2005年7月10日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/神様の国
(ルカ17:20〜37)
・ある留学生が米国にいるときに教会に行ったということです。それで、信仰生活をして韓国に戻りました。自分のお父さんに話をしたそうです。私は米国で教会に行くようになった。それで、韓国でも行くつもりだ。その時、そのお父さんが最高に深刻な表現で話をしたということです。その学生は、お父さんのそのような姿を初めて見たということでした。内容が何かというと、絶対に教会には行くな。私の願いは、絶対に行ってはいけない。それで、どうしたのと尋ねてみたところ、今まで私が生きてきた中で、私を困らせてだまして、くやしがらせた人が、全部、執事、長老だ。彼らは全部にせ物だから、ひとまず教会には行くな。そのように話をしたということでした。私はその話を聞きながら、自分なりに考えました。もちろん、その人にはおよそ50%の責任があります。もし詐欺に長老があったとすれば、やられる人の責任も50%あります。また、その方の話が正しいという根拠もありません。自分の考えである場合もあります。それで、およそ50%は責任があると思います。しかし、ある面で、そのような話を聞くようになった長老と執事にも50%責任があります。尊敬を受けるべきなのに、詐欺師という話を聞いたから50%の責任があるのです。私が世に出て行ってクリスチャンに会ってみたら、とても良い人たちですと言われたら良いので、教会に出て行けと言われなければならないのに、絶対に教会だけはだめだと言われたので、およそ50%の責任はあるとみなければなりません。私は、その方の話には若干の根拠はあると思います。 ・今、多くのクリスチャンが、実際に祈りの答えを受けられずにいます。それで、他の人を手助けしなければならないのに、損害を与えるからそのような話を聞くのです。実際、クリスチャンが人を変化させるべきなのに、そのような力がないということです。今日の本文にイエス様は重要な話をされました。もちろん、パリサイ人が尋ねたので、答えるようになったのです。しかし、イエス様も復活して重要な話をされました。パウロが伝道しに行った時も、重要な話をしました。私たちクリスチャンが、それを知らないので、うまくできなくなるのです。何を持っているかが重要です。それで、確かに持っている人とない人は違います。同じ事業をしても、お金を持っている人と、持っていない人は違います。私たちが同じ道を行っても、持っている人と持っていない人は違います。いったい私たちクリスチャンが、何を持っていないので、祈りの答えを受けられないのでしょうか? ・本当に聖書が神様のみことばに間違いないならば、どのように答えを受けるのでしょうか? 私も祈りの答え受けたいが、どのようにしなければならないのでしょうか? とても重要なのです。ここに私たちのイエス様が重要な答えをされました。そのタイトルが神様の国です。これが神様の国だという説明をされました。それなら、私たちすべての使命者が、神様の国が何かを先に理解しなければなりません。学校へ行けば良いことをたくさん教えます。どのようにすれば成功して、出世するかを教えるのです。努力しなさい、正直にしなさい、こういうものをたくさん教えます。また、数学、英語、国語のような知識も教えます。とても必要なことです。しかし、一つのことを教えることができません。それが問題です。何のためにこの世に、しばしば災いは押し寄せるのか、何のために、この世に戦争が一万六千回も起きたのか。今週にあった、そのようなテロは、なぜしばしば生じるのか? さらに重要なのは、聖書を見れば、さらに深刻な問題が来ます。ダニエル書を見れば、預言されているのに、交通がとても速くなります。それと共に、とても滅びの時代がくるのです。それで、光を中心に、多くの人を来るようにさせた者は、本当に天の星のように光る祝福を受けるはずだと言われています。また、マタイの福音書24章を見れば、この頃におきていることがみな預言されています。マタイの福音書25章を見れば、にせ物の教会と信徒が多いことが預言されています。 ・一言で、Uテモテ3章を見れば、良く暮らそうとするのに、苦しみの時がどんどん来ると言われています。聖書のみことばです。よく暮らさなければならず、幸せに暮らさなければならないのに、聖書には苦しみの時が来ると言われています。人は自分を愛して、お金を愛して、世の中を愛するから、苦しみの代価が来る。 ヨハネの黙示録を見れば、霊的にひどい混乱の時代が来ます。そのよう言われています。それで、聖書を見れば、重要な話が出ています。目に見えないサタンと暗闇の勢力は、私たち人間をどんどん難しくさせるでしょう。それで神様がキリストを送られると約束されました。そこから抜け出して勝つことを神様の国と言うのです。とても重要な言葉です。皆さんが命をかけて、もう一度かけてもかまわない程、重要な言葉です。今日、皆さんがこの単語だけわかれば、祈りの答えを受けるでしょう。皆さんが本当に救われたとすれば、この単語がわかるようになるでしょう。それで、皆さんには変化するみわざがが確かに起きるようになります。それで、イエス様が使徒1:3を見れば、40日間、神様の国に対して説明されたと言われています。使徒19:8を見れば、パウロがエペソに行って、会堂で神様の国を説明したと言われています。この言葉は、普通のことではありません。 ・昨日、私が夜に家でTVを見ていたら、題名はわからなかったのですが、映画が出てきました。何の映画かというと、ユダヤ人の一家庭が、ドイツのナチに苦しめられるものでした。どの程度かというと、ユダヤ人があのように苦労したんだなあと感じられる程でした。ドイツの人々がきて、ただ殺していきました。全く人間扱いもしなかったのです。いつもユダヤ人、ユダヤ人と言いながら困らせるのです。その時、私がそれを見ながら、国を失えば、あのようになるんだな。国がないということはとても怖いことだな。と思いました。誰も保護することができないのです。誰かがきて殺すのに、保護することができなく、困らせても保護することができません。ですから、国を失った、これは、霊的世界ではとても重要なのです。聖書にだけ語られているこのサタンは、皆さんをしばしば困らせて、皆さんを滅ぼそうとします。それで、最も早くしなければならないことが、神様の国です。 ・今日、ここに重要なみことばを25節からおっしゃっています。'しかし、人の子はまず、多くの苦しみを受け、この時代に捨てられなければなりません。'と言われました。27節を見れば'ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。’何のことでしょうか? このように食べて飲んで生きるということが必要ないという言葉ではありません。これがとても重要な部分で、必要ないということではありません。神様の国が何かわからないから、後ほどには滅ぼされたということです。28節を見ると'また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、29ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。'これは何の話でしょうか? このように食べて生きて家を作るのが悪いという言葉ではありません。そのようにして滅ぼされたのです。イエス様の話です。 ・その話が何の話なのでしょうか? あなたが今、神様の国を質問したが、神様の国が何かを知らないから、そうなったということです。それで、神様の国、この言葉を理解するとしたら、今から答えが始まることで、勝利するようになります。今日、全世界にいる使命者たち、私たちのインマヌエルの家族が、この単語を必ず捕まえて、答えを受けるように願います。ですから、神様の国という単語だけ分かれば、みな解決されるということです。今日、それでは、ここに神様の国に対する答えを提示しています。20〜21節を見れば、個人に臨んだ神様の国です。詳しく見れば'さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」'個人救いと神様の国です。皆さんが、この祝福を分かるべきで、私たちの個人に臨んだ神様の国です。皆さんがイエス様を救い主として受け入れて祈るようになれば、どんなことが起きるのでしょうか。私は今日、本当にイエスを信じるといったら、どんなことが起きるのでしょうか。私はイエス信じます。私は本当にイエス様を私の救い主として受け入れます。私はキリストが何の話なのかわかってイエスを信じます。このようになれば、どんなことが行われるのでしょうか。皆さんの中に聖霊が臨まれると言われました。それが神様の国です。 ・ここにタオルをお皿の上にのせてあります。同じうつわなのに、ここにパンを置けば、パン皿になります。しかし、パンを出して、タオルをのせればタオルの皿になります。同じうつわなのに、キムチを入れれば、キムチ皿になります。少し簡単に表現しようとするなら、瓶があります。同じ瓶なのに、水を注げば水さしです。同じ瓶なのに、薬を入れれば、薬瓶になります。さらに簡単に表現してみましょう。同じ家なのに、王がずっとおられれば王宮になります。同じ家なのに、乞食だけ集まっていれば、そこは乞食の巣窟になります。もし大統領が引続きインマヌエル教会に来ているというなら、ここは大統領府になるのです。何の話だと思うでしょうか? 神様の聖霊が私の内にいらっしゃるから、私が神殿で、神様の国が臨んだのです。絶対に滅びません。考えてみてください。私の内に神様の聖霊が共におられるのに、誰が攻撃することができるでしょうか? 私はとても無駄に悩んで、問題だという人は、救われなかったのではないかと思います。いらない悩み、心配がとても多いならば、その中には聖霊がおられないということです。神様の国があなたがたの中に先に臨んだのです。皆さん、今日から変えることを望みます。どんな問題がきても大丈夫です。 ・私の中に誰がおられるのでしょうか? 聖霊なる神様がおられるのです。それが神様の国です。必ず記憶するように願います。同じ人なのに一つが違うのです。救われた皆さんと、外にいる人々は、全く同じですが、一つが違います。何が違っているのでしょうか? 皆さんの中に聖霊がおられるから、神様の国が臨んだのです。ここに対しては少しも揺れてはなりません。問題が生じれば、私に本当に神様の聖霊が内にいらっしゃるのかどうかに対して考えてみましょう。17年間、てんかん病に苦しめられた少女が、簡単にイエス様を救い主として受け入れた瞬間に、解決されました。40年間、霊媒師をしていた人が、いつも悪霊に苦しめられていたのに、キリストが誰なのかわかったのです。その人が、イエスがキリストだな。その方を私の救い主として受け入れるべきだな。その時、その悪霊が離れてしまったのです。何の話だと思うでしょうか?神様の国があなたの中に臨んだ。この言葉は、普通の話ではありません。それでは、誰が勝つことができるでしょうか。私の中に聖霊がおられるのです。 ・例えば、皆さんがとても力強い人と一緒に通うのに、何を恐れることがあるでしょうか。皆さんが、大統領と一緒に通うのに、何が恐ろしいでしょうか。王と一緒に通うのに、何を恐れることがあるでしょうか。神様の聖霊が私の中にいらっしゃるのです。それで、聖霊充満だけを受ければ終わるということになります。だから、聖霊が私の中にいらっしゃるから、聖霊充満するという言葉は、聖霊が私の主人になるという言葉です。ですから働きが起きるのです。その時からです。今日、皆さん貴重な時間を作って、ここに来ました。人の話を聞かずに、神様の答え受けるように願います。今、この時間には寝ずにインターネットをつないで、聞く人もいます。皆さん、世の中の話、人の話は参考にすることがありますが、それを信じてはいけません。神様のみことばを真っ直ぐに見るように願います。それで、受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神様の子どもとなる特権を与えられたのです。もし牧師に神様の国が臨まなかったとすれば、牧会も難しいことで、ものすごい問題がくるでしょう。もし宣教師がそれなら、より大きい問題がくるでしょう。外国に遠征に行って苦労することになります。さらに問題がくるでしょう。 ・皆さんにとても重要な言葉です。'21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」'それは、目に見えないのですが、イエス様に会ったり、救われれば、神様の聖霊が皆さんの中にいらっしゃるということです。本当に信じるように願います。一週間に教会に一度しか来ない人も信じるように願います。朝の祈りに死んでも来ない人、その人も信じるように願います。'牧師先生、世の中で歩き回りながら、世の中の人々と同じように…'大丈夫です。信じるように願います。聖書は何とおっしゃっておられるのでしょうか? 聖霊があなたに捺印されたのです。印鑑を押したということです。これがイエスを信じることです。それで、今日、皆さんは少しも心配する必要がありません。心配する理由がないということです。私の内に聖霊がおられます。それで、パウロはこういう告白をしました。'(Iコリント3:16) あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。'聖霊があなたがたの中にとどまると言ったのではなく、知らないのですかと言いました。前に私が話したでしょう。台湾に私たちのチームが伝道しに有名な占い師を訪ねて行ったのですが、すぐに見破られてしまったでしょう。皆さん、悪霊につかれても、霊的な目が開けば、すぐ見破ります。 ・'牧師先生、私のように信仰生活がよくできない人も救われたことに間違いないのですか? '私が副牧師だった時、やくざを1人伝道しました。刑務所に何度か行ったことがあるやくざでした。こぶしがものすごく大きく、からだも大きかったのです。それで、教会きて握手をすれば、手がものすごく大きかったのです。だから、それで殴られたら、重傷か、死亡です。この人が、刑務所に何度か行き来していて、人生がだめになっていたのです。そうするうちに、福音を受けました。本当にキリストが何の話なのかわかったのです。サタンがいるということもわかりました。本当にたましいもあって、聖霊もあることをわかったのです。このようにして、信仰生活をどれくらい良くするのかわかりません。そのようなある日のことでした。自分の母の喜寿のお祝いをしたのですが、昔からの友人に会って酒を飲んだのです。それで終えれば良いのに、2次、3次会までしたのでした。ちょうど副牧師だった時の事です。この人が、とてもたくさん飲んでふらついていて、私と会ったのでした。私を見つけて挨拶をしました。それで挨拶をしたから、私が話もしなかったのに、先生、私は今日、スズメの焼き鳥を少し食べたと言いました。それで、私がスズメの焼き鳥を食べたのなら、なぜ目が赤くなったのかと尋ねました。はやく帰って寝なさいと言ったのです。さっそうとやってきて、行く時、またきて話して、また行って話しました。それで、聖日に教会を来ませんでした。そうなのかと思ったのですが、その次の週に見たら、聖日にまた来なかったのです。それで私が電話をしました。電話をしたところ、ちょうど家にいたのか、電話をとりました。それで、私が教会に来ないで何をしているのかと言いました。 ・すると自分のような者は教会に行ってはだめだと言いました。私が本当に飲まないと言ったのに、友達のせいで飲んでしまったと言いました。私のような者が、補助教師をするのに、それもできなくて、私は教会も行けないと言いました。それで、私がそうか、大丈夫だから来なさいと言いました。今、すぐに来なさいと言いました。まだ礼拝時間が一時間残っているので、はやく来なさいと言いました。行ってもかまわないのかと尋ねました。きてもかまわない。あなたが本当に恵みを受けて、聖霊充満を受けて、祈りをよくすれば、それが必要なければ切れる。心配しないで。どうしても必要ならば飲みなさい。しかし、あなたが必要ないならば飲まなければ良いではないか。それが問題ではない。今、そのように倒れれば大変なことになる。教会に行っても良いのかと尋ねました。良いからはやく来なさいと言ったのです。それで、昼間にはこないで、夕方にきました。 ・夕方にきて、一人で礼拝して悔い改めると、地面を打って悔い改めました。それで、出てくる時に言いました。握手して、次からはたくさん飲まないようにと言いました。何を飲んだのかと言ったら、あれこれたくさん飲んだと言いました。言わば、あれこれ混ぜて飲んだということです。それで、私が耳元でこっそりと、イエス様は、あなたが飲んだ焼酎で窒息する方ではないと言いました。あなたが、それが必要ないならばしなければ良いことであって、あなたが受けた救いは揺れない。あなたが失敗したとすれば直さなければならないのであって、救いは揺れない。他の人に被害を与えたとすれば、しなければ良いのであって、救いが揺れるのではない。ヨハネ14:16〜17皆さんの中にいらっしゃった聖霊は、永遠に離れません。 ・おかしな説教する人々が多いのですが、間違った話を聞かないように。聖霊が皆さんの中から永遠に離れません。親は子どもがとても悪かったり、心配をかければ何と言うでしょうか。いっそ死んだほうがましだと言うのですが、それは死ねということではありません。子どもが少し心配をかければ、あなたは私の子どもではないという話をします。しかし、絶対に本音ではありません。それはみな腹が立つからなのです。おまえは、私の子どもなのに、どうしたのかという言葉と全く同じです。まして、神様が皆さんの救いをああしたり、こうしたり交換されません。それで、聖霊充満だけ受けてしまえば終わるのです。聖霊充満という言葉が分かるのでしょうか。私の中にいらっしゃった神様が、最高の神様が、私の主人になられて、私を支配して、充満する、その意味です。だから、その時から力が現れ始めるのです。これが神様の国です。イエス様が今日、説明されました。 ・二番目、神様の国が出てきました。22〜33節までは、この世に臨む神様の国を説明されました。これが伝道と宣教なのですが、福音が宣べ伝えられる所には、神様の国が臨みます。必ず記憶しなければなりません。福音が臨む所には、神様の国が臨むから、すべての問題が解決されるのです。イエス様が来られた時、マタイ10:7節を見れば、悔い改めなさい、天国が近づいたと言われました。今日の本文で、22〜33節がとても長くて読むことはできないのですが、そこにイエス様の再臨に関する話が出てきます。イエス様の初臨、イエス様の再臨、福音が宣べ伝えられる所が神様の国です。皆さん、この祝福を必ず受けるように願います。私は、今回もそのような話をしたのですが、この頃、テロも起きて、事故が多く起きます。皆さん、本当に祈らなければなりません。軍部隊でも、まだ話が多くあります。 ・私は先週にも心配したのですが、今、ジャーナリズムでもずっと話すのを見れば、間違った話です。軍隊で気合いを入れること(仕置きのこと)を多くするからではないかと話します。仕置きもするな。そのような責任ない話をすれば、本当に問題が来ます。軍隊で仕置きがなければ、どうするのでしょうか。そこは、茶の間なのでしょうか。自分の家でもありません。それが軍隊です。私の息子が、3年軍隊に行って、そのような訓練を受けてきて、完全に変わってきました。私がある面で、教会よりましです。大学よりましだと言いました。軍隊の中にいた時、手紙がきたら'お父さん、愛しています。もう親孝行します。'こういうものを書いてきました。除隊した後に、みな変わってしまいました。ずっと軍隊にいれば、ずっとそうであるはずです。人々は、ずっと違ったことを話します。軍が、これで、そうで、あんなふうだから。そうなのではありません。私は指揮官にお願いしたいのです。 ・そして、大学教授、学校の先生にお願いしたいのです。一人ずつ相談をしてください。一人ずつ相談をすれば、その人の霊的問題が出てきます。分かるでしょうか。それを解決するのが神様の国です。分かるでしょうか。これより愛国はありません。福音より愛国はないのです。それで、私が残念なのは、いったいその部隊の中に、関係が上の軍人の中で、1人もイエスを信じる人がいなかったのかということです。まちがいなく、本来小心で押さえられていた人なのに、軍隊に行ったら、適応できないから、簡単に話して、サタンに捕えられたのです。機会だけあれば、さらに多く殺したのではないでしょうか。その中の軍人の中で、1人もイエスを信じる人がいなかったのかということです。でたらめに教会だけ行き来するから、そうなのです。この奥義が何か分かれば、神様の国です。その人が、相談を一度だけすると霊的問題が解けてしまいます。そうです。これが神様の国です。それで、イエス様の再臨されて来られた話をしたのですが、詳しい説明をする時間がありません。それが神様の国が臨むのです。そして31〜37節を見ると、千年王国の時代が開く説明です。それと共に、完全な神様の国、天国の御座に行くということです。 ・一般信者の皆さんは、今、頭が複雑になり、たくさん記憶するのが難しいでしょう。3つのことだけ記憶してください。イエスを信じる瞬間、私の中に聖霊が臨むから、神様の国が臨んだのです。それで、永遠に、永遠に滅びることができません。イエスを信じるのに、本当にサタンに捕えられた。そのようなことはありません。皆さんがイエスの名前が宣べ伝えられ、福音が宣べ伝えられる所に、神様の国が臨んだのです。そして、私たちが天国に行くようになれば、完全な神様の国に行くようになるのです。そのことをおっしゃるのに、今日の本文には、イエス様が再臨して来られる最後の段階におきることを説明しています。大きく関心を持つ必要はありません。千年の間、祭りが開かれます。こういう話は、大きく関心を持つ必要がありません。それで、神学的には前千年説、後千年説、こういう話があります。その話は、何の話なのかというと、イエス様が再臨を先に来られて、天国の祭りが千年の間、開かれるということを前千年説といって、天国の祭りがみな開かれた後に、その時、最後にイエス様が再臨して来られるということが後千年説です。こうした話、ああした話でなく、そのまま、それは重要な象徴だというのが、無千年説です。神学者が区分するお話です。皆さんは、神学者ではないから、知らなくて良いのです。重要なのは神様の国です。この単語だけ分かれば、皆さんには本当に働きが起きるようになります。皆さんが行く所ごとに神様の国が臨む祝福があることをイエスの御名で祝福します。 ・それでは、私たちはいくつかの契約を捕まえなければなりません。聖書を見れば、神様の国が臨む時に起きる事件がありました。いくつかだけ参考にすれば良いのです。モーセという人が、神様の国という単語を捕まえました。それが何でしょうか。出エジプト3:18節です。奇跡が起こりました。それなら、皆さんにも同じように起きます。皆さん、今日、この契約捕まえるように願います。皆さんが、神様の国民で、神様の国という単語を捕まえれば、モーセ時代に起きた奇跡が、今でも起きます。また、イザヤ7:14節です。インマヌエルという神様の国の単語を捕まえたら、バビロン捕囚から戻りました。今でも全く同じです。皆さんが、神様の国という単語を捕まえた時、世の中が変わることが行われます。この神様の国が、皆さん個人に臨む時、どんなことが行われるのでしょうか。皆さん、聖書66巻をみな読むのは大変です。正しく理解しようとするなら、ヘブル11章を見れば、旧約の人物がみな出てきます。そして、レムナントに対する研究を少しすれば、聖書全体が見えます。そして、ローマ16章を見れば、新約時代の初代教会の人物がみな出てきます。その人々が誰でしょうか。神様の国を理解した人々です。それで、皆さんが今日この契約を捕まえなければならないのです。何が問題になるのでしょうか。事実、私たちに問題になることは何もありません。神様の国という単語を理解した人は、問題が来ても、心配することがありません。少しも心配せずに、問題の中で、ここに入れば大丈夫です。皆さんに問題が訪ねてきても、大丈夫です。なぜなら、救われた皆さんは、個人に神様の国が臨んだので、絶対にほろびることができないことを聖書は約束しています。皆さんの職場、皆さんの事業、皆さんの家のために祈る理由は何でしょうか。そこに神様の国が臨めば、すべての暗闇はみな離れるのです。さらに重要なのは、私たちが天国に行くのですが、この世に生きる間、天国御座の祝福を受けるのです。 ・信じなければなりません。昔、グアムで飛行機が墜落しました。米国人がそちらに対策本部を設置しました。理由が2つあります。その飛行機が墜落して、死んだ人の中に、米国市民権者が1人いたのです。そして、そのグアムは米国の領土です。だから、そちらに本部を設置して気を遣うのです。私たちが、たとえここにいても、私たちの本籍は神様の国です。この世に生きる間、その祝福をずっと受けるのです。問題になることは何もありません。皆さんは自分をよく知らずにいます。私が救われたのですが、どのように大きい祝福を受けたのかをよく知らずにいるのです。いや、神様の国がそんなに重要なことかと、このように普通よく知らずにいます。牧師一人が車に乗って道を迷って、知らずに寺の中に入ってしまったのです。台湾でおきたことです。よりによって、住職が出ていて、車が入って来たので見たら、十字架と教会の名前が書いてありました。教会の車がなぜ入ってくるのかと言いました。それで牧師が降り立って、私がここに来ようとしたのではなく、道に迷って出られずに入ってきた。しかし、私は今、誤って入ってきたが、ここに神様のみこころがあるだろう。住職、あなたは本当に何の問題もないのか。神様が私を送ったのかもわからないから、本当にあなたには霊的問題がないのかと尋ねたのです。不思議なことが起きました。住職が入ってきてくださいと言いました。私は、今、住職をしているけれど、幼い時から今までずっと耳に幻聴が聞こえる。苦しめられていると言ったのです。それでは、あなたはイエスを信じなければならない。イエス様はこういう方だと説明しました。この住職が、イエス様を救い主として受け入れる祈りをしたのです。本当に不思議なことが行われました。幼い時から聞こえたおかしな幻聴が、イエス様を受け入れて終わってしまったのです。これで笑わせることが行われたのですが、この住職が、ずっと呼んで後ろの部屋でタラッパンをしたのです。タラッパンを継続して信徒に見つけられました。大きい寺なのに、信徒が私たちの僧侶は異常だ、何のために隠れて聖書勉強をするか、変だとデモのようなことが起きたのです。それで、多分、その人を移したのか、出て行ったとかいう話を聞きました。皆さん神様の国が臨んだということは普通の話になりません。長老たちの事業に必ずこの祝福があることを希望します。役員などの事業に必ずこの祝福があることを希望します。皆さんの職場に、皆さんの現場に、必ずこの祝福があることを希望します。だから、完ぺきな祝福、これより大きい祝福はありません。 ・この間、証しをしました。幼い時から変に苦しめられて問題がある子に大きい問題が来たのです。耳にずっと幻聴が聞こえるのです。こういう人もいます。霊的問題が激しくなればそのようになります。それで、この子がお父さんを殺したのでした。捕えられて、刑務所の中にいたのに、自殺しろとずっと耳に声が聞こえたのです。自殺しようと、どのように自殺すれば良いだろうか研究をしていたら、ちょうど、刑務所の扉の前で見張る人がイエスを信じる人だったのです。本当に不思議なことです。小さい穴の間から福音を伝えて、この人がイエス様を信じると決心したのです。その穴の間から捕まえてイエス様を受け入れる祈りをしたのでした。本当に不思議なことです。その時から声が切れたのです。そして、とても苦しかったことがなくなったのです。皆さん、これが今、聖霊が臨むということを実際に体験できないからそうであって、とても重要なのです。それで、神様の聖霊があなたがたの中に宿っておられるのを知らないのですか。マタイ12章を見れば、神様の聖霊が臨まれれば、神様の国が臨んだのだと告げています。この祝福を皆さんが必ず受けるように願います。 ・最後の結論を結びます。それでは、私がどのようにすると、このような祝福をずっと受けることができるのでしょうか。私がどのようにすれば、ヨセフのように王宮の中に祝福が現れることができるのでしょうか。私がどのようにすれば、ダビデのように軍隊の中に、王宮の中に神様の祝福が現れるのでしょうか。問題はそれではないでしょうか。何も難しいことがありません。皆さんが少しだけ行く所ごとに、この祈りをしましょう。それで、答えは神様がくださって、答えになって戻ってきます。簡単です。大きく精魂を込める必要もありません。皆さんが大きく断食しながら祈る必要もないのです。皆さんが行く所ごとに、この祝福を味わいましょう。少しだけ祈れば、答えが続いて来ます。私の場合は、そのまま心の中でずっと祈っています。皆さんそのように祈っていても答えが来ます。イエスを信じる人が、どこかへ行って、いたずらに無駄に祈ると、目立つようにする必要はありません。 ・私が知っている人ひとりは、喫茶店に少しの間会いに行ったのですが、喫茶店で、先生祈りましょうと言いました。私が時間を計算したのですが、17分間、大声で祈るので、とても恥ずかしかったのです。私が祈って目を七回、開けました。そのような祈りをしなさいということではありません。皆さん、食事をしに食堂に行っても、そのまま祈りをしたのかわからなくても良いのです。そのまま、心の底から祈って食べてもかまわないのです。そうでなければ、堂々としてもかまいません。ある人は、食堂に行って、普段は祈りもまったくしないのに、隣の人の顔色を見ながら、さっとして食べます。ある人は、他の人がわからないようにしようと、他のことをするふりをしながら祈ります。そんなことは、祈りではありません。本来、祈っていないと思える人が、そのようにします。私のような場合は、食堂に行って食べ物が出てくる間、座って祈っています。祈りをあらかじめしておいて出たらすぐ食べるのです。そうでもかまいません。私がこれを話す理由が何でしょうか。全く表に出さずに祈りだけしていれば、答えがずっとくるのです。 ・皆さんが、職場を行き来しながら祈ってもかまいません。そのようにしてもかまいません。私たちのタラッパンの牧師夫人一人は、教会堂がなくて、他人の土地を行き来しながら祈ったということです。ちょっと多く行き来したのです。主人が見て、呼んだということです。なぜ他人の土地を行き来するのか。土地がとても良いからと言いました。買うのかと尋ねました。買いたいと言いました。それでは、お金はいくら準備したのかと尋ねたのです。お金の準備は一銭もない。お金もない人が土地を買おうとするのか。そうでなく、私が今、教会を作ろうとするのに、教会を作る土地がなくて、そのように率直に話したのです。未信者だったので、お金がなければできないといって行けと言いました。そして帰ってきたのですが、夜にその方に電話がきたのです。変だと言いながら、私の心に感動がくるということでした。それでは、お金は後ほど返して買って行けと言いました。それで、教会を作ろうとするなら、お金が必要だから、私が銀行に融資を受けてあげると言ったということです。それで、未信者が助けてきれいな教会を作りました。 ・踏むだけでもかまわないのです。それが祈りです。何の話なのか分かるでしょうか。私の友人1人は、軍隊に行って、お手洗いに入ってずっと祈りました。軍福音化100%なるようにしてくださいと。本当に働き起きたのです。皆さんがお手洗いに行って祈ってもかまいません。それが神様の国を臨むようにする方法です。今日、この祝福を必ず受けることを主の御名で祝福します。今日、小言が多いのですが、一度尋ねたいのです。これをするのにお金がかかるでしょうか、大変でしょうか。なぜしないのでしょうか。これをするのに、皆さんの何かを取りますか、誰か体面が傷つくのでしょうか。何もありません。ただ信仰がないからしないのです。そのまま通いながら、神様の国が臨むようにしてくださいと祈りましょう。この祈りだけしたのに、大きい祝福が臨むのです。 ・隣の人を祝福しましょう。神様の国が臨むことを願います。職場、現場に、神様の国が臨むことを祈ります。 <<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。神様の国が臨む祝福を味わうようにしてくださったことを感謝申し上げます。暗闇の国が崩れるようにされることを信じます。今日、最高の祝福の日になるようにして下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン |