めば良くなるのですが、それができないから、からだをとても用心しなければならないのです。そばにきて、せきして鼻を大きくかんで、大騷ぎをしていました。その人と可能ならば、鼻の距離をおかなければならないから、私が後に横になったのです。私が横になっていたら、その人も一緒に横になります。これで、朝十何時間を寝たのですが、鼻から鼻水が流れてきました。その時、私が感じたのは、一度、二度でもなくて、みことばが重要だなということです。私がみことば準備するのを、どれくらい邪魔するのかわかりません。時間がないと思って、みことば準備をサタンがどれくらい邪魔するのかわからないのです。どのようにして一度、二度ではありません。いつでもそうです。驚くことです。

・神様が皆さんをどれくらい貴重に見ておられるのに、知らずにいるということです。メッセージ一つを準備するのが、そんなに重要ならば、皆さんはどれくらい重要でしょうか。神様がおっしゃるのに'あなたは、わたしのものだ。'と言われました。そして、わたしがあなたのために万物を作った。わたしがあなたを死から救い出した。そこで震えることが何があるのでしょうか。主のしもべたちよ。主をほめたたえよ。日が上る所から沈む所まで、主のものです。恐れる必要がありません。私たちが高慢になる理由もないのですが、恐れる理由もありません。私たちが、生意気に生きていくも理由ないのですが、私たちは押さえられる理由もありません。ひょっとして、たとえ、今ちょっと貧しいとしても、私たちは気をおとす必要もないのです。全てのものが主のものです。皆さん、今日、神様の祝福を受けることを希望します。日が上る所から沈む所まで。主をほめたたえよ。それで、今日、皆さんに祈りの答えの門がパッと開かれる、祝福の日になることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。日が上る所から、日が沈む所まで。主のしもべたち。主をほめたたえよ。私たちは、気を落としたり、揺れたりする時が多いです。私たちは、弱くなる時が多いのです。神様、私たちを救われた神様を賛美します。私たちの主人となられた主を賛美します。悪魔の民ではなく、神様の民になったことを感謝申し上げます。何も心配せずに、起きるようにさせて下さい。今日、感謝を回復するようにさせて下さい。賛美を回復するようにさせて下さい。信仰と祈りを回復するようにさせて下さい。それで、新しく始める大きい祝福の門が開かれるようにして下さい。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン.