2005年9月11日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/滅びた人生を生かすみことば
(詩119:25〜32)

・今週、私たちの宣教師のゆえに、多くの祝福を受けました。聖書には、私たちを生かすみことばと言われています。今日ここに確かに記録されているのですが、私たちのたましいも生かし、奇しいわざを行われるとなっています。ヘブル4:12には'神様のみことばは生きていて、力がある'となっています。ひょっとして皆さんの中で'私はだめだけれど'と思う方がおられるでしょうか。'私は本当に難しくて、答えがない'という方もおられるでしょう。しかし、聖書には、イエスの名前で何でも求めれば答えられるとなっています。皆さんは真に心配が多いでしょうが、聖書には何も心配せずにただ祈りと願いを感謝をもって神様にささげなさいとなっています。本当に私たちがどのようにすれば生き返って、答えを受けられるのでしょうか? 本文に入る前に先に確認しなければならない部分があります。

・昔、私たちの村に執事一人がおられました。夫も信じないで、子どもも信じないで、一人だけ信じていました。真に信仰が良かったのです。しかし、この方には家族も救われず、実がありませんでした。この方が教会にきて、神様の前に切に祈っていたのに、答えられなかったのです。それで、私たちが常識的に見た時、ますます難しくなりそうな、そのような感じがしました。私はその時、信仰がありませんでした。しかし、その方は隣の家の執事で、よく知っている方でした。その方は、祈りの答えを受けにくいのではないか?と考えていました。家族の面倒をよく見ることもせず、祈るのも部屋で異言して泣いて、それで隣の家の人々がきてちょっとやめてくださいと言うほどでした。夫がいない時には、友人を連れてきて、異言の祈りをするからといって、夜12時になってもカエルの声を出していたのです。隣人が告発までしました。

・私は、その方自身は信仰が良いが、私は未信者が告発するのに一理があると思っていました。なぜなら、その時間は、他の人が寝なければならないからです。この方が一回も、特別夜明けの祈りを絶対に欠かしません。この方が夜明けに祈って聖霊充満を受けたのです。一度は、祈りをみな終わって見たら10時でした。それで大変なことになったと言いながら家に帰ってみたら、夫が腹が立って職場に行かなかったのでした。人はとても腹が立てば、理性を失ってしまう時があります。それで、この夫が話もしなくて、半殺しに殴ったのです。そうしておいて見て、夫が自分もひどすぎたと思ったのか出て行ってしまったのです。それで、この方がまた夫が出ていくから、神様の前に祈ったのです。'主よ。私が迫害を受けます。'と言いながら祈ったりしたのです。私はそのように考えません。あれは迫害を受けるのではなく、当然なことだと思いました。私が見るには、そのようにずっとしていくと、答えを受けるのが難しいだろうと思いました。

・私が幼い時、王子と乞食という本を見ました。この王子が王の息子として、どれくらい大きい祝福を受けたでしょうか。ある面で、肉体的にはその国で最高の祝福を受けたのです。しかし、不満があったのです。'なぜ私は自分の思うとおりに歩き回ることもできなくて、外の乞食は好きなように遊ぶのに、なぜ私は好きなように遊ぶこともできないのか。'これで、ある日、自分と似た乞食と服を着替えて出て行ったのです。ある所に行ったところ、王子だとわからないのです。その乞食の家に行ったところ、お金をいくらもらってきたかと尋ねられました。しかし、お金もなかったのです。すると、お金をもの乞いしてこなかったと殴られたのでした。この王子が自分は王子ではないのか? お前たちは、誰に手を出すのかと話すから、狂ったとさらに殴られました。この王子は戻る時まで苦労をしたのです。それで私が中学生の時、ローマの休日という映画を見ました。王女が家を出た話です。それで、きわどい危機を克服したのですが、幸いに、悪い人には会わなくて、悪いことには会いませんでした。それで、苦労して王宮に戻る話です。そのような苦労は出て行ってから帰って来る時まで苦労です。

