2005年08月21日インマヌエル教会メッセージ


1部/子ども達を止めてはなりません
(ルカ18:15〜17)

■今日、私たちにみことばを通して全世界の家族に神様の祝福があることを希望します。特に、衛星で、インターネットでみことば受ける使命者が多くいます。またスケジュールのために連続してソウルには行くことができないようになりました。今、蔚山(ウルサン)ではほとんど1年中、ずっと衛星で礼拝をささげています。それでも、伝道運動して、多く成長しています。今日、イエス様が子どもがわたしのところに来るのを止めてはなりませんと言われました。いくら親しい友人だといっても、話をしばしば違うように伝達すれば、友人になれません。皆さんが、いくら愛する家族だといっても、しきりに問題を起こせば、人は誰でも嫌いになります。常に他人の話も良い点を伝達して、人を生かす人がいます。そして、可能ならば誤解される言葉をいって、他の人を葛藤するようにさせる人がいます。そのような人をトラブルメーカー(Trouble maker)と言います。可能ならば、他の人に良い側を話して、他の人が一緒に行くようにさせる人がいます。私たちがそのような人をピースメーカー(Peace maker)と言います。それよりさらに重要なのは、人が対話をしても、対話が通じなければならないのです。
■そうだとすれば、私たちが重要な知らせを聞く時にも、正確に伝えてあげて、聞かなければなりません。私には手紙がたくさん来ます。手紙がくるのは必ず理由があるでしょう。‘私が牧師先生に手紙を送らなければならない。この内容を送らなければならない。’とする理由があります。ところで、手紙をよく書く人は、その理由をよく明らかにするでしょう。さらに重要なのは、読む私が、何のために手紙を送ってきたのか理由を分かるでしょう。しかし、それを知らずに、他の言葉に気を遣って読んだら、手紙を誤って読むことになります。単に挨拶するために‘尊敬する柳先生’といったことに、尊敬に丸印をして、いつも読み返せば、それはちょっとおかしな人です。また、ある人は‘尊敬して愛する柳先生に’と送ってきます。それはあいさつです。その手紙の中にはする話があります。しかし、それはみななくして‘愛する’に真っ赤な線を引いけば、手紙をよく読めないのです。今、私が何か話をしようとするのでしょうか? 信仰生活の一番重要な部分が何でしょうか? みことばをどのように受けるかということです。これより重要なことはありません。私たちが手紙も違うように受ければ、何の意味がないように、みことばを違うように受ければ、何の意味もありません。それでは、ほとんど祈りの答えを受けられないのです。それで、旧約時代の約束が何なのか、メシヤを見られなかったことです。それで、失敗が反復されたのです。新約時代の弱点が何でしょうか? メシヤ、キリストがきたのに知らないことです。
■そうしたら、より大きい困難にあうようになるのです。信仰生活の一番重要な部分がこの部分です。それで、皆さんが聖書のみことばで正しく答えを受けようとするなら、聖書を見る時にもイエス様とその人の出会いをよく見なければなりません。例えば、イエス様とパリサイ人の対話が出てきます。対話の内容も重要ですが、それよりさらに重要なことがあります。誰と誰の対話であるかが、さらに重要です。それをのがしてしまえば、みなのがすことになります。それでは、イエス様が今日、子どもを止めてはいけませんと言われました。それなら、とても重要なことになります。子どもは誰で、イエス様は誰でしょうか? こういう問題になります。それで、私たちは聖書を読む時や、信仰生活をする時、こういう部分をのがせば、ほとんど答えを受けられません。それなら、皆さんの最も大きい恵みが何でしょうか? イエス・キリストの関する祝福を受けるのが、最も重要な恵みになるのです。この言葉を正しくわかった人がいます。パウロがこういう話をしました。‘確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。’それが何の話かというと、旧約時代は影だけ見たのですが、もう来られたということです。
■パリサイ人は、全部、形式だけ、法だけ捕まえていたのですが、真のキリストが来られたのです。それで、恵みを受けるべき時で、救いの日だと言いました。どれくらい重要な話なのでしょうか。イエス様が病人に‘あなたの信仰のとおりになるように。’そこにみわざが起きました。それは、その部分だけ見てはいけません。いったい誰がそう言って、その病人は誰に会ったのか? 病気が良くなったことは問題ではありません。誰が病気を良くなるようにしたのか? これがとても重要なのです。未亡人が子どもを育てていたのに、その子が死にました。どれくらい残念でしょうか。その時、イエス様が過ぎ去って見られたのです。何の動機も理由もないのに、その葬儀の行列の前に歩みを止められました。その家のすべての悲しみが一時に解決されました。長血の女がきて、イエス様すそを捕まえたが病気が治ったのです。それをどのように良くなったのか、このように尋ねれば、すでに質問が違います。いったい長血になった女は誰で、すそをつかんだが、その方は誰なのか? これが重要なのです。それのために、今日、皆さんがここに来たのです。それなら、ペテロのように‘ナザレのイエスの名前で起きて歩きなさい。’という話が何の話だかわかるようになります。こういう祝福を皆さんが受けられます。ですから聖書を出して、勝手に解釈して思い通りに見るからだめなので、聖書を正しく知ってしまえば、すぐに答えが始まります。
■お父さんと息子と対話をしても、とても子どもがわからなければ、お父さんは子どもに深く話をしません。愛する息子が、私のお父さんの心と意味をとてもよくわかれば、私が持っているものを皆上げるのです。金持ちの財閥は、同じように分けてくれません。同じように分けてあげると思うなら、それは錯覚です。話がわかった通り、分けてやります。そうではないでしょうか? 話の理解もできない息子に財産をものすごく与えて、わかる息子に少ししか与えないならば問題がきます。それは、財産以前に、社会が維持できません。信仰生活も全く同じです。私たちが、みことばを正しくわかれば、その時から答えが始まるのです。百人隊長がどれくらいよくわかったのか、私のしもべが死にそうだと言いました。とても切実に話したので、イエス様が‘それでは私があなたの家に行く。’言われたら、何と言ったでしょうか。‘おいでになる必要がありません。私も百人隊長ですが、私が命令をすれば百人が私の話を聞きます。みことばだけ下さい。’イエス様がびっくりされました。‘私がイスラエルにこれほどの信仰を見たことがない。’その話は、イエス様を褒め称えてあげたから、イエス様が気持ち良いという言葉ではありません。この百人隊長が、イエス様を認めたのです。ですから‘あなたの信仰のとおりになるように。’その時に、召使いが良くなったのです。これを皆さんがよく理解してこそ、今日のこの席が祝福の席になるのです。
■それでは、インターネットでみことば受けても働きが起きるのです。全国で、衛星でみことばを受けても、これは私と関係なく、神様のみことばが働くのです。私たちが会社どうしで契約をしても、話を互いにわからなければ、仕事にならないのです。例えば、一方がだましたとすれば問題がきます。それでは、契約する社長どうし、話と心と意味が通じてこそ、物事がなるのです。それで、それだけ正しくわかったら、その時間から仕事は成し遂げられ始めるのです。祈りの答えも全く同じです。ある人は、みことばと関係なく、とても体験だけ強調して、後ほどは何の実もなくなるのです。ある人は、熱心に信じるように見られるのですが、純粋に自己中心で信じて崩れるのです。どれくらい簡単でしょうか? 神様のみことばだけがわかったら、そのまま働きが起きるのです。子どもたちを連れてきたら、弟子たちが防いだのです。するとイエス様が‘子どもたちがわたしのところに来るのを止めてはなりません。そして、天国はこの子どもたちのものです。子どものようにならなければ、天国に入れません。’
■ここには多くの解釈がありますが、簡単に三つの重要な解釈ができます。解釈する以前に、神様の国が臨んで、神様の国に入れるならば、すべての問題が解決されるのです。私たちが神様の国に行けるということが確実ならば、いつ死んでもかまいません。それで、この世に生きる間に地獄のように生きてはなりません。神様の国が臨んだら、まさにそれが答えです。それでイエス様が一番初めに言われた言葉が何でしょうか? バプテスマのヨハネが一番初めてにした話と同じです。‘悔い改めなさい。天国が近づいた。’神様の国が近くにきた。それで、イエス様が弟子たちを派遣しながらなさったみことばが何でしょうか? ‘神様の国が臨んだと言いなさい。’イエス様が主の祈りを教えられた時、何を祈りなさいと言われたのでしょうか? 他の心配する必要がない。心配することは何もない。神様の国が臨むように祈りなさい。そうだったではないでしょうか? イエス様が復活された後、昇天の直前、40日間、神様の国に対して説明されました。パウロが宣教に成功した秘密の中の一つが、神様の国に対して大胆に話したことです。皆さんに神様の国が臨んだら、すべての答えをみな受けたのです。神様の国に行くということは、すべての保障をみな受けたのです。
■それなら、今日、ここでとても重要な3つのことを発見しなければなりません。子どのようにならなければという以前に、弟子たちが子どもたちを来ないようにと言ったのです。祈りの答えを受けられないのは、多くの原因がありますが、ここでも多くのことを捜し出せます。私たちが雲をつかむようならば、失敗します。人が雲をつかむようならば、失敗します。それでは、キム・ヨンガン長老が役員会に来て、自分がこれからサッカー選手になる、このような形に出てくればちょっと困ります。突然、私たちのカン勧士が、自分はゴルフ選手になるといえば困ります。それがどれくらい雲をつかむようなものでしょうか。人々は雲をつかむように、現実的でないので、失敗するのです。それよりもさらに怖い失敗があります。違ったこと、過ぎ去ったことを捕まえて行くことです。これはさらに怖いのです。違ったことなのに、それを正しいと持っているのです。子どもたちは、来ないように。それが、昔の間違った思想で、宗教です。昔に、薬売りが子どもたちが集まったら、子どもたちにはお金がないから、子どもはあっちに行きなさいと言いました。言わば、そのような脈絡です。私たちが信仰生活の最も大きい失敗は、過ぎ去ったこと、違ったことを正しいと主張することです。
■言わば、過ぎ去った枠組みにみな縛られているのです。これ一つだけ正しく悟ってしまっても、答えを受けます。雲をつかむようなことではありません。本当に雲をつかむような人が多いのです。私たちが人に会って、牧師が一番話すのが難しいのが何だと思うでしょうか? ‘あなたこれから失敗するだろう。’が言えないのです。確かに私が見て、失敗すると思うのですが、それが言えないのです。できません。開始は弱くても、後の日は大きくなるだろう。というようなみことばをしてきます。しかし、中では違うのです。おもに見れば、雲をつかむようなのです。計画も言葉も、みな現実的ではありません。それではだめになります。いくら積極的な考え方でもだめなのです。これよりさらに怖いのが、ぎゅっと閉じられたことです。本当にそれ見れば苦しいのです。みな閉じられてしまっているのです。韓国の政治を見ると、一の党はずっとたわごとを言って、一党は何もしません。若い子どもたちは何もしないでと言うよりは、たわごとするほうが好きです。だから雲をつかむようなのと、閉じられたことは怖いのです。神様が途方もない祝福を作っておかれたのですが、私の考えをもって決めるのです。この弟子たちの考えでは、子どもたちは必要ないと思ったのです。これが本来持った思想と宗教です。私たちは、この部分をよく悟らなければなりません。もう一つ考えなければならない部分があります。弟子たちと集まった人々に、イエス様が神様の国は子どもたちのものだと言われました。よくみて見れば、変な言葉です。イエス様を信じて救われなければならないので、何で子どもなのでしょうか?
■これを持って、カトリックで主張するのは、子どもたちは地獄に行かないということです。イエス様が神様の国は子どものものだと言われた。だから、子どもたちが死んだら、地獄に行くのだろうか?こういう主張をします。イエス様みことばはそれではありません。すごいと思うのです。本当に、私が立派だと思うのです。そのようなパリサイ人が救われることができるだろうか。この神様の国は、あなたのような人のものではなくて、子どものものだ。出世しようと集まってくる弟子のような、そんなことが神様の国ではない。人々が駆せ参じるから、弟子が高ぶったのです。子どもたちはあちらに行けと言いました。これが、私たちの牧師らが犯しやすい罪です。ですから、神様の国はこういう子どもたちのものです。その言葉は‘大きいと思うあなたたちのものではない。それでは、神様の国を持つことも、入ることもできない。’ということです。
■私は、とても金持ちが集まった教会にいたことがあります。大いに違いました。金持ちは、私が見るには、金持ちなるしかないなということをたくさん感じました。本当に正確で、計算もはやかったのです。ある長老一人は、その週に全国、全世界の銀行の利子をみな覚えていました。度々変わるのに、今週のものを皆知っていたのです。それで、この人たちは、単にお金を儲けるのではないなということを感じました。そして、役員達は、ほとんどソウル大出身で構成されていました。本当に賢くて、相談するのを見ても、習うことが多かったのです。しかし、問題は、その方たちがそのように考えていたのです。私たちはすばらしいと思っていたのです。しかし、不思議なことに、教会が復興できません。教会が復興できないこと、世間ずれしていることは良いのですが、子どもたちに信仰が入らないのです。残念なのは、長老の息子、娘が、教会に来て帰って、午後には全市内で歩き回りながら、信仰生活は一つもしないのです。これが問題です。それで、その教会にいたあとで、他の教会に行くようになりました。
■その方たちが、がどう思ったのかは知りませんが、私を講師で呼びました。どのようにすれば復興するかと尋ねたのです。単に色々な話をしました。私が仕えていた方たちですから話をしました。終わりくらいに、こういう冗談を言いました。とても完ぺきで、聖霊が働く余裕がないと言いました。本当に完ぺきだったが、教会はだめでしきりに紛争に捕われて、子どもたちが死にかかっていたのでした。そこに小、中高生、大学生で、信仰が正しく育つ子どもは1人もいませんでした。私はびっくりしました。このような形で行くから、韓国教会は、戦うしかはないでしょう。これで、どのように世の中を救えるでしょうか? 賢いと思う、それが問題です。それで '神様の国は、あなたのものではなくて、子どものものだ' と言われたのです。もう一つ記憶しなければなりません。子どものようにならなければ、天国に入れません。天国は子どものもので、子どものようにならなければ、天国に入れません。
■英語ではchildishという言葉は、とても幼稚で分別がない子どものようだという言葉ですが、英語の聖書ではchildlikeという単語を使っています。本当に幼い子どものように純真だという言葉です。100%神様を完全に信じなさい。キリストに会って、完全に信じなさいという言葉です。そこで、みわざが始まって、神様の国が臨んで、神様の国に入れるという言葉です。私たちは完全に行えません。しかし、完全に信じることはできます。私たちは完ぺきに行動できないのですが、信じることはできます。これが重要で、それで、今日、皆さんが祈りの答えを受ける重要な奥義です。私たちが会ったキリストは完全な方です。皆さんが、葛藤がきた時、どのように解決すれば良いでしょうか? 完全に信じれば良いのです。何でもないようでも、その時から、すばらしいことが始まります。皆さんが神様のみことばをよく聞きながら、皆さんの人生を祝福に新しく変えなければなりません。アブラハムがガルテヤから離れてきたのですが、いくら考えても、信じられなかったのです。乳と蜜が流れると言われたのに、行ってみたら乳と蜜が流れる所は飢饉になりました。祝福の地に送ると言われたので来てみたら、全部、土地が石畑です。それも小さい土地が石畑で、70%が山です。喉が渇いて死にそうなのに、土地を耕しても水も出て来ません。ここで飢えて死ねと言われた気がしたのです。それがアブラハムの考えです。間違った考えではありません。そうしたら、アブラハムの胸の中に神様の約束が信じられなくなったのです。これでエジプトに行き来して多くの苦難にあいました。ある日、アブラハムが悟るようになったのです。私が神様を信じないんだな。私が100%神様を信じなければならない。それで、おいに譲歩をして祈り始めたのです。その時、神様がこのようにおっしゃられました。アブラハム、あなたは目を聞いて、東西南北を見なさい。あなたが見ているものをあなたの子孫と、あなたのものとして永遠に与える。縦と横で歩きなさい。あなたが踏む所を、あなたに与える。それと共に何と話されたのでしょうか。わたしがあなたの盾で、わたしがあなたの神だ。アブラハムが、その恵みを受けて、その時から、ずっと働きが起き始めたのです。
■ヤコブがずっと信じられないで、嘘をついていたのですが、いつも嘘でやられていました。ある日、神様があなたの名前はヤコブではなく、イスラエルとしなさいと言われました。家に問題が起きたのですが、ヤコブがベテルに上がりました。昔に恵みを受けた所です。皆さん、何でもないように見られるのですが、信じる時に働きが起きます。神様のみことばは、生きているみことばで、神様は今、聖霊で働かれるから、信じる時、働きが起きるのです。キリストに会った事実がどれくらい重要なことか知って信じる時、働きが起き始めます。目に見られないサタンは、皆さんを攻撃するのですが、いつ攻撃するかというと、信じることがない時に攻撃するのです。それを分からなければなりません。この呪いと暗闇の勢力は、いつ入ってくるのでしょうか。皆さんが不信仰になる時、忍びこんでくるのです。私たちはでたらめに信じるという話になりません。キリストがこの世に来られて、神様のみことばを与えられたのですが、これがいったい何でしょうか。どれ程ならば、イエス様が子どものように信じなさいと言われたのでしょうか。とても重要なのです。今日、皆さんが本当に答えを受けられます。
■私は初めに伝道運動を始めた時から、今まで、途中で困難がきました。一番初めの困難が何かというと、未来が見られないことでした。これは普通の困難ではありません。私がどこへ行くべきか、どのようにすべきか、それがわからなかったのです。私たちの教会は、本当に良い教会です。ある教会は行ってみれば、どれくらい戦うのか、副教役者がどのように対応しなければならないかがわかりません。それは何でもないのですが、人がそうなるので混乱します。やや下手すると失敗します。この時、私が信仰を選択したのです。神様は確かに生きておられる。この方達は、私と関係ない。神様は私の生命を治められる。神様は私の未来の責任を負われる。キリスト分かる者は、完全な答を持った。私は今、待つだけだ。こういう信仰を与えられたのです。このようにして開かれて来た教会が、この教会です。私がこの教会に来なかったならば、どうなったでしょうか。今、他の教会では、信徒や長老でも、このように伝道運動をしようとしません。ほとんど、このように通うこともできません。集まって、自分たちどうししていますが、世界宣教こういう概念もありません。これがどれくらい大きい祝福でしょうか。皆さん、信仰の選択がそれだけ重要です。
■また、来てみたら、とても教会が弱かったのです。私は、世界でこのように弱い教会を初めて見ました。本当です。12坪なのに12坪にもなりませんでした。それを教会にしていたのです。私が見た世界で一番小さい教会でした。それも他人の屋根裏部屋のようなところを借りて、踏めば音がギシギシとする所で礼拝をささげていました。どれくらい、まっ暗で難しいかわかりません。そしていたら、不信仰が入るように、ある人がきて、私を迎えにきて、ソウルに行こうと言いました。また、その時、不信仰が入るところでした。違う、信徒が私を嫌いだといえば分からないが、私はここですると言いました。条件が良くて行ったら、それは不信仰です。ここに金がなくて、力もなくて、それでも、私が行ったら、それは本当に不信仰です。私は家もなくて、教会堂もなくて、信徒も多くなくて、何もない。しかし、神様の力を捕まえて福音運動したら、それが信仰ではないか、この方がかなり強く要請したのですが、私がとても強くNoと言いました。もし、その時に行っていたら、どうなったでしょうか。私はソウルで何をしているでしょうか。信仰の選択ということは、とても重要です。私たちが、神様を完全に信じるということは、すばらしいことが行われるのです。アブラハムが信じる時、義と認められて、神様の人々が信じる時、神様が働かれました。
■子どものように信じなさい。子ども達は、そのまま信じます。米国に行ったところ、私たちの孫たちが、きれいな女の人さえ見れば、リ執事と言います。この子どもたちがきれいな女の人さえ見れば、無条件にリ執事さんと言います。それで、私が嫁に尋ねてみたのです。家でコ・ジンオプ長老の奥様リ・ソンスク執事がこの子どもたちをとても可愛がってくれて、この子どもたちは、きれいな女の人を見れば、リ執事というのです。どれくらい純真でしょうか。子どもたちは見た、そのまま受け入れます。だから、私たち親が、完全に責任を負うのです。見ること、聞くこと、そのまま取り入れます。ある時、ニュースを見たのですが、ある親が子どもたちに薬を飲ませて殺して、自分も死んだのです。それで本当に悪い人間だと思いました。私はそれと共に何を感じたというと、どれくらい子どもは純真でしょうか。お母さんがあたえる毒薬もそのまま飲みます。これくらい子どもたちは純真です。そのまま習うのです。疑いがありません。だから、神様の子どもであるので、神様をそのように信じなさいという言葉です。キリストに会えば、キリストをそのまま信じましょう。子どもたちを見れば、親にしたがってソウルで育てば、子どもたちはソウルの方言を言います。釜山(プサン)の人は釜山(プサン)なまりを言います。ここに見れば、デイビッドというユ・ユミ宣教師の息子を見てください。ここにきて韓国語を学びました。数年いたら、この子が、完全に釜山(プサン)の子どもになって釜山(プサン)なまりをそのまま使っています。子どもたちはそのまま言うのです。
■ある時、本当におかしな話ですが、私の娘シンエが小さい時でしたが、店に行って走って帰ってきました。雨が降ったので、走ってきました。それで、私が雨が降ったのに、雨に濡れなかったのかと尋ねました。この子が男の子と自分の兄さんと遊んでいたので、これが悪い言葉なのも知らずに、めちゃくちゃ走ってきたという言葉の変な表現をしました。私がとても驚いて、何の話かと尋ねました。聞いた、そのまま言うのです。私がそれは悪い言葉だと説明したのです。どこかへ行って、この子がそのような話をすれば、どうするでしょう。そのまま習うのです。昔にはTVが一日に終る時間と始める時間がありました。一度は、その時間になったら、私の息子ソンジョンが立ち上がって、直立不動の姿勢をとります。それも、突然、座っていたのに立ち上がってするのでした。国歌が出てきたので、そのようにしたのです。幼稚園に行くようになったら、そのようにするのでした。多分、幼稚園で国歌が出てくればそのようにしているようでした。そのままします。親が子どもに乳を飲ませる時、子どもたちが毒が入っているのか、入っていないのか、そのように考えません。そのまま飲みます。ご飯を与えれば、そのまま食べるので、ここに何を入れたか、そのようにしません。そのまま信じて付いてきます。私たちが他のものをそのようにしてはいけないのですが、神様の子どもですから、神様をそのように信じましょう。
■聖書を見れば不信仰を選択する時ごとに大きい問題がきました。いくら考えても、アブラハムが自分の妻を見たら、赤ん坊を産めそうにありません。神様が息子を与えると言われたのですが、どのように、それを信じられるでしょうか。これでハガルという女をもらって、子どもを産みました。その名前がイシュマエルです。今、イスラムとアラブ族の先祖です。今でもイスラエルを困らせています。どれだけ困らせるかというと、韓国にはイスラエル大使がいません。韓国がイスラエルと親しく過ごせば、石油を売らないと言うのです。それで、私たちが仕方なくてイスラエルを送り返したのです。そして、今、テロを起こしているのが全部、イシュマエルの子孫です。今でもそのようにするのです。私がそれを見ながら、不信仰は怖いことだなと思います。その不信仰の種が、どんどん大きくなるので、こういう問題を起こすのです。そのようなことだけではありません。
■私たちは、今日、単純な話で見てはいけません。子どものように神様を信じるとは、その信仰が子どものようになれという話ではないのです。神様は答えられる全能な神様だから、完全に信じなさい。そして、イエス様がなさった話を一つ記憶しなければなりません。子どもたちがわたしのところに来るのを止めてはなりません。その言葉は、子どもたちに主は大きい計画を持っておられるということです。それで、私たちはレムナント運動をするのです。レムナント運動を何故するのでしょうか。神様が最も重要に祝福される流れがそこにあるのです。そして、私たちはなぜ宣教をするのでしょうか。皆さんが説教を聞く時や、広告を聞く時、答えを受けることができなければなりません。私は毎年、世界宣教をする時ごとに捕まえる契約があります。私は必ず献金を私たちの家族の数だけします。少し大変です。宣教師1名を招くのに十万円以上かかります。今、私たちの家族は、孫たちを合わせて6人です。母が亡くなる前には7人でした。私が7人、6人分の献金をしました。理由があります。私の息子、娘が育って、これから世の中に行く時、宣教師一人程度は、一つの家庭当たり派遣できる力がなければなりません。もし、私の孫たちが育って、宣教師を助けるほどの力もなく、ご飯を食べる心配をいつもするとすれば、それは失敗ではないでしょうか。私たちは過去に、そのように生きてきたのですが、私たちの子孫は、そのように生きても良いでしょうか。少なくとも他の国を助け、弱い人を助け、宣教師を派遣するほどの余裕があるべきで、毎日、ご飯だけ食べて生きていた良いかということです。私はその契約を持って宣教をします。レムナントに、どんな精神を持っているのでしょうか。祝福にも流れがあります。お金を無条件に儲けるのでしょうか。お金も流れがあります。すべての学問にも流れがあります。水にも流れがあります。神様の祝福にも流れがあるのです。これが、レムナントです。それで、私たちはレムナント運動をしているのです。
■今年は、私たちの教会が宣教運動、レムナント運動の金額が問題でなく、一番たくさん参加する、こういう祝福された教会になることを希望します。牧師先生がおっしゃらないので、私たちの信徒が宣教大会に全く参加をしないと、イ・ソンフン牧師が報告しました。私の考えでは、毎年するから、皆さんが知っているものと思ってしなかったのです。それで、これは献金ではありません。本当に、神様の前に契約を捕まえる時間です。私は昨年に、その契約を捕まえて、一年の間、多くの答えを受けました。子どもたちがわたしに来るのを止めてはいけませんと言われた話は、子ども達に対するすばらしい祝福と計画を神様が持っておられるということです。今日、皆さんが子どものようになってこそ、天国に入れる、子どもにすでに神様の国が臨んだということを、皆さんの祝福で受けなければなりません。問題がきた時どのようにするのでしょうか。完全に信仰を選択しましょう。それで勝利します。葛藤がきた時どのようにするのでしょうか。今は損のようでも、完全に信仰を選択すれば勝利します。それで、昨日も私がそのような話をしました。私たちの周囲の教会に葛藤が多いのですが、完全に信仰を選択しましょう。それでこそ勝つのです。私たちはその後に起きる神様の大きい働きを信じましょう。子どものようになりなさい。そして、子どもがわたしのところに来るのを止めてはなりません。その話は、分別がない子どもになれという話ではありません。私たちは、変えて若くなれという言葉です。そして、新しいことをしなさいという言葉です。それで、皆さん、すべての大人たちが新しい祝福を受けるようになることを希望します。
■私は、そのような考えをしてみました。共同体訓練場を作れば、どのようにしなければならないでしょうか。そちらに私たちの勧士、長老、私たちすべての牧師が、レムナントを理解できることをたくさん作らなければなりません。インラインスケートに乗る場所を作って、長老も乗って、私たちのレムナントを理解できる若さをそろえなければなりません。外に出て行けば、堕落してだめだから、レムナント共同体の中にジャズダンス場を作って、私たちの勧士もジャズダンスをして、このように若くならなければなりません。これは冗談ですが、この話は単なる話ではありません。教会がいくら復興しようとしても、小さい教会で過去の枠にはまっていてはいけません。神様がいくら大きい力で働かれても、私たちがとても門を閉めていればわからないのです。完全に神様を信じる時間になりましょう。今日、私は皆さんに約束します。皆さんの一番の悩み事は何でしょうか。それを、神様の前で完全に信仰に変えてみましょう。働きが起きます。私は体験しました。神様を完全に信じましょう。私は足りなくて、完全に行うことはできないのですが、完全に信じることはできます。99%信じずに、100%信じましょう。
■ある方が私に話しました。牧師先生は、教壇で献金の話をあまりしないから、信徒が献金をよくしません。そうでしょう。私は一段階さらに上をいきます。本当に神様が働かれれば良いのです。私がそれのために、もし強調したら説教になるでしょうか。私は神様の力を完全に信じます。神様が私たちの聖徒たちの経済と家庭を祝福されるでしょう。今まで私たちは経済のために失敗したことはありません。継続して神様が答えられました。今後も時刻表がくれば、神様が門をあけられるでしょう。私は確信しています。皆さんは、時々、多くの人々は不信仰を話しますが、完全に信じましょう。それで、今日癒される大きい祝福を受ける日になることをイエスの名前でお祈りします。隣の人を祝福しましょう。神様の祝福を完全に受けて下さい。100%信仰を持ちましょう。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。主が子どものようになれとおっしゃったことは、私たちに大きい信仰をくださったことを確信します。確かに神様が私たちとともにおられるので、私たちが完全な信仰を回復する貴重な日になるようにして下さい。私の問題を神様に任せます。私の霊的問題を、キリストの力の前に出します。私の罪を十字架の下に解きます。完全に主が責任を負ってくださるみわざが起きるようにして下さい。今日、私たちの聖徒が短い時間ですが、完全信仰を回復して、答えを始める貴重な週になることを信じます。今週にあるすべての在職修練会、すべての地域教会の集いを神様が祝福されることを信じます。必ず答えられるメッセージをくださると信じます。今回の世界宣教を通じて、すべての聖徒の経済が回復するようにして下さい。私たちのレムナント共同体を通して、私たちの韓国の経済が回復するようにして下さい。神様が創造的な答えをくださると信じます。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン