2006年5月28日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/日ごとに新しいことを味わう信徒
(使徒19:8〜20)
・エペソ地域に現れた祝福が、この教会とみことば受けるすべての方にあるように願います。私たちは時々、困難にあう時があります。特には、人を通して困難を受ける時が多いのです。聖書は、このようにおっしゃっています。主の目は義人の上に注がれ、主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。Iペテロ3:12にそのように言われています。心配しないでということです。 ・ある乞食があき缶を持っていつも歩き回りながら食べていました。そのようなある日のことです。宝くじを一つ買いました。あまり当たることはないのに、これがどういうことなのか、一生食べてあまりあるお金が当たったのです。それなら、もう乞食をする必要がありません。一生食べてあまりあるお金ができたからです。それで、いつも持っていたあき缶を捨てました。それも、川に全部投げてなくしたのです。少ししてから見たら、宝くじがありません。宝くじがあってこそ、お金がもらえるではないでしょうか。いくら探してみてもありません。それで、考えてみたら、あき缶の中に入れて捨てたのでした。何でももらったら、あき缶の中に入れる習慣になっていたからでした。私たちがものすごい祝福を受けていても、私たちのあき缶の中に入れて捨てるのです。皆さんが信仰生活する中で、一番重要なことが何なのかというと、神様が私たちにくださった祝福が何か分かることです。それ知らない人は本当に愚かです。神様が私にくださった祝福が何か知らなければならないでしょう。私たちが勉強したことが多くて、知識があれば、批判的な目があることもあります。しかし、霊的な目が明るければ、その中に入っている祝福を知るようになるのです。それで、私たちは知識もなければならないのですが、霊的な目がなければなりません。同じ状況の中で、ヨセフはそれを発見しました。同じ状況の中で、ダビデは発見しました。同じ迫害状況の中で、パウロ、テモテは発見したのです。皆さんがこれからどのようにするかも重要ですが、今まで受けた祝福を正しく知らなければなりません。それを知らなければ、ずっととんでもない話をするようになります。 ・なぜ私たちをエジプトから導き出したのか。食べることがないではないか。このように出てくるのです。私たちがエジプトの地で奴隷だった時、思いきりご飯を食べていたではないか。そうすれば、言うべきことがありません。正しい人ならば、どのように話すべきでしょうか。私たちは、紅海で溺れ死んでも良い。私たちはエジプトから当然、出てこなければならないのだ。私たちは今、カナンの地に向かって行かなければならない。神様が私たちとともにおられる。もし私たちはここで死んでも大丈夫だ。このように出てこなければなりません。しかし、今からでも帰ろう。このように出てくるのです。その人々は、荒野40年間にみんな死んでしまいました。神様が答えを遅らされたのです。早く入れるのに、そのように入ってはいけないから、40年間、延長させられたのです。それで、皆分かるようにしてから入ったのです。とても重要です。神様が人間に与えられた祝福は、とても大きいのです。 ・医者たちがおられるでしょうが、私が知っていることでは、私たちが外から力を供給するより、中にあるものがより大きいのです。何も知らずに、ずっと医者に尋ねることもせず、何でも良いと飲むのですが、中にある力がより大きいのです。ある人は、ビタミンCを飲めば良いと言って、とてもたくさん飲む人もいます。ある医師が言いました。栄養が外からとても多く入ってくれば、なかで作業するのがストップするということです。結局は機能が止まるのです。私たちの人間は、からだの中に神様が与えられた力、私たちの頭に与えられた力は、ものすごいのです。本来、アダムとエバを創造された時、そのようにされたのです。それで、神様だけ分かるなら、すばらしくなるのです。コンピュータに入っている機能よりも、私たちの頭の中にあるものがさらに多いと言われているでしょう。神様が本来、皆さんにくださった力は、外にあるものより、中のものがより大きいのです。それで、運動しなさいと言うのであり、信仰を持ちなさいと言うのです。私たちが幼い時は、ほとんど薬がありませんでした。そのままじっとしていれば、良くなりました。皆さんが病院に行って、縫ったりするのも、中にものが自然に良くなることを手助けするのです。神様が、人間のからだの中にすばらしい祝福をたくさん入れておかれたのです。未信者にもそうです。 ・学生たちは、理解できないでしょう。私たちが幼い時は、真っ黒なガムを何日もかみました。レムナントは、それが何の話だろうと言うでしょう。私がこの話をしたら、ソ長老をはじめとして、大人たちは笑います。経験者だから笑うのです。しかし、レムナントは、何の話かわからないでしょう。ガム一個を一日中かんで、寝る時には壁に貼り付けておいて、朝起きてまたはがしてかむのです。どれくらいはがしたり、はったりするか、ガムが真っ黒になるのです。普通の友人の家に行けば、壁にガムを貼ってはがした跡がありました。そうすれば、弟のものと取り変わったり、そのようになりました。このように暮らしていました。その時は、冷蔵庫もなくて、ネズミがきて食べ物を一緒に食べていたのですが、それでも死なずに生きていました。神様が私たちの人間のからだの中に、すばらしい祝福を植えておいたのです。しかし、人間が堕落して、多くのことを奪われてしまって、呪いが入ってきたのです。それで、神様が私たちにまた回復させるために、福音をくださったのです。それで、皆さんが聖書にあるとおりの福音を持っていれば、みな回復します。福音に出会ったならば、皆さんの全ては本当に回復し始めます。私は福音を持ったのになぜこうするのでしょうか。そう思うでしょうが、そうではありません。 ・私たちがイエスを信じた後に、私が小学校6年の時、父が亡くなりました。頭の中に神様がおられるのか、おられないのか、こう思ったのです。もしおられるならば、どこにおられるのか。しかし、今、過ぎ去ってみたら、そうだったんだなという気がします。ヨセフが幼い時に、ラケルが死にました。どうして、そんなことが起きるのかと思うでしょうが、後ほど見れば理由がありました。ラケルが死んでいなくなったので、ヨセフは大きい人物になり、大きいことができたのです。もし、ラケルが生きていたら、ヨセフは家を出られず、総理になれません。皆さんが福音の中にいれば、失敗したことも成功になります。短いと思わずに、ある時は、永遠な一生をおいて見たりしなければなりません。それで、この福音の中にいれば、事実、私たちは毎日、新しくなる大きい答えを受けるようになるのです。 ・私は、福音を受けて伝道者として祝福を受けました。本当に心より大統領より良いだと思っています。神様が伝道することができるように、私たちを呼ばれたということは国会議員と比較もできません。私たちが今、伝道者の伝道の祝福を味わうということは、世の中のどんなこととも変えられないのです。やくざだった金イクドゥという人が、福音を受けて変わりました。何によっても変えることができません。福音です。この間、ニュースに出ていました。監獄を脱走した人が、何かすることはあるでしょうか。女を人質にとったのです。しかし、何時間の間、この女からメッセージを聞いたのです。それで、自首しました。米国の新聞に大きく出ていました。だれが、その人を変えたのでしょうか。だれも変えることができません。だから、この福音の力とは、私たちがぱっと見れば何でもないように見えます。それが愚かなのです。何でもないようでも、ずっといのちの働きが起きます。皆さんが知っているように、私たちの韓国にいたやくざの中でけんかを一番よくする人が'シラソニ'という人でした。その人の実名はイ・ソンスンです。この人が、やくざ生活をしながら、多くのけんかをしたのに負けたことがないということでした。毎日、けんかをしていたのです。いろいろな問題、後ほどには人を殺したり、助けたり、こうしたことがどれほど多く行われたでしょうか。そのやくざの世界を見ながら、ある日、この人を変化させたのです。この人が、ある日、福音を知って変化し始めたのでした。それで、自分を困らせた人も許すようになって、その強いやくざが、福音にあって変化してしまったのでした。その方が、ヨンラク教会の長老をして亡くなりました。本当に驚くべきことです。韓国を揺るがしたやくざが、韓国で一番大きいヨンラク教会で長老をして死んだのです。これが何の力なのでしょうか。福音の力です。韓国を揺るがした、こぶしで戦った人が、教会の長老で奉仕して死んだのです。長老は分かるでしょう。教会にきて長老生活をしたのでした。私たちは今日、聖書にだけ記録されている神様の祝福が、どんなものなのか記憶しなければなりません。どのように、私たちは神様の祝福を最大に受けて味わうことができるのでしょうか。それなら、エペソに起きた神様の働きが私たちにも起きるのでしょうか。それ以前に、起きなければならないのです。皆さんの事業に、エペソに起きた働きが起きなければならないということです。そうでなければ、変化させられません。 ・私は昨年にきて、今年に蔚山に来たのですが、とても驚きました。蔚山がとても発展しています。私が市内の真中のロッテホテルに泊まりました。あちこち見てみたら、たくさん発展していました。しかし、前より水準が低く発展していました。見たら、食堂の他は、言わば全部、売春婦の町です。男女が会って話して遊ぶのではなく、全部、売春婦の町です。道をはさんで、前後左右にあります。書いてある看板には、売春婦の町とは書かれていず、面白い言葉で書いてあります。例をあげれば、男性専用休憩室、男性専門など、蔚山にどれほど多いのか、びっくりしました。幸いに女性専用のサービスエリアはありませんでした。ソウルにはあります。女性はあまり堕落しなかったみたいです。それが無秩序に起きているのです。蔚山が、こんなにも発展したんだなあと思いました。皆さん、聖書を見ながら、私たちにこの力がなければ、彼らを変化させることはできません。簡単に話せば、お金をもうけて食べて生きるためには、しないことがないのです。韓国だけがそうです。他の国の人が見れば、びっくりします。ヨーロッパや米国のような先進国に行ってみれば、全くこういうものがありません。それで、ニューヨークタイムズに何年か前に出ていました。世界で堕落する1位が韓国だということです。私たちの韓国で今、福音運動を起こさなければならないのに、多くの部分で暗やみの勢力に覆われているのです。今日、エペソに現れた祝福を私たちが受けなくては、この力がなくては、私たちは何もできません。 ・どのようにすれば、この祝福を味わうことができるのでしょうか。私も答えを受けられるのでしょうか。私は教会にきて、一度礼拝をささげるだけなのに、この祝福を受けられるのでしょうか。これから皆さんがはやく解かなければなりません。私は牧師でもなくて、長老でもなく、一度礼拝をささげて行くのに、可能なのでしょうか。可能ではないのでしょうか。可能です。皆さんが今、説教を聞く前に誤解しているのです。私たちが昼夜なく、教会に行って奉仕して、そうすれば祝福を受けるのだと思っているのです。それは、そのようにしなければならない人が別にいるのです。皆さんが本当に祝福を受けるには、事実は関係がありません。私は今日、新しく教会にきたのに、神様の祝福を受けられるか、どうなのでしょうか。受けられます。職場生活をしてみたら、世の中の人々と同じようにするのに、可能なのでしょうか。可能です。今、私たちは何か教会を誤って理解して、福音を誤って理解しています。皆さんは、神様がこの祝福を与えようと呼ばれたので、誰でも受けられるのです。 ・最初です。先週に尋ねました。信じた時、聖霊を受けましたか、このように尋ねました。それで、今日、最初にまた捕まえなければならないことが何でしょうか。聖書にだけ記録されている絶対に変わらない祝福がいくつかあります。これを捕まえなければなりません。皆さんがイエスを信じる瞬間、神様の子どもになる瞬間、聖霊はその中にとどまられると言われています。エペソ1:13には、聖霊で印を押したと言われています。だから、滅びることができません。ここにずっと揺れてはいけません。私は信仰がなくて、こういう話をしてはいけないのです。反対に、私たちが高慢になる必要もないのですが、皆さんは神様の子どもです。クリスチャンは、ここに一番問題がくるのです。私が昔には、修練会のような所に行けば、今は外に出て行かないけれど、外に出て行けば、学生たちに一番最初に尋ねるのが何かというと、'私は神様の子どもに間違いありません'と思う人は、手を挙げなさいと言うのです。自信をもって手を挙げる子どもたちが1/3にもなりません。それでは、どのように勝つのでしょうか。皆さんの中に聖霊がおられるから、皆さんは、絶対にだれも奪っていく者がいません。それで、聖霊の導きだけ受ければ勝利するのです。聖霊充満を受ければ、力が現れるようになっています。信じる者にだけくださる、聖書にだけ記録された祝福です。これが先週に宣べ伝えられたメッセージなのですが、今日、またこの契約を捕まえなければなりません。私たちは、牧師でもないのに、どのように聖霊充満を受けるのですか。とんでもない話です。カン・サンモ牧師とソ長老、カン長老、だれが聖霊充満をさらに多く受けなければならないのでしょうか。長老たちがさらに多く受けなければなりません。カン・サンモ牧師は祈って、訪問に行って、キャンプして、自動的に聖霊充満を受けます。長老は、直ちに明日から自動車を売らなければなりません。これが普通の大変なことではないのです。聖霊充満を受けなければならないのです。神様の力がなければなりません。私たちは逆に思っているのです。学生たちが何の聖霊充満ですか。違います。学生たちが聖霊充満を受けなければなりません。神様がそのように約束されたのです。何か他の力がなければならないということです。正確に話せば、神様が皆さんに何か他の力を与えると約束されたのです。この力を今日、皆さんが信仰でみな受けることを希望します。子どもであるから、当然、受けるようになっているのです。終わりの日に男女のしもべに水を注ぐように注ぐ。皆さん、今日、ここに少しも疑いがあってはいけません。本当に受けて味わわなければならないのです。神様、私に聖霊の力で神様の力をより増して下さい。これが皆さんが、毎日、新しい祝福を味わう最初のことです。 ・二番目です。聖書には記録されています。聖書にだけ記録されていて、今日の本文にも出てきました。聖書にだけ記録されています。それが何の祝福でしょうか。皆さんが行く所ごとに暗闇の勢力が砕かれるのです。今日の本文を見て下さい。悪霊が入った者から、悪霊が離れるみわざが起きました。悪霊が入った者が、何と言うのでしょうか。パウロも私が知っていて、キリストも知っているが、お前は誰か。重要な言葉です。皆さんに目に見えない暗闇の勢力がずっと暗やみに陥るようにさせます。しかし、皆さんを知っているのです。皆さんが本当に福音をもって確信をもっていれば、この暗闇の勢力は逃げるようになっています。この頃の世の中に、そんなことがあるのかと尋ねることがあります。蔚山に今、工場がどれほど多くて、科学がどれくらい発展しているのに、この頃にそんなことがあるのでしょうか? ますます多くなっています。それで、ムダン(霊媒師)が集まって、何名かが団体を作ったのですが、今はニューエイジ運動というものに変わって全世界を掌握しています。ますます激しくなっています。だから、私たちは契約を捕まえなければならないのです。どのように答えを受けて、どのようにエペソのように働きが起きることができるのでしょうか。聖書にだけ約束しています。皆さんが行く所ごとに神様が主の天使を送って、助けると約束されています。ヘブル1:14に確かにそうなっています。本当に信仰生活を正しくすることを希望します。皆さんが行く所ごとに神様が主の天使をあらかじめ送られると言われました。それで、皆さんが行く所ごとに暗闇の勢力が崩れるのです。今日、確かに19:8に出てきました。神様の国に対し大胆に説明したのです。皆さんが行く所ごとに神様の国が臨むようになっているということです。それが何の話なのでしょうか。皆さんの家、皆さんの事業に、神様の国が臨んでこそ祈りの答えが起きるのです。主の聖霊が私の事業に働いて下さい。そのようにだけ祈れば、神様の国が臨むのです。何も表に現す必要がありません。内心で祈れば良いのです。祈っているとは思えない人々が、騒いで声を出すのですが、そのような必要はありません。静かに全く表に現さずにできます。学生たちが少しだけ表に出さずに祈っても、力が現れます。そのような学生がいます。証ししました。学校に行って一人で座って、他の子に知られず、少しの間祈ったということです。授業時間ごとに子どもたちに知られず祈ったのです。授業が終った後、祈りました。この子にどんな答えがきたのでしょうか。全校で1番になりました。その子が証しをしました。1番になったことが重要ではないのですが、神様がそのように働かれたのです。どれくらい神様の祝福が大きいのでしょうか。それで、皆さんが信仰生活する中で、神様が私たちに基本的にくださった祝福があります。それが聖霊の内住、導き、充満です。この答えを蔚山と、私たちのインマヌエルのすべての家族が受けるようになることを希望します。問題は、皆さんがそうだ、必要だと感じられれば、答えが起きるのです。皆さんの家に聖霊が臨むようになれば、神様の国、聖霊の働きの力、みな現れるのです。そして、二番目に、今日、見るように、信徒に付いてくる権威があります。簡単に話せば、最初は信徒の身分、二番目は信徒の権威です。今日、必ず持って行くように願います。皆さんが行って祈りだけしてしまえば、すべての暗闇の勢力は逃げるようになっています。皆さんが、心の底から祈れば、神様が天の軍隊を動員させられるようになっています。本当に、聖霊の導きを受けたら、答えは継続されるのです。皆さんが行く所ごとに神様の国が臨むようになるのです。そして、弟子が準備されています。これが私たちが受けた祝福です。このまま味わっているだけで、答えは継続されるようになっています。 ・最後の三番目です。エペソ地域に起きた神様の働きは私たちに起きることができます。簡単に話せば、世の中を生かせる祝福が私たちに現れるのです。聖霊充満を受けた以後に起きました。今日、ここに見ると、会堂とツラノ講堂に入ったとなっています。そこに神様の国という言葉が出てきました。これが何でしょうか。まさに現場が変化する働きが起きたのです。こういう答えがきます。何の心配もせずに、答えをもって出て行けば、働きが起きるようになっています。それで、神様の子どもが行く所ごとに答えがあらかじめ来ているのです。その単語が神様の国です。皆さんが分かるでしょう。私は30年前に伝道運動を始めました。どのように悟ったかというと、教会は違ったことを捕まえて苦労しているということでした。皆さんが、本当に福音をもっていれば働きが起きるのです。そして、蔚山を生かして、皆さん事業も生かすことができます。ただ1人も事実、私は背景もありませんでした。伝道運動を始めたのですが、神様は本当に答えられました。今まで。今からは分かりませんが、今までは神様が健康も守って、すべての答えをみなくださいました。私が15年前からは365日の中で330日以上を外に出ていました。だから、ほとんど食べ物も外でだいたい買って食べています。ずっとそのように外で暮らしてきました。寝るのも、あちこちで泊まりながら生活してきたのです。神様が健康を守ってくださらなければできません。大韓民国で私がたぶん1位でしょう。私が飛行機に一番たくさん乗っているでしょう。今は飛行機の乗務員が私を皆知っています。牧師先生、と言いながら挨拶をしてくれます。とてもたくさん乗って通ったからです。神様が健康を守って下さっています。今年は、教会だけでなく、契約をつかんだ人々に全部レムナント運動が起き始めました。私は確信しています。皆さんが神様がくださった唯一のこの祝福だけ捕まえれば、祈りの答えは続くのです。 ・今日聞いて、整理するのが難しいでしょうから、一番目は何でしょうか。身分です。このコップの中には水が入っています。同じ色ですが、ここに焼酎を注げば、焼酎のコップになってしまいます。このコップの身分が変わるのです。何が入るのかにしたがって。ここに水を注いだので、水のコップになったのです。喉が渇く時、一口ずつ飲みます。ここに油を入れれば、油のコップになります。何の話なのか分かるでしょうか。神様の聖霊が皆さんの中にいらっしゃるから、皆さんが神殿なのです。私たちがこのようになったことが、すばらしいのです。だから暗闇の勢力が皆さんを触れません。ずっと皆さんが心配して導きを受けないからですが、少しだけ祈れば、答えはいくらでもきます。その程度ではありません。今日、二番目のことは何でしょうか。本文に見るように、権威です。皆さんが行く所ごとに暗闇の勢力が逃げて、神様の国が臨むみわざが起きるようになっています。この祝福を必ず受けるようになることをイエスの御名で祝福します。三番目のことは何でしょうか。いよいよ皆さんが行く所に変化する働きが起き始めるのです。皆さんが行ってみれば、神様の国が臨むようになっています。これより大きい祝福はありません。これを信じることを希望します。ダニエルが行く前に主の天使が送られて、神様がライオンの口をつぐまれました。モーセが行く前に神様が主の使いを先に送られたのです。これだけ探せば良いのです。レムナントは未来を心配する必要がありません。行ってみれば、神様が道をみな備えおかれたのです。確かにあるのに、これを見られないので問題がくるのです。皆さんが大きい祝福を今日受けることを希望します。まちがいなく、長老、執事が行くところに、神様が祝福を備えておかれました。そのとおりでしょうか。違うのでしょうか。これを探せないのが、今は愚かだということです。探すのが信仰生活を良くすることです。間違いありません。神様がモーセを呼ばれる前に、全てを準備しておかれたではないでしょうか。その程度ではありません。今日、ここに見ると、みことばが全地域にみな広がりました。2年で。それで、蔚山で皆さんの教会を通して、蔚山全域にみことばがみな広がるように祈ってみましょう。どんなことが行われるのでしょうか。この時、ここに見ると、悪霊が離れて癒されるみわざが起きて、偶像が崩れることが行われました。この祝福を今日、メッセージを聞くすべての方たち、特に蔚山インマヌエル教会に臨むようになることを、本当に主の御名で祝福します。 ・私も答えを受けられるのでしょうか。できます。それが今日の本文の3つです。身分を味わいましょう。権威を味わいましょう。備えられた祝福を味わいましょう。罪の中で一番大きい罪が、これを知らずに他の道に行くことです。一番親不幸な者はだれなのか分かるでしょうか。両親が私たちの両親なのか、違うのか分からないというのが一番の親不孝者です。そして、親を疑うのが一番悪い者です。小さい子どもが、明日、母親がご飯をくれるか、くれないか。これは頭が良いのではなく精神病者です。それは、親がない場合、親もないのにだれが私にご飯をくれるか、こう言うのが正常です。皆さんが質問すること、話すこと、行動すること、思うこと、全部、未信者式にするのです。神様の子どもです。牧師先生、本当に蔚山を生かせますか。長老、執事、勧士が、本当に神様の答えを受けられますか。できます。だから、3つのことが出てきたのです。聖霊を受けたかということは、身分の確認です。私たちがずっととんでもなく解釈するのですが、聖霊を別に受けなければならないということではありません。聖霊を受けたかとのことは、身分の確認です。受けるようになっているので、なぜ受けられないかということです。Iコリント3;16にこのように話されています。あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですかと言われています。ものすごいのです。少しだけ皆さんが聖霊の導きを受けて祈りの生活をすれば、答えがあらかじめ来ています。そこで、みことばだけ宣べ伝えたのに、エペソ全域に働きが起きました。これは何の話なのでしょうか。みことばだけ正しく宣べ伝えれば、インマヌエル蔚山教会、蔚山全体が生き返れるということです。それでは、神様のみことば聞く皆さんにも同じ証拠が起きることができます。この祝福を本当に受けることを希望します。これを受けられなければ、どうなるのでしょうか。とても困難な問題になります。私たちの学生たちも、年齢が高い方たちまで、身分、権威、現場に起きる神様の証拠。それで、今日一日中祈って行けば祝福が来ています。来ていないのは、来ているのに見られなかったり、他の道に行ったのです。これより大きい失敗はありません。蔚山の地に神様の祝福が来ています。見なくて他の道に行ってはいけないのです。 ・私は毎年、蔚山に来て感じることがあります。毎年見ると、とても信徒が集まる数もそうですが、霊的な力もあります。私が一番初めにきた時、蔚山福音化するのかと思いました。その時は、変にマイクも良くなくて、何か変でした。それで私が話をしようとして、しなかったのですが、田舎だからそうなのかと考えて、そのまま行きました。しかし、この間来てみたら、雰囲気が違うのです。今回、来たらまた違いました。このような形で行けば釜山、ソウルよりさらに先を行くこともできるでしょう。なぜなら、教会の信徒が福音の中にあるということが見られるからです。すばらしいです。身分、権威、現場。今から絶対に疑ってはなりません。行ってみれば来ています。なければ、他の道に行かずに探しましょう。目に見えなければ待ちましょう。それを祈りと言うのです。エルサレムを離れずに、父の約束したことを待ちなさい。何も難しくありません。私が前に親しい友人の話をしました。この友人が軍隊に行って、お手洗いに入って祈ったのです。時間があれば、お手洗いに行くのです。噂になりました。なぜあの人はお手洗いに度々行くのか。胃が良くないと嘘をつきました。一日に三回ずつ行ったのです。お手洗いでずっと祈りました。働きが起きたのです。軍福音化100%してくださいと祈りました。神様が答えられて、隊長が変わったのですが、その方が長老でした。軍牧が新しくなったのですが、その方が伝道する方法を知っている人でした。このような形で答えがずっとくるのでした。本当に軍福音化100%しました。お手洗いで祈っても働きが起きるのです。だから、皆さんがこの祝福を絶対にのがさないように願います。 ・今日、私がメッセージで語っていることは、タラッパン伝道運動の核です。さらに簡単に話せば、聖書の核です。聖書は皆さんに何をおっしゃっているのでしょうか。ほろびないように身分を与えられました。ほろびないように、身分を変えてしまわれたのです。二番目のメッセージが何でしょうか。勝てるように権威を与えられました。それで、受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権を与えられた。残りことは何でしょうか。証人です。証人になると言われました。証人になりなさいではなく、証人になると言われたのです。伝道は、することでなく、なることです。キャンプを継続すれば、ずっと答えがきます。私が今30年経験してする話です。私が皆さんに会って10〜15年になっているでしょう。今、その証拠を持って話しをするのです。今、韓国より外ではさらに働きが起きています。レムナント米国、日本は大騷ぎが起こりました。どのように麻薬を切ることができるでしょうか。福音でなくては、切ることができません。このようなことがおきているということです。どれくらい驚くべき祝福なのでしょうか。今日、インマヌエルのすべての家族、特に蔚山が、神様の祝福を必ず受けることを希望します。それで終わるのではありません。19:21に何となっているでしょうか。これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。何の話なのでしょうか。皆さんがビジョンを捕まえなければなりません。世の中の人々が言うことで、なることをあらかじめ捕まえるのです。この時、皆さんの経済、健康、子ども、家庭の祝福はくるようになっているのです。来ないことを捕まえてはいけません。来ることを捕まえるという言葉です。それがビジョンです。Viという言葉はラテン語ですが、見るという言葉です。それでビデオという言葉は、見る機械のことです。ビジョン(Vision)という言葉は、見るという言葉です。何を見るのでしょうか。必ずなるようになる、遠くあることを繰り上げて見るのです。それで、パウロが答えを受けたのが問題ではなく、ローマも見なければならない。私は確かに伝道運動はなると確信します。正しい聖書的伝道運動は勝利すると確信しています。レムナント運動は神様の計画だと確信しています。 ・私がこれを捕まえて祈ったのです。それで私が蔚山に来たたついでに話しますが、蔚山が神様のビジョンをあらかじめつかんだのです。私が長老にそう言いました。また、カン牧師に話しました。蔚山を代表する教会を作ってしまいなさい。祈りなさい。蔚山郊外に見えるように時代的な教会を作りましょう。そこで建物を見物させるのではなく、レムナントがきて正しく育つように文化を変えましょう。蔚山にも、こうしたところがあるんだなと文化を変えてしまいましょう。大変です。私たちがレムナントの悪口を言うべきではありません。子どもたちが行く所がないのです。悪いことをするほかないのです。私たちのレムナントはわかりませんが、学生たちがみな両親をだまして通います。これをどのようにすれば良いのでしょうか。出て行けば、学生たちをほろびるようにすること以外ありません。大人たちが金を儲けようと、子どもたちに麻薬も売ります。こういう悪い大人たちが、どこにいるのかということです。子どもたちが麻薬に中毒になってしまえば、永遠に死ぬのに、それを売るのです。 ・私はびっくりしました。釜山で見れば、公園にきて子どもたちが麻薬をしています。麻薬がどこに置いてあるのかと尋ねてみたら、道でスルメ、ピーナッツを売る所で、みな売っているということです。それで、私が一度はとても怒ったのです。公園で伝道していたら、警察がきて静かにしろと言ったのです。それで、私が警察に話しました。これがなんで騒々しくしていることなのか。あなたは、どこの警察署にいるのか。私たちが静かに賛美を歌っているのに、これがなぜ騒々しいのか。こうしたことせずに、下に行って麻薬を売る大人たちが麻薬が売れないようにしなさい。あの林の中に入って、子どもたちが麻薬して、横になっているのを見なさい。これが騒々しいことなのか。私が怒ったのです。私に人々が性質が悪いと言うのですが、そうではありません。目を正しく開けましょう。それが腹が立つことではないのでしょうか。子どもたちが行く所がありません。これからは、子どもたちが蔚山にきたら、蔚山インマヌエルにきて休むように、そのように作りましょう。必ず福音が入らなかったとしても、子どもたちがきて気楽に休んで、卓球もして遊べる所を作ってやりましょう。それが神様の計画です。神様の計画が他のものがあるでしょうか。今、このままそっとしておけば、どうなるでしょうか。私たちの孫たちが、本当に行く所がありません。ソウルを通り過ぎるのに女子学生が二人、男子学生が二人が立っていました。何をするのかと思って見たら、自分たちどうしお金を出していました。お金を出して、見ていたら、どこかに行くためにお金を集めていたのです。地下にはカラオケで、上にはビヤホール、酒場がありました。その中のどこかに入るのでしょう。それが悪いということではありません。私達の子どもたちに正しく目を開くようにしてあげて、ビジョンを開いてあげる親、大人たちが今、いないのです。それでいて、このようにするな、堕落するなと言うのですが、堕落することしかありません。 ・私は使命を持ちました。全国、世界に共同体を作って文化をひっくり返しましょう。それが私たちの使命にならなければなりません。ローマも見なければならない。これは私たちの意志ではありません。神様の計画です。だから、この祝福を蔚山が契約を捕まえたのですが、それでは答えられるか、答えられないかどちらでしょうか。皆さんが神様でも、答えるか、答えないでしょうか。私たちが同じ人なのに、事業をしても正しくする人にお金を多くあげたいでしょう。会社にきて邪魔する人がいます。その人の学閥が何の意味があるでしょうか。あたえる月給も惜しいでしょう。人も同じ人でも、ある人は食べ物を与えるのも惜しいのです。私たちがお金を与えても、惜しい人がいます。そうでしょう。与えても、より多くあげたい人がいて、あげても惜しい人がいます。神様も同じです。誰でも愛されますが、蔚山文化を変えなければなりません。この祈りを始める時、その時から神様は本当に答えられるのです。そうでなければ、今のままいるほうが良いでしょう。何の使命もなく、ご飯を食べて死ぬのに、お金を多くもらう必要もありません。やっと食べて死ねば良いのです。私の話が正しいでしょうか。間違っているでしょうか。皆さんの夫に福音がなければ、お金を儲けられなかった方が良いのです。夫に福音がなければ、神様、私の夫はいつもお金を儲けられないで、コインを持って行き来するようにして下さい。このように祈らなければなりません。お金が多ければ、頭が痛いでしょう。だから、私たちが答えられる理由を知って捕まえなければならないのです。 ・ここに見ると、その日に2年間、全体が答え受けたということは、今でも私たちに新しい恵みをくださるということになります。19:21にローマも見なければならないという言葉は、ビジョンもビジョンですが、新しい恵みを受けたということです。今日も、皆さんが神様の新しい恵みを受けなければなりません。ヘブル4:16おりにかなった助けを受けるために。今までの答えも大きくて感謝でしょうが、これから受ける答えがまたあるということです。今まで受けた答えも知らずに、これから受ける答えも知らないならば、愚か者ではないでしょうか。今、外側では暗闇の勢力が起きているのに、エペソのように私たちがひっくり返して変えて起きなければならないということです。味わうように願います。何を言っているのでしょうか。またとんでもないのを味わおうとするのですが、身分、権威、神様の証拠のことです。その証拠は現場で。このようにずっと進行されればどうなるのでしょうか。驚くべき答えが起きるようになっています。 ・飛行機に乗って行く時にある記事を見ました。テニス選手のシャラポワという人がいるでしょう。テニスも1番で美人です。テニスもうまいのですが、とても美女なので、男性が熱心に見つめます。見たら、テニスがうまいのです。そのシャラポワについての内容を見たのです。7才で父母を離れました。テニスをするために。ロシアから7才で米国にきたのです。親に会いたいのをがまんして、ずっと練習したのです。そのようにして、十年間。十七才になりました。とうとう優勝したのです。皆さんが知っているように、ウィリアムという選手に勝ちました。17才で優勝をしたので、世界で大騷ぎが起こりました。全世界で広告、モデルなどの申請が、どれほど多く入ってくるでしょうか。記者が尋ねたのです。最後の決勝戦で、ウィリアムと戦った時、感じがどうだったのか。ところで、シャラポワが重要な話をしました。競技をするために、競技場にきたが、自分の家にきたようだったということです。自分の家にきたように安らかだったということです。そして、実際にゲームをする時は、相手とボールしか見えなかったということです。ものすごい叫び声が聞こえた時に、勝ったということが分かったと言いました。未信者がテニスをするのにも味わっているのです。私たちクリスチャンは、神様の祝福を味わわなければなりません。 ・高齢な人々は分かるでしょう。昔、ボクシング選手にアリという人がいました。本来、その選手の名前はCassius Marcellus Clayでした。この人がボクシングの歴史を変えたのです。全世界の人々がボクシングをおもしろく見るようにさせました。アリの特徴は何でしょうか。高齢な人々は分かるでしょう。リングに上がれば、にやにや笑っているのです。相手と戦って、相手が殴れば、また顔を出して、殴られるようにするのです。それが余裕です。リングで味わうのです。未信者なのに。モハメド・アリと名前を変えました。イスラム教だからです。それで、ヨーロッパに入る朴ジュヨン選手が挨拶しにきたので、私が言いました。味わいなさい。平安一つの心で味わいなさい。私たちはサッカーのためにいるのではなく、サッカーが私たちのためにあるのです。私たちは神様のためにいるのです。私たちは多くの祝福を奪われながら生きていきます。今日、すべての皆さんが、この祝福を回復する瞬間、明日からは表に現れずに答えの門が開くようになります。皆さんがそのままぼうっとしている間に、霊的混乱がきます。それを分からなければなりません。マタイ13章を見ると、私たちが寝ている間、敵が畑に毒麦を植えるとなっています。皆さんが子どもも、夫も、妻も、ずっと不信仰で疑えば、それが暗闇に陥るようになっています。皆さんが本当に信仰で祈って、神様の前にいれば、多くの門が開かれるようになります。私は確かに信じることは、今日、受けたみことばをもって神様は六日間、働かれることができるのです。この主題が、皆さんの子どもと皆さんに永遠な祝福になるでしょう。 言い換えます。身分、聖霊を受けたかということは、身分です。権威、皆さんが行く所ごとに、すばらしいことが行われます。その次が、現場、証人。私たちが持っている祝福なので、蔚山にもこういう働きが起きるようになります。今日、これが必ず皆さんの契約になることをイエスの御名でお祈りします。ソウル、釜山、全国にこの祝福が必ずあるようになることを希望します。 <<契約の祈り>> 神様に感謝いたします。今日、私たちに身分と権威を回復させてくださったことを感謝します。現場を回復させて下さい。証人として立つようにさせて下さい。蔚山を生かす証人として立つようにさせて下さい。私たちの力でなく、神様の力でするようにさせて下さい。それで、新しい恵みを受ける祝福の日になることを、主の真の恵みを待ちます。蔚山に特別な恵みをより増して下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン 2部/初代教会はどのように世界を征服したのか?
(使徒1:1〜8)
・今日は、蔚山に久しぶりにきたので、特講をします。今、各地域で、全国で、インターネットでみことばを一緒に聞いています。どのように、地域を福音化するのでしょうか?どのように、蔚山を福音化するのでしょうか。同じ話になるでしょう。私も祈りの答えを受けなければならないのですが、どのように受けるのでしょうか? それは、初代教会がどのように世界を征服したのかと同じ話です。お金を持っている人が仕事をする姿と、ない人が仕事をする姿は、確かに違います。財産がない人が事業するのと、財産をたくさん持った人がよく保護するために事業するのは、また違います。似ているように見えても違うのです。特別に持ったものがある人と、ない人とは、確かに違います。祈りの答えを受ける人と、受けられない人は違います。それで、そのまま通り過ぎてはいけないのです。どのように祈りの答えを受けて、どのように勝利するのでしょうか。ひとまず初代教会を見るのと同じことなのですが、初代教会は法で伝道する集いを禁じました。ご存知でしょうが、これが皆さんの事ならばどうなるでしょうか。確かに良心をだますでしょう。 ・牧師の中で、数千人がこの伝道運動は聖書的だ、こう言ったのですが、信徒が奪われると総会で法を出したら、みな逃げました。法が、それほど怖いのです。逃げながらも、タラッパンは異端ではないと言っています。幸いです。逃げても異端ではないと言うことが幸いです。皆さん、この程度だけでもそうなのに、本当に国法で禁じればどうなるでしょうか。そうだったのに、初代教会はずっとみわざが起きました。それなら、私たちはそこに対する答えを持っていなければなりません。さらに行かないように言ったのに、度々行ったり、またキリストを話したり、簡単に話せば伝道すれば拘束されます。不拘束で起訴されたのと、拘束されて起訴されたことは違います。そのまま起訴されて、家にいながら行き来しながら裁判を受けるのと、拘束させて裁判を受けるのは完全に違うのです。すでに家族から違います。拘束されていれば、お金を借りに回って大騒ぎになります。ところで、初代教会は拘束されました。法で捕らえたのです。どれくらいひどい状況でしょうか。 ・そうだったのに、初代教会は勝ち抜きました。この程度は大丈夫でしょうが、一度、拘束されてまた出てきてすれば、死刑になりました。死刑になる時、法によって死刑になるのですが、外国に出てまたする場合は、法と関係なく令状をすぐに持って行って、その場ですぐに殺したのです。このようにできるでしょうか。まるで共産主義と同じです。そのまますぐに殺すのです。そして職場、結婚、全てのものを断絶させました。これが初代教会です。それでも、初代教会は三千人、五千人の弟子が起きて、世界福音化の大きいみわざがなされたと見る時、私たちはここで多くのことを見ることができます。神様の力には勝つ者もいず、確かに福音を持った者と、福音を受ける者には、神様が動かれるから、皆さんは少しだけよく考えれば良いのです。 ・簡単に話せば、伝道ができないという言葉は、神様が私を用いられないということです。こうすれば、深刻な言葉です。私が答えを受けられないのか、神様が与えられないのか、探せないのか、三つの中のひとつですが、確かに私たちは答えを受けるべきです。確かにあります。野の草も神様が養われると言われているのですが、皆さんが野の草よりは価値が高いのではないでしょうか? スズメも神様が養われると言われているのですが、いくら神様が勘が鈍くても、皆さんをスズメのように取り扱われないということです。それなら、確かに答えがあるのですが、私が知らずにいたり、受けていないとか、神様が与えられないのです。それなら、初代教会は状況がこのようになったのに勝ちました。 ・それで、何も恐れる必要がないことが、皆さんが福音を伝える人に間違いないのか、違うのかは神様がご存知です。それでは、福音を受ける人がどこにいるのかも神様がご存知です。来ながらも、道を行きながらも、お手洗いでも会って、みな会えるようになっています。全く心配する必要がありません。それで、人間中心主義を使わないということは、聖霊の導きを受けるのに支障を受けるなということです。人間中心主義は、他のことでなく、方法は人間中心主義ではありません。色々な方法を開発してすることは戦略です。しかし、聖霊より先んじれば人間中心主義です。ですから、聖霊より遅れれば怠惰なのです。だから、私たちはこういうものがきても何の関係もありません。なぜこのようにされたのでしょうか? これからどんな状況がきても、そのような状況はないので、その状況の中でも勝利したということです。 ・ところで、私が伝道した30年の中で、伝道しに行って信者に会ってみれば、信者のほとんどみなが、確信がありませんでした。共通点です。何の確信がないのでしょうか?何の確信なのかも知らないのです。単にありません。単に教会に行ったり来たり、揺れて通っています。そして、共通的に何と考えるかというと、しなくても済むこと、最もやさしいことなのに、伝道が難しいと言うのです。その言葉は、初めからみな違った言葉です。伝道はすることでも、しないことでもありません。難しいという言葉は、話になりません。おばさんたちが嫁入りして、子どもを産むのが難しいと言うなら、違った言葉です。塾に行かなくても良くて、練習しなくても良くて、みなそのままできるのです。いつ研究したのか、みな産みます。それがどういうことでしょうか? 命であるためです。なるようになっていることを、なる、ならないと言うのです。それは、特別に神様の計画による問題がある人がする話で、何のために問題があるのでしょうか。伝道が難しいと思ったこと自体が間違っているのです。 ・そして、福音を持っている人にはやさしいのです。私にあるものを与えるのに、何がそんなに難しいのでしょうか。何も難しいことではありません。それでペテロが話したのです。'私にあることをあなたに上げよう’ ないことを与えようとするので難しいのです。不可能です。そうでなければ、よく知らないことを話そうとするから、大変なのです。それで、こういう状況の中でも生き残りました。ここにひょっとして、私はこれよりもっとひどい状況にあるという人は、手を挙げてみてください。ないでしょう。確かに神様は答えを持っておられるのです。未信者にさえも答えを持っておられます。それなら、皆さんは信者なのに、よく知らないからそうであって、それでも神様に仕えようとする人々です。色々なことをのがして知らないからそうであって、それでも伝道すべきだと思っている人です。だから、神様の答えがないはずがありません。 ・それでは、初代教会が何をしたか以前に、何から解決すべきなのでしょうか。必ず記憶してください。おもに私たちのタラッパンで見ると、一般既存信徒は、私たちのように事実、伝道を強調しません。だから、後ほどにはみな忘れてしまうようになっています。福音を強調しないから、後には他のものを捕まえるようになります。それで、異端ではないのですが、力がありません。間違いではありません。百年ぶりに一度キリストを話しても、したことはしたのです。間違いではありません。そして、一回だけイエス様と話しても、間違いではありません。話を少なくしただけで、私たちは少なくする、それが危険だと話す人々です。それが差異点です。ひょっとして初めて来られた方や、今、放送を聞く方が、タラッパンが何が違うのかを尋ねるなら、それしかありません。私は福音を強調しなさいと言うのです。神様の子どもになったから、神様の子どもになった祝福を強調することで、見つけなさいと言うのです。ある面では当然の話です。それしか差がありません。全く同じです。聖書そのままです。それで、タラッパンメッセージが特別にあるのではありません。聖書そのままです。 ・この頃、外国で流行する言葉が、長老が出てきてキリストの話をすれば 'タラッパンだな。'そして、放送でメッセージが出てくる時も'あのタラッパンメッセージだ'タラッパンメッセージは違ったことではありません。聖書にあるそのままです。違う方々は、何のメッセージするのか分からないのですが、私たちは聖書そのままです。ところで、牧師が講壇に立って、寺に行ってそのまま説明してもかまわない話をしたら、少し良心の呵責を受けなければなりません。それも説教ですが、それもできます。簡単に話せば、私が一時間、私なりに仏教の話しをしておいて、それでもイエスを信じろといえば説教です。しかし、そのようにしてはならないでしょう。それで、私たちはタラッパンに、今、とても働きがたくさん起きているのですが、個人的にまだ答えを受けられない人が60%程度います。私が見る時は半分を越えています。たくさん今、さ迷っているのです。祝福を受ける団体であることが確実だから、脇役の祝福をずっと受けるのです。結婚式に脇役がいるでしょう。結婚せずに、脇役をすること。それもかなり大丈夫です。お金も少し与えて、食べ物も与えて、あいさつも受けて、行って歌も歌って。いつも、そのような形の答えを受ける人が60%ぐらいいます。 ・そして、教会は全体にみわざが起きるから、少しずつなって付いてくるのです。結論はよくなっています。福音は。しかし、現在見て、少し答えを味わうことができない教会、停滞している教会が、全体に70%程度になります。なぜそうでしょうか。ひょっとして、皆さんの中でこのように福音を伝える、タラッパンする教会で、私は良くならないと思う方たちは、初代教会で何をしたかを、帰る前に、これから点検しなければなりません。基本に帰りましょう。これは緊急なのです。私たちのレムナントは、何をそろえるべきでしょうか。みな来ているから、基本だけ堅くそろえましょう。何でも基本です。皆さんが人生に基本がとてもだめになっていれば、答えが遅れます。来ているのにも、知らないだけです。それで、私たちが律法で、ああしろ、こうしろと言うのではなく、私たちのレムナントもそうで、皆さんもそうですが、人生の基本は、はやくそろえなければなりません。いくらキリストの愛でも、指揮者が歌う時、一人でおかしな声を出してはいけません。そうではないでしょうか。そして、とてもまたオンチが出てきて指揮してはいけないではないでしょうか。音楽がある、こういう人がすべきで、オンチが出てきて鄭明析(JMS:元統一教の信徒が作った宗教団体、その総裁)のように出てきてしても良いのでしょうか。小学校を中退した人が指揮をしています。まねる大学生も変人です。放送に一度出て来たでしょう。音楽と手が全く関係ありません。自分勝手に。それでも、性悪な人々が一緒に歌っています。もっとも楽譜のとおり歌えば関係ないことです。とても基本がなっていないならば、問題が来るしかありません。 ・それで、私たちは特に経済のようなもの、固く決心しましょう。私は我が家は十分の一で私たちの教会が立つ程、私の事業がこの地域文化を変える程。それは基本です。特別なことでなく、基本です。この程度の祝福は受けるべきで、一生を生きながら、そのようにたくさん話す宣教。宣教地に献金を一度もしないで、そこに対する神経も使わずに死ぬということは、基本の祝福をのがしたのです。皆さんが何かをよくしなさいということでなく、基本的に祈りなさいということです。そして、私たちは世界宣教とRUTC。私たちの人生の基本です。私たちのタラッパンでは基本です。私のメッセージをずっと聞いている長老夫婦が、私たちのタラッパンをする教会ではないのですが、今日、私がここにくるからと参加されました。その方が、こういう話をされました。私たちの事実は、レムナントをつくさなければならないのに、不思議に信徒がレムナントに対してはうまくできなくて、タラッパンではレムナントを強調するので、真に貴重で良いとおっしゃいました。それで、そうですかと申し上げたのですが、事実は、それは基本にならなければなりません。その程度は、ならなければなりません。 ・家庭もそうです。皆さんがとても基本がならないでいれば、本当に困ります。例えば、夫も度が過ぎることもしなくて、職場に行って退屈ならば家に帰って寝て、それではだめです。ある程度の人は、仕事をしなければなりません。女性がとても基本にならなければ、家めちゃくちゃになります。基本は、はやくそろえましょう。想像以上に、基本にならない人が多いのです。これは捕まえて悲しんで、そのような時間もありません。それでは、社会生活するのに、ここで直ちに脱落します。社会がどれくらい怖いでしょうか、それで、こういうものをそろえておかなければならないのです。タラッパンを長くすれば、歩き回りたくなるでしょうが、時間があれば、可能ならば重要な本も読んで、海外旅行したらとても重要なものを福音の目で見ることもして、このように人生の基本をそろえなければ、重要なことをのがすようになります。 ・考えです。私たちの考えも基本がそろってこそ、そこにしたがってその次に事が始まるのです。いくら神様が恵みをくださっても、私の考えが違ってしまえばだめになるのです。そのうちで一番重要なのが、可能ならば、他人の話を聞く時も事実を聞きましょう。久しぶりに来たので、長老たちが牧師先生の食事を自分で提供したいと言ったので、私したのですが、とても重要な報告があって、新聞社の社長がきて、わざわざここまできて報告をして行かれました。重要なことをたくさん聞いて、また聞きながら習うのですが、昨日もチョ社長が叱られました。悪口を言うから叱られるのです。事実。私の場合は、より一層そうです。事実を見られなければ、大変なことになります。皆さんは少し大丈夫でしょうが、私はそうなのです。なぜなら、私がメッセージをすればみんなが聞いて同じようにします。それでは事実でない話をすれば、間違えば大変なことになります。例話を上げたり、統計は少し違っても良いでしょうが、とても重要なことを違うようにすれば、大変なことが起きます。誰でも信仰生活は同じです。皆さんがほとんど見れば、事実ではないことに時間をみな送っています。こうすれば、どれくらい愚かなことでしょうか。ヨセフの兄たちが、事実と違ったことに時間をみな送って、サウル王が一生、事実ではないことに時間をみな送りました。それで、私たちはこれを悟れば、ずっと働きが起きるのです。 ・そして、私たちはみな実践できなくても、考えを正しくしなければなりません。ここで正しくという言葉は、ピリピ1:9〜10のみことばです。'あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように’ この人を許さなければならないか、嫌わなければならないか、手助けしなければならないか?手助けしましょう。'真にすぐれたもの’ それが神様のみこころです。それが最も正しい考えで、神様と通じる考えです。私の敵を敵で返すか、許すべきなのか、手助けすべきなのか? 手助けしましょう。あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。それがパウロが教える祈りの一番重要な最初の要素です。エペソ書でパウロが祈りを話した後に、すぐ次にした話です。パウロは、祈りに関する内容をたくさん話しました。本当に答えを受けようとすると、このように祈りなさいという意味で、エペソ1:17〜19を見ましょう。そしてピリピ書でもそう言いました。'あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。'単純な良い行いではありません。とても重要な神様のみこころを見いだしなさいということです。何の話でしょうか。私たちのレムナントがいますが、絶対に過去に対する傷を持っていず、レムナント7人を見ましょう。立派な考えをしました。兄たちが、私をこのように売り飛ばして殺そうとしたので、気をおとすこともできたのですが、とても重要な考えをしました。それが神様のみこころです。 ・皆さんで、本当に迷う人が多いのです。その人のために私がとても困難にあうこともあるでしょうが、すばらしい重要な答えを得ることもできます。それが、神様のみこころです。今、信仰以前に、これが重要です。考えが崩れて、人生の基本がならなくなっていれば、いつもやられてしまいます。私が牧師だから、牧師のことを話すしかありません。今ではなくて、以前には全国集会に通いました。講師で後に座っていれば、この教会はなる、ならないということを、2つのことだけ見ても分かりました。牧師が司会をしているのと、長老が祈るのを見れば分かります。ほとんど間違いありません。特徴が何かというと、全く基本にならなくなっているのです。とても拍子もはっきりと間違って歌いながら、編曲して、こういう方法ですれば困ります。良く言えば編曲なのですが、言わばめちゃくちゃに違うのです。人がある時は違うでしょうが、あまりにこうしてはいけないのです。話すのも区分できなければ困ります。それで、こういうものをはやく直さなければなりません。霊的問題が来るために、はやく直さなければならないのです。これは大変なメッセージでもなくて、はやく解決しなければならないことです。教会でだれかが私を無視するからといって悲しんではなりません。はやく直しましょう。私を。死んでも他の人は直せません。私を直さなければならないのです。これにならなければ、どれくらい困るかわかりません。信仰に入る以前に、私たちはいろいろ方法で生きるのですが、基本をはやく変えなければなりません。 ・動機です。変えましょう。だれに認められるといわずに、神様の前で。動機をはやく変えてこそ、それでこそ本当に答えを受けます。だれかに認められてすることは、認められるのが答えですが、しかし、神様の前で、未来の前でするのです。これはとても重要なのです。私たちの教会は大丈夫ですが、今、一般の教会は、とてもけんかをします。牧師と長老が。なぜか、動機を変えなければならないのです。それで、益にもならないことで計算するから、けんかをするようになるのです。自分の位置、感情、それで、度々問題がくるのです。それは何の答えもありません。はやく基本は変えて、通り過ぎなければなりません。それで、動機から変えましょう。神様が祈りの答えをくださるので、とても感謝します。当然です。しかし、パウロはそのようにしませんでした。寝て考えても賛美します。この福音をくださって、とても感謝します。すでに動機が違います。その程度ではありません。足かせや手かせをかけられても言う言葉が、'主にあって喜びなさい。私がもう一度言います。喜びなさい。'そうでした。それは本当に話したのです。単純な慰めではありません。だから、この時代の流れる重要なことを見て、苦しみにあうということが、とても感謝だったのでした。 ・京畿道に金ハンギ牧師という方がおられます。一度は集会に行ったところ、カバンに古い書類を二枚を持っておられました。古くて、みなすりへっているのに、とても感謝すると言ってカバンに持ち歩いていました。何かと尋ねたところ、免職された書類でした。自分をタラッパンをするから免職させられたのです。パウロが、福音のために苦しみに会うことを単純に苦難とだけ見たのではありません。これのために、次の時代に驚くことが行われることを知って、これのために暗闇の勢力が砕かれること、多くの弟子が起きるのを見たのです。どれくらい感謝するのか、皆さんはみな水準を高くして、祝福を受けなければならないから、動機から変えなければなりません。動機はどのように変えるかというと、とても福音に、すばらしい働きが起きるようになっています。こうすれば癒されます。 ・二番目です。方向を変えなければなりません。方向が違ってはいけないのです。蔚山に来ようとするなら、釜山から上がってくるべきで、どんどん下に降りて行けば、海にはまって溺れ死にます。いくら立派な人でも、方向を合わせなければなりません。神様と方向が合えば、そのまま答えを受けます。事業も良くしようとするなら、お金をもうける所に合わせなければなりません。まったくお金をもうけられない所で、方向を合わせなければ、いくらがんばってもだめです。今、先端を行き来する時代に、紙拾い、こういうことをするのは清掃しかできません。だから方向を合わせましょう。それで、答えがくるようになっています。これは、基本的であるよりために、はやくこのようにしましょう。その次のことは、さらに重要です。何に根をおろすかにしたがって、私の未来が決定されるのです。私たちが訓練を継続して受けなければなりませんか?何に根をおろすかにしたがって、思わず未来が決定されるのです。とても重要です。 ・それで、私が考えた改革の中一つが、教会は正しい訓練がありません。それで、正しくなされた訓練をしなければならないということでした。はじめから、無条件に列にならんで、名札を付けて訓練を受けてくださいと言いました。長老、牧師、執事、一般信徒、関係なく。ある牧師は、自尊心が傷ついて来ませんでした。それなら、来ないで良いのです。訓練が必要です。なぜなら、何に根をおろすかにしたがって、皆さんの家系に今まであった霊的問題がなくなるか、あるかになるからです。やさしい話でします。とても難しく話すから、深刻化するのです。そのまま、皆さんが一つ一つ聞いた、それが皆さんの人生になります。それで、福音の訓練を受けるほど、一時代が変わる答えを受けるようになるのです。このように始まることを、本当に主の御名でお祈りします。 ・これにならなければ、どんなことが行われるかというと、途方もない祝福を持っていても、分からなくなるのです。そうすれば、ものすごいことが行われます。皆さんがどこでやられるのでしょうか。救いは関係ありません。悪魔の中で第一水準が高いのが、淋しくさせる悪魔です。ここに引っかかります。牧師も淋しくさせて、教会が淋しくさせて、長老が淋しくさせると言います。淋しいことが何があるのでしょうか。それは、それなのです。ないから淋しい。いつもこのように、ここに引っかかれば即決して出て行きます。悪魔の中で第一水準が高い悪魔です。私たちする言葉で,'淋しくさせる'こう言いながら、何でもないのに出て行くのです。聖歌隊に来てみたら淋しい、指揮者を見たら、こうすれば終わりです。今度から、座っていてもつまらないのです。何がそんなに淋しいのでしょうか。みな家族どうしでしょう。信仰が弱い人々であるほど、この悪魔によく引っかかります。これは、また牧師もよく引っかかるのです。牧師は、ここに引っかかれば、すぐに死ぬのです。私が見る時には、第一水準が高い悪魔です。ですから、私たちはこのようになります。自分がだめだとは知らずに、淋しいと言います。 ・そうするならば、悲しい悪魔がとりついてくるのです。涙が出て、そのようにさせます。いくら流しても仕方がありません。だから、基本をはやくそろえましょう。私の話が理解できなければ、皆さんの子どもが、これがだめで世の中に出て行くと考えてみてください。大変です。危機です。少なくとも、私たちのレムナントが、外に出て行く時は、基本は越えて出て行かなければなりません。そうではないのでしょうか。この子どもたちが、生き方や考えや自分の方法が、基本になっているべきで、これもだめならば、そのまま送りだせば大変なことが起きます。子どもを考えればやさしいでしょう。できなければ、孫を考えてみてください。皆さんの孫たちが、基本がとてもだめだったとすれば、どうなるのでしょうか? 苦労するでしょう。信仰も同じです。初代教会は、少なくともこういうものに気を遣ったのではありません。 ・どのように初代教会は世界を征服したのでしょうか。それこそ、伝道者の基本にはやく帰らなければなりません。私たちは伝道者でしょうか? 'ディック・へリックス'という人は'キリストがないすべての人は宣教の対象で、キリストがいるすべての人は宣教師だ'と言いました。そうだという時、皆さんは一時代に生まれた伝道者であるから、それに対する基本だけそろえれば良いのです。簡単に話します。結論3つです。皆さんが捕まえなければならない未来3つです。これは基本的な人生ですが、伝道者の人生三つです。基本です。このままそろえれば、働きが起きます。初代教会がこのようでした。 ・最初です。初代教会は三つの結論が出ていました。かなり以前から待っていたキリストが来られた。結論が出たのです。'あなたは生ける神の御子キリストです'結論が出なければ困ります。終わりがいつも困るようになります。それで、いくら親しい友人でも、結論が違うように出れば何かが合わないのです。夫婦間でも、しばしば葛藤が生じる理由が、結論が違うためです。いくら合わせようとしても、無理に合わせることであって、合いません。結論が合わないのです。世界を征服した初代教会は、結論が出ていました。'テオピロよ。私が前に書いた文では、創世記3章の問題の解決者が来られた。サタンの勢力をうち砕く主人公が来られた。私たちが受けなければならない罪と呪いの運命を砕く者が来られた'ということです。終わったのです。これが初代教会です。'すべての民族に福音が宣べ伝えられた後に終わりが来ます。' ・昨日もソウルで謝罪したのですが、謝罪するのは、私はとても忙しくて見るから、それも言い訳ですが、多くの牧師がタラッパンに来られて去って行かれます。それでもなかなか私がよく見ないのです。その理由は、目を見つめないのではなく、これからを見るからです。なぜなら、結論が同じでなければならないためです。私たちは聖霊の導きを受けること大切にするからです。それで少し了解しなければなりません。そして、いつでも私たちこの運動して去って行く人もいます。一度も引き留めたことはありません。なぜなら、分かるからです。その方と私は、結論が違うためです。それで心配することも何もありません。これからキリストが勝利するように、結論が出ます。それで、基本を変えなさいということは、今、その答えの味を味わいなさいということです。基本を全く直さなくても、結論は同じです。今から完全に生き方は変に生きて、考えはいつもあきれるようにして、方法はいつもあきれるようにしても、天国には行きます。結論は出ているのですが、今が問題なのです。 ・ちょっと味わわなければならないではないでしょうか。今、答えをちょっと受けて、しなければならないではないでしょうか。今から永遠に聖書を見なくても、結論は同じです。ある人が言うのに、'どうせ天国に行くことなので、だいたいでして行きましょう。'と言うのですが、そうでなくて、今、答えをちょっと受けなければならないのではないでしょうか。さらに重要なことです。皆さんが必ず捕まえなければなりません。神様の国です。これが事業の成功の方法で、家庭を生かす方法で、皆さん自身を生かす方法です。40才になった人は、40年間、皆さんが知らず他の国が掌握してきていたのです。それで神様の国です。とても重要な言葉です。皆さんの年齢が60ならば、60年間、すでにそのまま生きてきたのです。それで、神様の国です。イエス様がおっしゃられました。'エルサレムを離れないで、父からの約束を待ちなさい。あなた達はいつかとは考える必要はなく、聖霊を受ければ、力を受けて地の果てまで証人になります。' ・今は、目に見えないで聖霊で働かれる主は、皆さんのすべての問題を解決できて、力を与えることができるのです。これが初代教会が下ろした結論です。以前に話しました。ある人が伝道運動をしていたのが、しないと言いました。長老や牧師にも、そのような人がいます。それで重要な方々が、私に牧師先生が直接行って激励して、ちょっと背中をたたいてあげてくださいと言いました。しかし、一度もそうしませんでした。私はその方たちがおろしている結論を知っているからです。違うのです。違います。そして、数年間、数えきれない程、攻撃を受け入れたのですが、新聞にも出ていたでしょう。一度も読んでみたことがありません。結論、内容を知っているからです。読んでみないでも分かります。その人々の工作や語り口は全く同じなので、皆分かります。結論が出たのに、揺れることが何であるのでしょうか。こういうものも十分に勝ち抜けました。皆さんが、今日、皆さんは重要な使命者ですから、これで結論を出すように願います。キリストが皆さんの問題みな終わらせました。しかし、その問題の中に陥ってはいけないのです。終わらせたのです。恐れる必要がありません。皆さんの家系の暗闇を終わらせました。家を揺るがしたサタンの勢力を終わらせたのです。霊媒師の出身はいるでしょう? 悪霊のすべての戦略を終わらせました。心配する必要がありません。'それでも来るのが見えるのですが?'くるほど益です。心配する必要がありません。来ます。なぜなら、いつも一緒にいたので、一回は訪ねて来ます。来ても何の関係もありません。神様が答えられるようになっています。 ・未来三つです。まちがいなく来るのです。これを捕まえなければなりません。'わたしが世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。父と子と聖霊の名前でバプテスマを与えて、わたしがあなたがたに命じた全てのものを教えて守るようにしなさい。そして、すべての国の人々を弟子としなさい。'前に何と言われたでしょうか。'天と地のすべての権威をわたしに与えられました'と言われました。同じ言葉です。イエス様が復活して、すべての民に行きなさい、病気にかかった者に手をのせれば癒されます。治癒です。地の果てまで、何になるのでしょう? 証人なるのです。これが、これから起きることです。愚かな人が見れば、とんでもないことなのですが、タラッパンは、ここに方向を合わせたのです。皆さんの事業も、人生も、ここに方向を合わせていれば答えはくるのです。何も心配しなくても良いのです。黙示録を見れば、御座に座った主が、七つの星を捕まえて、燭台の間を今も通っておられるとなっています。これをヨハネは幻で見たのです。恐れをなす必要がありません。世の中が変なのですが、再臨メッセージを見てください。最後の時に起きること。聖書にそのまま預言されています。これから起きることです。これからものすごい団体が起きて、キリストを信じる者を迫害するとなっています。そして、終わりの日になれば、伝道者は迫害されると預言されています。ですから、当然の話です。しかし'すべての民族に福音が宣べ伝えられた後、終わりが来ます。最後まで耐える者は救われます。'そうなっています。 ・初代教会はどのようにしたのでしょうか? 伝道者の人生です。過去は全部、土台にしなければ、やられてしまいます。私が伝道しながらメッセージをたくさん悟ったのですが、全部、自分の過去で悟りました。私たちの町内のそばでグッ(降霊術)をよくしました。すぐ霊的なことを悟れたし、6.25(朝鮮戦争)以後、貧しかったのです。すぐ悟ることができました。だから、過去は全部、土台です。今日は全部、機会です。今、ここに座っていることが、すばらしい時刻表です。伝道者の時刻表に座っているから、信じるだけで、アーメンだけすれば、皆さんが行かなければならない事業の場に今、主の天使を送って'アーメン'と言う瞬間、聖霊が働かれるのです。それ以上のことはありません。それ以上、考えることも、疑うことも、心配することもありません。私はそれを体験しました。歩き回るだけなのに、行ってみれば答えが来ていました。それで、私は歩き回りながら答えを確認します。ずっと来ています。今、ここでキャンプをします。継続してみましょう。継続すれば、後ほど答えがみな来ています。いろいろな気がします。そのように考えないようにしましょう。エリコを回りながら、なぜ話さないでと言われたのでしょうか? いたずらに、いらないことを言うから、話さずにただ回りなさいと言われたのです。私たちは未来がまだ来ていないのですが、未来を置いて未来を見ながら準備するのです。最も良い準備は更新です。 ・今この教会がたくさん集まっているのですが、このようにせずに、たくさん集まることで更新しなければなりません。それでこそ、神様が答えをくださいます。例えば、釜山では礼拝時間に献金した人々の名前を出しません。信徒がこれから何万名も来るのに、何万名もの名前をみな出せば、一日中、時間が必要です。そのような形をまったく更新しましょう。そして、すべての制度自体を更新しましょう。ここでは、どのようにするのか、よく知りませんが、今、釜山、ソウルでは役員約100人程度は立てています。なぜなら、はやく更新しなさいということです。未来を準備するのです。そして、役員を中心に、要所、要所とすべての機関を生かすのです。それが聖書にある戦略です。だから、はやく未来を見て、未来を準備するのが、更新です。そして、牧師夫人、あるいは副教役者や多くの人々が、更新を早くしなければなりません。皆さんに大きい祝福がきた時、どのようにするのでしょうか。今の水準では、その祝福を耐えられることができないから、神様がくださらないのです。どんな親が、3才の子どもが遊ぶのに、かみそりを与えるでしょうか。与えれば大変な事になります。それでは、孫が幼稚園に行くのに、ポケットに小切手十万円を十枚いれれば、どうなるのでしょうか。死にます。しかし、皆さんの子どもが成長して、十万円を十枚あっても、百万円にしかならないので、もっと与えたり、そのようにします。だから、うつわによって神様が答えを準備しておかれるのです。神様は、ごり押しされる神様であったり、悪質であったりしません。神様は、悪霊のような方ではないのです。悪霊は、与えたければ与えて、持って行って、そして、後ほどほろびるようにさせます。グッ(降霊術)をすれば、少ししてまたしなければ、また苦痛を与えるのです。聖霊はそうではありません。皆さんが本当に味わうことができますように。 ・私はこのようなことを見る時、心配になる人が多いのです。今でもそうなのに、これから答えがたくさんくれば、狂ってしまうはずなので、大変に思える人が多いのです。今でも見れば、タラッパンで少し働きが起きるのを見ながら、大騒ぎをする人を見れば残念です。例えば、水準が町長になったことで、とても格好つけて通えば、国会議員になれば卒倒するでしょう。だから、神様が国会議員をさせられないのです。卒倒を防ぐために。だから、はやく更新しなさいということです。蔚山を生かせるようにずっと更新しましょう。 ・私は今、何を考えているかというと、釜山に700ヶ所役員が派遣されて、700ヶ所で正しい伝道運動を起こせば、私たちの教会はものすごくたくさん集まるでしょう。それで、建築は2010年までしよう。どのようにするか、釜山文化を代表するほど、準備しようということです。準備して、そこで、どの程度になれば良いでしょうか。私たちの教会で決めれば良いように、区の議員、市会議員、国会議員になるには数が多くなければなりません。これから政治家たちが怖くなるでしょうが、確かにそのようにするでしょう。例えば、釜山市内で、私たちの教会に何万の家庭が集まるとすれば、集まれます。そのように作るつもりです。神様の計画です。私たちが派遣すれば終わりです。それで、寝て起きて'長老、市長に出て下さい。'と言えば、終わりです。私たちがみな押せば良いからです。数です。どれくらい良いでしょうか。数がパワーです。何が怖くなるのでしょうか。私が釜山にいれば、政治家たちが挨拶をしにたくさん来ます。みな祝福してあげて、感謝すべき方たちですが、中ではみな考えがあるのです。私たちは、今、力がないのではありません。今、10年ぶりに影島では、私たちの教会が一番大きいのです。みな合わせた数と同じです。いくら是非を論じてもそうです。これから釜山全体と合わせたように作るつもりです。それで弟子です。文化を変えるのです。力を誇示しようというのではなく、文化を変えようということです。だから、はやく更新しなさいと言うのです。 ・それで、私が牧師夫人学科を作ろうと言ったのです。更新です。牧師夫人がすることがあります。今から役員会室だけを作るのではなく、牧師夫人室も作りましょう。それでこそ、牧師夫人どうし、ひそひそ話して話もして、そうでなければ、いつもお手洗いで話すようになります。はやくはやく更新しましょう。だから、牧師が説教の準備をしなければならないのに、牧師夫人が行き来すれば気になります。説教してみたことがないでしょうか? 説教準備が正しくなされる日があるかと思えば、だめな日があります。説教というものは、本当に早く確信が来る日があるかと思えば、ゆっくり来る日があったりもします。それは、神様の心のままです。それで、人々が行き来すれば気になるのです。それで、テレビはなぜつけておくのでしょうか?それをつけておいてこそ、一つの防御となるのです。集中力ができます。その音を聞いているのではありません。その程度は、心理的に分からなければなりません。祝福を受ける準備をして更新しましょう。 ・初代教会は、すでに全地域に弟子が起きることを思って動いたのです。愚かなパリサイ人は、力で押せば良いと思って迫害したのですが、迫害は開始です。この人が頭が悪くて、殺せば良いと思いました。死んだらさらに働きが起きました。真理はそんなことです。ステパノが死んだ後に、アンテオケ教会ができました。何の話だろうと思うでしょう。何も恐れることがありません。結論です。私たちのタラッパン家族はすべてそうですが、インマヌエルの家族が一番要視しなければならない使命です。そして、これから最も受ける祝福です。これ一つに全てのものがみな戻って解決されるのです。キャンプです。これが偶然なことではありません。ここにカン・サンモ牧師、金セイン牧師が来ておられますが、これも偶然なことではありません。全体のキャンプが回る中で、できたのです。本人たちは、田舎だから来たくなかったのですが、それでも来たのです。今、ソ・テソク牧師は田舎だからと来ないと言ったことを後悔しているでしょう。'年をとった私が韓国に…'と言って待っているのです。これがみなキャンプ中心でみな回っています。それと共に、各老会のキャンプです。それで、インマヌエル教会がキャンプをしながら、私たちの教会にみな連れてこようとせずに、全体を生かすつもりでしなければなりません。それなら、神様はさらに喜ばれるのです。 ・本当にキャンプです。キャンプとは何でしょうか? 創世記1:3いのちの光が照らすということです。イザヤ6:1〜22キャンプをしたのですが、全てのものが戻ってきます。牧師、長老という方々が、キャンプをするのに、目に見えないように全てのものが生き返るのです。ただ答えがはやく見られないのは、皆さんがうつわ準備がなっていないから、驚くかと思って待っているだけであって、うつわ準備だけなれば、すぐにそのまま入れられるのです。聖書を見てください。キャンプとは何でしょうか。Iペテロ2:9を見てください。'なたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。'となっています。この光だけ発すれば、全てのものがみな回復して戻るとなっています。これまでインマヌエル蔚山教会の信徒達、長老、教役者たちが、感謝することは、キャンプを継続してきたのですが、継続していきましょう。実がなくても、あっても、しましょう。私たちは商売人ではありません。なくても、しなければなりません。キャンプを継続する利益がなくても、関係がありません。私たちは商売人ではないのです。私たちは、福音をもって世界を生かそうとしているのです。必ず答えがくるようになっています。 ・皆さんのキャンプの方向を変える必要があります。皆さんが今は、毎日、祝福を受けるキャンプを開きましょう。伝道キャンプだけせずに、祝福を受けるキャンプを開きましょう。三番目です。主題あるキャンプをしましょう。'私たちの教会は良くなりません。'こういう方がおられたら、私たちの教会は良くなりませんというキャンプをしてみましょう。キャンプということが、皆さんの頭の中にしばしば出て行くことだけを考えるのですが、それもキャンプです。これから、教会学校では、学生父兄が集まるキャンプ。また、音楽専門家キャンプ。子どもたちが何か発表することを準備しておいて、親を招くキャンプ。キャンプの主題を多様に与えましょう。軍隊の戦場に出て行く人々が、「鷲作戦」とか「珍島(チンド)犬作戦」とか、このように具体的に出て行きます。今まで出て行くのはいつも路傍伝道式です。それもキャンプです。しかし、サムサン洞路地キャンプ、このような形で具体的に主題を与えましょう。 ・今は皆さんを圧迫する迫害が何の効果もありません。なぜなら、神様に勝つ者はないからです。私が経験することでは本物です。キャンプを着実にしようということは、私が伝道しに行きたくない時もありました。行きたくないのに、不思議に行くようになったのです。未信者の話ですれば運命で、今、話せば神様の恵みです。しかし、率直に昔に行きたくない時がありました。ところで行かなくてはいけなくなるのです。このようにして行ったのに、答えが来て、今まで来ています。不思議なことです。一年間、霊媒師に宣教しに入ったのです。実際、霊媒師は嫌いです。入って何か話をしなければならないかもしれないし、ひょっとしてまた占って見つけられそうで嫌いでした。それを一年行ったのですが、神様は未信者状態6つの永遠な答えを与えられました。これがキャンプです。おもに過ぎた後に答えがきます。私は東で仕事をしたのですが、答えは違うところで来ます。不思議です。皆さんがキャンプしているのに、神様の祝福は信徒の家に、長老の家にずっと起きるのです。それがキャンプです。キャンプをしたところ、生き返って来るでしょう。前にそうでした。 ・役員が教会を愛するから、とてもカン・サンモ牧師一人であっちこっち走ってキャンプに出て行って、また外部から来なさい、行きなさいと言うから、時間がないので、この会を担任する方がないかと一度、話していました。それで祈ってみようと言ったのですが、内心、誤って連れてくれば大変なことが起きる。本当に人間一人は、よく入れなければ大変なことが起きると思っていました。殺すこともできなくて、送りだすこともできなくて、送りだせば良いのですが、それがまた簡単ではありません。それで、ハン・ドンフン長老が、このメッセージを聞いておられるでしょうが、ハン・ドンフン長老が、初めに私に'牧師先生、教役者を送って下さい'それで'No、教会から組織をたてて安定するように弟子組織から作って、役員から正しく立て直さなければならない。'と言いました。もうわかったでしょう。そのようにしてこそ、教会が堅く立つようになるのです。役員を中心に伝道弟子運動が蔚山に敷かれてこそ、大きなみわざが始まります。そこに粗雑な人を連れてくれば、大変なことになります。そこに動機を持った人がきたとすれば、動機は止めさせられません。一番堪え難いのが動機です。 ・だから、ある泥棒が金を持って行って捕えられました。警察があまりにもあきれて'それでも、そんなに人が多い市場で金を持って逃げても良いのか、捕えられないことがあるだろうか? 'と言ったら、返事をあきれるようにしたのです。'市場を見た瞬間、金だけしか見えず、何も見えなかった。'それが動機です。そうなるのです。それで、動機があれば、動機がある何かをしに来るとすれば、頭が痛いでしょう。今、見る時は、未来を遠く見通して、蔚山の牧師と、この教会を見る時は、この教会が本当に聖霊の導きを受けています。皆さんが見る目と私が見る目が違うことがあります。どちらが正しいかは、後ほど見て、でなければ神様に尋ねてください。私は他のことはできなくても、神様が伝道のために祝福して、恵みをたくさん受けました。そのような中で、今、私たちが同じ家族になったのです。どれくらい重要でしょうか。 ・はやく下さなければならない決断三つ。最初です。皆さんが自ら過去のどん底に陥ってはいけません。エジプトから抜け出したのに、エジプトが好きでは、どうするのでしょうか? 私は神様の子どもです。と言って、どん底から抜け出さなければなりません。ところで、ほとんどみなが問題を起こしたり、悲しみに陥る人、いろいろな事にぶつかる人のほとんどみなが自らです。だれが何と言うのでしょうか。祝福を受けなさいとみな準備されているので、自らオーバーで気をおとして、高慢もだれかが高慢になってくださいと言ったでしょうか。自ら高慢になっているのです。誰かがきて、気落ちをしてくださいと言ったでしょうか。自ら気をおとして大騒ぎしています。そうでなかったでしょうか。だれが'歴史的使命を帯びて、あなたをさびしくさせるためにきた。'と言うでしょうか。自らさびしくなっているのです。それでは、神様もだめで、主が直接来られてもだめでしょう。自らどん底に陥って、出てこないというのに、これは主が再臨して、直接牧会してもだめでしょう。こういう人は、天国に行ってもどん底がないのか探して入っていくでしょう。天国に行っても不平を言うでしょう。施設がどうだから、神様がなぜあのように良くないのと言いながら。それでは、言うべきことがありません。自らみな陥るのです。皆さんが答えを受けて、正しい考えをもっていれば、働きが継続して起きるのに、自ら陥ってしまうのです。 ・この頃は、選挙が多くて、放送を見ていれば自ら愚かなことをしています。自分が適任者と言いながら。自分一人。だれが何と言うのでしょうか。落ちることが明らかな人が出てきて、自分が適任者だと言います。あきれることです。金トゥハンを見て下さい。やくざではないでしょうか。ある人が非難をしました。金トゥハンは、小学校5年で中退した。それで非難したのです。いくら国会議員が小学校も卒業しないで良いかとしたところ、金トゥハンは'私が小学校を卒業したら、大統領に出て行くので、なぜ国会議員に出て行くのか?'普通、見れば人々は、自らどん底に陥るのです。また以前にリンカーン大統領に二つの顔の男と皮肉る人に、私が二つの顔ならば、この顔で出てくるかと受け返しました。だから、自分一人が悲しくて、自ら陥るのです。だれが何と言うのでしょうか。だれが何と言っても、陥ってはいけません。みなどん底に追い詰めてもヨセフを見てください。ぐいっと抜け出して行きました。神様の子どもなのに、何しにそこに入っているのでしょうか。 ・それで、何でしょうか。みことばを捕まえましょう。先週の説教が何だと記憶しようとするなら、忘れてしまいます。私に突然尋ねられても思い出せません。それにしても、頭も悪いのに、どのようにみな記憶するのでしょうか。そうしなくて、今日くださったみことばの中で、一つだけメッセージで捕まえて祈りましょう。それなら、思い出せるようになっています。それなら、それが積もっても大丈夫です。それで、今日中にみな覚える必要がありません。今日中に受けたメッセージを捕まえましょう。祈りましょう。この祈りはいつまでするのでしょうか。ある主題は、継続しなければならないものがあって、あるものはその週で終わらせなければならないことがあります。そのうちに一番重要なのは、確実な答えが見られる時まで、答えが来ないのも見えます。それではしなくても済むのです。答えがきたのに、何を度々するのでしょうか。また、あるものは小さいことでも実践する時までしましょう。それなら、答えは継続されるでしょう。 ・皆さんが生涯、神様がくださる祝福が続かくでしょう。今日、特別に特講する理由は、聖日の午後でもあるのですが、蔚山に私がとても久しぶりにきたので、皆さんがこの祝福の主人公になることをイエスの御名でお祈りします。 <<契約の祈り>> 神様に感謝します。私たちにこの祝福をくださった神様に栄光と賛美を帰しながら、自らどん底に陥らないように私たちに霊的な目を開いて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン |