2005年11月27日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/苦難の有益
(詩119:65〜72)
・ある二人の学生が休みの時アルバイトをしに行きました。おかしな人に会いました。学生たちを集めて利用して困らせるような人でした。ですから、学生1人はとても傷を受けたのです。おとなが学生にどのように、そのようなをするのかと、とても傷を受けたのでした。しかし、もう1人は、そのように考えなかったのです。'世の中にこういうこともあるんだな。私が今勉強を正しくしなければ、ずっとこのように生きなければならないだろう。私が正しい準備をしないならば、ずっとこういう人に、このような苦難にあわなければならないんだな。'そのような考えを持ったのです。誰が成功した人なのかは、私たちは簡単に知ることができるでしょう。苦難を知らなければ、幸福もわかりません。苦難がどんなものなのか分かってこそ、幸福も正確に知ることができるのです。今日の詩篇の本文には'苦難が私に有益だ(苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした)'と言われています。それで、どんな有益なのでしょうか? ・今日、苦難の有益を見つけて、多くの力を得るように願います。苦難が何かを知らなければ恨むようになります。そして、人を恨んだりもするのです。しかし、私たちは先に苦難が何かを理解しなければなりません。苦難はどのように、いつ始まったのでしょうか? 創世記1:2を見れば、世の中は、皆さんが生まれる前に暗闇、空虚、混とんの中にあったとなっています。黙示12章を見ると、天から堕落した天使がサタンになって、世の中を乱れるようにさせるとなっています。いよいよ創世記3:5節を見れば、善悪を知る木の実を取って食べる失敗をするようになります。創世記3:16〜20に、その時から苦難が始まったのです。地も呪われました。それで、ヨハネ8:44節を見れば、私たちも知らない間に悪魔のしもべ役割をするようになったのです。出エジプト20章を見れば、神様を知らないから偶像崇拝するようになります。子どもは、お腹がすいていたら乳を飲まさなければならないのに、なければ指も吸って、何でも口に入れるようになります。神様にあえなくて、苦難の中に陥った人間は、自然に偶像崇拝するようになったのです。当然、精神的な問題がくるようになりました。それで、肉体的な病気もくるようになっています。そこで終わるのではなく、家族に、子孫にそのまま伝えられるのです。その苦難は永遠です。 ・だから、苦難が何かを理解しなければなりません。しかし、苦難の重要な内容を見れば、私たち自らが作り出しています。その背後には、サタンが手助けするのです。また、他の人の霊的問題と連結して共に崩れるのです。これが苦難の特徴です。ほとんどみな、神様が有益でくださったことのほかは、自ら作り出すのです。自ら作り出すものだと思ったのですが、問題がくるから見たら、その後に目に見えないようにサタンがしきりに手助けするのです。そうするうちに、夫婦関係も問題がくるから家庭も崩れて、友人関係も問題くるから戦うようになるのです。それで、この苦難は続くのです。今日、この詩篇の苦難は、また少し違ったものです。こういうものがとても長く積もってイスラエル民族が捕虜になりました。それまでは良いでしょう。こういう困難の中から抜け出そうとする人を、高慢な人々がしきりに難しくするのです。それが今日の本文です。正確に見れば、この苦難は今でも私たちが受けるのと全く同じです。 ・私たちは後から2部で学生たちに話をするつもりですが、私たち大人たちは、この部分に対して正確に知らなければ、ずっと苦難の中に陥るのです。それなら、この苦難は簡単なものではありません。どのように、この苦難が有益になるのでしょうか。それが重要です。今日、苦難の中で生きる人々が大きい祝福を受ける機会になるように願います。短い時間ですが、全世界でインターネットで、衛星で、礼拝する教会が、この祝福を、苦難をどのように有益にするのでしょうか? いったいどんな有益を作り出すべきなのでしょうか? 私たちはどのようにすべきなのか? に対する祝福を必ず受けなければなりません。人をうらんで、自分自身を恨んでも、どうしてもこの苦難は解決できません。この苦難の背後には、サタンから出発したので神様のことではありません。苦難を通して神様のみこころが成し遂げられますが、苦難は神様のみこころではありません。それで、人間が苦難の中にずっと陥るのです。どのようにこの苦難が有益になるのでしょうか。 ・最初です。皆さんが福音の中に完全に入っていけば、苦難は全部、祝福になります。もしスパイが韓国に来たらどうなるのでしょうか。韓国に損害を与えることを継続するでしょう。ある人は、テロをしようとして、施設も破壊しようとするでしょう。しかし、このスパイが完全に自首したら完全に終わるのです。スパイが '私はスパイをしたくない。なぜ人殺しをすべきなのか。私はこういう悪いことをしたくない。私は自由の中に帰りたい。' それで今日、自首したら完全に終わるのです。それで、そのまま終わるのではありません。私たちの国家でその人が暮らすことができるように手助けして、過去の間違ったことはみな話せばみな許してくれるのです。スパイが自首して、昔に間違ったことがあると引き出して刑務所に連れていく方は絶対にありません。ひょっとして、スパイがいるならば、自首するように願います。福音の中に入っていけば良いのです。それで、昔に過去と全てのものが祝福に変わります。皆さんがこの秘密を分かるでしょうか。皆さんが今、福音の中に来れば、苦難を受けたことが全部、祝福に変わります。他の道はありません。サタンの手の中で抜け出してこそ、運命が変わるためです。いくら事業して、努力しても、皆さんが暗闇の勢力に陥れば勝つ方法がありません。そこから抜け出さなければならないのです。それで、安定した内に入ってこそ勝利するのです。 ・私たちは福音をよく分かっていると思っています。私たちは福音を簡単に理解していると思うのです。それが、今日の世界の教会の弱点です。しかし、福音の中に入れば、時間が経てばますます全部が祝福に変わるのです。皆さんの過去の失敗までも祝福に変わります。私が何度か話したでしょう。私は本当にとてもよく分かります。私が福音の中に入ってきてみたら、過去のことが全部、祝福です。私の家が火事になりました。私の家だけでなく、町全体が火事になったのです。ですから、国家で私たちを連れて行ってくれたのが、山に連れて行ったのです。山で暮らしたのです。はやく建物を作って、どうにかしてあげようと言ったのですが、その約束は守られなかったので、ずっとそこで暮らしたのです。その山に住んでいたので、私は毎日のように登山して通ったのです。それも祝福です。その時から今まで、一度も病気をしたことがありません。いつも登山をしたからです。 ・食べ物がなくて、山でカエルを取って食べて、葛を掘って、イナゴを焼いて食べました。これが今、知ってみたら、完全に栄養食です。それで聖書を見たら、バプテスマのヨハネがイナゴを取って食べたと書いてあります。ですから、バプテスマのヨハネが食べた物を私も食べていたのです。だからどれくらい健康でしょうか。何でも祝福に変わります。また、私の父は、早く亡くなりました。それのために多くの苦労をしたのですが、おとなになってみたら、それも祝福です。私が福音の中に入って行くと、それも全部、土台になって、祝福になるのです。私はだいたいの牧師と大人たちが人々の間で試みにあうのをたくさん見ました。私はあまりにも苦労したので、試みにあうこともありません。ですから、苦労をしてみた人は、ある程度の苦労は苦労ではありません。この福音の中に入って行くと、人も祝福です。ヨセフの敵が、ヨセフを売り飛ばしたのですが、それも祝福でした。ポティファルの妻がヨセフを監獄所に送ったのですが、それも祝福です。皆さんがこの福音の中に入って行けば、すべての事件が祝福になります。苦難にあっていると思ったところ、福音の中に入って行くようになれば、全てのものが祝福に変わるようになるのです。 ・今日、二番目で何と言われているでしょうか。苦難にあうことが有益です。どうして苦難にあうことが有益なのでしょうか。67節を見たら'苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。' 71節見ると、'苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。'私たちが苦難にあっているように見えるのですが、神様のみことばを見つめるようになるのです。未信者は、苦難にあえば、絶望の機会になります。しかし、私たち信者は、苦難にあうといえば、それはみことばを見つめる機会になるのです。救われた神様の民は、さらに神様を見上げるようになります。皆さんが苦難の中で福音の中に入って行ったら、まちがいなく大きな益になります。それで、苦難が有益だと言われているのです。 ・ある方が、私にそのような話をしました。自分はクリスチャンを本当に変だと思ったということです。学校先生をしていたのですが、自分は学生たちにもイエスを信じる子どもたちに会えば、教会に通わないようにと言いました。自分の周囲にイエスを信じる人々がたくさんいるのに、自分はそれを見ながらいつも誤ったことをたくさん見たということでした。それで、何で教会に行くのか?何でイエスを信じる必要があるのか?そのように考えていたのですが、そのようなある日のことでした。しきりに自分が疲れて変になって、病院で検事を受けたのですが、肝臓が固まる病気にかかったのでした。医師が言うのには、ちょっと深刻だから休まなければならないということだったのです。絶対に仕事をしてはいけないと言われたのでした。それで、病院に入院したのでした。病院に入院したのですが、生まれて初めてキリスト教放送を聞いたのです。それで、ある牧師が説教をするところに耳を傾けたということです。説教の中に'ひょっとして皆さんは病気の中にいるのではないですか?'というのがあって、これは私にする言葉だなと思って、放送でイエス様を救い主として受け入れたのです。この人に奇跡が起きたのです。その時から自分に起きた奇跡を私に話しました。苦難にあったことが、とても有益です。私が福音を知るようになって、神様の力を知るようになって、私がとうてい分かることができなかったこの祝福を知るようになったので、苦難がどれくらい有益かという告白を聞きました。 ・福音を持った人々は、苦難のなかで神様をながめる時、すばらしいことが行われるのです。ヘンデルのような人は、アルコール中毒者でした。しかし、この人が神様を知って、すばらしい音楽を作り出したのです。本来、アインシュタインという人も、落第生だったということです。神様を知ったため、この人がすばらしいものを作り出したということです。皆さんもおわかりの通り、エジソンの場合は、先生が学校に通わさせなかったということです。'この子は学校に適応できない頭だ'と言われたのですが、そのお母さんとエジソンはどれくらい祈ったのか、発明王になりました。むしろ私たちは苦難にあうことが有益です。 ・しかし、さらに重要なのは、皆さんがみことばを詳しく見れば、三番目に重要なことが出てきます。イスラエル民族が捕虜になりました。指導者と多くの人々が、高慢で悟ることができないのです。これが機会です。それで有益なのです。今日良く見れば、苦難にあうことが、全部、機会です。イスラエル民族が苦難にあう中で困難が起きました。イスラエル民族が捕虜になったのです。よく悟ってしまえば、機会です。なぜ私たちが苦難の中で捕虜になっているのか。それが機会です。ここですばらしいことを勝ち取るのです。私は幼い時から今まで、良いことよりは良くないことでさらに多く悟りました。大部分の人々が、とてもじめじめして教会に通いながらもつまらない言葉で騒いでいます。私はそれで決心したのです。私はあのように生きてはならない。清潔に福音を持って神様の力で生きるべきで、なぜあのように生きるのか… ・幼い時、大人たちが米国から来た救済品のことで戦うのを見ました。私は神様に祈ったのです。貧しく生きてはならない。あんな人になってはいけないと、そのようなことを見ながらみな習うようになったのです。教会を母教会を含めて、6個の教会に通いました。6個の教会を回りながら本当にたくさん習いました。全く福音がなかったのです。信仰ということが、福音でなく、ただすれば良いという信仰でした。そして、信徒が教会に通っているのに、葛藤、試み、つぶやきが多かったのです。私はそれを見ながら悟ったのです。あれは教会ではない。確かにあれは聖徒ではない。教会は神様の子どもが集まったところで、世の中を変化させるべきで、人を変化させなければならない。神様の子どもは必ず祈り答え受ける。福音はだめなことがない。私は人々を見ながらみな習いました。誰かがこういう話をしました。絶望も徹底的にしたら希望がある。絶望も中途半端にしていては、希望がないのです。本当に絶望すれば希望があります。私はできないな。本当に絶望してしまえば、希望があるのです。それでは、どのようにすれば良いのでしょうか。それで神様が恵みで救いをくださったのです。 ・それで聖書は、数千回、数万回、イエスを信じろと言われているのだな。それで神様はわたしのところに来なさいと言われたのだな。とわかりました。絶望を正しくすれば希望があるのです。絶望もあまりしなければ、希望がありません。いくらでも私たちは苦難の中で神様を見上げれば、すばらしい祝福の門が開くのです。おじいさんが孫を連れて山に上がりました。おじいさん、どこへ行きますか? 今、ハンマーになる木を探しに行くのだ。しかし、これも、あれもみんな見ても切らないで、それほど良くもない木を見ながら、これが良いと言ってその木を切ったのです。それで、孫が尋ねました。おじいさん、さっき見た木が良い木なのに、これはねじ曲がっているけれど、こういう木を使うのかと尋ねたのです。おじいさんが、このように答えました。私の下にある木は良いが、使い道がない木だ。ハンマーにしようとするなら、風にも吹かれて、雨にも降られて、太陽にもたくさん照らされた木でなければならない。私の下にある木は良いように見えるが、何の使い道もない木だ。この言葉を孫がわかったのです。'ハンマーの木も、多くの苦難を体験してこそ良い木だな。' ・私たちが苦難の中で絶望することもあります。しかし、正しく目を開いたら苦難は機会です。さらに大きい目で見れば、苦難は神様の力を味わえる機会です。より大きい目を開いて見れば、苦難は福音の中に入れる絶好の機会です。それで、苦難は有益なのです。捕虜になったのですが、私がそこから主を見上げるから有益なのです。どれくらい高慢な人々が多いでしょうか。しかし、私がそのために私が神様をながめるから私には有益なのです。今まで大きい勝利をした人は、みな苦難を通過しました。問題はどのように通過するかが問題です。皆さんが福音の中に入らなければ運命が変わらないために、苦難は続きます。私たちが神様の力を見上げる奥義がないならば、限界が来るために、ずっと苦難の中に陥るようになります。何でもそうです。運動も、事業も何でもみなそうです。私に限界がくれば不思議にできなくなります。その上のことを捕まえるべきなのですが、それが神様の力です。その苦難の中で神様の力を見上げれば、祝福になるのに、見上げることができなければ、ほろびるようになるのです。分かってみれば、苦難は全部、機会です。 ・私は時々こういう話をします。私たちの教会に来た人々を役員や教役者がちょっと暖かく接してあげて欲しいと言います。理由があるのです。ほとんどが苦難を受けて来る人々です。この福音運動をしようとするのですが、それのために苦難を受けた人々です。教会で忠誠、奉仕しようとするのに、教会を通して苦難にあった人々です。私はこういう人々をたくさん見ました。教会にきて恵みを受けようとするのに、どれくらい苦難があるかわかりません。私たちの教会では、そのようにしてはならないと言うのです。ある人々は、よく理解できないのですが、私はそのように考えています。少し誤った人もきて恵みを受けて直して、ちょっと悪い人もきて悟って力を得て、良い人なって、聖書に見たら、病気になった者は病気が癒されて伝道者になって、貧しい人は力を得て他の人を生かす人になって、それが福音で、神様の力なのです。それで、私たちは苦難を通して多くの祝福を作り出せるのです。それで、苦難の中から福音を悟った人で、正しく苦難を通過した人は、大きい祝福を味わうようになっています。 ・それでは、私たちは今からどのようにすれば良いのでしょうか。最後の三番目です。苦難を受けない道、苦難がきても勝てる道があります。今回、L.A集会をしてきました。レムナント集会もして、おとなの集会もしました。大人たちの集会は言うまでもなくて、レムナント集会は子どもたちだけで、1500人が集まりました。この学生たちがもう本当に違うのです。私は神様の祝福を受けるのを見ながら、あまりにも多くの恵みを受けました。たった今、世界的に答えを受けて起きています。どれくらい感謝なことなのかわかりません。私が学生たちを見て最後にこういうメッセージをしてきました。レムナントと伝道者は、必ず3つの規則を遵守しなければなりません。これを必ず守りましょう。 ・その最初が何でしょうか? その最初がとても重要です。最初には、神様の恵みと力の中で生きるということが重要ですが、どんな規則を遵守するのでしょうか。一日に30分だけ投資しましょう。十分ずつ一日に3回だけ祈っても、大きいみわざが起きます。その祈る時、福音を味わう祈りをしましょう。すばらしいことが行われます。'主がヨセフとともにおられたため…'全く難しくありません。私は皆さんに十五分だけ投資しても良いと言います。頭が優れた人々は長く座って祈りることはできません。五分ずつだけ3回しましょう。すばらしいことが行われるのです。そして、二番目に、事実を見れば答えが見えます。事実を見れば、正しく考えられるのです。その事実を捕まえて頂上に挑戦しましょう。これがレムナントが生きていく方法の二番目です。事実を見てこそ、正しく考えられるのです。事実を見てこそ、正しく祈ることもできます。事実を見てこそ、頂上に挑戦することができるのです。そのようにしなさい。そして、レムナントは、こういう問題をどのようにしなければならないかと祈りませんでした。レムナントは、また信仰生活を良くする人々は、どのようにすれば祈りの答えを受けるのかに対して祈りませんでした。答えを受け取ることが確実なので、うつわを準備したのです。これがレムナントの3つの規則の遵守です。簡単なように見えるでしょうが、とても重要なのです。この3つのことを守ったら、苦難も来ないだけではなく、きても何の問題になりません。 ・私は17年前から十分ずつ時間をとって、必ず一日に三回程度、とても深い深呼吸をする練習をしました。医者がたくさんおられるでしょうが、皆さんが参考にしなければなりません。年をとるほど、そのようにしなければならないのです。そのようにしなければ、年をとれば、肺が縮むから、それで痰も出てくるのです。 私は座ったまま深い呼吸を10ずつします。一日に三回ずつ。初めにそのようにして、このようにしながら祈れば良いという気がしたのです。静かに座って深い呼吸をしながら深く祈りをしました。これが普通のことではありません。私が一日に三回程度だけ深く祈ったのですが、20個の戦略が出てきたのです。この20個の戦略が一つも失敗しないでずっと成功したのです。この祈りだけしたのにです。この祈りを継続していたら、神様はあちこちで答えを与えられました。2005年度に受けた答えが本当にとても大きいのです。2005年度には、各教会でも答えをたくさん受けたのですが、レムナントがどれくらい答えを受けたのかわかりません。エレミヤラント共同体訓練場を作ろうと言ったのですが、今は約20%が参加しています。予算で30億円を越えました。 ・今回、米国へ行ったところ米国でも大騒ぎをしています。私たちがどのようにこの献金に参加すれば良いのかと米国全体で委員会を構成したのです。私たちがレムナントのために共同体を作ることに力を合わせようと、委員会の集いを持ったのでした。毎日、所々答えがきました。また、ある方が私たちの協会に米国でレムナント運動をしてくださいと、自分が持っている2万坪の土地も与えてくださいました。今、私たちのレムナント共同体訓練場を作るには、奇蹟のように道が開かれて、土地も買ったり、こうしたことが行われています。私は祈っています。神様の祝福を受ける人々は、1人ももれなくレムナント共同体に参加しましょう。その中に私たちの教会に答えがくるでしょう。私は確かに契約で捕まえました。私たちがレムナントのために、暗闇と戦いをするため準備している間に、神様は皆さん個人を祝福されるでしょう。とても重要で正しいことだから、私たちの団体を祝福されるでしょう。 ・'私たちの今インマヌエル教会は建物もないのにどうしますか?'神様がその間に答えられるでしょう。皆さんは全部、心だけ集めたら、残りは神様が働かれるでしょう。イスラエル民族が血を塗った時、神様が働かれました。イスラエル民族が一つになった時、無力ですが、神様は紅海を分けられたのです。イスラエル民族が一つになって行く時、エリコが崩れました。信仰生活して福音の味を知らなければなりません。'これが神様の力だな!'と味わわなければならないのです。個人が神様の祝福を受けなければなりません。そうしてこそ、信仰生活になるのです。苦難を受けるのが有益ですが、福音の中に入ったら、全てのものが祝福になります。苦難を受けるのがなぜ有益なのでしょうか? 神様を見上げたら有益になるのです。私たちがそこで神様の計画を捜し出したら、途方もない有益になるのです。 ・どのように、この祝福を味わうことができるのでしょうか。祈りの契約の中に入りましょう。'主がヨセフと共におられたため'どのようにして、あなたがこうしたことができたか? あなたが、どのように夢をこのように解釈が良くできるのかと尋ねられた時、ヨセフはこのように話しました。主なる神様が私とともにおられ、王様を祝福されたと話したのです。詩70篇を見れば、ダビデは、仕事や計画をたてたのではなく、神様の恵みの中に入ったのです。それで、事実が見え始めるのです。皆さんが一人で考えをよくすれば、とんでもない道に行くようになります。それで、考えをよくするのも重要ですが、祈りをよくしなければなりません。事業を失敗する人々の特徴が、片方だけ考えをよくして自分一人でできそうだからして、失敗するのです。言わば客観性がなくなるのです。夜通し悩むから、他の人が考えることができないことをするようになるのです。それで変に見えるのです。 ・皆さんは祈りをずっとしていれば、事実が見えます。事実が見えてこそ、正しく考えられるのです。そうしてこそ、正しい答えを受けられます。それが二番目の原理です。皆さんが事実を見てこそ、立派な考えをすることができます。それで、その事実が見え始めれば、すでに神様の答えが分かるから、準備するようになるのです。困難もきません。また、きても何の関係もありません。皆さんにどんな困難が差しせまってきても関係ないのです。福音の中に入ってしまえば、それが祝福になってしまいます。その契約を持って主だけ見上げれば、力が現れます。苦難を正しく見つめれば、それが機会です。その中で神様の計画が出てくるのです。ですから、3つんことだけすれば良いのです。皆さんだけの静かな時間を持ちましょう。少しだけ祈れば良いのです。それが骨を折ることだと思えても、少しだけ祈れば、すばらしい答えがきます。そして、いつでも私たちは問題がきたり、多くのことがあるようでも、事実だけよく見れば、確かに問題には答があります。そして、私たちはどのように答えを受けるかではないのです。答えはすでに受けるために、どのように味わうかを準備しなければならないのです。 ・皆さん、これは簡単な話ではありません。神様はインマヌエル教会に福音を伝える者をたくさん立てられるでしょう。そこに対する準備をしなければ、いつもアブラハムのように苦難にあいます。はやく記憶しなければなりません。それで今、私たちは首都圏に2000ヶ所で正しくみことば運動が起きなければならないのです。そうするならば、実際に準備しなければなりません。神様はその時、答えられます。私たちのレムナントは、必ず記憶しましょう。苦難が有益です。なぜそうでしょうか。福音の中に入れば。苦難は有益です。神様の力を味わう機会です。苦難は有益です。神様の計画を発見する機会です。その話です。それなら、すばらしい祝福の時間、答えの門が開かれる時間になるのです。それでは苦難が来ないだけでなく、きても全部祝福に変わります。この契約を捕まえて、皆さんが少しだけ時間を持てば、大きなみわざが起きます。一日に十五分だけ投資すれば、大きなみわざが起きるのです。そうすれば、少し楽しくさせることもできます。'私は定刻の祈りをしなければならない。'これだから難しいのです。そうしなくて、少し変えましょう。'朝早く起きなければならない。'特にレムナントは早く起きましょう。朝の人になりましょう。私も初めに学生の時、夜明けに起きて祈ったら、眠りが誘われて、何もだめでした。 ・伝道師だった時、城東教会の牧師が明け方祈祷会を私に導けと言われました。伝道師になって朝の祈りを導きに行くのに、どれくらい眠かったかわかりません。とても眠くて、聖書を持って歩いている時に、電柱にぶつかったこともありました。幸い、その時は木の電柱なので、ぶつかっても大丈夫でした。私が朝の祈り一週間をしながら'これを一生すべきなのに、どうしよう…'と思いました。牧師、伝道師をしようとするなら、一生、明け方祈祷会すべきだからです。それで、内心'朝の祈り、これだけなければ牧師はやりがいがあるのに、どんな奴が朝の祈りを作り出したのだろうか?'と思ったのです。マルコ1:35イエス様が作られました。その時、私が気がついたのです。どうせ成功しようとするなら、明け方の人にならなければならないのではないか。その時から、夜明けに祈って、運動もしました。必ず夜明けに祈って、登山したり、運動をしました。それと共に、夜明けに塾にも行って、他の人がしないことを夜明けに全部してしまったのです。それで、学校に通う時、適当なメッセージを夜明けにみな整理しました。他の人は学校へ行く時、学校へ行く前に、私は夜明けに早く起きて英語の勉強をしに行きました。どれくらい気持ちが良いかわかりません。夜明けに起きて、神様に祈って、運動して、顔を洗えば、本当に気持ちが良いのです。夜明けに起きて、祈って、登山に行ってくれば、家で寝ている人を見ると、少し動物のようにも見えました。これくらい違いが生じるのです。 ・夜にはどうするのでしょうか。夜には一日を整理して、明日することを考えながら祈れば、本当に恵みになります。'私が忘れてしまって…'それは祈らない人です。成功できません。皆さんが会社に行って、上の人が指示されたことを、最後まで仕上げできなくて忘れてしまう人は成功できません。その人は、夜に祈らない人です。ですから、よく考えてみましょう。とても重要なのです。昼間はどうするのでしょうか。私たちを疲れさせて、混乱させることがとても多いのです。この時、少しだけ私を見つけだして、しっかりして祈れば、すばらしい働きが起きます。その時は、何でもないかのように見えますが、継続して答えがきます。もし、この味をもう少し深く知ったら、すばらしい力になります。私たちが力がなくて、どのように未信者を生かすことができるでしょうか。私と皆さんが霊的な力がなくて、どのように暗闇の世の中に勝てるでしょうか。未信者と全く同じか、もしかしたら未信者より時間も足りないのに、どのように勝つのでしょうか。 ・今回、私が米国へ行ってレムナントの子どもたち、指導者になるだろう子どもたちを呼びました。モデルになりなさいと言いました。今回、ゲーム研究したデービッド・キムを呼びました。あなたには、力がなければならない。成功はするようになっているから、力がなければならない。私があなたのために祈る。あなたも祈りなさい。米国に入る前にはパク・ジュヨン選手を呼びました。あなたには、力が必要だ。何でも世の中を真っすぐ生きようとするなら、力が必要だ。それを学ばなければならないのです。苦難を通してすばらしい機会を作れます。そして、苦難を受けている人を救い出せる貴重な力が、神様のみことばの中にあるのです。また、私たちが生きていくのに苦難がきても問題になる必要はありません。今日、皆さんがすばらしい神様の力を得る日になるように主の御名で祝福します。この言葉を変えると、このように解釈することができます。福音の中でいたら、すべての苦難が全部、神様の祝福に変えられる答えがきました。苦難の中で主を見上げたらところ、すばらしい力を知るようになったということです。苦難の中で神様の契約を捕まえたところ、これが全部機会で、神様の計画であることを知るようになります。 ・それなら、この祝福を実際に味わいましょう。その中にすばらしい答えも祝福も入っています。だから、皆さんは勝利することができるのです。それこそ、神様の力で世の中を生かせる祝福を受けられるのです。ひょっとして苦難をうけている皆さんは、今日からこの中に入るように願います。そうでなければ,'私はとても失敗が多い'という方も、この中に入るように願います。皆さんの中ではこのように言う方々が多いでしょう。'どのようにしなければならないのですか?'それは少しあとにして、先にこの中に入るように願います。神様の力の中に入って、その味を少し知り始めたら、確かに変わります。それで、なぜよりによって柳先生は、定刻の祈りを主張するのか? 皆さんご飯を食べないで祈りを継続するということは、少しの間だけ継続できません。学生が学校に行かないで、教会に行って祈ることはできません。 ・全く表に出さずに世の中に勝てる力が必要ですが、それが定刻の祈りです。これを祝福で活用しなさいということです。朝の時間には、この祈りを単に活用するのではなく、他の人を先んじる祝福の機会です。夜の時間は明日を準備できる、ものすごい力を得る時間です。世の中でしばらく祈れば、すばらしい知恵を得ることができます。それで、この祝福を味わっていれば、苦難は全く問題になりません。苦難がきても大丈夫です。それなら、苦難を受ける方たちが、この中に入って完全勝利する祝福を味わうようになることをイエスの御名でお祈りします。今日一日が、世の中の日より貴重な日になることをイエスの御名でお祈りします。 <<契約の祈り>> 神様に感謝いたします。重要な祝福の日になるようにして下さい。世界を変化させる力を得る日になるようにして下さい。霊的な力を得る日になるようにして下さい。それこそ無限の神様の祝福である祈りの中に入れる機会になるようにして下さい。苦難を受ける時ごとに、福音の中に入って勝利するようにして下さい。苦難を受ける時から、主を見上げて力を体験するようにして下さい。世の中の苦難の中で神様の計画を発見する祝福を毎日味わうようにして下さい。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン |