2005年8月14日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/神様の完全なみことばをどこに留めるべきか?
(詩119:9〜16)
・夏になったためか、皆さんが力がないようです。今日、みことばで大きい力を得られるように願います。もし、皆さんが神様のみことばが答えになったら、どのようにするでしょうか? 確かに皆さんは変わるでしょう。しかし、神様のみことばが私に成就しないならば、どうなるでしょうか? 話はしなくても、かなり多くの力が抜けるでしょう。今回、私たちの名古屋集会を見ながら、神様のみことばの成就をみなたくさん見ました。参加した学生も参加した学生でしたが、全世界でインターネットで、レムナントがメッセージを全部、受けました。それだけ持っても本当に奇跡で、みことばの成就です。 ・今日、それでは私たちがどのようにみことば成就を正しく見られるのでしょうか? それなら今日、とても貴重な時間になるでしょう。55年前に朝鮮戦争が起きました。私が尊敬する牧師一人が証しをしました。この共産主義が、どこに一番たくさんきたかというと、全羅道(チョルラド)側に一番たくさんきました。この方が、全羅道(チョルラド)が故郷だった牧師なのに、私にこのような証しを言われました。濾水、順天側に、共産党の人がたくさんきたということでした。しかし、驚くべきことは、どのように話をしたのか、そこに住んでいる青年たちが皆、共産党になったのです。自分が行ってみたら、自分の家のほかは、ほとんどみなが共産党だったそうです。不思議に思ったということです。人々が、共産党の話を聞いて、正しいと言うのでした。それで、自分の見ている前で、町内の人々が棒で自分のお父さんを殴って殺したのでした。教会に通っているからという理由で。それで、自分は衝撃程度ではありません。知らない人が来てしたのなら‘そうなのか!'と思うのに、町内の知っている人たちが、突然に変わって、そのようにしたのでした。そうしたところ、自分のお母さんをまた殴って殺したのでした。そして、自分を引き出しては殴りました。 ・この牧師が殴られて死ぬところだったのでしが、幸い木の下に入ったのでした。死んだと思って、その町内の人々は行ったのですが、自分はそこで生き返ったのでした。それで'共産主義は怖いな、これは事情も考えず、話も通じない所だな。'ということを自分が体験したのでした。それで、自分が牧師になって、福音を伝えなければならないと決心した証しを私に直接されたのでした。なぜそうなのでしょうか? 皆さんが共産主義がする話を聞けば信じてしまいます。ですから問題がくるのです。皆さんが詐欺になぜやられるのでしょうか? 詐欺師の話を聞かなければ良いのに、詐欺師の話を聞いてみれば一理があるのです。そうだという気がするのです。それが正しいという気がするのです。それでやられてしまうのです。ですから、ほろびるのです。私たちがもう何を聞いて信じるかが重要です。 ・自分の後輩一人も熱心に勉強してソウル大学に入学しました。この子が、突然にソウル大を行くと、変わっていました。勉強もするのですが、デモもしていました。それまでは分かります。社会を見た時に、学生たちはそのようにしたりもするでしょう。しかし、驚くことがありました。休みの時、この子に会って話すのに、共産主義が正しいと言うのです。なぜそのように変わったかというと、正しいと言うのでした。それから、金日成をほめて、その人が正しいと言うのでした。‘この子が本当に変になったんだなあ'と思いました。それがなぜそんなによかったかと言ったら、どこかに行ってずっとその話を聞いたのでした。多分、大学生が集まったところに行って、金日成に対する良い話、共産主義に対することをずっと聞いたようでした。それで、この子が変わってしまったのです。昔には、私の話をとてもよく聞いたのでしたが、私の話も聞かなくて、自分のお父さんの話も聞かなくて、何の話も聞きませんでした。今はどうなったのか知らないのですが、学校でも勉強もできなくて、就職も正しくできなくなりました。過ぎ去った日の一つの経験といえば良いのですが、この子に霊的問題まできたのです。何の話なのかを理解しなければなりません。 ・大人たち、霊的問題を持った人々、色々な種類の人々がいます。皆さんがみことばだけ正しく聞いてしまえば、働きが起きます。人間は、人の話を聞いたり、悪い霊の話を聞けば、ほろびるのですが、影響がくるようになっています。皆さんが神様のみことばを詳しく聞く時、一つだけを参考にしましょう。私のものがあるから入ってこないから、それだけ変わってしまえば、すぐに働きが起きます。人を見れば、顔を見れば職業が何かあらまし分かるでしょう。あの人は先生のようだ。顔を見れば感じがあります。あの人はジャーナリストなのかという感じがします。あの人を見ると、ちょっと音楽する人のような感じがします。それが何かというと、入ったのが積もっているのです。良いのもあって悪いのもあります。もし、これを神様のみことばに変えたら、みわざが起きます。それで、皆さんがこの部分がみな間違っているということでなく、本当に神様のみことばで受けたらみわざが起きます。 ・40年の間、勉強をし終えたから、エジプトに勝つことができないということを分かったのです。その人がモーセです。エジプトをとてもよく分かるからそう思ったのです。絶対に勝てない。それで、私はここから出て行って、苦労しても出て行く、それだけ思ったのでした。それで、神様がモーセにイスラエル民族に連れて出て行きなさいと言われた時、できないと言いました。‘それは絶対だめです。パロ王は誰でしょうか?私は誰でしょう? 私は年もとっていて、言葉も知らず、力もなくて何の背景もありません。'その話は間違いありません。エジプトをとてもよく知っていたのですが、それが正しかったのですが、モーセの考えでした。そのようなある日の夜でした。神様がモーセを召して行かれようとされました。それでは、どうなるでしょうか。人は、死にあえば考えが変わります。その時から、モーセの考えが変わったのです。‘私がイスラエル民族を連れて出て行きます。私が神様のみことばを捕まえて、イスラエル民族を連れて出て行きます。'言わば、モーセの考えの中に神様のみことばが入ったのです。 ・その時から、モーセの経験も生き返って、奇跡が起こったのです。ある人はジャーナリスト、政治家、教育者ですが、その中にみことばだけ入れば生きるのです。今日、ひょっとしてそれのためにみことばが入らないこともあります。それでは損になります。礼拝という意味はそのようなことです。今日、長老どうし食事をして、良い話が出れば心がうれしいでしょう。それで、私たちが良い恵み深い話をします。それで、気が合うのです。それで対話も通じます。そのときは、私の心にある中心を話します。長老も心の中心にある話をします。このように通じるのです。神様のみことばを私たちがわかって受ければ、神様が良い計画を私たちにどんどん悟るようにされます。人々が何も知らなくて、説教を聞いてみことば聞くのに、そうなると思うのにそうではないのです。成長している子どもたちの中に、ある考え一つだけ入ってしまえば、それが一生を動かします。 ・ある子どもは、ゲームしておもしろいという気がしたのです。それは誰でも持てるのですが、それがこの子の考えを変えたのです。3日間、ゲームをして死にました。人はそのようになります。このみことばが入れば、どうなるということを私たちがよく知っています。今日、インターネットで全世界にあるすべての方、遠くいますが、神様のみことばをよく聞かなければなりません。今日、私たちはそれならいくつかのことを考えなければなりません。最初が何でしょうか? 本当にみことばが成就するのか? 神様に質問を正しくして、答えられなければならないでしょう。正確に話せば、皆さんの言葉も成就します。違うように成就して、問題くるのですが、神様のみことばはまちがいなく成就します。フィニクス・ノアという人がいます。その人が未信者なのに本を一つ書きました。‘黙示録の大予言'という本を書きました。本を私がなくしてしまいました。 ・今、全国世界にメッセージを聞いているけれど、このお願いをしたいのです。私は不思議に、釜山(プサン)に私の家に行けば、私の家も大きくて良いのです。徳平に行けば、私の家は大きくて良いです。事務室に行くと、事務室も大きくて良いのです。ソウル事務室も良いです。しかし、一つが言えません。私が安らかに資料を探して置く場所がありません。これも、部屋を何そのように大きくするかという考えを持っているようですが、私にはものすごく狭苦しいのです。誰も手を付けることができず、資料をいつでも探して見ることができなければなりません。これ一つが、人を生かす事もでき、変えることもできます。それができるだけのところがありません。それで本を1/3持っていてなくしました。家に帰っても、みな私の本だけ置いたり、資料だけ置くことができないから、くくって屋上に置いて1/3をまたなくしてしまいました。ここも見ると、本何冊を置いておく所がありません。だめなだと思って、私が本をみな図書館に寄贈すべきだと考えて、残ったものを図書館に寄贈したのです。説教する時、参考にした本が、みなどこへ行ったのかわかりません。今、大学生がインターネットで探しても探せないということです。インターネットも人が作ることであるから、限界があるでしょう。私が大学生の時、道を通りながら‘誰も教えてくれない人生'という本を買いました。題名がとても良くて、買って読んでみました。何が違ったことではなく、今まで生きてきた重要な人物の隠された話を書いてありました。 ・私はそれを見てアインシュタインがとても勉強したくなかった幼い時を読みました。アインシュタインは、大学に入る前に高等学校で正しく勉強できなかったのです。勉強をしたくなかったそうです。そのようなことがあるのを見ました。‘本当に良い本だ。'と考えたのです。今でもなくしたのですが、‘黙示録の大予言'という本を書いたのです。その人の名前がフィニクス・ノアです。韓国語で翻訳されました。私はその本を読んでびっくりしたのです。聖書に預言されたことが、歴史にどのように起きたのか、本一冊を書いたのでした。私たちの教会で説教するくらいのことではなく、とても正確でした。それと共に、黙示録を中心に黙示録に預言されたのが、どのように成就したかを科学的に抜き取っていました。私はその本を見て、すばらしい、という気がしたのです。聖書を見れば、信仰の重要な人物に神様がおっしゃられたことがみな成就しました。預言書の中には大預言書、小預言書があります。他の言葉ではなくて、大預言書には、イスラエルが滅亡する大きい事件を預言したのでした。そして、小預言書からは各々小さい辺境の国々に起きることをみな預言されています。驚くべきことには、そのまま成就しました。本当に不思議に思うことです。 ・今でもトルコのエペソ地域には教会がないということでしょう。なぜなら、その地域を見て燭台を移すと言われたからです。この神様のみことばがどれくらい正確なのか、凄じいほど正確です。ですから、エルサレム神殿で石の上に石一つ残らないと言われた話は、みな崩れるという言葉です。ある日、突然崩れたのです。その時が、AD70年ではないでしょうか? まだ回復できません。驚くことです。世界で一番金持ちの国がどこでしょうか? イスラエルではないでしょうか? まだ回復できずにいます。イスラエルは、皆さんがおわかりの通り、米国のニューヨーク土地の40%を持っています。米国にある弁護士30%がユダヤ人です。世界を掌握したということです。それでも、ホロコーストのようなものを作り出して、まだ回復できずにいます。ホロコーストというものは、ワシントンにユダヤ人記念館を作って、全世界の人々を見るようにさせたのです。その程度で強大なユダヤ人です。神殿回復を出来ずにいます。聖書にそうなっています。回復できないと言われました。回復する日は終わる日と言われました。これぐらい、神様のみことばが正確です。恐ろしいほどです。主がすべての民族に福音が宣べ伝えられた後に、終わりが来ると言われました。 ・それでは今日、私たちが二番目に考えなければならない部分です。この神様のみことばは、聞きさえすれば生かされるのですが、どのように聞かなければならないかということです。それが今日の本文に記録されています。皆さんが、今日、これは誰でもできるのです。10〜11節に見ると、心にたくわえなさいと言われています。10節を見ましょう‘私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。'心を尽くして尋ね求めたと言われています。また11節‘あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。'神様のみことばを、今、どこに置かなければならないのでしょうか。心にたくわえなければなりません。心を尽くして尋ね求めたと言われています。それなら、みことばの働きが起きます。なぜ心にたくわえなければならないのでしょうか? 皆さんが理解しようとすれば、理解をみなできません。ですから心にたくわえなさいと言われたのです。どんな事でも本当に始める時には、心にたくわえなければなりません。皆さんが知ってみれば、起きたことを見れば、みな心にたくわえたことがなりました。私たちが金を借りても子どもには勉強をさせます。それはあることを心にたくわえたからです。私の子どもは、勉強させるべきだということが心にあるためです。 ・皆さんが今、おきていることは心から始まるのです。ある意味で、葛藤も、心から始まります。‘暑いので、教会に行きたくない。'それが心です。‘それでもメッセージも聞かなければならず、また教会に行かないならば、ひょっとして罰を受けたら、どうするか'ということは考えです。教会も一度、休んでみても大丈夫だ。それでも、神様の民なので、行かなければならないということは考えです。それでも行きたくない。それは心です。どちらが、さらにやさしいでしょうか? 行くことより行かないのがさらにやさしいのです。なぜなら、心がそうであるためです。時間がない、勉強もすべきだ、これは考えです。しかし、釣りがしたい。それも考えですが、心です。それで、釣り行くのです。私たちは心にたくわえたことがなるのです。私たちは色々な考え、多くのものがあるのですが、私たちの心の中に含まれたもので働きが起きることが明らかだから、みことばを心に入れなさいというのです。前に話をしたことがあります。 ・神様のみことばは、すべての人が分かるものがあります。しかし、救われた者だけが分かることがあります。教会にいくら通っても、救いわれなかった人々には理解できない部分があります。主イエスのあがないの血で、主の血で、こういうものは、救われない人は、何でそうだろうと言うでしょう。女が男の子を産んだということは、単にそうなのかと言うでしょう。十字架の力でサタンの勢力をうち砕くという時には、救われた者は、すばらしいと感じられます。救われなかった人が聞く時は、それほど思いません。心に入ってこないのです。しかし、救われた者も理解できない部分があります。これが神様のみことばです。それなら、神様のみことばを私たちの頭に入れることはできません。心に入れましょう。それで、働きが起きるのです。それで、今日、皆さんが今日、説教を聞きながら心に入れれば良いのです。それで充分です。それで、今週には、このみことばを捕まえて、このように祈らなければならない。このようにすれば、良いのです。私が今週には、このみことばを捕まえて、こういう小さい実践をしてみなければならない。こうすれば良いのです。皆さんが、みことばを覚えて通うのは難しいことです。それが可能な人は、ご飯を食べて横になって眠れる人のほかは、不可能なのです。長老や執事は忙しくて、明日から走るべきなで、どのようにみことばをいつも捕まえていることができるでしょうか? どのように、学生たち、事業する方たちが、明日の夜明けに出てきて捕まえて黙想するのは難しいことであって、実際には可能なことではありません。皆さんがそのようにするのは、神様が願われてもいないのです。 ・それでは、みことばをどのようにするのでしょうか? 今日、皆さんがみことばを心に入れるだけでも、少しだけ思っても働きが起きます。それでは、その次ににはどんなことが起きるのでしょうか? 15節に見ると、主の戒めを黙想するということがあります。ダビデのような人が証人です。実際に、この祝福を受けるには簡単なことに、みことばを心に入れて少しだけ黙想すれば良いのです。そのようなことがあるのかと言うでしょうか? そうではありません。皆さんが知らないからそうであって、ムダン(霊媒師)に一時間だけ話を聞いてみなさい。皆さんの家、子ども、すぐ悪い霊が働きます。それだけ言葉は怖いのです。皆さんが自殺する人々の話を聞いてみてください。自殺したくなります。皆さんが神様のみことばを心に入れて、それを少しだけ思いながら祈れば、それが黙想です。それで、ダビデがみことばを捕まえて黙想をよくする中に、多くの試みが出てきて、すばらしいことが出てきたのです。14〜16節にこういう話をしました。 ・皆さんが三番目に記憶しなければならないのです。‘主のさとしの道を、楽しんでいます。'これが何の話なのでしょうか? 14節を見ましょう。‘私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。'とても重要な言葉です。皆さんがお金ができればどうでしょうか? 楽しいではないでしょうか? みことばがそのように楽しくなければなりません。本当に分かればそうなるでしょう。皆さんが、ここに座っていることがどれくらい大きい祝福かと思えば楽しいのです。祈りもすべきだ、というより、祈りが楽しくなければなりません。ここに学生たちがいます。勉強が良くできなければ、勉強が楽しい方向に向けて行かなければなりません。どのようにするのが楽しいかを探さなければならないのです。勉強がしたくなければ、おもしろいことからしなければなりません。私が知っている子どもの一人は、ずっと歌だけ聞きます。しかし、勉強ができなかったのです。それで、私がその子に言いました。‘あなたが耳にいつも歌を聞くから、英語のポップソングを一度聞いてみなさい。それで意味が何かを探してみれば、すばらしい助けになる'本当に、この子が1年後に英語がすばらしくできる人になりました。この前、テレビに出ていました。米国に全く行っていない小学生が、英語をとてもよくできるのです。どこかの塾で習ったのではありません。米国人に習ったのでもありません。自分のお母さんに習ったのでした。それでは、お母さんが英語が上手だったのでしょうか? それでもありません。不思議なことではないでしょうか? だから、記者が行って尋ねました。どのように教えたかと尋ねたところ、そのお母さんが簡単に答えたということです。‘この子があまりにもに遊びが好きだったので、遊ぶ英語をみな持ってきた。それで、この子にそれで遊ぶようにした。ご飯も食べないで遊ぶほどとてもよく遊んで、すぐ英語をみな習った。' ・それで、米国人にこの子と通訳を付けたが、とても流ちょうに英語を話しました。勉強もそうで、仕事もそうで、楽しみがなければなりません。私が今、教会に座って、一日中礼拝して、対話することが、とても楽しいことということを捜し出さなければなりません。宝を喜ぶように、みことばを喜びましょう。今日の14節の表現が‘私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。' 16節を見ましょう‘私は、あなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません。'前に話しました。もし、インマヌエル教会で、聖日礼拝をささげる人には無条件に十万円ずつあげると言えばどうなるでしょうか? 私たちの長老が並んでいて、皆さんが礼拝を終えて出て行く時に、十万円ずつ渡せばどうなるでしょうか? ひとまず、いくつかの異変が起きるでしょう。朝の祈りから満杯になるでしょう。そして、釜山(プサン)駅、各種の駅にいる乞食がみな集まるでしょ。礼拝を一度ささげれば良いからです。多分、聖日5〜7部まで継続しなければならないのではないかと思います。しかし、共通点があります。乞食が来ても、誰が来ても、共通点があります。ここにきて礼拝をささげるのがとても楽しいでしょう。お金ができるからです。後ほどには、変なことが行われるでしょう。しかし、私はそのように考えません。 ・礼拝を一度ささげる時ごとに、十万円程度ではなく、ものすごい祝福を受けるのです。実際に、皆さんがそうで、私がそうで、悟った答えがそうです。証拠を出してみましょう。このみことばがどれだけ祝福になるでしょうか? 教役者何人かが集まって核心をしました。核心という言葉は、あなた方はこの教会で核心メンバーだから、集まったので、核心です。地下35坪のそばの食堂の部屋で集まったのです。それが、全国、世界でどれだけ広がったかというと、ソウルの核心には2時間前から人々がきて列を成しています。そこで出てきたメッセージや祈りの答えや献金、世界宣教がものすごく行われています。これくらい、みことばが重要なのです。のがす人が愚かであって、のがしてはなりません。35坪地下に入りながら、こういう話をしました。‘私たちの教会は小さい教会ではだめだ。私たちが高められようということではない。私たちの教会の聖徒と私は、大きなことを起こそうということでもない。ここに訓練を受けに来る人がいる。こういう人々を、よくすることができなくても、できるようには手助けしなければならないのではないか? それで、神様は訓練ができる教会堂をくださるだろう。'そのみことばを捕まえたのですが、私たちの教会だけでなく、全国の全地域で訓練場が作られました。 ・いよいよレムナント共同体訓練場が今、開始しました。ですから、神様がどのように答えをくださるのでしょうか? 一つや二つではありません。何人かが集まって勉強し始めたのが、全国、世界、今、伝道神学院と宣教師訓練院です。ですから、私が9年前にみことばを捕まえたのです。レムナント。その単語を捕まえたのです。イザヤ6章13節、これがどのように成就したでしょうか? 恐ろしいほどです。今回、名古屋に行って見た人々は分かるでしょう。どれくらい私たちのチームが苦労したか、学生たちが恵みを受けるところに気を遣って精神をおくのかわかりません。本当に驚くことです。私は幼い時、そんなことは思うこともできなかったのです。親が無理に教会だというので、無理に行っていたのに、今、子どもたちは、メッセージを受けようと大人たちよりがんばるのです。自分たちが集まって祈っています。レムナントの祈りを聞いてみてください。‘うちの父、私たちの牧師が福音を正しく悟るようにして下さい。'このように祈っています。完全に逆になりました。これくらいレムナントが成長しています。 ・私がその翌年に産業宣教というメッセージであるローマ16章のメッセージを捕まえました。私と関係ありません。神様がそのまま働かれました。これぐらいならば良いでしょう。みことばを正しく捕まえるということは、すばらしいみわざが起きるのです。さて、それでは今日三番目に考えなければならないことが、今でもそれでは成就しているのか? これが重要です。今でも成就しているのでしょうか? 神様のみことばが。これが、私たちが三番目にしなければならない質問です。皆さんは真に幸せです。今、ヨーロッパや米国のようなところでは、聖書は神様のみことばではないと教える所が多いのです。信じないのです。だから、死ぬのです。今、外国から来た方たちが、なぜここにおられるのでしょうか? あの方たちが、そこでは、いくらでもできるのに、みことばを信じないためです。実際に霊的に皆、死ぬのです。実際に、説教される方たちが、神様のみことばを持ってお手伝いするという確信がどれだけあるのでしょうか? 礼拝をささげる方たちが集まる時、神様が私たちにどんな祝福のみことばをくださるのか? に対する確信がどれだけあるのでしょうか? 双方の間にそのみことばがないならば、何の意味もありません。問い詰めるようになれば、聖書で神様で、私たちの存在自体が何の意味もありません。ですから、不信仰から破らなければならないのです。 ・それで、今日の本文の中には、すばらしい重要な原理が簡単にあります。皆さんが礼拝以前に、少しだけ心の門をあければ、とても大きい働きが起きます。ここには、私たちの学生たちもメッセージを聞いています。皆さんが少しだけ心の門をあければ‘私が本当に神様のみことばを受けて勉強しなければならないな。私が神様のみことばを正しく受けて、勉強して、親に恵みも返して、社会に献身しなければならない。'という決意をしても、働きが起きます。だから、どれくらい重要なのでしょうか? ですから、ロックフェラーのような人は、教会に一時間前にきて無条件に恵みを求めて祈ったということです。それだけでも良いのです。学生が勉強できるようになろうとするなら、課外も上手にすべきですが、それではありません。先生の説明だけよく聞いてもかまわないのです。勉強がよくできる学生は、学校に正しく通って、先生の言うことだけ正しく聞く学生です。同じ学校で優等生も、劣等生も、出てくるように、私たちが大きいことをしなくても、私たちが神様のみことばを心にだけ入れても、その時から始まるのです。ここにある黙想するという言葉は何でしょうか? ・このみことばだけをもって、少しだけ、皆さんが平日に祈ったら、すばらしくなるという言葉です。ここに、喜ぶという言葉が何でしょうか? 皆さんが現場に行って、この答えを起きるのを見るようになったら、それが喜びです。いや喜ぶほどではありません。どれくらい大きい祝福でしょうか? この祝福を皆さんが受けなければなりません。モニカが、自分の息子のためにどれくらい祈ったでしょうか? ある日、自分の息子に神様のみことばが臨みました。その息子が変化し始めたのですが、その人がアウグスティヌスです。これくらい、みことば入るのが重要です。幼い時、親がみことばを与えるのに、本当にみことばをもって勝利する人になれと言いました。それが心に入ったのです。 ・大きくなって、自分がしてみようとしたら、勇気が出なかったのです。しかし、事故がおきたのです。事故がおきて、友人二人は死んで、自分は生き残ったのです。自分に入ってきていたみことばが生き返ったのです。このようにして世界を変化させたのです。この人がマルチン・ルターです。どれくらい重要でしょうか? お父さんが早く亡くなって、息子が9人もいる家で貧しく暮らしていました。町内の人がきて、そのお母さんに、子どもたちを孤児院に送れと話したのです。そうすれば、飢えないで、勉強もできると話したのです。しかし、9人の兄弟が皆聞いたのです。その話を聞いて来たお母さんの手を握って9人の兄弟が私たちは、絶対にお母さんと一緒にいたいと言いました。食べないでも良いとお母さんと一緒にいると言ったのです。それなら、約束しなさい。あなたたちはいくら難しくても耐えて、神様のみことばを捕まえながらこの国を生かすように祈りなさい。これをそのまま心にたくわえたのです。そこにみわざが起きました。ムーディーです。皆さんおわかりの通り、D.L.ムーディーです。今まで、米国で最も影響力がある人物です。 ・皆さんの子どもの中にみことばが入ってしまえば働きが起きます。皆さんが今でも教会を生かして、家庭を生かして、この社会に必要な人になるべきだという決意をしても良いのです。これを心にたくわえて、時々思うのが黙想です。それで、教会に来て見れば、答えがきて、みことばを聞くと答えがきて、また現場に行けば、答えがくるから喜びなのです。こういうすばらしい原理があります。皆さんがみな過去を持っているでしょう。このみことばがどれくらい偉大でしょうか。先週の日曜日に電話がありました。私を探す電話が秘書にも、事務室にもきます。何の電話なのか聞いたところ、幼い時、私が通った教会の長老でした。私が幼い時に育った教会にいた長老が、私の消息を聞いて、とても会いたくて電話をしたのです。この方が伝道運動すること、学生たちが起きるのをすべて聞いたのです。幼い時から、私たちを祝福してくださって、講壇で祈った長老が今は年をとられたのです。私たちの村で、神様のみことばを聞いた家はたくさんありません。そして、神様のみことばを純真につかんだ家が、うちの母しかいなかったのです。他の人は、みな教会に通って止めました。しかし、唯一うちの母だけ、みことばを捕まえていたのです。 ・私たちがどれほど多くの祝福を受けたでしょうか? このみことばの力は目に見えないのですが、どれくらい大きいかわかりません。さらに重要なのが何でしょうか? 青年が何で行動をきよく保てるのでしょうか。神様のみことばで。言わば、私たちがどのように救われて、解決することができるのでしょうか? 福音のみことばで。皆さん必ず記憶しましょう。このみことばは、ある時には、私たちが困難にあう時にも、私たちを保護できて、通過させられます。ユダヤ人の迫害の中にも、みことばを捕まえた人々がみな勝利しました。皆さんがおわかりの通り、中世時代の時、みことば捕まえた人々が勝利しました。その例が米国です。皆さん18〜19Cの時、ウエスレイ、ムーディーこういう人々がみことば捕まえたのです。明日にあると、8・15光復節だと行事をよくするようです。みんな喜ばなければならないことです。 ・また、私たちは日本といろいろ祈りながら、考えもよくしなければなりません。ところで、さらに感謝することがあります。私たちの韓国が力がなかったから、日本に捕えられたのです。それで言葉も文字も使えないようにされました。そして私たちの民族を抹殺しようとしたのです。ところで最後にしたことがあります。最後にしたのが、通常のことではありません。最後にしたのが、日本の神社を作ってお辞儀をするようにさせたのです。今、小泉首相が行く神社参拝の話です。それは大きな理由があるのです。それを教会まで作ったのです。教会堂にもそれを作っておいて、お辞儀をしなさいと言いました。ところで、少し聞くのはいやな話ですが、国会議員と、王までもそこに参加したのです。さらに聞くのがいやですが、すべての宗教がみな参加しました。キリスト教だけしなかったのです。それが最後の戦いでした。クリスチャンの中でも、恐れた人々はしました。 ・正しい福音を持った人々はしなかったのです。そこで代表的な人物がチュ・キチョル、チュ・ナンソン、ソン・ヤンウォンのような方たちです。こうする方々がしなかったのです。なぜしなかったのでしょうか。神社を作ってそこにお辞儀をするのは犯罪行為だ。私たちはできない。死んでもできないといったので、イエスを信じる人々をたくさん捕まえて閉じ込めました。多くの困難を加えたのですが、それを防ぐことができなかったのです。解放されて、日本が崩れたのです。それが60年前に起きた8・15です。皆さんが事実はよく知らないからであるのですが、一番最後の戦いを誰がしたかというと、偶像に反対する神様の人々です。 ・一般の人々はよく知りません。一般の人々は、よく知らなくて、単に日本に対する抗議だけをするのですが、私たちは偶像崇拝に対していのちをかけました。特に女の方の中では、釜山(プサン)、慶尚南道(キョンサンナムド)にいたチェ・ドクチという方はさらに強くしたのです。教会に神社を作ってお辞儀をさせるのは偶像崇拝です。それは話す必要もない。日本は偶像崇拝をしたのでなく、作ったこと自体がそうだ。とても強く出たので、この女の人を捕まえて刑務所に入れました。それで殺すと告げたのです。しかし、さらに笑わせるのは、記録には、この方が一日に4回ずつ礼拝をささげたのです。賛美して祈るから、日本人が賛美するなと、口にぞうきんで防いだりしました。それでも、一日に4度もしたのです。口にぞうきんを防いでおいたのですが、精神異常1人の女性がきては、礼拝時間だけなれば、ぞうきんを抜いて行ってくれたということです。それで、この女を殺すと告げて、殺すことができなくて解放されたのです。日本が負けたのです。こういう霊的なすばらしいことがあります。 ・首相が、今でも神社にお辞儀をしに行くというのは、大きな意味があるのです。結局は、みことばが勝ちます。結局は、このみことばをもっている人々が勝利します。時々、困難はありますが、結局は、勝利するのです。今日、この若い人と、学生たちは記憶しなければなりません。心にだけたくわえれば良いのです。私は正しい聖徒として、子どもとして、社会人として福音を伝えるために生きる。私は福音のために、私の家庭を生かして、私の親に親孝行して、国家のために仕事をして、世界福音化する。これを心にたくわえれば良いのです。それを置いて時間があるまま祈れば良いのです。それが黙想です。今日、見ると、心にたくさえて黙想しなさいとあります。これを無理にするのではありません。喜んで、どれくらい恐ろしいことなのでしょうか? ・今日、皆さんがこのみことばだけ捕まえても、多くの答えが始まるでしょう。私たちは知らずにのがすのです。答えられていく答えをのがさずに、捕まえられるように願います。それで、皆さんがみことばが成就する祝福が個人と家に必ずあるようになることをイエスの御名でお祈りします。 ・私たちのそばに人々に祝福して、神様のみことばが皆さんの家庭、個人にあることを祈りますと言いましょう。特にもう一度祝福して、神様の契約が皆さんの子どもの心にたくわえられることを望みます。 <<契約祈り>> 神様に感謝します。みことばが私たちの子ども、また、困難にあっている者に臨んで、勝利するようになりながら、今日、真の祝福を受ける開始の日になるようにして下さい。イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン |