2005年12月11日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/私を造り、形造られる神様
(詩119:73〜80)
・私を造り、形造られる神様だと73節に出ています。私たちが時々、映画も見たり、本を読んだりします。それは、私たちが人生を学ぶためにそのようにするのです。昔、パピヨンという映画があったでしょう。外国映画です。終身刑を受けた囚人2人が監獄にいました。1人はしきりに脱出しようとしました。それで、運動もして、虫も取って食べたりしていたのです。しかし、もう1人は全く脱出するつもりなく、熱心に仕事をして、お手伝いもしていました。二人を対照的に見せていました。脱出しようとする1人は、壁も壊して、何とかして逃げようと努力したのです。そのようにして、海に飛び降りました。海で泳いで逃げて、また捕えられたりしたのです。結局は、監獄に帰ってくるようになりました。帰ってみたら、自分の友人は逃げるつもりなく、安らかに良く暮らしていたのでした。このように二人で一生、監獄で暮らして死ぬ内容です。その二人の姿を映画に作ったのでした。本当に意味があります。また、モンテクリスト伯爵という映画がありました。1人は監獄から逃亡しようと、何年もかかって地面を掘りました。掘って見たら、誤って掘って隣室に出てしまったのです。隣室に掘ったから行ってみたら、他の囚人が1人いました。数年間、無駄なことをしたのです。それで、二人で向かい合って話をしました。'どこからきたのか、何歳か、何年の刑を受けたか'そのような質問を分けるうちに、二人とも終身刑であることを知るようになりました。今度は、互いに罪名は何かと尋ねたのです。そうしたら、1人は反ナポレオン派で、もう1人はナポレオン派で捕らえられてきたということでした。このように、歳月が流れて、ナポレオンの味方をしていた時は反ナポレオンを捕まえて入れられたのですが、今度はナポレオンの味方をしたら捕まえられるほど歳月が変わったのでした。歳月と人生をよく話しているのです。 ・初代教会が迫害を受けたのですが、ひどすぎる迫害を受けました。この人たちが知らずにイエスを信じる人々を無惨に捕まえて殺したのです。その時に、おわかりの通りパリサイ人の中でとても立派な指導者が1人いました。その人が、多くの弟子も育てて、パウロも育てた人物、ガマリエルという指導者です。迫害している時に、ガマリエルという人が法廷でこういう話をしました。'あの人たち(マルコのタラッパンの人々)をあまり困らせるな。神様のみこころでなければなくなるのではないか。そして、神様のみこころならば、私たちが神様に対抗することではないのか。そのまま置いておけば良いのではないのか。'このように話したのです。あまりにも立派な指導者だから、イスラエルの人々が聞くことは聞いたのですが、行動はしませんでした。何を話すのか知ることができるでしょう。 ・おじいさんの塞翁の馬の話を私たちはよく知っているでしょう。この大金持ちの家に、しもべがたくさんいました。しもべが来て、大変なことになったと言うのでした。何の用かと言ったところ、馬を管理するしもべが間違って、主人が好きだった馬がいなくなったと言うのでした。主人がそうかと言いました。探せば良いではないのか。馬は足が四本なので、出て行くことも、帰ってくることもできるから、探せば良い。探しなさい。少し後、またそのしもべが駆け付けてきたのです。御主人様、今回は本当に喜んでくださいと言いました。何かと言ったところ、馬が戻ってきたということです。そして、戻ってきて、他の馬を一頭、連れてきたということでした。だから、主人が私たちの馬も出て行ったのだから、その馬も出て来たのではないのか、また少し後、そのしもべが、今回は本当に大変なことになったと言うのでした。何かと言ったところ、御主人様の息子が馬に乗って落ちてケガしたということでした。主人はそうか。馬をよく乗る有能な馬乗りになろうとするなら、落ちたりもするだろう。死ななかったら治療すれば良いと話しました。また少し後、今回は本当に幸いだと言ってきました。今度は何かと言ったところ、戦争が起きたが、御主人様の息子はケガしているので、戦争に出て行かないで、死ななくなったので幸いだと言ったのです。何の話なのか分かるでしょう。人々は、そのように生きていっています。これが正しい、正しくない、合っている、合わないと言いながら生きていっているのです。 ・チョ・セヒという作家が書いた本の中で'小人が打ち上げた球'という本があります。背が低い小人が球を打ち上げても、どれくらい打ち上げられるでしょうか。タイトルをそのようにつけました。何年か前に、米国に行く時に、私は月曜日に米国に行く時には、それまで整理すべきことをカバンにみな入れて行きます。ある程度の手紙もみな持って行くのです。手紙を読んでいたら、同じ週に反対の手紙が二つきていました。手紙を読んでみたら、本当によく考えなければならない手紙でした。一つは'牧師先生、タラッパンはものすごい復興していて、全世界が起きています。ところで、牧師先生の周囲に参謀が賢くなければならないのに、あんなおかしな参謀であれば、福音運動を防ぐことで、大きい人物を見つけてこそ…成功した人々は参謀をよく使いました。…'例まで使いながら書いた正しい言葉でした。参考にして、そうだといって渡しました。ところで、次の手紙を読んだら、同じ内容だったのですが、他の内容でした。'牧師先生、申し訳ありません。私が牧師先生の説教だけ聞いて生きる者ですが、メッセージだけ捕まえて生きていく者なのに、牧師先生が、このみことばを語られたので…'としながら反対のことが書いてありました。'牧師先生は、この頃とりわけエリートの話をよくされるのですが、必ずエリートが必要なのでしょうか。福音を受ければ終わりであって、福音がエリートで…'とずらっと書いてあったのです。それで'本当に不思議だ。どうして、同じ手紙に反対的な意見の手紙がきて、頭を混乱させるのか…これもあれも正しいようだし'と思いました。ところで、一つ特徴は、若干の参考になるのは、賢い参謀にすべきだという言葉の人よりは、本当に私たちがキリストならばすべてだと話す人が成功をもう少しした人だったのです。それで見たら、もう少し感動を受けました。 ・タラッパン運動を30年間してくる中で、色々な事、話が多くありました。おもに残念なことに、いざこざを多く起こした人々が、ほとんどみな離れました。離れて成功したら大丈夫なのですが、ほとんどみな成功できずにいるのを見ながら、残念だという気がしました。私は私たちの母教会からインマヌエル教会まで、30年以上、伝道しながら7つの教会を経ました。その中で、私が本当に見て習った人もいて、有難い方たちもいて、私に信仰を植え付けた人もいます。また、そのうちには私に伝道することができるように手助けした人もいます。このように30年以上、ずっときながら多くのことを見て習いました。本当に貧しい教会にも、金持ち教会にもいてと見てきたのです。見たら、良く暮らす人々と貧しい人々のそれぞれのノウハウがあるのを見て、たくさん習いました。共通に見れば、教会を経ながら、成功した人物は、少し違うのです。成功した人物は、成功した人物らしかったのです。一度は、教会の中に釜山(プサン)市警察の銃の責任を負う、今で話せば警察庁長官がいました。その時は、市警局長とか言うのでした。この方が教会に出てくるのに、どれくらい謙虚かわかりません。その方は年上で、私たちは若かったのに、いつも私たちに行儀正しく、敬ってくれたのでした。警察庁長官ならば身分の高い人です。私はその時、教育伝道師で20代であり、その方は少なくとも4〜50代の人でした。私より年齢が2倍もあるはずなのに、挨拶する時、二つの足をそろえながら、正しい姿勢で挨拶をしてくださいました。教会の中でも、外でも、そのようにされました。必ず見れば、不思議に人の半分ぐらい習った人が、とても話が多くて、騒々しくてけんかをしていました。そんなことを見ながら'大きい人物と小さい人物がこれで違うんだな。'ということを感じたのです。 ・私たちはもう一年を送りながら、多くの祝福を受けました。今日、神様のみことばに、こういうみことばが与えられています。私たちが確かに悟らなければならないことは73節にこういう話があります。'あなたの御手が私を造り、私を形造りました。'私を造り、形造る神様です。私たちはここに対する結論を下して入らなければなりません。皆さんがもう残った人生を始めて、多くの答えを受けたのですが、前へ行かなければならない道が多いのですが、何が重要なのでしょうか。神様が私を造り、形造られるのです。それほど恵みにならない言葉かもしれませんが、一番私には祝福のみことばです。皆さんがこのみことばを知らなくなれば、結局は私の体質のとおり生きていきます。全世界に牧師と多くの使命者も、このメッセージを共に聞いています。ある時は、他の教団でも皆聞いています。私はぜひお願いしたいのです。皆さんがもし神様が私を造って、形造られるというこの言葉を知らなくなれば、年を取ればどうなるのでしょうか? 結局は、自分の体質のとおり信仰生活するということになります。それでは、本当に難しい問題がきます。これをメッセージで聞かずに、現実で見れば、とても重要な話になります。例えば、皆さんが人生を生きていって、結局は時刻表がくるのです。 ・今日、私たちのチョ・ソンム長老が年上で引退されると挨拶をしに来ました。それで、教会長老の働きは引退するかも知らないが、仕事は引退してはいけないと言いました。伝道もさらによくして現場もさらに多く走らなければなりません。人は引退すればすぐ問題になります。そして、結局は、自分が持っていた考えがそのまま実で結ばれるのです。これが怖いのです。人生はすぐ過ぎ行きます。多分、私たちの長老が若くて軍隊生活したことが、一昨日のようでしょう。すぐ過ぎます。私もそんなことを感じます。一度、鏡を見たら、あるおじさんが立っていたのですが、それが私だったのです。私はいつも20〜30代の精神で生きていくのに、見たらそうでした。一度は、高速道路のサービスエリアでお手洗いに入ったのですが、なぜかおかしな男がぐらぐら歩いて来たので、見たら私でした。もう一度は、飛行機に乗ろうと飛行機に乗るために行くミニバスに乗って行くのに、私が入ったら、すぐに人が立ち上がったのです。タラッパンメンバーならば、当然、私を知っているので、席を空けてくれるのですが、全く私を知らない人が席を空けてくれて、立ち上がったのです。その瞬間'私は老いたのか?'という気がしました。多分、その瞬間に窓の影のために、だいぶ老いるように見られたのか、この人がすっと立ち上がったのでした。 ・いくら皆さんが塗って、お薬をつけても老いていきます。いくら削って、はがしても、老いていくのは仕方ありません。ところで結局は最後になれば、私がこれまで持っていて積もっていたことが出てくるのです。怖いのです。それで、私はすべての人にはっきりと言ってあげたいことがあります。福音のほかは正確なことはありません。私の主張も、哲学も、思想も、後には悪いこともあります。そんなに良いという社会主義が、最も悪いことになります。私の経験でも、ないこともあります。今は正しいのに、後ほど違うようになることもあります。私のそのように正しい理論が、後ほどには途方もない真理を防ぐこともあるのです。それで、福音の他には正しいことはありません。そのようなことがあるでしょう。福音の他には正しいとは言えないのです。少し足りない人は私の考えだと言います。福音の他には正しいことはありません。過ぎるならば、正しかったり、違うこともあるのです。そうでなければ、皆さんが人生を老いて行けば、皆さんが主張したその体質になるのです。成功した人が多くいます。 ・米国で誰でも知っている成功した人4人が出てきました。今でも、その人に対して話しています。誰でしょうか? 女の中で最高に成功した女性です。マリリン・モンローです。今でも女の化粧品の広告でスカートが舞上がるその女性がマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)です。おもに化粧品の宣伝をする時、出てくるのですが、その人がそれほど有名です。もう1人は誰でしょうか? 今でも宗教を作ろうとするほどです。エルビス・プレスリー(Elvis Aron Presley)です。みな米国で活動した人です。世界を動かしました。もう1人はモハメド・アリです。本来、ボクシング選手だった時は、カシウス・クレー(Cassius Clay)と言っていました。この人がイスラム教を信じて名前を変えたのです。そのうちには、世界大統領よりさらに有名な人がマイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson)です。皆さんはご存知でしょう。マリリン・モンローは、とても多くの人気やお金と関係なく、広告を一度したらもらえるお金が普通の人が一生儲ける金を受け取ったのです。ある日の朝に起きないので見に行ったら、死んでいました。病院で調査をしてみたら、お腹の中には睡眠剤がいっぱい入っていたのです。まだ明らかになっていません。自殺か他殺かをということです。明らかなのは、その人生は個人にはとてもみじめな死だったのです。エルビス・プレスリーを見てください。その時代に一人に出てくるか、来ないかという人物です。どれくらい歌が上手かわかりません。皆さんもよく知っている歌、落葉について行ってしまった愛、こういう曲はその人の曲です。その人も寝ていて死にました。それも薬品です。その時の年齢が38才でした。そのように、一人でみじめに行ったのです。成功した人物の例をあげようとするなら、そうです。皆さんもおわかりの通り、モハメド・アリのような選手は、ボクシング界では神話的な存在です。その人は、リング上で全世界を動かしました。今、見てください。完全におかしくなっています。この前にニュースに出てきました。賞をもらおうと車椅子に乗って出てきたのですが、ブッシュ大統領がいたずらでボクシングポーズを取ったのですが、彼に狂ったのかという表示をしました。カメラマンがどれくらい驚いたでしょうか。人が完全に狂ったのです。マイケル・ジャクソンを見てください。精神病者のようにいつも事件を作り出してニュースに出てきます。これは特別な人々の話ですが、皆さんが信仰生活するのに、皆さんの持っている体質、福音に対する答えが出てこなければ、体質が結局は皆さんの人生をそのようにさせるのです。明らかです。 ・私を造って、形造る神様。この言葉がとても重要な言葉です。皆さんを救って、人生を変えられた神様だという言葉です。今日、それでは、私たちはどのように知って受けなければならないのでしょうか。聖書66巻には、皆さんに最も強く約束するのが何でしょうか。いろいろなことがありますが、皆さんを造って、形造って、勝利させる主なる神様です。これが聖書の主題です。ジャン・カルヴィンは、聖書66巻を神学的に5つに要約しました。もちろん、少し神学的に要約したのです。その要約の中で最初が何でしょうか。福音を悟ることもできない人間は、どんな場合でも失敗する。成功しても失敗する。日本語では、人類の全的堕落と言います。英語ではTotal depravityと言います。完全にだめなのです。よく見たのです。 ・それで、ジャン・カルヴィンが二番目に何と言ったのでしょうか。神様が人間を無条件に救うことを決意されたのです(無条件的選び)。なぜなら条件をつければ、誰も救われることができないから、神様が条件なしで救いの働きをなされたのです。それで英語にはUnconditional Electionとなっています。そして、三番目にこのように話しました。神様は無条件に救われるのではなく、信じる者を救われる(制限的贖罪)。それで、この事実を信じる者は救われるのです。そして四番目にこういう話をしました。神様が祝福する人は、恵みを与えられるならば、誰も防止できない(不可抵抗的恩恵)。そして、五番目にこのように話しました。最後の話です。聖徒の堅忍と言いました。神学的に難しい言葉です。簡単に言えば、聖徒は絶対にほろびない。それが聖書66巻の要約です。よく見たのです。カルヴィンは、神学的に見たのですが、私は伝道現場で伝道しながら信仰生活できる10個の土台を見ました。それで私が大学伝道に行った時、学生たちに会えばこれから教えます。神様が私たちにくださった約束10個、確実な土台。訓練をみな受けた人は、知っているでしょう。その最初が何でしょうか。神様の主権。誰も防止できない神様の主権、その中に私たちがいるのです。二番目が何でしょうか。私たちは救われることができないから、神様がキリストを送られたのです。それが、二番目の私たちの土台です。神様は信じる者に目に見えないように、今でも聖霊で働いておられます。絶対に変わりありません。それで、皆さんが礼拝をささげるのがものすごい時間なのです。なぜか、聖霊が働かれる時間だからです。皆さんの定刻の祈りの時間に、皆さんの事業、家すべての所に聖霊が働かれるようになっています。それが三番目の土台です。私が聖書で発見したのです。四番目の土台、私たちの中に聖霊がおられるから、救われた者は運命が変わってしまったのです。五番目の土台、私は確かに見ました。永遠に変わらない確実な指針書である神様のみことばを与えられました。 ・六番目の土台、私がいる現場が宣教地です。ヨセフがいた奴隷生活が、まさに宣教地です。皆さんがどんな境遇にいようが、そちらがまさに宣教地なのです。皆さんは、そこで成功をできなくてはいけません。どこにいようが、ごみ箱にいても、そこが宣教地です。私の職場が宣教地です。それが六番目の悟りです。七番目の土台です。人間の生死、災い、幸いを全部神様が治めて、統治しておられます。八番目の土台、すべての人生は、時限付き人生です。皆さんが知らないからであって、決まっています。皆さんが何才の時に召されるかは、神様が定められました。確実です。ガンになった人々は、はやく予測をしているだけで、私たちはかからないで、はやく予測できないだけで、みな決まっています。ヘブル9:27に、死ぬ日は神様が決められたとなっています。そして九番目の土台が何でしょうか。来世は確かにあります。確かにあるのです。それなら、十番目の最後の土台は何なのでしょうか。伝道と宣教は、永遠に報いを失いません。神様が聖書に一番大きい約束として、要約されたのが何でしょうか。皆さんを救い、皆さんを造って、皆さんを形造ると言われました。後ほどほろびないように、皆さんを救って、造って、形造ると約束されたのです。この約束が気分悪い人がいるでしょうか。聖書66巻を最もはっきりと要約しろと言われたら、私たちを救って、造って、形造られたのです。 ・こちらには、すでに五十才を越えた方たちがいるでしょう。五十才を越えた方たちは、ほとんど生きてきたより、残った人生がさらに少ないと見なければなりません。これから行けばどうなるかというと、皆さんがこれまで生きてきたこと、体質がそちら側に行きます。それで、ほとんど死ぬ時に崩れる時は、そこに引っかかるのです。そのように死ぬなということです。それで福音の他には正しいことはありません。福音の他には真理がないのです。みな変わったり、正しい時もあって、正しくない時もあります。それで、ただ皆さんが永遠なように、神様が永遠だから救い、福音の他にはないのです。今日、聖書66巻が皆さんに祝福になることを希望します。私が序論を長く話したことは、だまされるなということです。皆さんが職業が何でも、どれくらい習おうが、みな祝福なのですが、最も重要なことをのがしてはいけないのです。 ・二番目です。聖書だけでなく、どのように約束されたのでしょうか。神様は、私たちのすべての人生を通じて、私たちを造って、形造られると言われました。簡単に話そうとするなら、レムナント七人を見ましょう。皆さんがこの契約を捕まえてしまえば、昔にあった苦しみが全部、祝福に変わります。神様の契約の中に入ってきてしまえば、昔、皆さんの背景も全部、土台になってしまいます。もし、この祝福をのがしてしまえば、神様が私を造って、形造られるというこの話を理解できなければ、すべての人生は結局、全部、傷になって残るのです。だから、ある人は自殺もして、麻薬もして、そのようにします。絶対に気をおとしてはなりません。私を造って、形造る神様です。聖書にそのように約束されました。そして、私の過去、背景が全部、神様の中に入ってきてしまえば、祝福の土台になるのです。 ・人々が一度ももれなく私が身長が標準だと言うと笑います。もう一度、科学的証拠を出します。身長が180〜190cmになる人は用心しなければなりません。ここに私たちの有名な医師もおられるのですが、医師の方々に尋ねてみてください。身長が160cm以下の男性は、肝炎や肝臓ガンかかったことがありません。言わば、人は大きければ心臓と胃がものすごく苦労するのです。胃が継続作業をしてこそ、管理できます。背が高い人々は、正しく食べ物を食べなければ、肝炎にかかります。私は、からだが小さいから、それほど管理費がかかりません。朝御飯を食べてもかまわなくて、食べないでもかまわなくて、少し食べればそれだけで良いのです。牧師も見れば、図体が大きい牧師は、昼休み一時間前からお腹がすいていると言います。私の話は嘘ではありません。医師の方たちが長生きした人々だけ調査したのです。120才を越えて生きている人々を調べたが、山に住んで空気がきれいな所で住んで、こういうものもありますが、特徴がみな身長が160cm以下です。だからナポレオンは私より小さいのです。搶ャ平、私より小さかったのです。韓国国に一番影響を与えた朴正煕大統領、私くらいです。だから、私が標準なのです。ところで、これがなぜこうなのでしょうか。私が幼い時、しばらく重要な時、困難だったので食べられなかったからです。それも祝福です。私は難しい人々理解を良くできます。なぜか、難しく生きてきたためです。そして、皆さんのために祈る内容も、経験がどれくらい関係があるでしょうか。それが祈りにみな関係があります。そして、難しい環境を見たので、霊媒師たちの理解がよくできます。だから、全部、過去に経験した、ただ一個も欠かさずに祝福にみな変わりました。レムナント七人。神様が私たちを救って、造り、形造られるのです。 ・特に三番目です。今日の本文を見ましょう。困難と危機に会った時、今でもそれを通して私を形造られるのです。詳しく見ましょう。何を悟るべきでしょうか。73節を見ましょう。あなたの御手が私を造り、私を形造りました。どうか私に、悟りを与えてください。私があなたの仰せを学ぶようにしてください。皆さん、気をおとす必要は全くありません。74節に、あなたを恐れる人々は、私を見て喜ぶでしょうと言われています。その話は、主を恐れる人々がたくさんいるということです。75節に、私は、あなたのさばきの正しいことと、あなたが真実をもって私を悩まされたこととを知っていますと言われています。難しい時、私たちは何を捕まえて祈らなければならないのでしょうか。76節を見ましょう。どうか、あなたのしもべへのみことばのとおりに、あなたの恵みが私の慰めとなりますようにと言われています。皆さんがみことばを正しく捕まえてみましょう。確かに答えがきます。私は約束することができます。皆さんが事件ごとにみことばを正しく捕まえてみましょう。本当に答えが来ます。本当に神様の前で問題にあった時も、メッセージだけ正しく捕まえれば、不思議なのは、みことばは成就するのです。詐欺師の話も詳しく聞けば、だまされてしまいます。神様のみことばを詳しく聞けば、そのまま働きが起きるのです。私たちに必要なことは何でしょうか。77節です。私にあなたのあわれみを臨ませ、私を生かしてください。あなたのみおしえが私の喜びだからですと言いました。私たちは、神様の恵みが必要です。皆さんは、救われた神様の民です。皆さんは、運命から、すでに終わってしまったのです。サタンの力からも終わりました。どのようにすれば良いのでしょうか。 ・結論です。3つのことをしましょう。私たちは、すでに結果をみな見つめて行かなければなりません。今、難しくても、福音の中にいれば、全てのものは祝福に変わって、今、大丈夫でも福音がなければ難しくなるということです。この頃、2002年ワールドカップを続けて見せてくれています。題名を見ると'イ・ギョンギュが行く'というので、続けて見せてくれます。とても不思議です。また見てもおもしろくて、また見てもおもしろいのです。それはなぜでしょうか。私たちが2002年に、ありえないようなヨーロッパのものすごく強い人々に勝って、4強に入ったのです。それを分かるからです。私と皆さんがいくら難しくても、結果を知っているから、福音をもっているので、絶対に失敗しません。開始に過ぎないのです。私たちのタラッパンには、今、奇跡が起こっています。私も少し驚きました。私たちのレムナント共同体を作ろうと言ったら、一ケ月にもならないのに、5十億円が入ってきました。皆さん、こういうことはできません。これがどれだけ人々がみことばを捕まえて、レムナントのために祈っているかということです。多分、私が予想することでは、本当に祈って準備している人がさらに多くいます。ほとんど完ぺきな共同体を作れるだろうと思うほど、今、全世界が起きています。本当に驚くことです。だから今、私たちは結果を知っているのです。今、皆さんが本当に祈ってみましょう。私たちの教会と私たちは今、結果を知っているのです。皆さん個人の人生は、福音の中に入ってきているから、絶対ほろびません。結果を見て気をおとさずに走れ、ということです。 ・さらに重要なのが二番目です。機会にしましょう。問題がくれば、問題を抜け出ようとしたり、解決しようとせずに、機会にしましょう。何でも祝福の機会にしましょう。それが皆さんが二番目で捕まえなければならないことです。三番目に捕まえなければならないことが何でしょうか。祝福の関係にしましょう。今まで、人間関係も祝福の関係にしましょう。人間関係も無条件に良くしてあげなさいということではありません。祝福の関係にしましょう。夫婦も、祝福の関係にしなければなりません。無条件に愛する、愛されるというのは、とてもレベルが低い幼稚園のレベルです。夫婦関係も祝福の関係にしなければなりません。奥さんは、心の底からご主人を祝福しましょう。あなたは神様の子どもです。あなたは神様が本当に祝福されるでしょう。本当に私が祈っています。このように祝福しなければなりません。ずっと不信仰になれば、皆さんの不信仰の周波数が届きます。皆さんはよく知らずにいるでしょう。TVや携帯電話を持っていても知らないのです。この空気の中に、ものすごいことがあります。この宇宙空間の中には、風だけがあるのではありません。すばらしいものが電磁波に乗って、ひもがない携帯電話があるのです。祈りと不信仰も、周波数がすべて届きます。今まで福音を持った者は絶対にほろびたことがないから、結果を真っすぐ見つめて、私たちは行くのです。無条件にして、無条件に固執しようとするのではなく、何でも祝福の機会にしましょう。そして、すべての関係を祝福の関係にしましょう。勝利するしかありません。神様が私を造って、形造られる神様です。 ・私は一年を過ごしながら、とても感謝で、話す中で個人の名前を話して申し訳ないのですが、私に経済の影響を与えた方がおられます。その方が、大統領府にいらっしゃったキム・カンイル長老です。私は、その方に会って、生き方をいくつか習いました。その時から、私が実践したのです。この方は、弁護士なのに、かなりお金をよく儲ける弁護士です。一度は私を呼ばれました。開拓教会で助ける所はないのかと尋ねられました。突然にです。それで、どうしたのかと尋ねたのです。どんな所でも良いと言いました。伝道師が推薦する所であれば、私がいつでも助けるということでした。そのようなお手伝いを何回かしました。一度は、この方が私をよく見たのか、家に私を招かれました。それで、しばしば行き来したのです。一度は、私を連れて書斎に行きました。事実は、難しい時、神様に祈って神学を学ぼうかと思ったと話されました。神学書籍を私に全部くださいました。その時、私がその部屋でその方の記録帳簿を見たのです。収入の十分の一は献金、収入の十分の一は、学校の学生たち、今の言葉で言うとレムナント達、十分の一は開拓教会や建築のために、十分の一は宣教、十分の一は貯蓄。この方はお金をたくさん儲けるから金額が大きかったのです。それは、私とは関係ありません。私が、その時から小さい実践をしました。とても金額が小さくて恥ずかしくて明らかにできなかったのですが、本当に伝道する宣教師に宣教献金を送りました。私が現場15年を走るのに、ただ一つも教会金を受け取らないで、私が持ったお小遣で走りました。その時から難しい教会を手助けすることを少しずつしたのです。 ・今考えてみれば、私ぐらい祝福を受けた人はいません。霊、肉ともに。今、世界伝道団体の中で経済困難を受けていない団体は一つもありません。私たちだけ受けていません。人が何十年走るならば、一回は病気になるでしょうが、病気になることもありませんでした。人が生きるならば、一回くらいは虫歯にもなるはずですが、歯も一本も虫歯になっていません。神様が不思議なほどに祝福されました。福音のために。それで、私はこの福音が簡単な話ではないと思います。それで、インマヌエルに私はきてから釜山(プサン)、ソウルに結果を見ているのです。何の心配する必要はありません。私はその時習ったことを今だけでなく一生、私は共同体に対しておよそ2千万円程度を考えました。先週に祈りながらこういう決定をしました。他の人は3年を決意したのですが、私は一生、決意する。私が今から生活を減らして献金をすれば30年はできるのではないか。それで、30年を決意する。30年決意するので、3年が2千万円ならば、30年ならば2億円になる。そして私たちの釜山(プサン)、ソウル建築に対して、私がどのように献金に参加するか。計算をしました。私は30年、考えます。何も経済問題を心配することはありません。全く心配することがないのです。なぜなら、金額が問題ではないためです。皆さんが生きていく間に、必ずいくら少なくても大丈夫です。さっき私が話した四つのことには、気を遣わなければなりません。本当にレムナントのために祈る。本当に教会のために祈る。宣教のために私が祈る。何の心配する必要はありません。それでは、まちがいなく、その後に神様の奇跡が起こるのです。それで、今回、年末年始のメッセージ三個を今、決めています。私たちの信仰生活を何なのか、生き方の改革です。今、私たちが二番目にすることは何なのか、宗教改革です。私たちが今、この運動するのは何なのか、文化改革です。このように契約をつかみました。私は、皆さんに約束することができます。私を救われた神様は、私を造って、私を形造られる神様です。これよりさらに正確な単語はありません。この単語が皆さんが気に入らないならば、皆さんは未信者です。この単語が最も私に必要な単語でなければ、皆さんは霊的問題から抜け出せません。私を造って、形造られる神様であることが間違いないならば、私は絶対に揺れる必要がありません。今、私が困難が来ていても、私を造って、形造られる方が神様ならば大丈夫です。全く気をおとす必要なくて、祈りで新しく始めるのです。それで、聖霊充満を受ければ、できない事はありません。今日のメッセージがとても重要で難しいから、時間が長くなりました。私たちのインマヌエルと全世界の聖徒たちが、今日、この祝福を受ける貴重な時間になることをイエスの皆でお祈りします。隣の人を一言、祝福しましょう。'あなたは神様の人だ。心配する必要がない' <<契約の祈り>> 神様に感謝いたします。私を造って、形造られる神様の前に感謝します。福音の他には真理がないのに、私たちを真理の中に導かれた神様に感謝します。私たちの思想、体質のとおり生きて失敗するのではなく、福音のなかで完全に勝利する私を造って、形造られる神様の前に立つようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン. |