2005年7月31日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/私の道になる主のみことば
(詩119:1〜8)

■詩篇119篇は、節が一番長い詩です。176節まであります。詩篇119篇は、詩篇の本論と言えます。とても長いから、色々な部分に分けて考えなければなりません。しかし、一つの主題で言うと、みことばに関することです。それなら、皆さんが良いチャンスを迎えたのです。皆さんが、一週間に一回程度、今日読んだ箇所を考えてみてください。もちろん、メッセージを聞いたり、聖書箇所を一度考えてみたことがあるならば、皆さんはすばらしい答えを受けるでしょう。もし皆さんがそれを持ってテープを買ってずっと聞きながら祈ったら、皆さんはまちがいなく違う顔になります。言葉も確かに変わります。皆さんが、事業、職業、現場に起きる答えのために、本当に口を閉じることができないでしょう。大部分の人々がのがしているのです。
■皆さん、みことばを聞く時に、本当にそうだ感じたことがあるでしょうか? ところで過ぎて見れば、それが皆さんの人生をひっくり返す瞬間です。そうでなければ、皆さんが、このみことばがとても正しいと戦慄がくるほど感じたことがあるでしょうか? 皆さんは普通に見えるかも知れませんが、霊的な問題を持った人は、その時みな癒されます。私たちにすばらしい答えが、みことばを通して準備されるのです。私たちの教会に出てきて訓練を受けた方の中で1人は、自分が「受け入れた人々、すなわちその名を信じる人々には神様の子どもになる特権が与えられた力を与えられた。」という箇所を覚えたのですが、自分にみわざが起きました。友達がきて、読んであげて、信じられるのかと尋ねたのです。信じられるというので一緒について言いなさいと言いました。この方がついて言ったら、電気が通じるようだったということです。その人には、みことばが特別に臨んだのです。本来3階から落ちて、スプーンも持ち上げることができなくて横になっている時でした。不思議なことは、その場で起きあがったのです。夕方に夫が戻ってきて、飯を準備して待っていて夫が衝撃を受けました。今では、家族すべてがイエスを信じています。それで、家が海雲台(ヘウンデ)にあるから、スヨンロ教会に登録をしました。その方が、その時、その教会の牧師の許しを受けて、私たちの教会で3ケ月間訓練を受けて行きました。すべての人の前で証人です。皆が知っているからです。しかし、私たちはみことばをほとんどのがしているのです。
■普通、大学に入ろうとするなら、英単語を七千ケ程度分からなければなりません。ソウル大、高麗大、ヨンセ大学に行くなら、一万個以上は分からなければなりません。米国市民権を取ろうとするなら五千ケ以上を分からなければなりません。つまり、私たちの韓国で勉強した人々が、米国市民権を取った人より英単語をたくさん知っているのです。しかし、米国に行っても英語ができません。私たちが何か英語を誤り習ったのです。私は、英語の単語十万個もさらに分かります。エステルが英単語を知らなければ、私に尋ねるくらいです。しかし、英語はエステルがもっと上手です。多分、私はソウンよりたくさん分かるかも知れません。ソウンは、フィリピンで勉強をよくして、英語もできて、梨花女子大も実力があって入りました。しかし、私が英単語はソウンよりたくさん分かるかもしれません。しかし、英語は私よりはるかに上手です。
■私たちの娘が、米国で高校、大学、大学院の勉強をするので、英語が上手です。電話で食べ物の注文をするのに、声がすでに違っていました。しかし、私とインマヌエル・ソウル教会に行くのに大きい建物が一つあります。英語でDiplomatic Centerと書いてありました。私たちの娘が、私に何かと尋ねました。私が内心、米国で高校、大学、大学院の勉強しておいて、それも知らないのかと思いました。私がDiplomatic Centerという言葉は、外交センターという意味だと言いました。そこでも証明されたのではないでしょうか。私が私たちの娘より英単語をたくさん知っているということです。しかし、私たちの娘より英語ができません。
■私たちの長老や私たちは、英語を幼い時、違うように習ったのです。この頃のレムナントを見れば、英単語は私たちより分からないのですが、英語は上手です。あたかも私たちが文法を思い切り習っておいても、米国へ行って話せないのと同じです。少し慰められるのは、日本人はより悪いのです。ですから、私たちがたくさん習ったのにそうなのです。簡単に話せば、間違って習ったのです。確かに誤って習ったのでもないのですが、間違って習ったのです。私たちがみことばをそのように知ることがあります。ものすごく多く聞いたのに、実際に暮らしてみれば違うのです。こういう場合が多いのです。
■レムナント集会をするようになるのですが、私が行って最初にすることがあります。私たちの秘書チームが、レムナントについての分析をして渡してくれます。その中にいつも凝視することがあります。レムナントが、私に質問することがあるのですが、その質問欄を詳しく見ます。そして、もう少し詳しく見るのはレムナントの自分たちの悩みを話しています。悩みはさらに詳しく見ます。それで、準備した説教で、答えを与えるのです。ところで、レムナントが質問するのを見ると、いつでも私が2つのことを感じます。前に学生たちがこの質問をしたのに、またするのです。そして、さらに著しい特徴は、確かにみことばを持って答を与えたのに、質問をまたするのです。まだ子どもたちが、みことばを正しくわかっていないのだなあ。もう少し正確に話して、私がみことばをさらに正確に説明できないのだな。その子どもたちに具体的に説明をすることができなかったんだなあ。これをいつも感じます。どのようにすれば、私たちの学生たちが神様のみことばを事実的に聞けるのかと悩んでいます。ところで、あまりにも信仰、経験、背景の差が大きいから、私たちは理解できる言葉なのに、あちら側は理解できないこともあるのです。特に、この頃の学生たちは、みことばの応用を全くしなくて、そのままつかむことを望むのです。とても差がたくさん出ます。
■ここに座っておられる長老たちは、幼い時、学校から帰ってきて、山に木を拾いに行きました。親を助けてあげるために、水道がないから、山に行って水もくんできたりしました。何かがなければ応用します。例をあげれば、ない物があれば隣の家に借りに行くなど応用をします。もう時代が変わったので、この頃の学生たちは、全く応用をしません。それで、みことばもそのように受けるのではないかと思います。それなら、これをよく参考にして、私たちの学生たちがよくわかるように、よく説明をしなければならないと思っています。とにかく、神様のみことばを皆さんが正しくわかれば、確かにみわざが起きます。
■可能ならば、本当に聖日には、皆さんが忙しく送らずに、祈りをよくすることが重要です。それで、聖日一日、みことばを受ける時、すばらしいことが起きることができます。聖書のとおりならば、そのようなことが出来るのです。サンダーシングは、すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい、その言葉を読むのに、みわざが起きました。ですから、神様のみことばを読む時、聞く時、働くのです。サンダーシングの自殺したかった心が皆変わったのです。皆さんにはたいしたことではないでしょうが、アウグスティヌスは、ローマ書を読みながら悔い改めました。ローマ書を見れば、特別にそんなこともなく見られるのですが、げんこつで地を打ちながら悔い改めしたということです。アウグスティヌスは、ローマ書12章を読む時は、自分の心にとても届いたので、手をかんだということです。彼は時代を変える人物になったのです。だから、私たちがみことばを受けることがとても重要です。それで、聖日、事実は別のことをするのは損です。本当に神様のみことばを重要だと思ったら、伝道師、牧師、説教する人々のそばには、家族が近くにいてもだめです。本当に皆さんが、みことばが生きて働くということを分かったら。長老の場合は、教会のためにとても苦労される方々だから、本当に朝からこの方たちが祈って、恵みを受けて、みことばを聞いて、働きが起きるようになられなければなりません。
■特に今インターネットでみことばを聞く人達は、どれくらい飢え渇いているでしょうか。インターネットでみことばを聞く皆さんは、電話も切っておいて、本当に祈りながらみことばに没頭しなければなりません。聖日は、祝福受けなければならないのです。確かにみことばが臨めば、みわざが起きると言われました。ヘブル4:12に、みことばは生きて運動力があると言われました。それで、霊、たましい、心、骨髄を刺すと言われました。その話は、霊も生かして、たましいも生かし、骨髄ということは、病気もみな直せるということです。正確に言わば、癌も治療できるということです。これくらいみことばには力があります。しかし、私たちは大部分がみことばをのがすのです。それで、詩119篇は176節まであります。その中で1-8節まで読んだのですが、その主題はみことばは完全だということです。それで、私たちがこのみことばついて行けば、完全になれるということです。私と皆さんが完全なのではなく、みことばが完全だから、その道に沿って行けば、私たちも完全になるのです。
■私たちは時速120,200キロでは走れません。しかし、高速列車に乗れば走れます。私たちは時速700,800キロ走れません。しかし、航空機に乗れば、そのようなことが出来ます。神様のみことばは、完全です。なぜ完全なのでしょうか? イザヤ40:6-8に永遠に立つと言われました。そのイスラエルが滅ぼされた時、このようにおっしゃられました。高い山に上がって話せ。屋根の上に上がって話せ。その言葉は、イスラエルの人々が屋根の上で話をするからです。だから、そこに行って話せ。何と話したら良いのでしょうか? 草は枯れて、花はしぼむが、主のみことばは永遠に立つと話せ。それが、神様がイザヤにくださったみことばです。Iコリント15:3-5を見れば、イエス様に対して、聖書のとおり死んで、聖書のとおりよみがえられたと言われています。聖書は七千個余りの事件が預言されて、成就しました。それが神様のみことばです。それなら私たちがみことばをどのように受けるのかが鍵です。それなら、この説教をする人の責任と使命は重要だというだけではありません。
■ところで、なぜ完全なのでしょうか? Iコリント10:11を見ると、昔に記録されたのも、今そのまま成就しているとあります。ローマ15:4、Uペテロ2:6を見ると、以前に記録されたみことばが、今でも成就しているというのですが、どれくらいすごいでしょうか。それで神様のみことばなのです。ですから、ノア時代に起きたことが、今でも同じように起きるのです。ネフィリム時代。ニューエイジ運動、占い師、これが全部、ネフィリム時代です。神様の息子が人々の娘をめとりと言われていますが、簡単に話せば、家庭問題、結婚問題がくるのです。それで、嫁入りして、妻をめとって、楽しんで、遊んで、堕落することが、今と全く同じなのです。それがとてもおもしろくて、楽しくて、金儲けになるから、神様が必要ないのです。それがノア時代です。だから、Uペテロ2章には、その時の事が今そのまま起きると言われています。さらに重要なのは、黙示1:3には、これから起きることが預言されています。それで、イエスを本当に信じる人、救われた人は占う必要がありません。私たちは今日これを悟って帰らなければなりません。とても重要です。
■それでは、本文から確認をして、私たちはどのようにしなければならないのか捜し出さなければなりません。今日1節には'幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。'と言われています。このみことばは、私たちの行いがどのように完全なはずがあるでしょうか? しかし、主のみことばが完全だから、そちら側に行く者には祝福があるという言葉です。2節に答が出てきました。'幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。'なぜなら、神様のみことばは完全なためです。仏教は待ちたいでしょうか? 違います。悟った人々が書いたのです。天理教の経典は間違いでしょうか? 違うという言葉ではありません。立派な人が書いたのです。しかし、聖書は人が書いたのではありません。神様が、預言者を通して啓示のみことばをくださったり、起きた事件がそのまま記録されたのです。
■それで3節には'まことに、彼らは不正を行なわず、主の道を歩む。'たとえ私たちが弱くても、神様のみことばについて行くということです。そして、4節には'あなたは堅く守るべき戒めを仰せつけられた。' 5節には'どうか、私の道を堅くしてください。あなたのおきてを守るように。' 6節には'そうすれば、私はあなたのすべての仰せを見ても恥じることがないでしょう。'と言われました。それで今日、私たちは弱いのですが、正直な気持ちで、このみことばを捕まえれば、みことばは完全だから勝利することができるのです。8節を見ましょう。'私は、あなたのおきてを守ります。どうか私を、見捨てないでください。'捨てられることはあえません。みことばが完全だからです。私たちも正常な人の話に聞いてついて行けば失敗しません。それなら、神様のみことばは、私たちにすばらしい時間になることができます。皆さんが正しいか、そうでないかを過ぎて一度見ましょう。
■皆さんは普通と思うでしょうが、福音を持った私たちの聖徒、執事、長老の祈りが、今、そのまま答えがみな来ているのです。その時は何でもないようです。ですから、福音がない教会の執事、長老の祈りを見ましょう。右往左往するから、教会がいつも右往左往します。皆さんが説教をそのままするように見えるのですが、過ぎて見れば全部、答えられています。それなら、福音を持った皆さんがみことばを聞くということは、とても重要なのです。それで、詩篇119篇、この長い節を持って、私たちは本当に答えを捜し出さなければなりません。それで最初の主題が、神様のみことばが完全だから、皆さんも完全になれるのです。簡単に話して、本当に答えを受けられます。どのように受けられるのでしょうか? 今日、皆さんがいくつかのことを必ず知っていなければなりません。
■いくつか重要なことの中で、最初が私たちの考えです。皆さんがどんな考えを持っているかにしたがって、みことばをわかることもあり、聞き取れないこともあります。皆さんがどんな人に会って、どんな話を聞いて、どんな考えをするかにしたがって、それが未来を左右します。私がこの間、産業宣教で釜山(プサン)にきてメッセージをしました。皆さんだけ正しい考え、正しい使命を持てば、その時から神様が祝福を注ぎ込まれるでしょう。その以後、今、世界福音化起きたが開始がどこでしょうか? ここから始まりました。今、全世界産業宣教、レムナントが起きている中で開始がどこでしょうか? まさにここです。皆さんの考えがどのようなのかによって、すばらしい答えが左右されます。教会の中には、こういう人もいて、あんな人もいて、こうした話もして、ああした話もして、いろいろします。それをみな区分する頭がないのでしょうか? それで、どのように祈りの答えを受けるのでしょうか? すでに人々はみな違います。重要なのは、皆さんの考えなのに、そこに神様のみことばが臨むのです。
■私が普通に立派に成功した人を何人かに会ってみました。差があります。イ・ジュン司令官は、国防部長官もされたのですが、その方家でメッセージをしたのですが、その方の話がまだ記憶に残っています。自分が立派に見られようとされていないのに、私が見る時はとても立派でした。私に食事しながら冗談を言いました。私はまだそれが頭の中に残っています。先生、私が幼い時、うちの父が早く亡くなったので、母が私を勉強をさせました。それで、どれくらい難しかったのか、ほとんどお腹がすいていたということです。一度はお腹がすいていている中に、母がイカを買って来たのです。それで、そのイカを煮て、母が皿に入れてくれたのに、どれくらいおいしかったのかわかりません。それで、これがこのようにおいしいものだな思ったということです。江原道(カンウォンド)の部隊に司令官にきた時、その以前に母がしたイカ思い出して、部下にイカを持ってきてみろと命令をしたそうです。イカを持ってきたが以前の味ではなかったそうです。
■そこまでは良かったのに、全部隊にうわさが立って、私たちの司令官はイカが好きだからといって、行く所ごとにイカを接待したということです。さらに持ってくるなという話もできなくて、行く所ごとにイカをもらったそうです。冗談を言いながら、先生、これは江原道(カンウォンド)だけで取れる魚ですと説明をしたのです。それと共に話をするのに、とても国家観もあって、信仰も良かったのです。この方が成功をしたのが問題でなく、真に良い人だなということが感じられました。主張はしなかったのですが、話をするのを聞いてみれば、話の初めてと終わりが、全部親の恵みと、自分の下の人の恵みで、全部そのような形で話します。この頃、福音ちょっと正しくない人々は、教会の中で、外で全く同じです。全部、私中心です。私が正しくて、あなた達は違って、おもにこのような形です。そのような人を見ればわかるでしょう?そんな話も聞き取れないならば、どのように聖霊の導きを受けられるでしょうか。それは、死んでも祈りの答えを受けられないのです。
■私たちのタラッパンに、全国の会員が三十万名を越えます。私たちのタラッパンメンバーが、どれくらい力が強いのかというと、宣教大会のために私たちが祈れれば、一億円、二億円ずつ回ります。だから商売人がたくさんつくのです。横にきて話すのを見れば分かります。すでに違った人々は、話すのが違うのです。何かを持ってきて報告するのを見れば、似ています。前にした人々はめちゃくちゃで、悪いやつらだという式です。いつでもそのように話が出ます。その次に二番目が、自分のものが正しいということです。それがいつでも足りない人々の特徴です。それでは三番目に、その話が合うこともできるから待ってみれば、その間を耐えられないで逃げます。そうでなければ、新しい問題を起こすのです。自分が見られていることも知らずに、問題を起こすのです。そのような人が教会の内外におびただしくいます。
■未信者も成功した人々は、考えがすでに違います。それが救われていないからそうであって、人柄は軽くありません。私たちが考えがいつも違うのに、どのように祈りの答えを受けるのでしょうか? 神様のみことばが、どれくらい良いみことばなのに、私が見るのが違えば、このみことばと私が合わないのです。しかも、記憶しなければならないことがあります。いったい聖書は何を中心になっているのかが分かります。私の考えが正しければ、その時から聖書を見る目が開きます。私が親によく会って、神様の恵みでイエス様を信じるようになったんだなあ。それも多くの教会、教団、教派があるのに、みことば、福音のための教団の中に私が入ってきたんだなあ。真に神様の恵みに感謝する。このように正しい考えから持たなければなりません。
■それと共にその次には、みことばを見る目がなければなりません。みことばは3つのこと中心になっています。福音中心、霊的中心、事実中心、これをのがせば聖書勉強をいくらしても違うのです。聖書は福音中心になっています。福音のがしてしまい、他のものを度々するから毎日合わないのです。聖書は霊的知識中心です。皆さんの家にどこに窓があるのかも重要ですが、皆さんに起きる霊的問題それを中心にしたのが聖書です。そして、聖書はとても事実中心になっています。それなら、皆さんがどのようにすべきでしょうか? 神様が私にみことばくださる時間より貴重な時間はありません。それなら、皆さんが集まって、礼拝をささげる、それより貴重な時間はありません。それなら、神様がある教団と団体を作って、メッセージをくださる、それより神様の計画はありません。こういうみことばを捕まえなければなりません。さらに重要なのは、四番目です。皆さんがみことばを受ければ、どのように答えが来るのでしょうか? それしたがって、その次をすれば良いのです。答えが来ないのも答えですから、それついて行けば良いのです。神様は答えをはやく与えなくて、より良いことにくださることもあります。それで、それついて行けば良いのです。どのような時は、神様が答えを全くされないこともあります。それなら、行かなければ良いのです。
■執事1人が食堂を整えました。それもものすごく大きくしたのです。しかし、ほとんど金を借りて整えたのです。それで、私たちの教会も出てこないのに、私に時代的なしもべなので、礼拝一度、ささげてくださいと言いました。私が何の時代的なしもべなのでしょうか。神様、福音を伝えるけれど。行きながらも心配になりました。その家に行って、礼拝を導くのに心配になりました。金を借りたうえに、何の職員がそんなに多いのか、職員の月給だけでも大丈夫かと思いました。私なら、そのようにはしません。本当に、私が祈って食堂に対する勉強を少しして、食堂に就職します。およそ6ケ月の間は見るのです。食堂が持ったノウハウがあります。唐辛子、ニンニクにもノウハウがあります。それを見なければなりません。だめな店はなぜだめかを研究して、よくなる店はなぜなるのか研究しなければなりません。そのように人件費とは特別関係ないように開始をして、じわじわして世界的な食堂を攻撃して入るようにします。
■そのようにするべきなのに、初めての時から大きく整えたのです。利子どころか、いる人の月給も与えられないのでした。だから、月給をもらえなくて仕事をする人が誰がいるでしょうか。そのように半分が出て行って、残った半分は使命持って仕事をして、ご飯も食べられないので使命であれ、何であれ行ってしまいました。1、2人残って持ちこたえるのに事ができるでしょうか? クリスチャンは、そのようにしてはいけないことなのに、と思いました。ものすごい専門性を要することなのに、そのようにして、がたがたと崩れました。ずっと問題がくるのです。借金はどうなるのでしょうか? 広げたことと、借金が合わさって、ものすごい問題がきます。すべてのことを勝利することもできるのですが、それでも、クリスチャンは、答えをよく見なければなりません。ある日、説教を私が拾って読んで話したらそれは悪い説教です。私が以前にそうでした。注釈本のあっちこっちひっくり返して、良い話が出てくれば拾ってする説教は、どれくらい悪い説教でしょうか。神様が、このみことばの中でこのようにされたのですが、今までどのように答えられたか。それを見て、その次に事をしてこそ、神様のみこころであって、私の好きなようにすることが、神様のみこころではありません。
■また重要なことが一つあります。私たちは聖日礼拝を一度ささげたら完全に忘れてしまいます。もし皆さんがそれを持って一週間に一度でも思ったら、それはすばらしくなります。もし皆さんがそれを持って定刻の祈りをするならばすごいことです。もし皆さんが本当に定刻の礼拝をしたら、奇跡のようなことが行われるのです。なぜそうでしょうか? 生きている神様のみことばが講壇から現場に移ったということになるのです。大部分の人々がみことばをのがしてしまうのに、私に臨んだみことばが現場に行ったということです。それで、みわざが始まるのです。皆さん間違いありません。今日、話すこの契約は必ずつかまなければなりません。それで、明日からはレムナント集会ですが、私が九年前にイザヤ6:13レムナントという単語を捕まえました。それを捕まえて、定刻の祈りを、またして、またしていたから、ずっとみことばと答えが見られるのです。それが答えではないでしょうか。今、レムナントは大騷ぎが起こった程度ではありません。今、私たちのレムナントの中で、皆さんの子どもの中で、本当に祝福を受ける土台が作られていきつつあります。私はこれから、レムナント共同体を作っておいてそれをみなしようとするのです。これから科学者、医師、教授、音楽、運動をする人、全部、世界的に連結ができるべきだと思います。教会の権力は、私たちを迫害するかも知れませんが、未信者が認めるほどすれば、いくらでも道があります。皆さんが神様のみことばをどのように受けるのかが、とても重要です。もう一度簡単に整理します。
■皆さんの考えがとてもとんでもなければ、神様のみことばいくら聞いても効果がありません。考えがある程度とんでもないならば、良いのですが、あまりにもとんでもなければ、みことばを聞いても効果がありません。それでは、反対に皆さんが本当に神様の前に恵みを悟って、感謝して、みことばを受ければ、みことばはまさに皆さんに働き始めるのです。そして、このみことばは、全部、一般教団では、どのようにするのか分かりませんが、福音中心、霊的中心、事実中心に見なければならないのです。このみことばが、私の個人と講壇現場で、答えがどこまできたのか、その中心で行くのです。言わば、私が恵みを受けたみことばが現場に移されるならば、みわざが始まるのです。それが定刻の祈りと、定刻の礼拝と、タラッパンで、すべてのことが起きます。皆さんがこの祝福を必ず受けられるように願います。
■有名な学者スコットという人がいました。死ぬようになりました。息子がみな集まったのですが、最後の遺言を言いました。私がもうどうしても行く時になった。私がおまえたちに遺言しなければならない。本を持ってきなさい。本が数十万冊もあるのに、息子が何の本を持ってこいというのかと尋ねたのです。その時、父がこのように話しました。お前たちと私が永遠に分かれるのに、本で何の本が必要だろうか? このように重要な時間に、科学の本が必要なのか、数学の本が必要なのか? 聖書を持ってきなさい。本来、バイブルという言葉は、ビブロスという言葉からきました。バイブルは英語ですが、本来ラテン語でビブロスという言葉です。それが本という言葉です。
■皆さんもおわかりの通り、ボールツインという人がいました。この聖書を読んでみたら、話が合わない。少なくとも五十年、三十年の内にはほろびる。と言いました。しかし、二百カ国以上の言葉で翻訳されました。だれも死ぬという話もしなかったのですが、ボールツインは自殺しました。皆さんもおわかりの通り、神様のみことばは、人の話でする人に理解ができるでしょうか? ピニクス・ノアという人がいます。古くなった本ですが、彼が書いた本があります。とてもよく書いています。聖書に大予言という本でした。ところで、その本の序論におもしろい話をしました。私は神様を信じない。しかし、神様のみことばは信じる。このような形の論理なのに、聖書が歴史で成就したことをみな探して記録したのです。完全に本一冊です。私はびっくりしました。そうでしょう。もちろん、この方が探して、違った部分もあるでしょうが、全体的に見た時、そうでしょう。皆さんおわかりの通り、ウォリスという人が、いったい人々が何のためにイエス、イエスと言うのか。このイエスのために騒々しくてだめだ。私が人々がイエスを信じられなくさせる。それで文章を書きました。序論を書いて、本論に入ったのですが、その人に不思議なことが起きたのです。そんなことをあえてできるでしょうか? それでその人が書いたペンを置いて考え直したのです。自分の人生に新しい開始が来たのです。文章を新しく書きました。イエス・キリスト信じるなということではなく、イエス・キリストを信じなさい。それで、その人が残した作品が、まさに世界的に有名な不滅の作品ンベンハーです。本来、ウォリスはイエスを拒否するために文を書いていたのでした。私たちがどのように神様のみことばを変えられるでしょうか。皆さんが、今日、本当に神様のみことばと契約だけ捕まえ始めたら、すべての問題は確かにすべての問題は解決されられるでしょう。今日、神様の祝福を新しく受け始める重要な日になるように願います。みことばは完全だから、あなたは勝利することができると互いに挨拶しましょう。なぜか、みことばは完全なためです。祈ります。

<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、大事な神様の民が共に礼拝するようにされたことを感謝申し上げます。人の知識を学ぼうとするのではなく、神様のみことばで神様の民を呼ばれたので、ありがとうございます。もう、このみことばが、私たちの現場で、家庭で、職場で、事業に連結にするようにして下さい。それで、創造のみわざが起きるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン