2005年6月5日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/栄光を主に
(詩115:1〜18)
・誰でも本を読んでみた経験があるでしょう。'私はどんな本が良かったよ。'と話す人もいます。もしそんなことが全くないならば、まちがいなく無知だという声を聞くでしょう。または尊敬する人は誰がいると話したりもします。そんなことを全く発見できなかったとすれば、まちがいなく高慢な人でしょう。時々、映画を見て、感動を受けたと言ったり、色々な事の中で出会った人の中で良いものなどを言ったりもします。私たちの信仰生活でも、そのような発見がとても重要です。皆さんの家庭も全く同じです。私は、私の夫がこれでとても良いという人もいて、反対に、とても嫌いだという人もいて、あるいは、毒にも薬にもならない人もいるのです。こういうものは、何でもないようでも、未来を左右するすばらしい要素です。それで、私たちは、こういうものを探し出すべきです。'私はこの教会で信仰生活するのがとても良い'という発見がなければなりません。'私はこの教会に通っているが、とても難しくて試みにあう。'と考えられたら、まちがいなく、失敗します。'私はこの教会に必要かもわからないし、通うのか通わないのか、よくわからない。'とするならば、本当に多くのことをのがしているのです。 ・それなら、救われた者に一番重要な単語は何でしょうか? イエスを信じて救われた者に出てこなければならない一番重要な単語は何でしょうか? それが今日の本文にあるハレルヤです。それが、心より出てきてこそ、信仰生活で勝利するのです。この言葉は、主に栄光を帰す、主を賛美するということです。しかし、ここに格別な意味がないならば、信仰生活に格別な意味がないのです。詩篇が今、115篇まで来たのですが、結論が出てきているということです。救われた者に本当になければならない単語が何かといえば、ハレルヤです。私たちクリスチャンが、習慣のように使ったりもするのですが、これが心より出てこられなければなりません。神様が、私たちの家族をくださったことをとても感謝すると思ったら、その家庭は祝福されるでしょう。皆さんの胸の中に、私はなぜこういう家庭で暮らすのかという気がしたら、皆さんはまちがいなく、問題がくるでしょう。皆さんの胸の中に、心よりハレルヤが出てきたら、その信仰は勝利しているという証拠です。この部分を今日、私たちは考えてみなければならず、ある面では、見つけなければなりません。それで、ハレルヤという単語は最高の単語なのです。救われた者、キリスト、メシヤの次に重要な単語がハレルヤです。 ・ある音楽家に、霊的問題がきました。アルコール中毒になったのです。他の人が廃人というほど壊れました。音楽する人々は霊的問題がきやすいという理由を上げながら、廃人になっていくのです。音楽する人々に、最大の悪魔のしわざがそれです。音楽や芸術をする人々は、ちょっと変でも大丈夫であるように話すのですが、それは本当にサタンの戦略です。それをある日、悟ったのです。その人が誰でしょうか? ヘンデルです。それで、この人がその時からみわざが起きて、多くの曲を作ったのですがメサイヤという曲を作りました。その多くの作品の中で、メサイヤという大作を残したのです。こういう大作を残したということ自体だけでも祝福です。私が見る時には、音楽家の中で、最大に神様の栄光を現わした人ではないのかと思うほどの大作を残しました。皆さんがおわかりの通り、とても重要な曲一つがハレルヤです。おわかりの通り、この曲が演奏された時、どれくらい感動したのか、王が立ち上がったということです。ですから、臣下もすべての民が起立して曲を聞いたということです。それが由来になって、ハレルヤを演奏する時は、立ち上がって聞いたりします。本当にその恵みを分かったら、神様の栄光の前に私たちが座っていられないのです。それがハレルヤです。 ・以前、ハレルヤおばさんという人がいました。誰でしょうか? 亡くなったチェ・チャシル牧師です。その人がチョ・ヨンギ牧師を育てて、私たちの韓国の最大の教会を作ったと見られています。いたずらのようにしたのではなく、本当にハレルヤならば、最も大きい答えを受けるのです。今日、救われた皆さんが、神様の民に間違いないならば、最も重要な単語は、神様に栄光です。私たちは、ある時には耐えなければなりません。それがうれしくなければならないのです。なぜなら、神様の栄光であるためです。ものすごい苦難の中でも、神様の栄光を見るべきです。それで、無理に耐えれば病気になります。途方もない苦しみの中でも、神様の栄光を見た人々が、レムナント7人です。ヨセフからパウロまで。私が子どもたちに教えようとするのがそれです。その苦しみの中で耐えたのではなく、神様の栄光を見たのです。それを言葉を変えて、ビジョンと言って祈るのですが、神様の栄光の中に入ることです。私たちが確かに神様の栄光を見たとすれば、他のものは問題になりません。私たちにお金が百億円程度ができたとすれば、千円一枚がそんなに問題にならないでしょう。私が本当に良い家に引っ越ししようとしたら、今、住んでいる家に雨漏りするのが、そんなに問題になるのではありません。私が本当に神様の栄光、天の栄光を見たとすれば、地にあることが、そんなに問題になるのではありません。この部分が重要です。それで、私たちの聖徒が勝利すれば、神様が栄光を受けられるのです。 ・この単語は、とても重要な単語です。ある時には、挑戦をしたりもします。または、死ぬ時にもうれしいことがあります。死にながらもうれしいということは、殉教するということなのですが、それは神様の栄光を見たので、可能になるのです。それで信仰生活する人々の最大の単語はハレルヤです。救われた神様の民が、使わざるを得ない最も重要な単語は神様に栄光です。皆さんも先週に祈りをよくしたでしょう。私は全羅道(チョルラド)にお願いして、パク・ジュヨン選手にスープを作ってあげました。嘘をついたのです。'私が食べる物であるから、スープを作ってください。'それで150パックを作って、ジュヨンに与えました。与えて、このように祈ったのです。ダニエル書を見たら'バビロンの博士、魔術師、すべての人々の知恵を合わせたよりダニエルが知恵があった。'というみことばを見ました。それで'神様、本当に今までいた選手たちのすべての知恵を合わせた知恵をください。'と祈ったのです。ペレ、マラドーナ、ベッカム、ピグ、ジダン、ロナウド、リバウド、などのすべての選手たちの知恵を合わせた知恵を求めて祈りました。本当に切実な祈りが出てきたのです。 ・ところで、これがどういうことでしょうか? 夜に試合を見たら、私たちの韓国選手が暑くて、すっかり参っていたのでした。私たちの韓国選手が度々むだな動きをして、良くありませんでした。そして、負けていたのですが、最後には本当に祈りが出てきました。見ながら、私たちの娘と共に祈ったのです。なぜなら、福音のために、今、レムナントが走っているのに、言わばジュヨンの生涯で最も重要な時刻表です。言わば、代表チームで初めて走るのに、時間が皆、過ぎていました。しかし、45分になって、チャンスが一度あったのですが、その機会をのがさないで入れたのです。全国、世界に大騷ぎが起こりました。そのゴールを入れて、そこでひざまずいて祈る姿を見たでしょうか? 理由があります。それがなぜ神様に栄光になるのか分かるでしょうか? 韓国がはるかに勝ったゲームであったのに、主審がしきりに韓国に不利な判定をしました。選手たちは同じくらいだから、少しだけ違いが生じれば、とてもできなくなります。理由があるのです。 ・ウズベクやキルリギスタンは、その影響が全部イスラムです。その審判する主審の国イランは、完全にイスラム国です。自分たちどうしの宗教が、みな通じているのです。それで、表に見えるように、韓国に不利にさせたのでした。しかし、その時に、ジョヨンがゴールを入れて祈るので、それが神様に栄光になるということです。ほとんどの人々が、寝ないで拍手していたでしょう。光化門では2万人が集まって、応援して歓声をあげたということです。その時、部屋で私の娘と私も拍手しながら大声で叫んでいました。その時に、私の家内は、祈りの中で宿題をしていました。その宿題が何か、それをしていたのです。それで、総会神学校の学長である私が悔い改めました。宿題をどれくらい渡しているから、そのような時に祈らずに宿題をするのでしょうか。その翌日、大騷ぎになりました。新聞では、ジュヨンが韓国を生かしたと出ていました。これが福音運動とどれくらい関係あるのでしょうか。だから、神様に栄光が帰されるのです。すべての栄光を主に。この話は、普通の話ではありません。ある時には、喜びで耐えます。主の栄光のために。いくら家庭が難しくても、喜びで耐えるのです。 ・私は感謝したのが、私たちの教会のレムナントを見たら、暮らし向きがとても難しいのに、信仰生活をとてもよくする学生たちがいます。私が見ても、あの程度ならば揺れるのではないかと思いますが、揺れないで信仰生活する姿を見ました。その時、私がこういう気がしたのです。'主の栄光を現わす人物だ。'聖書にみなそうでした。無条件に耐えたのではありません。主の栄光のために。さらに正確に言わば、主の栄光を見たのです。どれくらい重要でしょうか? それなら今日、私たちは本文で必ず味わわなければならない、神様に帰さなければならない栄光は何でしょうか? この部分が重要です。詩篇でとても重要な部分は'人間を滅びから救い出された神様に栄光を帰す。'ということです。今日、皆さんが捕まえなければならない契約があります。ここには、主に栄光を帰すと、簡単に言葉を要約してあるので、何の話かわからないこともあります。これを今日、皆さんが捕まえなければならないのです。詩篇は、エジプトから解放してくださった神様に、栄光を帰すという内容でぎっしり埋まっています。また、ダビデが戦争で勝って、神様に栄光を帰した内容でぎっしり埋まっています。 ・詩篇は'バビロンの捕虜から戻って、神様に栄光を帰す。'という内容でぎっしり埋まっています。それで、わかったでしょう。これを少し解釈して見る必要があります。神様がエジプトという暗闇の世の中から私たちを救われたのです。パロ王は、サタンを象徴しています。イスラエルが奴隷になりました。しかし、血の契約を捕まえて、血を塗った日に抜け出したのです。過越の日に、エジプトが崩れて、すべての暗闇がみな崩れました。全世界に、主の栄光が現れたということです。ですから、この契約を捕まえたのです。この栄光を捕まえて、神様に帰そうということです。どれくらい感謝しているでしょうか? 救われました。絶対ほろびないのです。神様に栄光を帰しましょう。エジプトから出たように、暗闇の世の中から救い出されました。この人たちが、どれくらい驚いたでしょうか? エジプトで助け出されたイスラエル民族が、神様にどれくらい栄光を帰したでしょうか。私と皆さんは、それよりさらに帰さなければなりません。理由が何でしょうか? 私たちはエジプトに行ってほろびる理由がなくなってしまったのです。ですから、この栄光を帰して、この栄光を見なさいということです。皆さんは、サタンの権力から解放された水準ではなく、永遠に解放されたのです。職分者の皆さんは、恐れる必要がありません。ひょっとして、未来が心配になる皆さんがいても、恐れる必要がありません。神様がどのように行われるか見ましょう。私に困難がきたとしても、恐れる必要がありません。 ・神様の栄光を見ながら、神様に栄光を帰しましょう。理由が何でしょうか。紅海でさえぎられたのに、神様は通過させました。理解できなくなります。神様は荒野で行く所ごとに奇跡を起こされました。イスラエル民族が忘れてしまうそうだったので、ヨルダン川の奇跡を起こされたのです。ひょっとして教会に初めて出てこられる方々もおらるでしょうか? 皆さんが救われたということはすばらしいことです。今は、すべての暗闇、悪魔、地獄の勢力から解放されてしまったということです。それで、皆さんの運命は変わったのです。イスラエル民族が行くのに、紅海でさえぎられたのですが、世の中で海が分かれました。ヨルダン川がさえぎったから、ヨルダン川が分かれる実際的なみわざが起きたのです。エリコが崩れて、アモリ戦闘で太陽と月が止まる、こうしたことが行われたのです。主に栄光を帰しましょう。いくら困難がきても、神様に栄光を帰すことを捜し出しましょう。それで、間違いない答えの働きは起きるようになっています。その話です。栄光だけ帰すのでしょうか。途方もない感謝と賛美を帰さなければならないでしょう。詩篇の記者で勝利した人たちが、この契約を見たということです。 ・もう少し説明が必要でしょう。ダビデが幼い時に、戦争がたくさん起きました。主の栄光のために、主の御名を持ってダビデはゴリヤテに勝ったことがあります。主の栄光のために、ペリシテに奪われて取り戻した契約の箱を迎える神殿作るのがダビデの願いでした。ダビデは、中間で困難が多かったのですが、揺れなかったのです。主の栄光のために耐えました。さらに重要なのは、主の栄光を見たのです。さらに明らかな答は、主の栄光を現わすようになったのです。これが信仰生活です。私たちは3つのことをのがしてはいけません。なぜ耐えるのでしょうか。主の栄光のために。単に耐えるのではありません。主の栄光を見ながら。そのまま終わるのではありません。主の栄光が現れるようになっています。これをダビデが分かったのです。すべての栄光を主に帰すように。今日、皆さんが本当に答えが始まることを主の御名でお祈りします。この詩篇には、それだけがあるのではありません。主の栄光を分かる方が、アッシリヤに、バビロンに捕虜なっていて勝利したのです。この信仰をもっている少数が国を生かしたのです。皆さんが分かるように、ダニエルのような人は、バビロン全体を動かす知恵を得たのです。シャデラク、メシャク、アベデネゴは、火の中に入って生き返ることが行われました。この人たちが、みなこの事実を見たのです。主の栄光のために。この単語をのがしてはいけません。そのまま耐えれば病気になります。主の栄光を見たのです。それで、さらに重要なのは、主の栄光が必ず現れたのです。 ・私たちに力がなければ、他の方法を使われます。イスラエル民族がバビロンから抜け出す力がありませんでした。神様は他の国を起こして、バビロンを負かされたのです。私たちに力がなければ、神様は他の事件を起こして、働きを起こされるのです。私が持っているものがなければ、神様は他の風を吹かせて、起きるようにさせられるということです。これは、長い詩篇の証拠です。詩篇は、信仰生活に勝利した人々の記録です。それで、今日、皆さんその契約をつかまなければなりません。それで、この言葉が理解できるでしょう。すべての栄光を主に。それが含まれている言葉です。私たちには困難がきます。その時に、耐えられる秘密が何なのでしょうか。主の栄光のために。それを耐えられる力が何でしょうか。主の栄光を見たのです。そして確かにくることがあります。主の栄光は現れるようになっています。これは確実です。証拠が確かにあるのです。 ・私はこの契約を捕まえました。数多くの人々が、私たちの教会を攻撃したのですが、私たちは耐えています。なぜでしょうか。主の栄光が分かるためです。また私たちのタラッパン運動がたくさん起きるから、今回、見たら、神学指南(神学雑誌)と合同側で、また強く批判しました。それで、私たちのメンバーが腹を立てて対抗しようとするのを、するなと自制させました。そのまま、おとなしく文を書いて、相手を少し悟るようにさせてあげなさいと言いました。感情をもって、そのようにする必要はありません。私たちは、これからどんなことが起きるのかを知っています。皆さん今に、見ていてください。これから、皆さんの答えの中の答えがレムナントの中で、すばらしい働きが起き始めるでしょう。私が今いる子どもだけ話して申し訳ないのですが、よくできる子たちが多いのです。韓国にまた女子サッカーができました。女子サッカーで一番よくできる子の名前を分かるでしょう。多分、女子なので、よく知らないこともあるでしょう。私たちの韓国で、女子サッカーで、パク・ジュヨンのようによくできる子の名前が、キム・ヨンシルという子です。私たちのメンバーです。私たちのタラッパン運動する牧師の娘です。その子が、今回、優勝しました。たくさんいます。今、こういう時間にも走る選手たち、ハン・ジェガン、アン・ジェジュン、こういう子どもたちが、全部、私たちのメンバーです。私たちが称賛をしないでも、揺れません。 ・神様の前で祈って勝利する子どもたちが多くいます。それだけではありません。運動選手たちは、目立ちますが、今、見えないで起きている子どもたちがとても多いのです。私たちは確かに知っています。主の栄光のために。なぜ我慢して耐えるのに、恵みになるのでしょうか。主の栄光のために。どのように耐えられるのでしょうか。主の栄光を見たためです。どうして、この苦難の中でも、我慢して耐えられるのでしょうか。主の栄光が現れるためです。それが詩篇です。皆さん、ひょっとして困難の中にいますか。全く恐れる必要がありません。主の光、主の栄光、主の力に勝てる者はいません。 ・参考にしなければならないことは、今日、4〜8節まで見ると、人間がこれを知らずに物を作って、動物を作っておいて栄光を帰しても良いのでしょうか。それが偶像崇拝です。人間がバカのように動物に栄光を帰しても良いでしょうか。花がどれくらい良いでしょうか。ここに栄光を帰しても良いでしょうか。花が人間に、神様に栄光を帰すのではないでしょうか。今日の聖書に、このように出てきました。彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。5〜8節にこういう話があります。口があるが話をするのか。皆さん、仏像が話をするでしょうか。いくら触っても、話をしません。私が一度、登山に行って、仏像があったので、ほおを十回殴りました。それでも話をしません。その上に栄光を帰さなければならないのでしょうか。チョ牧師と登山に行く時、偶像をめちゃめちゃにしたのが、数十ケあります。一度も罰を受けたことがありません。 ・今日の本文に書いてあります。目があれば見るのか。目も作っておきました。見るのでしょうか。鼻もあります。それが息をするのでしょうか。そして耳も作っておきました。聞くのでしょうか。そこに栄光を帰すのです。こういう愚かな人間があるでしょうか。偶像を作っておいたのを見れば手と足があります。手が動いて、足が歩くのでしょうか。そして喉もあります。のどで声を出すのでしょうか。今日の聖書にそう書いてあります。そこに栄光を帰すので、これがバカではないでしょうか。私たちは、何まで思うべきでしょうか。人間に、自分にも栄光を帰す必要がありません。115:1節を見ましょう。その話です。私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。この話が、何の話なのか分かるでしょうか。教役者が仕事を熱心にするのに、何のために信徒が嫌うでしょうか。それは一つのためにそうです。私の中にずっと栄光を受けようとするからです。全世界の牧師が牧会をするのに、長老や信徒は、心より祈って、手助けしようとするのですが、そんなに難しくさせようとしません。難しくさせようとする時には、一つの場合です。ずっと主のしもべが、栄光を自分が受けて行こうとすれば嫌います。それは仕事をする皆さんも同じです。 ・皆さんが、仕事をして、当然に神様に感謝して、栄光を帰すのですが、それを称賛を受けようとして、それ自体がすでに違っているのです。私たちが、神様に途方もないことをもらっても、それは神様に栄光であって、私たちが栄光を受けることではありません。さらに重要なのは、サタンです。人間が何も知らずに栄光を受けようとする時、サタンはそれを標的として、攻撃して入ってくるのです。証拠をいくつか上げます。サタンがきて、アダム、エバを誘惑した時、あなたがこれを食べれば神様のようになる。そのように話しました。サタンが今、栄光を横取りする高慢を植えたのです。ここにエバが心を開けたので、サタンがそれを見て攻撃をしたのです。最後に、サタンがイエス様に試みにきて、何といったのか分かるでしょうか。私にお辞儀をしなさい。それなら、これらすべてのものをあなたに与える。このように出てきました。今、このようにとても神様に帰る栄光を、取っていこうとするのです。記憶しなければなりません。また、私たちが信仰人でなくても、うつわが他の人に栄光を帰そうとすべきで、自分が受けようとする、それがすでに負けるのです。韓国が、今、それでずっと損害をこうむっています。 ・リンカーン大統領を見てください。相手が非難するので、感謝すると言いました。小学校しか出ていない、無知で大統領になるかと非難されたのです。リンカーンがこのように答えました。私が勉強をたくさんできなくて、今、出てきた。そうでなければ、すでに出てきたはずだと言ったのです。二つの顔の男だと非難されました。二つの顔ならば、この顔をもって出てくるか。優秀な顔をもって出てくると言いました。ところで、本当にこの人がこのように話したのです。相手が私より立派なのは確実だ。学閥と全てのものが、私より立派なのは確実だ。米国のために、私よりはあの人がさらに必要で立派なのは確実だ。しかし、私がなぜ出てきたのか。一つのために出てきた。幼い時から、神様が私に祈りをさせた。奴隷を解放させろと言われた。黒人を解放させろと言われた。私はそれをするためにガラテヤ3:28節持ち出した。ものすごい票を得て、大統領の中でも最高の栄光を現わしたのです。すでに、韓国の人々はレベルが及びません。あの人は、資格がない。ただ大統領する人は1人いるのに私だ。このような形で出てくるのです。そのレベルでもって、どのように世界で競争をするのでしょうか。私たちが信仰がなくても、レベルというものがあります。私たちが、教会生活をしても、レベルというものがあるのです。 ・皆さんが家庭の主婦をしてもレベルがあります。子どもたちが聞いたら、このように話しましょう。本当にあなたのお父さんは立派だが、私が足りないからだ。こうすれば、子どもたちが、本当に母親を尊敬します。しかし、あなたのお父さんのために、あなたのお母さんのために、こういう方法ですれば、子どもたちが本当に試みにあいます。それは、すでに信仰以前に人格の問題です。それで、これがサタンの通路となるのです。こちらに食い込んできます。すべての栄光を神様に。すべての栄光を他の人に。私たちは、これを捕まえなければなりません。それで、私たちが最後に考えなければならないことがあります。それで、私たちがやや下手すると、犠牲だけするのではでしょうか。そうではありません。今日の聖書に、主の栄光を悟った者に、大きい答えが与えられることを約束されました。主を頼る者、主が助けをくださるので、盾になってくださいます。9〜11節にそうなっています。主が盾になる。戦場に出て行く人が、盾がなければどうなるのでしょうか。戦争に出て行く人には、盾があるべきで、盾なしでどのように戦うのでしょうか。しかし、主があなたの盾になるのです。 ・また12〜15節に、主を恐れる者を祝福してくださる。私と皆さんと私たちの子どもが、神様の恵みを受けなければ、世の中に勝つことができません。誰がなんと言っても、神様の恵みを受けられなければ、私たちは攻撃してくる団体に勝てません。私たちは何で勝つのでしょうか。神様の恵みを受けましょう。主が私たちの盾になられます。今日の14節に、主があなたがたをふやしてくださるように。あなたがたと、あなたがたの子孫とを。これが神様の約束です。だから揺れる必要がありません。主の栄光のために、主の栄光を見ながら、主の栄光を待ちながら。これが信仰人です。 ・結論を結びます。今はこの3つのことを見ながら待ちましょう。単に待つのではなく、主の栄光を持って待っていましょう。絶対に失敗ありません。絶対に神様はだますことはありません。真理は絶対だましません。非真理がだますのですが、真理はだましません。人がだますのですが、神様の約束は私たちをだまさないのです。人間らがああしたり、こうしたりするのですが、神様の計画は絶対に変わりません。こういう神様に栄光を帰すハレルヤの信仰を持って待ちましょう。アブラハムは25年待ちました。単に待ったのではありません。主の栄光を見ながら待ちました。ヨセフが皆さんが分かるように13年待ちました。17才で監獄に入って、30才に総理になったので、13年ではないでしょうか。単に待ったのではありません。主の栄光のために、主の栄光を持って待ったのです。ある日、答えが来ました。まちがいなくそうでした。モーセは、どれくらい待ったでしょうか。80年待ちました。モーセは、80年ぶりにお母さんの契約を捕まえて勝利し始めたのです。ダビデは、30年以上待ちました。正確に話せば、20何年、30年ダビデが待ったのです。 ・ガラテヤ6:6〜8節に待って気をおとさなければ勝利するはずだと言われています。私たちが神様の契約をのがして、気をおとしてしまえば損をします。気をおとすような存在ではないのです。いくら道が混んでも、神様には方法があります。ヤコブ、イスラエル、何とおっしゃられたのでしょうか。あなたが水の中を渡らなかったのか、あなたは火の中を通過しなかったのか。何の話なのか分かるでしょう。バビロンに捕虜なったイスラエルに、神様がこのようにおっしゃられました。主が海の中で道をつけなかったのか。そして、砂漠の中で、水をわき出させるようにされなかったのか。以前の事を記憶するな。私が新しい事を行う。だから、待ちなさい。無条件に待てば、バカのように待つことですが、契約をとらえて待ちましょう。 ・すでに主の栄光を見ました。それで、問題になる必要がありません。宝くじに当選した人が、お金をもらいに行ったら、金がなくても心配になることがありません。確かにつかんだからです。私は契約を捕まえました。全世界にあるものがみな、神様の民のものです。とてもたくさん与えられるため、私の名前になっていないのです。私の名前になったのがあれば、たくさん味わうことができません。それでですが、みな味わうことができるのです。私が今回、少し時間があったので、ナイアガラの滝に行きました。すごいのです。しかし、私はそのように見ませんでした。ナイアガラの滝がすごいけれど、それよりさらに大きいものがあります。絶壁に水が落ちるのが問題ではありません。台湾のファリョンに行けば、それより良い絶壁があります。金剛山(クムガンサン)に行ってみなさい。それと比較にならない絶壁があります。問題は何でしょうか。水がないのです。ファリョンのその良い滝には、水が一つも落ちません。問題は、ナイアガラに絶えずどこからか水が出てくるのです。それを見ながら、資源が必要だなと思いました。絶壁が問題でなく、水がなければならないのです。どこから、この水がそのように流れてくるのでしょうか。 ・米国の土地が大きな土地ですが、どこからこのように水が出てくるのでしょうか。結局、神様が祝福されなければ、絶壁も滝になれません。それを見ながら、神様が祝福されれば、どれくらいでもあるのに、私たちは、すぼめて気をおとしているのです。ある牧師が、ナイアガラの滝に行って驚いて話をしたということです。私のお父さんはすごいなぁ。そばにいた人が、これがあなたお父さんのものかと尋ねたのです。私のお父さんのものだと言いました。あなたのお父さんが、誰なので、ナイアガラの滝の主人なのかと言いました。主人だと言いました。いったい誰か。父なる神様だと言ったのです。それは、みな神様のものです。冗談のように見られて、漠然とした人のように見られるのですが、重要なことを見た人は味わうことができます。どんな場合も、気をおとす必要がありません。主の栄光のために、この契約をつかむように願います。待ちましょう。気落ちもせずに、放棄もせずに、力も抜かずに、契約をとらえて待ちましょう。神様の祝福が、今日、皆さんに本当に始まることをイエスの御名でお祈りします。 <<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。主の栄光のために。主の栄光を見ながら待つようにさせて下さい。やってくる主の栄光を確信しながら、神様の契約の中に生きるようにさせて下さい。祈るしもべになるようにして下さい。それで、神様の栄光を現わす、真にこの時代の証人になることを信じます。今、共に礼拝するインマヌエル教会に、神様が働いて下さい。衛星で礼拝する教会に、主の聖霊が直接、働いて下さい。インターネットでみことばを受ける神様の人々に、聖霊が直接、治めて下さい。今日、私たちすべての聖徒の頭上に、主が力ある御手を置いて治療して下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン. |