・私たちは、信仰生活をして、祈りの答えを受ける時に、本当に重要な部分から私たちが確認しなければならないのですが、私自身から確認しなければなりません。私たちのレムナントに話すつもりですが、確かに聖書は答えられると言われています。神様は答えられたのです。確かに、そして生きておられる神様が誰がなんと言っても、正確に神様のみことばを成就させられています。一度、米国に行った時のことです。時間がないのに、最後まである長老が食事をごちそうすると言われたので行きました。それも朝食時間なのに、自分の家で接待すると言ったのです。さらに重要なのは、担任牧師は来られないで、私だけに来てくださいということでした。担任牧師が感づいて、一人で行ってくださいと言いました。食事しながら、多くの話をしました。この方は涙まで流しながら話したのです。過去にあった話をしました。困難を受けた話をしたのです。今、教会である事を話しました。そして、牧師が自分を無視するから、信徒も自分を無視して、教会も行きたくないと言いました。私はその方に一言言ってあげたい話があったができなかったのです。'あなたは無視されるしかない。'と話してあげたかったが、それは言えませんでした。そして'これから永遠に無視されるだろう。'と話してあげたかったが、そのまま帰ってきました。

・私たちは多くの祝福を受けたのに、知らなければ味わうことができません。多分、その長老でも、その女執事は、一生そのように生きなければならないかもしれません。皆さんが外に雨が降る時、サイダーのふたを閉じておけば、雨は絶対に入りません。いくら雨が降っても入りません。前に話をしたことがあるでしょう。ある冬に大邱(テグ)に集会を行ったことがあります。山の中で行いました。あるモーテルのようなところで集会をしたのですが、私は講師だったので、良い部屋に入れてもらいました。ところで田舎であるからシャワー施設やこういうものらが大きかったのです。そこに水道の蛇口が二つありました。ところで、とても寒い冬だったのに、暖かいお湯が出てこなかったのです。歯磨きもできないほどでした。集会を3泊4日したのですが、その間、正しく顔を洗うこともできなかったのです。ところで熱いお湯が出てこないという言葉を出来ない性格だったので、そのまま耐えたのです。田舎であるからそのようなこともあると思ったのです。こう見えても心が弱くて、食堂で髪の毛が出てきても話さずに、そのまま取り出して食べます。もしか蠅が入っていたら、食べないで他のものを食べたりするのです。

・性格がそうなので、それでその寒いところで3泊4日をどれくらい苦労したのかわかりません。出てくる時、カバンを持ち出しながら、ゆっくりよく休まれたかと尋ねられたので、親しい方だったので 'よく休んだが、熱いお湯が出てこなくて少し苦労した'と答えました。それで、その方が言うのに、あの反対側にあるのが熱いお湯だと知らせてくれたのです。私は同じ所にあるべきだと考えたので、反対側にある水道の蛇口を見なかったのでした。もし私が10日いたとすれば、10日間、ずっと冷たい水で洗ったかも知れません。それは絶対にモーテルのあやまちではありません。私がねじってみれば良かったのに、そのまま私の考えのとおりにしたためです。それで、しなくても済む苦労をしました。そのように信仰生活をする人がとても多いのです。想像外に多いということを分からなければなりません。苦労しなくても済むのを、祝福を祝福とよく知らずにしばしば苦労するのです。そのような場合がとても多いのです。

・私は今日私たちのレムナントに話そうとしているのですが、皆さんが持っている傷はずっと続きます。全部、幼い時に受けたものです。それで、幼い時に受けたことは正しく悟れなかったら、ずっと続きます。それで、それが年をとればますます大きくなるのです。それで幼い時よく育てなさいというのは、その理由です。そのようなものを、私たちのレムナントが意識できなければ、後ほどとても困難にあいます。私たちはこういう神様の恵みの祝福を確かに答えられるのに、どのように祈りの答えを受けられるのでしょうか。今日、本文を少しの間読んだのですが、確かに生かすみことばです。果たして、私が本当に生き返れるのでしょうか? どのようにすれば、この祝福のみことばが本当に私に働くみことばなのでしょうか。私はこれを必ず捕まえなければならないと思います。皆さんが貴重な時間をあけて礼拝に参加したのですが、神様の祝福を必ず受けなければならないと思います。それで、たくさんあるでしょうが、いくつかのことだけ記憶しなければなりません。本当に、私たちが祈りの答えをどのように受けられるのでしょうか? みことばが生かすみことばというのですが、本当に私を生かせるのでしょうか?

・最も重要な最初の問題が何でしょうか? 聖書に見れば、イスラエル民族が苦しみを継続することが出てきます。なぜそうでしょうか? この部分がどれくらい重要でしょうか。それで、私が宣教師にも話しました。信仰生活を良くしているのに、後ほど困難がくるのです。そのような場合は、どうするのでしょうか。さっきのように、問題が多くて、自分の問題に陥って悟ることができない人々は仕方ないのですが、良く暮らしてきたのに、それならどのようにするのでしょうか? ここに外国から来られた牧師がたくさんおられます。多分、釜山(プサン)慶尚南道(キョンサンナムド)地域から来られた方は皆、知っているでしょう。教会をいくつも作って、老会、総会で多くの働きをしたのに、時間が経つほど問題がきておかしくなった人がいます。どう思うのでしょうか? ひょっとして神様がいないのではないかという気がするでしょう。神様が生きておられるなら、どうして、こうしたことが行われるのでしょうか? 一般信者は、こういう多くの疑いを持つかもしれません。

・私は、またこういうものも見ました。小さい子どもを三人育てている執事を見ました。奥さんが精神が狂って、病院に長くとじ込めるようになりました。その当時に、病院に一ケ月に2万円ずつ持って行くということでした。その時がすでに30年過ぎていたということです。それで、この方はその病院費を日に合わせて送らなければなりません。子ども三人が小さいから、この男性執事が自分がみなご飯を炊いて学校に送らなければならなかったのです。子どもたちは学校に送って、自分はまた昼間に帰ってきて、金を儲けなければならなかったのです。この方の職業は個人小型トラックを持って荷物を運んであげて、金を受け取っていました。収入はかなり良かったようです。ところで、旧盆が近いある日でした。ある方が全羅道(チョルラド)に急いで引っ越しするので、荷物を運んでくれることができるかと言われて、金を儲けなければならないから、良いと言ったのです。後には荷物をいっぱいのせて、そばには引っ越しする人々を乗せて行きました。田舎のある道を行く時に、犬が飛び出してきたのです。そのまま進めば良かたのですが、人はそのように出てきたら、われ知らずハンドルを回してしまうのです。われ知らず避けようとハンドルを回したら、正面から来る車とあたってしまったのです。ですから、そばに乗っていた人と執事がその場で即死してしまいました。子どもたちは小さくて、お母さんは狂って病院にいて、私はその時、伝道師だった時ですが、おかしな気がしたのです。'用心をすべきだったのに、なぜそうなったのだろうか?あの子どもたちはどのようにするのか?神様がおられたら、そんなことは守ってくださるはずなのに…'という疑いができたのです。それでは、その子どもたちは、どんな信仰を持って育つでしょうか。

・私たちはこのような時が多いのです。ある時は、疑いも生まれて、祈りの答えもだめで、そのような時があります。とても重要なのです。答は簡単です。旧約聖書、新約聖書を今まで訓練受けながら、答は簡単に出てきます。救い、神様のみことば、その中から来る答えの祈り、この中から出発しましょう。しかし、人々はここから出発しないのです。この救いとみことばと祈りがものすごい福音ではないでしょうか。皆さんがこの祝福を少しだけ捕まえて祈ったら、小さくても、大きくても、まちがいなく答えがきます。その答えについて行けば、まちがいなく答えられます。それではまちがいなく、勝利します。しかし、祈りの答えを受けられない信徒の特徴が、救いと福音は別に、しきりに他のものを持って付けて、自分の思いのままに生きるのです。これを宣教師たちにお願いました。全国、世界にいらっしゃる皆さんは、絶対に詳しく聞くべきで、よく聞けなくてはいけません。これが命ならば、その中からみな出てくるべきなのに、これのほかしばしば、他のものを持って付けるから問題がくるのです。

・学校に通う学生は、ひとまず基本的に学校の授業が良くできなければなりません。それと共に、必要な課外授業をすべきで、学校の授業は無視して、私一人課外授業を継続すれば、それは良い学生になれないのです。試験は合格するかも知れません。しかし、確かに正常な学生になれないのです。それと同じです。私たちが食事をするのも同じです。一般的な基本の食事をよくしなければなりません。基本食事は正しくすることもせず、いつもデコボコしてずっと特別な食事だけ食べれば問題になるのです。信仰生活も同じです。確かに救いの中にある、祝福のみことば中にある奥義、祈りの答えをもって始めれば、まちがいなく勝利するのに、それができなくなるのです。この部分が本当に祈る人は、少しだけ待てばやさしいが、それが難しいのです。ですから、救いとは別に、私の人生を全く関係ないものを持って付けてしようとするから合わないのです。それまでは良いでしょう。私がこれをしたいということのために、神様の祝福を利用しようとするから、さらに困難がくるのです。

・私が聖霊充満を受けて祈れば、神様が働き起きるのに、私が何かしようと定めて神様、力をくださいと言うのです。皆さんこれはとても重要な部分です。多くの途中から信じた人々や、信仰生活する方が記憶しなければなりません。この部分がならなくなれば、私が信仰生活するように見られるのですが、結局は、後ほど失敗するのです。皆さんは救いの祝福なかで、神様のみことばのなかで祈って、答えを受けていけば100%答えを受けていきます。例をあげれば、私が伝道していて伝道が難しかったのです。ですから、祈る心で聖書を静かに見たのです。ところで初めに私の目についたのが、聖書でマルコのタラッパンから家に集まるのです。それが答えです。それを捕まえて今までしたのですが、本当に伝道運動が起きました。10年前に米国に行く時、飛行機の中で聖書を読みました。神様、特に私たちの米国の学生たちに祝福してくださいと祈ったのです。そのような中に、前にも読んだのに見られなかったイザヤ6章を見るようになったのです。そこで、レムナント運動という答えを見ました。そして、それを受けた日から今まで継続して答えきました。それで、私は100%答えを受けるという言葉が分かります。

・私たちのすべての一般信者と役員などが、この契約だけ捕まえたら、百戦百勝して完全に答えを受けられます。ですから、救いの祝福がものすごいのですが、全部、私の感情、考え、レベルを持って付けるから、だめなのです。その上に救いの祝福は置いておいて、私の傷、私の問題を持って付けるから、どんどん問題がくるのです。皆さん、今日、本当に悟ったら、すぐに答えられます。皆さんに世界福音化しろと、神様は全てのものを準備しておかれたので、この契約を捕まえればすぐに始まります。この祝福を必ず受けるようになるように願います。これをするのに自尊心が傷つけられるのでしょうか? 私が神様の祝福の中から始まるということが、自尊心が傷つけられるのでしょうか。これまで外で教育を受けるのは、全部、私がして、私たちがするというものなので、それが少しそのようなこともあります。しかし、よく悟って見ればそうではありません。万王の王なる主が、皆さんを完全に責任を負われたので、そこから出発すれば100%答え受けるということです。

・今日、皆さんが一時間の中で試験することができます。皆さんの問題を本当に福音のなかで、みことばのなかで祈ることで解いてみれば、答えがきます。ところで不思議にも、この答えは一度で終わるのではなくずっときます。ところで、この祝福をほとんどのがしているのです。年を召した人ができないのではなく、だめだという言葉は、この祝福を受けるのを自分の体質でするから答えが来ないのです。それで、パウロが言う言葉が、私がキリストと一緒に十字架にかけられて死んだと言ったのです。私の中にキリストが生きておられると言いました。皆さん、これは自分否認、自分の抹殺ではありません。私たちの運命、私たちの限界、私たちの霊的な問題を完全に解決する道だということです。答えを受けるのは、事実は、とてもやさしいのです。あることが起きれば、神様の計画が何か少しだけ質問すれば、すぐ答えが出てきます。それで、すぐ知恵が生まれます。福音から出発すれば100%答えを受けます。

・皆さんを暗闇の中から取り出されたので、その福音から出発すれば、まちがいなく答えを受けます。皆さんの運命を神様がみな変えてしまわれました。心配する必要がありません。それで、あなたの体質で行かずに、福音から出発しましょう。理解できることを本当にイエス様の名前で祝福します。今、インターネットでメッセージを聞いているのですが、近くなくても関係ありません。このみことばだけ捕まえれば良いのです。皆さん、サタンには絶対に勝てません。目に見えないのです。そして、サタンはどんな存在なのか、かたちもありません。悪魔が皆さん家にくる時、行くと話して来るでしょうか。何も表さずに来ます。それで神様がサタンの勢力を破ってしまわれたということです。そこから私たちを救い出されました。少しも恐れる必要がありません。その救いから出発して、そこで答えを受けた通り行けば、ずっと答えを受けます。これが信仰生活です。皆さん、今日、これを必ず悟って帰らなければなりません。40日ずつ10日ずつ断食する必要ありません。これだけ悟ればすぐに答えがきます。

・釜山(プサン)で知っている先輩牧師の一人は、私を教えた人なので、私を復興会に招いてくれました。私は弟子だから'柳先生、私たちの教会復興会を一度してください'と言われたので、'はい'と行ったのです。メッセージをしていたら、私の後に牧師がおられました。それで、暑いのに、後から熱を感じました。メッセージをみな終えて見たら、牧師が火にあたっているのでした。夏なのに。私がとても驚いて、牧師先生、なぜ火にあたっているのかと尋ねました。断食をあまりにして、からだがみな傷ついて、夏にも火にあたっているということでした。それが自分の体質です。福音ですれば簡単でしょうに、そのように断食して、人が死にかかっているのです。聖書に断食祈祷はあります。断食しなければならない理由がある時、断食しなければならないのです。することなく、私が知っている牧師は、長老とけんかをして、教会が試みにあいました。長老をたたき壊すと40日断食祈祷を始めたのです。それで私が、牧師先生、長老をたたき壊すのは神様の計画ではないと言いました。40日断食祈祷して、自分で立ち上がることもできなくて、人がおかしくなってしまったのです。私が見るには、長老をたたき壊すといって、自分がめちゃめちゃになってしまったのです。だから、福音のなかで出発すれば、完全に勝利する牧会を、自分の性質を持ってするからです。皆さん、本当に祈りの答えは福音のなかで祈っていれば、確かに答えがきます。ついて行けば、継続して答えがくるのです。これが私たちのタラッパンが今までしてきた戦略です。ある人が見る時は、コンサルティングが良くできないように見られるが、そうではありません。私たちが専門家に任せて、コンサルティングをしてしまえば簡単ですが、答えはそれと違います。そんなことは基本的に必要ですが、答えは神様がされるのです。この頃、現代の機能が優れていることが必要ないという言葉ではなく、私たちの方法は神様の救いの祝福の中から出てこなければならないということです。私はあえて聖書の約束をかけて約束することができます。皆さんと役員など、そのようにしたら、皆さんの事業、個人、皆さんの全てのものが100%、主の国に行く時まで完全に成功します。これを銘記しなければなりません。

・次にくるのが二番目の祝福です。その時から今日の本文の祝福が合うようになるのです。みことばが私を生かすようになります。25節にそう言われています。ここに救われなかった人、神様の子どもでない人がみことばを聞けば生かされるのでしょうか? 皆さん、死んだ木に水を与えれば生き返るでしょうか? 根が腐ってしまい、木が死んでいるのに、太陽に当たれば栄養になるのでしょうか? 雨が降って栄養になるのは、木が生きているのを前提にしたことです。皆さんが救われた神様の子どもだから、一度だけこの福音のなかで祈りの中で答えについて行ったら、その時からずっと働きが起きます。26節に見ると、皆さんが告白する時、神様は答えられるとなっています。27節には、神様が奇しいわざを行われるとなっています。28節には、その契約のみことばを受ければ、その時からそのみことばが私たちを立てるのです。29節に見ると、私たちが正直に祈る時、神様はその時から恵みを与えられるのです。この時から、30節に神様のみことばが私たちのさばきになるのです。私が神様の救いから出発にしなかったら、聖書のみことばがさばきに成ることが出来ないのです。皆さんのがしてはなりません。自尊心のために、そのような人がいるでしょうか。だから、私の後輩の中で、判事が偉い部長判事にテープを渡したのです。後ほど言われたそうです。自分は教会に行きたかったが、昔に教会に対して良く言わなかったので、自尊心が傷ついて行けなかったということです。それで、このみことばが入りながら、完全に生かされるようになるみわざが起きました。

・31節に、神様の証拠を捕まえれば、絶対に恥にあいません。恥とは何でしょうか? 私たちがみなほろびてしまえば恥ずかしいのです。私たちが天国に行く、行かないという以前に、私たちがとてもなければ恥ずかしいのです。私たちが天国に行く以前に、とても病気にかかって、正しく生きられなければ恥ずかしいのです。そのような恥にあわないのです。私たちが天国行く、後ほど大きい答えを受けるという以前に、家庭が破壊していたら、恥ずかしいでしょう。今日、皆さんこのみことば聞く時、多くの感動を受けようとしたり、良い話を聞こうとするのも悪いのです。皆さんが聖書のみことばを正確に確認をしなければなりません。聖書の流れが、いつも失敗する人は違ったところから出発するのです。そして、最後に失敗する人は、ずっと他のものを持っています。そうしなくて救いの祝福の中で出発しなさいということです。祈れば、答えが確かにきます。その答えの中から出発しましょう。それならば、神様のみことばが全部、生かすみことばになります。今日、皆さん説教を聞いたのですが、これが答えに変わるのです。今日の本文にある奇しいわざが起きます。そして、崩れた私たちのすべての部分が立ち上がるようになります。本当に他の人が危機にあうことがあっても、私たちは神様の恵みを受けるようになるのです。この時から、神様のみことばが道になってさばきになるのです。必ずそうです。

・私は今回、宣教師にメッセージをして祈りながら感じました。神様が用いられる方たちだな。私が分かるには、神様が用いられる方には、いつでもみことばをくださいます。これはタラッパンする方たちや説教する人々の感じでしょう。皆さんが答えを受ける家に行ってメッセージする時、どうなのでしょうか。多く恵まれます。説教する人が恵みをうける程、力が生じます。答えを受けられない家に行けば、説教ができません。それが私の思いのままにできるでしょうか。説教にならないのを、どのようにできるでしょうか。今回の宣教大会は、他のものも重要でしたが、私たちの宣教師が世界福音するみことばを受ける準備ができていました。宣教師が一番、誘惑を受けやすいのが救いと福音のものすごい力から出発しないで、違ったところから出発する誘惑を受けやすいのです。私は皆さんに釜山(プサン)でも約束したのですが、約束することができます。教会堂から先に作ろうとする人が大きい教会になるのか、本当に福音運動を正しくしている教会が大きい教会になるのか、それはこれからを見ればわかるようになります。私たちの命を治められる方が神様であることが明らかなら、それは簡単な答えになります。それで、私たちは無理に何かをしようとするのではなく、ここで答えを受けて、ここで力を受けて、ここで恵みを受けて私たちは行くのです。それが、私たちの出発です。

・それなら最後に三番目でメッセージを私たちは捕まえなければなりません。結局は、みことばを聞いて霊的な目を開かれれば、その時から答えがきます。私たちが神様のみことばを聞いて、霊的な目が開いただけ、答えがくるのです。それで、今回、私たちの宣教師に五つのことをお願いしました。それなら、私たちの教会が五つのことを置いて宣教師のために祈らなければなりません。今日、私たちはすでに聖書は生かすみことばだとみことばを受けました。宣教師にこのように申し上げました。教会は何をする所なのでしょうか。重要な七つの力を得る所です。それの他にはする必要がありません。宣教師に申し上げました。私たちの教会も、今から初代教会に現れた祝福、力を捕まえなければなりません。真の人々は愚かです。聖書に現れた教会、力を捕まえれば、事業もできて、宣教もできて、伝道もできます。そして、宣教師に伝道に対して語りました。伝道は出て行って騒いで話すのではありません。ベースを構築することです。その話をしました。皆さんがそれを祈らなければなりません。そして、祈りに対する話をしました。祈りは必ず真の福音、真の伝道のなかで、五つの原理が起きるのです。そして、みことばに対して話しました。みことばは、神様の御声を聞かせてあげることです。それで答えがきます。

・今日、ここにいる尊い皆さんが、私の話を聞かずに、神様の御声をみことばを通して聞かなければなりません。私を暗闇から救い出された、その救いから、祈りから出発しなければなりません。私を呪われないように完全に運命を変えてしまった、その救いの中で祈れば答えがくるのに、その答えについて行けば良いんだな。その時から二番目に来るこのみことばが、全部、生かすみことばになってしまうのです。それが、今日の本文です。それなら、今日、私たちは霊的な目を開かなければなりません。それと共に最後の要請をしました。未来を生かす道は何なのでしょうか。レムナントです。そして共同体です。その話をしました。私たちの教会も、この祈りを継続しなければなりません。目が開いただけ、答えを受けます。

・神様が老人モーセに'イスラエル民族を連れて出て行きなさい。' '私はできません。'だからできないのです。'私ができます。'それでできるのではありません。悟れたのです。'神様がこのために今まで準備させられたんだなあ。その時から働き起きるのです。'私はできないです。それは不信仰です。私ができます。それは高慢です。神様がなさることができます。世界福音化、私たちの柳先生が言うという人がいますが、私はそのように考えません。私はトラブルばかり起こしたのに、神様が恵みを与えられたのです。私は皆さんが献金して、神様が与えてくださる謝礼をもらって、トラブルばかり起こしたのに、神様は多くの祝福を与えられました。ある面では、私の祈りでもなく、私の母の祈りでもなく、神様の恵みです。正確に問い詰めれば、うち母が子どものために祈るのに、何ができるでしょうか。正確に問い詰めれば、私が私のために祈るのに、何ができるでしょうか。それでできるでしょうか? 神様の恵みです。だから、どれくらい大きい祝福でしょうか。

・モーセが悟ったのです。荒野を行く時、どれくらい不平、不満が多かったでしょうか。私たちがここで死ぬことより、またエジプトに帰ろう。そのような人々のためにしきりに遅れたのです。皆さん、今日、契約を捕まえて行かれなければなりません。エゼキエル、この骨は生きるだろうか。生きられません。それではそれは不信仰です。はい、生きることができます。それはあきれる話です。'この骨が生きるか?'と言われました。何といったのか分かるでしょうか。'主よ。主がなさいます。'良い返事をしたのです。それでは、骨にみことばを預言しなさい。皆さん、今日、本当に今から答えをずっと受ける契約を持って行かなければなりません。皆さんが性格もあって、体質もありますが、それは祝福の中で後ほど利用されるように置いておいて、それからせずに、神様の導きから受けなければなりません。それでは、私がどのように導きを受けるのでしょうか。こういう人もいます。そのまま神様に導いてくださいと祈りましょう。そのまま神様にみな任せると祈りましょう。釜山(プサン)にいる新しい家族がいます。'私が牧師先生の説教を聞いて、こういう祈りを始めました。'何かと尋ねました。'神様、お好きになさってください'と言ったそうです。良い祈りです。どれくらいクリスチャンが、欲が多くて、どれくらい何をよくしようとするのでしょうか。神様の心のとおりしてくださいという祈りが最も良い祈りです。私たちのキリスト教が、未信者が非難する程、私たちが何かをよくしようとするのです。未信者が見たくないというのに、騒ぐのです。そのような必要はありません。

・本当に福音のなかで霊的な祝福を持っていれば、私たち民族も生かされ、現場も生かされ、みな生かされます。今日、本当に皆さんが詐欺にもあうのですから、神様のみことば信じて、一度してみてください。ある人を見たら、まったく献金をしなくて、詐欺師に詐欺にあったりするから、聖書のみことばは詐欺ではないから、一度信じてみてしてみてくださいということです。本当に行動からせずに、福音を捕まえて祈ってみてください。それで答えがきます。小さくても、大きくてもきます。それで、そちらに行ってみてください。これが100%勝利に入る道です。それでは、先生、私は緊急ですが、いつ祈りますか。緊急ならば、神様は緊急に働かれるでしょう。神様がご覧になって緊急ではないために、ゆっくりなさるのです。ある若い夫婦がけんかをしました。けんかをしたのですが、私がその夫婦に話しました。あなた達はよくけんかをする。女は女らしく、男は男らしくあるべきで、その家は女がとても男のようです。それでは、ずっとけんかになるのです。それで、二人でけんかを継続していても、祈りを継続してみなさい。祈りを継続すれば、確かに答えがくるでしょう。知ったところ、この方たちは、神様のみことばをわかる神様の民でした。本当に神様の導きを受けて祝福を受けました。私たちは簡単です。度々、未信者のように人から解決しようとして、違ったところで解決しようとして、それは未信者がするのです。皆さん、救いのなかで、祝福のなかで祈れば、確かに答えがきます。それを見て行きましょう。それで、みことばが生きて、働くようになります。そして、皆さんが悟っただけ、現場に大きい祝福が起き始めるでしょう。今日、この祝福を本当に悟ることを主の御名で祝福します。私たち多くの方たちが、一緒にインターネットで、衛星で礼拝しています。私たちの隣の人と、すべての人を祝福しなければなりません。神様の生かすみことばで祝福を受ける日になるよう願います。と挨拶しましょう。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、貴重な契約になるようにして下さい。一生、忘れない答えが始まるようにして下さい。神様の真の答えを受ける、今、新しく始める人生になるようにして下さい。今まで多くのことをしたのですが、正確な祈りの答えを受ける新しい開始になるようにして下さい。人の力より千万倍である神様の導きを受けるようにさせて下さい。私たちの努力に億万倍も越える神様の力で始めるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン