2005年7月3日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/私たちに向けられた主のいつくしみと真実はとこしえに至る
(詩117:1〜2)

・今日は麦秋感謝の聖日です。海外から大切な方たちがたくさん参加されています。神様に栄光を帰します。そして、衛星で100個余りの教会で共に礼拝をささげています。また、インターネットでみことばを受けています。皆さんに、みことばの大きい祝福があるように願います。蔚山(ウルサン)を見ると、すごいようです。同じように衛星で礼拝をささげているのに、蔚山(ウルサン)で最も復興しています。神様のみことばをよく理解したら、神様のみことばは時空を超越するから、そうであるようです。今日の詩篇は、最も短い節からできています。しかし、ダビデの最も多くのことが入っているのです。それなら、とても簡単ながらも、あまりにも多くのことをここに含まれているということになります。私たちに向けられた主のいつくしみは大きいのです。私たちに向けられた主の真実は、とこしえに至るのです。

・私たちの学生たちが軍隊に行ったり、社会に出て行けば、うろたえることもあるでしょう。うろたえていずに、その時に静かに神様のみことばをよく捕まえなければなりません。それで、少しだけ祈っていれば、答えが来ます。また、ある時には、困難にあう時があります。そのような時に、普通は、押さえられたり、病気にかかったりするのですが、このような時に、皆さんが神様のみことばを探して捕まえれば、待つだけでも働きが起きます。誰かそのように生きたかというと、ダビデがそのように生きました。ダビデは、困難がきた時、主のいつくしみが大きくて、真実はとこしえだと言いました。今日が麦秋感謝祭でもありますが、皆さんが、この契約を自分のこととして捕まえなければなりません。私たちは、時々、信仰生活はがんばればうまくいくと思います。そうではありません。みことばとよく合わなければならないのです。いくら皆さんががんばっても、みことばと合わなければ、答えられません。私たちが手紙を送る時があります。色々な多くのことを書きます。尊敬する牧師先生、愛する牧師先生、というように書きます。しかし、手紙にはその人が直ちにしようと思う話があるのです。それをのがしてはいけません。挨拶もして、色々な話もしますが、その人がしようとする話があるのです。

・神様が、私たちにみことばをくださる時、神様がなさろうとするみことばがあります。それが何かといえば、福音を正しく悟りなさいということです。神様の最初の目標です。それが全く出来なければ、信仰生活はしてもしなくても同じです。核心集会の時に申し上げたのですが、私が光州(クァンジュ)に行って、時間があったので、仏教放送を見ました。長時間、仏教放送をずっと見たのですが、チヤグァン僧侶という方が出てきて、講義をするのに、本当に上手にしていました。すべてのクリスチャンが、悔い改めなければならないほど上手にしたのです。25個の自分のしている方法だということで、念仏して共に読み続けながら説明をしました。字3ケを持って説明をしたのですが、漢字で「禅」という字を説明しました。みな捨てろということです。小さい心配も持つな、必要ないことであるから持つなということでした。どれくらい真理でしょうか。

・そうすれば、全てのものが停止した状態になるというので「止」という字を説明しました。その時から何が見え始めるかというと、「観」という字です。どれくらい水準が高いでしょうか。私はそれを見ながら、この人たちは、普通のレベルではないということを感じました。そうするうちに、キリスト教放送を聞こうとしたら、聞けませんでした。できない奉仕をしなさい、かならずしなさいという言葉が出てきました。私が未信者ならば仏教に行きます。今日、キリスト教放送で説教される方たちは、悔い改めしなければなりません。福音だけを伝えましょう。単に説明をしようとするなら教会に行ってして、福音を伝えましょう。私たちのキャンプチームがシカゴに行っていました。そこに、ものすごく大きい寺があります。その寺の住職が韓国の人です。その住職と、私たちのチームが会って福音を話したら、その僧侶がした話があります。'シカゴにはキリスト教放送で出てくる牧師が説教するが、それを説教というのか。'しかし、過ぎ去りながら面白い話を一言しました。'そこ何かタラッパンとかいうところで説教するのは、ちょっと大丈夫だったよ。'未信者が言った言葉です。僧侶が言った言葉です。その時、私の説教が数年、放送されていたのです。それも、シカゴのクリスチャンと牧師がまとまって妨害したので、今は放送されていません。

・仏法を講義するのに、どれくらい上手にするかわかりません。私が聞いてみたら、完全に感動するほどでした。クリスチャンが、それくらいもできないのでしょうか。みな捨てたのでしょうか? 心配がどれほど多いでしょうか? どれほど多くの悩みと苦しみと涙があるでしょうか。見ながら、これだからキリスト教が負けるのだという気がしました。ただ条件があります。福音を正確に話さない以上、負けるのです。私は僧侶にこのように言いたいのです。万一、みな空けて、きれいに掃除して、修理したら、どんな結果になるでしょうか? マタイ12:43〜45に見ると、七つの悪霊が入ってさらに難しくさせます。それで、神様が福音をくださったのです。それで、行いはすればするほど、霊的問題がきます。これを僧侶が知らないのです。今日、皆さんが本当にわからなければなりません。私たちに向けられた主のいつくしみは大きいのです。そのいつくしみは、何でしょうか。全てのものを赦して、私たちに愛を与えられたことが、とても大きいのです。また私たちは絶対に揺れる必要がありません。暗やみが光に勝ったことはありません。神様のみことばが成就するのに、真実がとこしえまでです。どの場合も揺れてはなりません。神様が私たちに福音をくださって、私たちを赦されて、私たちに福音をくださって導かれることは永遠なのです。これを、詩篇の記者が捕まえたように、ダビデが捕まえたのです。今日、皆さんもこれを捕まえられるように願います。本当に答えを受けるように願います。ひとまず、仏教よりはレベルが高くなければなりません。すべての心配をみな捨てましょう。あの山に行って座っている菩薩よりは、レベルが高くなければならないではないでしょうか。牧師、執事、牧師夫人、役員のような重要な方々が、ムダン(霊媒師)よりはレベルが高くなければならないではないでしょうか。ムダン(霊媒師)もしない心配を毎日しているならば、ひとまず序論で負けるのです。

・私たちの学生たちが大学を卒業して外に出て行けば、当惑するでしょう。うろたえないで。他の見方をすれば、未信者がすごいと見えます。そして、私たちはとても小さく見えます。勘違いしてはなりません。みことばを捕まえましょう。ある日、答えられる働きが起きるでしょう。この契約をダビデがつかんだのです。こういうゴスペル賛美もないでしょうか。'私たちに向けられた主のいつくしみは大きい。大きい。私たちに向けられた主の真実は、とこしえに、とこしえに、いつも。'間違いありません。それなら、これを捕まえれば良いのです。どんな意味でこの賛美をしたのでしょうか? 契約の箱を思いながら、あのエジプトから出た三つの祭りを思いながらした言葉です。イスラエル民族がいくらしても解決しないのに、羊の血を塗った日に解放されました。この主のいつくしみが、どれくらい大きいでしょうか? 皆さんが交通違反をしたのに、少し見のがしてもらっても、どれくらい有難いでしょうか。

・ある牧師夫人が米国に行ったのですが、英語も間違うのに、交通違反で捕えられました。英語がうまくできないから、そのまま泣いたということです。警察が静かに見て、行きなさいと言ったということです。その米国人は涙に弱いのか、そのまま行きなさいと言ったということです。それで、どれくらい感謝でしょうか。警察が違反切符を切らないでくれたことだけでも、どれくらい感謝なのかわかりません。永遠に死ぬしかないイスラエル民族が、エジプトから羊の血を塗った日に抜け出しました。そのいつくしみと真実が大きくてとこしえなのです。ですから、私たちの救いがそうだという言葉です。分かるでしょうか? それで終わったのではありません。荒野を行く間に、皆、死ぬと予測したのに、死にませんでした。それが今日守った五旬節です。麦収穫祭と言ったりもします。それで終わったのではありません。収穫して、あふれるほど倉庫に入れるほど神様が祝福されたのです。刈り入れ祭と言います。あるいは収穫感謝祭と言います。どれくらい感謝でしょうか。

・穀物のことを言うのではありません。未信者が話す、そのような感謝を話すのではありません。その言葉は、この三つの祭りは、神様が皆さんを運命、呪いから選び出されたということです。五旬節です。揺れる必要がありません。天国に行く時まで倉庫に保存したように、私たちを導かれるでしょう。収穫感謝祭です。この主のいつくしみが、どれくらい大きいでしょうか? これを詩篇の記者とダビデが分かったのです。私たちの青年たちは揺れてはなりません。神様のみことばはとこしえです。今、いくら難しいようでも、それではありません。それは耐えろという言葉ではないのです。正しく賛美しさないということです。無理に耐えろということでなく、正しく感謝しなさいという言葉です。

・皆さんが困難を受ける時、契約を捕まえて、みことばを正しく捜し出せば、それに奇跡が起きます。大部分、みことばをのがします。それで、さっきも僧侶のことを話した理由が、大部分、みことばを見れば、福音をのがしてしまうのです。だから、実際にみなのがしてしまうのです。本当に、祈りの答えを受ける日になるように願います。皆さんがすることは一つしかありません。ここに座った時には、今日、神様がここに何か意味があるでしょうか? みことばが悟れなければなりません。皆さんが軍隊に行ったら、そちらでみことばが浮び上がらなければならないのです。職場に行った時にも、そのまま職場生活するのではなく、みことばが秘密で捕まえなければならないのです。その時から奇跡が起こるのです。これを主の真実がとこしえに至るというのです。皆さんが極限の困難にあったら、みことばを捕まえましょう。それで、間違いありません。私が困難を受けたことは、みな証しできません。しかし、その時ごとに神様に受けた恵みがあります。それがみことばを捕まえたのです。しかし、それで終わったのではなく、このみことばがずっと働きが起きたのです。いくら思っても正しいのです。私たちに向けられば主のいつくしみは大きくて、真実なことは永遠に至るのです。そのみことばです。

・二番目に、このみことばは何のみことばなのでしょうか? ダビデが自分の人生を振り返った時、その感謝が出てくるしかないのです。ダビデは、幸いに良い親に会いました。福音を持った親に会ったことだけでも、とても感謝なことです。それも感謝です。一時代に一度会うか、会わないかというサムエルという指導者に会ったのです。ダビデが羊飼だったのに、ダビデを王として立てました。受けた恵みがどれくらい大きいかわかりません。ダビデには、困難もたくさんきました。この困難を、みなこの秘密で勝ち抜いたのです。絶対に、ダビデは揺れませんでした。神様のいつくしみは、途方もなく大きいのです。神様の真実なことは、とこしえだから、揺れる必要がありません。ダビデが自分の人生を感謝したのです。皆さんが今日、同じようにこの契約を捕まえれば本当に答えが来ます。それで、信仰生活をそのようにがんばらなくても、正確に答えがくるようになっています。ここに一週間に一回ずつ教会に出てくる男の方たちは、どのようにがんばることができるでしょうか? 皆さんが外に出て行っているので、どのように勝てるでしょうか? この契約のみことばを正しく捕まえましょう。今日、ここに短い箇所によって、大きい感謝をしました。この祝福の隊列に立って、全世界で宣べ伝えられるみことばに感謝したのです。

・1節を見れば'すべての国々よ。主をほめたたえよ。すべての民よ。主をほめ歌え。'ノアに、アブラムに、ヨセフに、モーセに伝えられた祝福が、サムエルに、ダビデに伝えられたということです。事実は、これよりさらに感謝なことはありません。皆さんがここに本当に感謝が出てこないならば、とても多くのことをのがすようになります。長老が祈るのをいつも聞いてみれば、その祈りの中に何がいつも出てくるかというと、この福音運動する祝福の隊列の中に立っていることをいつも感謝しています。本当にそれは重要なのです。ダビデがそれを感謝するのです。それと共に、そのまま終わるのではなく、すべての国と民にと言われました。これは、未来に起きる宣教まで含まれているのです。今日、皆さんが本当に感謝を回復する中で、この単語がどれくらい重要な単語なのかを知りましょう。'私たちに向けられた主のいつくしみと真実が大きくてとこしえに至る'

・どの程度、感謝すれば良いでしょうか? ダビデ1人だけ例をあげてみましょう。私たちは、どの程度、感謝しなければならないのでしょうか。ダビデ1人だけ見ると、ダビデが詩篇の1/3以上を記録したのですが、感謝という言葉が一番たくさん出ます。ダビデは、神様が共におられる秘密を持っていたので、危機がきた時にも、感謝しました。この感謝に対する言葉を多く使うのですが、ダビデがする感謝は、ちょっと違うのです。特徴を静かに調べてみましょう。皆さんがする感謝とは違います。ダビデはとんでもない感謝をしたのです。神様が、私をこのように手助けして、祝福されたことに対して感謝しなければならないのに、そうではなかったのです。読んでみれば、ほとんどみなが救いに対する感謝です。だから、これが本当に感謝です。どの程度、感謝したかというと、この救いを受けたから、他のものが問題になることがないということです。今日、本当にこの部分を理解すれば、働きは起きるでしょう。神様の子どもになったので、問題になることがありません。最高の危機の時に言うのに'(詩23)主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。'これがダビデです。この程度になったら、本当に働きが起きます。いつも救いに感謝して、神様が私とともにおられるので問題があっても大丈夫だということです。理由が何でしょうか? 今日理由を明らかにしました。主のいつくしみがとても大きいからです。他の人も他の人ですが、私に向けられた主のいつくしみが、とても大きいのです。

・そして、これからも心配すべきでないことは、神様の真実なことはとこしえに至るのです。どれくらいすばらしいでしょうか? こういう理由を発見しました。皆さん、本当に回復するように願います。その人の感謝の内容を見れば、その人のレベルはすぐ知ることが出来ます。ダビデは、つまらなく誰かと戦って勝って感謝して、祈りが答えられて感謝するレベルではありませんでした。私を救って、私とともにおられる神様に感謝します。だから何も問題になることがないのです。それと共に、どれくらい感謝したのか、世界福音化まで見ながら感謝しました。それで、今日、私たちは本当に祈りの答えを受けるために、最後の結論を下さなければなりません。私たちは、どのように、この祝福を私のことにできるでしょうか? 感謝の一番重要な単語は何でしょうか? 本当に今日、感謝祭を迎えて、単純な感謝ではなく、本当に私の人生を変化させる感謝は何でしょうか?

・神様が本当に生きておられるならば、私たちは重要なみことばを捕まえなければならないのですが、その次には、どのようにすべきでしょうか? 今日の聖書箇所がとても簡単だから、理解しやすいでしょう。主のいつくしみがとても大きいという言葉は、福音を言うのです。主の真実がとこしえだということは、みことばを言うのです。そこに対して感謝しました。それで、感謝をどのようにすべきでしょうか? これが重要です。私たちの牧師がたくさんおられます。全世界に多くの牧師がおられます。牧師が本当に祈りの答えを受ける方法が何でしょうか? どのように感謝しなければならないのでしょうか? 皆さんが本当に福音のために、教会のために、主の栄光のためにすれば、みな解決されます。この感謝を言うのです。ですから、牧師は記憶しなければなりません。そして、今、私たちのタラッパンの中でも多くの副教役者が出てきています。皆さんが祈りの答えを受ける方法は、すでに福音を受けて、受け取るべきものはみな受けたので、これ一つだけ守れば良いのです。すでに私たちは、タラッパンでは福音も、みことばも確実です。どのように感謝するかだけが分かれば良いのです。それで、主を賛美して、その御名をほめたたえようと言われています。この言葉の中にすばらしいことが含まれているのです。

・牧師と主のしもべたちは、いつも自分のためにではなく、本当に主の栄光のために仕事をしなければなりません。教会のために、本当に聖徒のために生きなければならないのですが、考えだけそのようにしても答えが来ます。ダビデが危機に会った時を見ましょう。ゴリヤテと戦った時に怒りがこみ上げてきて戦ったのではありません。主の御名が侮辱されたので、主の御名をもって立ち向かうということです。すごいのです。だから、この信仰が必要です。この感謝が必要です。生きるか死ぬかではありません。とにかく、将軍と戦えば死ぬか生きるか、するでしょう。しかし、ダビデがサウル王の前で、このように話しました。'あのペリシテ人が主を侮辱するから、私はその御名で立ち向かう。主なる神様が、私をライオンと熊からも保護された。それで、その御名で立ち向かう。'そして、まさにゴリヤテの前に行っても同じ話をしました。'おまえは刃と槍を持って向かってきたが、私はおまえが侮辱する主の御名で立ち向かう。'これだけではありません。ダビデがサウル王のために、とてもたくさん耐えました。皆さんが耐えたと思ったら誤解です。主に栄光を帰すためです。私が主のしもべを触るのは、主の栄光にならない。サウル王が損害をこうむるのは、主の栄光にならない。軍の中に戦争が起きれば、主の栄光にならない。このように見たのです。だから、ダビデぐらい答えをたくさん受けた王はいません。彼こそ王の中の王です。

・私たちも、この答えを受けられます。だから簡単です。全世界に役員などもたくさんいます。大部分の役員が、仕事をしてみれば、私たちの教会にはそんなことないのですが、ほとんどみなが人間的にします。自分のグループもあって、お互いを邪魔しながら戦うのです。私は見たのです。絶対に答えを受けられません。本当に私たちが主の栄光のために、どれくらい感謝しているのでしょうか。そうなったら働きが起きます。政治家の中で、そのような人がまだ出て来ていません。本当に主の栄光のために仕事をする人のことです。私が政治をしたらそのようにします。本格的に反対する党を手助けして、話をするでしょう。今はそのような実力家が出てこなければなりません。本格的に野党を配慮してあげて、すべきことはするのです。そして、神様の栄光のために、ダビデのような人物が出てこなければなりません。出てこないから、毎日、その形なのです。教会も同じです。私も信仰生活を長くしました。新しい信者は、よく知らないでしょうが、私は教会の中で戦うのをたくさん見ました。とてもたくさん見たのです。福音がないのでも、みことばがないのでもありません。

・おもに見れば、教会の中でも、自分の位置や席をおいてずっと戦いました。これだから、サタンが分かるのです。確かに生きているサタンが見るには、そのような人は餌食です。ですから、ずっと失敗するのです。私たちは簡単です。私たちは、どのように感謝しなければならないのでしょうか? ダビデのようにすれば、勝利するようになっています。これが祈りの答えを受ける奥義です。神様の栄光のためです。この神様の栄光を国々の中で現わすためです。理由が何でしょうか? 主のいつくしみがとても大きいのです。そうではないでしょうか? 私たちがこの福音を悟って、この祝福を受けたことが、どれくらい大きいでしょうか? 少しも揺れるべきでないのは、主の真実なことは永遠です。それで、みことばだけ捜し出せば良いのです。それで、どこでもみことばだけ探せば良いのです。私の場合は、人に会ってもみことばを先に探します。これがどれくらい良いのか、メッセージをしたりもします。何かことが起こっても、みことばを先に探します。どれくらい感謝するのか、必ず答えられてきます。それで、最後にすべきことが、本当の感謝です。本当の感謝は、私が受けることだけでなく、神様に栄光を帰すのです。これが、ダビデがした感謝です。それで、私たちは、みことばを調節しながら、祈りの答えを受けなければならないでしょう。

・神様が、イスラエル民族の先祖をエジプトから導いて、やり遂げたことを恐ろしい神様に感謝したのです。そして、ダビデに共におられた主のいつくしみと真実がどれくらい大きくて永遠なものでしょうか。それを感謝したのです。そして、国々の中で、主の御名が現われることを知って、ダビデはそれを賛美して感謝したのです。それを賛美をもって感謝したのです。それで、ここに見ると'すべての国々よ。主をほめたたえよ。すべての民よ。主をほめ歌え。'その主題が何でしょうか?'その恵みは、私たちに大きく、主のまことはとこしえに至る。'これが今日、私たちが捕まえなければならない重要な契約です。これだけできたら、本当に答えが来ます。今日、皆さんはのがさずに三つのことを捕まえるように願います。主のいつくしみという言葉は、本当に福音の中にある奥義です。これを捕まえて感謝しましょう。主の真実という言葉は、みことばだけよく区分したら、本当に永遠な答えが来ます。そのうちに、この賛美をしたということは、本当に感謝したということです。これだけ捕まえれば良いのです。

・ニュースに出てくる程、ソウルにある教会でけんかをしたことがあります。私はなぜ戦うのか尋ねなくても分かります。長い間、この救いの栄光を知らずに、主に感謝できなくて暮らしてきたのが、積もって爆発したのです。他のことはできなくても、すべての牧師や聖徒は、これを記憶しなければなりません。これで戦いになったのです。だから、みなほろびるのです。どれくらい問題がくるのかわかりません。全部、この部分ができないからです。今でも、ある汝矣島(ヨイド)の大きい教会で戦っています。今は、教会が戦うことで、外側に映るようになりました。説教は仏教よりレベルが低く、教会は戦うというように映っているのです。それでは大変なことになります。祈りの答えを受けるのは簡単です。本当に主に感謝しましょう。そのいつくしみは大きく、真実はとこしえです。それですべての民、すべての国が賛美することができるように、主に感謝しましょう。この契約だけ捕まえれば、本当に答えが来ます。それで、私たちの多くの教会員と執事がいますが、教会がそのような雰囲気になれば、本当にサタンの餌食になります。

・私が幼い時にチョンゲチョンで起きたことです。そこは、貧しい人々が集まって住む地域です。人が戦うならば、聖日も戦います。言わばサタンの働きです。人に本当に神様に感謝が出てこなければ、隠されていた腹が立ってくるようになっています。皆さんが本当に救いに対する感謝を味わうことができなかったとすれば、表に現れてきます。そして、みことばが成就するのを味わうことができなかったとすれば、感謝が出て来るでしょうか。感謝したら、むりやりです。それで人間的な気がするしかありません。お互いのために祈らなければならないのに、長老がどうだ、執事がどうだという話が出るようになります。それまでは良いのですが、グループで分かれて戦ったりもします。これで聖霊充満でない、感情充満で戦ったのです。聖日に礼拝もささげないで戦うほどになりました。しかし、その中で性質がせっかちな1人の女性が礼拝をささげようと大声で叫んだのです。ですから、執事なのか長老なのかが座れと押したのですが、倒れて隅にあたったのです。そこで病院に行く間に死んだのです。そのご主人は信じていない人で教師でした。この人がとても衝撃を受けたのです。言わば妻が教会に行って殴られて死んだのです。それで、新聞にトピックで出てきたりしました。これがそのまま過ぎ去るようですが、完全にサタンの勝利です。

・真の感謝がないならば、普通の問題がくるのではありません。真の救いの味を知らなくて、みことばの味を知らなかったのです。それでは、成功しても問題がきます。サウル王のように、悪霊につかれたのです。王になったからお金もたくさんできて、すべての人が頭を下げる権力もできたので、どれくらい良かったでしょう。それで、悪霊が入ったのでした。そのように一生を終えたのです。皆さんがとても重要です。救いを味わいましょう。本当にみことばを味わいましょう。それで、感謝が出てくるしかありません。そうなったら、聖徒と主のしもべ、長老を見る目が変わります。本当に祈りが出てきます。どれくらい感謝するのかわかりません。これが世の中と違うことです。世の中の人々はサタンとか聖霊とか、こういうものを知らないでしょう。その人々が、呪いや災いを分かるのでしょうか。何も知りません。肉体的なものしか知らないから、こういうものを知って答えを与えなければならないのに、私たちがだまされてはいけません。本当に答えがきます。ダビデの信仰を回復しましょう。主のいつくしみが、この福音がとても大きく、そして全く揺れるべきでないことは、主の真実なことはとこしえに至るのです。それで、私とすべての国々、民が主に感謝しなければなりません。このように悟られなければならないのです。それで、私たちは本当に答えのみわざが起きます。本当に癒される貴重な日になるように願います。

・神様が私に救いをくださったので、そのいつくしみがとても大きくて、感謝します。主のみことばと真実が永遠だから、私たちは揺れる必要もありません。とても感謝します。国々が、今はみな起きるように、私たちの神様に感謝しましょう。このように契約を捕まえれば良いのです。ある夫婦が宣教に行きました。宣教に行ったのですが、問題はこの宣教師です。全く福音を知らなかったのです。だから、感謝もなくて、祈りの答えもありませんでした。宣教地域に出て行って宣教費がなかったのです。あちこち助けてくれと呼び掛けをしたのですが、良くなりませんでした。この人がおかしくなってしまったのです。そうするうちに、苦労して、見たら牧師夫人が精神が狂ってしまいました。だから、精神が狂った夫人を連れて韓国にまたくることも困って、ずっと宣教することも困って、この夫人を精神病院に入院させたのです。入院させたのですが、病院費がありませんでした。この方ができなくなるから、夫人を病院に置いて逃げたのです。これだから、大騷ぎが起こったのでした。

・福音一つがなくて、みことばを正しく捕まえられないということが、こういう怖い結果を産んだのです。私たちのレムナントと、世にいるすべての使命者は、全く心配する必要がありません。主のいつくしみは大きくて、真実はとこしえに至るのです。私が一度大きい困難にあいました。本当に大きい困難でした。神様に祈ったのです。神様に赦してください。赦しの神様だから赦してください。そして、使命を悟らせてくださいと祈りました。しかし、本当に不思議に、その時祈ったことが、みな答えられてきました。どれくらい真実が永遠で、いつくしみが大きいのか、その時、私が悔い改めながら祈ったことが、全部、答えられてきたのです。だから感謝するしかありません。

・今日、皆さんがこの祝福をもって、本当に麦秋感謝祭も重要ですが、皆さんの生涯に最高の祝福を受ける日になるように願います。今から、この祝福が始まるようにイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちに向けられた主のいつくしみが大きいことを感謝申し上げます。また真実がとこしえであることをありがとうございます。今日、この祝福を回復する日になるようにして下さい。答えが始まるようにして下さい。すべての問題は変わって、神様の祝福になるようにして下さい。今日、私の人生の新しい日になることをお祈りします。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン