2005年6月19日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/悩む者に注目する主
(詩116:1〜19)
・今日'悩む者に注目する主'というタイトルでみことばを見ます。昨日、みなあまりおやすみになることができなかったのか、顔色が良くないようです。多分、みなサッカー見たのでしょう。光化門や全国の各競技場ごとに応援するチームが集まって、応援していたようです。昨日、私もだいぶ祈りを強くしながら見ました。もちろん、相手チームがあまりにもに強いチームでした。私達の選手たちが、連続して疲れていることもありました。またその上に、私たちのパク・ジュヨン選手は、ケガもありました。色々な理由があるでしょうが、それより祈りながら、良かったと考えました。今、全国で大騒ぎをしています。商売人や、運動する人々が、みなパク・ジュヨン選手のために大騒ぎをしています。さらに危険なのが教会です。この教会が、本来そのような人々ですが、パク・ジュヨンを非難しようと、奪い取って行こうとする、そのような色々な話にもならない自分たちのレベルを出しています。今回、もしブラジルを負かして帰ってきたら、あまりにヒーローになってしまって、困るようになるだろうと考えてみることもしました。今、韓国の教会が、ジュヨンに対して、とても幼稚なことを言っています。一般の団体に向けてまで文章を載せながら、文句を言っています。言わば、ジュヨンがタラッパンメンバーだという事実を浮上させながら、文句を言うのです。とりあえず、神様の重要な計画はあること見ています。 ・今日の本文にあるように、私たちの世の中を生きていく間に、困難にあう時が多いのです。今日、ここに見ると、困難程度でなく、みことばを見ると'死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。'と言いました。それで、今日、私たちは福音を受けて、神様の子どもですが、本当に困難にあった時に、どのようにすべきなのでしょうか? それが今日の本文で多くの答を与えています。皆さんは、みな話をすることができないでしょうが、職場でとても困難を受ける時があるでしょう。私たちの学生たちも、とても困難を受ける時があり、家庭でも、大きな困難がある人がいるでしょう。おもに見れば、人を通して、あるいは経済問題で苦しめられます。また、ある時には、想像することもできない問題で困難にあう時があります。このような時には、どのようにしなければならないのでしょうか。今日の詩篇116篇には、著者の名前を明らかにしないで記録されています。しかし、だいたい詩篇の記者は、内容が似ています。 ・それでは、私たちが困難にあった時、どのようにしなければならないのでしょうか。皆さんに困難がきたとすれば、どのようにすべきでしょうか。人々に話せない葛藤ができた時、どのようにするのでしょうか。そのような時は、多くあるでしょう。困難にあって離婚もして、そのようなことが、単にあるのではないでしょう。何で、遊びで離婚する人がいるでしょうか。困難を通して、苦しんで、そうなるのです。また、ある人々は、肉体の病気になって、苦しんだり、子どもに問題が生じて、苦しんだりもします。詩篇には、おもに三つの重要なことが出てきます。最初に、モーセの話です。イスラエル民族が、エジプトの奴隷でとても苦労しました。その民族を連れて出るのに、どれくらい困難が多かったかわかりません。モーセの前に、山のように困難が積まれるのです。パロ王が簡単に置いてくれるでしょうか。それより、さらに問題は、出てくる時に、イスラエル民族がさらに問題でした。モーセの考えと、イスラエル民族の考えのレベルが合わなかったのです。私たちがエジプトにいた時に、安らかにご飯を食べたのではなかったか、というレベルだから、だめなのです。それで、モーセを手助けするどころか、難しくさせることもありました。 ・そのような人々の苦しみです。そして、ダビデの話がたくさん出ています。ダビデが受けた苦しみは、言葉で表現するのは難しいのです。誰かが、本当に皆さんを殺そうとしたら、皆さんはどうでしょうか? それなら、私たちの考えが大いに変わります。怖いでしょう。私は以前に、ホテルで休んでいたら、夜に電話がきました。それも明け方2〜3時頃に寝ていたら、電話がきたのです。ある男の人が会おうという電話でした。変で、フロントに電話をして確認しました。すると、誰かが牧師先生を訪ねたので、確認をしないで、すぐに連結したということでした。しかし、雰囲気が変だから逃げたのです。そうなったら、人は不思議に眠ることができなかったのです。それで、一度窓の外を見たところ、ホテルの隅で誰かが立っているのが見えました。本当に気持ちが変でした。寝ようとしたら、思わず、ドアに鍵がちゃんと閉まっているのか確認しました。そんなことが少しの間あったのに、眠れなかったのです。しかし、ダビデのような人は、自分を殺そうとする人々が多かったために、とても困難にあいました。 ・また、詩篇の話は、イスラエル民族がバビロンに捕虜なって、途方もなく苦労をして戻った、そのような話です。このような時に起きる困難がいかに多かったでしょうか。私と皆さんが、こういう困難にまでは遭わないとしても、目に見えない困難が多いでしょう。どのようにしなければならないのでしょうか? 今日、私たちが2節から見なければなりません。このように出ています。1節に'私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。' 3節をもう一度見れば'死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。'この時に言う言葉が2節に'主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。'耐えて、一生の間、祈るという言葉ではありません。ここでとても重要な話が出ました。皆さんが困難を受けた時、どのようにするのでしょうか。それを無理に耐えれば傷になります。大部分の人々がそうです。今日、ここで一生、祈るということは、起きた問題を持ってメッセージとして捕まえたということです。とても重要です。 ・旧約を見れば、ホセア預言者に対する話が出てきます。ホセア預言者の奥さん'ゴメル'という人は、とてもおかしな人でした。言わば肉的なことを持ってホセアを困らせたのです。その時、ホセアがどのようにしたのでしょうか。時代的なメッセージを悟ったのです。それで、メッセージ悟ることが重要なのです。皆さんが困難にあう時に、単純に難しいとだけ感じれば、それが傷になって、問題はずっときます。それで、イスラエル民族が苦難の中にいたあとで出て行くのは当然、困難があるのです。それで、このメッセージを捕まえた人がみな答え受けたのです。今、王宮で多くの問題が起きるしかない時期であることをダビデは分かったのでした。しかし、ダビデと忠誠な人々は、これをメッセージとして捕まえて、全部、答えを受けたのです。これをメッセージで捕まえることも出来ない人々は失敗しました。サウル王のような人は、悪霊につかれて、ますます変になりました。捕虜時代の時、ある人は命をかけました。私たちは偶像にお辞儀をしないで火の中に入る。これが何の話なのでしょうか。メッセージを捕まえたということです。 ・困難にあっている方は、メッセージを捕まえるように願います。そのメッセージというのは、神様のみことばという意味もあるでしょうが、その状況から出てくる声を聞くべきなのです。例をあげたら、アン・サリバンのような人は、精神病で苦しめられました。癒されたのです。そこで、この人はメッセージを捕まえたのです。どんなメッセージだったのでしょうか? 'この世には、精神病患者が多いな。私は、この人たちのためにいのちをかけなければならないな。'このようにメッセージをつかんだのでした。皆さんの家にも、精神的に困難を受けている人があり得ます。単純なメッセージではなく、時代的な重要なメッセージを捕まえましょう。なぜこのようにならねばならないのか? これをメッセージで捕まえることができないならば、まちがいなく、皆さんには傷になります。霊的問題になります。まちがいなく、サタンの攻撃を受けます。今日、皆さんが本当に、神様のメッセージを捕まえる貴重な日になるように願います。'私はなぜこのように貧しいのだろうか。なぜあの人たちは、よく暮らしているのだろうか。そして、どんなことをして、あのようによく暮らすのだろうか。'このようになれば死ぬのです。メッセージをよく受けられなかったのです。'私がなぜ貧しくなったのか。神様は、私に今、何をおっしゃっておられるのか。今まで、何かを誤って生きてきたんだなあ。今は本当に正しく生きなければならないな。'とメッセージを捕まえなければなりません。そうでなければ、普通の困難がくるのではありません。ひょっとして困難を受ける方がおられるならば、メッセージを捕まえるように願います。二番目です。今日の7節にこういうみことばがあります。'私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。'特に15節を見れば'主の聖徒たちの死は主の目に尊い。'これは何の話なのでしょうか。 ・今日、皆さんが二番目で捕まえなければならない重要な内容です。神様の民は、困難を受ける時間が最も重要な時間です。神様がご覧になる時に、とても重要なのです。モーセがミデヤンの荒野で、40年間、苦しみを受けていた時が、最も良い時間でした。ヨセフが奴隷で、監獄にいる時が、神様が一番良いものを準備しておられたのでした。この時に、何を学べるのでしょうか? 祈りを学べます。この時に、何を知るようになるのでしょうか? 福音の力を知るようになります。3〜4節にこういうみことばがあります。'死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。そのとき、私は主の御名を呼び求めた。「主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」'ですから6節に見れば'主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。' 8節を見れば'まことに、あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました。' 17節を見れば'私はあなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めます。' ・私たちが困難にあっている時、事実は最も良い時間です。1〜2節に見ると、神様は私たちの祈りを一言ものがされません。15節に聖徒の死を貴重にご覧になります。その話は、何の話なのでしょうか? それは聖徒全体の全てのものを貴重に見るという言葉です。皆さんが困難を受ける時間が、最も重要な時間だと信じるように願います。私が大きい困難に何度か会ったことがあります。定刻の祈りをすれば、答えを受けるということを分かりながらも、本当にうまくいきませんでした。しかし、大きい困難を通して、神様に時間を定めて祈り始めたのです。本当に驚くことでした。その時にした祈りが、今まで継続して答えられています。本当にそうです。福音を持った皆さんが困難を受ける、その時が一番重要な時です。私たちの学生たちと、レムナントは、家庭で困難にあっていても心配することは全くありません。一番重要な時です。間違いありません。慰めではありません。ダビデ、ヨセフなど7人のレムナントが、困難を受けている時間が、最も良い時間でした。ですから、この時に祈るようになるのです。私は格別、苦しみはたくさんありません。 ・私たちの聖徒がたくさん祈って、多くの使命者がいるから、格別、苦しみはありません。また、私たちの教役者や長老のような貴重な方々がたくさん祈ってくださっているから、格別、苦しみはありません。伝道運動をしながら、今までただ一つ苦しみがありました。それが少し大変な苦しみでした。神様の祝福で、多くのみわざが起きています。これを私の周囲の多くの人々が、肉体的に解釈するのです。ここで小さい問題が起きるのではありません。ある人々はお金になるかと思って飛び込んで、利益を得ようと走り込む人々が多かったのです。しかし、それでできなくなるから、事を作り出して、話を作り出すのでした。苦しみになるのは、その話を聞いた人々が100%恵みを受けたことでした。悪い人が悪い目的でする話なのに、人々がそのまま、みな受け入れるのです。だから小さい苦しみではありません。目に見えないように、釜山(プサン)でも、とても多くのみわざが起きて、利益がたくさんあったので、それをおいて戦うのに、通常の問題ではありませんでした。本当に苦痛でした。この運動が、ソウルに上がったら、ソウルでも大きなみわざが起きたのでした。私は本当に福音運動で、神様に感謝しなければならないことなのに、これを持って、とても問題を起こすのを見てびっくりしました。いのちをかけて出てきたのです。少し益を得ようと、いのちをかけて出てきました。それで'あのような人々は、一生貧しく生きなければならない人々で、祝福を知らないんだな。'という気がしました。それ以外では苦しみになることはありません。 ・今、私たちひょっとして、働きがたくさん起きるのに、多くの働き人がそのように思う時、一番難しいのです。どこへ行って話にもならないでしょう。私の親しい人々が怒ります。親しい人に話せるでしょうか。近くにいる人、親しい人々が怒るのです。私が一度は、チョ牧師と親しいから話して、チョ牧師がとても怒ったのです。そのような雰囲気にたくさんなった時の話です。この大きい祝福を人々が知らなくて、肉体的にするので腹が立ったのです。私は側近に性質が汚いとうわさが立っています。性質が誰が汚いのか神様ご存知でしょう。そして、悪魔もよく分かるでしょう。絶対にそうではありません。この大きい祝福をずっと肉的に解釈するのは、とても悪いのです。それより悪いことはありません。この祝福が、どれくらい恵みなのでしょうか。神様が祝福されるほど恵み、皆さんを見つめれば恵み、私たちが健康なのも恵み、みな恵みではないのでしょうか。 ・他の団体を見れば、お金が足りないので、てんてこ舞するのに、私たちは神様が祝福されて、私たちの団体はよく動くのが、どれくらい恵みなのでしょうか。それに他の考えをすることが何があるのでしょうか。他のことを思う、それがおかしな人です。私たちが宣教大会、レムナント大会をするのに、神様が祝福を注がれるのです。どれくらい感謝しているでしょうか。そこに他に思うことが何があるのでしょうか。私はそれが苦しみです。他のものは何の苦しみでもありません。皆さんが本当に、今日、神様の祝福を受けることを希望します。私たちが困難にあう時、どのようにすべきなのでしょうか。神様の計画を発見して、メッセージを捕まえなければなりません。私たちが困難にあった時、どのようにすべきでしょうか。その時が、祈りができる、答えを受けられる最も良い時間です。それで私が習ったことが一つあります。とても、そのような人が多くて、私が習ったのが常時祈りです。仕事はしなければならなくて、働きは起きます。あちこち回りながら、ずっと祈るほかはないのです。だから、私たちには事実、問題になることがありません。主の聖徒たちの死は主の目に尊い。それなら、死も恐れる必要がないということです。反対の言葉で、人生も守られるのです。どれくらい感謝なことなのでしょうか。 ・三番目です。17〜19節にこういう話が出ます。私はあなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めます。私は自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。これが何の話なのでしょうか。今まであったその人々の契約を捕まえて、同じ答えを受けられるのです。挑戦しなさいという言葉です。これが何の話なのでしょうか。間違いありません。モーセに与えられた答えを皆さんに与えられます。ダビデに与えられた答えを、私たちの長老に与えられます。捕虜から戻った時に起きたその働きを、私たちのレムナントに与えられるのです。今でも。それを捕まえましょう。皆さんが今日、みことばよく見ながら、皆さんが困難に会っていたり、困難に会う時、これをしなければなりません。まちがいなく、正しい、正しくないという以前に、メッセージを捕まえましょう。私は新聞をこのように見るのですが、新聞記者はメッセージをよくつかんでいます。例えば少しだけ混乱がくれば、タイトルを見ると、「霧の政局だ」と出ています。その言葉が何の話なのでしょうか。メッセージをよく捕まえたということです。また北朝鮮での事件を「北朝鮮秘密取引き事件」こういうように書きます。私たちは神様の人ではないでしょうか。困難がきた時、恐れる必要がなくて、メッセージを捕まえましょう。さらに重要なこと二番目は、とても重要な祈りの時間です。今日さらに重要なのが三番目です。モーセに、ダビデに、捕虜時代のレムナントに答えられた神様は、今でもそのまま答えられます。だから気をおとす必要もありません。皆さんが今日、契約を捕まえる貴重な日になることを希望します。 ・四番目です。これをそのまま終わらせてはいけません。3〜4節に見ると、4節に特に見れば、‘そのとき、私は主の御名を呼び求めた。「主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」’それと共に5節に‘主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。’大部分の人が、祝福されたり、困難に会えば、のがすことが一つあります。今日の4〜5節、これが何でしょうか。福音の中に入りなさい。皆さんが受けた祝福を持っても、福音の中に入りましょう。皆さんが受けている困難を持っても、福音の中に入りましょう。箱舟の中に入った者は生きます。皆さん、この話をよく理解しなければなりません。いくら難しいことでも、福音の中に持って入れば、そこで解決され始めるのです。皆さんの貴重な事業を福音の中に持って入りましょう。それで、暗闇の勢力に勝てます。どれくらい驚くことでしょうか。必ず記憶しなければなりません。今日、このメッセージを必ず記憶して、皆さんの成功、失敗を、全部、福音の中に持って入りましょう。賛美に見れば、主の中に私に憂いがあるだろうかと言いました。義がない者でも十字架をつかむのです。それと共に、あなたがたは、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう。あなたを罪と死からいのちへ移したのです。あなたの罪を東から西まで遠いように移したのです。だから、福音の中に入りましょう。これが重要です。 ・五番目です。5〜6節に‘主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。’6節に‘主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。’これは、今、何でしょうか。私たちは、感謝と謙そんと賛美がここで出てこなければなりません。本当に発見した皆さんは、困難の中で感謝が出てこなければならない。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。この話は、普通の話になりません。パウロがこういう話をしました。私は弱いことを自慢する。私が弱い時、神様の力が私に現れた。それで、私がおとしめられた、その時、神様が私を救い出された。記憶しなければなりません。どれくらい大きい恵みなのでしょうか。皆さんがすでに傷ついています。限界が来てしまうのです。すばらしいことをするのに、私がしたと言います。限界が来たのです。神様の恵みです。皆さんに問題がきます。ここに神様の計画があるのです。そうあるべきで、問題が来て、皆さんが倒れてしまえば、すでに限界が来てしまったのです。確かにそうです。皆さんがすでに気をおとしてしまった。限界です。皆さんがそれを持って、とても自慢して高慢になります。限界がやってきたのです。それで、私たちが神様の恵みを知って感謝すれば、限界が来ません。神様は今から新しく始める神様です。困難にあっている人いるのでしょうか。絶対にこれは慰めでなく、事実です。 ・私が困難にあいながら育つ時がありました。私の父がいる時は、私たちがよく暮らせたのですが、どうしても困難がくるので生きることが大変でした。しかし、この五つのことを悟ったら、昔のことが全部、祝福になりました。どれくらい感謝かわかりません。そして、個人に来る苦しみが、この契約を捕まえたら、全部、答えになりました。迫害されたのですが、迫害も神様の祝福です。その時、私が契約を捕まえたことがあります。マルコ10:30節を見ると、もし迫害を受ければ、百倍に祝福されるといわれました。私たち三十五坪の地下から、ぴったり百倍の三千五百坪に入ってきました。しかも、もし私たちが困難、迫害されれば、神様が百倍に祝福されるでしょう。これはイエス様の約束です。イエス様が弟子になさった約束です。弟子を送りだしながら、あなたがもし困難にあえば、来世に永遠のいのちを得るのはもちろんで、この世で百倍に祝福されるはずだと言われました。だから、怖いことが何があるでしょうか。 ・神様に感謝申し上げて、皆さんに残っている時間に、ずっと新しい答えが始まるでしょう。私たちの聖徒たちの中で、困難に会う人がいれば、気をおとしてはいけません。経済のために困難を受けることがあります。気をおとしてはなりません。ひょっとして皆さんが病気のために困難に会っているかもしれません。気をおとしてはなりません。まさに今日、この契約をつかまなければなりません。メッセージを捕まえなければなりません。神様が私に新しく始めなさいという、正しくしなさいというメッセージです。祈りができる良い時間です。さらに重要なのは、モーセ、ダビデ、レムナントに与えられた答えをそのままくださるということです。それで、皆さんの苦しみも、すべての祝福や福音の中に持って入りましょう。そして、本当に神様の恵みを受けましょう。神様の恵みを受ければ限界がきません。それで、答えがずっと起きるのです。この祝福を皆さんが受けなさいということです。 ・先週に、日本とアメリカに行ってきました。神様に感謝することがとても多いのです。いろいろ感謝する中で、未信者がレムナント献金を出しました。それは、今、お金を話すのではありません。未信者が共同体話を聞くと、自分も献金すると2百万円を出したのです。このことを神様がどれくらい喜ばれたので、未信者がみな献金をするのでしょうか。起きる答えを見ながら、本当に神様に感謝しました。サンホセに今回行ってきました。そこに長老一人をたてたのです。サンホセ教会が私が来ることができるようにその方たちがたくさん祈ったと言いながら、私が行く日から名前を変えて、インマヌエル・サンホセ教会に変えたのです。牧師が誰かというと、チョ・ビョンナム牧師です。このチョ・ビョンナム牧師は、特徴を見れば、私は初めにこの人を変に見ました。誰かが講義しているのに、すくっと立ち上がって悪口を言う人です。 ・全部聞いた後に、後ほど行って尋ねれば良いのに、立ち上がって、そこで話す人です。一度は、私たちのタラッパンメンバーが誤りをしたのか、そこで悪口を言いながら、こいつらは全部、柳牧師の弟子ではなく、妨害する者だと悪口を言いました。その方が、そのような人です。私のイメージの中に、その人はそうであると思っています。サンホセに行ったのですが、そこでそばの教会がタラッパンを攻撃したのです。この方が、その性格だと耐えられないでしょう。電話をしたということです。タラッパンが何が問題か。返事ができなかったということです。待っていろ。今、行くからじっとしていろ。すぐに行って、おまえのあごをぶん殴ってやると言ったということです。それで行ってみたら、逃げていなかったということです。その牧師も、あごを殴られることがいやだったようです。私があごを殴るのは、やめなさいと言いました。話でするべきで、あごをぶん殴っても良いかと言いました。そのような牧師です。 ・しかし、この方には重要なことがあります。Only福音です。本当に、この人は福音がとても良いと言うのです。だから、神様が祝福されるのです。だから、一般信者1人と共に福音運動を始めたのですが、神様がその一般信者を祝福されるのです。だから、その方が今回、長老になりました。その方1人が金を儲けて、200万ドルで払い下げて教会を買ったのです。私がその長老の家に行ってみました。さらに私が驚いたのです。普通、私たちは見れば、自分の家は良くしておいて、教会はめちゃくちゃではないでしょうか。米国へ行ってみてください。教会堂はないのに、自分の家はすごいのです。しかし、この方は、自分のもうけるお金は、教会を買って、自分の家を見たら、それほど良くなかったのです。それで、こういう方もあるんだなと思いました。どれくらい神様の恵みが感謝かわかりません。またサンホセからLAに行きました。LAに行ったのですが、キム・テウン牧師の教会の名前もインマヌエル南カリフォルニア教会です。まかり間違えば、こういうことでは、全部、インマヌエル教会になります。そこに職分者31人を立てました。それで、私が祝福の祈祷をしました。本当に福音を持った人ならば、職分者に立てられた時から、神様が答えられます。そこも行ってみると、レムナントが起きています。どれくらい気持ちが良いかわかりません。 ・その中で、チャン長老の息子が、まったく変わってしまったのです。完全に紳士になって、ハンサムに自分が将軍のように格好つけて仕事をしていました。前に見たら、すみにいたのですが、今はフォームを見れば分かるでしょう。教会で恵みを受けて、仕事をしていました。私が久しぶりだと握手しながら見たのですが、あまりにもたくさん成長していました。このように、あちこちに私たちのレムナントが固く育っているのに、どれくらい神様の恵みに感謝しているでしょうか。皆さんがいくら困難にあっても、神様はなさることができます。それで、今日、この五つのことを捕まえましょう。困難がくれば、うろたえていずに、メッセージを捕まえましょう。祈りのひもを捕まえましょう。なぜか、その時間が最も良い時間だからです。さらに重要なのは、証人の証拠を捕まえましょう。そして、福音の中に入りましょう。そして、重要なのは、皆さんの限界が来てはいけないのです。これらすべてのものが、神様の恵みです。このように詩篇が116篇まできたのですが、そろそろ詩篇の結論を結んでいきます。皆さん、この契約を本当に捕まえるように願います。まだ二十才にしかなっていないパク・ジュヨン選手が、少し心に負担になっていないかと考えてみました。そのような必要はありません。遠く走らなければならないのです。むしろ、とても酷使せずに、遠く走って祈りながら、今は世界福音化し始めなければなりません。今日、困難をうけることがあれば、皆さんに本当に恵みと祝福の日になる、そのような時間になることをイエスの名前でお祈りします。 <<契約祈り>> 神様に感謝申し上げます。困難を受ける者に注目される神様の前に感謝申し上げます。私たちが、この祝福を見るようにされたことを感謝申し上げます。神様の前に大きい恵みを受ける週になるようにして下さい。私たちは弱いのですが、神様の子どもと呼ばれたことを感謝申し上げます。詩篇に、モーセ、ダビデ、レムナントが受けた答えを、私たちが受けるようにして下さい。また、受けるようにされたことを感謝申し上げます。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン |