2005年11月13日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/真の祝福を分かる人々
(ルカ19:28〜40)
・私たちの韓国には約200個の教団があります。そのうち、長老教だけで50%になります。なぜそんなに多いのかわかりませんが、とにかくそうです。ところで、私たちの教団でだけ使う言葉が一つあります。他の教団では、このような言葉を絶対に使いません。ある時は良い言葉のようで、ある時は悪い言葉のようです。それが何だと思いますか? 私たちのタラッパンだけが使う言葉です。それは‘あの人はまだ福音を悟れていないようだ。’ということで、他の教団では使わない言葉ではなく、使えない言葉です。福音は、特別につまらないことだから使いません。唯一、私たちの教団だけが使う言葉です。しかし、聞く人は気分が悪いでしょう。皆さんが同じ執事どうしで‘まだ福音が悟れていない’と言われれば、気分が悪いでしょう。それも、信仰生活を長くした執事に、福音をあまり悟っていないと言えば気分が悪いでしょう。 ・ある時、私たちの一般信者が病院に伝道しに行った時に起こったことです。病院で横になっていた方が、牧師をしている宣教師でした。ところが、この執事が福音を伝えたら、宣教師なのに福音が不十分だったのです。その人に、あなたは今、宣教師をしているが、福音を悟っていないようだと話したのです。だから、宣教師がとても頭にきて、点滴でさしてあるのをみな抜いて起きあがったことがありました。そのように感じたから話したのでしょうが、むやみに話してはいけないのです。しかし、私たちがそのような話を聞くのも、特別気分が悪いことではありません。それだけ福音を重要視するという意味です。重要に見ない人は、そんな話はしません。しかし、本当の孝行息子は、自分がいつも親不孝だと思う人です。親不幸者の特徴は、‘私が間違っていることが、何があるのか?’と言いながら、自分が孝行息子だと思っています。パウロは、こういう話をしました。‘この福音の広さ、高さ、深さははかり知れない。’それで、あまり悟っていないという言葉が正しい言葉です。ジョン・カルヴィンは、キリスト教綱要という有名な本を書きました。一生かかってすべて読むことも大変なくらい書かれた重要な本なのですが、それをカルヴィンが書いたのです。一番終わりに、こういう言葉を書きました。‘信じられるが、説明は不可能だ。ーbelievable信じられる。unaccountable計算ができない。’カルヴィンが、そのような話をしました。この福音がどれくらい大きいのでしょうか… ・時代的な伝道者パウロがこういう話をしました。‘十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(Iコリント1:18)’今日、イエス様を通して起きた簡単な事件ですが、皆さんが必ず祝福を受けなければならない契約をいくつか捕まえなければなりません。その最初が何でしょうか? 皆さんが真の福音の中にいれば、全てのものに勝利します。まだ勝利していないでしょうか。ピリピ1:6に、キリストの日まで少しずつ成し遂げられるとなっています。私たちがこの福音の祝福をよく知らずにいます。完成されて行くのです。ピリピ2章には、いくら苦しみを受けるように見られるが勝利するとあります。ピリピ4:13には、私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるのです。これから先を知っていなければなりません。キリストに出会った人は、その時はそうではないとしても、時間が経てば、ますますすべての問題が解決されるのです。弱くても関係ありません。時間がたつほど働きは起きます。 ・それで、私たちは福音の中に入れば勝利するのです。この最初のことを知らなければ、信仰生活は本当に困ります。神様が私たちにくださった福音、皆さんにくださった福音は、不十分なものではありません。たいしたものでないことをくださろうと、数千年の間預言して、イエス様が十字架に釘づけられたのではないのです。福音を知ったら、過去のことも今は全部祝福です。驚くことです。本当に証しであり、告白です。この福音を知らなければ、全部、傷ですが、福音を分かったら、時間がたつほど、これが全部、祝福の土台です。ある時は、私の両親の良かった点、それは全部祝福で、良くない点までも土台になりました。これが福音の中に入った者の祝福です。皆さんに昔には良くなかったことまでも、全部、土台になります。本当に驚くことです。 ・私が何度も話さなかったでしょうか。私が幼かった時、私の家が火事になりました。私の家だけでなく、町がみな焼けたのです。それで、人々を連れて行くところがないから、山頂に連れて行ったのです。それが今考えると、私が毎日、登山をしていたことになります。そのためか、一度も病気になりませんでした。それも、神様の祝福です。それで、食べるものがなくて、葛のようなものを食べて、イナゴやカエルも焼いて食べました。今、知ってみたら、全部、栄養食だったのです。聖書を知ると、バプテスマのヨハネが食べていたものをみな食べたのです。バプテスマのヨハネが、イナゴを食べていたと書かれています。それで、事業がうまくいかず、福音がなかったので、私の父は早く亡くなった。そして、苦労をしたのです。しかし、今、考えると、それも祝福です。それが、どれくらい土台になるのかわかりません。そして、一時は難しくて、正しく食べることもできず、身長が標準になったのですが、それも祝福です。標準ですと言うから、笑っているのですが、なぜそうなのか申し上げましょう。 ・今回、私は平壌(ピョンヤン)に行ってきました。平壌(ピョンヤン)に到着して、飛行機から降りて出て行くバスに乗ったのです。大型バスでなく、少し小さいバスでした。私は何の問題もなく乗ったのですが、その後からチョン・ウンジュ牧師は入ってきてぶつかってしまいました。とても強くぶつけて、大きな声を出しました。ですから、本人はどれくらい痛かったでしょうか。‘最初から、なぜこうなるのだろう’と言いながら乗りました。その時、私がはっきりと話したのです。‘それで背も標準であるべきです。’何でも感謝なのです。皆さんが福音の中に入っていけば、両親が誤った、それも祝福です。そのようなことがあるのでしょうか? 良くない家庭が祝福になることができるのでしょうか? レムナント7人を見ましょう。世の中でヨセフのような家があるでしょうか。兄が組んで、弟を殺そうとする、そのような家があるでしょうか。弟を奴隷で売ってしまう、そのような家があるでしょうか。ダビデを見ましょう。妻をめとったら、義父が婿を殺そうと、一生、付いて回るのです。世の中で、サウル王のような義父はいません。みな婿とうまくいくようにしようと祈るので、そうする婿を殺そうと一生を投資したのです。驚くべきことに、ダビデはそれゆえに成功したのです。皆さんもおわかりの通り、ヨセフはそれゆえに成功しました。契約の中に入って、福音の中に入れば、失敗も成功です。これを知るようになります。本当に驚くことです。 ・それで何か過去を捕まえて、葛藤、そんなことは時間がたつほどなくなります。福音の中に入れば、ますます勝利するようになるのです。皆さんが、この契約が信じられなかったら、一生を生きていく間に、解釈ができないことがとても多いでしょう。それでは、毎日、試みにあって、葛藤が起きるのです。理解できないことも、とても多いでしょう。それでは、信仰生活になるでしょうか。福音の中に入るということは、完全な所に入ったので、時間がたつほど完成されて、過去も全部、土台になるのです。今日の聖書に見ると、キリストに会った者は、全部みな祝福を受けたのですが、キリストを裏切ったとしても祝福を受けたのです。‘主は生ける神の御子キリストです。’誰が話したのでしょうか。ペテロが話しました。その時、イエス様が‘あなたはペテロです。わたしがこの岩の上にわたしの教会を立てます。ハデスの門もうち勝つことができません。天国の鍵を与えます。’こういうペテロがイエス様を否認したのです。イエス様は、ペテロに訪ねて来られました。‘あなたはわたしを愛しますか’はいと言うので‘わたしの小羊を飼いなさい’絶対に捨てられません。 ・皆さんが失敗してから、神様が皆さんを捨てられることはありません。失敗を熱心によくしなさいということではなく、失敗したとしても、神様は私たちを用いられます。福音の中に入っている者。どれくらい重要でしょうか。契約の中に入っている者。皆さん、これから理解してこそ、全てのものが解釈できて、信仰生活が分かります。そうでなければ、過去の傷が、そのまま残って、レムナントに後ほど霊的問題がくるのです。これがまだ解決できない人が多いのです。皆さんが福音の中に入ったとすれば、毎日、神様は完成させていかれるのです。そして、カルヴィンが言うのには‘最後には完全に勝利する’究極的勝利です。聖書にそのような話があります。ローマ8章を見ると、キリストの中にある者は、誰も奪い取って行く者がいません。 ・本当に、この契約を捕まえなければなりません。これが信仰生活の最初です。どれくらい重要でしょうか。皆さんが福音の中に入ってきたら、直ちに運命が変わります。それで、皆さんが占ったり、お祓いをしたり、そんなことする必要がありません。占い師をしていて立ち返って来た方々も恐れる必要がありません。皆さんのたましい、名前が滅びの書に記録されていたのが、いのちの書に移ってしまったのです。ヨハネの黙示録に出ています。そして、死からいのちに移ったのです。イエス様がおっしゃられました。罪と死の原理から解放した。運命が変わったのです。それで、福音の中にない人々はそのまま運命のとおりに行きます。皆さんは、福音の中にきたということですが、なぜそのようにすばらしいことが行われたのでしょうか。皆さんの運命が変わってしまったのです。救われたことは、つまらないことではありません。ものすごいことなのです。今日していることは、過去が土台になるように、今日していることは、全部、未来の土台になります。これが福音の力です。私たちが今、未来に関することは全部、私たちの子孫の土台になるのです。それで何も心配せずに、すべてのことに祈りと願いをもって感謝して神様に申し上げましょう。 ・パウロは、もう一度強調するけれど、ピリピ1:6に、キリストの日まで成し遂げて行くと言いました。間違いありません。神様が、皆さんを成し遂げていかれるのです。今、他の見方をすれば、少しおかしなことがあるようでも、今、少しだめなようでも、成し遂げていかれます。確かにそうなっています。キリストの日まで、これが福音の力です。最も簡単に、このことに結論を出すならば、このように下せます。宗教生活をすればするほど、最後には失敗します。福音の中にいれば、今は弱いように見えても、最後には完全に勝利するようになるのです。これが、宗教と福音の差です。皆さんが、この大きい祝福、福音の中にいる人になったことを、本当に神様に感謝しなければなりません。過ぎたら、より一層、分かるようになるでしょう。聖書には証拠が多くあるのです。その中の一つの証拠が私です。私は本当に嘘ではなく、皆さんに話す自信があります。 ・私は昔には、福音を知らずに、福音の外にいた時は、何もかもだめでした。私は勉強がそんなにできないことはなかったのです。良くできました。それでもだめでした。私が仕事をしたり、お手伝いをする時、そんなに不十分にしません。上手にできます。何か、できませんでした。だめだという基準が何なのか、未信者よりできなかったのです。未信者も受ける祝福を、私は味わうことができなかったのです。ある日、分かったのです。私が福音の中にいないということを。それ一つを悟ったのですが、今、振り返ったら、すべての歩みが全部、答えです。私たちは、直ちに答えが来ないから、考えを間違うのですが、私が福音を悟った苦労、それまで全部が今は答えです。その中で、今は、色々な所で神様の祝福がき始めました。 ・先週、11月6日から、レムナント共同体訓練場の献金を始めました。驚くことです。今開始したばかりなので1/10も参加していません。私が見積もったところ、約20億円ほどが入ってきています。驚くことです。昨日の朝で10何億円を越えました。あらまし今、話で聞こえることを集計すれば約20億円ほどが入ってきました。このような形でいくと、私たちは約50億円ならば作れるのですが、百億円ほどが入ってくる可能性があります。それである人が心配しました。‘先生、こういうことでは、百億円が入ってきますが、どうしますか?’それで、送りかえさないから心配しないでと言いました。完全に透明にしようと、インターネットで今、専門チームを構成しました。驚くべき奇跡が起きるでしょう。それで、皆さんは新しい時代が開くでしょう。行ってみれば、行く所ごとに神様の祝福です。この頃は、さらに驚くことに、レムナントが、皆さんの次の世代が起き始めました。皆さん、奇跡ではないでしょうか? 学生たちが福音を正しく悟って、信仰生活を正しくするのは奇跡です。私が学生の時、そうではありませんでした。信仰が生じなかったのです。学生たちが神様の祝福を受けるのを見れば奇跡です。これからどうなるのでしょうか。これが福音を持った者の祝福です。この祝福が皆さんにあるから味わうようになることをイエスの御名でお祈りします。 ・二番目に記憶しなければなりません。サタンは、どんな戦略を使うと思いますか。このサタンが、今、イスラエルの国を完全に捕まえて、福音を悟れないようにしています。遠くを見ずに、今を見ましょう。世の中でこれを何と言うべきでしょうか。ヨーロッパで一週間に一個ずつ教会が門を閉めています。驚くべきことに、テロを起こして暴動を起こすイスラム教が一つずつ買っているのです。驚くことです。これからヨーロッパにある教会、米国にある教会堂を売るのを買おうと思います。世の中でお金が一番多い国、米国の教会が運営費を出せなくて、電気料金、水道代を出せなくて門を閉めているのです。大変なことが起きました。理由がどこにあると思いますか。これからどうなるのでしょうか。米国とヨーロッパの次の世代が、どうなるのでしょうか。それで、私が強く決心したのです。レムナント運動を起こさなければならない。何が問題なのでしょうか。ただ福音ならば勝利することができるのに、それをサタンが防いでしまうのです。皆さんは、絶対にのがさずに行って、ますます勝利する神様の祝福を味わうように願います。 ・それでは、もう少し遡ってみましょう。20世紀で最も地球上に多くの困難がありました。過ぎ去った20世紀です。共産主義が起きて、戦争が起こって、最も危機が多かったのです。20世紀で最も多かった問題が何だと思うでしょうか。神様を否定する思想がものすごく起きてきたのです。合理主義だ、何だとすることが、全部20世紀に起きました。神学の中で、神様が死んだと死神神学もあります。これらが全部、20世紀に起きました。イエス・キリストは処女誕生ではない。科学的に合わない。それらがみな20世紀に起きた言葉です。しかし、後ろを振り返ってみたら20世紀は完全に呪いの時代です。もう少し遡ってみれば18〜19世紀に、ウェスレー、ムーディーのような人物が教会の外で起きました。もう少し遡って、中世時代を見ましょう。中世教会に何がなくなったのでしょうか。福音が完全になくなったのです。さらに遡れば、パリサイ人は何でしょうか。これがサタンの戦略です。 ・サタンは何も恐れません。インマヌエル教会、インマヌエル蔚山(ウルサン)教会が福音で完全勝利すれば、大勝するから、それを止めようとするのです。皆さんの子ども達が、福音を正しく知るエリートになれば、世界を征服するから、これをサタンが恐れるのです。ここに絶対にやられてはいけません。悟りさえすればよいのです。‘サタンはいますか?’聖書を見ましょう。大韓民国と全世界に起きるムダン(霊媒師)などを見てください。悪霊につかれた者が作ったニューエイジ運動を見てください。深刻です。だから、皆さんがだまされてはいけないのです。それを二番目に記憶しましょう。それで、私たちは共同体も作って、今日、この席に集まったのです。ですから、サタンがする戦略7つ。福音を分かってもたいだい分かれ、たいだい福音です。だいたい分かれば良いのです。それではインマヌエル蔚山(ウルサン)教会は、蔚山(ウルサン)が征服できないから、だいだい分かれ。それがサタンの最初の戦略です。皆さんがだいたいですることが別にあるでしょう。重要なことは、はっきりと分からなければなりません。皆さんの胸の中で‘そうだ。私はただこの福音で勝利する。’という理由を分かれば、その時から働きが起きます。 ・この間、話しました。‘妻のおじの墓掃除’という言葉があります。お父さんの墓を掃除しに行けば、お父さんのことをたくさん思い出します。お母さんの墓に行って掃除すれば、過去の考えや思い出せることが多いでしょう。妻の叔父の墓には何の考えも浮かびません。人を知らないのに、何か思い出すことがあるでしょうか? 妻が何度もお願いするから行くだけなので、その言葉を‘妻のおじの墓掃除’と言って、いい加減にしてくるのです。妻の叔父だから。皆さん信仰生活を、妻のおじの墓掃除のようにしても良いでしょうか。このものすごい十字架の事件を、妻のおじの墓掃除のように信じるから死ぬのです。これがサタンの戦略です。サタンの二番目の戦略は混ざった福音です。何かおかしなものを混ぜて、福音を知らないようにさせるのです。これが二番目の戦略です。三番目の戦略は利用する福音。福音を利用するようにさせるのです。皆さんが、福音のために生きなければならないのに、私が福音を利用するのです。その次の戦略は、福音は福音なのですが、律法的福音です。福音は福音なのに神秘的福音、祝福してくださいという御利益的な福音、福音よりさらに先の博愛的福音、分かるでしょうか。それで最後に出てきたのが何でも宗教は同じだという多元論的福音です。これがサタンの戦略です。今日、皆さんがどれくらい大きい祝福を受けたのか知ってくださるように願います。 ・三番目に皆さんが受けなければならない祝福が今日の本文です。今日の本文は何でしょうか。特別なものではないように見えます。ろばを一匹引いてきなさい。わたしが乗ってエルサレムに入らなければならない。主人が許すでしょうか。主がお入用なのですと言いなさい。それで、ろばに乗って入るのです。ろばに乗って入る時、どのようにしたのでしょうか。弟子が服を脱いでろばにのせて、イエス様を乗るようにしました。そして、ろばが行けるように服を脱いで敷いたのです。何の話なのか分かるでしょうか。そして、「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」と言いました。だから、何と言われたでしょうか。パリサイ人が、どうして、あなたの弟子はあんな話をするのか。その時、イエス様が何とおっしゃったでしょうか。あの弟子が黙れば、石が大声を出すだろう。 ・皆さんこの本文がキャッチできたでしょうか。これがキャッチできたかということです。ここにキリストが分かる者の行いが出てきました。そうです。皆さんがすることがいくら小さいことであっても、キリストを分かる行いならば、永遠な祝福になるということです。特別なものではないのに、今まで記録されているこれを正しく解釈できなければ大変です。これが何の話なのでしょうか。ろばに乗ってイエス様がエルサレムに入られました。主がお入用なのですと言われたので、主人がそのまま出してくれました。皆さん、これが何だと思うのでしょうか。真の王がろばに乗って今、エルサレムに入城するのです。これは、ものすごい事件です。そして、さらに重要なのは、弟子がお手伝いしに行った時、主がお入用なのです。それで、35節を見れば、ろばの上に良いものがないから服を乗せたのです。36節を見れば道に服を敷きました。それが何か分かるでしょうか。昔、一般軍人は、馬にそのまま乗りました。王が馬に乗る時には、すばらしいものを敷いたのです。この小さい事が、今、それを意味するのです。王が行く時は、必ずじゅうたんを敷きます。じゅうたんがないから、服を脱いで敷いたのでした。何でもないが、ものすごい事です。 ・皆さんが、インマヌエル教会に座って、今、衛星で礼拝する人々が教会に座って、礼拝を少しの間ささげるのが何でもないようですが、皆さんがキリストを知っていることならば、永遠な祝福に変わるということです。これが何でもない献身なのに、ものすごい事件なのです。暗闇の勢力を全部みなうち砕く王が入城する事件です。この祝福が皆さんにあるようになることを主の御名でお祈りします。必ず記憶しなければなりません。昔、法王が米国を訪問しました。飛行機からおりるので、どのようにしたでしょうか。法王が歩いていくところごとに真っ赤なじゅうたんを敷きました。昔に王がくれば、そのようにしました。これが小さい事件ですが、そのような意味を持っているのです。これが何が重要なのでしょうか。悟ることも出来ないパリサイ人が、あなたの弟子達が、いったい今、何をするのか。ピンと来ないのです。今、あなたの弟子が、天に平和、地に栄光とは何の話なのか。その時、イエス様がなさったみことばです。弟子が黙れば、石が大声を出すだろう。石がどのように声を出すのでしょうか。だから、そんなことが必ず起きるようになるということです。70年が過ぎて、イスラエルは崩れて、全世界に福音は宣べ伝えられ始めました。今まで、この福音を正しく持った人は完全に勝利したのです。皆さんが、この祝福を受けるようになることを主の御名でお祈りします。 ・それでは、この祝福を受けるために、皆さんが今、重要な結論をいくつか出すべきです。今日、メッセージはわかったでしょう。皆さんが福音で始まったとすれば、勝利で完成されるというメッセージを聞きました。この祝福を知らないようにサタンはずっと邪魔するのです。だまされてはなりません。記憶しなければならないのです。今日の本文にあります。皆さんが小さい献身ですが、これが永遠な実を結ぶようになるのです。それなら、どんな結論を出さなければならないのでしょうか。今日、ここに見るのと、主がお入用なのですと言いなさい。キリストが主ではないでしょうか。主がお入用なのですと言いなさい。今日から皆さんの人生、皆さんの家、皆さんのすべての現場に主人がキリストになったら、奇跡が起こるのです。人は、主人によく会わなければなりません。ここにきれいお嬢さんがたくさんいますが、いくらお嬢さんがきれいによく育って、勉強して、大学に行っても、嫁に行くのを変な所に行けば、おかしくなってしまいます。簡単に話せば、主人を誤って選んだのです。夫が主人でしょうか、聖書に主人だと言われています。皆さんが会社に就職をしたのに、社長が変だとすれば、それではおかしくなるのです。皆さんが主人を誰にしなければならないのでしょうか。主人が私がなってしまえば、私が力が無限ならば良いのですが、限界がきます。キリストが皆さんの主人になる日、奇跡が起こり始めるのです。なぜそうでしょうか。聖書のコロサイ2章、ピリピ3章を見たら、キリストは万物の主人であるためです。皆さんの会社に万王の王なる主イエス・キリストが主人になったら、働きが起き始めます。皆さんの人生にキリストが主人になったら、みわざが起きます。なぜでしょうか。主がお入用なのですと言いなさい。だから、これがどれくらい祝福されたことでしょうか。今日、皆さんの人生に貴重な大きい祝福が始まることを主の御名で祝福します。 ・一度に注ぐこと私たちはこの祝福を受けるために、最後に重要なことがあります。現場に行けば、葛藤があります。これをどのようにするのでしょうか。皆さんが確かに大きい祝福を受けたのですが、教会の中にも葛藤があります。ここで、大きい答えが来るか、来ないかの別れ目になるのです。ここに座っておられる皆さんが家に帰れば葛藤があるでしょう。どのようにするのでしょうか。これが答えを受ける人と、受けない人の差異点です。葛藤があるのをどのようにするのでしょうか。こういう話があります。英語で見れば、人が真に子どものように幼稚にするという時は、英語でchildishと言います。簡単に話せば、子どものように幼稚にするという言葉です。しかし、人が清潔で本当に子どものように清潔な人を見てchildlikeと言います。単語を違うように使うのです。私たちが、どこか行ったら田舎のようで、少し水準が低いからそう思うというときには、何と言うでしょうか。田舎臭いと言います。しかし、田舎に行って川の水が流れて、森がとても良ければ、田舎臭いと言うでしょうか。その時は、何と言うでしょうか。田舎らしいと言います。ソウルに行ってみて、走り回る人が多くて、本当にソウルらしいと言います。ソウルに行ってみて、レベルも高くいと思うと、ソウルらしいと言います。皆さんが蔚山(ウルサン)らしければ、答えを受けられません。あの人は、真に蔚山(ウルサン)らしい言われたら、どうするでしょうか。蔚山(ウルサン)にも良いことが多いのです。その意味で、蔚山(ウルサン)らしいと言われるべきです。工業都市らしい。若い人がたくさん集まる新都市らしい。それは良い言葉です。蔚山(ウルサン)らしいという言葉は良い言葉ではありません。皆さん、必ずこれは単なる話ではなく重要なことです。なぜ重要な話になるかというと、蔚山(ウルサン)で一番祝福受ける教会です。それでは、それらしくなければなりません。そのような目で見る時、どんなことが葛藤になるでしょうか。みな表に現れます。何の話なのか分かるでしょうか。 ・ヨセフは世界を福音化するビジョンを確かに持ちました。しかし、問題がきたのです。どのようにしたのでしょうか。ビジョンを持っている人間らしくしたのです。それでは99%の葛藤は必要がありません。間違いありません。皆さんの子どもが、皆さんの教会が、世界的な答えを受ける教会であることが確実ならば、それらしくなければなりません。アブラハムがこれを悟れなかったので、それらしくなる時まで事がならなかったのです。アブラハムは、どうなのかというと、わたしがあなたによってすべての民が祝福を受けるようにすると言われました。もしあなたを呪う者があればわたしが呪って、あなたを祝福する者をわたしも祝福すると言われたのです。そうでなければならないのに、このアブラハムは、カルデヤらしく出てきて、何を食べて生きるかを心配していたのでした。これがだめだったので、殴られても、殴られなくてもずっと葛藤していました。これは引っ越ししなくても葛藤、引っ越してきても葛藤。いつも試みにあったのです。ある日、アブラハムが悟ったのです。信仰の先祖らしく契約をつかみました。この時から、祝福が注がれるようになり始めたのです。少なくとも、インマヌエル釜山(プサン)、インマヌエル・ソウル、インマヌエル蔚山(ウルサン)は、神様が特別な計画を持っておられる代表的な教会です。私たちが面倒ですが、この3つの教会が衛星をつないで礼拝するには理由があるのです。私たちだけでも変なこと、昔の教会のようにせずに、正しく福音運動しようということです。私たちが正しく聖書にある世界福音化の祝福を受けてみようということなのです。だから、皆さんが、それらしくなってこそ答えがきます。あの田舎にいる人が田舎者らしくなれば、絶対に田舎を生かすことができません。私が米国へ行ってこういう話をしました。米国を生かしたい人は、米国に適応をすべきですが、同化されてはなりません。米国に適応はすべきですが、米国に同化されてしまえば、絶対に米国を生かすことができないのです。蔚山(ウルサン)に適応をすべきですが、蔚山(ウルサン)に同化されてしまえば、それは蔚山(ウルサン)のレベルだから、蔚山(ウルサン)を生かすことができません。 ・レムナント七人を見ましょう。その成功をいつしたのでしょうか。それを悟って準備をしました。反対の言葉で、それが悟れないならば、ずっと困難を受けます。例をあげてみます。エステルです。私が初めて見た時、世界福音化の使命者だということが分かりました。神様がそのように呼ばれたのです。私は、エステルの事情をよく知りませんでした。エステルが韓国にきて通訳する人もなのに、ずっと米国に帰ると言いました。私はそのような事情を知らずにいたのです。昔のことです。しかし、また知ったところ、エステルのお父さんが教会の働き人がいないから、ずっと帰って来なさいと言うのでした。しかし、私は一つは知っていたのです。エステルが何の事情なのか、そんなことは知らず、一つは知っていたのです。神様が世界福音化のために確かに立てられた働き人です。帰ると私に挨拶をしにきました。それで、私は帰ってくるようになるから、行ってみなさいと言いました。なぜかというと、私は神様の計画を知っていたからです。それで、辞表を出したのですが、帰ってくるから行きなさいと言ったのです。それで、行って少しして、ある理由のために捕えられて戻ってきました。避けられるでしょうか。ところで、その瞬間に悟れなければ、ずっと葛藤になるのです。それが悟れたのです。私は今世界福音化のこれのために神様が私を呼ばれたのだなあ。本人がもう分かったのです。米国にいたら、何か自分の心にずっとぶつかるのです。 ・私は韓国にいて世界に向かって通訳すべきだということが悟れたのです。だから、何か葛藤がみななくなってしまったのです。それで、韓国にまた戻ってきました。私は来るだろうと思っていたと言いました。それで来て、献身して奉仕していたら、素晴らしい男性に出会って、結婚もしました。この頃は男の詐欺師のようにおかしな男が多いですが、そのような男ら会ったら大変です。率直な話で、パク・ソンジンのような人物に会おうとするなら大変です。その上に、きれいな娘を産んで、息子を産みました。娘を初めに産んだ時、とてもぶさいくだったので、私がぶさいくだと言ったところ、しかめっ面をしながら私を見ていました。しかし、時間が経つほどかわいくなります。そして息子ができました。今、全世界にメッセージが出て行っています。今、全世界のレムナントでエステル先輩のようになろうと勉強する子どもたちが、どれほど多いかわかりません。だから、私たちが、それらしくなければならないのです。これをのがせば絶対にだめです。皆さんにこの祝福を与えられたのに知らずにぼうぜんとしていたら、どうなるのでしょうか。まったく今から、インマヌエル蔚山(ウルサン)、釜山(プサン)、ソウルは適当なうつわにはやくはやく広げましょう。祝福は備えられています。 ・ある人は原則を問い詰め、ある人は状況を問い詰めたりもします。どれが正しいのでしょうか。返事をしてみてください。原則もあって、状況もあります。どれが正しいのかということです。ところで、ずっと争えば原則が正しいでしょう。しかし、私たちが判断をどのようにしなければならないのでしょうか。原則について行かなければならないのか、状況をついて行かなければならないのでしょうか。ヨシュア、カレブがエリコの町に隠れていたのですが、追っ手がつかまえにきました。遊女ラハプが原則に従ったのでしょうか、状況に従ったのでしょうか。嘘をついたのです。隠れていると言わなければならなかったのに、あちらに行ったと言いました。それによって、この女は救われたのです。それでは、どれが正しいのでしょうか。それでは、原則が間違っているのでしょうか。違います。原則に従わなければならないのでしょうか、状況に従わなければならないのでしょうか、どちらが正しいのかということです。前に答え出しました。神様が私たちに望んでおられる本分があるのです。皆さんにそれらしくしなさいという本分があります。それをのがしてはいけません。インマヌエル教会に向かった、私たちのタラッパン、世界福音化に向かった神様の明らかな計画があるということです。レムナント七人がそれを悟った時、答えをずっと受けました。皆さんに言葉、葛藤がすべてみななくなります。皆さんが女の人であっても、嫁に行けばおばさんになります。おばさんらしいことを悟れなければ、いつも葛藤が起きるのです。問題がずっとくるのです。もし牧師夫人になってしまえば、牧師夫人らしくあるべきで、そうでなければいつも葛藤します。もし牧師が大きい教会になってしまえば、大きい牧師夫人らしくなるべきで、そうなければいつも問題、全部、問題になってしまいます。だから、問題にならないことが全部、問題になってしまうのです。私たちが、これを分かってしまえば、全部、祝福です。皆さんがそのような祝福を受ける人だということです。何の話なのか分かるでしょうか。私たちの主はどなたなのでしょうか。万物の主人であるキリストが私たちの主人です。主がお入用なのです。この話は、普通の話ではありません。それで、皆さんが今日、この契約を捕まえて深く祈りながら、本当に答えを受け始めなければなりません。 ・それで、要約すれば3つです。皆さんが本当に答えを受けるということは、何の話でしょうか。信仰からまっすぐ行かなければならないのですが、その信仰が何の信仰でしょうか。福音を持ったならば、絶対に失敗しないで完成されていきます。それが、私たちの信仰であるべきです。それから、私たちが信じる中で今戦わなければならないことが一つあります。今日、ここに戦わなければならないことが何なのかというと、サタンは皆さんの子どもと皆さんが福音を正しく知ることを防ぎます。そして、三番目に記憶しなければならないことがあります。皆さんにくださった祝福らしく、キリストのなかで献身すれば、小さいことでも大きい答えで、永遠に、今のように残るようになります。今日、皆さんの人生が新しくなる祝福があることを主の御名で祝福します。私は、家族のために、私は私たちの子どものために。心配しないようにしましょう。皆さんが祈ること、福音を持った者の祈りは、一つも地に落ちないでうつわに入れられます。その証人が、私です。 ・私が福音なく、とてもほろびた時、うちの母が私のために祈りました。私は本来おかしな人ではないのですが、おかしくなってしまうのでさらに崩れたのです。これくらい福音が重要です。私たちの子孫が、福音を知らなければ、大変なことになります。私が強調する理由があるのです。福音を知らなくて、幼い時、勉強も良くしたのですが、さらに堕落しました。これで私が完全におかしくなったのです。それで、私たちの町で私と遊ぶなとうわさが立ったのでした。しかし、ある日、神様が私の母の祈りで戻るようにされました。本当に、祈りそのまま答えられました。うちの母が、朝の祈り行ってきて、自分の手を捕まえて祈るのでした。神様に戻るようにしてください。そして、福音を悟って主の大きいしもべになるようにしてくださいと、そのように祈っていました。それで、私が目覚めて、その声を聞いて、私は絶対に牧師をしないと言いました。しかし、神様がうちの母が祈った、そのままなるようにされたのです。絶対に気をおとす必要がありません。家族のために絶対に気をおとす必要がないのです。契約を捕まえて祈って、福音的な祝福を味わうようになる私たちのインマヌエルの家族になることをイエスの名前でお祈りします。隣の人を祝福しましょう。‘福音のなかで必ず勝利します。’‘'私たちは気をおとす必要もありません。’ <<契約の祈り>> 神様に感謝いたします。インマヌエルの家族を祝福された神様に感謝いたします。今の時間も衛星で礼拝するすべての教会、インターネットでみことば受けるしもべに働いて下さい。私たちのインマヌエル蔚山(ウルサン)を祝福された神様に感謝いたします。今日、契約を捕まえる答えのみことばになるようにして下さい。私たちの聖徒が勝利する祝福の契約になるようにして下さい。生きておられる主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン |