2005年5月22日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/ヤコブの神様、イスラエルの神様
(詩114:1〜8)

・ソウルで少しの間、用事があってタクシーに乗りました。タクシー運転手が、とてもうれしい顔をしていたので、尋ねました。あなたはイエスを信じる人なのか、印象がとても良い。そうだと言いました。そして、神様が答えをくださったと言いました。自分は、それほど技術もなくて、学歴もなくて、タクシー運転をしているのだけれど、自分のお父さんが長い間、農作業をしていたということです。貧しい家だったようです。そうするうちに、お父さんが亡くなったので、その畑をみな分けてくれたということです。他の兄弟は、その畑をみな売ったが、自分はお母さんを迎えて、その畑でずっと農作業をしていたということでした。ところが、今回、国家政策が変わって、その土地を売るようになったが、報償金が十億円ほどになるということでした。ですから、あまりこなかった嫁入りした姉も訪ねてきて、話をしていったそうです。この前には、お兄さんも来て帰ったということでした。神様が答えをくださったので、気持ちが良いということでした。お金十億円ができることが確実だから、気持ちが良いでしょう。確かに補償が出てくることが決定されたから、思うほど気持ちが良いでしょう。兄たちは知らずに、安値で売ったが、私は本当に良く持っていたと考えることもあるそうでした。それで、その知らせを聞いて、気持ちが良かったのです。

・私は、こういう話をしました。私はさらに気持ち良いことがある。そうしたら、'先生は、土地がそんなに多いのですか? 'と尋ねました。それで、大韓民国の土地ほとんどみなが私のものだと言いました。どうしてそうなのかと尋ねたので、大韓民国はみな神様のものであるから、私のものだと言いました。私は冗談でそう言ったのですが、冗談ではありません。予備軍訓練を受けて、降りてきて、この建物を見たのです。ただ一度だけ思ったのでした。このようなところが教会だったら本当に良いと思ったのですが、ある日、見たら私たちの教会になっていました。どれくらい気持ちが良いことでしょうか。私たちが訓練する所は、事務室が必要だと考えました。ある日、見たら、ソウル市内の真ん中に良い建物を買うようになりました。今は、お金があっても、それを買うことはできません。そして、私たちの学生たちが勉強しようとするなら、学校がなければならないと考えたのですが、徳平に建物と土地を5億円で買いました。突然に、祝福で、その土地に認可がおりて、土地が10億円ほどに上がりました。それだけでなく、レムナント共同体訓練場を作ろうと思っています。祈ったら、私たちには、できない事はないでしょう。こういうお話をしました。そのような内容より、それが問題でなく、神様の子どもになれば、全てのものが神様のものなので、私たちはみな味わうことができると言いました。

・今日のタイトルが'ヤコブの神様、イスラエルの神様'です。真に意味がある話です。私たちは、いくつかのことを銘記しなければなりません。私たちが基本的に上手にすれば、多くの祝福を味わうことができます。商売をしても、基本的に強固でなければなりません。事業をしても、基本が強固でなければならないのです。基本にならなければ、みな揺れるようになります。少しだけ基本をそろえれば、世の中で多くのことを味わうことができます。インマヌエル・ソウル教会では、人々がたくさん集まっています。時々、ある人々が教会の中にゴミを捨てて行くということです。とても忙しいから、持ってきて、そのまま置いて行ったのではないかと言いました。それでなく、教会でみな捨てて行くということです。また捨てて行くのは大丈夫ですが、樹の中や、こういう隙間にゴミを詰めて行くということです。そのような人々が、考える以上に多いということでした。そのような人もいるだろうと言いました。しかし、そのような部分は基本的な部分です。イエウォン教会の集会に行って、お手洗いに行きました。トイレットペーパーを全部みな出して、お手洗いの中に入れてありました。子どもたちが、そのようにしたようでした。

・私たちが、生活の中で基本的なことだけ守っても、答えを受けます。しかし、私たちが、本当にこの世で勝利しようとするなら、それ以上になるものがなければなりません。それが神様の力です。絵も音楽も本当に正しくして、有名な人々は、全部、神様を知る人たちです。それは、人間には、基本以上のものがあるということになるのです。それで、箴言16章を見れば'私たちが研究して、計画をたてても、それがなるようにされるのは神様だ'となっています。また詩篇127篇には'主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。'本当に分かる言葉です。健康も経済も全部、神様が祝福されなければならない部分があるのです。私たちの学生たちが勉強も努力もよくして、熱心にもすべきですが、それ以上のことがあります。また重要なのは、過去の問題のようなものが、私たちを捕まえます。ですから、神様の力でなければ、越えられないのです。また、私たちの学閥と関係なく、問題がたくさん起きます。こういう部分を、神様の力なしでは勝てないのです。

・私たちがまた世の中の知恵を持っていても、これから迫る未来問題も、私たち思いのままにできないことが多いのです。それで、私たちは神様の力が必要なのです。今日の本文にある通り、神様の力と祝福の中にいるならば、まちがいなく勝利するようになります。どのように、このようになるのでしょうか。本当に、このようになることができるのでしょうか。私たちが、神様の力を本当に体験しながら生きていくことができるのでしょうか。確かにできます。私は、幼い時に火災に会って、山で住むようになりました。しかし、神様は、この福音のために世界福音化するように祝福されたのです。私は、いつも思います。私は火災に会って、山で住みました。その町内の名前が山17番地と言いました。しかし、私は神様の恵みで、ソウルからヨーロッパ、米国、世界福音化して通っています。神様の恵みがどれくらい大きいでしょうか。私たちは、どのようにすれば、こういう神様の力を味わうことができるのでしょうか。今日の本文の中に、たくさんあるでしょうが、記憶することができるように、三つだけ探さなければなりません。

・その最初が、神様の力を分かる信仰です。確かにここにあります。3節に'海は見て逃げ去り'と言われています。これは実際にあった事です。紅海が分かれたことがあったでしょう。私たちが、この事実を信じるならば、今でも同じです。今日の3節に見ると、ヨルダン川がさかさに流れました。実際にこういう事があったではないでしょうか。イスラエル民族が行く道に、ヨルダン川が分かれるという、とうてい理解できないことありました。ヨシュア3章です。理解すること以前に、確かにありました。聖書のみことばには、神様の力でそうなったと言われています。イスラエル民族が行かなければならないから、確かにそのようなことが起きるべきだったのです。今日の4節を見ると、山々が小羊のようにはねたと言われています。山が動くこともないのに、はねたということは、世界が変わったということです。荒野を行く中に、奇跡がたくさん起きました。私は、神様の力を信じるだけでなく、今でも起きていると確信します。とうてい証しできない話です。話にならないためです。私が13才で弟と妹が3人いた時、父が亡くなりました。それで、以前にはお母さんたちには、今のように仕事をする所があまりなかったために、貧しかったのです。特別な人のほかは、女の人は勉強もできなかったのです。それで、どのように暮らすのでしょうか。しかし、私は神様の力を見たのです。うちの母が祈るのは、教会、家、職場しかないのに、これを置いて昼夜なしに祈るのを見たのですが、どのように奇跡が起こったかというと、説明するのが大変なくらいです。

・まず、一度も病気になりませんでした。可能なことでしょうか? 証しするのも難しい話です。ひとまず医者たちが聞けば、気分が悪い話でしょう。神様が祝福されたのです。その時は、病気になったら、病院に行くお金がなかったために死んだでしょう。それを神様がご存知だったのです。私は、世界福音化とか、神学的に話す以前に、人生の中で神様の力をとてもたくさん見たのでした。どれだけ神様が祝福されたかといえば、説明するのが難しいほどです。神様が、歯を一本も悪くならないようにもされました。それも、熱心に磨くこともないのにです。そして、3年前より今がさらに視力が良くなりました。こういうものを証しするということが変なほどです。それが自慢の種でも、大声を上げることでもないのですが、私が見る時には、神様が祝福されたことは、一つや二つではありません。人々が、私の髪の毛は、染めていると思うのです。神様が、色々な面で祝福されたのです。それだけではありません。私は、人々がお金のために苦労するのを見ました。神様が、一度も私の家に、金を受け取りに来る人がなくさせられました。もちろん、よく暮らしたり、豊かに食べてはいないのですが、しかし、お金のために、他の人に被害を与えたことはありませんでした。人が生きていく時に、そのようにすることは、簡単なことでしょうか。私たちが救いや恵みを置いておいても、現実の中で神様がそのように祝福されたのです。一つや二つではありません。私は神様の力を信じます。

・そして、世界福音化の祝福の中に200ケ教団の中で伝道の実が最も多く開かれています。今現在、レムナントが、一番正確に起きています。私は今回、カナダでこういう話をしました。'君たちは私の自尊心だ。私が今まで全てのものを耐えている理由がある。本当に福音か、違うかは、君たちレムナントが説明するだろう。本当にどんなものが正しいかを、時間をおいて説明するだろう。私はそれのために全てのものを耐える。どんなぬれぎぬを着せられても良い。それで、レムナントは、契約を捕まえて立ち上がれ'と言いました。神様が、どれくらい祝福されたでしょうか。神様は、今でも紅海だけ分けられるのではなく、全世界を動かせるのです。この信仰が、私たちにできる時、働きが起きるのであって、私が信じないのでは仕方がないのです。みなのがすようになるのです。私が今、非科学的に無条件に信じなさいと言うのでしょうか。そんな話ではありません。科学者、財閥の命を治められる方は神様です。それなら、その神様の力を信じれば、心配することもなくて、問題になることもありません。私はそれを見て育ったのです。そして、今まで確認しました。どれくらい神様の恵みに感謝して、このみことばが正確なのか、私は偶像崇拝する者の中でほろびない人を見たことがありません。それで、聖書にある偶像崇拝するなという言葉を理解するようになったのです。宗教がみな似ているのですが、あえてイエスを信じろというのかに対しても理解するようになりました。失敗するなと、思い切りした後で失敗するなと、愛の神様は、思い切りムダン(霊媒師)をしてほろびるな、宗教生活を思い切りしてほろびるから、ほろびるなと、それで暗闇の勢力を破って、神様が救いをくださったのです。皆さん、今日この祝福が皆さんにあることをお祈りします。

・マルティン・ルターを見ましょう。いくつかのことを経験しました。胸の中に、いつもこれが神様のみこころだということは分かったのですが、勇気が出なかったのです。カトリックが話すことが誤っていたのですが、誤っていると話せば死ぬから、人であるから怖くなったのです。それも、手助けする人や群れがあるならばするのに、手助けする人もいませんでした。いつも胸の中に、そうではないと考えていた日でした。友人二人と暴雨の中に歩いていて、雷が落ちたのです。それで、友達は死んで、中でいた自分だけ生き残ったのです。その時、決断を下したのでした。'私が死ななければならなかったのに、生き残ったのだなあ。'それも、両側の人が死んだのに、生き残ったのです。それで、宗教改革を試みたのでした。どうせ死んだと思って始めたのです。神様の力を信じて始めたのですが、これがすばらしいことに、広まったのです。予想したように、中世教会はマルティン・ルターを殺そうとしました。間違いなく、予想したように、ルターに死刑宣告が下されたのです。

・そして、ルターに二番目の重要なことが起きたのです。とうてい分かることができないことです。死刑宣告を受けて行く道で、言わば特別な軍隊が攻めてきたのでした。今でもわかりません。そこで、ルターが拉致されたのです。拉致されていったら、目を開けたら山の中でした。ルターを救い出そうと、そのようにしたのでした。そこで、ルターは隠れていたのでした。私が、そちらに行って見たことがありました。昼間には、猟師に変装して通って、夜には聖書を翻訳していました。聖書を翻訳する中に、どんなことが行われたのでしょうか。これは考えることもできないことでした。両壁に悪魔が現れたのです。それだけ重要なことだったのです。一人で、夜に文を書いているのに、両側で何かが現れれば、耐えるのが難しいでしょう。とても大変で、インク瓶を投げながら戦ったということです。それに勝てるでしょうか。その時から、ルターが地面にひざまずいて祈ったということです。その時に、この悪魔がみな逃げたということです。その時、ルターが残した幼稚ながらも、おもしろい話があります。悪魔と犬は、ひざまずけば無条件に逃げる。ルターが言った言葉です。悪魔は、私がひざまずけば神様の力を知って逃げる。犬がほえて付いてきたら、ひざまずけば石拾うと思って逃げる。自分の経験を話したのでした。

・神様は全く目に見えないように世界を変化させられます。この力を信じなければなりません。神様が現れて、人々をどのようにされるのでしょうか。海が逃げ去った。詩的な表現です。ヨルダン川はさかさに流れた。山々は雄羊のようにはねた。こういう表現をしたのです。これが単純な詩でなく、本当に信仰告白です。私は、皆さんと共に神様の力を見た、その信仰を告白して、また万国に知らせて、子孫に知らせるべきだと思っています。しかし、神様を信じる人は多いのですが、なぜこういう力を体験できないのでしょうか。思い切り信仰生活をよくしたのに、なぜ困難にあうのでしょうか。それを今日、二番目に考えなければならない内容です。1〜2節にこういうみことばがあります。‘イスラエルがエジプトから、ヤコブの家が異なることばの民のうちから、出て来たとき、ユダは神の聖所となり、イスラエルはその領地となった。’と言われています。皆さん記憶しなければなりません。イスラエルがエジプトから出たという話が出ました。これは何をいうのでしょうか。皆さんが神様の力を単純に信じるのではなく、救いと福音を正しく分かる恵みを言うのです。エジプトから出ました。皆さんがおわかりの通り、エジプトに入るようになった動機が何でしょうか。

・ヨセフがエジプトに奴隷として売られました。神様の力を分かるヨセフに、神様は一緒にともにされるため、ヨセフが総理になったのです。それで、イスラエル民族が、エジプトに行くようになったのです。それが、エジプトに行くようになった動機です。それと共に、歳月が100年、200年、300年、400年、流れたのです。神様の力を信じることができなくて、信じることがなくなったイスラエル民族は、奴隷に変わってしまったのです。400年が流れたある日、神様がある人物を選ばれたのですが、その人物がモーセです。イスラエル民族を連れて出なさい。わたしがあなたとともにいる。ただ一言で、みことばを終わらせられたのです。イスラエル民族を連れて出て行って、犠牲のいけにえをささげなさい。これが福音です。羊の血を塗りなさい。いくらもがいてもだめなのに、羊の血を塗った日、イスラエル民族は出てきたということです。皆さん、必ず記憶しなければなりません。信仰生活にだまされてはいけません。いくら、もがいてもだめだったのですが、羊の血を塗った日に、王は降参しました。皆さんが、いくらもがいてもサタンは降参しません。羊の血を塗る日、降参します。何の話なのか分かるでしょうか。これが二番目に記憶しなければならないのです。ですから、救いの恵みを正しく知ったということです。どれくらい重要なみことばでしょうか。イスラエル民族が受けた祝福が、皆さんにあることを、本当に主の名前でお祈りします。

・私は、世界教会の牧師に尋ねたいことが一つあります。そして、全世界の神学者に尋ねたいことが一つあります。一般信者は、よく知りません。幸いなのか、不幸なのか、一般信者はよく知りません。哀れなことです。世界教会の神学校3/4が、聖書は神様のみことばではないと教えています。一般信者は、知りません。そして、牧師は良心的に答えてみてください。神学3年の間、勉強するのに、それほど勉強する時間がありません。聖書が神様のみことばではないと教えるのです。聞いてみたことがあるでしょうか。神学校3/4がそうです。これらが異端です。どのように教えるかというと、特に何を主張するかというと、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記は神様のみことばではないというのです。それを3年の間、教えます。そして牧師按手を受けるのです。そのようにして出てくるのです。信徒の前に立って、何を教えるのでしょうか。そうするうちに、何かをずっと主張すべきでしょう。奉仕、ずっと主張します。救済、ずっと主張します。それでは、一般の宗教と同じです。あえてイエスを信じる理由がありません。これが、今日の世界教会です。幸いに、1/4程度はそのようにしません。

・ところで、そんなにしない教団でも、福音を正しく伝えるのでしょうか。知らなくて悩んでいるのです。これは普通の問題ではありません。だから、一般信者は知らないのです。創世記が神様みことばではないと習ったので、講壇で説教をどのようにするのでしょうか。それでは、牧師が講壇で説教する時、例えばヨセフに対してみことばを告げる時、創世記39章を読む時、何と言うのでしょうか。神様のみことばではないが、神様のみことば創世記39章、こう言うのでしょうか。習った通りしなければならないでしょう。嘘をなぜ言うのでしょうか。習った通り、神様のみことばではないが、それでも参考にする創世記39章、このようにしなければならないのではないでしょうか。嘘をつくのです。神様のみことば創世記39章、このように言います。それでも、3年の間、習ったことがあるので、良心に引っかかるのです。神様のみことばではないと思いながら、発音を不十分にします。その話を聞いて、信徒が生き返れないのです。信徒は何を望むのでしょうか。神様を知ることを望みます。信徒は、何を探しているのでしょうか。神様の恵みを探しているのです。救いが何かを分かりたがっています。これで問題がくるのです。それで、私が持ち出したのです。創世記は神様のみことばなのに、サタンが神様のみことばではないと嘘をつくのです。精神病の人を捕まえて勉強してみれば、創世記を勉強して、ほとんどが癒されます。原罪、サタン、こういうものが全部、創世記にみな出てくるのです。これが、神様のみことばではないと言うのです。違うというのに理由はあります。その当時には、字もないのに、どのように文章を書いたのか。などいろいろ言い訳をするのです。しかし、それが間違っているという証拠が出てきました。

・以前に釜山(プサン)にある、昔には大きかった神学校に私を講師で招いてくださいました。そこに講義をしながら、私が言いました。なぜ創世記が神様のみことばでないのですか。神様のみことばである証拠を話したのです。だから学校がひっくり返ったのです。大騷ぎが起きました。それで、韓国教団で、タラッパンを防ごうとたくさん努めています。3/4がイエスを信じて救われるのではないと教えるのです。一般信者が知っているでしょうか。知らないのではないでしょうか。あきれることです。本当に異端は、別にあります。イエスを信じて救われるという事実を、かすかに教えるのです。それを多元論だと教えます。言い訳は良いのです。土着化と言います。それと共にずっと福音をなくすのです。大変ではないでしょうか。それで、霊的問題がずっとくるのです。救いに関する秘密を知らなければ、どの場合も成功できません。これが、今、世界教会の問題です。いくら奇跡が現れて、力が現れても、解決しないのに、羊の血を塗る日に解決されました。

・皆さんがいくらもがいてもだめです。キリストの血の契約で、すべての呪いは解決されるようになっているのです。これは、私たちの力で行うことができないから、神様が救いをくださったのです。記憶しなければなりません。モーセが犠牲のいけにえをささげに出かけたとなっています。創世記3:5節の事件を知りません。その解決が、まさに血の契約です。創世記6:5節、ネフィリムの事件が、皆さんの家に起きています。その解決が、血の契約だということです。それで、神様がその契約を分かるように、アブラハムの家系を呼ばれたのです。その孫がヨセフです。皆さん、今日、神様の大きい祝福を受ける日になることを、本当に主の御名で祝福します。

・三番目です。それでは、誰がこの祝福を受けるのでしょうか。今日、何と言ったのでしょうか。イスラエルがエジプトから出ながら、ヤコブの家だと言いました。これが、何の話なのでしょうか。この祝福を受けられる人が誰でしょうか。114;7節を見ると、地よ。主の御前におののけ。ヤコブの神の御前に。と言われています。皆さん、この話が何のみことばなのか分かるでしょう。根本問題とその原始福音を分かる者に働かれるということです。ヤコブの家、これが何の話なのか分かるでしょうか。創世記12章を見れば、カルデヤを離れて、カナンの地に行きなさいと告げられました。その家の孫がヤコブです。創世記3章の問題解決、6章の問題解決を分かる家、その話です。今日、救いの契約を分かる皆さんに、神様のみわざが起きるようになります。そのヤコブの名前がイスラエルです。創世記32章を見れば、あなたの名前をヤコブといわずに、イスラエルと言いなさい。今日、皆さんに祝福の日になることを希望します。礼拝堂にきてもかまわなくて、こないでもかまわないなら、何のためにキリストが十字架を背負われたのでしょうか。皆さんがここにきて、礼拝をささげてもかまわなくて、ささげなくてもかまわない、それでは、どうなるのでしょうか。それでは、神様はいてもかまわなくて、いなくてもかまわないということです。それでは、皆さんの人生が、皆さんいてもかまわなくて、いなくてもかまわないということです。話になりません。

・今日、皆さんが本当に恵みを受ける日になることを希望します。結論を結びます。詩篇114篇は、過越しの祭りを記念する歌です。過越の祭りを記念するということは、何の話なのでしょうか。神様の力を継続して体験しなさい。だまされてはなりません。問題があるのでしょうか。神様の力を体験することを希望します。福音のなかで力を体験することを望みます。ヤコブの神様、皆さんが救われた者ならば、力を体験することができます。この時、問題は解決されるのです。今日、皆さんが必ずこの体験することを希望します。神様の力が、私たちに必要です。経済の問題を解決するのにも、神様の力が必要です。皆さんが健康を回復するのにも、神様の力が必要です。こうすれば、みな解決されます。方法の中の方法が何なのでしょうか。神様の力です。祝福の中の祝福が何なのでしょうか。神様の力です。解決策の中の解決策が何でしょうか。神様の力です。皆さんが、人生問題をどのように解決できるのでしょうか。神様の力で。それで、みな解決されるようになっています。

・私は病気の人に会った時に、こういう話をします。本当にイエスを信じるのか。それでは、あなたは神様の子どもだ。今から力を体験しなさい。助けてくれとも言わずに、死ぬことも気にせず、神様の力を体験しなさい。他のことをせずに、聖霊充満してくださいと言いなさい。その後に働きが起きるのです。それで、過越しの祭りの歌は、それを体験しなさいという言葉です。レムナント7人がこの答えを捕まえたのです。その人々は、基本的な人生もできたのですが、神様の力、これを捕まえていました。どうなるのか、皆さんはすでに知っているでしょう。祭りの歌というのは、なぜするのでしょうか。忘れてしまわないようにとするのです。今日、皆さんがここで新しい契約を捕まえなければなりません。なぜ、今まで多くの人物が起きたが、福音がなくなって、困難にあったのでしょうか。今日の本文を見れば良いのです。簡単です。初代教会が多くの復興をして、中世教会で倒れました。なぜそうなったのでしょうか。聖書の中にある福音の内容を正しく捜し出すことができなかったのです。マルティン・ルター以後になぜ困難がきたのでしょうか。ウエスレイ、ムーディーのような人物が起きたが、なぜ困難がきたのでしょうか。だから、それをのがしたからです。

・今日、皆さんが新しい挑戦をすることを望みます。神様の力でできます。皆さんが多くの立場、状態があるでしょう。それをみな超越するのが神様の力です。私はこういう祈りを始めました。私たちが、このまま行ってはいけません。今現在、全世界のレムナントを生かさなければならないのに、このまま行ってはいけないのです。教会堂を作るのも重要ですが、レムナント訓練場から作らなければなりません。それで、祈りを始めました。誰でも参加することができるように作りなさいと言いました。先週にメンバーを呼んで、指示をしました。私たちの銀行を作りなさい。誰でも参加することができるように作りなさい。3年ほどの目標を置いて、誰でも参加することができるように作りなさい。そのようにして、世界で一番素晴らしいレムナント訓練場を作りましょう。それで、神様が私たちの個人と皆さんの教会を祝福されるでしょう。神様の力でできない事はありません。

・今日も朝にきたところ、うれしい便りが伝えられました。私たちの長老が落ち着いて祈りながら、よく対処して、また私たちの教会のチョン・ジョンギュ弁護士がよくしてくださったようです。法的に判決が出て、正門の道が使えるように判決が出ました。来聖日になれば、妨害している壁がなくなります。これまで私たちの長老と多くの働き人が、根気をもって戦わないで努力しました。多分、神様の重要な計画もあるでしょう。それで、皆さんがこの方たちが、神様の祝福を受けるように祈るように願います。上がって下りる時ごとに、あいさつしてください。その人々が、福音を入れる門がなければなりません。東三洞の洞長に会って話をしました。これを私たちが力で押してしまえば直ちに崩すことはできます。大韓民国のどの土地でも、自分の土地でも、使う道は防げないのです。しかし、そのようにしないところには理由があります。私たちは、教会です。あの方たちが悟って、神様の祝福も受けなければならないから待つだけです。神様が祝福できる良い機会がくるでしょう。

・皆さんに、どんな問題があっても大丈夫です。今日の本文の契約を捕まえましょう。神様は確かにヤコブの神様、イスラエルの神様です。イザヤ40章に悟ることができないから、ヤコブ、イスラエルと言われました。信仰に新しい挑戦をすることを望みます。今、このままでも私たちが悪いのではないのですが、私たちが世界福音化して行かなければなりません。ここには年をとった人がいます。世界福音化して行かなければなりません。私の力で行えません。それで、神様の力で、それで、私たちに祈りの答えを受けられる祝福を与えられたのです。今、私たち多くの職分者など、皆さんが世界福音化して行かなければなりません。どのようにするのでしょうか。神様の力で。皆さんの家系の問題をどのように解決するのか、神様の力で。ヤコブの神様は、イスラエルの神様で、イスラエルの神様は皆さんの神様です。私は確かに確信があります。気をおとさずに、この契約を捕まえて祈れば、世界を変化するみわざが起きるようになるのです。今日、一人ももれなく、この信仰を回復する祝福の日になることをイエス名前でお祈りします。ソウル、蔚山(ウルサン)、私たちのインマヌエルのすべての家族に、この祝福があることを希望します。また、衛星で礼拝する教会に、神様の力が現れることを希望します。また、私たちのインターネットでみことば聞くすべての海外の弟子に、神様の力が現れることを希望します。

<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。神様の力を体験するようにさせて下さい。私たちの力で行うことができないことを神様の力でするようにさせて下さい。全世界を生かすすべての働きを神様の力のなかでするようにさせて下さい。聖徒の中で、健康問題で悩む人はいるでしょうか。聖霊の充満を受ける日になるようにして下さい。経済問題のために悩む人はいますか。神様の力から体験するみわざが起きるようにさせて下さい。話せない悩みで、困難をうけている方々、神様の力を体験するようにさせて下さい。家庭問題、現実問題、個人問題がある方々、神様の力を体験する日になるようにさせて下さい。信仰でアーメンする方々に、神様の聖霊が働いて下さい。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン